- 2025年5月3日 12:12 CAT :
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人はそれを「現実逃避」もしくは「さぼりたいための言い訳」と判断する
水木しげると言う漫画家がとあるエッセイで「明日で良い事は今日やるな。今日しかできない事を今日やるべきだ」と書いていた。
今日しかできない事は一体何かを考え、今日しかできない事を精一杯やる事こそ、最も人生を実感できる生き方だと言うのだ。
今日と言う日は、自分の人生において1度しかやってこない。
その1度しかやってこない1日において、その日にしか出来ないことは何かを考える。
その日、オレはお仕事に追われていた。
納期は明日まで。
今日中には何としても形にして、クライアントさんに提出、確認してもらい、明日には納品しなければいけない。
そんな中、不意に息子が仕事部屋にやってきた。
「今日久しぶりに家族みんないるから一緒にゲームをやろう」と言う誘いだ。
社会的に考えれば、息子の提案に乗るわけにはいかない。
1人の大人としてはもとより、一企業の社長としても自社にいただいたクライアントからの要望には最大限応えるべき事は誰に目にも明らかだろう。
仕事と家庭。どちらを取るべきなのか。
それは高度経済成長期以降の日本と言う国の発展過程において、度々議論され続けた云わば永遠のテーマである。
オレはこの永遠のテーマに対して、冒頭の水木御大の言葉を当てはめて考えてみた。
今やらなければいけない仕事は、本当に今日やらなければいけない仕事なのか。
そもそも納期自体は明日であり、作業自体はおそらく明日着手しても完結するだろう。
且つ、納期自体もなし崩し的に決めたものではあるが、例えば「その日を過ぎれば全てが台無しになってしまう」と言った類のものでもない。
つまり調整できる余地が十分にあるのだ。
反面、ここ最近自我が芽生えてきた息子は自分のやりたい事も増え「一緒に何かをやろう」と言う事自体が少なくなってきた。
サッカークラブに所属し、休みの日はサッカーの練習に参加、家族で出かける事もなくなった。
娘も中学生になり部活動や友達との約束で家を空ける事が多い。
そんな中、今日は珍しく娘が家にいて、息子はサッカーの練習も無いようだ。
嫁も自分の手持ちの仕事がひと段落ついていて、家事もある程度終わって手が空いている。
今日しか出来ないとは言えないがここ数ヶ月で言えば、家族で一緒にゲームが出来る数少ないタイミングであることは明白だ。
そして、今日を逃せば、成長する子どもたちと共有できる時間は更に取りづらくなる事だろう。
答えは出た。
仕事と家庭どちらを取るか。と言うテーマに明確な答えはおそらくない。
ただ、今、この瞬間においてどちらを取るべきかと言う暫時的な答えは出せるだろう。
今日の答えは「家庭」だった。
オレは、やりかけの仕事をそのままにおいて、家族でスマブラをひとしきり楽しんだ。
明日きっとクライアントに対して、謝罪を行いつつ、納期の再調整を行い、一心不乱に作業を行うだろう。
だが、明日それが出来るのであれば、今日家族で幸せな時間を過ごせたことに後悔はない。
水木御大の言葉の偉大さを実感することが出来た1日だった。
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昨日の記事で書いた通り、弁論大会に出せそうな文章を書いてみた。
これで1200文字丁度でした。
オレなら、この一発書きの文章を推敲もせず、弁論大会用に提出するだろうな。
でも、真面目な娘はきっと何度も推敲すると思う。
オレと娘の決定的違いはそこにあるんだと思います。
娘の将来に幸多い事を本気で願って終わり。
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