- 2016年8月11日 10:37 CAT :
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夏休みの読書感想文「河童のクゥと夏休みを見て」 6年ザクロ組志茂田聾二
深い意味はないんだけど、何となく見てみたくなって「河童のクゥと夏休みを見て」と言う映画を見てみた。
この映画。クレヨンしんちゃんの「オトナ帝国」「戦国合戦」(個人的には「ブタのひづめ」も)などで有名な「原恵一」監督がクレヨンしんちゃんがから離れて1作目の監督作品らしい。
存在自体は知ってたんだけど、まだ、見た事無かったんだよね。
・・・で、見てみたわけです。

詳しいネタばれとかは、まぁ、置いておいて。
良い映画だったよ。面白かったと思う。
2時間以上もあるのに、それでも時間が足りなかったのだろうねと言うくらい、テーマがたんまり詰め込まれている。良く言えば、内容盛りだくさん。悪く言えば、テーマブレブレ。そんな印象でしょうかね。
ただ、オレのステレオタイプかもしれないけれども、アニメなのにエンターテイメントしてないように感じられた。
全体的に、ポップな作風と演出、音楽で進んでいくけど、ほの暗く重い。見ていてふえええ・・・ってなるシーンが多い。
果たしてどの層に向けて作られた映画なんだろう。
内容も重いし、グロい描写や残酷な描写もあるし、かと言って、ワクワクするような展開もない典型的な邦画の構成なので子どもは見てられないと思う。
多分、少し前の中二病をこじらして、世間を斜に構えてみる事がカッコイイと思ってたオレが見るともっと面白かったと思う。
ここ最近のオレは、もう少し、軽くて、気楽に見られるエンターテイメントが良いんだよ。
そんな映画だった。
いやね。面白いし、良い映画だったんだよ。本当に。
ただ、もう社会の重苦しい部分については良く分かっておりますので、今更敢えて見せてもらわなくても良いです。と。それだけ。
思えば、クレヨンしんちゃんの体を取ってても、原監督の作品は、全体的にこういうほの暗く重いものが見え隠れしてたんだよね。あと、哀愁とかその辺が。
それが、クレヨンしんちゃんと言う、どうしようもないおバカアニメと融合をした事で、奇跡のバランスが取れてたんだと思う。
「戦国合戦」とか、あれ、クレヨンしんちゃんじゃなきゃ、辛すぎて見てられなかったと思うんだ。
原監督は、他にもいくつか作品を発表しているそうなので、それも見てみようかな。
今のところ、一番大好きなのはやっぱり三木監督。
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「何かの感想」カテゴリーアーカイブ
- 2015年5月2日 23:05 CAT :
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ドラゴンボールZ 復活の「F」についての感想 2年柘榴組 しもたろうに
ドラゴンボールの最新作映画「復活のF」を見てきたよ。
正直、映画を見に行くとか、6年ぶり。
その前は、嫁と「カイジ」を見に行ったと言う感じなので、何となく、チョイスがどうかとも思うけれども・・・
今回は、弟と。
チョッと弟と話してる時に、「神対神」が意外と面白かったから、見に行きたいな。
と言う話になり、「ちょうど、5月1日のレイトショーなら、1000円で見れるよ」「んだら、行くか」と。
まぁ、そんな感じだ。
公開直前に、前作の映画をすることで、映画館に来させるという戦略に完全に乗せられてしまった。
あとレイトショーなら、娘を風呂に入れた後、嫁に寝かしつけをお願いすれば、あとは、自分の寝不足だけで、何とかなる。
・・・かなぁ~とね。
むしろ、子どもが小さいからこそ可能な事に、チョッと気が付いてしまった。
(もちろん、それでも、嫁にめっちゃ負担はかけるけれども。)
見ましたよ。今日は、そのレビューでも書いてみようかと。
と言うことで、ネタばれしかしないので、未見のやつは、ここでひっそり、この記事を閉じるよろし。

「ドラゴンボール 復活のF」
最初に、結論を書くと、見た瞬間はめっちゃガッカリした。でも、少し時間が経ってメキメキと面白かったなぁ~と思い始めた。
そんな映画だと思う。
見た瞬間ガッカリする。
その理由は明確。
フリーザが復活したから。
オレらの世代が「ドラゴンボール世代」と呼ばれるほどに、ドストライク。
もう、男全員がドラゴンボールと供に育ってきたと言っても過言ではない世代のオレたちにとって、その中でも、特にフリーザと言うのは、特別な存在。
毎週水曜日の夜に、恐怖と絶望に震えながら、それでもテレビの前を離れる事が出来なかったのは、フリーザが敵だったから。
あの時の熱狂っぷりは、その後のセル、魔人ブウなんか比にならない。
ピッコロ大魔王、サイヤ人と来ていた、恐怖と絶望の到達点こそ、フリーザだったんだ。
そんなフリーザが復活する。
となると、そりゃあ、あの頃のイメージがどうしたって頭の中をぐるぐる回るって。
映画の中のフリーザがその期待に全く応えられていない。
それが、がっかりする理由。
フリーザに絶望する一番の理由は、やっぱり凶悪な変身。
それが、映画じゃ「最初っから本気で行きますよ。」って、速効で最終形態になっちゃうし、その後に待ってるのは、なぜか金色になる「ゴールデンフリーザ」。
しかも、本人が「分かりやすいように金色にしてみました。」とか言い出すし。
「色、自分で選べるんか~い!!」って、誰もが突っ込むだろうて。
クウラみたいな変身の方がまだ良かった。
メタルクウラの方が圧倒的にカッコよかった。
いや、でも、それは良いんだよ。
それよりも、この映画に圧倒的に足りないものがある。
それが絶望感。
ナメック星編を思い出してもらいたい。
絶対に勝てるはずのない強さを持ってるフリーザ。
全員がどれだけ強くなっても、全然勝てそうにないのに、さらに変身してどんどん強くなる。
アホみたいに強くなった悟空ですら、「まいったな・・・勝てねえ」とつぶやき、ボコボコにされる。
「どうやったら勝てるんだよ・・・これ・・・」
と言う絶望感があった。夏目房之介風に言うのであれば、「絶対に勝てるはずのな強大な相手。
ただそれに、変身することで、何とか勝つことが出来る。
急激に強くなることが出来ない子どもが、絶対に勝てない大人と戦うために、身体的特徴そのままに変身して強くなり、そして、勝つことに、ドラゴンボールのカタルシスがあり、それが、見るものに快感を与えている。
その快感は、強大な相手に対する絶望感が強くなればなるほど、大きくなる。」と言う所か。
それが、少年漫画の基本であり、王道と呼ばれるものは、ほぼ全てがこれを何らかの形で世襲している。
その集大成が、フリーザであり、超サイヤ人なんだよ。
なのに、まず、悟空も最初から最終形態に変身してる。
フリーザも速攻で、最終形態になる。
しかも、それよりも強く、フリーザが勝てないから下手に出てる「ビルス」「ウィス」が最初からいる。
更に、ビルスに「ベジータと協力すれば勝てるのに」と言われつつも、「順番で戦おうぜ~」とか、悟空もベジータも余裕ぶっこいてる。
これをナメック星で例えるなら、最初から「フリーザ程度なら一撃で殺せる」と豪語してる界王神が後ろで見てる中で、超サイヤ人になる事が出来て良い感じに戦える悟空とベジータが「どっちが戦う?変わりばんこな」って、ちょっとフリーザを馬鹿にした感じで、ほんわか話しながら戦う。
(ついでに、他のメンバーも「悟空勝てるだろ。」みたいなテンションで「強いな。
2人とも」って、余裕で観戦してる。)
絶対、負けないでしょ。これ?
カタルシスも快感もあったもんじゃねえよ。しかも、ボコボコに負けて、馬鹿にされたフリーザが、ブチギレて地球を破壊したところで、ウィスが「あ。
じゃあ、時間を元に戻しますね。
今度は、倒してくださいよ。」って・・・
なんだよ。
そのオチは・・・
リセット出来るファミコンか!!それとも、「ZOO1」なのか・・・
ついでに言うと、フリーザが最終形態になってるのに、一人称が「僕」じゃなくて「私」で、第一形態と同じ話し方をしてるとか、フリーザファンからしたら、「フリーザに愛はないのか!!」と声高に叫びたくなる。
分かるんだよ。
めっちゃ強い敵が出てくる。
⇒Z戦士全員がボコボコにされる。
⇒絶対に勝てない。
⇒変身とか何かの奇跡が起きて勝つ。
ドラゴンボールの映画なんて、全部この展開ばっかりだから、外したいと言うのは。
悟空が勝てない。
ってのは「神対神」でやっちゃたから、こうするしかなかった。
ってのも。
でも、オレが求めてるのは、その王道のドラゴンボールの展開なんだよ。
だって、その展開を作り上げたと言っても過言ではないフリーザが復活するんだよ。
「ゴールデンフリーザ」が想像以上に強い。
⇒ビルス、ウィスまでが「まさかここまでとは・・・まいったな。
悟空は勝てないぞ。
だって、オレより強いもん。」みたいな事を言い出す。
⇒Z戦士全員ボコボコ。
⇒悟空「みんなすまねえ。
オラ勝てねえ・・・でも、最後までやってみっから。」とか言いながら、最後の特攻を試みる。
⇒クリリン絶叫「ごくうううううううううううううう!!」⇒フリーザが地球を破壊しようとする。
⇒悟空が超サイヤ人ゴッドSSになる。
⇒やっといい勝負になる。
⇒「ゴールデンフリーザ」に慣れてないから、フリーザは戦闘力が減っていく。
⇒やっと悟空勝利。
みたいな、展開には出来なかったんだろうか・・・
とにかく、無念が極まりない・・・
唯一よかったのは、フリーザの復活シーン。
あそこは、メッチャ良かった。
ドキドキした。
最高にカッコ良かったし。
だから、こそ余計にその後のフリーザの小物っぷりと、馬鹿にされっぷりがどうしても許せない。
心底ガッカリした!!
・・・と、長くなったけど、ここまでが、見た直後の感想だった。そして、しばらくして思い直した。
面白かったなぁ~と。
これね。
映画としては、相当面白いんだよ。
ドラゴンボールドストライク。
フリーザドストライク世代で、あの頃の興奮を期待しなければ。
フリーザを「何か過去に因縁があった強敵」くらいにしか思わずに見たらね。
作画もメッチャきれい。
バトルシーンはもうホント見入ってしまうほど素晴らしいし、前作で「年取ったなぁ~」とショックだった野沢さんの声も、まさかの全盛期に近いくらいまで復活してた。
ストーリーも小ネタも捻りが利いてて、最後まで飽きさせないし、展開が読めない。
各キャラクターの見せ場もちゃんとあって、間延び一切無しで、90分程度でしっかり物語が終わると言うのも最高。
長すぎてだれる事も無く、もっと見たいな・・・位で終わるんだよ。
頭の中で冷静になるにつれて、物足りないのは、オレの思い出補正込みのフリーザへの思いの部分だけじゃねえか。
面白いよ。
となった訳でございます。
考え直してみれば、初期の頃のドラゴンボールって、こんなかったじゃねえか。
最初の頃の天下一武道会とか、こんなノリなんだよ。
この映画の唯一の欠点があるとしたら「ドラゴンボールZ」と冠しておいて、「ドラゴンボール」のノリだった事なんだろうて。
まぁ、今回は、鳥山明が作ったお話であって、鳥山明の原作漫画には「Z」なんて無いんだから、そもそも(↑)の感覚なんて無かったのかもしれないけどね。
この映画を面白くない。
と言うのは、多分、フリーザドストライク世代で、未だに、あの頃の思い出補正から抜け出せてないオレみたいなヤツだけなんだと思う。
ドラゴンボールファンの人は、絶対に面白い名作映画なんだろう。
オレは、それでもやっぱりフリーザの扱いにチョッと満足いってないけどね。
・・・って、気がつけば、ものすごく長くなってたので、この辺で・・・
いきなり、さようなら。
しかし、まぁ、映画は、やっぱり映画館で見るべきものだ。
と、今回ので、心底思ったよ。
多分、次に映画を見に行くのは、娘と「プリキュア」な気がしてならない志茂田さんがお送りしました。
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- 2015年4月13日 23:01 CAT :
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かぐや姫の物語についての感想 2年桃組 しもたろうに
アンパンマンってコスパ悪すぎるように思う。
ちょっと水に濡れただけとか、一部分だけかけただけで全部取り換えないといけないとか・・・
あれ、結構なでかさだから、小麦粉もアンコも結構使ってると思うんだけどね。
いや、アニメとかにそんな事言うのは野暮ってものでしょうかね。
さてさて。
高畑監督の新作「かぐや姫の物語」が、準新作になってたので、レンタルしてきて見た。
正直、「風立ちぬ」より見たかった。
(と言うか、「風立ちぬ」はまだ未見。)
と言うことで、今日のところはその感想でも・・・ネタばれたっぷりするので、未見の方は、ここでブラウザを閉じるよろし。
と言うことで・・・

年を取ってから、高畑監督の作品の方が面白いような気がしてきていたので、相当楽しみにしていた「かぐや姫の物語」。まず、予告編を見ただけで、「なんじゃ!!この映像美は!!!」となった。
そして、娘の成長を見守っているいちお父さんとして、かぐや姫の成長度合いに対する共感具合が半端なものではなく、予告編だけで泣いてしまった。
「いまの全てが 過去の全て」
この歌にも心が震えた。と、アホみたいに期待しまくってみた「かぐや姫の物語」。
先に結論を描いてしまおう。
映像美はホント凄まじい。
でも、たぶんガッカリする。
理由を長々と説明しますよ。
(まぢで、長くなるよ・・・たぶんね。)
とにかく、この映画の見所は、圧倒的な映像美だと思う。これはホントに凄い。
凄まじい。
日本人が美しいと感じるであろう、線が生き生きとしている日本画。
その1枚絵が、動くんだよ。
それも、何の違和感もなく。
1枚絵が動く。
と言うのが、一番的確な言葉だと思う。
もちろん、ジブリ作品なので、TVアニメのようなカクカクとした箇所なんて一切ない。
滑らかで、アニメである事を忘れてしまうほど自然。
本当に、最初から最後まで、細部にわたって作りこまれている事が、オレみたいなド素人でも分かる。
ついでに、声に関しても、宮崎作品と比べると不思議と違和感がない。
同じように、声優さん使ってないのに・・・
演出面に関しては、文句などあるはずもない。
いや。
もうね。
本当に、凄いよ。
なんじゃ?このクオリティーは!!ってなる。
宮崎作品の場合、どうすればそんなの思いつくんだよ。
と言うような、現実感のない表現を自然に演出し(そんな事が出来る人が、そもそも宮崎監督位しかいないんだろうけど)、それが強烈に印象に残る。
でも、高畑作品の場合には、何でもない普通のしぐさを常軌を逸したリアリティへの追及で普通に表現し、それが強烈に印象に残る。
・・・と思ってる。
今回も、その高畑作品の特徴が凄く出てる。
あんな絵なのに。
唯一、今回、そうじゃなかったのは、あの賛否両論を呼び起こした最後のシーンだけだと思う。
ただ、その分、あのシーンは、本当に圧巻だった。
独特な音楽も相まって、本来なら悲しいだけになるであろうあのシーンで、明らかに異質な感じと、少しの恐怖を見る人に植え付ける。
良く考えたら、物凄く悲しい。
何の救いものない最後なのに、嫌な感じはしない。
と言うか、こんな感情初めて。
何と表現したらいいのか分からない。
怖いし、悲しいし、ホッとするし、そして少し面白い。
極限まで煮詰めたリアリティの先にある非現実。
と言う、矛盾を体感できるシーンだと思う。
演出に関しては、ホント、こんな凄いの見たことないよ。
・・・では、なぜ、その上でも、がっかりするのか・・・について。
理由は、もう本当にひとつだけ。
「誰でも知ってるかぐや姫だから」。
でしかない。
いやね。
もう本当に、最初から最後まで、誰でも知ってるかぐや姫だよ。
多少、オリジナルキャラはいるものの、これからどうなるのかについて、誰もが知ってる。
そして、その通りになる。
高畑監督が、この映画のキャッチコピー「姫の犯した罪と罰」と言うものが凄く嫌だった理由が分かったよ。
そんなコピーつけたら、「かぐや姫を題材にしつつ、そこからさらに膨らましたのかな?」と思うもん。
実際には、そんなもの何にもない。
本当に、かぐや姫。
最初から最後までかぐや姫。
竹から生まれたかぐや姫が美しく育って、貴族や、帝から結婚を申し込まれるけど、無理難題を出して断り続けて、月に帰る。
それだけを2時間以上の時間をかけてやるだけだよ。
これを、退屈せずに見続ける事が出来るのは、ひとえに、前述の圧倒的映像美と完璧な演出があるからに他ならない。
多分、高畑監督でなければできなかっただろうて。
それは、間違いない。
でも、本当に、「ただのかぐや姫」なんだよ。
ひと思いに「セロ弾きのゴーシュ」の時みたいに、1時間くらいでまとめていたら、凄まじい名作になったんだろうけど、その部分がどうしても引っかかる。
あと、最後の「不老不死の粉」のくだりが、なぜかカットされているのも・・・
尺の関係でカット・・・とは、考えにくいし、何でカットしたんだろう。
「ほたるの墓」とチョッと被るからかな?
翁が不老不死の粉を焼く。その煙が立ち込める少し悲しい画面。
「不老不死の粉を焼いた山は、その後、不死の山。
富士山と呼ばれることになったそうです。」的なナレーション。
しばらく富士山の絵。
背景が写実的になる。
後ろに飛行機とかが飛ぶ・・・エンディング。
(「いまの全てが 過去の全て」の歌詞にもつながる?)
みたいにした方が、分かりやすかったのでは・・・とか、素人のオレなんかは思ったりするけどね。まぁ、そんな誰でも思いつくような終わり方はダメだろうけどな。
ただ、ダメな映画。
と言うことではない。
おそらく、今後日本の映画界で二度と作られることのない、超絶名作である事は間違いない。
ついでに、たぶん、これから10回、20回、100回と見れば見るほどに、新しい発見があり、どんどん好きになっていく映画なのも間違いない。
(「セロ弾きのゴーシュ」、「おもひでぽろぽろ」がそうだから。)
取り合えず、日本人として生まれたなら、一度は見ておかなければいけない映画だと思う。いやね。
この映画が公開された当時生きていて、当時の空気を知っていると言う事を、たぶん、後世になると羨ましがられるとか、そのレベルの作品だと思うよ。
言い過ぎじゃなくて。
高畑監督の作品・・・何でも、今度は「平家物語」の構想があるとか・・・
物凄くみたいです・・・
現実的に厳しいだろうし、この「かぐや姫の物語」ほどのクオリティは難しいかも知れないけれども。
やっぱり長くなったな・・・
でも、こんなものじゃないくらい、もっと語りたい事はある。
それは、あと100回くらい見た後にだな。
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- 2007年10月11日 22:18 CAT :
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大自伝を読んで~志茂田さんの感想
最近また仕事面でもプライベートな面でも色々やりたい事と言うか、やらなければいけない事が増えてきている。
偉そうに言ってみれば「忙しく」なってる気がする。
そんな中でも、やっぱり嫁と遊びに行ったり、ダラダラゲームやったり、本読んだり、ギター弾いたりやりたい事ばっかりやってる。
どこにそんな時間がある・・・と言われれば、その分やらなきゃいけない事が遅れてるだけなんだけど・・・
やりたくなった時以外はモチベーションが上がらないから、その時々にやりたい事をやる。
どんなにやる事が増えても。
高校の頃からの相変わらずなスタンスです。
基本的に、やらなきゃいけない事も、自分のやりたい事も常に一緒くたにやる。
それが出来なくなった時は、多分倒れる時なんだろうな。
去年の入院騒ぎよろしく。
さてさて、そんな中で今はコレしか読んでない。
先日嫁と遊びに行った時に買ったもの。
と言うか、殆どコイツ目当てで商店街に繰り出したんだけど・・・香川でこんな本売ってるのは宮脇書店本店位しかないだろうと思って。
結構なページ数だけど、もうほとんど読んでしまった。
メチャクチャ面白い。
「ナゴムの話」読んだ時もかなりのもんだったけど、ナゴムのバンドは全部知ってるわけでも、全部好きなわけでもないからどうしても自分の好きなバンドばっかり読んじゃう。
でもコレは頭から全部筋肉少女帯。
面白くないわけがない。
特にオーケンの話はよく聞くけど、普段黙して語らずなウッチーやおいちゃんの話が沢山載ってることがうれしかった。
もちろん橘高の話も。
アルージュとか当時のビーイングとかについてほとんど知識がないから、知らない事だらけで新鮮だったし。
って事で、まだオーケンだけ読んでない。
最初にウッチーから読み始めた。
筋少凍結のあたりだって、オーケンからの目線は良く聞くけど、実際に屋号を守り通したおいちゃんやウッチーの目線からはあんまり語られる事がなかったからなぁ~。
読んでてやっぱりこのメンバーは最高だなって思ったよ。
と言うか、とにかくウッチーがステキ。
文章からも人の良さが出てるし、やっぱり大好きだな~あの人。
ビバみりたマ。
イヤホンとに。
何だか、物凄く苦労したんだろうけど、性格的に何かのほほ~んととそれでいて皆から好かれてみたいな・・・いかん。
オレの書き方も内田調になってきてる・・・マァ、癖の強い文章だったけどね。
橘高の話も凄くよかった。
ただのメタル野郎かと思ったらとんでもない。
オーケンやウッチー所じゃない暗黒の過去をお持ちで、それであの明るさと優しさを持った3児のパパだと考えると、ますます好きになった。
だって、橘高の優しさクッションがなかったら今回の復帰だってもっと難航してたと思うんだもの。
おいちゃんは、元々予想して通りの面白ろ人生。
凄くバカバカしくて、それでいて必死で・・・マァいいや。
おいちゃんは元々オレと弟の間でどのライブや演奏の時にも要チェックな人物なのでもうエエ。
大槻ケンヂと橘高文彦の仲直りライブ見た後、キンショーのライブ見たら分かるって。
おいちゃんの存在感。
もうそれだけでいい。
しかしこれ全部本当か?と思うくらい運命的なバンドだ。
何かなるべくしてなっていった感じが、物語を読むよう。
いつかグミチョコ見たいなのじゃなくて、本当の「筋肉少女帯物語」にして欲しい。
オーケン小説の再開まだかなぁ~
そうそうおまけの未発表音源CDも凄かった・・・と言うかどれだけ昔の音源出て来るんだよ。キンショーのナゴムコレクションの時煮出しつくしたのかと思ったのに・・・
何しか、ステキな一冊でした。
関係ないけど、リンクも張らせてもらってる「るみね」さんの自主出版キンショー活動本。
その内分けてもらおうと思ってたら、気が付いたら配布終了になってた・・・是非とも読んでみたかったのになぁ失敗したよ~。
今からでも下さいってお願いしてみようか・・・
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