- 2013年4月29日 23:33 CAT :
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ハローグッバイ
昨年12月からじわじわ行ってみたダイエット作戦。
今日測った所、ついに、結婚後一番痩せていた結婚式当時の体重を下回った。
実に、マックス時から8kgも減った計算になるらしい。
4カ月かけて8kgだから、多分、無茶な減量じゃないだろう。
リバウンドなどお断りなのだ。
ちなみに、方法は・・・何なんだろう・・・レコーディングダイエットに入るのか?スマホに、アプリ入れて、毎日大体同じ時間に測った体重を打ち込んでいくだけ。
とは言え、多少は、その事を意識しているから、腹8分目位に調節、お腹いっぱい食べた時は、夜を減らす。
みたいな、カロリーコントロールを1週間単位の長い目でやってたか。
まぁ、最大の要因は、子育てだろうな。
子ども抱いて、あやしてる内に、少しずつ筋肉がついてきて、代謝が上がってるのは間違いなく実感できている。
筋トレとかしても、長続きしないで、大した効果がなかったんだけど、やっぱり、目の前で泣いてる子どもを放置することなど出来る訳なく、結局、それが筋トレ以上に効果を発揮しているのだろう。
ちなみに、そんなオレをは正反対に子どもは丸々と成長しておりますよ。
良い意味で。
さてさて。
新曲「僕と君とあなたと私の死合わせ」の歌詞がほぼ完成した。
・・・らしい。
人それぞれに生きてきた人生が果たして「死合わせ」だったのか「幸せ」だったのか、それを聴いた人に考えてもらうと言うテーマの元に、オレの考えた他愛もない人生の短編をいくつか寄せ集めた1曲。
(「死合わせ」の方は、死にめぐり合いたい位の不幸せってイメージで考えてた。
)
そもそも、この曲のイメージソースが浮かんできたのは、子どもの寝顔を眺めている時だった訳で、つまりは「果たしてこの子は幸せなのか?」そんな事を考えていたと言う訳だ。子どもは親を選べない。
と、良く言われる陳腐な表現があったりするけれども、だとしたら、偶然の重なりあいでオレと嫁の元に来てくれたこの子は、はたして幸せ何だろうか・・・
思い悩む。
そして、行きつくのは「では何が幸せで、何が死合わせ」なのか。
この世に生まれ出る事は、喜ばしい事なのだろうか?
今の日本じゃあ、死んでいく人の方が多く、生まれてくる子どもが少ない・・・らしい。そんな事情も含めて、家族みんなが、子どもの誕生を心から喜んでくれている。
(と思う。
)
だが、それ自体は、当人には関係ない訳で、それ以前に、この一族の一員として生まれる事など、自分で選んできた訳じゃあない。ついでに言えば、この子がこれから生きていく何十年と言う時間。
世界が平和であったり、平穏であったりする保障すらどこにもない。
それでも、心の底から待ち望み、ついでにこの子を守り切ろうとかそんな変な責任感まで感じて、この子を腕に抱いた。
オレと嫁の(もしかしたら)エゴで、この世に誕生した一つの命。
オレに出来る事全てを最大限にやる事だけだとは思う。
時間が経った後、この子が自分の人生を省みて、「大変な事ばっかりだったけど、それでも、生まれてきてよかった」と、少しだけでも思ってくれれば、それでもう良いじゃあないか。
頼るものものなく、それでも、オレとか嫁を信頼しきってピッタリくっ付いてくるこの生き物を抱きしめながら。
そして、そんな気持ちを、この子が大きくなるまで聴かせる事が出来ないような不謹慎な歌に仕上げて見ようと思っている訳です。
ここ最近、作っていく何かは全て、今ではない、少し遠い将来、この子が読んだり聞いたりして「こんな事を考えてたんだ。
」と、少し心に日か買ってくれればとか、そんな事ばかり考えております。
ここで、作風がぶれるかどうかだよなぁ~
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月別アーカイブ: 2013年4月
- 2013年4月21日 23:10 CAT :
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仮に埋葬虫の飼育が認められたなら 次に我々がするべき事は太陽の捕獲ではないでしょうか?
「坂出塩祭り」に行ってきた。
う~む・・・なんか、凄い人出。
そんなおもろいものなのか?これは?
とか思いつつ、何気に出店してるお店とかが、全部クオリティー高いものばっかり出してたから、凄い満足した。お腹いっぱい美味い物を食べられたよ。
うっしっし・・・
しかし、臨時駐車場から、会場までが遠い。
遠い。
その上、道が砂利ばっかりだから、子どもをベビーカーに乗せて向かいうのは、かなり大変だった。
今度行く時は、もう少し子どもが大きくなった時だな。
まぁ、こんな感じで香川が活性化してくれるのなら、地元を愛するものとして、大歓迎だったりするけれども。
さてさて。
昨年の誕生日から、1年で完結させるんだぜ。
と言う心持で、書き始めた「US」と言う物語。
出産近辺で少々もたついた感もあったんだけど、たぶん、このペースなら、30歳までに終わらせることができそうになってきた。
と言うか、今から10年以上前に、ワクワクしながら妄想してたいくつかの断片的なシーンを、10年かけて描いてきた付随する状況を付け足しつつも、描き進めていくこの行為。
実に、ワクワクする。
ドキドキする。
そして、少し寂しかったりする。
途中、何度も投げ出しかけ、その度、数年単位で休止してたりもした訳で、まさか、本当に当初構想していたほぼ全てを形に出来るとは思ってもみなかった。
って奴だ。
うむうむ。
何か、実際に、いろんな方に読んでもらいたいので、ネタばれ的な事は描きたくないのだけれども、「何気にここまで考えた上で、ここの部分に話は書いてたんだよ。
」とか、「なんか凄いうまくはまってるように見えるけど、たまたま繋がったから、付け足したただの後付けなんだよ。
」とか、「正直、オレもこんな事になるなんて考えても見なかったけど、勝手に動きだして、結果こうなっちゃったんだよ。
」とか、色々言いたい。
描きたい。
読ませたい。
とはいえ、10年に集大成が完結するのはあと少しだけ先になる。
当初春に・・・と予定してた分は、出産前後の遅れのために、6月くらいに延びそうだけれども(って言うか、今が春だし)、それでいても、何とか終わらせる算段は付いた気がする。
思うに、設定とかを妄想することや、始めること、続けることは簡単だけれども、終わらせることはホント難しい。
それは、他の物語を描いてた時にも感じてたことだけど、今回は、10年以上に渡っちゃったからな。
期間が長くなればなるほど、終わらせる。
と言う行為が実に大変。
ホントに、最後の方四苦八苦した。
でも、あと4話とエピローグで、おそらくまとまりきると思う。
そんな所まで描いてしまったんだよ。
いやまぢで。
このお話が描き終わったら、しばらく休憩して、いよいよ、4年ぶりのオリジナルアルバム「王道軽傷」の制作に入っちゃうぞぉ~。
楽しい事が多い人生。
最近、それを色んな人に感謝できるようになってきた。
一番は、家族だよ。
もちのろんで。
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- 2013年4月20日 22:34 CAT :
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メキドの矢
「恐山」熱も少しずつ冷めてきたのに、「ストロベリーソングオーケストラ」って言う凄いバンドを見つけてしまったので、しばらくは「血の濫觴」熱が出続ける事でしょうね。
いやはや。
凄くいい感じ。
もう少ししたら、凄い長々と感想でも書こうかと思っていたりする。
さてさて。
数年ぶりに「美容院」なる所へ行きましたよ。
大学時代くらいには、普通に美容院と呼ばれるところへ出向いて行き、ついでにカラーだのブリーチだとと言う単語にまみれながら、金髪に近い位、色を抜いてたこともあるのですが、ホントにここ最近はいってなかった。
そもそも、そんなに髪型とかに興味はないわけで、それこそ、女に注目されたいがために(と言うと、実に語弊があるけど)髪型に気を使ってるふりをしていただけだったのかも知れない。
そんなわけで、彼女が出来て以降は、彼女の好きな髪型(ただし、自分がある程度許容できる範囲で)ならよし。
しかも、彼女が見よう見真似で髪を切ることもできると来れば、もう、「お前の好きにしてくれ」状態になるのも、ある種自然な流れだったりする。
それなら、金もかからんしな。
その彼女と結婚したもんだから、結果、今日まで、付き合い始めから考えて何年だ?8年?9年?位、1度も美容院になど行ってなかった。
でも、もう子どもも生まれて、嫁もいろいろ忙しそうにしてる。
と言うことと、今年30を迎える訳で、そろそろ身だしなみも多少気を使うべきではないのか。
と危惧した事で、美容院に行く事にしたと言う訳でございます。
だた、そう言う場所が超絶苦手。
髪を切りながら、世間話をするなど愚の骨頂。
ヘアーサロンとか粋がって、自分たちがおしゃれだと勘違いして、上から目線で話しかけてくる生ごみのようなところも結構ある。
ようなイメージを持ってる。
しかも、そんなところに限って大して技術はない場合が多かったり。
と言う事で、あまりにもダサすぎる訳じゃあなく、程よくおしゃれで、それでいて、その事を鼻にかけてないお店。
ついでに言うと、技術もある程度しっかりしてて、客との距離感をある程度保ってくれる。
そんなお店が理想だったりする。
まぁ、いきなりそんなお店に巡り合えるわけもなく、いろんなお店を転々としながら、そう言うお店でも探そうかと思ってた。
んで、今日、嫁が「ここ何か良い感じじゃない?」と見つけてきたお店に行ってきたわけです。
結論から言うと、100%ではないけれども、かなり理想に近いお店だった。
わざわざ別の所を探す必要なんてなさそうなお店だと思ったので、もう、ここで良いと思う。
今度から、ここでお願いしようと。
思う。
まぁ、そんなお話です。
しかし、今日は寒い。
久々に、暖房を入れたりなんかしているらしい。
エスニックなお話ですね。
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- 2013年4月18日 22:39 CAT :
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あの空き部屋が世界の涯てだ
会社では、アドビのcs4シリーズを使っております。
家では、アドビのcs6シリーズを使っております。
そもそも、家でいる方が静かだし、好きな音楽を聴きつつ、誰にも邪魔されずに作業できるので、圧倒的に作業効率が高まります。
っていう、事実があったとしても、在宅は認められず、フレックスタイムの導入もなく、そして、ただただ効率化と売り上げ目標だけをぶら下げられている。
そんな素敵な会社に、オレは、今、勤めております。
さてさて。
チョッとした諸用で、高松くんだり(まぁ、高松に向かう場合、のぼりなんだけれども、住んでいる処こそ都だと信じて疑わないので)まで行って来てやった。
その道中、不意に横切る場所が・・・
そう。
数年前、オレは、この街に住んでいた。
この街を、小さな軽自動車で縦横無尽にうろつき、そして、お店を見つけては飛び込んで営業をぶちかましてた。
その時の営業のストレスかどうかは知らんけど、後に、左半身が原因不明の不随となり、しばらくの間リハビリを兼ねた入院生活を送っていたりもした。
そんな場所。
ホント半年もいなかったはずなんだけれども、なぜか、たくさんの思い出があったりする。
当時の彼女(今の嫁)と2人、図書館までぶらぶら歩いた道。
買い物に行ってたスーパー。
先輩との同行営業中にアイスをおごってもらたショッピングモール。
そして、営業中にサボって昼寝するために見つけた桟橋の下。
四つ葉のクローバーを見つけた公園。
確かに、数年前、オレはこの場所にいて、そして、何かを紡ぎだしながら、色々と足掻いてた。
丁度、マンガ「クワニータ」を描き上げ、これでデビューできなければ、オレの漫画家への夢は終わりだ。
とか、息巻いていたあの頃。
今では、全てが懐かしい。
あの当時の全てが、無駄ではなかったと、今なら思う事が出来る。
当時、とてつもない閉塞感と、急激に襲ってくるプレッシャーと、んで、何か知らんけど圧し掛かる責任に死にかけながら、それでも死に切れないまま生きていた。
例えば、結婚して独立。
例えば、嫁も子どもも出来。
例えば、仕事で丸投げされて任されたり。
と、あの頃よりも重い責任とかプレッシャーに襲われながらも、何とかかんとか、やりくり出来ているのは、ひとえに、あの頃があったからだと思う。
その後、半身不随から復帰し、それでも、何だかまともな仕事がないまま、この街を離れ、半ニート生活を送る事になるのだけれども、その間の思い出は、むしろ、あんまり思い出したくない負の記憶になっている。
お金もなく、仕事もなく、何の進展もなく、何の責任もない。
そして、その楽な環境に慣れてしまいそうな自分に、ただイライラするだけの日々。
もちろん、この期間だって、無駄じゃあなかった。
でも、その前、あの街でジタバタしていた時、それはそれで楽しかったんだと、今は思えている。
当時は、苦しかったけれども・・・
その楽しみは、今、日々に噛みしめている楽しみと実は、とても似ている。
あの日。
社会人になろうとして、ジタバタしていたあの日の感情は、そのまま連綿と今の生活につながっているんだろう。
短い時間なのに、あの頃の思い出が沢山あるのは、それだけ、あの当時が新鮮で、キラキラしていたからに他ならない。
住んでいた部屋は、2階建ての1階で、小さな庭の付いた、少しだけ広くて、ずいぶん小さいワンルームだった。
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- 2013年4月16日 22:04 CAT :
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凛と万次と時々僕と尸良とハルシオンランチ
「進撃の巨人」が面白すぎる。
いや、このタイミングでアニメの話じゃあなく、漫画の話だけれども。
最初は、巨人と言うどうしようもない敵に対する絶望感とか、そんなのがテーマかと思いきや、途中で、エレンが巨人になっちゃって、なんだ、凡庸なつまらん話か・・・とも思った。
でもここへきて、またうなぎ上りに面白くなってきた。
特に、8巻あたりから本気でヤバい。
こいつは、凄まじい名作だよ。
このくらいのペースで展開してくれたら、ワンピースももっと面白かっただろうに・・・
さてさて。
そんなこんなで、今日は漫画のお話だ。
オレの青春時代をずっと彩ってくれていた大好きなマンガの一つが、この春、完結した。
オレが「好きなマンガは?」と聞かれた時に、「たくさんあるけど、絶対的に不動のものが3つある」と答える。
その3つとは、「寄生獣」「無限の住人」「賭博黙示録カイジ」だ。
(それ以降にも、たくさん好きなマンガはあるけれども、この3つに出会わなければ、オレはマンガをそんなに好きじゃなかったかもしれない。
と言う、究極の思いで補正込みで、この3つを絶対に挙げる。
)
完結したのは、そのひとつ「無限の住人」。このブログでもチョイチョイ出てくる(かも知れない)中学時代に、唯一友達・・・だったかもしれない、ヒロセくんに、勧められて読んでみたのは確か、中学1年の時だったと思う。
当時、5巻まで発売されていて、ちょうどその月に、6巻が出たような気がする。
で、その広瀬康一くんとは、趣味がどこまでも合うと、当時は信じて疑わなかったので、「ヒロセが面白いと言うなら、読んでみるか」的な感じで、隣町にしかなかった古本屋まで自転車で向かい、5巻までを購入、そして、帰りに本屋さんで、出たばっかりの6巻を買って帰った。
読んだ当初は、何が面白いか分からなかった。
なぜなら、その頃読んでいたマンガで一番好きだったのは「レベルE」と「寄生獣」。
周りが「ハンターハンター」って面白いって言っているのを聞きながら、「これだから、ガキは。
冨樫と言えば『レベルE』が至高なのさ。
」とか斜に構えてはいた。
けれども、青年誌のマンガなんて、「寄生獣」しか読んだ事がなかった。
「寄生獣」は、確かに青年誌のマンガだけれども、表面をなぞるだけなら、凄く分かりやすい。
その上で、更に、分かってくると伏線をなぞったり、感情の揺さぶりなどを楽しむことができる名作・・・だと思っている。
けれども「無限の住人」は紛うことなき青年漫画。
絵柄も、展開も、それこそ会話のニュアンスも、上げ膳据え膳で分かりやすく描いてくれているその辺の少年漫画とは一線を画していた。
意味が分からない。
分からないからこそ、何度も何度も読み返した。
そうしている内に少しずつ会話の流れや、ニュアンスから、色んな情報を読み取れるようになってきた。
(こんなマンガの読み方も、オレは「無限の住人」から学んだらしい・・・)
そして、覚醒する。そうなってくると、面白くて面白くてしょうがない。
随所に張り巡らされた、そんな言葉遊びからキャラクターの心情を妄想し、時に見せるギャグにクスッとし、そして、重い話に深い悲しみを覚えた。
ちなみに、中学1年生。
オナニー覚えたてのオレがおかずにしていたのは、「バスタード」か、この「無限の住人」6巻の尸良が女郎をなぶるシーンだった。
オレがドSになったのは、9割以上、尸良とダークシュナイダーのせいだと思う。
特に、尸良なんか、「オレもいつか女の足をぶった切って、股の肉に指を突っ込みながらやってみたいなぁ~」とかニヤニヤしながら、それこそ、覚えたてのサルのようにオナニーにふけっていたし。
あれから、15年の月日が流れた。
15年間、ずっと新刊を待ちわび、発売(と言うか、本屋に並んだ)日に買いに行った。
15年間、ずっと今一番新刊を待ちわびているマンガとして「無限の住人」を挙げ続け、実際に、待ちわび続けた。
そんな漫画が、完結。
最終話を読み終えた時、ひとつには、おそらくこれ以外になかっただろう物語の終焉に感動し、もう一つには、あの待ちわびる感覚を感じる事はもうないのかと寂しさを感じた。
物語自体は、広げた風呂敷を全てきれいに畳みあげ、ひとつの伏線も残らず丁寧に回収した上で、これでもかと満足のいく展開で終わって行ったと思う。
15年も読み続けて、最後まで中だるみせず、しかも、テンションを保ち続けて、文句ない最後を迎える。
そんな名作と15年と言う時間を共有できたことへの不思議な感謝の念が沸々と湧き出てきた感じだったのかも知れない。
ただ、今はもう、不思議な満足感と、一抹の寂しさしかない。
あの日。
中学自分に、手に取ったこの漫画。
あれから、10年以上の歳月を共にする事になるとは思いもしなかった。
例えば、今、もし、「無限の住人」に匹敵する位影響を受けた、作品に出逢ったとする。
そして、その作品にワクワクしつつ、15年の歳月を共にしたとして、オレは、もう45歳だ。
果たして、その15年間。
これまでと同じ心持で15年を迎える事が出来るのだろうか?
そう考えると、多分、こんな感覚になるマンガとは、一生出会えないような気がする。今年の春、オレは一生に一度のお別れを経験したのでしょう。
ただ、大きなお別れは、往々にして一生に一度ではあるのですけれども・・・
・・・さようなら。
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- 2013年4月15日 19:46 CAT :
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ストロベリーソングオーケストラさんがいらっしゃいましたよ
B’zの2人が在日だとか、楽曲が日本バッシングだとか、一部で騒がれているらしい・・・(どんだけ一部かわからんけれども・・・)
何か、ここ最近の在日と分かるや否やのバッシングには少々辟易してたりもする。だって、B’zってバンドに洋楽のパクリがいっぱいあったのは、昔からみんな知ってただろうし、有名な話。
そもそも、アメリカとかでB’zが認められてた時には、「日本のバンドが認められた」的に喜んでたりもしたはず・・・(うろ覚えだけれども。
)
そもそも、在日だからってのは、バッシングの対象にはならないと思う。問題なのは、日本に住まわせてもらって、日本人の憐れみを全身全霊に受けながら、その恩を仇で返してるゴミ野郎であって、別に、在日でも、日本で頑張ってるんなら、別にどうでもいいんではないだろうか・・・
まぁ、頑張るって言っても、違う方向に頑張っちゃってる奴らは別ですけどね。
さてさて。
何なk、ずいぶん長いこと待たされはしたけれども、ついについに「ストロベリーソングオーケストラ」のアルバム「血の濫觴」を手に入れた。
・・・んで、さっそく聴いてみたりした。
うぬぬうぬうう・・・すごい。
こいつは、まぢで凄まじいぞ。
何と表現したらいいんだろう・・・よく分からん凄味がある。
初期の筋肉少女帯であったり、犬神サーカス団であったり、人間椅子であったりと言う、そんな音楽の線上にあるのは間違いない。
そもそもが、寺山修司であったり、江戸川乱歩であったりと言う、日本のアングラを牽引してきた(同線上にこの2人を並べていいものか知らんけど)偉人への限りないリスペクトが随所に盛り込まれている
間違いないけど・・・なんだ?この音楽は?
ジャズだったり、日本民謡だったり、ロックだったり、ポップスだったり、そもそも、バラードだったり、プログレだったり・・・ととにかくごちゃ混ぜになった音楽が、それでいて、一つの世界観を確実に紡ぎだしている。時に、鳥肌がたつほど美しいかと思いきや、背筋が冷たくなるような絶望が襲ってきたり、首がもげるかと思うほどの立てノリになったりと、変幻自在すぎる。
そして、何よりも音の圧が異常。
大好きな筋肉少女帯の上に、さらにバイオリンやら、三味線やらが暴れまわり、それでいて、ボーカルまで男女のツインボーカル。
(ところどころに至っては、女2人に男のトリプルボーカル)メロディアスかと思いきや、キチガイめいたポエトリーリーディング(と言うか、もはや、完全に演劇)が淡々と流れたりすると言う。
またしても、凄い音楽に出会ってしまった・・・
もっと聞き込んでそのうち、たぶんいつものノリで一曲ずつの感想とか書くと思うけど、とりあえず今日のところは、この感激を描かずにはいられなかったと言うことで・・・
こんなんだから、オレはいつまで経っても洋楽に手が出せないんだよ。
だって、この「ストロベリーソングオーケストラ」なんて、絶対日本以外で生まれることないって。
まぁ、それは、犬神サアカス團も同じだろうけれども。
もう少し、この人たちの音源を集めたい・・・けれども、手に入るものがほとんどないのがちょっぴり切ない所か。
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- 2013年4月9日 22:25 CAT :
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私は遂に飢えた鬼になり果て まだ生気の残る人肉に貪りついた
桜の花が散り始めた。
んで、少しずつ若草色の新芽が出てきてる今日この頃。
実は、桜満開の時より、この淡いピンク色と若草色のコントラストの方が奇麗なんじゃないのか・・・・?みたいな事を出勤途中の桜を見ながらぼんやり思ってたりしております。
さてさて。
前に、どっかで書いたかも知れないけど、食べるのが苦手な奴は、今すぐ死ねばいいと思ってる。
生きていくために、他の命を奪い、殺さなければいけない。
それが、この地球に存在する上での絶対的な命のルール。
そうして、殺しておいて、それを自らの血肉にする事は苦手だなんて・・・だったら、今すぐ死ぬべきだ。
と、考えるのは、少々過激なんでしょうかね?
食べる事が大好き。・・・らしい。
基本的に、あんまりブチギレたりしないんだけれども、外食先で、まずい飯を食わされた時には、相当不機嫌になる。
店側にもスゲー文句言う。
承太郎ばりに言う。
前にも、どっかの店で、肉まん頼んだら、中がチョッと冷たい、クソ不味いの出してきやがったから、アンケート用紙に「どれだけ、こだわりとかうんちく垂れていても、中が冷たい肉まんを平気で出すような店には、二度と来ません。
さようなら。
」と書いて、レジのおねいさんに渡して帰ってきた。
・・・ような記憶がある。
要は、値段と味のバランスなんだよ。
前述の肉まん。
あれ、確か1個か2個で、5~600円したはず。
あれが、1個50円だったら、別に文句も言わなかったと思う。
メニューに「国産の黒豚を使用したこだわりの逸品」とか書いて無ければ、罵倒しなかったと思う。
食べるのが苦手。
と言うものを同じくらい、食べる事を軽視してる奴。
あと、食べ物を粗末にする奴も異常に嫌い。
多分、だけど、前述のお店は、飲食店のくせに、食べる事にあんまり興味のない奴が作ってるんだと思う。
食べる事に興味があって、食べる事が好きなら、絶対に、変なものをしかも、客に出したりはしない。
食べる事がどうでもいいから、作るものもどうでもいいんだろうて。
思うに、飲食店をするなら、最低でも、飲食が好きであってほしい。
せめて、自分が作った飯を毎日食べるくらいであってほしい。
飲食店やってんのに、自分は、外に食べに行くとか、適当に済ませてる奴の店は、100%うまくない。
しかもそんな奴に限って、お店をおしゃれにして、雰囲気でごまかそうとしているんだ。
そして、頭の悪い、舌が腐りきってる奴が、そんな店に行ってうまくもない飯を「おしゃれ」と言うスパイスで満足して、無駄に高い金を払ってる。
(まぁ、そんなうんこちゃんは、無駄に金を払えばいいんだけど)
そんな店が無くなれば一番いいんだけど、それが無理なら、今後「アホ専用おしゃれカフェ」みたいな看板をぜひとりつけてもらいたい。そうすれば、絶対にオレはその店には入らないから。
逆に、「お洒落じゃないけど、食べるのが好きな人専用の店」みたいな看板を取り付けてたら、その店に入り浸ると思う。
うまいものにある程度お金を払うのは当然だと思う。
大してうまくないけど、安くていっぱい食べられるってのもいいと思う。
でも、雰囲気おしゃれなだけで、クソ不味いけど高い店は、絶対に許せない。
そのうち、この店は今すぐ潰れればいいのに・・・な店を実名挙げて、リストアップしてやろうかと思う今日この頃。
と言うか、それに若干近い事を少しずつやってたりもするんだけどね。
一生懸命食べましょう。
で、一生懸命生きましょう。
多分、それが大切なんだと思う。
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- 2013年4月8日 22:51 CAT :
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鬱病の看護婦 のぶ江
ブラジャーは、おっぱいの血管の流れを止めるために、乳がんの発症率を劇的に上げているのだとか・・・
しかも、本来の役目である「形を保つ」ことについては、基本的にGカップくらいの大きさがないとほとんど意味をなさないらしい。
貧乳の場合には、ノーブラでいた方が健康にいいんだと。
ただし、人前では、興奮して乳首が立ってしまったりしたら、「こいつ発情してんじゃね?」とか思われて、レイプされてしまうので、つけた方が良いかもしれない。
なんしか、ブラをつける習慣のない場所には、乳がんはないと言う話は、結構面白いと思う。
明治以前に、日本に癌と言うものがなかった事と同じようなもんか・・・?
おっぱい。見たい。
揉みたい。
吸いつきたい。
の三大欲求を我慢して生きておりますが、それって結構、妄想の方が興奮したりする。
だって、見て、揉んで、吸いついてをひとしきりやった後には、もう、下の穴のことしか考えてないんだから・・・
妄想上位互換とでも言うか・・・
最近勉強したこと。
おっぱいを揉んだり、吸いついたりは、オレ達おっさんのする事じゃない。
赤ちゃんがすることだ。
おっさんは、黙ってまんこに挿入らしい。
未婚の30代おっさんの3割は、大魔法使い候補なんだそうですね。
凄い時代になってきたもんだ。
思い起こせば、オレも高校くらいの時には「オレは一生、生マンを見ることなく朽ちて逝くんだ・・・」とか、よく分からん悲哀に満ち満ちていた。
やっぱり大切なのは、生マンなんだと思う。
どんだけ、それこそ無修正のAVを見ようとも、実際にまんこがどうなってるかは、想像の域を出ないんだよ。
知らんけど。
漫画を描く時に、漫画を参考にしてたり、写真を参考にしてても、あんまり上達しないのと多分同じなんだろうね。
大切な事は、現実の本物をしっかり見ることだと、思っています。
何か、凄い取り留めのない、まとまりのない、よく分かんない文章の塊が出来上がりました。
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- 2013年4月7日 23:02 CAT :
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お~ちよ お~ちよ 地獄の底へ おちてこい
赤ちゃんは、死ぬ時の感覚をなぜか知っていて、それが眠る時の感覚と酷似しているらしい。
だから、赤ちゃんは眠たくなると泣き始めるんだとか。
「せっかく生まれてきたのに、死ぬたくない。
死にたくないよぉ~」と泣くんだとか。
この話を聞いた時、どんなに疲れていても、夜眠たくなって泣いている子どもに対して、優しく接してやれるようになったような気がする・・・
いつもより、強く抱きしめてやるんだ。
さてさて。
先日、弟から電話があった。
「なんかブックマーケットに、日野日出志の本がいっぱいある」と。
おそらく、春の引っ越しかなんかの時に処分した人がいたんだろう。
いつだって、この季節の古本屋は熱いもんだ。
しかし、日野日出志とは・・・しかも、ひばり書房版の「地獄の子守唄」まであるとか。
早速、買いに行ってきたよ。
ちなみに、4冊買って5,000円ほど・・・別に、お金に余裕があるわけじゃあないけど、この選択に悔いはなし。
オレが日野日出志の作品で大好きなのは「蔵六の奇病」と「白い世界」。
どちらも、読後には、凄まじい日本特有の美しく物悲しい絶望感を味あわせてくれる圧倒的名作だと思う。
特に「白い世界」は、その美しすぎる情景が余りにもまぶしくて、「白い世界」と言う曲まで作ってしまった。
そんな「白い世界」が収録されている「地獄の子守唄」もちろん表題の「地獄の子守唄」も大好きな作品。
初めて読んだ時には、それから3日間位は生きた心地がしなかった。
(その意味は、読んだ事ある人なら分かると思うけど)
しかも、結構幻と言われている、ひばり書房版の初版本。一冊2,000円(たぶん、ヤフオクとか使えばもっと安く手に入るけど)。
まぁ、打倒だわな。
買いました。
日野日出志作品の集大成は、間違いなく「地獄変」だと思う。
それは、そうだろう。
でも、オレは何だか、「地獄変」と言う集大成に向かうまでの、一つ一つの破片(と言うには、あまりにも素晴らしい)の方が魅力的に映ってしまう。
それが、例えば、日野作品の世界観を決定づけた「蔵六の奇病」や「白い世界」であり、「地獄変」の元になった「地獄の子守唄」だったりする。
そして、その世界観から逸脱しようとして逸脱できなかった「地獄小僧」辺りもまた、素晴らしい。
今回初めて読んだ「地獄まんだら」もある種、「地獄小僧」に近い趣だと思う。
どちらにせよ、世間的に「駄作」と位置付けられている(らしい)秋田書店の書き下ろし作品も含めて、すべて、持って置いて損のない本だと信じている。
ただ、「どうすればこんな、おぞましい作品が書けるんだよ。
」と震えずにはいられないものは、さすがに「地獄変」そして、その後の「赤い蛇」位までだけれども・・・(それは、「地獄変」の続編とまで言われた「悪魔の招待状」を読んだときに凄く思った。
この作品のオチはオチでさすがとしか言いようがないけれども・・・)
恐怖マンガと言えば、やっぱり「梅図かずお大先生」が筆頭株に上がってくるんだろうけど、梅図マンガにおける恐怖は、人間の持つ妄想を具現化したものだと思う。「こうなったらどうしよう」と、心の奥底に潜めている妄想を、とことんまでリアルに描写することで、絶望的な恐怖を読者に埋めつけるマンガ。
(そう言う意味では、つげ義春、蛭子能収もこっちのジャンルに入ると思う。
この二人は、恐怖と言うより悪夢と言う感じだけど)
だとしたら、日野日出志作品は、人間に新しい絶望の妄想を埋め込むマンガだと思う。明らかに荒唐無稽。
誰も思いつかない絶望を見せつける事で、恐怖を心に埋め込んでいく。
そして、畳の目一つまでに込められた、悪意。
どうして、この人は(特に、「地獄変」あたりまで)ここまでの悪意を込めて、病んだ絵とストーリーを作り続けれらたんだろうか・・・
すばらしい作品に出会えた事に今日も感謝しつつ、もうそろそろ眠りに就くことにいたします。
ハイ。
ただ、この本。
子どもには当分読ませない方が良いよな・・・
オレの好きな本ってそんなのが結構多かったりする。
最近、そんな悩みも出てきた志茂田さんがお送りしましたよ。
どうでもいいけど、金田一少年の事件簿の名作「首つり学園殺人事件」の「地獄の子守唄」も、この漫画から来たんだろうか・・・?犬神サーカス団のは間違いなく、この漫画からだろけど(ジャケット本人が書いてるし)・・・
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- 2013年4月6日 23:56 CAT :
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今から10年前 僕達はサーカス団でロープを渡っていた
悩みに悩んではいたけれども、そんなこんなで、5月の犬神サアカス團のライブに参戦してまいります。
昨年の5月に行った「さいならサーカス団ツアー」以来1年ぶりか・・・
すでに、楽しみで仕方がない感じでございます。
なんしか、子どもが生まれる・・・と言うことで、しばらくは、ライブとか諦めてたんだけれども、今回、「会場限定シングル発売」、しかも、収録曲は中だるみなし(と、本人談)の20分にも及ぶ超大作。
・・・行くしかないじゃあないか!!
と言うことで、嫁に相談。したら・・・「子どもが生まれたからって、やりたい事とか、楽しい事を我慢しなくてもええよ。
楽しんできなぁ~」だそうです。
良い嫁を持ったもんだ。
5月には、また、うだうだとレポートでも書こう。
さてさて。
もう一つ。
何と、5月に筋肉少女帯のアルバムが発売になるらしい・・・オーケンのブログとかで、新曲の話題がちらほら出てたから、まさかとは思ってたけど、どうやら出るらしい。
「蔦Q」以来3年ぶりか?
今回は、セルフカバーアルバム+新曲2曲と言う、まぁ企画盤だわな。再結成時にも、2枚組と1枚でベストアルバム出してるし、それ以前にも3枚ほどベストアルバムを出してるこのおじさんたちな訳で、正直、信者専用のアルバムという気がしないでもない。
お布施を払うと言うか・・・カバーすると言っても、10曲だけだし、新曲も2曲だけだし。
ベストにしては、ボリュームにかける・・・
と、誰もが思うだろう。
けど、このアルバムスゲーって。
何より、80年代のキンショーを盛り上げたエディーと、90年代キンショーを盛り上げたおいちゃん、ふーみんが一緒にやるんだぞ。
この奇跡の布陣で、キンショーの名曲たちが蘇るんだぞ。
ファンとして、こんなうれしい事があっていいんだろうか・・・
しかも、新曲には何と、太田明がドラムで参加してると来たら、これ、買わない理由がいったいどこにあると言うんだよ。
確かにボリュームがちょっと足りない・・・とは思うけど、それでも、もう50にもなろうかと言う変なおじちゃん達にとって、キンショーの曲はきっとすごく大変なんだろう。
むしろ、よくあんな激しい曲を10曲もこの豪華な布陣でリアレンジしてくれたなと、感動すら覚えるわ。
そもそも、収録曲だよ。
こいつが、何とも通好み。
最大のヒット曲である、「高木ブー伝説」スルーして、「キノコパワー」とか「パノラマ島へ帰る」とか「機械」とか、マイナーだけど人気の曲をしっかり押さえてるところがさすが。
だいたい、オリジナルアルバムでさえ、捨て曲が一切なくて、毎回ベストアルバム的な感じなんだから、その中から選曲してベストアルバムを作るってこと自体が難しいって・・・
そんなこんなで、どうしても「あの曲が入ってない。
」的な話になってくる事はしょうがない。
けれども、きっとこれでいいのだ。
あとは、ひたすら販売を待つのみ・・・
せっかくなので、無理は承知で「アルバム1枚につき1曲選べるルール」で、ベストに収録するなら?を妄想して、オナニーでもしておこう、(↓)
○仏陀L
釈迦(すべてクソ名曲だけれども、こいつだけは絶対はずせるわけもなし。)
○シスターストロベリー
いくじなし(同じく、すべて名曲だけれども、こいつだけは絶対はずせるわけもなし。)
○猫のテブクロ
これでいいのだ(「月とテブクロ」とものすごい悩むんだけれども、こいつの間奏をエディのピアノで聴いてみたいと言う理由で・・・)
○サーカス団パノラマ島へ帰る
23の瞳(この曲を激ピアノ、激ギターになしたリアレンジが可能なのか、ワクワクする)
○月光蟲
イワンのばか(なんか、再結成前のオーケンふーみんだけのライブの時の編曲があまりにもカッコ良すぎたから、是非あれを再現してほしい・・・)
○断罪!断罪!また断罪
踊るダメ人間(「パブロフの犬」も聴いてみたけど、いたしかゆしな感じで、ダメ人間か・・・)
○エリーゼのために
生きてあげようかな(この曲が個人的に好きすぎるので・・・聴くたびに泣いてしまう・・・)
○UFOと恋人
パレードの日、影男を秘かに消せ!(「くるくる少女」「高円寺心中」「タイアップ」「オレの罪」「君よ!オレで変われ」とか、悩みしすぎるけど、あえて、この曲を聴いてみたい・・・)
○レティクル座妄想
ワダチ(このアルバムも、かなり悩ましいけれども、あえて「ワダチ」を聴いてみたい。)
○ステーシーの美術
リテイク(「再殺部隊」「鉄道少年の憩」「モコモコボンボン」「おもちゃやめぐり」なども聴いてみたいけど、リテイクをエディのピアノで蘇らせてほしい・・・・)
○キラキラと輝くもの
機械(一番好きなアルバムで、このアルバムの収録曲全て捨てがたいけれども、やっぱり一番の思い入れが強いのは「機械」か・・・○最後の聖戦
ペテン(このアルバムに関しては、「ペテン」一択だと思う。この曲があまりにも突出しているのでね。
)
○ナゴム全曲集
猿の左手 象牙の塔(この曲にメタル要素が入るとどうなるのか、ゾクゾクする。「外道節」も捨てがたいけれども・・・
○筋少の大車輪
サボテンとバントライン(ベストアルバムもカウントしたとしてでも、外せない。大好きな曲。
)
○筋少の大水銀
ゴーゴー蟲娘(「死んでゆく牛はモー」と悩むけど、この曲大好きだからなぁ~)
○ベスト&カルト
蜘蛛の糸第二章(「蜘蛛の糸」は第二章の方が好きなんですよ)
○SAN FRANCISCO
サンフランシスコ10イヤーズアフター(まぁ、この曲もためのアルバムと言っても過言ではない伝説の名曲ですからね。)
・・・と、凍結前までだけで考えててたけど、これ無理だ。と言うか、たぶん、全オリジナルアルバムを、1枚ずつセルフカバーしていっても、全部買うわ。
(リマスタリングでも初期のアルバムは全部買ったんだし。
)
そんな感じで、たまには、筋肉少女帯についてお話してみましたよ。さよなら。
さよなら。
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- 2013年4月1日 23:18 CAT :
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8デノナルーフルリプイエ
オレはジャックの幸せな心です。
今日、中性的存在となりました。
それは決して、オレ自身が性的欲求を捨ててしまったからではありません。
オレは、珠江を心の底からそれはもう、本当に愛していました。
ふと思ってしまったのです。
例え一時つながっている事が出来たとしても、結局は、離れてしまうと言う事に。
それはとても悲しい事なのです。
オレは、珠江の膣の中で膨張する寸前の自分のペニスを切り取り、珠江の膣の中に置き去りにしました。
そうしておいて、珠江の膣を固く固く釣り糸で縫いつけました。
これでオレと珠江は、どれだけ離れていたとしても、いつもつながったままなのです。
その喜びに比べれば、性交渉で得られる快感など、いったい何の意味合いがあると言うのでしょうか。
今オレは、何よりも幸せです。
ドクドクと溢れ出す鮮血が留まる事はなく、少しだけ睡魔が襲ってきました。
今しばらくだけ眠ろうと思います。
自分の溢れ出る鮮血を枕に、珠江の叫び声を子守唄に。
少しだけ眠ります。
目覚めた瞬間から始まる幸せの世界を夢見ながら・・・
おやすみなさい。
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