- 2023年11月20日 12:31 CAT :
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謎の自慢話とすかしマウント野郎
子どもの頃と言うか、生まれたばかりの頃の話。
すぐに妹が生まれた関係で、オレは、1歳に満たないくらいから幼稚園に通い始めるまで、毎日母親の実家に預けられていた。
そのせいなのか良く分かんないけど、母方のじいちゃんばあちゃんの存在がとにかく大きくて、じいちゃんばあちゃんが居るから何とか自我を保ってました感で生きてきた。
小学5年の時、ホントに突然じいちゃんが亡くなった。
この時の事に関しては今でも夢に出る位悔いが残ってる。
何だったら、これまでの人生で唯一くらいの「あの時こうしてればな」と言う強い後悔を持ってる。
ばあちゃんの方は、ありがたい事に随分長生きしてくれた。
昨年、そんなばあちゃんが亡くなった。
コロナの影響で、福祉施設に入所した後は面会さえほぼできなかったため、最後にあったのは昨年の正月と言う何とも不本意な感じだった。
そうは言っても、結婚して嫁を紹介するどころか、ひ孫を見せる事も出来たし、じいちゃんの時と比べると後悔してる感じではない。コロナ憎しではあるけども。
ただ、今も実は全く立ち直れていない。
本当に人生に絶望して、どうしようもなくなった時の最終手段「ばあちゃんに会いに行こう」が潰えてしまった。
変な話だけど、最後の砦が無くなった状態で生きている感じがしている。
いつまで独り立ちできてないんだと言う話なんだけど、やっぱり幼少期の影響って多分でかいんだろう。
ふと「もうばあちゃんいないのか・・・どうしよう」と不安になる事が、未だにある。
ありがたいと言って良いのか分からないけど、時々ばあちゃんが近くにいる気がする時がある。
なんだったらじいちゃんと2人でいる気がする時もある。
時々2人で様子を見に来てくれているんだと信じている。
そんなばあちゃんのお葬式の夢をなぜか突然見た。
ばあちゃんの葬式なのに、これまでに亡くなった親族が全員参加していて、子どもの頃大事にしてもらった親戚のおっちゃん、おばちゃんと久々に凄く楽しく話をした。
ついでに、なぜかばあちゃんもそのお葬式に参加していた。
ばあちゃんのお葬式なのに、ばあちゃん本人が参加してた。
未だにばあちゃんの横が特等席なオレが、ばあちゃんの横に座ると「久しぶりやなぁ。元気してたか」と声をかけられた。
なぜかオレはこの前買ったお財布をばあちゃんに見せて「これ、日本では売ってない珍しい奴なんやで!」と良く分からない自慢をした。
「ほうか。ほうか。ええ財布を持っとるな。いっぱいお金が入るようになるわ。」と細い目をしわくちゃにして笑ってた。
「ばあちゃんなんか、急な葬式やから服もそのままでふが悪いのぅ(方言で恥ずかしいの意味)」とも言ってた。
考えたら、いつも何か本当にしょうもない事をばあちゃんに報告して、褒めてもらおうとしてたた。とか、そんな事をいっぱい思い出した。
久々のばあちゃんとの会話でなんでそんな話をしてんだよ・・・と夢ながらモヤモヤしてるけど、久々にばあちゃんに会えた気がして、嬉しかったんでございます。
そんなお話。
こう言う事をもっと長い時間繰り返していけば、立ち直ることも出来るかも知れないな。
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