「気分」カテゴリーアーカイブ

2011年4月12日 21:51 CAT :

君と僕の両面テープラブ

相変わらず、ピンクフロイドの「炎」を聞いております。

クレイジーダイヤモンドは砕けない。

きっと、砕けない。

「狂気」の方が素晴らしいような気もするけど、この叙情的な旋律はなかなか、いつまでも、何度も聴いていても心地良いもの。

ぬふふうふふふ。

さてさて。

今年初めから、フンニャロメンニャロと製作を続けてきた「Do Get the Star」も残す所、後一回のレコーディングと、修正、ミックス、マスタリングで完成と言う所までやってきた。

こんなに時間をかけて製作したのなんて、「オナニー遍歴」以来だ。

そうなってきると、このアルバムの構成とか、歌詞カードどうしようかなぁ~なんて事にも、頭が回りはじめる。

うずうず。

早く、完成させたい。

うずうず。

早く、いろんな人に聞かせたい。

うずうず。

きっと、そんな駄目じゃあないはず。

「影の上のボーニョ」の失敗を繰り返さないように・・・

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2011年4月10日 23:21 CAT :

クレイジーダイヤモンドは砕けない

・・・と言う訳で、一気に2時間くらいで、台本を書き下ろした。

丁度、イメージがピンク・フロイドの「クレイジーダイヤモンド」だったりしたので、それを繰り返し聞き通しでオラオラ、さくさくと書き上げた。

多分、面白いんじゃないの?
一人劇、20分以内、暗転・SE・BGMなし、笑いは苦手・・・と言う、要望をしっかり見事にクリアーできたかと。

ん~・・・台本書いてると、メキメキ演劇をやりたくなってくる。

とりあえず、何か、小説を書く上で、どこの新人賞も大抵原稿用紙250枚位は書かないと駄目臭いので、ひとつ長いのを書くことにして見た。

選んだのは、「永遠の向こうにある果て」。

結構、自信のある物語なんで、まぁ、のびのびとチビチビと書いていく事にしよう。

うん。

そうしよう。

これからも、6月くらいまでにかけて、色んなところに、色んな奴を投稿したり、応募したり・・・そういう事も本格的にやっていこうかと・・・

他にも、実は、昨年末くらいから動いてるちょっと大きな奴があったり、新しいアルバムが完成間近だったり・・・と、凄いクリエイティブな時間を過ごしてる。

今年は。

そして、あとひとつ。

嫁から、まだブログとかで書いちゃあダメと言われている事が・・・

キーワードは「ぬんちゃく」。

次回を待て。

・・・と言う事で。

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2011年4月9日 9:36 CAT :

手のひら収集家の末路

ひょんな事から、台本を一本書き下ろす事になった。

「エデン統合地獄変」を書き上げてから、実に2年と半年振りの新作だ。

その間、一切台本っぽいものを書かなかったかと言うと意外とそうでもなく、「口頭無形」や「終わりの休日」などは、シナリオを書いてから製作したので、似たようなものは少しだけ書いていたりする。

とは言え、何か今回は一人劇だそうで・・・

あんまり描いたことの無いジャンル。

丁度、一人の主人公がただ淡々と話すネタがあったりしたもんだから、それを、舞台用に書き換えて見ようと思っていたりする。

(多分、後になって小説として書き直すだろうけど。)
タイトルは「手のひら収集家の末路」。

久々の完全な新作だう。

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2011年4月6日 0:19 CAT :

よく似た子どもが互いを突き刺したまま

暗助にお手紙を書いております。

最近書いたマンガ、「夜誘う麦わら帽子」のコピーをプレゼントと言う名目で、押し付けて読ませて見ようと思っております。

ついでに、最近書いた小説もプレゼントと言う名目で、押し付けて読ませて見ようと思っております。

もう少し、待っててなぁ~。

で・・・久々に、自分で書いた小説を読んで見た。

・・・これ、面白すぎないか?
マンガとか、音楽より、クオリティー高くないか?
もともと、「夢喰いバクヲ」が何かの新人賞の優秀賞に選ばれて、そのあと、編集部のねえちゃんに進められて書いた作品が、今回の2作品。

4作書いたんだけれども、2作品は俗に言う没になり、後の二つ(特にそのうちのひとつ)が出版OKと言う返事をもらったと言う経緯がある。

と言うことは、一応、本になってその辺の本屋さんに出回ってても良いレベルな訳で、そう考えれば面白いってのも、納得できる事は、出来る。

ただ、何だか腑に落ちないけれども・・・

20年以上もマンガを描いてきた。

総ページ数では、1万ページを超えてしまってる気がする。

10年以上も曲を作り続けている。

総楽曲数は、200曲を超えてしまってる気がする。

それなのに、ほとんど書いた事が無い小説が一番面白いなんて・・・

ただ、せっかく面白いものが書けるんなら、マンガの片手間に何か書いてみて、投稿して見ても良いなぁ~とか思い直して見た。

小説用のネタとしては、もう5年位あたためている自信作「永遠の向こうにある果て」や「るりゑ」、まったくの新作「手のひら収集家の末路」や「老人は子どもに励まされる」などが今の所の候補になってる。

マンガの新作「せんたくのしま」をもう少し熟成させて、その間に、小説を書いてみても良いのかもしれないなぁ~なんて、思ってみたりしております。

まぁ、なんだ。

単なる自慢なので。

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2011年4月2日 23:11 CAT :

シド・バレットとロジャー・ウォーターズ

ピンクフロイドの「狂気」を聴きまくっている。

「狂気」と言うタイトルの癖に、悪意じみた狂気と言う面では、どうしてもクリムゾンの諸々の作品群ほど詰め込まれては居ないけれども、素晴らしく巨大な、絵画に立ち向かって行ってるようなそんな感覚で聴いている次第です。

これは、名盤だ。

スルメだ。

さてさて。

最近、小説を読みたい時期に入っていて、色々と小説と言うか、文章を読み漁っている。

思うに、マンガと比べて、どうしても文章の方が狂気染みている。

その理由を考えていくと、やっぱり、与えられる情報が少なくなる分、想像が必要になり、その分、自分の中にあるキチガイな妄想などが、ニョキニョキと芽を出してくるんだろう。

多分、そんな感じだと思う。

ただひとつ。

そんな脳内の妄想を視覚化しているのが、「天井桟敷」の演劇の舞台そのものだと思う。

それが、一般的な人の脳内の視覚化なのか、たまたまオレの脳内の雰囲気とよく似ていたのかは、分かんないけれども、とにかく、見ていて心地良いのは間違いない。

生で、見たかった・・・それが叶わない今となっては、残された資料から妄想を膨らましていくしか方法が無く、それが、冒頭で触れた狂気染みた想像と相まって、さらに素晴らしいイメージへと昇華してくれるのだろう。

本当に何の障壁も無く、好きに自分の頭の中にあるものを吐き出すだけの作業に付き合っても良いと言う人達が幾人か協力してくれるのであれば、いつの日か、(もちろん「天井桟敷」になど遠く及ばないまでも)そう言う演劇を作ってみたい衝動に駆られている今日この頃。

・・・いやまぢで。

あとひとつ。

小説と言っても、オーケンの作品を相変わらず読んでいたりする。

その中で、もう、オーケンの書く物語には、何の面白みもなくなってしまった。

何か、ご本人もその事が分かっているのか、物語の執筆は、やめてしまってるけど・・・物語の創造性。

で考えると、筋少では「ヘドバン発電所」、小説では「リンダ・リンダ・ラバーソール」辺りで、オーケンの作品で心に染みる作品は止まってる気がする。

もちろん、「ロコ」も好きだし、「蔦Q」の作品群も大好きだけれども、それはもう、かつて「オモイデ教」を読んだときの、「ステーシー」を読んだときの、「ぐるぐる使い」を読んだときの、心を鷲づかみにされるような感覚じゃあない。

むしろ、あのオーケンが「世界中のラブソングが君に」とか、「ゴミ屋敷の王女」みたいな歌を書けるようになったのか・・・と言う変な感慨染みた感覚。

だって、「高円寺心中」とか「新興宗教オレ教」みたいな子と行ってた人がねぇ~・・・

ただ、それでもオーケンさんと言うその人間は大好きなわけで、これからも、あの人の事をどこまでも、追っていきたいし、その人間性が分かるエッセイなどは大好き。

人間は誰しも変わり、成長していくもの。

・・・と思ったら、15年間完全に同じ方向性で、同じようなものを作り続けてる(若干、本人たちの悪意は薄れてはきているものの)犬神サーカス団が・・・

あの人達は、これから10年後も、「ろ~っく」と言い続けて欲しいです。

何か、支離滅裂とした文章になってしまったけれども、ココで終幕でござるよ。

じゃあの。

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2011年4月1日 22:13 CAT :

6デノナルーフルリプイエ

現実の女は、しゃべるから嫌い。

そう言って二次元に入る人が後を立たない中、思う事は、実態の無いものへの愛情など、果たして本当の愛情であると呼べるのか・・・と言う点だった。

ただ、求めているのは、自らが理想とするリアクションをくれる女と言う一点であるけれども、それであっても、実体の無いものに至上の愛情を注ぐ事などで気やしない。

そうやって、オレが行き着いた先が、由美との出会いだった。

由美は、生まれてからずっと体が弱く、病院生活を余儀なくされ、そうして19年。

若くしてこの世を去ってしまった。

たまたま、お見舞いに訪れた病院で由美と出会ったオレは、それから本当に間もなくの後に、由美が死んでしまった事知り、居ても立ってもいられなった。

もう一度だけ由美に会いたい。

その感情だけが先走り、冷たくなった由美の眠る安室に忍び込んだ。

生前と何も変わりはしない(どこかしらかわいげの残る)キレイな姿のまま。

陳腐な表現をするのであれば眠っているようだった。

どれくらいの時間をその安室で過ごしただろうか。

この一点の乱れも無い由美を穢してしまいたい。

そんな衝動が、ひとつひとつの細胞の奥深くから滲み出してきた。

それは、本当にもうどうしようもなく、とめどなくあふれ出てくるもので、その衝動をどうにかする事など出来るものではなかった。

そうして、その静かで、暗い安室の中で、オレの息遣いだけが静寂を破りつつ、物言わぬ由美を犯してしまった。

ただ、それで満足すればよかったものを、その時の恍惚を含む感動をいつまでも引き釣り続けるオレは、由美を自分の部屋まで連れて(世間的には、盗んだと言われるかも知れないけれども)帰った。

部屋の壁に立てかけた由美は、力なく、右に首を折り座る。

それが少しはにかむ仕草のように思え、愛おしさを掻き立てた。

世の二次元に狂うオタクたちとは違う。

オレは、由美の乳房に触れる事も、性器に指を入れる事だって出来る。

改めて言う。

実体の無いものに至上の愛情を注ぐ事などで気やしない。

そして、オレは由美に(それは、もはやこの世界の誰が誰を愛する心持よりも気高く、強い)愛情をささげ続けた。

由美も無言で、それに答え続けてくれる。

毎朝、毎夜、お互いの体をむさぼりあった。

ただ、それも長くは続かなかった。

生命活動をやめた由美の体は、少しずつ変色し、きつく抱きしめた時に折れた骨が戻る事はもう二度とない。

由美が美しいままで、この世から居なくなるために、19歳と言う若さでこの世を去った宿命にあるのならば、オレがそれを止めることなど出来るはずも無く、そう考えたとき、静かに、この数日間の幸せとの決別を決意した。

幸せな時間だった。

少しだけ小高い丘の上(それは、オレが住む町を一望できる)に小さなお墓を作った。

小さなお墓に下のは、誰にも知られず、ただ、オレだけが由美の眠る場所を知っていればいいと強く思ったからだ。

あれから、今年で10年。

今、あの丘には、当時無かった桜が、目くるめく姿で咲き誇っている。

あの桜を眺めるたびに、由美の艶やかな死に顔の色を間に間に思い起こしてしまう。

今年もその季節がやってきた。

10年目の春に記す。

真実の話。

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2011年3月30日 0:06 CAT :

君のまんこでハイパーセルフプレジャー

風邪が、いつになっても治らない。

喉は痛いわ、くらくらするわ、せきは出るわがかれこれ1週間も続いていると言う。

最初の2日ほどは会社も休んだりしたけど、結局、大して良くならないし、ずっと休み続けてたら、席がなくなってた・・・りしたら半泣きなので、しゃあなしで、お仕事に行ってる。

あぁ~きっと、白血病にでもなってしまったんだ。

とか、勝手に思っておこう。

むううう・・・

さてさて。

先日、「また後日書こう」って言ってた事のひとつでも。

マンガを投稿した。

最近書いた新作「夜誘う麦藁ぼうし」と言う作品。

一年ぐらい前から、もんもんとアイデアを練ってた自信作で、書き上げた後(と言うか、書き上げて読み直した後)「これは絶対的に面白いだろ!!」と言う変な自信なんか持ったもんだから、よし、この作品でデビューだ!!とか、調子に乗ってしまったわけでございます。

で、いつも通り「四季賞」に送ろうかと思ってたんだけど、たまには目先を変えようと思って、色んな新人賞を物色してた。

そしたら、ちょうどその時、弟から「編集者の意見をもらえて、原稿返却ありで、その上、プロの原画の複製までプレゼントしてくれる」と言う、至れり尽くせりなマンガ賞の話が・・・(正確には、アイツがそこに投稿しようとしてたんだけれども。)
これも何かの縁ということで、そのマンガ賞「グランドスラム」に投稿した。

ヤングアニマルとは、「ベルセルク」を筆頭に、「デトロイトメタルシティー」に「3月のライオン」、そして何より、高校時代に異常にお世話になった「ふたりエッチ」が連載してる雑誌。

なかなか暑い所をもってきていただいたものだ。

ただ、その原稿が出版社に届くであろう日に、丁度あの地震が起こっちゃったりしたもので、ちゃんと、原稿は出版社に届いているのやら・・・

取り合えず、一次選考の結果が4月終わりに分かるそうなので、今は、次の新作「せんたくのしま」のネームでも練っていよう。

あ・・・そう言えば、「へうげもの」の新刊。

まだ買ってないや。

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2011年3月28日 22:43 CAT :

まいくろしーべると

さて…どうしたものか…
気が付けば、色々と思い悩むことが多い日々になっている。

取り合えず、早く体調を戻したいのだけれども、一向に良くならない。

静かに弱っていって死んでしまう…と言う妄想。

早く色々と遊びたいな…

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2011年3月26日 12:32 CAT :

慎みの商い

不謹慎と言う言葉に嫌気が差してきた。

プロレスとプロ野球について。

野球なんてやってる場合じゃない。

と、開幕延期を決めたプロ野球。

こんな時だからこそ、命をかけて興行を行う事を決めたプロレス。

(特に、全日本プロレスとみちのくプロレスが。)
どちらが素晴らしいかと、考えれば、迷う余地も無くプロレスが素晴らしい。

どうやら、プロ野球選手は、自分たちが野球をやると言う行為を「不謹慎」だと考えているみたいだ。

もっと言えば、「こんな時に野球なんてやってる場合じゃない」とさえ、思っているみたいだ。

だったら、もう野球なんてやめちまえばいい。

そんな不謹慎な行為で、人から金を取ってるんじゃね~よ。

プロとして、人からお金をいただいてやる以上、命をかけて、野球をやれよ。

電力不足で、ドームが使えないからとか、ナイター出来ないからとか、環境が悪いと出来ないくらいなら、やめちまえばいい。

金稼ぐために野球やってんじゃぇ~よ。

もともと、野球あんまり好きじゃなかったけど、今度の事でよく分かった。

プロ野球はもう駄目だ。

逆に、プロレスの素晴らしさばかりが目立ったような気がする。

こんな状況で、いち早く興行を行った全日本プロレス。

節電のため、プロレスで最大の見せ場と言っても過言じゃない登場での照明効果も一切やらずに、暗い中で、それでも、少しでも皆に元気になってもらうためにプロレスをする。

何と言う、プロ根性。

まさに、命を懸けたエンターテイメント。

もともとをたどれば、きっとプロ野球もプロレスも始まりは同じだった・・・と思う。

戦後、ズタボロになった日本を少しでも元気にする為に立ち上がった有志。

彼らが戦う姿を見て、日本中が喚起して、感動して、そうやって高度経済復興の礎となっていった。

その意志を、今でもレスラーたちは持っている。

プロ野球選手たちは、そんなもの捨ててしまった。

あまつさえ「不謹慎な行為」だと思いながら、野球をやってる。

直撃を受けたみちのくプロレスが、募金、チャリティーをかねた興行を行ってる。

何で、収益金を寄付する親善試合とかそういう方向に動かないで、「やる気がしないから延期」とかそうなってしまうんだろう。

と、ただただ、プロ野球への嫌悪だけが募っていく日々でございます。

プロレスLOVEだ。

プロレスLOVE。

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2011年3月25日 21:29 CAT :

ぽぽぽぽ~ん

お久しぶりですな。

地震が起きてからこっち、意図的にと言うか、何か良い感じに機会が無くて、しばらくと放置しておりました。

どうせなら、3月いっぱい放置しておこうかとも思ったのだけれども、何か、こんな放置状態でも、1日10~20人くらい頭の悪いうんこ野郎アクセスがあるもので、何だか、ちょっぴり心苦しくなったりならなかったり、ならなかったり・・・

久々にログインして見ると、いきなり、「旧ユーザーの奴は、新しいIDに統合しろ」とか脅されたりして、心が折れそうになってしまった・・・でも、こんな事ではくじけない。

です。

うん。

さてさて。

3月はじめには、ずいぶんと長い時間、「市松人形に殺されかけていた」と言う、何だか凄い出来事があったんだけれども、その事については、また後日書くことにしよう。

誰もそんな話に興味ないだろうから。

3月の中ごろには、新作マンガ「夜誘う麦わら帽子」をアフタヌーンの四季賞じゃなく、ヤングアニマルのグランドスラムに投稿した・・・けど、その辺りについてのいきさつは、また後日書くことにしよう。

誰もそんな話に興味ないだろうから。

3月中ごろには、未曾有の大地震が起こったりした。

地震が起きてすぐの頃、ツイッター上で「皆さん落ち着いてください」とか「今のうちにお風呂にお湯をためましょう」とかどの立場から話してるのか分からないキチガイがあふれ返ってて何とも言えない不快感を覚えたこと。

地震が起きてすぐ「関西電力の電気が無くなる」とか「最大震度の地震は1週間後に来る」とか、誰がどう聞いても有り得ないデマを粋がってチェーンメールで送りまくる冴え上がり野郎にどうしようもない失望を感じたこと。

などなど・・・色々あった。

けど、その辺りの話も、もう少し後で書くことにしよう。

誰も、そんな話に興味ないだろうから。

3月中ごろには、地震が起きてもお構いなしに、新しいアルバム用にレコーディングを強行したりしていた。

新曲「黄泉」を含む4曲を製作。

だいぶアルバムの形が見えてきた。

この楽曲については、また後日書くことにしよう。

誰もそんな話に興味ないだろうから。

3月中ごろには、このまま消費を停滞させていては日本が終わってしまうと言う気持ちと言うよりは、遊びに行きたいウキウキ感から、愛媛のとべ動物園に行って来た。

今、遊び呆けるのは「不謹慎」だと声を大にして言う奴は、きっと本当の「不謹慎」が何なのか分かってないゴミ蟲野郎だから、死ねばいいと思う。

この動物園がまた、凄い楽しかったんだけど、詳しくは、また後日書くことにしよう。

誰も、そんな話に興味ないだろうから。

3月の中ごろには、風邪をひいてダウンしてた。

理由は、色々考えられるけど、とりあえず、二日ほど寝込んでた。

今もまだのどが痛い。

この話については、風邪が治ってからツラツラと書くことにしよう。

誰もそんな話に興味ないだろうから。

とりあえず、今、オレの頭の中にはひたすらに「ぽぽぽぽ~ん」が流れ続けている。

そう、あの「ぽぽぽぽ~ん」が。

「ぽぽぽぽ~ん」だよ。

「ぽぽぽぽ~ん」。

では皆さん。

さようなライオン。

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2011年2月26日 1:18 CAT :

屍と化す前に甘い刹那に酔いしれ

平野綾は一刻も早くツイッターをやめればいいと思う。

こんだけ騒動起こして、未だに、和気藹々と続けてる段階で、もう人としてどうなんだ?と思う。

前に、小林清志が「声優は、顔を見せたあ駄目だ」と、素顔を見せる事を頑なに拒否していた(金曜ロードショーの「ロシアより愛を込めて」の時には、普通に顔出しして気がしないでもないけど・・・)のを思い出す。

まぁ、あの人は、声優さんじゃないからいいのか?
本を読む人間が嫌い。

それは、オレが本を(マンガ以外の活字全般)読めないから、と言うだけの話じゃあない。

うまく説明できないかも知れないけど、人生の方向性や、考え方を本を基にして構築してる人間が嫌い・・・とでも、言えば良いのかもしれない。

そういう奴は、よく本の中の言葉を引用して、あたかも自分が考え出した凄いアイデアかのように語りだすから、何だかイライラする。

しかも、性質が悪いのは、他の本を読むたびに、自分の意見自体もコロコロかわる場合が多いと言う事。

本を能の肥やしにする。

と言う考え方自体は良いと思う。

でも、自己啓発のために本を読むとか、肥やしを作るために本を読むと言う、本末転倒野郎はもうどうしようもない。

自分の中に、ひとつの方向性があって、それを昇華させるために本を読むようになるわけではなく、その方向性を決めるために本を読み始めたら、もう危険信号だと思う。

末路には、自分で思考する事が出来なくなって、さらに、本ばかり読んで、その本に書いてあることをあたかも自分が構築した考え方かのように、嬉々として語り始めるんだから、もうどうしようもない。

しかも、自分の頭の中で噛み砕いてないもんだから、やたらと、本の中に書いてある専門用語みたいな奴を使いたがって、悦に入ってる。

そんな奴は、まぢで死ねば良いのに・・・

最近分かった。

専門用語を使う奴って、本格的に頭の悪い奴だ。

自分でも理解できてないもんだから、難しそうな言葉を使って、お茶を濁そうとしているだけだ。

オレも、何か、そんなトコがあって、すぐに専門用語とかを使ってた。

(まぁ、本とかは一切読めないんだけれども)でも、嫁と話をしてたら、「その言葉どういう意味?」と聞かれることも多くて、そんな時、その言葉について、しっかりと、分かりやすい言葉で説明できない事も多い。

んでいかに、言葉の本質を知らなかったのかと、しょんぼりする。

語彙力を上げる事は、難しい言葉をたくさん知る事だと思ってた。

本当は、難しい言葉なんか使わなくても、分かりやすく説明できるように的確な言葉を知っている事が語彙力が高いと言う事なんだろうて。

最近は、そう言う事を念頭に入れて、会話をするようにしてみたりしている。

そうすると、前述の本を読む奴の話し方がずいぶん鼻につくようになった。

もうホント引用とかやたらしたがる奴は、多分駄目だと思う。

仲良くはなれないや。

これも、一種の成長なんだろうか・・・

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2011年2月22日 23:50 CAT :

東京エレジー赤い汽車

ハーモニカ太郎
夕焼けの海辺。

後姿を嫁に撮られておりました。

ハーモニカを買った。

で、それを練習している。

あんまりうまく吹けないけど、練習している。

夕焼けの海辺で。

今の所、嫁の方がうまいようで、しょうがないから、オレはもともと出来るギターなど片手に、その内、2人でセッションなどしようと目論んでいたりする次第でございます。

吹けるようになれば、弾き語りの楽しさの幅が広がるんだ。

いつか、こいつも使って、曲作りできるようになればいいなぁ~・・・と。

ちなみにこの時吹いてたのは、「きよしこの夜」と言う・・・まぁ、練習曲ですな。

そして、これは肉球(↓)
肉旧
ばいちゃぁ~

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2011年2月20日 13:41 CAT :

ご希望の働き方ができる病院・施設・企業を見つけて下さい。

映画版「20世紀少年」を見た。

しかも、1~3部通して。

ぶっ通した事7時間。

先日、嫁と2人「すいか」のDVDを10話ぶっ続けで見たけど、そのとき以来の衝撃的に長い時間だ。

別に、やる事が無くてDVDばっかり見てるんじゃあないですよ。

やる事はいっぱいあるし、やらなきゃいけない事もたくさんあるのに、現実逃避の意味合いが強いままに、だらだらとDVDを見てる。

と言っても間違いは少ないという状況なだけですよ。

と言う事で、少しだけ感想でも書いておこう。

以下、ネタばれもあるので、まだ「20世紀少年」を未読、未見の方や、「ともだち」の正体がカツマタ君だと知らない方はご注意くださいな。

続きを読む ご希望の働き方ができる病院・施設・企業を見つけて下さい。

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2011年2月17日 22:59 CAT :

昨夜、一人殺した。もう何人殺しても同じだ

文字を書く。

と言う、ひとつの事柄について意識をして見る。

最近、やってるのは密かに、オリジナルな字体を勝手に生み出して見たりする事。

いくつかのルールを決めて、それを意識して文字を書くと、不思議とオリジナルな字体になってくる。

文字ひとつ書くだけでも、そうやって、少しずつ意識して行く事で、もう大分残りカスになってきた脳みそにおけるクリエイティブな部分を刺激できればと思っている次第です。

そうやって、長い時間をかけていけば、キッと面白い事でも起きやしないんだろうか。

と、淡い期待に心を寄せて見る。

そんな時は、この「JACK THE RIPPER」を見れば良い。

(↓)

「サーカス団、武道館へ帰る」の「大釈迦」と並ぶ、最高にかっこいい「JACK THE RIPPER」だ。

ダミアン浜田も見れますぞよ。

やっぱり、ギターバトルはしびれるなぁ~

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2011年2月16日 21:44 CAT :

涙を流す事が出来ればやさしい心持になれたでしょうに

何だか、袋小路の中でウロウロとしている様な・・・そんな気分ばかりしている今日この頃。

一体、このオレにどうしろと(なれと)言うのだろう。

結婚生活は、多分、想像以上に楽しいもので、世の中の「結婚は墓場」とのたまう皆様に、色々と尋ねてみたい事柄もあったりす。

それとは別に、気がつけば、オレもアラサーと呼ばれる事も辞さない年齢になってしまった。

未だに、マンガを描いて、絵を描いて、曲を書いて、ギターをかき鳴らしている。

今更、ハーモニカなんてのもやってみたりしている。

さらに、仕事の延長線上でどんどんホムペ作りの技術力もあがってきてるように思う。

特に、ダメな所は無く、順調な人生を歩んでいるように思う。

なのに・・・

何だろう?この、心に引っかかる何か。

まだ姿は見えない。

でも、もう少ししたら、コイツはオレの前に立ちはだかるんだろう。

今はまだ、生きる事を楽しむ時間を続ける。

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2011年2月15日 21:38 CAT :

でもお母さん。私の勝ちよ。なぜなら私はお父さんの子どもを身篭っているから。

永遠の問題として、名高い「男女に友情が成り立つか」について、オレは画期的な解決法を編み出した。

と言う、話をここでツラツラと、別に誰に頼まれたわけでもなく書いてやろう。

その前に、まず結論。

「成り立つか」について述べるとするれば・・・「成り立つ」とここでは、書いておく。

誰に対してとは言わないけれども、「成り立つ」と書いておく。

ただし、「お互いが男女としてお互いを見ていなければ」と言う但し書きをつけての話。

例えば、同性で、うんこみたいに仲良しになった奴に対して「コイツは同性だから仲が良い」とか、考えてる奴なんていない。

いたら、ごめんなさい。

その瞬間に、この話はもう終わりです。

または、そんな事を気にしないと友達も作れない乏しい価値観を持つそいつを世間的に陵辱します。

話は続く。

つまりは、相手を異性として見なければ良い。

そうすれば、男女の友情なんて、屁のツッパリはいらんままで「成り立つ」のだ。

で、現在、男女の友情が成り立つと考えていて、尚且つ、友情が成り立ってる(と思ってる)間柄がいる紳士淑女の皆様にぜひとも試してもらいたい、男女の友情確認ゲームこそ、オレが編み出した画期的な解決法。

その名も「おっぱいゲーム」だ。

おっぱいを揉んでしまえ。

と言う至極簡単なルール。

友情の確認については(↓)の通り。

女側が拒否すれば、女の方が相手を男としてみていたと言う事で、残念ながら、お前ら2人の間に友情など無い。

ただ、穴に棒を入れるだけの関係です。

おっぱいを揉んだ事で、男側が興奮して、血走った目で、女を押し倒し、まんこにつば付けて挿入したら男の方が相手を女として見ていたと言う事で、残念ながら、これも、お前ら2人の間に友情など無い。

ただ、快感のみを求める獣の本能だけの関係です。

別に、平気で女がおっぱいを揉ませて、男の方も、「何でお前の乳を揉むんだよ」みたいな態度で揉みしだけば、お前ら2人の間には、友情が成立しています。

と言う。

至極簡単。

そして、分かりやすい。

友情確認ゲーム。

「救出」なんかよりはるかに、分かりやすく友情を確認出来る。

まぁ、試すのは本当に、仲良しの間柄だけにしとかないと、逆に変な雰囲気になって、付き合うようになったり、「結局はおっぱいか」とか変な誤解をもたれたりするので、そこの所はあしからず。

昔、女友達におっぱいを触らせてと言って「まぢで触るの?」とドン引きされたオレが言うんだから間違いない。

ちなみに、その子とは、それ以来連絡も取っておりませぬ。

友情は無かったと言う事だな。

ケセラセラ。

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2011年2月13日 21:10 CAT :

罪とか罰とか

何と、高松で遠藤ミチロウのソロライブがある。

あの。

伝説のパンクロッカー遠藤ミチロウを生で見る事が出来る。

と言う、凄まじい奇跡。

オーケンなら絶対的に行く所だけれども、悩んでいる。

場所がバーって所も悩んでいる。

そんな所に行けるような人間ではないのである。

それが、ライブハウスならもう少しノリノリで決断できたであろうに・・・

敬愛するケラリーノ・サンドロビッチ監督の映画「罪とか罰とか」を見た。

「グミチョコ」では、さすがにオーケンの世界観が強く出ていたけれども、この作品は完全にケラの世界観だ。

ナイロンにも、ナゴムにも繋がる、ブラックでシュールな笑いのオンパレード。

不愉快になる奴は、不愉快になるだろう。

ストーリーも、理解できない奴には、まったく意味の分からないものだろう。

ただただ、最高に素晴らしかった。

ここまで、ブラックになると、むしろ清清しい。

動物虐待も、児童虐待も、警察の内部汚染も何もかもが面白くてしょうがない。

そして、鳥肌が立つほど完璧に作りこまれたストーリー。

悔しいし、何だか、イラつく。

けれども、名作だ。

演出も、台詞回しも、展開も、ストーリーも何もかも完璧だ。

こんな物語が作れたら、どれほど、人生ウキウキするのだろう。

あぁ~ウキウキしたい。

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2011年2月10日 0:21 CAT :

行きずりの殺意衝動の最果てへ

伝え急ぐ内容は無限にあったりする。

生まれてこれまで一体どれほどの言葉を発してきただろうか・・・書いてきただろうか・・・描いて来ただろうか。

単純に計算してみた。

これまでに描いたマンガは軽く1万ページを超える臭い。

これまでに描いた曲はどうも200曲をゆうに超える臭い。

こんなに、たくさん表現をしながら、その実で一体何が伝えたかったのか。

と、少しだけ考えてみる。

今すぐに、伝えたい事柄は、冒頭の通り無限にある。

そして、その中心にはキッと何か芯のようなものが一本通っていると信じたい。

じゃなきゃあ、何だか空っぽだ。

では、それは何なのか。

ただ、抑えきれない衝動を何かの形で吐き出し続けてきただけだったのかも知れない。

って言うか、多分そうだ。

でも、最近少しだけ変わってきた。

形を作りたい。

と言う・・・頭の中にあるイメージを形にしたい。

と言う・・・まったく新しい欲求が目覚めてきた。

そうやって、新作マンガを書き上げた。

「夜誘う麦わらぼうし」と言うそのマンガ。

出来上がりを、自分で読み直してみた。

まだまだ、未完成だけれども、形を作ろうとした。

それはしっかりと分かる・・・(と思う)
「口頭無形」から始まったこの試みが、ひとつの形で突出してきたような気がする。

もう一息だ。

多分、もう一息で、凄く満足のいく作品が作れそうな気がする。

次回作のタイトルも決まっている。

「処女はアイアン・メイデンに入れて殺すに限る」。

頭の中では、妄想が入り乱れている今日この頃。

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2011年2月9日 22:52 CAT :

ティーバートンの新作で競演した2人

今週末、一ヶ月ぶりに「Do Get The Star」のレコーディングを再開したりする。

・・・と思う。

今回は、じっくり半年~一年くらいかけて、過去の楽曲たちを復活させようと言う、企画盤アルバムだったりする。

目新しい事としては、基本的に、製作におけるイニシアティブを弟に渡してある事。

これまでの場合、オレが、作詞、作曲、イメージ、編曲等々全て一人で決めっちまう事が多かった。

周りからの意見は取り入れつつも、オレが気に入らなければ即却下。

あくまでも、オレの頭の中にあるイメージを最優先にすると言う暴君ネロも真っ青な状況。

それが、今回はどちらかと言うと借りてきた猫状態な訳で、「ここでこんなギターを入れて」「え~と・・・こんな感じ?」「もう少し、音を入れてみて。」「こうか?」「そんな感じで。」と言う流れが多い。

自分で、考える事を放棄してるわけではないけれども、言われた通りに弾いたり、歌ったり・・・キッと、今までに無いようなアルバムが出来る事だろうて。

まだまだ、先は長いけれども。

さてさて。

大作先生の脅威が、ついにオレを襲おうとしている。

学会員とは、極力接触しない人生を送ってきたつもりだったのに、ここにきて、ついにそれも潰えるかもしれない。

この国には、宗教の自由があるわけで、別に誰がどんな宗教を信じようとも、そんな事は知った事ではない。

お気に召すまま。

でも、馴れ合うかどうかの自由はある。

嫌なものは嫌だ。

なんだか、学会員の奴とは話が合わない。

感覚が合わない。

話を聞いてるだけでイライラする。

だから、オレと馴れ合うのはぜひぜひやめてもらいたいなぁ~オレも、極力近寄らないから。

それが、お互いにとって絶対的にプラスなんだから・・・

と、本人には、怖くて言えないので、こっそりとここに書いておく。

そして、避けては通れない道。

最近、ツイッター大喜利なるものにはまっている。

仕事中でも、暇を見つけてはお題に答えたり、見てくすくす腹の中で笑ったり。

何が嬉しいって、答えが面白かったら、取り上げてくれる事が・・・と言う、何とも、根暗な感じになってしまったけれども、初めて、ツイッターを面白いと思った。

しかし、中には、ビックリする位センスのある回答もある。

そして、自分でやってみて改めて芸人さんの凄さを思い知った。

(特に内Pに出てた皆様の)
と、最近の出来事を少々ツラツラと・・・

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2011年2月8日 0:21 CAT :

微か、ひだに残るあの蟠りの様に

会社の同僚さんのおばあちゃんが亡くなった。

年末には、会社の会長も亡くなった。

オレが、今までまともに社会生活とやらを行ってこなかった事に問題があるかもしれない。

ただ、こんなにも死ぬ事が身近にあったと言う事を改めて思い知る毎日を過ごしております。

大好きなじいちゃんが死んだのは、オレが、おかんの職員旅行について行ってた最中だった。

旅行先で、その事を聞いたおかんは、旅行先から、オレと、妹、弟を連れて、大急ぎで香川まで戻ってきた。

その道中については、何にも覚えていない。

ただ、家に帰ってきて、おかんが準備してる間、居ても立ってもいられなくなって、一人、ちゃりで、ばあちゃんちに走ってた。

んで、ばあちゃんに抱きついて泣き喚いた。

あの日の事。

あの葬式の事。

あの骨の事。

は、今も、はっきり脳裏に残ってる。

断片的ではあるけれども、確実に残ってる。

それから、何度も同じような経験をしてきたけれども、あの時の葬式ほど感情まで、鮮明に覚えてるものは他にないと言うのは、薄情な人間なんだろうか・・・

今日まで、会話していた人が、その瞬間いなくなる事。

嫁が、毎朝オレが仕事に行くのを見送ろうとする。

オレが「朝位ゆっくり寝よれ。

いつも、オレより遅く寝よんやから。」と言うと、「もし、見送らなかった日に、事故にあって死んだら、絶対後悔するからやだ。」と。

そうか・・・そういう事なのか。

じいちゃんの死に目に会えなかった。

旅行の前日。

ゲームしてたと言う理由でじいちゃんのお見舞いに行かなかった事を、実は、まだ、後悔している。

最後になるとは思わないまでも、何か、あと一言でいいから多く会話しておきたかったと、今でも、時々思う。

やりたい事も、やらなきゃあいけない事も、このうんこみたいにメンタルの弱いオレの上にのしかかってきてるわけで、いつ、前みたいに壊れてしまうか分からないような日々を送ってはいる。

けれども、今は、まだ死ねない。

今、居なくなったら、たぶん後悔する。

そんな事を考えるようになってしまった。

この記事を、手首にナイフをグリグリとあてがってた頃のオレが見たら、どう思うのでしょうね。

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2011年2月6日 23:56 CAT :

愛ってへっちゃうんだよ

特撮が再始動だ。

たまらなくなって、ツイッターで呟いてしまったけれども凄い。

何が凄いって、筋少と特撮の新作を同時に楽しめると言う、この凄まじい時代。

オレが、オーケンを知ったのは、筋少が活動凍結、特撮が動き始めた頃だった。

あの頃、筋少の再結成を夢に見ながら、旧譜をひたすら買いあさり、特撮の一挙手一投足を心震わせながら見守っていた。

そして、時間は流れ、筋少は再結成、順調に活動し、夢にまで見た筋少のライブも見た。

そうやって、その間、活動停止していた特撮がついに活動再開。

喜びが分かるか?

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2011年2月1日 23:18 CAT :

セックス・イン・フルエンザ

例えて考える。

使うことの出来るものが、少しだけあった時、それを使いきるべきか、先にまで使わずに持ち続けるか。

持ち続けた結果、実は、そのもの自体の形は、もと見えていたものとは全く違う形になっているかも知れないと言う寓話。

才能がない。

と言うことは、見る力がなければ分からない。

才能がないとわからない。

と言うことは、純粋に見る力がないと言う体たらく。

実は、無力であることを理解してからが、本当には大切かもしれない。

オレには何もない。

けれども、だから何でも出来る…ような気がする。

で、やってみると大概の事は案外できたりするらしい…
チョッと前までは、マンガを描き続けなければ不安だったこともあったけれども、その頃より、今の方が良いものが描けるようになった気がする。

マンガを描く事がうまくなる方法には、絵を描くことや本を読むこと、資料を眺めること以外にも色々なものがあって、何が大切かは、考えてみないといけない。

それはきっとその他にも、ゾロゾロと右へ倣え。

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2011年1月27日 0:02 CAT :

The まんこ

自慢します。

久々に、「ぬるま湯ガリクソン」を聴いてみた。

そして確信する。

このアルバムの完成度は洒落にならない。

素晴らしい作品だと思う。

何で、このアルバムが完成した時に、駄作だと決め付けて、10枚程度しか刷らなかったんだろう。

ほとんど出回ってない。

でも、傑作だ。

現段階では、最高傑作。

そして、これを超えるような作品が今の所、作れる気がしない。

「夜景情景スカトロジスト」から始まって、名曲「瓶詰めの幼女」を経て、唯一自分の名前をタイトルに入れた「志茂田さんのプログレ」でまとめて、「2tマンボウ」で落ちる。

と言う、完璧な布陣。

うぬぬぬ・・・これまで、基本的に人に「どんな音楽やってんの?」と聴かれたときには、「脛毛おうじょと巨乳じいや」を名刺代わりに渡すようにしてた。

多分、この作品が一番分かりやすい作品が多いから。

そして、ボーカルがオレじゃないから。

でも、実は、「ぬるま湯ガリクソン」こそ、こう言う時に配るべき作品だったのかもしれない。

と思い直した15の夜。

ちなみに、今の所の好きな作品ランキング。

(↓)
1.MH信者
2.ぬるま湯ガリクソン
3.全身バター力士狭い部屋閉じ込め地獄
4.有江不尾 雄眞のレポート
5.良さ恋祭り
6.脛毛おうじょと巨乳じいや
7.影の上のボーニョ
8.永遠の向こうにある果て
9.鈍色の青空
10.オナニー遍歴
思えば、遠くに来たもんだ。

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2011年1月25日 0:20 CAT :

マンガの墓場

実は、数週間前から、原稿に向かって少しずつマンガを描き始めている。

1年位前から、構想を膨らませ続けてきた「夜誘う麦藁帽子」と言うお話。

この話の最後のつめの部分のイメージソースを膨らませるために、アートの街倉敷へと、嫁と2人旅に出たりもした。

結局、あの街には、そんな心ときめく作品なんてほとんど無かった。

(むしろ、最近見た、オレが幼稚園の頃の描いた絵のほうが圧倒的に心がときめいたし)
ただ、ひとつ。

思いっきり、美観地区から外れた所にある「蟲文庫」と言う古本屋にだけはやられた。

とにかく、素晴らしくいい感じの古本屋なので、ぜひぜひ興味ある奴は行ってみたらいいと思う。

んで、その本屋で一冊の本を買った。

マンガ同人誌「走馬燈」。

昨今の糞マンガの固まりな同人誌じゃなくて、ガロの系譜を受け継いでいる(様な気がする)本当の意味での同人誌。

昔ながらの同人誌。

立ち読みして、圧倒された。

この本を眺めていると、マンガって、こんなに自由に楽しんで、自分の世界を表現できるものなんだと、ヒシヒシと感じた。

こんな素晴らしい表現方法は、きっとこの世に無い。

パースとる事なんか、マンガを描く上で何の意味も成さない。

デッサンをとる事なんか、マンガを描く上で何の意味も成さない。

もちろん、もともと正確にパースを取ることも、狂わずデッサンを描くことも出来るのなら、それを表現のために存分に使うべきだと思う。

でも、パースを取れないからと、パースの勉強をするのは愚の骨頂だと思う。

そんな時間があれば、自分の中から、沸々と湧き出してくるどうしようもない衝動を形にする作業に没頭した方がよっぽど素晴らしい作品が作れる気がする。

この、「走馬燈」に収録されているマンガは、そうやって生み出された、どうしようもない(それでいて、圧倒的な)衝動の塊だった。

それは、まるで、ナゴム時代の筋肉少女帯。

今の時代に、こんな作品に出会えたことを喜びつつ、その日から、原稿用紙にペンを走らせ始めた。

下書きが終わり、今、ペン入れが半分ほど終わった所。

何のしがらみも無く、描きたいことを描きたいようにひたすら描き殴った27ページの作品。

「夜誘う麦藁帽子」。

素晴らしく良い作品が生まれつつある。

ただ、ここにきて、そんな事じゃあ、賞に投稿したりなんか出来ないことに気がついた。

でも、このまま描いていこう。

もう、マンガで、自分の妄想を表現できれば、もうそれで十分だ。

だから、Gペンを握る時間をくれよぉ~・・・

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2011年1月24日 23:12 CAT :

生きているうちに獲得したものは死んでゆく時に手放すだろう

沢尻エリカ死ね。

生き急ぐんじゃない。

今すぐ死ね。

なぜ、誰もはっきり言わないんだろう。

と、不可思議に考えてみる。

家に一冊の本がある。

(↓)
えびす
弟が買ってきた一冊の本。

タイトルは、「地獄に落ちた教師ども」。

蛭子能収が描いたマンガの単行本。

最近知ったんだけれども、この人の本って、3冊くらいしかない上に、ほとんど部数もないそうで・・・そんなマンガが家にある。

ほかにも、おそらく日本全国で1000はないだろう(下手したら100も無いかも)と言う本やCDがポツプツとあったりする。

で、このマンガ。

何か知らんけどすごい。

ガロで発表した作品が多いことから、そっち系な作風だということは誰でも想像つくだろうけれども、その中でもまた、ひとつ異質な作品だと言わざるを得ない感じ。

日野日出志のような、震えるような悪意に満ちた作風でもなければ、つげ義春のような、日常に隠されたどうしようもない哀愁を切々とつづるような作風でもない。

ただ、意味不明な世界観で、意味不明な出来事と言動が延々繰り返されるだけのマンガ。

見せ場も無ければ、落ちも無い。

テーマも無ければ、多分ジャンルだって無い。

(もしかしたら、シュールリアリズムか?)
ただ・・・この本は初めて読んだときから、どこか懐かしい、どこか知っているシーンの連続と言う、不思議な感覚にとらわれてしまう。

パクリと言う意味じゃあなくて。

考えてみた。

なんで、この本の内容を知ってるんだろう・・・?
行き着いた答えは、オレが、いつかどこかで見た夢の内容と酷似してた。

と言う、なんとも有り得ない結論だったりする。

オレはどちらかと言うと、夢を覚えている方の人間だと思う。

そして、なぜか、当たり前のようにアスファルトの隙間からお金が無尽蔵に出てくる夢を見たことがある。

そして、なぜか、息が詰まりそうな閉塞間のある教室で先生が生徒を殺す夢を見たことがある。

そして、なぜか、何のやる気も無く、誰も彼もが睡魔に襲われ続ける社会の夢を見たことがある。

そして、なぜか、塾の先生が手品ばっかりやっている夢を見たことがある。

多分、まったく同じ夢を見たなんてことは無いと思う。

ただ、この蛭子能収と言う人は、恐ろしく正確に自分の見た夢の世界観を、忠実に描写することの出来る作家なんだろう。

誰もが、必ず知っている夢の中の世界観。

覚醒した状態で見る夢の中の世界。

そんなものを楽しませてくれる素晴らしい作品が、家にはある。

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2011年1月24日 0:06 CAT :

金色のまんこについて

無限の住人の最新刊が発売になってた・・・ここ、最終章に入ってから、もうかなりの巻数が出ている。

そして、どんどんと佳境に向かっている。

毎回、最新刊では、終わりをヒシヒシと感じてしまう。

そして、この巻では、まさかの・・・

という所で、ネタばれはやめて置こう。

さてさて。

「紅の豚」を見た。

この映画を見た男の9割くらいは、本当にカッコいいというのはこう言う事だ。

と思っただろう。

オレも思った。

そして、この映画が第一次世界大戦が終わり、世界恐慌の中、次第にファシズムに傾倒していくイタリアの話だったこともはじめて知った。

(小学生以来、ちゃんと見てなかったもので・・・)そんな、戦争への風刺がこめられた作品だったとは・・・宮崎駿恐るべし・・・といった所か。

それはさておき、ではでは、日本人にとって一番理想的な男がポルコ・ロッソだと仮定したときに、一番理想的な女は誰なんだろう・・・と考えてみる。

ちなみに、オレがこれまでに読んだり、見たりした作品の中だけに限定して考えてみる。

んだら、意外と思い当たる人物がいない事に気がついた。

男ならいる。

たくさん。

好きな奴から、憧れる奴まで、もりくそいる。

でも、女・・・

昔、嫁の友達の彼氏と言う、オレからは10000億光年くらい離れた所にいるうんこ臭い奴が「おいしんぼの栗田さん」と言ってたらしいけど、まぁ、多分、そいつは頭がおかしいんだろう。

あんな計算高い奴が理想なわけがない。

峰不二子みたいなのも嫌だし、しずかちゃんも虫唾が走る。

レベルEのルナなんか、かなり良い感じだけど、いかんせんアウトロー過ぎるし、むげにんの凛みたいな奴もめんどくさい。

弥海砂なんてもっての外だ。

と考えていった時。

見つけたのは、「へうげもの」の「おせん」。

そして、このマンガに出てくる数々の女たち(茶々は除く)。

現状では、ここですごく自分の中では納得がいってる。

やはり、大和撫子に勝る理想的女などいやしない。

結論は出た。

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2011年1月22日 23:10 CAT :

結局、落ち着く所は彼岸島なんだろうが。メス豚が。

今話題の「進撃の巨人」を読んだ。

3巻とは言え、大人買いだ。

絵が下手とか言う人がわんさかいるけど、これは下手なんじゃあないと思う。

確かに、まだまだ改良の余地はあると思うけれども、マンガの画力としては、下手ではないと思う。

マンガを描く。

という作業に、「絵の巧さ」は必要なくて、「マンガを描く巧さ」があるんだから、それでいいじゃないか。

なんせ、吸い込まれるように読んでしまうのだから。

で、内容についてなんだけれども、ここについては、何だか過大評価な部分があるような気がする。

何か、この「ナウシカ」の延長線上にあるようなタイプのマンガなら、もうすでに「暁星記」と言う圧倒的名作が誕生してるわけで、どうしても、「暁星記」に比べて世界観の作りこみが甘いような・・・

あと、展開があまりにも遅い。

一見、スピーディーに展開してるように見えて、1巻後半から3巻まで同じ一日の同じ場所の展開と言うのは・・・これが、最終決戦と言うなら分かるけれども、まだ、序盤の何の複線も回収されてない状態のエピソードだからなぁ~
みたいな感じで、どうしても「暁星記」と比べてしまう。

あと、巨人ではないけれども、人間を食べる絶対的存在との戦いと言う点なら、我らが「彼岸島」があるじゃあないか。

初期の頃の「邪鬼」の描写と、この作品の「巨人」の描写もかなり似てる。

壁の中の世界がどんどん広大になっていって、砂丘が出てきたり、火山が出てきたり、至る所の隠れた集落があったり、崖に囲まれた五重塔が出てきたししないことを願う。

いずれにせよ、ここ最近の新しいマンガとしては素晴らしいパワーを持ったマンガだと思う。

良いんだ。

少年漫画は、テンションで面白ければ、展開が遅かろうが、設定がめちゃくちゃだろうが。

青年マンガで、もう十年に近く連載してて、もうギャグマンガ化した作品だったあるんだから。

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2011年1月11日 1:40 CAT :

肥溜めデザイン工学を学び倒す果てに

ここ最近の面白かったこと。


嫁と初詣に行っておみくじを引いたら、2人とも同じ内容。

一言一句まったく同じおみくじだった。

運命共同体過ぎる一年だと思う。

そして、もう「伊達直人」は飽きた。

一番最初は、結構ほっこりしてたけど、もうこの期に及んでは、今更感しかない。

ネタにする位なら、ちゃんと自分の名前で寄付でもすればいいのにな。

やってる事は、圧倒的に良いことなんだから。

頭の中が、「売れれば良い」に侵されてる事に恐怖を覚える今日この頃。

あんな、法則にさえのっとれば作れるようなうんこデザインばっかり勉強してるもんだから、気がつけば、自分の中にある個性みたいなものがなくなってしまったらどうしよう・・・と、戦々恐々。

デザインなんか、勉強するもんじゃない。

本読んで作ったデザインなんか、意味がない。

デザインは、きっと磨くものだ。

でも、現状では、磨く事よりも学ぶことを強いられている。

だから逃亡しよう。

明日から、嫁と旅立ちます。

アートの街へ。

どうか、探さないでください。

多分、探そうとする奴もいないだろうけど。

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2011年1月10日 1:37 CAT :

「千と千尋の神隠しを見て」 2年梅組 志茂田聾二

と言うわけで、先日放送された「千と千尋の神隠し」を見た。

なんだかんだで、ちゃんと見たのは2回目だったりする。

(これ以降の宮崎作品は1回すらちゃんと見てないけれども・・・)前に見たのは、公開当時、映画館でだったと思う。

家族で・・・帰りの車の中で「意味わかった?」と言う感じの会話に花が咲いたことを覚えている。

そんな感じだから、これまでちゃんと見ていなかった訳だけれども・・・

この作品。

驚くほどクオリティーが高い。

驚くほど面白かった。

こんなに素晴らしい作品だったとは・・・と、ただただ圧倒されてしまった。

確かに、(犯罪を犯してない方の)ロリコン宮崎と揶揄されるだけあって、幼女が恥ずかしい格好で、ひどい目に合わされてしまう。

お風呂屋で、汚い客の背中を流すとか、もう少ししたら、東京では見れなくなってしまうだろう。

裸を連想させる描写もしっかりあるし。

でも、独りよがりだの、何の面白みもないだの好き勝手言ってる奴には、本当にそんな事を言えるほど、見る目があるのか甚だ疑問に思う程、クオリティーが高い。

オレも、高校自分には、意味不明で、「宮崎はもののけ姫までだな」とか言ってたわけで、この年になって、やっと面白さが分かるようになってきた癖に、偉そうに言うアレも無いっちゃ無いけどな。

・・・ただ、面白い。

完全に、子ども向けアニメではないけれども、面白い。

・・・「ねじ式」のパロディーとして。

もう、不思議の世界って・・・「めめ」って書いてたり、「目医者」がいっぱいあったり「ねじ式」の世界観じゃないか。

そう思ってくると、油屋だって完全に「金太郎あめのビル」にしか見えない。

上に住んでるのが、産婦人科の先生なのか、子どもを抱えた魔女なのかの違いだけだ。

下手したら坊の存在も、産婦人科の先生の名残なのかも知れない。

線路の上を歩く描写も、電車の描写も何もかもねじ式だ。

ねじ式じゃないか。

そもそも、お風呂やと言う題材自体、つげ義春が頻繁に使う大好きなネタ。

そう言えば、その中に、お風呂屋で背中を流す女の話もあったような気がしないでもない。

ちなみに、そう思って、「千と千尋の神隠し ねじ式」でググッてみた。

ふ~ん・・・

宮崎駿と対を成す二大アニメ監督の一人押井守が監督したTVアニメ「うる星やつら」にの「決死のアルバイト空間」という話があるらしい。

この話が、「ねじ式」みたいな世界観を持つ不思議空間に迷い込んだ主人公が、「あしゅら湯」と言う「金太郎あめのビル」みたいなお風呂屋で、異空間の変な生き物の背中を流すと言う話。

そっちもついでに見てみた。

こっちの方が、かなり忠実に「ねじ式」をなぞっている上に、赤い服を着た「白」そっくりの少女も出てきたりしてた訳で・・・

もはや、私は感無量なのである。

まぁ、何しか「ねじ式」を一回でも読んだ事があれば、誰でも分かる程に、面白いパロディーだと思う。

「カイジ」と「ジョジョ」を熟読していないと笑えない「ハルシオンランチ」より分かりやすいと思う。

と、今更ながら「千と千尋の神隠し」について書いてみたりした。

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2011年1月2日 1:01 CAT :

はっぴぃえんど~風街ロマン

あけましておめでとうございます。

一年の計は元旦にあり・・・と、月並みに考えて、それをブログにでも書いておこうと思ってたのに、気がつけば、もう2日の1時。

今年は、このような感じで、おそらく、やろうと思ってた事が気がつけば期限が切れてしまっている。

と言う、1年を過ごす事になる。

様な気がする。

多分。

そう考えたとき、何だか世知辛い1年だ。

去年は、あまりにも素晴らしい1年だった。

今年が、去年以上に素晴らしいとは思わないけれども、かと言って、最悪な1年にはならないと信じていたい。

いやまぢで。

年末年始なんて、大掃除して、実家や挨拶回りして、いつものメンバーと酒でも飲んだらもう終わるように出来ているみたいで。

気がつけば、仕事が始まってたりするんだろう。

取り合えず、林くんは、間が悪すぎると思う。

それは多分、ひとえに本当に自分本位に何もかもを進めようとしているからなんだと思う。

そして、それに未だに気がついていない事が問題なんだと思う。

誰か言ってやれよ。

と思いつつ、毎年、毎回、皆して言ってるのにずっとそのままな訳なんだから、もうしょうがないか。

まぁ、その話は今は関係ない。

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2010年12月30日 20:54 CAT :

今、再びの夢の時間へと

くろすけ宛てに、コメントを返そうかと思ったら、スパム判定された。

オレのブログで、オレがコメントに返信したのに、スパム判定された。

しょうがないから、部分的に削除して、不完全な状態でコメントに残した。

無念極まりないので、ここに本来の姿で載せておこう。

(↓)
—こっから—
開通おめでとうございます。

世の中、開通と言えば、まんこ開通(処女喪失とも言う)かネット開通しかありませんものね。

また手紙とか、楽しみにしております。

まぁ、記事なんて大して意味ないから、流してくれて大丈夫。

—ここまで—-
世の中、理不尽なことばかりだ。

さてさて。

やっとこさ、仕事納めだ。

明日から、正月休みだ。

今日、アイツやアイツは、忘年会らしき事をしてるらしい。

俺が仕事してると言うのに・・・林め・・・

で、今年1年でも振り返ってみるか。

製作物の面から見ると、何だか、WEBデザイナーみたいな仕事をしてる分、一年中もの作りしてたような気がするけど、あんなもの、オレの感覚などほぼ入ってないから、除外だ。

除外。

そうしてみると・・・(↓)
○アルバム「ぬるま湯がりくそん」の収録曲
○アルバム「影の上のボーニョ」の収録曲
○アルバム「Do Get The Star」用の新曲2曲(「建墓記念の夜に」「黄泉」)
○マンガ「君の死ぬ時間」
○マンガ「US」80ページ
○マンガ「夜誘う麦藁帽子」のネーム案
○絵本「幸せさん紀行」半分くらい
・・・あと、結婚式用のスライドショーを3本製作したか?
まぁ、そんな多くないか。

ただ、今年は、そんな中でも、かなり頑張った部分として、結婚式の披露宴だ。

嫁と2人でとは言え、あれはかなり力を注いだと思う。

今年の前半、ほとんど何にももの作り出来なかったのも、式の準備に時間を費やしてたからだし。

式場、内容、BGM、引き出物全てについて、ほぼ思い通り、あんまり妥協しなかったように思う。

不満な部分は、自分で全部作ったし。

今年も、十分クリエイティブな1年だった事にしよう。

と言う事で、何と言っても今年最大の出来事は結婚した事だろう。

凄く良い住処を見つけ、そこで、嫁と過ごしてる。

仕事は大変だけれども、それでも、これまでにない何だか充実した毎日を送ってるような気がしてる。

オレが、こんな事になるとは、はたして生涯童貞だと信じ込んでいた高校生自分のオレに想像できただろうか・・・童貞を捨てるどころか、結婚までしてしまったぞ。

・・・と。

この話をし始めると、原稿用紙2億枚くらい使いそうなので、ある程度で抑えておくけど。

そもそも、その後に言った沖縄の新婚旅行だって、今思い出してもニヤニヤしてしまうほど、最高に楽しかったんだし・・・ウダウダウダウダウダウダウダウダ・・・で、ここまでだ。

あと・・・

小説が新人賞の優秀賞に入選したのも、ちょっとビックリしたよなぁ~。

「夢喰いバクヲ」が。

その後書いた「中央悲劇閲覧センター」とか「夜景情景スカトロジスト」も編集のおっちゃんに褒められたんだけど、そこまでだった。

どうしても小説を書きたいモチベーションにならなくて、挙句、自然消滅だ。

もう、今やどうなったのか・・・結局、単行本とか出すまでには至らなかったなぁ~。

まぁ、面白い体験だったけど。

あと・・・

犬神サーカス団のワンマン参戦も最高に良かった。

あんなに楽しいライブは生まれて初めて。

レコ発なのに、アルバムが発売延期と言う糞ふざけた状況の中、それでもお構いなしに、がんがん聴いた事もない新曲演られても、死ぬほど楽しかった。

年一で良いから、香川に来て欲しいと心底思う。

とまぁ、まだまだいっぱい書きたい事はあるものの、一つ一つが濃すぎてキリがない上に、うんこに行きたくなってきたので、この辺でやめておこう。

何しか、生まれて27年の中で一番濃い、そして、色んな経験が出来た1年だったように思う。

もうひとつ言えば、幸せな1年だったようにも思う。

(部分的に、驚くほど病んでた時期もあるけれども)
そして、来年も現状が続けばなぁ~
そう思いつつ、年は明けていく。

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2010年12月29日 20:23 CAT :

アメリカ 呪われた夢

中出し大好き辻ちゃんの新しい愛の結晶の名前・・・「青空」だそうですね。

この夏に作ったアルバム「影の上のボーニョ」に収録された「小児麻痺と青空の世界」と言う曲がある。

と言うか、正確にはそんな曲を書いた。

先天性の小児麻痺ながらも、戦争に駆り出され、誰にも知られずに死んでいく青空と言う少年を歌った曲。

アルバム収録曲の中では、かなり好きな方の曲だけれども・・・なぜ、青空かと言うと、ここがあまりにもありそうな名前だと、そこはそれ、障害をネタにしてるだけに、少々自粛したわけで。

言ってみれば、ドキュン過ぎる事もなく、かと言って、普通にものを考える頭が少しでもあれば、つける事に躊躇するだろう微妙なニュアンスで、しかも、オレが個人的にいい感じだと思う名前。

それが「青空」。

歌詞を書き終えた時には、良い感じの名前だと思ってたのに・・・

普通に、子どもにこの名前を付ける奴がいやがった。

さすが、臨月にサンタビキニのコスプレ写真を公開する人は違うな。

しかも、読みが「あおぞら」じゃなくて「せいあ」な所がすばらしい。

ヒロコは「一世風靡セピアか」と言ってたけど、オレももうそうとしか思えなくなってしまった。

「青空」と書いて「あおぞら」と読むから良いのであって、「青空」と書いて「せいあ」と読んだ瞬間から柳葉敏郎が脳裏をよぎるのだよ。

ここで「太郎」とかだったら、物凄く辻ちゃんファンになるのになぁ~
と、ふと思ったことを・・・

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2010年12月28日 22:17 CAT :

立ち上がれ壊れた価値の中

ブログとか・・・

好き勝手書くことで、何だかいろんな人に発信できると言うことが、すごく楽しかった。

ここで、思うが侭にぶちまけて、それを色んな奴が見て・・・それは、5~7年位前の話だろうか?
結局のところ、行き着く所は、飽和状態になって、1億総ブログ書きみたいになってしまった。

そうなってしまうと、何だかつまらない。

誰でも出来る。

と言う事象が行き過ぎると死ぬほど、つまらなくなる。

今や世の中には、匿名のまま、どや顔で物事を批評するブログが溢れかえってしまったり。

批判する方向も何だか画一的で、飛びぬけて面白い話だってありはしない。

そうやって気がつけば、昔、思うが侭にぶちまけてた奴らは、そのほとんどが、ブログなんてやめてしまった。

オレがこのブログを始めた頃、毎日のように更新してたアイツもコイツも誰も、もうブログなんてやってやしない。

やめた奴が正解。

ここ1年位で、新しく始めた奴は多分、うんこ臭い。

でも、まぁ、オレはここでツラツラと書いてると思う。

出来たら、10年後も。

「ブログ?昔はやったなぁ~」とか、「ぶ・・ろぐ?聞いたことない。」みたいな奴ばかりになっても、まだツラツラと書いていたい。

そうやって、初めて意味が出てくると思うんだけれども。

そこまで続けることが出来ればそれはきっと、マイミク100人よりすごいことだと思うんだけれども。

何だか、MIXIでニュースとかをネタに書いてるブログ見てたら、鳥肌が立つのはオレだけか?
ニュースネタとかにリンクはって、右に倣えとツラツラとその記事をなぞって、それが、そのまま何になると言うんだろう。

1年後に、その記事を見直したとして、何かしらの感慨でも感じるのだろうか?その記事には、きっと、自分の中にある感情なんて、大して入り込んでやいないのに・・・

もう少し、自分の頭の中にあるものをひり出さないとバカになる。

twitterやってら、文章能力が極限まで低下する。

140文字で満足する程度の感情なら、押し殺せ。

生ゴミが!!
何かを、ひりだし続けたい。

ひり出す時間が欲しい・・・

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2010年12月27日 21:55 CAT :

嘘吐きロンリーウルフ「ジャック=デマ」

夢を買うのだ。

夢を買うのだ。

夢を買うのだ。

嫁と2人して、宝くじに当たる夢を見た。

しかも、組番が74と75組と不思議に一致してたり・・・

と言う事で、買ってみた。

連番で買おうかと思ったけど、74と75組の連番がなかった。

しゃあなしで、バラを10枚ほど・・・んだら、そのバラの中にしっかりと74と75組が入ってた。

夢を買うのだ。

夢を買うのだ。

夢を買うのだ。

to be continude…

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2010年12月26日 21:56 CAT :

フランチェンは死ぬほどおもんなかったのに・・・

きっと一年で一番楽しみにしてるとか言っても、そんなに過言じゃないM-1グランプリ。

今年で終わっちゃったか・・・

もう、お笑い番組がなくなってしまったなぁ~。

と、少し無念に思う。

今年は、もう多分至る所で同じことになってるだろうけど、スリムクラブだ。

もう、それ以上でも、それ以下でもない。

2008年のモンスターエンジン以来の物凄い爆笑が・・・思い出しただけでも、ニヤニヤしてしまう。

「左手の指全部折ります」
「この世で一番強いのは、放射能です」
「民主党の人ですか」
・・・うぬぬぬ・・・

ただまぁ、笑い飯の優勝、2本目のネタが面白くない事に関しては、最初から分かってた事だからどうでも良いとして、パンクブーブーの2本目のネタは・・・

どうせ、笑い飯が優勝するんだから、やる気も大してなかったんだろうか。

何しか、今年も、この年最高に笑ったような気がする。

で、あとは、30日まで続くお仕事をがんばれば・・・あっという間に2011年か・・・

今年の総括ももう少ししたらやってみよう。

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2010年12月23日 19:53 CAT :

何も考えずにただ死ぬ事が出来たとしても、そこに残る感情だけはいつまでも消し去ることは出来やしない

新作アルバム「Do Get The Star」。

今回は、ちと昔々に作った曲を自己満足満載でセルフカバーだ。

籠の鳥だ。

とそんな感じで意気込んでみたりしている。

つまりは、これまでに作った曲を改めてじっくりと時間をかけて作り直すという作業。

一気に作り上げてしまいたいと言う衝動を昔から抱いているもので、言ってみれば「作り捨て」見たいな状況のまま、次へ次へと進んできた。

けれども、はたと振り返ってみれば、そこはそれ、意外と良い奴もいたのではなかったか・・・と言う。

新しい形のナルチシズム。

ちょうど、最近ネタ切れ気味だったし。

して、どの曲をやろうかなぁ~と、悶々と考えてた。

自信作と言えば「果て.1」「ジャム地獄ジャム」「覚え書き」「アイエルマ」「白い世界」「ひと時の暗がり」「悲しみを具現化できる世界」「「さよなら」とだけ呟いて 意のままにあなたを殺します」辺りだろうか・・・

作るのに苦労したと言えば「Don’t 永眠ファラオ」「子守られの唄」「カニバリズム マゾヒスト」「蛇女外道節」「ふーふー」「嘘つきロンリーウルフ ジャック=デマ」辺りだろうか・・・

勢いだけで作ってしまったと言えば「花々木々」「遊星屠殺ワンダー」「レイ=プレイ」「中央悲劇閲覧センター」辺りだろうか・・・

無かった事になってると言えば「夢想代理人」「偶発的導入.1」「スクエア」「ミルキーウェイとジェイリーロック」辺りだろうか・・・

何とかしたいなぁ~と思ってると言えば「るりゑ」「このゆびとまれ」「彼岸からの恋文」「レイ=プレイPart2」辺りだろうか・・・

で、結局、何をどう作り直すんだろう・・・確定的要素もないまま、年明けから、不定期に製作に入ろう。

「ビバ!アメリカ」を聴きながら・・・パクリながら・・・

現状は、体調不良ですよ。

ふえ~~

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2010年12月21日 19:19 CAT :

むさぼる褥、惰眠とともに

思うことがある。

最近、チョッと見かけたとある記事の話。

(ちなみ、MIXI経由で見に来ても、アホMIXI側の怠慢で、多分飛べないと思うので・・・悪しからず。)

ただし、内容は結構グロを含むので、そこの所が無理なヤツは見なければ良いと思う。


で、この記事を見たとき、素直に、中国の貧困層に対して同情したかと言うと、そこはそうでもない。

可哀想だとは、思っても、そこはそれ、国をあげて頭の悪いあの国に対して、もうそんな事思えるはずもない。

あぁそう…位のもんだ。

ただ、例えば、自分の親い人が、頭皮が腐り落ち、頭蓋骨がなくなり、脳組織が露出、壊死して、機能不全となり、悪臭を放ちながらそれでも生きていたとしたら・・・

そんな事ばかりが頭をよぎる。

そうなった時、もう死んでしまって欲しいと願うのか、それでも少しでも長く生きていて欲しいと願うのか。

自分がこの立場になった時、早く殺して欲しいと願うのか、それとも少しでも長く生きようともがくのか。

いずれにせよ、それは圧倒的懇願。

生きている事、生きていてくれる事が当たり前にあるこの生活の中において、ふと昔、本気で死のうとしていた時、生まれてきた事を後悔した時、何かしら命を壊してしまいたかった時の心持を何だか、思い出してしまった。

と言う事実。

皆既月食の夜に綴る。

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2010年12月19日 12:10 CAT :

サイトウ シノブ

ひょんな事から、明兄さんの本名とか知ってしまった。

「サイトウ シノブ」さんだそうで。

(間違ってたらごめんなさい)犬神サーカス団の前に、本名で参加していたバンドのアルバムがこのたび復刻されたそうで。

聴いてみたいような、あんまり興味ないような。

・・・基本的にどうでも良いか。

と言う事で、犬神サーカス団の「ビバ!アメリカ」の感想でも。

M1.メメントモリ
1曲目にふさわしいノリノリのナンバー。

そう言えば、ワンマンの時もコレが1曲目だったな。

コールアンドレスポンスをしっかり練りこんでる、完全にライブを意識した楽曲だ。

空、海、焔、宇宙、現在、SEX、ロック・・・?う~ん。

基準が分からぬ。

M2.DEAD END KIDS
今回のアルバムの先行シングル。

最初聞いたときは「???」が多かったけれども、アルバムとして(と言うか、メメントモリからの流れで聴くと)凄く良い曲だと思う。

これも、ワンマンの時、2曲目にやってたし。

流れを意識して作った楽曲をシングルカットしてしまったから、あんな事になってしまったんだろう。

これも、ライブでは、最高にノリノリのナンバー
M3.ビバ!アメリカ
今回のアルバムの表題曲。

アメリカでライブをした上で、どれだけアメリカに媚びてしまったのかと思ったら、ビックリする位、風刺が効いてた。

昨日見た、「26世紀青年」に近い感覚を感じる。

しかも、曲調は全然アメリカらしくない、Jロックな感じ。

こんな曲こそ、犬神サーカス団だと思う。

ニヤニヤしてしまう。

M4.華麗に舞え!
最初タイトルを見た時は「?」がいっぱいだったけど、犬神サーカス団とは思えないストレートなメッセージソング。

何か、最近の現状とバッティングしてしまって、聴いてたら泣いてしまう。

素晴らしい名曲だと思う。

うぬぬぬ・・・

M5.制約
今回のアルバムにおける「バラード」のひとつ。

どちらかと言えば「Angelique」の楽曲と言うイメージがある。

と言うか、もう、本人達もあんまり区別が付かなくなってきてるのかと・・・歌詞自体は、犬神っぽいんだけれども。

M6.慈愛
「犬神サーカス団はバラードも素晴らしいの」と言う、ワンマンの時の凶子さんのMCを思い出してしまう・・・本アルバムのもうひとつの3拍子「バラード」。

いつもの「アコギで始まって、途中でギューン」な構成ではなく、かといって、「廃墟の街」の焼きまわしのような3拍子でもない。

・・・と思ったら、作曲が情次兄さんだった。

新しい犬神サーカス団のバラードの形態だ。

M7.犬死に
どうしても、スターリン(特に「STOP JAP」辺り)を髣髴とさせてしまう。

マァ、本人達もスターリンのトリビュートで、カバーしてたしなぁ。

メッチャカッコ良いパンクだと思う。

なのに、タムを多用した明のドラムが犬神らしいという感じ。

どちらかと言えば「蛇神姫」辺りに収録されてそうな名曲だ。

M8.ニュークリーチャー
来年辺りアメリカでB級映画として発表されそうな物語。

コレまでに無いけれども、なぜか体に染み込んでいるような不思議な感覚を味あわせてくれる犬神サーカス団ならではのメロディーライン。

初めて「暗黒残酷劇場」を聴いた時の感覚に凄く近いな。

M9.狂った世界
何だ?うまく言え無いけど、大体犬神サーカス団のフルアルバムでは、大体8~9曲目に入ってるだろう、どうしたら良いのか良く分からない曲。

らしいと言えば、らしい曲。

「太陽を待ってる」とか「ハイエナ」とかあの辺りと近いものを感じるような。

M10.CRAZY CAT LADY
「殺したい女」の続編のような作品。

ただし、「殺したい女」は、その女本人に焦点を当ててたけど、今作では、その殺したい女を横目に眺めながら猫と暮らす人見知りの女に焦点を当ててる感じ(だと思う。)孤独な女はなぜか、最終的に猫を飼い始める。

・・・と言う。

実際、50近い独身の女って、犬か猫を飼ってるイメージがあるよなぁ~
M11.幼女人形
今回のアルバムでも、ピカイチにカッコいい曲。

内容自体は、絶対メジャーシーンでは(と言うか、もう少ししたら、基本的に発売禁止になるかもしれない)幼女への暴行。

何か、「瓶詰めの幼女」に近いものを感じてしまい(こっちは近親相姦まで絡んでるけれども)何だか、嬉しかったりする。

「この世に生まれる前にコレを知っていたなら、へその緒首に巻きつけそのまま死んでいたのに」と言う発想・・・天才か。

M12.生霊
「いけすだま」と読む。

ワンマンで聴いた時から、「この曲はヤバイぞ」と思ってたけど、間違いなく、このアルバムで一番好きな曲。

ノリノリなだけではない、犬神サーカス団にしか出来ない圧倒的な名曲。

歌詞も、メロディーラインも編曲も何もかも文句が無い。

こんな曲をオレは聴きたかったんだ。

ただ、ありがとうと言うばかりの日々。

M13.腐敗
「犬死に」以上に、昔の犬神サーカス団の臭いがする。

ノリとしては、「ガム」とか「寄生虫」みたいな感じ何だけれども、歌詞は、さらにそれ以前(と言うか、「ご霊前」のころ?)の感じ。

聴いてて気分が悪くなる。

今となって、まだこの曲が出てくるという事の素晴らしさときたら・・・

M14.死者の唄
重く重く深く沈みこんでいく、悲哀に満ちた曲。

「兄の病の特効薬は死臭漂う血の池地獄のような人肉スープの形而上学」に通じるものがあるような、そんな感想を持った。

このアルバムに、この曲が収録されていると言う事実が、15年以上実力を磨いてきたバンドの圧倒的な力なのだろう。

M15.幽霊奇譚
まさに、犬神サーカス団の真骨頂。

「人面疔」を思い出すような、どこか懐かしく、昭和テイスト全開の名曲。

実際に、以前の楽曲の中で聞いたことあるような気がすると言う話は、今は伏せておく。

全体として、聴きやすく、ノリノリナンバーが多いのに、要所要所でしっかりと絶望に突き落としてくれる名盤。

思うに、「籠の鳥」を経る事で、コレまでの方向性に、かつてのセンスが絶妙に混ざり合い、奇跡的な化学反応を起こしたんだろう。

「スケ番ロック」の頃の聞きやすさと、「御霊前」の頃の絶望感と、最近のアルバムの最高に中和された作曲、編曲能力が全て結集した名盤。

個人的には、キンメダイレコード以降では、最高の作品だと思う。

(「地獄の子守唄」にはさすがに遠く及ばないものの・・・)
今度、「Do Get The Star」が完成するまでは、コレ一本でもいけるような気がするな。

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2010年12月19日 2:47 CAT :

いけいけ綾南!ポセポセ綾南!

何とか1週間を生き延びた。

様な感じ。

毎日、通勤の車中では「華麗に舞え」を聴いて「振り向くな目を背けるな 真実は今だけさ」と言い聞かせながら、気が付けば、土曜日だった。

最近、気晴らしと脳の活性化を図ると言う適当な名目で、映画をチョクチョク見ていたりする。

「バタリアン」を見て、改めてB級映画の素晴らしさを実感し、「さとうきび畑の唄」を見て、目が腫れるほど泣き散らし、「フォットショット」を見て、口角が吊り上がる様に笑い転げた。

んで、今日は、「本格未来進化映画 26世紀青年」を見た。

イメージとしては、「20世紀少年」のパロディーで、ケラケラと笑っておしまいかと思いきや、コレがなかなかどうしてしっかりとしたストーリーと、演出、世界観を構築していた。

もちろん、B級映画ではあるけれども。

ちょうど、つい最近読んで、色んな意味で絶望した「ポセイドン学園」を世界規模にしたような世界観。

頭の良い人間が子どもを1人作るうちに、バカが犬やネコみたいにポコポコ子どもを作っていくせいで、頭の良い人間が、バカに淘汰されてしまった世界で、現代の人間が立ち回ると言う、素敵な設定ながら、実は有り得ない事も無いような結構シビアな世界観。

(実際、日本でもその蛍光が見えてきてたりするし・・・)
基本的に、足し算すらままならない癖に、下ネタになると尋常じゃなくテンションが上がる人間像がまるでどこかで見た事があるような、凄まじいリアリティがある。

何か、倒れかけたビルを紐で縛ってたり、黒人レスラー崩れがアメリカ大統領だったり、医者がモヒカンだったりととにかく要所要所が異常にオレのツボにフィットしてくれる感じ。

ゲラゲラと笑いつつ、それで居て最後まで真剣に見てしまった。

驚くほどに、細部まで作りこまれた世界観と恐ろしく薄っぺらい設定が、まさにB級映画の真骨頂と言ったところか。

ちなみに、「26世紀青年」と言うタイトルは、あくまでも邦題で「Ideocracy(イデオクラシー)」と言うのが本来のタイトルらしい。

イデオロギーとデモクラシーの造語だろうな。

「20世紀少年」の未来像といろんな面でバッティングしてる。

しかも、こっちの方が先に製作されていた分、「浦沢が露骨にぱくって来るんなら、それをこっちだってネタにして、おまんま食ってやろうじゃないか!」と言う製作サイド(またはマーケティングサイド)の意気込みから、こんな邦題になっちゃったんだと思う。

何しか、かなりクオリティーの高いB級映画には違いないと思う。

ただ、笑えるかどうかは人それぞれだろうなぁ~・・・

WWEのプロレスを純粋に楽しめるヤツには最適な作品だろうて。

明日は、休みだぁ!!

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2010年12月13日 0:50 CAT :

ビバ!アメリカ

犬神サーカス団のニューアルバム。

(と言うか、4年ぶりのフルアルバム)「ビバ!アメリカ」が遂に。

遂に、手元にやってきた。

今日(12日)の夜9時過ぎに・・・

本当なら、今日、アホみたいに聴きまくってやろうと思ってたのに、こんな時間に来やがったら1回全部通してさえ聴けないじゃあないか。

明日から、また長い1週間が始まるんだぞ。

・・・といいつつ、聴いてみた。

このアルバムは、凄い。

ココ最近では、最高傑作だっただろう「夜行列車極楽行き」を遥かにしのぐクオリティー。

って言うか、やっぱりフルアルバムは良いなぁ~凄く聴き終わったあとの感覚も最高。

凄い。

凄い。

あぁ~このアルバムを聴いてから、あのライブへ参戦していたらと思うと、この怒りを一体誰にぶつければ良いのやら・・・

何はともあれ、凄いアルバムだ。

コレは。

犬神らしい曲も、メッチャカッコいい曲も、キレイなバラードも、「明が作ったんだろうなぁ~」と言う曲も、犬神だから許される曲も満載。

大満足のアルバム。

そろそろネタ切れ感が出てきただろう・・・と、この前弟と話してたけど、まだまだ大丈夫だと思う。

もっと、凄い世界を見せてくれるような気がする。

そんな、名盤。

詳しい感想はそのうち、1曲ずつででも書く事だろう。

多分。

来週の日曜位に。

多分。

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2010年12月12日 22:31 CAT :

ニュークリーチャー

実は、少しだけ新しい動きが始まりかけている。

そう考えた時、少しだけ、前向きになって、何だか、ワクワクしてくる。

結局のところ、自分の力を何かに使おうと思った時、自分のためにしか使えないと言う話。

売れる事だけを目的とした、ウェブページを作ると言う事に、個性は要らないわけで、ある程度の技術と、普遍的な法則を真似れば、それでこの世の中では許されるのだろう。

特別な技術もセンスも個性も必要ないと切り捨てられた。

それに、どれだけ傷ついたかなんか、キッと誰も分かりはしないんだろう。

大切なのは、数字だ。

結果だ。

お金だ。

それは、生きていくならば、永遠に受け入れ続けなければいけない事実。

もう、個性なんか殺しても良い。

でも、なくなってしまうのは怖いわけで、それを発揮できる場所が見えてきた事に、何だかワクワクとしてしまう。

・・・と言う。

時間は逆に戻る事は無く、止まる事も無い。

別件で、コレまでに作り上げた色々をどこかへ・・・誰かへ・・・見てもらおうと言う方向にも動こうとしている。

取り合えず、今の状況が少しでも落ち着いたら・・・

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2010年12月12日 0:17 CAT :

能無しどもの理想郷

長い時間の後には、短い時間が流れ、そうして、また長い時間が始まる。

繰り返しは、いつ終わるともなく続いていく。

いつか来る変革の時は、もう目の前かもしれない。

と思いつつも、繰り返しを甘んじて受け入れる感覚。

変革の時は近い・・・?神の犬だったっけ?
M-1グランプリが、今年で最後らしい。

確かに、年末の風物詩化してきてはいるものの、少々、飽きられている感もあるわけで、かくし芸大会みたいに、もう誰も興味なくなってから、ひっそりと終わるよりは、今スパッと辞めた方が、伝説の番組となるんだろう。

英断と言うヤツだろうか。

そんなんじゃなくて、もっと俗っぽい理由のような気がしないでもないけれども。

セックスすれば、それで救われるような気持ちに少しだけなれると言う。

気持ち良いと言うよりは、自分以外の命と繋がる事への喜びとかそんな感じ。

生きている感じがしない時に起こる事象。

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2010年12月6日 0:26 CAT :

断崖絶壁の斜面を覗き見る時

あと、ひとつ。

もう、何かどっかへ逝ってしまいたいという思いから「ピンク・フロイド」の「狂気」を借りてみる事にした。

アメリカのチャートに15年間連続(700週以上)連続でチャートインし、カタログチャートでは25年以上(1500週以上)チャートインしていると言う、取り合えず0が2~3個違う、モンスターアルバム。

評価的にも、世界の5本の指に入る傑作(その中のひとつは「クリムゾン・キングの宮殿」だろうけど)と言う、素晴らしい作品。

と言うわけで聴いてみた。

・・・?
残念ながら「クリムゾン・キングの宮殿」(特に「21世紀の精神異常者」)を初めて聴いたときの感動には程遠い感じ。

とは言え、世界最高のするめアルバムとの声も多く、簡単に評価など出来るはずもない。

もう少し聞いてみよう。

犬神サーカス団の新譜発売まで、あと3日。

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2010年12月5日 23:20 CAT :

朽ち果てた体に宿るのは・・・

今日は、少々ネタバレを含む・・・と思う。

別に良いなら、それで良いけど。

何もかも忘れて泣いてしまいたい。

そんな気分になった今日なので、一思いに、楽しかった沖縄を懐古しながら「さとうきび畑の唄」をレンタルしてきて見る事にした。

ちなみに、嫁は、乗り気じゃなかったので、独りで見る事に。

それでも、何だか、馬鹿みたいに泣いてしまいたかった今日があったりする。

新婚旅行からこっち。

ひたすらに、沖縄が好きになった。

それは、楽しかった事もあるだろうけれども、特に、あの空気がどこまでも気持ちよかった。

・・・様に思う。

(多少美化されてはいるだろうけど。)
見た。

後半1時間くらいは、もうなんと言うか、泣きっぱなしだった。

正直、こんなにグチャグチャになるとは思わなかった。

前に、1回見た事あるのだけれども、その時はこんなに泣いたりしなかったのに・・・多分、物語などで泣いた中では、過去最高に号泣した・・・様な気がする。

初めて見た時と違う事は、「沖縄」に何度か訪れ、あの場所が好きになった事、結婚した事、植物を育て始めた事辺りが挙げられるだろうか。

もう、幸せな家族が、戦争によってバラバラになっていく。

と言うだけでも、絶えられない。

さんま扮する主人公が、焼け爛れた自分の家の前で崩れ落ちて、「もう一回で良いから皆とあいたいな~」と呟くシーン。

「お国のために死ぬ」と言う子どもに対してただただ「死んだらダメなんです。」と繰り返すシーン。

「みんなの笑顔が好きなんです。」と周りを笑わせるシーン。

思い出しただけでも、泣いてしまう。

今、リアルにディスプレイが歪んでいる。

あと、前は分からなかったけれども、戦車が通る事で倒されるバナナの木や、クワズイモ。

爆撃で焼け爛れるハイビスカスやガジュマル。

オレの大好きな、植物達がどんどんと死んでいく。

あの子達の大きさも、リアルにあの沖縄の感じそのものな訳で(当たり前だけれども)、あの楽しかった空間で起こった事を想像すると、もう一度、涙は止まらない。

いつまでも、何度も、何度も、泣いてしまった。

さんまなのに泣いてしまった。

創価と噂の上戸彩なのに泣いてしまった。

最近何かに取り付かれてる感のあるオダギリジョーなのに泣いてしまった。

伝説的大根役者の仲間由紀恵なのに泣いてしまった。

黒木瞳は相変わらず素晴らしい役者さんだと思いつつ泣いてしまった。

今、思い出しても、泣いてしまう。

そうやって、少しだけ、明日からも生きていく事にした。

死んだらダメなんです。

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