- 2014年9月29日 10:43 CAT :
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アトピー皮膚炎患者が色々試してみた結果良かった事をツラツラと
アトピー皮膚炎患者です。
最近は、脱界面活性剤とステロイドのお陰でずいぶん調子が良くなったけど、それでも、チョッとした事から、また、枕とか布団を血まみれにして、パソコンのキーボードを逆さにすると剥がれ落ちた皮膚がふって来る、指を曲げるのも苦痛な日々に戻るのではないかと、震えてたりする。
昔から、「手が汚れてしまえば洗えば良い」とよく言われるけど、それは、手を洗っても大丈夫なヤツの話であって、そうそう気楽に手を洗えるもんじゃないんだよ。
オレは。
良くて水まで。
石鹸で洗うとか、日に何回も出来るわけが無い。
かと言って、安物の軍手なんか使えば、その軍手のせいで、手がボロボロになる。
そんな程度の、極弱肌とアトピー持ちの志茂田さんが、如何にして回復したか。
たまには、そんな為になるお話でも加工じゃないかと思った次第ですよ。
ただし、これについては、あくまでも、オレは治った。
と言うだけで、医学的な話じゃあない。
治らなくても知ったことではないので悪しからず。
取りあえず基本。
シンデレラタイムに寝る。
シンデレラタイムは大体、夜の10時~深夜2時くらいの間。
とは言え、これは別に重要な事じゃあないので、寝れなくても気にしない。
出来れば、寝る。
位に考えてた方が良い。
寝れなくて、イライラする方がよっぽどアトピーには悪い。
ストレスがたまると、掻きみしりたくなるんだよね。
次、食生活。
食べ物は、基本的に何でも良いと思う。
むしろ、ストレスがたまらない様に、欲しいものをお腹いっぱい食べて満足する事が大切。
で、ここからがオレの場合重要だったんだけど・・・
とにかく、界面活性剤からアトピー患部をひたすら守る。
界面活性剤については、ここでは割愛するけど、取りあえず、成分に「ラウリル硫酸」と書かれているものは全て排除した方がいいと思う。
コイツが、ホントに曲者。
と言うか、肌へのダメージがでかいような気がする。
と言うか、そもそも、洗わないのが、一番良い。
顔も、頭も洗わない。
洗っても、1日1回。
それも、水(お湯)洗い。
シャンプーも、洗顔石鹸も使わない。
洗った後は、何らかの方法で保湿する。
ちなみに、この水洗い。
アトピーに関係なく、肌や頭皮、髪の毛にいいらしい。
アトピーってのは、異常に敏感な肌の延長線上にあると思ってるので、アトピー患者にダメージがあるmのは大体、本来悪いもので、使わないに越した事は無い。
・・・多分ね。
あとは、そもそも、極力汚さない。
これを守っていけば、意外と早く回復すると思う。
最後に、ステロイドについて。
世の中は、どちらかと言うと、脱ステの方に向かってる・・・らしい。
ステロイドと言うだけで、何にも知らないくせに拒否反応を出すアホも沢山居る。
でも、ステロイド自体は、使い方を間違わなければ、比較的ちゃんと治癒できる薬だと思ってる。
問題なのは、使い方を間違うと、取り返しのつかないことになる。
と言う事で、それは、世の中にある薬のほとんどに言える。
アトピーってのは、肌がきれいになっても、肌の奥で治ってない場合が多く、病院とかで処方されるなら、その分量を全て使い切るまでは、肌がきれいになっても塗り続けた方が良い。
でも、肌がチョッとキレイになったら「ステロイドは、塗りすぎるとアレだから」とか言いながら、塗るのを止めてしまう。
そしたら、またアトピーが表に出てくる。
そしたら、また、チョッとだけステロイドを塗る。
これを繰り返してたら、利かなくなってしまい、どんどん強い薬を。
そして、それさえも利かなくなり、アトピーがエライ事になる。
結果、ステロイドって薬怖いわ~になってるような気がする。
取りあえず、頻度は減らしても塗り続けて、無くなったら塗るのをやめる。
これを守るだけでも、劇的にアトピーは改善すると思うよ。
実際、オレは、手と体と顔と唇に、4種類のステロイドを塗り続けてたけど、段々回復してきた。
今は、口はステロイドじゃなくワセリンで保湿。
顔と手は、以前よりかなり弱いステロイド。
体は、ほぼ完治。
した。
物凄いボロボロの肌になって、痒くて痒くて辛そうなのに、聞くと「ステロイドは塗ってないの」と言う人もいる。
それに対して、オレは、別に何も言わないけど、使ってみればいいのに。
今よりは、悪化しないって。
オレ、アナタよりもっと酷かったよ。
って、たいていの場合にはこっそり思ってるんだけどな。
ただひとつ。
世の中には、患者の事をホントに考えてないクズ医者も居て、初期のアトピーなのに、ベリーハードの一番強いステロイドを出してくるヤツも居る。
実際にいた。
それを塗れば、確かに治りは早いけど、それは、上に書いた間違った使い方の部類だと思う。
医者の当たり外れはしょうがない。
でも、実際に、出された薬が、どの位強い薬なのか、知っておく必要はあると思う。
今はネットで調べ放題なんだから。
それで、初めて病院に行ったのに、いきなり一番強い薬を出されてたりしたら、別の病院を受診した方が良い可能性が高い。
(まぁ、症状にもよるけども。)
オレは、それで、治療として、いきなり手にアホみたいにベタベタに一番強い薬を何の説明もなしに塗りたくられて、その後も、一番強いステロイドを山のようにくれて、それ以外にも、かゆみ止めのきついのを出された上に、胃に負担がかかるからって、胃薬も沢山出されて、薬代だけで(保険ありで)5000円くらい取られた事もある。あの病院には、二度と行ってない。
そんな事もあるので、アトピーの場合には、絶対セカンドオピニオンをお忘れなく。
あと、ストレスの無いのんべんだらりんとした日々の生活を・・・(これが一番難しいけれども。)
以上!!
たまには、チョッと役に立つ・・・かも知れないお話でした!!
じゃあの。 - この記事を見てみる ⇒
「気分」カテゴリーアーカイブ
- 2014年9月27日 11:46 CAT :
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旅先には、かさばる事のないタブレットを
先日、オレが読んだ「エピック~」もそうだけど、最近、ホント「コンテンツマーケティング」と言う言葉を耳にする。
日本最大手のコンサル会社「船井総研」でも「コンテンツマーケティング」がどうたらこうたら言ってる位、コンサルと言えば「コンテンツマーケティング」。
本屋に行けば「コンテンツマーケティング」。
テレビでも「時代は、SNS。
コンテンツマーケティング」。
と・・・何か、このひとつ流行ったら右へ倣え。
は、日本の文化なんだろうけどにしても、ホントよく聴く様になったと思う。
前にも書いたけど、「コンテンツマーケティング」って、めっちゃ簡単に言うと「関係ないけど、面白いコンテンツで客を引っ張ってきて、売りつけて儲けろ」と言うもの。
ひいては、どちらかと言えば、マイナーだった「ランチェスター戦略」のひとつと言う認識でもいいと思う。
ただ、これ・・・
今更、こんな事言ってるけど、日本って、昔からそうだったような気がしてならない。
昔の地域密着型の小さなお店。
商店街に対するオレの勝手なイメージだけど、お客さんと仲良い感じがする。
それこそ、商売とは関係ないところでも繋がってて、だからこそ、何かを買うときに「○○さんとこで買おう」ってなってたような・・・
そんな当たり前が、高度経済成長と欧米文化の流入で右も左もお金だけで繋がるドライな関係になり、消えていった。
それだけの事なんじゃないのか・・・?
かつて当たり前だった事を、何となく「コンテンツマーケティング」とか名前をつけて、お金になるようにしてるだけの話。だと。
まぁ、そんな風に思ったりもする訳ですよ。
ただ、この「コンテンツマーケティング」と言う言葉の裏には、かつて日本にあった「下町の人情」的な匂いは一切無く、それこそ、金儲けの為・・・と言う感じの印象しか受けない。
だから、多分。
この言葉と手法も、数年後には、新しい言葉と手法に取って代わられるだろうて。
続いていくのは、こんな言葉に踊らされる事なく、昔ながらの「下町の人情」的な、「ビジネス」ではなく、「商い」をやってる所のような気がしてならない。
日本は、更に高度な「コンテンツマーケティング」を昔から行ってきていたから、世界でも類を見ない位、長く続くお店、会社があるんだろう。
とか、たまには、そんなお話をしてみました。
どうでもいいですよ。
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- 2014年9月25日 0:00 CAT :
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09/24のツイートまとめ
- gorounintameko
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今まで見てきた洋画の中で、最も衝撃的だったのは多分「ファイトクラブ」だと思います。
違う意味では、「スーパーマリオ 魔界帝国の女神」です。
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「お客様感謝デー」をしてる店を見ると、ついつい「日ごろは感謝してないんかい!」と思ってしまう器の小ささを持ち合わせております。
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山本太郎が演説してた。
何の話したいのか、意味わからん
09-24 19:08 -
まぢでイライラする。
うどん食ってこんなに、イライラしたのは初めてだ
09-24 19:03 -
取り合えず来た。
食べた。
二度と来ないと思う。
うどん大好きだけど二度と来ないと思う。
まぢで。
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噂につるとんたんに来てみた。
うどんとは思えない値段とおしゃれさにチョット嫌になって来た…(; ̄ェ ̄)うどんはうまいんだよね… https://t.co/crCirQtcBB
09-24 18:14 -
生きる為に挙手!
09-24 17:16 -
オレの書いてるブログか?読みたきゃ読ませてやる・・・探してみろ!この世の全てとかそんな大層なものじゃない、何でもない文章を時々書いてみたりしております!コチラからお読みいただけます! ⇒ https://t.co/XlGMXKpXWC
09-24 14:17 -
今までで、一番はまったMADは「ディオリボン」です。
・・・多分ね。
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与謝野晶子の「ばなな」の話はもういいって言ってるじゃないですか!!
09-24 08:24
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- 2014年9月23日 14:48 CAT :
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10年前まだ処女だった君も 今ではビロビログロまんこのビッチになってしまったね
この9月で、何だかんだと言いつつも、当ブログ。
超コツコツ日記は、10周年だそうで・・・
10年一絡げとは言うけれども、考えてみれば、人生の3分の1の期間書き続けてると思うと、チョッとだけ、凄いんじゃないかとも思う。
ので、少しだけ、省みてみようかと。
そもそも、10年前。
このブログを始めた頃は、まだ、周りにネットを繋いでないヤツも結構いたし、ブログをやってるってヤツも、そうそういなかったような気がする。
まぁ、その頃やってなかったようなヤツが、その後に、MIXIから始まって、ツイッターやれ顔本や、LINEやと、SNSでドンドコ個人情報を垂れ流してるんだと思うけれども。
10年前、沼レコードと言うHP内コンテンツのひとつとして、活動内容を記録する為に、「超コツコツ日記」と言うブログを製作した。
当初は、ブログシステムも借りずに、毎日、HTMLで文章を書いては、アップする方式だった。
しばらくして、ブログシステムを運用するようになり、それから2回ほど引越しをして、今のFC2に落ち着いたのは、9年くらい前か・・・
その頃は、そんなSNSなんてものほとんどなかった。
MIXIが、流行り始めるか・・・その位。
まだ、MIXI自体が招待制と言う、よく分からない感じだったはず。
SNSもなくて、ネット上でのコミュニケーションは、今はもうほぼ死滅した掲示板でやってた。
(まぁ、2ちゃんは色々分裂したり揉めたりしながら、まだあるけど。)
沼レコにも、BBSと言う名の掲示板があって、そこで、色々やり取りもしてたんだよね。ブログにも、今で言うSNS的な役割がチョッとあって、人のブログを読みに行って、コメントを残す。
ブログの訪問履歴から、自分のブログを読みに来てもらって、コメントを貰う。
みたいなやり取りがあったり、ブログ同士で相互リンクしあって、そのブログ内で、相互リンクしてる人のことを記事に書いたりもしてた。
あと、バトンってのも流行ったよな。
いくつかの質問に答えた後、自分の知り合いのブロガーさんに、バトンを渡す。
で、そのバトンを貰ったブロガーさんは、質問に答えるみたいな・・・(ブログのバトンとかって、まだやってるヤツいるのか?)
オレも、沼レコードのホムペ作った初めの頃は、アクセス数を増やしたいと言う下心込みで、こんな事を結構頑張ってやってた。実際、あった事も、見た事も無いブログ上だけ(と言うか、ネット上)の知り合いも何人もいて、バトンとかもやってた。
最盛期には1日100人くらい見に来る・・・と言うとこら辺までは、頑張ってたような気がする。
・・・でも、今、その頃の人たちのほとんどは、ブログを辞めてしまった。
やってるかも知れないけど、ブログ自体が変わってる。
それに併せて、繋がりも消えてしまった。
10年前一緒にわちゃわちゃやってたいくつかのブロガーさんの中で、今でも、タイトル、url等変更無しのブログで、割と頻繁に更新を続けてるのは、オレだけになっちゃったと言う事実がある。
そして、あの当時よく絡んでた、○○さんも、○○夫妻も、○くんも、○○ちゃんも(一応、気を使って伏字で)、多分、もうこのブログを見てはいないと思う。
最盛期の10分の1くらいになっちゃったけど、それでも、まだ1日10人くらいは、アクセスがあるので、その10人は、よっぽどの変態なんだろう。
でも、その10人くらいは、多分、SNSはやってても、ブログはやってないんじゃないのかなぁ~と。
ついでに、身辺の話でも考えると、学生だったオレが、仕事をして、結婚して、子どもも出来て、今に至る。
最近、ちょくちょく、自分でこのブログ読み直してて、その過程が自分で言うのもなんだけど、割と面白かったりする。
それが、自分の事だからなのか、人の人生の割と長期間の赤裸々な記録だからなのかは分からないけども。
そんな意味も含めて、10年間続けてきて、やっと、ブログを書く意味ってあるかも知れないと思い始めてきた。
もう、辞められない。
辞め時を失ってしまった。
辞め方がわからない。
そんなままで、これからも20年とか、30年とか続けていくんだろうな。
辞め時が来るとすれば、それは、この今書いてるFC2がなくなるときだと思う。
でも、オレは、きっと自分の運営してるサーバーとかにwordpressとかを入れて、まだまだ、続けそうな気もする。
辞めるタイミングも、理由も、方法も無くなってしまった。
それは、寂しい事ではないと思うので、よしとするか。
10年間お世話様でした。
テンプレートも一新して、気持ち別に新たにしないで、頑張るわけでもなく、のんびり更新していきますので、これからもよろしくお願いいたします。
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- 2014年9月21日 21:36 CAT :
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あなたを責め逝かすにはまだ愛撫が足りない
9月10日に、こんな記事を書いて、それを9月21日頃にアップしようと思ったんだけど、ご存知の通り、9月11日に、例の朝日新聞の謝罪会見とかあったりしちゃったもんで、何か、チョッと変な感じになってしまった・・・
まさか、謝罪とかするはず無いと思ってたから・・・(まぁ、原発の誤報がなければ、慰安婦問題は、スルーするつもりだった可能性が高かっただろうけども。)
って、事なので、まぁ、読んでるヤツも大していないだろうけども、チョッと内容がちぐはぐになっております。今日の内容は。
・・・やっぱり、時事ネタは、書いた日にアップしないといけないね。
そんな事を、踏まえた上で、「続きを読む」以下に書きます。
です。
はい。
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- 2014年9月17日 22:45 CAT :
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ひろげればピンクの奥の奥まで見えるようになったぜ
コンタクトレンズを新調しました。
昔から、ハードレンズ使ってるんだけど、ハードレンズでも、最近定額制のヤツがあるそうで・・・
なんか、うまいように搾取されてる気がしないでもないけれども、まぁ、いくらでも新しいレンズが手に入ると言う良いんだか悪いんだか良く分からないサービスだから、良しとしようか・・・
使い始めると、やっぱりコンタクトって便利だよね。
昔よりも、酸素透過性とやらも良くなって、目に優しいらしいし・・・
まぁ、何しか、昔から、コンタクトを新しくすると、脳内で、TAK MATSUMOTOの「THE CHANGING」が流れ始める。
コンタクトレンズに変えて見た~
ですよね。 - この記事を見てみる ⇒
- 2014年9月14日 10:14 CAT :
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ビロビロまんこ見聞録(無修正)
少し前に、ふと思い立って、関連記事を表示できるようにして見た。
下の出てる「関連記事」ってのが、それ。
(個別表示じゃないと、表示されないよ。
悪しからず。)
このブログも、何だかんだと言いながらもう10年やってる訳で、途中色々さぼったりしてるけれども、それでも、2000近いエントリーがあったりする。んで、関連記事と言いつつ、特に関連してなくてもランダムで、表示されるようになってるので、多分アクセスするたびに、全く違う(し、何にも関係ない)関連記事が表示されてる(はず)。
それがまた、自分で結構面白い。
なんだこの記事?みたいなののオンパレードだ。
何より良いのが、いつまで経っても終わらない事だよね。
そりゃあ、オレの10年のコツコツを、一晩や二晩で全部辿られてたまるかってんだ。
と言う事で、お暇な方がもしいたら、まぁ、どこまででも戻る「関連記事」で、色々読んで見て下され。
その当時の時事ネタとか、嫁と出逢った付近の惚気とか、社会に出る前の青臭い主張とか、単純な下ネタとか色々あるよ。
それが、面白いかどうかは、知らんけどな。
あとは、ブログのテンプレート自体を少々いじってやりました。
せっかく、自分でテンプレートとか作れるようになったのでね。
少々思い切った感じでございますが。
ただし、めんどくさいのでPC限定だよ。
取りあえず、更新。
でも、今から、少しずつ改変させていく感じかな。
なんせ、前のヤツもう5年くらい使ってたから、変な感じ・・・
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- 2014年9月12日 20:34 CAT :
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頭が悪くて深くは分からないけれど そんな事くらいは分かるんだ
よく「子どもは親を選べない」と言う話を聞く。
とある機関が、まだ胎内の記憶があり、しかも、ある程度コミュニケーションを取れる位になった子ども(だいたい2~4歳くらい)に、昔ことを覚えている?と聞く実験を行ったらしい。
何人・・・とか、詳しい事忘れちまったんだけど、覚えてる子には、前世の記憶を語る子や、それこそ胎内の中に居た頃の記憶を語る子など、まちまちにいたとか。
その中で、結構共通して語られたのが「お母さんを選んだ」と言う類の記憶。
中には、これから生まれてくるであろう兄弟と一緒に。
と言う記憶すらあったそうだ。
・・・子どもは、お母さんを選んでる・・・選んでるんだよ。
実は、子どもには、親を喜ばせたいと思う本能があるらしく、一説には、「お母さんを選んできたんだよ」と言う事で、親を喜ばせようとしている・・・つまり、嘘で言ってると言う切もある。
でも、オレは、そんな事はないと思う。
選んでるんだって。
選んでくれてるんだって。
・・・としたとき、ふと思う。
虐待するような、クソ親でも、そいつを選んで生まれて来たんだろうか・・・。
例えば、すっごい中二病な赤ちゃん(中二病な赤ちゃんって時点で、すでにアレっちゃあアレだけど)が居て、「どうせ、どの親に生まれたって、世の中は行き辛いんだよ。
誰を選んだって一緒さ。
だったら、最悪なヤツを選んでやるよ。」とか、「人に世話されたくないんだよ。
ネグレクト気味にあの女。
オレと気が合いそうだね。」とか、そんな感じで選んでるんなら、もうしょうがない。
きっと、「思ったよりきつかったぁ~」って後悔してるだろう。
中二病ってのは、その場の発想のために、将来後悔するものだから。
そうじゃない場合はどうだろう・・・
運命まで見えた上で、その親を選んでいる。
もっと高尚なのになれば、「僕が、救ってあげたい」とか思って、その親を選んでるとか・・・
赤ちゃんは、比喩的な意味じゃなく、本当に天使だった。
そんな妄想をする。
世の中には、やり切れない虐待が沢山ある。
出来れば、虐待した親には、全く同じ虐待を与えていただき、そのままいじめぬかれて死んで欲しいと思う。
でも、そんな時、こう考えれば、少しだけ(本当に、少しだけだけど)、気分が楽になったりする気がする。
幸せになる権利があるのは、誰なのか・・・
少しだけ、思いを寄せる。
そんな夜。
少し涼しくなってきましたね。
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- 2014年9月10日 21:45 CAT :
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まんこに色々はめ込むためだけに人間は生きている訳じゃあなんですよ
さぁ、今日はみんな大好き。
素敵な隣人。
韓国のことわざを紹介するよ!
隣人の文化を知る事は、とっても大切な事。何も分からないまま、闇雲に付き合っていくなんて、大変な事だと思う。
と言う事で、まずは有名なこれ!!
「泣く子は餅を一つ余計もらえる」
ゴネ得ってヤツだね。揉めた時には、泣き喚いた方が得すると言う教え。
日本人から見たら、クズでしかないけど、これも韓国の文化だからしょうがないね。
あいつらが、泣き喚いてる時は、打算的に考えて喚いてるだけだから、無視した方が良い事がわかるね。
次!
「女は三日殴らないと狐になる。」
女は、殴って言う事をきかせないとダメだと。さすが、世界一のレイプ国家。
男尊女卑が、文化の根底にまで根付いている。
この精神で、嫁を殴って言う事をきかせようとしたために、韓国人男性との結婚を法律で禁止してる国も、アジアには、沢山あるんだよ。
でも、日本では、そんな法律はない。
良かったね。
セキネマリさん。
次!
「弟の死は肥やし。」
他の人が不幸になる事は、得てして自分にとって都合の良い事。と言う意味のことわざ。
弟が死ねば、自分に回ってくる遺産も増えるし、めんどくさいシガラミも亡くなると。
とことん、冷静に人(例え親族であっても)と付き合える事が良く分かるね。
次!
「長生きすれば姑の死ぬ日がある。」
凄くうれしい事が起こった時に使うことわざだそうです。嬉しい事の例えが、人の死しか思いつかないとは、さすが韓国。
韓国民の根幹にある感情が「恨」と言うのが、非常に良く分かることわざではないでしょうか。
次!
「一緒に井戸を掘り、一人で飲む。」
大変な事は、自分一人ではやらないで、誰かに手伝わせれば良い。でも、それによって齎された利益は、誰にも渡すな。
と言う、素敵な教え。
全員がこんな事考えてたら、誰も協力なんてしてくれなくなる・・・じゃあ、誰に協力させればいいか。
今の韓国を見る限りは、日本人ですよね。
たぶんね。
そろそろ最後!
「姑への腹立ち紛れに犬の腹をける。」
逆らえない人にムカついた時は、無抵抗なヤツの当たれ。と言うことわざ。
何か、基本的には暴力だよね。
あとは、ムカついた時には、それをため込む事は基本的には出来ない。
そして、それをどこかにぶつけなければどうしようもない。
これを韓国人の民族的精神病「火病」と言う。
今回、紹介したヤツ以外にも素敵なことわざが沢山あるので、興味ある人は、勝手に調べれば良いと思う。
どちらかと言えば、分かりやすいものばかり選んだけど、もっと意味不明なヤツとか、「なんでそうなるの」と言うヤツも結構あるよ。
まぁ、これが、ことわざ。
文化の根底にある・・・とまでは言わないけど、思考と行動に幾分かの影響を与えてると考えると・・・
そんな素敵な隣人と、仲良く付き合うかどうかは、人それぞれ。
勘違いしてもらったら困るのは、オレは、韓国と言う国が嫌いで、韓国人も嫌いだけれども、個人としての韓国人に対して、嫌悪感を持ってる訳じゃあない。
ただし、それは、上記のような考え方を持っていなくて、まともに話し合いが出来て、ファンタジーな歴史を信じていなく、かつ、「竹島」を占領している事を詫びてくるようなヤツだ。
それ以外のヤツは、オレには、近寄らないでください。
別に、どこぞの人みたいに、死ねとは言わないので。
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- 2014年9月4日 21:42 CAT :
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黒い合言葉
個人的に、一番お気に入りなタイトルは「ジャム地獄ジャム」。
これ、相当いい感じだと思うんだけど、どうなんだろう?
この曲を良いって言ってくれるのって、弟くらいしかいないのがチョッとしょんぼり。やっぱりなかなか、自分が良いと思うものと、人が良いと思うものには、どうしても差があるらしい。
例えば、オレの場合、自分が心地いい。
と言う事を一番にして、作っているからいいとして、果たして、人のために作っている人の場合はどうなんだろう?
人のために、曲を書く。でも、自分の良いと思うものと人が良いと思うものに、絶対的な剥離がある場合は、色々苦しいんだろうな~と。
それが、俗に言う「産みの苦しみ」なのかも知れない。
冷静に考えて、自分の作りたいものを作っているなら、自分が良いと思うものにしかならない訳で、そうなると「産みの苦しみ」って、ないんじゃあないだろうか?とか思っちゃうんだけども。
と、ここまで書いててふと思った。
自分の思い通りに作れなければ・・・
頭の中にある絵を、全く同じに表現できない時に、凄いイライラするんですよ。
オレは、特に、マンガとか書いてる時にね。
そう言う事か。
そう言う事なのか。
だとしたら、オレは、音楽に関しては、才能があるか、志が低いかなんだと思う。
前者だと思いたいけど、人の目もあるし、後者と言う事のしておこう。
テ・キベクナ・レ・テスエナ
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- 2014年9月3日 22:00 CAT :
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死ね!死ね!死んじまえ!
実は最近、予約投稿を駆使しまくって、ブログ書いてる。
具体的に言うと、どうせ、毎日、ブログを書く時間なんて取れる訳ないんだから、書ける時にオラオラ書いておいて、貯めておこう。
とかそんな感じ。
(時事ネタについては、基本的に、即日投稿。)
ちなみに、この記事書いてるのは、8月17日だけど、多分、表示されるのは、9月2日以降だろう(いつにするか、決めてないけど・・・)
初めは、何か「これ書いてるのは、夏だけど、載るのは秋なんだよね」みたいな良くある作家さんの独り言・・・そんな感じになった~
位にしか思ってなかっただけど、段々溜まってきたら、自分の今の考え方と、実際に表示される内容にチョッとしたタイムラグが生まれてチョッとそれが面白かったりもする。あと、「あぁ~あぁ~こんな事書いた書いたww」みたいな感じとか。
タイムラグを暫くは楽しんでみようと思ってるんだけど、それがまた、なんとも心地よくて、結構な頻度で更新しております。
年内は、このペースを崩せずいけるといいなぁ~と思ってるんだけど、例年通りなら、このペースも、1ヶ月位だろうて。
もうそろそろ、限界かも知れない。
別に、限界じゃあないかも知れない。
どっちでも良いと思う。
けど、取り合えず、更新頻度上げると、読んでくれる人がいる事は確認できました。
何と奇特な方!
ありがたや~ありがたや~
揉み手で、本日も書かせていただきました。 - この記事を見てみる ⇒
- 2014年9月1日 20:00 CAT :
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リンスしかいらないデ・メリット
仕事の範疇について考えてみる。
何か、社蓄だけでなく、経営者にしても、365日休みなし!と、何を言いたいのか自慢してるおっさんとかいるけれども…
それは、果たして自慢できる事なのか…?と。ただ、それを考える為には、冒頭の「仕事の範疇」と言う部分を結構、考えていかないといけないと思う。
会社に来て働く事は仕事なのか?
家で会社の仕事の残りを片付ける事は仕事なのか?
家で副業をしている事は仕事なのか?
家で趣味に没頭している事は仕事なのか?
本を読むことは仕事なのか?
それが、漫画の場合には仕事なのか?
子どもと遊んでいるのは仕事なのか?
家事をやっているのは仕事なのか?
・・・仕事。とは、現代社会において、「対価をしてお金を貰うこと」と、甚だ誤解されがちだけれども、そうじゃないと思う。
個人的には、仕事とは、生きていく事を維持していく為にするべき事だと思っている。
例えば、完全自給自足をしてるおっちゃんが居たとして、そのおっちゃんは、別にお金の為じゃあないけど、自分で食べる為の作物を作る事を多分「畑仕事」と言うと思う。
なぜなら、完全自給自足で、生きていく事を維持する為には、自分で食べるものを作らなくちゃあいけないから。
これは完全に仕事だと思う。
この観点で、飛躍すれば、生きていく事を維持する為に、家庭を維持する事(つまり、家事や子育て)も十分に仕事だと言えるだろうて。
・・・と考えれば、さて。
365日休みなし!は自慢できる事なのか。
結論を言えば、普通誰でもしてる事だ。
むしろ、そんなの「オレ、朝ごはん食べる為に、自分でご飯よそって、目玉焼き作ったもんね」と自慢してるレベル。
本人からすれば、頑張ってるつもりかも知れないけれども、傍から見れば失笑ものでしかない。
しかも、そんな事を自慢してるおっさんなんて、下手したら、休日には、本当の意味での仕事をしてない場合が多い。
家事をしない、子育てをしない。
「仕事で疲れてる」から、仕事をしないらしい。
ひとつの会社としてみた場合。
「オレ午前中仕事して疲れたから、午後からは、仕事しないね。」は、なかなか通らないと思う。
それを、自分の視野が狭いから、会社と言うひとつのくくりでしか、仕事を見れてなくて、もっと大きな社会的な視点で見たときに、失笑ものの自慢をしてしまってる。
と言う場合が多いかも知れない。
(知らんけど)
ついでに言うと、経営者の場合なんて、もっと情けないと思う。だって、自分の初めた事の話でしょ?
自分で始めておいて、それを1年中やってるから「オレ凄いだろ」って、そんなのしらね~よ。嫌なら、辞めろよ。
と言うだけ。
なんだったら、会社で仕事した後、家帰ってからも、副業をしてたり、家事を手伝ったり、それを休日にしてる、365日休みなしって結構居ると思うけども。
ビジネス書を読んでる?だからなんだよ。
じゃあ逆に、漫画読んでるのか?小説読んでるのか?映画見てるのか?ドラマ見てるのか?
ビジネス書しか読んでないから、そんな狭い視野で、固い頭になってんだろうが。もう少し、漫画でも読んで、柔軟性を持たせてみろ。
インプットの方法も、広げられないから、そんな、恥かしい事自慢するんだよ。
と、なるんだと思う。
理想を言えば、楽しい事をやって、生きていけたら、それが何よりなんだけど、それが出来てる人って、なかなかどうして少ない。
「仕事を遊び」と言い切れる、数少ない勝ち組の方には、羨望のまなざしを向けつつも、今日も色々頑張ります。
嫁ともども365日、休みなく。
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- 2014年8月28日 21:28 CAT :
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幸せについてまぢで本気出して考えてみた
「僕の幸せは君の幸せではないかも知れないけど
君の幸せは僕の幸せなんだ
だから、僕は自分自身の幸せの為に、君を幸せにするよ」
と、声高に言う男が居たとして
そいつをバールのようなもので殴りたい衝動に駆られる。オレは、そんなヤツが多分好きだと思う。
でも、本当に、殴ってしまうヤツとは、仲良くなれないと思う。
いつか、オレが
「僕の幸せは君の幸せではないかも知れないけど
君の幸せは僕の幸せなんだ
だから、僕は自分自身の幸せの為に、君を幸せにするよ」
と言う日が、絶対に来ないとは言いきれないから。そんな日は、来なくて良いと思ってはいる。
でも、バールのようなもので殴られる人生は、もっと嫌だと思ってもいるから。
人と人のつながりを、深く考える。
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- 2014年8月24日 21:46 CAT :
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臓物にジグソウ
こんな志茂田さんですが、一応、webデザイナーとして、ちゃんとお金を貰うお仕事もしてる。
で、お仕事をしている以上は、イヤでも、そっち関係の勉強をしなければならない。
ビジネス書も読んでるし、セミナーに行ったりもしてる。
今日は、「エピック・コンテンツマーケティング」と言うビジネス書を読んだ。
要するに、モノを売る為以外のコンテンツを用意して、親近感を湧かせることによって客を取り込んで、その後売りさばけ!!
と言うことらしい。その、客をファンにして囲い込んでしまう下衆な方法が340ページほどに渡って、事例も交えて長々と綴られていた。
その中で、大切な事は、馬鹿でも分かるように、短い文章で分かりやすく、イラストや写真入りで書くこと。
そして、大体の更新日時を決めておくことらしい。
と言う事で、さっそく、その通りにブログを書いてみた。
イラストはめんどくさいのと、更新日時は、気が向いた時なので、まぁ、無理として、短い文章で、簡単に。
これで、このブログを読んでる数少ない変態さんもきっと、オレに親近感を持ってくれる事だろう。
世の中、そんな甘いものだったとは知らなかった。
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- 2014年8月21日 14:45 CAT :
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千年後の赤の女王とその末裔
以前。
ブログ内でも取り上げたこのある「有性生殖のパラドックス」を「赤の女王説」で説明すると言うネタ。
(それについて、詳しくはこの記事を読んでくだされ。
赤の女王その愛深きゆえに)
超簡単に言うと、頑張らないとうまくいかないよ。と言う、話なんだけれども・・・
ここ最近・・・本当に、人類。
と言うか、日本人。
頑張らなくなってきてると思う。
もちろん、頑張ってるとは思うよ。
思うけど、今回話題にする「有性生殖のパラドックス」と言う観点から考えた上では、本当に頑張らなくなってきてると思う。
男も女も30代以上で独身子どもなし。
がベラボーに多い。
見渡せば、むしろ、結婚して、子どもがいる方が少数なんじゃねえのか?と思うほどに多い。
当たり前の話だけれども、一人っ子として生まれてきた場合には、2人以上子どもを持たなければ、相対的に見て、人口は減っていってしまう。
相手も一人っ子の場合なら、4人以上だ。
それなのに、ここ最近では、むしろ結婚しない、子どもを産まないが多数派になっちゃってるので、1夫婦に付き、5人や6人産んでも、緩やかに人口は減少するだろうて・・・
昨年。
日本人は、この地球上から、22万人以上も減少した。
今年は、もっと減少するだろうと言われている。
このペースで減少を続けていけば、数世紀後には、地球から、日本人と言う人種は消滅している・・・とも言われている。
のに。
のに。
男も女も30代以上で独身子どもなし。
がベラボーに多い。
何かね。
子どもを産んでも、お金がなくて育てられない。
とか・・・そう言う話なら、まだ納得できるんだけど・・・
そもそも、結婚に興味がない。
異性に興味がない。
セックスに興味がない。
と言うのは、どう言う事だ?
今、右手でチンコ握ってるヤツがいるなら、それはまだ良い。性欲自体が希薄に乏しい「絶食」と呼ばれるヤツもここ最近は結構いる。
もうね・・・絶食するなら死ねよ。
と思わないでもないけど・・・
問題は、これが、単に経済の低迷とか、未来が見えないから・・・と、位置づけられている事だと思う。
本当に、そうなのだとすれば、言っちゃあ悪いけど、日本なんかより、はるかに経済的にも苦しくて、治安も悪くて、環境的にも子ども育てられない地域もある。
むしろ、そっちの方が多い。
でも、そう言う地域に限って、子どもは沢山いて、人口が爆発的に増えてるんだよ。
人口減少の根幹的問題は、経済的なものでも、社会的なものでもない。
・・・きっと、本能的なものだ。
日本人自体が、もう、地球と言う星に存在する事に嫌気が差してきてるんだと思う。
個人個人の意思ではなく、相対的に見た人種、民族としての大きな方向性として・・・
それは別に、
韓国日教組に、アホみたいな自虐史観で洗脳されたからとか、そんな問題じゃあなく(そもそも、あんな生ゴミ民族如きに、左右されたりしないって。)もっと大きな何かなんだと思う。時に人は、「神の意思」と言うかもしれない。
ムー的には、「サムシンググレート」と言うかもしれない。
とにかく、その何かが、凄く気力を失ってきてるようにしか思えない。
単純な話。
例えば、今、日本でアフリカばりの出生率になれば、年金問題も解決し、労働力の確保もでき、経済も回り始める。
そうなれば、日本の企業は日本人を雇うようになるから、チョンとかチョンとかチョンとか、金せびって、犯罪起こすしか能がないクズも居なくなる。
そして、日本は劇的に復活すると思うんだ。
それが分かってるから、国とか、地方自治体としては、子どもを産む事。
育てる事に諸手を挙げて、奨励してるんだろう。
変な欲を持たなければ、本当に、義務教育終わるくらいまで、国のお金で子育て出来るかも知れないような制度だってある。
でも、産もうとしない。
育てようとしない。
お金とか、環境の問題じゃあないんだって。
多分ね。
ただそれは、いっそ、お金とか、社会の問題だった方がよかったような、恐怖を覚える事実。
緩やかな絶滅に日本人は、足を突っ込んでいこうとしている。
フリーメーソンとか、イルミナティーとか、ロスチャイルドとか、ユダヤとか、そんな規模じゃない、もっと大きな何かによって・・・
知らなければ良かった事って、沢山あると思う。
この事だって、数世紀先に絶滅するなら、その頃オレは生きていないだろうし・・・
でも、妄想し始めると止まらないんだ。
昔からそうなんだ。
夜は、そうして、眠れなくなるんだ。
おやすみなさい。
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- 2014年8月17日 22:34 CAT :
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彼岸と此岸のはざまの話
今日で、お盆も終わり・・・
早すぎるだろ・・・途中、休日出勤があって、飛び石連休になった事があり、いつも以上に、親戚めぐりと、飲み会であっと言う間に終わった。
明日から、普通に仕事だって。
今年は、なんか大好きな怖い系のテレビも全く見なかったしな。
と言う事で、お盆らしく、チョッと身の回りに起こった体験でも。
今年の初めに、じいちゃんが亡くなった。
娘は、まだ1歳になったばかり位で、結局、亡くなるまでに一度も、じいちゃんの事を「ひいじいじ」と呼ぶ事はなかった。
元気なうちに、何度か、抱いてもらう事が出来た事が、せめてもの孝行か・・・と思う。
でも、「ひいばあば」はまだ2人元気(と言っていいかは微妙かも知れんけど・・・)。
娘も「ひいばあば」と言う呼ぶようになった。
ついでに、オレの両親を「じいちゃん」「ばあちゃん」とも呼んでる。
・・・とここまでが前提。
オレの家の寝室には、オレが生まれる前から家にあり、オレが、ずっと大切にしてきた犬の人形(と言うか、ぬいぐるみ)がある。
娘がね・・・その人形を指差して良く「ひいじぃじ」と言うんだよ。
この人形とじいちゃんには、正直何の接点もないので、何かを思い出して、「ひぃじいじの人形」的な事は絶対言わないと思う。
だとすると・・・なんだろう?とね。
それだけなんだけど・・・オレは、きっと、じいちゃんが時々オレの事を見に来てくれてるんだと思ってる。
実家でいた時も、良くラップ現象含む、人の気配があったけど、それを、大好きだったじいちゃんだとずっと思ってきた。
それと同じなんだと思う。
いやね。
娘が、そっち見て「だれ?おねえちゃん」とか言うのなら、めっちゃ怖いよ。
でも、「ひぃじいじ」なら、別に良いじゃないか。
両親共働きだったので、結構、両方のじいちゃんばあちゃんに育てられた。
結構、大事にしてもらった。
だから、全然良いよ。
むしろ、見守ってくれてるんなら、凄く心強い。
この世に身体がなくなったとしても、じいちゃんはじいちゃんだ。
ついでに、ばあちゃんはばあちゃんだ。
まぁ、別に恐怖でもなんでもないよね・・・
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- 2014年8月16日 14:14 CAT :
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犬神サーカス団の凄さを思い知った夏の夜の振り返りの事について
さて・・・そろそろ、大体の人に「王道軽症」のCDを配り終わったと思う。
・・・思う事にする。
そして、壮大なオナニーとして、「王道軽症」の収録曲1曲ずつのライナーノーツでも書いて、それを自分で読み返して、悦に入ってしまいたく思っております。
今回は、製作期間もベラボーに長い分、何気に1曲に対する思い入れもこれまでより、結構深かったりする訳ですよ。
その前に、これまでに作ったCDでも聴いて、振り返りでもしてみよう~と、先月末くらいからチビチビ聴いてた。
「永遠の向こうにある果て」辺りから・・・
荒削りだけど、面白い。
・・・やっぱり、思春期付近の閉塞感は、凄いものを生み出すな。
と、改めて感じました。
近年。
どんどん寡作になっていく。
1つ1つがじっくり練りこみすぎてる気がする。
かつての勢いがない。
これは間違いない事だと思う。
ただね。
ふと思ったんだけど、単純にネタ切れのような気がするんだ?枯渇したと言い換えてもいいけれども。
初めて、作曲的なことを始めてから15年。
どれだけ作ってきたんだろうと、書き出してみた。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
・本当の横溝正史のラブレター
・1/f揺らぎにあわせて奏でる発狂者のメロディー
・虐殺の恋文
・死合わせとシャボン玉の唄
・惑星独りぼっち
・今宵、「ただいま」はゼロになる
・黒魔術ラヴィンユー
・思い出のアルバム
・おもちゃはおもちゃ箱へ
・お耳汚しを召し上がれ~と言う、演出
・犬神一座の大サーカス
・哀飢え悪の唄
・パラフィリア=グロッサリー その1
・パラフィリア=グロッサリー その2
・白痴にも書けるラブソング
・メインテーマ(うんこ漏らのバラッド)
・オープニング
・街1
・フィールド1
・通常バトル
・レベルアップファンファーレ1
・フィールド2
・コキリの森
・オオカミバトル
・ミシディアウサギのテーマ
・キャッスル1
・ゾンビの森
・ホタルバトル
・レベルアップファンファーレ2
・街2
・宿屋でおやすみなさい
・盗賊の街
・カジノ
・コロッセオ
・ウィっカーマンバトル
・森のパブ「花魁の墓場」
・花魁のテーマ
・フィールド3
・ヨラバタイジュの山
・脱出
・気球に乗って島に行って南の山に行って城に行って上昇気流の山に行って、そしてベテルギウスへ
・ドワーフの城
・ベテルギウス
・全滅のテーマ1
・花魁の過去
・竜王の洞窟
・全滅のテーマ2
・ラストバトル
・大団円
・観客3人のライブイベント
・紀元前より愛を込めて
・ホルスタインLOVE
・もてなしのバラッド
・だんだん心轢かれていく
・このゆびとまれ
・ホーリーチェリー
・小児麻痺と青空の世界
・元寇と義経とあとバルバロイ
・蛇女外道節
・遊星屠殺ワンダー
・「さよなら」とだけ呟いて 意のままにあなたを殺します
・瓶詰めの幼女
・イカサマサイコロダイスマン
・夜景情景スカトロジスト
・志茂田さんのプログレ
・踏まれた洸中花
・不幸飛行夜行
・夜伽話
・帰郷
・ナスルーラのクロスを持つスーパーツジノコミチ
・ひと時の暗がり
・空色暗中
・捨幸醜貌女の死に様
・白い世界
・四千年王国
・教え① アーユーハッピー
・追悼興行GREAT VOYAGE 09 In OSAKA
・上九一色村 第7サティアン
・ぺ・ヨンジュン 陵辱 里香ちゃん
・教え② 地球霊団最高大霊
・AM4:00 ショップマニフィカ本部
・神聖水 特別定価4,8000円
・ご拝受の言葉
・黙示録
・教え③幸せについて本気出して考えてみた
・大集会 In AKBシアター
・背信徒の末路
・月間ヤングブッタ
・HOIHOI30
・大阪城倒壊
・逆転満塁土生本塁打
・破壊録
・あやまって猫にご降臨
・教え④ 全廃宣言
・SUNAONINARE
・dmp
・運否天賦
・鹿野苑の教え
・砂漠の砂鉄
・堕天録
・教え⑤ 幸せについてまぢで本気出して考えてみた
・ナスルーラのクロスを持つファイナルツジノコミチ
・ポロッと本音
・教え 心配したヤツ
・祭りの後
・建墓記念の夜に
・黄泉
・手のひら収集家の談話
・三年後のお葬式
・ジャム地獄ジャム
・覚え書き
・花も活けてある
・アイエルマ
・セルポからの伝言
・メキシコの風景
・fgふいじゅおp
・エンタの神様
・人妻生撮りおろし動画
・絶望の最新兵器
・毒電波による解答編
・1970年3月14日
・テレフォンショッキング~UFO3大クラシックver~
・ババンバキック
・サガットのテーマ
・モンゴリアンデスワームの毒液を吐く音
・50年目の告白
・尾崎 豊
・コンゴ民謡 組曲「ムベンベ」
・こゝろ
・B&B
・最後の一匹となったエレメントゥワカの雄叫び
・伊香保温泉殺人事件
・リュシータ・トゥエルエル・ラピュタ
・「アマゾン奥地で見つかった新種のUMAメランコリニスタの鳴声の録音に成功しました」と最初に入れる予定だったのに入れ忘れた曲
・ナスルーラのクロスを持つツジノコミチ
・子守られの唄
・boy and girl’s be ambitious
・チベットの報い
・Xのリ(コ)ーダーYOSHIKI
・GOD IS RETUNE
・砂泥底
・ヴァン
・天使組曲777番ピアノクインテットイ短調
・たけき者も遂にはほろびぬ
・ピアノの調律コンサート
・ご想像通りうんこか寸止め
・吸い出して欲しい
・奈良だった
・白い世界
・GGGX
・おいちゃんからのラブレター
・雲は流れ 人は殺され 川は流れる
・カニバリズム・マゾヒスト
・ひと時の暗がり
・アンチスーサイダー戦場へ赴く
・るりゑ
・中央悲劇閲覧センター
・終幕の神話は孤独より
・果て.1
・花々木々
・彼岸からの恋文
・偶発的導入.1
・永遠の向こうにある果て
・Don’t 永眠ファラオ
・田代念仏
・IWAHASHI
・翼の生えた白馬の幻想
・亀助~ガラパゴスゾウガメとランデブー
・忍耐仮面ヤセガマン
・異魔神
・葫
・レイ=プレイPart3~悲しみ大妄想
・君と2人で
・氷の国の郵便居局長
・萌え萌えストーリー
・近代日本における必然的方向性への事象
・モノはモノだけど。忘れません
・夢想代理人
・悲しみを具現化できる世界
・嘘つきロンリーウルフ「ジャック=デマ」
・レイ=プレイpart2~死にかけ大妄想~
・レイ=プレイpart1~マン見え大妄想~
・夢喰いバクヲ
・絶対に無駄無駄無駄無駄!!
・降り止まない雨
・カップラーメン
・ボスタフビッチェに乗っかって
・亀助
・分度器の存在意義
・僕とフビライハン~三国remix~
・ばちゅうざめどれー
・わさびと広島
・誰もジョジョとは呼ばない
・日清
・ヨガ死
・最後の田代
・水虫LOVE
・泳げない鮫
・「囚われてお姫様」にのって
・ムラマサを作った名工達の心意気
・ひげを剃った田代
・サイズの違う服
・和菓子敬愛
・我が祖国より愛をこめて
・今年で卒業
・連想ゲーム
・泳げない亀
・田代マサシ~その誇り高い血統~
・優しさに包まれて
・ボッタクリすし屋
・横溝正史のラブレター
・近代日本における危険性への警告を綴る
・ふーふー
・天使になれました。感謝します。
・波子の心
・スクエア
・タンタン~海の底とまぶたのない魚~
・アリスとテレスのアイスクリーム
・沼
・Am(天沼優の頭文字)
・僕とフビライハン
・僕の授業
・北斗の拳12巻98・99ページ
・名前を呼んでみました
・オレは万年平
・好きなものシリーズ嫌いなものシリーズ
・僕の部屋
・意味を知らないので
・最後のマイク
・マイクの部屋
・マイクの街
・これより昔~第十三章~
・これより昔~第十二章~
・これより昔~第十一章~
・これより昔~第十章~
・これより昔~第九章~
・これより昔~第八章~
・これより昔~第六章~
・これより昔~第五章~
・これより昔~第四章~
・これより昔~第三章~
・これより昔~第二章~
・これより昔~第一章~
・青空
・よければ
・Blue Moonⅱ
・Blue Moon
・いぶいぶ
・あの日からどれだけのウソをついてきたのだろう
・サノバビッチにGO!!GO!!GO!!
・アリアイ
・J.F
・エターナル2
・Viva!!偉い人
・アホな歌
・ウミウシの挽歌
・It’s Mossari
・人生の背信者
・捧げます
・Cutie Desire~in 温泉~
・水のない砂漠
・いつか君と話したときには
・冬の風
・君に逢えてよかった
・Ranaway
・森を抜けて
・First End
・街頭の下で
・闇に浮かぶ彫刻
・悲色
・See Though
・New
・アホクサ
・even
・長四角な核武装~ネッティー+α~
・Km~キロ~
・Say Happy Birthday
・あすなろ
・約束の場所で
・アイ
・悲歴
・昇華~Sublimation~
・Bad Love~君の瞳~
・糧となるものたち~True of the Would~
・楽しい日々は過ぎ去りて
・織田無道
・The Endest
・Super Finish
・・・書きも書いたり288曲もあった。そりゃあ、ネタ切れもするって・・・
これだけあれば、もう新しいの作らなくてよくね?・・・とも思うだろうて。
だって、例えば「和風ロック」な曲やりたいなぁ~となれば、じゃあ、「果て.1」とか「ジャム地獄ジャム」とか「蛇女外道節」を・・・となるって。
3拍子の曲やりたいなぁ~となれば、じゃあ「不幸飛行夜行」とか「アンチスーサイダー戦場へ赴く」とか「青空と小児麻痺の世界」を・・・となるって。
ある程度、好みなジャンルは、網羅してると思うよ。
では、この先何があるのか・・・
それは、誰にも分からない。
取り合えず、次に作るヤツはもう決まってて、3年ぶりの馬忠・DA・ムドー9枚目のアルバムだ。
タイトルは多分「現天怪奇セブンチーン」。
今回書き出した曲の中の、特に下のほうの曲を、新しく作り直したりすると思います。
そんな、妄想をしております。
2015年か2016年頃に製作予定ですよ。
さて、振り返ったところで、次回から、チビチビライナーノーツだ!
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- 2014年8月15日 22:19 CAT :
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パノラマ島へ帰る
苺楽團さんの新曲「テ キベクナ レ テスエナ」。
メッチャカッコいいけど、なんとなく、このまま「陰陽座」のようにはならないようね・・・と言う、心配だけがあったりする。
まぁ、もう15年以上のキャリアのある、関西アングラの帝王が今更、路線変更とかしないと思うんだけども・・・
しかし、今回のアルバムも凄い出来だったよ。
ただ、もう少しだけ、音質(と言うか、ミックス)が良くなると、もっと良いのに・・・と、少し思ったりもした。
さてさて。
先日、いつものメンツで、ダラダラと飲んでだべって笑ってきました。
年に数回。
顔の(と言うか、頬の)筋肉が痛くなるほど笑い転げる夜ですよ。
内容・・・?そんなものはないに等しい。
ホント、無駄な時間だ。
でも、それが何より大切な時間なわけで・・・・
集まって辛気臭く、真剣に自分の生き方を語るとか、そんな事も大切だろうけど、もっと意味のないことだって必要なんですよ。
意味がない事に意味がある。
面白ければそれでいい。
と言う、有頂天のコンセプトは、まさにその通り。
「僕らはみんな意味がない」んだよ。
この飲み会自体、大学の頃から、もう10年以上も続いている。
途中、数回、別の場所での開催もあったけど、基本的には、同じ店。
冷静に考えたら、この店に100万円には、届かないか・・・位使ってるんだよな。
立派な常連!
でも、たぶんあんまり歓迎されてない。・・と思う。
後半には、ホントに注文とかも呼んでもなかなか来てくれなくなったりとか、そんな事が露骨に起きてしまう。
なんでだろう・・・
でかい声で「まんこまんこ」って叫んでるからだろうか・・・それとも、こんな年になっても、大学生見たいに薬味で遊んだり、イッキまがいのことしたりするからだろうか・・・
まぁ、いいさ。
それでも、この飲み会はこれからもきっと続いて行くだろう。
オレが、死んだとしても、是非とも3人で続けてもらいたい。
生前のオレをネタにしてくれとまでは言わないので・・・
誰かが最後の一人になっても、そいつが、この時期になるとあの店に一人で行って、昔を回顧するとか、そうなれば、相当面白いと思うんだけれども。
もちろん、一人で、アホな事をやり続けてくださいませ。
言い方が良いのか悪いのか分かんないけど、ああ言うホームグラウンドみたいな所があるって、ありがたいことだ。
それぞれに、色んなところで、四苦八苦しながらも、それを大して持ち込まないで、無駄な事やってゲラゲラ笑える場所がある。
誰も唄など聴いてはいないし、この世界がみな作り物なら・・・
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- 2014年8月14日 0:57 CAT :
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ロマンシングサガ10についての新情報
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- 2014年8月13日 20:46 CAT :
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そして、人生は続く
先日、嫁から「しっかり浮気してきな」と言われつつ、高校時代の先輩さんと会ってきた。
そもそもの発端は、オレが「王道軽症」のCDを聴いてくれって連絡したら、「お盆に帰省するからその時手渡しで貰うわ」となった・・・事。
だから、まぁ、オレから誘ったと言うか、向こうから誘ったと言うか・・・まぁ、そんな感じですよ。
この先輩さんは、オレが色々と創作したものを、ある意味初めて真面目に相手をしてくれた人で、そう言う意味で、地味な(でもないか・・・)恋心を学生時代抱いてた相手でもあったりする。
そんな人と、未だに定期的に連絡取ってるオレもアレっちゃあアレだけど、もう今は、お互いに別の人と結婚してしまったし、そもそも、向こうには、端からそんな気はなかったから、単純に、昔の友人みたいなもんだと思ってる。
(向こうは知らんが、多分、高校の後輩の一人くらいにしか思ってないだろう。)
ついでに言うと、オレの勘違いを増長させちゃった人でもある。(まぁ、この人に会わなくても、いずれ同じ道はたどっただろうけど。)
会うのは結構久しぶりなような気がしないでもないけど、会ってみれば、相変わらず、チョッと微妙な空気から始まる。お互いに、探りあいと言うか、そんな感じなんでしょうね。
その内、お互いが時間を共有してた、高校時代に戻っていって、結局、思い出話に花が咲いておしまい。
と。
割と楽しい時間だったとは思う。
思うけど、今になって冷静に考えたら、オレがこの人と一緒に居た時間って、1年にも満たない位なんだよね。
何か、昔、結構長い時間色んな事を一緒にやった仲だと思ってたけど、1年にも満たない。
それどころか、オレが1年の時、彼女が3年だった訳で、秋には、演劇も引退したから、実質、一緒に演劇とかやったのは、半年足らず(しかも、間に夏休みを挟んだ。)だと。
改めて、あの頃は、1年の。
1ヶ月の。
1日の密度が濃かったんだと思った。
「王道軽症」のレコーディングに1年かけたんだ。
その1年。
何があったんだよ。
その半分の期間なのに、毎日毎日の思い出がダラダラと沢山あって、「あの時、あいつはこう言ってた」とか「あそこ行ってこんな事した」とか「あの頃好きだったバンドはどうだ」とか・・・そんな事を何時間か話してもネタが尽きないとは・・・
思えば、その感覚は、どんどん減ってきてる気がする。
嫁とも、出会い始めの頃は、そうだったと思う。
永遠のように長く感じてたニート期間だって、実は、たかだか半年程度でしかない。
でも、あの頃の毎日は、今でも同じように思い出せてしまうんだから、きっとそうなんだろう。
同じように過ぎていく時間。
ただ、体感する自分の感覚の中でだけ、少し早まっている時間。
だとしたら、もう少し、1日1日を大切にした方がいいような。
そんな気持ちを持つ夜でした。
31歳の目標は、1日1日をしっかり刻み込む。
と言う事にしよう。
例えば、ブログに書く。
でもいいので。
もう、あんまり、物語とかは書くことが出来なくなっちゃったからね。
その分、日常を書き留めていこう。
ストーリーマンガ(ワンピース、ナルト、ブリーチ、彼岸島を省く)はすぐ終わるけど、日常マンガは終わらないんだ。
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- 2014年8月11日 21:52 CAT :
-
ダンブルドア軍団襲来の日
何か、化学調味料を使う事で、減塩に成功と言う記事を見た。
どこで見たか、ソースがなんだったのか?そもそも、これ本当か?含めて、全体的に怪しいので、そう言うところに、五月蝿いヤツは、読まないでください。
もしくは、豆腐のカドに頭ぶつけて死んでください。
(別に、うらみもないけど・・・)
糖尿病なので、砂糖の代わりに人口甘味料を取ります。と言うようなもんだろうか?
化学調味料自体、最近では、当たり前に使われすぎて、昔ほど、拒絶反応がある人は少ないような気もする。今時、ここに敏感に反応してるのは、自己満足の似非オーガニック野郎くらいだろうて。
でも。
だからと言って、塩を使わないように、化学調味料を使う・・・ってのは、違くないか?
塩は取りすぎると体に悪い。化学調味料も取りすぎると体に悪い。
と言うか、取りすぎて、体に良いものなんて、この世に1つもない。
全て、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」だ。
野菜が体に良いと言うけれども、ホントのベジタリアンの平均寿命は、普通に生きてる人の平均寿命より短い。
むしろ、肉ばっかり食ってる人のほうが長生きだったりする。
でも、本来あるべきものを、本来あるべきではなかったものと取り替えてしまう。
と言うことに対して、何となく、恐怖心を感じる。
その内、全てが本来あるべきではなかったものと入れ替わってしまう。
そんな食生活って、何となくイヤなんだよな。
将来、食に関するその全てを、本来あるべきではなかったものと取り替えていったと仮定する。
例えば、栄養サプリメントとか、カロリーブロックとか。
そして、数千年が経ち、いつしか、人間は、食欲と言うひとつの欲をなくしてしまう。
高校時代に、そんなお話を読んだ事があるような・・・確か「食欲のない話」・・・だったかな?
その始まりが、本来の調味料である「塩」を「化学調味料」で置き換えていく動きなのかも知れない。食べる事が大好きなオレは、そんな事にとてつもない恐怖を感じておるのですよ。
フルフルと震えつつ。
肉が食べたいわけであって、肉っぽい化学調味料が食べたいわけじゃあないんだよ。
オレわ。
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- 2014年8月10日 1:57 CAT :
-
空高く空高く昇っていければ・・・
ある一日が過ぎて
ある一日がやってくる
積み重ねは気がつけばそれはそれは大きなモノになり
下の方にあったものは少し重みで歪になる
歪にはなるけれど
忘れる事はなく
下があるから上がある
いつか崩れる事になるとしても
全てはなくならないと信じたい
いくつかは残るだろう
そこからまたはじめると良いと思う - この記事を見てみる ⇒
- 2014年8月9日 20:24 CAT :
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青い月の夜~後篇~
・・・昨日の続き。
誕生日の夜にこんな話を書くと言うのもなんと言うか、変な感じだけど。
30代に入っての一種の懺悔みたいなもんだ。
そう考えると、ちょうど良い。
と言う事にしておこう。
今日は、チョッと、切ないお話しです。
さてさて。
いきなりバンド解散の危機を迎えた、3人・・・からだったよね。
そこへ来て、考えた事は、「じゃあ、ベースのヤツ見つけてきたら良くね?」だった。
確かに、ギターが2本のバンドは良くあるわけだし、そもそも、そう言えば、ドラムと言うパートも必要だったからだ。
どちらにしても、メンバーの補充はしなければならなかった。
そこで、もう一度卓球部の面々を(T君も所詮、卓球部位しか友達が居なかった訳で・・・)説得がてらに誘ってみた。
前回とは違い、すでに、オレとT君が中心になって動く事が決まってて、「手伝ってくれるだけ」と言う、お気楽ポジションだった事もあって、じゃあやろうかと言うヤツが2人見つかって、しかも、その2人がベースとドラムで良いよ。
となり、あっさりとこの問題は解決した。
それどころか、そのベースのヤツが(こいつもT君なんだけど。)、結構、幼馴染とか多くて、「そいつがやるんなら、オレもやりたい。」と言うヤツがいきなり何人も増えた。
その結果、アホ見たいに、大所帯のバンドになってしまうんだけども・・・
友達の居なかったオレとしては、なんか(人の威光なのに)、オレのバンドに急に人が増えた=オレの事を認めるヤツが増えた=オレはやっぱり凄かった。
と言う、謎の中二病思考で、非常に悦に入っていた。
そして、改めて新しいメンバーも増えた事だし、もう一度、やりたい内容について、決める事に。
その中で、やはり、人前でやるのに、変なマニアックな曲はしたくない。
今、はやってる曲をやりたい。
という意見が多かった。
T君の意見として、以前に却下したヤツと同じような内容。
でも、オレは、せっかく増えた、まだ、友達ともいえない距離感の数人を失う事を恐れ、「それで行こう。
確かに、人前でマニアックな曲とかするなんて、オタクだよな。
オタクのH君は死ねばいいのに。」と決めてしまった。
(ちなみに、自分の意見は曲げずに、オリジナル曲を1曲やることは了承させた上で。)
しかも、(一応)創設メンバーのH君が登校拒否でいないその場で。「あいつは、所詮オレの思い通りになる。
また、ちょっと脅せば、嫌がってたあいつも折れるだろう。」と言う考えがあった。
ホント、クズの極みでしかないと思う。
オレだけど。
取りあえず、H君にはその説明をしに行った。
しかも、結構軽いノリで。
でも、反応は、予想外のものだった。
まず、そんな大人数で馴れ合いみたいにしたくない事。
そして、流行りものに乗っかって、売れてる曲やるとか恥ずかしくて絶対嫌だと言う事。
オレは、前と同じように脅しに脅した。
けれども、H君の態度は変わらなかった。
最後には、「じゃあ、もうお前とは、これまでやな。
これで、この家にもう来なくていいなら、スッキリするわ。」位の捨て台詞も言った気がする。
バンドの練習が始まった。
曲は、当時流行りにはやってたGLAYのHOWEVERになった。
それと同時に、オレは、自分で曲を書く事に、必死になってた。
H君は、前にも増して学校に来なくなった。
オレは、初めて人前で注目され、そして、生まれ変わるべく、日々悶々とよからぬことを考えながら過ごした。
H君のことなんて、もうあんまり頭の中になかったかも知れない。
たまに、メンバー間で、話題になり、ネタにされ、その度、オレもその輪の中で、彼を非難、罵倒し続ける。
そんな毎日だった。
学校の文化祭内でと言う、オレの初ライブは、まぁ、滞りなく終わり、オレは、自分の作った曲を何百人と言う人の前で披露することもできた。
初めて、自分の作ったものを人前に出した瞬間だった。
でも、何も変わらなかった。
バンドは、文化祭が終わったあと、解散し、そして、またオレは一人になった。
唯一変わったのは、もう、H君と会うことがなかった事だろう。
次にH君とあったのは、中学校の卒業式の時だった。
卒業式も終わり、特に何をするわけでもなかったオレは、何も書き込みのない真っ白は卒業アルバムを持って帰ろうとしてた。
自転車置き場で、H君と出逢い、彼は、そこで話しかけてきた。
半年・・・以上振りの会話だった。
H君は唐突に「お前といた時間が一番楽しかったです。」と言い、ぺこりと頭を下げた。
それに対して、オレは、周りの目(しかも、結構、オレもH君を罵倒してた関係上。)を気にしながら、メンド臭そうに「お前はホントうざかったよな。」とだけ返した。
彼は、苦笑いして「相変わらずやな」と言い去っていった。
それ以降、一度も会っていない。
今にして思えば、H君が、バンドをやると言ったのは、オレの脅しに屈服したわけじゃあなく、一緒に何かをする行為に意味を感じてくれていたのかも知れない。
今でも、時々、あの卒業式の時のことを思い出す。
音楽を始めた時の話をすると、決まって、この話を思い出す。
T君にとっては、「モテたかった」「目立ちたかった」と言う不純な動機があったのだろう。
オレにとっては、「自分が如何に天才かを知らしめたかった」と言う不純な動機があったのだろう。
でも、H君にとっては、もしかしたら一番不純じゃない動機があったのかもしれない。
だから、譲れなかったのだろうし、そして、あの卒業式につながっていくのかもかもしれない。
後半は、ほとんどオレの妄想だけれども、きっと、そんなに外れてないような気がする。
(もっとも、今、H君に出会って、その話をしたところで、苦笑いで否定するだろうけども。)
彼との思い出も、じつは結構ある。後日談も、ちょっとあったりする。
それについても、いずれ、ここで、書き連ねたい思うんだけれども、今回は、まぁ、ちょっとこの辺にしておきますです。
・・・少し、長々と昔語りをいたしました。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
今日、31歳になりました。
・・・これでいいのだ。
・・・これでいいのか。
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- 2014年8月8日 20:37 CAT :
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青い月の夜~前篇~
音楽の始まりの話。
と言えば、単純に親に勧められて、幼稚園前から、ピアノを習ってましたが、小学生くらいで、意味を見いだせずに辞めてしまいました。
終わり。
なのかもしれない。
その後、中学生に入り、もう一度ピアノを習うようになった。
取り合えず、オレが弾いてるピアノに関しては、ほぼ100%この時期の技術だけで補っている。
その後、成長などはしていない。
むしろ、高校の頃の方が、圧倒的に鍵盤を弾く技術は高いと思う。
ただ、そう言う話ではなく、自主的に音楽と言うものをやりたいと思った初めの話となれば、それは、きっと、中学3年の時の話になる。
当時、卓球部に所属しつつ、自分の事を天才だと信じて疑わなかった(逆を言えば、それ以外のほぼ全ての人を見下していた)オレには、友達と呼べる人間など、ほぼ皆無だったと思う。
それは、友人に恵まれてなかったとは思わない。
オレでも、あの頃のオレとは、友達にはなりたくない。
その位、ひねくれくそ曲がった中学生だった。
何とか、卓球部のやつらは、礼儀上の付き合い位はしてくれてた。
・・・と思う。
それ以外に、もう一人。
登校拒否で学校に来てなかったヤツが居た。
名前をヒロセと言うので、ここでは、H君としておこう。
オレは、そのH君と、クラスが同じだった。
今はもうきっかけは、すっかり忘れてしまったけど、なぜか、オレは、このH君を家にまで行って学校に引っ張ってくる役割を与えられていた(元々、友達だからと言う理由だったような気もするけど。)。
思えば、登校拒否してるようなヤツを相手にしてやってるオレって、やっぱ良いヤツ。
と言う、糞みたいな偽善のためだけにやってたような気がして、本当に、当時のオレをぶん殴りたくて仕方がない。
でも、そんな事実があったりする。
H君に会う事があったら、当時の話に花を咲かせながら、一言謝罪したいと思いつつ、一度も会えずに、この歳まで来てしまった。
まぁ、長くなったけど、前置きとしてはこんな感じだと思う。
ある日、部活の部長をしてたやつ。
名前をタカギと言うので、ここではT君とする。
そのT君が、「今年で中学卒業だし、文化祭で、バンドをやらないか?」と誘ってきた。
それは、オレを。
と言うよりは、部活の全員に対してだったように記憶してる。
ただ、卓球部。
と言えば、そのステレオタイプ通り、引っ込み思案で、根暗なヤツばっかりだったので、そんな話に乗るヤツなんて居なかった。
自分の事を天才だと信じて疑わないオレ以外には。
そんなこんなで、文化祭でのバンド出演の話は、オレとこのT君を中心に動き始める事になる。
なるんだけれども、どうにも2人ではどうしようもない。
かと言って、友達も居ないオレは、取り合えず、前述のH君を誘う事にした。
登校拒否してるヤツを文化祭のステージに上げようと言う、鬼畜の様な提案だけど、「あいつなら、オレの言う事を拒否できないだろう」と言う、打算的な考えがあった。
ホントに、殴りたい・・・
実際に、話を持ちかけた。
チョッと脅しも入りながら。
(やらないんなら、分かってるよな。
もう、家に来てやらね~ぞ的な。)そして、半ば無理やりH君をバンドメンバーに入れてしまった。
3人いれば、なんとかなるか。
と言う事で、3人で、パート決めと、演奏する内容の相談を始める。
卓球部のクセに目立ちたがり屋のT君は「ギター」を、オレは、ピアノを習ってたので「キーボード」を、消去法でH君はベースをする事になった。
そして、次に内容を決める。
目立ちたがり屋のT君は、今売れてるバンドのコピー。
オレは、オリジナル曲を。
引きこもりでクソオタクなH君は、好きなゲームの主題歌のコピーを。
平行線をたどった。
取り合えず、調和の為にある程度妥協できる(一番人間が出来てた)T君が、真っ先に折れ、後、二人は絶対にオレなかったので、オリジナル曲1曲と、H君のやりたかった曲をやる事で決まった。
ちなみにその曲は、「テイルズ オブ デスティニー」の「夢であるように」。
DEENさんの曲ですよね。
オレも、当時この「テイルズ オブ デスティニー」は結構はまってたので、そこまで拒否する気はなかった。
「夢であるように」名曲だし。
実際に、動き始めたように見えた矢先・・・またしても問題が勃発した。
ベースのはずのH君が、自分のこずかいと、親の金を使って、ギターを買って来たのだ。
消去法で、「じゃあ、お前ベースな」となってたけど、本人は、本当はギターがやりたく、T君がギターを手に入れる前に、ギターを買ってしまえば、あいつはベースをするしかなくなるだろう。
と言う、まぁ、コミュ障引きこもり登校拒否中学生なら、納得の思考の流れと言ってしまえばそれまでだけれども。
T君もここはさすがに譲らなかったために、いきなりバンド解散の危機に。
まだ、一度も音合わせすらしてないのに・・・
で、どうしたかと言うと・・・
って、結構長くなってしまったので、この話、2日に分けます。
興味ある人なんていないと思うけど、次回を待っておくれやす・・・
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- 2014年8月6日 23:47 CAT :
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時が経つのは早いのぉ~
この9月で、レベム結成15周年。
・・・らしい。
何の話か分かるやつは、たぶん、この日本に4人くらいしかいないと思う。
レベムってのは、オレが、中学自分、初めて組んだバンドのこと。
4人ってのは、そのことを覚えてる奴が、メンバーの中に何人かいるかも知れない。
って言う、希望的観測で、言ってみただけだったりする。
ただ、まぁ、実際、この前、昔っからの連れと飲んだときに、この話になったから、たぶん、希望的観測と言うだけではないと思う。
当時、メンバーのほとんどが卓球部に所属してたので、親や教師からは、蔑みを含めて「ピンポンバンド」とも呼ばれてた。
ちなみに、「レベム」ってのは、・・・「ラーニング 何とか ボーイ ミュージック 何とか 何とか」の略だったような気がする。
命名したのは、ギター担当のT君(って言うか、タカギ)だったように思う。
凄まじいダサさ・・・
確か、ボーカル1人に、ギターが3人(4にんだったか?)、ベースが2人に、キーボードが1人、ドラムが1人、体育座りが2人の大所帯バンドだったはず。
(オレは、キーボードね。)
このバンドの唯一ただ1回だけのライブで披露した、オリジナル曲「バッドラブ」は、なんとなく、オレが個人的に「影の上のボーニョ」と言うアルバムで、セルフカバーなどしてみてたりします。カバーバンドだったんだけど、オレが、とにかく、楽譜見ながら練習するのが嫌で嫌で、作曲ばっかりしてたもんだから、オリジナル曲は割とたくさんあると思う。
(と言っても、4曲位だけど・・・)
そのうち、「昇華」「true of the world」は、個人的に、セルフカバーしておりまして、あとの1曲「ENDEST」は、メロディーラインそのままに歌詞を書き変えて、その後、高校の頃にやってた「シータ」と言うバンドさんの曲「約束の場所で」になってるので、何気に、レベムのオリジナル曲は、全部形になってる。と言う事にしてしまっていんでしょうかね?
チョッと、そんなレベムの思い出話でも書こうかと思ったんだけど、この話を書き始めると、オレの中学時代の唯一の(と言って良いか微妙だけども。)友達、H君(っていうか、ヒロセ君)との、ちょっと甘酸っぱい話を書かなければいけない。そして、その話は、バンドの話とは、ずいぶん外れてしまうので、また次回・・・と言う事で・・・
取り敢えず、オレのはじめてのバンド、レベムは結成されてから、今年で15年が経った。
そして、15周年で、当時のメンバーが集まって、再結成などと言う話はない。
このバンドは、オレと、あと一部の奴らの思い出の中だけのバンドなんだよ。
多分ね。
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- 2014年8月4日 23:30 CAT :
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鳥と空と海
ドリフ世代からは、少々外れます。
全員集合世代ではありません。
でも、子どものころから、「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」を見て、「だいじょうぶだあ」を見て、「ドリフの大爆笑」を見て育ちました。
本来なら、「ごっつええ感じ」の世代なんだけど、親が「ダウンタウンは教育に悪い」と言う素敵な方針だったので、「ごっつええ感じ」を見た事が実は、ほとんどないんだよね。
でも、親父がドリフターズ大好きだったから、ドリフは見ても良かった。
(今思うと、ドリフも大概だと思うんだけど・・・)
そんなこんなで、加トちゃんの現状を見るのが辛いです。何か、体調不良とかでって言うなら、理解できるけど、あれは、どっちかと言うと、ゆるやかな公開老人虐待。
でしかないと思う。
悲しいことだ。
さてさて。
文章力ってのは、書かないと、読まないと、どんどん低下していくらしい。
基礎的な、国語力とかは、減ったりしないだろう・・・って思ってたんだけど、文字から離れてると、それさえも亡くなっていく見たい。
結構愕然とする。
自分で書いた文章を読んで、「なんだ?この小学生レベルの文章は?」と。
何か、学生時代、本を読みあさって、新聞を読みあさって、書き倒しまくって、文章力を身につけようとしたのに・・・あれはなんだったのやら・・・
でも、ふと思う。
この文章力が全くなくなってしまえば、最後に残るものは何なんだろうか?
娘が描いてる絵を見ると、それはそれは凄い。絵の技術なんてものは、まったくないのに、自分の感覚だけで書き倒してる。
目に見えたものを、思うがままに描いている絵。
あれに比べれば、デッサンとか、パースとかアホらしくなってくる。
(もともと、そんなものに興味ないけれども。)
文章にも、同じことが言えないだろうか。全く文章力がなくなってしまった後に残る文章。
それは、並大抵のことでは、書けないと思う。
でも、どうせ、文章力がなくなるんであれば、そこまで無くなれば良い。
亡くなってしまえば、そこに、凄い文章が並ぶんだろうて。
今は、言ってみれば、そこまで無くなるわけでもない、。
ただの詰まんない文章・・・。
こんなはずじゃあなかったのに。
絵で言うところのピカソがそれなんだろうね。
ただ違うのは、彼は、すべてを習得した上で、意図してそれを捨てた事。
知ってしまった今、それを捨てる為には、何を捨てるべきかを、すべて習得しなければいけないんだろうて。
そんな文章については、来世に期待する事にしよう。
無念はひとたび毎に起きやがる。
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- 2014年8月2日 23:03 CAT :
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結構いい人だったから好きになっても良かったけどね
今まで結構な量の色んなジャンルの音楽を聴いてきたと思う。
「まずは、邦楽を」と言う事で、メジャー、インディーズ問わず、とりあえず、目につくモノを片っ端から聴きまくったりした。
し、最近では、いくつか洋楽も聴いてみた。
その中には、やっぱりしびれる曲と、ホロっとなる曲も、ついつい聴きたくなる曲も、カッコいい曲も、可愛い曲も、おしゃれな曲も、何だかよく分からない曲もたくさんあった。
もちろん、まだまだ聴き足りていないと思う。
全体の1%も聴いていないと思う。
統計学的には、全然まだまだ何の傾向も分からない程度しか聴いてない。
でも、聴いてきた全ての楽曲がどうしても越えられなかった壁があって、その先にいたのは、やっぱり「筋肉少女帯」だけだった。
みたい。
やっぱりね。
別格なんだよ。
「筋肉少女帯」だけは。
そんな「筋肉少女帯」の4年ぶりのニューアルバムが、今年発売になる。
それを、今からすでにそわそわと待ちわびているんですよ。
オレが、ファンになった時は、絶賛活動凍結中だった。
うっちーとおいちゃんが、「筋肉少女帯」の名前を守り、オーケンは「特撮」、ふーみんは「XYZ→A」、太田さんは、よく分かんない状態だった。
そこから、奇跡の仲直り。
数々の名曲を実際に演奏するライブも見れて、新曲さえ聴ける。
それだけで、何と素晴らしい時代なんでしょうね。
と、思います。
思うんですよ。
筋肉少女帯の曲に、嫌いな曲はない。
好きな曲しかない。
順位は、つけられない。
でも・・・何度も言うけど、一番好きなアルバムは、「キラキラと輝くもの」。
初めて、筋肉少女帯に触れたアルバム。
そして、あまりの興奮に、まったく眠れなくなってしまった初めて聴いた夜。
これは、思い出補正だろう。
オレが、ナゴムの頃を知っていたら、その時代、最高傑作と名高い「サーカス団パノラマ島へ帰る」か「仏陀L」「シスターストロベリー」を選んでただろう。
単純に楽曲だけで行くなら、初期の曲の方が、心に響くだろうし。
でも、オレは、「キラキラと輝くもの」が良いんだよ。
あのアルバムが。
どれだけ、ダウンロード、配信が主流になっても、オレは、好きなアーティストさんのアルバムを買い続けるよ。
形に残らないものに、愛情は注げないと思う。
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- 2014年8月1日 23:07 CAT :
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僕らはみんな意味はない
もう少しで30歳が終わってしまう。
三十路一年目が終わってしまう訳だ。
そんなこの一年。
取り合えず、個人的に集大成と言ってもいいと思ってる「王道軽傷」と言う作品が完成した事は良かったと思う。
記念の良い一年になったよ。
うんうん。
そもそも、30年生きてきた結晶だろうと思ってる節があるから。
何かを作る時、毎回、これまで生きてきたモノを詰め込んで集大成だ。
と思って作ってたりする。
その中でも、きっと、ひとつ大きな作品が出来たと思ってる。
そんな、三十路志茂田さんですが、こんな感じでありつつも、一応、30歳になるまでに自分の家族を持つ事になりました。
先日、50歳、独身、フリーター女の悲惨な日常と言うモノを見た。
下見て暮せじゃないけど、まだ、マシだと思ってしまった。
もちろん、今の生活にも余裕なんてあんまりないけれども、それでも、割と幸福度は高いような気がする。
それがいつまで続くのか分からない。
人生なんて、ある日突然不幸になるもんだと思ってるし。
でも、いつ不幸になるかもしれないから、今は、幸福度高めでも良いと思う。
問題は、この幸福度と言う感覚だ。
昔は、「今が楽しい事」が、幸福度の高さだった。
でも、ここ最近は、チョッと違ってきた。
正直、「今が楽しい事」だけを考えるんなら、オレは、今みたいにぼろ雑巾になりながら、仕事なんかしてないだろうて。
言っちゃあ悪いけど、適当にバイトでもして、何とか生活できるくらいの収入で、のんびり遊んでたい。
実際、そうやって20代前半をほぼ無為に過ごした。
(まぁ、あの期間も無意味だとは思ったないけれども。)
でも、歳と取るにつれ、「意味がある」こと、そして、「未来につながってる事」が幸福度の高さになって来たような気がする。毎晩、すやすや眠る娘の顔を見て、いっぱい遊んだ日の夜には「ふふふ」と寝言で笑ってる娘の顔を見る。
とか。
何だったら、この前仕事中に、娘がいたずらで嫁のケータイから電話してきて「あ~たーたん(お父さんの事)」ってだけ言って、後はガーガー言ってたのでさえ、殺伐として、死にかけてた職場で、凄くほっこりしたよ。
別に、子どもが居る事が重要だと言う訳じゃあない。
でも、何となく、オレが居る事に意味があるって事が、嬉しかったりする。
その為なら、頑張ろうかなぁ~って気になるんだよ。
それって、友達が居るって事とは、また少し違う意味だと思う。
そう言う意味での、居場所は前から多少はあったけど、その時には、感じる事の出来なかった感覚だと思う。
自分が存在する事に、誰かが意味を見出してくれて、それが、何となく将来につながってるような気がした時、ちょっぴりほっこりするんだろう。
この幸福度があると、割と強くなれるみたい。
オレも、嫁も、このお陰で随分強くなれたような気がする。
まだまだ、問題山積。
楽な生活とは無縁な生活ですが、それでも、毎日は、割と幸せなんだよ。
だから、丸くなっちゃって、変なものが作れなくなってるけれどもな。
じんじろげのはんじょろげ。
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- 2014年7月30日 23:06 CAT :
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あらゆるものは踏みつぶされて塵となって風に舞って消えていく
ずいぶんと期間が空いてしまった。
イヤ何。
色々と忙しかったとしか言いようがないんだけど、取り合えず、忙しかったんだよね。
忙しかったんだ。
インディアン嘘つかない。
オレ。
イソガシイ。
とは言え、この間。
別に何もしてなかった訳でもなかったりする。
取り合えず、文章を書き倒してた。
何か、セミナーの宿題的なもので、自分の過去から今までの自叙伝みたいなヤツを、3000文字くらい書いたり、会社で作る本をメインで書かされリ、そもそも、仕事のブログの方は、今月15件位更新してたわけで(それも、1回の投稿が長いんだよこれが。
まぁ、オレが書いてんだけども。)、ホントに色々文章書いてた。
多分、「永遠の向こうにある果て」を書き上げたあの1カ月に匹敵する位の文章量だと思う。
ただまぁ、これが全体的に「固い」文章だから、書いてるこっちとしては、大して面白くもないんだよな。
固い文章何てクソくらえだ。
さてさて。
この間、書きたいネタは結構たまってるんだけど、取り合えず、先日、ツイッターの方でチョッと触れたお話でも。
ある夜、床に就いた時、嫁がふと話しかけてきた。
「一番古い記憶はなに?」と。
そんな事、あんまり考えた事がない。
ないと言うより、人に言われなきゃ、なかなか自分でやろうとするものでもない。
チョッと面白そうなので、早速色々と自分の子ども時代の記憶を掘り越してみた。
でも、その段階で不思議な事が分かった。
オレの一番古い記憶って、多分、ひいじいちゃんと散歩してた事だと思ってたんだけど、その記憶の風景に違和感があるんだよ。
何かって、その記憶の中にオレが居るんだよ。
オレとひいじいちゃんが二人で散歩している情景が頭の中に浮かんでくる。
・・・これは、オレの記憶か?
他にも色々ある。例えば、ばあちゃんちで、オレが、門の所から、畑にいるばあちゃんを呼ぶ情景。
従兄と従兄の勉強机でプラモデルで遊んでる情景。
クリスマスに朝起きたら、サンタさんからのプレゼントがあって嬉しすぎて、そのプレゼントを何故か親父に投げつけてしまって怒られた情景。
家にあった砂場を赤土が出てきても掘り続けて、ばあちゃんにしこたま怒られた情景
などなど・・・でも、全部、その情景の中にオレが居るんだよ。
普通に考えたら、オレが居るはずない。
オレが見た情景なんだから、ばあちゃんとか、従兄とか、親父とかが居ないとおかしい。
なのに、その人たちが居ない。
表情も分からない。
でも、オレの表情は分かる。
オレは居る。
チョッと怖いけど、可能性はふたつある。
ひとつは、オレの記憶は、オレのものじゃあなくて、誰かの記憶。
または、哲学的に言う、世界が5分前に出来たとして、そこに配置された人間にはそれぞれに作られた記憶を植え付けられた。
と言うあれ。
あれの、不良品版。
と言う可能性。
もうひとつは、すでに、その辺の記憶はなくなってしまっていて、今あるのは、後年に、自分も映ってる写真とか、人の話から、勝手に自分でねつ造した記憶。
と言う可能性。
出来れば、後者である事を願う。
その場合には、自分の記憶に自分が居る事も何となく説明できてしまう訳だし。
後者である事にする。
後者であるとして、そう言うねつ造の記憶を取り合えず、省いてみた。
そうすると、ビックリする位記憶がない。
悲しくなる位記憶がない。
家の前には割と大きな道が通ってて、何だか眠られらない夜。
その道を車が通るたびに、照らされるカーテンの色。
そのカーテンが、何だか、昆虫人間の顔の様に見えて怖かった事。
幼稚園の砂場にあった大きな滑り台の上から滑ってくる同級生(その時、たしか、滑って来たその同級生に蹴飛ばされたような・・・)
小学校2年生の遠足の時、普段、オレをいじめてた、やんちゃなヤツが、迷子になって、見つかったけど、泣きながらバスに乗り込んできた事。オレの大事にしてたガンダムのカードを、訳の分からないジャンプのおまけカードと無理やり交換させられた事(この時、嫌がって、しこたま殴られ蹴られたはず・・・)
ぐらいしかない。どれも、意外と古くない。
幼稚園位か。
幼稚園なら、一番の記憶は、先日ブログでも書いた手帳の話だってある。
もっと古い記憶だ・・・一番古い記憶だ。
と、もっと色色思いだしてた。
(その間に、どうでもいい感情も色々思いだしたので、それについては、また後日にでも・・・)
そして、見つけた。多分一番古い記憶。
記憶の根拠は、まずオレが居ない事。
そして、視界が異常に低い事。
多分、一番低い。
だから、一番古いと言えるかどうかは分からないけど、多分そうだと思う。
せっかくなので、その情景を絵に描いてみた。
▼ ▼ ▼ ▼
何か、曖昧すぎてうまく書けなかったけど、こんな感じ。オレの実家は、じいちゃんが立てた後、親父と弟(叔父さん?)が生まれた時、親父が結婚した時、オレとか妹の部屋を作る時と、何度も、改増築を繰り返してる。
その為、何か凄い歪な形の時期があった。
オレが生まれたばっかりの頃、母屋からはみ出すように細い廊下が出ていて、その先に、狭い部屋が2つとトイレだけがある場所があった。
その部屋は、親父と弟の部屋だったらしいんだけど、とにかく、オレは、この廊下が怖くてしょうがなかった。
何せ、薄暗い電気しかつかない上に、その廊下に出るためには、応接間を通らなくちゃいけないんだけど、その応接間には、めっちゃ怖い虎の絵があったから。
その恐怖しかなかった廊下の、母屋寄りの部屋(多分親父の部屋)には、(今考えると、結構凄かったんだと思うけど)大がかりなコンピューターと、印刷機が置いてあった。
で、親父が、時々そこで、書類とかを色々作ってた。
・・・煙草をモクモクしながら。
その部屋は、多分、ちゃんと、戸が閉まらなくて、真っ暗な廊下には、常に、その部屋の明かりがもれてた。
オレは、時々、恐怖を抑えて、その部屋で仕事をしてる親父をのぞきに行ってたんだよ。
とてつもない恐怖の中を歩いて行って、その先に、親父を見つけて、ホッとする感覚が結構クセになってたんだと思う。
妹とと、交代で良く見に行ってたような気がする。
その時の、親父の後ろ姿・・・を書いたつもり。
あの廊下は、オレの部屋を作る時に、取り壊されて、今はもうなくなってしまった。
でも、今でもはっきりと覚えてる。
あの廊下の感じ、匂い、恐怖。
その全て。
それが、多分オレの一番古い記憶なんだと思う。
取り合えず、この記憶が亡くなる前に、ここに書く事が出来て良かった。
と言う事にしておこう。
何か、凄い長くなってしまったけど、今日の所はこの辺りで。
一番古い記憶の話。
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- 2014年7月12日 20:43 CAT :
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昔昔のお話です
「この世の中には、思い通りになる事なんて一つもない。」
とは、オレの大好きなばあちゃんが良く言う言葉。90年近く生きてきて出した答えが、これと言うのも、なかなか凄いと思うけれども、ふと思った。
少々哲学的な話だけれども。
仮に、本当に「この世の中には、思い通りになる事なんて一つもない。」としよう。
でも、それを口に出して、「この世の中には、思い通りになる事なんて一つもない。」と言った瞬間、本当に、「思い通りになる事なんてひとつもない」と言う思いだけは、叶っているんじゃあないだろうか?
これをもう少し、発展させてみる。ネガティブな事を口に出す事で、事がら自体はネガティブでも、ポジティブな状況に持って行く事が出来るとは、言えないだろうか?
だとしたら、これは相当な魔法の言葉の様な気がしてきた。ばあちゃんがここまで考えてるかどうかは知らない。
でも、この言葉には、そんな力があるんだと思う。
きっとあるんだろう。
それを、ばあちゃんは、90年近い人生の中で見つけ出した。
オレも、あと何年。
いや、もしかしたら、あと何日かもしれないけれども、生きていく中で、こんな理を一つくらいは見つける事は出来るんだろうか・・・
見つけられるようになりたいもんだな。
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- 2014年7月11日 22:45 CAT :
-
顔本
言葉を書いてないわけじゃあない。
むしろ仕事の方で、書きまくってる感じはある。
あるんだけれども、そのどれもが、本来書きたいものじゃあない訳で、そういう意味で、文章とかも書けてないよな。
何か、仕事がメインになりつつある。
まぁ、オレの場合、会社のお仕事にもなかなかどうして、閑繁の差が多く、繁忙期には、何にも手につけられない。
と言う事実はあるんだけれども。
取りあえず、今の繁忙期が終われば、何か、ひとつ始めよう。
そうしよう。
さてさて。
最近、意味もなくfacebookなど、再開してみました。
意味は特にない。
ちょっぴりだけ、いろんな人とのつながりも大切にしようかとか、柄にもないことを少しだけ思ったりしただけ。
でも、この実名でのネットの繋がりと言うものに辟易してきた。
開始1週間程度で。
誰かが、投稿した内容に対して、それに興味があるなしに関係なしに、「いいね」を押し、あるいはコメントを残すんだろう。
すべての投稿に「いいね」を押す「どうでもいいね」と言うアプリがあり、それがある程度需要がある。
と言う観点から考えると、意外と同じことを思っている人がいるのかも知れない。
要するに、「いいね」するの面倒くさいけど、社会的な繋がりとか関係のために、「いいね」しとくか。
と。
ネットって、そういう実社会とかけ離れた世界であることに、一定の心地よさがあったと思う。
実社会での疲れをだからこそ、ネットで癒すことができたんだと思う。
なのに、そのネットの社会にまで、実社会というやつが、入り込んできているこの現状。
なんだろう。
facebook立ち上げてると、全く安らげない。
facebookにおいて、嫌われる投稿といえば、「リア充アピール」らしい。
でも、ほとんどの投稿って「リア充アピール」のような気がしてならない。
facebookについて、オレが失敗した点は、会社関係とか、そういう人たちとの関係がある程度出来てしまったことだと思う。
オレの事をある程度わかってくれてるお友達さんたちとだけなら、もう少し気楽になんでも出来たんだろう。
でも、流石に、会社とかその辺では、ある程度常識人の皮をかぶって生きてる(つもり)なわけであって、人間関係とかもある程度気を使ってたりする。
もうでも、それも疲れてきたし、今後は、「どうでもいいね」はやめて、ちゃんと興味のあるネタに「いいね」。
「コメント」していくことにします。
んで、少しずつ投稿とかもしてみます。
さようなら。
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- 2014年7月10日 23:29 CAT :
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ボインすうぞう45歳童貞魔法は使えるけどMPは0
赤ちゃんの頃に、母親に大切にされなかったら、その時は、大丈夫でも、将来的に、どうしても、精神的に弱くなってしまうらしい。
「手のかからない子」と言うのは、親が、赤ちゃんを大切にしてなかったから、赤ちゃんが、親に対して何も期待してない状況の事らしく、それを自ら言う親は、言ってみれば「私は、この子とちゃんと向き合ってこなかったから、向こうも私の事をお母さんだと思ってくれなくて、何も要求してこないの」と、自ら宣言しているに近い。
(チョッと飛躍しすぎだけれども。)
根拠がない。事もないらしい。
色々な研究の結果かもしれない。
もしかしたら、「良く泣く子は肺が強くなる」と同じ、行き場のない感情に対して折り合いをつけるべく、言われるようになった事なのかもしれない。
ただ、子どもの頃、相当手のかかる子だった(らしい)オレに置き換えて見る。
・・・と、思春期までには、ガラスの心で、すぐに世を儚み、自殺しようとしてたオレだけど、大人になるにつれて、段々心が頑丈になっていき、色々凹む事があっても、むしろ、家族を励ましながら、何とか持ちこたえられるようになってる・・・みたい。
その部分。
今更ながら、親に感謝するべきかもしれない。
つまり、「ちゃんと育ててくれてありがとう。」と。
まだ、言うには早いので、ここでしか言わないけど。
そして、娘は、今、それはもう自分の要求をひたすら言いまくる。
言ってくれる。
まぁ、それはどちらかと言えば、オレより、嫁が、娘とちゃんと向き合ってくれてるからなんだろう。
なんだろうけど、それでも、この子が、色々ありながらも最終的には、心の強い子になってくれやしないかと。
そんな事を最近考えております。
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- 2014年7月9日 22:30 CAT :
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明日は良い日なれるように毎夜願って眠りにつく
最近忙しくて、何ともやりきれない虚無の日々を続いけております。
なんと言うか、「王道軽傷」が完成して以来、若干、燃え尽き症候群になっている感じがあるようなないような・・・
多分、何かしら作ってないと、心が正常に機能しないのかもしれない。
毎日、頭の中に浮かんでは消える物語。
言葉。
情景。
メロディー。
その全てがすくい取ることなく、浮かんでは消えていく日々。
それが無駄じゃあないことはわかってる。
わかってるんだけど、それでも、消えていくことに少なからず悲しみを覚え、そして、毎日が、以前とは比べ物にならない位グダグダを過ぎていく。
それとは全く関係ないところで、娘は、凄まじい勢いで物事を勉強して成長していく。
取りあえず、今は、ストロベリーソングオーケストラさんの新譜を聴きながら、少しだけ心のズレを調節して寝よう。
明日は良い日なれるように。
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- 2014年6月22日 20:44 CAT :
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王道軽傷
結局、あの後にさらにもう一度の追加レコーディングとその他諸々の編集作業があったものの・・・
完成したよ。
ここまで、長かった・・・本当の本当に長かった・・・
とにもかくにも、全16曲。
収録時間は、限界突破の79分20秒(位)。
4年半ぶりのフルアルバムでございます。
取りあえず、前にもちらっと書いたけれども、理想と現実の交わってしまった作品だと思う。
もう、これ以上の作品を求めやしない。
・・・今のところはね。
この路線で、もう少し何かをするのであれば、もうそれは、演奏技術であったり、歌唱力であったりの基礎レベルの向上と言う、個人的には、あんまり興味のない分野での伸びシロしかないらしい。
まぁ、次回作を作るのであれば、もう少し、練習します。
ちゃんと、パートごとに作り込んだ編曲で。
「永遠の向こうにある果て。」以降の制作スタイルでの、一応の完成と言うところでしょうかね。
今回のアルバムは。
「果て.1」「ジャム地獄ジャム」のような若干和風な曲。
「恍惚の殺人子宮」のようなポエトリーリーディング。
「3年後のお葬式」「さよならとだけ呟いて意のままにあなたを殺します。」のようなメジャーポップス。
「おいちゃんからのラブレター」「アイエルマ」のようなポップス。
「GGGX」「惑星屠殺ワンダー」のようなメタルポップス。
「ホーリーチェリー」のようなアングラポップス。
「レイ=プレイpart2」「不幸飛行夜行」「青空と小児麻痺の世界」のような3拍子ポップス。
「4千年王国」「志茂田さんのプログレ」に匹敵する大曲
などなど・・・取り敢えず、これまでに作ってきた色んなスタイルの楽曲のほぼ全ての最終形が収録されとると思いやす。それが、全て上記に挙げた曲よりも上の作品だ。
とは、到底思えないけれども、それでも、これまでやってきた事をしっかり網羅出来てるんじゃないかと。
そう言う意味で、完成形。
あと、編集と言う意味でも、「これ以上のクオリティーを望むなら、技術を上げろ」と言うお話だったので、そっちの面でも、もう完成形。
何しか、「黄泉」って曲で、自分の中にあるものを出しつくした・・・と思ってた、空っぽの中から新しく出てきた心持と言うものをぜひ、掬い取っていただければ、これ幸いでございます。
もうしばらくは、音楽はやらないよ。
馬忠・DA・ムドーでなんかやるかも知れないけど、ちゃんと作り込むのは。
少なくとも、年単位では、休止する。
そして、しばらく書いてなかった絵をまた少しずつ描くんだ。
マンガを描くんだ。
と言う事で、今後、ちびちびと、今回の収録曲のライナーノーツでも、書いていったりしよう。
別に何てことのないオナニーですよ。
誰かに何かを伝えたいとか、そんなんじゃないので。
取り敢えず、聴いてくれればもういいです。
聴いてくれなくても別にいいです。
でも、出来るだけ、色んな人にお渡しできればと思っておりますので。
では、最後に、もう一度収録曲(↓)・・・
M1. 本当の横溝正史のラブレター
M2. 1/f揺らぎにあわせて奏でる発狂者のメロディー
M3. 虐殺の恋文
M4. 死合わせとシャボン玉の唄
M5. 惑星独りぼっち
M6. 今宵、「ただいま」はゼロになる
M7. 黒魔術ラヴィンユー
M8. 糧となるモノたち~true of the world
M9. 思い出のアルバム
M10. おもちゃはおもちゃ箱へ
M11. お耳汚しを召し上がれ~と言う、演出
M12. 犬神一座の大サーカス
M13. 哀飢え悪の唄
M14. パラフィリア=グロッサリー その1
M15. パラフィリア=グロッサリー その2
M16. 白痴にも書けるラブソング
と、ジャケットイメージでも(↓)
タイトルは、当初の通り「王道軽傷」で。 - この記事を見てみる ⇒
- 2014年6月10日 23:59 CAT :
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焼肉焼いても家焼くな
家の近所(と言うほど、近くは無いけど)に「小僧寿司」を見つけた。
お寿司は、大好き。
肉を除けば、かなり好きな方の部類だと思う。
以前は、よく「スシロー」に通ってた。
娘が生まれてからは、「くら寿司」にも行くようになった。
でも、何気に、コスパが一番良くて、味も一番良いのは、「小僧寿司」だと思ってる。
機械が握ってるシャリに、ネタを乗せるだけの「スシロー」や「くら寿司」と比べて、実際に、中でおばちゃんが握ってくれてるから・・・なのか、まぁ、それは自宅で食べてるからって言う事もあるかも知れないけどね。
そんな、「小僧寿司」が、家の近くにあればいいじゃないか!と言う事で、先日、買いに行ってきましたよ。
そしたら・・・今月末をもって閉店だとか・・・
せっかく、見つけて喜んでたのに・・・無念じゃ・・・
さてさて。
食い物つながりで、先日たまたま見かけた、キチガイベジタリアン(動物愛護者?)のお話でも・・・
牛が泣いているとこだと思う。
それは分かる。
でも、このおばちゃんはこれが、「屠殺前の牛が悲しんでいる所」だと紹介したらしい。
自分の主義主張を通す為なら、資料の信憑性は重要ではない。
戦前の写真を使って、日本軍の虐殺事件をでっちあげてるあの国や、ファンタジーで歴史を構築しているあの国の人と同じ事をしていますね。
とっとと、日本から出ていけばいいのに。
まぁ、こんなあから様に嘘な写真は置いておいても、個人的に、動物愛護者と言う偽善者には、ほとほと反吐が出る。
別に良いと思うんだよ。
動物は食べない。
と言う主義主張はね。
勝手にする分には。
でも、それを人に押し付けた瞬間、それは宗教だと思う。
しかも、その主義主張を刷り込むために、平気で、嘘の写真や資料を、あたかも本当にそうかのように、使い始めたらもう、末期だ。
そもそも、この一部の生き物だけを優遇するって考え方自体いかがなものかと。
(シーシェパードなんてもっての外。
イルカやクジラを守る為に、人間を殺そうとするとか、本末転倒もいい所。
シーシェパードの場合は、目的は、金なんだろうけども。)
「生きるために命を奪う事は許されない。」と主張するなら、今すぐ死ねばいい。この世界の自然には、「命を頂いて、命を永らえさせる」と言う大原則がある。
それこそ小さなバクテリアから、大きなクジラさんまで、全てその大原則に則って、生きている。
その大原則に納得が出来ないなら、今すぐ死ねばいい。
別に、誰も止めやしない。
なのに、自分はのうのうと生きてる。
生きて、命を奪って生き永らえている。
「私はそんな事はない。」と言うかもしれない。
でも、本当に、そんな事が可能なのか?
・・・たぶん無理だ。無理だから、こいつ等は、その生き物に知能があるかどうか。
痛点があるかどうか。
みたいな、糞みたいな観点から、命を堂々と差別する。
例えば、植物は食べてもいいとか言いだす。
植物には、命がないと思っているらしい。
感情がないと思っているらしい。
大きい生き物には、感情があって、小さい生き物には、感情がないと思っているらしい。
本当にそう思ってる、ド低能なのか、そう思わないと自分の主張が通らないから思いこんでいるのかは知らないけれども、少なくとも、そんな幼稚な主義主張が通るはずはない。
ちなみに繰り返すけれども、菜食主義者をどうこう言うつもりは一切ない。
もちろん、動物愛護者だって、非難するつもりはない。
考え方は千差万別。
個人個人で、主義があって然るべき。
オレが言いたいのは、冒頭で述べたような、嘘をついてまで、無理やり人に自分の主義を押し付けるようなヤツには、ろくなヤツが居ないと言う事。
そんなヤツは、偽善者か、金の亡者か、差別崇拝主義者のどれかでしかない。
ちなみに、このタイプの人間の次に嫌いなのは、食べ物を粗末にするヤツ。
そいつは多分、「命を頂いている」と言う事を理解できる頭がないか、考えた事がないド低能だと思う。
外食行って、「量が多くて、食べきれなかった」とか言ってる女とか、見ててあんなにムカつくヤツは居ないって。
・・・う~む。
何か知らんけど、エライ怒り散らしてるみたいな感じになってしまったな・・・
取り合えず、ごめんなさい。
おやすみなさい。
ごめんなさい。
別に、怒っちゃあいないですので。
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- 2014年6月8日 15:22 CAT :
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まんこ直触りの感触
一冊の手帳・・・とはとても言えない、紙くずがある。
それは、多分今も、オレの家のクローゼットの中で、大切に保管している。
幼稚園に通ってた頃。
初めて、「天空の城ラピュタ」と言う映画を見たオレは、ムスカに激烈的に憧れてしまい、ムスカが持っていた手帳(王の間の中にある石の前で見ている手帳)がどうしても欲しかった。
あの手帳には、きっと、ラピュタ文字はもちろんの事、それ以外にもたくさんの秘密が書かれてあるんだろう。
と、どこまでも、妄想を膨らませていた。
その時に、両親に「あんな手帳が欲しい」と一言言えば、それで手に入ったんだろうけど、当時オレは、何となく、それを欲しがっている事は、誰にも知られたくなかった。
なぜなら、アレは、秘密の手帳だからだ。
秘密の手帳なのに、両親にその存在を知られてしまっては意味が無い。
悩んだ末、オレは、自分が持っていた「色紙」と「セロテープ」を駆使して自分で、手帳を作る事にした。
ハサミでサイズを揃え、ペタペタとセロテープで貼り付けていく。
完成した手帳は、当時のオレにとって本当に光り輝いていたように感じた。
早速中に書くことを考える。
・・・秘密の手帳なのだから、書く内容も秘密にしなければいけない。
必死に考えた末、オレは、自分の好きなパンツの柄(女の子の)を書くことにした。
・・・が、これは、本当に相当誰にも知られたくない秘密。
秘密の手帳と言えども、誰かに見られてしまうかもしれないリスクがある。
そこで、手帳の1ページの中に、更に、小さな紙を貼り付け、ポケットみたいなものを作った。
そして、その中に、パンツの柄を書き、四方向から、セロテープで貼り付けた。
そして、25年以上が経とうとしている。
それ以来、誰もそのセロテープを剥がした人間はいないので、その中に書かれている内容は、本当に、この世の中で、俺しか知らない事になる・・・と思う。
結局、それだけじゃあ、1ページしか埋まらなかったので、それ以外のページには、オレは獅子舞が大好きだったので、自分が妄想した「相当カッコいいオリジナル獅子舞」を絵付きで紹介したり、いかに、如何にオレが悪いヤツだったかを知らしめる為に(今考えると誰にか良く分かんないけど・・・)犯罪暦(幼稚園の資材置いてる部屋に忍び込んで、キラキラ光る紙を盗んだ事や、女の子のブルマの中に手を入れた事など)を記したりした。
そのページは、今でも、(多分)見ることが出来る。
でも、その本当の秘密のページだけは、オレしか内容を知らない。
まぁ、今でも実物があるので、見ようと思えば、見る事は出来るんだけれども・・・今の所、オレしか知らない。
そんな事を、昨日の夜、ぼんやり考えてた。
長くなったけど、その内容を25年ぶりに、ここで公開してしまおうとか、そんな事まで考えてた。
考えてたけど・・・その内容は、4歳くらいだったオレの、本当にどうしても知られたくなかった秘密なので、やっぱり、墓場まで持っていくことにした。
・・・・と言う、そんなモヤモヤしたお話ですよ。
関係ないけど、その手帳を発端に、しばらくすると幼稚園中で同じクラスの園児達の中でブームとなり、皆、手作り手帳を持ってた。
そのうちの一人が「両面テープ」と言う神のアイテムを持っていたために、他のヤツが作る手帳は、物凄くきれい。
オレのみたいにすぐバラバラにならないし、ベタベタにもならなかった。
羨ましかったけど、当時、クラスの中に友達と呼べるヤツも居なかったし、自分が最初なのに、教えを請うのもイヤだったから、オレは、ズッとその手帳を使い続けた。
ブームが終わって、皆が手帳とか持たなくなっても、オレだけは、その手帳に色々な情報を書き続けた。
ページが足りなくなって、何度も何度も、ページを追加しながら・・・
今では、ただの紙くずのようになったその手帳。
もう少ししたら、オレの娘が同じようなものを作りかねない程に、時間が経ったけど、未だに、大切に保管している手帳。
本当に価値があるものって、多分、こういうものなんだと思う。
チョッとだけ、そんな思い出に浸ってみました。
はい。
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- 2014年6月7日 21:34 CAT :
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今思うこの気持ちが一夜の昂りでなくなるべく願う
4年半ぶりのオリジナルフルアルバム「王道軽傷」のミックスダウンデモが出来上がった。
後、ほんの少しだけ直して、マスタリングしてしまえば、完成。
・・・ホントに、1年かかってしまったけど、完成だ。
まだまだ、追加したい音やアイデアはあるし、録り直したいところも正直ある。
でも、これはやりだしたら、いつまでも完成しないと思う。
モナリザじゃあないんだから、ある程度で、妥協することも大切だと思う。
ここで完成としようと言うやつ。
区切りが大切なんだよ。
区切りがね。
ただ、そうは言っても、このミックス段階でも、これまでのどの作品よりも凄い事になってる。
紛う事のない圧倒的な最高傑作。
どれだけ、ハードルを上げても大丈夫なくらいの絶対的な自信がある。
何だろう。
うまく言えないけど、もうこれ以上の作品をオレは求めない感じ。
これまでは、チャップリンの真似事のように、「最高傑作は、次の作品だ」と言い続けてきた。
それには、「この作品は、今出来る最高傑作ではあるけど、もっと凄いものを頭の中ではイメージしていて、まだ、凄いものが出来るはずだ」と言う、自分への戒めを含めてたりする。
でも、今回、これを聴いて、そう思わなくなった。
これが、最高傑作だ。
オレの頭の中にある、理想と、出来上がった作品がとうとう一致しちゃった。
・・・もう、これ以上の何かをオレは求めないよ。
これ以上に何かをするとすれば、それは、冒頭にチョッと書いた、細かい部分を詰めていくだけしかない。
それか、「no lie-sense」みたいな曲を作る。
といった方向性を変えてしまうかしかない。
「黄泉」と言う曲を書いた時、自分の中にあっただろう書きたい事は出し切っちゃった。
と思った。
もう音楽はおしまいだとも思った。
それからしばらく、書きたいものが見つからないままに、2年近くギターを触らない日々があったりした。
でも、その間に、見つかった新しい気持ちがあり、そしてそれを書き連ねてみたのが、今回のアルバムだと思ってる。
そんなもんだから、多分これからも、こうやって書きたいものは沸々と出てくると思う。
でも、それを形にしたいと頭の中で思い描く時の理想像は、多分「王道軽傷の時のような音楽で・・・」だろう。
そんな感じだと思う。
演奏自体の拙さとか、その辺はあると思うけど、技術的にこれ以上練習したりする気もないし、編集技術にだって、何の不満もない。
よく、オレの曲をここまでに仕上げてくれたもんだと、感謝するばかりだ。
一つだけ、やり残したことがあるとすれば、今回、あえて自分から没にした、もう一段暗い部分の物語の具現化だろうか・・・
正直、それを形にしても、ただ人が不快になるだけだし、そもそも誰も得をしないだろうと言うそんな思いから自主規制的な感じで、形にしなかった諸々。
「つんぼとめくらのラブゲーム」、「ゴーモンデーモンのハピネスソング」、「ロボトミーハーレム」、「殺されるために自ら持ち上げた首」、「さようならお母さん」、「そのナイフを持つ前に」、「空気注射」、「望まれないあたしとあなた」などなど・・・
願わくは、これらのただドス黒いだけの物語を、具現化したいと言う心持にならない日々を過ごせる事でしょうかね・・・
さあ、本当にあと一息だよ。
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- 2014年6月4日 22:34 CAT :
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100円やるからどっか行け 顔に比例した奇麗な心
振り幅の話。
良い事がありすぎると、後が怖いので、どす黒い気分になれるものを見る。
逆に、悲しい事がありすぎると、立ち直れないので、もっと悲しいものをみて思いっきり泣いたりする。
・・・と言う、バランスのとり方をしております。
おりますが、どうにも、そのバランスからはみ出してしまう感情に支配される時だって、結構あったりする。
そう言う時に、どうすれば良いのか・・・
どうしようもない。
悲しいものを見ても、どす黒いものを見ても、何だったら嫁に暴言吐いてみても、美味い物食ってみても、大声出して見ても、創作活動に従事してみても、どうしようもない。
どうしようもない時には、何をやったって駄目なので、何にもやらない。
どうせ、何にもやらなくたって、明日になる。
明日になると、やらなければいけない事がある。
やらなければいけない事をやっていると、一日が終わって、明日になる。
明日になると、やらなければいけない事がある。
やらなければ・・・と、続いて行く毎日に気がつけば、感情は、割と元に戻っていたりするらしい。
でも、チョッと知ってる事は、明日、やらなければならない事がなければ・・・実は、その日一日が、結構苦しかったりすると言う事。
仕事なんてやりたくねえよ。
とか、よく思うんだって。
まぢで。
それでも、何にもしない事の苦しさも結構知ってるので、結局、お仕事なり何なりに頑張ってしまう。
それはそれで、感情の上でも大切な事なんでしょうね。
でも、ストレスのため過ぎはいかんと思う。
自分のやりたい事かどうかも大きいと思う。
ただのわがままだと思う。
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- 2014年5月31日 23:12 CAT :
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最初の遺書
「no lie-sense」さんのファーストアルバムばかり聴いております。
ここの所。
心が若干疲弊しているので、優しい音楽が欲しい。
頭が疲弊しているので、軽い音楽が欲しい。
そんな欲求があったりなかったりする中で、さほど意味のない軽いこの音楽が、凄くピッタリだったりする。
とは言え、このアルバムが薄っぺらい訳じゃあない。
一言でいえば、「最初から美味しいスルメ」だ。
はじめて聞いた瞬間から、「何だ?!この凄い音楽は!!!」ってなる上に、聴けば聴くほど、凄さと新しい発見があって、どんどん深みにはまっていく感じ。
物凄い作りこまれているのに、それ自体に何の意味もない。
・・・と言う凄さ。
これ、モノ作りした事ある人なら、分かってもらえると思うけど、凄い事だと思う。
オレには、まだまだこんなものは作れない。
でも、いずれ、作れるようになれたら、人生単位で、結構うまくいったとか思えるかも知れないし、思えないかも知れない。
答えは、まだずいぶん先になりそうだけれども。
さてさて。
歌詞カードのデザイン案を考えてて、ふと、娘の書いた絵を使おうかとか思ったんだけど、あんな素敵な絵は、オレと嫁だけが独り占めしておけばいいと言う、逆親ばかが発動したので、自分で絵を描く事にした。
「us」が完結してから、なんと、もうじき1年が経とうとしている。
その間。
ホントに、まともに絵とか描いてなかった。
ビックリする位描いてなかった。
軽い落書きすら、ほとんど描いてなかった。
・・・でも、描けるもんですね。
だてに、20年以上漫画描き続けてきた訳じゃあない。
長い時間をかけて覚えた事は、簡単には忘れやしないとは、本当の事みたい。
ついでに言うと、根本的な画力がまた一つ上がってるような気がする。
絵を描いてなかったのに・・・でも、オレには、この1年間。
これまでの人生と比べて圧倒的に変わった事があるんだよ。
それは、娘の事をずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと見てきた事。
さっき、嫁とも話してたけど、何か、これまでは、絵を描くって事を記号的に考えてたんだよね。
例えば、下から見上げる構図を描く時には、こう言う角度の線を引いて、ここに影をつければ、そう見える・・・みたいな。
でも、そうじゃなくて、下から見上げる構図書きたいなと思った時に、良く分からんけど、こんな感じに描いたら、そうなるんじゃね?みたいな、抽象的な感覚で描いてみたら、以前より頭の中にあるイメージに近いものが書けるらしい。
オレの場合。
そう言う事らしい。
絵を描くと言う事は、反復練習だと思ってた。
もちろんそれはそれで重要だけど、オレの場合は、必要な事は、「見る事」だったと言う事か。
そう言えば、手塚治虫が言ってたな。
「漫画がうまくなりたいなら、漫画を見ながら描くんじゃなくて、人間を見ながら描きなさい。」的な事を・・・手塚治虫こそ、記号的漫画の元祖のような気がしないでもないけど、でも、初期の頃の神懸かってた絵はそうやって生まれたんだろうて。
まぁ、そんな感じで、絵が描けたら、歌詞のデザインも作っていきますよ。
弟の方で、ミックスダウンとか進んでるんだろうか?知らんけど。
ここまで来たら、急かしてもしょうがないので、ゆっくり作ってもらうのを待ちながら、のんびり絵でも描いていきますよ~っと。
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- 2014年5月28日 23:22 CAT :
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first suicede note
今宵はまた、それはそれで心にとっても影を残している。
こんな夜にペンを取れば、それはそれで、凄い絵が描けたり、凄い話が書けたりするんだろうけど、明日もまたお仕事な訳で、明後日もお仕事な訳で、そんな時間もないらしい。
愚痴ろうにも、嫁も娘も寝てしまったこの時間。
取り急ぎ、ちょこっとブログでも書いて、寝てしまおうとか、そんな事を画策しているのです。
こうやって、日常的に削り取られて言った心持ちが、創作意欲を無くしていくんだと思う。
音楽も、物語も、絵のイメージも、何にもないや。
ただ、明日もモノを売る為の商業デザインと言う、記号の羅列をコツコツと積み上げていくらしい。
最近、デザイン的なものが分からなくなってきた。
前は、何も分からないままに、自分の中から出てくるものを何とかかんとか、すくい取ろうと画策してた。
でも、今は、自分の中から何も出てこないものだから、技術やら、理論やらを持ち出して、それを記号化して、組み立てている。
いつからこうなっちゃったんだろう?
自分らしいデザインとは、何なんだろう?
教えてくれるかコックリさん - この記事を見てみる ⇒
- 2014年5月24日 0:41 CAT :
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青少年のための犬神入門
これを書かずにはいられない!!
と言う、そんな気持ちでいっぱい。そうなんだよ。
この21日に、犬神サアカス團のニューアルバムにして、20周年記念盤「青少年のための犬神入門」がリリースされた訳ですな。
で、早速聴いてみた。
とは言え、今日は23日。
(もう少ししたら24日)。
すぐに聞き込んだとは、チョッと言い難い所は、まぁ、大目に見てもらいたい。
最近の仕事が忙しいんだよ。
さてさて。
このアルバムの感想を書くよ。
書くよ。
・・・ただ、今回については、若干のネタばれを含むので、あえて、「続き」の方に書いておく。
まだ、未聴なら、是非、先に聴けばいい。
聴けば、もうそれで、オレの感想なんて、無意味になるような体験が出来るはずだから。
じゃあ、何で書くのかって。
それはお前。
あれだよ。
あれ。
オナニーだ。
と言う事で、レッツゴー!
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- 2014年5月10日 22:13 CAT :
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時の追随
家族で海へ行った。
娘が、波打ち際でピチャピチャして、それで、服もビショビショ、砂まみれになって、それでも笑ってる。
オレも一緒になって、砂まみれになって、山作って、トンネルほったりして、アトピーの手に、塩水はピリピリ痛い。
砂浜で、娘を裸んぼにして、ふいてやった後、オレの着てたパーカーを羽織らせて、車の中で嫁が、持って来てた別の服にお着換え。
オレは、その間、砂だらけになったサンダルやら何やらの砂を落として、そのまま裸足で車運転して帰ってきた。
てんやわんやだったけど、娘の夢中になってる顔見てたら、何と言うか、凄い面白くなって、笑ってた。
どんな感情なんだろう?
よくは分からないけど、凄く良い一日だったような気がする。これと言った何かがある一日じゃあなかったんだろうけど。
それが、きっと、娘がいなければ味わう事が出来なかったものだろうと言う事だけは、なんとなく分かった。
あの子は、オレに凄く色んなものをくれる。
そのほとんど全てが、なぜか、心地良かったりする。
風呂場でうんこしようとも、夜泣きで寝れなかろうとも、水をブチ撒こうとも、オレの書いた曲の楽譜を破こうとも、何か起こるより、面白くなってきて笑ってる気がする。
そんなどうでもいい事以上に凄いものを毎日くれてるからなんだろうと思う。
それに比べれば、仕事から疲れて帰ってきて、風呂に入ろうと思って、湯船の中を覗いたらチョッと黄茶色なものが浮いてたくらい、笑って片づけられるんだって。
まぢで。
嫁のいとこに新しく子どもが生まれた。
オレのいとこに新しく子どもが生まれるかも知れない。
それがチョッと羨ましくも思う。
だって、オレがこれまでニヤニヤしながら過ごしてきた、あの日々をニヤニヤしながら過ごしていけるんだから。
でも、オレのこのニヤニヤする日々もまだ続くらしい。
続いてほしい。
お風邪など召しませぬよう、お身体ご自愛ください。
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- 2014年5月9日 22:15 CAT :
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冷たい川に入ったりお腹を叩いたり転んでみたりしたけどこの子は死ななかった
別に、求めてる訳じゃあないオレが悪いんだけれども、基本的に、今の職場ではあんまり出世とかできない。
と言うか、多分、会社的にオレなんて居ても居なくても良い存在だと思われてるような気がする。
そもそも、webデザイナーなんて、別に社内で雇わなくても、外注に出してしまえば、それで問題ない訳で、そんな話が実際過去にも何度か社内で持ち上がり、その度、オレなんか別に居なくても良いんだと思われてるんだろうなと、チョッと凹んでた。
ただ、性質が悪いのは、そんな事実に対してオレ自身が「オレの実力を認めさせてやるぜ!」って思わない事だと思う。
とは言っても、仕事自体はどんな事があっても手を抜かないでやろうって事だけは、心に決めてる。
成果が出ようとも、出なかろうとも、その事を会社内で誰かに報告したりは基本的にしない。
数字が悪いときだけは詰められるけど、数字が良くても、それが結局誰の成果はうやむやになる。
そんな社風を目のあたりにして、なんかオレだけが「オレの作ったページでどうのこうの」とか、そんな事言う気がなくなってしまったと言うのが真実に近い。
何度か、そんな話を社内でした事あったけど、「広告がどうのこうの」とか「商品企画が良かった」だの色々言われるだけで、結局、誰も認めてくれやしなかったと言う過去もあるしね。
でも、まぁ、今会社のサイトは、コーポレートサイトも通販サイトも、サテライトサイトも、ブログも全部オレがデザインして作った。
って事だけは事実な訳で、ここ数年は、その成果を別に誰に言うでもなく、自分でだけ眺めてニヤニヤしてる。
何で、今更こんな話をここに書いたのかと言うと、珍しく、今回オレが結構中心になって、商品企画から、ページ製作までほとんど手掛けた商品があって、それが、思ってたよりうまく行ってたから。
・・・って、事だけ。
今回のこの事も、あえて声高にオレから、何か会社に言う事はないと思う。
んで、これに関わった誰かがいつものように、成果を会社に報告してくれて、オレはそれを隅の方で「良かったですね~」って言いながら、眺めてるだけだろうて。
これまでなら、こう言う事は真っ先に家族にお話ししてたんだけど、今、嫁は体調不良でそれどころじゃないし、娘はそもそもそんな話しても「?」だと思うし、結構、こんな話出来る人が居なかった事に気がついた。
いや、さびしい訳じゃあないんだけども。
でも、まぁ、チョッと嬉しかったので、少し誰かに聞いてほしくて、ここに書いてみたとか、そんなかんじなんですよ。
たまたま、この記事読んでしまったあなた。
オレの自己満足にお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
では、おやすみなさい。
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- 2014年5月8日 22:14 CAT :
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大体お前らまともじゃないぜ
曲を作る時、大体完成形をイメージして作りはじめる。
で、ある程度完成してくると、ほとんどの場合、当初の思惑通りの良い曲になってるんだけど(まぁ、自分で作っているんだから、当たり前っちゃあ当たり前。)時々、その予想の斜め上に完成してしまう曲がある。
大体、アルバム一枚分曲を作れば、その中で一曲位それがあったりする。
今までで言えば、「瓶詰めの幼女」とか、「雲は流れ 人は殺され 川は流れ」とか、「捨幸醜貌女の死に様」とか、「モノはモノだけど忘れません」とか、「Don’t 永眠ファラオ」とか、その辺かな・・・・
逆に、「ジャム地獄ジャム」とか、「果て1」とか、「蛇女外道節」とか、「ひとときの暗がり」とかその辺は、出来た最初から、これは良い曲になるだろ…と思いながら、実際作ってみて、やっぱり名曲だな。
と、変な悦に入ってたりする。
今回の「王道軽傷」で言うところだと、これは良い曲だろ。
と、最初から思ってたのは「1/f揺らぎに併せて奏でる発狂者のメロディー」とか、「虐殺の恋文」とか、「パラフィリア=グロッサリー」とかその辺で、思ってたのの斜め上な出来になったのは、「おもちゃはおもちゃ箱へ」だよね。
結構前に、このブログで、「こんなネタはいかがでしょうか?」的な感じで、紹介した物語で、実は、そう言う意味では、今回のアルバムの曲の中で一番最初にネタが出来上がってた曲。
で、何となく具体的なイメージがわいてこなかったので、一番最後まで手をつけなかった曲。
結局、そんなあやふやなまま、その場の勢いだけで作り上げて見た所、それがまぁ、ビックリする位良い感じの曲になった。
もう、こんな感じの曲は作れないんだろうなと思ってたのに、まだ作れた!みたいな感じでしょうかね?
創作活動をオナニーの延長線上でやり続けているものとしては、やっぱり、こう言う、思ってた以上のモノが出来上がると、凄いテンションが上がるよね。上がったから、それをチョッと自慢したくなってしまっただけです。
お目目汚しを失礼しました。
後、1回レコーディングすれば、1年がかりの録音作業も完了しそうな感じだ。
な・・・夏までには、完成させるぞぉ~!
そしたら、これ以上影響受けて、作風をぶれさせたくないとか言う、謎の理由で聞いてなかった、「No Lie-Sense 」のファーストと、ストロベリーソングオーケストラの「月触のサーカス」をアホみたいに聞きまくろう。そのうち、ストロベリーソングオーケストラさんの新譜と、犬神サアカス團さんのベストアルバムと、筋肉少女帯さんの新譜が出るわけですな。
なんと至福の一年だ。
全く。
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- 2014年5月6日 22:58 CAT :
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まっくら森の闇の中では昨日は明日まっくらクライ
GW終わっちゃったね。
何となく心地よい疲労感と、明日からの事を考えると凄い憂鬱な感情が交錯してる感じです。
・・・けれども、これを感じる事が出来る事に感謝でもしてみようか。
例えば、家族が居て、お仕事をしているからこそ、この感情が出てくるんだよ・・・みたいな。
まぁ、偽善ですけれども。
さてさて。
世の中には、タイミングというものがある。
あの時、もしこうなっていたら・・・あの時、もしこうしなければ・・・今のオレはきっとなかった。
と思えるようなギリギリの選択肢がいくつもあって、その奇跡的な選択によって、今、現状のオレが存在していると思えば、それはそれですごい確率。
もそもそ、小学校、中学校と友達もいなくて、まともな会話すらしないまま、ただひたすらに妄想を膨らまし、漫画ばかり書いてたオレが、嫁も子どももいる普通の過程を築いて、ボロボロになりながらでも、お仕事をして、なんとか暮らせているわけだから、それはもう、本当に、自分で言うのもなんだけれども、奇跡に近いと思う。
その逆な奴だっていただろう。
そのままだった奴もいるだろう。
それは、全て、その時々のタイミングと膨大な量の選択肢の中から、正解とは言わなくても、限りなく正解に近いものを奇跡の確率で選び続けて今に至るわけだ。
そして、この先、その膨大な選択肢の中のひとつを誤れば、あっと言う間に転落していくって事だってある訳だ。
何が幸せだ。
と言う観点では、人それぞれの価値観があると思う。
オレは、家族が居て、今くらいの年収で、そこそこのご飯が食べれて、そこそこの場所に住めて、そこそこの趣味を嗜んでいればもう、それで良いと思う。
出世とか、あんまり興味ない。
出世して、収入が増えた所で、仕事も増えて、プライベートなく、仕事人間になってもしょうがなかろうと。
お金はあるにこした事はないけど、それが目的になってしまうと、多分、何事も楽しくないと思う。
お金は、目的じゃあなくて、手段だ。
そして、お金しか手段がないものは、多分この世の中でも、そんなに多くないと思う。
そして、幸せとか、満足の類は、お金とは無縁なものだとも思う。
「じゃがたら」と言う、偉大なバンドさんが「もうがまんできない」と言う曲で昔歌っていました。
「気の持ちようさ」と。
もし、この先、選択肢をミスしたとしよう。
と言うか、今までだって、実際にミスしている。
だって、結構前半戦はひどい人生だったよ。
まぢで。
でも、ミスをしたとしても、今が良ければ良いんだよ。
そう思い込むんだよ。
気の持ちようなんだよ。
オレが、俗に言う「リア充」のように、友達いっぱい、女の子といっぱいお話し続けた幼少時代を過ごしていたら、結構な確率で、今の嫁とは出逢ってもいなかっただろうし、そうなると、娘にも会えなかった。
あの頃があったから、今がある。
原因があるから、結果がある。
原因は必ずしも楽しい事や嬉しい事ではないし、結果が必ずしも幸せとは限らない。
そして、人生は相対的に見れば、誰も彼も大体プラスマイナス0なんだと思う。
今、楽してるあいつは、将来地獄を見るかもしれないし、過去に地獄を見たかもしれない。
今まで一度も苦労した事がないヤツは、本当に絶望的な死に際を迎えるかもしれない。
それら全てを、今と言う一瞬だけのタイミングで切り取ってみて、羨望したり、侮蔑したりするのは、本当に意味のない事なんだろう。
分かる事なんて何もない。
分かるのは、明るく楽しいメジャーコードも、性格音を半音あげれば暗く悲しいマイナーコードになると言う事ですよ。
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- 2014年4月29日 9:51 CAT :
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もう一人で歩けない 時の風が強すぎて
やっとこさ、新音源「王道軽傷」のほぼ全てを作り終えた感じがする。
長かった。
一部、変更とかがあんまりなかった曲とかに至っては、昨年の夏仮撮りした後、1年近く放置してたやつもある位で、これで良いのか?と、ちょっぴり思ったりはする。
けれども、とにもかくにも完成が見えてきたような気がする。
後は、今取ったやつをミックスしたデモテープを聴きながら、このフレーズを足したいなぁ~とか、これのバックでピアノ弾こうとか、これはパワーコードのカッティング足さないとなとか、これはそもそも歌い直さないとなぁ~とか、これ根本的に作り直しじゃねえか糞が!とか、そんな事を、思いつくたびにevernoteにでも書きとめて置いて、もう一度位、最後の調整レコーディングをすれば、オレのやるべき事は終わりだ。
あとは、弟くんが、血眼になりながら、オレが好きかって弾き倒した部分に合うように、絶妙なベースラインを作って弾いてくれて、そして、四苦八苦しながら、ミックス、マスタリングと仕上げてくれるでしょう。
運良く、大体趣味趣向が同じだから、この段階まで来ると、後は、お任せしておいても、ほぼオレの好みな感じに仕上がってくるらしい。
時々、う~んな時もあるけど、それはそれで、直せばいいだけだしね。
まとめるにはまだ早いけれども、とにかく、4年ぶり・・・と言うつもりが、4年半ぶりになってしまった、フル音源「王道軽傷」が出来上がりそうな感じ。
さて、曲も出そろったし、歌詞の修正も終わったので、そろそろ歌詞カードの製作でもはじめようかな。
まだ曲順とか、曲数とか変更あるかもしれないけれども、今のところは、全部で17曲収録予定。
それでも、収録時間の関係とか、製作時間がなかったりとか、もろもろの理由で、3曲ほど今回闇に葬った曲もあったりする。
「絶望その1」とか、「死合わせと幸せ」とか、「3658」とか・・・
取り合えず、こいつが完成したら、しばらくは、この音源を聴かせながら情操教育でもしながら、音楽はお休みしよう。
で、少しずつ、絵を描きたいなぁ~。
と。
(最近、娘が絵を描くようになって、それがすごくいい感じだから、絵を描きたくてうずうずしてるんだよ。)
そして、来年の夏位に、久々の馬忠・DA・ムドーのアルバムでも作ろう。9枚目の今回は、「王道軽傷」を作る時に、発見された、中学、高校時代に書いた痛い曲の数々を、無駄に復活させた感じにしようと思ってたりする。
テーマは「厨二病」と言う事で。
「アホな歌」や「ガングロな!沖」「ピモピモの唄」「腹ペコマスター」とか、あんまりはっきり覚えてないけど、そんな感じの曲をやる。
予定は未定。
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- 2014年4月7日 22:21 CAT :
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瞳しか書かない本宮先生とさいとう先生
明兄さんのブログにちょっと素敵なコトバを見つけた。
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作品のコンセプトに変化があった時期を、アンチは「迷走」というよね?でも信者は「新境地」というんだ。いつもと変わらぬクオリティを提供すれば信者は「ブレてない」というけど、アンチは「マンネリ」という。
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きっと、犬神サアカス團はこんな言葉にさらされ続けてきたんだと思う。そんな中で、常にファン(と言うか、信者)の想像の斜め上をいく作品を作り続けてきたんだと思うと、ホント尊敬する。
ただまぁ、個人的には、犬神サアカス團だろうが、犬神サーカス団だろうが、犬神サーカス団!だろうが、コンセプトに変化があった時期も、いつもと同じクオリティだった時期もなかったように思ってる。
「いぬがみさーかすだん」と言うものがそこにあっただけ。
でも、それが何よりすごいことだと思うんだよなぁ~
さてさて。佐村河内と言う凄い人が居た。
と言う話を、今更だけど、少しだけ振り返ってみた。
何か、いいともが終わる位まで、この世の中には、「ゴーストライター」と言う言葉が溢れていたような気がしてならないけれども・・・さて、この「ゴーストライター」って、そんなダメな事だったんだろうか・・・?
オレが音楽を始めたのは、中学生の頃。(まぁ、ピアノ自体は、4歳位から習ってたけれども。)
その頃、初めて曲を書いてみたオレは、音楽について色々と勉強し、んで、メロディーラインを採譜していく過程で、「なんてめんどくさいんだ。」としか思わなくなってた。世の中の、ミュージシャンは本当に、こう言う音符に落とし込んだりとかしてるのか?実は、こう言うのは、絶対音感とかを持ってる人が、やってくれるんじゃないのか?といつも思ってた。
そして、そんな友達(と言うか、そもそもまともに友達もいなかったけれども)が居ないオレは、自分でやっていくしかない因果な星の元に生まれたんだと思ってた。
さて。
では、「ゴーストライター」とは、どの時点から非難されるものなんだろうか・・・
サザンの桑田は、ギターをかき鳴らして適当英語で付けたメロディーラインを、原坊に採譜してもらっているって聞いた事がある。
マイケルさんも、確か似たようなものだったように記憶している。
でも、彼らの作品をゴーストライターが書いた何て言う人はいない。
オレの尊敬する筋肉少女帯のオーケン自身が良くエッセイとかで語っている有名なエピソードに「サボテンとバントライン」。
これに至っては、オーケンは、基本的に、メロディーラインではなく、曲自体の(と言うか頭の中にある妄想)を延々語っただけで、シングル化が決定したと言う。
そのあと、メロディーを口ずさんで、それをメンバーにコードに落としてもらったとか・・・
でも、「サボテンとバントライン」はオーケン作曲の名曲として、今も、キンショーの歴史に燦然と輝いている。
思うに、佐村河内と言う人が問題だったのは、ゴーストライターの部分ではないように思う。
あのおっさんが問題だったのは、舐めきった傲慢で粗暴な態度と、耳が聞こえないと言う嘘だったように思う。
もし彼が、最初から、オーケンみたいに「楽器も弾けないし楽譜も読めないミュージシャンです。」と開き直った上で、「曲のイメージを適当に紙に書いて伝えて、後はメロディーを口ずさんだら、新垣とか言う人が曲にしてくれたんだよね。
それが、この『HIROSHIMA』です。
あと、耳に異常はないです。」ってぶっちゃけてれば、今も、「HIROSHIMA」は、佐村河内作曲の名曲オーケストラとして、誰もが、褒め称えていたかもしれない。
と言うか、そうなっていたと思う。
あんな嘘なんて付かなければ、誰も不幸にならなかったのに。
そして、この佐村河内と言う人の為に、「メロディーラインをコードに落とし、採譜する」までが「作曲をする。」となってしまった感じがある。
これじゃあ、ここ最近のオレの曲は、全部作曲してるわけじゃあなくなるじゃあないか。
ここ最近は、適当に口ずさんだメロディーに合わせたコード進行を歌詞の上に書いて終わり。
(ゲッカヨとかの、あんまりメジャーじゃない曲の表記みたいな状態。)編曲も、適当に弾いてるだけだし。
採譜なんて以ての外。
たまに、サビのメロディーラインをギターソロに組み込んだりするとき位しか、やらない。
たまには、ちゃんと楽譜とか書こうかな。
高校時代くらいまでは、ちゃんと楽譜に書いてたんだけどな~
あっちょんぶりけ。 - この記事を見てみる ⇒
- 2014年4月6日 22:46 CAT :
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今考えてみれば君は一人で踊っていた
お花見をしてきた。
例えば、今年の夏にでもオレが死んでしまったら、もう見る事が出来なくなってしまう桜の花。
夏に、もう少しで死んでしまうから、桜を見ておきたいと思っても、見れやしない訳。
今しか見れないいつもと違う風景と言うものは実に良い感じ。
いくつかある日本に生まれてよかったと思う事に一つですね。
・・・多分。
ただ、お花見と称して、花見ないで、酒飲んで暴れてるおっさんとか、花見ないで人の悪口で盛り上がってるおばさんとかには、心の底から辟易する。
別に、花見とか言う理由をつけなくてもいいから、どっか別の場所でやってくれよ。
オレは、純粋に桜の花を家族で愛でたいんだよ。
しかし、社会と交わって行くと言う事は、こんなおっさんおばさんを相手にしていかなきゃあいけない事でもあるらしい。
子どもが小学生になって、地区の子供会とかで行った先で、所謂「ママ友」と言う幼稚園レベルのくだらない派閥があって、その派閥毎に悪口で盛り上がってたりなんかしたら・・・とか思うと、相当、面倒くさいような気がしてならない。
一人で誰とも交わらずに自給自足で生きて行くなら、良かったけど、そうもいかない日々の中で、こんなおっさんおばさんとどう折り合いをつけていくべきなのか・・・思案にくれる日。
ただまぁ、せっかくのお花見なので、そんな事ばっかり考えないで、お花奇麗だったねとか、そんなことを考えて、眠りにつく事にしよう。
娘がよちよちと歩くようになりましたよ。
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