「気分」カテゴリーアーカイブ

2014年6月4日 22:34 CAT :

100円やるからどっか行け 顔に比例した奇麗な心

振り幅の話。

良い事がありすぎると、後が怖いので、どす黒い気分になれるものを見る。

逆に、悲しい事がありすぎると、立ち直れないので、もっと悲しいものをみて思いっきり泣いたりする。

・・・と言う、バランスのとり方をしております。

おりますが、どうにも、そのバランスからはみ出してしまう感情に支配される時だって、結構あったりする。

そう言う時に、どうすれば良いのか・・・

どうしようもない。

悲しいものを見ても、どす黒いものを見ても、何だったら嫁に暴言吐いてみても、美味い物食ってみても、大声出して見ても、創作活動に従事してみても、どうしようもない。

どうしようもない時には、何をやったって駄目なので、何にもやらない。

どうせ、何にもやらなくたって、明日になる。

明日になると、やらなければいけない事がある。

やらなければいけない事をやっていると、一日が終わって、明日になる。

明日になると、やらなければいけない事がある。

やらなければ・・・と、続いて行く毎日に気がつけば、感情は、割と元に戻っていたりするらしい。

でも、チョッと知ってる事は、明日、やらなければならない事がなければ・・・実は、その日一日が、結構苦しかったりすると言う事。

仕事なんてやりたくねえよ。

とか、よく思うんだって。

まぢで。

それでも、何にもしない事の苦しさも結構知ってるので、結局、お仕事なり何なりに頑張ってしまう。

それはそれで、感情の上でも大切な事なんでしょうね。

でも、ストレスのため過ぎはいかんと思う。

自分のやりたい事かどうかも大きいと思う。

ただのわがままだと思う。

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2014年5月31日 23:12 CAT :

最初の遺書

「no lie-sense」さんのファーストアルバムばかり聴いております。

ここの所。

心が若干疲弊しているので、優しい音楽が欲しい。

頭が疲弊しているので、軽い音楽が欲しい。

そんな欲求があったりなかったりする中で、さほど意味のない軽いこの音楽が、凄くピッタリだったりする。

とは言え、このアルバムが薄っぺらい訳じゃあない。

一言でいえば、「最初から美味しいスルメ」だ。

はじめて聞いた瞬間から、「何だ?!この凄い音楽は!!!」ってなる上に、聴けば聴くほど、凄さと新しい発見があって、どんどん深みにはまっていく感じ。

物凄い作りこまれているのに、それ自体に何の意味もない。

・・・と言う凄さ。

これ、モノ作りした事ある人なら、分かってもらえると思うけど、凄い事だと思う。

オレには、まだまだこんなものは作れない。

でも、いずれ、作れるようになれたら、人生単位で、結構うまくいったとか思えるかも知れないし、思えないかも知れない。

答えは、まだずいぶん先になりそうだけれども。

さてさて。

歌詞カードのデザイン案を考えてて、ふと、娘の書いた絵を使おうかとか思ったんだけど、あんな素敵な絵は、オレと嫁だけが独り占めしておけばいいと言う、逆親ばかが発動したので、自分で絵を描く事にした。

「us」が完結してから、なんと、もうじき1年が経とうとしている。

その間。

ホントに、まともに絵とか描いてなかった。

ビックリする位描いてなかった。

軽い落書きすら、ほとんど描いてなかった。

・・・でも、描けるもんですね。

だてに、20年以上漫画描き続けてきた訳じゃあない。

長い時間をかけて覚えた事は、簡単には忘れやしないとは、本当の事みたい。

ついでに言うと、根本的な画力がまた一つ上がってるような気がする。

絵を描いてなかったのに・・・でも、オレには、この1年間。

これまでの人生と比べて圧倒的に変わった事があるんだよ。

それは、娘の事をずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと見てきた事。

さっき、嫁とも話してたけど、何か、これまでは、絵を描くって事を記号的に考えてたんだよね。

例えば、下から見上げる構図を描く時には、こう言う角度の線を引いて、ここに影をつければ、そう見える・・・みたいな。

でも、そうじゃなくて、下から見上げる構図書きたいなと思った時に、良く分からんけど、こんな感じに描いたら、そうなるんじゃね?みたいな、抽象的な感覚で描いてみたら、以前より頭の中にあるイメージに近いものが書けるらしい。

オレの場合。

そう言う事らしい。

絵を描くと言う事は、反復練習だと思ってた。

もちろんそれはそれで重要だけど、オレの場合は、必要な事は、「見る事」だったと言う事か。

そう言えば、手塚治虫が言ってたな。

「漫画がうまくなりたいなら、漫画を見ながら描くんじゃなくて、人間を見ながら描きなさい。」的な事を・・・手塚治虫こそ、記号的漫画の元祖のような気がしないでもないけど、でも、初期の頃の神懸かってた絵はそうやって生まれたんだろうて。

まぁ、そんな感じで、絵が描けたら、歌詞のデザインも作っていきますよ。

弟の方で、ミックスダウンとか進んでるんだろうか?知らんけど。

ここまで来たら、急かしてもしょうがないので、ゆっくり作ってもらうのを待ちながら、のんびり絵でも描いていきますよ~っと。

aaaaaaaaa.jpg
この絵は、多分、歌詞の最後のページに使う・・・と思う。

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2014年5月28日 23:22 CAT :

first suicede note

今宵はまた、それはそれで心にとっても影を残している。

こんな夜にペンを取れば、それはそれで、凄い絵が描けたり、凄い話が書けたりするんだろうけど、明日もまたお仕事な訳で、明後日もお仕事な訳で、そんな時間もないらしい。

愚痴ろうにも、嫁も娘も寝てしまったこの時間。

取り急ぎ、ちょこっとブログでも書いて、寝てしまおうとか、そんな事を画策しているのです。

こうやって、日常的に削り取られて言った心持ちが、創作意欲を無くしていくんだと思う。

音楽も、物語も、絵のイメージも、何にもないや。

ただ、明日もモノを売る為の商業デザインと言う、記号の羅列をコツコツと積み上げていくらしい。

最近、デザイン的なものが分からなくなってきた。

前は、何も分からないままに、自分の中から出てくるものを何とかかんとか、すくい取ろうと画策してた。

でも、今は、自分の中から何も出てこないものだから、技術やら、理論やらを持ち出して、それを記号化して、組み立てている。

いつからこうなっちゃったんだろう?
自分らしいデザインとは、何なんだろう?
教えてくれるかコックリさん

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2014年5月24日 0:41 CAT :

青少年のための犬神入門

これを書かずにはいられない!!
と言う、そんな気持ちでいっぱい。

そうなんだよ。

この21日に、犬神サアカス團のニューアルバムにして、20周年記念盤「青少年のための犬神入門」がリリースされた訳ですな。

で、早速聴いてみた。

とは言え、今日は23日。

(もう少ししたら24日)。

すぐに聞き込んだとは、チョッと言い難い所は、まぁ、大目に見てもらいたい。

最近の仕事が忙しいんだよ。

さてさて。

このアルバムの感想を書くよ。

書くよ。

・・・ただ、今回については、若干のネタばれを含むので、あえて、「続き」の方に書いておく。

まだ、未聴なら、是非、先に聴けばいい。

聴けば、もうそれで、オレの感想なんて、無意味になるような体験が出来るはずだから。

じゃあ、何で書くのかって。

それはお前。

あれだよ。

あれ。

オナニーだ。

と言う事で、レッツゴー!

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2014年5月10日 22:13 CAT :

時の追随

家族で海へ行った。

娘が、波打ち際でピチャピチャして、それで、服もビショビショ、砂まみれになって、それでも笑ってる。

オレも一緒になって、砂まみれになって、山作って、トンネルほったりして、アトピーの手に、塩水はピリピリ痛い。

砂浜で、娘を裸んぼにして、ふいてやった後、オレの着てたパーカーを羽織らせて、車の中で嫁が、持って来てた別の服にお着換え。

オレは、その間、砂だらけになったサンダルやら何やらの砂を落として、そのまま裸足で車運転して帰ってきた。

てんやわんやだったけど、娘の夢中になってる顔見てたら、何と言うか、凄い面白くなって、笑ってた。

どんな感情なんだろう?
よくは分からないけど、凄く良い一日だったような気がする。

これと言った何かがある一日じゃあなかったんだろうけど。

それが、きっと、娘がいなければ味わう事が出来なかったものだろうと言う事だけは、なんとなく分かった。

あの子は、オレに凄く色んなものをくれる。

そのほとんど全てが、なぜか、心地良かったりする。

風呂場でうんこしようとも、夜泣きで寝れなかろうとも、水をブチ撒こうとも、オレの書いた曲の楽譜を破こうとも、何か起こるより、面白くなってきて笑ってる気がする。

そんなどうでもいい事以上に凄いものを毎日くれてるからなんだろうと思う。

それに比べれば、仕事から疲れて帰ってきて、風呂に入ろうと思って、湯船の中を覗いたらチョッと黄茶色なものが浮いてたくらい、笑って片づけられるんだって。

まぢで。

嫁のいとこに新しく子どもが生まれた。

オレのいとこに新しく子どもが生まれるかも知れない。

それがチョッと羨ましくも思う。

だって、オレがこれまでニヤニヤしながら過ごしてきた、あの日々をニヤニヤしながら過ごしていけるんだから。

でも、オレのこのニヤニヤする日々もまだ続くらしい。

続いてほしい。

お風邪など召しませぬよう、お身体ご自愛ください。

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2014年5月9日 22:15 CAT :

冷たい川に入ったりお腹を叩いたり転んでみたりしたけどこの子は死ななかった

別に、求めてる訳じゃあないオレが悪いんだけれども、基本的に、今の職場ではあんまり出世とかできない。

と言うか、多分、会社的にオレなんて居ても居なくても良い存在だと思われてるような気がする。

そもそも、webデザイナーなんて、別に社内で雇わなくても、外注に出してしまえば、それで問題ない訳で、そんな話が実際過去にも何度か社内で持ち上がり、その度、オレなんか別に居なくても良いんだと思われてるんだろうなと、チョッと凹んでた。

ただ、性質が悪いのは、そんな事実に対してオレ自身が「オレの実力を認めさせてやるぜ!」って思わない事だと思う。

とは言っても、仕事自体はどんな事があっても手を抜かないでやろうって事だけは、心に決めてる。

成果が出ようとも、出なかろうとも、その事を会社内で誰かに報告したりは基本的にしない。

数字が悪いときだけは詰められるけど、数字が良くても、それが結局誰の成果はうやむやになる。

そんな社風を目のあたりにして、なんかオレだけが「オレの作ったページでどうのこうの」とか、そんな事言う気がなくなってしまったと言うのが真実に近い。

何度か、そんな話を社内でした事あったけど、「広告がどうのこうの」とか「商品企画が良かった」だの色々言われるだけで、結局、誰も認めてくれやしなかったと言う過去もあるしね。

でも、まぁ、今会社のサイトは、コーポレートサイトも通販サイトも、サテライトサイトも、ブログも全部オレがデザインして作った。

って事だけは事実な訳で、ここ数年は、その成果を別に誰に言うでもなく、自分でだけ眺めてニヤニヤしてる。

何で、今更こんな話をここに書いたのかと言うと、珍しく、今回オレが結構中心になって、商品企画から、ページ製作までほとんど手掛けた商品があって、それが、思ってたよりうまく行ってたから。

・・・って、事だけ。

今回のこの事も、あえて声高にオレから、何か会社に言う事はないと思う。

んで、これに関わった誰かがいつものように、成果を会社に報告してくれて、オレはそれを隅の方で「良かったですね~」って言いながら、眺めてるだけだろうて。

これまでなら、こう言う事は真っ先に家族にお話ししてたんだけど、今、嫁は体調不良でそれどころじゃないし、娘はそもそもそんな話しても「?」だと思うし、結構、こんな話出来る人が居なかった事に気がついた。

いや、さびしい訳じゃあないんだけども。

でも、まぁ、チョッと嬉しかったので、少し誰かに聞いてほしくて、ここに書いてみたとか、そんなかんじなんですよ。

たまたま、この記事読んでしまったあなた。

オレの自己満足にお付き合いくださいまして、ありがとうございました。

では、おやすみなさい。

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2014年5月8日 22:14 CAT :

大体お前らまともじゃないぜ

曲を作る時、大体完成形をイメージして作りはじめる。

で、ある程度完成してくると、ほとんどの場合、当初の思惑通りの良い曲になってるんだけど(まぁ、自分で作っているんだから、当たり前っちゃあ当たり前。)時々、その予想の斜め上に完成してしまう曲がある。

大体、アルバム一枚分曲を作れば、その中で一曲位それがあったりする。

今までで言えば、「瓶詰めの幼女」とか、「雲は流れ 人は殺され 川は流れ」とか、「捨幸醜貌女の死に様」とか、「モノはモノだけど忘れません」とか、「Don’t 永眠ファラオ」とか、その辺かな・・・・

逆に、「ジャム地獄ジャム」とか、「果て1」とか、「蛇女外道節」とか、「ひとときの暗がり」とかその辺は、出来た最初から、これは良い曲になるだろ…と思いながら、実際作ってみて、やっぱり名曲だな。

と、変な悦に入ってたりする。

今回の「王道軽傷」で言うところだと、これは良い曲だろ。

と、最初から思ってたのは「1/f揺らぎに併せて奏でる発狂者のメロディー」とか、「虐殺の恋文」とか、「パラフィリア=グロッサリー」とかその辺で、思ってたのの斜め上な出来になったのは、「おもちゃはおもちゃ箱へ」だよね。

結構前に、このブログで、「こんなネタはいかがでしょうか?」的な感じで、紹介した物語で、実は、そう言う意味では、今回のアルバムの曲の中で一番最初にネタが出来上がってた曲。

で、何となく具体的なイメージがわいてこなかったので、一番最後まで手をつけなかった曲。

結局、そんなあやふやなまま、その場の勢いだけで作り上げて見た所、それがまぁ、ビックリする位良い感じの曲になった。

もう、こんな感じの曲は作れないんだろうなと思ってたのに、まだ作れた!みたいな感じでしょうかね?
創作活動をオナニーの延長線上でやり続けているものとしては、やっぱり、こう言う、思ってた以上のモノが出来上がると、凄いテンションが上がるよね。

上がったから、それをチョッと自慢したくなってしまっただけです。

お目目汚しを失礼しました。

後、1回レコーディングすれば、1年がかりの録音作業も完了しそうな感じだ。

な・・・夏までには、完成させるぞぉ~!
そしたら、これ以上影響受けて、作風をぶれさせたくないとか言う、謎の理由で聞いてなかった、「No Lie-Sense 」のファーストと、ストロベリーソングオーケストラの「月触のサーカス」をアホみたいに聞きまくろう。

そのうち、ストロベリーソングオーケストラさんの新譜と、犬神サアカス團さんのベストアルバムと、筋肉少女帯さんの新譜が出るわけですな。

なんと至福の一年だ。

全く。

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2014年5月6日 22:58 CAT :

まっくら森の闇の中では昨日は明日まっくらクライ

GW終わっちゃったね。

何となく心地よい疲労感と、明日からの事を考えると凄い憂鬱な感情が交錯してる感じです。

・・・けれども、これを感じる事が出来る事に感謝でもしてみようか。

例えば、家族が居て、お仕事をしているからこそ、この感情が出てくるんだよ・・・みたいな。

まぁ、偽善ですけれども。

さてさて。

世の中には、タイミングというものがある。

あの時、もしこうなっていたら・・・あの時、もしこうしなければ・・・今のオレはきっとなかった。

と思えるようなギリギリの選択肢がいくつもあって、その奇跡的な選択によって、今、現状のオレが存在していると思えば、それはそれですごい確率。

もそもそ、小学校、中学校と友達もいなくて、まともな会話すらしないまま、ただひたすらに妄想を膨らまし、漫画ばかり書いてたオレが、嫁も子どももいる普通の過程を築いて、ボロボロになりながらでも、お仕事をして、なんとか暮らせているわけだから、それはもう、本当に、自分で言うのもなんだけれども、奇跡に近いと思う。

その逆な奴だっていただろう。

そのままだった奴もいるだろう。

それは、全て、その時々のタイミングと膨大な量の選択肢の中から、正解とは言わなくても、限りなく正解に近いものを奇跡の確率で選び続けて今に至るわけだ。

そして、この先、その膨大な選択肢の中のひとつを誤れば、あっと言う間に転落していくって事だってある訳だ。

何が幸せだ。

と言う観点では、人それぞれの価値観があると思う。

オレは、家族が居て、今くらいの年収で、そこそこのご飯が食べれて、そこそこの場所に住めて、そこそこの趣味を嗜んでいればもう、それで良いと思う。

出世とか、あんまり興味ない。

出世して、収入が増えた所で、仕事も増えて、プライベートなく、仕事人間になってもしょうがなかろうと。

お金はあるにこした事はないけど、それが目的になってしまうと、多分、何事も楽しくないと思う。

お金は、目的じゃあなくて、手段だ。

そして、お金しか手段がないものは、多分この世の中でも、そんなに多くないと思う。

そして、幸せとか、満足の類は、お金とは無縁なものだとも思う。

「じゃがたら」と言う、偉大なバンドさんが「もうがまんできない」と言う曲で昔歌っていました。

「気の持ちようさ」と。

もし、この先、選択肢をミスしたとしよう。

と言うか、今までだって、実際にミスしている。

だって、結構前半戦はひどい人生だったよ。

まぢで。

でも、ミスをしたとしても、今が良ければ良いんだよ。

そう思い込むんだよ。

気の持ちようなんだよ。

オレが、俗に言う「リア充」のように、友達いっぱい、女の子といっぱいお話し続けた幼少時代を過ごしていたら、結構な確率で、今の嫁とは出逢ってもいなかっただろうし、そうなると、娘にも会えなかった。

あの頃があったから、今がある。

原因があるから、結果がある。

原因は必ずしも楽しい事や嬉しい事ではないし、結果が必ずしも幸せとは限らない。

そして、人生は相対的に見れば、誰も彼も大体プラスマイナス0なんだと思う。

今、楽してるあいつは、将来地獄を見るかもしれないし、過去に地獄を見たかもしれない。

今まで一度も苦労した事がないヤツは、本当に絶望的な死に際を迎えるかもしれない。

それら全てを、今と言う一瞬だけのタイミングで切り取ってみて、羨望したり、侮蔑したりするのは、本当に意味のない事なんだろう。

分かる事なんて何もない。

分かるのは、明るく楽しいメジャーコードも、性格音を半音あげれば暗く悲しいマイナーコードになると言う事ですよ。

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2014年4月29日 9:51 CAT :

もう一人で歩けない 時の風が強すぎて

やっとこさ、新音源「王道軽傷」のほぼ全てを作り終えた感じがする。

長かった。

一部、変更とかがあんまりなかった曲とかに至っては、昨年の夏仮撮りした後、1年近く放置してたやつもある位で、これで良いのか?と、ちょっぴり思ったりはする。

けれども、とにもかくにも完成が見えてきたような気がする。

後は、今取ったやつをミックスしたデモテープを聴きながら、このフレーズを足したいなぁ~とか、これのバックでピアノ弾こうとか、これはパワーコードのカッティング足さないとなとか、これはそもそも歌い直さないとなぁ~とか、これ根本的に作り直しじゃねえか糞が!とか、そんな事を、思いつくたびにevernoteにでも書きとめて置いて、もう一度位、最後の調整レコーディングをすれば、オレのやるべき事は終わりだ。

あとは、弟くんが、血眼になりながら、オレが好きかって弾き倒した部分に合うように、絶妙なベースラインを作って弾いてくれて、そして、四苦八苦しながら、ミックス、マスタリングと仕上げてくれるでしょう。

運良く、大体趣味趣向が同じだから、この段階まで来ると、後は、お任せしておいても、ほぼオレの好みな感じに仕上がってくるらしい。

時々、う~んな時もあるけど、それはそれで、直せばいいだけだしね。

まとめるにはまだ早いけれども、とにかく、4年ぶり・・・と言うつもりが、4年半ぶりになってしまった、フル音源「王道軽傷」が出来上がりそうな感じ。

さて、曲も出そろったし、歌詞の修正も終わったので、そろそろ歌詞カードの製作でもはじめようかな。

まだ曲順とか、曲数とか変更あるかもしれないけれども、今のところは、全部で17曲収録予定。

それでも、収録時間の関係とか、製作時間がなかったりとか、もろもろの理由で、3曲ほど今回闇に葬った曲もあったりする。

「絶望その1」とか、「死合わせと幸せ」とか、「3658」とか・・・

取り合えず、こいつが完成したら、しばらくは、この音源を聴かせながら情操教育でもしながら、音楽はお休みしよう。

で、少しずつ、絵を描きたいなぁ~。

と。

(最近、娘が絵を描くようになって、それがすごくいい感じだから、絵を描きたくてうずうずしてるんだよ。)
そして、来年の夏位に、久々の馬忠・DA・ムドーのアルバムでも作ろう。

9枚目の今回は、「王道軽傷」を作る時に、発見された、中学、高校時代に書いた痛い曲の数々を、無駄に復活させた感じにしようと思ってたりする。

テーマは「厨二病」と言う事で。

「アホな歌」や「ガングロな!沖」「ピモピモの唄」「腹ペコマスター」とか、あんまりはっきり覚えてないけど、そんな感じの曲をやる。

予定は未定。

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2014年4月7日 22:21 CAT :

瞳しか書かない本宮先生とさいとう先生

明兄さんのブログにちょっと素敵なコトバを見つけた。

============
作品のコンセプトに変化があった時期を、アンチは「迷走」というよね?でも信者は「新境地」というんだ。

いつもと変わらぬクオリティを提供すれば信者は「ブレてない」というけど、アンチは「マンネリ」という。

============
きっと、犬神サアカス團はこんな言葉にさらされ続けてきたんだと思う。

そんな中で、常にファン(と言うか、信者)の想像の斜め上をいく作品を作り続けてきたんだと思うと、ホント尊敬する。

ただまぁ、個人的には、犬神サアカス團だろうが、犬神サーカス団だろうが、犬神サーカス団!だろうが、コンセプトに変化があった時期も、いつもと同じクオリティだった時期もなかったように思ってる。

「いぬがみさーかすだん」と言うものがそこにあっただけ。

でも、それが何よりすごいことだと思うんだよなぁ~
さてさて。

佐村河内と言う凄い人が居た。

と言う話を、今更だけど、少しだけ振り返ってみた。

何か、いいともが終わる位まで、この世の中には、「ゴーストライター」と言う言葉が溢れていたような気がしてならないけれども・・・さて、この「ゴーストライター」って、そんなダメな事だったんだろうか・・・?
オレが音楽を始めたのは、中学生の頃。

(まぁ、ピアノ自体は、4歳位から習ってたけれども。)
その頃、初めて曲を書いてみたオレは、音楽について色々と勉強し、んで、メロディーラインを採譜していく過程で、「なんてめんどくさいんだ。」としか思わなくなってた。

世の中の、ミュージシャンは本当に、こう言う音符に落とし込んだりとかしてるのか?実は、こう言うのは、絶対音感とかを持ってる人が、やってくれるんじゃないのか?といつも思ってた。

そして、そんな友達(と言うか、そもそもまともに友達もいなかったけれども)が居ないオレは、自分でやっていくしかない因果な星の元に生まれたんだと思ってた。

さて。

では、「ゴーストライター」とは、どの時点から非難されるものなんだろうか・・・

サザンの桑田は、ギターをかき鳴らして適当英語で付けたメロディーラインを、原坊に採譜してもらっているって聞いた事がある。

マイケルさんも、確か似たようなものだったように記憶している。

でも、彼らの作品をゴーストライターが書いた何て言う人はいない。

オレの尊敬する筋肉少女帯のオーケン自身が良くエッセイとかで語っている有名なエピソードに「サボテンとバントライン」。

これに至っては、オーケンは、基本的に、メロディーラインではなく、曲自体の(と言うか頭の中にある妄想)を延々語っただけで、シングル化が決定したと言う。

そのあと、メロディーを口ずさんで、それをメンバーにコードに落としてもらったとか・・・

でも、「サボテンとバントライン」はオーケン作曲の名曲として、今も、キンショーの歴史に燦然と輝いている。

思うに、佐村河内と言う人が問題だったのは、ゴーストライターの部分ではないように思う。

あのおっさんが問題だったのは、舐めきった傲慢で粗暴な態度と、耳が聞こえないと言う嘘だったように思う。

もし彼が、最初から、オーケンみたいに「楽器も弾けないし楽譜も読めないミュージシャンです。」と開き直った上で、「曲のイメージを適当に紙に書いて伝えて、後はメロディーを口ずさんだら、新垣とか言う人が曲にしてくれたんだよね。

それが、この『HIROSHIMA』です。

あと、耳に異常はないです。」ってぶっちゃけてれば、今も、「HIROSHIMA」は、佐村河内作曲の名曲オーケストラとして、誰もが、褒め称えていたかもしれない。

と言うか、そうなっていたと思う。

あんな嘘なんて付かなければ、誰も不幸にならなかったのに。

そして、この佐村河内と言う人の為に、「メロディーラインをコードに落とし、採譜する」までが「作曲をする。」となってしまった感じがある。

これじゃあ、ここ最近のオレの曲は、全部作曲してるわけじゃあなくなるじゃあないか。

ここ最近は、適当に口ずさんだメロディーに合わせたコード進行を歌詞の上に書いて終わり。

(ゲッカヨとかの、あんまりメジャーじゃない曲の表記みたいな状態。)編曲も、適当に弾いてるだけだし。

採譜なんて以ての外。

たまに、サビのメロディーラインをギターソロに組み込んだりするとき位しか、やらない。

たまには、ちゃんと楽譜とか書こうかな。

高校時代くらいまでは、ちゃんと楽譜に書いてたんだけどな~
あっちょんぶりけ。

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2014年4月6日 22:46 CAT :

今考えてみれば君は一人で踊っていた

お花見をしてきた。

例えば、今年の夏にでもオレが死んでしまったら、もう見る事が出来なくなってしまう桜の花。

夏に、もう少しで死んでしまうから、桜を見ておきたいと思っても、見れやしない訳。

今しか見れないいつもと違う風景と言うものは実に良い感じ。

いくつかある日本に生まれてよかったと思う事に一つですね。

・・・多分。

ただ、お花見と称して、花見ないで、酒飲んで暴れてるおっさんとか、花見ないで人の悪口で盛り上がってるおばさんとかには、心の底から辟易する。

別に、花見とか言う理由をつけなくてもいいから、どっか別の場所でやってくれよ。

オレは、純粋に桜の花を家族で愛でたいんだよ。

しかし、社会と交わって行くと言う事は、こんなおっさんおばさんを相手にしていかなきゃあいけない事でもあるらしい。

子どもが小学生になって、地区の子供会とかで行った先で、所謂「ママ友」と言う幼稚園レベルのくだらない派閥があって、その派閥毎に悪口で盛り上がってたりなんかしたら・・・とか思うと、相当、面倒くさいような気がしてならない。

一人で誰とも交わらずに自給自足で生きて行くなら、良かったけど、そうもいかない日々の中で、こんなおっさんおばさんとどう折り合いをつけていくべきなのか・・・思案にくれる日。

ただまぁ、せっかくのお花見なので、そんな事ばっかり考えないで、お花奇麗だったねとか、そんなことを考えて、眠りにつく事にしよう。

娘がよちよちと歩くようになりましたよ。

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2014年3月31日 23:05 CAT :

下剤感情うんこオマルン

オレにはもう書けやしない。

と思う事が多々ある。

ひとつは、もうそんなものを良しとしない場合。

もう一つは、どんなに逆立ちしても出てこない場合。

前者は良いと思うんだよ。

それも成長だ。

たぶんな。

でも、後者の場合、自分の中で出したいと思ってるのに出てきやがらない。

便秘うんこみたいな感じだと思う・・・違うか。

そんな時は、少しだけ下剤を入れると出るようになったりもする。

感情の下剤とでもいいましょうか。

すごく悲しい事がある。

とか、凄く病んでしまう。

とか、何かそんな事があると、これまで出てこなかった事が嘘のように、すらすらと色んな言葉であったり物語であったりが吐きだされてくる。

普段は悩んで悩んで悩んで悩んでひり出したのに、何だかちっともトキめかないのに。

どうすれば良いのか。

気持ちを常に深く沈めておけばいいんだと思う。

でも、それは、同時に、凄く精神的に負担が大きい事でもあるらしい。

そのまま自殺してしまう人だって結構いちゃったりするほどに。

それでも、創作の世界に身を置き続けて、言葉や、音楽を紡ぎだしている皆様をひどく尊敬しますよ。

ホントすごい。

ホントすごい・・・

出来なくなっちゃった。

何か色んな事が。

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2014年3月30日 23:20 CAT :

壊れるほど愛しても1/3も伝わらない

取り合えず、消費税は上がるとして、軽自動車の税金があがるとか、配偶者控除が廃止になるとかなんとか・・・

何だかこれ?まぢで生活できんのか?多少、景気が良くなったとしても。

(と言うか、消費税を増税して景気が良くなることなんて、絶対にないと思うけれども・・・・)
これについて、例えば、消費税増税は、民主党が決定して事だから、自民党の支持率にあんまり影響してないとかそんな事なんだろうか?よく分かんないけど、何しか、こんなオレでも、節約していかないかんよね。

ってなってる訳で、そんな人ばっかりになって、景気は低迷するだろう。

と思う。

でも、その裏で、実は、低所得者への補助みたいなものもあって、オレはそれを(多分受けれらる)らしい。

と言う事で、少しくらい、今の現状をポジティブに考えて見るのもいいのではないか。

と、思いなおしてみる。

例えば、配偶者控除の廃止について。

配偶者控除の廃止。

とただ聞くと、何だか、今のオレの家族みたいな、子育てしてるから、嫁専業主婦(まぁ、厳密にはチョッと違うけど。)みたいな家族が対象かと思うけど、意外とその裏で、例えば、子どものいない家庭でも、配偶者控除は受けられちゃったりする。

あえて語弊のある言い方をすれば、(不妊とかは別として)次世代を育てると言う行為を放棄して、自分たちの生活水準向上のために、子どもを作らない選択をした、とか、自分が専業主婦で居たいがために子どもを作らない選択をした家庭も、この配偶者控除を受けてる訳で、それって、何だかオレからすると、チョッと不平等。

まぁ、子どもを作ると言う事も選択肢の中の一つで、オレは、それを自分で選んだから文句は言わないよ。

でも、国としては、少子高齢化を食い止めるためにも、子どもは産んで育てて欲しいと考えているので、この配偶者控除は廃止するけど、今ある子育て支援をもっと充実する。

みたいな話なら・・・

それなら、全然納得する。

実際、消費税増税するけど、その救済措置として、低所得子育て家庭には、補助金を出してるみたいだし。

ちゃんと、それについては、受け取るようにするよ。

オレわ。

そしたら、単純計算で、高額なお買いものせずに、普通に生活する分には、3%の増税分は、その補助金で多分ペイ出来るっぽいし。

まぁ、だったら最初から必需品には消費税かけずに、嗜好品にたっぷり増税しろよとも思うけど、そこを詰めるまでの時間もなかったんだろうて。

今、政治家が年寄りにだけ有利で、若い世代にはただただ絶望的な年金制度を守ろうとしているか。

理由は、単純に、ご年配の方々の方が、圧倒的に選挙の投票率が高いかららしい。

投票率の高いご年配にそっぽを向かれてまで、若い世代を守った所で、若い世代が投票してくれる訳でもなく、結局、選挙で落ちる位なら、若い世代の事なんか知った事ではない。

と。

政治家と言う人たちも、(昔は知らんけど今は)国の事や、国民の事より、自分の保身が第一なんだと思う。

人間なんてそんなもんだ。

(全員がそうだとは言わないけど、相対的に見てそう言う流れがあるのは間違いないと思う。)
これまでもそうだったのかも知れないけれども、要は、自分の生活を有利にする為には、政治家が望む人間になれば良い。

消費税増税の救済措置も、あんまり大々的には、宣伝されてない。

政治にある程度関心を持って、意識的に耳を済ませてなければ、損をするよ。

と言う事なんだろう。

そんな人間を求めてるんだろう。

そして、選挙で投票に行く人間が良いんだろう。

最後に、多分、少子高齢化を食い止めるためにも、子どもを育ててる人間が良いんだろう。

もう丸くなってしまった志茂田さんですので、アウトローにはなれず、ただ、求められる人間となって、当たり前の権利を享受して生きていきますよ。

アウトローになるって事は、その覚悟が必要なんだと思う。

それもなく文句ばっかり言ってるヤツは、多分在日のチョンだ。

そう言う面では、まだ日本は、住み心地のいい国だと思ってる。

数年前みたいな無茶苦茶なチョンコロ政権ではなく、日本人が、ある程度まともな思考で政権を維持してくれている間はね。

・・・ポジティブか?これ?

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2014年3月18日 1:12 CAT :

気持ち揺蕩ういつかの夜のように

何をどう表現したらいいのやら。

苛立ちとか、憎しみとか、後悔とか、そんな色んな感情が頭の中をグッチャグッチャに渦巻いて、眠れる気がしない。

昔は、よくあった。

でも、歳をとるにつれて、なくなったと思ってた。

こんな夜は、不思議と素敵な物語を紡ぎ出せたりしたもんだけれども、今のオレには、その出来あがった物語を素敵に感じる感性がなくなってしまった。

求めている理想像が変わる。

だから、もうなくなったと思っていたこの感情が、久々に沸々と湧き出してきた。

出来る事が、実際問題ない訳で、どうする事も出来ないこの状況。

オレは、まだまだ、何にも出来ない。

どうかしたいと思っても、どうにもできない。

ただただ、頭の中でだけ、ひどくドス黒い妄想が現実味を帯びて膨らんでいく感じ。

先日、「サイコパス診断」を受けた。

どうやら、オレは「サイコパス」ではなかったらしい。

でも、その診断を受けてる間中何だかわからない寒気に全身が襲われていた。

今はただ、静かにこの感情が薄れて行く事を信じるばかり。

眠られないけれども、多分、目を閉じて、素数でも数えれば、気を失うように眠りに就く事も出来るんだろう。

前は、よくそんな事をしてた。

それでも、眠れない夜は、どこ行く訳でもなく、ほてほてと何時間も散歩をした。

今夜は、散歩はしない。

夢の中をどこまでもどこまでも歩いて行こう。

何もない先に向かって。

あいつが居る限り、何度でも、この感情が揺り起こされる。

あいつがしゃべる限り、何度でも、この感情を思い出さされる。

願わくば、このブログの記事が、ニュースにでも引用されて、垂れ流される事のないように。

大丈夫。

オレは、もう大人になったんだよ。

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2014年3月17日 22:25 CAT :

日の目と陽の目と火の目

ブログに残しておこうと言うネタをevernoteにメモってたりする。

で、そのメモを見て色々と思い出しながら、ブログを書いたりするんだけど、最近、そのevernoteのメモさえ忘れがちになってしまう。

そして、先ほどそのメモを見てみると、どうやらネタのほぼすべてを書ききってしまったらしい。

何も、今日のところは書く事がないらしい。

さてさて。

これまでに結構な量のマンガを描いてきた。

その中で、ノートに書きなぐってる奴は置いといて、ちゃんと原稿用紙に書いてるマンガを何か、ネットのどこかででも公表できないものか。

などなど、考えております。

そもそも、漫画含め、大体の創作活動を自己満足のために行ってきたわけで、まぁ、賞とって漫画家として名を馳せてみたいと夢見たこともあったような気がするけど、今のところは、書いて一部の人にだけ見せて眠っているものもいくつかある。

せっかく書いたんだし、誰でもいいから読んでみてくれねぇ~かなぁ~。

と言う次第なんですよ。

何かね。

自分では、面白いと思うんだけどね。

(まぁ、面白くないと思いながら描いてる奴なんかいないと思うけれども。)
チョッと、趣味の合う方などいてくれて、読んでくれでもしたら、それだけで、ちょっぴり満足出来たりしないんだろうか・・・

何しか、5年ほどやってなかった、4コマ漫画「さなだむし」さんも、再開させようかと、新しいの書きためてるとこだし、少しずつ、そんな事も始めていこうかと思っております。

まぁ、別にどうってことのない話だけれども。

そう言えば、最近、ちょっぴり料理にはまってたりする。

と言う話も、そのうち書こう。

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2014年3月15日 10:17 CAT :

うんこ行きたい2014春

そろそろ、アルバム作りも再開させたいんだけども、なかなか、予定もてんこ盛りで難しそうな感じ…
そうこうしている間にも色々とアイデアは浮かんでくる。

これをどこまで詰め込めるのやら…と、思いつつも、それを表現するためには、ある程度には、技術もいるので、楽器の練習でもしますか。

しかし、不思議なことに、新しい曲については浮かんでこない。

これまでなら、そうこうしてる間に、曲数がどんどん増えちゃってたんどな。

多分、今回のアルバムに関しては、本能的に、これ以上曲数はいらないと思っているんだろうて。

それか、もう曲とか作れんくなったか…
後者の場合には、素直に創作活動をやめて、歌い手さんにでもなるか…
志茂田さんが歌ったみた。

何を?
……
何をだろう?
そう言えば、人の歌を歌いたい欲求とかあんまりなかったんだよね…
歌うのが好きなんじゃない。

表現するのが好きなんだった。

別に歌い手さんをどうこう言うつもりはないし、特に意識高い系の方は、オレの数千倍のこだわりがあるだろうし…
ただオレはやんないよ。

ってだけなんですよ。

んむ。

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2014年3月13日 23:28 CAT :

岸辺ロハンも殺された。キラに殺された

娘が聴いててテンションが上がる曲は、Queenの「Another One Bites The Dust」と「Mide in Heven」と「Killer Queen」あたりらしい。

あと、「バイシクルレース」の間奏部分の「チリンチリン」がお気に入り。

他には、NHKの「いないいないばぁ」って番組の中で出てくる「ぽいぶーぶー」とか「ごとごとごっとん」とか、その辺が好きみたい。

洋楽聴くのかよ。

とも少し思ったけれども、考えて見れば、まだ言葉がしゃべられない娘にとって、洋楽も邦楽も何言ってるのか分からない訳で、そう言う意味では、本当に偏見なく、自分の好きな音楽に喜んでいるんだろう。

生きていく上では、偏見ってものがなくならない。

それも、歳を重ねれば重ねる程、その偏見は頭の中にこびりついてしまって、もう、それはどうしようもないものになってしまうらしい。

偏見なしに、本当に好きなものとは何なのか?
その先にあるのは、偏見なしに本当に自分がやりたいものは何なのか?と言う話になってくるようにも思う。

さてさて。

死んでしまう事を意識してしまうと、不意に、自分の生きてきた証を残しておきたくて仕方がなくなってしまったりする。

オレにしてみれば、文章を書いて、絵を描いて、メロディーを作ってとか、そんな事感じ。

今いなくなっちゃえば、多分「王道軽傷」や「連歌 忘却」って言うアルバムは完成しないと思う。

「やみせかい」って漫画は形になる事はないと思う。

「子どもは老人に励まされた」とか「夜誘う麦わら帽子」って言う小説は完結しないと思う。

でも、それが、この世界に与える影響なんてほぼ皆無なんだ。

皆無だから、完成しなくてもいいって言う話じゃあない。

頭の中にあるものを形にしたいと言う衝動は誰にでも平等にあるもんだ・・・と思ってる。

ないヤツは居ない。

ないと言うのであれば、そいつはきっと、自分とある程度でも向き合っていないんだ。

ひとつでいい。

ひとつからでいい。

何かを始めて行こう。

最近、気持ちは変わって来た。

これまで、オレは、自分の不満や鬱積した鬱憤を吐きだしたくてしょうがなかった。

そうして吐き出してきた。

今は、何かを伝えたくなった。

誰にかは分かんない。

分からないので、せっかくなので、もっと大きくなった娘にで良い。

娘が大きくなった時に、今オレが作ってる音楽とかを聴かせてみよう。

オレがその時、この世にいなければ、誰かに聴かせてもらえるように頼んでおこう。

出来れば、今以降に作った何かを。

今より過去に作った鬱憤のたまった愚痴や不満じゃあない。

今より未来に作る伝えたい事の詰まった何かを。

伝える事に意味はない。

でも伝わるものもあるんじゃあないでしょうかね。

オレの厨二病は新しい段階に入った模様です。

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2014年3月12日 23:08 CAT :

てくてく魔神と絶望のターン

左腕にしびれとかつてない針で刺したような痛みが・・・

しかも力がはいんない。

これは、少しだけ経験した事のある感覚だった。

数年前。

オレは、そのまま左手の力を失うどころか、左半身がほぼマヒ状態になってしまい、チョッと長めのリハビリ入院を行う事となった。

その時の事を思い出し、とてつもなく嫌な予感がした。

けど、診察の結果は、腱鞘炎と肩こりによる神経圧迫のコンボ。

接骨院での、治療によってあっと言う間に回復した。

(まだ、若干左手に力が入らないけど。)
健康と言うものは、健康なうちは特に何も感じる事はないけれども、いざ、不健康になった時、とてつもなく感謝するものらしい。

そして、必ず後悔する。

もっと体を大切にしておけば・・・と。

なのに、健康になると、すぐにその事を忘れて、すぐ健康にかまけるようになる。

今回の事でまた、少し思い出す事が出来たよ。

歩けると言う事の凄さ。

偉大さ。

喜び。

左手でものを持てると言う事の便利さ。

リハビリの時、改めて「歩く」と言う行為を理論的になぞりながら、歩く練習をした。

でも、それは、筋肉を動かしつつ、同時に重心を移動させつつ、バランスを取らなければいけなく、また、どのくらい足を動かすかを考えると言うとても難しいものだった。

感覚を取り戻した今となっては、また、当たり前のように歩けているけれども、それは本当は大変な事。

今、娘が、一生懸命立って、そして、この「歩く」と言う行為を一生懸命練習している。

娘の場合、健康体。

ありがたい事に。

もうしばらくすれば、多分歩けるようになるんだろう。

願わくば、娘が、もう一度、「歩く」と言う行為を学びなおし、練習する日が来る事のないように。

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2014年3月3日 23:39 CAT :

やみせかい~シムガルドの章~

頭の中に、物語が浮かんでくる。

頭の中に、イメージが浮かんでくる。

頭の中に、言葉が浮かんでくる。

頭の中に、構成が浮かんでくる。

そんな感じで、久々にマンガでも描こうかと少し思ったり、思わなかったり・・・

物語は、イグニアと言う、それはもうどうしようもないほど広大な世界から始まる。

タイトルは「やみせかい」。

実に、大学生のころから、妄想してた物語。

その終わりのない物語の第1章に手を付けてしまうべきかどうか。

そんな所でちょっと躊躇してる。

だって、この話描き始めたら、多分、もう終わらない。

オレが死ぬまでにどの位描けるか分からないけど、死ぬまで描き続けても終わらない。

それは何と無く分かってる。

だから、手をつけれられずいる。

そうやって気がつけば、もう当初のイメージが浮かんでから10年近く経とうとしている。

けど、まだ、描きだしてはおりませぬ。

いや、その前に、「王道軽傷」の完成だよな・・・

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2014年3月1日 16:23 CAT :

しめりほか弁ファイヤー

「ほっかほか亭」は「ほか弁」と略す・・・らしい。

「ホットモット」は「ホモ弁」と略す・・・らしい。

そんな所から、チョッぴりどちらの方が、高感度が高いのか分かるような・・・わからないような。

学生時代には、よく「ほか弁」。

食べました。

いつも、丼ものにおかずを注文してたから、お箸は2膳くれる。

で、家帰ると、自分の箸を使うから、結局、物凄い量のほか弁割り箸を所有してたように思う。

もう少し過去に遡ってみる。

オレが、中、高校生の頃。

午後が半日休みの時とかには、いつも、今は亡きばあちゃんが、ほか弁を買ってきてくれてた。

オレがいつ帰ってきても、お弁当があるように、結構早い段階で買ってきて、それを冷えないように毛布にくるんで置いてた。

学校から帰ってくると、その毛布をあけ、もわぁ~っとするほか弁の匂いをかいだ。

温かかった弁当は、冷えていて、それで居て、元湯気の水蒸気が蓋にびっしり。

それどころか、水となって弁当自体に満遍なく降り注いでいるもんだから、軽く全体に水を拭きかけたような状態だった。

でも、それは悪意があったわけじゃなくて、いつ帰ってきても食べるものがあって、しかも、それが冷えないように。

と言う、ばあちゃんなりの心使いだったんだろうて。

ほか弁を食べると、不意にあの頃の事を思い出す。

昨日も、久々に食べながらそんな事を思い出してた。

色々あったばあちゃんだけど、故人を悪く言うのは好きじゃないし、そもそも、亡くなって1年以上経つと、思い出すのは、どちらかと言えば、チョッと良い思い出ばかりだったりする。

(オレが誤って、コンタクトを洗面所で流してしまった時に、一日中下水のドブ攫いをしてた事とかね・・・)
そんなばあちゃんも、じいちゃんも居なくなっちゃった。

オレは、結婚して家を出て、新しい場所で家長になった。

そして、子どもが生まれ、親父とおかんが、じいちゃんとばあちゃんになった。

世代交代が進み、オレが育ってきた場所はもうなくなり、新しい場所と関係が出来始めている。

そんな10年に思いをはせて出来上がった曲が「3653」って曲だったりする。

まぁ、何が言いたかったかと言えば、「憂さ晴らし」だ!!
と、かつての沼さんの名言を使ってみた所で、お別れですね。

さようなら。

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2014年2月16日 12:50 CAT :

牛乳は体に悪い論について雑多なメモ書き

前からちょくちょく思ってたんだけど、苦手な人種がいる。

多分。

いる。

どういうヤツかと言えば、自分の考えが絶対的に正しいと思ってて、なおかつ、それを人にも強要するヤツ。

そして、その内容がエコであったり、オーガニックであったりするやつ。

(漫画とか、映画とか、その他芸術作品について、押し付けてくるやつは、ムカつくけど結構好き)。

いや。

勝手にやってくれる分には知った事ではないんだよ。

でも、「私、環境に気を使ってます」とか、「健康の為にオーガニックなモノしか口にしませんの」とか、わざと聞こえるように会話してたり、人に押し付けたりしてるやつは、ホント苦手。

と言うか嫌い。

と言うか、メンドくさい。

取り合えず、環境に気を使ってるアピールは分かったから、そのビニール袋換算で、4000年分の熱量がないと出来ないエコバックを抱えて、4000年生き抜いてくれ。

オレは、普通にビニール袋を使って、80年くらいで死ぬわ。

と。

そんな事を思うです。

幼い頃から、マーガリン食べてました。

今では、発がん性がある食べるプラスチックとして、諸外国では販売すら禁止されている(日本は、利権の関係上禁止されてないらしいけど)あのトランス脂肪酸ですよ。

確かに、体に悪いのかもしれない。

けれども、上記であげたみたいな健康の為なら死ねる自称健康オタクさんは、当初、マーガリンを体に良いものとして、アホみたいに食べてたでしょうが。

食べてて自分は健康なくせに、子どもがマーガリン食べてたら「トランス脂肪酸はあぁ~だこ~だ」とか、語りだすんだ。

まぁ、マーガリンは脳がスポンジみたいになるらしいから、そう言うやつらは、脳もスポンジで、記憶力もほぼ皆無なんだろうて。

体に悪いとか、発がん性があるといわれている「アステルパーム」にしたって、その致死量は、実は、塩の2倍必要と言う事実があるらしい。

つまり、1日にとっても死なない量としては、塩の方が危険度は2倍?
でも、塩の危険性については、触れないよね。

砂糖の危険性については触れないよね。

糖尿病が如何に恐ろしいかご存じないんだろうか?そう言う人たちは。

基本的に、この手のお話。

そのほとんどに利権が絡んでいる・・・とか聞いたことがある。

マーガリンが販売停止にならないのもそうだし、エコバックもそうだし、布オムツも、割り箸も、化学調味料も。

例えば、エコバックを一つ作るのに、人一人のスーパーのビニール袋の平均使用量4000年分のエネルギーが必要だとか。

まぁ、寿命が4000年くらいあって、しかも、死ぬほど物持ちの良い人なら知らんけど、本当に、環境を考えるなら、ビニール袋を使えば良いと思う。

それを、これまで、「無料」だったビニール袋から、環境に悪い「何千円とかする」エコバックに買い換えさせられ、しかも、買い換えないヤツからは、「無料」だったビニール袋を「有料」にする。

それによって誰が得をするのか。

割り箸は元々、間伐材と言う、普通に使用できずに破棄されていたものを使ってた。

のに、自分の箸をこれも「何千円」とかで買わされて、そして、割り箸に出来なくなった間伐材は結局破棄されるようになったので、自分の箸の分だけ、環境は悪くなった。

でも、これによって誰が得するのか。

これは、全部「エコ」なんだろうけど、要するに「エコ」も「オーガニック」も、「と言う大義名分を持った商売」でしかないんだと思う。

今、「エコ」だの「オーガニック」だの煩いやつは、ただ、そう言う商売上手さんに踊らされてるだけなんだと思う。

でも、そう言う人が居ないと、商売が出来ないのも事実だから、しっかり踊って頂ければいいんだけど、それを押し付けないで欲しい。

ッて話ですよ。

ほっといてくれ。

オレの事は。

もういいから、脳がスポンジになっても。

オレが怖いのは、そうやって健康にも、環境にも気を使いまくってまくって、結局それが何の意味もなく、それどころか、そのせいで、自分の喜びとか幸せを犠牲にしてしまう事なんだって。

「長生きしたかったら自制しなさい」と言われるけど、もし、自制した上で、それでも将来自制しなきゃ生けなくなったら、オレの人生はズッと自制じゃねえか。

そんな事にならないように。

今は、今として、生きていたいと思いますよ。

はい。

「お前みたいな考え方のやつがいるから地球が温暖化するんだ。」とか言われたとしたら、そんな事いうヤツに限って、オレより環境破壊に率先的だったりすんだよ。

多分ね。

最後に、範馬勇次郎大先生の正論でも張っておきます。

(↓)
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クリックで大きくなるよ。

何か、「エコ」の話なのか、「オーガニック」の話なのかよくわからない文章になってしまったけれども。

最近は、牛乳が実は体に悪いとか言われ始めてますよね。

そうなる事で、一体誰が得するんだろう・・・

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2014年2月15日 1:53 CAT :

手まんこの為に存在する

そろそろの来るべきまぢレコーディングに併せて、少しずつではありますが、ギター弾くの練習しております。

で思った事。

つくづく。

つくづく思った。

反復練習って大切ですね。

「黄泉」(と言うか、「土下座」製作以降)まともにギターとか弾いてなかったからしょうがないと言えばしょうがないけど、鈍ってるとかそんなレベルじゃねえぞ。

まぢで。

思惑とは裏腹に、面白い位指が動かないんでやんの。

「4千年王国」の早弾きとかはまぁ、しょうがないにしても、「アンチスーサイダー戦場へ赴く」の出だしとかさぁ、「ジャム地獄ジャム」のリフとかさぁ・・・その辺は弾けろよ・・・オレの指。

取り合えず、かろうじて弾けるのは「子守られの唄」のギターソロ位か・・・

全部、自分で作ったはずなのに・・・

しかも、持久力がないから、アップテンポな曲弾いてると、途中でへばってくるし。

もうしばらく運指練習とかします。

はい。

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2014年2月8日 15:54 CAT :

今更のセンター試験だけの必勝法

スゴイ雪!
オレは、香川に住んで30年。

多分、最高に積もったんじゃねえのか?ってくらい雪が積もった。

普段、雪なんか見る事ないから、雪が積もるとスゴイテンションも上がったりするんだけど、今日の場合はさすがにチョッとテンション下がった。

会社行くまでの道で、何度か、スリップしかけたし、横通るトラックに雪をかけられて事故りそうになったし。

毎年雪積もって羨ましいな。

と思ってたけど、雪って大変だわ。

東北とか、北海道の皆さん。

ゴメンなさい。

さてさて。

別に自分のことを頭の良い方だとかは、別に思いもしないんだけど、割と覚えは良い方だと思ってたりします。

仕事にしても、勉強にしても、あと、ゲームとかそんな感じにしても、大体「覚えるの早いな」って言われたり、言われなかったり。

ふと考えてみた。

別にオレは記憶力がいい訳じゃあないし、頭がいい訳でもない。

のに、何なんだろう・・・この言われは。

みたいなね。

スゴイどうでも良いことを悶々と考えてたりしたんだよ。

学生時代に遡った。

オレは、とにかく勉強するのが嫌いでしょうがなかったんですよ。

まぢで。

こんな人生の無駄なんて無いと思ってた。

でも、まぁ、テストではそこそこの成績を取っといて、親を納得させたり、先生方に目をつけられなくなったりしなきゃいけない。

それに、受験と言うものもあったし。

で、オレが考えたのは、極限まで努力しないで成績があがる方法だった。

・・・ように記憶してる。

例えば勉強において、これさえ押さえときゃ、あとは応用できるんじゃね?とか、そんな所を見極める事にだけ注力して、見極めた部分だけをとにかく勉強する。

苦手だった英語で例を挙げると・・・

とにかくチマチマ英単語覚えたり、接続詞覚えたり、発音のアクセント覚えたりは全てばっさり捨てた。

んで、テストでの配点の大きい長文の読解だけに全力を尽くした。

方法としては、スゴイ初歩的な英単語だけを覚えておいて、後は、文脈から単語の意味を推測したり、単語の成り立ちから意味を推測したり・・・

テストで言う所の、問い1~4くらいまでは、ほぼ全て正解なしだけど、長文の問い6とか7はほぼ全問正解。

だって、配点が1点とかのアクセントチマチマ覚えるくらいなら、配点が7点くらいある長文の選択問題に正解する方が7倍意味がある。

その結果、センター試験では、160点位取れて、偏差値も60以上(当初は偏差値30代だったのに)を取る事だ出来たりした。

まぁ、これは勉強の話だけど、多分、こんな事をそれ以外にも日常的にやってるんだと思う。

覚えの早さに繋がってるんだろう・・・

ただ、この方法には絶望的な欠点がある。

将来性が1ミクロンも無い。

その場を乗り切るためには最善の方法なんだろうけど、こんなやり方したお陰で、何にも見につかなかった事が多々ある。

いつも、スタートダッシュは凄いけど、ちゃんと基礎からやってきたヤツに最終的にいつも追い越される。

そして、オレは何でもある程度出来るけど、何一つとして極めたもののない中途半端さんになっちゃった訳ですよ。

今。

このクセは未だになおちゃあいない訳で、相変わらず、最初だけ「覚えが早い」とか言われてる感じ。

で、そうならないようにした部分(絵を描いたり、曲書いたり、ホムペ作ったり)では、結局、最初に「不必要」とぶった切った部分を改めて、丁寧になぞり直してる。

もう、このクセは直りそうもないので、それはそれでいいか・・・とも思うけど、「要領よくなるために何か良い方法は無いかな?」とか今考えてる人が居たら、こう言いたい。

結局は、全部やらなきゃいけないんだから、地道にコツコツやった方が二度手間にならないよ。

・・・と。

頭が超越的に賢い人は知らんけれども。

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2014年2月5日 22:34 CAT :

寄る辺ない新月の夜の波

悲しみの連鎖は止まらない。

止める必要もない。

全ては必然であり、なるようになる。

・・・らしいです。

が、それを甘んじて受け入れる事が出来るには、まだ経験も不足しているだろうし、心持ちの余裕もない。

受け入れられなければどうすれば良いか。

ただ、右往左往して、茫然とするしかない。

いつまでも。

いつまでも。

人が死ぬ物語を当たり前のように描いて来ていたけれども、その一つ一つについて、どこまで考察が及んでいたか鑑みれば、ひどく浅はかだったように思う。

例えば、その死んでいくキャラクターにも、今、オレが四苦八苦しながらもやっている子育て。

によって、大切に育てられた過去があるやもしれない。

そんな背景まで奇麗に掬い取った上で、物語を構成出来れば、さぞかし、良いお話もかけるんじゃあないでしょうかね。

ただ、それを表現しきる能力が足りないだろうて。

考察が足りないだろうて。

歌詞では、言葉足らず。

漫画では、画力足らず。

演劇では、人足らず。

などなど。

足らずねだりの夜ですよ。

今夜は。

明日の朝が、何事もなく訪れますように、祈りつつ、今夜はここで眠りに落ちましょう。

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2014年2月2日 1:30 CAT :

ビッグザブドー

日本の武道の世界には、「守破離」と言うものがあるらしい。

何かって言うと、単純に言えば、物事を学んでいく上での方法論のひとつ。

「守」は、伝統的に受け継がれてきた基本の型をそのまま受け継ぐ事。

「破」は、受け継いだ基本の型を自ら打ち破る事。

「離」は、基本から離れた自分の型を生み出す事。

なんだとか・・・

まぁ、これって何気に、どんな事でも適応できるわな。

要は、コピーから入って、コピーを自分のものに昇華させて、最後に、コピーとは全く違った自分のものを作り上げるってことでしょ。

昔からよく言われる基本っちゃあ、基本だ。

そして、この「守破離」は、上達において最も近道・・・だとも思う。

さすが日本の文化は奥深い。

分かってる。

分かってるんだよ。

でも、オレは、昔っからどうしても、この中の「コピーをする」って言う行為が出来ない。

やりたくないと言えば、多少は聞こえも良いんだろうけど、そうじゃない。

出来ない。

前に、CGの作り方を教えてもらってた時にも、この人はオレにこの「守破離」をやらせようとした。

「守」として、取り合えず、好きな動物をモデリングして、CGを作ってきて・・・と。

出来ませんでしたよ。

どれだけ頑張ってもね。

先人たちの作り上げたものを受け継ぐ。

と言えば、とても素晴らしい。

し、それを受け継ぎたいと思うんだよ。

そのために、一応色々と勉強もしてる。

でも、それを生かしてコピーしようとするとどうしても出来ない。

アメリカのカントリーミュージックみたいなのに傾倒してた時期が過去にあったりして、チョッとその辺の事を勉強したんだよ。

で、よし、この感じでカントリーミュージックを作ってみようと思って完成したのが「タンタン~海の底とまぶたのない魚」って曲ですよ。

誰からも、カントリーミュージックとして認識されちゃあいないよ。

今では、もう何か、どうせコピーなんて出来やしないんだから、好き勝手に作り上げてやる。

とか、変な達観をしております。

何て言うか、勉強してない訳じゃあないんですよ。

勉強したけど、その通りに出来ないだけなんだよ。

だから、基本がなってないとか、理論がどうこうとか、そんな話をするんじゃあない。

基本も、理論もある程度分かった上で、出来ないんだよ。

とね。

先日、弟の知り合いがオレの曲を(と言うかコード進行とか?)見て、そんな事を言ってたらしいんだけども・・・

その知り合いは最後に「まぁ、曲ッぽくなってるから別にいいんじゃないの?」と、諦めたそうで。

オレも、そんなもんだと思っておりますので、良いんですよ。

いや・・・そんな事を言いたかっただけです。

おやすみなさい。

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2014年1月30日 22:43 CAT :

スティーブ・ジョブズとピクサー

実に4年ぶりのアルバム「王道軽傷」。

去年の9月からコツコツと作りはじめて、やっとこさ、あと1曲で、全部の曲が出そろう感じになった。

と言っても、まだ編曲した仮録りの状態だから、そのあとに、本レコーディングをする必要が多分あると思う。

・・・あと、緊張感が張り詰めすぎなので、1~2曲ほど遊びの曲を入れても良いかと思うんだけど・・・(「ボーニョ」の時の「DANDAN心轢かれていく」とか、「元寇と義経とあとバルバロイ」みたいなヤツ。)
とか考えてると、結局全部で18曲位になるらしい。

レコーディングもそうだけど、これだけの量をミックス、マスタリングする弟の作業量を思うと、ニヤニヤする。

せいぜい苦しむがいいわ。

と。

さてさて。

嫁が前使ってたスマホが、実は「arrows ν」と言う、歴代スマホでも類まれにみる糞ごみ機種だったので、iphoneに変えてあげようってことになった。

んで、その時に、色々と見てると、何か1か月の料金が何か安くなるっぽい事がわかったんで、オレも、勢いでiphoneデビューしてやった。

ドコモさんの陰謀なのか、機種変して、ガラケーに変えるより、iphone以外のスマホにするより、iphoneにするのが一番安いんでやんの。

とはいえ、サポートの面とか、無料通話がなくなった事とか、いくつか不利な事があるような気がするけどまぁ、あんまり電話とかしないし、そもそも、サポートとかそんな期待してないし、などなど色々こじつけた結果、最終的に「ま、いっか」と言う事になったわけだよ。

ちみちみ。

で、使ってみての感想。

確かに、OSが変わっちゃうから、色々と変わってしまうよね。

使い方の部分では四苦八苦もしつつだ。

それは認めよう。

でも、結構いい感じだと思う。

すごいご機嫌な感じがする。

ん~さすが、アップルさんですね。

部分的に、利権・・・と言うか、アップルさんの利益のために、がっつり権利を主張されてる気がするけど、それはそれ。

もう、無理やり抜け道探し出して、後ろに手が回るかどうかのギリギリを歩いたりする歳でもないし、素直に受け入れましょう。

言われるままに享受しましょうとも。

ちなみに、iphone5cの方にしたよ。

iphone5sでも良かったんだけど、あの、横のところの金属がダサくて、耐えられられなかった。

機能面も大切だけど、なんとなく譲れない部分もあったりするんだ。

今年も、もう12分の1が終わろうとしている。

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2014年1月22日 22:58 CAT :

ハンマーでトントン

特撮の新譜を聞いてご機嫌ですよ。

色々と大変だとも思うけれども、それでもご機嫌ですよ。

今回も素晴らしい名曲たちだ。

「ハンマーはトントン」が素晴らしく良いね。

ご機嫌で居られる事が多分大切なんだと思う。

世の中には、悲しい事が沢山ありますよね。

だからこそ、ご機嫌で居られる事が何かあれば、それはもう、それだけで、底抜けに幸せな事なんだろ思う。

ご機嫌な事が何もない事だってある訳だからね。

むしろそのほうが多い訳だから。

はてさて。

夢を見た。

それは、とてつもなく悲しく、そして少しだけ懐かしい夢だった。

目が覚めた時、頭の中には、何だかとてつもない恐怖感と、素敵なメロディーがひとつ。

このメロディーはなんだろう?とか、チョッと考えて見た。

その少しの間にも、そのメロディーはどんどんと記憶の彼方へ消えて行った。

それでも、少しだけでも、断片をレコーダーに残す事が出来た。

最近、こんな事が良くあるので、スマホにレコーダーアプリを放り込んで、思いついたやつを取り合えず、録音するようにしている。

前は、そんな事無かった。

と言うか、覚えてられないメロディーラインなんか大したことないんだから忘れて結構。

とか、傲慢な事を言ってた。

それでも、いっくらでも思いついてたんだよ。

でも、ここん所はホントにダメな訳で、良いのが思いついたら、勿体なくて、録音する訳ですよ。

この少しの思いつきさえも出てこなくなった時が、さようならの時なんだろう。

その夢は、誰かが死ぬ事に結びつくような悲しい夢だった。

このメロディーは「パラフィリア=グロッサリー その1」と言う曲名になりました。

死別した愛する人へ向けた、少し哀しいバラードになれば良いなぁ~。

絶望の話はいつも夜開く。

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2014年1月19日 17:34 CAT :

パラフィリア=グロッサリー

絶賛製作出来ていない4年ぶりのフルアルバム「王道軽傷」。

今回の中で、その中核になれば・・・と、ひっそり思っていた(「影の上のボーニョ」で言う所の「蛇女外道節」のようなポジションの)曲。

「パラフィリア=グロッサリー」の輪郭がやっとこさ見えてきた。

そもそも、大まかな雰囲気は出来上がっていたものの、実際に、それがどんな形になるのか、実に右往左往。

それでも、やっとこさ、歌詞と何となくのメロディーラインまで出来上がってきたよ。

と、まぁ、そんな感じ。

しかし、何と言うか、ペースが落ちたよな。

前は、もっとすんなりどんどん作れてたような気がするんだけどな。

その上、こんだけ練りに練って、時間をかけても、昔、5分くらいで適当に書いた曲のほうが断然良かったりするし・・・

何だか「これでいいのか?」と、不安になる部分はありつつも、目標の今年春頃完成に向けて、少しずつ製作は進んでおるらしいです。

出来上がった暁には、また、聴いてみてやって下さいませ。

無理強いはいたしませぬので・・・

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2014年1月18日 20:59 CAT :

罪の意識と罰の意識

先日、地元の図書館に言った時の話。

嫁が、育児関係の本を借りたいとの事で、物色中、オレは、娘と児童コーナーで遊んでた。

そしたら、そこに、2~3歳くらいの男の子が本を持ってやってきて「ん」と(トトロのカン太が、さつきとメイに傘を差し出す感じで)その本を差し出してきた。

一緒に遊びたいのかなぁ~と思って、「ありがとう」と言って、その本を広げたりしてた。

その男の子は、次々と本を持ってきては、読んで欲しそうにページをめくっては、また本を取りにいく。

娘は、正直そんな事に興味なくて、別の自分の興味あるところにいこうとする。

オレは、娘のこと見てなくちゃいけないのに、次々と本を持ってくるその男の子を邪険にすることも出来ない。

で、軽くパニくってたら、男の子の母親らしい人が来て「○○(聞き取れなかった)、こっちくる?」とだけ声かけ、あとは無視して、自分の本を読み始めた。

その間にも、この男の子は次々と本を持ってくるし、ついでに、ハイハイしてた娘を踏みつけて行こうとしたりしたしたし・・・

取り合えず、この母親と言うか、クソアマだよな。

いいよ。

自分が本を読みたいけど、子育てが忙しいから、普段読めない。

だから、図書館では、子どもを放置してる。

としても。

最悪、そこまでは許してやるよ。

でも、子どもが迷惑かけてて、なおかつ、こっちがそれに困惑してんのまで理解しておいて、オレに対して「すみませんね」とか、「迷惑だからこっちきな。」的なこと一切なしに、チョッと声かけて、自分の罪悪感だけスッキリさせたら、あとは、無視とか・・・ゴミ過ぎるだろう。

まぁ、ネットでチョイチョイ見かける「キチママ」ってヤツの部類にしては、軽度なんだろうけど、このキチガイクソアマ・・・

何より、気になったのが、この男の子。

おそらく2~3歳にもなるだろうに、1歳になったばかりのうちの娘より、言葉を喋らない。

コミュニケーションが取れない。

多分、家でも、話しかけてもらえないどころか、放置されっぱなしなんだろうて・・・

そう思ってくると、この男の子が可哀相にもなって、このパニくる状況以上に、このクソアマに対して余計イラッとした。

結局、図書館を後にするまで、ズッとその男の子と遊ぶ事になったけど、最後の方には、ニコっとしてたし、帰り際に「ばいば~い」ってすると、寂しそうに手を振ってくれた。

(最後まで、「ん」以外の言葉を発さなかったけど。)
子どもは親を選べない訳だし、うちの娘は幸せだとかそんな事言えるわけでもないけど、このクソアマは、母親になっちゃダメだろ…
まぁねえ。

子育てって大変だと思うわ。

自分でも、やってて凄い思う。

でも、だから子どもを雑に扱って良いって話にはならない。

と言うか、絶対になってはいけないんじゃないでしょうかね~。

子どもが3人とかになって、一人一人丁寧に相手できなくなってしまうとか、そんな話ならしょうがないと思うけど、今回の場合、この子、明らかにコミュニケーションが取れなさすぎてるって。

成長を妨げるほどの放置って・・・

と、ここまで書きつつも、それでも、まだ、放置しないで連れてきてるだけマシなのか?とも思ってしまった。

あと、この前、近くのスーパーで見かけた「やかましい」と言いながら、1歳くらいの子どもの頭とか背中をオレが引くくらい思いっきりしばきまくってた、金髪の香水臭いおばさんと比べると、怯えてないだけましなのか?とか・・・

子ども出来てから、こう言う事に気がついてしまってしょうがないんだよ。

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2014年1月14日 22:41 CAT :

夢喰いバクヲ後始末

夢があった。

夢があったと言うと、今はもう夢なんか無くなってしまったと言う事になっちゃうらしい。

子どもの頃、誰もが思っていた夢は、どこまでも実現可能だけれども、実現不可能な場合が多い。

オレは、漫画家になりたかったし、あと、なぜか、ミュージシャンになりたかった。

そうやって描いた漫画はなんとなく10000ページを下らない訳で、作った音源はアルバムとして25枚分ほどあるらしい。

でも、今オレのお仕事は、そのどちらでもないwebデザイナーさん。

それは夢破れたのか。

大学時代、こんな事を当時大学の就職部でお話しした時に「夢は捨てて、現実を見なさい」的な事を諭された。

それまで至る所で、将来の夢は何ですか?と聞かれ、語らされ、テレビをつけても、音楽を聴いても、一様に「夢は叶う。

諦めないで」とのたまっていた。

それなのに、大人になったとたん「夢は捨てる」と諭された訳だ。

この時の絶望は結構大層なもので、その時の気持ちを忘れる事無いように、一つの物語を作った。

「夢喰いバクヲ」と言うお話。

このお話を当時組んでいたバンドで音源化し、ついでに、小説も書いてやった。

とある出版社に投稿してみたところ、本になるとかそんな話まで出るくらいだったので、このお話自体は、まぁ、それはそれで良いものだったんだと思う。

でも、今。

この歳になって、家族が出来、仕事をしながら、オレの夢とは何だったんだろうかと、ふと空を眺めながら思う。

今の生活が不満な訳じゃあない。

むしろ、学生時代の自分にとっては絶対に自分とは無縁だと思っていた生活と幸せを実は手に入れてしまっている。

嫁どころか、娘までいる。

あの当時漠然と抱えていた「夢」は、おそらくは、思春期特有の世間に自分と言う存在を認めてもらう。

もっと言えば、注目してもらうための手段だったのかもしれない。

そんな願望が消え失せてしまい、今の生活を大切に思いたいとか、そんな事を想う30歳のおっさんとなった今、やりたい事は、やっぱり、漫画を描いて、曲を作って歌う事だったりする。

結局のところ、手段だの、夢だの色々と言い訳をしていたけれども、難しい事は何もなくて、多分好きなんだろう。

生憎とこの二つに対しての才能はおそらく欠片もない。

世間に認められるなど、おこがましいにもほどがある。

誰のために描くのか。

誰のために歌うのか。

オレが漫画を描き始めた小学1年生の頃の気持ちを思い返してみる。

オレは、オレのために書いてたんだよ。

オレは、オレのために曲を作るんだよ。

本当に好きなら、それで良いんじゃあないかと思う。

人のために作った物語や、曲なんてほとんど存在しない。

ほとんどが自分のために、自分の満足のために作っている。

それで良いんだよ。

と、いつからか言い聞かせております。

でも、ここ最近では、自分のためではなく、娘のために作った曲が形になろうとしていたりもする。

もう少ししたら、完成するだろうて。

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2014年1月4日 23:51 CAT :

明日晴れたら海へ行こう

忙しいから・・・と言うか、必要がないからと言うか・・・最近、ビックリするほど、テレビを見てない。

そして気がついた。

テレビ・・・って、別になくても困らない。

ニュースなんて、ネットで見れば良いし、そもそも、別にテレビ見なくても、毎日色々面白い事あるし。

テレビって言うのは、趣味もなく、やりたい事もなく、そして、日々何の楽しみもない人が見るものになってしまったんでしょうね。

昔は違うかったと思う。

もっと、テレビと言うと異世界のような趣で、その異世界を垣間見るためなら、自分のリアルを削っても惜しくないと思えていたんだと思う。

今は、違うけども。

それが成長のせいなのか、それとも、テレビ自体の衰退なのかは良く分からない。

分からないけど、昔のテレビとかはやっぱり面白くて、ビデオだったり、レンタルだったり、YOUTUBEだったりで見てしまう。

と言うか、見入ってしまうので、後者だと思おう。

ちなみに、漫画とか本については、今でも読んだりしています。

こちらは、衰退とかしてないと思う。

進化したかと言うと、それはどうか分かんないけど。

今日は、カイジのワンポーカー編2巻を読みましたよ。

何か、限定じゃんけん程ではないけど、結構いいテンポで物語が進んでいる。

やっぱり面白いよ。

カイジ。

ライヤーゲームは、椅子取りゲームあたりで見限ったのに、カイジはまだ読み続けております。

ワンナウツは最後まで面白かったのにね。

と言う事で、テレビは昔が面白かったと言う事にしておこう。

おやすみなさい。

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2014年1月3日 23:16 CAT :

後ろ向き全力疾走3段飛び

取り急ぎ、昨年の振り返りなどしてみようかとも思ってしまいました。

で、例年みたいに○大ニュースでも良いんだけど、今年はチョッと趣向換えして、このブログの「拍手」機能などを使ってみようかと思い立ちました。

要は、この拍手が多かった記事トップ5くらいを見返しつつ、昨年を振り返ってみようとかね。

そんな感じですよ。

せっかく誰でも見られるように公開してるんだから、読んで、拍手とかして貰った記事で1年を振り返っても、バチなど辺りはしないだろうて。

個人的な振り返りは、それこそ個人的にやっておけよ。

と、そんな感じですよ。

早速それをやってみようかと思ったんだけど、拍手記事を一覧で見る機能などが無いようで(あるかも知れんけど、管理パネル内で見つけ切れなかった…)コツコツと手動でピックアップだ。

バカヤロウ。

超コツコツ日記なだけに!
と、前置きは長くなったけど2013年の全62エントリー(少な!!)の中で拍手多い記事トップ5はこれだ!!(↓)
第5位!
5月6日更新
【その街角には君の立つ足跡がある】
<チョッとだけ所感>
「犬神サアカス團」のことかと思いきや、「うえまつえみこ」さんとか言う、有権者を舐め腐った元政治家のおばさんの記事だった。

元民主党の政治家さんで、選挙に不利になると見るや否や、選挙直前に離党。

しかも、離党はしたけど、民主党と協力していくと言う、クソ舐めた発言(または、くそ非常識発言)をしてたな。

そして、しっかりと落選。

と言うね。

まぁ、あのまま民主党に残ってたら当選したかと言うと、それはまた別の話だとは思うけど。

とにかく、香川県民として、この人を落とす事が出来て良かったと思いますよ。

そういえば、この選挙の時の、池上さんの特番も面白かったなぁ~
第4位!
5月3日更新
【片目の鬼が来る~「春来たる鬼」発売記念巡業~】
<チョッとだけ所感>
「犬神サアカス團」となっての初の興行参戦の記事。

MCを一切せずに、楽曲だけで勝負すると言う、凄いコンセプトになってしまった「犬神サアカス團」。

新曲発表、しかも、その曲の音源をライブ会場だけで発売と言う、鬼畜のような所業
の為に、広島まで、平日なので仕事を休んでまで行ってきたという、そんな感じ。

全体としては、やはり前のエンターテイメント集団の頃の方がニコニコご機嫌になれるよね。

と言う結論に達した。

メッセージ性も高くなったし、やりたい事も十二分に理解できる。

もちろん、だからと言って嫌いになったわけではないのだけれども、オレがライブに求めてたものとは少しずつ剥離してきたかもしれない。

平日に、仕事を休んでまでは、もういく事はあんまり無いかもしれない。

そんな少しだけ寂しい思いをした初夏の出来事。

おなじく第4位!
8月18日更新
【始まりの始まりはまだ終わらない】
<チョッとだけ所感>
家族3人で出かけた初めての遠出の記事。

しかも、その場所徳島県の大歩危小歩危は、実は、嫁とまだ付き合うとかそんなレベルにも達していなかった当時、初めて2人で出かけた場所だったりするという、そんな思い出の場所。

そこへ、家族が増えてから赴くと言う、なんとも言えない感慨に思いをふけっておりましたよ。

のんびり大自然を堪能すると言う名目。

基本的に、人ゴミが苦手で、都会も苦手で、自然が大好きです。

第2位!
1月19日更新
【寒い季節の暖かい日の中】
<チョッとだけ所感>
たった一言だけの記事。

ただ一言だけ。

娘が生まれた時に書き込んだ一言。

この記事のタイトル自体は、何気に、娘がまだお腹の中に居た時に、その娘の事を悶々と考えながら作った曲「白痴にもかけるラブソング」の出だしの1節だったりもする。

何しか、「娘が生まれたよ」って言うただの報告なのに、ありがたい事です。

へ~へ~。

第1位!
9月11日更新
【いつかその星が見えるその日まで】
<チョッとだけ所感>
で、1位は何と9月頃に読んだ「アシュラ」と言う漫画の感想を書いた記事。

「アシュラ」自体が、チョッと前に話題になったからだろうか?何となく意外な感じもするけど、2013年一番良かった(?)記事は、この「アシュラ」の感想らしい。

そもそも、この漫画。

確かに面白いし、読み込めば読み込むほど色々と考えさせられるのは間違いない名作。

是非未読な方はこの機会に読んでみてもいいと思う。

命とは、生きるとは・・・そんな事を改めて考えさせられる、古びれる事のない作品だよね。

と、そんな感じで昨年を振り返れたのかどうか分からないけれども、こんな感じの結果と相成りました。

今年は、もう少し、色んなことを更新していきたく思っておりますので、え~と・・・取り合えず、更新62件は超えるように。

読んだ本(と言うか漫画)の感想とかいっぱい書きます。

ハイ。

何しか、今年もよろしくお願いします。

(2回目)

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2014年1月3日 9:41 CAT :

今年で10年目!今年もよろしくお願いいたしますですます。

明けまくってしまいましたが、あけましておめでとうございます。

昨年の振り返りや、今年の抱負とか以前にご挨拶すら今更と言う、こんな体たらく。

何しか、5連休あったはずなんだけど、嫁の体調不良もあり、大掃除もあり、親戚周りもありで、例年にない位、クソ忙しい年末年始だったもので・・・

とは言え、3人で過ごす初めての年末年始。

そこの所は結構感慨深いものもございました。

昨年も、「今年は、いっぱいブログをかくぜぇ~」とか言いながら、例年通り、尻すぼみとなったわけですが、今年も、例に漏れず、一応、いっぱい書く事を目指して書いていきます。

ここの所、ただの日記になりつつあるので、色々思った事とか、南トンスルランドの事とか、元々好きなムー的なこととか、雑多な内容を更新出来たらなぁ~とか思っておりますよ。

と言う事で、実は、今年で10年目(前のブログからあわせると)の超コツコツ日記をよろしくお願いします。

(時効警察風味)

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2013年12月27日 22:20 CAT :

もう二度と届かないこの思い

不意に時の流れを実感してしまった。

いつの日か、今住んでいる家も出て行かなければいけない。

子どもが大きくなれば、今の大きさでは、多分、狭くなる。

その時、新しい場所へ移る事になるんだろう。

それは、まぁ、しょうがない。

どこに移り住むべきか。

そんな事も、これから少しずつ考えて行こう。

問題は、それ以上に、この家に残っている思い出の方にある。

大学生のころ、4年間住んだ下宿、ひとり暮らししながら営業をしてた頃に少しの間住んだマンション、そして、結婚してから移り住んだ今の家。

ふと、前者2つの家を出た時の事を考えていた。

どちらを出る時も、出るチョッと前までは、凄くさびしいと思ってた。

けれども、実際、出る時になると、そんな大きな感慨はなかったように思う。

それよりは、これから始まる新しい生活の方にばかり関心がいってしまう。

そして、新しい生活が少し落ち着いてきた時に、また思い出して、さびしくなるんだ。

多分、今回も同じなんだろう。

ただ、今回は、思い出のレベルが違うような気がしないでもない。

本当の意味で独り立ちをしてからあと、何度も何度も起きてきたパラダイムシフトとでも言うような大きな出来事と意識の変化があった場所なんだよ。

今は、ただ、何気ない毎日を受け止めよう。

そして、いつの日かその毎日を懐かしく思い出し、さびしくなろう。

それもまた、生きて行くと言う事なんだろう。

あの頃は楽しかったと、懐古感に取りつかれながら、写真でも愛でるように晩年を生きる事が出来れば、そんな過去がある素晴らしい人生だったんだと思えるように…

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2013年12月26日 22:33 CAT :

「幸せな家族の風景」無理やり口に詰め込まれ

今日、安部さんが靖国神社に参拝した。

今、日本では、自分の生まれた国なのに、自分のご先祖さんたちや、大切な故郷を守ってくれた英霊さんたちに対して敬意を払う。

そんな当たり前のことさえ、自由にできない。

それは、この国にダニのように寄生してる在日のチョウセンジンやチョンが、自分たち(それも、民族ではなく個人としての自分たち)の為だけに、日本人を利用してきた果てにある現状。

メディアをジャックし、教育を乗っ取って、子どもから洗脳教育をして、日本人と言う存在を無くしてしまおうとしている。

その洗脳の結果、日本人は、自分たちの誇りを見失い、愛国心を無くし、自堕落に生き始めようとしていた。

それでも、日本人は、その中に連綿と流れる自分たちの大切にしているものだけは忘れていなかったんだと思う。

それが、天皇陛下とこの国を守ってくれた英霊たちなんだろう。

自分を戒めるために「儒教」なる教えを作る必要があったほど稚拙に自分の親や先祖を敬う事すら出来ない土人以下のチョン達には、分からない感覚。

だから、平気で踏みにじる。

でも、そのお陰で大部分の日本人の洗脳が解けた事もまた事実。

今では、中韓国、俗に言う特亜に対する嫌悪感と不信が、ネトウヨと呼ばれてた一部のネットユーザーだけではなく、老若男女問わずに、大多数の「日本人」にまで広がっている。

むしろ、これまでサヨクの陰に隠れて通名を使って日本人になり済ましてたチョウセンジンやチョンが逆にあぶりだされているような現状になった。

今回の靖国参拝についての民主党議員のコメントなど散見するに、彼らは、いったい「だれ」に対して「何の」ために政治を行っているのか甚だ疑問になってくる。

アメリカが「失望した」と発表したとか言っているが、これまで特亜の横暴を見過ごしてきて、優等生だった日本がちょっと毅然とした態度をしただけで、何が「失望」だ。

そもそも、この参拝について、アメリカ側に予めの通達がなかったとは結構考えにくい上に、アメリカのコメントを日本のマスコミが訳した段階で、悪意のある翻訳の可能性も看過できない。

特亜は、予想通り火病発症してタケ狂っているけれども、そもそも、何にもしなくても1,000年恨むような奴放っておけばいい。

言いなりになって、ただただ日本が被害だけを被った民主党政権時代、あいつらとの関係改善が進んだと言うよりは、さらに利権を要求してきただけだった。

このことからも下手に出る事に何の意味もない。

別に、1000年恨むのが10000年恨むに変わったとて、さしたる問題じゃあない。

とにもかくにも、今回の安倍さんの決断については、「日本人」であるなら喜ぶと思う。

実際、靖国神社では、多くの日本人が感謝の意を述べていたらしい。

と言うか、ネット上を見たって、ほとんど賛同している意見しか見当たらない。

もし、今後、マスゴミの出す内閣支持率が急降下していたとしても、そんな数字は当てにならない。

むしろ、今の日本人の感激の方が当てはまると思う。

それにしても、時期も実に良かった。

パクちゃんの告げ口こうもり外交が効果無くなってきて、韓国の経済も停滞。

韓国メディアが日本にすり寄り始めたこのタイミングでの参拝。

もう、これで、何があっても反日を貫くしかなくなっただろう。

世界中から嫌われ始めた上での、日本からの事実上の突き放しが、今回の靖国参拝だ。

今後、仏像返して、竹島を返して、謝罪してきたとしても、もう日本人が再び10年くらいまでのように、韓国に対して気を許すことはないと思う。

もっとも、そんな事出来ないだろうけれども。

今年の最後に、嬉しいニュースですよ。

本当に。

日本人が、日本人としての誇りを取り戻すきっかけの日になったかも知れない。

それは大げさではなく。

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2013年12月24日 22:54 CAT :

止まらない未来を夢見て

文章能力が最近著しく低下している気がしてる。

そんな事に怯えつつ、やっぱり文章は読んで、そして、書かなきゃいけないと思うので、もっとブログも更新したく思っておりますよ。

さて。

メリークリスマスですね。

10代の頃には、まさか、自分がサンタさんを召喚することになるとは思いもよらなかった。

人生とは何が起こるかわからない。

今のオレは、家族が喜んでくれるんなら、なんか疲れも吹っ飛んでしまって頑張ってしまうような、そんなお父さんになりつつあるらしい。

無自覚に。

無意識に。

今になって、不意に聞いたKANの「愛は勝つ」を聞いて、何となく心を打たれてしまった。

リリース当時、とんねるずの替え歌のためだけの歌でしかなかったこの歌だけど、いい歌じゃないか。

ただ、この歌が分かるには、当時圧倒的に経験が不足していたんだろうね。

愛情ってのは、一方的に、まんこに向かって垂れ流すものじゃあないんだよ。

自分が大切に思うものがあって、それに対して、何か見返りを求めるわけでもないのに、惜しみなく出てくるものなんだよ。

多分ね。

人生、本当に何が起こるかわからない。

ヘロヘロの仕事帰り、閉店間際のトイザらスに駆け込んで、そうして、からがら手に入れたプレゼント。

それを手にしたとき、不思議と疲れを忘れて、笑顔を思い出してニタニタしてた。

いつか、そんな気持ちがわかる時が来る。

きっと来る。

その時までは、きっと分かりはしないけれども、いつかきっと分かる時が来る。

どんなに困難で、挫けそうでも。

だそうですよ。

KAN先生によればね。

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2013年12月23日 22:24 CAT :

失うこと恐れず忘れえぬ痛み笑い飛ばそう

家族3人になって、もう1年が経とうとしている。

その間、子どもを育てるということ以上に、子どもに教わると言うことの方が実は多かったような気がする。

生きるということ。

頑張ること。

素直でいること。

そのほか、人として生きていく上で大切なことをたくさん教えてもらった。

子どもの成長を見つめながら、その一挙手一投足に、忘れていた何かを思い出し、そして、それをアウトプットすることで、新しい何かを見つめ直す。

そんな1年だったような気がする。

まだ、今年一年を振り返るには早いし、来年を語るにも早い。

ただ、今ふと思うことは、そんな感じかもしれない。

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2013年12月14日 22:26 CAT :

ザ・ワールド21

人間の体感時間は、17歳で折り返しなんだとか。

つまり、人生80年と仮定したとき、体感時間では、初めの17年と残りの63年はほぼ同じと言うことになる。

確かに、子どものころ。

一日がすごく長かった。

一日がすごく面白かった。

そして、一年なんて、途方もない長さだった。

なのに、今。

気がつけば、今年がもう終わろうとしている。

オレが、「今年は、連休がほとんどない最悪な1年だ」と嘆いていた1年は、何と2年前に終わっている。

オリジナルアルバム「影の上のボーニョ」を制作してから、もう4年の歳月が流れている。

高校時代の演劇部の皆と地元の体育館を借りきって一日限りの部活再開をしてからもう6年が経っている。

事故ってしまい、愛車ひろみつ君とお別れしてから、1年と半年が過ぎ去った。

これら全て、記憶の中では、ほんの数日前か、数か月前の記憶のような気がする。

子どもの頃に置き換えて考えてみる。

果たして、小学1年生の頃にあった出来事を、小学6年生の時に、ほんの数か月前の出来事だったように感じる事があるだろうか・・・

娘がもう少しで1歳になろうとしている。

1年前から考えると、少しだけど単語を話、こちらの会話をある程度理解して、ハイハイはおろか、つかまり立ちして歩こうとすらし、もう、オレとほぼ同じものを食べている今を、果たして想像できていただろうか。

オレの今年一年。

間違いなく、ここまで経験値を積んで成長していない。

多分、娘にとってこの一年は、オレの数十倍に濃い一年だったんだろう。

思えば、子どものころ、親に連れられて高松まで車で出かけるだけでも、どれだけ遠いところまで行くんだろうと不安になってた。

今とさほど変わらない時間。

1時間やそこらだと言うのに。

オレも子どもと同じように、密度の濃い1時間を何とかして過ごして見たいとも考えるけれども、今はそれ以上の、その時間を過ごしている娘と一緒にいるだけで、精一杯。

でも、オレも親にきっとそうしてもらって大きくなったんだろうから、それでいいと思う。

娘が大きくなって、親になった時、オレと同じ事を少しでも感じてくれればなおいいと思う。

オレも、まだまだゆっくりではあるけれども、成長出来ていれば・・・と願う時。

今年の振り返りと来年の抱負は、もう少しだけあとにしよう。

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2013年12月12日 23:10 CAT :

It dont matter if youre Black or white

なんか、今年は珍しく年末にいくつかの飲み会に誘われちゃったりしたみたい。

まぁ、オレなんかと酒でも飲み明かそうとか言ってくれる奴がいてくれることはありがたいと言えばありがたい。

けれども、日にちも結構かぶってる上に、お仕事も忙しいので、何とも言えない感じもあったりする。

ちょっと前までは、何があっても、誘われたら断らないスタンスを貫いていたのに、なんか、断ったりすることを考えるようになるとは、調子に乗ってしまったもんだ。

まぁ、お仕事と家族とかね・・・そんな事もあるんだよ。

オレみたいなやつの人生でもね。

さてさて。

お仕事と言えば、世の中では、ブラックとホワイトが、マイケルの歌のように入り乱れている。

白人だろうと、黒人だろうとそんなことはどうでもいい。

と、マイケルは歌うけれども、ブラック企業だろうと、ホワイト企業だろうとそんなことはどうでも良いとは言い難い。

こいつは結構重要な問題だぜ。

ベイベー
だって、ブラック企業に入ってしまえば、サービス残業で仕事に追われるのに、金は入ってこないとか、恫喝の嵐で精神をすり減らしてしまったりとか、休日が取れずに体がボロボロに擦り切れてしまうとか…
とかく、人生において色々弊害が出ることは請け合い。

ただ、今、このご時世。

果たして、ホワイト企業なんてあるのだろうか?と、少し思ったりはする。

なので、もっと根源的なことを考えてみようと思う。

業績については、やっぱり、そこまで良いトコなんてない。

だから、昇給とかはなかなか難しい。

それはしょうがないと思う。

そんな現状に耐え切れずに、少しずつ人が減っていく。

仕事量は変わらないくらいある。

でも、そのために新しい人を入れることは難しい。

となると、今いる人が少しずつ無理をして、なんとか回していく。

すると、上の方は「なんだ。

この人数でも回るじゃないか」と考え始める。

これが、ブラック企業の始まりじゃあないんだろうか・・・

このスパイラルが、螺旋状にクルクルと降下していけば、無理して仕事を抱え込まなきゃ回らない。

気安く休むこともできない。

そして、業績に合わせて、給料は減っていく。

・・・ブラック企業じゃないか!!と。

卵が先か、鶏が先か。

と言う問題がある。

この問題の答えは、まだ出ていない。

でも、ブラック企業が先か、社畜が先か。

その答えは出ているかもしれない。

恐らく、社畜が先だ。

前述の状態で、皆が社畜魂を見せて少しずつ無理をしなければ、会社は回らない。

上の人が恫喝する。

そうすると、さらに人がいなくなる。

でも、誰も無理をしない。

社畜魂を見せたりしない。

となればどうだろう。

多分、会社無くすくらいなら、人を入れて回そうとすると思う。

そして、人が居なくなる事を恐れて、理不尽な恫喝は減るかもしれない。

それは、ホワイト企業と呼ばれる状態。

そうなんだよ。

そして、この事について、オレを含め、ホントにアンデンティティとして社畜をしてるみなさま以外のほとんどの人が気付いてる。

でも、行動に移せない。

理由はいくつかある。

今のとこ辞めたとしたら、次が見つかるのか不安。

お金がない。

一人で動いても、周りが結局無理するから無意味な首切りで終わる。

などなど・・・

でも、その思考が結局のところ、ブラック企業を作っていく。

ブラック企業を呪う前に、最も最悪なのは、社畜だったと言う。

そんな事をぼんやりと考えてる横で、恫喝の声がまた聞こえてきましたよ。

素敵な環境。

うっとりする。

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2013年12月1日 6:09 CAT :

タイトルはなし

こんな時間に少しだけ目が覚めてしまった…
夜泣きがチョイチョイある娘。

夜中に起きて、最近覚えた「おはよう」を連呼してるのも、実に愛くるしい。

(多分、起きたら「おはよう」というものだと思ってる)。

しょうがない。

許す。

さてさて。

今回のアルバム「王道軽傷」は絶好調ではないけれども、それでも少しずつ製作勧めております。

今のところ、全収録曲の半分位の仮録りが終わったところか…
取りあえず、全部の仮録りが終わって、本録りして、そいつをミックスして、マスタリングかけたら完成…春先か、ゴールデンウィークあたりの完成を目指しております。

で、その中で、今回も1曲昔の曲をリメイクしてみたりしているわけだけれども、この曲が良い感じなんだよ。

オレの記憶では、人生において3番目に作った曲。

製作したのは、中学3年の時だから、本当の意味で「中二病」(中3だけど)全開。

この曲の前2曲「昇華」と「BADLOVE」(「BADLOVE」に至っては、歌詞オレが書いたんじゃないし)は、中学校の文化祭のライブで披露するために、言ってみれば、バンドのメンバーにひよって作ったのに対して、この曲は、100%自分のために、自分が今思う社会への不満や憤り、思春期の閉塞感を表現した名曲…だと思ってた。

で、当時の楽譜とかを引っ張り出して、弾いてみた。

歌ってみた。

曲自体は、簡単なリフと、単調なメロディーの繰り返しですごく単純な構成なんだけど、歌詞だよ。

歌詞。

当時、天才的に素晴らしく、文学的だと思ってた。

しかし、その実は、覚えたばかりのチョッと難しい単語を頑張って捏ねくりまして使ってみただけで、恐ろしく内容がない。

何の意味もない。

ケラさんの言う「無意味であることに意味がある」的な意味じゃなくて、本当に100%何の意味もない。

ただ、今とは比べ物にならないほどに溢れでていたであろう、どうしようもない衝動をなんとか形にしたかっただけなんだと思う。

何か形にしたいけど、何を表現したいかはわからない。

そんな感じ。

でも、それが実に良い感じ。

今、どれだけ「中二病」を気取って狙って書いても、絶対に書けない何かがそこには存在している。

高校生の頃、「オレなんて、存在に意味はない」とか、謎の悟りを開いてほとんどの楽譜とか歌詞は、(あえて)火にくべて焼いてしまったんだけど、それでも、唯一精液臭いルーズリーフが1冊だけ残っている。

今度の馬忠・DA・ムドーのアルバムのテーマが決まった。

「中二病~その青春」。

完成は、2020年位で。

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2013年11月17日 23:29 CAT :

明日「死ぬ」とわかっていても、「覚悟」があるから幸福なんだ!

先日、住んでる自治体から、育児に関するアンケートとやらを頂いた。

んで、せっかくなんで、つらつらと書いてたんだけど・・・

なんだ?このアンケートは?
いやね。

「子育てしやすい地域ですか?」とか、「今後増やしてほしい施設はなんですか?」とか、「今後、利用したい公共の行事はなんですか?」とかは納得いくよ。

もっと、遊べるとこ近くに欲しいなぁ~って思ってたりするので。

でも、アンケートのほとんどが、「子育てにストレスはないですか?」とか、「反射的に手をあげそうになったことはありますか?」とか、「悩みを打ち明けることができる人はいますか?」とか、そういう質問ばかりなのに、なんだか不満。

別に、オレだけに向けてるわけではないにしても、そんなに、虐待とかって身近なもんなんだろうか?
むしろ、このアンケート自体の目的って、「より良い環境作り」とかじゃなくて、「自分の自治体から虐待事件を出さないため」なんじゃないのか。

とか、そんな事すら勘ぐり始めてしまうほどに。

正直、娘が生まれてから、自分の時間はほぼ消滅した。

・・・と思う。

本、どころか、マンガも読めないし、このレコーディング続行中でも、当日以外ほとんどギターを触る事もできない。

まだ出来てない曲もあるのに、作曲なんてできるわけもない。

マンガ描いてた時は、朝4時とかに起きて、娘が起きるまでの時間を使って描いてたし。

でも、そこに対して、なんだろ?そこまで、ストレスに思ったことない。

むしろ、仕事とかで、帰りが遅くなるばっかりで、知らぬ間に娘が大きくなっていってる事に、ショックを受ける方が多い感じ。

この子が居なければ、とかそんな事思ったこと一回もないし、今の生活に特に後悔とかもない。

だからこそ、このアンケートに対して、チョッと思うところがあったりなかったり。

そんな感じなんだと思う。

「どうして子どもが欲しいのか分からない。

」的な事って、意外と色んな所で耳にする。

もしかしたら、なし崩し的に中出ししてたら出来ちゃったけど、子どもなんか欲しくなかった。

とか、そんな感じだったら、すごいストレスなのかも知れない。

そもそも、どうして欲しいか分からないなら、子どもなんて作らない方がいいと思う。

結婚してから(と言うか、する前から)嫁と、この部分については、結構時間を割いて話してきてた。

「子どもは作るべきか否か。

」「自分たちが子どもなのに、親になんかなっていいもんか?」などなど・・・

結論は出なかったけど、それでも、事あるごとにそんな話をしてたと思う。

そんな話を長々としてたからこそ、実際、子ども出来るまでに割と時間がかかった方なような気がしてる。

ただ、今、家族が一人増えてみて思うことは、これまでにないくらい圧倒的な充実感。

昨日とか、夜、風呂上がりにご本読んであげてた時に、ハイハイで寄ってきて、オレの膝の上にチョコンと座ってきた娘見た時、萌え死ぬかと思ったわ。

そんな事が、ほぼ毎日あるんだよ。

そして、自分も一緒にいろんな経験をしながら成長していってる・・・と思う。

これが、充実感の招待なんだと思う。

ただただ、生まれてきてくれてありがとう。

とか、思うことはあっても、邪魔だなんて思うはずもない。

何よりの宝物なんだよ。

嫁との対話の中で、結局、答えは出なかった。

出た答えとしては「生まれてみなければわからない」的な感じだったと思う。

んで、それは、ほぼ正しい。

今のこの心境は、生まれる前には、全く予期できなかった。

ホントに出来なかったから。

でも、嫁と話をしていく中で、覚悟は決まって行った。

娘が生まれてからの日々は、その数年間話してきたよりも、全然大変じゃなくて、それ以上に、楽しい毎日だった。

生まれてからこっち、とにかく笑顔が増えた。

いつも、家でいるときはニコニコしてる。

仕事中は、ニヤニヤしてる。

でも、あの覚悟がなければ、どうだったのだろうか?とも、チョッと思う。

読みたい本が読めずに、マンガ書いたり、ギター弾いたりも全然出来ないこと。

仕事で疲れて帰ってきたのに、夜中に何度も起こされること。

休みの日も、全然休めなくて、娘と一緒に遊んでること。

ストレスに感じるかも知れない。

手を挙げたくなるかも知れない。

あの数年間の嫁との話し合いは、実はものすごく大切だったんだろう。

今は、宝物が増えた。

目に入れても痛くないと言う表現がすごく良くわかる。

この気持ちは、もちろんオレ個人のものであって、これを娘に押し付けようなんて思わない。

娘が、自分の意志で生まれてきてくれたと、思いたいけど、それも、親の独りよがりでしかないだろう。

でも、オレ(と嫁)の一方的な思いで生まれてきた娘なんだから、オレの事よりも優先するのは当然のことで、その結果、将来、オレの事を毛嫌いするようになっても、それはそれ。

今出来ることは、このとめどなく溢れてくる気持ちに全身全霊従って、大切に思う事だけだと思う。

きっかけがあるから、結果が生まれるのだ。

ただ、前述したとおり、それは、これから生涯を通して、子どもと一緒に生きていくと言う覚悟を決めた後にあるものだと思う。

その覚悟ができないなら、子どもなんて作らない方がいいと思う。

何だかんだ言っても、大変だし、金もかかるし、そして、今の段階で既に自我を持ってて、全然思い通りにはなってくれないから。

それでも、有り余るほどの何かを娘はオレにくれたような気がしてるけどな。

結局は、独りよがりだ。

それでいい。

それでいいです。

それでも、オレは、家ではニコニコ、仕事場でも思い出して、写真を見てニヤニヤする日々をまだ暫くは続けますので。

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2013年11月13日 21:57 CAT :

星になる時間は夢の中で

先日、ひっさびさにヤンマガを買った。

目的は、「食べれません」の最終回。

思えば、中学生の頃、初めて買ったヤンマガ(そもそもの目的は、カイジだったけども)で(漫画家としては)今は亡き江川達也の「LASTMAN」と言う漫画で一頻りオナニー三昧したあとに、異常に面白かった漫画があった。

それが、「食べれません」だった。

それ以来、カイジと彼岸島と食べれませんを楽しみにヤンマガを手に取る日々だった。

彼岸島がうんこ漫画になり、カイジが引き伸ばしに次ぐ引き伸ばしになった辺りから、たまに立ち読み程度になっちゃったけど、それでも、毎回、食べれませんは欠かさず読んでた。

単行本も持ってるし(あつし渡辺の建物探訪も含む)、って言うか、あのスタンスだから作者が死ぬなで続くんだろうと思ってた。

まさか、それが作者の訃報で最終回を迎えるとは…
ものすごく物悲しい。

悲しいだけの時間。

そして、そのヤンマガの巻末グラビアが、「浜崎あゆみ」だったことがさらに悲しみに輪をかけた。

やんわり先生。

ご冥福をお祈りします。

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2013年11月4日 1:05 CAT :

アウトレイジ ビヨンドについて長々と語る人

娘のために、記念樹を買った。

実は、オレの地元善通寺では、「花遍路」なる庭好き同士が、自慢の庭を一般的に開放して見せ合い、褒め合うと言う見ようによっては単なる馴れ合いな行事がある。

コイツが他人の家を、勝手に縦横無尽に見て回れるので、結構面白いかったりする。

そんな中で、ある家のおじいちゃんが、庭の一本の木を大切そうに撫でながらオレに「この木は、そこの山に入って取ってきた木で、この家で一番古い木だ。

もう、40年以上前になる」と嬉しそうに語ってくれた。

オレも、年老いたあとには、手入れと言えるか分からない雑然とした、でも伸び伸びとした庭に、馴れ合いで褒めう人をたくさん招いて、「この木は、50年前に初めてこの庭に植えた木だ」とか言いたい。

と、チョッと思ってた。

だから、嫁が「娘のために、記念樹を植えよう」と言ってきたとき、即答でOKした。

最初は、ネットで買ってもいいかと思ったけど、目で見て、いい木を買いたい。

と、植え木の町鬼無まで行ってきた。

そして、いろんな木を見て、娘にぴったりの一本の木を買ってきた。

今は、借家だから、植える事はできないけど、いつか、終の棲家と決めた家に埋めようと思う。

さてさて。

楽天イーグルスが、9年目にして、初の日本一になった今夜。

オレは、嫁と2人で、娘を寝かしつけたあと、「アウトレイジ・ビヨンド」を鑑賞してましたよ。

(野球には、全く興味がない。


まぁ、昨日の今日で、まだまだテンションダダ下がりの中、嫁から提案されたので、それに乗っかって元気になろう。

みたいな事もあったりなかったり。

いつも通り、ネタバレを含むので、続きに書いておく。

スマホ、ケータイで見てる奴は、ここでタブか何かを落とすよろし。

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2013年11月2日 20:56 CAT :

ソフト&ウェットact5

今更こんなことを言うのものなんだとは思うんだけど、別にオレだって、余裕で生きてるわけじゃあないだよ。

特に独り立ちしてからは、肩にかかっちゃうプレッシャーも、親と住んでた時の何十倍にもなってる。

それでも、色んな所に顔を立てつつ、何とかやれないものかと、地上74mの鉄骨渡りくらいのギリギリのラインを何とかかんとかフラフラしながら渡ってる。

そんなもんで、もうね、ホント、ちょっとした事でも心が折れるのよ。

正に、赤子の背中をポンと押す程度のことでも。

やりたくない事とかでも、一応、手助けにでもなればとか思ってやってたりすることもあんの。

今回の関しては、確かにオレが悪い気もするけど…するけど…「そのくらい」とか、思ってしまうオレもいるわけで、傍からは「そんな事くらい」と言われるかもしんないけど、でも、心がバキバキに折れちゃったよ。

まぁいい。

今回のことに関しては、みんな真面目にやってる中で、チョッと心が大きくなっちゃったオレが悪いってことにしておこう。

でも、心はバキバキに折れちゃったよ。

今から、どんな気持ちになるのかは、知らない。

知らないけれども、当面は、もういいや。

今は、そんな気持ち。

オレは、そんなに余裕に見えるか?
そんなに楽々そうに見えるか?
そんなに悩みなさそうに見えるか?
結構ギリギリで生きてたりもするんだよ。

まぢで。

何のことか、誰もわからないと思うけど、少しだけ、吐き出したかったんですよ。

たまには、オレだって愚痴ったりしたっていいと思う。

もう、死にたいとかは言いませんので…
ただ、忘れてもらっちゃあ困る。

オレは、元々メンドくさい奴なんだ。

色々あって、チョッと腹の中に溜め込んで置けるようになっただけで、根本は1ミクロンも変わってないんだよ。

とか、思春期みたいにウダウダ言ってごめんなさい。

たまには、許してください。

そんくらい、バキバキになっちゃったんだよ…

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2013年10月20日 20:40 CAT :

股をひろげるだけが女じゃないのですpart2

親戚が結婚する事になった。

しかも、オレの結婚式がすごく良かったから、参考にさせて欲しい。

と言うか、色々手伝ってと言う、ありがたい(と言っておこう)なお言葉も頂戴した。

で、先日、打ち合わせとかにも、チョッぴりと同席とかしたんだけど・・・

何か難しいね。

あれ。

自分の式なら、凄い「ああ」だの「こう」だのと、言えるんだろうけど、人のってなると「この2人が一番望んでる形にするべきだよなぁ~」みたいな思考が頭を掠めるので、オレならこうしたい的な意見が凄い言い辛い。

本人は、「遠慮なくどんどん意見を聞かせて」なんだと思う。

思うけれども、やっぱり後悔して欲しくないから、本人の希望を一番に・・・と。

ね。

何か、こんなに難しいと思わなかった。

そう言う意味で、ウエディングプランナーさんとかって、大変なんだろうな~。

みたいな。

さてさて。

結婚しても、子ども出来ても、性欲はあんまり落ちる事のない志茂田さんです。

こんばんみ。

と、性欲は余り落ちないんだけど、最近、ふと気がついた。

この世界にほぼ半分はいるであろう「女」と言う生き物のほぼ全てが、「おっぱい」とか「まんこ」を持っていると言う事実に・・・

まぁ、多少形の違いはあると思うんだけど、それにしたって、大体、似たり寄ったりで持ってる。

なのに、どうして、数年前くらいまでのオレは、凄いレアものな様な気がして、いちいち有難がったりしてたんだろうか・・・?
だって、言ってみれば、この世に70億人いたとして、単純に35億個はあるわけだ。

おっぱいなら、70億個はある。

人類みな平等。

ジョン=レノンな世界観なら、男一人に1まんこ、2おっぱいな訳だ。

そりゃあ好きな人とかなら、また話は別だろうけど、昔は、「誰の」だから凄いレアでもなかったような気がする。

と言う事実に行き着いてしまった今考える事は、ありふれている以上付加価値は必須だと言う事。

この辺は、まぁ、ビジネスなど含め、世の中的には当たり前。

握手券つけなきゃCDが売れないのとある種同じだ。

付加価値として考えてみる。

「処女」とか「人妻」とか「幼女」とか「熟女」とか、もっとパーソナライズするなら「アイドル」とか「女子アナ」とか・・・

で、ここまで書いていて気がついた。

あぁ・・・AVの世界では、これ常識だ。

さすが、年がら年中まんこのことばかり考えている皆様。

ただただ、脱帽するばかり。

確かに、AVで「その辺にいる別に処女でもなく、結婚もしてない特に美人でもない普通の20~25歳くらいの女の人。

4日ぶりの至ってノーマルなセックス(フェラはしません。

)」みたいなタイトル見たことのないよな。

(これはこれで見てみたい気もするけど。


そんな人の場合、どうするか。

そりゃあ、SMだのレイプだの露出だの、企画ものですよね。

なんだか、すっごくストンと落ちてきた感じがする。

良く分からん文章で申し訳ないけれども、個人的にはすごくスッキリした。

目からうろことはこの事ですね。

何か、そんな話とかしようとしてたんだっけ?違うような気がしてならないけど、まぁ、いいか・・・

えぇ~と・・・とりあえず、結婚の話とAVの話をあわせてしまってゴメンなさい。

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2013年10月14日 22:02 CAT :

メタモルフォーゼ・オクトーバー

お仕事が忙しいらしい。

ホントに忙しいらしい。

今なんて、繁忙期とかでもなくて、例年なら、定時帰りヘヘヘイ。

んで、残業代もないから、給料すくな!!ってなるこの時期なのに、深夜残業の手当てまで付けてもらっているような状況。

いや、お金の問題じゃあないのだよ。

遊びたい。

個人的にも、家族とも。

遊びたい。

オレは、仕事が人生なんじゃない。

仕事なんて、二の次なんだよ。

と、そんな毎日を過ごしております。

お久しぶりです。

さてさて。

今年も、秋のお祭りの季節。

仕事も上記みたいな感じだから、練習にも参加できずだけれども、そんなオレでも、呼んでくれるありがたい獅子組の皆様に感謝しつつ、今年も参加してきたよ。

荷物運びとか、そんな感じの事メインで・・・のつもりが、いつの間にか、酒飲んで泥酔して、軽トラの荷台で寝てた。

まぁ、それも一興よ。

で、今年は、娘に氏子を付けてもらうと言う行事のため、お宮さんでの本番は不参加に。

不参加と言うか、お宮さんでは、娘に付き添ってた感じ。

氏子さんってのは、よく分かんないけど、地元の神様に、娘をお願いするみたいな儀式だと思ってる。

考えてみれば、お腹にいるときから、戌の日があって、お宮参りがあって、お食い初めがあって、今回の氏子があって、何回こんな儀式があるのだろう・・・?と思いつつ、子どもを地域の宝物として、ホントに、家族親族はもちろんのこと、地域の皆で大切に育てようと言う、そんな何かチョッと生暖かい素敵な風習だとも思った。

ましてや、それが自分の子ともなれば、ただただありがたいこと限りなし。

そのお陰もあって、順調に育ってる。

願わくば、地元香川の事も大切に思える優しい子になって欲しいもんだ。

例えば、オレのようにな!!
で、今日は、年賀状用と言う意味以外にも、子どもが生まれた年なんだし、しっかり記念の写真を残しておこうと言うことで、カメラ屋さんに行ってきた。

最初は、スタジオアリスにしようと思ってたけど、あそこは、何か撮影データは著作権もあって撮影から1年は渡せないだの何だのと、明らかに調子に乗ってる対応がチラホラ見えたのでやめて、スタジオマリオにしてみた。

結局、スタジオアリスのスタッフがどんなかったのかはさっぱり分からないから、比較のしようもないけれども、すごく良かった。

何か、アルバムとかの細かい要望も全部対応してくれたし、色々サービスもあった。

何より、撮影データをすぐにくれると言う点が、かなり良い感じ。

別に検討してた、東京帰りのプロカメラマンさんとか、データ渡すなら、2万~3万はもらうとか、無茶言ってたのに、マリオは、すぐにくれて、5000円だって。

この金額なら妥当だろう。

まぁ、カメラのキタムラが経営してるから、このデータで、キタムラで現像もしてね。

と言う事なんだろうけど、それよりも、このデータを使って、年賀状を自分で作れるのがやっぱり大きかったよね。

印刷については、その制作データを渡して、キタムラで年賀状にしてもらう事も出来るし。

何か、こだわりと言うかなんというか、スタジオアリスみたいな、用意されたテンプレに当てはめる事しか許さないって言う束縛は、嫌なんだよ。

例え、クオリティー的に落ちたとしてもな。

とまぁ、この3連休はこんな感じ。

明日からはまたお仕事だ。

写真代の4万円分も含めて、乗り切らんけど、お仕事がんばりますかね。

こんなでも、お父さんですのでな。

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2013年9月20日 22:58 CAT :

君のまんこに時限爆弾

人生の終わりについて考える。

スティーブ・ジョブズは、毎朝鏡に向かって「今日、自分がやる事は、明日自分が死んだとしても後悔しないやりたい事」かどうかを確認していたとか何とか・・・

明日死んだとして後悔の残らない。

と。

考える。

後悔しないとは何なのか?
要するに「あの時こうしておけば良かった」と思わないような事をする必要があるんだろうけど、そう考えてみれば、オレの日常はジョブズもビックリの煩悩にまみれていると思う。

少なくとも、オレはどんな生き方をしたとしても、明日死ぬのであれば、それはそれは深い後悔にさい悩まれる。

フォーイグザンプル
1.明日死ぬので、最後は家族と一緒にいようパターン
家族と一緒にいる事で、更に情が深まってしまう。

それどころか、何としてでも明日を生きなきゃいけないような気になってしまう。

ついでに、これからやりたい事として妄想してた、物語を書き切ることも出来ない。

それどころか、今作ってる音楽の音源化すらできない。

仕事上のスキルアップももう、もっとしたい事がある。

って言うか、死ぬ前にあいつに会いたかったなぁ~とか、親より先に死ぬのか・・・とか色々思う気がする。

⇒後悔する
2.一思いに仕事に打ち込んでみようパターン
そもそも、自分の人生において、仕事なんて2の次なので、何で仕事を優先してしまったのか嫌気が差す。

しかも、家族のしょんぼり具合をみて、何て事をしてしまったんだと気が付く。

ついでに、これからやりたい事として妄想してた、物語を書き切ることも出来ない。

それどころか、今作ってる音楽の音源化すらできない。

併せて、せっかく仕事をしたところで、希望しているスキルアップなど一朝一夕でどうにかなるもんじゃなく、結局は、ただ目の前の業務に終われて疲弊して終わる。

って言うか、死ぬ前にあいつに会いたかったなぁ~とか、親より先に死ぬのか・・・とか色々思う気がする。

⇒後悔する
3.遺言代わりに音楽製作でもしてみようパターン
「明日死ぬのに、何やってんだオレ?」と言う疑問が沸々と湧き出てくる。

嫁、子どもの顔が脳裏を離れない。

これでいいのか?と自問自答した結果、多分間違っていた事に気がついて不安になる。

そもそも、1日で音源は完成しない。

ついでに、これからやりたい事として妄想してた、物語を書き切ることも出来ない。

仕事上のスキルアップももう、もっとしたい事があったのに・・・

って言うか、死ぬ前にあいつに会いたかったなぁ~とか、親より先に死ぬのか・・・とか色々思う気がする。

⇒後悔する
4.美味しいものを山のように食べてみる最後の晩餐パターン
とりあえず、まだ娘は同じご飯を食べられないので、家族一緒には食べられない。

ので、一緒に食べたかったなぁ~とか凄い思うはず。

ついでに、これからやりたい事として妄想してた、物語を書き切ることも出来ない。

それどころか、今作ってる音楽の音源化すら・・・以下略
つまり、後悔しない生き方とは、如何に煩悩を捨て去るかと言う一点なのだと思ってきた。

家族を捨て去る。

友人を捨て去る。

創作意欲を捨て去る。

生理的欲求を捨て去る。

知的欲求を捨て去る。

とどうだろう。

多分、どんな死に方を選んでも、後悔しない。

ついでに、その中から1つだけ選んで、そいつを最後の日にやれば、多分後悔しない死に方が出来るんだろう。

ただ、そんな人生おもろいのか?
なんか、この境地に至ったまま死に切れずに100歳とか迎えたら、物凄い心理状態になれそうな気がするけども。

後悔しない生き方をする為には、後悔しない生き方をするために全てを捨て去る氷の心を手に入れる必要があるということは分かった。

オレは、煩悩にまみれて生きていこう。

明日は咲こう 花咲こう。

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