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2013年10月20日 20:40 CAT :

股をひろげるだけが女じゃないのですpart2

親戚が結婚する事になった。

しかも、オレの結婚式がすごく良かったから、参考にさせて欲しい。

と言うか、色々手伝ってと言う、ありがたい(と言っておこう)なお言葉も頂戴した。

で、先日、打ち合わせとかにも、チョッぴりと同席とかしたんだけど・・・

何か難しいね。

あれ。

自分の式なら、凄い「ああ」だの「こう」だのと、言えるんだろうけど、人のってなると「この2人が一番望んでる形にするべきだよなぁ~」みたいな思考が頭を掠めるので、オレならこうしたい的な意見が凄い言い辛い。

本人は、「遠慮なくどんどん意見を聞かせて」なんだと思う。

思うけれども、やっぱり後悔して欲しくないから、本人の希望を一番に・・・と。

ね。

何か、こんなに難しいと思わなかった。

そう言う意味で、ウエディングプランナーさんとかって、大変なんだろうな~。

みたいな。

さてさて。

結婚しても、子ども出来ても、性欲はあんまり落ちる事のない志茂田さんです。

こんばんみ。

と、性欲は余り落ちないんだけど、最近、ふと気がついた。

この世界にほぼ半分はいるであろう「女」と言う生き物のほぼ全てが、「おっぱい」とか「まんこ」を持っていると言う事実に・・・

まぁ、多少形の違いはあると思うんだけど、それにしたって、大体、似たり寄ったりで持ってる。

なのに、どうして、数年前くらいまでのオレは、凄いレアものな様な気がして、いちいち有難がったりしてたんだろうか・・・?
だって、言ってみれば、この世に70億人いたとして、単純に35億個はあるわけだ。

おっぱいなら、70億個はある。

人類みな平等。

ジョン=レノンな世界観なら、男一人に1まんこ、2おっぱいな訳だ。

そりゃあ好きな人とかなら、また話は別だろうけど、昔は、「誰の」だから凄いレアでもなかったような気がする。

と言う事実に行き着いてしまった今考える事は、ありふれている以上付加価値は必須だと言う事。

この辺は、まぁ、ビジネスなど含め、世の中的には当たり前。

握手券つけなきゃCDが売れないのとある種同じだ。

付加価値として考えてみる。

「処女」とか「人妻」とか「幼女」とか「熟女」とか、もっとパーソナライズするなら「アイドル」とか「女子アナ」とか・・・

で、ここまで書いていて気がついた。

あぁ・・・AVの世界では、これ常識だ。

さすが、年がら年中まんこのことばかり考えている皆様。

ただただ、脱帽するばかり。

確かに、AVで「その辺にいる別に処女でもなく、結婚もしてない特に美人でもない普通の20~25歳くらいの女の人。

4日ぶりの至ってノーマルなセックス(フェラはしません。

)」みたいなタイトル見たことのないよな。

(これはこれで見てみたい気もするけど。


そんな人の場合、どうするか。

そりゃあ、SMだのレイプだの露出だの、企画ものですよね。

なんだか、すっごくストンと落ちてきた感じがする。

良く分からん文章で申し訳ないけれども、個人的にはすごくスッキリした。

目からうろことはこの事ですね。

何か、そんな話とかしようとしてたんだっけ?違うような気がしてならないけど、まぁ、いいか・・・

えぇ~と・・・とりあえず、結婚の話とAVの話をあわせてしまってゴメンなさい。

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2013年10月14日 22:02 CAT :

メタモルフォーゼ・オクトーバー

お仕事が忙しいらしい。

ホントに忙しいらしい。

今なんて、繁忙期とかでもなくて、例年なら、定時帰りヘヘヘイ。

んで、残業代もないから、給料すくな!!ってなるこの時期なのに、深夜残業の手当てまで付けてもらっているような状況。

いや、お金の問題じゃあないのだよ。

遊びたい。

個人的にも、家族とも。

遊びたい。

オレは、仕事が人生なんじゃない。

仕事なんて、二の次なんだよ。

と、そんな毎日を過ごしております。

お久しぶりです。

さてさて。

今年も、秋のお祭りの季節。

仕事も上記みたいな感じだから、練習にも参加できずだけれども、そんなオレでも、呼んでくれるありがたい獅子組の皆様に感謝しつつ、今年も参加してきたよ。

荷物運びとか、そんな感じの事メインで・・・のつもりが、いつの間にか、酒飲んで泥酔して、軽トラの荷台で寝てた。

まぁ、それも一興よ。

で、今年は、娘に氏子を付けてもらうと言う行事のため、お宮さんでの本番は不参加に。

不参加と言うか、お宮さんでは、娘に付き添ってた感じ。

氏子さんってのは、よく分かんないけど、地元の神様に、娘をお願いするみたいな儀式だと思ってる。

考えてみれば、お腹にいるときから、戌の日があって、お宮参りがあって、お食い初めがあって、今回の氏子があって、何回こんな儀式があるのだろう・・・?と思いつつ、子どもを地域の宝物として、ホントに、家族親族はもちろんのこと、地域の皆で大切に育てようと言う、そんな何かチョッと生暖かい素敵な風習だとも思った。

ましてや、それが自分の子ともなれば、ただただありがたいこと限りなし。

そのお陰もあって、順調に育ってる。

願わくば、地元香川の事も大切に思える優しい子になって欲しいもんだ。

例えば、オレのようにな!!
で、今日は、年賀状用と言う意味以外にも、子どもが生まれた年なんだし、しっかり記念の写真を残しておこうと言うことで、カメラ屋さんに行ってきた。

最初は、スタジオアリスにしようと思ってたけど、あそこは、何か撮影データは著作権もあって撮影から1年は渡せないだの何だのと、明らかに調子に乗ってる対応がチラホラ見えたのでやめて、スタジオマリオにしてみた。

結局、スタジオアリスのスタッフがどんなかったのかはさっぱり分からないから、比較のしようもないけれども、すごく良かった。

何か、アルバムとかの細かい要望も全部対応してくれたし、色々サービスもあった。

何より、撮影データをすぐにくれると言う点が、かなり良い感じ。

別に検討してた、東京帰りのプロカメラマンさんとか、データ渡すなら、2万~3万はもらうとか、無茶言ってたのに、マリオは、すぐにくれて、5000円だって。

この金額なら妥当だろう。

まぁ、カメラのキタムラが経営してるから、このデータで、キタムラで現像もしてね。

と言う事なんだろうけど、それよりも、このデータを使って、年賀状を自分で作れるのがやっぱり大きかったよね。

印刷については、その制作データを渡して、キタムラで年賀状にしてもらう事も出来るし。

何か、こだわりと言うかなんというか、スタジオアリスみたいな、用意されたテンプレに当てはめる事しか許さないって言う束縛は、嫌なんだよ。

例え、クオリティー的に落ちたとしてもな。

とまぁ、この3連休はこんな感じ。

明日からはまたお仕事だ。

写真代の4万円分も含めて、乗り切らんけど、お仕事がんばりますかね。

こんなでも、お父さんですのでな。

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2013年9月20日 22:58 CAT :

君のまんこに時限爆弾

人生の終わりについて考える。

スティーブ・ジョブズは、毎朝鏡に向かって「今日、自分がやる事は、明日自分が死んだとしても後悔しないやりたい事」かどうかを確認していたとか何とか・・・

明日死んだとして後悔の残らない。

と。

考える。

後悔しないとは何なのか?
要するに「あの時こうしておけば良かった」と思わないような事をする必要があるんだろうけど、そう考えてみれば、オレの日常はジョブズもビックリの煩悩にまみれていると思う。

少なくとも、オレはどんな生き方をしたとしても、明日死ぬのであれば、それはそれは深い後悔にさい悩まれる。

フォーイグザンプル
1.明日死ぬので、最後は家族と一緒にいようパターン
家族と一緒にいる事で、更に情が深まってしまう。

それどころか、何としてでも明日を生きなきゃいけないような気になってしまう。

ついでに、これからやりたい事として妄想してた、物語を書き切ることも出来ない。

それどころか、今作ってる音楽の音源化すらできない。

仕事上のスキルアップももう、もっとしたい事がある。

って言うか、死ぬ前にあいつに会いたかったなぁ~とか、親より先に死ぬのか・・・とか色々思う気がする。

⇒後悔する
2.一思いに仕事に打ち込んでみようパターン
そもそも、自分の人生において、仕事なんて2の次なので、何で仕事を優先してしまったのか嫌気が差す。

しかも、家族のしょんぼり具合をみて、何て事をしてしまったんだと気が付く。

ついでに、これからやりたい事として妄想してた、物語を書き切ることも出来ない。

それどころか、今作ってる音楽の音源化すらできない。

併せて、せっかく仕事をしたところで、希望しているスキルアップなど一朝一夕でどうにかなるもんじゃなく、結局は、ただ目の前の業務に終われて疲弊して終わる。

って言うか、死ぬ前にあいつに会いたかったなぁ~とか、親より先に死ぬのか・・・とか色々思う気がする。

⇒後悔する
3.遺言代わりに音楽製作でもしてみようパターン
「明日死ぬのに、何やってんだオレ?」と言う疑問が沸々と湧き出てくる。

嫁、子どもの顔が脳裏を離れない。

これでいいのか?と自問自答した結果、多分間違っていた事に気がついて不安になる。

そもそも、1日で音源は完成しない。

ついでに、これからやりたい事として妄想してた、物語を書き切ることも出来ない。

仕事上のスキルアップももう、もっとしたい事があったのに・・・

って言うか、死ぬ前にあいつに会いたかったなぁ~とか、親より先に死ぬのか・・・とか色々思う気がする。

⇒後悔する
4.美味しいものを山のように食べてみる最後の晩餐パターン
とりあえず、まだ娘は同じご飯を食べられないので、家族一緒には食べられない。

ので、一緒に食べたかったなぁ~とか凄い思うはず。

ついでに、これからやりたい事として妄想してた、物語を書き切ることも出来ない。

それどころか、今作ってる音楽の音源化すら・・・以下略
つまり、後悔しない生き方とは、如何に煩悩を捨て去るかと言う一点なのだと思ってきた。

家族を捨て去る。

友人を捨て去る。

創作意欲を捨て去る。

生理的欲求を捨て去る。

知的欲求を捨て去る。

とどうだろう。

多分、どんな死に方を選んでも、後悔しない。

ついでに、その中から1つだけ選んで、そいつを最後の日にやれば、多分後悔しない死に方が出来るんだろう。

ただ、そんな人生おもろいのか?
なんか、この境地に至ったまま死に切れずに100歳とか迎えたら、物凄い心理状態になれそうな気がするけども。

後悔しない生き方をする為には、後悔しない生き方をするために全てを捨て去る氷の心を手に入れる必要があるということは分かった。

オレは、煩悩にまみれて生きていこう。

明日は咲こう 花咲こう。

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2013年9月16日 23:42 CAT :

ちゃっぽんぶし

何とかかんとか、今年中に「王道軽傷」の製作には入れそうです。

お陰さまで。

と言う事で、今回の為に書き溜めた歌詞などをまとめたりと、チビチビ準備を始めた。

なんせ、オリジナルアルバムと言う意味では、なんとまぁ4年ぶり。

その間、全く音楽に触れてなかった期間があったりしたけれども、それでも、その4年間に何だかんだと心情の変化が多々ありつつ、綴り続けてきた14編の詞とメロディー(あくまでも、現時点でなので、それ以上に増えるかもしれないけれども)。

見返す分には、何ともまとまりがない。

しょうがない事なんだろうけども。

これまでのような、一気に書き上げて、それを音源化していくと言う感じではなく、思いついた時に書き溜め、それがアルバム一枚分溜まったから音源化してみようと言う事なのだから、そもそものアプローチが違うっちゃ違うんだよな。

要は、最近になればなるほど多分角が取れて丸くなってると言う事ですな。

これから、どのくらいの期間かかるか知らんけど、どうせなら無理やり強行スケジュールで作るより、ある程度納得いくまで、時間かけて作りこみたいよなぁ~とか、ぼんやり思っております。

もちろん全て、現段階での予定だけれども・・・

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2013年9月11日 23:34 CAT :

いつかその星が見えるその日まで

中学生の頃、オレは、おたふく風邪にかかった。

小さい頃にかかってなかったらしく(おたふく風邪は、大人になるほど重病化するらしい)連日40度の熱が出ると言う結構大変な思いをした。

しかも、その間にオレの金玉はみるみる大きく腫れて言った。

でも、お年頃で恥ずかしいオレは、その事を誰にも言わずに隠すという愚挙に走り、その結果、病院に行った時には、金玉の機能がかなり低下してしまっていた。

なんでも、オナニーするようになってからのおたふく風邪では、生殖器にウイルスが入り込む事があり、最悪の場合、生殖機能がなくなってしまうらしい。

生殖機能が死に絶えはしなかったオレはまぁ、不幸中の幸いだったのかも知れない。

その時、いっしょに居たおかんが「先生、将来子どもを作る時とか不利になるんでしょうか?」と医者に聞くと、「そうですね。

確率は低くなりますね」と答えた。

この先一生童貞だと信じて疑わなかったその当時、オレは、別にそんな事関係ないやと言い聞かせながら、密かにショックを受けたりしてた。

所が、もっと大きくなり、彼女が出来、その彼女が嫁になった辺りで、この時の事をふつふつと思いだしていた自分が居た。

「子どもが出来なくても2人で入れたら良いよ」と言ってくれた嫁に対して、子どもが出来なければ、完全にオレのせいだと言う罪悪感がなかった訳じゃあない。

でも、幸いにも子どもが出来た。

元気で丸々と成長してくれている。

紆余曲折を得ながらも、この子はオレをお父さんにしてくれたらしい。

そんな子どもを胸に抱きながら一冊の本を読んだ。

その本の話について…ただ、若干グロ話なうえにネタばれを含むので、「続き」に書いておこう。

気になるヤツだけ、続きを読んでもらえれば良いです。

スマホ、ケータイで見てるヤツがもしいたら、知った事ではないです。

続きを読む いつかその星が見えるその日まで

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2013年9月6日 22:47 CAT :

夢六道からくり糸車でドライブデート

ふと考えた。

プリウスと言う車がある。

これは、大体300万円位で買えるらしい。

オレの乗っている車「ぶんちゃん」は、大体130万円位で買える。

(オレは、新古車で買ったからもっと安かったけど)
燃費で言うと、プリウスは30km/Lくらい。

ぶんちゃんは、20km/Lくらい。

つまり、ぶんちゃんは、プリウスの3分の2しか走る事が出来ない訳だ。

と、前提があったとする。

単純計算で、ぶんちゃんが3回ガソリンを入れる間に、プリウスは2回の給油で済む計算になる。

実際に、オレが今は月に3回位給油してるから、プリウスなら2回の給油で済む。

つまり、1か月に4,000円位ガソリン代が安く済む。

1年なら、48,000円もガソリン代が安くなる。

・・・安くなるけども、例え同じペースで10年乗ったとしても、ガソリン代が48万円しか安くならない。

なのに、販売価格は150万円位差があるわけで・・・要するに、ぶんちゃんとプリウスのかかるお金が同じになる(と言うか、元を取る)には30年間乗り続けなければいけない。

ふ~ん。

そうなのか。

ふ~ん。

ふ~ん。

まぁ、プリウス乗ってるヤツが、「燃費が安くて、お金が浮く」とか、そんなこと考えてないよな。

地球にやさしいとか、的外れな事を良いながら、エコとプライドの為に乗ってるんだよな。

などなど・・・

どうでもいいけど、プリウス乗ってるヤツって、何であんなに運転がへたくそなヤツとか、無茶な運転するヤツが多いんでしょうね。

ケセラセラ。

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2013年8月30日 19:35 CAT :

小児麻痺と青空の世界

先日、東京へ出張してまいりました。

オレの事をなんだと思ってんだよ・・・人ごみ嫌い、人が嫌い。

結婚式で、筋肉少女帯の「人間嫌いの歌」を流した位人が嫌いなオレを人間がたんまりいる、あの都に連れて行くとは・・・

何か、webデザイナーでもしていれば、静かに、机の前でいられるのかと思ったのに、意外と現実はそうでもないのね。

しかも、お土産さえも変えないくらいの強行スケジュールだったしな。

さてさて。

チョッとタイミングを逃してしまったけど、8月にはどうしても「戦争」の話題が多くなってしまうと言う現実があったりなかったりする。

昔、クソ日教組の洗脳で極サヨク化していた時には、どれだけ嬲られようとも中国、韓国に対して徹頭徹尾、低頭で謝り続けなければいけないのだとか、文章を書いてた時期もあった志茂田さんですが、ここ最近の韓国の自滅活動のおかげで随分と目が覚めてまいりましたよ。

そもそも、韓国なんて、日本側で連合国と戦った側のくせに、被害者面してやがるしな。

と言う事で、戦争についてのお話(物語?)などもチョコット書いたこともあったりなかったりする。

その中の一つに「小児麻痺と青空の世界」と言うお話がある。

まず、タイトルの段階でおそらくこの世の中には出る事が出来ないであろう作品。

アルバム「影の上のボーニョ」に収録されている10分近い大曲なので、もし、このCD持ってる人は聴きながら今回の記事を読んでくれたら、もうちびる。

尿とか、精液とか、色々ちびるよ。

簡単に言えば、重度の小児麻痺で兵役を逃れ続けていた主人公の「青空」が、愛する人を守るために、自ら戦争へ赴く。

と言うそんな話ですわ。

この話を書くきっかけとなったのは、言わずもがな、腐れチョンによる靖国参拝批判。

日教組は、そして、サヨクの方たちは、戦争は国家の洗脳であり、多くの人が無理やり戦場に駆り出され、そして、不本意のうちに戦死したと、至るところで言う。

それは、教科書であったり、ドキュメンタリーであったり、映画であったり・・・色々な所で言う。

果たしてそれは事実だったのか・・・?
本当に、洗脳されてていただけなのか・・・?
確かに、そんな人も居ただろう。

結構いたかもしれない。

でも、中には、洗脳ではなく、心から、大切な家族を守る為、自分の生まれ育った故郷を守る為に立ち上がった人は絶対数いたと思う。

先の大戦が必要だったのかどうか?アジアの開放にどう関わったのか?そんな話は、アホ捏造国家の中韓を省いたところで色々論ずれば良い。

今は、そんな話じゃあない。

戦争になり、そして、家族が危険に晒されるとわかった時、守るために立ち上がった人は絶対居たはず。

そうして、立ち上がってくれた多くのご先祖さんのお陰で今の日本があり、そして、オレも存在していると言う事を忘れちゃあいけない気がする。

そんなご先祖さんが居る靖国神社を参拝する事を、なぜ、他所のキチガイに咎められなければいけないのか。

国を守り、故郷を守り、家族を守ったご先祖さんに敬意の念を持つ事と、戦争を賛美する事は全く意味が違う。

むしろ、この気持ちがなくなった時、この国に価値を見出せなくなり、そして、戦争が起こるような気がする。

サヨクの方たちのお陰で、「愛国心」を持つ事がイコール危ないヤツ。

危険思想の持ち主。

と言う、変なレッテルを付けられるようになってしまったけれども、あんな、自分が生きている事を当たり前に享受し、ご先祖さんを敬う事も出来ないような生ゴミなんて気にする必要はないと思う。

「小児麻痺と青空の世界」は、そんな思いを込めて描いた物語だったりする。

物語の最後、「誰にも知られず 歴史にも残らないまま 当たり前のように青空は帰ってこなかった あの子を残したまま帰ってこなかった そして戦争は終わった」で終わる。

この気持ちが国家に洗脳されただけで片付けられるのであれば、それこそ、「遺憾の意」を表明するしかないのでしょうね。

と、少し時期外れに書いてみたりした。

ちなみに、オレは絶対に戦争反対。

ラブ&ピース。

ジョンレノン大好きですよ。

でも、サヨクじゃあない。

アレだけにはなっちゃあいけない。

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2013年8月18日 1:07 CAT :

始まりの始まりはまだ終わらない

毎年、フジテレビで唯一と言っていい楽しみにしてる番組。

「ほん怖」。

去年は、何回ちびるんだろう?と言う位怖かったけど、今年は、全体的に怖くなかった。

すごい物足りない感じ。

強いて言えば、最初の話と、最後の話がなかなか面白かった。

けど・・・最初の話とか、普通にオレの実家の2階で居ればしょっ中誰もいないのに、足音がしたり、トイレが流れたりするもんな。

最後の話とか、人形が感情持つとかも普通な事だし。

今、オレのベッドの横には「たごさく」って言う犬の人形が居る。

オレが生まれる前からズッと一緒に過ごしてきたけど、こいつは、間違いなくいつもオレの事見てるもんな。

ちなみに、娘も何か「たごさく」の事は凄く気になるらしい・・・ただ、「たごさく」は完全にオレを守ってくれている方だと思うけども。

さてさて。

お盆でせっかく休みだと言うのに、親戚まわりとお墓参りだけで終わってしまうのも何だかなぁ~って事で(もちろん、先祖を敬う事も、親戚に顔見せる事も大切だけども。

)チョッと遠出してきましたよ。

結婚してからは、年に2回は旅行に行ってたりもしたけど、娘が生まれてからは、まだ一度も遠出してなかったので、ある意味初めての遠出。

場所は、徳島県の大歩危にした。

ここん所の閉鎖的な感じからから飛び立ちたい。

とか、大自然に抱かれたい。

とか、色々あったりしたんだけれども、一番は、山行くと涼しい。

川べりで遊びたい。

っていうそれだけだったのかも知れない。

かくして、徳島まで行ってまいりました。

何だかんだで、1時間半位で着くらしい。

遠出と言っていいのかは良く分からんけど、まぁ、まだ娘も7カ月だ。

そんな遠出など出来るはずもないじゃあないか。

車の中でぐっすり寝てた娘は、駐車場の段階で、キャッキャとはしゃいでる。

まぁ、娘の場合は、景色関係なく、道の駅のキッズコーナーでも、お昼に入った徳島ラーメンのお店でも、キャッキャと笑ってたけどな。

取り合えず、楽しんでたみたいだし良しとしよう。

思えば、この場所は、嫁とまだ付き合う前に、初めて二人で出掛けた場所。

お互いまだ、名前で呼ぶ事も出来ず「○○くん」「○○さん」と苗字で呼び合ってた位だったように思う。

あれから数えて今年10年目らしい。

この10年間。

ほぼ毎日。

仕事初めてからは、仕事のない休みのほぼ全てを一緒に過ごしてきた。

10年間。

毎日毎日顔を合わせて、良く飽きもせずに一緒に居るとは思うけれども、それでも本当にズッと一緒にいる。

家に、どころか、ほとんど同じ部屋でいる。

だから、仕事が休みの日に別行動してる夫婦とかの話を聞くと、違和感しか覚えない。

せっかくの休みなのに、なんで一緒に居ないの?と。

そんな生活の10年目に、生まれた娘を連れてここに来た事に少しだけ感慨深いものがあったりする。

お互いに老けちまったし、子どもも居るけど、それでも、10年前のあの日と同じように今日も一日を「楽しかったなぁ~」で終える事が出来た。

この奇跡のような出来事をこれからも続けて行きたいと心底思う次第でございます。

それは、簡単なようで難しい事。

でも、難しいようで簡単な事。

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2013年8月10日 22:30 CAT :

There are places I’ll remember from “In my life”

10年の区切りがひとつ付いてしまった。

三十路になってしまった。

誰かが言うように、20代はあっと言う間に終わってしまった。

誰かが言ったように、1年はどんどんと短くなっていっている。

少しだけ、20代の10年を振り返ってみようかと、久しぶりに、キーボードを叩いてみる事に致しましたよ。

20の頃を少しだけ思い出してみた。

あの頃、オレはまだ独り身で、漫画家になると言う、今考えると何とも薄味な夢を抱えた学生だったと思う。

それから数えて10年だ。

その間に、彼女が出来、夢をあきらめて、社会に出て、半身不随になって、復活して、ニートになって、仕事を始めて、結婚して、子どもが出来た。

意外と普通な10年だったようで、部分的に、人が体験してない10年だったようでもある。

振り返ってみれば、なかなか面白い10年だったように思う。

そして、激動の10年だった。

多分、10歳までとか、20歳までの方が、インパクトは強かったし、ドキドキとした毎日だったんだろう。

でも、それは、親の加護の元で、しかもあらかじめ決められたある程度予定調和内での出来事だった事を、20代で思い知らされた。

自分で歩きだしてからは、時間が経つのは確かに早くなったけれども、その分、面白さも増してきた。

涯の言ってた事も少しだけ分かるようになってきた。

(まぁ、涯はそれを中学生で悟ってたんだから、そう考えるとオレはかなり遅いもんだけれども・・・)
仕事もろくにせずに、かと言って、就職活動をしていたわけでもなく、親から施してもらった金で、彼女とただダラダラしていたニート期間。

あの期間だって、無駄じゃあなかったとは思っている。

けれども、毎日がすごく息苦しくて、イライラしてた。

んで、その頃は、仕事を始める事も、結婚する事も何だか、責任を背負わされて、追いつめられるようなイメージを漠然と心のどこかに持っていたのかもしれない。

ただ、運良く一念発起し、歩み出した結果、どうも、責任が増せば増すほど、不思議と毎日に張り合いなんかも出てくるらしい事が少し分かってしまった。

そんな今。

オレは、なんと、一家の長だったり、父親だったりする。

(当たり前だけれども)自分で仕事して、稼いだお金で、家族共々何とかかんとか日々をやりくりしている。

それが、ビックリする位充実している。

そして、本当に自由。

そりゃあ、収入とかもたかが知れてるし、子どもが生まれてからこっちなんて、自分の時間なんてどれほどとれるよ?みたいな状態。

仕事から帰ってきたら、疲れて寝る。

寝てる間も子どもに起こされる。

休みの日は、子どもと遊んで終わり。

でも、涯じゃないけれども、圧倒的に限られた中で無限なんだって。

まぢで。

この感覚がわかる日が来るなんて・・・

そう。

多分、20代で最大の収穫はこの感覚を得た事なんだろう。

でもこれはまだきっと土台だ。

土台は出来上がってきたのかもしれない。

次の十年は、この土台の上に何をのっけていくか・・・それを、もしかしたら探すだけかもしれない。

でも、断片的にでも形が見えればそれで良いと思う。

30代男性の4割が童貞と言う社会の中で、なんだかんだと割かし順調に歩んできているのかも知んない。

10代の頃には灰色の将来ばかり考えていた。

今、10年間について、写真を見たり、嫁と話したりしながら、鑑みるにつけて、そんなに悪くはなかったんじゃないかと思う。

10年後、30代はホントしんどかったよな。

でも、そんなに悪くはなかったよなと思えるように。

それを、家族で・・・増える事はあっても減る事はなく迎える事が出来れば、それで良いと思えるようになった。

毎日はただ当たり前に過ぎていくので、それを、少しずつ刻みこんで生きていくのですよ。

1日。

1日とね。

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2013年7月23日 22:15 CAT :

夢追いインザスカイ

人を殺すことのハードルが極端に低い・・・とは、どんな事なんだろう?
笑いながら、耳の穴に煙草の火を押しあてる事が出来るのか・・・しかも、友人に。

何かの研究で、まだ何も分からない赤ちゃんの目の前で、良い事と悪い事をしたら、赤ちゃんは、良い事をした時にはニコニコして、悪い事をしている時には、顔をしかめたとか何とか。

人間には生れながらの道徳心がある。

俗に言う性善説だと。

そんな結論がでたらしい。

だとしたら、こいつらは何なんだろう・・・?
生まれ持った道徳心を、成長する過程で無理やり破棄させられたんだろうか?
自分の子どもがこの被害者側になってしまったら、オレはきっと、加害者全員に同じ事やったって気が済まないと思う。

嬲り殺した位では、何の意味もない。

だって、この加害者は全員、生きてく価値もない屑だから。

・・・いやはや、例の広島のLINE事件の話ですよ。

さてさて。

日曜日には、ちゃんと選挙に行った志茂田さん。

です。

ちゃんと、ゲラゲラ笑いながら、池上さんの選挙特番を見てました。

(サッカーのような下等な球遊びに一喜一憂などしない。


番組の最後に、池上さんが面白い事を言ってた。

「投票率が低い。

特に、若い世代の人の投票率が極端に低い。

政治家は、投票してくれる人のために政治をするので、投票してくれる年配の人のために、動いてくれますが、投票してくれない若い人たちのためには、なかなか動いてくれません。

これは、とてもよくない状態です。

なぜなら、これからこの国を支えるのは、若い人たちなのですから・・・」
若干違うけど、こんなニュアンスだった。

オレの一票なんて、特に意味はない。

と、思ってる奴はたくさんいると思う。

し、実際、たかが一票で何か変わるものでもないかもしれない。

でも、問題はそこじゃあない。

大切な事は政治家と国民が、実は対等であるべきなんだと思う。

似たような例で、「三波春夫」さんの「お客様は神様」を勝手に勘違いして、店員に対して偉そうにしてる無知蒙昧なゴミもたくさんいる。

そもそも、この「お客様は神様」って言葉は、「お客様のところに神様がいるようなつもりで、丁寧に歌っている」と言う趣旨であって、決して「お客様=神様」じゃあない。

お店と客はあくまでも対等。

うまい料理や、サービスを提供してやってるんだから、金を払うのは当然。

そもそも、金払いの良くないやつは、神様ところか、客ですらない。

なのに、金払いも悪い、性根まで貧乏な奴に限って「お客様は神様」とか言いたがる。

それと同じなんだと思う。

投票にも行かないで「社会が悪い」「国が悪い」とか言ってもしょうがない。

投票に行くと言う義務を放棄した段階で、国から補償される権利を放棄したも同然。

誰に入れても結局は一緒。

だとしても、投票していると言う意思を示すことは、相手にする価値もない人間ではなく、相手にする価値のある人間だと政治家に認識させる意味があるんだろう。

などなど、今回の言葉で、何か色々と考えさせられてしまった。

テレビやマスコミしかない時代はもう終わった訳で、テレビでの洗脳も効果が薄れてきている。

それでも、昔の感覚で洗脳し、世論を扇動しようとしている老害は未だにテレビに出ていたりする。

例の関口宏だって、調子に乗って安倍ちゃんを批判しようとして、自分の無知蒙昧っぷりを全国にさらけ出してしまったわけだし。

そんな意味でも、本当は、昔よりはるかに1票が、世論を動かせるようになってきている。

逆に、テレビや新聞のように、情報を押し並べて整理してくれなくなってきている。

氾濫する情報の中から、取捨択一するメディアリテラシーが必要になってきているんだろう。

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2013年7月15日 22:04 CAT :

ただ抗わずただ流されず

連綿とつながる見えない糸
縦と横の交わりひとつはとても小さくも
それが無限に広がっていくことで、大きな布が出来上がる
その先にあるものがなんなのか
誰も知る由はない
誰もその先へ行ったことなどないのだから
何を包むための布なのか
何を庇う為の布なのか
ただ
今も新しい交わりが増える
そして
それをこれまで紡いできた糸は優しく迎え入れる
いつまでもいつまでも
それは
悲しいことではなくて
でも
嬉しいことでもない
ただ必然としてそこにある
心の中に少しだけ灯る
かすかな光のひとつ

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2013年7月11日 22:22 CAT :

能面の笑顔と少女の時間

生きていく事に目的が必要なのは、きっと生きていく事が簡単だからなんだと思う。

生きていく事に必死だったら、生きていく事が目的になる訳で、そもそも「何のために生きている」って言う話にはならない。

生きていく事が比較的簡単になった国で生きています。

目的は分からない。

でも、最近、生きていくための目的とか、別に不必要になってきた。

これが、新しいステージだったら、良いのだけれども・・・

さてさて。

少し上の話ともかぶったりかぶらなかったりするけれども、楽しみ。

とはいかなものか。

そんな事をぼんやりと考えていた。

嫁が言うには、オレは、何かにつけて、楽しそうらしい。

自覚はないけれども、そうらしい。

うまい飯を食う。

眠いから寝る。

絵を描きたいから書く。

そんな感じの事が、最近、やりたい時に自由に出来ない。

だから、出来る時には、それはここぞとばかりに楽しむ。

とか、そんな事は実は当たり前のような気がしてならない。

けれども、世の中には、そんな事を楽しめない人の方が実は多いらしい。

基本的に、何でもかんでもやな事ばっかり。

仕事なんてやりたくない。

それでも、頑張ってやったところで、それが評価されるかと言えば、それも微妙。

むしろ叱咤激励と言う名の恫喝の方が多い。

そんな日常の中で、何でもないけれども、嫌ではない事が、むしろ楽しくなってきたのかも知れない。

それが楽しくないって事は、もしかしたら、なんだかんだ言いながら、世の中にやな事が少ないと言う、非常に幸せな状態なんだろう。

そんな人が結構多いって事は、実に生きやすい社会なのかも知れない。

ただ、ここにきて思う。

やな事が少ないから、日常の何でもない事を楽しいと感じられない。

やな事ばっかりだから、日常の何でもない嫌じゃない事が楽しいと感じてしまう。

どちらが幸せなんだろう・・・?
前者の方が、毎日を穏やかに過ごせるのかも知れない。

後者の方が、メリハリがあって楽しいのかも知れない。

ひとつ言える事は、人間、状況が停滞してしまうと息苦しく感じてしまう。

それは、自分のニート時代の経験から、間違いないと思う。

とすれば、前者の状況の場合、自分で自分を鼓舞して、無理くり状況を(むしろ、成長している方向に)変えていかないと、息苦しくなってしまう。

逆に後者の場合には、穏やかでいたいと思っても、周りに無理やし環境を(時には、好転し、時には、最悪の状況に)変えられてしまう。

どちらにして、結構な労力は必要になってくる。

自分で頑張るか、周りに引っぱりまわされるか・・・

結局のところ、何が一番。

とか、そんなのはないんだろう。

取りあえず、最近は、一番子どもに引っぱりまわされて環境が変わってる気がする。

でも、こいつに関しては、これまでのどれとも違って、なぜかそれが心地良かったりする。

志茂田さん。

親になるために悪戦苦闘していると言うことですな。

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2013年7月9日 21:52 CAT :

遥かなる旅路 さらば友よの巻

夏の日の朝。

6時くらいに、窓をあけると入ってくる空気には、ひどく懐かしい匂いがある。

小学生の夏休み。

眠いのに無理やり起こされて、フラフラと通っていたラジオ体操の時の匂い。

当時は、何よりも嫌で仕方がなかったけれども、今になると、この空気の匂いが、何とも心地良い。

今って、夏休みのラジオ体操。

無くなってるだそうで・・・

と言う事は、今の子どもは、大人になった時に、この感覚を味わう事が出来ないと言うことか。

それは結構、可哀そうな気がしてならない。

何でなくなったんだろう・・・?
さてさて。

今日、遂に描き終えてしまった。

「US」と言うマンガを。

第一話を描いた時の日付が、2001年の8月だったので、ほぼ13年の月日と言う期間、描いてきた一つの物語が終焉を迎えたと言うことらしい。

最後の1ページを描き終え、その下に「終わり」の文字を書いた瞬間のビックリするような充足感。

こんな気持ちになれる事が、オレのこれからの人生であと何回あると言うのだろうか・・・

そして、年月ももちろんのこと、物語自体の長さも最長となったこの物語と、お別れする事になった。

もう、この物語のキャラクター達が勝手に動き出すことはない。

それを、絵として残して行く事も多分ないんだろう。

思えば、元々は、高校時代にさかのぼる。

当時、ほぼ初めて割と長編の物語を完結させる事が出来たオレは、画力アップには、漫画を描き続ける事が一番だろう。

という結論に達した。

で、当時たまっていた短編用のネタをいくつかくっつけて、その全ての短編に少しずつ主人公が絡みつつ、次第に物語が一つにまとまって行く。

そんな漫画は面白いんじゃないかと思いついた。

(今考えると、そんな話結構よくある気がしないでもないけど・・・)
そして、短編と短編を違和感なくつなぎ合わせる為の設定を考え始めた。

考え始めると、もう止まらない。

主人公のバックボーンから、ヒロインの設定、世界観の設定、そして、物語の大筋まで、暇さえあればずっと考え、ノートに描き綴ってた。

全体的には、当時異常にはまってた「トライガン」って言う漫画みたいなのを描きたいなぁ~みたいなイメージがあったりもした。

(結果的には、序盤以外かすりもしなかったけど・・・)
大体の構想がまとまって、第1話を描き始めるまでに、1週間とかからなかったように記憶している。

結局、その1週間で広げまくった大風呂敷を、しっかり描き切るのに、13年の歳月がかかってしまったと言うことらしい・・・(まぁ、その時々に影響受けたものとかで、後付けの設定とか、キャラも出てきたりはしたけれども。


最終的には、その最初のノートに書いた構想通り、全部で15部。

しかも、各部ごとにこんな事を書こう見たいに考えていた事も大体、当初の構想通りに描けた。

むしろ、ここまでぶれなかった事に結構ビックリ。

しかも、「大体、この話は○話くらい使って書こう。

」とか構想してた奴も、12部が3話、13部が3話、14部が5話はみ出しただけで、ほぼ予定通りに描けたと言う。

自分でも言うのもなんだけど、高校生のオレすげぇ・・・これが、思春期の力か・・・

まぁ、途中年単位の休憩も挟んだりしたけれども、それでも、最後まで描き切れた事にただただ感無量。

もっと内容に突っ込んだ事も描きたいけれども、また、漫画の方を読んでもらいたいので、そこは我慢しておこう。

約2800ページ。

全135話をもって、「US」と言うマンガは終了だ。

これで、死ぬまでに描いておきたい物語がまた一つ完結した。

とりあえず、いろんな奴に読ませてみたい。

・・・ような気もするけど、長すぎて、気軽に読んでみてや~とも言い辛い。

元々、99%は自分のために描いてきたわけだし、まぁ、機会でもあればと言う事で。

さようならです。

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2013年7月7日 20:26 CAT :

シナプスレイプ・アンソロジー

体中(特に股間付近)の肌荒れがここの所凄まじくひどかった。

原因をあれこれ考えてみたんだけど、多分、ボディソープだと思う。

いつも使ってるダブのヤツがなくて、ナイーブってヤツをしゃあなしで買ったんだよ。

んで、それを使ってたんだよ。

元に戻し、更に肌荒れしてる部分には、赤ちゃん用の石鹸を使ってみると、見る見る間に回復してしまった。

見る見る間に回復って、どれだけ悪い成分が入ってたんだよ・・・

肌荒れ(オレの場合はアトピーやけども)がひどい場合には、取り合えず、石鹸類を見直してみるのが一番と言う事か。

さてさて。

先日、チョッピリ面白い話を聞いた。

人間の脳は、考える部分とそれを吐き出す部分が別の所にあるらしい。

それどころか、その2つの結びつきが弱いらしい。

いくら頭の中で悶々と考えても、うまく考えがまとまらないのは、考えた内容が吐き出す部分に直結して流れていかない事に原因があるとか何とか・・・

要するに、悩む前に書け。

悩む前に動け。

と言う話。

不思議な事に、吐き出し始めると、考える部分がまた次のことを考え始めることが出来、そして、どんどんと考えを深めていく事もできるんだって。

そこには、絶対的なタイムラグが発生する。

確かに、何か書いてるときも、その書いているもの自体について頭の中で考えていると言うよりも、頭の中では、その先のことを考えているような気がする。

んで、気がついたんだけれども、オレがブログを書くときここ数年、2段階構成にしてたりする。

今日もそうなんだけど「さてさて」って言葉で、無理やり結びつけている、全く別の2つの話を1つの記事の中に盛り込んじゃってる。

何でこんな事してんのか、あんまり自分では良く分かってなかったんだけど、多分、始まりはこんな感じだったんだと思う。

「ブログでも書こうかなぁ~」
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
「特に書く事ないから、適当に今起こってることでも買いとくか。


↓ ↓ ↓ ↓ ↓
「そう言えば、○○について書こうと思ってたんだよな。


↓ ↓ ↓ ↓ ↓
「でも、チョッと書き出してるし、こいつを書いた後に書くか」
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
「さてさて、本題に入るよ」
この流れが、いつの間にか形骸化してしまったんだと思う。

ってことは、オレは、書き出す事で、ネタが膨らんでくる事を無意識に理解して、この「どうでも良い話 + さてさて + 本題」と言う変な構造でブログを書くようになってたと言う事か。

そして、どんどん思いつく。

マンガを描くとき、オレはいつも、時間のかかるページとか、コマだけ、後回しにする。

んで、展開に詰まった時とか、その日の描き始めに、まずそのページから着手するようにしてる。

まぁ、ページを書いてる間に、次のコマ割りとかを頭の中でイメージしてるんだけど・・・

いやね、いきなりさて今日は何から描こうかなぁ~とか、考え始めると、イマイチ乗れないのよ。

だから、今日最初に描くページってのだけは、最初から何らかの形で用意しておくと。

そんな感じですよ。

これも、ある意味当てはまるんじゃないかなぁ~と。

何しか、普段自分が無意識にしている事が、変に、人間の体の構造上納得のいくものだったりした時に、何となく「生きてきて、稼いだ経験値のお陰」のような気がして、チョッと嬉しくなるんだった。

そんな詰まらんたわごとだよ。

再開の第1弾目はこんな感じだよ。

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2013年7月7日 11:51 CAT :

闇に浮かぶ彫刻

とても悲しい事があった。

その日から、取り合えず49日は、喪中と言う事にしておこう。

何も自分から発信しない期間を設けてみる。

7月になったら、また、何かブログに記事でも書こう。

と、そんな事をぼんやりと考えておりました。

そして、気がつけば、7月どころか、もう7日になっている。

ブログとか、またチビチビ再開しよう。

この49日中にだって、思うところはたくさんあったんだよ。

いくつかは、浮かび、よどんで、消えていった。

けれども、まだ残っているいくつかの由無し事をまたチビチビと綴っていこう。

そうしよう。

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2013年5月11日 22:31 CAT :

「饒速水 琥珀主」は泥にまみれて消えていく

パクさんのアメリカ外遊すごいね。

行った先で、日本の悪口だけ言いまくって向こうの高官を呆れさせた上に、レイプ事件まで起こした後、とんずらこいて、帰って来てから、オバマ大統領と握手した合成写真を出して、非難を浴びるなんて・・・

ついでに、先日、ミサイルをお片付けしたばっかりの北朝鮮にまで、「恥さらしに行った」と酷評される有様だなんて。

滅び去るのは勝手だけど、「やっぱり、まともに相手してくれるのは日本だけニダ」とか言って、寄ってくるのだけはやめてほしい・・・

反日で良いから、貫いて勝手に死に絶えてくれ。

まぢで。

さてさて。

ジブリの(っていうか、宮崎駿監督の)最新映画になんと、エヴァの庵野監督が出るらしい・・・声優として。

ジブリの映画が昔より面白くなくなった理由は、単純に声優を起用しない事だと思う。

声優さんは、声の吹き替えのプロな訳で、やっぱりどうしたって、餅は餅屋だ。

何か宮崎監督が「素人っぽさがリアリティ」だとか、どこかで語ったみたいな話を聞いたような気がするけど、だったら、本当に街中でズブの素人でも捕まえてきて、声優をやらせれば良い。

そうしないなら、それはあくまでも建て前で、真実は、ネットに流れている個人的感情での声優嫌いとしか思えない。

素人で、良かったのなんて多分「トトロ」の糸井重里と「ポニョ」の所ジョージ位じゃないのか・・・

「千と千尋の神隠し」も「ハウルの動く城」も「崖の上のポニョ」ももっと声優さんを起用してたら、「ラピュタ」とか、「ナウシカ」に匹敵する名作になってたような気あしないでもない今日この頃なのです。

アイドルの「声優に挑戦」とか、まぢプロ舐めんな!って思わないのかな?
取りあえず、面白そうな洋画の吹き替えに、話題性だけで実績も何にもないタレントやアイドルを起用するのまぢでやめてほしい。

それだけで、凄い見る気が失せるから・・・

最近、洋画見なくなったのも、メジャーどころの邦画を見なくなったのも、全部、この辺のせいだと思う。

もし、「ファイトクラブ」の主人公を平田さんじゃなく、ブラピが山ちゃんじゃなかったら、同じようにワクワクしてあの映画を見る事は出来なかったと思う。

同じように、「天空の城ラピュタ」のパズーが田中真弓じゃなくて、ゴーリキーだったら、今と同じような評価じゃあなかったと思う。

・・・と思っている人が、日本に最低でも一人は居ると言うお話ですよ。

ではでは。

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2013年5月6日 22:38 CAT :

その街角には君の立つ足跡がある

「春来たる鬼」・・・

凄い。

しばらくは、これ1曲あれば何にも要らないや。

ホント、何でこんな曲が作れちゃったんだろう・・・?
これが、天才と言うヤツか。

何が凄いって、もう20年近い歴史のあるバンドで、常に、新曲が毎回度肝を向かれてるって事だよな。

底の見えないバンドだ。

さてさて。

先日、たまたま道端で、「うえまつえみこ」って人が演説してるのを見かけた。

こいつ、あれだよな。

日本を潰そうとしたり、お隣の国の経済安定しか考えてなかったり、チョン政党「民主党」のおばちゃんだよな。

しかも、性質が悪いのは衆院選で大敗したあと、そそくさと民主党を離党しておきながら、「民主党には愛着があるので、協力していきます」と言う謎の会見をして、その上で、「無所属」として、次の参院選にノコノコと出てこようと言うどうしようもない人。

正直、あのまま民主党に残ってる皆様方の方がまだ、一貫性があると言うか、まともだと思う。

要するに選挙の時に「民主党」ってなってたら票が逃げるから、「無所属」って形はとるけど、当選したら、「民主党」と協力するよって事だろ。

それ以外に何があるんだよ。

離党して、無所属になった方が連携が取れるとか、そんな政党制自体の否定みたいな事、適当に言ってたら、「とくなが」とか言う嘘吐きおばちゃんみたいになるって。

有権者を舐めるのも程がある。

選挙前から、有権者をだまして出し抜く事しか考えてない姑息な政治家に、誰が投票するか。

馬鹿じゃねえの?
この人、香川の選挙区なんだよな。

香川県民が、こんな浅はかな手に引っ掛からない事を切に切に願う。

ホント、離党とかしてなければ、まだ、何言っても信憑性あったんだろうけどね。

残念。

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2013年5月5日 22:16 CAT :

あなたの心持へ

何とまぁ、5年ぶりくらいに、ブログのカバーなど変えてみました。

全体のテンプレは今のが気に入ってるので、このままでもいいと思う。

まぁ、ブログのテンプレくらい自分で作れるんで、気が向いて、しかも時間がたんまりあったのなら、自分で作ってみてもいいかもしれないけども。

ついでに、プロフィールも更新。

そう。

もう、3人家族なんですよ。

ケセラセラ。

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2013年5月4日 23:10 CAT :

愚神礼讃 フィンブルの冬

マンガ書きあるある。

ペン用のインクとベタ用のインクを並べて使ってると、時々、ベタ用のインクにGペンを突っ込んでしまう。

ないとは、言わせないぜ。

そこのベイベー。

さてさて。

「春来たる鬼」だ。

「春来たる鬼」すごい良い。

凄まじい名曲だ。

20分もある大曲なのに、ホントに、最後まで一瞬も気が休まることがない。

中だるみどころか、最初から最後まですべてがサビみたいなもんじゃないか。

CDで、じっくり聞いて、しっかり歌詞を読み込めば、興行の時とはまた違った感動にどっぷりハマることができる。

そりゃあもちろん、興行の時の生音と比べると、やっぱり演奏などの迫力はどうしても負けてしまうけど、聴き込むならCDだよな。

正直、新曲については、普通にCDで発売して欲しいとか、それをじっくり聴きこんでから興行で、聴きたいとか思ってた節もあった。

でも、この興行で発表したあと、帰ってCDで聞くってのも結構良いもんだと思う。

あの時の、あのメッチャカッコ良かったギターは、よく聞くとこう言う事になってたのかと・・・

あの時の、語りは全体で見るとこう言う意味があったのかと・・・

聴く度、聴く度に、興行で聴いた時の興奮をリアルに思い出すことができる。

うぬぬ・・・

ホントに悔いなしだ。

この曲に関しては、特に、やっぱり、興行で聴いておかなきゃいけなかったな。

なんかうまく言えないけれども、この曲が、普通にアルバムの中の奇をてらった1曲ではダメだと思う。

曲に関して、どうすれば一番いい形で届けることができるのかについて、真剣に考えてんだろうな。

と心底思い知らされたわ。

「春来たる鬼」に関しては、今回の形が何より最善だったと思う。

「ビバ!アメリカ」については、CDで先に聞いてから、興行に行きたかったけども。

いやぁ。

すごい名曲だよ。

まぢで。

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2013年5月3日 18:58 CAT :

片目の鬼が来る~「春来たる鬼」発売記念巡業~

はい。

と言う訳で、行ってまいりましたよ。

1年ぶり。

1年ぶりにして、犬神サアカス團となってからは、初の興行参戦でございました。

今回も、昨年同様に広島だ。

弟と2人で参加だ。

今回のツアーも、香川はおろか、四国にすら寄り道してくれなかったので、しょうがない・・・しかも、何と平日。

正直どうしようか悩んだんだけれども、やっぱり「春来たる鬼」を、実際聞いてみたい。

興行会場で聴いてみたい。

と言う欲求にはどうしても勝てず(そうじゃ無ければ、弟だけ興行に行かせて、音源を手に入れるって方法だってあったんだよ。

)、仕事は休むわ、子どもと嫁は家に置き去りにするわ、平日だから、高速料金は高いわと言う、ズタボロの状態で行ってきた。

それでも、行きたくてしょうがない。

そんな魅力のあるバンドさん。

何ですよ。

犬神サアカス團は。

「恐山」のツアーにはいかなかったんだけれども、今回は何をやってくれるんだろう?やっぱり「恐山」の曲が中心に何のかな?定番曲の「憂鬱の道化師」とかはやってくれるよな。

「犬神天国」はなくなってしまったんだろうけど、それでも「白痴」はやってくれるよな。

などなど、会話をしながら、どんな興行になるのかワクワク。

ちなみに、BGMは、「ストロベリーソングオーケストラ」の「血の濫觴」。

何となく、「すげーバンド見つけたんだよ。

お前もはまれよ」と言う、自己顕示欲の塊がそうさせたらしい。

なんだかんだと言いながら、広島に到着。

駐車場などを探してうろうろしてたとは言え、駐車場に車を置いた段階で、まだ午後5時くらい。

開場は、午後6時半なので、その間は、少々カラオケでもする事になった。

(ただ単に、ビックエコーが目に止まっただけだけど)
カラオケでは、車の中で「ストロベリーソングオーケストラ」聴いてたんだし、やっぱり、「犬神サーカス団」を歌わねば。

と、弟と交互に犬神サーカス団の歌を歌ってた。

締めに「地獄の子守唄」を歌って、テンションもかなり上がってきた。

体力もほぼゼロ。

ついでに、テンションあがって熱唱しすぎて、喉も潰れるてしまうと言う、満身創痍の状態で、ビックエコーをあとに。

ちなみに、そのビックエコーにエレベーター。

(↓)
x-japan.jpg
「としる」と書いてあった・・・顎をしゃくれさせて、Xジャンプしろとでも言うのだろうか・・・今から、行くのは「犬神さカス團」の興行だと言うのに・・・

そんなこんなで、興行会場へ到着。

おお。

おお。

興行の告知もある。

さらに上がるテンション。

「1階部分で列をおつくりください。

」との注意書きを読むも、誰一人周りにいない。

場所も、時間も間違ってないはずなのに・・・

そう思いながら、階段を上って行くと、行列が。

みんなあの注意書きを無視していただけで、今回の興行の参加者が少ないって話ではないのか。

となんだか嬉しくなった。

いや、昨年同様、ホント会場付近にそれっぽい方が一人もいらっしゃらないから、凄く不安になるんだよ。

香川だったら、駅から会場までに、明らかに手首に傷つきで仲間の匂いがする方もいらっしゃるからな。

とかなんとか言ってる間に開場。

中には言ってみると、今回も、前回同様30人くらいかな。

今回は、弟の希望もあって、いつもの情次兄さんの方じゃなくて、ジンちゃんの方に陣取ってみた。

(弟がベース弾くから)
その後は、ネットで「わかめちゃんのパンチら画像」を探したりしてるうちに、開演と相成りました。

ふと後ろを振り返ってみると、なんと後ろに、凄い人の山が・・・

これまで、何度か参加した興行の中で、一番人数多いように感じた。

しかも、今回は、男が多い。

いつも何か、オレと弟以外男なんていない位なのに・・・たぶん、会場限定シングルと言う言葉が、普段興行に足を運ばないけど、コレクター魂を燃やしている男のファンの心根を揺り動かしたんだろうて。

ステージ上には、日本国旗と旭日旗が掲げられてる。

クソチョンがその場にいれば、発狂するような素敵なステージングに思わず、興奮を抑えられなくなる中、出囃子は「故郷和讃」。

まぁ、それはそうだろうね。

そして、幕をあける「犬神サアカス團」の興行。

一曲目は、まさかの「吐気」。

「被害者面」を期待していたんだけど、確かに、この「吐気」も一曲目にふさわしい、ドロドロとしつつ、ノリノリのナンバー。

心に刻みつつも、縦ノリも出来る。

そして、そのまま定番曲「憂鬱の道化師」へ。

(ここは、何気に予想通りだったりする)
もうこの辺りでは、鳥肌も止まらない。

いつもの感じだ。

そして、やっぱり「犬神サアカス團」になっても、最高じゃないか!と思う。

そのまま、結構レア曲(だと勝手に思ってる)「花嫁」、んで、「恐山」の中では一番ノリノリな「浅草心中」から「陰謀論」と、テンションは最高潮に。

ここで、聴いたことのないイントロが。

(どうでもいいけど、このバンドの曲なら、全てイントロ聞けば曲名くらい分かりますよ。

歌えますよ。

それがファンってもんだろうが!)
そう。

この曲のためにオレは、仕事を休んでまで、広島まで来たんだよ。

20分の大曲にして、新曲「春来たる鬼」だ。

物悲しげなイントロから始まるこの曲。

とにかく凄い。

凄まじい。

何か、めちゃくちゃカッコいいし、そもそも、何だこの演奏は?確かな、演奏力から繰り出される圧倒的プログレ。

4人編成。

ギターもベースも一本なのに、何をやって、どうこの音を構成しているのかが、一聴しただけでは分からない。

と言うか、テンポすら取れない。

この曲だけは、のったりせずに、冷静に、じっくり聞こうと思ってたんだけど、じっくり聞いてもただただ、その迫力に圧倒されるだけ。

カッコいいとか、感動的だとか、死にたくなるとか、そんな一辺倒な感情じゃない。

何だこれは?!が一番素直な感想だと思う。

聴き終わった。

20分・・・?今、ホントに20分経ったのか?そう思ってしまった。

前評判は嘘じゃない。

ホントに、中だるみとか一切しないまま、終わってしまった。

20分経ったなんて信じられないままに。

「春来たる鬼」の余韻に浸ってる中、その次に来たのはまさかの「箱舟」。

マーシーさん作曲の美しいバラードだ。

おおおお・・・レア曲にして、大好きな曲が。

前回聞いた「サーカスの人魚」並みの感動が押し寄せる。

そのまま「いつか」とバラードが続き・・・そして、なぜか「一つ目小僧」。

前の「サマーオブラブ」の興行でも聴けなかったレア曲。

何か、レア曲多いように感じるな・・・

このあたりから、少々記憶は曖昧になってくる。

ただ、「恐山」で一番好きな「蜘蛛女」や、「ビバアメリカ」で一番好きな「幼女人形」、定番曲「自殺の歌」(いつもながら、会場全体が一つになる「死ね!死ね!!死んじまえ!!」は、狂気染みてるよな。

冷静になって考えれば。

)などなど、その後も、期待を裏切るはずのないセットリストで、もうどうして良いか分からない事に。

そして、ラストナンバーには、何と何と「地獄の子守唄」!!!
事前にカラオケで弟と熱唱したこの曲を、まさか、生で聴ける日が来るとは・・・

この曲に関しては、もはや、あまりの感動に涙すら滲んでおりましたよ。

歌い終わると、一礼だけして、ステージを去るメンバー。

あぁ・・・

ホントにMC一切ないのね・・・

分かってたことだけど、その部分では、やっぱり寂しい。

これまでの興行と比べて、何かが足りないと少し思ってた原因はこれだったのか・・・

とか何とか、急にちょっぴり冷めてしまい、変な思考が頭をよぎりだした。

オレは、楽曲も好きだけど、メンバーの皆さんの事も大好きなんだと思う。

そして、メンバーの皆さんが、MCで仲良さそうに話してるのを見る事が、凄く楽しかったんだと思う。

それが、興行での楽曲の良さを何倍にもしてくれていたんだよ。

多分ね。

全てを省いて、唄と演奏だけで勝負する。

と、明兄さんは言ってた。

それは確かに、素晴らしいことなんだけど、もし本当に、それだけを求めているのなら、その大部分はCDでも補えたかもしれない。

もちろん、生音で聴けると言う感動は大きい。

実際に、これまで何百回と聴いてきただろう「地獄の子守唄」を聴いて、あれだけ感動出来るんだから。

でも、それ以上の何かをやっぱり求めてしまってたんだろう・
最初から、全てそれを封殺していたのなら、話は別だったのかも知れないけど、興行での、仲睦まじい感じのMCとか、物販で手売りしながら気さくに話をしてくれる情次兄さんや、ジンちゃんを知ってしまっている上で、ある日唐突に「それはもう今日からしないね」と言われても、瞬間的に対応なんてできないのかも知れない。

さだまさしが、くだらない話をタラタラ軽快に話した後に歌う「無縁坂」にいつも以上に涙することに似ていたのだろうて。

つまりは、まだオレの感覚が明兄さんの域に到底達していないと言うだけなんだろうけども。

だったら・・・だったら、もう本当に、エンターテイメント路線を消し去って「常世の虫」とか、「兄の病の特効薬は死臭漂う血の池地獄のような人肉スープの形而上学」とか、「赤猫」とか、「瓶づめの胎児」とか、「陽炎」とか、「カナリア」とか、「苦海浄土」とか、「待ちわびた日々」とか、「籠の鳥」とか、「恐山」とかそんな楽曲で固めてしまって、終演後には、自殺したくなるような気持ちにさせて欲しかった。

本来、オレが犬神サーカス団に出会って、最初に感動したのは、その部分だったんだし。

などなど・・・

そんな、少々冷めてしまったままでアンコールへ。

アンコールは、「地獄へ落ちた子どもたち」と「光と影のトッカータ」。

おおお・・・どっちも大好きな曲だけれども、なんで、「犬神サアカス團」の興行で、「恐山」の楽曲数と「サマーオブラブ」の楽曲数が一緒なんだろう・・・みたいな事もちょっと思ったり思わなかったり。

その前に、少しさめてしまった部分を振り払うように、楽曲に集中し、のりまくった。

それが、本来は、若干間違った楽しみ方だと分かっていつつも。

そして、2回目のアンコール。

弟と「もう『白痴』で逝ってしまおうぜ」くらいな意思確認をしての、一曲目は、夜行列車。

おお・・・「念仏谷」が来るかと思ってたのに、意外!!でも大好きな曲。

おおおおおおおおおおお!!とここで、テンションを結構持ち直す。

やっぱり好きな曲を聴けるとテンションもダダ上がりだ!!
そして、ラスト!!
「皆殺しのララバイ」!!!
って!!なにいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!
「白痴」なかったあああああああああああああああ!!!!!!
この最後の「白地」のために温存しといた体力はどうすればいいんだ・・・「皆殺しのララバイ」めっちゃ好きな曲だけど・・・だけどぉぉおおおおおおおおおおお!!
世はまさに不完全燃焼!!!
ついでに言うと、オレが物販コーナーに立ち寄った時に、メンバーの誰も居なかったと言うおまけもついてたりもしたと言う。

(まぁ、これは、たまたまオレが言った時にまだ来てなかっただけかも知んないけど。


帰路に立ちながら、少しだけ、無念だった。

興行自体は、最高だったと思う。

セットリストも、各時代から(なぜか、サマーオブラブが多めだったけど)万遍無く、しかも、結構レア曲もやってくれて凄い満足してる。

なにより、新曲「春来たる鬼」がとてつもなく素晴らしい曲だった。

そもそも、それを目的で来た訳だし。

でも、心の奥底では、どっか「MCや犬神天国はなくても、最後の『白痴』はあるよね」とか思ってる部分があったんだと思う。

ファンになって何年か経った時、「最後のアイドル」と言うシングルにおまけで興行DVDがついて来てた。

そのDVDを見た時から、いつも妄想でも、現実でも、興行の最後は、『白痴』だった。

初めて興行に行って、その流れをホントに目の当たりにした時の感動は、今でも鮮明に覚えている。

前回の興行に行った時に、「この流れも今回で最後なんだな」と心にきめて、楽しんできた。

でも、やっぱり、それを期待してしまってたんだろう。

「犬神サーカス団」じゃなくて、「犬神サアカス團」なのに。

それは、「特撮」のライブの最後に「釈迦」を期待するようなもんなんだろうか?
多分そうなんだろうて。

まだ、オレが「犬神サアカス團」になった事についていけてないだけなんだと思う。

うぬぬぬぬうう・・・・

でも、それはそれ。

オレは間違いなく新曲「春来たる鬼」の素晴らしさも含めて、バンドとしての底知れなさを再確認した訳で、これからも、ズッと応援し続けていく。

それだけは、間違いないです。

だからいいんだ。

いつか、バンドの方向性に、オレの頭がついてくその日までの話だ。

・・・何か知らんけど、途中から未練たらたらの変なテンションになっちゃったな・・・

まぁ、良いか。

取りあえず、がっつり楽しんで、無事帰ってまいりましたよ。

今後の活動と、今度こそ・・・今度こそ・・・四国での興行を期待して、今日のところは終わりにしておこう。

・・・すげぇ~長くなってしまったけど。

(広島なのでな)じゃあの。

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2013年4月29日 23:33 CAT :

ハローグッバイ

昨年12月からじわじわ行ってみたダイエット作戦。

今日測った所、ついに、結婚後一番痩せていた結婚式当時の体重を下回った。

実に、マックス時から8kgも減った計算になるらしい。

4カ月かけて8kgだから、多分、無茶な減量じゃないだろう。

リバウンドなどお断りなのだ。

ちなみに、方法は・・・何なんだろう・・・レコーディングダイエットに入るのか?スマホに、アプリ入れて、毎日大体同じ時間に測った体重を打ち込んでいくだけ。

とは言え、多少は、その事を意識しているから、腹8分目位に調節、お腹いっぱい食べた時は、夜を減らす。

みたいな、カロリーコントロールを1週間単位の長い目でやってたか。

まぁ、最大の要因は、子育てだろうな。

子ども抱いて、あやしてる内に、少しずつ筋肉がついてきて、代謝が上がってるのは間違いなく実感できている。

筋トレとかしても、長続きしないで、大した効果がなかったんだけど、やっぱり、目の前で泣いてる子どもを放置することなど出来る訳なく、結局、それが筋トレ以上に効果を発揮しているのだろう。

ちなみに、そんなオレをは正反対に子どもは丸々と成長しておりますよ。

良い意味で。

さてさて。

新曲「僕と君とあなたと私の死合わせ」の歌詞がほぼ完成した。

・・・らしい。

人それぞれに生きてきた人生が果たして「死合わせ」だったのか「幸せ」だったのか、それを聴いた人に考えてもらうと言うテーマの元に、オレの考えた他愛もない人生の短編をいくつか寄せ集めた1曲。

(「死合わせ」の方は、死にめぐり合いたい位の不幸せってイメージで考えてた。


そもそも、この曲のイメージソースが浮かんできたのは、子どもの寝顔を眺めている時だった訳で、つまりは「果たしてこの子は幸せなのか?」そんな事を考えていたと言う訳だ。

子どもは親を選べない。

と、良く言われる陳腐な表現があったりするけれども、だとしたら、偶然の重なりあいでオレと嫁の元に来てくれたこの子は、はたして幸せ何だろうか・・・

思い悩む。

そして、行きつくのは「では何が幸せで、何が死合わせ」なのか。

この世に生まれ出る事は、喜ばしい事なのだろうか?
今の日本じゃあ、死んでいく人の方が多く、生まれてくる子どもが少ない・・・らしい。

そんな事情も含めて、家族みんなが、子どもの誕生を心から喜んでくれている。

(と思う。


だが、それ自体は、当人には関係ない訳で、それ以前に、この一族の一員として生まれる事など、自分で選んできた訳じゃあない。

ついでに言えば、この子がこれから生きていく何十年と言う時間。

世界が平和であったり、平穏であったりする保障すらどこにもない。

それでも、心の底から待ち望み、ついでにこの子を守り切ろうとかそんな変な責任感まで感じて、この子を腕に抱いた。

オレと嫁の(もしかしたら)エゴで、この世に誕生した一つの命。

オレに出来る事全てを最大限にやる事だけだとは思う。

時間が経った後、この子が自分の人生を省みて、「大変な事ばっかりだったけど、それでも、生まれてきてよかった」と、少しだけでも思ってくれれば、それでもう良いじゃあないか。

頼るものものなく、それでも、オレとか嫁を信頼しきってピッタリくっ付いてくるこの生き物を抱きしめながら。

そして、そんな気持ちを、この子が大きくなるまで聴かせる事が出来ないような不謹慎な歌に仕上げて見ようと思っている訳です。

ここ最近、作っていく何かは全て、今ではない、少し遠い将来、この子が読んだり聞いたりして「こんな事を考えてたんだ。

」と、少し心に日か買ってくれればとか、そんな事ばかり考えております。

ここで、作風がぶれるかどうかだよなぁ~

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2013年4月21日 23:10 CAT :

仮に埋葬虫の飼育が認められたなら 次に我々がするべき事は太陽の捕獲ではないでしょうか?

「坂出塩祭り」に行ってきた。

う~む・・・なんか、凄い人出。

そんなおもろいものなのか?これは?
とか思いつつ、何気に出店してるお店とかが、全部クオリティー高いものばっかり出してたから、凄い満足した。

お腹いっぱい美味い物を食べられたよ。

うっしっし・・・

しかし、臨時駐車場から、会場までが遠い。

遠い。

その上、道が砂利ばっかりだから、子どもをベビーカーに乗せて向かいうのは、かなり大変だった。

今度行く時は、もう少し子どもが大きくなった時だな。

まぁ、こんな感じで香川が活性化してくれるのなら、地元を愛するものとして、大歓迎だったりするけれども。

さてさて。

昨年の誕生日から、1年で完結させるんだぜ。

と言う心持で、書き始めた「US」と言う物語。

出産近辺で少々もたついた感もあったんだけど、たぶん、このペースなら、30歳までに終わらせることができそうになってきた。

と言うか、今から10年以上前に、ワクワクしながら妄想してたいくつかの断片的なシーンを、10年かけて描いてきた付随する状況を付け足しつつも、描き進めていくこの行為。

実に、ワクワクする。

ドキドキする。

そして、少し寂しかったりする。

途中、何度も投げ出しかけ、その度、数年単位で休止してたりもした訳で、まさか、本当に当初構想していたほぼ全てを形に出来るとは思ってもみなかった。

って奴だ。

うむうむ。

何か、実際に、いろんな方に読んでもらいたいので、ネタばれ的な事は描きたくないのだけれども、「何気にここまで考えた上で、ここの部分に話は書いてたんだよ。

」とか、「なんか凄いうまくはまってるように見えるけど、たまたま繋がったから、付け足したただの後付けなんだよ。

」とか、「正直、オレもこんな事になるなんて考えても見なかったけど、勝手に動きだして、結果こうなっちゃったんだよ。

」とか、色々言いたい。

描きたい。

読ませたい。

とはいえ、10年に集大成が完結するのはあと少しだけ先になる。

当初春に・・・と予定してた分は、出産前後の遅れのために、6月くらいに延びそうだけれども(って言うか、今が春だし)、それでいても、何とか終わらせる算段は付いた気がする。

思うに、設定とかを妄想することや、始めること、続けることは簡単だけれども、終わらせることはホント難しい。

それは、他の物語を描いてた時にも感じてたことだけど、今回は、10年以上に渡っちゃったからな。

期間が長くなればなるほど、終わらせる。

と言う行為が実に大変。

ホントに、最後の方四苦八苦した。

でも、あと4話とエピローグで、おそらくまとまりきると思う。

そんな所まで描いてしまったんだよ。

いやまぢで。

このお話が描き終わったら、しばらく休憩して、いよいよ、4年ぶりのオリジナルアルバム「王道軽傷」の制作に入っちゃうぞぉ~。

楽しい事が多い人生。

最近、それを色んな人に感謝できるようになってきた。

一番は、家族だよ。

もちのろんで。

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2013年4月20日 22:34 CAT :

メキドの矢

「恐山」熱も少しずつ冷めてきたのに、「ストロベリーソングオーケストラ」って言う凄いバンドを見つけてしまったので、しばらくは「血の濫觴」熱が出続ける事でしょうね。

いやはや。

凄くいい感じ。

もう少ししたら、凄い長々と感想でも書こうかと思っていたりする。

さてさて。

数年ぶりに「美容院」なる所へ行きましたよ。

大学時代くらいには、普通に美容院と呼ばれるところへ出向いて行き、ついでにカラーだのブリーチだとと言う単語にまみれながら、金髪に近い位、色を抜いてたこともあるのですが、ホントにここ最近はいってなかった。

そもそも、そんなに髪型とかに興味はないわけで、それこそ、女に注目されたいがために(と言うと、実に語弊があるけど)髪型に気を使ってるふりをしていただけだったのかも知れない。

そんなわけで、彼女が出来て以降は、彼女の好きな髪型(ただし、自分がある程度許容できる範囲で)ならよし。

しかも、彼女が見よう見真似で髪を切ることもできると来れば、もう、「お前の好きにしてくれ」状態になるのも、ある種自然な流れだったりする。

それなら、金もかからんしな。

その彼女と結婚したもんだから、結果、今日まで、付き合い始めから考えて何年だ?8年?9年?位、1度も美容院になど行ってなかった。

でも、もう子どもも生まれて、嫁もいろいろ忙しそうにしてる。

と言うことと、今年30を迎える訳で、そろそろ身だしなみも多少気を使うべきではないのか。

と危惧した事で、美容院に行く事にしたと言う訳でございます。

だた、そう言う場所が超絶苦手。

髪を切りながら、世間話をするなど愚の骨頂。

ヘアーサロンとか粋がって、自分たちがおしゃれだと勘違いして、上から目線で話しかけてくる生ごみのようなところも結構ある。

ようなイメージを持ってる。

しかも、そんなところに限って大して技術はない場合が多かったり。

と言う事で、あまりにもダサすぎる訳じゃあなく、程よくおしゃれで、それでいて、その事を鼻にかけてないお店。

ついでに言うと、技術もある程度しっかりしてて、客との距離感をある程度保ってくれる。

そんなお店が理想だったりする。

まぁ、いきなりそんなお店に巡り合えるわけもなく、いろんなお店を転々としながら、そう言うお店でも探そうかと思ってた。

んで、今日、嫁が「ここ何か良い感じじゃない?」と見つけてきたお店に行ってきたわけです。

結論から言うと、100%ではないけれども、かなり理想に近いお店だった。

わざわざ別の所を探す必要なんてなさそうなお店だと思ったので、もう、ここで良いと思う。

今度から、ここでお願いしようと。

思う。

まぁ、そんなお話です。

しかし、今日は寒い。

久々に、暖房を入れたりなんかしているらしい。

エスニックなお話ですね。

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2013年4月18日 22:39 CAT :

あの空き部屋が世界の涯てだ

会社では、アドビのcs4シリーズを使っております。

家では、アドビのcs6シリーズを使っております。

そもそも、家でいる方が静かだし、好きな音楽を聴きつつ、誰にも邪魔されずに作業できるので、圧倒的に作業効率が高まります。

っていう、事実があったとしても、在宅は認められず、フレックスタイムの導入もなく、そして、ただただ効率化と売り上げ目標だけをぶら下げられている。

そんな素敵な会社に、オレは、今、勤めております。

さてさて。

チョッとした諸用で、高松くんだり(まぁ、高松に向かう場合、のぼりなんだけれども、住んでいる処こそ都だと信じて疑わないので)まで行って来てやった。

その道中、不意に横切る場所が・・・

そう。

数年前、オレは、この街に住んでいた。

この街を、小さな軽自動車で縦横無尽にうろつき、そして、お店を見つけては飛び込んで営業をぶちかましてた。

その時の営業のストレスかどうかは知らんけど、後に、左半身が原因不明の不随となり、しばらくの間リハビリを兼ねた入院生活を送っていたりもした。

そんな場所。

ホント半年もいなかったはずなんだけれども、なぜか、たくさんの思い出があったりする。

当時の彼女(今の嫁)と2人、図書館までぶらぶら歩いた道。

買い物に行ってたスーパー。

先輩との同行営業中にアイスをおごってもらたショッピングモール。

そして、営業中にサボって昼寝するために見つけた桟橋の下。

四つ葉のクローバーを見つけた公園。

確かに、数年前、オレはこの場所にいて、そして、何かを紡ぎだしながら、色々と足掻いてた。

丁度、マンガ「クワニータ」を描き上げ、これでデビューできなければ、オレの漫画家への夢は終わりだ。

とか、息巻いていたあの頃。

今では、全てが懐かしい。

あの当時の全てが、無駄ではなかったと、今なら思う事が出来る。

当時、とてつもない閉塞感と、急激に襲ってくるプレッシャーと、んで、何か知らんけど圧し掛かる責任に死にかけながら、それでも死に切れないまま生きていた。

例えば、結婚して独立。

例えば、嫁も子どもも出来。

例えば、仕事で丸投げされて任されたり。

と、あの頃よりも重い責任とかプレッシャーに襲われながらも、何とかかんとか、やりくり出来ているのは、ひとえに、あの頃があったからだと思う。

その後、半身不随から復帰し、それでも、何だかまともな仕事がないまま、この街を離れ、半ニート生活を送る事になるのだけれども、その間の思い出は、むしろ、あんまり思い出したくない負の記憶になっている。

お金もなく、仕事もなく、何の進展もなく、何の責任もない。

そして、その楽な環境に慣れてしまいそうな自分に、ただイライラするだけの日々。

もちろん、この期間だって、無駄じゃあなかった。

でも、その前、あの街でジタバタしていた時、それはそれで楽しかったんだと、今は思えている。

当時は、苦しかったけれども・・・

その楽しみは、今、日々に噛みしめている楽しみと実は、とても似ている。

あの日。

社会人になろうとして、ジタバタしていたあの日の感情は、そのまま連綿と今の生活につながっているんだろう。

短い時間なのに、あの頃の思い出が沢山あるのは、それだけ、あの当時が新鮮で、キラキラしていたからに他ならない。

住んでいた部屋は、2階建ての1階で、小さな庭の付いた、少しだけ広くて、ずいぶん小さいワンルームだった。

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2013年4月16日 22:04 CAT :

凛と万次と時々僕と尸良とハルシオンランチ

「進撃の巨人」が面白すぎる。

いや、このタイミングでアニメの話じゃあなく、漫画の話だけれども。

最初は、巨人と言うどうしようもない敵に対する絶望感とか、そんなのがテーマかと思いきや、途中で、エレンが巨人になっちゃって、なんだ、凡庸なつまらん話か・・・とも思った。

でもここへきて、またうなぎ上りに面白くなってきた。

特に、8巻あたりから本気でヤバい。

こいつは、凄まじい名作だよ。

このくらいのペースで展開してくれたら、ワンピースももっと面白かっただろうに・・・

さてさて。

そんなこんなで、今日は漫画のお話だ。

オレの青春時代をずっと彩ってくれていた大好きなマンガの一つが、この春、完結した。

オレが「好きなマンガは?」と聞かれた時に、「たくさんあるけど、絶対的に不動のものが3つある」と答える。

その3つとは、「寄生獣」「無限の住人」「賭博黙示録カイジ」だ。

(それ以降にも、たくさん好きなマンガはあるけれども、この3つに出会わなければ、オレはマンガをそんなに好きじゃなかったかもしれない。

と言う、究極の思いで補正込みで、この3つを絶対に挙げる。


完結したのは、そのひとつ「無限の住人」。

このブログでもチョイチョイ出てくる(かも知れない)中学時代に、唯一友達・・・だったかもしれない、ヒロセくんに、勧められて読んでみたのは確か、中学1年の時だったと思う。

当時、5巻まで発売されていて、ちょうどその月に、6巻が出たような気がする。

で、その広瀬康一くんとは、趣味がどこまでも合うと、当時は信じて疑わなかったので、「ヒロセが面白いと言うなら、読んでみるか」的な感じで、隣町にしかなかった古本屋まで自転車で向かい、5巻までを購入、そして、帰りに本屋さんで、出たばっかりの6巻を買って帰った。

読んだ当初は、何が面白いか分からなかった。

なぜなら、その頃読んでいたマンガで一番好きだったのは「レベルE」と「寄生獣」。

周りが「ハンターハンター」って面白いって言っているのを聞きながら、「これだから、ガキは。

冨樫と言えば『レベルE』が至高なのさ。

」とか斜に構えてはいた。

けれども、青年誌のマンガなんて、「寄生獣」しか読んだ事がなかった。

「寄生獣」は、確かに青年誌のマンガだけれども、表面をなぞるだけなら、凄く分かりやすい。

その上で、更に、分かってくると伏線をなぞったり、感情の揺さぶりなどを楽しむことができる名作・・・だと思っている。

けれども「無限の住人」は紛うことなき青年漫画。

絵柄も、展開も、それこそ会話のニュアンスも、上げ膳据え膳で分かりやすく描いてくれているその辺の少年漫画とは一線を画していた。

意味が分からない。

分からないからこそ、何度も何度も読み返した。

そうしている内に少しずつ会話の流れや、ニュアンスから、色んな情報を読み取れるようになってきた。

(こんなマンガの読み方も、オレは「無限の住人」から学んだらしい・・・)
そして、覚醒する。

そうなってくると、面白くて面白くてしょうがない。

随所に張り巡らされた、そんな言葉遊びからキャラクターの心情を妄想し、時に見せるギャグにクスッとし、そして、重い話に深い悲しみを覚えた。

ちなみに、中学1年生。

オナニー覚えたてのオレがおかずにしていたのは、「バスタード」か、この「無限の住人」6巻の尸良が女郎をなぶるシーンだった。

オレがドSになったのは、9割以上、尸良とダークシュナイダーのせいだと思う。

特に、尸良なんか、「オレもいつか女の足をぶった切って、股の肉に指を突っ込みながらやってみたいなぁ~」とかニヤニヤしながら、それこそ、覚えたてのサルのようにオナニーにふけっていたし。

あれから、15年の月日が流れた。

15年間、ずっと新刊を待ちわび、発売(と言うか、本屋に並んだ)日に買いに行った。

15年間、ずっと今一番新刊を待ちわびているマンガとして「無限の住人」を挙げ続け、実際に、待ちわび続けた。

そんな漫画が、完結。

最終話を読み終えた時、ひとつには、おそらくこれ以外になかっただろう物語の終焉に感動し、もう一つには、あの待ちわびる感覚を感じる事はもうないのかと寂しさを感じた。

物語自体は、広げた風呂敷を全てきれいに畳みあげ、ひとつの伏線も残らず丁寧に回収した上で、これでもかと満足のいく展開で終わって行ったと思う。

15年も読み続けて、最後まで中だるみせず、しかも、テンションを保ち続けて、文句ない最後を迎える。

そんな名作と15年と言う時間を共有できたことへの不思議な感謝の念が沸々と湧き出てきた感じだったのかも知れない。

ただ、今はもう、不思議な満足感と、一抹の寂しさしかない。

あの日。

中学自分に、手に取ったこの漫画。

あれから、10年以上の歳月を共にする事になるとは思いもしなかった。

例えば、今、もし、「無限の住人」に匹敵する位影響を受けた、作品に出逢ったとする。

そして、その作品にワクワクしつつ、15年の歳月を共にしたとして、オレは、もう45歳だ。

果たして、その15年間。

これまでと同じ心持で15年を迎える事が出来るのだろうか?
そう考えると、多分、こんな感覚になるマンガとは、一生出会えないような気がする。

今年の春、オレは一生に一度のお別れを経験したのでしょう。

ただ、大きなお別れは、往々にして一生に一度ではあるのですけれども・・・

・・・さようなら。

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2013年4月15日 19:46 CAT :

ストロベリーソングオーケストラさんがいらっしゃいましたよ

B’zの2人が在日だとか、楽曲が日本バッシングだとか、一部で騒がれているらしい・・・(どんだけ一部かわからんけれども・・・)
何か、ここ最近の在日と分かるや否やのバッシングには少々辟易してたりもする。

だって、B’zってバンドに洋楽のパクリがいっぱいあったのは、昔からみんな知ってただろうし、有名な話。

そもそも、アメリカとかでB’zが認められてた時には、「日本のバンドが認められた」的に喜んでたりもしたはず・・・(うろ覚えだけれども。


そもそも、在日だからってのは、バッシングの対象にはならないと思う。

問題なのは、日本に住まわせてもらって、日本人の憐れみを全身全霊に受けながら、その恩を仇で返してるゴミ野郎であって、別に、在日でも、日本で頑張ってるんなら、別にどうでもいいんではないだろうか・・・

まぁ、頑張るって言っても、違う方向に頑張っちゃってる奴らは別ですけどね。

さてさて。

何なk、ずいぶん長いこと待たされはしたけれども、ついについに「ストロベリーソングオーケストラ」のアルバム「血の濫觴」を手に入れた。

・・・んで、さっそく聴いてみたりした。

うぬぬうぬうう・・・すごい。

こいつは、まぢで凄まじいぞ。

何と表現したらいいんだろう・・・よく分からん凄味がある。

初期の筋肉少女帯であったり、犬神サーカス団であったり、人間椅子であったりと言う、そんな音楽の線上にあるのは間違いない。

そもそもが、寺山修司であったり、江戸川乱歩であったりと言う、日本のアングラを牽引してきた(同線上にこの2人を並べていいものか知らんけど)偉人への限りないリスペクトが随所に盛り込まれている
間違いないけど・・・なんだ?この音楽は?
ジャズだったり、日本民謡だったり、ロックだったり、ポップスだったり、そもそも、バラードだったり、プログレだったり・・・ととにかくごちゃ混ぜになった音楽が、それでいて、一つの世界観を確実に紡ぎだしている。

時に、鳥肌がたつほど美しいかと思いきや、背筋が冷たくなるような絶望が襲ってきたり、首がもげるかと思うほどの立てノリになったりと、変幻自在すぎる。

そして、何よりも音の圧が異常。

大好きな筋肉少女帯の上に、さらにバイオリンやら、三味線やらが暴れまわり、それでいて、ボーカルまで男女のツインボーカル。

(ところどころに至っては、女2人に男のトリプルボーカル)メロディアスかと思いきや、キチガイめいたポエトリーリーディング(と言うか、もはや、完全に演劇)が淡々と流れたりすると言う。

またしても、凄い音楽に出会ってしまった・・・

もっと聞き込んでそのうち、たぶんいつものノリで一曲ずつの感想とか書くと思うけど、とりあえず今日のところは、この感激を描かずにはいられなかったと言うことで・・・

こんなんだから、オレはいつまで経っても洋楽に手が出せないんだよ。

だって、この「ストロベリーソングオーケストラ」なんて、絶対日本以外で生まれることないって。

まぁ、それは、犬神サアカス團も同じだろうけれども。

もう少し、この人たちの音源を集めたい・・・けれども、手に入るものがほとんどないのがちょっぴり切ない所か。

ライブにもぜひ行きたいけど、四国とか来ないだろうなぁ~
そんなこんなで、記念に一枚(↓)
ストロベリーソングオーケストラ 地の濫觴

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2013年4月9日 22:25 CAT :

私は遂に飢えた鬼になり果て まだ生気の残る人肉に貪りついた

桜の花が散り始めた。

んで、少しずつ若草色の新芽が出てきてる今日この頃。

実は、桜満開の時より、この淡いピンク色と若草色のコントラストの方が奇麗なんじゃないのか・・・・?みたいな事を出勤途中の桜を見ながらぼんやり思ってたりしております。

さてさて。

前に、どっかで書いたかも知れないけど、食べるのが苦手な奴は、今すぐ死ねばいいと思ってる。

生きていくために、他の命を奪い、殺さなければいけない。

それが、この地球に存在する上での絶対的な命のルール。

そうして、殺しておいて、それを自らの血肉にする事は苦手だなんて・・・だったら、今すぐ死ぬべきだ。

と、考えるのは、少々過激なんでしょうかね?
食べる事が大好き。

・・・らしい。

基本的に、あんまりブチギレたりしないんだけれども、外食先で、まずい飯を食わされた時には、相当不機嫌になる。

店側にもスゲー文句言う。

承太郎ばりに言う。

前にも、どっかの店で、肉まん頼んだら、中がチョッと冷たい、クソ不味いの出してきやがったから、アンケート用紙に「どれだけ、こだわりとかうんちく垂れていても、中が冷たい肉まんを平気で出すような店には、二度と来ません。

さようなら。

」と書いて、レジのおねいさんに渡して帰ってきた。

・・・ような記憶がある。

要は、値段と味のバランスなんだよ。

前述の肉まん。

あれ、確か1個か2個で、5~600円したはず。

あれが、1個50円だったら、別に文句も言わなかったと思う。

メニューに「国産の黒豚を使用したこだわりの逸品」とか書いて無ければ、罵倒しなかったと思う。

食べるのが苦手。

と言うものを同じくらい、食べる事を軽視してる奴。

あと、食べ物を粗末にする奴も異常に嫌い。

多分、だけど、前述のお店は、飲食店のくせに、食べる事にあんまり興味のない奴が作ってるんだと思う。

食べる事に興味があって、食べる事が好きなら、絶対に、変なものをしかも、客に出したりはしない。

食べる事がどうでもいいから、作るものもどうでもいいんだろうて。

思うに、飲食店をするなら、最低でも、飲食が好きであってほしい。

せめて、自分が作った飯を毎日食べるくらいであってほしい。

飲食店やってんのに、自分は、外に食べに行くとか、適当に済ませてる奴の店は、100%うまくない。

しかもそんな奴に限って、お店をおしゃれにして、雰囲気でごまかそうとしているんだ。

そして、頭の悪い、舌が腐りきってる奴が、そんな店に行ってうまくもない飯を「おしゃれ」と言うスパイスで満足して、無駄に高い金を払ってる。

(まぁ、そんなうんこちゃんは、無駄に金を払えばいいんだけど)
そんな店が無くなれば一番いいんだけど、それが無理なら、今後「アホ専用おしゃれカフェ」みたいな看板をぜひとりつけてもらいたい。

そうすれば、絶対にオレはその店には入らないから。

逆に、「お洒落じゃないけど、食べるのが好きな人専用の店」みたいな看板を取り付けてたら、その店に入り浸ると思う。

うまいものにある程度お金を払うのは当然だと思う。

大してうまくないけど、安くていっぱい食べられるってのもいいと思う。

でも、雰囲気おしゃれなだけで、クソ不味いけど高い店は、絶対に許せない。

そのうち、この店は今すぐ潰れればいいのに・・・な店を実名挙げて、リストアップしてやろうかと思う今日この頃。

と言うか、それに若干近い事を少しずつやってたりもするんだけどね。

一生懸命食べましょう。

で、一生懸命生きましょう。

多分、それが大切なんだと思う。

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2013年4月8日 22:51 CAT :

鬱病の看護婦 のぶ江

ブラジャーは、おっぱいの血管の流れを止めるために、乳がんの発症率を劇的に上げているのだとか・・・

しかも、本来の役目である「形を保つ」ことについては、基本的にGカップくらいの大きさがないとほとんど意味をなさないらしい。

貧乳の場合には、ノーブラでいた方が健康にいいんだと。

ただし、人前では、興奮して乳首が立ってしまったりしたら、「こいつ発情してんじゃね?」とか思われて、レイプされてしまうので、つけた方が良いかもしれない。

なんしか、ブラをつける習慣のない場所には、乳がんはないと言う話は、結構面白いと思う。

明治以前に、日本に癌と言うものがなかった事と同じようなもんか・・・?
おっぱい。

見たい。

揉みたい。

吸いつきたい。

の三大欲求を我慢して生きておりますが、それって結構、妄想の方が興奮したりする。

だって、見て、揉んで、吸いついてをひとしきりやった後には、もう、下の穴のことしか考えてないんだから・・・

妄想上位互換とでも言うか・・・

最近勉強したこと。

おっぱいを揉んだり、吸いついたりは、オレ達おっさんのする事じゃない。

赤ちゃんがすることだ。

おっさんは、黙ってまんこに挿入らしい。

未婚の30代おっさんの3割は、大魔法使い候補なんだそうですね。

凄い時代になってきたもんだ。

思い起こせば、オレも高校くらいの時には「オレは一生、生マンを見ることなく朽ちて逝くんだ・・・」とか、よく分からん悲哀に満ち満ちていた。

やっぱり大切なのは、生マンなんだと思う。

どんだけ、それこそ無修正のAVを見ようとも、実際にまんこがどうなってるかは、想像の域を出ないんだよ。

知らんけど。

漫画を描く時に、漫画を参考にしてたり、写真を参考にしてても、あんまり上達しないのと多分同じなんだろうね。

大切な事は、現実の本物をしっかり見ることだと、思っています。

何か、凄い取り留めのない、まとまりのない、よく分かんない文章の塊が出来上がりました。

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2013年4月7日 23:02 CAT :

お~ちよ お~ちよ 地獄の底へ おちてこい

赤ちゃんは、死ぬ時の感覚をなぜか知っていて、それが眠る時の感覚と酷似しているらしい。

だから、赤ちゃんは眠たくなると泣き始めるんだとか。

「せっかく生まれてきたのに、死ぬたくない。

死にたくないよぉ~」と泣くんだとか。

この話を聞いた時、どんなに疲れていても、夜眠たくなって泣いている子どもに対して、優しく接してやれるようになったような気がする・・・

いつもより、強く抱きしめてやるんだ。

さてさて。

先日、弟から電話があった。

「なんかブックマーケットに、日野日出志の本がいっぱいある」と。

おそらく、春の引っ越しかなんかの時に処分した人がいたんだろう。

いつだって、この季節の古本屋は熱いもんだ。

しかし、日野日出志とは・・・しかも、ひばり書房版の「地獄の子守唄」まであるとか。

早速、買いに行ってきたよ。

ちなみに、4冊買って5,000円ほど・・・別に、お金に余裕があるわけじゃあないけど、この選択に悔いはなし。

オレが日野日出志の作品で大好きなのは「蔵六の奇病」と「白い世界」。

どちらも、読後には、凄まじい日本特有の美しく物悲しい絶望感を味あわせてくれる圧倒的名作だと思う。

特に「白い世界」は、その美しすぎる情景が余りにもまぶしくて、「白い世界」と言う曲まで作ってしまった。

そんな「白い世界」が収録されている「地獄の子守唄」もちろん表題の「地獄の子守唄」も大好きな作品。

初めて読んだ時には、それから3日間位は生きた心地がしなかった。

(その意味は、読んだ事ある人なら分かると思うけど)
しかも、結構幻と言われている、ひばり書房版の初版本。

一冊2,000円(たぶん、ヤフオクとか使えばもっと安く手に入るけど)。

まぁ、打倒だわな。

買いました。

日野日出志作品の集大成は、間違いなく「地獄変」だと思う。

それは、そうだろう。

でも、オレは何だか、「地獄変」と言う集大成に向かうまでの、一つ一つの破片(と言うには、あまりにも素晴らしい)の方が魅力的に映ってしまう。

それが、例えば、日野作品の世界観を決定づけた「蔵六の奇病」や「白い世界」であり、「地獄変」の元になった「地獄の子守唄」だったりする。

そして、その世界観から逸脱しようとして逸脱できなかった「地獄小僧」辺りもまた、素晴らしい。

今回初めて読んだ「地獄まんだら」もある種、「地獄小僧」に近い趣だと思う。

どちらにせよ、世間的に「駄作」と位置付けられている(らしい)秋田書店の書き下ろし作品も含めて、すべて、持って置いて損のない本だと信じている。

ただ、「どうすればこんな、おぞましい作品が書けるんだよ。

」と震えずにはいられないものは、さすがに「地獄変」そして、その後の「赤い蛇」位までだけれども・・・(それは、「地獄変」の続編とまで言われた「悪魔の招待状」を読んだときに凄く思った。

この作品のオチはオチでさすがとしか言いようがないけれども・・・)
恐怖マンガと言えば、やっぱり「梅図かずお大先生」が筆頭株に上がってくるんだろうけど、梅図マンガにおける恐怖は、人間の持つ妄想を具現化したものだと思う。

「こうなったらどうしよう」と、心の奥底に潜めている妄想を、とことんまでリアルに描写することで、絶望的な恐怖を読者に埋めつけるマンガ。

(そう言う意味では、つげ義春、蛭子能収もこっちのジャンルに入ると思う。

この二人は、恐怖と言うより悪夢と言う感じだけど)
だとしたら、日野日出志作品は、人間に新しい絶望の妄想を埋め込むマンガだと思う。

明らかに荒唐無稽。

誰も思いつかない絶望を見せつける事で、恐怖を心に埋め込んでいく。

そして、畳の目一つまでに込められた、悪意。

どうして、この人は(特に、「地獄変」あたりまで)ここまでの悪意を込めて、病んだ絵とストーリーを作り続けれらたんだろうか・・・

すばらしい作品に出会えた事に今日も感謝しつつ、もうそろそろ眠りに就くことにいたします。

ハイ。

ただ、この本。

子どもには当分読ませない方が良いよな・・・

オレの好きな本ってそんなのが結構多かったりする。

最近、そんな悩みも出てきた志茂田さんがお送りしましたよ。

どうでもいいけど、金田一少年の事件簿の名作「首つり学園殺人事件」の「地獄の子守唄」も、この漫画から来たんだろうか・・・?犬神サーカス団のは間違いなく、この漫画からだろけど(ジャケット本人が書いてるし)・・・

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2013年4月6日 23:56 CAT :

今から10年前 僕達はサーカス団でロープを渡っていた

悩みに悩んではいたけれども、そんなこんなで、5月の犬神サアカス團のライブに参戦してまいります。

昨年の5月に行った「さいならサーカス団ツアー」以来1年ぶりか・・・

すでに、楽しみで仕方がない感じでございます。

なんしか、子どもが生まれる・・・と言うことで、しばらくは、ライブとか諦めてたんだけれども、今回、「会場限定シングル発売」、しかも、収録曲は中だるみなし(と、本人談)の20分にも及ぶ超大作。

・・・行くしかないじゃあないか!!
と言うことで、嫁に相談。

したら・・・「子どもが生まれたからって、やりたい事とか、楽しい事を我慢しなくてもええよ。

楽しんできなぁ~」だそうです。

良い嫁を持ったもんだ。

5月には、また、うだうだとレポートでも書こう。

さてさて。

もう一つ。

何と、5月に筋肉少女帯のアルバムが発売になるらしい・・・オーケンのブログとかで、新曲の話題がちらほら出てたから、まさかとは思ってたけど、どうやら出るらしい。

「蔦Q」以来3年ぶりか?
今回は、セルフカバーアルバム+新曲2曲と言う、まぁ企画盤だわな。

再結成時にも、2枚組と1枚でベストアルバム出してるし、それ以前にも3枚ほどベストアルバムを出してるこのおじさんたちな訳で、正直、信者専用のアルバムという気がしないでもない。

お布施を払うと言うか・・・カバーすると言っても、10曲だけだし、新曲も2曲だけだし。

ベストにしては、ボリュームにかける・・・

と、誰もが思うだろう。

けど、このアルバムスゲーって。

何より、80年代のキンショーを盛り上げたエディーと、90年代キンショーを盛り上げたおいちゃん、ふーみんが一緒にやるんだぞ。

この奇跡の布陣で、キンショーの名曲たちが蘇るんだぞ。

ファンとして、こんなうれしい事があっていいんだろうか・・・

しかも、新曲には何と、太田明がドラムで参加してると来たら、これ、買わない理由がいったいどこにあると言うんだよ。

確かにボリュームがちょっと足りない・・・とは思うけど、それでも、もう50にもなろうかと言う変なおじちゃん達にとって、キンショーの曲はきっとすごく大変なんだろう。

むしろ、よくあんな激しい曲を10曲もこの豪華な布陣でリアレンジしてくれたなと、感動すら覚えるわ。

そもそも、収録曲だよ。

こいつが、何とも通好み。

最大のヒット曲である、「高木ブー伝説」スルーして、「キノコパワー」とか「パノラマ島へ帰る」とか「機械」とか、マイナーだけど人気の曲をしっかり押さえてるところがさすが。

だいたい、オリジナルアルバムでさえ、捨て曲が一切なくて、毎回ベストアルバム的な感じなんだから、その中から選曲してベストアルバムを作るってこと自体が難しいって・・・

そんなこんなで、どうしても「あの曲が入ってない。

」的な話になってくる事はしょうがない。

けれども、きっとこれでいいのだ。

あとは、ひたすら販売を待つのみ・・・

せっかくなので、無理は承知で「アルバム1枚につき1曲選べるルール」で、ベストに収録するなら?を妄想して、オナニーでもしておこう、(↓)
○仏陀L
釈迦(すべてクソ名曲だけれども、こいつだけは絶対はずせるわけもなし。


○シスターストロベリー
いくじなし(同じく、すべて名曲だけれども、こいつだけは絶対はずせるわけもなし。


○猫のテブクロ
これでいいのだ(「月とテブクロ」とものすごい悩むんだけれども、こいつの間奏をエディのピアノで聴いてみたいと言う理由で・・・)
○サーカス団パノラマ島へ帰る
23の瞳(この曲を激ピアノ、激ギターになしたリアレンジが可能なのか、ワクワクする)
○月光蟲
イワンのばか(なんか、再結成前のオーケンふーみんだけのライブの時の編曲があまりにもカッコ良すぎたから、是非あれを再現してほしい・・・)
○断罪!断罪!また断罪
踊るダメ人間(「パブロフの犬」も聴いてみたけど、いたしかゆしな感じで、ダメ人間か・・・)
○エリーゼのために
生きてあげようかな(この曲が個人的に好きすぎるので・・・聴くたびに泣いてしまう・・・)
○UFOと恋人
パレードの日、影男を秘かに消せ!(「くるくる少女」「高円寺心中」「タイアップ」「オレの罪」「君よ!オレで変われ」とか、悩みしすぎるけど、あえて、この曲を聴いてみたい・・・)
○レティクル座妄想
ワダチ(このアルバムも、かなり悩ましいけれども、あえて「ワダチ」を聴いてみたい。


○ステーシーの美術
リテイク(「再殺部隊」「鉄道少年の憩」「モコモコボンボン」「おもちゃやめぐり」なども聴いてみたいけど、リテイクをエディのピアノで蘇らせてほしい・・・・)
○キラキラと輝くもの
機械(一番好きなアルバムで、このアルバムの収録曲全て捨てがたいけれども、やっぱり一番の思い入れが強いのは「機械」か・・・

○最後の聖戦
ペテン(このアルバムに関しては、「ペテン」一択だと思う。

この曲があまりにも突出しているのでね。


○ナゴム全曲集
猿の左手 象牙の塔(この曲にメタル要素が入るとどうなるのか、ゾクゾクする。

「外道節」も捨てがたいけれども・・・

○筋少の大車輪
サボテンとバントライン(ベストアルバムもカウントしたとしてでも、外せない。

大好きな曲。


○筋少の大水銀
ゴーゴー蟲娘(「死んでゆく牛はモー」と悩むけど、この曲大好きだからなぁ~)
○ベスト&カルト
蜘蛛の糸第二章(「蜘蛛の糸」は第二章の方が好きなんですよ)
○SAN FRANCISCO
サンフランシスコ10イヤーズアフター(まぁ、この曲もためのアルバムと言っても過言ではない伝説の名曲ですからね。


・・・と、凍結前までだけで考えててたけど、これ無理だ。

と言うか、たぶん、全オリジナルアルバムを、1枚ずつセルフカバーしていっても、全部買うわ。

(リマスタリングでも初期のアルバムは全部買ったんだし。


そんな感じで、たまには、筋肉少女帯についてお話してみましたよ。

さよなら。

さよなら。

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2013年4月1日 23:18 CAT :

8デノナルーフルリプイエ

オレはジャックの幸せな心です。

今日、中性的存在となりました。

それは決して、オレ自身が性的欲求を捨ててしまったからではありません。

オレは、珠江を心の底からそれはもう、本当に愛していました。

ふと思ってしまったのです。

例え一時つながっている事が出来たとしても、結局は、離れてしまうと言う事に。

それはとても悲しい事なのです。

オレは、珠江の膣の中で膨張する寸前の自分のペニスを切り取り、珠江の膣の中に置き去りにしました。

そうしておいて、珠江の膣を固く固く釣り糸で縫いつけました。

これでオレと珠江は、どれだけ離れていたとしても、いつもつながったままなのです。

その喜びに比べれば、性交渉で得られる快感など、いったい何の意味合いがあると言うのでしょうか。

今オレは、何よりも幸せです。

ドクドクと溢れ出す鮮血が留まる事はなく、少しだけ睡魔が襲ってきました。

今しばらくだけ眠ろうと思います。

自分の溢れ出る鮮血を枕に、珠江の叫び声を子守唄に。

少しだけ眠ります。

目覚めた瞬間から始まる幸せの世界を夢見ながら・・・

おやすみなさい。

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2013年3月28日 22:39 CAT :

あたしの奥の方までずっと好きにしていいの

家の近く・・・とまでは言わないけど、ちょくちょく行ってた韓国料理屋が潰れてた。

考えてみれば、オレは昨年の夏以降、「韓国料理なんて胸くそ悪くて食えるか!」って理由で一度も行かなくなっちゃったけど、他の人も皆そうだったんだろうか・・・?確かに、ここ最近は、駐車場に車が止まってんの見た事かったいような。

いや、お店のおばちゃんとかは皆いい人だよ。

韓国人だけど。

アキヒロ君のやった人気取りで一番割を食ったのは、こう言う真面目に日本で働いてた韓国人なんだろうな。

寄生虫以下の在日チョンは今すぐ日本を出て行くか、死ねばいいけど、あのお店のおばちゃんとかは、チョッとかわいそうに思う・・・

そう言う事に対して、韓国ではどう思っているのやら・・・

今はそれどころじゃねぇ~か。

ほぼ、戦争状態だもんな。

さてさて。

子育てを初めて2か月を超えました。

志茂田さんです。

当初と比べて、子どもも少し成長してきたのか、夜もある程度寝るようになったし、泣いてても少しずつだけど意思の疎通ができるようになってきた。

それに併せて、子どもも「これがお父ちゃんだ」的な事を少しずつ分かってきたんだと思う。

仕事から帰ってきて「ただいまぁ~」って顔を覗き込むと「お父ちゃんだ~」みたいな感じでニッコリする。

その顔を見るのが、最近では、何よりも楽しみになっているという・・・なんとも親バカな感じで済みませぬ。

まだまだ始まったばっかりだけど、すでに、この数ヶ月間で随分と色んな事を学んできた。

・・・と思う。

考え方もいろいろと変わってきた。

何より、子どもネタに尋常じゃなく弱くなった。

先日も、ディズニーランドでのお子様ランチの話でウルウルしてたし、北海道の父親が子どもを抱きかかえて凍死していた事件でもビックリするほど心が痛んだ。

今も、横でスピースピー寝息を立てて寝ている子どもの寝顔を見ながら、この子は今、オレか、嫁に頼る事しか出来ないんだよなぁ~と思うと、不思議と変な使命感にすら駆られてきてしまう。

多分、オレは虐待とかしないと思う。

と言うか、抱っこした時に必死でしがみついてくる、この小さな生き物をどうすればぞんざいに扱い、さらに暴行など出来るのか・・・

先日、中絶の詳しい仕方・・・みたいな奴を見てしまった。

詳しくは書かないけど、なんて残酷な・・・まだ10センチほどの赤ちゃんでも、ハサミで切られる時に「生きたいよぉ~」と言わんばかりに逃げるそうで。

何の罪もない赤ちゃんが、生まれ出るまでは唯一頼るしかない母親の無慈悲な裏切り。

いや、お前がただの中だし大好きな腐れビッチだったと言うだけで、赤ちゃんには何の罪もないのに、それでも、殺すと言うのなら、自分も同じように腕も足も捥がれて殺されてしまえばいいのに。

その位の気持ちでいろよ。

もう命が出来てるんだ。

今、日本の死因で一番多いのが中絶らしい。

オレも、今にならなければ、この話についてここまで悲しい気持にはならなかったかも知れない。

でも、生まれた瞬間の子どもを抱いた時に、か弱く、儚い存在ながらも、力強い生きようとする意思みたいなものは感じたような気がする。

ただ一つ問題がある。

もし、だからと言って中絶をしなかったとして、産んだけれども、結局は育てる事が出来なかった。

そして、虐待をして、飢え死にさせてしまったとしたら・・・果たして、どちらの方が不幸なんだろうか・・・と。

一番いいのは、そもそも望まない妊娠を避ける事なんだろうね。

先日テレビで鈴木奈々が「私は絶対コンドーム派。

コンドーム大好き」って宣言してて、すげーなコイツと思ったけど、それはそれで、大切な事なんでしょうね。

まぁ、そんな話をもっと学校とかでやるようになれば良いのかも知んない。

ふと思い出した。

中学校の時、当時の生活指導の怖いオッチャン先生が、保健体育を教えてたんだけど、その時に「まぁ、君たちはまだガキだから、色々妄想もするだろうけど、大人になると『昨日セックスしたぜ~」とか軽々しく人には言わない。

大切なことだと思うようになるからだ。

それが分からんうちは、どれだけ粋がってもガキでしかない。

」みたいな事を淡々と話してたわ。

今になって、その言葉の意味がちょっと分かるかも。

やりマンでも、やりチンでも全然良いけど、中絶についてだけは、圧倒的に非難される。

そんな社会になれば良いのに。

と、思いましたよ。

って話だ。

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2013年3月22日 15:34 CAT :

しゃくしゃく余裕で暮らしたい

昔っから、何か書くたびに色んなところからあ~だこ~だと怒られまくってた。

古くは、小学校の年賀状の内容からはじまって、マンガの内容や、台本の内容、このブログで書いた事が結構メンドくさい事になった事もあった。

(詳細は書かんけどな。

またメンドくさい事になるのも嫌だし。


そんなオレが、人に注意するようになってしまったんだって。

基本的にオレは他人の言動など知った事ではないと思ってる。

そいつがどんな言動をする事で、どれだけ不利益を被ろうとも知った事ではない。

スタンス。

・・・だったのになぁ~
そうして気がつけば、オレの作る作品などからは、異常な説教臭が出始めるんだろうな。

それも一種の成長なのか・・・

志茂田さんパパになるための変化だったとしたら、それはそれで複雑。

まぁ何しか、色んなところから怒られつつ、やって良い事と悪い事の線引きをしていけばいいんだろう。

オレもそうしてきた事だしな。

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2013年3月10日 20:56 CAT :

ウロコの生えた政治家に従わなければ殺される

知り合いの人に「UDON」をみて感動したから、うどんを食べに行きたい。

とか、そんな感じのお話をされた。

んで、それに対して「UDON」に出てるうどん屋なんてことごとくガッカリするだけですよ。

雰囲気を味わいたかったら言っても良いですけど・・・的な返しをしてしまった事を少し後悔してたりする。

確かに、嘘は言って無いんだけど、もう少しオブラートに包むとかあったような気がする・・・せっかく、テンションが上がってたのに、水を差すようなことを言ってしまってゴメンなさい。

ただ、オレは「讃岐うどんブーム」のせいで、死んでいった本当に美味しいうどん屋を沢山知っているわけで、その意味で、麺通団に対しても、あの映画に対しても、結構憤りを感じたりしている。

当たり前の日常を破壊されて、もう戻ってこないというこの現状・・・

うどん屋さんとしては、お金が儲かったから良いんだろうか・・・?
ただ、それで香川県は多少なりとも、経済的に潤っているのなら、単純に否定ばかりも出来ないかもしれない。

難しい問題だよな・・・

さてさて。

何か日本のインディーズバンドさんが、反韓ソングを製作し、それを韓国の息のように嘘を吐くキチガイが暮らしている「ナヌムの家」に向けて送りつけたとかなんとか・・・

タイトルは「チョン斬れ」。

聞いてみたけど、なぁ別に普通だわな。

歌詞が過激なといえば過激なけれども、センスが無い。

と言うか、ストレート過ぎる。

何と言うか、ただの悪口。

しかも、それを送り付けちゃったとか・・・

この何の面白みも無い行為は、アーティストとしていかがなもんだろうとか思ってしまった。

って言うか、もっと言えば、自作自演じゃねぇ~の?ってすら思う。

有名な話だけれども、国家を垂れ流しながら街宣車で街中を走ってる「エセ右翼」は全部在日。

こいつらは、一見して天皇崇拝をしているように見せかけながら、その実は、「右翼って怖い人たちなんだ」とか「人前で愛国心をさらす事は恥かしい事なんだ」とに日本人に植えつけてたりするどうしょうも無い奴ら。

この前なんか、日本の韓国領事館で問題起こして、韓国で反日が盛り上がったのに、捕まえてみれば、韓国人だったみたいな事件だってあった。

日本人としては、神経を疑うような事を平気でできる。

プライドもクソも無い。

チョンとは、そう言う生ごみのような民族だ。

だから、今回の件に関しても、日本人ならこんな事しねぇ~だろ・・・と言うのが、正直な感想だったりする。

いつもの自作自演だよ。

そもそも、前述だけど、センスが無いもん。

彼らがもし、ある程度考える脳みそがある本当の日本人で、日本の現状を憂いて、且つ、チョンに対してブチ切れているのなら、今回みたいな事はしないと思う。

そうでないなら、同じ日本人として、チョッと悲しくなるって・・・

彼らには、ぜひ「犬神サアカス團」の「恐山」を聴いてもらって、例え憂うべき状況であっても、それを作品として作り上げる事こそ、アーティストとしてのあるべき姿だと、知ってもらいたいと心のそこより願う次第です。

メッセージを発信し続ける事は大切だけど、ただ、暴言を吐けば良いって訳じゃない。

それは、あいつらがやってる事と同じだ。

餓死寸前の小汚いチョンが噛み付いてきたからといって、同じように噛み付くのは間違ってる。

そんな生ごみには淡々と死んでもらうのが人間としての対応だって。

と、少しだけ書いておこう。

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2013年3月9日 22:29 CAT :

それが3時の子守唄

池田大作先生が死んだって・・・

何回目だよ。

つい先日、中国に売国旅行に行ってたんじゃないのかよ・・・

そして、何代目の大作先生だよ・・・・

などなど、突っ込みどころ満載の日々ですが、何とか生きておりますよ。

お久しぶりです。

少しずつ、日々の生活にも余裕が出来てきたような気がしないでも無いのですが・・・それはそれ。

相変わらず時間には追われておりますな。

問題も結構山積してるし・・・

とりあえず、マンガ描きとブログの更新と位をコツコツやっていこうかな~
音楽までは手が回らないので、ホントにしばらくお休みだ。

良い曲も沢山できてきたし、しばらく熟成させてみよう。

そんな感じぃ~

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2013年2月22日 23:02 CAT :

机に野ばら飾って過ごす

時間に追われっぱなし。

自分の時間もほぼ持てないもんだから、ブログはおろか、ペンもギターもほぼ握っておりません。

ただ、まぁ、一応「生きてるよ」って意味も込めて、少々。

子どもを眺めながら、日々を生きております。

で、何か色々と子育てブログとかをサーフィンしたりしたりしてみたりしている。

ふと思うのは、何かみんな顔出しとかに抵抗がないのか・・・?って事だったりする。

顔出しについては、大体3パターンくらいあるらしい。

1.親子共々顔出し、下手したら本名や住所などまで明かしている。

2.親は顔出し、子どもについては存在は明かしても顔出しはしない。

(ちなみに、オレはこれ)
3.親の顔は出さないけど、子どもの日々の状態をあけすけにさらけ出す。

1はもうしょうがないと思う。

ただの親ばかだ。

子どもが可愛くて仕方がないんだろう。

そして自慢したくて仕方がないんだろう。

オレも同じ気持ちだから、すごく良くわかる。

2はある意味良識派。

(自分で言うのもなんだけど)自分のリスクについて、ある程度理解した上で、そのリスクを子どもにまで及ばないように最低限の配慮をしている。

ほんとは、毎日の可愛い寝顔や仕草をつぶさに公開したいのに我慢している。

(オレの場合)
問題は3だ。

要するに、自分は顔出しするリスクをごめん被りたいけど、子どもについては、知ったことではない。

または、子どもに人権などなく、自分の所有物(ペットと同じ。

下手したら、アクセサリー感覚)にしか子どもを見ていない生ゴミ野郎だと思う。

と言うか、それ以外に何か理由でもあるというのだろうか・・・?
なので、自分の顔だけ加工して隠したりしておいて、子どもの顔はそのままネットに晒していると言う、低脳を通り越した生ゴミやろうにだけはなるまい。

と、心に誓ったりしております。

とそんな感じで、また、お別れの日々。

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2013年1月30日 23:02 CAT :

【転落の詩集m7】と言うコード

昨日ちょこっと触れた「鳥肌実が在日の急先鋒だ」とかいう話。

あれ、実は、色々噂されているらしい。

つまり、一つには「国のために立ち上がるということは恥ずかしい事だ」と言う愛国心を日本人から奪うためにあんなことをしていると言う説があり、もう一方で、「国のために立ち上がるということは恥ずかしい事だ」と日本人に思わせるために、アホみたいに街宣車でウロチョロしてるエセ右翼なチョンを馬鹿にしていると言う話。

どっちがどっちやら。

という感じだけれども、取りあえず、一方的になんでも、在日チョンだ。

みたいな決め付けは、あんまり良くない事ですよ。

と、そんな事をお伝えしておきます。

まぁ、あの人は基本的に「訴えたい事がない」らしいので、あんまり考えずに、ケラケラ笑うのが正解だと思う。

ちなみに、このブログも特に「訴えたいこと」などないですよぉ~何か、チョイチョイこのブログ読んだ人から「右寄りな思想」だとか、「危ない思想が」とか言われたりするけど、特にそんな思想的なものがあるわけでもなく、ましてや、何かを啓蒙しようなんて露程も思ってない。

あくまでも、個人的なメモ書きがメイン。

自分がいいと思ったことを絶賛して、ダメだと思ったことを貶してるだけでございますよ。

うんうん。

そう言う自分の書きたいこととかは、作品とかに埋め込むって。

ブログで垂れ流しとか勿体無いことですじゃ。

さてさて。

犬神明兄さんのブログで、面白い話を見つけた。

元ソース(↓)
犬神明ブログ「のんつって兄さん」へ
「コード(和音)は、性格音の半音の差で、メジャーとマイナーになり、凄まじく印象が変わる」と言う、まぁ、音楽をチョッとでもかじった事がある人なら、誰でもわかる話だけれども・・・

改めて考えると、そうなんだよな。

コードって、基本的に元となる根音と、それに付随する性格音からなってるわけで、その性格音の高さは根音から3度音上がったとこなんだけど、その性格音が、半音下がると、コードはマイナーになる。

当たり前だけれども。

それだけで、明るいメジャーコードから、暗く悲しいマイナーコードになってしまう。

基本的に、オレは曲を書くときに、マイナー調な曲が多いのは、きっと心が病んでるからだと信じていたい。

まぁ、ただこれを「ふ~ん」で終わらせてもイイんだろうけどチョッとこれを飛躍させて考えてみたらどうだろうか?
例えば、人生に置き換えてみる。

幸せな人生と不幸な人生なんて、実は、半音上がるか下がるかだけの差なのかもしれない。

根音と言う絶対的な要素がある。

それが、人生における絶対的な出来事だとすれば、性格音は、その時々の心の持ちようだと言えると思う。

(無理やりにでも。


そうした時に、心の持ちようが、半音上がるか、下がるかだけで、実は、幸せな人生と不幸な人生になっちゃうんではないか。

みたいな話だ。

めっちゃ金持ちだけれどもシガラミが多くて不幸な人生があるかと、思えば、クソ貧乏だけれども自分のやりたいことを自由にやって常にニコニコしている幸せな人生もあるだろうて。

めっちゃ金があって、なんでもやりたい事ができるから、シガラミくらい屁でもない幸せな人生だってあるだろうし、クソ貧乏だから、惨めでしょうがなくて、いつも下向いてる不幸な人生もあって然るべき。

「じゃがたら」の大名曲「もうがまんできない」の中で、江戸アケミは繰り返し「心の持ちようさ」と歌い続ける。

まさにそういう事なんだろう。

「じゃがたら」の曲って、ホント、深いのが多いよな。

ってことで、何か例え話とか考えてたけど、ふと大好きな漫画家さんの西岸良平の「転落の詩集」を思い出した。

まさに、そういう話だ。

詳しくは、自分で読んでみればいい。

ちなみに、人がなぜマイナー調の音楽を聴くと悲しくなるのかについては、まだ原因が解明されていないらしい。

それと同じく、なぜ不幸な人生がいけないのか。

も、きっと解明されていないんだろう。

不幸なことはいけないのか?幸せでなければいけないのか?
そんな哲学的な事を、人の心の根源からもう一度考え直してもいいのかもしれない。

と、今、幸せの花いっぱいの志茂田さんが書いてみましたよ。

イライラすればいいと思う。

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2013年1月29日 23:45 CAT :

また今夜も葬式が出るべ2012

2013年に入りまして、気がつけば、1ヶ月が経とうとかしているらしい・・・

うむむむ・・・早い。

早すぎるぞ。

何か、忘れているような気がしたんだけど、それを今しがた、風呂に入ってる時に思い出した。

2012年の振り返りだ。

多分そうだ。

チョッと、制作物については、羅列したけれども、何か、2012年については、特に何も書いてなかった。

と言う事で、例年みたいな10大ニュースな感じじゃないけど、少々書いてみよう。

とりとめのない感じで。

〇音楽制作をほとんどしなかった2012年
考えてみれば、2月に、3年ぶりの「馬忠・DA・ムドー」のアルバムを制作した以外は、ほとんど何もしなかった。

まぁ、学生時代にやってたバンド「仁美・mine」の楽曲を全て再レコーディングして、一枚のアルバムにまとめたりもしたけれども、それはそれ。

特に、新しく作ったわけでもなし。

・・・ホント、なんにもしてないわ。

とは言いながら、次のアルバム「王道軽傷」の曲は、少しずつ形になってきてたりはするけどな。

ギターとかは、チョコチョコいじっております。

〇漫画ばっかり書いてた2012年
30歳までに書ききると、自分と約束した「US」と言う物語を、誕生日からこっちとにかく、書いてたような気がする。

とは言えども、仕事の合間を見てだから、そこまで大量というわけでもなく、まぁ、半年で250ページ位か。

何しか、高校生の頃に妄想していた物語、シーンを今書いているという、この何ともすごい状況に満足はしている。

〇良いアルバムに出会った2012年
間違いなく2012年で最高傑作のアルバムは「犬神サアカス團」の「恐山」だと思う。

ホントに、最初聴いたときから、今、まだ聴いてる段階に至っても、まだまだ底が知れない。

すごい名盤だ。

まぢで。

そして、この「恐山」と双璧をなす名盤が「特撮」の「パナギアの恩恵」。

こっちは、初聴時には「ん?」ってなったけれども、聴けば聴くほどどんどんはまりこんでいくと言うスルメ型のアルバム。

ちょうど、ピンクフロイドの「狂気」を聴いたときに近い感じか?聴けば聴くほど、ノリノリになっていくと言う実に不思議な名盤。

とにかく、2012年は後半に素晴らしいアルバムに出会えました。

〇韓国が大嫌いになった2012年
8月の「アキヒロ」君による暴走から端を発したお隣韓国の暴挙の数々。

未だに、陛下への侮辱については許せるものではないけれども、あれを契機として、如何にこの国で、腐れチョンどもがのさばってくれてんのかを再認識させて頂けた。

ナマポ芸人河本も、在日だったわけで、そもそも、こいつが芸人としてTVに出ていたから問題は大きくなったけれども、同じような方法で、日本の資産を食いつぶしている寄生虫が山のようにいる。

生活保護費の引き下げ反対のデモとかしてるキチガイは全部そうですね。

ついでに、史上最悪とも揶揄された「スミダミヨコ」の事件も、全て在日がしでかした事だった。

ついでに、好きだと思ってた「鳥肌実」も、在日の急先鋒だったと言う・・・もう、何が何だかわからない。

何を信じていいのか分からない。

知れば知るほど奥は深い事に恐怖を覚えた。

他にも、色々あるけれども書き出したらキリがないのでこの辺で・・・

〇エホバの標的にされかけた2012年
事の発端は、エホバの勧誘を勧誘だと思わず、話を聞いてしまったことなんだけど、ついでに、相手に「如何に日本の神道が素晴らしいか」とかを語ってしまったから、「話のできる家」認定をされてしまったと言う・・・何ともよく分からない事に・・・でも、エホバって、今のところ「統一教会」や「創価」と比べて、随分紳士的な気がするんだけれども・・・まぁ、どう転んでも、そんな宗教に入信などせんけどな。

〇ばあちゃんが死んだ2012年
6月には、ばあちゃんが息を引き取った。

正直、色々とめんどくさい所もあった人だったし、影では、「やっと済々した」とか思われているかも知れない。

けれども、オレにとっては、小さい頃から色々と面倒を見てもらったばあちゃんだった訳で、最後のお別れの時には、嗚咽を堪える事ができなかった。

もう、ほとんど意識もなくなってたとき、不意に、「もう一度だけ、ばあちゃんの声が聞きたい」と思い、病室に行った。

もう、体を触っても、何の反応もない状態だったのに、声をかけ続けると、確かに、オレの方を向いて、名前をつぶやいた。

(気のせいではないと信じたい。

)最後に、声が聞けた事を思い出して、また泣いたりもした。

〇パパになりそこねた2012年
実は、もしかしたら、2012年のあいだに、子どもが生まれてくるかもしれなかったりした。

結果的には、2013年になって生まれてきたけれども。

妊娠期間中から、本当に色々大変だった。

でも、こんな程度のこと、誰だって経験してるんだ。

弱音を吐くなと、嫁ともども励まし合って頑張ってきたけど、あとから聞いたら、つわりも、妊娠期間中も、そして、お産も、周りの誰よりも大変だったという。

なんじゃそりゃ・・・でも、その分、子どもは可愛いぞ。

〇そんなこんなで政治に興味がむいた2012年
自分の生活以上に、これからの娘の生活を考えたとき、異常に政治に関心が出てきた。

そうなると、もう、本当に民主党と言う党に対して、苛立ちしか募らなくなったわけで、自民党の圧勝に光が見えた気がした。

売国新聞はじめ、マスゴミが非難しているけど、安倍自民党は、実によく頑張ってると思う。

そして、引退したルーピーが、その安倍自民党の足を引っ張っているという。

どこまで行ってもクズの集まりだ。

でも、政治に興味を持つ前には、自民党から民衆党に政権交代した時には、本当に期待していたんよ。

自分で、情報を集め、自分で吟味していけば、何が正しいか少しは分かると言う事だろう。

少なくとも、朝日新聞だけを購読してるやつよりはな。

と、つらつら書いてきたけど、こんな感じか・・・

何か、まだまだ色々あった気もするけれども、今パッと思い出せるのは、このくらいであって、ぱっと思い出せない程度のことなんか多分大したことじゃない。

どうあがいても、一番大きなことは、命を授かったということ。

一つの命が生まれるということが、こんなにも大変なのかと思ったとき、色々なモノの見方がまた一つ変わったと言う、このパラダイムシフトは、相当大きかったと思う。

そんなこんなで、おそらく2013年の一番大きなことは、家族3人での生活になることが既定路線の今年一年を頑張って生きていきましょう。

いやぁ、映画って本当にいいもんですね~

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2013年1月27日 22:12 CAT :

望み縫い

このブログ読んでる奴らなんて、その9割以上がご存知のことかと思いますが、ついに、子供を授かりました。

・・・と言うか、生まれました。

志茂田さんがパパになったと言う事だ。

生涯童貞である事を確信し、何もかもを諦めていた高校時代のオレに、今ならこう伝えてやりたい。

「お前は、童貞を捨てるとか、中出し出来るとかそんなレベルじゃなく、命を授かることができるんだぞ」と。

人生、何が起こるかわからない。

とにもかくにも、大好きな犬神サーカス団の名曲「人工妊娠中絶」を絶った10ヶ月間。

色々と、思い出はある。

あるけれども、それに浸っていたのは本当に生まれてからの数時間だけで、それ以降は、目眩くスピードで成長を遂げる愛娘と過ごした時間のことばかりが頭をよぎっている・・・らしい。

本日、へその緒もポロッと取れました。

この子の寝顔を見ながらふと思う。

これまでの人生を省みたとして、何か、色々嫌なこととか辛いこととかあったけれども、それらを経た先に、この今があるのであれば、それも実は悪くなかったのではないだろうか・・・。

ユングの言葉に「原因があるから結果がある。

全ては必然である。

」と言うものがある。

今この瞬間を生きているのは、過去のどこかに原因があるからであり、その原因があるからこそ、結果として、今この瞬間がある。

あの時も、この時も・・・

そして、今この瞬間を原因として、結果が作られている。

全ては、必然であり、無駄なことなど何もない。

嫌になることもあったし、病んでしまうこともあった。

金がない時も、仕事がない時もあった。

心が荒みすぎて眠られない夜があり、自傷に走ったこともあった。

いつ終わるやもわからない闇の中で、たくさんの病み腐った物語を紡いでいた時期もあった。

それら全てが原因となって、今、多分オレは、すごく満ち足りた、幸せな感情を持っているのだろうて・・・

そして、時間は再び流れ始める。

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2013年1月13日 21:50 CAT :

仲本工事の奥さん死んだ

昨日、だらだらとワンピースの「ストロングワールド」を見てた。

あの映画、なんだろう・・・シキは、盃交わしてるし、その屋敷に乗り込んでくる時だけ麦わら一味は、銃装備のスーツ姿だし、昔の任侠映画かと思ったわ。

(「アウトレイジ」はメチャメチャ面白かったよね!)
・・・でも、なんか面白くない。

ストーリーの 無意味さ 単純明快さは、ドラゴンボールの映画の方がよっぽど酷かったと思うんだけど、それは置いといても戦闘シーンがつまんない。

めっちゃかっこいいとか、緊張感のある音楽があるわけでもなし、ボコボコの殴り合いとかがあるわけじゃないし・・・いや、ドラゴンボールもこんなもんだったのか?
ふと考える。

この映画はきっと面白い。

この映画が面白くなくなったのは、オレが少年じゃなくなったからなんだ・・・と。

ジャンプのマンガに詰まんないとか、30前のおっさんが文句を言ってはいけないんだよ。

事実、あの雑誌を少年が読んで面白ければ、それで良いんだ。

腐りきって臭ってくる女しか読んでないだろう「黒子のバスケ」とか、「テニスの王子様」とか、その辺についてはなんか釈然としないけれども、「少年ジャンプ」なんだから仕方がない。

(「テニプリ」はもうスクエアか・・)
ジョジョは未だに読んでる・・・とか思い直したけど、あれも、もう「少年ジャンプ」じゃないんだよな。

「ウルトラジャンプ」なんだよな。

掲載誌。

ちなみに、「ハンターハンター」については、むしろ、このマンガが掲載誌を間違ってるんだと思う。

さてさて。

昔から、カニバリズムに尋常じゃない興味がありました。

志茂田さんです。

子どもの頃には、ドラクエの指人形を使って、「それぞれが相手の肉をお弁当として食べ合う遠足」と言うよく分からない物語を延々妄想しておりました。

その事実を知ったおかんに、「ゲームが悪影響を与えている」とか謎の誤解をされ(ドラクエの人形を使ってただけで、別に人形はなんでも良かったのに)、しばらく、ドラクエとかを禁止されたのも、今となってはいい思い出。

今までにも、カニバリズムをテーマにした物語もたくさん書いてきた・・・と思う。

演劇の台本「海の底とまぶたのない魚」とか、アルバム「オナニー遍歴」に収録している「カニバリズム・マゾヒスト」とか・・・・

でも、自分では、人間を食べたことがない。

・・・まぁ、当たり前と言えば当たり前だけれども。

興味本位で、自分の体の一部をかじったりはしてる。

カサブタとかじゃなくて、皮とか、肉とか。

特にうまくはないけれども、なんだか不思議なクセになる噛みごたえはなかなか捨てたもんじゃないかも知れない。

とは言えども、所詮、自分の体の一部。

自分の体を食べて、自分の体の一部にしているだけなんだから、そんなもん、ただのマニュファクチュアみたいなもんだ。

・・・と言う事で、食べてみた。

いや、別に犯罪的なことじゃなくて、嫁の指の剥け剥けになってきた皮みたいなヤツを。

女の体の一部を食べる。

とか書くと、実に素敵な性癖のような感じもするけれども、そんな興奮とは、数万光年剥離した、単純な興味本位で食べてみた。

感想としては、当然、自分の皮と噛みごたえとかは同じ。

・・・なんだけど、不思議と嫌な感じがする。

それは、気持ち悪いって言う感覚と、なんか尋常じゃない罪悪感みたい感じ。

・・・オレは、アルバート・フィッシュにはなれない。

・・・ソニー・ビーンみたいな家族も作れない。

でも、「エディ・E」と同じで、血の滴るステーキは大好物。

肉は、血の味がする硬い赤身がうまいと思っております。

なんか、霜降りとか好きな奴は、絶対肉好きだと思わない。

あんなもん、口の中ですぐとろけて、ほのかな甘みを感じるだけじゃないか。

オレは、肉をくいたんだよ。

肉と血の味をしっかり歯で噛み締めながら、分厚い肉の塊を頬張りたいんだよ。

昨日は、家の近くの「ビッグボーイ」で、300gのサーロインステーキ食べた。

でも、全然物足りない。

1kgぐらいステーキ食べたい・・・

え~と・・・オレが何を言いたいかというと、肉ってうまいよね。

って事・・・だ!!

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2013年1月11日 23:01 CAT :

あたいはお前の顔とアソコさえあれば充分なんだよ

「シーソーゲーム」なら、1000円出してシングル買ってもいい。

と、Mステ見ててふと思った。

誰がなんと言おうと、CDが売れなくなったのは、ネットのせいじゃなければ、コピー技術の進歩でもない。

あの当時だって、買うまでもない曲はレンタルしては、MDにコピーしたり、MDをダビングしたりしまくってたんだ。

でも、そんなもんじゃ満足出来ない。

手元に置いておきたいだけの素晴らしさがあった。

と思うのは、ただの懐古中の戯言でしょうかね。

でも、今でも「犬神サアカス團」と「キンショー」「特撮」については、発売日には、なんとしても手に入れてるわけだし。

買うまでもない曲が増えただけだなんだ。

ちなみに、ミスチルで一番好きな曲は「ゆりかごのある丘から」でございます。

さてさて。

なんかとある調査で「結婚したくないやつが全体の40%くらいになった」らしい。

ソース元(↓)
https://news.mynavi.jp/news/2013/01/10/056/index.html
その理由の多くは、実際に結婚したヤツを見てて、幸せそうに見えないから。

だそうで・・・

オレが結婚する前、会社の皆様に散々「覚悟は決まったんか?」とか、「結婚は人生の墓場」とか、「今のうちにしっかり遊んでおけよ」とか言われまくった。

・・・し、実際に、こんな事を言ってる皆様方は、本当にそんな結婚生活なんだろう。

結婚すると、どれだけ窮屈な思いをするんだろう・・・とか、ちょっと考えたりもしたけれども、実際、今の結婚生活は思ってた以上に快適だったりする。

特に、不満とかないと思う。

考えてみれば、自分の両親を見た時に、もう結婚して30年が経とうとしているのに、未だに一緒に風呂に入ったり、二人で夜に散歩に出かけたりしてる。

どちらか一方に話した話は、次の日には二人のあいだで共有されている。

ギスギスしてる時もあるけど、何だかんだ言いながら悩みを共有したりしながら、30年だ。

この二人仲がいいんだと思う。

そんな両親を見てきたオレにとって、結婚って実はそんな怖いもんじゃなかった。

(重い責任がのしかかってくることに若干ビビってはいたけれども・・・)
今だって、別に、実家でいた頃と大して生活の感じは変わんない。

と言うか、多分、嫁に使ってる気は、実家で家族に使ってた気の半分以下だと思う。

普通に、音楽活動とかも続けてるし、マンガ書いたり、創作活動も差し障り無くやってる。

連れと飲みに行ったり、なんだったり女友達と2人で出かけたりしても問題ない。

そもそも、オレがあんまり金を使わないってのもあるけど、結婚してから一度として、金を使えないと言う類の不満を持ったこともない。

ついでに、嫁の作る飯もうまいしな。

とか何とか、惚気けてみました。

見苦しかったらごめんなさい。

でも、本当に、特に何の不満もなくニコニコ生活しております。

唯一できなくなったことと言えば、弟とのヘイロー位か・・・?まぁ、これについてもやりたい衝動に駆られて、時々実家でやってたりするので、そこまで不満じゃあない。

何が言いたいかというと、「結婚は決して人生の墓場じゃない」ってこと。

本当の人生の墓場は、ロクでもない糞女に引っかかってしまったときだ。

正直、たまにテレビとかで糞女を見かけた時には、「こんなやつと結婚するくらいなら生涯独身でいい」とか思うし、結婚なんて無理にする必要はないとも思う。

ステイタスとか、世間体のために、ロクでもない女と結婚とかするのは、愚の骨頂。

結婚なんて、そんな難しいものじゃないし、そんな凄いものじゃあないと思う。

なんか、誰かが「結婚して、子供産んだ女をカッコいいという」みたいなことを言ってたけど、アホの塊でしかない。

そんな奴と結婚した男は、確実に「結婚は、人生の墓場だ」って感想を持つだろうて。

昨日、「ダウンタウンDX」で中尾彬大先生が素敵なことを言ってたよ。

「うちは、男尊女尊だ」って。

お互いを、お互いに尊敬できる間柄を築けるときに、初めて結婚ってのは、意識すればいいらしい。

女なんて、別に凄いわけでも何でもない。

男だって、別にすごいわけでもなんでもない。

性別は、理由にはならない。

それでも、男を見下して、女だってだけですごいとか思ってる女は、ベッドに縛り付けて、まんこにバイブでも突っ込んで陵辱してやればいい。

泣き叫んでも、しばき回して、二度と刃向かえなくしてやれば良い。

そして、ゴミ箱に捨てて、もっと良い女を探しに行きましょう。

そんな、生ゴミ臭いまんこより、もっといい女は、きっと世の中にたくさんいるはずだ。

とか何とか、こんな話をオレがするようになるとは・・・

いや、ただの惚気だ。

気にせんでくれたまえ。

世は正に、世紀末!!!!

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2013年1月8日 0:40 CAT :

神々のゲップ~後編~

【前回までのあらすじ】
昔、何が良かったのかさっぱりわからなかった、所謂「名曲」と呼ばれる作品たち。

あんなもの、歳とったおっさんが、回顧感に浸りながら、涙を流すだけの歌で、今の時代にはあわねぇんだよ。

と思っていた。

でも、自分が歳をとったおっさんになったとき、例えば「愛燦燦」を聞くと、例えば「上を向いて歩こう」を聞くと、例えば「やさしさに包まれて」を聞くと涙が溢れてくるようになってしまった。

これらの曲はきっと、年を重ね、経験を重ね、人生の悲喜交々をくぐり抜けたあとに、初めて本当の意味を理解できる曲なんだろうて。

やっと「昴」の本当の良さも分かってきました。

さてさて。

そんなこんなで、今日で最後にしてしまおう。

あの変な宗教勧誘のおかげで、なんかテンションが上がってしまった「神様考察」。

そろそろ飽きてきたしな。

と言う事で、最後に考えるべきなのは、やはり我が日本における「神道」をはじめとする神様信仰についてだ。

そもそも、まだ「一神教」と言う考え方が出来上がるはるか前から、人類は得体の知れない何かに対して、それらが自分たち以上の強大な力を持つ存在だとして、畏敬の念を込めて崇め奉った。

俗に言う「アニミズム」と言う奴だ。

日本では、ご存知のとおり、奈良時代に中国から「仏教」と言う宗教が入ってくるまでは、このアニミズムに傾倒した「神道」が主流であり、当時の実力者、蘇我氏と物部氏がそれぞれに、仏教と神道どちらが日本を治めていくに適していたかと競い合った過去がある。

結局、蘇我氏が勝つことで日本は国を挙げて「仏教」を信仰する事になるのだけれども、この段階では、あくまで「仏教」は政治の手段であり、今の創価学会の比じゃないくらい政治と癒着しちゃっていた。

では、その間に日本古来の神道は死滅したのかといえばそんな事はない。

むしろ、どうしても駆逐することのできなかった八百万の神と仏が共存すると言う、全く不思議な文化を作り上げてしまった。

この日本文化のお話も面白いんだけれども、今回は、あくまでもその中でも神様と言う事で、神道だけに絞ってみてく。

(仏教はあくまでも仏を信仰するものだし。


日本古来よりの神道でも、おそらくは、元々は、全世界的アニミズムと同じく、自分たちではどうしようもない強大な何かに対して畏敬の念を込めて崇め奉っていたのだろうけれども、それは日本の風土とともに少しずつ変化していった。

日本では、この世にあるもの全てに神が宿っており、そして、自分たちが常に神と接し、神によって生かされていると考えられてきた。

「八百万の神」ってヤツだ。

ついでに、事あるごとに神様を迎えて、祭りを行うようになる。

言ってみれば、神様は、自分たちと生活を共にする身近な存在になっていったとか、そんな話らしい。

お花見は、田んぼの神様「さ」がくる季節咲く花「さくら」(ちなみに、「さ」が来る頃に咲く花だから「さくら」というらしい)の下で、「さ」とともに酒を飲んで綺麗な花を愛でることで、一年の豊作を願うお祭りが形骸化したものだし、逆に、秋祭りは、その「さ」が帰るときに、その豊作の感謝と来年の豊作を願うお祭りだったりする。

モノを大切にすることで、付喪神と言う神様がやどるとも言われ、それを捨ててしまうことで、神様の宿る体がなくなることから「勿体無い」と言う言葉も生まれた。

自分たちのふるさとにも、自然にも、住む家にも、日常使うものどころか、厠や道端に落ちている石ころにさえ神様が宿っており、それらを大切にすることで、その神様が自分たちを守ってくれると考えていた。

神様となるものは、その多くが、死んでいったご先祖様であり、そのご先祖が神様に姿を変え、年に何度か戻ってくることを、心から喜び、最大限のもてなしと共に、祭りを開催していた。

自分たちが生きているという事は、数多くのご先祖様が存在しているからであり、そうして生きている今日を自分の身の回りにあるどんなものにでも感謝しながら過ごす。

自分以外の生き物にも、同等の命があり、神が宿っていると考え、大切にする。

その数限りない感謝の形が、日本の神道の根底にはあると思う。

そんな尋常じゃなく素晴らしい日本に残る文化を心の底から尊敬し、素晴らしいと強く強く思うようになっちゃったんだよな。

日本人として、体に刻み込まれたこの感覚が生きている以上は、それ以上の宗教やら、神やらなんて存在しないんじゃあないかとか思ってしまう。

それは別に、海外で生まれたそれぞれの文化や、神を否定するわけじゃあない。

それらはもちろん、その国々において生まれた大切で素晴らしい文化であり、敬うべきものだ。

けれども、日本人として生まれてきて、この感覚を持っているくせに、キリスト教ってそれはどうだろう?とかね。

そんな事を思っているわけですよ。

「父なる存在」を敬う前に、本当の父でも敬っておけ。

その父の父やさらにその父に思いでも馳せてみろとね。

「インテリジェントデザイン」ではなく、本当に神と呼ぶべき存在はまさにそこにこそ存在していると、オレは思っておるわけですよ。

まぁ、3日かけてつらつら書いてきたけど、要するに、オレが言いたかったことは、「チョンはさっさと、失業率も凄いことになってる、偉大な自国へ帰れ。

そして、二度とこっち向くな」と言う事・・・らしい。

うむ。

久々に、長々と書ききってやったよ。

じゃあの。

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2013年1月7日 1:38 CAT :

神々のゲップ~中編~

【前回までのあらすじ】
メガネが壊れた上に、目の悪さが尋常ではなく、結構特殊なレンズがいるため、取り寄せに時間がかかることが判明。

しょうがなく、コンタクトで過ごしているけれども、ドライアイで目薬が欠かせない。

その上、愛用の目薬をなくしてしまい、安物の家にあった目薬を使ったところ、目の周りの皮膚がただれ始めたのであった。

(皮膚も弱い。


さてさて。

昨日の続きでもツラツラ書いていこうかなぁ~。

今日のところは、果たしてこの世界を神が「七日間」で作り上げることが可能だったのか・・・という点について。

現状では、地球が出来上がてから40億年以上が経ち、そのあいだに少しずつ、環境が整い、生物が進化してきたという考え方が主流ではあったりする。

けれども、大真面目に7日で世界ができたと考えている学者さんはいるし、この世界は出来上がってから1万年も経っていないと言う説も実際にあったりする。

取りあえず、昨日つらつらと書いた「5分前の世界が本当に存在するか証明できない」と言う考え方はなかったものとして考える。

(これを言い出したら、キリがないので。

)として、人類の歴史の記録が残っているあいだは確かに世界が存在していたと考えて、最短で1万年くらいは経ったんではないだろうか?と、そう言う話らしい。

そもそも、歴史感を考える上では、「静然説」と「激変説」のどちらの立場をとるかが重要だったりする。

「静然説」ってのは、自然環境に何らかの突発的な変化がないままに、長い時間が経っていた事を前提とする考え方で、逆に「激変説」は、これまでに自然環境に何らかの激変がなんどかあった事を前提とする考え方。

現在の考古学で主流となっている「C14年代測定法」ってのは、要は、物質に含まれている「炭素14」ってやつの量を測り、それの減っている割合から、年代を推測するやり方だけれども、これは、あくまでも「静然説」の立場からでなければ成り立たないものだったりする。

例えば、突発的にものすごい温度で熱されたり、何らかの理由で、すごい放射能を浴びちゃったりとかすれば、それだけで、「炭素14」の含有量は変わってくるわけなんだか、「激変説」の考え方からすれば、そんなものは何の当てにもならない。

だから、「これは〇〇億年前のものだ」と言っても、「いやいや激変説から考えれば、根拠はない。

もしかしたら、1000年くらい前のものかもしれない。

」という話になっちゃうという・・・

と言うことを踏まえたうえで、この世界は果たして7日間で本当に作られたのか・・・考えてみれば、実は、全く不可能ではないらしい。

それどころか、本当に、7日間で作られた上に、それから数千年も経っていない可能性だってある。

恐竜がこの地球に栄えていたのは、5~6000年程度前だったみたいな話もあるわけだから、それはそれでワクワクする。

(現在では、偽物だと断定された「カブレラストーン」だって、あながち間違いとは言えないという・・・)
ただ、問題は、なぜそのことが聖書に書かれているのか・・・という点だと思う。

それどころか、神話として、短期間に世界が強大な存在によって構築されたという似たようなお話が日本も含め世界各地に伝えられている。

昨日の「インテリジェントデザイン」の話に戻ってしまうけれども、自分のことを神として崇めさせようと考えた、その何か強大な意思が、世界を短期間でつくり、そして、その事実を、世界各地に生きていた人間それぞれに伝えた。

大元は同じであり、それが時間をかけて伝承されていくうちに、その土地の風俗や文化に合わせて微妙に変化していったと考えるとどうなんだろうか・・・

この側面から考えていったとしても、やはり、なんだかこの「神」と呼ばれる何らかの意思を敬う気にはどうしてもなれない。

ような気がする。

ただただ、畏怖の念は抱いてしまうけれども・・・

世界は、一体何のために作られてしまったのか。

そんな根源的な部分に結局は戻ってしまうらしい。

とそんな感じで、明日には、さらにもう一つ。

最後に書いておきたい「日本」における神道。

アニミズムから派生した八百万の神についてでもツラツラ書いてみよう。

(ちなみに、オレが一番神として、大切にしているのはコイツだと思う。


次回を待て!!

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2013年1月6日 0:45 CAT :

神々のゲップ~前編~

メガネがへし折れたので、メガネを買いに行った。

今からしばらくお金がたんまりいりそうなので、あんまりお金をかけなくてもいいように、安いのでいいや~みたいなノリで、近くの「眼鏡市場」に行った。

なんかCMとかもよくしてるし、なんかお値打ちで良いのがあるのかと思ってたんだけど、正直すごいがっかりしましたよ。

ええ。

ええ。

安いよ。

確かに安いよ。

でも、それはどう見ても「安い」ってことが丸分かりな代物。

どんなに頑張っても、「ニトリはニトリ」だと言う感想に近い感じだろうか・・・求めてんのは、「この値段で、このメガネなら納得だ」的なやつだったのに、「これレンズ込みで20000円だったんだぜ」と聞けば、「あぁ~っぽいな」か、または「まじで?それはぼったくられてないか?」と返ってきそうな感じのメガネばかり・・・

しょうがないので、近くの「メガネの三城」に行って来た。

すぐに納得のいくメガネは見つかった。

でも、40000円チョッと・・・前使ってたやつよりは、だいぶ安くなったけれども、それでも、予定より高いのを買ってしまったよ。

ただまぁ、それでも、このメガネなら40000円出してもいいかな。

と言う感じだったので、良しとしよう。

デフレデフレと言ってるけれども、やっぱり安いものには安いなりの理由がある。

自分が納得できないところについてだけは、どうしても、安さよりモノの良さを優先してしまう今日この頃・・・それもこれも、嫁の家計のやりくりがうまいお蔭だ。

この安月給でよくやりくりしてくれてると思うわ。

さてさて。

最近、家に某宗教の勧誘がちょくちょく来るようになった・・・元々は、オレがさっさと追い返せばいいものの、その人に対して「宗教の無意味さ」について、長々と(もちろん否定的に)語り尽くしたことが原因で、どうも、それが、相手に「話ができる家」と認定されてしまったらしい・・・

メンドくさい事になってしまった。

とは思いつつ、「神について」と言う面白い話題で、違う立場から議論すると言う状態に実は、チョッと面白いと思っている自分がいたりもするのが困ったところではあるけれども。

まぁ、何があろうとも、絶対に特定宗教への入信などはしませんよ。

たとえ殺されようともな。

「神」について。

この世界には、たくさんの神がいると信じる「多神教」と、すべてを作りたもうたひとつの神がいると信じる「一神教」と言うものがある。

個人的には、「一神教」の考え方が実に嫌い。

結婚式の時は「父なるイエス」なんぞに誓うかボケェ!と、チャペル挙式も、神前式を拒否したし。

この世界すべてを作り上げたのは、偉大なる神であったという考え方。

この「神」という表現が実に不愉快なんだけれども、実は、この世界は何者かの意思で作られたという、「インテリジェントデザイン」の考え方はアリだと思っていたりする。

でも、その「何者かの意思」は実に悪意が込められているように感じてならない。

聖書には、「ひとつの家があったとして、その家に住む者が家以上に誉れを受けるのであるならば、その家は、神が意思によって作りたもうた」という一節がある。

要するに、「インテリジェントデザイン」こそ神である。

という訳だけれども、では、現状の世界をひとつの家としよう。

この家には、ものすごくたくさんの問題がある。

雨漏りはするわ、壁は薄いわ、傾いてるわ、扉はちゃんと開かないわ・・・完全な欠陥住宅だ。

としたとき、その家を作った業者の事を偉大な父だと言えるだろうか。

その家の欠陥を何とかかんとか克服することで、欠陥住宅を克服した人として、その人が有名人になったとしても、悪意を持って欠陥住宅を作ったその業者に尊敬の意など湧くはずもない。

それを、神が与えたもうた試練だというのなら、そういう悪徳業者の作った、欠陥住宅にでも、試練だということにして住めばいいと思う。

そして、それを克服することで、やすく欠陥住宅を売りつけてくれた悪徳業者を神格化すればいい。

オレは、そんなお人好しにはなれない。

だからこそ、「インテリジェントデザイン」=「神」という図式は不自然でならないと思う。

では、この「インテリジェントデザイン」とはなんなのか?
面白いことに、哲学的には、この世界が本当に5分前に存在していたと言う事を証明する方法はないらしい。

「何を言う、オレには5分前の記憶があるぜ」と反論したところで、その5分前の記憶が、本当に自分が体験したものか、誰かに作りこまれたものかを判別する方法はない。

わかりやすく言うと、「ロマサガ2」の世界があるとする。

オレは、レオンだ。

レオンは、かつてこの世界に七英雄という存在がいて、その七英雄が世界を救った過去があることは知っているけれども、それは実際に、そのロマサガ2の世界で起こったことではない。

それはあくまでも、河津秋敏が考えて、レオンに埋め込んだ仮想の記憶でしかない。

でも、レオン自身は、それがこのロマサガ2という世界の中で、実際に起こったことだと信じて疑わない。

つまりそういうことだ。

逆に、分かりにくいか?
なんか、手塚治虫の短編で(タイトルをど忘れした)この世界は一つに演劇で、自分がその演劇の主人公として、無意識のうちに、何者か強大な存在が作った台本通りに生きて、それを、別の何者かが見ているという話がある。

まさに、そういう事なのかもしれない。

どちらにしても、この「インテリジェントデザイン」は、何らかのちょっとした悪意を持って(それは、こんなんがあったほうが、この物語は面白くなるぞみたいな、好奇心的なものも含まれるとして)、この世界を構築していったのだろう・・・

だとすれば、この存在は、果たして神か?
神ではないとすれば、なんなのか・・・妄想はとめどなく溢れてくる。

と言うか、こんな話題を一日で書ききることなどできるはずがないので、珍しく、明日(って言うか、次のエントリー)も同じネタを掘り下げていこう~
明日は、世界はキリスト教の言うように本当に神が「七日間」で作ったのか?について・・・

これについては、大学時代本格的に研究してたりしたので、少々専門的に、ツラツラ書いていこうかなぁ~
なんかテンションが上がってきたぞぉ~

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2013年1月4日 23:06 CAT :

切なさ漂う橋の下で僕は君と手を繋いでた

何か、テレビでスゲエ面白い番組してた。

【古代文明ミステリー たけしの 新・世界七不思議】ってヤツ。

これ、なんだかんだ言いながらほぼ毎年見てたような気がする。

(年末に超常現象みて、年始に世界七不思議見て、たけしばっかりじゃねぇ~かとか、毎年言ってる気がする・・・)
ん。

最後の一つが、カルナック神殿か・・・まぁ、納得。

それより、アテン信仰がモーゼとつながって、ユダヤ教の元になったって説が面白かった。

吉村教授に速攻で否定されてたけれども、こう言うとんでもな説が大好きだ。

こんなのが好きだから、大学の時に、教授からほぼ破門同然にゼミをやめることになったんだけれども・・・まぁ、好きなものはしょうがない。

さてさて。

そんなこんなで、今日は、チョッと歴史の思い出でも・・・

大学では、考古学を専攻していた。

(関係ないけれども、今の韓国がやっている歴史詐称がムカついてしょうがないのは、歴史が好きで、歴史を勉強し、そして、歴史を研究してきた先人の皆様方を尊敬してやまないからかも知れないなぁ~とか思ったりもする。


そもそもなぜ、こんなにも歴史が大好きになってしまったのかは分からない。

けれども、とにかく大学で専門的に勉強するほどになっていた。

実際に発掘現場で働いていたこともある。

あの時、オレが担当していたのは弥生時代の住居跡だったけれども、そこのかまど跡から、獣骨を発見したとき、そして、その住居から管玉を発見したとき、あの感動は今でも忘れることはできない。

幼い頃から、歴史的な話が大好きだった。

ただ、今と決定的に違うことがって、あの頃は、ただただ恐怖の対象でしかなかった。

なぜか、マチュ・ピチュとピラミッドが大好きだったけれども、例えば、ピラミッドの製作過程などを妄想すると、もう怖くて怖くて夜も眠られなくなった。

糸井重里の徳川埋蔵金とか見ても、その夜は怖くて怖くて眠られなくなった。

歴史というものは、数え切れない先人の皆様方の営みを紐解いていく行為なわけで、例えば、前述の住居跡だって、2000年くらい前には、そこで住んでいた人の営みの痕跡だったりする。

そして、その時々で、生きていた人間の感情や息遣いを、実にありありと感じることができる方法こそ、考古学だったように思っている。

土器の破片一つとってみても、その裏側に手の形のあとがあれば、どんな気持ちでどうやって、何千年前のご先祖様がこの土器を作ったのか、かなり現実に近い妄想に耽ることができる。

だからこそ、子どもの頃はそれが怖かったのだろう。

自分の命と言うものが、その数え切れない命の上に立脚してかろうじて生かされていると言う現実の重さが、怖かったのだろう。

それをよりリアルに知ることができる歴史的なお話や事柄、建造物に対して、恐怖で夜眠られなくなりながらも、それでも、興味を持っていたのだろう。

それは、恐怖ではなく、畏怖だったのかも知れない。

その気持ちは、今、そのまま、恐怖ではなく、感謝と尊敬の念となっているのだと思う。

連綿と続くその歴史という重みを再び恐怖として感じる日が来た時、きっと、オレは死んでしまうのだろう。

覚え、忘れ、そして思い出す連鎖の時間。

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2013年1月3日 21:49 CAT :

どれが君のガラクタ 何が君の宝物

例の靖国神社の放火犯。

な、生ゴミチョン。

日本への引渡しについて、韓国側が正式に拒否することが決まったらしい・・・(↓)
https://news.livedoor.com/article/detail/7285046/
相手は、日本の活動家が落書きした杭を設置しただけで引き渡せとか言ってきてるくせに、歴史建造物に放火したやつは問題ないとか。

さすが、脳髄までキムチで出来ている方の思考回路は凄まじい・・・

新年早々異常に気分が悪いわ。

いや、あの土人国家の対応については、当然だと思う。

だってそんな、例えば、その辺の野良犬に噛まれたからと言って、それを野良犬に抗議したところで、聞く耳持たずで噛み付いてくるのは当たり前。

あいつらに、まともな国際条約とかを守れるとか期待するからいけない。

あいつらは、ただの池沼国家。

気分が悪いのは、そう言う(下手したら、野良犬の方が恩義とかある分遥かにマシなだけども)非人間のゴミチョンに対して、何ら強気に出ることのできない日本政府側だ。

これまで、日本側は、シナチクのアホ活動家とかをことごとく開放してきている。

だから、今度は、こんな舐めくさった対応をとられるんだと思う。

せっかく、ミンスから変わって、日本から在日含む生ゴミを掃除しようと言う動きも見え始めているんだから、そのまま、この大掃除をしっかりやってもらいたいもんだ。

それで、もしあのゴミチョンがファビョろうとも無視すればいい。

国交断絶ならむしろ喜ばしい。

戦争なんかできるわけない。

あいつらは、野良犬と一緒で、ちょっと蹴り上げれば、キャンキャン言いながら逃げていくだけなんだからな。

さてさて。

「爆音列島」がついに完結してしまいました。

ほとんどの単行本を所持している大好きな漫画家さん「高橋ツトム」の自伝的漫画。

(多分、全部単行本持ってる漫画家さんって「岩明均」「荒木飛呂彦」「徳弘正也」「慢画太郎」くらいしかないと思う。


途中、「士道」のせいで(そういえば、「士道」だけ持ってないや・・・)なんかないがしろにされてる感もあったけれども、ちゃんと10年以上の歳月をかけて完結してしたことがまず嬉しい。

んで、個人的には、あんまり「ヤンキーモノ」とか好きじゃあないけれども、それでも、最終話を読み終えて、なんだか泣いてしまった。

素晴らしい作品だこれは。

ここまで生きてくる上で、ヤンキーとか、不良とか、暴走族とかとは、ホント、接点がないというか、むしろ、カツアゲとかされてきた部類の人間なわけで、その手の漫画とか、ホント苦手なんだけど、この話は大好きだった。

それがなんなのかは、よくわかんない。

内容読んでてても、やっぱりアウトロー独特の思考回路とでも言うのか、オレにはよく分かんない話がどんどんと展開していく。

そこは、やっぱりオレとは違う。

じゃあ、何に惹かれたんだろう・・・とか考えてみた。

そこは、やっぱり自伝的な作品であり、リアリティーがあったんだろうなとも思ってみた。

でも、多分違う。

最終話まで読んでみて思った。

多分、この漫画の主人公も、根本の部分は同じなんだ。

大人になっていく過程で、やっぱりどうしても納得できない部分があって、そこについて、いろいろともがき苦しみながら、結局は、大人になっていくんだろう。

もがき方に大同小異あろうとも、その過程は誰でも同じなわけで、そうして感情移入していった結果、なんだか、最終話で、泣いてしまったんだろう。

いつか来るであろうその時を描いた、正に、青春群像劇として読めば、誰にでも感動できる漫画なんだということだと思う。

そんな意味で「グミチョコ」とだって、そんな変わりないんだと思う。

バンドでも、漫画でも、バイクでもなんでもいいんだよ。

そんなもんは。

・・・そういえば、そんな話が書きたくて、「超ニュースチョクホー」って小説も書いてたんだ。

オレは。

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2013年1月2日 23:27 CAT :

容赦は大儀の敵

先日、60くらいのおばあちゃんが「年配の方だからできるだけ柔らかいものが・・・」とか言ってるのをふと耳にした。

いや。

あなたも十分に年配だ。

前々から言ってたけれども、人には、それぞれに年相応というものがある。

60歳は、もうおばあちゃんだ。

年配の方だ。

美魔女とか言って50代なのに20代に見えるとか、それ最悪だからな。

それは、普通の人間が50年かけて獲得していくモノを投げ打って、エセの20代の見た目になるように。

そんなことばっかり考えてきた空っぽの人生だ。

10代には10代の良さがあり、20代には20代の良さが有り、30代には30代の良さがある。

それを理解できないまま、自分が60歳になっても、若いつもりでいるとか愚の骨頂。

60代になったのなら、良いおばあちゃんになることに尽力したほうが良い。

その方が、絶対にいい人生だ。

今年で30なので、オレは、これから良いおっさんになることに尽力いたします。

さてさて。

例年なら、年末に書いてたのに、仕事が忙しくて最近すっかりこの時期に書くようになった、昨年の振り返りでございます。

昨年1年。

振り返ってみると、近年稀に見る何にも作らなかった1年だったような気がしないでもない・・・けれども、取りあえず・・・

↓ ↓ ↓ ↓ ↓
〇馬忠・DA・ムドーのケンヂくんになりたかった【ロマンズ クエスト ファンタジーXXXVⅡ~竜王を探せ~】サントラ集
と言うね、なんとも長ったらしい(と言うか、馬忠らしい)、馬忠・DA・ムドーの3年ぶり8枚目のアルバムを製作いたしました。

今回は、架空のゲーム「ロマンズ クエスト ファンタジーXXXVⅡ」のサントラ集と言う、よく分かんないコンセプトをもとに、本当に「街の音楽」とか「フィールドの音楽」「バトルの音楽」などなどを作っていきましたよ。

ちなみ、スーファミ音源をイメージして、できるだけ電子音、4チャンネルいないなど、勝手に制限をつけた中で作っていった。

これがまた楽しかった。

実に良い名盤ができたと思う。

今回のボーナストラックは、演劇用に書き下ろした台本「観客3人のライブイベント」のテーマソングと、7年前に制作した、馬忠・DA・ムドーの4枚目のアルバム「大日本帝国産業【萌え】」に収録してた「君とふたりで」の再録。

もちろん「ケンヂくん」とは、オーケンであり、20世紀少年の「遠藤ケンヂ」であり、カレーライスとかで有名な「遠藤ケンヂ」であり、そして、サントラと言う事で、偉大な作曲家イトケンでございます。

〇観客3人のライブイベント
昨年、「アクアコーラス」さんに提供した演劇用の台本「手のひら収集家の末路」が何げに好評だったので、「今年もなんか書けよ」みたいなご依頼を頂きました。

で、メンドくさいありがたく、頭を床にこすりつけて書き下ろさせていただきましたよ。

な演劇用の台本。

今回のが、好評だったのかはよくわからないけど、個人的には実に良いものが書けたと思ってる。

で、そのテーマ曲として、同名の「観客3人のライブイベント」と言う曲も書いてみましたとさ。

〇US (200ページ)
オレは、この物語を20代のあいだに描き上げるんだと何年も前から決意していたわけで、気がつけば、もう20代は終わりを迎えようとしている。

そして、昨年の誕生日から1年間、この「US」と言うお話のラストスパートを始めたわけでござます。

とは言え、色んなものと同時並行だったりするし、かと言って、クオリティーを著しく下げたくもないので、2週間に20ページというローペースながらも、確実に描いていく作戦で言ってる感じ。

取りあえず、今のところ、いいペース。

この調子なら、おそらく春頃には、完結を迎えることだと思う。

今年、創作活動が多岐に渡らなかったのは、間違いなく、この作品を描いてたからだと思う。

〇子どもは老人に励まされた
「永遠の向こうにある果て」以降に書き始めた小説。

今回は、恋愛などをテーマに書いてみようと試みては見たものの、自分の年齢を思い知り、それどころじゃなくなった為、現在は、ちょっと執筆をストップさせてる。

「US」が完成次第、こちらも、再び書き出す予定。

と言う事で、今はまだ未完の状態。

〇夢喰いバクヲとウミィ・マミィ
10年くらい前にやっていたバンド「仁美・mine」で作った2枚のミニアルバムの楽曲を、当時の演奏をできるだけ再現させて録り直そうと言う感じで制作したアルバム。

かと言って、当時のメンバーを呼び寄せたりそんな事はしてないので、このアルバム自体がありなのかどうかはよく分からない。

でも、当時のメンバーのひとりにあった時に、このCDを渡すと、「ありがとぉ~」ってめっちゃ喜んでくれたので、あの笑顔だけでも、良しとしよう。

そして、このアルバムが出来上がったことで、やっとこさ、「黄泉」完成以降ストップしてた音楽制作も再開し始めた。

ストックというか、宙ぶらりんの曲もなくなったことだしな。

とまぁ、このくらいしか、本当に作ってない。

ただ、「影の上のボーニョ」以来のオリジナルアルバムの構想が大分固まってきている。

すでに、「絶望1」「カポをつけて奏でる発狂者」「今宵【ただいま】はゼロになる」「ジェノサイドラブレター」「お耳汚しを召し上がれ」「犬神一座の大サーカス」「白痴にも書けるラブソング」辺りが完成している。

こいつらのレコーディングに入れるのは、まだあと1年位後だとは思うけど、なかなかいい感じにバラエティー豊かなモノができそうな気がしている。

今年は、取りあえず「US」の完結と、このアルバムのレコーディング開始を目標にのんびりやっていきます。

まぁ、そんな感じでございますです。

ではでは。

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