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2013年4月16日 22:04 CAT :

凛と万次と時々僕と尸良とハルシオンランチ

「進撃の巨人」が面白すぎる。

いや、このタイミングでアニメの話じゃあなく、漫画の話だけれども。

最初は、巨人と言うどうしようもない敵に対する絶望感とか、そんなのがテーマかと思いきや、途中で、エレンが巨人になっちゃって、なんだ、凡庸なつまらん話か・・・とも思った。

でもここへきて、またうなぎ上りに面白くなってきた。

特に、8巻あたりから本気でヤバい。

こいつは、凄まじい名作だよ。

このくらいのペースで展開してくれたら、ワンピースももっと面白かっただろうに・・・

さてさて。

そんなこんなで、今日は漫画のお話だ。

オレの青春時代をずっと彩ってくれていた大好きなマンガの一つが、この春、完結した。

オレが「好きなマンガは?」と聞かれた時に、「たくさんあるけど、絶対的に不動のものが3つある」と答える。

その3つとは、「寄生獣」「無限の住人」「賭博黙示録カイジ」だ。

(それ以降にも、たくさん好きなマンガはあるけれども、この3つに出会わなければ、オレはマンガをそんなに好きじゃなかったかもしれない。

と言う、究極の思いで補正込みで、この3つを絶対に挙げる。


完結したのは、そのひとつ「無限の住人」。

このブログでもチョイチョイ出てくる(かも知れない)中学時代に、唯一友達・・・だったかもしれない、ヒロセくんに、勧められて読んでみたのは確か、中学1年の時だったと思う。

当時、5巻まで発売されていて、ちょうどその月に、6巻が出たような気がする。

で、その広瀬康一くんとは、趣味がどこまでも合うと、当時は信じて疑わなかったので、「ヒロセが面白いと言うなら、読んでみるか」的な感じで、隣町にしかなかった古本屋まで自転車で向かい、5巻までを購入、そして、帰りに本屋さんで、出たばっかりの6巻を買って帰った。

読んだ当初は、何が面白いか分からなかった。

なぜなら、その頃読んでいたマンガで一番好きだったのは「レベルE」と「寄生獣」。

周りが「ハンターハンター」って面白いって言っているのを聞きながら、「これだから、ガキは。

冨樫と言えば『レベルE』が至高なのさ。

」とか斜に構えてはいた。

けれども、青年誌のマンガなんて、「寄生獣」しか読んだ事がなかった。

「寄生獣」は、確かに青年誌のマンガだけれども、表面をなぞるだけなら、凄く分かりやすい。

その上で、更に、分かってくると伏線をなぞったり、感情の揺さぶりなどを楽しむことができる名作・・・だと思っている。

けれども「無限の住人」は紛うことなき青年漫画。

絵柄も、展開も、それこそ会話のニュアンスも、上げ膳据え膳で分かりやすく描いてくれているその辺の少年漫画とは一線を画していた。

意味が分からない。

分からないからこそ、何度も何度も読み返した。

そうしている内に少しずつ会話の流れや、ニュアンスから、色んな情報を読み取れるようになってきた。

(こんなマンガの読み方も、オレは「無限の住人」から学んだらしい・・・)
そして、覚醒する。

そうなってくると、面白くて面白くてしょうがない。

随所に張り巡らされた、そんな言葉遊びからキャラクターの心情を妄想し、時に見せるギャグにクスッとし、そして、重い話に深い悲しみを覚えた。

ちなみに、中学1年生。

オナニー覚えたてのオレがおかずにしていたのは、「バスタード」か、この「無限の住人」6巻の尸良が女郎をなぶるシーンだった。

オレがドSになったのは、9割以上、尸良とダークシュナイダーのせいだと思う。

特に、尸良なんか、「オレもいつか女の足をぶった切って、股の肉に指を突っ込みながらやってみたいなぁ~」とかニヤニヤしながら、それこそ、覚えたてのサルのようにオナニーにふけっていたし。

あれから、15年の月日が流れた。

15年間、ずっと新刊を待ちわび、発売(と言うか、本屋に並んだ)日に買いに行った。

15年間、ずっと今一番新刊を待ちわびているマンガとして「無限の住人」を挙げ続け、実際に、待ちわび続けた。

そんな漫画が、完結。

最終話を読み終えた時、ひとつには、おそらくこれ以外になかっただろう物語の終焉に感動し、もう一つには、あの待ちわびる感覚を感じる事はもうないのかと寂しさを感じた。

物語自体は、広げた風呂敷を全てきれいに畳みあげ、ひとつの伏線も残らず丁寧に回収した上で、これでもかと満足のいく展開で終わって行ったと思う。

15年も読み続けて、最後まで中だるみせず、しかも、テンションを保ち続けて、文句ない最後を迎える。

そんな名作と15年と言う時間を共有できたことへの不思議な感謝の念が沸々と湧き出てきた感じだったのかも知れない。

ただ、今はもう、不思議な満足感と、一抹の寂しさしかない。

あの日。

中学自分に、手に取ったこの漫画。

あれから、10年以上の歳月を共にする事になるとは思いもしなかった。

例えば、今、もし、「無限の住人」に匹敵する位影響を受けた、作品に出逢ったとする。

そして、その作品にワクワクしつつ、15年の歳月を共にしたとして、オレは、もう45歳だ。

果たして、その15年間。

これまでと同じ心持で15年を迎える事が出来るのだろうか?
そう考えると、多分、こんな感覚になるマンガとは、一生出会えないような気がする。

今年の春、オレは一生に一度のお別れを経験したのでしょう。

ただ、大きなお別れは、往々にして一生に一度ではあるのですけれども・・・

・・・さようなら。

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2013年4月15日 19:46 CAT :

ストロベリーソングオーケストラさんがいらっしゃいましたよ

B’zの2人が在日だとか、楽曲が日本バッシングだとか、一部で騒がれているらしい・・・(どんだけ一部かわからんけれども・・・)
何か、ここ最近の在日と分かるや否やのバッシングには少々辟易してたりもする。

だって、B’zってバンドに洋楽のパクリがいっぱいあったのは、昔からみんな知ってただろうし、有名な話。

そもそも、アメリカとかでB’zが認められてた時には、「日本のバンドが認められた」的に喜んでたりもしたはず・・・(うろ覚えだけれども。


そもそも、在日だからってのは、バッシングの対象にはならないと思う。

問題なのは、日本に住まわせてもらって、日本人の憐れみを全身全霊に受けながら、その恩を仇で返してるゴミ野郎であって、別に、在日でも、日本で頑張ってるんなら、別にどうでもいいんではないだろうか・・・

まぁ、頑張るって言っても、違う方向に頑張っちゃってる奴らは別ですけどね。

さてさて。

何なk、ずいぶん長いこと待たされはしたけれども、ついについに「ストロベリーソングオーケストラ」のアルバム「血の濫觴」を手に入れた。

・・・んで、さっそく聴いてみたりした。

うぬぬうぬうう・・・すごい。

こいつは、まぢで凄まじいぞ。

何と表現したらいいんだろう・・・よく分からん凄味がある。

初期の筋肉少女帯であったり、犬神サーカス団であったり、人間椅子であったりと言う、そんな音楽の線上にあるのは間違いない。

そもそもが、寺山修司であったり、江戸川乱歩であったりと言う、日本のアングラを牽引してきた(同線上にこの2人を並べていいものか知らんけど)偉人への限りないリスペクトが随所に盛り込まれている
間違いないけど・・・なんだ?この音楽は?
ジャズだったり、日本民謡だったり、ロックだったり、ポップスだったり、そもそも、バラードだったり、プログレだったり・・・ととにかくごちゃ混ぜになった音楽が、それでいて、一つの世界観を確実に紡ぎだしている。

時に、鳥肌がたつほど美しいかと思いきや、背筋が冷たくなるような絶望が襲ってきたり、首がもげるかと思うほどの立てノリになったりと、変幻自在すぎる。

そして、何よりも音の圧が異常。

大好きな筋肉少女帯の上に、さらにバイオリンやら、三味線やらが暴れまわり、それでいて、ボーカルまで男女のツインボーカル。

(ところどころに至っては、女2人に男のトリプルボーカル)メロディアスかと思いきや、キチガイめいたポエトリーリーディング(と言うか、もはや、完全に演劇)が淡々と流れたりすると言う。

またしても、凄い音楽に出会ってしまった・・・

もっと聞き込んでそのうち、たぶんいつものノリで一曲ずつの感想とか書くと思うけど、とりあえず今日のところは、この感激を描かずにはいられなかったと言うことで・・・

こんなんだから、オレはいつまで経っても洋楽に手が出せないんだよ。

だって、この「ストロベリーソングオーケストラ」なんて、絶対日本以外で生まれることないって。

まぁ、それは、犬神サアカス團も同じだろうけれども。

もう少し、この人たちの音源を集めたい・・・けれども、手に入るものがほとんどないのがちょっぴり切ない所か。

ライブにもぜひ行きたいけど、四国とか来ないだろうなぁ~
そんなこんなで、記念に一枚(↓)
ストロベリーソングオーケストラ 地の濫觴

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2013年4月9日 22:25 CAT :

私は遂に飢えた鬼になり果て まだ生気の残る人肉に貪りついた

桜の花が散り始めた。

んで、少しずつ若草色の新芽が出てきてる今日この頃。

実は、桜満開の時より、この淡いピンク色と若草色のコントラストの方が奇麗なんじゃないのか・・・・?みたいな事を出勤途中の桜を見ながらぼんやり思ってたりしております。

さてさて。

前に、どっかで書いたかも知れないけど、食べるのが苦手な奴は、今すぐ死ねばいいと思ってる。

生きていくために、他の命を奪い、殺さなければいけない。

それが、この地球に存在する上での絶対的な命のルール。

そうして、殺しておいて、それを自らの血肉にする事は苦手だなんて・・・だったら、今すぐ死ぬべきだ。

と、考えるのは、少々過激なんでしょうかね?
食べる事が大好き。

・・・らしい。

基本的に、あんまりブチギレたりしないんだけれども、外食先で、まずい飯を食わされた時には、相当不機嫌になる。

店側にもスゲー文句言う。

承太郎ばりに言う。

前にも、どっかの店で、肉まん頼んだら、中がチョッと冷たい、クソ不味いの出してきやがったから、アンケート用紙に「どれだけ、こだわりとかうんちく垂れていても、中が冷たい肉まんを平気で出すような店には、二度と来ません。

さようなら。

」と書いて、レジのおねいさんに渡して帰ってきた。

・・・ような記憶がある。

要は、値段と味のバランスなんだよ。

前述の肉まん。

あれ、確か1個か2個で、5~600円したはず。

あれが、1個50円だったら、別に文句も言わなかったと思う。

メニューに「国産の黒豚を使用したこだわりの逸品」とか書いて無ければ、罵倒しなかったと思う。

食べるのが苦手。

と言うものを同じくらい、食べる事を軽視してる奴。

あと、食べ物を粗末にする奴も異常に嫌い。

多分、だけど、前述のお店は、飲食店のくせに、食べる事にあんまり興味のない奴が作ってるんだと思う。

食べる事に興味があって、食べる事が好きなら、絶対に、変なものをしかも、客に出したりはしない。

食べる事がどうでもいいから、作るものもどうでもいいんだろうて。

思うに、飲食店をするなら、最低でも、飲食が好きであってほしい。

せめて、自分が作った飯を毎日食べるくらいであってほしい。

飲食店やってんのに、自分は、外に食べに行くとか、適当に済ませてる奴の店は、100%うまくない。

しかもそんな奴に限って、お店をおしゃれにして、雰囲気でごまかそうとしているんだ。

そして、頭の悪い、舌が腐りきってる奴が、そんな店に行ってうまくもない飯を「おしゃれ」と言うスパイスで満足して、無駄に高い金を払ってる。

(まぁ、そんなうんこちゃんは、無駄に金を払えばいいんだけど)
そんな店が無くなれば一番いいんだけど、それが無理なら、今後「アホ専用おしゃれカフェ」みたいな看板をぜひとりつけてもらいたい。

そうすれば、絶対にオレはその店には入らないから。

逆に、「お洒落じゃないけど、食べるのが好きな人専用の店」みたいな看板を取り付けてたら、その店に入り浸ると思う。

うまいものにある程度お金を払うのは当然だと思う。

大してうまくないけど、安くていっぱい食べられるってのもいいと思う。

でも、雰囲気おしゃれなだけで、クソ不味いけど高い店は、絶対に許せない。

そのうち、この店は今すぐ潰れればいいのに・・・な店を実名挙げて、リストアップしてやろうかと思う今日この頃。

と言うか、それに若干近い事を少しずつやってたりもするんだけどね。

一生懸命食べましょう。

で、一生懸命生きましょう。

多分、それが大切なんだと思う。

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2013年4月8日 22:51 CAT :

鬱病の看護婦 のぶ江

ブラジャーは、おっぱいの血管の流れを止めるために、乳がんの発症率を劇的に上げているのだとか・・・

しかも、本来の役目である「形を保つ」ことについては、基本的にGカップくらいの大きさがないとほとんど意味をなさないらしい。

貧乳の場合には、ノーブラでいた方が健康にいいんだと。

ただし、人前では、興奮して乳首が立ってしまったりしたら、「こいつ発情してんじゃね?」とか思われて、レイプされてしまうので、つけた方が良いかもしれない。

なんしか、ブラをつける習慣のない場所には、乳がんはないと言う話は、結構面白いと思う。

明治以前に、日本に癌と言うものがなかった事と同じようなもんか・・・?
おっぱい。

見たい。

揉みたい。

吸いつきたい。

の三大欲求を我慢して生きておりますが、それって結構、妄想の方が興奮したりする。

だって、見て、揉んで、吸いついてをひとしきりやった後には、もう、下の穴のことしか考えてないんだから・・・

妄想上位互換とでも言うか・・・

最近勉強したこと。

おっぱいを揉んだり、吸いついたりは、オレ達おっさんのする事じゃない。

赤ちゃんがすることだ。

おっさんは、黙ってまんこに挿入らしい。

未婚の30代おっさんの3割は、大魔法使い候補なんだそうですね。

凄い時代になってきたもんだ。

思い起こせば、オレも高校くらいの時には「オレは一生、生マンを見ることなく朽ちて逝くんだ・・・」とか、よく分からん悲哀に満ち満ちていた。

やっぱり大切なのは、生マンなんだと思う。

どんだけ、それこそ無修正のAVを見ようとも、実際にまんこがどうなってるかは、想像の域を出ないんだよ。

知らんけど。

漫画を描く時に、漫画を参考にしてたり、写真を参考にしてても、あんまり上達しないのと多分同じなんだろうね。

大切な事は、現実の本物をしっかり見ることだと、思っています。

何か、凄い取り留めのない、まとまりのない、よく分かんない文章の塊が出来上がりました。

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2013年4月7日 23:02 CAT :

お~ちよ お~ちよ 地獄の底へ おちてこい

赤ちゃんは、死ぬ時の感覚をなぜか知っていて、それが眠る時の感覚と酷似しているらしい。

だから、赤ちゃんは眠たくなると泣き始めるんだとか。

「せっかく生まれてきたのに、死ぬたくない。

死にたくないよぉ~」と泣くんだとか。

この話を聞いた時、どんなに疲れていても、夜眠たくなって泣いている子どもに対して、優しく接してやれるようになったような気がする・・・

いつもより、強く抱きしめてやるんだ。

さてさて。

先日、弟から電話があった。

「なんかブックマーケットに、日野日出志の本がいっぱいある」と。

おそらく、春の引っ越しかなんかの時に処分した人がいたんだろう。

いつだって、この季節の古本屋は熱いもんだ。

しかし、日野日出志とは・・・しかも、ひばり書房版の「地獄の子守唄」まであるとか。

早速、買いに行ってきたよ。

ちなみに、4冊買って5,000円ほど・・・別に、お金に余裕があるわけじゃあないけど、この選択に悔いはなし。

オレが日野日出志の作品で大好きなのは「蔵六の奇病」と「白い世界」。

どちらも、読後には、凄まじい日本特有の美しく物悲しい絶望感を味あわせてくれる圧倒的名作だと思う。

特に「白い世界」は、その美しすぎる情景が余りにもまぶしくて、「白い世界」と言う曲まで作ってしまった。

そんな「白い世界」が収録されている「地獄の子守唄」もちろん表題の「地獄の子守唄」も大好きな作品。

初めて読んだ時には、それから3日間位は生きた心地がしなかった。

(その意味は、読んだ事ある人なら分かると思うけど)
しかも、結構幻と言われている、ひばり書房版の初版本。

一冊2,000円(たぶん、ヤフオクとか使えばもっと安く手に入るけど)。

まぁ、打倒だわな。

買いました。

日野日出志作品の集大成は、間違いなく「地獄変」だと思う。

それは、そうだろう。

でも、オレは何だか、「地獄変」と言う集大成に向かうまでの、一つ一つの破片(と言うには、あまりにも素晴らしい)の方が魅力的に映ってしまう。

それが、例えば、日野作品の世界観を決定づけた「蔵六の奇病」や「白い世界」であり、「地獄変」の元になった「地獄の子守唄」だったりする。

そして、その世界観から逸脱しようとして逸脱できなかった「地獄小僧」辺りもまた、素晴らしい。

今回初めて読んだ「地獄まんだら」もある種、「地獄小僧」に近い趣だと思う。

どちらにせよ、世間的に「駄作」と位置付けられている(らしい)秋田書店の書き下ろし作品も含めて、すべて、持って置いて損のない本だと信じている。

ただ、「どうすればこんな、おぞましい作品が書けるんだよ。

」と震えずにはいられないものは、さすがに「地獄変」そして、その後の「赤い蛇」位までだけれども・・・(それは、「地獄変」の続編とまで言われた「悪魔の招待状」を読んだときに凄く思った。

この作品のオチはオチでさすがとしか言いようがないけれども・・・)
恐怖マンガと言えば、やっぱり「梅図かずお大先生」が筆頭株に上がってくるんだろうけど、梅図マンガにおける恐怖は、人間の持つ妄想を具現化したものだと思う。

「こうなったらどうしよう」と、心の奥底に潜めている妄想を、とことんまでリアルに描写することで、絶望的な恐怖を読者に埋めつけるマンガ。

(そう言う意味では、つげ義春、蛭子能収もこっちのジャンルに入ると思う。

この二人は、恐怖と言うより悪夢と言う感じだけど)
だとしたら、日野日出志作品は、人間に新しい絶望の妄想を埋め込むマンガだと思う。

明らかに荒唐無稽。

誰も思いつかない絶望を見せつける事で、恐怖を心に埋め込んでいく。

そして、畳の目一つまでに込められた、悪意。

どうして、この人は(特に、「地獄変」あたりまで)ここまでの悪意を込めて、病んだ絵とストーリーを作り続けれらたんだろうか・・・

すばらしい作品に出会えた事に今日も感謝しつつ、もうそろそろ眠りに就くことにいたします。

ハイ。

ただ、この本。

子どもには当分読ませない方が良いよな・・・

オレの好きな本ってそんなのが結構多かったりする。

最近、そんな悩みも出てきた志茂田さんがお送りしましたよ。

どうでもいいけど、金田一少年の事件簿の名作「首つり学園殺人事件」の「地獄の子守唄」も、この漫画から来たんだろうか・・・?犬神サーカス団のは間違いなく、この漫画からだろけど(ジャケット本人が書いてるし)・・・

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2013年4月6日 23:56 CAT :

今から10年前 僕達はサーカス団でロープを渡っていた

悩みに悩んではいたけれども、そんなこんなで、5月の犬神サアカス團のライブに参戦してまいります。

昨年の5月に行った「さいならサーカス団ツアー」以来1年ぶりか・・・

すでに、楽しみで仕方がない感じでございます。

なんしか、子どもが生まれる・・・と言うことで、しばらくは、ライブとか諦めてたんだけれども、今回、「会場限定シングル発売」、しかも、収録曲は中だるみなし(と、本人談)の20分にも及ぶ超大作。

・・・行くしかないじゃあないか!!
と言うことで、嫁に相談。

したら・・・「子どもが生まれたからって、やりたい事とか、楽しい事を我慢しなくてもええよ。

楽しんできなぁ~」だそうです。

良い嫁を持ったもんだ。

5月には、また、うだうだとレポートでも書こう。

さてさて。

もう一つ。

何と、5月に筋肉少女帯のアルバムが発売になるらしい・・・オーケンのブログとかで、新曲の話題がちらほら出てたから、まさかとは思ってたけど、どうやら出るらしい。

「蔦Q」以来3年ぶりか?
今回は、セルフカバーアルバム+新曲2曲と言う、まぁ企画盤だわな。

再結成時にも、2枚組と1枚でベストアルバム出してるし、それ以前にも3枚ほどベストアルバムを出してるこのおじさんたちな訳で、正直、信者専用のアルバムという気がしないでもない。

お布施を払うと言うか・・・カバーすると言っても、10曲だけだし、新曲も2曲だけだし。

ベストにしては、ボリュームにかける・・・

と、誰もが思うだろう。

けど、このアルバムスゲーって。

何より、80年代のキンショーを盛り上げたエディーと、90年代キンショーを盛り上げたおいちゃん、ふーみんが一緒にやるんだぞ。

この奇跡の布陣で、キンショーの名曲たちが蘇るんだぞ。

ファンとして、こんなうれしい事があっていいんだろうか・・・

しかも、新曲には何と、太田明がドラムで参加してると来たら、これ、買わない理由がいったいどこにあると言うんだよ。

確かにボリュームがちょっと足りない・・・とは思うけど、それでも、もう50にもなろうかと言う変なおじちゃん達にとって、キンショーの曲はきっとすごく大変なんだろう。

むしろ、よくあんな激しい曲を10曲もこの豪華な布陣でリアレンジしてくれたなと、感動すら覚えるわ。

そもそも、収録曲だよ。

こいつが、何とも通好み。

最大のヒット曲である、「高木ブー伝説」スルーして、「キノコパワー」とか「パノラマ島へ帰る」とか「機械」とか、マイナーだけど人気の曲をしっかり押さえてるところがさすが。

だいたい、オリジナルアルバムでさえ、捨て曲が一切なくて、毎回ベストアルバム的な感じなんだから、その中から選曲してベストアルバムを作るってこと自体が難しいって・・・

そんなこんなで、どうしても「あの曲が入ってない。

」的な話になってくる事はしょうがない。

けれども、きっとこれでいいのだ。

あとは、ひたすら販売を待つのみ・・・

せっかくなので、無理は承知で「アルバム1枚につき1曲選べるルール」で、ベストに収録するなら?を妄想して、オナニーでもしておこう、(↓)
○仏陀L
釈迦(すべてクソ名曲だけれども、こいつだけは絶対はずせるわけもなし。


○シスターストロベリー
いくじなし(同じく、すべて名曲だけれども、こいつだけは絶対はずせるわけもなし。


○猫のテブクロ
これでいいのだ(「月とテブクロ」とものすごい悩むんだけれども、こいつの間奏をエディのピアノで聴いてみたいと言う理由で・・・)
○サーカス団パノラマ島へ帰る
23の瞳(この曲を激ピアノ、激ギターになしたリアレンジが可能なのか、ワクワクする)
○月光蟲
イワンのばか(なんか、再結成前のオーケンふーみんだけのライブの時の編曲があまりにもカッコ良すぎたから、是非あれを再現してほしい・・・)
○断罪!断罪!また断罪
踊るダメ人間(「パブロフの犬」も聴いてみたけど、いたしかゆしな感じで、ダメ人間か・・・)
○エリーゼのために
生きてあげようかな(この曲が個人的に好きすぎるので・・・聴くたびに泣いてしまう・・・)
○UFOと恋人
パレードの日、影男を秘かに消せ!(「くるくる少女」「高円寺心中」「タイアップ」「オレの罪」「君よ!オレで変われ」とか、悩みしすぎるけど、あえて、この曲を聴いてみたい・・・)
○レティクル座妄想
ワダチ(このアルバムも、かなり悩ましいけれども、あえて「ワダチ」を聴いてみたい。


○ステーシーの美術
リテイク(「再殺部隊」「鉄道少年の憩」「モコモコボンボン」「おもちゃやめぐり」なども聴いてみたいけど、リテイクをエディのピアノで蘇らせてほしい・・・・)
○キラキラと輝くもの
機械(一番好きなアルバムで、このアルバムの収録曲全て捨てがたいけれども、やっぱり一番の思い入れが強いのは「機械」か・・・

○最後の聖戦
ペテン(このアルバムに関しては、「ペテン」一択だと思う。

この曲があまりにも突出しているのでね。


○ナゴム全曲集
猿の左手 象牙の塔(この曲にメタル要素が入るとどうなるのか、ゾクゾクする。

「外道節」も捨てがたいけれども・・・

○筋少の大車輪
サボテンとバントライン(ベストアルバムもカウントしたとしてでも、外せない。

大好きな曲。


○筋少の大水銀
ゴーゴー蟲娘(「死んでゆく牛はモー」と悩むけど、この曲大好きだからなぁ~)
○ベスト&カルト
蜘蛛の糸第二章(「蜘蛛の糸」は第二章の方が好きなんですよ)
○SAN FRANCISCO
サンフランシスコ10イヤーズアフター(まぁ、この曲もためのアルバムと言っても過言ではない伝説の名曲ですからね。


・・・と、凍結前までだけで考えててたけど、これ無理だ。

と言うか、たぶん、全オリジナルアルバムを、1枚ずつセルフカバーしていっても、全部買うわ。

(リマスタリングでも初期のアルバムは全部買ったんだし。


そんな感じで、たまには、筋肉少女帯についてお話してみましたよ。

さよなら。

さよなら。

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2013年4月1日 23:18 CAT :

8デノナルーフルリプイエ

オレはジャックの幸せな心です。

今日、中性的存在となりました。

それは決して、オレ自身が性的欲求を捨ててしまったからではありません。

オレは、珠江を心の底からそれはもう、本当に愛していました。

ふと思ってしまったのです。

例え一時つながっている事が出来たとしても、結局は、離れてしまうと言う事に。

それはとても悲しい事なのです。

オレは、珠江の膣の中で膨張する寸前の自分のペニスを切り取り、珠江の膣の中に置き去りにしました。

そうしておいて、珠江の膣を固く固く釣り糸で縫いつけました。

これでオレと珠江は、どれだけ離れていたとしても、いつもつながったままなのです。

その喜びに比べれば、性交渉で得られる快感など、いったい何の意味合いがあると言うのでしょうか。

今オレは、何よりも幸せです。

ドクドクと溢れ出す鮮血が留まる事はなく、少しだけ睡魔が襲ってきました。

今しばらくだけ眠ろうと思います。

自分の溢れ出る鮮血を枕に、珠江の叫び声を子守唄に。

少しだけ眠ります。

目覚めた瞬間から始まる幸せの世界を夢見ながら・・・

おやすみなさい。

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2013年3月28日 22:39 CAT :

あたしの奥の方までずっと好きにしていいの

家の近く・・・とまでは言わないけど、ちょくちょく行ってた韓国料理屋が潰れてた。

考えてみれば、オレは昨年の夏以降、「韓国料理なんて胸くそ悪くて食えるか!」って理由で一度も行かなくなっちゃったけど、他の人も皆そうだったんだろうか・・・?確かに、ここ最近は、駐車場に車が止まってんの見た事かったいような。

いや、お店のおばちゃんとかは皆いい人だよ。

韓国人だけど。

アキヒロ君のやった人気取りで一番割を食ったのは、こう言う真面目に日本で働いてた韓国人なんだろうな。

寄生虫以下の在日チョンは今すぐ日本を出て行くか、死ねばいいけど、あのお店のおばちゃんとかは、チョッとかわいそうに思う・・・

そう言う事に対して、韓国ではどう思っているのやら・・・

今はそれどころじゃねぇ~か。

ほぼ、戦争状態だもんな。

さてさて。

子育てを初めて2か月を超えました。

志茂田さんです。

当初と比べて、子どもも少し成長してきたのか、夜もある程度寝るようになったし、泣いてても少しずつだけど意思の疎通ができるようになってきた。

それに併せて、子どもも「これがお父ちゃんだ」的な事を少しずつ分かってきたんだと思う。

仕事から帰ってきて「ただいまぁ~」って顔を覗き込むと「お父ちゃんだ~」みたいな感じでニッコリする。

その顔を見るのが、最近では、何よりも楽しみになっているという・・・なんとも親バカな感じで済みませぬ。

まだまだ始まったばっかりだけど、すでに、この数ヶ月間で随分と色んな事を学んできた。

・・・と思う。

考え方もいろいろと変わってきた。

何より、子どもネタに尋常じゃなく弱くなった。

先日も、ディズニーランドでのお子様ランチの話でウルウルしてたし、北海道の父親が子どもを抱きかかえて凍死していた事件でもビックリするほど心が痛んだ。

今も、横でスピースピー寝息を立てて寝ている子どもの寝顔を見ながら、この子は今、オレか、嫁に頼る事しか出来ないんだよなぁ~と思うと、不思議と変な使命感にすら駆られてきてしまう。

多分、オレは虐待とかしないと思う。

と言うか、抱っこした時に必死でしがみついてくる、この小さな生き物をどうすればぞんざいに扱い、さらに暴行など出来るのか・・・

先日、中絶の詳しい仕方・・・みたいな奴を見てしまった。

詳しくは書かないけど、なんて残酷な・・・まだ10センチほどの赤ちゃんでも、ハサミで切られる時に「生きたいよぉ~」と言わんばかりに逃げるそうで。

何の罪もない赤ちゃんが、生まれ出るまでは唯一頼るしかない母親の無慈悲な裏切り。

いや、お前がただの中だし大好きな腐れビッチだったと言うだけで、赤ちゃんには何の罪もないのに、それでも、殺すと言うのなら、自分も同じように腕も足も捥がれて殺されてしまえばいいのに。

その位の気持ちでいろよ。

もう命が出来てるんだ。

今、日本の死因で一番多いのが中絶らしい。

オレも、今にならなければ、この話についてここまで悲しい気持にはならなかったかも知れない。

でも、生まれた瞬間の子どもを抱いた時に、か弱く、儚い存在ながらも、力強い生きようとする意思みたいなものは感じたような気がする。

ただ一つ問題がある。

もし、だからと言って中絶をしなかったとして、産んだけれども、結局は育てる事が出来なかった。

そして、虐待をして、飢え死にさせてしまったとしたら・・・果たして、どちらの方が不幸なんだろうか・・・と。

一番いいのは、そもそも望まない妊娠を避ける事なんだろうね。

先日テレビで鈴木奈々が「私は絶対コンドーム派。

コンドーム大好き」って宣言してて、すげーなコイツと思ったけど、それはそれで、大切な事なんでしょうね。

まぁ、そんな話をもっと学校とかでやるようになれば良いのかも知んない。

ふと思い出した。

中学校の時、当時の生活指導の怖いオッチャン先生が、保健体育を教えてたんだけど、その時に「まぁ、君たちはまだガキだから、色々妄想もするだろうけど、大人になると『昨日セックスしたぜ~」とか軽々しく人には言わない。

大切なことだと思うようになるからだ。

それが分からんうちは、どれだけ粋がってもガキでしかない。

」みたいな事を淡々と話してたわ。

今になって、その言葉の意味がちょっと分かるかも。

やりマンでも、やりチンでも全然良いけど、中絶についてだけは、圧倒的に非難される。

そんな社会になれば良いのに。

と、思いましたよ。

って話だ。

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2013年3月22日 15:34 CAT :

しゃくしゃく余裕で暮らしたい

昔っから、何か書くたびに色んなところからあ~だこ~だと怒られまくってた。

古くは、小学校の年賀状の内容からはじまって、マンガの内容や、台本の内容、このブログで書いた事が結構メンドくさい事になった事もあった。

(詳細は書かんけどな。

またメンドくさい事になるのも嫌だし。


そんなオレが、人に注意するようになってしまったんだって。

基本的にオレは他人の言動など知った事ではないと思ってる。

そいつがどんな言動をする事で、どれだけ不利益を被ろうとも知った事ではない。

スタンス。

・・・だったのになぁ~
そうして気がつけば、オレの作る作品などからは、異常な説教臭が出始めるんだろうな。

それも一種の成長なのか・・・

志茂田さんパパになるための変化だったとしたら、それはそれで複雑。

まぁ何しか、色んなところから怒られつつ、やって良い事と悪い事の線引きをしていけばいいんだろう。

オレもそうしてきた事だしな。

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2013年3月10日 20:56 CAT :

ウロコの生えた政治家に従わなければ殺される

知り合いの人に「UDON」をみて感動したから、うどんを食べに行きたい。

とか、そんな感じのお話をされた。

んで、それに対して「UDON」に出てるうどん屋なんてことごとくガッカリするだけですよ。

雰囲気を味わいたかったら言っても良いですけど・・・的な返しをしてしまった事を少し後悔してたりする。

確かに、嘘は言って無いんだけど、もう少しオブラートに包むとかあったような気がする・・・せっかく、テンションが上がってたのに、水を差すようなことを言ってしまってゴメンなさい。

ただ、オレは「讃岐うどんブーム」のせいで、死んでいった本当に美味しいうどん屋を沢山知っているわけで、その意味で、麺通団に対しても、あの映画に対しても、結構憤りを感じたりしている。

当たり前の日常を破壊されて、もう戻ってこないというこの現状・・・

うどん屋さんとしては、お金が儲かったから良いんだろうか・・・?
ただ、それで香川県は多少なりとも、経済的に潤っているのなら、単純に否定ばかりも出来ないかもしれない。

難しい問題だよな・・・

さてさて。

何か日本のインディーズバンドさんが、反韓ソングを製作し、それを韓国の息のように嘘を吐くキチガイが暮らしている「ナヌムの家」に向けて送りつけたとかなんとか・・・

タイトルは「チョン斬れ」。

聞いてみたけど、なぁ別に普通だわな。

歌詞が過激なといえば過激なけれども、センスが無い。

と言うか、ストレート過ぎる。

何と言うか、ただの悪口。

しかも、それを送り付けちゃったとか・・・

この何の面白みも無い行為は、アーティストとしていかがなもんだろうとか思ってしまった。

って言うか、もっと言えば、自作自演じゃねぇ~の?ってすら思う。

有名な話だけれども、国家を垂れ流しながら街宣車で街中を走ってる「エセ右翼」は全部在日。

こいつらは、一見して天皇崇拝をしているように見せかけながら、その実は、「右翼って怖い人たちなんだ」とか「人前で愛国心をさらす事は恥かしい事なんだ」とに日本人に植えつけてたりするどうしょうも無い奴ら。

この前なんか、日本の韓国領事館で問題起こして、韓国で反日が盛り上がったのに、捕まえてみれば、韓国人だったみたいな事件だってあった。

日本人としては、神経を疑うような事を平気でできる。

プライドもクソも無い。

チョンとは、そう言う生ごみのような民族だ。

だから、今回の件に関しても、日本人ならこんな事しねぇ~だろ・・・と言うのが、正直な感想だったりする。

いつもの自作自演だよ。

そもそも、前述だけど、センスが無いもん。

彼らがもし、ある程度考える脳みそがある本当の日本人で、日本の現状を憂いて、且つ、チョンに対してブチ切れているのなら、今回みたいな事はしないと思う。

そうでないなら、同じ日本人として、チョッと悲しくなるって・・・

彼らには、ぜひ「犬神サアカス團」の「恐山」を聴いてもらって、例え憂うべき状況であっても、それを作品として作り上げる事こそ、アーティストとしてのあるべき姿だと、知ってもらいたいと心のそこより願う次第です。

メッセージを発信し続ける事は大切だけど、ただ、暴言を吐けば良いって訳じゃない。

それは、あいつらがやってる事と同じだ。

餓死寸前の小汚いチョンが噛み付いてきたからといって、同じように噛み付くのは間違ってる。

そんな生ごみには淡々と死んでもらうのが人間としての対応だって。

と、少しだけ書いておこう。

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2013年3月9日 22:29 CAT :

それが3時の子守唄

池田大作先生が死んだって・・・

何回目だよ。

つい先日、中国に売国旅行に行ってたんじゃないのかよ・・・

そして、何代目の大作先生だよ・・・・

などなど、突っ込みどころ満載の日々ですが、何とか生きておりますよ。

お久しぶりです。

少しずつ、日々の生活にも余裕が出来てきたような気がしないでも無いのですが・・・それはそれ。

相変わらず時間には追われておりますな。

問題も結構山積してるし・・・

とりあえず、マンガ描きとブログの更新と位をコツコツやっていこうかな~
音楽までは手が回らないので、ホントにしばらくお休みだ。

良い曲も沢山できてきたし、しばらく熟成させてみよう。

そんな感じぃ~

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2013年2月22日 23:02 CAT :

机に野ばら飾って過ごす

時間に追われっぱなし。

自分の時間もほぼ持てないもんだから、ブログはおろか、ペンもギターもほぼ握っておりません。

ただ、まぁ、一応「生きてるよ」って意味も込めて、少々。

子どもを眺めながら、日々を生きております。

で、何か色々と子育てブログとかをサーフィンしたりしたりしてみたりしている。

ふと思うのは、何かみんな顔出しとかに抵抗がないのか・・・?って事だったりする。

顔出しについては、大体3パターンくらいあるらしい。

1.親子共々顔出し、下手したら本名や住所などまで明かしている。

2.親は顔出し、子どもについては存在は明かしても顔出しはしない。

(ちなみに、オレはこれ)
3.親の顔は出さないけど、子どもの日々の状態をあけすけにさらけ出す。

1はもうしょうがないと思う。

ただの親ばかだ。

子どもが可愛くて仕方がないんだろう。

そして自慢したくて仕方がないんだろう。

オレも同じ気持ちだから、すごく良くわかる。

2はある意味良識派。

(自分で言うのもなんだけど)自分のリスクについて、ある程度理解した上で、そのリスクを子どもにまで及ばないように最低限の配慮をしている。

ほんとは、毎日の可愛い寝顔や仕草をつぶさに公開したいのに我慢している。

(オレの場合)
問題は3だ。

要するに、自分は顔出しするリスクをごめん被りたいけど、子どもについては、知ったことではない。

または、子どもに人権などなく、自分の所有物(ペットと同じ。

下手したら、アクセサリー感覚)にしか子どもを見ていない生ゴミ野郎だと思う。

と言うか、それ以外に何か理由でもあるというのだろうか・・・?
なので、自分の顔だけ加工して隠したりしておいて、子どもの顔はそのままネットに晒していると言う、低脳を通り越した生ゴミやろうにだけはなるまい。

と、心に誓ったりしております。

とそんな感じで、また、お別れの日々。

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2013年1月30日 23:02 CAT :

【転落の詩集m7】と言うコード

昨日ちょこっと触れた「鳥肌実が在日の急先鋒だ」とかいう話。

あれ、実は、色々噂されているらしい。

つまり、一つには「国のために立ち上がるということは恥ずかしい事だ」と言う愛国心を日本人から奪うためにあんなことをしていると言う説があり、もう一方で、「国のために立ち上がるということは恥ずかしい事だ」と日本人に思わせるために、アホみたいに街宣車でウロチョロしてるエセ右翼なチョンを馬鹿にしていると言う話。

どっちがどっちやら。

という感じだけれども、取りあえず、一方的になんでも、在日チョンだ。

みたいな決め付けは、あんまり良くない事ですよ。

と、そんな事をお伝えしておきます。

まぁ、あの人は基本的に「訴えたい事がない」らしいので、あんまり考えずに、ケラケラ笑うのが正解だと思う。

ちなみに、このブログも特に「訴えたいこと」などないですよぉ~何か、チョイチョイこのブログ読んだ人から「右寄りな思想」だとか、「危ない思想が」とか言われたりするけど、特にそんな思想的なものがあるわけでもなく、ましてや、何かを啓蒙しようなんて露程も思ってない。

あくまでも、個人的なメモ書きがメイン。

自分がいいと思ったことを絶賛して、ダメだと思ったことを貶してるだけでございますよ。

うんうん。

そう言う自分の書きたいこととかは、作品とかに埋め込むって。

ブログで垂れ流しとか勿体無いことですじゃ。

さてさて。

犬神明兄さんのブログで、面白い話を見つけた。

元ソース(↓)
犬神明ブログ「のんつって兄さん」へ
「コード(和音)は、性格音の半音の差で、メジャーとマイナーになり、凄まじく印象が変わる」と言う、まぁ、音楽をチョッとでもかじった事がある人なら、誰でもわかる話だけれども・・・

改めて考えると、そうなんだよな。

コードって、基本的に元となる根音と、それに付随する性格音からなってるわけで、その性格音の高さは根音から3度音上がったとこなんだけど、その性格音が、半音下がると、コードはマイナーになる。

当たり前だけれども。

それだけで、明るいメジャーコードから、暗く悲しいマイナーコードになってしまう。

基本的に、オレは曲を書くときに、マイナー調な曲が多いのは、きっと心が病んでるからだと信じていたい。

まぁ、ただこれを「ふ~ん」で終わらせてもイイんだろうけどチョッとこれを飛躍させて考えてみたらどうだろうか?
例えば、人生に置き換えてみる。

幸せな人生と不幸な人生なんて、実は、半音上がるか下がるかだけの差なのかもしれない。

根音と言う絶対的な要素がある。

それが、人生における絶対的な出来事だとすれば、性格音は、その時々の心の持ちようだと言えると思う。

(無理やりにでも。


そうした時に、心の持ちようが、半音上がるか、下がるかだけで、実は、幸せな人生と不幸な人生になっちゃうんではないか。

みたいな話だ。

めっちゃ金持ちだけれどもシガラミが多くて不幸な人生があるかと、思えば、クソ貧乏だけれども自分のやりたいことを自由にやって常にニコニコしている幸せな人生もあるだろうて。

めっちゃ金があって、なんでもやりたい事ができるから、シガラミくらい屁でもない幸せな人生だってあるだろうし、クソ貧乏だから、惨めでしょうがなくて、いつも下向いてる不幸な人生もあって然るべき。

「じゃがたら」の大名曲「もうがまんできない」の中で、江戸アケミは繰り返し「心の持ちようさ」と歌い続ける。

まさにそういう事なんだろう。

「じゃがたら」の曲って、ホント、深いのが多いよな。

ってことで、何か例え話とか考えてたけど、ふと大好きな漫画家さんの西岸良平の「転落の詩集」を思い出した。

まさに、そういう話だ。

詳しくは、自分で読んでみればいい。

ちなみに、人がなぜマイナー調の音楽を聴くと悲しくなるのかについては、まだ原因が解明されていないらしい。

それと同じく、なぜ不幸な人生がいけないのか。

も、きっと解明されていないんだろう。

不幸なことはいけないのか?幸せでなければいけないのか?
そんな哲学的な事を、人の心の根源からもう一度考え直してもいいのかもしれない。

と、今、幸せの花いっぱいの志茂田さんが書いてみましたよ。

イライラすればいいと思う。

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2013年1月29日 23:45 CAT :

また今夜も葬式が出るべ2012

2013年に入りまして、気がつけば、1ヶ月が経とうとかしているらしい・・・

うむむむ・・・早い。

早すぎるぞ。

何か、忘れているような気がしたんだけど、それを今しがた、風呂に入ってる時に思い出した。

2012年の振り返りだ。

多分そうだ。

チョッと、制作物については、羅列したけれども、何か、2012年については、特に何も書いてなかった。

と言う事で、例年みたいな10大ニュースな感じじゃないけど、少々書いてみよう。

とりとめのない感じで。

〇音楽制作をほとんどしなかった2012年
考えてみれば、2月に、3年ぶりの「馬忠・DA・ムドー」のアルバムを制作した以外は、ほとんど何もしなかった。

まぁ、学生時代にやってたバンド「仁美・mine」の楽曲を全て再レコーディングして、一枚のアルバムにまとめたりもしたけれども、それはそれ。

特に、新しく作ったわけでもなし。

・・・ホント、なんにもしてないわ。

とは言いながら、次のアルバム「王道軽傷」の曲は、少しずつ形になってきてたりはするけどな。

ギターとかは、チョコチョコいじっております。

〇漫画ばっかり書いてた2012年
30歳までに書ききると、自分と約束した「US」と言う物語を、誕生日からこっちとにかく、書いてたような気がする。

とは言えども、仕事の合間を見てだから、そこまで大量というわけでもなく、まぁ、半年で250ページ位か。

何しか、高校生の頃に妄想していた物語、シーンを今書いているという、この何ともすごい状況に満足はしている。

〇良いアルバムに出会った2012年
間違いなく2012年で最高傑作のアルバムは「犬神サアカス團」の「恐山」だと思う。

ホントに、最初聴いたときから、今、まだ聴いてる段階に至っても、まだまだ底が知れない。

すごい名盤だ。

まぢで。

そして、この「恐山」と双璧をなす名盤が「特撮」の「パナギアの恩恵」。

こっちは、初聴時には「ん?」ってなったけれども、聴けば聴くほどどんどんはまりこんでいくと言うスルメ型のアルバム。

ちょうど、ピンクフロイドの「狂気」を聴いたときに近い感じか?聴けば聴くほど、ノリノリになっていくと言う実に不思議な名盤。

とにかく、2012年は後半に素晴らしいアルバムに出会えました。

〇韓国が大嫌いになった2012年
8月の「アキヒロ」君による暴走から端を発したお隣韓国の暴挙の数々。

未だに、陛下への侮辱については許せるものではないけれども、あれを契機として、如何にこの国で、腐れチョンどもがのさばってくれてんのかを再認識させて頂けた。

ナマポ芸人河本も、在日だったわけで、そもそも、こいつが芸人としてTVに出ていたから問題は大きくなったけれども、同じような方法で、日本の資産を食いつぶしている寄生虫が山のようにいる。

生活保護費の引き下げ反対のデモとかしてるキチガイは全部そうですね。

ついでに、史上最悪とも揶揄された「スミダミヨコ」の事件も、全て在日がしでかした事だった。

ついでに、好きだと思ってた「鳥肌実」も、在日の急先鋒だったと言う・・・もう、何が何だかわからない。

何を信じていいのか分からない。

知れば知るほど奥は深い事に恐怖を覚えた。

他にも、色々あるけれども書き出したらキリがないのでこの辺で・・・

〇エホバの標的にされかけた2012年
事の発端は、エホバの勧誘を勧誘だと思わず、話を聞いてしまったことなんだけど、ついでに、相手に「如何に日本の神道が素晴らしいか」とかを語ってしまったから、「話のできる家」認定をされてしまったと言う・・・何ともよく分からない事に・・・でも、エホバって、今のところ「統一教会」や「創価」と比べて、随分紳士的な気がするんだけれども・・・まぁ、どう転んでも、そんな宗教に入信などせんけどな。

〇ばあちゃんが死んだ2012年
6月には、ばあちゃんが息を引き取った。

正直、色々とめんどくさい所もあった人だったし、影では、「やっと済々した」とか思われているかも知れない。

けれども、オレにとっては、小さい頃から色々と面倒を見てもらったばあちゃんだった訳で、最後のお別れの時には、嗚咽を堪える事ができなかった。

もう、ほとんど意識もなくなってたとき、不意に、「もう一度だけ、ばあちゃんの声が聞きたい」と思い、病室に行った。

もう、体を触っても、何の反応もない状態だったのに、声をかけ続けると、確かに、オレの方を向いて、名前をつぶやいた。

(気のせいではないと信じたい。

)最後に、声が聞けた事を思い出して、また泣いたりもした。

〇パパになりそこねた2012年
実は、もしかしたら、2012年のあいだに、子どもが生まれてくるかもしれなかったりした。

結果的には、2013年になって生まれてきたけれども。

妊娠期間中から、本当に色々大変だった。

でも、こんな程度のこと、誰だって経験してるんだ。

弱音を吐くなと、嫁ともども励まし合って頑張ってきたけど、あとから聞いたら、つわりも、妊娠期間中も、そして、お産も、周りの誰よりも大変だったという。

なんじゃそりゃ・・・でも、その分、子どもは可愛いぞ。

〇そんなこんなで政治に興味がむいた2012年
自分の生活以上に、これからの娘の生活を考えたとき、異常に政治に関心が出てきた。

そうなると、もう、本当に民主党と言う党に対して、苛立ちしか募らなくなったわけで、自民党の圧勝に光が見えた気がした。

売国新聞はじめ、マスゴミが非難しているけど、安倍自民党は、実によく頑張ってると思う。

そして、引退したルーピーが、その安倍自民党の足を引っ張っているという。

どこまで行ってもクズの集まりだ。

でも、政治に興味を持つ前には、自民党から民衆党に政権交代した時には、本当に期待していたんよ。

自分で、情報を集め、自分で吟味していけば、何が正しいか少しは分かると言う事だろう。

少なくとも、朝日新聞だけを購読してるやつよりはな。

と、つらつら書いてきたけど、こんな感じか・・・

何か、まだまだ色々あった気もするけれども、今パッと思い出せるのは、このくらいであって、ぱっと思い出せない程度のことなんか多分大したことじゃない。

どうあがいても、一番大きなことは、命を授かったということ。

一つの命が生まれるということが、こんなにも大変なのかと思ったとき、色々なモノの見方がまた一つ変わったと言う、このパラダイムシフトは、相当大きかったと思う。

そんなこんなで、おそらく2013年の一番大きなことは、家族3人での生活になることが既定路線の今年一年を頑張って生きていきましょう。

いやぁ、映画って本当にいいもんですね~

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2013年1月27日 22:12 CAT :

望み縫い

このブログ読んでる奴らなんて、その9割以上がご存知のことかと思いますが、ついに、子供を授かりました。

・・・と言うか、生まれました。

志茂田さんがパパになったと言う事だ。

生涯童貞である事を確信し、何もかもを諦めていた高校時代のオレに、今ならこう伝えてやりたい。

「お前は、童貞を捨てるとか、中出し出来るとかそんなレベルじゃなく、命を授かることができるんだぞ」と。

人生、何が起こるかわからない。

とにもかくにも、大好きな犬神サーカス団の名曲「人工妊娠中絶」を絶った10ヶ月間。

色々と、思い出はある。

あるけれども、それに浸っていたのは本当に生まれてからの数時間だけで、それ以降は、目眩くスピードで成長を遂げる愛娘と過ごした時間のことばかりが頭をよぎっている・・・らしい。

本日、へその緒もポロッと取れました。

この子の寝顔を見ながらふと思う。

これまでの人生を省みたとして、何か、色々嫌なこととか辛いこととかあったけれども、それらを経た先に、この今があるのであれば、それも実は悪くなかったのではないだろうか・・・。

ユングの言葉に「原因があるから結果がある。

全ては必然である。

」と言うものがある。

今この瞬間を生きているのは、過去のどこかに原因があるからであり、その原因があるからこそ、結果として、今この瞬間がある。

あの時も、この時も・・・

そして、今この瞬間を原因として、結果が作られている。

全ては、必然であり、無駄なことなど何もない。

嫌になることもあったし、病んでしまうこともあった。

金がない時も、仕事がない時もあった。

心が荒みすぎて眠られない夜があり、自傷に走ったこともあった。

いつ終わるやもわからない闇の中で、たくさんの病み腐った物語を紡いでいた時期もあった。

それら全てが原因となって、今、多分オレは、すごく満ち足りた、幸せな感情を持っているのだろうて・・・

そして、時間は再び流れ始める。

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2013年1月13日 21:50 CAT :

仲本工事の奥さん死んだ

昨日、だらだらとワンピースの「ストロングワールド」を見てた。

あの映画、なんだろう・・・シキは、盃交わしてるし、その屋敷に乗り込んでくる時だけ麦わら一味は、銃装備のスーツ姿だし、昔の任侠映画かと思ったわ。

(「アウトレイジ」はメチャメチャ面白かったよね!)
・・・でも、なんか面白くない。

ストーリーの 無意味さ 単純明快さは、ドラゴンボールの映画の方がよっぽど酷かったと思うんだけど、それは置いといても戦闘シーンがつまんない。

めっちゃかっこいいとか、緊張感のある音楽があるわけでもなし、ボコボコの殴り合いとかがあるわけじゃないし・・・いや、ドラゴンボールもこんなもんだったのか?
ふと考える。

この映画はきっと面白い。

この映画が面白くなくなったのは、オレが少年じゃなくなったからなんだ・・・と。

ジャンプのマンガに詰まんないとか、30前のおっさんが文句を言ってはいけないんだよ。

事実、あの雑誌を少年が読んで面白ければ、それで良いんだ。

腐りきって臭ってくる女しか読んでないだろう「黒子のバスケ」とか、「テニスの王子様」とか、その辺についてはなんか釈然としないけれども、「少年ジャンプ」なんだから仕方がない。

(「テニプリ」はもうスクエアか・・)
ジョジョは未だに読んでる・・・とか思い直したけど、あれも、もう「少年ジャンプ」じゃないんだよな。

「ウルトラジャンプ」なんだよな。

掲載誌。

ちなみに、「ハンターハンター」については、むしろ、このマンガが掲載誌を間違ってるんだと思う。

さてさて。

昔から、カニバリズムに尋常じゃない興味がありました。

志茂田さんです。

子どもの頃には、ドラクエの指人形を使って、「それぞれが相手の肉をお弁当として食べ合う遠足」と言うよく分からない物語を延々妄想しておりました。

その事実を知ったおかんに、「ゲームが悪影響を与えている」とか謎の誤解をされ(ドラクエの人形を使ってただけで、別に人形はなんでも良かったのに)、しばらく、ドラクエとかを禁止されたのも、今となってはいい思い出。

今までにも、カニバリズムをテーマにした物語もたくさん書いてきた・・・と思う。

演劇の台本「海の底とまぶたのない魚」とか、アルバム「オナニー遍歴」に収録している「カニバリズム・マゾヒスト」とか・・・・

でも、自分では、人間を食べたことがない。

・・・まぁ、当たり前と言えば当たり前だけれども。

興味本位で、自分の体の一部をかじったりはしてる。

カサブタとかじゃなくて、皮とか、肉とか。

特にうまくはないけれども、なんだか不思議なクセになる噛みごたえはなかなか捨てたもんじゃないかも知れない。

とは言えども、所詮、自分の体の一部。

自分の体を食べて、自分の体の一部にしているだけなんだから、そんなもん、ただのマニュファクチュアみたいなもんだ。

・・・と言う事で、食べてみた。

いや、別に犯罪的なことじゃなくて、嫁の指の剥け剥けになってきた皮みたいなヤツを。

女の体の一部を食べる。

とか書くと、実に素敵な性癖のような感じもするけれども、そんな興奮とは、数万光年剥離した、単純な興味本位で食べてみた。

感想としては、当然、自分の皮と噛みごたえとかは同じ。

・・・なんだけど、不思議と嫌な感じがする。

それは、気持ち悪いって言う感覚と、なんか尋常じゃない罪悪感みたい感じ。

・・・オレは、アルバート・フィッシュにはなれない。

・・・ソニー・ビーンみたいな家族も作れない。

でも、「エディ・E」と同じで、血の滴るステーキは大好物。

肉は、血の味がする硬い赤身がうまいと思っております。

なんか、霜降りとか好きな奴は、絶対肉好きだと思わない。

あんなもん、口の中ですぐとろけて、ほのかな甘みを感じるだけじゃないか。

オレは、肉をくいたんだよ。

肉と血の味をしっかり歯で噛み締めながら、分厚い肉の塊を頬張りたいんだよ。

昨日は、家の近くの「ビッグボーイ」で、300gのサーロインステーキ食べた。

でも、全然物足りない。

1kgぐらいステーキ食べたい・・・

え~と・・・オレが何を言いたいかというと、肉ってうまいよね。

って事・・・だ!!

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2013年1月11日 23:01 CAT :

あたいはお前の顔とアソコさえあれば充分なんだよ

「シーソーゲーム」なら、1000円出してシングル買ってもいい。

と、Mステ見ててふと思った。

誰がなんと言おうと、CDが売れなくなったのは、ネットのせいじゃなければ、コピー技術の進歩でもない。

あの当時だって、買うまでもない曲はレンタルしては、MDにコピーしたり、MDをダビングしたりしまくってたんだ。

でも、そんなもんじゃ満足出来ない。

手元に置いておきたいだけの素晴らしさがあった。

と思うのは、ただの懐古中の戯言でしょうかね。

でも、今でも「犬神サアカス團」と「キンショー」「特撮」については、発売日には、なんとしても手に入れてるわけだし。

買うまでもない曲が増えただけだなんだ。

ちなみに、ミスチルで一番好きな曲は「ゆりかごのある丘から」でございます。

さてさて。

なんかとある調査で「結婚したくないやつが全体の40%くらいになった」らしい。

ソース元(↓)
https://news.mynavi.jp/news/2013/01/10/056/index.html
その理由の多くは、実際に結婚したヤツを見てて、幸せそうに見えないから。

だそうで・・・

オレが結婚する前、会社の皆様に散々「覚悟は決まったんか?」とか、「結婚は人生の墓場」とか、「今のうちにしっかり遊んでおけよ」とか言われまくった。

・・・し、実際に、こんな事を言ってる皆様方は、本当にそんな結婚生活なんだろう。

結婚すると、どれだけ窮屈な思いをするんだろう・・・とか、ちょっと考えたりもしたけれども、実際、今の結婚生活は思ってた以上に快適だったりする。

特に、不満とかないと思う。

考えてみれば、自分の両親を見た時に、もう結婚して30年が経とうとしているのに、未だに一緒に風呂に入ったり、二人で夜に散歩に出かけたりしてる。

どちらか一方に話した話は、次の日には二人のあいだで共有されている。

ギスギスしてる時もあるけど、何だかんだ言いながら悩みを共有したりしながら、30年だ。

この二人仲がいいんだと思う。

そんな両親を見てきたオレにとって、結婚って実はそんな怖いもんじゃなかった。

(重い責任がのしかかってくることに若干ビビってはいたけれども・・・)
今だって、別に、実家でいた頃と大して生活の感じは変わんない。

と言うか、多分、嫁に使ってる気は、実家で家族に使ってた気の半分以下だと思う。

普通に、音楽活動とかも続けてるし、マンガ書いたり、創作活動も差し障り無くやってる。

連れと飲みに行ったり、なんだったり女友達と2人で出かけたりしても問題ない。

そもそも、オレがあんまり金を使わないってのもあるけど、結婚してから一度として、金を使えないと言う類の不満を持ったこともない。

ついでに、嫁の作る飯もうまいしな。

とか何とか、惚気けてみました。

見苦しかったらごめんなさい。

でも、本当に、特に何の不満もなくニコニコ生活しております。

唯一できなくなったことと言えば、弟とのヘイロー位か・・・?まぁ、これについてもやりたい衝動に駆られて、時々実家でやってたりするので、そこまで不満じゃあない。

何が言いたいかというと、「結婚は決して人生の墓場じゃない」ってこと。

本当の人生の墓場は、ロクでもない糞女に引っかかってしまったときだ。

正直、たまにテレビとかで糞女を見かけた時には、「こんなやつと結婚するくらいなら生涯独身でいい」とか思うし、結婚なんて無理にする必要はないとも思う。

ステイタスとか、世間体のために、ロクでもない女と結婚とかするのは、愚の骨頂。

結婚なんて、そんな難しいものじゃないし、そんな凄いものじゃあないと思う。

なんか、誰かが「結婚して、子供産んだ女をカッコいいという」みたいなことを言ってたけど、アホの塊でしかない。

そんな奴と結婚した男は、確実に「結婚は、人生の墓場だ」って感想を持つだろうて。

昨日、「ダウンタウンDX」で中尾彬大先生が素敵なことを言ってたよ。

「うちは、男尊女尊だ」って。

お互いを、お互いに尊敬できる間柄を築けるときに、初めて結婚ってのは、意識すればいいらしい。

女なんて、別に凄いわけでも何でもない。

男だって、別にすごいわけでもなんでもない。

性別は、理由にはならない。

それでも、男を見下して、女だってだけですごいとか思ってる女は、ベッドに縛り付けて、まんこにバイブでも突っ込んで陵辱してやればいい。

泣き叫んでも、しばき回して、二度と刃向かえなくしてやれば良い。

そして、ゴミ箱に捨てて、もっと良い女を探しに行きましょう。

そんな、生ゴミ臭いまんこより、もっといい女は、きっと世の中にたくさんいるはずだ。

とか何とか、こんな話をオレがするようになるとは・・・

いや、ただの惚気だ。

気にせんでくれたまえ。

世は正に、世紀末!!!!

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2013年1月8日 0:40 CAT :

神々のゲップ~後編~

【前回までのあらすじ】
昔、何が良かったのかさっぱりわからなかった、所謂「名曲」と呼ばれる作品たち。

あんなもの、歳とったおっさんが、回顧感に浸りながら、涙を流すだけの歌で、今の時代にはあわねぇんだよ。

と思っていた。

でも、自分が歳をとったおっさんになったとき、例えば「愛燦燦」を聞くと、例えば「上を向いて歩こう」を聞くと、例えば「やさしさに包まれて」を聞くと涙が溢れてくるようになってしまった。

これらの曲はきっと、年を重ね、経験を重ね、人生の悲喜交々をくぐり抜けたあとに、初めて本当の意味を理解できる曲なんだろうて。

やっと「昴」の本当の良さも分かってきました。

さてさて。

そんなこんなで、今日で最後にしてしまおう。

あの変な宗教勧誘のおかげで、なんかテンションが上がってしまった「神様考察」。

そろそろ飽きてきたしな。

と言う事で、最後に考えるべきなのは、やはり我が日本における「神道」をはじめとする神様信仰についてだ。

そもそも、まだ「一神教」と言う考え方が出来上がるはるか前から、人類は得体の知れない何かに対して、それらが自分たち以上の強大な力を持つ存在だとして、畏敬の念を込めて崇め奉った。

俗に言う「アニミズム」と言う奴だ。

日本では、ご存知のとおり、奈良時代に中国から「仏教」と言う宗教が入ってくるまでは、このアニミズムに傾倒した「神道」が主流であり、当時の実力者、蘇我氏と物部氏がそれぞれに、仏教と神道どちらが日本を治めていくに適していたかと競い合った過去がある。

結局、蘇我氏が勝つことで日本は国を挙げて「仏教」を信仰する事になるのだけれども、この段階では、あくまで「仏教」は政治の手段であり、今の創価学会の比じゃないくらい政治と癒着しちゃっていた。

では、その間に日本古来の神道は死滅したのかといえばそんな事はない。

むしろ、どうしても駆逐することのできなかった八百万の神と仏が共存すると言う、全く不思議な文化を作り上げてしまった。

この日本文化のお話も面白いんだけれども、今回は、あくまでもその中でも神様と言う事で、神道だけに絞ってみてく。

(仏教はあくまでも仏を信仰するものだし。


日本古来よりの神道でも、おそらくは、元々は、全世界的アニミズムと同じく、自分たちではどうしようもない強大な何かに対して畏敬の念を込めて崇め奉っていたのだろうけれども、それは日本の風土とともに少しずつ変化していった。

日本では、この世にあるもの全てに神が宿っており、そして、自分たちが常に神と接し、神によって生かされていると考えられてきた。

「八百万の神」ってヤツだ。

ついでに、事あるごとに神様を迎えて、祭りを行うようになる。

言ってみれば、神様は、自分たちと生活を共にする身近な存在になっていったとか、そんな話らしい。

お花見は、田んぼの神様「さ」がくる季節咲く花「さくら」(ちなみに、「さ」が来る頃に咲く花だから「さくら」というらしい)の下で、「さ」とともに酒を飲んで綺麗な花を愛でることで、一年の豊作を願うお祭りが形骸化したものだし、逆に、秋祭りは、その「さ」が帰るときに、その豊作の感謝と来年の豊作を願うお祭りだったりする。

モノを大切にすることで、付喪神と言う神様がやどるとも言われ、それを捨ててしまうことで、神様の宿る体がなくなることから「勿体無い」と言う言葉も生まれた。

自分たちのふるさとにも、自然にも、住む家にも、日常使うものどころか、厠や道端に落ちている石ころにさえ神様が宿っており、それらを大切にすることで、その神様が自分たちを守ってくれると考えていた。

神様となるものは、その多くが、死んでいったご先祖様であり、そのご先祖が神様に姿を変え、年に何度か戻ってくることを、心から喜び、最大限のもてなしと共に、祭りを開催していた。

自分たちが生きているという事は、数多くのご先祖様が存在しているからであり、そうして生きている今日を自分の身の回りにあるどんなものにでも感謝しながら過ごす。

自分以外の生き物にも、同等の命があり、神が宿っていると考え、大切にする。

その数限りない感謝の形が、日本の神道の根底にはあると思う。

そんな尋常じゃなく素晴らしい日本に残る文化を心の底から尊敬し、素晴らしいと強く強く思うようになっちゃったんだよな。

日本人として、体に刻み込まれたこの感覚が生きている以上は、それ以上の宗教やら、神やらなんて存在しないんじゃあないかとか思ってしまう。

それは別に、海外で生まれたそれぞれの文化や、神を否定するわけじゃあない。

それらはもちろん、その国々において生まれた大切で素晴らしい文化であり、敬うべきものだ。

けれども、日本人として生まれてきて、この感覚を持っているくせに、キリスト教ってそれはどうだろう?とかね。

そんな事を思っているわけですよ。

「父なる存在」を敬う前に、本当の父でも敬っておけ。

その父の父やさらにその父に思いでも馳せてみろとね。

「インテリジェントデザイン」ではなく、本当に神と呼ぶべき存在はまさにそこにこそ存在していると、オレは思っておるわけですよ。

まぁ、3日かけてつらつら書いてきたけど、要するに、オレが言いたかったことは、「チョンはさっさと、失業率も凄いことになってる、偉大な自国へ帰れ。

そして、二度とこっち向くな」と言う事・・・らしい。

うむ。

久々に、長々と書ききってやったよ。

じゃあの。

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2013年1月7日 1:38 CAT :

神々のゲップ~中編~

【前回までのあらすじ】
メガネが壊れた上に、目の悪さが尋常ではなく、結構特殊なレンズがいるため、取り寄せに時間がかかることが判明。

しょうがなく、コンタクトで過ごしているけれども、ドライアイで目薬が欠かせない。

その上、愛用の目薬をなくしてしまい、安物の家にあった目薬を使ったところ、目の周りの皮膚がただれ始めたのであった。

(皮膚も弱い。


さてさて。

昨日の続きでもツラツラ書いていこうかなぁ~。

今日のところは、果たしてこの世界を神が「七日間」で作り上げることが可能だったのか・・・という点について。

現状では、地球が出来上がてから40億年以上が経ち、そのあいだに少しずつ、環境が整い、生物が進化してきたという考え方が主流ではあったりする。

けれども、大真面目に7日で世界ができたと考えている学者さんはいるし、この世界は出来上がってから1万年も経っていないと言う説も実際にあったりする。

取りあえず、昨日つらつらと書いた「5分前の世界が本当に存在するか証明できない」と言う考え方はなかったものとして考える。

(これを言い出したら、キリがないので。

)として、人類の歴史の記録が残っているあいだは確かに世界が存在していたと考えて、最短で1万年くらいは経ったんではないだろうか?と、そう言う話らしい。

そもそも、歴史感を考える上では、「静然説」と「激変説」のどちらの立場をとるかが重要だったりする。

「静然説」ってのは、自然環境に何らかの突発的な変化がないままに、長い時間が経っていた事を前提とする考え方で、逆に「激変説」は、これまでに自然環境に何らかの激変がなんどかあった事を前提とする考え方。

現在の考古学で主流となっている「C14年代測定法」ってのは、要は、物質に含まれている「炭素14」ってやつの量を測り、それの減っている割合から、年代を推測するやり方だけれども、これは、あくまでも「静然説」の立場からでなければ成り立たないものだったりする。

例えば、突発的にものすごい温度で熱されたり、何らかの理由で、すごい放射能を浴びちゃったりとかすれば、それだけで、「炭素14」の含有量は変わってくるわけなんだか、「激変説」の考え方からすれば、そんなものは何の当てにもならない。

だから、「これは〇〇億年前のものだ」と言っても、「いやいや激変説から考えれば、根拠はない。

もしかしたら、1000年くらい前のものかもしれない。

」という話になっちゃうという・・・

と言うことを踏まえたうえで、この世界は果たして7日間で本当に作られたのか・・・考えてみれば、実は、全く不可能ではないらしい。

それどころか、本当に、7日間で作られた上に、それから数千年も経っていない可能性だってある。

恐竜がこの地球に栄えていたのは、5~6000年程度前だったみたいな話もあるわけだから、それはそれでワクワクする。

(現在では、偽物だと断定された「カブレラストーン」だって、あながち間違いとは言えないという・・・)
ただ、問題は、なぜそのことが聖書に書かれているのか・・・という点だと思う。

それどころか、神話として、短期間に世界が強大な存在によって構築されたという似たようなお話が日本も含め世界各地に伝えられている。

昨日の「インテリジェントデザイン」の話に戻ってしまうけれども、自分のことを神として崇めさせようと考えた、その何か強大な意思が、世界を短期間でつくり、そして、その事実を、世界各地に生きていた人間それぞれに伝えた。

大元は同じであり、それが時間をかけて伝承されていくうちに、その土地の風俗や文化に合わせて微妙に変化していったと考えるとどうなんだろうか・・・

この側面から考えていったとしても、やはり、なんだかこの「神」と呼ばれる何らかの意思を敬う気にはどうしてもなれない。

ような気がする。

ただただ、畏怖の念は抱いてしまうけれども・・・

世界は、一体何のために作られてしまったのか。

そんな根源的な部分に結局は戻ってしまうらしい。

とそんな感じで、明日には、さらにもう一つ。

最後に書いておきたい「日本」における神道。

アニミズムから派生した八百万の神についてでもツラツラ書いてみよう。

(ちなみに、オレが一番神として、大切にしているのはコイツだと思う。


次回を待て!!

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2013年1月6日 0:45 CAT :

神々のゲップ~前編~

メガネがへし折れたので、メガネを買いに行った。

今からしばらくお金がたんまりいりそうなので、あんまりお金をかけなくてもいいように、安いのでいいや~みたいなノリで、近くの「眼鏡市場」に行った。

なんかCMとかもよくしてるし、なんかお値打ちで良いのがあるのかと思ってたんだけど、正直すごいがっかりしましたよ。

ええ。

ええ。

安いよ。

確かに安いよ。

でも、それはどう見ても「安い」ってことが丸分かりな代物。

どんなに頑張っても、「ニトリはニトリ」だと言う感想に近い感じだろうか・・・求めてんのは、「この値段で、このメガネなら納得だ」的なやつだったのに、「これレンズ込みで20000円だったんだぜ」と聞けば、「あぁ~っぽいな」か、または「まじで?それはぼったくられてないか?」と返ってきそうな感じのメガネばかり・・・

しょうがないので、近くの「メガネの三城」に行って来た。

すぐに納得のいくメガネは見つかった。

でも、40000円チョッと・・・前使ってたやつよりは、だいぶ安くなったけれども、それでも、予定より高いのを買ってしまったよ。

ただまぁ、それでも、このメガネなら40000円出してもいいかな。

と言う感じだったので、良しとしよう。

デフレデフレと言ってるけれども、やっぱり安いものには安いなりの理由がある。

自分が納得できないところについてだけは、どうしても、安さよりモノの良さを優先してしまう今日この頃・・・それもこれも、嫁の家計のやりくりがうまいお蔭だ。

この安月給でよくやりくりしてくれてると思うわ。

さてさて。

最近、家に某宗教の勧誘がちょくちょく来るようになった・・・元々は、オレがさっさと追い返せばいいものの、その人に対して「宗教の無意味さ」について、長々と(もちろん否定的に)語り尽くしたことが原因で、どうも、それが、相手に「話ができる家」と認定されてしまったらしい・・・

メンドくさい事になってしまった。

とは思いつつ、「神について」と言う面白い話題で、違う立場から議論すると言う状態に実は、チョッと面白いと思っている自分がいたりもするのが困ったところではあるけれども。

まぁ、何があろうとも、絶対に特定宗教への入信などはしませんよ。

たとえ殺されようともな。

「神」について。

この世界には、たくさんの神がいると信じる「多神教」と、すべてを作りたもうたひとつの神がいると信じる「一神教」と言うものがある。

個人的には、「一神教」の考え方が実に嫌い。

結婚式の時は「父なるイエス」なんぞに誓うかボケェ!と、チャペル挙式も、神前式を拒否したし。

この世界すべてを作り上げたのは、偉大なる神であったという考え方。

この「神」という表現が実に不愉快なんだけれども、実は、この世界は何者かの意思で作られたという、「インテリジェントデザイン」の考え方はアリだと思っていたりする。

でも、その「何者かの意思」は実に悪意が込められているように感じてならない。

聖書には、「ひとつの家があったとして、その家に住む者が家以上に誉れを受けるのであるならば、その家は、神が意思によって作りたもうた」という一節がある。

要するに、「インテリジェントデザイン」こそ神である。

という訳だけれども、では、現状の世界をひとつの家としよう。

この家には、ものすごくたくさんの問題がある。

雨漏りはするわ、壁は薄いわ、傾いてるわ、扉はちゃんと開かないわ・・・完全な欠陥住宅だ。

としたとき、その家を作った業者の事を偉大な父だと言えるだろうか。

その家の欠陥を何とかかんとか克服することで、欠陥住宅を克服した人として、その人が有名人になったとしても、悪意を持って欠陥住宅を作ったその業者に尊敬の意など湧くはずもない。

それを、神が与えたもうた試練だというのなら、そういう悪徳業者の作った、欠陥住宅にでも、試練だということにして住めばいいと思う。

そして、それを克服することで、やすく欠陥住宅を売りつけてくれた悪徳業者を神格化すればいい。

オレは、そんなお人好しにはなれない。

だからこそ、「インテリジェントデザイン」=「神」という図式は不自然でならないと思う。

では、この「インテリジェントデザイン」とはなんなのか?
面白いことに、哲学的には、この世界が本当に5分前に存在していたと言う事を証明する方法はないらしい。

「何を言う、オレには5分前の記憶があるぜ」と反論したところで、その5分前の記憶が、本当に自分が体験したものか、誰かに作りこまれたものかを判別する方法はない。

わかりやすく言うと、「ロマサガ2」の世界があるとする。

オレは、レオンだ。

レオンは、かつてこの世界に七英雄という存在がいて、その七英雄が世界を救った過去があることは知っているけれども、それは実際に、そのロマサガ2の世界で起こったことではない。

それはあくまでも、河津秋敏が考えて、レオンに埋め込んだ仮想の記憶でしかない。

でも、レオン自身は、それがこのロマサガ2という世界の中で、実際に起こったことだと信じて疑わない。

つまりそういうことだ。

逆に、分かりにくいか?
なんか、手塚治虫の短編で(タイトルをど忘れした)この世界は一つに演劇で、自分がその演劇の主人公として、無意識のうちに、何者か強大な存在が作った台本通りに生きて、それを、別の何者かが見ているという話がある。

まさに、そういう事なのかもしれない。

どちらにしても、この「インテリジェントデザイン」は、何らかのちょっとした悪意を持って(それは、こんなんがあったほうが、この物語は面白くなるぞみたいな、好奇心的なものも含まれるとして)、この世界を構築していったのだろう・・・

だとすれば、この存在は、果たして神か?
神ではないとすれば、なんなのか・・・妄想はとめどなく溢れてくる。

と言うか、こんな話題を一日で書ききることなどできるはずがないので、珍しく、明日(って言うか、次のエントリー)も同じネタを掘り下げていこう~
明日は、世界はキリスト教の言うように本当に神が「七日間」で作ったのか?について・・・

これについては、大学時代本格的に研究してたりしたので、少々専門的に、ツラツラ書いていこうかなぁ~
なんかテンションが上がってきたぞぉ~

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2013年1月4日 23:06 CAT :

切なさ漂う橋の下で僕は君と手を繋いでた

何か、テレビでスゲエ面白い番組してた。

【古代文明ミステリー たけしの 新・世界七不思議】ってヤツ。

これ、なんだかんだ言いながらほぼ毎年見てたような気がする。

(年末に超常現象みて、年始に世界七不思議見て、たけしばっかりじゃねぇ~かとか、毎年言ってる気がする・・・)
ん。

最後の一つが、カルナック神殿か・・・まぁ、納得。

それより、アテン信仰がモーゼとつながって、ユダヤ教の元になったって説が面白かった。

吉村教授に速攻で否定されてたけれども、こう言うとんでもな説が大好きだ。

こんなのが好きだから、大学の時に、教授からほぼ破門同然にゼミをやめることになったんだけれども・・・まぁ、好きなものはしょうがない。

さてさて。

そんなこんなで、今日は、チョッと歴史の思い出でも・・・

大学では、考古学を専攻していた。

(関係ないけれども、今の韓国がやっている歴史詐称がムカついてしょうがないのは、歴史が好きで、歴史を勉強し、そして、歴史を研究してきた先人の皆様方を尊敬してやまないからかも知れないなぁ~とか思ったりもする。


そもそもなぜ、こんなにも歴史が大好きになってしまったのかは分からない。

けれども、とにかく大学で専門的に勉強するほどになっていた。

実際に発掘現場で働いていたこともある。

あの時、オレが担当していたのは弥生時代の住居跡だったけれども、そこのかまど跡から、獣骨を発見したとき、そして、その住居から管玉を発見したとき、あの感動は今でも忘れることはできない。

幼い頃から、歴史的な話が大好きだった。

ただ、今と決定的に違うことがって、あの頃は、ただただ恐怖の対象でしかなかった。

なぜか、マチュ・ピチュとピラミッドが大好きだったけれども、例えば、ピラミッドの製作過程などを妄想すると、もう怖くて怖くて夜も眠られなくなった。

糸井重里の徳川埋蔵金とか見ても、その夜は怖くて怖くて眠られなくなった。

歴史というものは、数え切れない先人の皆様方の営みを紐解いていく行為なわけで、例えば、前述の住居跡だって、2000年くらい前には、そこで住んでいた人の営みの痕跡だったりする。

そして、その時々で、生きていた人間の感情や息遣いを、実にありありと感じることができる方法こそ、考古学だったように思っている。

土器の破片一つとってみても、その裏側に手の形のあとがあれば、どんな気持ちでどうやって、何千年前のご先祖様がこの土器を作ったのか、かなり現実に近い妄想に耽ることができる。

だからこそ、子どもの頃はそれが怖かったのだろう。

自分の命と言うものが、その数え切れない命の上に立脚してかろうじて生かされていると言う現実の重さが、怖かったのだろう。

それをよりリアルに知ることができる歴史的なお話や事柄、建造物に対して、恐怖で夜眠られなくなりながらも、それでも、興味を持っていたのだろう。

それは、恐怖ではなく、畏怖だったのかも知れない。

その気持ちは、今、そのまま、恐怖ではなく、感謝と尊敬の念となっているのだと思う。

連綿と続くその歴史という重みを再び恐怖として感じる日が来た時、きっと、オレは死んでしまうのだろう。

覚え、忘れ、そして思い出す連鎖の時間。

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2013年1月3日 21:49 CAT :

どれが君のガラクタ 何が君の宝物

例の靖国神社の放火犯。

な、生ゴミチョン。

日本への引渡しについて、韓国側が正式に拒否することが決まったらしい・・・(↓)
https://news.livedoor.com/article/detail/7285046/
相手は、日本の活動家が落書きした杭を設置しただけで引き渡せとか言ってきてるくせに、歴史建造物に放火したやつは問題ないとか。

さすが、脳髄までキムチで出来ている方の思考回路は凄まじい・・・

新年早々異常に気分が悪いわ。

いや、あの土人国家の対応については、当然だと思う。

だってそんな、例えば、その辺の野良犬に噛まれたからと言って、それを野良犬に抗議したところで、聞く耳持たずで噛み付いてくるのは当たり前。

あいつらに、まともな国際条約とかを守れるとか期待するからいけない。

あいつらは、ただの池沼国家。

気分が悪いのは、そう言う(下手したら、野良犬の方が恩義とかある分遥かにマシなだけども)非人間のゴミチョンに対して、何ら強気に出ることのできない日本政府側だ。

これまで、日本側は、シナチクのアホ活動家とかをことごとく開放してきている。

だから、今度は、こんな舐めくさった対応をとられるんだと思う。

せっかく、ミンスから変わって、日本から在日含む生ゴミを掃除しようと言う動きも見え始めているんだから、そのまま、この大掃除をしっかりやってもらいたいもんだ。

それで、もしあのゴミチョンがファビョろうとも無視すればいい。

国交断絶ならむしろ喜ばしい。

戦争なんかできるわけない。

あいつらは、野良犬と一緒で、ちょっと蹴り上げれば、キャンキャン言いながら逃げていくだけなんだからな。

さてさて。

「爆音列島」がついに完結してしまいました。

ほとんどの単行本を所持している大好きな漫画家さん「高橋ツトム」の自伝的漫画。

(多分、全部単行本持ってる漫画家さんって「岩明均」「荒木飛呂彦」「徳弘正也」「慢画太郎」くらいしかないと思う。


途中、「士道」のせいで(そういえば、「士道」だけ持ってないや・・・)なんかないがしろにされてる感もあったけれども、ちゃんと10年以上の歳月をかけて完結してしたことがまず嬉しい。

んで、個人的には、あんまり「ヤンキーモノ」とか好きじゃあないけれども、それでも、最終話を読み終えて、なんだか泣いてしまった。

素晴らしい作品だこれは。

ここまで生きてくる上で、ヤンキーとか、不良とか、暴走族とかとは、ホント、接点がないというか、むしろ、カツアゲとかされてきた部類の人間なわけで、その手の漫画とか、ホント苦手なんだけど、この話は大好きだった。

それがなんなのかは、よくわかんない。

内容読んでてても、やっぱりアウトロー独特の思考回路とでも言うのか、オレにはよく分かんない話がどんどんと展開していく。

そこは、やっぱりオレとは違う。

じゃあ、何に惹かれたんだろう・・・とか考えてみた。

そこは、やっぱり自伝的な作品であり、リアリティーがあったんだろうなとも思ってみた。

でも、多分違う。

最終話まで読んでみて思った。

多分、この漫画の主人公も、根本の部分は同じなんだ。

大人になっていく過程で、やっぱりどうしても納得できない部分があって、そこについて、いろいろともがき苦しみながら、結局は、大人になっていくんだろう。

もがき方に大同小異あろうとも、その過程は誰でも同じなわけで、そうして感情移入していった結果、なんだか、最終話で、泣いてしまったんだろう。

いつか来るであろうその時を描いた、正に、青春群像劇として読めば、誰にでも感動できる漫画なんだということだと思う。

そんな意味で「グミチョコ」とだって、そんな変わりないんだと思う。

バンドでも、漫画でも、バイクでもなんでもいいんだよ。

そんなもんは。

・・・そういえば、そんな話が書きたくて、「超ニュースチョクホー」って小説も書いてたんだ。

オレは。

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2013年1月2日 23:27 CAT :

容赦は大儀の敵

先日、60くらいのおばあちゃんが「年配の方だからできるだけ柔らかいものが・・・」とか言ってるのをふと耳にした。

いや。

あなたも十分に年配だ。

前々から言ってたけれども、人には、それぞれに年相応というものがある。

60歳は、もうおばあちゃんだ。

年配の方だ。

美魔女とか言って50代なのに20代に見えるとか、それ最悪だからな。

それは、普通の人間が50年かけて獲得していくモノを投げ打って、エセの20代の見た目になるように。

そんなことばっかり考えてきた空っぽの人生だ。

10代には10代の良さがあり、20代には20代の良さが有り、30代には30代の良さがある。

それを理解できないまま、自分が60歳になっても、若いつもりでいるとか愚の骨頂。

60代になったのなら、良いおばあちゃんになることに尽力したほうが良い。

その方が、絶対にいい人生だ。

今年で30なので、オレは、これから良いおっさんになることに尽力いたします。

さてさて。

例年なら、年末に書いてたのに、仕事が忙しくて最近すっかりこの時期に書くようになった、昨年の振り返りでございます。

昨年1年。

振り返ってみると、近年稀に見る何にも作らなかった1年だったような気がしないでもない・・・けれども、取りあえず・・・

↓ ↓ ↓ ↓ ↓
〇馬忠・DA・ムドーのケンヂくんになりたかった【ロマンズ クエスト ファンタジーXXXVⅡ~竜王を探せ~】サントラ集
と言うね、なんとも長ったらしい(と言うか、馬忠らしい)、馬忠・DA・ムドーの3年ぶり8枚目のアルバムを製作いたしました。

今回は、架空のゲーム「ロマンズ クエスト ファンタジーXXXVⅡ」のサントラ集と言う、よく分かんないコンセプトをもとに、本当に「街の音楽」とか「フィールドの音楽」「バトルの音楽」などなどを作っていきましたよ。

ちなみ、スーファミ音源をイメージして、できるだけ電子音、4チャンネルいないなど、勝手に制限をつけた中で作っていった。

これがまた楽しかった。

実に良い名盤ができたと思う。

今回のボーナストラックは、演劇用に書き下ろした台本「観客3人のライブイベント」のテーマソングと、7年前に制作した、馬忠・DA・ムドーの4枚目のアルバム「大日本帝国産業【萌え】」に収録してた「君とふたりで」の再録。

もちろん「ケンヂくん」とは、オーケンであり、20世紀少年の「遠藤ケンヂ」であり、カレーライスとかで有名な「遠藤ケンヂ」であり、そして、サントラと言う事で、偉大な作曲家イトケンでございます。

〇観客3人のライブイベント
昨年、「アクアコーラス」さんに提供した演劇用の台本「手のひら収集家の末路」が何げに好評だったので、「今年もなんか書けよ」みたいなご依頼を頂きました。

で、メンドくさいありがたく、頭を床にこすりつけて書き下ろさせていただきましたよ。

な演劇用の台本。

今回のが、好評だったのかはよくわからないけど、個人的には実に良いものが書けたと思ってる。

で、そのテーマ曲として、同名の「観客3人のライブイベント」と言う曲も書いてみましたとさ。

〇US (200ページ)
オレは、この物語を20代のあいだに描き上げるんだと何年も前から決意していたわけで、気がつけば、もう20代は終わりを迎えようとしている。

そして、昨年の誕生日から1年間、この「US」と言うお話のラストスパートを始めたわけでござます。

とは言え、色んなものと同時並行だったりするし、かと言って、クオリティーを著しく下げたくもないので、2週間に20ページというローペースながらも、確実に描いていく作戦で言ってる感じ。

取りあえず、今のところ、いいペース。

この調子なら、おそらく春頃には、完結を迎えることだと思う。

今年、創作活動が多岐に渡らなかったのは、間違いなく、この作品を描いてたからだと思う。

〇子どもは老人に励まされた
「永遠の向こうにある果て」以降に書き始めた小説。

今回は、恋愛などをテーマに書いてみようと試みては見たものの、自分の年齢を思い知り、それどころじゃなくなった為、現在は、ちょっと執筆をストップさせてる。

「US」が完成次第、こちらも、再び書き出す予定。

と言う事で、今はまだ未完の状態。

〇夢喰いバクヲとウミィ・マミィ
10年くらい前にやっていたバンド「仁美・mine」で作った2枚のミニアルバムの楽曲を、当時の演奏をできるだけ再現させて録り直そうと言う感じで制作したアルバム。

かと言って、当時のメンバーを呼び寄せたりそんな事はしてないので、このアルバム自体がありなのかどうかはよく分からない。

でも、当時のメンバーのひとりにあった時に、このCDを渡すと、「ありがとぉ~」ってめっちゃ喜んでくれたので、あの笑顔だけでも、良しとしよう。

そして、このアルバムが出来上がったことで、やっとこさ、「黄泉」完成以降ストップしてた音楽制作も再開し始めた。

ストックというか、宙ぶらりんの曲もなくなったことだしな。

とまぁ、このくらいしか、本当に作ってない。

ただ、「影の上のボーニョ」以来のオリジナルアルバムの構想が大分固まってきている。

すでに、「絶望1」「カポをつけて奏でる発狂者」「今宵【ただいま】はゼロになる」「ジェノサイドラブレター」「お耳汚しを召し上がれ」「犬神一座の大サーカス」「白痴にも書けるラブソング」辺りが完成している。

こいつらのレコーディングに入れるのは、まだあと1年位後だとは思うけど、なかなかいい感じにバラエティー豊かなモノができそうな気がしている。

今年は、取りあえず「US」の完結と、このアルバムのレコーディング開始を目標にのんびりやっていきます。

まぁ、そんな感じでございますです。

ではでは。

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2013年1月1日 23:57 CAT :

あけましておめでとうございます~

皆様。

あけましておめでとうございます。

昨年の今頃に、偉そうに今年はブログとかいっぱい書くぞぉ~と意気込んでいた結果は・・・(↓)
2012年01月 26件
2012年02月 16件
2012年03月 14件
2012年04月 13件
2012年05月 13件
2012年06月 5件
2012年07月 6件
2012年08月 4件
2012年09月 8件
2012年10月 5件
2012年11月 8件
2012年12月 5件
と言う訳で、完全に最初の半年で失速してしまったわけですな。

むしろ、1月とか、ほぼ毎日更新してたんだから、まぁ、凄いっちゃすごいんじゃねぇ~の?
と言う事で、今年は、こんな事にならないように、平均的に更新できる程度に頑張ると言う事でやって参ります。

毎年恒例の、「今年の重大ニュース」とか「今年やったもの」(どちらも2012年ね)は、近いうちに書く。

多分な。

取り合えず、今年は例年みたいにアグレッシブに、オレを今年1年守ってもらう神様を選ぶ「神様選手権」も出来ない身でありますので、氏神様となぜか大好きな神社だけお参りしてきやした。

そんな感じで、今年もよろしくお願い致しまするぅ~

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2012年9月30日 0:45 CAT :

どんとたっちみー

仕事が忙しくて忙しく、もうあたしゃあ、やってらんないよ。

まぢで。

なんで、グループ会社含めて、サイト構築できるのが、オレ一人なんだよ。

グループ会社のサイト全部、ほぼ一人で更新とか、狂気の沙汰だっつぅの。

こんなの、会社辞めて 害虫 害虫ってことで、1サイト月5万位の管理維持費貰った方が、給料より高いんじゃねえのか?
そんな感じの日々でございます。

うぬぬぬ・・・

さてさて。

ここ最近、仕事とは別に、頭が異常に冴えまくってる。

・・・ような気がする。

クリエイティブな方向で。

きっかけは、8月のお誕生日をきっかけにした、マンガ書きという名の、落書きだったかと。

それやり始めてから、なんか、色々と物語とかのネタが浮かんでくる浮かんでくる。

やっぱり、オレの場合には、中心にあるのは、マンガとかなんだろうな。

引っ張られるように、曲がかけたり、小説のネタが浮かんできたり。

それを、このアホみたいにWebサイトデザインしながら出てきまくるとか、すごい久しぶりな気がしてならない。

大切なことは、ある程度期限を決めて頭を回転させることなんでしょうね。

取りあえず、8月以降、2週間で20ページと言うペースを何とか崩さずに描けたりしている。

もう、80ページほど描けた。

あと、300ページほどで、完結だ。

予定通り行けば、来年の春頃には、書き終わる見通し。

10年前から温めてたシーンを描いている今。

凄い感慨深いものもあるのですよ。

まぢで。

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2012年9月17日 18:41 CAT :

アルバート・フィッシュの爪と手紙

こんなこと言うのもなんですが、スマホさんのfacebookのアプリをねアップデートしたんだよ。

そしたら、いろんな奴にオレから「招待状」みたいな奴が送られてしまったみたい。

よく見たら、このアプリを入れるってことは、お前の電話帳の内容を勝手に覗き見る事が出来る権限を与えるってことだぜ。

みたいなのに、同意したみたいになってたらしい。

要するに、オレのケータイに入ってるアドレスで、かつ、facebookをしてないアドレスに勝手に、オレの名前で招待状みたいなメールが送られてるんだって。

そんなもんだから、オレにケータイのアドレスにも、オレからの招待メールが来てた。

(ケータイのアドレスは登録してないので・・・)
ふざけんな!!という気持ちが非常に強い感じだ。

何か、そんなメールが届いた奴がいたらごめんなさい。

オレは別に、お前と、facebook上で仲良くなろうとか思ってないし、facebookやった方がいいとも思ってないので。

あんなものは、暇人か、リア充か、仕事上余儀なくやらされてる奴以外やる必要なんてありませぬよ。

あんなものに時間をかける暇があったら、今住んでる家のお隣さんに、夕食に作った煮物でも、おすそ分けした方が100万倍位意義がある関係が築けるわ。

取りあえず、スマホにアプリ放り込む時は、結構注意した方がいいと思う。

中には、通話履歴とか、メールの送信履歴が筒抜けになったりするやつだって、たくさんあるからね。

もう、ホント、在日キムチは全員死ねばいいのに。

と言うことで、今日は、敬老の日。

歳をとればとるほど、老人に対する敬慕の念が強くなってきている志茂田さんがお送りしました。

死んだら金は使えないんだから、貯め込むばっかりしないで、がっつり使って、そして、経済を圧迫しない程度に、ある程度生きたら、大往生してください。

オレが、じいちゃんの歳になるには、今からまだ50年も生きなくてはいけない。

今まで生きてきた人生の2倍近い年月を生きなくてはいけないのだ。

ニャホニャホタマクロー

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2012年9月16日 11:47 CAT :

エグゼクティブ・フリーランス・セックス黙示録

昨日は、なんだかうどん屋で嫁の友達とあったり、そのあと、家に、すごい珍しい皆様が来たり、そのあと、恒例の飲みに行ったり、なんか、すごい一日でいろんな人とあったりした感じだった。

うん。

なんか、この歳になると、こうやってたまに集まって、どうでもいい話とかをダラダラやるのが楽しくなってくる。

子どもの頃、オヤジがやってんのを見て、何が面白いんだろう?とか思ってたのに、見事に、オレも同じ道をたどっているみたいだ。

ついでに、昨日、飲みに行った先では、もう何かみんな歳をとってしまったのか、頼むものも何か油気のないものばかりに・・・湯葉の刺身とか、漬物とか、きゅうりとか・・・唯一の揚げ物は「軟骨唐揚げ」くらいでそれすらも、食べあぐねていると言う体たらくぶり・・・

この飲み会も、実にもう10年以上も続いているそうで・・・う~ん。

気持ち悪い。

いつまでも、続けばいいなあ~とか、チョッと哀愁を感じてしまった。

みんなおっさんになったぞ。

ドイツもコイツも嫁曰く、なんだか「気を使わなくていい人たち」らしい。

まぁ、自然体でいられると言う関係は多分大事だよな。

そう思ってるのが、オレだけではない事を切に祈る。

いやしかし、赤ちゃんって可愛いなぁ~。

見知らぬ人の赤ちゃんでも尋常じゃなく可愛いくて、それが、連れとかの赤ちゃんになるともっと可愛くなる。

これで、自分の赤ちゃんになるとどうなるんだろう・・・

取りあえず、かじるとは思う。

噛みちぎらないようにだけは、留意が必要ですぞ。

皆様。

それぞれに、色々な時間お過ごし方をしてきたと言う感じが、やっぱり見てて面白い。

学生時代は、どうあがいても大差がないけれども、それを土台にしても、社会に出てからの経験で、色々変わるもんだ。

その割に、基本はあんまり変わってないような。

それもまた一興と言う事か。

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2012年9月13日 11:49 CAT :

体ばっかり見られてる

人を見る時に、持ちもののブランドなどで判断するという人間が少なからずいるらしい。

と言うか、それをステイタスにすら思ってる奴がいるらしい。

多分、仲良くはできないその人種。

まぁ、持ち物自慢は勝手にやってくれれば良いけれども、問題なのは、そんなうんこ臭い人種とも交わっていけあなければいけないであろう、近未来必ずやってくる現実の方だと思う。

作られた流行とか、センスに高い金を払って、それを自分のセンスの良さと勘違いしたあげく、人の来ている服のタグチェックまでして、その服や小物のの金額で、その人のことをはかろうとするとか、正に、正気の沙汰とは思えない。

「服を見れば人がわかる」とか言ってる奴ほど人のことを見られない奴もいないだろうて。

創造性皆無。

できれば、安いとか高いとかではなくて、自分が本当に良いと思うものを選ぶ力を持つことが大事ですよね。

とか、そんな話をチョッとしてただけ。

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2012年9月9日 16:02 CAT :

夢喰いバクヲとウミィマミィ

そろそろ作るぞ的なことを書いてから、何ヶ月経ったことやら・・・

やっとこさ完成した次第です。

取りあえず、さっきまで昼寝してて、寝起き、頭がボーッとした状態だけど、書いちゃうよぉ。

(文章が若干おかしくなってもしょうがないと思う。)
そもそも、学生時代に「仁美・mine」と言う名前のバンドなぞやっておりまして、その当時「ウミィ・マミィ」と「夢喰いバクヲ」と言うに2枚のアルバムを制作しておりました。

ただ、ギター集めに狂ってしまいい借金で首が回らなくなって去っていったボーカルさんや、彼女狂いになってバンドどころじゃなくなったベースさんや、お笑い芸人になるとだけ言い残して東京へ行きその後音信不通になったドラムさんのために、それぞれの楽曲が最後まで完成しないまま、バンドは、自然分解、で、2枚のアルバムについては、放置することになってた。

(今、考えると凄まじくロックな皆様だったけれども・・・)
その後は、バンドなど組もうとはせず、ほそぼそと音楽制作などやってきておりましたが、何と言うか、このバンドで作ったやつについては、あんまり弄らないでおこうとか勝手に思ってた。

うち何曲か、変なアレンジにしてみたりした位。

・・・多分。

今年始めあたりに、音楽とかやってる場合じゃないとか、思うようになって来たりして、(色々な環境の変化から・・・)、そしたら、このやり残してた楽曲を何らかの形で完成させたいと言う思いも出てきた。

まぁ、経緯としてはそんな感じだ。

わかりにくい?知らん知らん。

オレは、今寝起きなんだ。

で、そのアルバムが要するに完成した。

中には、作ってから10年以上経つ曲もあったりする。

(「マイクの街」とか「アリスとテレスのアイスクリーム」とか・・・)
色々と難航した部分もあるけれども、完成は完成だ。

これで、ひとまずは、「仁美・mine」と言う名前のバンドさんからはおさらばしよう。

ありがとう。

そして、さようなら青春と言う奴だ。

と言うことで(↓)
「夢喰いバクヲとウミィマミィ」
<< 収録曲はこんな感じ >>
M1.Boy’s & Girl’s Ambitious(ボーナストラック)
M2.波子の心
M3.夢想代理人
M4.天使になれました。

感謝いたします
M5.レイ=プレイ Part1 ~まん見え大妄想~
M6.タンタン ~海の底とまぶたのない魚より~
M7.モノはモノだけど忘れません
M8.スクエア
M9.アイエルマ(ボーナストラック)
M10.レイ=プレイ part2 ~死にかけ大妄想~
M11.悲しみを具現化できる世界
M12.アリスとテレスのアイスクリーム
M13.マイクの部屋
M14.ふーふー
M15.夢喰いバクヲ
一応、今回のコンセプトは、バンドの頃の編曲の完全再現と完成なので、ほとんどの曲が当時、スタジオでゲラゲラ笑いながら作った時の編曲のままになってる。

部分的に、作り直したり、本来入れたかったけど、諸事情で追加できなかったパートが入ったりしてるけど、結構、昔のまんまだと思う。

あと、収録時間が余ったので、馬忠・DA・ムドーの「良さ恋祭り」と「有江不尾 雄眞のレポート」にボーナストラックとして入ってた「Boy’s & Girl’s Ambitious」と「アイエルマ」をおまけで、入れたりしてる。

こっちは、歌だけ取り直して、リマスタリングした感じ。

もうひとつ。

「夢喰いバクヲ」に収録していた「嘘つきロンリーウルフ ジャック=デマ」は、昨年作ったアルバム「Do Get The Star」の中で、先に完成させてたので、今回は、未収録。

聴きたきゃあ、そっちで聴いてくれい。

と言うことで、1年と半年ぶりに完成した新しい作品。

また、そのうち、皆様にお配りして歩きます。

多分。

最後にジャケットはこんな感じですよ(↓)
ウミマミバクオ
いやあ、すごいいい出来。

自信作ができたよ。

うんうん。

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2012年9月6日 22:27 CAT :

翌日から家を出なくなりました。

過去を鑑みる。

その時々に色んな形ではあるのだけれども、なんとなく心情を残していたりする。

マンガに始まり、音楽、演劇、小説、ゲーム、ブログ、日記、つぶやきなどなど・・・ホント色々やってみたもんだ。

それは、6歳の頃から続けている訳で、そう考えたら、すごいことではある。

・・・と思う。

もちろん、今考えると「青いなぁ~」とか「痛いなぁ~」とか、そんな感想しか持たないのけれども、それでも、間違いなく、オレ自身から出てきた言葉であって、思い返せば、実は懐かしくもある。

誰もわからない裏話というものが、どの形式でいつ書いたものにだってテンコ盛りなんだよ。

その辺は、モノ創りしていらっしゃる皆様方にはわかっていただけるかと思うけれども。

懐かしいと同時に、うまいこと言うな。

とか、そんな事を思ったりする事も多い。

ペースは落ちたといっても、これだけは死ぬまで続けていきたいものですな。

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2012年9月3日 22:36 CAT :

知恵遅れの佐吉

昔作ったものが、新しく生まれ変わるってすごく気分がいいものですね。

うんうん。

早く完成しないかなぁ~。

しかし、曲順とかどうすればいいんだろう・・・

編曲のテンションにあまりにも差がありすぎて繋がらないよぉ~
今日は、もう眠いのでそんだけぇ~

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2012年9月2日 16:43 CAT :

体を売る女

お休みなので、映画でも見てみた。

前からちょっと見てみたかった「さや侍」と、何を血迷ったか急に見たくなった「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」の2本。

んで、その感想でもちょいと書いてみますよ~
ネタバレを含むので、最後の良心で「続き」にでも・・・

続きを読む 体を売る女

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2012年8月31日 23:24 CAT :

あたしも恋がしてみたいの

本当のことを書くとやれ「ネトウヨ」だの、軍国主義だのと言われるこのご時世。

日教組をはじめとする、在日達はほっといて、きちんと日本人としての意識だけは持っておきましょうね。

学校で習う戦争の歴史はだいたい嘘ですよぉ~。

取りあえず、朝日新聞だけは取るのをやめようね。

さてさて。

そうこうしている間に随分と時間が空いてしまったようで・・・

その間も、色々とやりこんでたりはいましたよ。

仕事はあいも変わらず忙しいけれども、それでも、マンガとかつらつらと書いて・・・んで、ちゃんと、レコーディングも終了いたしました。

今日は、そんな話を。

なんしか、今、ミックス終わりのヤツを聞いて、最終確認みたいな段階。

思った以上に良い出来になりそうな気がする。

今回は、全く新曲など無しで、過去に制作しておきながら、完成させずに10年近く放置しておいた2枚のアルバム「ウミィ・マミィ」と「夢喰いバクヲ」の作品を新しく録音し直して、完成させてみようとか、そんな感じなわけですよ。

作品自体は、10年近く前のものだから、至る所に若気の至りというか、恥ずかしい限りな部分が見え隠れしてはいるものの、あえて、その辺りを直さずに、基本的に当時やりたかった編曲をそのままやり直してる。

(まぁ、部分的に変えたりはしているものの・・・)
当時、ボーカル兼ギターの奴がいなくなったために、録音できなかったそいつのパートを復活させた「タンタン」とか「天使になれました。

感謝します。」とか、そもそも、ベースパートが入ってなかった「夢喰いバクヲ」の曲全般とか、レコーディングまでにドラムが出来上がらなくて、弾き語り形式を余儀なくされた「ふーふー」「レイプレイpartⅡ」とか、すごい聞いてて感慨深い。

思うに、あの頃よりは技術的にだいぶマシになったはずの今でも、難しすぎて弾きこなせない編曲の数々。

やりたい事と技術の剥離は、思いの奥底ですごいストレスだったんだろうと思う。

形は見えているのに、形にすることのできないジレンマ。

そいつが、今回ある程度ではあるけど、解消されたという気持ちの補正が入っているかもしれない。

入ってるかもしれないけど、すごい良い出来のアルバムのような気がする。

いや、まぢで。

「Do get The Star」作った時に感じた違和感は、どの曲も原曲よりショボくさいと言う面が強かった。

それは、あの収録曲たちが一応にも、完成させて納得してた曲だったからだと思う。

でも、今回は完成させれずに、心のどこかに引っかかってたやつで、多分、ほぼ全ての曲が当時の音源より良い感じになってる。

(と信じたい。)
なんしか、あとは、微調整と言うか細かい修正して、マスタリングでもすれば、完成だ。

歌詞カードとか作んないといけないけど・・・

「夢喰いバクヲ」とか、「モノモノ」とか、「タンタン」とかホントすごい仕上がりだぜい。

興味ある奇特な奴がもしいたら、何らかの形で連絡くだされ。

Facebookでも、twitterでも、コメントでも、メールでも・・・

身近な皆様にはいつも通り無理やり押し付けるので、また聞いてやってちょんまげ。

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2012年8月17日 21:19 CAT :

それは今かもしれない・・・

韓国が、「誤解ニダ!!そういうつもりで言ったんじゃないニダ!!記者が勘違いしたんだニダ!!」とか、今になって慌ててるらしい。

どうやら、今回の陛下に対する発言は、記者が勘違いして変に意訳してしまったものらしい。

せっかくなんで、この意訳前の直訳でも貼っておこう。

(ちなみに、ネットで拾ってきたものなんで、真偽のほどは読んだ人にお任せしますが・・・)
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
『日王は韓国民に心から土下座したいのなら来い、重罪人に相応しく手足を縛って頭を踏んで地面に擦り付けて謝らせてやる
重罪人が土下座もしない、言葉で謝るだけならふざけた話しだ、そんな馬鹿な話しは通用しない、それなら入国は許さんぞ』
だそうです。

確かに誤解してたわ。

なんだろ・・・これが、腸煮えくり返ると言う感情なのだろうか・・・

これからどうするのか、いち日本人としてじっくり見させてもらおう。

んで、来るべき時には、立ち上がろう。

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2012年8月15日 19:28 CAT :

8月15日だからこそ思うこの気持ちに

今日の話が理解できない奴とは、一生友達にはなれないので、意味わからんやつは、今すぐ、日本から出ていけばいいと思う。

少々過激な話だけど、怒りが収まらないので、そのままに書くよ。

まぢで。

これまで、韓国とかいう変なキムチ臭いチョンが住んでる国が隣にあることは知っていた。

この国に住んでる生き物が、世界的に非常識で、傲慢で、ムカつく存在だということも知っていた。

ドラえもんで言うところの、スネ夫がチョッと粋がりだした程度だと思ってた。

別に、この国が粋がったところで、別になんでもない。

正直、中国ほど、経済的に影響があるわけじゃあないし、さっさと国交断絶でもした上で、死滅でもすればいいと思ってた。

・・・でも、今回の発言だけは、日本人として、どうしても許せるものじゃあない。

在日の腐れチョンが牛耳る、街宣車を走り回すしか能がないバカ右翼も、反戦ならなんでも良いと思ってる馬鹿左翼でもない。

これだけは、やってはいけない一線。

それが、天皇陛下だと思う。

少なくとも、オレはそうだ。

戦争には、大反対だし、平和に大賛成だ。

でも、天皇陛下を侮辱された以上、もう、あのキムチどもは殺すしかない。

開戦ももうやむなしだ。

子どもの頃から、日教組を中心とする、在日による反日、反戦の洗脳を受けてきたオレだけど、そんな事は関係ない。

陛下を侮辱されたこの怒りだけは、どうしても収まらない。

これだけは、どうしても許せない。

日本人として、あいつらを殺しに行こう。

戦前のご先祖様はこんな気持ちだったんだろうか・・・

終戦記念日の今日だからこそ、強く思う。

なぜ、この祖国を守ってくれたご先祖を敬うことも非難されるのか?そして、国民を誰よりも思ってくれる陛下に対して侮辱されたままで、なぜ引き下がれるのか。

そこだけは、日本人の誇りとして、絶対に守るべきものだ。

絶対に許せない。

ただ、謝罪するくらいであのキムチどもを許すことはできない。

あの国は、ほかの国から見れば常識的な「親を、先祖を敬う」という行為すら、儒教とか言う宗教で統制しなければ守れないような、虫けら以下の精神の持ち主だから分からなかったんだろう。

先祖を、親を、人を敬うと言う気持ちが分からないなんだろう。

でも、せめてやって良いこと、悪いことの区別位つけるべきだったな。

GHQやアメリカ大統領、ローマ教皇までもが敬う存在である陛下について、何も考えてなかったとは・・・その辺の虫けらよりも空気の読めないやつらだ。

そもそも、不法占拠とかせずに、国際司法に出てきてみろ。

内政干渉するな。

韓国内の日本大使館を解放しろ。

今すぐ、日本国内から、在日のキムチ臭いチョンを全員連れ出せ。

そして、国交断絶だ。

二度と、関わるな。

従軍慰安婦とか、ありもしないでっち上げで金をせびるしかできない乞食どものくせに、あんまり調子に乗ってんじゃねぇぞ。

少なくとも、今回の発言で、日本人の多くに「陛下のため、お国のために」という気持ちが芽生えたと信じたい。

口先ではない、本当の意味で陛下に対して何かがあったとき、立ち上がろう。

殺しに行こう。

その時は、キッとオレもその列に加わる。

愛国心とは、決して引かれるものじゃなく、世界中の誰もが心に持つ当たり前の気持ちだ。

人として、生まれてきて、生きていく上で何も恥じることはない。

最後に、以前貼り付けたことあるけれども、この動画を貼り付けとくので、せめて、こんな話を見て、本当の右翼とか左翼について、愛国心について、しっかり考えてみればいいと思う。

少なくとも、今日くらいは・・・(↓)

くれぐれも、在日のキムチの手のひらでなど転がされないように・・・本当の日本人ならば・・・

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2012年8月10日 21:31 CAT :

死はまた少し隣に佇む

お久しぶりですな。

最近、マンガを書き始めたがために、なんか、すごいブログとか書かなくなってしまった・・・

いやね、言いたいことはたくさんあるんですよ。

でも、それを吐き出すチャンネルは、そうそう要らない。

マンガに書いて、それを吐き出している間は、なんか知らんけど、ブログとか書こうかな~って気にあんまりならない。

それよりも、オレは(前にも書いたけど)あと、1年以内に、「US」と言う物語を終わらせなければいけないのだよ。

それは、大学生時代のオレが決めた事だ。

オレが決めたことを、オレが守らないで誰が守る。

誰だ。

約束は破るためにあるとか言った奴は。

そんなヤツは、うんこちんちんだ!!!
と言う言い訳。

終わり。

さてさて。

昨日付で、29歳にお成り申した。

会社で、その話をすると「まだ30来てないの?」と言われた。

どう言う意味だろう?見た目が若く見ても40代にしか見えないとかそんな意味だろうか・・・考えないでおこう。

死にたくなるから。

とにかく、29歳になった。

いよいよ20代最後の1年が、始まったわけだ。

20代最後の1年。

最初に読んだ本は、並木伸一郎の「スーパーUMA目撃ファイル」だった。

昨日、コンビニで買ったものだ。

内容は過去に読んだものとだいたい同じだった訳で、既に知っていた。

いい金儲けの方法だと思う。

昨年一年を省みて思う。

いい一年だった・・・と。

んで、今年一年を妄想して思う。

多分いい一年だろう・・・と。

幸せって言うものは、状況や環境の問題じゃなく、いかに満足できるかで決まるものだろう。

そんな裕福なわけでもなければ、遊びほうけたり、好きなことを思う存分できるわけじゃあない。

けれども、今は、この生活で満足している。

そしたら、何だか、一日一日は色々思うことはあるけれども、幸せかもしれないと思えるようになった。

そんな時間を積み重ねていけば、30歳の自分を迎え入れることになるだろうて。

そして、そんな一年を積み重ねて、死んでいければ、それはもう、十分な人生なんだよ。

倉持陽一は言っていた。

「名前を残そうとか欲のかき過ぎだ。」とな。

カラフルメリィの名前がそこかしこ・・・

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2012年7月26日 0:04 CAT :

おっぱい揉む蔵の悲劇的まんこ妄想絵巻の結末

たまには、スマホから投稿してみる。

実は、スマホデビューから3ヶ月。

全く使いこなせてなかったりする。

そもそもまだ文字が打てない。

理由は簡単。

メールする相手もいないし、Twitterとかは、基本PCから、ばっかり投稿してるから。

マァ、苦手だからあえてスマホを使ってなかっただけと言えなくもないけど…
そんなこんなで、やってみたけど、マァ打てないわ。

まぢで。

何か、オレは今、凄い無駄な努力をしてるんじゃないだろうか…
そもそも、ブラインドタッチ出来てたんだよ。

ガラケーでは…その努力が無為になっている現状から、鑑みるに、今、スマホでの入力になれたとて、次の何かの端末になった時、結局同じなのでは…
うむむまむむ…
まぁいいか。

紙が残り少なくなりました。

田中さんからもよろしくとの事でした。

ごきげんよう。

と言う、加川良の手紙でフィニッシュだ。

はぁ、疲れた。

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2012年7月23日 22:13 CAT :

あの日約束したお別れの日は近い

「おまえらが頑張らんから、売上が上がらん。

だから、お前らの給料も上がらん。

全部お前らがやる気がないから。」と言う、激をいただきましても・・・

そんな言い方されたら、逆に経営陣の無能さに呆れて見限ります。

って話になるしかないんじゃないだろうか・・・

実際に、どんどん人居なくなってるじゃんか・・・どうして、分からないんだろう・・・

と、まぁ、そんな話。

よし。

愚痴はここまでだ。

昨日買った「アラバスター」の秋田書店版の単行本が、まさかの初版本だった志茂田さんです。

しかも、かなりの美品だった。

さてさて。

これまでも何度か書いた事のある話だけれども、オレには、死ぬまでに書いておきたい物語がいくつかある。

そして、もし、生きているうちにその全ての物語を描き切る事が出来れば、きっとその先には、何か素敵な事があるんじゃあないだろうかと妄想にふけっている。

その中の一つに「US」と言うお話がございます。

描き始めたのは実に高校生の時。

第1話を書いてから実に10年以上の歳月が経過している。

そして、その間。

本当に、当初思い描いていた世界観と設定を忠実に描き続け、第1話を描く前に作った設定ノートに書いていた全15部で、物語は終焉を迎えそうになっている。

大学を卒業したころから、少しずつ漫画とかを描く時間が減っていったオレは、当時、ひとつの締め切りをもうけた。

30歳までにこの物語を完結させよう。

それから、もう何年か経過してしまった。

完結まであと14話とエピローグだけと言うところまで描いている。

でも、ふと気がついた・・・もう来月には、オレは29歳になっちゃうんだよ。

これから、毎月1話ずつ描いたとしても、もう30歳までに完結させる事が出来ない。

そう考えてから、少しずつ焦りはじめている。

この物語の終わりを描く日が、どんどんと近づいている。

物語を始めるには、何の力もいらない。

でも、終わらせるには、物凄い力が必要な事を実は、これまでの経験から知っている。

これからの1年。

ひとまずの目標が出来た。

この10年以上に渡った物語を終わらせるという目的が。

来年の今頃、エピローグに手をかけている事を夢見ながら、久々に、次の1ページに取り掛かろうとしている。

そうなれば良いなぁ~。

ジョニィ・・・

お別れの日は近い。

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2012年7月22日 23:51 CAT :

夏なんです

いじめの話はもう飽きた。

例えば、加害者のやつが自殺したり、テヘペロ校長や、鼻歌担任が自殺すれば、その時に、ネットがこいつ等をいじめて自殺に追いやったとかになるんだろうか。

こいつ等は、万死に値すると思う。

それこそ、二度と社会に出てこれないように、凄まじい制裁を受ければ良い。

何だったら、死刑でも全然良いと思う。

でも、今の追いつめ方はこいつ等がやってたいじめと大して変わらないんじゃないかと思う今日この頃。

そうじゃない方向に、社会的な制裁が加えられればいいなぁ。

さてさて。

相も変わらず、死ぬことと生れ出ずる事について考える日々。

これまでも沢山そんな事ばかり考えてきた。

物語を作り出す時いつも頭の片隅にあるのは、死ぬことと生きる事ばっかりだ。

でも、こんなに色々考えた事は、あんまりなかったかもしれない。

やっぱり、本当の死ぬと言う事を目の当たりにすると、いかに浅はかな妄想だったのか思い知らされる。

戦後すぐの作家さんたちは、戦前戦後に嫌と言うほど人の生き死にを実体験として見てきたからこそ、リアルな物語を紡ぎ出す事が出来たんだろう。

今なんて、その物語のコピーのコピーのコピーみたいなもんで、それは、どうしたって、あの時代の皆様に勝てるはずがないんだ。

人生の経験知じゃない。

そんなものでは太刀打ちできないような経験をたんまり持ち合わせている。

狂気とは、そうやって生まれてくるんだろう。

雨が降る。

雨音が一定のリズムを刻まないのは、きっと狂気を生みださないため。

世界は、少しずつ狂気を生みだすことを拒否し始めた。

そして、狂気のなくなった世界は、進化を辞め、静かに衰退の時間を刻み始める。

それは、規則正しい一定のリズムを刻む雨が降るまで続く。

その雨が降り注ぐ時、再び、世界は狂気に満ち満ちた素晴らしい世界になる。

人が死ぬ。

人が生まれる。

人が死ぬ。

人が死ぬ。

その時、誰を殺すのか。

誰が生まれるのか。

静かに瞳を閉じて、その雨の日まで、心を押し殺す事にしよう。

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2012年7月21日 23:27 CAT :

夢見る夜は心果てるまでに

こんなに近しい人のお葬式など、人生で2度目の事。

それぞれに思う事はおありになるんだろう。

それとは別に、一人の人が死んでしまうと言う事について、どう向き合うべきなのかと言う一点について、思うことはまた別のベクトルに存在するはずだけれども、それでも、永の歳月を生きたと言う事実だけは変わる事はない。

例え、どんな時代を過ごしていたとしても。

今の時代が生きづらいと言う人もいる。

だとすれば、今の時代に生まれてくる子どもは全て不幸なんだろうか・・・

今の時代に死んだ人はすべからく幸せなんだろうか・・・

ただ、数十年と言う歳月を生きると言う事は、それだけで尊敬に値する。

オレは、30年にも満たない時間生きてきただけで、何だか疲弊してしまった。

そして、まだ数十年生きていかなきゃあいけないんだろう。

良い生き方と幸せな死に方について想いを馳せるここ最近。

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2012年7月5日 23:36 CAT :

1000年の監視者は何も言わず少女の散る姿を見ていた

命は、生まれては消えていくので、だったら生まれなければ良いと思っていた時期だってあったんだよ。

でも、生まれて消えるまでに時間があるのであれば、その時間に成した事はきっと無駄じゃあないと思いなおすことで、少しだけ留まる事も出来た。

そして今。

例え、生まれてから消えるまでが一瞬であったとしても、そこには意味があったと思えるようになってきた。

心情の変化は環境の変化か、はたまた・・・

さてさて。

先日、東京へ行ってまいりました。

まぁ、予定は楽天EXPOなるイベントに、社内のダレも 行きたがらない 行けなかったので、オレが行く事になったと言う、経緯があったりするのだけれども。

取り合えず、都会で1泊なんかしたくなかったので、強行で日帰りしてやった。

朝5:50分発の電車で香川を出て、夜0:06分の電車で帰ってくると言う、幸せの塊のようなランデブーだ。

と言う訳で、東京観光など1ミクロンも出来なかった。

新幹線の移動と、人ごみの多さに辟易した事と、フォーラムの内容に辟易した位だ。

その辺は割愛して、移動中に思った事を箇条書きで(↓)・・・と言う、まさかの展開をお楽しみくださいませ。

○「自殺の練習」とか、いじめの方法としては、強制オナニー位一般的なんじゃね?
○車っていっぱい止まってると、何か虫の群れみたいで気持ち悪いな。

○横のおっさん。

電車内で、ノーパソ使って仕事してんじゃねぇ~よ。

厠にも行きにくいじゃねぇ~か。

(オレは窓側だった)
○ケータイの充電器忘れた。

○東京の人って、氷のように冷たいしゃべり方するんだな。

○この女の車掌さんも、制服着たままプレイとかしてるんだろうな。

○女子高生が新幹線に乗ってる。

・・・まさかの羞恥プレイか?
○移動するってことは、さっきまでそこに居たオレは、もう居なくて、今、ここにオレが存在しているって事を0.0000000000000000001秒以下の単位で繰り返してるだけなんだよな。

って、事は一瞬ごとにオレの存在は消えては、現れてしているんだろうか?
○うんこ行きたい。

○まんこ触りたいなぁ~
○あの子のまんこに指入れたとして、横で座ってるおっさんがどんな顔をするのかでも妄想して遊ぶか。

○おっさんがオナニーしてるとこ考えて気持ち悪くなってきた…
○「発狂者。

雨音のメロディーより」って、良い感じのタイトルなんじゃね?
○人ごみ嫌いだ。

沖縄行きたいなぁ~
○オレの作る曲って、やっぱ世界で一番良い曲だよな。

○やっぱり、キンショーには勝てないなぁ~
○あの人、パンツ見えそうだけど、あんまりじろじろ見たら、捕まるかなぁ~。

と思ったら、裾直された。

覗いてたのばれたのかなぁ~?
○小梅太夫って、実はすごく面白いんじゃないのか。

○うんこ行きたい。

○眠たいけど、座ってんのだるくなってきた。

○「犬の部屋」はこれが何十日も続くのか・・・嫌だなぁ~
○ユーアヒューマンだ。

○帰って来たなぁ~。

こんな感じだったように思う。

努々忘れ得ぬように。

諸君たちよ。

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2012年7月2日 17:40 CAT :

もともとボロボロさ

ここん所、お仕事が忙しくて何だか知らないうちに、時間と言うものが経過している。

そんな感じです。

まぢで、歳をとると共に、時間が経つのは早くなる。

前は「んな事ねぇ~よ」とか思ってたけれども、今になると、んな事あったと言う訳でございます。

さてさて。

最近、実は少しずつ曲が出来上がってきたりしてたりする。

もちろん、まだ、曲として形になっているのは、2曲程度なんだけれども、このペースでいけば、そのうち「ボーニョ」以来のアルバム作りも夢ではないような気がしてしまう。

「黄泉」完成以降、しばらく、音楽なんて作れる気がしないと思ってた。

実際に、あの曲が出来てから1年以上、ほとんどギターとか触りもしなかった訳だし。

んで、久々に浮かんできた歌詞であったり、メロディーラインであったりは、ビックリする程、以前と変わりなかったと言う体たらく。

何だか、「黄泉」が完成した事で、オレは書きたい事がなくなったとか、次のステップへ進むのだとか、ずいぶん的外れな事を考えてたもんだ。

厚顔無恥とは、正にこのこと。

多分、今度作るアルバムも「ディトーションで歪めたカッティングギター」と「オーバードライブとかの手クセ優先のギターソロ」「循環コードに異分子を投げ込んだコード展開」に、「不謹慎な物語の歌詞」「ちょっと外れたボーカルと語り」が満載のものになるだろう。

タイトルも色々考えてたけど、多分「王道継承」か、または「王道軽傷」になるんだろう。

いつも通りの作品をひたすらリリースし続ける「犬神サーカス団」の如し。

そうだ。

オレは、あのバンドが大好きだったんだ。

ただ、その前に「ウミィ・マミィ」と「バクヲ」を完成させないとな。

出来れば、11月あたりまでに・・・

ちなみに、今出来てきている曲たちは
「今宵【ただいま】はゼロになる」
「犬神一座のサーカス団」
「無限ループタスクバー」
「発狂者。

雨音のメロディーより」
「ジェノサイド・ラブレター」
「捨幸超絶美貌女の死に様」
「絶望 その1」
あたりかな・・・

これに、「観客3人のライブイベント」とか「おまけの一日」とか入れたら、もうアルバム1枚分になってしまいそうだけど、まだ、もう少し出てきそうか気配がある今日この頃。

ただ、オレには、この後すごい人生のイベントがお待ちしてる訳で、作ってる暇あるんだろうか・・・

そんな事は、ちょっと頭をかすめている。

今日この頃。

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2012年6月24日 22:04 CAT :

死の物語

ここん所、実に色々とあったりした。

それは、思いのほか別れが続く日々だったりもした。

まぁ、何しか、事故を起こしてしまいまして・・・幸いにも、相手方もオレも軽傷で済み、不幸中の幸いと言えるかも知れない。

(事故を起こした事自体は、ダメな事だけれども。)
そうそう。

色々とご心配おかけしました。

あと、色々心配してくれた皆々様にも、ついでに感謝しておきます。

でも、その裏で、オレの愛車だった「ひろみつ」君はひっそりと亡くなってしまった。

俗に言う、廃車だ。

もうかれこれ8年も乗ってた・・・らしい。

何気に、嫁と出逢うよりも前からのお付き合いだった。

彼との思い出は、思いのほかに沢山あり、それこそ痛い表現を使えば、オレの少し遅れた青春を一緒にすごし続けたヤツだったと思う。

そうなんだよ。

あれの時も、これの時も、それの時も、ずっと一緒だったんだよ。

まぢで。

運転がへたくそなくせに、荒い運転する事がかっこいいとか勘違いしてた、初めの頃にぶつけまくったり、脱輪しまくったりの傷もたっぷりあった。

しかも、それを板金ごと換えたりしなかったから、いつまでたっても、傷だらけだったし、仕事やらなんやら忙しくなると、すぐに洗車すらも怠るもんだから、随分と汚れてた時期が長かっただろうて。

今になると、もっともっと大事に出来たんじゃあないだろうかと、そんな事ばかり頭の中によぎる。

それでも、あいつは文句も言わずにずっとオレといっしょに居てくれたんだよ。

それを、オレの不注意で事故を起こして、廃車とは・・・

今日、廃車になる前に、車の中の荷物を取りに入って来た。

ホントに色んなものが出てきた。

納車したばかりの頃に、西讃中のダイソーをはしごして手当たり次第に買い集めた「マメ」とか、卒業旅行の時に買ったエロ昔話本とか、ジンちゃんにサインを書いてもらった時のマジックとか、ブーと釣りをしてた時の釣り竿とか・・・

しみじみと思う。

もうこんな思いはコリゴリだ。

これで、もし誰かが命を落としていたら、どうなってたんだ。

事故なんてするもんじゃない。

今回の件で、何よりその事が良く分かった。

まぢで。

今日で、「ひろみつ」くんに会うのは最後だから、写真も撮って来た。

でも、それはオレだけのもんだ。

あんな無残な「ひろみつ」くんを誰かに見せるわけにはいかない。

そして、その裏で、もう一つの別れもやってきていた。

ここ数カ月ずっと調子が悪かった「千田」の命を終わろうとしている。

結婚前まで、実家のオレの部屋には、植物たちの楽園(と勝手に思ってた)「植種台」と言う場所があった。

今の、植物集めの原点になるような場所だ。

そこを作るきっかけになった、一番初めにやって来たサボテン。

(嫁がプレゼントしてくれた)それが、「千田」だった。

「千田」とは、すごく仲良しで、「千田」はいつもいつも、太陽の方に伸びれば良いものを太陽に背を向けて、オレの居る方居る方に伸びてきていた。

そのあとに、「イモ太」や「ガジママ」、「ブニ男」などなど沢山植物といっしょに過ごすようになったけど、「千田」ほど仲良くなったヤツはいなかったと思う。

「千田」はやさしい奴で、それでいて男気のあるヤツだから、基本的に、調子が悪くなる時は、オレからは見えない方から体調を悪くしていく。

いつも、見つけるのが遅れてしまうけれども、それでも、時間をかけて、元気になり続けていた。

「千田」は過去に一度、死にかけた事がある。

結婚して、今の家に引っ越す時だ。

もしかしたら、その時「千田」は、もう自分の役目は終わったと思ったのかもしれない。

だから、静かに死のうとしたのかも知れない。

でも、半人前の二人の生活はなかなか安定しなかったもんだから、「千田」も、もう少し手を貸してくれたんだろう。

ホントに、奇跡的に復活した。

そして、今、実は、「千田」と出逢って2度目の変化の時に来ている。

「千田」は今度こそ、もう自分の役目は終わったと思ったような気がする。

だから、静かに静かに死んでいこうとしている。

オレは、それを認められなくて、捨てることが出来ないでいる。

でも、「千田」がそう思っているような気がする。

不思議と、「千田」が思ってた事は分かるような気がする。

ただのエゴだと言われればそれまで。

別に、信じてもらわなくても良い。

でも、「千田」の5年以上の付き合いの中で、今そう思うんだから、仕方がないんだ。

そう思った時、実は、「ひろみつ」くんとの別れも、似たようなものだったのかも知れないとさえ思うようになってきた。

今、頭の中では色々な思いが交錯している。

その全てを出しきるには、まだ時間がかかるだろうけど、分かっている事は、今、大きな変化の時の中に居ると言う事で、そして、「千田」も「ひろみつ」くんも、何かを教えてくれようとしている。

忘れる事はない。

かつてオレには、8年も一緒に居た。

どんなとこへ行くのも一緒だった車が居た事を。

かつてオレには、5年も寝起きを共にした、仲良しのサボテンが居た事を。

ここでひとまずのお別れだけれども、誰かが言ってた。

忘れなければ、いつまでも一緒に居ると。

新しい時間軸がはじまる。

新しい「彼ら」といっしょに。

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2012年6月10日 22:08 CAT :

ヨギナクサレ

ちょっと前に触れた「家事ダイエット」。

ただいま、割かし継続中だったりする。

いや、ホント家事って大変。

思った以上に体力を使うわ。

筋トレとかするヤツって、もしかしてバカなのか。

とか思ってしまった。

いや、腕の筋肉鍛えたければ、拭き掃除をやればいい。

(ついでに、雑巾とか絞れば、握力もつくし。)足腰鍛えたければ、家中掃除機でもかけながらうろうろすればいい。

小一時間も家事してたら、もうこの季節だと汗とかもにじんできたりする。

ウォーキングとかするよりよっぽど体力を使うんだよ。

まぢで。

でも、痩せない。

簡単な話だ。

それ以上に食べているからな。

さてさて。

ここ最近、テレビで出産ネタとかをたらふくやってる。

今年は、なんでも芸能界で出産ラッシュらしく、それに比例して、ママさんファッションだのなんだのと言うネタを連日色んなテレビとかで垂れ流している。

それをチョコチョコ見てて、ホント不愉快になる。

取り合えず、「東尾理子」だ。

あいつは、近年稀に見るアホだと思う。

羊水は腐っていないだろうけど、脳髄は腐っているみたいだ。

子どもがダウン症の可能性がある事を出産前の段階で自ら公にリークするとか、正気の沙汰とは思えない。

これから、「障害のある子どもを持つママさん」キャラで芸能界を渡り歩こうとか考えているのか、それとも、何も考えてないアホなのか知らんけど。

一体その情報をこの段階で発信する事で、誰にメリットがあるのやら。

あの女はホントダメだ。

不妊治療が何だか知らんけど、そうやって授かった大切な命なら、商売のネタに使うんじゃなくて、もっと心から大切に思ってほしいもんだ。

まぢで。

テレビ見てて思ったのは、何なんだろう。

どいつもこいつも子どもの事をペットかなんかだと思ってるんだろうか。

何か、バッグでも持つかのように、子どもを持ち歩いて、自分の好みを押し付ける、その様を見ていて、何とも言われない苛立ちが募る日々です。

そして、子どもに英才教育を仕込もうとする奴らも。

自分がバカなのを棚に上げて、子どもには英才教育って・・・自分の身の程を知るべきだ。

トンビが鷹を生むとか、そんな事はそうそう起きないって。

昨日の「東京カワイイ」に出てたキチガイママさんは「子どもを孫社長みたいにしたいから、英語のテレビば番組を見せてます。」とか、ドヤ顔で自慢して、専門家にフルボッコにされてた。

一体、どの部分から孫社長のようにしたいのかよく分からないけども、多分このおばさんは在日なんだろう。

生活保護を受けて生きてるんだろう。

と、思いなおし、「ああ、日本社会の足を引っ張る最底辺のクズか。」と納得した程でございます。

今になって「天津影久」の言葉が頭をよぎる。

「親の出来なかった夢を、自分の子どもに叶えさせようと考えるなど愚の骨頂。」
取り合えず、子育てブログとかで、自分の顔は晒してないのに、子どもの顔は晒しまくってるアホママには要注意だ。

そいつらは、ただ、子どもをファンションアイテムの一つだと思い込んでいる。

だから、子ども自身に人権などあるはずもないと考えている。

将来、子どもには、自分の出来なかった英才教育と言う名の拷問を受けさせ、子どもが思い通りに育たなかったら、周りのせいにして、挙句の果てには「何でうちの子どもは成績がこんなに悪いんですか!」とか、学校に怒鳴り込んでくるようになるだろう。

そうならない事だけを切に祈る。

それは、ただただ子どもが不幸になるだけだから。

子どもに罪はない。

子どもに親は選べない。

子どもは、どんな虐待をされようとも、どんな仕打ちをされようとも、その親の元でいるしか生きる術がない。

キチガイ親がどうなろうと知った事ではないけれども、子ども達が、ニコニコと笑って「早く大人になりたい」と言いながら育ってくれる未来を作っていく必要があるのだと、真剣に迫られて考えている。

オレに出来る事は、何なんだろうか。

そんな事などを考えて見る夜。

悲しみの雨に肩を濡らし佇む傍らで。

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2012年6月9日 22:15 CAT :

I could not look back

ここ最近、少々欲求がたまっている。

何か知らんけど、バカみたいに「歌を歌いたい」
何か知らんけど、バカみたいに「爆音でギターをかき鳴らしたい」
何か知らんけど、バカみたいに「漫画を書きなぐりたい」
何か知らんけど、バカみたいに「口に出すのも恥ずかしいような内容の演劇がしたい」
何か知らんけど、バカみたいに「ヘイローとかやりたい」
何か知らんけど、バカみたいに「本を読みふけりたい」
何か知らんけど、バカみたいに「文章を書きたい」
欲求はたまる。

減ることなどなく際限なくたまる。

取り合えず、今オレが言いたい事は、もうソース書きたくねぇ~。

もうフォトショとおさらばしてぇ~。

悲しいけど、これ、仕事なのよね。

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2012年6月7日 22:30 CAT :

人間は誰かを傷つけなければ生きられません。でも、その対象が自分か他人かの自由はあるようです。

昔、書いた「アンチスーサイダー戦場へ赴く」と言う物語がある。

中二病全開バリバリぶっちぎりの物語で、実は、かなり好きな物語の一つだったりする。

ふと考えて見た。

戦争に向かう人間。

その戦争では、毎日何百・・・場合によっては、何千人の人間が死んでいく。

その死んでいく人間ひとりひとりは、(おそらくは)望まれて望まれてこの世に生を受けた確実な命のひとつ。

戦争に向かう、一人の人間は、その事を知ってか知らいでか、課せられた使命のように、一つずつ命を摘み取って行く。

もし、人間が「生きられない事を前提として」マンボウのように何億もの子どもを産むのなら、こんな感情には囚われはしなかっただろうて。

でも、人間は「生きられる事を前提として」一つの命を大切に育てようとする。

摘み取る事は、実に簡単で、育てる事は、きっとその何兆倍も大変なのだろう。

ただ、一つだけ不思議な事は、それでも、人口は増え続けている。

命の数は決まっているので、人間が増えた分、他の命が減っていくのは仕方のない事なのです。

バランスをとる必要がある。

だから、戦争がなくならない。

それが人間の業だと言うのなら、実は、なんと悲しい生き物なのだろう。

教育も、環境も何も関係なく。

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2012年6月2日 23:19 CAT :

あなたと一緒なら天使の羽根きっと見つかる。

「ずきあかのちゃんね~」も「しまうらのろ~た~」の大好き。

今更ながら、夙川アトムを思い出して、ニヤニヤしております。

昨日、たまたまNHKで「バリバラ」を見た。

前から凄い見たかった番組だったりしたので、ただただ「ラッキー」とばかりにツラツラと見てた。

やっぱり時代は、「脳性マヒブラザーズ」なのだろうか。

ついに、オレの口癖「おまえは小児麻痺か!!」が世間的に許される時代が来てるのかと、何だか感慨深いものがあるようなないような。

そんな気持ちの私です。

番組の中でふと思った事。

めくら視覚障害のあるヤツが一人居た。

そいつは、目が見えないくせに、両行が大好きと言う、頭もチョッとぶっ飛んでるヤツだと思う。

(どうでもいいけど、目が見えなくても旅行とは楽しいものだったとは知らなかった。)
そいつは、どうも目が見えない分だけ耳が異常に発達しているらしく、音を聞き分ける能力も優れ、しかも、耳で聞いた歌詞なども一瞬で覚えてしまえるのだとか。

それをそいつの連れが「その能力が欲しい」と言ってた。

「障害とは、障害だと思ってしまえば、それまでだけど、個性だと思えれば可能性は広がります。」
という言葉は、「ブラックジャックによろしく」の一節だったか。

「音楽やスポーツの才能を欲しがる親はいても、手足のない子どもを欲しがる親はいない。」
みたいな言葉も、「ブラックジャックによろしく」の一節だったか。

オレは、なまじ目が見えてしまうものだから、耳が目の見えないヤツより劣ってしまったらしい。

例えば、オレは、何かを覚えるときに、耳で聞くだけでは覚えられず、目で見るだけでも覚えられず、悲しいかな、目で見ながら、手で書いて、それを声に出して読んで、自分の声を聞きながらじゃなければ、なかなか覚えられない。

まぁ、五感をフルに使っている訳ですな。

五感がしっかり発達しているばっかりに。

そう考えた時、もしかしたら、どちらの方が良かったのか・・・と、簡単に言えるものでもないかもしれない。

日本には、少し前まで「見世物小屋」なるものが存在していた。

そこでは、畸形に生れてしまった人間が、「親の因果が子に報い、生まれいずるは呪われた○○人間」のような前口上と共に見世物にされていた。

ある時は「蛇女」、ある時は「犬人間」と呼ばれながら。

「ぐるぐる使い」は本当はいなかったと信じたい。

障害を持って生まれた人間の生きていくためのすべの一つだった。

・・・らしい。

人権団体の皆様は、「人権」と言う名の差別意識を押し付ける事で、これらの障害を持った人間を「人前に立つには恥ずかしい人間である」と位置付けた。

その結果、彼らは仕事を奪われ、国からの保護を受けていると言う現実もある。

それはもしかしたら、身体以上に不自由なことかも知れない。

もちろん、本当に恥じている人もいる事だろうて。

でも、そうでもない人もいるはず。

「障害がある」と一緒くたにしてしまうこと自体が、自分とは違う下等で下賤な生き物を見る視線があるように思えて仕方がない。

生活が困難だと言うなら仕方がない。

ただ、それはやりたい事を奪う事とは同異義語ではないと思う。

いつかは、「目が見えない代わりに、耳が異常に聞こえる能力」と。

「脳性マヒだから純粋でいられる個性」と。

そして、「手もないくせに調子乗ってんじゃねぇ~よ」と。

言い合える日が来れば良いな。

なぜなら、昨日そのテレビに出てたの大半は、オレなんかよりよっぽど社交的で、よっぽど沢山の友人に囲まれてニコニコとしていたのだから。

明日から皆で声高に叫べばいい。

アホな事してる連れに「おまえは小児麻痺か!!」と。

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