「気分」カテゴリーアーカイブ

2014年2月15日 1:53 CAT :

手まんこの為に存在する

そろそろの来るべきまぢレコーディングに併せて、少しずつではありますが、ギター弾くの練習しております。

で思った事。

つくづく。

つくづく思った。

反復練習って大切ですね。

「黄泉」(と言うか、「土下座」製作以降)まともにギターとか弾いてなかったからしょうがないと言えばしょうがないけど、鈍ってるとかそんなレベルじゃねえぞ。

まぢで。

思惑とは裏腹に、面白い位指が動かないんでやんの。

「4千年王国」の早弾きとかはまぁ、しょうがないにしても、「アンチスーサイダー戦場へ赴く」の出だしとかさぁ、「ジャム地獄ジャム」のリフとかさぁ・・・その辺は弾けろよ・・・オレの指。

取り合えず、かろうじて弾けるのは「子守られの唄」のギターソロ位か・・・

全部、自分で作ったはずなのに・・・

しかも、持久力がないから、アップテンポな曲弾いてると、途中でへばってくるし。

もうしばらく運指練習とかします。

はい。

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2014年2月8日 15:54 CAT :

今更のセンター試験だけの必勝法

スゴイ雪!
オレは、香川に住んで30年。

多分、最高に積もったんじゃねえのか?ってくらい雪が積もった。

普段、雪なんか見る事ないから、雪が積もるとスゴイテンションも上がったりするんだけど、今日の場合はさすがにチョッとテンション下がった。

会社行くまでの道で、何度か、スリップしかけたし、横通るトラックに雪をかけられて事故りそうになったし。

毎年雪積もって羨ましいな。

と思ってたけど、雪って大変だわ。

東北とか、北海道の皆さん。

ゴメンなさい。

さてさて。

別に自分のことを頭の良い方だとかは、別に思いもしないんだけど、割と覚えは良い方だと思ってたりします。

仕事にしても、勉強にしても、あと、ゲームとかそんな感じにしても、大体「覚えるの早いな」って言われたり、言われなかったり。

ふと考えてみた。

別にオレは記憶力がいい訳じゃあないし、頭がいい訳でもない。

のに、何なんだろう・・・この言われは。

みたいなね。

スゴイどうでも良いことを悶々と考えてたりしたんだよ。

学生時代に遡った。

オレは、とにかく勉強するのが嫌いでしょうがなかったんですよ。

まぢで。

こんな人生の無駄なんて無いと思ってた。

でも、まぁ、テストではそこそこの成績を取っといて、親を納得させたり、先生方に目をつけられなくなったりしなきゃいけない。

それに、受験と言うものもあったし。

で、オレが考えたのは、極限まで努力しないで成績があがる方法だった。

・・・ように記憶してる。

例えば勉強において、これさえ押さえときゃ、あとは応用できるんじゃね?とか、そんな所を見極める事にだけ注力して、見極めた部分だけをとにかく勉強する。

苦手だった英語で例を挙げると・・・

とにかくチマチマ英単語覚えたり、接続詞覚えたり、発音のアクセント覚えたりは全てばっさり捨てた。

んで、テストでの配点の大きい長文の読解だけに全力を尽くした。

方法としては、スゴイ初歩的な英単語だけを覚えておいて、後は、文脈から単語の意味を推測したり、単語の成り立ちから意味を推測したり・・・

テストで言う所の、問い1~4くらいまでは、ほぼ全て正解なしだけど、長文の問い6とか7はほぼ全問正解。

だって、配点が1点とかのアクセントチマチマ覚えるくらいなら、配点が7点くらいある長文の選択問題に正解する方が7倍意味がある。

その結果、センター試験では、160点位取れて、偏差値も60以上(当初は偏差値30代だったのに)を取る事だ出来たりした。

まぁ、これは勉強の話だけど、多分、こんな事をそれ以外にも日常的にやってるんだと思う。

覚えの早さに繋がってるんだろう・・・

ただ、この方法には絶望的な欠点がある。

将来性が1ミクロンも無い。

その場を乗り切るためには最善の方法なんだろうけど、こんなやり方したお陰で、何にも見につかなかった事が多々ある。

いつも、スタートダッシュは凄いけど、ちゃんと基礎からやってきたヤツに最終的にいつも追い越される。

そして、オレは何でもある程度出来るけど、何一つとして極めたもののない中途半端さんになっちゃった訳ですよ。

今。

このクセは未だになおちゃあいない訳で、相変わらず、最初だけ「覚えが早い」とか言われてる感じ。

で、そうならないようにした部分(絵を描いたり、曲書いたり、ホムペ作ったり)では、結局、最初に「不必要」とぶった切った部分を改めて、丁寧になぞり直してる。

もう、このクセは直りそうもないので、それはそれでいいか・・・とも思うけど、「要領よくなるために何か良い方法は無いかな?」とか今考えてる人が居たら、こう言いたい。

結局は、全部やらなきゃいけないんだから、地道にコツコツやった方が二度手間にならないよ。

・・・と。

頭が超越的に賢い人は知らんけれども。

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2014年2月5日 22:34 CAT :

寄る辺ない新月の夜の波

悲しみの連鎖は止まらない。

止める必要もない。

全ては必然であり、なるようになる。

・・・らしいです。

が、それを甘んじて受け入れる事が出来るには、まだ経験も不足しているだろうし、心持ちの余裕もない。

受け入れられなければどうすれば良いか。

ただ、右往左往して、茫然とするしかない。

いつまでも。

いつまでも。

人が死ぬ物語を当たり前のように描いて来ていたけれども、その一つ一つについて、どこまで考察が及んでいたか鑑みれば、ひどく浅はかだったように思う。

例えば、その死んでいくキャラクターにも、今、オレが四苦八苦しながらもやっている子育て。

によって、大切に育てられた過去があるやもしれない。

そんな背景まで奇麗に掬い取った上で、物語を構成出来れば、さぞかし、良いお話もかけるんじゃあないでしょうかね。

ただ、それを表現しきる能力が足りないだろうて。

考察が足りないだろうて。

歌詞では、言葉足らず。

漫画では、画力足らず。

演劇では、人足らず。

などなど。

足らずねだりの夜ですよ。

今夜は。

明日の朝が、何事もなく訪れますように、祈りつつ、今夜はここで眠りに落ちましょう。

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2014年2月2日 1:30 CAT :

ビッグザブドー

日本の武道の世界には、「守破離」と言うものがあるらしい。

何かって言うと、単純に言えば、物事を学んでいく上での方法論のひとつ。

「守」は、伝統的に受け継がれてきた基本の型をそのまま受け継ぐ事。

「破」は、受け継いだ基本の型を自ら打ち破る事。

「離」は、基本から離れた自分の型を生み出す事。

なんだとか・・・

まぁ、これって何気に、どんな事でも適応できるわな。

要は、コピーから入って、コピーを自分のものに昇華させて、最後に、コピーとは全く違った自分のものを作り上げるってことでしょ。

昔からよく言われる基本っちゃあ、基本だ。

そして、この「守破離」は、上達において最も近道・・・だとも思う。

さすが日本の文化は奥深い。

分かってる。

分かってるんだよ。

でも、オレは、昔っからどうしても、この中の「コピーをする」って言う行為が出来ない。

やりたくないと言えば、多少は聞こえも良いんだろうけど、そうじゃない。

出来ない。

前に、CGの作り方を教えてもらってた時にも、この人はオレにこの「守破離」をやらせようとした。

「守」として、取り合えず、好きな動物をモデリングして、CGを作ってきて・・・と。

出来ませんでしたよ。

どれだけ頑張ってもね。

先人たちの作り上げたものを受け継ぐ。

と言えば、とても素晴らしい。

し、それを受け継ぎたいと思うんだよ。

そのために、一応色々と勉強もしてる。

でも、それを生かしてコピーしようとするとどうしても出来ない。

アメリカのカントリーミュージックみたいなのに傾倒してた時期が過去にあったりして、チョッとその辺の事を勉強したんだよ。

で、よし、この感じでカントリーミュージックを作ってみようと思って完成したのが「タンタン~海の底とまぶたのない魚」って曲ですよ。

誰からも、カントリーミュージックとして認識されちゃあいないよ。

今では、もう何か、どうせコピーなんて出来やしないんだから、好き勝手に作り上げてやる。

とか、変な達観をしております。

何て言うか、勉強してない訳じゃあないんですよ。

勉強したけど、その通りに出来ないだけなんだよ。

だから、基本がなってないとか、理論がどうこうとか、そんな話をするんじゃあない。

基本も、理論もある程度分かった上で、出来ないんだよ。

とね。

先日、弟の知り合いがオレの曲を(と言うかコード進行とか?)見て、そんな事を言ってたらしいんだけども・・・

その知り合いは最後に「まぁ、曲ッぽくなってるから別にいいんじゃないの?」と、諦めたそうで。

オレも、そんなもんだと思っておりますので、良いんですよ。

いや・・・そんな事を言いたかっただけです。

おやすみなさい。

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2014年1月30日 22:43 CAT :

スティーブ・ジョブズとピクサー

実に4年ぶりのアルバム「王道軽傷」。

去年の9月からコツコツと作りはじめて、やっとこさ、あと1曲で、全部の曲が出そろう感じになった。

と言っても、まだ編曲した仮録りの状態だから、そのあとに、本レコーディングをする必要が多分あると思う。

・・・あと、緊張感が張り詰めすぎなので、1~2曲ほど遊びの曲を入れても良いかと思うんだけど・・・(「ボーニョ」の時の「DANDAN心轢かれていく」とか、「元寇と義経とあとバルバロイ」みたいなヤツ。)
とか考えてると、結局全部で18曲位になるらしい。

レコーディングもそうだけど、これだけの量をミックス、マスタリングする弟の作業量を思うと、ニヤニヤする。

せいぜい苦しむがいいわ。

と。

さてさて。

嫁が前使ってたスマホが、実は「arrows ν」と言う、歴代スマホでも類まれにみる糞ごみ機種だったので、iphoneに変えてあげようってことになった。

んで、その時に、色々と見てると、何か1か月の料金が何か安くなるっぽい事がわかったんで、オレも、勢いでiphoneデビューしてやった。

ドコモさんの陰謀なのか、機種変して、ガラケーに変えるより、iphone以外のスマホにするより、iphoneにするのが一番安いんでやんの。

とはいえ、サポートの面とか、無料通話がなくなった事とか、いくつか不利な事があるような気がするけどまぁ、あんまり電話とかしないし、そもそも、サポートとかそんな期待してないし、などなど色々こじつけた結果、最終的に「ま、いっか」と言う事になったわけだよ。

ちみちみ。

で、使ってみての感想。

確かに、OSが変わっちゃうから、色々と変わってしまうよね。

使い方の部分では四苦八苦もしつつだ。

それは認めよう。

でも、結構いい感じだと思う。

すごいご機嫌な感じがする。

ん~さすが、アップルさんですね。

部分的に、利権・・・と言うか、アップルさんの利益のために、がっつり権利を主張されてる気がするけど、それはそれ。

もう、無理やり抜け道探し出して、後ろに手が回るかどうかのギリギリを歩いたりする歳でもないし、素直に受け入れましょう。

言われるままに享受しましょうとも。

ちなみに、iphone5cの方にしたよ。

iphone5sでも良かったんだけど、あの、横のところの金属がダサくて、耐えられられなかった。

機能面も大切だけど、なんとなく譲れない部分もあったりするんだ。

今年も、もう12分の1が終わろうとしている。

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2014年1月22日 22:58 CAT :

ハンマーでトントン

特撮の新譜を聞いてご機嫌ですよ。

色々と大変だとも思うけれども、それでもご機嫌ですよ。

今回も素晴らしい名曲たちだ。

「ハンマーはトントン」が素晴らしく良いね。

ご機嫌で居られる事が多分大切なんだと思う。

世の中には、悲しい事が沢山ありますよね。

だからこそ、ご機嫌で居られる事が何かあれば、それはもう、それだけで、底抜けに幸せな事なんだろ思う。

ご機嫌な事が何もない事だってある訳だからね。

むしろそのほうが多い訳だから。

はてさて。

夢を見た。

それは、とてつもなく悲しく、そして少しだけ懐かしい夢だった。

目が覚めた時、頭の中には、何だかとてつもない恐怖感と、素敵なメロディーがひとつ。

このメロディーはなんだろう?とか、チョッと考えて見た。

その少しの間にも、そのメロディーはどんどんと記憶の彼方へ消えて行った。

それでも、少しだけでも、断片をレコーダーに残す事が出来た。

最近、こんな事が良くあるので、スマホにレコーダーアプリを放り込んで、思いついたやつを取り合えず、録音するようにしている。

前は、そんな事無かった。

と言うか、覚えてられないメロディーラインなんか大したことないんだから忘れて結構。

とか、傲慢な事を言ってた。

それでも、いっくらでも思いついてたんだよ。

でも、ここん所はホントにダメな訳で、良いのが思いついたら、勿体なくて、録音する訳ですよ。

この少しの思いつきさえも出てこなくなった時が、さようならの時なんだろう。

その夢は、誰かが死ぬ事に結びつくような悲しい夢だった。

このメロディーは「パラフィリア=グロッサリー その1」と言う曲名になりました。

死別した愛する人へ向けた、少し哀しいバラードになれば良いなぁ~。

絶望の話はいつも夜開く。

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2014年1月19日 17:34 CAT :

パラフィリア=グロッサリー

絶賛製作出来ていない4年ぶりのフルアルバム「王道軽傷」。

今回の中で、その中核になれば・・・と、ひっそり思っていた(「影の上のボーニョ」で言う所の「蛇女外道節」のようなポジションの)曲。

「パラフィリア=グロッサリー」の輪郭がやっとこさ見えてきた。

そもそも、大まかな雰囲気は出来上がっていたものの、実際に、それがどんな形になるのか、実に右往左往。

それでも、やっとこさ、歌詞と何となくのメロディーラインまで出来上がってきたよ。

と、まぁ、そんな感じ。

しかし、何と言うか、ペースが落ちたよな。

前は、もっとすんなりどんどん作れてたような気がするんだけどな。

その上、こんだけ練りに練って、時間をかけても、昔、5分くらいで適当に書いた曲のほうが断然良かったりするし・・・

何だか「これでいいのか?」と、不安になる部分はありつつも、目標の今年春頃完成に向けて、少しずつ製作は進んでおるらしいです。

出来上がった暁には、また、聴いてみてやって下さいませ。

無理強いはいたしませぬので・・・

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2014年1月18日 20:59 CAT :

罪の意識と罰の意識

先日、地元の図書館に言った時の話。

嫁が、育児関係の本を借りたいとの事で、物色中、オレは、娘と児童コーナーで遊んでた。

そしたら、そこに、2~3歳くらいの男の子が本を持ってやってきて「ん」と(トトロのカン太が、さつきとメイに傘を差し出す感じで)その本を差し出してきた。

一緒に遊びたいのかなぁ~と思って、「ありがとう」と言って、その本を広げたりしてた。

その男の子は、次々と本を持ってきては、読んで欲しそうにページをめくっては、また本を取りにいく。

娘は、正直そんな事に興味なくて、別の自分の興味あるところにいこうとする。

オレは、娘のこと見てなくちゃいけないのに、次々と本を持ってくるその男の子を邪険にすることも出来ない。

で、軽くパニくってたら、男の子の母親らしい人が来て「○○(聞き取れなかった)、こっちくる?」とだけ声かけ、あとは無視して、自分の本を読み始めた。

その間にも、この男の子は次々と本を持ってくるし、ついでに、ハイハイしてた娘を踏みつけて行こうとしたりしたしたし・・・

取り合えず、この母親と言うか、クソアマだよな。

いいよ。

自分が本を読みたいけど、子育てが忙しいから、普段読めない。

だから、図書館では、子どもを放置してる。

としても。

最悪、そこまでは許してやるよ。

でも、子どもが迷惑かけてて、なおかつ、こっちがそれに困惑してんのまで理解しておいて、オレに対して「すみませんね」とか、「迷惑だからこっちきな。」的なこと一切なしに、チョッと声かけて、自分の罪悪感だけスッキリさせたら、あとは、無視とか・・・ゴミ過ぎるだろう。

まぁ、ネットでチョイチョイ見かける「キチママ」ってヤツの部類にしては、軽度なんだろうけど、このキチガイクソアマ・・・

何より、気になったのが、この男の子。

おそらく2~3歳にもなるだろうに、1歳になったばかりのうちの娘より、言葉を喋らない。

コミュニケーションが取れない。

多分、家でも、話しかけてもらえないどころか、放置されっぱなしなんだろうて・・・

そう思ってくると、この男の子が可哀相にもなって、このパニくる状況以上に、このクソアマに対して余計イラッとした。

結局、図書館を後にするまで、ズッとその男の子と遊ぶ事になったけど、最後の方には、ニコっとしてたし、帰り際に「ばいば~い」ってすると、寂しそうに手を振ってくれた。

(最後まで、「ん」以外の言葉を発さなかったけど。)
子どもは親を選べない訳だし、うちの娘は幸せだとかそんな事言えるわけでもないけど、このクソアマは、母親になっちゃダメだろ…
まぁねえ。

子育てって大変だと思うわ。

自分でも、やってて凄い思う。

でも、だから子どもを雑に扱って良いって話にはならない。

と言うか、絶対になってはいけないんじゃないでしょうかね~。

子どもが3人とかになって、一人一人丁寧に相手できなくなってしまうとか、そんな話ならしょうがないと思うけど、今回の場合、この子、明らかにコミュニケーションが取れなさすぎてるって。

成長を妨げるほどの放置って・・・

と、ここまで書きつつも、それでも、まだ、放置しないで連れてきてるだけマシなのか?とも思ってしまった。

あと、この前、近くのスーパーで見かけた「やかましい」と言いながら、1歳くらいの子どもの頭とか背中をオレが引くくらい思いっきりしばきまくってた、金髪の香水臭いおばさんと比べると、怯えてないだけましなのか?とか・・・

子ども出来てから、こう言う事に気がついてしまってしょうがないんだよ。

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2014年1月14日 22:41 CAT :

夢喰いバクヲ後始末

夢があった。

夢があったと言うと、今はもう夢なんか無くなってしまったと言う事になっちゃうらしい。

子どもの頃、誰もが思っていた夢は、どこまでも実現可能だけれども、実現不可能な場合が多い。

オレは、漫画家になりたかったし、あと、なぜか、ミュージシャンになりたかった。

そうやって描いた漫画はなんとなく10000ページを下らない訳で、作った音源はアルバムとして25枚分ほどあるらしい。

でも、今オレのお仕事は、そのどちらでもないwebデザイナーさん。

それは夢破れたのか。

大学時代、こんな事を当時大学の就職部でお話しした時に「夢は捨てて、現実を見なさい」的な事を諭された。

それまで至る所で、将来の夢は何ですか?と聞かれ、語らされ、テレビをつけても、音楽を聴いても、一様に「夢は叶う。

諦めないで」とのたまっていた。

それなのに、大人になったとたん「夢は捨てる」と諭された訳だ。

この時の絶望は結構大層なもので、その時の気持ちを忘れる事無いように、一つの物語を作った。

「夢喰いバクヲ」と言うお話。

このお話を当時組んでいたバンドで音源化し、ついでに、小説も書いてやった。

とある出版社に投稿してみたところ、本になるとかそんな話まで出るくらいだったので、このお話自体は、まぁ、それはそれで良いものだったんだと思う。

でも、今。

この歳になって、家族が出来、仕事をしながら、オレの夢とは何だったんだろうかと、ふと空を眺めながら思う。

今の生活が不満な訳じゃあない。

むしろ、学生時代の自分にとっては絶対に自分とは無縁だと思っていた生活と幸せを実は手に入れてしまっている。

嫁どころか、娘までいる。

あの当時漠然と抱えていた「夢」は、おそらくは、思春期特有の世間に自分と言う存在を認めてもらう。

もっと言えば、注目してもらうための手段だったのかもしれない。

そんな願望が消え失せてしまい、今の生活を大切に思いたいとか、そんな事を想う30歳のおっさんとなった今、やりたい事は、やっぱり、漫画を描いて、曲を作って歌う事だったりする。

結局のところ、手段だの、夢だの色々と言い訳をしていたけれども、難しい事は何もなくて、多分好きなんだろう。

生憎とこの二つに対しての才能はおそらく欠片もない。

世間に認められるなど、おこがましいにもほどがある。

誰のために描くのか。

誰のために歌うのか。

オレが漫画を描き始めた小学1年生の頃の気持ちを思い返してみる。

オレは、オレのために書いてたんだよ。

オレは、オレのために曲を作るんだよ。

本当に好きなら、それで良いんじゃあないかと思う。

人のために作った物語や、曲なんてほとんど存在しない。

ほとんどが自分のために、自分の満足のために作っている。

それで良いんだよ。

と、いつからか言い聞かせております。

でも、ここ最近では、自分のためではなく、娘のために作った曲が形になろうとしていたりもする。

もう少ししたら、完成するだろうて。

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2014年1月4日 23:51 CAT :

明日晴れたら海へ行こう

忙しいから・・・と言うか、必要がないからと言うか・・・最近、ビックリするほど、テレビを見てない。

そして気がついた。

テレビ・・・って、別になくても困らない。

ニュースなんて、ネットで見れば良いし、そもそも、別にテレビ見なくても、毎日色々面白い事あるし。

テレビって言うのは、趣味もなく、やりたい事もなく、そして、日々何の楽しみもない人が見るものになってしまったんでしょうね。

昔は違うかったと思う。

もっと、テレビと言うと異世界のような趣で、その異世界を垣間見るためなら、自分のリアルを削っても惜しくないと思えていたんだと思う。

今は、違うけども。

それが成長のせいなのか、それとも、テレビ自体の衰退なのかは良く分からない。

分からないけど、昔のテレビとかはやっぱり面白くて、ビデオだったり、レンタルだったり、YOUTUBEだったりで見てしまう。

と言うか、見入ってしまうので、後者だと思おう。

ちなみに、漫画とか本については、今でも読んだりしています。

こちらは、衰退とかしてないと思う。

進化したかと言うと、それはどうか分かんないけど。

今日は、カイジのワンポーカー編2巻を読みましたよ。

何か、限定じゃんけん程ではないけど、結構いいテンポで物語が進んでいる。

やっぱり面白いよ。

カイジ。

ライヤーゲームは、椅子取りゲームあたりで見限ったのに、カイジはまだ読み続けております。

ワンナウツは最後まで面白かったのにね。

と言う事で、テレビは昔が面白かったと言う事にしておこう。

おやすみなさい。

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2014年1月3日 23:16 CAT :

後ろ向き全力疾走3段飛び

取り急ぎ、昨年の振り返りなどしてみようかとも思ってしまいました。

で、例年みたいに○大ニュースでも良いんだけど、今年はチョッと趣向換えして、このブログの「拍手」機能などを使ってみようかと思い立ちました。

要は、この拍手が多かった記事トップ5くらいを見返しつつ、昨年を振り返ってみようとかね。

そんな感じですよ。

せっかく誰でも見られるように公開してるんだから、読んで、拍手とかして貰った記事で1年を振り返っても、バチなど辺りはしないだろうて。

個人的な振り返りは、それこそ個人的にやっておけよ。

と、そんな感じですよ。

早速それをやってみようかと思ったんだけど、拍手記事を一覧で見る機能などが無いようで(あるかも知れんけど、管理パネル内で見つけ切れなかった…)コツコツと手動でピックアップだ。

バカヤロウ。

超コツコツ日記なだけに!
と、前置きは長くなったけど2013年の全62エントリー(少な!!)の中で拍手多い記事トップ5はこれだ!!(↓)
第5位!
5月6日更新
【その街角には君の立つ足跡がある】
<チョッとだけ所感>
「犬神サアカス團」のことかと思いきや、「うえまつえみこ」さんとか言う、有権者を舐め腐った元政治家のおばさんの記事だった。

元民主党の政治家さんで、選挙に不利になると見るや否や、選挙直前に離党。

しかも、離党はしたけど、民主党と協力していくと言う、クソ舐めた発言(または、くそ非常識発言)をしてたな。

そして、しっかりと落選。

と言うね。

まぁ、あのまま民主党に残ってたら当選したかと言うと、それはまた別の話だとは思うけど。

とにかく、香川県民として、この人を落とす事が出来て良かったと思いますよ。

そういえば、この選挙の時の、池上さんの特番も面白かったなぁ~
第4位!
5月3日更新
【片目の鬼が来る~「春来たる鬼」発売記念巡業~】
<チョッとだけ所感>
「犬神サアカス團」となっての初の興行参戦の記事。

MCを一切せずに、楽曲だけで勝負すると言う、凄いコンセプトになってしまった「犬神サアカス團」。

新曲発表、しかも、その曲の音源をライブ会場だけで発売と言う、鬼畜のような所業
の為に、広島まで、平日なので仕事を休んでまで行ってきたという、そんな感じ。

全体としては、やはり前のエンターテイメント集団の頃の方がニコニコご機嫌になれるよね。

と言う結論に達した。

メッセージ性も高くなったし、やりたい事も十二分に理解できる。

もちろん、だからと言って嫌いになったわけではないのだけれども、オレがライブに求めてたものとは少しずつ剥離してきたかもしれない。

平日に、仕事を休んでまでは、もういく事はあんまり無いかもしれない。

そんな少しだけ寂しい思いをした初夏の出来事。

おなじく第4位!
8月18日更新
【始まりの始まりはまだ終わらない】
<チョッとだけ所感>
家族3人で出かけた初めての遠出の記事。

しかも、その場所徳島県の大歩危小歩危は、実は、嫁とまだ付き合うとかそんなレベルにも達していなかった当時、初めて2人で出かけた場所だったりするという、そんな思い出の場所。

そこへ、家族が増えてから赴くと言う、なんとも言えない感慨に思いをふけっておりましたよ。

のんびり大自然を堪能すると言う名目。

基本的に、人ゴミが苦手で、都会も苦手で、自然が大好きです。

第2位!
1月19日更新
【寒い季節の暖かい日の中】
<チョッとだけ所感>
たった一言だけの記事。

ただ一言だけ。

娘が生まれた時に書き込んだ一言。

この記事のタイトル自体は、何気に、娘がまだお腹の中に居た時に、その娘の事を悶々と考えながら作った曲「白痴にもかけるラブソング」の出だしの1節だったりもする。

何しか、「娘が生まれたよ」って言うただの報告なのに、ありがたい事です。

へ~へ~。

第1位!
9月11日更新
【いつかその星が見えるその日まで】
<チョッとだけ所感>
で、1位は何と9月頃に読んだ「アシュラ」と言う漫画の感想を書いた記事。

「アシュラ」自体が、チョッと前に話題になったからだろうか?何となく意外な感じもするけど、2013年一番良かった(?)記事は、この「アシュラ」の感想らしい。

そもそも、この漫画。

確かに面白いし、読み込めば読み込むほど色々と考えさせられるのは間違いない名作。

是非未読な方はこの機会に読んでみてもいいと思う。

命とは、生きるとは・・・そんな事を改めて考えさせられる、古びれる事のない作品だよね。

と、そんな感じで昨年を振り返れたのかどうか分からないけれども、こんな感じの結果と相成りました。

今年は、もう少し、色んなことを更新していきたく思っておりますので、え~と・・・取り合えず、更新62件は超えるように。

読んだ本(と言うか漫画)の感想とかいっぱい書きます。

ハイ。

何しか、今年もよろしくお願いします。

(2回目)

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2014年1月3日 9:41 CAT :

今年で10年目!今年もよろしくお願いいたしますですます。

明けまくってしまいましたが、あけましておめでとうございます。

昨年の振り返りや、今年の抱負とか以前にご挨拶すら今更と言う、こんな体たらく。

何しか、5連休あったはずなんだけど、嫁の体調不良もあり、大掃除もあり、親戚周りもありで、例年にない位、クソ忙しい年末年始だったもので・・・

とは言え、3人で過ごす初めての年末年始。

そこの所は結構感慨深いものもございました。

昨年も、「今年は、いっぱいブログをかくぜぇ~」とか言いながら、例年通り、尻すぼみとなったわけですが、今年も、例に漏れず、一応、いっぱい書く事を目指して書いていきます。

ここの所、ただの日記になりつつあるので、色々思った事とか、南トンスルランドの事とか、元々好きなムー的なこととか、雑多な内容を更新出来たらなぁ~とか思っておりますよ。

と言う事で、実は、今年で10年目(前のブログからあわせると)の超コツコツ日記をよろしくお願いします。

(時効警察風味)

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2013年12月27日 22:20 CAT :

もう二度と届かないこの思い

不意に時の流れを実感してしまった。

いつの日か、今住んでいる家も出て行かなければいけない。

子どもが大きくなれば、今の大きさでは、多分、狭くなる。

その時、新しい場所へ移る事になるんだろう。

それは、まぁ、しょうがない。

どこに移り住むべきか。

そんな事も、これから少しずつ考えて行こう。

問題は、それ以上に、この家に残っている思い出の方にある。

大学生のころ、4年間住んだ下宿、ひとり暮らししながら営業をしてた頃に少しの間住んだマンション、そして、結婚してから移り住んだ今の家。

ふと、前者2つの家を出た時の事を考えていた。

どちらを出る時も、出るチョッと前までは、凄くさびしいと思ってた。

けれども、実際、出る時になると、そんな大きな感慨はなかったように思う。

それよりは、これから始まる新しい生活の方にばかり関心がいってしまう。

そして、新しい生活が少し落ち着いてきた時に、また思い出して、さびしくなるんだ。

多分、今回も同じなんだろう。

ただ、今回は、思い出のレベルが違うような気がしないでもない。

本当の意味で独り立ちをしてからあと、何度も何度も起きてきたパラダイムシフトとでも言うような大きな出来事と意識の変化があった場所なんだよ。

今は、ただ、何気ない毎日を受け止めよう。

そして、いつの日かその毎日を懐かしく思い出し、さびしくなろう。

それもまた、生きて行くと言う事なんだろう。

あの頃は楽しかったと、懐古感に取りつかれながら、写真でも愛でるように晩年を生きる事が出来れば、そんな過去がある素晴らしい人生だったんだと思えるように…

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2013年12月26日 22:33 CAT :

「幸せな家族の風景」無理やり口に詰め込まれ

今日、安部さんが靖国神社に参拝した。

今、日本では、自分の生まれた国なのに、自分のご先祖さんたちや、大切な故郷を守ってくれた英霊さんたちに対して敬意を払う。

そんな当たり前のことさえ、自由にできない。

それは、この国にダニのように寄生してる在日のチョウセンジンやチョンが、自分たち(それも、民族ではなく個人としての自分たち)の為だけに、日本人を利用してきた果てにある現状。

メディアをジャックし、教育を乗っ取って、子どもから洗脳教育をして、日本人と言う存在を無くしてしまおうとしている。

その洗脳の結果、日本人は、自分たちの誇りを見失い、愛国心を無くし、自堕落に生き始めようとしていた。

それでも、日本人は、その中に連綿と流れる自分たちの大切にしているものだけは忘れていなかったんだと思う。

それが、天皇陛下とこの国を守ってくれた英霊たちなんだろう。

自分を戒めるために「儒教」なる教えを作る必要があったほど稚拙に自分の親や先祖を敬う事すら出来ない土人以下のチョン達には、分からない感覚。

だから、平気で踏みにじる。

でも、そのお陰で大部分の日本人の洗脳が解けた事もまた事実。

今では、中韓国、俗に言う特亜に対する嫌悪感と不信が、ネトウヨと呼ばれてた一部のネットユーザーだけではなく、老若男女問わずに、大多数の「日本人」にまで広がっている。

むしろ、これまでサヨクの陰に隠れて通名を使って日本人になり済ましてたチョウセンジンやチョンが逆にあぶりだされているような現状になった。

今回の靖国参拝についての民主党議員のコメントなど散見するに、彼らは、いったい「だれ」に対して「何の」ために政治を行っているのか甚だ疑問になってくる。

アメリカが「失望した」と発表したとか言っているが、これまで特亜の横暴を見過ごしてきて、優等生だった日本がちょっと毅然とした態度をしただけで、何が「失望」だ。

そもそも、この参拝について、アメリカ側に予めの通達がなかったとは結構考えにくい上に、アメリカのコメントを日本のマスコミが訳した段階で、悪意のある翻訳の可能性も看過できない。

特亜は、予想通り火病発症してタケ狂っているけれども、そもそも、何にもしなくても1,000年恨むような奴放っておけばいい。

言いなりになって、ただただ日本が被害だけを被った民主党政権時代、あいつらとの関係改善が進んだと言うよりは、さらに利権を要求してきただけだった。

このことからも下手に出る事に何の意味もない。

別に、1000年恨むのが10000年恨むに変わったとて、さしたる問題じゃあない。

とにもかくにも、今回の安倍さんの決断については、「日本人」であるなら喜ぶと思う。

実際、靖国神社では、多くの日本人が感謝の意を述べていたらしい。

と言うか、ネット上を見たって、ほとんど賛同している意見しか見当たらない。

もし、今後、マスゴミの出す内閣支持率が急降下していたとしても、そんな数字は当てにならない。

むしろ、今の日本人の感激の方が当てはまると思う。

それにしても、時期も実に良かった。

パクちゃんの告げ口こうもり外交が効果無くなってきて、韓国の経済も停滞。

韓国メディアが日本にすり寄り始めたこのタイミングでの参拝。

もう、これで、何があっても反日を貫くしかなくなっただろう。

世界中から嫌われ始めた上での、日本からの事実上の突き放しが、今回の靖国参拝だ。

今後、仏像返して、竹島を返して、謝罪してきたとしても、もう日本人が再び10年くらいまでのように、韓国に対して気を許すことはないと思う。

もっとも、そんな事出来ないだろうけれども。

今年の最後に、嬉しいニュースですよ。

本当に。

日本人が、日本人としての誇りを取り戻すきっかけの日になったかも知れない。

それは大げさではなく。

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2013年12月24日 22:54 CAT :

止まらない未来を夢見て

文章能力が最近著しく低下している気がしてる。

そんな事に怯えつつ、やっぱり文章は読んで、そして、書かなきゃいけないと思うので、もっとブログも更新したく思っておりますよ。

さて。

メリークリスマスですね。

10代の頃には、まさか、自分がサンタさんを召喚することになるとは思いもよらなかった。

人生とは何が起こるかわからない。

今のオレは、家族が喜んでくれるんなら、なんか疲れも吹っ飛んでしまって頑張ってしまうような、そんなお父さんになりつつあるらしい。

無自覚に。

無意識に。

今になって、不意に聞いたKANの「愛は勝つ」を聞いて、何となく心を打たれてしまった。

リリース当時、とんねるずの替え歌のためだけの歌でしかなかったこの歌だけど、いい歌じゃないか。

ただ、この歌が分かるには、当時圧倒的に経験が不足していたんだろうね。

愛情ってのは、一方的に、まんこに向かって垂れ流すものじゃあないんだよ。

自分が大切に思うものがあって、それに対して、何か見返りを求めるわけでもないのに、惜しみなく出てくるものなんだよ。

多分ね。

人生、本当に何が起こるかわからない。

ヘロヘロの仕事帰り、閉店間際のトイザらスに駆け込んで、そうして、からがら手に入れたプレゼント。

それを手にしたとき、不思議と疲れを忘れて、笑顔を思い出してニタニタしてた。

いつか、そんな気持ちがわかる時が来る。

きっと来る。

その時までは、きっと分かりはしないけれども、いつかきっと分かる時が来る。

どんなに困難で、挫けそうでも。

だそうですよ。

KAN先生によればね。

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2013年12月23日 22:24 CAT :

失うこと恐れず忘れえぬ痛み笑い飛ばそう

家族3人になって、もう1年が経とうとしている。

その間、子どもを育てるということ以上に、子どもに教わると言うことの方が実は多かったような気がする。

生きるということ。

頑張ること。

素直でいること。

そのほか、人として生きていく上で大切なことをたくさん教えてもらった。

子どもの成長を見つめながら、その一挙手一投足に、忘れていた何かを思い出し、そして、それをアウトプットすることで、新しい何かを見つめ直す。

そんな1年だったような気がする。

まだ、今年一年を振り返るには早いし、来年を語るにも早い。

ただ、今ふと思うことは、そんな感じかもしれない。

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2013年12月14日 22:26 CAT :

ザ・ワールド21

人間の体感時間は、17歳で折り返しなんだとか。

つまり、人生80年と仮定したとき、体感時間では、初めの17年と残りの63年はほぼ同じと言うことになる。

確かに、子どものころ。

一日がすごく長かった。

一日がすごく面白かった。

そして、一年なんて、途方もない長さだった。

なのに、今。

気がつけば、今年がもう終わろうとしている。

オレが、「今年は、連休がほとんどない最悪な1年だ」と嘆いていた1年は、何と2年前に終わっている。

オリジナルアルバム「影の上のボーニョ」を制作してから、もう4年の歳月が流れている。

高校時代の演劇部の皆と地元の体育館を借りきって一日限りの部活再開をしてからもう6年が経っている。

事故ってしまい、愛車ひろみつ君とお別れしてから、1年と半年が過ぎ去った。

これら全て、記憶の中では、ほんの数日前か、数か月前の記憶のような気がする。

子どもの頃に置き換えて考えてみる。

果たして、小学1年生の頃にあった出来事を、小学6年生の時に、ほんの数か月前の出来事だったように感じる事があるだろうか・・・

娘がもう少しで1歳になろうとしている。

1年前から考えると、少しだけど単語を話、こちらの会話をある程度理解して、ハイハイはおろか、つかまり立ちして歩こうとすらし、もう、オレとほぼ同じものを食べている今を、果たして想像できていただろうか。

オレの今年一年。

間違いなく、ここまで経験値を積んで成長していない。

多分、娘にとってこの一年は、オレの数十倍に濃い一年だったんだろう。

思えば、子どものころ、親に連れられて高松まで車で出かけるだけでも、どれだけ遠いところまで行くんだろうと不安になってた。

今とさほど変わらない時間。

1時間やそこらだと言うのに。

オレも子どもと同じように、密度の濃い1時間を何とかして過ごして見たいとも考えるけれども、今はそれ以上の、その時間を過ごしている娘と一緒にいるだけで、精一杯。

でも、オレも親にきっとそうしてもらって大きくなったんだろうから、それでいいと思う。

娘が大きくなって、親になった時、オレと同じ事を少しでも感じてくれればなおいいと思う。

オレも、まだまだゆっくりではあるけれども、成長出来ていれば・・・と願う時。

今年の振り返りと来年の抱負は、もう少しだけあとにしよう。

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2013年12月12日 23:10 CAT :

It dont matter if youre Black or white

なんか、今年は珍しく年末にいくつかの飲み会に誘われちゃったりしたみたい。

まぁ、オレなんかと酒でも飲み明かそうとか言ってくれる奴がいてくれることはありがたいと言えばありがたい。

けれども、日にちも結構かぶってる上に、お仕事も忙しいので、何とも言えない感じもあったりする。

ちょっと前までは、何があっても、誘われたら断らないスタンスを貫いていたのに、なんか、断ったりすることを考えるようになるとは、調子に乗ってしまったもんだ。

まぁ、お仕事と家族とかね・・・そんな事もあるんだよ。

オレみたいなやつの人生でもね。

さてさて。

お仕事と言えば、世の中では、ブラックとホワイトが、マイケルの歌のように入り乱れている。

白人だろうと、黒人だろうとそんなことはどうでもいい。

と、マイケルは歌うけれども、ブラック企業だろうと、ホワイト企業だろうとそんなことはどうでも良いとは言い難い。

こいつは結構重要な問題だぜ。

ベイベー
だって、ブラック企業に入ってしまえば、サービス残業で仕事に追われるのに、金は入ってこないとか、恫喝の嵐で精神をすり減らしてしまったりとか、休日が取れずに体がボロボロに擦り切れてしまうとか…
とかく、人生において色々弊害が出ることは請け合い。

ただ、今、このご時世。

果たして、ホワイト企業なんてあるのだろうか?と、少し思ったりはする。

なので、もっと根源的なことを考えてみようと思う。

業績については、やっぱり、そこまで良いトコなんてない。

だから、昇給とかはなかなか難しい。

それはしょうがないと思う。

そんな現状に耐え切れずに、少しずつ人が減っていく。

仕事量は変わらないくらいある。

でも、そのために新しい人を入れることは難しい。

となると、今いる人が少しずつ無理をして、なんとか回していく。

すると、上の方は「なんだ。

この人数でも回るじゃないか」と考え始める。

これが、ブラック企業の始まりじゃあないんだろうか・・・

このスパイラルが、螺旋状にクルクルと降下していけば、無理して仕事を抱え込まなきゃ回らない。

気安く休むこともできない。

そして、業績に合わせて、給料は減っていく。

・・・ブラック企業じゃないか!!と。

卵が先か、鶏が先か。

と言う問題がある。

この問題の答えは、まだ出ていない。

でも、ブラック企業が先か、社畜が先か。

その答えは出ているかもしれない。

恐らく、社畜が先だ。

前述の状態で、皆が社畜魂を見せて少しずつ無理をしなければ、会社は回らない。

上の人が恫喝する。

そうすると、さらに人がいなくなる。

でも、誰も無理をしない。

社畜魂を見せたりしない。

となればどうだろう。

多分、会社無くすくらいなら、人を入れて回そうとすると思う。

そして、人が居なくなる事を恐れて、理不尽な恫喝は減るかもしれない。

それは、ホワイト企業と呼ばれる状態。

そうなんだよ。

そして、この事について、オレを含め、ホントにアンデンティティとして社畜をしてるみなさま以外のほとんどの人が気付いてる。

でも、行動に移せない。

理由はいくつかある。

今のとこ辞めたとしたら、次が見つかるのか不安。

お金がない。

一人で動いても、周りが結局無理するから無意味な首切りで終わる。

などなど・・・

でも、その思考が結局のところ、ブラック企業を作っていく。

ブラック企業を呪う前に、最も最悪なのは、社畜だったと言う。

そんな事をぼんやりと考えてる横で、恫喝の声がまた聞こえてきましたよ。

素敵な環境。

うっとりする。

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2013年12月1日 6:09 CAT :

タイトルはなし

こんな時間に少しだけ目が覚めてしまった…
夜泣きがチョイチョイある娘。

夜中に起きて、最近覚えた「おはよう」を連呼してるのも、実に愛くるしい。

(多分、起きたら「おはよう」というものだと思ってる)。

しょうがない。

許す。

さてさて。

今回のアルバム「王道軽傷」は絶好調ではないけれども、それでも少しずつ製作勧めております。

今のところ、全収録曲の半分位の仮録りが終わったところか…
取りあえず、全部の仮録りが終わって、本録りして、そいつをミックスして、マスタリングかけたら完成…春先か、ゴールデンウィークあたりの完成を目指しております。

で、その中で、今回も1曲昔の曲をリメイクしてみたりしているわけだけれども、この曲が良い感じなんだよ。

オレの記憶では、人生において3番目に作った曲。

製作したのは、中学3年の時だから、本当の意味で「中二病」(中3だけど)全開。

この曲の前2曲「昇華」と「BADLOVE」(「BADLOVE」に至っては、歌詞オレが書いたんじゃないし)は、中学校の文化祭のライブで披露するために、言ってみれば、バンドのメンバーにひよって作ったのに対して、この曲は、100%自分のために、自分が今思う社会への不満や憤り、思春期の閉塞感を表現した名曲…だと思ってた。

で、当時の楽譜とかを引っ張り出して、弾いてみた。

歌ってみた。

曲自体は、簡単なリフと、単調なメロディーの繰り返しですごく単純な構成なんだけど、歌詞だよ。

歌詞。

当時、天才的に素晴らしく、文学的だと思ってた。

しかし、その実は、覚えたばかりのチョッと難しい単語を頑張って捏ねくりまして使ってみただけで、恐ろしく内容がない。

何の意味もない。

ケラさんの言う「無意味であることに意味がある」的な意味じゃなくて、本当に100%何の意味もない。

ただ、今とは比べ物にならないほどに溢れでていたであろう、どうしようもない衝動をなんとか形にしたかっただけなんだと思う。

何か形にしたいけど、何を表現したいかはわからない。

そんな感じ。

でも、それが実に良い感じ。

今、どれだけ「中二病」を気取って狙って書いても、絶対に書けない何かがそこには存在している。

高校生の頃、「オレなんて、存在に意味はない」とか、謎の悟りを開いてほとんどの楽譜とか歌詞は、(あえて)火にくべて焼いてしまったんだけど、それでも、唯一精液臭いルーズリーフが1冊だけ残っている。

今度の馬忠・DA・ムドーのアルバムのテーマが決まった。

「中二病~その青春」。

完成は、2020年位で。

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2013年11月17日 23:29 CAT :

明日「死ぬ」とわかっていても、「覚悟」があるから幸福なんだ!

先日、住んでる自治体から、育児に関するアンケートとやらを頂いた。

んで、せっかくなんで、つらつらと書いてたんだけど・・・

なんだ?このアンケートは?
いやね。

「子育てしやすい地域ですか?」とか、「今後増やしてほしい施設はなんですか?」とか、「今後、利用したい公共の行事はなんですか?」とかは納得いくよ。

もっと、遊べるとこ近くに欲しいなぁ~って思ってたりするので。

でも、アンケートのほとんどが、「子育てにストレスはないですか?」とか、「反射的に手をあげそうになったことはありますか?」とか、「悩みを打ち明けることができる人はいますか?」とか、そういう質問ばかりなのに、なんだか不満。

別に、オレだけに向けてるわけではないにしても、そんなに、虐待とかって身近なもんなんだろうか?
むしろ、このアンケート自体の目的って、「より良い環境作り」とかじゃなくて、「自分の自治体から虐待事件を出さないため」なんじゃないのか。

とか、そんな事すら勘ぐり始めてしまうほどに。

正直、娘が生まれてから、自分の時間はほぼ消滅した。

・・・と思う。

本、どころか、マンガも読めないし、このレコーディング続行中でも、当日以外ほとんどギターを触る事もできない。

まだ出来てない曲もあるのに、作曲なんてできるわけもない。

マンガ描いてた時は、朝4時とかに起きて、娘が起きるまでの時間を使って描いてたし。

でも、そこに対して、なんだろ?そこまで、ストレスに思ったことない。

むしろ、仕事とかで、帰りが遅くなるばっかりで、知らぬ間に娘が大きくなっていってる事に、ショックを受ける方が多い感じ。

この子が居なければ、とかそんな事思ったこと一回もないし、今の生活に特に後悔とかもない。

だからこそ、このアンケートに対して、チョッと思うところがあったりなかったり。

そんな感じなんだと思う。

「どうして子どもが欲しいのか分からない。

」的な事って、意外と色んな所で耳にする。

もしかしたら、なし崩し的に中出ししてたら出来ちゃったけど、子どもなんか欲しくなかった。

とか、そんな感じだったら、すごいストレスなのかも知れない。

そもそも、どうして欲しいか分からないなら、子どもなんて作らない方がいいと思う。

結婚してから(と言うか、する前から)嫁と、この部分については、結構時間を割いて話してきてた。

「子どもは作るべきか否か。

」「自分たちが子どもなのに、親になんかなっていいもんか?」などなど・・・

結論は出なかったけど、それでも、事あるごとにそんな話をしてたと思う。

そんな話を長々としてたからこそ、実際、子ども出来るまでに割と時間がかかった方なような気がしてる。

ただ、今、家族が一人増えてみて思うことは、これまでにないくらい圧倒的な充実感。

昨日とか、夜、風呂上がりにご本読んであげてた時に、ハイハイで寄ってきて、オレの膝の上にチョコンと座ってきた娘見た時、萌え死ぬかと思ったわ。

そんな事が、ほぼ毎日あるんだよ。

そして、自分も一緒にいろんな経験をしながら成長していってる・・・と思う。

これが、充実感の招待なんだと思う。

ただただ、生まれてきてくれてありがとう。

とか、思うことはあっても、邪魔だなんて思うはずもない。

何よりの宝物なんだよ。

嫁との対話の中で、結局、答えは出なかった。

出た答えとしては「生まれてみなければわからない」的な感じだったと思う。

んで、それは、ほぼ正しい。

今のこの心境は、生まれる前には、全く予期できなかった。

ホントに出来なかったから。

でも、嫁と話をしていく中で、覚悟は決まって行った。

娘が生まれてからの日々は、その数年間話してきたよりも、全然大変じゃなくて、それ以上に、楽しい毎日だった。

生まれてからこっち、とにかく笑顔が増えた。

いつも、家でいるときはニコニコしてる。

仕事中は、ニヤニヤしてる。

でも、あの覚悟がなければ、どうだったのだろうか?とも、チョッと思う。

読みたい本が読めずに、マンガ書いたり、ギター弾いたりも全然出来ないこと。

仕事で疲れて帰ってきたのに、夜中に何度も起こされること。

休みの日も、全然休めなくて、娘と一緒に遊んでること。

ストレスに感じるかも知れない。

手を挙げたくなるかも知れない。

あの数年間の嫁との話し合いは、実はものすごく大切だったんだろう。

今は、宝物が増えた。

目に入れても痛くないと言う表現がすごく良くわかる。

この気持ちは、もちろんオレ個人のものであって、これを娘に押し付けようなんて思わない。

娘が、自分の意志で生まれてきてくれたと、思いたいけど、それも、親の独りよがりでしかないだろう。

でも、オレ(と嫁)の一方的な思いで生まれてきた娘なんだから、オレの事よりも優先するのは当然のことで、その結果、将来、オレの事を毛嫌いするようになっても、それはそれ。

今出来ることは、このとめどなく溢れてくる気持ちに全身全霊従って、大切に思う事だけだと思う。

きっかけがあるから、結果が生まれるのだ。

ただ、前述したとおり、それは、これから生涯を通して、子どもと一緒に生きていくと言う覚悟を決めた後にあるものだと思う。

その覚悟ができないなら、子どもなんて作らない方がいいと思う。

何だかんだ言っても、大変だし、金もかかるし、そして、今の段階で既に自我を持ってて、全然思い通りにはなってくれないから。

それでも、有り余るほどの何かを娘はオレにくれたような気がしてるけどな。

結局は、独りよがりだ。

それでいい。

それでいいです。

それでも、オレは、家ではニコニコ、仕事場でも思い出して、写真を見てニヤニヤする日々をまだ暫くは続けますので。

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2013年11月13日 21:57 CAT :

星になる時間は夢の中で

先日、ひっさびさにヤンマガを買った。

目的は、「食べれません」の最終回。

思えば、中学生の頃、初めて買ったヤンマガ(そもそもの目的は、カイジだったけども)で(漫画家としては)今は亡き江川達也の「LASTMAN」と言う漫画で一頻りオナニー三昧したあとに、異常に面白かった漫画があった。

それが、「食べれません」だった。

それ以来、カイジと彼岸島と食べれませんを楽しみにヤンマガを手に取る日々だった。

彼岸島がうんこ漫画になり、カイジが引き伸ばしに次ぐ引き伸ばしになった辺りから、たまに立ち読み程度になっちゃったけど、それでも、毎回、食べれませんは欠かさず読んでた。

単行本も持ってるし(あつし渡辺の建物探訪も含む)、って言うか、あのスタンスだから作者が死ぬなで続くんだろうと思ってた。

まさか、それが作者の訃報で最終回を迎えるとは…
ものすごく物悲しい。

悲しいだけの時間。

そして、そのヤンマガの巻末グラビアが、「浜崎あゆみ」だったことがさらに悲しみに輪をかけた。

やんわり先生。

ご冥福をお祈りします。

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2013年11月4日 1:05 CAT :

アウトレイジ ビヨンドについて長々と語る人

娘のために、記念樹を買った。

実は、オレの地元善通寺では、「花遍路」なる庭好き同士が、自慢の庭を一般的に開放して見せ合い、褒め合うと言う見ようによっては単なる馴れ合いな行事がある。

コイツが他人の家を、勝手に縦横無尽に見て回れるので、結構面白いかったりする。

そんな中で、ある家のおじいちゃんが、庭の一本の木を大切そうに撫でながらオレに「この木は、そこの山に入って取ってきた木で、この家で一番古い木だ。

もう、40年以上前になる」と嬉しそうに語ってくれた。

オレも、年老いたあとには、手入れと言えるか分からない雑然とした、でも伸び伸びとした庭に、馴れ合いで褒めう人をたくさん招いて、「この木は、50年前に初めてこの庭に植えた木だ」とか言いたい。

と、チョッと思ってた。

だから、嫁が「娘のために、記念樹を植えよう」と言ってきたとき、即答でOKした。

最初は、ネットで買ってもいいかと思ったけど、目で見て、いい木を買いたい。

と、植え木の町鬼無まで行ってきた。

そして、いろんな木を見て、娘にぴったりの一本の木を買ってきた。

今は、借家だから、植える事はできないけど、いつか、終の棲家と決めた家に埋めようと思う。

さてさて。

楽天イーグルスが、9年目にして、初の日本一になった今夜。

オレは、嫁と2人で、娘を寝かしつけたあと、「アウトレイジ・ビヨンド」を鑑賞してましたよ。

(野球には、全く興味がない。


まぁ、昨日の今日で、まだまだテンションダダ下がりの中、嫁から提案されたので、それに乗っかって元気になろう。

みたいな事もあったりなかったり。

いつも通り、ネタバレを含むので、続きに書いておく。

スマホ、ケータイで見てる奴は、ここでタブか何かを落とすよろし。

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2013年11月2日 20:56 CAT :

ソフト&ウェットact5

今更こんなことを言うのものなんだとは思うんだけど、別にオレだって、余裕で生きてるわけじゃあないだよ。

特に独り立ちしてからは、肩にかかっちゃうプレッシャーも、親と住んでた時の何十倍にもなってる。

それでも、色んな所に顔を立てつつ、何とかやれないものかと、地上74mの鉄骨渡りくらいのギリギリのラインを何とかかんとかフラフラしながら渡ってる。

そんなもんで、もうね、ホント、ちょっとした事でも心が折れるのよ。

正に、赤子の背中をポンと押す程度のことでも。

やりたくない事とかでも、一応、手助けにでもなればとか思ってやってたりすることもあんの。

今回の関しては、確かにオレが悪い気もするけど…するけど…「そのくらい」とか、思ってしまうオレもいるわけで、傍からは「そんな事くらい」と言われるかもしんないけど、でも、心がバキバキに折れちゃったよ。

まぁいい。

今回のことに関しては、みんな真面目にやってる中で、チョッと心が大きくなっちゃったオレが悪いってことにしておこう。

でも、心はバキバキに折れちゃったよ。

今から、どんな気持ちになるのかは、知らない。

知らないけれども、当面は、もういいや。

今は、そんな気持ち。

オレは、そんなに余裕に見えるか?
そんなに楽々そうに見えるか?
そんなに悩みなさそうに見えるか?
結構ギリギリで生きてたりもするんだよ。

まぢで。

何のことか、誰もわからないと思うけど、少しだけ、吐き出したかったんですよ。

たまには、オレだって愚痴ったりしたっていいと思う。

もう、死にたいとかは言いませんので…
ただ、忘れてもらっちゃあ困る。

オレは、元々メンドくさい奴なんだ。

色々あって、チョッと腹の中に溜め込んで置けるようになっただけで、根本は1ミクロンも変わってないんだよ。

とか、思春期みたいにウダウダ言ってごめんなさい。

たまには、許してください。

そんくらい、バキバキになっちゃったんだよ…

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2013年10月20日 20:40 CAT :

股をひろげるだけが女じゃないのですpart2

親戚が結婚する事になった。

しかも、オレの結婚式がすごく良かったから、参考にさせて欲しい。

と言うか、色々手伝ってと言う、ありがたい(と言っておこう)なお言葉も頂戴した。

で、先日、打ち合わせとかにも、チョッぴりと同席とかしたんだけど・・・

何か難しいね。

あれ。

自分の式なら、凄い「ああ」だの「こう」だのと、言えるんだろうけど、人のってなると「この2人が一番望んでる形にするべきだよなぁ~」みたいな思考が頭を掠めるので、オレならこうしたい的な意見が凄い言い辛い。

本人は、「遠慮なくどんどん意見を聞かせて」なんだと思う。

思うけれども、やっぱり後悔して欲しくないから、本人の希望を一番に・・・と。

ね。

何か、こんなに難しいと思わなかった。

そう言う意味で、ウエディングプランナーさんとかって、大変なんだろうな~。

みたいな。

さてさて。

結婚しても、子ども出来ても、性欲はあんまり落ちる事のない志茂田さんです。

こんばんみ。

と、性欲は余り落ちないんだけど、最近、ふと気がついた。

この世界にほぼ半分はいるであろう「女」と言う生き物のほぼ全てが、「おっぱい」とか「まんこ」を持っていると言う事実に・・・

まぁ、多少形の違いはあると思うんだけど、それにしたって、大体、似たり寄ったりで持ってる。

なのに、どうして、数年前くらいまでのオレは、凄いレアものな様な気がして、いちいち有難がったりしてたんだろうか・・・?
だって、言ってみれば、この世に70億人いたとして、単純に35億個はあるわけだ。

おっぱいなら、70億個はある。

人類みな平等。

ジョン=レノンな世界観なら、男一人に1まんこ、2おっぱいな訳だ。

そりゃあ好きな人とかなら、また話は別だろうけど、昔は、「誰の」だから凄いレアでもなかったような気がする。

と言う事実に行き着いてしまった今考える事は、ありふれている以上付加価値は必須だと言う事。

この辺は、まぁ、ビジネスなど含め、世の中的には当たり前。

握手券つけなきゃCDが売れないのとある種同じだ。

付加価値として考えてみる。

「処女」とか「人妻」とか「幼女」とか「熟女」とか、もっとパーソナライズするなら「アイドル」とか「女子アナ」とか・・・

で、ここまで書いていて気がついた。

あぁ・・・AVの世界では、これ常識だ。

さすが、年がら年中まんこのことばかり考えている皆様。

ただただ、脱帽するばかり。

確かに、AVで「その辺にいる別に処女でもなく、結婚もしてない特に美人でもない普通の20~25歳くらいの女の人。

4日ぶりの至ってノーマルなセックス(フェラはしません。

)」みたいなタイトル見たことのないよな。

(これはこれで見てみたい気もするけど。


そんな人の場合、どうするか。

そりゃあ、SMだのレイプだの露出だの、企画ものですよね。

なんだか、すっごくストンと落ちてきた感じがする。

良く分からん文章で申し訳ないけれども、個人的にはすごくスッキリした。

目からうろことはこの事ですね。

何か、そんな話とかしようとしてたんだっけ?違うような気がしてならないけど、まぁ、いいか・・・

えぇ~と・・・とりあえず、結婚の話とAVの話をあわせてしまってゴメンなさい。

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2013年10月14日 22:02 CAT :

メタモルフォーゼ・オクトーバー

お仕事が忙しいらしい。

ホントに忙しいらしい。

今なんて、繁忙期とかでもなくて、例年なら、定時帰りヘヘヘイ。

んで、残業代もないから、給料すくな!!ってなるこの時期なのに、深夜残業の手当てまで付けてもらっているような状況。

いや、お金の問題じゃあないのだよ。

遊びたい。

個人的にも、家族とも。

遊びたい。

オレは、仕事が人生なんじゃない。

仕事なんて、二の次なんだよ。

と、そんな毎日を過ごしております。

お久しぶりです。

さてさて。

今年も、秋のお祭りの季節。

仕事も上記みたいな感じだから、練習にも参加できずだけれども、そんなオレでも、呼んでくれるありがたい獅子組の皆様に感謝しつつ、今年も参加してきたよ。

荷物運びとか、そんな感じの事メインで・・・のつもりが、いつの間にか、酒飲んで泥酔して、軽トラの荷台で寝てた。

まぁ、それも一興よ。

で、今年は、娘に氏子を付けてもらうと言う行事のため、お宮さんでの本番は不参加に。

不参加と言うか、お宮さんでは、娘に付き添ってた感じ。

氏子さんってのは、よく分かんないけど、地元の神様に、娘をお願いするみたいな儀式だと思ってる。

考えてみれば、お腹にいるときから、戌の日があって、お宮参りがあって、お食い初めがあって、今回の氏子があって、何回こんな儀式があるのだろう・・・?と思いつつ、子どもを地域の宝物として、ホントに、家族親族はもちろんのこと、地域の皆で大切に育てようと言う、そんな何かチョッと生暖かい素敵な風習だとも思った。

ましてや、それが自分の子ともなれば、ただただありがたいこと限りなし。

そのお陰もあって、順調に育ってる。

願わくば、地元香川の事も大切に思える優しい子になって欲しいもんだ。

例えば、オレのようにな!!
で、今日は、年賀状用と言う意味以外にも、子どもが生まれた年なんだし、しっかり記念の写真を残しておこうと言うことで、カメラ屋さんに行ってきた。

最初は、スタジオアリスにしようと思ってたけど、あそこは、何か撮影データは著作権もあって撮影から1年は渡せないだの何だのと、明らかに調子に乗ってる対応がチラホラ見えたのでやめて、スタジオマリオにしてみた。

結局、スタジオアリスのスタッフがどんなかったのかはさっぱり分からないから、比較のしようもないけれども、すごく良かった。

何か、アルバムとかの細かい要望も全部対応してくれたし、色々サービスもあった。

何より、撮影データをすぐにくれると言う点が、かなり良い感じ。

別に検討してた、東京帰りのプロカメラマンさんとか、データ渡すなら、2万~3万はもらうとか、無茶言ってたのに、マリオは、すぐにくれて、5000円だって。

この金額なら妥当だろう。

まぁ、カメラのキタムラが経営してるから、このデータで、キタムラで現像もしてね。

と言う事なんだろうけど、それよりも、このデータを使って、年賀状を自分で作れるのがやっぱり大きかったよね。

印刷については、その制作データを渡して、キタムラで年賀状にしてもらう事も出来るし。

何か、こだわりと言うかなんというか、スタジオアリスみたいな、用意されたテンプレに当てはめる事しか許さないって言う束縛は、嫌なんだよ。

例え、クオリティー的に落ちたとしてもな。

とまぁ、この3連休はこんな感じ。

明日からはまたお仕事だ。

写真代の4万円分も含めて、乗り切らんけど、お仕事がんばりますかね。

こんなでも、お父さんですのでな。

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2013年9月20日 22:58 CAT :

君のまんこに時限爆弾

人生の終わりについて考える。

スティーブ・ジョブズは、毎朝鏡に向かって「今日、自分がやる事は、明日自分が死んだとしても後悔しないやりたい事」かどうかを確認していたとか何とか・・・

明日死んだとして後悔の残らない。

と。

考える。

後悔しないとは何なのか?
要するに「あの時こうしておけば良かった」と思わないような事をする必要があるんだろうけど、そう考えてみれば、オレの日常はジョブズもビックリの煩悩にまみれていると思う。

少なくとも、オレはどんな生き方をしたとしても、明日死ぬのであれば、それはそれは深い後悔にさい悩まれる。

フォーイグザンプル
1.明日死ぬので、最後は家族と一緒にいようパターン
家族と一緒にいる事で、更に情が深まってしまう。

それどころか、何としてでも明日を生きなきゃいけないような気になってしまう。

ついでに、これからやりたい事として妄想してた、物語を書き切ることも出来ない。

それどころか、今作ってる音楽の音源化すらできない。

仕事上のスキルアップももう、もっとしたい事がある。

って言うか、死ぬ前にあいつに会いたかったなぁ~とか、親より先に死ぬのか・・・とか色々思う気がする。

⇒後悔する
2.一思いに仕事に打ち込んでみようパターン
そもそも、自分の人生において、仕事なんて2の次なので、何で仕事を優先してしまったのか嫌気が差す。

しかも、家族のしょんぼり具合をみて、何て事をしてしまったんだと気が付く。

ついでに、これからやりたい事として妄想してた、物語を書き切ることも出来ない。

それどころか、今作ってる音楽の音源化すらできない。

併せて、せっかく仕事をしたところで、希望しているスキルアップなど一朝一夕でどうにかなるもんじゃなく、結局は、ただ目の前の業務に終われて疲弊して終わる。

って言うか、死ぬ前にあいつに会いたかったなぁ~とか、親より先に死ぬのか・・・とか色々思う気がする。

⇒後悔する
3.遺言代わりに音楽製作でもしてみようパターン
「明日死ぬのに、何やってんだオレ?」と言う疑問が沸々と湧き出てくる。

嫁、子どもの顔が脳裏を離れない。

これでいいのか?と自問自答した結果、多分間違っていた事に気がついて不安になる。

そもそも、1日で音源は完成しない。

ついでに、これからやりたい事として妄想してた、物語を書き切ることも出来ない。

仕事上のスキルアップももう、もっとしたい事があったのに・・・

って言うか、死ぬ前にあいつに会いたかったなぁ~とか、親より先に死ぬのか・・・とか色々思う気がする。

⇒後悔する
4.美味しいものを山のように食べてみる最後の晩餐パターン
とりあえず、まだ娘は同じご飯を食べられないので、家族一緒には食べられない。

ので、一緒に食べたかったなぁ~とか凄い思うはず。

ついでに、これからやりたい事として妄想してた、物語を書き切ることも出来ない。

それどころか、今作ってる音楽の音源化すら・・・以下略
つまり、後悔しない生き方とは、如何に煩悩を捨て去るかと言う一点なのだと思ってきた。

家族を捨て去る。

友人を捨て去る。

創作意欲を捨て去る。

生理的欲求を捨て去る。

知的欲求を捨て去る。

とどうだろう。

多分、どんな死に方を選んでも、後悔しない。

ついでに、その中から1つだけ選んで、そいつを最後の日にやれば、多分後悔しない死に方が出来るんだろう。

ただ、そんな人生おもろいのか?
なんか、この境地に至ったまま死に切れずに100歳とか迎えたら、物凄い心理状態になれそうな気がするけども。

後悔しない生き方をする為には、後悔しない生き方をするために全てを捨て去る氷の心を手に入れる必要があるということは分かった。

オレは、煩悩にまみれて生きていこう。

明日は咲こう 花咲こう。

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2013年9月16日 23:42 CAT :

ちゃっぽんぶし

何とかかんとか、今年中に「王道軽傷」の製作には入れそうです。

お陰さまで。

と言う事で、今回の為に書き溜めた歌詞などをまとめたりと、チビチビ準備を始めた。

なんせ、オリジナルアルバムと言う意味では、なんとまぁ4年ぶり。

その間、全く音楽に触れてなかった期間があったりしたけれども、それでも、その4年間に何だかんだと心情の変化が多々ありつつ、綴り続けてきた14編の詞とメロディー(あくまでも、現時点でなので、それ以上に増えるかもしれないけれども)。

見返す分には、何ともまとまりがない。

しょうがない事なんだろうけども。

これまでのような、一気に書き上げて、それを音源化していくと言う感じではなく、思いついた時に書き溜め、それがアルバム一枚分溜まったから音源化してみようと言う事なのだから、そもそものアプローチが違うっちゃ違うんだよな。

要は、最近になればなるほど多分角が取れて丸くなってると言う事ですな。

これから、どのくらいの期間かかるか知らんけど、どうせなら無理やり強行スケジュールで作るより、ある程度納得いくまで、時間かけて作りこみたいよなぁ~とか、ぼんやり思っております。

もちろん全て、現段階での予定だけれども・・・

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2013年9月11日 23:34 CAT :

いつかその星が見えるその日まで

中学生の頃、オレは、おたふく風邪にかかった。

小さい頃にかかってなかったらしく(おたふく風邪は、大人になるほど重病化するらしい)連日40度の熱が出ると言う結構大変な思いをした。

しかも、その間にオレの金玉はみるみる大きく腫れて言った。

でも、お年頃で恥ずかしいオレは、その事を誰にも言わずに隠すという愚挙に走り、その結果、病院に行った時には、金玉の機能がかなり低下してしまっていた。

なんでも、オナニーするようになってからのおたふく風邪では、生殖器にウイルスが入り込む事があり、最悪の場合、生殖機能がなくなってしまうらしい。

生殖機能が死に絶えはしなかったオレはまぁ、不幸中の幸いだったのかも知れない。

その時、いっしょに居たおかんが「先生、将来子どもを作る時とか不利になるんでしょうか?」と医者に聞くと、「そうですね。

確率は低くなりますね」と答えた。

この先一生童貞だと信じて疑わなかったその当時、オレは、別にそんな事関係ないやと言い聞かせながら、密かにショックを受けたりしてた。

所が、もっと大きくなり、彼女が出来、その彼女が嫁になった辺りで、この時の事をふつふつと思いだしていた自分が居た。

「子どもが出来なくても2人で入れたら良いよ」と言ってくれた嫁に対して、子どもが出来なければ、完全にオレのせいだと言う罪悪感がなかった訳じゃあない。

でも、幸いにも子どもが出来た。

元気で丸々と成長してくれている。

紆余曲折を得ながらも、この子はオレをお父さんにしてくれたらしい。

そんな子どもを胸に抱きながら一冊の本を読んだ。

その本の話について…ただ、若干グロ話なうえにネタばれを含むので、「続き」に書いておこう。

気になるヤツだけ、続きを読んでもらえれば良いです。

スマホ、ケータイで見てるヤツがもしいたら、知った事ではないです。

続きを読む いつかその星が見えるその日まで

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2013年9月6日 22:47 CAT :

夢六道からくり糸車でドライブデート

ふと考えた。

プリウスと言う車がある。

これは、大体300万円位で買えるらしい。

オレの乗っている車「ぶんちゃん」は、大体130万円位で買える。

(オレは、新古車で買ったからもっと安かったけど)
燃費で言うと、プリウスは30km/Lくらい。

ぶんちゃんは、20km/Lくらい。

つまり、ぶんちゃんは、プリウスの3分の2しか走る事が出来ない訳だ。

と、前提があったとする。

単純計算で、ぶんちゃんが3回ガソリンを入れる間に、プリウスは2回の給油で済む計算になる。

実際に、オレが今は月に3回位給油してるから、プリウスなら2回の給油で済む。

つまり、1か月に4,000円位ガソリン代が安く済む。

1年なら、48,000円もガソリン代が安くなる。

・・・安くなるけども、例え同じペースで10年乗ったとしても、ガソリン代が48万円しか安くならない。

なのに、販売価格は150万円位差があるわけで・・・要するに、ぶんちゃんとプリウスのかかるお金が同じになる(と言うか、元を取る)には30年間乗り続けなければいけない。

ふ~ん。

そうなのか。

ふ~ん。

ふ~ん。

まぁ、プリウス乗ってるヤツが、「燃費が安くて、お金が浮く」とか、そんなこと考えてないよな。

地球にやさしいとか、的外れな事を良いながら、エコとプライドの為に乗ってるんだよな。

などなど・・・

どうでもいいけど、プリウス乗ってるヤツって、何であんなに運転がへたくそなヤツとか、無茶な運転するヤツが多いんでしょうね。

ケセラセラ。

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2013年8月30日 19:35 CAT :

小児麻痺と青空の世界

先日、東京へ出張してまいりました。

オレの事をなんだと思ってんだよ・・・人ごみ嫌い、人が嫌い。

結婚式で、筋肉少女帯の「人間嫌いの歌」を流した位人が嫌いなオレを人間がたんまりいる、あの都に連れて行くとは・・・

何か、webデザイナーでもしていれば、静かに、机の前でいられるのかと思ったのに、意外と現実はそうでもないのね。

しかも、お土産さえも変えないくらいの強行スケジュールだったしな。

さてさて。

チョッとタイミングを逃してしまったけど、8月にはどうしても「戦争」の話題が多くなってしまうと言う現実があったりなかったりする。

昔、クソ日教組の洗脳で極サヨク化していた時には、どれだけ嬲られようとも中国、韓国に対して徹頭徹尾、低頭で謝り続けなければいけないのだとか、文章を書いてた時期もあった志茂田さんですが、ここ最近の韓国の自滅活動のおかげで随分と目が覚めてまいりましたよ。

そもそも、韓国なんて、日本側で連合国と戦った側のくせに、被害者面してやがるしな。

と言う事で、戦争についてのお話(物語?)などもチョコット書いたこともあったりなかったりする。

その中の一つに「小児麻痺と青空の世界」と言うお話がある。

まず、タイトルの段階でおそらくこの世の中には出る事が出来ないであろう作品。

アルバム「影の上のボーニョ」に収録されている10分近い大曲なので、もし、このCD持ってる人は聴きながら今回の記事を読んでくれたら、もうちびる。

尿とか、精液とか、色々ちびるよ。

簡単に言えば、重度の小児麻痺で兵役を逃れ続けていた主人公の「青空」が、愛する人を守るために、自ら戦争へ赴く。

と言うそんな話ですわ。

この話を書くきっかけとなったのは、言わずもがな、腐れチョンによる靖国参拝批判。

日教組は、そして、サヨクの方たちは、戦争は国家の洗脳であり、多くの人が無理やり戦場に駆り出され、そして、不本意のうちに戦死したと、至るところで言う。

それは、教科書であったり、ドキュメンタリーであったり、映画であったり・・・色々な所で言う。

果たしてそれは事実だったのか・・・?
本当に、洗脳されてていただけなのか・・・?
確かに、そんな人も居ただろう。

結構いたかもしれない。

でも、中には、洗脳ではなく、心から、大切な家族を守る為、自分の生まれ育った故郷を守る為に立ち上がった人は絶対数いたと思う。

先の大戦が必要だったのかどうか?アジアの開放にどう関わったのか?そんな話は、アホ捏造国家の中韓を省いたところで色々論ずれば良い。

今は、そんな話じゃあない。

戦争になり、そして、家族が危険に晒されるとわかった時、守るために立ち上がった人は絶対居たはず。

そうして、立ち上がってくれた多くのご先祖さんのお陰で今の日本があり、そして、オレも存在していると言う事を忘れちゃあいけない気がする。

そんなご先祖さんが居る靖国神社を参拝する事を、なぜ、他所のキチガイに咎められなければいけないのか。

国を守り、故郷を守り、家族を守ったご先祖さんに敬意の念を持つ事と、戦争を賛美する事は全く意味が違う。

むしろ、この気持ちがなくなった時、この国に価値を見出せなくなり、そして、戦争が起こるような気がする。

サヨクの方たちのお陰で、「愛国心」を持つ事がイコール危ないヤツ。

危険思想の持ち主。

と言う、変なレッテルを付けられるようになってしまったけれども、あんな、自分が生きている事を当たり前に享受し、ご先祖さんを敬う事も出来ないような生ゴミなんて気にする必要はないと思う。

「小児麻痺と青空の世界」は、そんな思いを込めて描いた物語だったりする。

物語の最後、「誰にも知られず 歴史にも残らないまま 当たり前のように青空は帰ってこなかった あの子を残したまま帰ってこなかった そして戦争は終わった」で終わる。

この気持ちが国家に洗脳されただけで片付けられるのであれば、それこそ、「遺憾の意」を表明するしかないのでしょうね。

と、少し時期外れに書いてみたりした。

ちなみに、オレは絶対に戦争反対。

ラブ&ピース。

ジョンレノン大好きですよ。

でも、サヨクじゃあない。

アレだけにはなっちゃあいけない。

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2013年8月18日 1:07 CAT :

始まりの始まりはまだ終わらない

毎年、フジテレビで唯一と言っていい楽しみにしてる番組。

「ほん怖」。

去年は、何回ちびるんだろう?と言う位怖かったけど、今年は、全体的に怖くなかった。

すごい物足りない感じ。

強いて言えば、最初の話と、最後の話がなかなか面白かった。

けど・・・最初の話とか、普通にオレの実家の2階で居ればしょっ中誰もいないのに、足音がしたり、トイレが流れたりするもんな。

最後の話とか、人形が感情持つとかも普通な事だし。

今、オレのベッドの横には「たごさく」って言う犬の人形が居る。

オレが生まれる前からズッと一緒に過ごしてきたけど、こいつは、間違いなくいつもオレの事見てるもんな。

ちなみに、娘も何か「たごさく」の事は凄く気になるらしい・・・ただ、「たごさく」は完全にオレを守ってくれている方だと思うけども。

さてさて。

お盆でせっかく休みだと言うのに、親戚まわりとお墓参りだけで終わってしまうのも何だかなぁ~って事で(もちろん、先祖を敬う事も、親戚に顔見せる事も大切だけども。

)チョッと遠出してきましたよ。

結婚してからは、年に2回は旅行に行ってたりもしたけど、娘が生まれてからは、まだ一度も遠出してなかったので、ある意味初めての遠出。

場所は、徳島県の大歩危にした。

ここん所の閉鎖的な感じからから飛び立ちたい。

とか、大自然に抱かれたい。

とか、色々あったりしたんだけれども、一番は、山行くと涼しい。

川べりで遊びたい。

っていうそれだけだったのかも知れない。

かくして、徳島まで行ってまいりました。

何だかんだで、1時間半位で着くらしい。

遠出と言っていいのかは良く分からんけど、まぁ、まだ娘も7カ月だ。

そんな遠出など出来るはずもないじゃあないか。

車の中でぐっすり寝てた娘は、駐車場の段階で、キャッキャとはしゃいでる。

まぁ、娘の場合は、景色関係なく、道の駅のキッズコーナーでも、お昼に入った徳島ラーメンのお店でも、キャッキャと笑ってたけどな。

取り合えず、楽しんでたみたいだし良しとしよう。

思えば、この場所は、嫁とまだ付き合う前に、初めて二人で出掛けた場所。

お互いまだ、名前で呼ぶ事も出来ず「○○くん」「○○さん」と苗字で呼び合ってた位だったように思う。

あれから数えて今年10年目らしい。

この10年間。

ほぼ毎日。

仕事初めてからは、仕事のない休みのほぼ全てを一緒に過ごしてきた。

10年間。

毎日毎日顔を合わせて、良く飽きもせずに一緒に居るとは思うけれども、それでも本当にズッと一緒にいる。

家に、どころか、ほとんど同じ部屋でいる。

だから、仕事が休みの日に別行動してる夫婦とかの話を聞くと、違和感しか覚えない。

せっかくの休みなのに、なんで一緒に居ないの?と。

そんな生活の10年目に、生まれた娘を連れてここに来た事に少しだけ感慨深いものがあったりする。

お互いに老けちまったし、子どもも居るけど、それでも、10年前のあの日と同じように今日も一日を「楽しかったなぁ~」で終える事が出来た。

この奇跡のような出来事をこれからも続けて行きたいと心底思う次第でございます。

それは、簡単なようで難しい事。

でも、難しいようで簡単な事。

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2013年8月10日 22:30 CAT :

There are places I’ll remember from “In my life”

10年の区切りがひとつ付いてしまった。

三十路になってしまった。

誰かが言うように、20代はあっと言う間に終わってしまった。

誰かが言ったように、1年はどんどんと短くなっていっている。

少しだけ、20代の10年を振り返ってみようかと、久しぶりに、キーボードを叩いてみる事に致しましたよ。

20の頃を少しだけ思い出してみた。

あの頃、オレはまだ独り身で、漫画家になると言う、今考えると何とも薄味な夢を抱えた学生だったと思う。

それから数えて10年だ。

その間に、彼女が出来、夢をあきらめて、社会に出て、半身不随になって、復活して、ニートになって、仕事を始めて、結婚して、子どもが出来た。

意外と普通な10年だったようで、部分的に、人が体験してない10年だったようでもある。

振り返ってみれば、なかなか面白い10年だったように思う。

そして、激動の10年だった。

多分、10歳までとか、20歳までの方が、インパクトは強かったし、ドキドキとした毎日だったんだろう。

でも、それは、親の加護の元で、しかもあらかじめ決められたある程度予定調和内での出来事だった事を、20代で思い知らされた。

自分で歩きだしてからは、時間が経つのは確かに早くなったけれども、その分、面白さも増してきた。

涯の言ってた事も少しだけ分かるようになってきた。

(まぁ、涯はそれを中学生で悟ってたんだから、そう考えるとオレはかなり遅いもんだけれども・・・)
仕事もろくにせずに、かと言って、就職活動をしていたわけでもなく、親から施してもらった金で、彼女とただダラダラしていたニート期間。

あの期間だって、無駄じゃあなかったとは思っている。

けれども、毎日がすごく息苦しくて、イライラしてた。

んで、その頃は、仕事を始める事も、結婚する事も何だか、責任を背負わされて、追いつめられるようなイメージを漠然と心のどこかに持っていたのかもしれない。

ただ、運良く一念発起し、歩み出した結果、どうも、責任が増せば増すほど、不思議と毎日に張り合いなんかも出てくるらしい事が少し分かってしまった。

そんな今。

オレは、なんと、一家の長だったり、父親だったりする。

(当たり前だけれども)自分で仕事して、稼いだお金で、家族共々何とかかんとか日々をやりくりしている。

それが、ビックリする位充実している。

そして、本当に自由。

そりゃあ、収入とかもたかが知れてるし、子どもが生まれてからこっちなんて、自分の時間なんてどれほどとれるよ?みたいな状態。

仕事から帰ってきたら、疲れて寝る。

寝てる間も子どもに起こされる。

休みの日は、子どもと遊んで終わり。

でも、涯じゃないけれども、圧倒的に限られた中で無限なんだって。

まぢで。

この感覚がわかる日が来るなんて・・・

そう。

多分、20代で最大の収穫はこの感覚を得た事なんだろう。

でもこれはまだきっと土台だ。

土台は出来上がってきたのかもしれない。

次の十年は、この土台の上に何をのっけていくか・・・それを、もしかしたら探すだけかもしれない。

でも、断片的にでも形が見えればそれで良いと思う。

30代男性の4割が童貞と言う社会の中で、なんだかんだと割かし順調に歩んできているのかも知んない。

10代の頃には灰色の将来ばかり考えていた。

今、10年間について、写真を見たり、嫁と話したりしながら、鑑みるにつけて、そんなに悪くはなかったんじゃないかと思う。

10年後、30代はホントしんどかったよな。

でも、そんなに悪くはなかったよなと思えるように。

それを、家族で・・・増える事はあっても減る事はなく迎える事が出来れば、それで良いと思えるようになった。

毎日はただ当たり前に過ぎていくので、それを、少しずつ刻みこんで生きていくのですよ。

1日。

1日とね。

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2013年7月23日 22:15 CAT :

夢追いインザスカイ

人を殺すことのハードルが極端に低い・・・とは、どんな事なんだろう?
笑いながら、耳の穴に煙草の火を押しあてる事が出来るのか・・・しかも、友人に。

何かの研究で、まだ何も分からない赤ちゃんの目の前で、良い事と悪い事をしたら、赤ちゃんは、良い事をした時にはニコニコして、悪い事をしている時には、顔をしかめたとか何とか。

人間には生れながらの道徳心がある。

俗に言う性善説だと。

そんな結論がでたらしい。

だとしたら、こいつらは何なんだろう・・・?
生まれ持った道徳心を、成長する過程で無理やり破棄させられたんだろうか?
自分の子どもがこの被害者側になってしまったら、オレはきっと、加害者全員に同じ事やったって気が済まないと思う。

嬲り殺した位では、何の意味もない。

だって、この加害者は全員、生きてく価値もない屑だから。

・・・いやはや、例の広島のLINE事件の話ですよ。

さてさて。

日曜日には、ちゃんと選挙に行った志茂田さん。

です。

ちゃんと、ゲラゲラ笑いながら、池上さんの選挙特番を見てました。

(サッカーのような下等な球遊びに一喜一憂などしない。


番組の最後に、池上さんが面白い事を言ってた。

「投票率が低い。

特に、若い世代の人の投票率が極端に低い。

政治家は、投票してくれる人のために政治をするので、投票してくれる年配の人のために、動いてくれますが、投票してくれない若い人たちのためには、なかなか動いてくれません。

これは、とてもよくない状態です。

なぜなら、これからこの国を支えるのは、若い人たちなのですから・・・」
若干違うけど、こんなニュアンスだった。

オレの一票なんて、特に意味はない。

と、思ってる奴はたくさんいると思う。

し、実際、たかが一票で何か変わるものでもないかもしれない。

でも、問題はそこじゃあない。

大切な事は政治家と国民が、実は対等であるべきなんだと思う。

似たような例で、「三波春夫」さんの「お客様は神様」を勝手に勘違いして、店員に対して偉そうにしてる無知蒙昧なゴミもたくさんいる。

そもそも、この「お客様は神様」って言葉は、「お客様のところに神様がいるようなつもりで、丁寧に歌っている」と言う趣旨であって、決して「お客様=神様」じゃあない。

お店と客はあくまでも対等。

うまい料理や、サービスを提供してやってるんだから、金を払うのは当然。

そもそも、金払いの良くないやつは、神様ところか、客ですらない。

なのに、金払いも悪い、性根まで貧乏な奴に限って「お客様は神様」とか言いたがる。

それと同じなんだと思う。

投票にも行かないで「社会が悪い」「国が悪い」とか言ってもしょうがない。

投票に行くと言う義務を放棄した段階で、国から補償される権利を放棄したも同然。

誰に入れても結局は一緒。

だとしても、投票していると言う意思を示すことは、相手にする価値もない人間ではなく、相手にする価値のある人間だと政治家に認識させる意味があるんだろう。

などなど、今回の言葉で、何か色々と考えさせられてしまった。

テレビやマスコミしかない時代はもう終わった訳で、テレビでの洗脳も効果が薄れてきている。

それでも、昔の感覚で洗脳し、世論を扇動しようとしている老害は未だにテレビに出ていたりする。

例の関口宏だって、調子に乗って安倍ちゃんを批判しようとして、自分の無知蒙昧っぷりを全国にさらけ出してしまったわけだし。

そんな意味でも、本当は、昔よりはるかに1票が、世論を動かせるようになってきている。

逆に、テレビや新聞のように、情報を押し並べて整理してくれなくなってきている。

氾濫する情報の中から、取捨択一するメディアリテラシーが必要になってきているんだろう。

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2013年7月15日 22:04 CAT :

ただ抗わずただ流されず

連綿とつながる見えない糸
縦と横の交わりひとつはとても小さくも
それが無限に広がっていくことで、大きな布が出来上がる
その先にあるものがなんなのか
誰も知る由はない
誰もその先へ行ったことなどないのだから
何を包むための布なのか
何を庇う為の布なのか
ただ
今も新しい交わりが増える
そして
それをこれまで紡いできた糸は優しく迎え入れる
いつまでもいつまでも
それは
悲しいことではなくて
でも
嬉しいことでもない
ただ必然としてそこにある
心の中に少しだけ灯る
かすかな光のひとつ

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2013年7月11日 22:22 CAT :

能面の笑顔と少女の時間

生きていく事に目的が必要なのは、きっと生きていく事が簡単だからなんだと思う。

生きていく事に必死だったら、生きていく事が目的になる訳で、そもそも「何のために生きている」って言う話にはならない。

生きていく事が比較的簡単になった国で生きています。

目的は分からない。

でも、最近、生きていくための目的とか、別に不必要になってきた。

これが、新しいステージだったら、良いのだけれども・・・

さてさて。

少し上の話ともかぶったりかぶらなかったりするけれども、楽しみ。

とはいかなものか。

そんな事をぼんやりと考えていた。

嫁が言うには、オレは、何かにつけて、楽しそうらしい。

自覚はないけれども、そうらしい。

うまい飯を食う。

眠いから寝る。

絵を描きたいから書く。

そんな感じの事が、最近、やりたい時に自由に出来ない。

だから、出来る時には、それはここぞとばかりに楽しむ。

とか、そんな事は実は当たり前のような気がしてならない。

けれども、世の中には、そんな事を楽しめない人の方が実は多いらしい。

基本的に、何でもかんでもやな事ばっかり。

仕事なんてやりたくない。

それでも、頑張ってやったところで、それが評価されるかと言えば、それも微妙。

むしろ叱咤激励と言う名の恫喝の方が多い。

そんな日常の中で、何でもないけれども、嫌ではない事が、むしろ楽しくなってきたのかも知れない。

それが楽しくないって事は、もしかしたら、なんだかんだ言いながら、世の中にやな事が少ないと言う、非常に幸せな状態なんだろう。

そんな人が結構多いって事は、実に生きやすい社会なのかも知れない。

ただ、ここにきて思う。

やな事が少ないから、日常の何でもない事を楽しいと感じられない。

やな事ばっかりだから、日常の何でもない嫌じゃない事が楽しいと感じてしまう。

どちらが幸せなんだろう・・・?
前者の方が、毎日を穏やかに過ごせるのかも知れない。

後者の方が、メリハリがあって楽しいのかも知れない。

ひとつ言える事は、人間、状況が停滞してしまうと息苦しく感じてしまう。

それは、自分のニート時代の経験から、間違いないと思う。

とすれば、前者の状況の場合、自分で自分を鼓舞して、無理くり状況を(むしろ、成長している方向に)変えていかないと、息苦しくなってしまう。

逆に後者の場合には、穏やかでいたいと思っても、周りに無理やし環境を(時には、好転し、時には、最悪の状況に)変えられてしまう。

どちらにして、結構な労力は必要になってくる。

自分で頑張るか、周りに引っぱりまわされるか・・・

結局のところ、何が一番。

とか、そんなのはないんだろう。

取りあえず、最近は、一番子どもに引っぱりまわされて環境が変わってる気がする。

でも、こいつに関しては、これまでのどれとも違って、なぜかそれが心地良かったりする。

志茂田さん。

親になるために悪戦苦闘していると言うことですな。

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2013年7月9日 21:52 CAT :

遥かなる旅路 さらば友よの巻

夏の日の朝。

6時くらいに、窓をあけると入ってくる空気には、ひどく懐かしい匂いがある。

小学生の夏休み。

眠いのに無理やり起こされて、フラフラと通っていたラジオ体操の時の匂い。

当時は、何よりも嫌で仕方がなかったけれども、今になると、この空気の匂いが、何とも心地良い。

今って、夏休みのラジオ体操。

無くなってるだそうで・・・

と言う事は、今の子どもは、大人になった時に、この感覚を味わう事が出来ないと言うことか。

それは結構、可哀そうな気がしてならない。

何でなくなったんだろう・・・?
さてさて。

今日、遂に描き終えてしまった。

「US」と言うマンガを。

第一話を描いた時の日付が、2001年の8月だったので、ほぼ13年の月日と言う期間、描いてきた一つの物語が終焉を迎えたと言うことらしい。

最後の1ページを描き終え、その下に「終わり」の文字を書いた瞬間のビックリするような充足感。

こんな気持ちになれる事が、オレのこれからの人生であと何回あると言うのだろうか・・・

そして、年月ももちろんのこと、物語自体の長さも最長となったこの物語と、お別れする事になった。

もう、この物語のキャラクター達が勝手に動き出すことはない。

それを、絵として残して行く事も多分ないんだろう。

思えば、元々は、高校時代にさかのぼる。

当時、ほぼ初めて割と長編の物語を完結させる事が出来たオレは、画力アップには、漫画を描き続ける事が一番だろう。

という結論に達した。

で、当時たまっていた短編用のネタをいくつかくっつけて、その全ての短編に少しずつ主人公が絡みつつ、次第に物語が一つにまとまって行く。

そんな漫画は面白いんじゃないかと思いついた。

(今考えると、そんな話結構よくある気がしないでもないけど・・・)
そして、短編と短編を違和感なくつなぎ合わせる為の設定を考え始めた。

考え始めると、もう止まらない。

主人公のバックボーンから、ヒロインの設定、世界観の設定、そして、物語の大筋まで、暇さえあればずっと考え、ノートに描き綴ってた。

全体的には、当時異常にはまってた「トライガン」って言う漫画みたいなのを描きたいなぁ~みたいなイメージがあったりもした。

(結果的には、序盤以外かすりもしなかったけど・・・)
大体の構想がまとまって、第1話を描き始めるまでに、1週間とかからなかったように記憶している。

結局、その1週間で広げまくった大風呂敷を、しっかり描き切るのに、13年の歳月がかかってしまったと言うことらしい・・・(まぁ、その時々に影響受けたものとかで、後付けの設定とか、キャラも出てきたりはしたけれども。


最終的には、その最初のノートに書いた構想通り、全部で15部。

しかも、各部ごとにこんな事を書こう見たいに考えていた事も大体、当初の構想通りに描けた。

むしろ、ここまでぶれなかった事に結構ビックリ。

しかも、「大体、この話は○話くらい使って書こう。

」とか構想してた奴も、12部が3話、13部が3話、14部が5話はみ出しただけで、ほぼ予定通りに描けたと言う。

自分でも言うのもなんだけど、高校生のオレすげぇ・・・これが、思春期の力か・・・

まぁ、途中年単位の休憩も挟んだりしたけれども、それでも、最後まで描き切れた事にただただ感無量。

もっと内容に突っ込んだ事も描きたいけれども、また、漫画の方を読んでもらいたいので、そこは我慢しておこう。

約2800ページ。

全135話をもって、「US」と言うマンガは終了だ。

これで、死ぬまでに描いておきたい物語がまた一つ完結した。

とりあえず、いろんな奴に読ませてみたい。

・・・ような気もするけど、長すぎて、気軽に読んでみてや~とも言い辛い。

元々、99%は自分のために描いてきたわけだし、まぁ、機会でもあればと言う事で。

さようならです。

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2013年7月7日 20:26 CAT :

シナプスレイプ・アンソロジー

体中(特に股間付近)の肌荒れがここの所凄まじくひどかった。

原因をあれこれ考えてみたんだけど、多分、ボディソープだと思う。

いつも使ってるダブのヤツがなくて、ナイーブってヤツをしゃあなしで買ったんだよ。

んで、それを使ってたんだよ。

元に戻し、更に肌荒れしてる部分には、赤ちゃん用の石鹸を使ってみると、見る見る間に回復してしまった。

見る見る間に回復って、どれだけ悪い成分が入ってたんだよ・・・

肌荒れ(オレの場合はアトピーやけども)がひどい場合には、取り合えず、石鹸類を見直してみるのが一番と言う事か。

さてさて。

先日、チョッピリ面白い話を聞いた。

人間の脳は、考える部分とそれを吐き出す部分が別の所にあるらしい。

それどころか、その2つの結びつきが弱いらしい。

いくら頭の中で悶々と考えても、うまく考えがまとまらないのは、考えた内容が吐き出す部分に直結して流れていかない事に原因があるとか何とか・・・

要するに、悩む前に書け。

悩む前に動け。

と言う話。

不思議な事に、吐き出し始めると、考える部分がまた次のことを考え始めることが出来、そして、どんどんと考えを深めていく事もできるんだって。

そこには、絶対的なタイムラグが発生する。

確かに、何か書いてるときも、その書いているもの自体について頭の中で考えていると言うよりも、頭の中では、その先のことを考えているような気がする。

んで、気がついたんだけれども、オレがブログを書くときここ数年、2段階構成にしてたりする。

今日もそうなんだけど「さてさて」って言葉で、無理やり結びつけている、全く別の2つの話を1つの記事の中に盛り込んじゃってる。

何でこんな事してんのか、あんまり自分では良く分かってなかったんだけど、多分、始まりはこんな感じだったんだと思う。

「ブログでも書こうかなぁ~」
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
「特に書く事ないから、適当に今起こってることでも買いとくか。


↓ ↓ ↓ ↓ ↓
「そう言えば、○○について書こうと思ってたんだよな。


↓ ↓ ↓ ↓ ↓
「でも、チョッと書き出してるし、こいつを書いた後に書くか」
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
「さてさて、本題に入るよ」
この流れが、いつの間にか形骸化してしまったんだと思う。

ってことは、オレは、書き出す事で、ネタが膨らんでくる事を無意識に理解して、この「どうでも良い話 + さてさて + 本題」と言う変な構造でブログを書くようになってたと言う事か。

そして、どんどん思いつく。

マンガを描くとき、オレはいつも、時間のかかるページとか、コマだけ、後回しにする。

んで、展開に詰まった時とか、その日の描き始めに、まずそのページから着手するようにしてる。

まぁ、ページを書いてる間に、次のコマ割りとかを頭の中でイメージしてるんだけど・・・

いやね、いきなりさて今日は何から描こうかなぁ~とか、考え始めると、イマイチ乗れないのよ。

だから、今日最初に描くページってのだけは、最初から何らかの形で用意しておくと。

そんな感じですよ。

これも、ある意味当てはまるんじゃないかなぁ~と。

何しか、普段自分が無意識にしている事が、変に、人間の体の構造上納得のいくものだったりした時に、何となく「生きてきて、稼いだ経験値のお陰」のような気がして、チョッと嬉しくなるんだった。

そんな詰まらんたわごとだよ。

再開の第1弾目はこんな感じだよ。

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2013年7月7日 11:51 CAT :

闇に浮かぶ彫刻

とても悲しい事があった。

その日から、取り合えず49日は、喪中と言う事にしておこう。

何も自分から発信しない期間を設けてみる。

7月になったら、また、何かブログに記事でも書こう。

と、そんな事をぼんやりと考えておりました。

そして、気がつけば、7月どころか、もう7日になっている。

ブログとか、またチビチビ再開しよう。

この49日中にだって、思うところはたくさんあったんだよ。

いくつかは、浮かび、よどんで、消えていった。

けれども、まだ残っているいくつかの由無し事をまたチビチビと綴っていこう。

そうしよう。

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2013年5月11日 22:31 CAT :

「饒速水 琥珀主」は泥にまみれて消えていく

パクさんのアメリカ外遊すごいね。

行った先で、日本の悪口だけ言いまくって向こうの高官を呆れさせた上に、レイプ事件まで起こした後、とんずらこいて、帰って来てから、オバマ大統領と握手した合成写真を出して、非難を浴びるなんて・・・

ついでに、先日、ミサイルをお片付けしたばっかりの北朝鮮にまで、「恥さらしに行った」と酷評される有様だなんて。

滅び去るのは勝手だけど、「やっぱり、まともに相手してくれるのは日本だけニダ」とか言って、寄ってくるのだけはやめてほしい・・・

反日で良いから、貫いて勝手に死に絶えてくれ。

まぢで。

さてさて。

ジブリの(っていうか、宮崎駿監督の)最新映画になんと、エヴァの庵野監督が出るらしい・・・声優として。

ジブリの映画が昔より面白くなくなった理由は、単純に声優を起用しない事だと思う。

声優さんは、声の吹き替えのプロな訳で、やっぱりどうしたって、餅は餅屋だ。

何か宮崎監督が「素人っぽさがリアリティ」だとか、どこかで語ったみたいな話を聞いたような気がするけど、だったら、本当に街中でズブの素人でも捕まえてきて、声優をやらせれば良い。

そうしないなら、それはあくまでも建て前で、真実は、ネットに流れている個人的感情での声優嫌いとしか思えない。

素人で、良かったのなんて多分「トトロ」の糸井重里と「ポニョ」の所ジョージ位じゃないのか・・・

「千と千尋の神隠し」も「ハウルの動く城」も「崖の上のポニョ」ももっと声優さんを起用してたら、「ラピュタ」とか、「ナウシカ」に匹敵する名作になってたような気あしないでもない今日この頃なのです。

アイドルの「声優に挑戦」とか、まぢプロ舐めんな!って思わないのかな?
取りあえず、面白そうな洋画の吹き替えに、話題性だけで実績も何にもないタレントやアイドルを起用するのまぢでやめてほしい。

それだけで、凄い見る気が失せるから・・・

最近、洋画見なくなったのも、メジャーどころの邦画を見なくなったのも、全部、この辺のせいだと思う。

もし、「ファイトクラブ」の主人公を平田さんじゃなく、ブラピが山ちゃんじゃなかったら、同じようにワクワクしてあの映画を見る事は出来なかったと思う。

同じように、「天空の城ラピュタ」のパズーが田中真弓じゃなくて、ゴーリキーだったら、今と同じような評価じゃあなかったと思う。

・・・と思っている人が、日本に最低でも一人は居ると言うお話ですよ。

ではでは。

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2013年5月6日 22:38 CAT :

その街角には君の立つ足跡がある

「春来たる鬼」・・・

凄い。

しばらくは、これ1曲あれば何にも要らないや。

ホント、何でこんな曲が作れちゃったんだろう・・・?
これが、天才と言うヤツか。

何が凄いって、もう20年近い歴史のあるバンドで、常に、新曲が毎回度肝を向かれてるって事だよな。

底の見えないバンドだ。

さてさて。

先日、たまたま道端で、「うえまつえみこ」って人が演説してるのを見かけた。

こいつ、あれだよな。

日本を潰そうとしたり、お隣の国の経済安定しか考えてなかったり、チョン政党「民主党」のおばちゃんだよな。

しかも、性質が悪いのは衆院選で大敗したあと、そそくさと民主党を離党しておきながら、「民主党には愛着があるので、協力していきます」と言う謎の会見をして、その上で、「無所属」として、次の参院選にノコノコと出てこようと言うどうしようもない人。

正直、あのまま民主党に残ってる皆様方の方がまだ、一貫性があると言うか、まともだと思う。

要するに選挙の時に「民主党」ってなってたら票が逃げるから、「無所属」って形はとるけど、当選したら、「民主党」と協力するよって事だろ。

それ以外に何があるんだよ。

離党して、無所属になった方が連携が取れるとか、そんな政党制自体の否定みたいな事、適当に言ってたら、「とくなが」とか言う嘘吐きおばちゃんみたいになるって。

有権者を舐めるのも程がある。

選挙前から、有権者をだまして出し抜く事しか考えてない姑息な政治家に、誰が投票するか。

馬鹿じゃねえの?
この人、香川の選挙区なんだよな。

香川県民が、こんな浅はかな手に引っ掛からない事を切に切に願う。

ホント、離党とかしてなければ、まだ、何言っても信憑性あったんだろうけどね。

残念。

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2013年5月5日 22:16 CAT :

あなたの心持へ

何とまぁ、5年ぶりくらいに、ブログのカバーなど変えてみました。

全体のテンプレは今のが気に入ってるので、このままでもいいと思う。

まぁ、ブログのテンプレくらい自分で作れるんで、気が向いて、しかも時間がたんまりあったのなら、自分で作ってみてもいいかもしれないけども。

ついでに、プロフィールも更新。

そう。

もう、3人家族なんですよ。

ケセラセラ。

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2013年5月4日 23:10 CAT :

愚神礼讃 フィンブルの冬

マンガ書きあるある。

ペン用のインクとベタ用のインクを並べて使ってると、時々、ベタ用のインクにGペンを突っ込んでしまう。

ないとは、言わせないぜ。

そこのベイベー。

さてさて。

「春来たる鬼」だ。

「春来たる鬼」すごい良い。

凄まじい名曲だ。

20分もある大曲なのに、ホントに、最後まで一瞬も気が休まることがない。

中だるみどころか、最初から最後まですべてがサビみたいなもんじゃないか。

CDで、じっくり聞いて、しっかり歌詞を読み込めば、興行の時とはまた違った感動にどっぷりハマることができる。

そりゃあもちろん、興行の時の生音と比べると、やっぱり演奏などの迫力はどうしても負けてしまうけど、聴き込むならCDだよな。

正直、新曲については、普通にCDで発売して欲しいとか、それをじっくり聴きこんでから興行で、聴きたいとか思ってた節もあった。

でも、この興行で発表したあと、帰ってCDで聞くってのも結構良いもんだと思う。

あの時の、あのメッチャカッコ良かったギターは、よく聞くとこう言う事になってたのかと・・・

あの時の、語りは全体で見るとこう言う意味があったのかと・・・

聴く度、聴く度に、興行で聴いた時の興奮をリアルに思い出すことができる。

うぬぬ・・・

ホントに悔いなしだ。

この曲に関しては、特に、やっぱり、興行で聴いておかなきゃいけなかったな。

なんかうまく言えないけれども、この曲が、普通にアルバムの中の奇をてらった1曲ではダメだと思う。

曲に関して、どうすれば一番いい形で届けることができるのかについて、真剣に考えてんだろうな。

と心底思い知らされたわ。

「春来たる鬼」に関しては、今回の形が何より最善だったと思う。

「ビバ!アメリカ」については、CDで先に聞いてから、興行に行きたかったけども。

いやぁ。

すごい名曲だよ。

まぢで。

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2013年5月3日 18:58 CAT :

片目の鬼が来る~「春来たる鬼」発売記念巡業~

はい。

と言う訳で、行ってまいりましたよ。

1年ぶり。

1年ぶりにして、犬神サアカス團となってからは、初の興行参戦でございました。

今回も、昨年同様に広島だ。

弟と2人で参加だ。

今回のツアーも、香川はおろか、四国にすら寄り道してくれなかったので、しょうがない・・・しかも、何と平日。

正直どうしようか悩んだんだけれども、やっぱり「春来たる鬼」を、実際聞いてみたい。

興行会場で聴いてみたい。

と言う欲求にはどうしても勝てず(そうじゃ無ければ、弟だけ興行に行かせて、音源を手に入れるって方法だってあったんだよ。

)、仕事は休むわ、子どもと嫁は家に置き去りにするわ、平日だから、高速料金は高いわと言う、ズタボロの状態で行ってきた。

それでも、行きたくてしょうがない。

そんな魅力のあるバンドさん。

何ですよ。

犬神サアカス團は。

「恐山」のツアーにはいかなかったんだけれども、今回は何をやってくれるんだろう?やっぱり「恐山」の曲が中心に何のかな?定番曲の「憂鬱の道化師」とかはやってくれるよな。

「犬神天国」はなくなってしまったんだろうけど、それでも「白痴」はやってくれるよな。

などなど、会話をしながら、どんな興行になるのかワクワク。

ちなみに、BGMは、「ストロベリーソングオーケストラ」の「血の濫觴」。

何となく、「すげーバンド見つけたんだよ。

お前もはまれよ」と言う、自己顕示欲の塊がそうさせたらしい。

なんだかんだと言いながら、広島に到着。

駐車場などを探してうろうろしてたとは言え、駐車場に車を置いた段階で、まだ午後5時くらい。

開場は、午後6時半なので、その間は、少々カラオケでもする事になった。

(ただ単に、ビックエコーが目に止まっただけだけど)
カラオケでは、車の中で「ストロベリーソングオーケストラ」聴いてたんだし、やっぱり、「犬神サーカス団」を歌わねば。

と、弟と交互に犬神サーカス団の歌を歌ってた。

締めに「地獄の子守唄」を歌って、テンションもかなり上がってきた。

体力もほぼゼロ。

ついでに、テンションあがって熱唱しすぎて、喉も潰れるてしまうと言う、満身創痍の状態で、ビックエコーをあとに。

ちなみに、そのビックエコーにエレベーター。

(↓)
x-japan.jpg
「としる」と書いてあった・・・顎をしゃくれさせて、Xジャンプしろとでも言うのだろうか・・・今から、行くのは「犬神さカス團」の興行だと言うのに・・・

そんなこんなで、興行会場へ到着。

おお。

おお。

興行の告知もある。

さらに上がるテンション。

「1階部分で列をおつくりください。

」との注意書きを読むも、誰一人周りにいない。

場所も、時間も間違ってないはずなのに・・・

そう思いながら、階段を上って行くと、行列が。

みんなあの注意書きを無視していただけで、今回の興行の参加者が少ないって話ではないのか。

となんだか嬉しくなった。

いや、昨年同様、ホント会場付近にそれっぽい方が一人もいらっしゃらないから、凄く不安になるんだよ。

香川だったら、駅から会場までに、明らかに手首に傷つきで仲間の匂いがする方もいらっしゃるからな。

とかなんとか言ってる間に開場。

中には言ってみると、今回も、前回同様30人くらいかな。

今回は、弟の希望もあって、いつもの情次兄さんの方じゃなくて、ジンちゃんの方に陣取ってみた。

(弟がベース弾くから)
その後は、ネットで「わかめちゃんのパンチら画像」を探したりしてるうちに、開演と相成りました。

ふと後ろを振り返ってみると、なんと後ろに、凄い人の山が・・・

これまで、何度か参加した興行の中で、一番人数多いように感じた。

しかも、今回は、男が多い。

いつも何か、オレと弟以外男なんていない位なのに・・・たぶん、会場限定シングルと言う言葉が、普段興行に足を運ばないけど、コレクター魂を燃やしている男のファンの心根を揺り動かしたんだろうて。

ステージ上には、日本国旗と旭日旗が掲げられてる。

クソチョンがその場にいれば、発狂するような素敵なステージングに思わず、興奮を抑えられなくなる中、出囃子は「故郷和讃」。

まぁ、それはそうだろうね。

そして、幕をあける「犬神サアカス團」の興行。

一曲目は、まさかの「吐気」。

「被害者面」を期待していたんだけど、確かに、この「吐気」も一曲目にふさわしい、ドロドロとしつつ、ノリノリのナンバー。

心に刻みつつも、縦ノリも出来る。

そして、そのまま定番曲「憂鬱の道化師」へ。

(ここは、何気に予想通りだったりする)
もうこの辺りでは、鳥肌も止まらない。

いつもの感じだ。

そして、やっぱり「犬神サアカス團」になっても、最高じゃないか!と思う。

そのまま、結構レア曲(だと勝手に思ってる)「花嫁」、んで、「恐山」の中では一番ノリノリな「浅草心中」から「陰謀論」と、テンションは最高潮に。

ここで、聴いたことのないイントロが。

(どうでもいいけど、このバンドの曲なら、全てイントロ聞けば曲名くらい分かりますよ。

歌えますよ。

それがファンってもんだろうが!)
そう。

この曲のためにオレは、仕事を休んでまで、広島まで来たんだよ。

20分の大曲にして、新曲「春来たる鬼」だ。

物悲しげなイントロから始まるこの曲。

とにかく凄い。

凄まじい。

何か、めちゃくちゃカッコいいし、そもそも、何だこの演奏は?確かな、演奏力から繰り出される圧倒的プログレ。

4人編成。

ギターもベースも一本なのに、何をやって、どうこの音を構成しているのかが、一聴しただけでは分からない。

と言うか、テンポすら取れない。

この曲だけは、のったりせずに、冷静に、じっくり聞こうと思ってたんだけど、じっくり聞いてもただただ、その迫力に圧倒されるだけ。

カッコいいとか、感動的だとか、死にたくなるとか、そんな一辺倒な感情じゃない。

何だこれは?!が一番素直な感想だと思う。

聴き終わった。

20分・・・?今、ホントに20分経ったのか?そう思ってしまった。

前評判は嘘じゃない。

ホントに、中だるみとか一切しないまま、終わってしまった。

20分経ったなんて信じられないままに。

「春来たる鬼」の余韻に浸ってる中、その次に来たのはまさかの「箱舟」。

マーシーさん作曲の美しいバラードだ。

おおおお・・・レア曲にして、大好きな曲が。

前回聞いた「サーカスの人魚」並みの感動が押し寄せる。

そのまま「いつか」とバラードが続き・・・そして、なぜか「一つ目小僧」。

前の「サマーオブラブ」の興行でも聴けなかったレア曲。

何か、レア曲多いように感じるな・・・

このあたりから、少々記憶は曖昧になってくる。

ただ、「恐山」で一番好きな「蜘蛛女」や、「ビバアメリカ」で一番好きな「幼女人形」、定番曲「自殺の歌」(いつもながら、会場全体が一つになる「死ね!死ね!!死んじまえ!!」は、狂気染みてるよな。

冷静になって考えれば。

)などなど、その後も、期待を裏切るはずのないセットリストで、もうどうして良いか分からない事に。

そして、ラストナンバーには、何と何と「地獄の子守唄」!!!
事前にカラオケで弟と熱唱したこの曲を、まさか、生で聴ける日が来るとは・・・

この曲に関しては、もはや、あまりの感動に涙すら滲んでおりましたよ。

歌い終わると、一礼だけして、ステージを去るメンバー。

あぁ・・・

ホントにMC一切ないのね・・・

分かってたことだけど、その部分では、やっぱり寂しい。

これまでの興行と比べて、何かが足りないと少し思ってた原因はこれだったのか・・・

とか何とか、急にちょっぴり冷めてしまい、変な思考が頭をよぎりだした。

オレは、楽曲も好きだけど、メンバーの皆さんの事も大好きなんだと思う。

そして、メンバーの皆さんが、MCで仲良さそうに話してるのを見る事が、凄く楽しかったんだと思う。

それが、興行での楽曲の良さを何倍にもしてくれていたんだよ。

多分ね。

全てを省いて、唄と演奏だけで勝負する。

と、明兄さんは言ってた。

それは確かに、素晴らしいことなんだけど、もし本当に、それだけを求めているのなら、その大部分はCDでも補えたかもしれない。

もちろん、生音で聴けると言う感動は大きい。

実際に、これまで何百回と聴いてきただろう「地獄の子守唄」を聴いて、あれだけ感動出来るんだから。

でも、それ以上の何かをやっぱり求めてしまってたんだろう・
最初から、全てそれを封殺していたのなら、話は別だったのかも知れないけど、興行での、仲睦まじい感じのMCとか、物販で手売りしながら気さくに話をしてくれる情次兄さんや、ジンちゃんを知ってしまっている上で、ある日唐突に「それはもう今日からしないね」と言われても、瞬間的に対応なんてできないのかも知れない。

さだまさしが、くだらない話をタラタラ軽快に話した後に歌う「無縁坂」にいつも以上に涙することに似ていたのだろうて。

つまりは、まだオレの感覚が明兄さんの域に到底達していないと言うだけなんだろうけども。

だったら・・・だったら、もう本当に、エンターテイメント路線を消し去って「常世の虫」とか、「兄の病の特効薬は死臭漂う血の池地獄のような人肉スープの形而上学」とか、「赤猫」とか、「瓶づめの胎児」とか、「陽炎」とか、「カナリア」とか、「苦海浄土」とか、「待ちわびた日々」とか、「籠の鳥」とか、「恐山」とかそんな楽曲で固めてしまって、終演後には、自殺したくなるような気持ちにさせて欲しかった。

本来、オレが犬神サーカス団に出会って、最初に感動したのは、その部分だったんだし。

などなど・・・

そんな、少々冷めてしまったままでアンコールへ。

アンコールは、「地獄へ落ちた子どもたち」と「光と影のトッカータ」。

おおお・・・どっちも大好きな曲だけれども、なんで、「犬神サアカス團」の興行で、「恐山」の楽曲数と「サマーオブラブ」の楽曲数が一緒なんだろう・・・みたいな事もちょっと思ったり思わなかったり。

その前に、少しさめてしまった部分を振り払うように、楽曲に集中し、のりまくった。

それが、本来は、若干間違った楽しみ方だと分かっていつつも。

そして、2回目のアンコール。

弟と「もう『白痴』で逝ってしまおうぜ」くらいな意思確認をしての、一曲目は、夜行列車。

おお・・・「念仏谷」が来るかと思ってたのに、意外!!でも大好きな曲。

おおおおおおおおおおお!!とここで、テンションを結構持ち直す。

やっぱり好きな曲を聴けるとテンションもダダ上がりだ!!
そして、ラスト!!
「皆殺しのララバイ」!!!
って!!なにいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!
「白痴」なかったあああああああああああああああ!!!!!!
この最後の「白地」のために温存しといた体力はどうすればいいんだ・・・「皆殺しのララバイ」めっちゃ好きな曲だけど・・・だけどぉぉおおおおおおおおおおお!!
世はまさに不完全燃焼!!!
ついでに言うと、オレが物販コーナーに立ち寄った時に、メンバーの誰も居なかったと言うおまけもついてたりもしたと言う。

(まぁ、これは、たまたまオレが言った時にまだ来てなかっただけかも知んないけど。


帰路に立ちながら、少しだけ、無念だった。

興行自体は、最高だったと思う。

セットリストも、各時代から(なぜか、サマーオブラブが多めだったけど)万遍無く、しかも、結構レア曲もやってくれて凄い満足してる。

なにより、新曲「春来たる鬼」がとてつもなく素晴らしい曲だった。

そもそも、それを目的で来た訳だし。

でも、心の奥底では、どっか「MCや犬神天国はなくても、最後の『白痴』はあるよね」とか思ってる部分があったんだと思う。

ファンになって何年か経った時、「最後のアイドル」と言うシングルにおまけで興行DVDがついて来てた。

そのDVDを見た時から、いつも妄想でも、現実でも、興行の最後は、『白痴』だった。

初めて興行に行って、その流れをホントに目の当たりにした時の感動は、今でも鮮明に覚えている。

前回の興行に行った時に、「この流れも今回で最後なんだな」と心にきめて、楽しんできた。

でも、やっぱり、それを期待してしまってたんだろう。

「犬神サーカス団」じゃなくて、「犬神サアカス團」なのに。

それは、「特撮」のライブの最後に「釈迦」を期待するようなもんなんだろうか?
多分そうなんだろうて。

まだ、オレが「犬神サアカス團」になった事についていけてないだけなんだと思う。

うぬぬぬぬうう・・・・

でも、それはそれ。

オレは間違いなく新曲「春来たる鬼」の素晴らしさも含めて、バンドとしての底知れなさを再確認した訳で、これからも、ズッと応援し続けていく。

それだけは、間違いないです。

だからいいんだ。

いつか、バンドの方向性に、オレの頭がついてくその日までの話だ。

・・・何か知らんけど、途中から未練たらたらの変なテンションになっちゃったな・・・

まぁ、良いか。

取りあえず、がっつり楽しんで、無事帰ってまいりましたよ。

今後の活動と、今度こそ・・・今度こそ・・・四国での興行を期待して、今日のところは終わりにしておこう。

・・・すげぇ~長くなってしまったけど。

(広島なのでな)じゃあの。

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2013年4月29日 23:33 CAT :

ハローグッバイ

昨年12月からじわじわ行ってみたダイエット作戦。

今日測った所、ついに、結婚後一番痩せていた結婚式当時の体重を下回った。

実に、マックス時から8kgも減った計算になるらしい。

4カ月かけて8kgだから、多分、無茶な減量じゃないだろう。

リバウンドなどお断りなのだ。

ちなみに、方法は・・・何なんだろう・・・レコーディングダイエットに入るのか?スマホに、アプリ入れて、毎日大体同じ時間に測った体重を打ち込んでいくだけ。

とは言え、多少は、その事を意識しているから、腹8分目位に調節、お腹いっぱい食べた時は、夜を減らす。

みたいな、カロリーコントロールを1週間単位の長い目でやってたか。

まぁ、最大の要因は、子育てだろうな。

子ども抱いて、あやしてる内に、少しずつ筋肉がついてきて、代謝が上がってるのは間違いなく実感できている。

筋トレとかしても、長続きしないで、大した効果がなかったんだけど、やっぱり、目の前で泣いてる子どもを放置することなど出来る訳なく、結局、それが筋トレ以上に効果を発揮しているのだろう。

ちなみに、そんなオレをは正反対に子どもは丸々と成長しておりますよ。

良い意味で。

さてさて。

新曲「僕と君とあなたと私の死合わせ」の歌詞がほぼ完成した。

・・・らしい。

人それぞれに生きてきた人生が果たして「死合わせ」だったのか「幸せ」だったのか、それを聴いた人に考えてもらうと言うテーマの元に、オレの考えた他愛もない人生の短編をいくつか寄せ集めた1曲。

(「死合わせ」の方は、死にめぐり合いたい位の不幸せってイメージで考えてた。


そもそも、この曲のイメージソースが浮かんできたのは、子どもの寝顔を眺めている時だった訳で、つまりは「果たしてこの子は幸せなのか?」そんな事を考えていたと言う訳だ。

子どもは親を選べない。

と、良く言われる陳腐な表現があったりするけれども、だとしたら、偶然の重なりあいでオレと嫁の元に来てくれたこの子は、はたして幸せ何だろうか・・・

思い悩む。

そして、行きつくのは「では何が幸せで、何が死合わせ」なのか。

この世に生まれ出る事は、喜ばしい事なのだろうか?
今の日本じゃあ、死んでいく人の方が多く、生まれてくる子どもが少ない・・・らしい。

そんな事情も含めて、家族みんなが、子どもの誕生を心から喜んでくれている。

(と思う。


だが、それ自体は、当人には関係ない訳で、それ以前に、この一族の一員として生まれる事など、自分で選んできた訳じゃあない。

ついでに言えば、この子がこれから生きていく何十年と言う時間。

世界が平和であったり、平穏であったりする保障すらどこにもない。

それでも、心の底から待ち望み、ついでにこの子を守り切ろうとかそんな変な責任感まで感じて、この子を腕に抱いた。

オレと嫁の(もしかしたら)エゴで、この世に誕生した一つの命。

オレに出来る事全てを最大限にやる事だけだとは思う。

時間が経った後、この子が自分の人生を省みて、「大変な事ばっかりだったけど、それでも、生まれてきてよかった」と、少しだけでも思ってくれれば、それでもう良いじゃあないか。

頼るものものなく、それでも、オレとか嫁を信頼しきってピッタリくっ付いてくるこの生き物を抱きしめながら。

そして、そんな気持ちを、この子が大きくなるまで聴かせる事が出来ないような不謹慎な歌に仕上げて見ようと思っている訳です。

ここ最近、作っていく何かは全て、今ではない、少し遠い将来、この子が読んだり聞いたりして「こんな事を考えてたんだ。

」と、少し心に日か買ってくれればとか、そんな事ばかり考えております。

ここで、作風がぶれるかどうかだよなぁ~

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2013年4月21日 23:10 CAT :

仮に埋葬虫の飼育が認められたなら 次に我々がするべき事は太陽の捕獲ではないでしょうか?

「坂出塩祭り」に行ってきた。

う~む・・・なんか、凄い人出。

そんなおもろいものなのか?これは?
とか思いつつ、何気に出店してるお店とかが、全部クオリティー高いものばっかり出してたから、凄い満足した。

お腹いっぱい美味い物を食べられたよ。

うっしっし・・・

しかし、臨時駐車場から、会場までが遠い。

遠い。

その上、道が砂利ばっかりだから、子どもをベビーカーに乗せて向かいうのは、かなり大変だった。

今度行く時は、もう少し子どもが大きくなった時だな。

まぁ、こんな感じで香川が活性化してくれるのなら、地元を愛するものとして、大歓迎だったりするけれども。

さてさて。

昨年の誕生日から、1年で完結させるんだぜ。

と言う心持で、書き始めた「US」と言う物語。

出産近辺で少々もたついた感もあったんだけど、たぶん、このペースなら、30歳までに終わらせることができそうになってきた。

と言うか、今から10年以上前に、ワクワクしながら妄想してたいくつかの断片的なシーンを、10年かけて描いてきた付随する状況を付け足しつつも、描き進めていくこの行為。

実に、ワクワクする。

ドキドキする。

そして、少し寂しかったりする。

途中、何度も投げ出しかけ、その度、数年単位で休止してたりもした訳で、まさか、本当に当初構想していたほぼ全てを形に出来るとは思ってもみなかった。

って奴だ。

うむうむ。

何か、実際に、いろんな方に読んでもらいたいので、ネタばれ的な事は描きたくないのだけれども、「何気にここまで考えた上で、ここの部分に話は書いてたんだよ。

」とか、「なんか凄いうまくはまってるように見えるけど、たまたま繋がったから、付け足したただの後付けなんだよ。

」とか、「正直、オレもこんな事になるなんて考えても見なかったけど、勝手に動きだして、結果こうなっちゃったんだよ。

」とか、色々言いたい。

描きたい。

読ませたい。

とはいえ、10年に集大成が完結するのはあと少しだけ先になる。

当初春に・・・と予定してた分は、出産前後の遅れのために、6月くらいに延びそうだけれども(って言うか、今が春だし)、それでいても、何とか終わらせる算段は付いた気がする。

思うに、設定とかを妄想することや、始めること、続けることは簡単だけれども、終わらせることはホント難しい。

それは、他の物語を描いてた時にも感じてたことだけど、今回は、10年以上に渡っちゃったからな。

期間が長くなればなるほど、終わらせる。

と言う行為が実に大変。

ホントに、最後の方四苦八苦した。

でも、あと4話とエピローグで、おそらくまとまりきると思う。

そんな所まで描いてしまったんだよ。

いやまぢで。

このお話が描き終わったら、しばらく休憩して、いよいよ、4年ぶりのオリジナルアルバム「王道軽傷」の制作に入っちゃうぞぉ~。

楽しい事が多い人生。

最近、それを色んな人に感謝できるようになってきた。

一番は、家族だよ。

もちのろんで。

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2013年4月20日 22:34 CAT :

メキドの矢

「恐山」熱も少しずつ冷めてきたのに、「ストロベリーソングオーケストラ」って言う凄いバンドを見つけてしまったので、しばらくは「血の濫觴」熱が出続ける事でしょうね。

いやはや。

凄くいい感じ。

もう少ししたら、凄い長々と感想でも書こうかと思っていたりする。

さてさて。

数年ぶりに「美容院」なる所へ行きましたよ。

大学時代くらいには、普通に美容院と呼ばれるところへ出向いて行き、ついでにカラーだのブリーチだとと言う単語にまみれながら、金髪に近い位、色を抜いてたこともあるのですが、ホントにここ最近はいってなかった。

そもそも、そんなに髪型とかに興味はないわけで、それこそ、女に注目されたいがために(と言うと、実に語弊があるけど)髪型に気を使ってるふりをしていただけだったのかも知れない。

そんなわけで、彼女が出来て以降は、彼女の好きな髪型(ただし、自分がある程度許容できる範囲で)ならよし。

しかも、彼女が見よう見真似で髪を切ることもできると来れば、もう、「お前の好きにしてくれ」状態になるのも、ある種自然な流れだったりする。

それなら、金もかからんしな。

その彼女と結婚したもんだから、結果、今日まで、付き合い始めから考えて何年だ?8年?9年?位、1度も美容院になど行ってなかった。

でも、もう子どもも生まれて、嫁もいろいろ忙しそうにしてる。

と言うことと、今年30を迎える訳で、そろそろ身だしなみも多少気を使うべきではないのか。

と危惧した事で、美容院に行く事にしたと言う訳でございます。

だた、そう言う場所が超絶苦手。

髪を切りながら、世間話をするなど愚の骨頂。

ヘアーサロンとか粋がって、自分たちがおしゃれだと勘違いして、上から目線で話しかけてくる生ごみのようなところも結構ある。

ようなイメージを持ってる。

しかも、そんなところに限って大して技術はない場合が多かったり。

と言う事で、あまりにもダサすぎる訳じゃあなく、程よくおしゃれで、それでいて、その事を鼻にかけてないお店。

ついでに言うと、技術もある程度しっかりしてて、客との距離感をある程度保ってくれる。

そんなお店が理想だったりする。

まぁ、いきなりそんなお店に巡り合えるわけもなく、いろんなお店を転々としながら、そう言うお店でも探そうかと思ってた。

んで、今日、嫁が「ここ何か良い感じじゃない?」と見つけてきたお店に行ってきたわけです。

結論から言うと、100%ではないけれども、かなり理想に近いお店だった。

わざわざ別の所を探す必要なんてなさそうなお店だと思ったので、もう、ここで良いと思う。

今度から、ここでお願いしようと。

思う。

まぁ、そんなお話です。

しかし、今日は寒い。

久々に、暖房を入れたりなんかしているらしい。

エスニックなお話ですね。

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2013年4月18日 22:39 CAT :

あの空き部屋が世界の涯てだ

会社では、アドビのcs4シリーズを使っております。

家では、アドビのcs6シリーズを使っております。

そもそも、家でいる方が静かだし、好きな音楽を聴きつつ、誰にも邪魔されずに作業できるので、圧倒的に作業効率が高まります。

っていう、事実があったとしても、在宅は認められず、フレックスタイムの導入もなく、そして、ただただ効率化と売り上げ目標だけをぶら下げられている。

そんな素敵な会社に、オレは、今、勤めております。

さてさて。

チョッとした諸用で、高松くんだり(まぁ、高松に向かう場合、のぼりなんだけれども、住んでいる処こそ都だと信じて疑わないので)まで行って来てやった。

その道中、不意に横切る場所が・・・

そう。

数年前、オレは、この街に住んでいた。

この街を、小さな軽自動車で縦横無尽にうろつき、そして、お店を見つけては飛び込んで営業をぶちかましてた。

その時の営業のストレスかどうかは知らんけど、後に、左半身が原因不明の不随となり、しばらくの間リハビリを兼ねた入院生活を送っていたりもした。

そんな場所。

ホント半年もいなかったはずなんだけれども、なぜか、たくさんの思い出があったりする。

当時の彼女(今の嫁)と2人、図書館までぶらぶら歩いた道。

買い物に行ってたスーパー。

先輩との同行営業中にアイスをおごってもらたショッピングモール。

そして、営業中にサボって昼寝するために見つけた桟橋の下。

四つ葉のクローバーを見つけた公園。

確かに、数年前、オレはこの場所にいて、そして、何かを紡ぎだしながら、色々と足掻いてた。

丁度、マンガ「クワニータ」を描き上げ、これでデビューできなければ、オレの漫画家への夢は終わりだ。

とか、息巻いていたあの頃。

今では、全てが懐かしい。

あの当時の全てが、無駄ではなかったと、今なら思う事が出来る。

当時、とてつもない閉塞感と、急激に襲ってくるプレッシャーと、んで、何か知らんけど圧し掛かる責任に死にかけながら、それでも死に切れないまま生きていた。

例えば、結婚して独立。

例えば、嫁も子どもも出来。

例えば、仕事で丸投げされて任されたり。

と、あの頃よりも重い責任とかプレッシャーに襲われながらも、何とかかんとか、やりくり出来ているのは、ひとえに、あの頃があったからだと思う。

その後、半身不随から復帰し、それでも、何だかまともな仕事がないまま、この街を離れ、半ニート生活を送る事になるのだけれども、その間の思い出は、むしろ、あんまり思い出したくない負の記憶になっている。

お金もなく、仕事もなく、何の進展もなく、何の責任もない。

そして、その楽な環境に慣れてしまいそうな自分に、ただイライラするだけの日々。

もちろん、この期間だって、無駄じゃあなかった。

でも、その前、あの街でジタバタしていた時、それはそれで楽しかったんだと、今は思えている。

当時は、苦しかったけれども・・・

その楽しみは、今、日々に噛みしめている楽しみと実は、とても似ている。

あの日。

社会人になろうとして、ジタバタしていたあの日の感情は、そのまま連綿と今の生活につながっているんだろう。

短い時間なのに、あの頃の思い出が沢山あるのは、それだけ、あの当時が新鮮で、キラキラしていたからに他ならない。

住んでいた部屋は、2階建ての1階で、小さな庭の付いた、少しだけ広くて、ずいぶん小さいワンルームだった。

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