「気分」カテゴリーアーカイブ

2023年3月16日 20:30 CAT :

所詮はいたずら 神様の人生ゲームなんだもの簡単にゴールしちゃってもおもしろくない

マンデラ効果と言うものをご存じだろうか。

自分が絶対間違いないと思っている記憶が現実と剥離している現象の事を指す言葉で、何で「マンデラ効果」と言うのかと言う話は、めんどくさいから割愛するけど、まぁ、そんな話がある。

これを見てもらいたい。

どう考えても、ピカチュウのしっぽは黒かったよ。と言う奴は、マンデラ効果を実体験できると思う。

他にも、オーストラリアの位置とか、ミッキーマウスがサスペンダーしてたとか、現実と違う記憶を持ってる場合にはこのマンデラ効果に当てはまる。・・・らしい。

つい最近もあった。

「北欧暮らしの雑貨店」と言うオレが前から気になっているネットショップがあるんだけど、先日、そのお店の話を嫁がしてた。

で、「あぁ、あのお店はオレも良くチェックしてるわ。北欧暮らしの雑貨店でしょ」と言うと、嫁が「道具店ね」と。

????????????????

何を言ってんだよ。

と思ってネットで調べたら「北欧暮らしの道具店」だった。

いやいやいやいや・・・そんな訳ねぇだろ。じゃあ、オレがこれまで見てたのは、別の店だったのか?と思って調べたけど、「北欧暮らしの雑貨店」なんてお店は存在しなかった。

ただの読み間違いとか記憶違いじゃあない。

だってオレは「北欧暮らしの雑貨店」って名前で検索してたし、その名前で、他の人とも話してた。

マンデラ効果ですよ。これは間違いなく。

まぁ、この話はこれで終わりなんだけど、問題はそんな単純ではない。

むしろ、ここから問題提起したいんだけど、ではなぜこのマンデラ効果が起こるのか。

これを単なる記憶違いと思いこみのせいにするのはあまりにも浅はかな行為だと思ってる。

記憶違いじゃないとした場合はどうだろうか。

つまりは、間違ってるの現実の方。いや、正確に言うなら、現実が記憶と違う世界だと。

多次元宇宙論は、今や常識となりつつある。この話もし始めるとそれはそれは長い話になるんだけれども、めっちゃ簡単に言えば、今自分が存在している空間のすぐ横に、チョッとだけ違うパラレルワールドが存在している。しかも、そのパラレルワールドはちょっとずつ違う現実の中で無数に存在している。と言う話。

チョッとだけ違うんだよ。

例えば、「北欧暮らしの雑貨店」の名前が「北欧暮らしの道具店」になる位。

オレは昔サラリーマンしてた頃から、ベンチマークして調べてた「北欧暮らしの雑貨店」の名前を記憶違いし、あまつさえ当時いた同じ職場の人全員が名前を間違って読んでいたなんてことはありえないと思ってる。

まだ、めっちゃ近くにあったパラレルワールドに移動してしまったと言う話の方が可能性あるんじゃないか。

しかも、ちょっと怖い話だけど、多分これってかなり頻繁に起こってる減少なんだと思うんだ。

ただ、ホントにちょっとした違いしかないから、ほとんどの人が気が付いてないだけで、たまたま気が付いた人が「マンデラ効果」とその現象に名前を付けて、納得しようとしたとかね。

不思議な現象が起こった時、その現象に名前を付けるとなぜか人間は安心するらしい。その現象の原因が分からないのに、名前があるだけで「じゃあしょうがないか」となる。

この世界にはいくつかのバグが存在していて、そのバグ事態を是正する事が困難なため、名前を付けることで安心すると言う性能を人間に付与することで、バグが起こった場合の回避策にしているんだ。きっとそうだ。知らんけど。

とか、まぁ、そんなことを悶々と妄想しつつ、「北欧暮らしの雑貨店」だよなぁ~と今日も悶々しております。

もしかしたら、明日には「北欧暮らしの日用品店」なっている世界にまた移動しているかもしれない。

この話、じゃあ移動する前にこの世界にいたオレはどうなるんだとか、移動する前の世界にいたオレはどうなるんだとか、まだまだ話を膨らませることはできるんだけど、今日のところはこの辺で。

事実は小説より奇なり。

マンガに描くネタより、現実で起こってる事の方がよっぽどマンガっぽいと言う事を知る人はどのくらいいるんだろうね。

宇宙は広い。

世界は広い。

次元は広い。

見識も広くしたいものですよ。

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2023年3月15日 20:00 CAT :

空襲の警報がデートの合図

ふと思い立って、ブログのヘッダー部分の過去アーカイブを月別から年別にしてみた。

いやね、月別にすると長くなりすぎてこれはどうなんだろうと思ってたんだよ。

で、年別にしてみたらなんとこのブログ書き始めてもうじき20年が経とうとしていた。まぁ、このブログの前のもう消えてしまった部分を入れればもう20年超えてはいるんだけど・・・

そして、2007年の投稿記事数何と397件・・・!?

1日1件以上のペースで記事を更新していたらしい。

こいつを超えることは出来ないだろうけど、今年は毎日更新するので、年間300件は確実に書くんだろうな。と、自分を戒めておこう。

まぁあくまでPCの話なので、スマホから読んでる奴がいたとて、何の話かは分からんだろうがね。

さてさて。

先日、ふと頭の中に変な言葉が浮かんできた。

「birthday kill-Re」

という言葉。

なんだ?この言葉?と思ってたら、今日、お仕事に疲れてお散歩してたら突然、めっちゃ面白そうな物語が降ってきたんだよ。

で、その物語のタイトルにぴったりの言葉が「birthday kill-Re」だった。

ええ。ええ。言いたい事は分かってる。

なぁ~にをいい年したおっさんが、中二病みたいなことをのたまってるんだ。心の底から至極見苦しい存在だ。と、言いたいんだと分かってる。

こういう事が昔は往々にあった。それこそ中二病の頃には。

でもこの年になって、こういう事があると何だか嬉しくなってくるんだよ。どろりと溶けた脳みそがチョッとだけ若返ったようなそんな心持ちだと思う。

基本的に曲を書くときは詞先。所謂、先に歌詞を書いてからそれにメロディーラインを乗っけるやり方をやってる。

でも、その詞の元になる物語を描くときは、タイトル先だったりする。と言うか、マンガを描くときも、小説を書くときも、曲を描くときも、演劇の台本を書くときも全部タイトル先。

一番最初にタイトルがあって、次に物語がある。で、最後にキャラクターが来て、プロットをまとめて作ってみると、オチにはなるほどちゃんと最初にあったタイトルの意味がちゃんと回収されている。そんな感じ。

「us」って物語を描くとき、物語に「second stage」と言う副題を付けた意味は、当時のオレも良く分かってなかった。多分、「忍空」って漫画を読んでたから何となく付けただけだったと思う。

所が物語を進めていくと、物語自体がループものだった。しかも、丁度漫画として描いていたのは、そのループの2週目だった。

だから、最終話を「us-third stage-」にすることで、タイトルの意味がちゃんと回収できた。

これから漫画に描くかもしれないけれども、過去に作った曲の中でかなりお気に入りの曲として「パラフィリアグロッサリー」と言う曲がある。

これも先に「パラフィリアグロッサリー」と言う言葉が浮かんできた。

で、何となく「パラフィリアグロッサリーその1」と言うタイトルの曲が出来上がった。愛する彼女を死姦してしまった男の懺悔の唄。

そのすぐ後に「パラフィリアグロッサリーその2」と言うタイトルの曲が出来上がった。「その2」は、男がなぜ愛する彼女を死姦してしまったかの過程を描く唄。

男は、実は「回転性性癖偏旁障害」という夜寝る度に自分の性癖がリセットされてしまう良く分からない病気に犯されていた。その病気を治すために協力してくれた彼女が死んでしまうタイミングで男の性癖が「ネクロフィリア」になってしまい、彼女の死体に蠱惑を覚えた男が死姦してしまうと言う物語。

歌詞を書き終わった後、ふと思い立って「グロッサリー」と言う英単語の意味を調べてみたら、「日用品」と言う意味と「加工する」と言う意味があった。「パラフィリア」は「性癖」と言う意味。

これ、夜寝る度に性癖がリセットされてしまう病気の通称が「パラフィリアグロッサリー」で行けんじゃね?となった結果、曲の全てが完成した後、ちゃんとタイトルが回収できたわけでございます。

ちなみに、その歌詞が(↓)こちら

「パラフィリアグロッサリーその1」

「パラフィリアグロッサリーその2」

同じような感じで、実は「果て 1」と言うタイトルの曲があったりするんだけど、これはなぜかまだ「果て 2」と言うタイトルの曲が存在しない。

でもなぜか、この曲を書いているときタイトルは「果て 1」だった。

いつか「果て 2」と言うタイトルの曲が出来上がって、この「果て」の意味を回収できると信じている。

物語を描くと言う事は、頭の中で考える事じゃなくて、必然を外に出している作業でしかないと言う事が良く分かるお話。

ちなみに、その散歩の後、30分くらいで「birthday kill-Re」は無事ネームに切ることが出来た。

近いうちに、原稿も描いていく。

「出来過ぎた準備」よりも先に、こっちの方が完成しそうな気がしてる。

どうでも良いけど、もちろん「出来過ぎた準備」もタイトルが先に出来上がってる。けど、この話はまだ結末が見えてないので、どうタイトルが回収されるのか、オレも良く分かってない。

・・・長くなってしまった。

こういう話をし始めると止まらねえダメ人間でございます。

さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。

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2023年3月14日 20:00 CAT :

退屈でギターを手にしたあの日から変わってしまったBaby Blue

昨日は1日に4件も打ち合わせがあって、さすがに脳みそが腐って耳から垂れてくるかと思った。

ただ、いくつか大きいお仕事の話をいただきまして・・・本当にありがたい限りでございます。本当に感謝してもしきれない。こんなオレなんかに居場所を与えてくれた、全ての環境に感謝しかない。ありがとうございます。

そんな毎日を過ごしております。

会社もそろそろ3期目に入る。起業から5年以内に90%の会社が倒産すると言われる令和日本で果たして、オレの会社は5年を超えて存在するのか!答えは神と言うか、龍のみぞ知る。

さてさて。

先日、不意に見つけて衝動買いしてしまったCDがある。

かつて日本に存在していた「ヒステリックブルー」と言うバンドのファーストアルバム「baby blue」でございます。

高校時代、組んでいたバンドでボーカルやってた「くろすけ」と言う女がこのバンド好きで、何曲かこのバンドの曲をコピーしたんだよ。

そのライブ付近でこれと次のアルバムは本当にアホみたいに聞き込んだと言う、ちょっぴり甘酸っぱい青春の思い出があったりする。

実に20年ぶりくらいに聴いてみた。

聴いていると、実にあの当時を思い出して、何ともアンニュイな気持ちに浸るじゃあないか。

それはそれは良い体験なので、何も言う事はない。

ただ、このCDは現在廃盤になっている。流通していたものも全て回収され、永久に売られることはない。(中古市場にはたまに流れてるけど・・・)

このバンドのギタリスト、ナオキはこのバンド活動中にレイプ事件を起こした。と言うか、つい最近にもレイプ事件を起こした生粋の本当にどうしようもないクソ性犯罪者。

その為に、バンドはもちろん解散。ついでに、ヒステリックブルーのアルバムも全て廃盤、回収となってしまったんだよ。

オレの思い出のアルバムは、メンバーのレイパー野郎によって、廃盤回収、そして日本のJpopの中で黒歴史扱いになってしまった。

作者が犯罪を犯したとしても、作品に罪はない。とかそんな話は、よく議論される。

大好きな電気グルーヴなんて、瀧がヤク中だったことを知った時「そりゃあそうだろ。『富士山』の歌詞とか正常な脳みそで書けるわけないじゃん」としか思わなかった。むしろ「卓球はやってなかったのか!?なんだか失望した!」くらいな感じですよ。

※この辺りの詳しい話はこちらでも話してた。「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」

流石にレイパーナオキを擁護する気にはなれないけれども、だからと言って、この名作アルバムとそこに収録された名曲たち、引いてはオレのアンニュイな思い出を全て闇に葬る事にはどうしても賛同できかねる。

このアルバムでオレが一番好きだった「candy」って曲は何を隠そうレイパーナオキの作曲なのだよ。

そもそもクリエイターなんて、頭のネジがぶっ飛んでるに決まってる。

生み出された作品はあくまでも作品であって、作者ではない。

ピカソは、「ゲルニカ」を描き上げているとき、目の前で愛人二人を自分と付き合う権利をかけて殴り合わせて、それをゲラゲラ笑ってた。

そんなピカソが描いた「ゲルニカ」には価値がないのか。

レイパーナオキは糾弾されて然るべきだけど、レイパーナオキが作り上げた名曲「Candy」は評価されて然るべきだと思ってる。

他にも、「直感パラダイス」や「春」「なぜ・・・」などヒスブルは良い曲多いんだよ。

作品と作者を結び付けてはいけないと思う。

親が犯罪者なら、その子どもは問答無用で闇に葬る。

そんな社会で良いと言うのか?と言うお話です。

こっちがセカンドアルバムの「ワラビー」。

また見かけたらお買い上げします。

唯物論者でございます。

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2023年3月13日 18:40 CAT :

途切れた夢の続きを洗い流す無情の雨

この世界はもうダメになってしまった。

2択を迫られるとして、一つは「世界と共に滅び去って死ぬ」もう一つは「過去の一点に戻って、残りの人生を全うする」しかなかった。

オレの場合、自分の寿命分を生きることが出来る換算で言うと、1998年に戻るくらいが丁度いいらしい。

1998年と言えば、まだゲームセンターでコイン落としのゲームをしても1日遊べるくらい、日本の経済自体も安定していた。

あそこに戻って、人生をやり直す。

ただ、戻れるのはオレ一人な訳で、家族はそれぞれに別の時間軸に戻っていく。

当然子どもたちは、オレより長生き出来るのでオレより更に過去に戻っていくことになる。

その結果、オレが死ぬタイミングとほぼ同じタイミングで、死に際の年老いた家族全員がもう一度、この約束の場所で再開して、みんなで一緒に死ぬ。

それは果たして幸せな事なんだろうか。

悩んで、悩んで、悩みぬいた末に、オレは世界と共に滅び去って死ぬことを選んだ。

そして、死んでいこう。

終末の景色はなぜかとても美しく見えた。

・・・

・・・

・・・

・・・

・・・

と言う夢を見ました。

マンガのネタに出来るかなと思ったけど、何か色々矛盾があって、到底マンガに描けそうもない。。

所詮夢でしかないなと思った。

でもせっかくなので、ここに書いておこう。

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2023年3月12日 20:24 CAT :

僕はゴッホじゃ嫌なんだ

子どもの頃からずっとコミュニティー内で存在を否定されて生きてきた。

結局、大人になっても社会に自分の居場所なんてなかったから、今は、自分の居場所を作るために会社を作って、そこでなんとか生き永らえている。

まさにのび太君状態。

昔からずっと思ってた事がある。

人が嫌がるような事を敢えて進んで引き受けて、それをちゃんとこなしてた。

その部分をなぜか先生方からは評価されて、職員室での評価は高かったりした。それがクラス内ではより嫌われる要因になってたりもしたんだけども・・・

例えばみんなが嫌がる「トイレ掃除」とか比較的進んでやってきた。

何でこんな事をやってたのかと言うと、奉仕活動が好きな訳じゃなくて、かと言って、人の嫌がることを進んでやることで好かれようと思ってたわけでもない。

そのコミュニティー内で、オレにしか出来ない事を一つでも増やしたかった。

オレはいずれ自殺する。

オレが死んだあと、全員がオレのやってたことが出来なくなって困ってしまえばいい。そして、その段階になって「しもたって、思ってた以上に重要な存在だったんだな」と悔いればいい。

そう思ってたんだよ。

つまり、自分の死んだあと、アホ面で阿鼻叫喚するクラスメイト達を妄想してニヤニヤすると言う、悪魔くんもビックリの復讐方法。

ただ、現実では自殺した訳でもなく、ただ皆が嫌がることを進んで引き受ける便利な奴でしかなかった。

それでもオレにとっては、自分を受け入れてくれなかったコミュニティーに対しての復讐だったんだ。

この頃の経験が生きているのか、誰にも出来ない(もしくは誰もやらない)自分しかできない事を見つけ、それを出来るようになるのが何だか得意になっていて、そのお陰でこんなオレでも色んな人からお仕事をもらえる非常にありがたい事になってる。

今のところは、会社も順調に成長している。

昔、憎悪をもって遂行していた復讐が、今のオレの人生を支えている訳だから、人生って本当に良く分からない。そして、ファンタスティック。

今では、あの頃の復讐なんてものは忘れてしまって、丸くなってしまった。

と、言えれば、一番良かったんだろうけど、今は今で、当時オレの事をコケにした奴らのSNSとか見て、苦労してる様を見ながら「あんな偉そうにしてた癖に、オレよりしょぼい生活送ってやがるな。ざまぁみやがれ!」とか思ってるから、根本的な性格の悪さは変わってない。

このブログでも何度も声高に言ってきたけど、子どもの頃のオレは本当にどうしようもない人間だった。

今のオレでも、当時のオレが横にいたら間違いなく疎遠にしてたと思う。

社会から弾かれて当然の人間だった。

「いじめにはいじめられる側にも問題がある」って言葉あんまり好きじゃないけど、でも当時のオレは「そうされてもしょうがない」人間だった。

でも、それはそれとして、だからと言って、いじめていいと言う理由にはならない。

矛盾しているかもしれないけど、そう言う事なんだよ。

そして今も昔も、復讐されている当人にとっては痛くも痒くもない方法で復讐は続いている。これからも多分続けていくだろう。

最近では、これは意外と関係者全員がハッピーになると言う稀有な復讐方法なのではとさえ思ってる。

全世界の人間の憤怒がこの形で解消されれば、世界から戦争がなくなるかもしれない。

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2023年3月11日 11:04 CAT :

先を思うと不安になるから今日のところは寝るしかない

取り合えず、昨年1年間で書いた記事数を超えることが出来た。

まず第一段階・・・と言っていいのかどうかは分からないけど、まぁひとまず続いているので良しとしよう。

さてさて。

あれは番組だったのかCMだったのかも定かではない位昔の記憶なんだけど、子ども頃、テレビで見かけた何かで使われていたフレーズがなぜか今も頭の中にあったりする。

真っ暗な画面に火のついた蝋燭が1本だけ映って、「暗い暗いと不平を言う前に進んで明かりをつけましょう」と言うナレーションが入る奴。

嫁が先週、体調を崩して寝込んでた。

で、その間、拙いなりに子どもの世話とか、家事とかを出来る限りやってた。

ここ最近、お仕事が忙しくなってホント家事とかめっきりやらなくなってたんだけ、まぁ、そうも言ってられないので。

ちゃんとできたとは到底思えないけど、まぁ、何とかなった感じはある。

下手したら、下の子が生まれるとかその辺りの頃以来じゃないだろうか。何とも、情けない話でございます。

ただ、久々に自分で家事をやってみたら、意外とそれが嫌じゃなかった。

仕事積んでる時に、食器洗ったり、洗濯物を干してる場合じゃねえよ!とか思ったりしなかったと言う感じ。

むしろ逆に、嫁に対して思ってた不満が解消された感すらある。

嫁とオレとでは、価値観が恐ろしくずれてる。

これに関しては、結婚する相手は価値観が合わない人の方が良いと言う持論を持ってたりして、この価値観のズレがあるから長く仲良くしていけるんだとさえ思ってる。

要はお互いに、自分が重要だと思ってる事が相手にとってはどうでもいい事だから、お互いの重要な部分を譲り合って生活することが出来るって事。

ただ、一点、自分が重要だと思ってる部分を相手に委ねる必要がある時に、どうしてもそこに対して不満が出てきてしまうと言う懸念点があった事に今回気が付いた。

嫁のやってる家事に対してオレが不満に思ってたのは、まさに上記の嫁にとってはどうでも良いけど、オレにとっては重要なポイントだったらしい。

逆に、嫁が気を配って丁寧にやってる部分は、オレにとってどうでも良い所だったので、一生懸命家事をやってた嫁に対して「ちゃんとしろよ。」とは思っても、なかなか「いつも丁寧に家事をしてくれて助かるよ」とはならなかった。

オレが家事をすれば、多分嫁にとって重要な部分を丁寧にすることはできないと思うけど、オレにとって重要な部分の不満はなくなる。

嫁が元気になってからは、2人でやれば、お互いが重要に思う部分をちゃんとできるので、素晴らしく良い環境になるような気がするんだ。

何を当たり前の話をつらつら書いてるんだと言う話なんだけども、2人で協力して家庭ってものは作っていくんですよ。とか、そんな当たり前な事に、今更気が付いたと言う事ですよ。

なんとなく、これ結婚当初とかは思ってたような気もするんだけど、忙しいとかそんなことを理由にしていつの間にか、こういう気持ちを忘れてしまってたのかもしれない。

まさに「暗い暗いを不平を言う前に進んで明かりをつけましょう」だった訳だ。

皆がこんな気持ちで生きていけば、きっと人生はうまくいく。

とか何とか言って(↑)の奴が変な宗教の勧誘文句だったらどうしよう・・・

こんなイメージだった・・・と思う。

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2023年3月10日 20:58 CAT :

邪魔な奴らははね飛ばせ!特にババアやジジイは高得点!

アナログとデジタル。お絵描きをするためにどちらのツールを使うべきなのか。

そんなことを考えたこともあった。

と言うか、以前はアナログ至上主義とでも言いましょうか、好きな作品からデジタルの臭いがし始めると「あぁ~この漫画家も終わったな」とか通ぶって眺めてたりした。

どう足掻いたって、アナログで出せる微妙なニュアンスが出せる訳ねえだろとか思ってた。

で、今。

ここ数年、マンガは全てデジタルで描いております。

クリスタさんのお世話になっております。

実際に自分で描いてみると、確かにアナログで描いた時と比べて線は単調になると思う。

何と言うかアナログで描くと、予定調和を超えた線が描けてしまったりするので、絵を描くと言う作業だけで見るとアナログの方が確かに楽しいかも知れない。

ただ、ここでふと我に返った。

オレは絵を描きたいわけじゃなくて、物語を表現したかったんだ。と。

そもそも著しく画力の低いオレにとっては、一度書いた絵のバランスを直したり、パースを直したり、何だったら反転させて左向きばっかり書くこともできると言う事は、マンガを描くと言う1点から見ると物凄いプラスだと思う。

どのくらいかと言うと、時たま出る予定調和を超えた線が出なくなると言うマイナスを遥かに凌駕するくらい。

それはそれで重要なんだけど、それよりは、ある程度短時間でたくさん漫画を描けると言う事の方が大事。

だって、オレは絵を描くことに命を懸けてるわけじゃあないんだよ。頭の中にある物凄く膨大な世界を物語として、出来る限り出していきたいんだよ。

そして、それは確実に死ぬまでに全部は多分出し切ることが出来ない量だったりする。

そう思うようになってから、アナログとデジタルでどちらの方が上なのかみたいな事を考えることはなくなった。

それぞれに長所と短所があって、どちらを選ぶべきかはその作家さんの考え方と環境に依存して、然るべき。

ひとつだけ言えることは、最初からずっとデジタルだけで描いてしまうと、アナログで描くと言う事が出来ないだろうし、アナログでしか書いたことがないとデジタルに移行する事に対してのハードルが高くなると言う事。

デジタルでしか書いたことがない奴は、この先PCがない環境では漫画が描けないかもしれない。

アナログでしか書いたことがない奴は、この先トーンや紙が手に入らなくなったりしたら漫画が描けないかもしれない。

大事なことは何でもやってみる事なんだよ。

それぞれに楽しさはあって、どちらは上とか、どちらが下とかなんてそんなものは存在しない。多様性を認めてこそ、楽しめると言うもんですよ。

これは手書きで書いた奴だと思う・・・

めっちゃ久々にふと思い立って描いた、「US」のリズ=ストロベリー。

もう、当時の絵は当たり前の様に描けなくなってしまってた。

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2023年3月9日 20:22 CAT :

星座を巡って歩こう 海図は持たないで

女の敵は女と言う言葉があって、それを口にすると色んな所から怒られるらしい。

日本におけるフェミニストって、実はフェミニストではなく「立場至上主義」と言う方が正しいと思う。

ちなみに立場至上主義ってのは、下記のような人の事を言う。

1 自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する
2 自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する
3 都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事する
4 都合のよいことがない場合には、関係のない話をしてお茶を濁す
5 どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す
6 自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判する
7 その場で自分が立派な人だと思われることを言う
8 自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する
9 「誤解を恐れずに言えば」と言って、嘘をつく
10 スケープゴートを侮蔑することで、読者・聞き手を恫喝し、迎合的な態度を取らせる
11 相手の知識が自分より低いと見たら、なりふり構わず、自信満々で難しそうな概念を持ち出す
12 自分の議論を「公平」だと無根拠に断言する
13 自分の立場に沿って、都合のよい話を集める
14 羊頭狗肉
15 わけのわからない見せかけの自己批判によって、誠実さを演出する
16 わけのわからない理屈を使って相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する
17 ああでもない、こうでもない、と自分がいろいろ知っていることを並べて、賢いところを見せる
18 ああでもない、こうでもない、と引っ張っておいて、自分の言いたいところに突然落とす
19 全体のバランスを常に考えて発言せよ
20 「もし●●●であるとしたら、お詫びします」と言って、謝罪したフリで切り抜ける

凄く当てはまる自称フェミニストが最近うるせえよな。特にtwitter付近で。

ちなみにこの辺のお話については、(↑)の本に詳しいので読んでみても良いかも知れない。

「性的消費」って言葉が物凄く嫌い。

なぁ~んで、股間に張り付いたスカートを批判する癖に、薄い本を「尊い」って言いながら買ってるお姉さま方に対して批判しないんだろう。とかね。

消費してねえよ。

フェミニストって、性差をなくして、女性の社会的な立場を守るために活動するものだと思ってた。

なんで社会的に頑張ろうとしてる女性を批判してるんだろうか。あれだろうか。アイドル目指してる女の子は、脂ぎったおっさんが性的消費の為に無理やり洗脳でもして、彼女たちの本当の夢を無理やり捻じ曲げてるとでも思ってるんだろうか。

男と女と言う分け方をするのもどうかとは思うけど、男が男性アイドルが上半身裸で雑誌の表紙飾ってたとして「性的消費だ!」って言ってるの見たことない気がするんだけど。なんで、フェミニストと言う大義名分を振りかざして、女同士足の引っ張り合いをしてるのかよく分からない。

そう言うと「女は歴史的にどうのこうの・・・」とか言う奴いるけど、それは上に出てる「立場至上主義」ですね。あ~だこ~だ言うのは結構だけど、今後二度とフェミニストを名乗るなよ。って話になるだけなんだよ。

この辺の話しだすと、到底1000文字で収まらないので、今日はこの辺で。

ぽせいど~ん。

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2023年3月8日 22:10 CAT :

お絵描きばっかりしてるアラフォーおっさんの末路なんてこんなもの

創作活動をホントに幼いころから続けてきた。

これまでマンガはもちろんの事、小説書いてみたり、ゲーム作ってみたり、音楽やってみたり、演劇やってみたり、取り合えず節操なく色々やってきた。

今でもやってるのは、マンガと小説、あと、ぎり音楽もだろうか。

演劇は1人では出来ないから、やりたくても出来ない。でもいつか、劇団とか立ち上げられるいいなぁ~とかは思ってる。

ゲームは肌に合わなかった。

結局、何でマンガと小説だったのかと言うと、一人で完結できたからなんだよね。

友達がいないからって理由ももちろんある。

あるんだけど、自分の中にあるイメージにチョッとでも何かが混じることに凄く嫌悪感があるんだと思う。

とか何とか、偉そうにのたまったところで、結局そんな大層なイメージが自分の中にあるかと言えば、またそうでもないところが質が悪い所でもあるけれども。

日ごろから事あるごとに「●●が好き」って色んな所で言いまくってるクリエイターさんを基本的に信用してない。

「歌が好きなんだよ」と事あるごとに叫んでる歌い手さん。

「漫画を描くのが好きだから描いてるんだ」と事あるごとに呟く漫画家さん。

「文章で表現することが好きなんだ」と事あるごとに答えてる小説家さん。

全部信用してない。

なぜそれを人に発信する必要があるのか。それをやってる人なんだから、好きな事くらい周りは全員知ってるよ。

では、誰に向けて発信してるのか。

それはもちろん自分に言い聞かせてるに決まってる。

本当は心の中で「オレは本当に、音楽を続けて大丈夫なのか」「漫画を描くと言う方法はあってるのか」「文章を書くことに意味があるのか」と疑ってるから、自分を納得させるために、至る所で好き発言を連発してるんだと思ってる。

それしかできなくて、気が付いたらやっちゃってるようなひとは、「どうしてやられてるんですか」と聞かれたときに、「う~んなんでですかね・・・?」としばらく考えた後「好きなんでしょうね」ってなるんじゃないのかな。んで、このパターンの場合は、本当に好きなんだと思ってる。

じゃあ、オレは何でマンガとか小説を書いてるんだろう。とか考えてみたんだけど、分からない。

ただ、この頭の中にずっとこびり付いてて、表に出したくてしょうがないイメージとか発想を混じりっ気なしで、一人で表現する方法が他にあるなら誰か教えてほしい。

表現したくてしょうがない。

うずうずして止まらない。

そして、色んなものに手を出して数十年。この形に落ち着いただけなんだよ。

評価されたいとか、注目されたいとか、もちろんそうなれば嬉しいけれども、表現したい衝動の方がそれを遥かに凌駕するくらい強い。

誰にも見せずに黙々と30年くらい漫画を小説を書き続けてきたおっさんを舐めるんじゃないよ。

でもそれを、だれでも気軽に表に出せるようになったんだから、本当に良い時代がきたもんだとは思っております。

とか言いつつ、マンガもろくに描けてない日々はどうなんだろうね。

まずはブログを毎日書くと言う事も、実は意識変化の為にも良いのかもしれないなぁ~とポジティブに考えて生きていきます。

はい。

1年くらい前に描いたこのカット。

「ひとときの暗がり」と言う新しい小説用に書いたのに、一区切りまで1年もかかってしまった。

あと1話描けたら、アップしていく。

・・・多分・・・

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2023年3月7日 18:46 CAT :

ロマン飛行(令和の世界に飛び立てウエストランド)

テレビを見なくなった。

ホントに見なくなった。

多分、ある程度定期的に見てるのって、「水曜日のダウンタウン」と「あちこちオードリー」と「ゴッドタン」くらいなもんですよ。

なので、どんどん俗世間から離れていっている気がしてならない。

その代わりに何を見ているかと言うと、YOUTUBEやアマプラ、ネトフリでの映画鑑賞やアニメ垂れ流しになってた。

単純にコンプラが厳しくなったことと、昔で言うところのテリー伊藤みたいな人がいなくなったりした事で、テレビ番組自体がマンネリ化、詰まんない企画ばっかりになったからテレビを見なくなったんだと思ってた。

所が、昨年くらいから「TVer」と言うものを見つけたわけですよ。

知ってる人しかいないと思うけど、テレビ番組の見逃し配信をネットでやってくれてるとってもありがたいサービス。

これを見つけてから、これまでのテレビ番組に対する考え方が180度変わった。と言うか、まぢでYOUTUBE見る時間が激減した。

映画とかアニメはまだまだ普通に見るんだけど、それ以外の時間については、テレビ番組見てる方が多くなった。

正直な話、どう考えても素人がテレビの真似事しても、テレビには勝てないって事なんだと思う。

編集技術も機材も人材も全て段違いなんだから。

やっぱりね面白いんだよ。

結局YOUTUBE見てたのは、お仕事部屋にテレビがなくて、お仕事中にPCで見られるのがYOUTUBEだったからと言うのが大きかったんだろうて。

例えば、YOUTUBEだと広告が流れるとチョッとイラっとして、その動画見るのさえやめる事あるけど、テレビ番組の場合広告入っても「まぁ、無料配信だからな」って気持ちになる。

これは、ひとえにやっぱり動画のクオリティーの問題なんだろう。

YOUTUBEがダメだとは全く思わない。

逆にもうテレビではやらなくなってしまった心霊系の動画とかは大好きだし、テレビでは到底扱えないような(多分、「緊急検証」シリーズが最後の砦的な)雑学・オカルト系の動画はホントよく見てる。

あと単純に誰でも自分が面白いと思ったことを、世界中に向けて発信できると言うツールがもうこれは素晴らしい。

でもやっぱりね。テレビとか映画には勝てないんだよな。

だってそれがやりたくてプロの門を叩いた人たちの集団なんだから。

ただ、動画じゃなくてこれが漫画だと、また意味が違ってくる。

不思議な事に漫画に関して言えば、本当に様々な表現があって、商業誌が一番だとは到底思えない。

自分でも投稿してるからと言うのを除いても、新都社に投稿されてるマンガにも本当に目が覚めるような凄い作品があったりする。

このツールがない時代には、同人誌やガロ系雑誌を読み漁って「ふおおおお」ってなってたんだから、今は良い時代ですよ。

ただこれはあくまでも、漫画とか小説に関しての話。

なんで、動画だとそうならないのかなとか、チョッと思ってみたけど、多分、そうじゃないような気もしてる。

強烈な「マンガや小説(あと、音楽もか)は、商業ラインに載せられなかったけど、これがオレの良いと思った表現なんだよ!」と言う想いがあるものが面白いんだと思ってる。

YOUTUBEにそれがないとは思わないけど、大体のものが、テレビ番組の延長になってるのかもしれない。

「テレビでは放送されないけれども、強烈にやりたくてしょうがない世界観や表現したいものがあるんだよ!」って人の大多数は、多分YOUTUBEじゃなくて、同人映像作品作る方に行くんだろう。

とか、「水曜日のダウンタウン祭り」見ながら思いました。

「TVer」アワードおめでとうございます。

昨年最も見られたバラエティ番組だったそうで。

結局、オレが子どもの頃に見てた悪意に満ちたお笑い番組が、今の時代でも求められてると言う事だと思うんだけどなぁ。

そういう番組もっと増えてほしいです。

ホントテレビの番組ってクオリティは尋常じゃなく高いので。

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2023年3月6日 20:00 CAT :

暗く低く流れて 船が行くよパノラマ島へ

息子のADHD検診の時に「お父さんの方が大変そうですね」と言われて以来ずっと引っかかってた話ではある。

実は、昨年末、そっち系の病院に実際行ってみた。

その結果、当たり前と言えば当たり前だけど、ちゃんと典型的な重度のADHDと診察してもらって、お薬を処方してもらう事になった。

と言う事で、今年の初め辺りからお薬を飲みつつ日々を生活してる。

今の時代は凄く優しい。これが良い事なのか悪い事なのかは分からないけれども。

周りと同じことが出来なければ、怒られるのではなく病名を与えられて生暖かい目で見られる。

それはそれで良いんだけど、生暖かい目で見られることになれてしまうと言う事にはもう少し考えた方が良いような気がしないでもない。

前に会社の面接で来た奴が、自分が障害者手帳を持ってる事を話してた。重度のADHDなんです。と。これまでの人生もいろいろ苦労してきました。と。

その件については、チョッとこの記事で話してる

それに対して、オレは自分の過去を見るような何とも言えない気持ちになって、「一緒に頑張ろうか」と声をかけた。

ここまでは良かったんだけど、この人のこの後は相当問題がいっぱいだったんだよ。

ミスが多いとか、失礼な対応をしてしまうとか、物言いが変だとか、そう言う事に関して何も言うつもりはなかった。オレだって人の事を言える人間じゃあない。

この人の一番の問題は、「僕手帳持ってるんで」を水戸黄門の印籠のように事あるごとにひけらかして、開き直ってたことなんだよ。

結局、「そういう人とは関わりませんので」とお別れすることになった。

手帳持ってるから何なんだよ。

手帳持ってるのは免罪符にでもなるのか。

手帳持ってたら頑張らなくても良いのか?

頑張って頑張って、それでもどうしてもミスしてしまう。それはしょうがないと思うんだけど、最初から「手帳持ってるんで、ミスしますよ~」って開き直って当たり前のように同じミスを繰り返して、何の対策もしないのは違うと思うんだ。と言うか、当たり前のようにバレバレに手を抜いてて、咎められると「手帳持ってるんで」はないだろうよ。

これが、幼いころから生暖かい目で見られてきた事による弊害なのだとしたら、あまりにも罪深い気がしてならない。

だって、オレとこの人の症状もADHDの度合いも何だったら処方されてる薬だった同じなんだもん。

人と同じ事が出来なければ殴られて吊るし上げられて、クラスの笑いものにされることが正義だったとは思わない。

でも、ホントに血が滲むほど我慢して我慢して耐えたけど、それでも誰もが当たり前にできることが出来なくて、事あるごとにクラスで吊るし上げられてた。

あの頃があるから、オレは絶対にこれを言い訳にはしたくない。

ミスした時に「ADHDなので」とか「手帳持ってますから」とか絶対言わない。まぁ、言わなくても周りは皆気づいてるだろうけども。

治療方法は人それぞれだし、生き方も人それぞれ。

この人のやり方をオレは否定するつもりもないし、オレの考え方を押し付けるつもりもない。

ただ、オレの会社で一緒に頑張ってほしいとも思わない。それだけ。

オレの会社は、どこにも居場所がなかったオレが唯一の社会の居場所にするために、自分で作り上げた場所な訳で、さすがにそこにいるなら、オレの考え方には従ってもらいたい。

それが出来ないなら、生暖かい目で見てくれる環境に行くか、自分でそれを作り上げるしかないんだよ。

取り合えず、オレは薬を飲むようになってから、色々なことが変わったと思う。

この年からでも治療受けてみるもんですよ。この辺りの話もまたそのうち書きましょうね。

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2023年3月5日 18:00 CAT :

口だけ男から口裂け男にランクアップしたい話

昨日ヘロヘロだったので、何か「1週間に1回くらいの更新で」みたいなことを書いてたけど、何となくそうじゃねえだろとか思ってしまった。

まぁ、何でもいいから1日1回発信すると言う習慣にするのはどうだろうと。

題して「365日(-66日)毎日投稿」だ。

と言う事で、そんなことをやってみようかなと。

長いネタとかなら、ジョジョ風に「その1」ってつけて短い文章に細切れにするのはあり。(と言う 言い訳 救済処置)

これならできるんじゃねえの。知らんけど。

ここ数年、「これなら出来そうかな~」というスタンスで目標を作ってたけど、今年は「こんなことできるのか?」って事を目標にしてみましょう。

それ以外に、今年の目標をチョッとメモっておく。Twitterでは、先に書いてたけども。

 

 

 

○漫画短編「出来過ぎた準備」
⇒現在ネームの半分くらいまでは出来てる。

漫画短編「瓶詰の幼女」
⇒描きたいなぁ~って妄想してるだけ。

漫画中編「深淵を覗く」
⇒プロットは全部で来てる。

漫画中編「不動産売買第2部」
⇒裁判いつ終わるんだろう・・あと第4部「今度こそ土地売買でなんかミスらないぞ!」編が今年初めからスタートしてたりもする。

小説長編「ひとときの暗がり」
⇒全50話構成で考えて、今12話まで書きあがってる。13話で一区切りするので、そのタイミングでアップを開始しようかと。

漫画長編「風を切る日」再開
⇒現在止まってる「コロッサ編」の最後までのプロットは完成。「出来過ぎた準備」が書き終わったら、ネーム作業に入ろうかと。

4コマ漫画「超ニュースチョークホー」再開
⇒今朝、Twitterで再開1つ目を更新した。

 

 

 

こんな感じで、少しずつ進めてはおります。

お仕事の方でも、本当にありがたい事に無事2期目も昨年対比越えで終われそう。かつ、3期目はまた新しく面白い事を色々考えてるので、その辺りも近々書いていくよ。

書く書く詐欺常習犯だけど、今年は違うぜ!と言うところを、お見せいたしますよぉ~

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2023年3月4日 1:20 CAT :

今さら、明けましておめでとうございます~サムネで釣られろエロ男2023

気が付けば3月になってしまってたね。

おお。そうか。もう3月なのか。

これまでも「忙しい忙しい」と嘯いていたものの、なんとかかんとか「あけましておめでとうございます」くらいはやってたというのに、ついにそれさえも無くなってしまったと言うことか。

これはさすがにどうなんでしょうな。

アウトプットしないと生きていけない人間ではある。昔っから、それだけは変わらない。

インプットはあんまりしなくても大丈夫らしい。中から溢れ出るものを出してるに他ならないから。

先日、嫁が「自分の作品を作るためにチョッと余計なものを入れたくない」と言う話をしてた。

自分の世界観を表現するために、他のものを入れないと言うのは、何とも変な話だなと。

多分、物凄く感動的な映画を見て目が腫れるくらい泣き倒した後、さて漫画でも描くか。ってなった瞬間、めっちゃ可愛い少女が絶望しながら凌辱される話を嬉々として描ける自信がありますよ。私は。

影響を受けないとは言わない。

ただ、どれだけ影響を受けようとも、逆にどれだけ人の真似をしようとしても、それが出来ない人間だっているんだよ。

インプットなんてしても、創作の何の足しのもならないんだろう。

何の話をしてたんだっけ・・・

問題はだ。時間がないと言う事なんだよ。

今日だって、木曜日位からほぼ寝てなくて、記憶もあいまいな感じになってるくらいには時間がない。

でも、チョッと「時間がない」って言い訳辞めませんかと声高に言いたいんだ。時間がなくても多分ブログ位書ける。漫画位かける。小説位かける。

そもそもの話、ここ最近1記事が投げえんだよ。なんで1回更新のたびに1時間くらいかけて3000~5000文字も文章書いてんだよ。

例えばだけどさ。

チョッとしたネタを、1000文字以下くらいでカスッと出すだけなら、10分とかでもできんじゃねえのかなぁ~。昔の記事なんて、短いもんでしたよ。

たまにしか書かないから、毎回でっかいネタをぶっこんできて、5000文字近くも長々書くことになるんだよ。

しょっ中数百文字の文章書くくらいなら軽い内容でもいいじゃないか。しかも、結果的には、長い目で見ればたくさんの文章を書いたことにもなるだろうて。

まずそれを初めてみる。今年は。

本当にそんなことが出来るかは知らんけども。

そんな感じで、今年ももう結構経ってしまいましたが、よろしくお願いいたします。はい。

最低でも週に1記事くらいは・・・

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2022年12月31日 3:32 CAT :

明日死ぬかもしれない事におびえながら今日まで生き延びてしまった2023年への道筋について

年の瀬が襲ってきておりますな。

今年も終わるんだよ。終わってしまうんだよ。

激動の世界と言われているんだけど、それは情勢が目まぐるしく変化しているからなのか、それともただオレが歳とって時間の流れがジャネーの法則よろしくクッソ早くなっているからなのか。

それは分からない。

ただ、今年一年がもう終わってしまう事だけは、どうしようもない事実なのであります。

ブログ書かなかったなぁ。多分、この超コツコツ日記を初めてから最も書かなかった1年だったと思う。何と、年間で5本目。

遥か古の頃「バーチャルアイドルちゆ」の更新が年1回とかになった時に、「ふざけんなよ!オレはいつになっても毎日コツコツ更新を続けてやるぜ!オレはちゆとは違う」と息巻いていたのをふと思い出した。

まぁ、無理ですよね。

これを年齢のせいとか、ブログと言うものの隆盛にかこつけて許しを乞うても仕方がないと思うんだ。

何のことは無いわけで、若いころ最も忌むべき対象として見ていた、とめどなく溢れ出る衝動を形にしなくなるつまらないおっさんにオレ自身がなってしまったと言う。それ以上でも以下でもない話なんだよ。

それはそれとして、ざっくりとだけ備忘録的に、今年の振り返りだけやってみよう。

また後でと言うと、いつもの「書く書く詐欺」になってしまうので、今日のうちに書いてしまおう。

今回は、何となく「お仕事」「創作活動」「生活」の3つにカテゴライズした上で書きます。はい。

 

 

 

【お仕事について】

お仕事を法人化して2年目。所謂2期目と言う奴も半分以上終了した。

昨年は、会社経営とはこう言うものなのかと言う事を至極勉強することが出来たと思う。その上で、ちゃんと利益を出して、順調に終えることが出来たんだよ。

それに比べて今年だよ。今年。

正直、仕事のボリュームと規模は、今年引くほど大きくなった。

もちろん従来のお仕事も本当にありがたい事にたくさんたくさんたくさんたくさんご依頼いただいてたんだけども・・・

それ以外にも、具体的に固有名詞を出してしまうとやばい位の規模のお仕事もやった。

TVCMのディレクターしたり、あまつさえ、馬忠・DA・ムドーの楽曲をそのBGMに使ったりもした。

お店をディレクションして無事開店までこぎ着けたりもしたな。

社員も増えたので、新しく事務所を開設したりもした。

来年には、何か某有名大学の講義の監修などもやることになるらしい。それに伴う関東出張に今からドキドキしてたりするんだけれども(都会・・・と言うか人込みとか怖いんだよなぁ~)

と、ここまで書けばひどく順調な感じはするんだけど、不思議な事にお金がないんだよねぇ~

お仕事のボリュームと規模が大きくなると当然経費もかかってくるわけで、社員さんの給料だって出してあげないといけない。事務所開設なんて、会社設立の時よりお金かかったし。となると、なんか知らんけど会社のお金が1期目と比べると笑うくらい貯まらねえのよ。

忙しいんだよ。中学生だったら、自慢しまくる位休みもなく、夜も寝ないでお仕事ばっかりしてた。特に、10月からの3ヶ月くらいは。

何かすげぇ色んな責任も増えてきた。

忙しすぎて、子どもたちと遊ぶ時間もないし、漫画描いたり、ギター弾いたりする時間もない。

なのに、お金はない。これ・・・オレは何やってんだろうな。と。忙しいなら、せめてお金は貯まってくれよと思う訳ですよ。

年末年始に半年ぶりくらいに連休でお休みするので、その間に一応社長として、3期目の展望を考えようと思ってる。

3期目はもう少しキャッシュ的な部分をしっかり考えていこうかと。だって、キャッシュが無くなったらそれはもう会社倒産ですので。

今の事業規模くらいで、もう少しお休み取れて、お金も貯まる方法はないものかなと。

まぁ、そんな感じですよね。

ただ、お金のことは置いておいたとして、今年は例年にはない位まぢで色んなお仕事に携わることが出来た。お仕事以外でも色んな事が起こった。これについては、めっちゃいい経験になった。多分、相当レベルアップもしているだろうて。出来ることは相当増えたと思ってる。

今年は、経験値をひたすら稼ぐ1年だったんだろう。そう思う。

 

 

 

【創作活動について】

創作活動の方での今年の成果と言えば、短編漫画「2人マイナス14年」と「おともだち」、中編漫画「不動産売買であった怖い話」、長編小説「ひと時の暗がり」の第1部執筆。

以上。

うむ。少ない!あまりにも少ない!

正確には、他にも「出来過ぎた準備」と言う新作短編のネタがほぼ出来てるのと、「ランナ」の再開用にネタ出しはやってたけど、これは果たして創作活動と言えるのか・・・4コマ「極ニュースチョクホー」もちっとも描けなかったしな。

これまで生きてきてどれだけ忙しくても漫画を描くのだけは止めなかったと言うのに、今年はホントに書けなかったよな。

受験勉強の合間にでも、毎週1話書くのは止めなかったし、娘が生まれたばっかりの時とかでさえ、2~3時間おきに泣き出す娘を横に置いて寝ずに漫画書いてたと言うのに・・・

いや、あの頃は寝なければ漫画を描く時間が取れたんだよ。今は、寝ずにお仕事してるからな。と、そんな言い訳をしていいのかどうか。

果たして本当に時間が取れなかったのだろうか。

色々思うところはなくはないんだよな。

ただ、それでも前回の記事でも書いた通り「不動産」漫画の奴は過去最高のPV数だったんだよ。それだけがせめてもの救いと言えば救い。

良かった。まだ、多少は面白い漫画描けてたんだ。と言う、謎の慰めになるようならないような・・・

来年こそは、漫画をいっぱい書きたい。いや、まぢで。

 

 

 

【生活について】

で、最後に生活について。

これについても、相当いろんなことを経験できた。

まず、裁判だよ。人生において弁護士さんに依頼して裁判を起こす人間は、多分起こさない人間より少ないと思う。

裁判の流れとか、費用感などについてもいずれ漫画で描きたいなと思ってるくらい貴重な経験だよ。二度としたくねえけどな。そもそもまだ決着ついてないし。

次には、PTA的な組織の副会長をくじで当たってしまったと言う理由で1年間やった。

これも、経験したことない事ばっかりで、凄く良い経験にはなった。

そもそも学校の事とか子どもを取り巻く環境とかその辺りの事も知りたいこと知りたくなかったこと含めて色々分かってしまった。

クッソ忙しい中、時間を作って役員会に顔出したり、自治体が主催するイベントの手伝いしたりするのは結構大変だったけど、それはそれとして、こういう事も子育てしてたらやっぱり経験するものなんだよね。

そして最後。

アキレス腱を断裂した。今はもう、よちよちと歩くくらいはできるようになったけど、6週間ほどギブス&松葉杖生活を余儀なくされた。

これがもう、まぢで不便の極みだったわけで、本当に何回か「ぎゃあああああああああああああああああ!!」って叫びたくなった。

でも、負け惜しみでもなんでもなく「自由に動けることのありがたさ」を心底理解することが出来たのは、本当に良かったと思う。

そして歩けないから、食べ物やジュースを取りに行くこともできなくて、基本的にはペットボトルで水ばっかり飲んで、お菓子は一切食べなかったので、何かダイエットもできた。

「アキレス腱断裂ダイエット」と言う感じか。

ただ、生活と声高に言えるほど、人としての生活はこなせてなかった。

ホントに仕事ばっかりしてたんだよ。

 

 

 

とまぁ、そんな1年でしたな。

上記とは別でも色々面白い事は起こった。

霊能力を持ってるおっちゃんと出会った事きっかけで、変な感覚が目覚めちゃって、自分についてくれてる龍とお話しできるようになったとか。

記憶違いなんて話で片付けられない位、現実とオレの認識で剥離があって、多分別のパラレルワールドに来てる気がしてる事とか。

人生ってどんだけファンタスティックなんでしょうね。と思うことしきりでございますよ。

後、物凄く不思議な話なんだけども、上記の通り「お仕事」「創作活動」「生活」どれをとっても素晴らしい成果とかないし、どちらかと言うと何一つうまくいかなかった1年だったと思う。

でも、今年、オレは凄く良い1年だったような気がするんだ。

何一つうまくいかなかったのにだ。

この感覚は何なんだろう。

ここ数年は、自分でも信じられない位うまく物事が進んで「今年は本当にいい1年だったな」と思ってた。

でも、今年は「何一つうまくいかなかったな」と思うんだよ。

それなのに、なぜか今年本当に良い1年だったと思う。

本当に見分不相応なレベルの規模の責任とかが襲ってきて「こんなのオレにこなせるのか?」と怯えつつ、それでも逃げずに真正面から立ち向かった。

その結果、その全ての責任に対して100%完璧とはいえないまでも、まま及第点以上でこなしきって、どのクライアントさんからも捨てられることなく年を越すことが(多分)出来る。と言う、これが何とも言えない達成感につながってるのではないのかと、勝手に分析してる。

うまくいったかどうかは問題じゃあない。

めっちゃ頑張ったんだよ。

今年はもう臆面もなく言わせてもらいたい。

オレ、まぢで頑張ったよ。

遊びたい気持ちも描きたい気持ちも押さえて、やってきた責任たちに対して。

ただ、頑張ったのは頑張ったんだけども、それはそれとして、うまく行った事についてはオレ自身の実力だとはどう考えても思えなかったりもする。

龍ちゃんを初めてとして、もう死んでしまったじいちゃんばあちゃんを含む祖先の皆さん、なぜか天照大神ちゃんなど色んな人や神様や龍ちゃんがサポートしてくれてる。だからこそ、何とかこなす事が出来たとも思ってる。

それが今年はかなりはっきり分かるようになった。これについては、信じる人がどれだけいるのかは分からない。別に信じてもらう必要はないけど、オレはそう思ってるし、実際今も横に龍ちゃんいるし。

人生って感謝ですよ。

アリガタイ教みたいな宗教でも開こうかと思うほど、色んな具象や存在に感謝し通し。

取り合えず、クッソ長くなってしまったので、今日のところはこの辺にしておこうか。

来年は、アリガタイ教の教祖として、この怪しい教えを誰にも教えることなく、一人でニマニマと過ごしていきます。

と言う、すごいところに着地して、さようなら。

皆様。良いお年を。

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2022年10月6日 0:12 CAT :

つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしオナニーにふけりけり2022

よぉ~し。おっちゃん、気合入れて今年4回目のブログ更新をやっちゃうぞ。

お久しぶりでございます。

歳をとると1年が光の速さで過ぎ去ると言う話を実感しております。はい。この現象の事を「ジャネーの法則」というらしい。はい。

まぁ何しか、死なずに生きてはいるものの、日々目まぐるしく移り変わっていて、もう今年の初めに何があったのかと言う事さえも、ほぼほぼ記憶にない。

それはそれとして少しだけ、ここ最近の事を備忘録として残しておこう。

あと、あれだ。文章書いてないと、馬鹿になるしな。ただで加齢でどうしようもなく低能になっているのに、これ以上馬鹿になってたまるか。

 

 

 

漫画の話。

とは言いつつ、今年、新作長編(中編か?)漫画を作って、ちゃんと完結させた。

ブログで少し触れたけど、去年からあった不動産売買に関する話を面白おかしく漫画にしてやろうという試みで描いた「不動産売買であった怖い話」と言うお話。なんだかんだと言いつつ、11話で無事完結まで描き切ることが出来た。

作画に時間が取れないと言う、非常に情けない理由で作画の方は簡単なものだったんだけど、ありがたい事にこの漫画が、オレのこれまで描いたどのマンガよりも、アクセス数、コメント数などが凄い事になった。

「Gの世界」を描いてた時には、1回か2回しか取れなかった、新都社のhotitemにも更新する度に載って、最終話では遂に1番人気(という解釈であってるかはわかんないけど)な左hotitemになりましてん(↓)

嬉しくて、ちゃんとキャプチャー取ったし。

アクセス数も、11話で2万5千位あるようで・・・1話平均2000アクセス位だと考えると、「G」の時は大体200~500くらいだったので、下手したら10倍くらいのアクセス数になるんだよな。

去年1年はホント心も体も、あとお財布もズタボロになったけど、この結果で何となくおっちゃんは満足してしまった。

まぁ、今も裁判は続いてるけどな。

 

 

 

竜ちゃんの話。

オレの事をずっと守ってくれている竜ちゃんと、ここ1年ですごく仲良くなった。

お話もできるようになったし、姿も見えるようになった。別に信じてほしいわけじゃあない。信じない人は信じなければいい。病気だと思うなら思えばいい。

でも実際に仲良くなってしまったものはしょうがない。

今日、お仕事で煮詰まって病んでたんだけど、そしたら「絵を描いて気分を変えたら。モデルになるよ。」と横に腰を下ろしたので、それを見ながら描いた。

実にそっくりさんに描けたと思う。

 

 

 

会社の状態の話。

一応代表はオレなんだけど、ずいぶん前からオレの意志とか意図から離れてしまっている感じがある。

税金対策で法人化しただけだったのに、今や、オレが一人で閉じこもっていた仕事部屋は「社長部屋」と名前を変えてしまい、従業員さんのための事務所が出来上がり、そこに毎日人が出社してくる。

社外の人が研修と言う名のもとにその事務所に来るようにもなったし、オレの想定よりはるかに大きいお仕事の案件が舞い込んできたりもしている。

設立当初、誰がこんな状況になることを想定していたと言うのだろうか。

ただ、売り上げも大きくはなってきているんだけど、当たり前に経費もたくさん掛かるようになってしまい、金銭面で見ると、ひとりで細々とやってた時よりなんだかお金はなくなってしまってたりはする。

責任は大きくなって、気苦労は増えて、時間とお金はなくなってしまっている。

一体オレは何をやっているんだろう。

立ち止まって振り返る時間が欲しいけど、状況がそれを許してくれない。

本当に何をやっているんだろうね。

 

 

 

創作の話。

新作の短編漫画「出来過ぎた死亡準備」と言う話を考えている。今、ネームの前の構成をまとめている感じ。出来れば、年内に完成させたいなぁ~とか、希望的観測だけは持っていたりする。

あと、「ランナ」を再開させたいと思っている。取り合えず、まずは今ストップしている「コロッサ編」の最後までネームを作って、そこから少しずつ作画作業に入ろうかと。

「超ニュースチョクホー」のリメイク「ひとときの暗がり」と言う小説を書いている。全5部構成なんだけど、第1部の7話目くらいまでは本文とタイトルの挿絵が書き終わってる状態。第1部が最後まで描けたら一旦アップしようと思ってる。

完全新作で音源制作をしたいと思ってる。完全にオレ一人で、自分の世界観を100%出し切った奴。そう、このブログでは何度か出てきた「死ぬまでに制作する物語」のひとつ「連歌『忘却』」を形にするんだよ。あともうひとつ「陀悪」と言うタイトルの音源集も考えていて、こちらは全5曲構成のうち3曲までほぼほぼ歌詞が出来上がってたりする。

創作意欲はまぢでとどまる事ないんだけど、着手する時間がない。

ないのではなく、作らなければいけないのかも知れない。

 

 

 

感情の話。

どうしても落とし込むことのできないモヤモヤが晴れることなく漂っている。

考えないようにしても、沸々と憎悪のように湧いてくるこの感情を何とかしたいんだけど、今のところどうする術もない。

誰かに話してしまえばそれで解決する話でもない。

ただ嫁とホント幼児期からずっと仲良くしてくれている従兄にだけは話すことが出来て、それでいて共感してもらえている事だけが唯一の救いかと。

何なんだろうね。この中二病のような感情は。

ホント情けないんだけどな。

それでも、許せないものは許せないんだよ。

 

 

 

役員の話。

今年、地区の子ども会の副会長と言う、他の人から聞いたら絶対嫌がられる役員をやってる。

ただ実際やってみると、それに対してそこまで嫌悪する理由がなかった。

と言うより、サラリーマンやってた頃、毎週恫喝されて胃がキリキリしていたあの会議とかと比べると、ホント何でもないんだよな。

確かに、仕事がめっちゃ忙しい中で、会に出席したり、休みがイベントの手伝いでつぶれたりすると言う点はチョッとなぁ~と思ったりはする。ボランティアだし。

でも、それも今年1年だけなわけで、これまで他の親御さんがやってくれてて、うちの子どもたちもその恩恵を少なからず受けてたことを考えると、まぁ止む無しと言う感じ。

むしろ、どうしたって今の現状では子育て的なイベントは嫁の方がメインになりがちな中で、社会貢献にもなるし、かわいい子どもたちの為になると思うと実はやりがいもあって、悪くないんじゃないのかという気さえしてる。

それより何とも言えないのが役員の9割がお母さん方なこと。

オレの住んでるところがクッソ田舎だからなのか、ほとんどのお父さん方は子育てに関係すること、家庭に関係する事にはある程度距離を置いてるらしい。

家事もして、子育てもして、夜は役員会出席して、休みの日はイベントの手伝い。しかも、旦那さんは非協力とかだから、みんな嫌がるんだろうなとか、チョッと思ったりしてる。

まぁ、他人の家庭にとやかく言うつもりはないけど。

 

 

 

とか何とか色々書いてしまったけど、現状でまだ死んでないわけで、何とか生活できてる。

お仕事にしたって、こんなオレみたいなやつに依頼をくれているクライアントさんに対して感謝しかないし、文句を言うつもりは毛頭ない。

生涯童貞を貫くことに絶望を感じていた17歳のオレに、今の生活なんて想像できただろうか。

いつもこの話を嫁にすると「これまでがあったから、今があるんだよ」と、古代ギリシャ時代の因果律のようなお話をしてくれる。

それも多少はあるかもしれないけれども、どう考えてもあり得ないほどの幸運が重なりまくって現状があると思うんだよな。

これまでにあった本当にいろんな場面で起こりうる選択肢の数々で絶妙にいい方向を奇跡的に選び続けてきた気がする。

漫画家を目指して東京に行っていたらどうなっていたのか。

ミュージシャン目指して東京に行っていたらどうなっていたのか。

嫁の提案を無視して今の仕事をやってなければどうなっていたのか。

今の嫁と結婚しなければどうなっていたのか。

うつ病になっても会社を辞めずに続けていたらどうなっていたのか。

独立せずに就職活動をしていたらどうなっていたのか。

などなどなどなど・・・。

今の現状にはただただ感謝するばかりなんだ。それだけは、何があっても絶対日々考えている事。

まぁあれだな。

嫁があげまんだったんだろうな。

あと、守ってくれてる竜ちゃんが凄かったんだろうな。

あと、いつもなぜか身近で存在を感じてるじいちゃんばあちゃんたちのお陰なんだろうな。

希望としては、もう少しブログなり、4コマなりで、この奇跡のような楽しい日々を記録していきたいと言う事でございます。

4コマの方も再開しようかな。

それでは、また。出来れば近いうちに、どこかその辺りでお会いしましょう。

さようなら。

さようなら。

 

 

 

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2022年6月16日 2:19 CAT :

「ひとしこのみ」でタコ殴りされたパパス

うんこ漏らしまくるほどご無沙汰しております。

いやまじで。何やってんだよオレ。と言うくらいご無沙汰しきりで・・・もうこれは、あれですよね。見捨てられてありがとうございます。ピンヒールで踏みつけてもらってありがとうございます。だよな。

元々公開オナニーでしかないこのブログ。

年取ってチョッと性欲の落ち着いてきたおっさんなので、オナニーの回数だって減るんだよ。と言う事にしておこう。

さてさて。

この空いてる間にネタが一切なかったというわけじゃあないんだけど、それはまたいずれ、長々と書くだろう。(と言いつつ、ここ最近の感じからしたら、多分書かない気がしてるけども)

そんなことを全て差し置いてでも、今日は書かずにはいられない気分になってしまう事があった。

どこかに吐き出したい。どこに吐き出す・・・となると、ここしか思いつかなかったんだよ。

少しだけ戻りながら話す。

オレと嫁の会社さんも、なんとかかんとか創業1期目を無事終えた。(プライベートでは土地の事とか土地の事とか土地の事とかで全然順調じゃなかったけど)

色んな人に助けられ続けながら、当初目標にしていた予算の130%くらいの売り上げを上げることが出来た。もう上出来だと思う。

ホントよくやったよ。オレ。そして嫁。

クライアントさん、助けてくれた周りの皆さんには、感謝しても感謝してもし足りない。し足りないので、このまま2期目もよろしくお願いしたいです。

会社の方も、オレと嫁以外にも従業員が1人・・・あと、今月1人と9月ころに1人採用予定。

他にも、外注形式で一緒に仕事するパートナーさんもいたりして、まぁ、10人には満たない超絶零細企業ではあるんだけど、何となく会社っぽい感じにもなってきた・・・と思う。

今回の増員に当たってハローワークで求人をかけた。

ありがたい事にここ最近買い手市場になっている中で、たくさん応募が来た。

このくそ人見知りでずっと社会から拒絶され続けたオレが、今年の初めと今回とで10人以上の人の面接をしてるんだよ。何と言うか、ホント自分でもこんな事になるとは・・・と思ってる。

で、一応採用する奴が決まるには決まった。

決まったんだけど、実はまだ3人ほど面接の予定が入ってて、その人たちに対して会いもしないで「あ・・・もう決まったので、面接は結構ですよ」とか言えるはずもない。

かと言って、どうせ採用する気もないけど、世間体気にして一応会うには会ってやる。みたいな、くそムカつくゴミのような大人にだけはなりたくない。

これが折衷案なのかと言われれば、自信ないけれどもそんな状況の中でオレは「本当に良い人が来たら枠は埋まってるけど、それでも採用するつもり」で残りの面接を続行することにした。

クソ零細企業なので、ぶっちゃけそんな何人も雇ってる余裕はない。だから、チョッと厳しめに見ていこうと思ってた。

それでも「これはあああああああああああ!!」と言う人が来た場合には、それはそれで、一緒に頑張っていこうじゃないか。会社の資産だって多少はある。即倒産なんてことにはならないだろうて。

前置きが長くなったな。

そんな感じで、今日そのうちの1件の面接をした。

まぁ、ここまで書けば何となく分かるだろうけど、その「これはああああああああああああああ!」な奴が来てしまったんだよ。しかも、想定の斜め上の奴が。メッチャ頭を抱えるタイプが。

もう少し詳細に書こう。

まず、そいつは日にちを間違えて、面接予定日の前日に、しかも約束よりかなり早い時間にやってきた。その日オレは予定があって事務所にいなかったんだけど、そうしたら「気合入りすぎて早く来過ぎました。明日また来ます」って。

この段階で、個人的には相当好きな感じ。

そして、実際今日面接。

履歴書を見る。お世辞にも奇麗な字とは言えないガタガタの文字で書いた、イマイチ支離滅裂な文章。

オレは、その履歴書を読みながら、なぜか涙腺が緩んでしまっていた。

まだ10何人くらいしか面接してないけど、こんなのにも心のこもった履歴書を見たことがない。冷静に考えてみてほしい。就職面接で来た奴の履歴書を読んで泣くことがあると思うか。普通はないって。でも、あったんだよ。

履歴書は手書きでなければいけないと言う謎の慣習に対して、常日頃アホの所業だと思ってた。

効率化を無視した愚の骨頂であり、履歴書を手書きにさせたところで、人となりなぞ分かるはずがないと思ってた。

そんなオレが、手書きの履歴書を手に泣きそうになった。そのくらい心のこもった履歴書だった。

涙腺が緩んだ理由は、他にもたくさんある。

特に尋常じゃない共感性だよ。

その血が滲むほど心を込めて書かれた履歴書の内容が、オレが20代の頃、社会でズタボロにされ、自信なんて粉微塵にされ、それでも仕事をしなくてはいけない強迫観念から震えながら10時間くらいかけて書いてた履歴書とビックリするくらい同じだった。

うつ病で会社を辞めざる得なかったことも、パワハラでボコボコにされたことも、上司から戦力外通告されつつ自主都合での退職を強要されたことも、色んな職場で色んな職種を転々としていることも。

そして、志望動機や自己アピールなどの部分も。

圧倒的既視感。

なんだこいつは?

なんなんだ?

過去のオレが、オレの会社の面接に来たのか?

履歴書の段階で、もうどういう気持ちで今から面接を進めていけば良いのかわからない状態になってた。

今回の面接では一応自分の作品のポートフォリオを持ってきてもらう事になってた。

彼は、お金がなくてプリンターを持ってないらしく、しょうがなくコンビニで印刷しようしたら間違って写真印刷になってしまったと、プリクラみたいな状態になったポートフォリオを見せてくれた。

これを普通の面接官が見たらどう思うんだろう・・・

自分の昔と重ね合わせる。

15年くらい前、とある塾の職員に応募した時、オレは革靴を履くのを忘れて緑のスニーカーで面接を受けたことがあった。

その時のあの面接官の冷たい視線。「君はせいぜいパートまでかな?どうする。それで良ければ、面接してあげるけど」と馬鹿にしたニヤケ顔で言ってきたあのクソ親父を思い出したよ。

多分だけど、彼もオレと同じなんだと思う。どんなに頑張って気を付けてもこういうケアレスミスが出てしまうんだと思う

ではそれを、ちゃんとこちらの要求通りに出来ない役立たずだと鼻で笑って門前払いするんだろうか。

結局オレは、どこの会社に行ってもまともに扱ってもらえないまま、心をすり減らしてうつ病になり仕事が出来なくなった。

今でも正直、納期も全然守れないし、自分のタスク管理さえできない。ケアレスミスいっぱいで、クライアントさんからいつも指摘ばっかりされてる。

でも、丁寧な仕事をする事、心を込めて依頼に対して向き合う事に関してだけは、誰にも負けないつもりでやっている。と言うか、そこでしか勝負することが出来ないから。

その結果、こんな納期守れないミス続出野郎相手に、ずっと依頼をいただけるクライアントさんがたくさんいてくれて、そこから口コミでどんどん依頼が増え、独立以来1度も営業活動したことないのに、人を雇わないと回らない位お仕事をもらえるようになった。

大切なことは、ケアレスミスをしない事なのか。

オレがクライアントさんの立場なら、ミスは多いけど一生懸命やってくれる人と、ミスはしないけどミスした人を見下して鼻で笑いながら仕事してる人どちらを選ぶかという話だ。

プリクラポートフォリオがオレにはマジで凄く良いものに見えて仕方がなかった。

彼は面接の最後に、「人生ってつらいですよね」みたいなことをボソッと言った。

これね。オレも似たようなことを面接で言ったことあるんだよ。

その時の社長さんはそんなオレに対して「正直、今日の面接内容だったらお前は不採用だけど、しょうがないからオレが、人生つらくないって教えてやる。一緒に働くか?」って言って雇ってくれた。

結局そこの会社でもオレは長くいられなかったけど、今でもあの社長さんは大好きだし、めっちゃ尊敬してる。

「お前ホントミスばっかりだし、契約取れないし使えないけど、一緒にいたらおもろいんだよな」って笑いながら、いつもご飯をおごってくれた。

断ろうとすると「オレも昔はお前みたいだったから、他人ごとに思えない。断る位なら、今オレがするみたいなことを将来、お前が他人事に思えない若い子にあった時そいつに返してやれ」と言われたことを今も覚えている。

そういう人にたくさん助けられて、今も助けられてここまでやって来られた。

今、この目の前のかつての自分を見るかのような彼に対して、「ハイ。不採用。残念でした」で追い返したら、オレに対して信じられないほど良くしてくれたあの人たちに顔向けできない。

社員さんもいるし、オレにも家族がある。

そもそもたくさん人を雇えるような規模でも、職種でもない。

今日は取り合えず帰ってもらったけど、正直、心が揺れまくってる。

経理担当してくれてる嫁にも相談したけど、あと一人正社員を雇うのは現段階では厳しいらしい。

でも、オレが嫁に(↑)の気持ちを伝えたら、どうするか一緒に考えてくれることになった。

一つ言っておかないといけないことがある。

今回面接に来た彼は確かに、面接日を間違えるし、印刷ミスってそのままプリクラ持ってくるけど、まず話の受け答えを見る分に頭の回転は速いし、一緒にいて嬉しくなるほど価値観も近い。何より、ものすごく一生懸命で、勉強家。ポートフォリオ見たけど、センスも良いと思うんだよ。

普通に有能な匂いがプンプンとしてる。

別に可哀そうとか、自分の過去と重ね合わせて、自己陶酔してるだけじゃあない。・・・と思う。

これだけ有能くさいのに、ミスが多いとか人見知りとかそんなどうでもいい事のために、社会から爪弾きにされて、「人生ってつらいですね」って呟いてるってことがあり得ないんだって。

ただ、今の会社の規模と状態では、これからゆっくり育てていこうと言う正社員をほいほい雇える余裕はないんだよ。

かと言って、じゃあ、「縁がなかったと言う事で」とはとても出来ない。

現実と気持ちがずっと拮抗してて気持ちがふわふわ落ち着かない。

もう少し嫁と考えいく。

オレの独りよがりになって、前途有望な彼にとってマイナスになるような事があっては絶対にいけないと思ってる。そもそも、あれだけ頭良ければ、オレが手を貸さなくたって自分で何かを見つけてすごく良い感じになると思うんだよ。

ただ、そうなるまでの間本当に苦しい思いをする気がする。

オレがそうだったから。

その期間を少しでも減らして、少しでもうまくいくようにできれば・・・とかね、思ってるわけですよ。

即戦力になるすごい人が来たらあと一人雇っても良いかなと思ってたけど、このタイプは本当に想定外だった。

一応事業計画とか立ててはいたんだけど、その中でまったく想定してなかったケース。

帰り際、「本当にここで働きたいです。よろしくお願いいたします。」ってちょっと無理した笑顔で言った彼。

また、どうなったか決まった段階で、報告するかもしれないし、報告しないかもしれない。

何しか、一番いい形になれば何よりですたい。

人生は本当に色々あるね。

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2022年3月4日 3:21 CAT :

泣き叫んでも 助けちゃくれない 終わりのない恐怖におびえて生きるのさ

何から書けばいいのやら。

取り合えず、生存報告。生きてます。はい。と言うか、死んでないです。はい。

昨年はマジでクッソ激動の1年だったと思うんだ。

でも、昨年末嫁から「運気的には今年(2021年)は来年(2022年)の助走でしかないみたいだよ」と言う何とも不吉な話を聞いた。

その時には、ぶっちゃけ「何言ってんだよ。これだけ激動だった年が助走とか言ってたら死ぬっつうの」と思ってた。思ってたんだよ。

そして、今年になって早2か月が終わり3月。

その事にもまぁまぁショックを受けるんだけども、それはそれとして、これだけは言える。

去年は助走だったわ

文字大きくしてやった。

2000年代に流行ったテキストサイトみたいにしてやった。

「侍魂」とか「バーチャネットアイドルちゆ」とか懐かしいな。「探偵ファイル」も懐かしいな。MEGWINだけはまだ追ってるけど、大住さんとかどうなったんだろう。

まぁいいや。そのくらい言いたい。声高にして言いたい。

死にはしてないけど、なんかビビるほど色んな事があった。

それも今月はとかじゃなくて、週単位で。

「先週の日曜日はこんな事になるなんて思ってもなかったなぁ~」と、毎週末に思いかえす感じ。

週1でブログ更新?

4コマ週1で更新?

新作の小説を書く?

新作の短編漫画を描く?

ランナの続きを描く?

どう見ても農民体型の純日本人、中肉中背のオレでもハルバゴスになるって話ですよ。

そんな場合じゃねえよ。そもそも、お仕事さえままならないつ~の。

社員さんがいてくれるとて、今はまだオレが仕事しないと収入にならないんだよ。

それなのにオレがお仕事できないとか、このまま会社が潰れたらどうしてくれるんだ。クソが。

そんな非常に愉快な毎日を過ごしております。

全てが終わった暁には、全ての経緯を漫画にしてやろうと思ってる。

結末がどうなるかはまだ分からない。オレが再起不能なくらいズタボロになっているかもしれないし、想像を絶するカタルシスを感じられるような展開になっているかもしれない。

ただ今現在の状況でいうのであれば、「漫画やん!」と突っ込まずにはいられない状況だったりもする。

まさにこんな感じよ(↑)

ぶっちゃけ、このまま漫画にしてしまえば「現実はそんなご都合主義的にいかねえよ。はいはい。妄想ですね」と言われるような気がする。

実際オレも随所でそう思ってる。

大好きなシミュレーション仮説に置き換えて考えるのであれば、オレの人生はどちらかと言えば少年漫画寄りなんだろう。青年誌では絶対に受け入れられないわ。今起こってる展開はそんな感じ。

まぁそれも含めて、漫画にしてやる。「極ニュースチョクホー番外編」だ。

今年の創作活動の目標はそれに決めた。

もう新作漫画もランナの続きも全部来年だ。来年。

人生には山も谷もあるらしい。悲喜交々が何十にも交雑し、そして人の一生は紡がれていく。

オレ自身翻って過去を見た時、かなり精神的に来ていた時期や、実際物理的に来ていた時期もあった。記憶すら曖昧になっている時期もある。

それでも相対的に見れば、メッチャいい人生だと今のところ思ってるし、なんだったら、振り返ってみればどの時期も「まぁあれはあれで楽しかったな」と思えたりする。

だとすれば、今のこの状況もあと数年すれば「あの時はあの時でいろんな経験できたし、楽しかったよな」と思えたりするんだろうか。

いつの日か皆で笑いあえる日が来ることを信じて、今はただ目の前にある壁をひたすら上り続ける日々。

一つだけ言えることがあるとすれば、一生懸命頑張ることはきっと無駄じゃあないと言う事か。

そうなんだよ。

漫画みたいな今の展開は、例えご都合主義と笑われようとも、今まで生きてきた流れがなければ絶対的に起こりえなかった展開なんだよ。

自分で言うのものなんだけれども、尋常じゃない社会不適合者なりに一生懸命頑張ってきたんですよ。

息子のADHD診断で「お父さんが大変ですね」と言われる位なんだから、そりゃあ言い訳すれば逃げる事もできたんだろうけれども、それを選ばなかったんだよ。

こんなオレでも傍にいて支えてくれると言った嫁と一緒に頑張っていくことを選んだんだよ。

毎朝同じ時間に起きて、同じ場所に通い、他の人と同じことをする。と言う、誰でもできることが出来ず、人と話するだけでも毎回寝込むほどダメージを受ける。

人生の至るタイミングで出遅れまくって、苦しんできた

その割には、一生懸命頑張ってると思う。世間から見たら大した事ないだろうけど、元々の人間が大した事ないどころか、普通のはるか下の人間なんだから。

そんなこんなで騙し騙しやってきた日々がなければ、どうひっくり返っても今の展開なんかありもしなかった。

それだけは間違いない。

ならばこれからオレがすることは何かと問われれば。

それはもう、これまで通り一生懸命目の前にある課題に取り込むことだけ。

元々いらない心配事まで考え込んでしまう癖があるし、色んな事に気が向いてしまうんだけれども、それはそれ。

オレの人生は多分回り道が凄い。

昔から周りには「無駄なことばっかりしてる」と言われてきた。

でも時間はかかるかもしれないけど、オレの中ではそのどれも無駄なことじゃないんだよ。

人生の評価はどのタイミングで行われるべきか。

総評は死んだときだとよく言われる。

お葬式で泣いてくれる人の数が、その人の人生の評価だと。

だとしたら、その瞬間まで頑張るしかないんだろうね。

なんか良く分からない話になってきたので、今日のところはこの辺で。

おやすみなさい。

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2022年1月26日 2:27 CAT :

明けましておめでとうございます~サムネで釣られろエロ男2022

すんごい遅くなってしまったけど、明けましておめでとうございます。

まだお会いしてない、あの人やあいつとかその辺の特定の何人かに向けて、一応、もう一度。明けましておめでとうございます。

なんか昨年末もう1回くらいブログも更新したいよね。とか言ってたけど、まぁ、出来る訳ねえわな。

と言う事で、昨年の振り返りと今年の目標位を軽く書いておこうかなと思った次第でございます。

こう言うのを1年の計は1月にありって言うんだぜ。知っていたか。ワトソン君。

ただまぁ、なんか極ニュースチョクホーの方で、昨年1年間は、8コマにまとめてしまったんだよね。

オレの2021年は8コマにまとめられるくらいの容量だったという事らしい。

一応、そのマンガがこちら(↓)

うむ。

これでもかと言う位、2021年にあった事を網羅している。

そりゃあ1つ1つをもう少し掘り下げようと思えば出来たりもするんだけど、なんかそれもどうなんだろうか。

実は、チョッと前に「会社設立に対する思い」って記事を書いてたりする。

タイミングを逸したと言うか、書き切れないまま時が流れたというか、そんな感じで書きかけのまま放置になっていたりするので、多分、次回更新分とかその辺までに書ききる。

他にも、新都社のマンガの感想を書くやつもチョッとだけ書いて、こちらも書きかけで放置している。(これは、なんか色々あって新都社の方で更新しても良いかなと思い始めたりしているけれども・・・)

などなど、書くべき事、書きたい事はたくさんお有りのようなので、時間さえ見つけれられれば今年こそ、週1でのブログ更新を・・・もうすでにできてないけれども、せめて今からでもやりたいもんですな。

とか、思っております。

昨年の細かい振り返りはその時のネタとして取っておくとして(と言いつつ、結局書かないままになりそうだけども)超絶ざっくりと総評するなら、これはもう敢えて言おう。完全に全ての目標を達成することが出来た。・・・と思う。

これが、去年書いた目標を書いた記事⇒「戻れない過去の落書きは僕と影との1ページ

と言うか、これ見たら去年、目標立てたの2月入ってからじゃねえか。今年の方がまだマシだったのか・・・

4コマ日記を書き始めて、「Gの世界」を完結させて、事業を法人化させて、土地を手に入れて事務所の新築を進めてる。

十分だよ。新作マンガまで手が回らなかったんだけど、それでも十分だと思う。

その上で、今年だ。今年。

2022年の抱負を少しだけ書いておく事にする。

昨年は本当に「G」を描くだけでアップアップしてたので、今年はもう少し創作活動をいっぱいしたいと思ってる。

具体的に言うと、まぁ「極ニュースチョクホー」は毎週1本描くとして、それ以外に短編を何本か描きたい。実は、もう1月1本短編を描いた。「2人マイナス14年」と言うお話。

これ3部作だったんだけど、なんか続き描くのが怖くなったので、残りの2話は投げ捨てるとして、それ以外に・・・出来れば「パラフィリアグロッサリー」とか「ゴキブリ男の人生」とかこの辺りのお気に入りの話を短編として描きたい。

他に、久々に小説を書きたいんだ。候補としては、過去にとあるコンテストで入賞した自信作「夢喰いバクヲ」のリメイクか、ニュースチョクホーシリーズの第3弾「超ニュースチョクホー」のリメイクか、2万文字ほど書いてる「老人は子どもに励まされた」を完成させて発表するか。

この3つの内のどれかを。今のところはこの中でも「超ニュースチョクホー」書こうかなとチョッと思ってたりする。

あとは長編マンガだ。

新作「あやつり」か「始まりは終末」を描き始めるべきか、「ランナ」を定期更新してちゃんと完結させるべきか。

気持ちとしては「ランナ」を描きたいんだけど、あの話長いんだよな。全部描き切るとなると、まだ何年かかかるから、チョッと躊躇してる。

やるとしたら今止まってる「コロッサ編」のネームを全部描き切って、そこから少しずつ作画作業に入る感じだよね。

実は、PCを新調しようと思ってるんだけど、今度のグラボはなんと4枚出力にして貰った。

今、モニター3枚なので、残りの空いた1つを使って、遂に液タブに手を出そうと思ってたりしてる。

どうしても未だに板タブだと作画に凄い時間がかかってるので、液タブになる事で単純に作画時間自体も削減できないかなと。

あとはあれだ。「ヤンディール制作」のセカンドアルバム制作だけど・・・これは、なんか今年も無理臭いよな。

取り合えず、コロナ落ち着かないとなぁ。来年完成とかになると、時事ネタとか使った曲は書き直ししたいし、結局、今できてる10曲の内「ヘレニックアンセム」と「ゴキブリ男の人生」以外の全曲書き直した別物が出来上がりそうな・・・これは今年は、考えないようにしよう。

創作活動については、こんな所か。

で、それ以外の目標としては、今年は何をおいても家の完成。これですよ。これ。

色々イザコザがあって、延び延びになっちゃってるけど、さすがに今年中には完成して引っ越したい。まぢで。

あと会社の方は昨年より大きくなることはほぼ既定路線っぽい感じ。だけど、その既定路線から外れないように舵取り頑張らないといけないよな。これで、今年しょぼくれたら、もうそれは100%オレのせいだろうし。

お仕事頂いてる感謝してもしきれないクライアント様様に対しては、最大限の感謝を込めて対応させてもらうのは当然として、人雇ってしまった以上、その人たちの生活も守らにゃならんし。そっちに向いても極限まで誠意を込めて対応する。これについては、本当に出来ているのかチョッと不安になったりはしてるけど、これを払拭する方法は心を込めるしかない訳だし。

少なくとも気持ちよく働いてもらえるような環境を作りたい。

あとは、コロナ次第だよな。

コロナが落ち着くようなら、久々にチョッと遠くまで旅行に行きたいな。

なんかお仕事で沖縄行く機会も出来るかもしれないし、それとは別で、四国を脱出したりとか・・・

でも、これはホントコロナ次第。

さすがに今の状態で、強行する勇気はないんだよ。

最後に、家族で仲良く。

なんか、色んな人に「ご家族仲いいですね」って言われたりする。

当たり前と言えば当たり前かもしれないだけど、良くも悪くも家族なんだよなぁ。

良いんだよ。

良いんだけど、オレの思ってる「仲いい」ってやつと何となく違う気がする。

まぁ、よその家族の事もよく知らないので今の状態で本当に仲良しなのかもしれないけども。

学生時代とかの不遇具合も相まって、必要以上に仲良くしたいのかも知れない。

嫁も子どもも、そこまでは求めてないみたいなのは薄々感づいてるし。

ただ、これはどうやれば良いんだろうかね。

答えは雲の上ですな。

最後に、今年入ってから、オレとか嫁には竜が付いてくれているらしいというお話。

実際に、色んな所で竜ちゃんを目にするようになったので、出来るだけ毎日竜ちゃんを見つけて、その竜ちゃんを絵に描いて残しておきたいと思っております。

取り合えず、今日見た竜ちゃん。

いや、薬やってて、幻覚見てるという訳ではないんです。まぢで、竜ちゃんがいるんだよ。別に誰かに信じて欲しい訳じゃあないから、別に良いけどさ。

元々オカルト大好きだったんだけど、それにスピリチュアルな感じも入ってきた感じだろうかね。

会社じゃなくて、宗教になってしまったら、ごめんなさい。

と言う訳で、尿検査歓迎の2022年の目標はこの辺りにしておこう。

次回は「20年笑われ続けた起業活動」みたいな話とかその辺を。

忘れないように、メモメモ。

そんなこんなで・・・

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2021年12月18日 4:26 CAT :

鬼が笑う来年の話もチョッとだけある「おっぱい」ぶりんぶりんオナニー話2021

前回の話書いてから、また随分とご無沙汰してしまった。

正直、ブログと描いてる場合じゃねえよ。な感じも満載な日々をお送りしてるんだけれども、不意に深夜、急激にムラムラしてきたので、チョッとだけ「言葉」と言う名の精液でもぶち巻くオナニーがやりたくなってしまった次第でございます。

その前に、漫画を描きたくてうずうずしてるし、年内には「G」を完結させるんだよ。

あと「極ニュースチョクホー」も年内に100本目までは書こうと思ってる。

やるよ。

それはやるって決めてるんだけど、ま~~~~~~~~~ったく着手出来ていない現状。

簡単にだけ、ここ最近のお仕事の話とか心持ちの話とかを書き綴っておこう。

一応、今年の春に事業を法人化した。晴れて、志茂田社長になった訳なんだけど、とは言え、副社長の嫁と二人でのほほんとやってる感じで、まぁ、言ってみれば基本的な事は何にも変わらないでやってたんだ。

ただ、そんな事も言ってられなかった。

世の中の流れは、オレの想定の500億倍くらいの速さで流れていく。

こんなクソ田舎で細々とお仕事やってるオレなんかに、お仕事を回してくれる、本当にくっそありがたい皆々様がいっぱい居る。

これについてはただただ感謝しかない。ありがとうございます。と、その心だけは忘れないで、誠心誠意お仕事には取り組んでるつもり。

反面、オレ一人の力で出来る所の限界も近づいてきていた。

実際、今年は盆明けくらいからほぼほぼ休日なしで、力尽きたら寝る。起きたらまた仕事をする。土日は、チョッとだけ夜まとまって寝られる日。と言う、生きてるんだか死んでるんだかよく分からない「まつりちゃんサイクル」でやってきた。

それでも、クライアントさんに納期を何カ月も待ってもらったりしている現状。

オレはどこに向いて、何をやってるんだろう。

子ども達と遊ぶ時間も無くなって、仕事貰ってるクライアントさんにも迷惑をかけて、自分では休みもなしで体もボロボロになってる。30年ぶりに喘息が再発した。

なんか違う。

なんか違う。

なんか違う。

なんか違う。

なんか違う。

なんか違う。

そんな事が頭をよぎり始めた。

もちろん、今の現状は自分で選んだもので、正直サラリーマンしてた頃と比べると、精神面でも収入面でも話にならない位いい感じになってきてる。

それはそうなんだ。だがしかし!だ。

気が付いたら、また、訳の分からないところに迷い込もうとしてた。そうじゃないだろ。

そんな時にひとつのタイミングが来る。

知り合いの社長さんが高齢で会社を閉める事にしたと言う話から始まる。

その社長さんの会社で今いる社員さんを引き取ってくれれば、仕事もそのまま全部引き継いでもらって良いと言う・・・しかも、その引き継ぐ仕事の中には、「そんなでかいところとオレが取引するんですかい?」と言うようなものもあったりする。

それを契機に色々考え始めた。

会社を組織化すると言う判断。

経営者目線で言えば、当たり前と言えば当たり前かもしれないけど、人付き合いが嫌で好き勝手したいからと言う理由で一人でやってきたオレにとっては、その決断はかなり勇気のいるものだった。

それでも、今の生活を続けてたら絶対すぐ死ぬ。しかも、子どもや嫁と共有する時間を削りまくる生活をした果てに。しかも、オレを信頼してお仕事をくれているクライアントさんにクソ迷惑をかけて・・・

結局、数ヶ月悩んだ末に、この決断を下し、人を雇って会社を組織化する方向でここ2カ月ほど動いてた。

それはそれで、別の忙しさが色々出始めた。書類関係とか、所定の機関に足を運んだり、仕事の割り振りを決めたり、そもそも就業規則決めたりとか・・・

実務以外の仕事がメッチャ増えた。昼間は人と会ってきて、夜に机の前で実務をこなすと言う感じ。

結果、ついにブログはおろかマンガを描く時間も取れなくなり「G」の定期更新もできなくなった。年内に最終話を描くと言うスケジュールの凄い下方修正も余儀なくされた。

ついでに、社員さんの生活を守らないといけないと言う責任感も付随してきた。

社員さんに気持ちよく仕事して貰って、幸せな人生を過ごしてもらいたい。

決してオレみたいに、恫喝されて、追い詰められて鬱になって退職するようなことが無いように。と。

世の社長さんは本当尊敬するわ。

こんな感じになるのか。一人で気楽にやってるのとは全く世界が違うよ。おとっつぁん・・・

そんなずっと白目向いてた生活が、1カ月くらい経ったのか。

もうすこしで2か月なのか。

まぁ、その位だ。

感覚がチョッと麻痺してきた。

と言うと語弊があるけど、超人見知りなのに週の半分くらい人と打ち合わせしていることも、肩に乗っかる責任が増えた事も、なんか気にならなくなってきた。

結果として、11月(あとおそらく12月も)、売り上げ面は、給料、その他、人を雇うための経費や設備代を支払っても全然問題ないくらいに爆上がりした。

今まで、何カ月も納期を待ってもらってた仕事もガンガン仕上げられてる。

一人で抱え込んで「絶対間に合わねえよ」と思ってた仕事を「ここ手伝って」と割り振る事で、苦手だったことや、時間のかかってた事をやってもらえるようになり、自分でやる仕事が前よりスムーズに進むようになった。

人に仕事を振るようになってから、抱え込む癖が無くなって、嫁にもヘルプ出すようになった結果、会社経営に嫁もかなり参加してくれるようになって、一緒に会社をやってる感じにもなった。

何より「納期ヤバい!」「協力するから何とかしましょう」と言う、このコミュニケーションがある事で、追い詰められてた気持ちがかなり軽くなって、12月めっちゃ忙しかったのに逆に心穏やかになってきた。

今のところ。と言う前置きをした上でだけれども、実は良かった決断だったような気がしている。

これからの課題としては、会社を大きくすると言うよりは、社員さんの生活含めて、皆安心して長く一緒にやって行けるように、会社を存続させていくことだと思ってる。

現状ではまだ信じられない位忙しい毎日で、全く余裕なんかないんだけど、基盤が出来てくれば仕事量を維持しつつ、納期でお待たせすることもなく、オレも休み取って、すごく良い感じの生活が出来るような感じがするんだよね。

超絶後ろ向きに会社を退職して、鬱が激しくて就職なんかできるはずもない状態で、家族を養うためにフリーで仕事を取り始めた7年前には、想像できるはずもなかった状態の中にいる。

(人生で本当に一度だけとは言え)嫁に対してさえ「もう離婚だ」って言ってしまったくらい人間不信にもなってたあの頃は考えられもしないけれども、この7年間、周りの人に助けられて助けられて助けられて何とか生きてきた。

今も助けられて、それだけで生きていってる感じ。

人と人の繋がりとか、縁と言うものがこんなに大切なのかと、心底思うようにもなった。

人生観が自分でも引くほど変わってしまった。

「多少お金がかかったとしても、縁があったんだからあの人のところでお願いしよう」と言う、地元の小さな電気屋さんが存続する理由が、今は痛いほどわかる。

オレもそう言う気持ちで色んな人と繋がってる。

相手がどう思ってるかは知らないけど、少なくともオレは感謝の気持ちを込めて、そう思って行動してる。

人生は何があるか本当に分からない。

女子との総合会話時間10分にも満たない暗黒の学生時代をリストカットと一緒に過ごしたオレが、今や、嫁も子もいるんだ。と、ずっと言ってきた。

でもそこに、鬱で退職したまま人間不信になり社会復帰できずに貯金食いつぶして死にかけたオレが、今や、色んな人と一緒に会社を経営するようになったんだ。と言えるようになったんだ。

個人的な感覚で言うなら、人生2回目のV字回復。いや、それは調子に乗り過ぎか・・・まだ、分からねえもんな。

まぁいいか。

そんな、2021年。

振り返るにはまだ早いかも知れないけど、相当激動の1年だったよ。

まだここから何かあるかも知れないけど。

それでも、何が起こっても、オレにできる事は目の前にある事をコツコツやっていくだけ。

オレみたいなうんこ人間に出来る事なんか、ホントしょうもない事だけなんだよ。

でも、それをずっとコツコツ続けるだけ。

1日1日は大したことなくても何年も続ける事で、しょうもない事も形になるらしい。

自分に重ねてそんな事を思ったここ数カ月でございました。

ただ忙しすぎて、記憶がおぼろげなんだけども。

そして、来年はチョッと暗雲と言うか、いくつかの不安材料を抱えてたりもする。

来年はのんびりとした1年でありますように・・・

おっぱいぶりんぶりんの参考画像。

後年内に1回くらい、振り返りがしたい・・・

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2021年10月3日 2:07 CAT :

「田代まさしのお久しブリーフ」を楽しみにしていたのがもう12年前と言う事実をネタにオナニーする宣言

まぁまぁご無沙汰になってしまっております。

何とか生きてるよ。って言う事に関しては、まぁ、別に敢えて言う事でもない上に、大体察して貰えてるような気がしないでもないんだけれども・・・取り合えず、色々あった。

色々あって気が付けば前の投稿から2か月も空いてたと言うね。

何というか、まぢでここ最近の時間の流れの尋常じゃない速さはどうにかならないもんだろうか。これ。

原因は不明なんだけど、子どもの頃ずっとオレを苦しめてくれていた持病の喘息が、突如再発した。

ここ数年かけて、徐々に悪化してきていて、遂に限界を突破して具体的に体にメッチャ出た結果、色んな所に支障を着てしていた感じらしい。

検査の結果、オレの肺は一般男性の20%程度にしか機能してなかったんだって。

で、その治療のため、7月~8月くらいの間ホントに大人しくしてた。

ブログはもちろんの事、漫画も描いてないし、マイクラもしないで、無理しない程度にお仕事して、日付変わるくらいには寝る。と言う、何とも人間らしい生活。

あと、変な吸入器みたいな薬とかを投薬されてた。

この辺は、先走り汁タラタラで、「極ニュースチョクホー」の方で描いてたりもするけれども。

今はもうかなり良くなってきて、よく言う「小康状態」になってる。

お仕事とかの感じも元に戻ってきて、漫画も少しずつ描き始めた。そして遂にチョッとブログの記事でも更新しようか。となれたわけでございます。

良かった良かった。

たらればで申し訳ないけれども、あの喘息がマックスの時に、コロナにでもかかってたらほぼ100%死亡してたんだろうな。

いっそ死んでしまった方が楽だったような気がしないでもないけど、目に入れたら痛くてしょうがない子ども含めた家族もいらっしゃるのでそうもいかない。

オレは、孫を見るまでは死なねえんだよ。

もしくは、漫画のすべてを描き切るまでだ。

(↑)そんな感じでございます。

また、週に1回くらいブログの方も再開しようと思ってる。

別にこんな、アラフォーのおっさんが公開オナニーで気持ちよくなって色々な汁をぶち巻いてるだけのブログに果たしてどれだけの価値があるのかと言う感じもしないでもないけれども・・・

まぁ、それを言い出したら、家族にちょっと気を使いながら悶々とオナニーして出した精子にどれだけの価値があるのかって言う話になる訳じゃあないですか。

結局大切な事は、自分が如何に気持ちいいかと言う事。

これに尽きる。

お仕事では色々頑張ってるつもりなんだから、プライベート位気持ちよくならせてほしいもんだ。マンガでも、ブログでも。

そんな感じで、ここ最近のマンガ描いてたよ話を少しだけ。

 

 

 

週1に変更したけど、「極ニュースチョクホー」と名付けた4コママンガは、コツコツ描いてる。チョイチョイ飛んだりしてるけど、何と1年続きそう。もう少しで100本に到達するよ。

これはこれでなかなか凄いと思う。

オレの場合、唯一出来る事がコツコツ継続することだけだから、これはこれで良いと思うんだ。

この4コママンガ、ずっとtwitter上でアップしてたんだけど、さすがに100本近くなってくると過去のアーカイブがあった方がいいよなと思い至りまして、「まんがおきば」さんにアーカイブとしての文字通り漫画置き場を作った。

「サナダムシより細く長く」

(↑)ここから飛べるよ。

で、お絵描き再開の最初のリハビリとして、このアーカイブ用のトップ絵を描き下ろしたりもした。

おっさんの肛門から出てきているサナダムシを女の子2人でいじって遊んでいると言うイメージで書いてみたけど、描いた事もないシチュエーションだったもんで、あんまりうまく描けなかったよな・・・そして、こんなシチュエーションを描く機会があとどれだけあると言うのか。

一応ここでは、過去にブログ形式でアップしてた「サナダムシより細く長く」って言う4コマも一緒にアップしております。

マルチアップロードを許してくれている「まんがおきば」さんは、なんかまぢで気軽に使えてありがたい存在だ。ありがたやありがたや・・・

 

 

 

これとは別で、過去に数年間運営していた「志茂田さんまんが堂」。

これがもう新都社さんで作品を発表していく上で、1ミクロンも寄り添っていけない存在だったので、完全にリニューアルさせた。

どうしたかと言うと、シンプルにただ、過去にアップしたマンガの一覧を載せてるだけの紹介サイトにしてしまった。

デザインも何もなく、ただ漫画の絵を並べただけ。

ホントにそれだけ。

で、新都社さんに掲載してる奴は、そのリンク集から新都社さんの方に吹っ飛んでいく仕様。

これなら問題なかったはず。他にも、こういうのやってる先生方色々見てきたので・・・

今回、このサイトを作る上で、今後のアップ作業も簡単にしたかったので、今をトキメクwordpressを漫画が簡単にアップできる仕様にカスタマイズした。

ぶっちゃけて言えば、「まんがおきば」さんのUIに近い感じのイメージをオレのマンガをアップするためだけにわざわざ無駄に構築した感じ。(使うのがオレだけだから、すっげー適当にだけど)

もちろん基本的に今後も新作については「新都社さん」もしくは「まんがおきば」さんの方で発表していくつもり。

このサイトの方で更新するものと言えば、すでに過去にチョッと公開してしまって新都社さんでは公開できない「やみ。世界」とか、あとは、アップはしたいけどあんまり人様の目には触れさせたくないと言う微妙な立ち位置のマンガ「first end」や「marionette」とかになるか。あと、元ネタの方の「ランナ」や「G」とかも、今後はこっちでアップしてみても良いかなと。

そんな、尋常ならざる糞マンガをアップするためだけに、ここまでカスタマイズとかする必要あったのか。と、今更ながらチョッと思う所もあったりなかったりします。

一応、そのマンガまとめは(↓)

志茂田まんがまとめ

スマホ対応はまだしてない。また、暇なとき見つけてコツコツやっておきます。(多分)

いやしかし、自分で好き勝手にデザインを作れるってらくちんで良いわぁ~

まぢで。まぢで。

 

 

 

最後に、「Gの世界」について。

今年中に完結する事を目標にしてたのに、(上記の喘息とか何やらで)気が付けばそれすら危うくなってたので、9月半ばに急いで再開した。ホントはもう少し書き溜めてから再開したかったんだけども・・・

何話か書いた後ふともうこれ以上止まったら目標達成できない・・・と焦りはじめ、「これもう先にネーム仕上げておいた方が良いんじゃね?」と考えた。

で、ここ2週間ほど、ネームだけとずっと向かい合ってきた。

その結果・・・

・・・・・・

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

書きあがりましたよ。

「Gの世界」最終話までの全ネームが。

なんかもう最後の方とか、描いてて自分で泣きそうになってた。

思ってる以上にちゃんとまとまったような気がしている。

ただ、内容詰め込み過ぎたなと思って、敢えて説明調になった場所をバッサリカットしたりもしたので、果たして、どこまでこの内容で読んでもらえるのかは、チョッと不安ではあるけど。

まぁ、元々超不人気マンガだし、そこはそれ。

気にしないで、しっかり最後まで描いていく。

マンガ描く上で、作画じゃねえんだよ。筆が止まる原因は、100%ネームなんだよ。

ネームが全部出来上がっている今、恐れるものは何もない。

ただ淡々と、完結までの残り100ページほどを作画し続けていくのみ。

最後がちゃんと描けているかどうかは、個人的に結構大切だと思ってるので、気合入れて残りページの作画やっていきやす。

 

 

 

とまぁ、そんな感じで。

来週こそ、書く書く詐欺になりつつあった、新都社マンガレビューの第2弾を更新するつもりでおります。

ただし、絶対書くとは言わない。

じゃあの。

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2021年8月4日 11:30 CAT :

無修正で見るよりもモザイク付きを見て向こう側を妄想する方が興奮できるお年頃

藤本タツキ先生の読み切り「ルックバック」。

読んだ瞬間、これはメッチャ素晴らしいな。名作だな。とは思ったけど、まさか、京アニの事件と統合失調症を結び付けるような描写があると言うそんなアホみたいな点で、修正させられるとは思わなかった。

作品自体の論評については、別に良いんだよ。

オレは名作だと思ったから。

ただ、この修正と批判については、チョッと言いたい事があったんので、書いてみた。そしたら思いが溢れてきたと言うか、結構長々となってしまった。

こういう話については、ツイッターとかで文字数制限の中で書くよりは、絶対ブログみたいなところでちゃんと長々と自分の意見を書いた方が良い。

SNSがどれだけ流行っても、オレはこの形式が良いと思っております。

さてさて。

「ルックバック」の不適切表現の修正について。だ。

ただ、最初に行っておくと、この件について、ぶっちゃけ経緯とか良く分からない。

なので、裏でどんなことがあったとかそういう話は取り合えず抜きにして、単純に編集部の出したコメントと、実際に修正されたマンガを読んだだけと言う状態で、人の気持ちが分からない本来なら保護と言う名の隔離をされるべきキチガイ障害野郎が好き勝手に憶測100%で書いておりますので、悪しからず。

とか、予防線だけ張っておこう。

では、本題。

この漫画を読んだ人の中で「あ、この話京アニの事件を一部モチーフにしてるわ」と思った人は割と多かったと思う。

でもこの漫画を読んだ人の中で「京アニの事件と結びつけられたせいで、統合失調症の人が変な風に見られる」と思った人はこういう話にクレーム入れるのを生きがいにしてる人以外あんまりいなかったと思う。

むしろ、この修正のせいで「統合失調症の人と京アニの事件って関係あったの?」みたいに余計な部分に興味を持った人の方が多かったと思う。

差別とか平等とかについてオレが昔っからずっと言い続けてるのは、ネタにできるようになって初めて平等だと言う事。

例えば、統合失調症のヤツと友達だと仮定する。

オレはそいつに対して「こいつ統合失調症のキチガイだから、すぐ変な妄想に取りつかれるんよね。気持ち悪ぅ~」ってバカに出来て初めてそいつと仲良くなれる気がする。

逆にそいつがオレに対して「発達障害の奴って、クソアホだから誰でもできる簡単なことも出来ない役立たずなんだよね。オレが手を貸してやらねえとすぐ死ぬ屑だわ。」とバカにしてくれたって、オレは「世話になってまぁ~す!」ってケラケラ笑ってると思う。

平等ってこういう事じゃねえの?

実際最近、「この志茂田さんは、頭おかしいし、ADHDだけど能力高いし、面白い人だよ」みたいな紹介されたけど、別に何とも思わなかったな。ケラケラ笑ってた。

ここから「頭おかしいし、ADHDやけど」の部分を省かれた紹介をされた上で、後から、「この人はADHDです。表現には気をつけましょう。」とか「志茂田さん扱いマニュアル」みたいなのがオレの知らないところで作られてて、皆から腫物扱いされる方がよっぽど傷つくわ。

今回のルックバックを読んだ「統合失調症」になってる人のほぼ100%が、「このマンガのせいでオレの立場が悪くなるな」とは思わなかったんじゃないかな。

こういう事言うヤツは、大体が勘違いした正義漢気取りのキチガイクレーマーか、車いすに乗ったちっこいおばちゃんみたいな自己顕示欲と利権のために障害を利用としてるクズ。もしくは、それに乗せられてしまった自分で何も考えられないアホなんだよね。

あんまり好きじゃない漫画家さんだけど、佐藤秀峰って先生の「ブラックジャックによろしく」と言う名作漫画がありまして・・・その中で、「キチガイ」をテーマにした「精神病棟編」がある。

オレは、このシリーズを読んだ時、本当に目からウロコだったんだよ。

この漫画では、池田小の事件をモチーフにして、あの事件を起こした男と統合失調症の扱いについて、結構踏み込んだ内容を描いていた。

マンガの中で、「事件と病気を結び付けてマスコミが印象操作することで、一番被害を受けるのは、統合失調症を患わっている普通の人たちだ」と何度も訴えていた。

今回の「ルックバック」の件についても、同じことが言えると思う。

別に良いんだよ。京アニをモチーフにした事件を漫画に盛り込んでも、その犯人が統合失調症っぽい言動をしたとしても。

それが事実かどうかも、そこに作者の作家性がどう出ていたかも関係ない。

一番問題なのは、「統合失調症の人はキチガイなんだから、こうやって漫画の中でそれを匂わす表現をするんじゃない!」と抗議することで、「統合失調症=危ない=触れてはいけない」と言う印象操作がなされてしまう事だと思う。

オレがここ最近、自分がADHDとか重度の発達障害とかそんな事を意識させられて、劣等感を感じ始めてるのは、ぜ~んぶ100%世の中の(↑)みたいな自称正義を振りかざしてるキチガイどもの「ADHDは頭おかしいから、普通と一緒に混ぜたら可哀そうだ」と言う狂気染みた偏見と差別のせいなんだよ。

それに関しては、本人であるオレが言ってるんだから、誰にも何の反論もさせない。

お前らキチガイのせいで、オレは肩身が狭い上に、自分に対して劣等感を無理やり押し付けられてる。

今回のこの件も、確実に世の中の統合失調症を患っている人にとってマイナスの影響しかない。絶対にない。絶対にだ。

障害も個性のうちなんだろう?

病気は誰でもいつなるか分からないもんなんだろう?

もし、この理論で行くのであれば、「絵を描くのが上手い人を描いた問題表現がある」とか「友達と仲良くしている表現には傷つく人がたくさんいる」とかそんな部分にもクレームも入れてみろよ。

個性とか病気を内容によって良い悪いで分けて、一番差別してるのは、こういう事に対して声を上げて、自分は良いことした気になってるキチガイどもなんだよ。

こいつらを駆逐しない限り、この世界から差別はなくならないと、この歳で発達障害の烙印を押されたおっさんは思っております。

一人ひとりに個性があり、考え方があり、生き方がある。

それを全て十把一絡げにして、曲がった正義の元にクレームにすること自体が、同じ人間として見ていない、差別と偏見に満ちた考え方だと思ってるんだけど、どうだろうか。

統合失調症を患っていて変な幻覚にとらわれて犯罪を起こす人間もいるだろう。

でも、風邪をひいて倦怠感とイライラから犯罪を起こす人間だってきっといる。

そういう人に対して「風邪をひいてた人間=犯罪を起こす危ない奴=触れちゃいけない」と言う式が成り立たないように、統合失調症でもこの式が成り立ってはいけない。

統合失調症もただの病気の一種でしかない。

「ルックバック」の中で、殺した男が「風邪をひいて寝込んでる時に、楽しそうな声が聞こえてムカついたから乗り込んだ」と言う表現だった場合、頭のおかしい男がたまたま風邪をひいてただけだと受け取るはず。

これに対して「風邪をひいた人への偏見になるから」とクレームを入れたりはしないって。

マスコミの報道でも、事件を起こした人間が風邪をひいて内科に通院してたとしてもその通院歴を報道することはない。

でも、統合失調症を患って精神科に通院してたら、その通院歴をここぞとばかりに取り上げる。

ここに違和感を感じないのであれば、それはもう完全に「統合失調症=危ない奴」と言う印象操作が完了してしまっている、結構危機的な状況だと思う。

忘れないでほしい。このクレームを入れた人たちは、統合失調症という誰にでも起こる可能性のある病気に対して「発症してる奴はキチガイ」と言う強烈な差別意識を持った人たちだと言う事を。

もう一つ問題なのは、この強烈な差別意識を持った人間に訳の分からない配慮をして、修正を行った編集部。

統合失調症を患ってる人が「この漫画を読んで、ひどく傷つきました。訂正してください」と言ってきたのなら、まぁ、それもしゃあないかなと思うけど、十中八九差別意識だけ高い関係ない人だと思う。

そんな人たちに迎合すると言う事は、編集部としてもこの差別行為に加担していると言う何とも残念な話でしかない。

なんかさ、昔の日本のメディアって、こういうクレームに対して「別にそういう意図はありませんので、修正しません」って突っぱねてたらしい。

実際、そういう意図はないんだし。

でも、これを「修正する」って事は「そういう意図があった」と言う取り方になるんだよ。少なくともオレは。

オレ個人の感じ方で言えば、昔の方が差別意識はなかったと思う。

発達障害で、ここ最近まで差別的な事を受けてこなかった。

もちろん人間として否定されて、色々辛い思いもしてきたけど、それは、オレ個人の人間を、他の人間と平等に並べて、オレが気持ち悪い奴だったからであって、障害の有無は関係なかった。

因果関係の問題じゃない、オレがハブられてた理由は障害のせいじゃなくて、平等に人として見た上でのものだったからだ。

今の時代ならオレは、障害を理由にして差別されて、皆とは違う場所に隔離されるんだろうな。

考えただけでも恐ろしい。

それだったら、人間として否定されて、砂漠の砂鉄のような扱いを受けて、クラスでなんかある度に吊し上げられても、皆と同じ教室で同じ勉強が出来ている方がよっぽど良かった。

もちろん、そうじゃない奴だってたくさんいるだろう。

だから十人十色だって言ってるじゃねえか。

本当に差別意識なく、一人の人間として障害者を扱う気があるのなら、対応の仕方もそれぞれの人間に合わせるべき。

それが出来ないなら、雑にまとめて「どうせキチガイなんて、ノータリンだから、こんな感じだろう?」って言う対処の仕方なんかしない方が遥かにマシだと思う。

今回のこの件に関して、オレは「クレームに対して【そういう意図があった】ことを明確に認め修正した編集部の対応で障害を抱えているおっさんとして物凄く傷つきました」と言っておく。

別に、編集部に対してクレームは入れないけど、言っておく。

その修正はいったい誰のために、誰に向けて行われた修正だったのか。

藤本タツキと言う天才漫画家の表現を捻じ曲げてまで行う必要のある修正だったのか。

今一度、考えてみて欲しいもんだ。

 

 

 

これ、いつもの記事の中のひとつのネタくらいに考えて書いてたんだけど、気が付いたら、物凄く長くなっちゃったので、ひとつの記事として上げっちまおう。

これを描いてたせいで、いつもの4コマ描いてる時間が無くなっちゃったけど、まぁ、それはそれ。

後悔はしていない。

じゃあの。

 

 

 

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2021年8月1日 3:36 CAT :

つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしオナニーにふけりけり2021 その7

今週も、新都社マンガのレビュー第2回を書こうと思ってたんだけど、なんか、思ったより時間がかかってて、書けそうにないので、当たり障りのない感じの内容でお茶を濁しつつ、来週こそあのなんか癖になった不条理マンガについて熱く語りたい次第でございます。

と言うか、全くマンガが描けない。

オレの唯一のアイデンティティが、日々の悲喜交々に忙殺されていくと言う現状は果たして良いのかどうか・・・

アーリーリタイアと言う概念があるけれども、オレもアーリーリタイアして、ギター弾いたり、漫画描いたり、マイクラしたりしながら、ダラダラしたい。

でも、結局はお金か・・・お金だよな・・・

最近、毎日「オズワルド」さんの漫才ばっかり見てます。

 

 

 

●面接してきた

知り合いの社長さんから「志茂田さんとこで雇ってあげてみない?」と人を紹介され、その人と話をしてきた。

世間的に言うと、面接だよな。これ。

ついに、オレが選ぶ立場になったのか。とはいえ、偉ぶっちゃだめだ。所詮、砂漠の砂鉄の一粒なんだ。と言い聞かせながら、約束の場所へ。

面接してきた。

「何が出来ますか?」って聞いたら「デザインとか、プログラムは全くですが、ネットワーク系はある程度できます」と。

・・・それは、オレが欲してる人材なのか?と言われると、何となくこの段階で違う気がする。

とは言え、せっかくなのでもう少し突っ込んで聞いてみた。

「ネットワーク系と言うのは、具体的にはネットワークの構築とかをされてたと言う事ですか?例えば、社内のPCのネットワークを構築したり、後その辺のセキュリティーとかをお願いできますか?」

「いや、そういうのはチョッと・・・」

「じゃあ、AWSとかの領域でサーバー構築とか・・・」

「いや、それも出来ないです」

「??社内のメインサーバーの運用とかその辺の・・・」

「それも無理です」

「?????????????すみません。ネットワーク系って、以前どんな事されてたんですか?」

「ルーター使って、wi-fi繋いだりしていました」

・・・と言う事でした。

オレも常識がある人間じゃないからこの辺の事良く分からないけど、世間ではwi-fi経由でネットに接続できれば、それはもう職業面接で「ネットワーク系はある程度できます」と言って問題ないもんだろうか。

うちの小学生の娘がスマホでYOUTUBE見るために普通にやってるレベルの話なんだけどなぁ~

そもそも、デザインとか出来ないし、興味もないとの事だったので、今回はお断りの流れになると思う。

なんか、オレごときがお断りをすると言うのも、何かイヤなんだけど、さすがにチョッとこれは・・・そんな感じでございます。

ただただごめんなさい。

 

 

 

●骨伝導イヤホン続報

前にちょっと触れた、骨伝導イヤホン。

結構お気に入りでよく使っている。

いるんだけど、ふと気が付いてしまった。

イヤね、普段音楽聴く分には全く気にならなかったんだけど、先日映画を見てた時に、なんか不思議な違和感を感じてしまった。

なんか、声と映像が本当に少しだけずれてる気がする。

ホントに少しで別に気にしなければ分からないレベルの事。

実際、YOUOTUBEとかを仕事の横でダラダラ流してる時は、気にならなかった(そもそも、YOUTUBEって音ズレしてる動画もよくあるし)。

でも、気にし始めると、確かにYOUTUBEでも、映画でもなんでも確かにずれてる。

コンマ数秒のズレだと思うんだけど、これがまた絵を描く時の「不気味の谷」みたいに気持ち悪いんだよな。

bluetoothのレシーバーと有線のヘッドホンで聞いてる時には、このズレは出なかったので、bluetoothの問題ではなくて、多分、振動として骨を伝わって耳に届くまでのタイムラグなような気がする。

まぁ、別に普通に音楽聴くだけなら、どうでも良いズレなので、使うタイミングとかの問題なのかなと思ってる。

バカと鋏は使いようと言う事でございます。

いや、それは違うか。

 

 

 

●能力至上主義の闇について

大好きな岡田斗司夫さんがゼミで、能力至上主義の危険性について色々と話してた。

実に興味深い話だった。

オレも世間から追いやられて、まともな社会生活が送れなかったために、色々苦労した身なので、自分が頑張ればなんとかなると言う「能力至上主義」って良いもののような気がしてた。

でも実は、「能力」と言う言葉自体が非常に危うさを持っていて、そして、この考え方自体が人間心理の逃げ道を塞いで追い詰めてしまうと言う面があるらしい。

オレ程度に出来る事なんだから、誰でも出来るだろう。と言うテンションで、オレが今までやってうまくいった事とかを人に勧めたりもしてた。あまつさえ、「そうした方が日々楽しく、お金も稼げてめっちゃ良いよ」位言ってた。

でも、それは「人と同じことをする能力に著しく欠如していて、好きな事になればずっと夢中で勉強していくと言う能力があったオレにとっては」と言う但し書きが付いての話だったと言う事らしい。

逆に「人と同じことが出来て、集団の中で力を発揮できるけど、一人になると集中することが出来ない」と言う人には、オレのやり方は、最悪の結果にしかならない。

どっちが良いと言う話じゃなくて、人にはそれぞれ能力があって、その能力の使い方についても、人それぞれだと言う事。

あと、ゼミの話の中で、メッチャ納得したのが「能力も運の内」と言う話。

そうなんだよ。

その能力がたまたま今の時代の流れとあっていた人がうまく行ってるだけで、そうじゃなかった人がたまたまうまくいかなかっただけにしか他ならない。

オレの学生時代はまだ、発達障害と言う言葉も浸透してなくて、オレなんてクラスでメッチャ吊し上げられてた。

発達障害を腫物を扱うみたいに差別する今の時代だったら、確実に別室行きだったと思う。

オレは、「お前はホントダメな奴だな!」って、他の生徒と同じ目線で見た上で、出来ない奴として吊し上げられる方が差別と言う観点では平等だったと思ってる。めっちゃ辛かったけど。

別室行きにされてたら、「普通の人と違うダメ人間だと言う烙印を押された」と感じて、プライドの高いオレの性格は確実にクソ曲がってただろうし、そうなると今と違う生活になってたはず。

でも、逆に吊し上げられたりしないで、別室行きになってた方が将来うまく行ってたであろう発達障害の同年代のやつもいるはず。

オレは、運が良かったんだよ。

たまたまオレの病気と時代のやり方はあってた。ただそれだけ。

だから、他の発達障害で人生苦労してる奴がいたとしても、オレが自分の人生をあたかも成功体験のように語って、「お前は頑張ってねえんだよ」とは絶対言っちゃいけないんだよな。

能力なんて人それぞれ。

もう少ししたら、足が欠損してる人間の方がトランスヒューマニズム的観点で見れば、早く走れる義足をつけれるから、五体満足な人より優遇される時代が来るかもしれない。

 

 

 

●金色恵比須・・・!?

偉大なるダミアン浜田陛下まさかの地球再臨と、新バンド結成と言う、別に聖飢魔Ⅱ信者じゃなくても、胸アツになる出来事から半年。

ホントに素晴らしい音楽を届けてもらえて、ただただ感謝しかない。

でもふと、そのバンドメンバーはどんな人なんだろうと言う興味がわいた。

ボーカルの「伊舎堂さくら」さんは、前に調べた時、ガルネリウスをバックバンドにすげーパフォーマンスをしてて、「こいつはとんでもねえな」と思ったことを覚えてるけど、それ以外のメンバーだよ。

話がチョッとそれるけど、聖飢魔Ⅱと言うバンドは、色者扱いしては失礼な途轍もない超絶技巧バンドだと言う事を忘れちゃいけない。

ダミアン浜田陛下の作る楽曲は、その聖飢魔Ⅱをもってして、やっと表現できる凄まじい世界観を持っている。

演奏技術で言うとかなり超絶技巧だと思う「セックスマシンガンズ」が、以前、デーモン閣下をゲストにダミアン陛下の曲を演奏してた事があった。

非常に申し訳ないけど、すげぇ「ああ・・・」ってなったんだよ。

その位、ダミアン浜田陛下の作る楽曲の世界観を表現することは難しい。

なのに、このダミアン浜田陛下の新バンド「Damian Hamada’s Creatures」は、それを表現しきってるんだよ。

デーモン閣下に勝るとも劣らない圧倒的歌唱力を持つ伊舎堂さくらさんはもちろんのこと、ギターもリズム隊も、それどころかコーラスボーカルまでもが途轍もない表現力を持ってる。

と言う事で調べてみた。

メッチャ申し訳ないけど、知らなかった。

「金属恵比須」と言うバンドさんらしい。結成30年くらいの大御所バンドさんなのに、知らなかった。申し訳ないです。

早速試しに、YOUTUBEに上がってる動画を見てみた。

もはや絶滅危惧種となったプログレバンドだったよ。

日本のプレグレと言えば「美狂乱」だよね。と言いたいところだけど、「美狂乱」はもう神の領域に到達しすぎていると思う。ロバート・フィリップ御大が率いててもおかしくない。完全に日本のキングクリムゾン。

そうじゃない。

この「金属恵比須」さんは、プログレッシブロックを絶妙なラインでギリギリ大衆向けにした楽曲と言うイメージ。

プログレやってる時の筋肉少女帯に近い感じもしないでもないけど、チョッとそれとも違う。

初期キンショーのプログレにあったヒリツキ感やピリツキ感といった変な緊張感はない。(最近はキンショーも丸くなっちゃったけどけど)

何だろう。うまく言えないけど、凄く心地いいんだよ。

取り合えず、ひとつ動画張り付けておこう。

メッチャ良いバンドを見つけてしまったな・・・

と思ったら、スターレス高嶋のご推薦バンドだった。

でしょうな。

アーバンギャルドのCDは全て集め終わったので、しばらくはこの金属恵比須のCDを探して生きていきます。

 

 

 

まぁ、そんな感じ。

ネームはいっぱいできてるので、早く作画をする時間が欲しい。

あぁ~時間が欲しい。

あと、せっかく開けたのでかわいいピアスが欲しい。

だそうです。

8月からアマプラで「シンエヴァ」が配信されるそうなので、この夏は、シンエヴァ4本を一気見しようと思ってる。

学生時代ちょっと嫌な事があって、エヴァはずっと見てなかったんだけど、そろそろ学生時代のトラウマ引きずってる場合でもないよな。

ただ、オレのような無知蒙昧に理解できる内容なのかどうか・・・

楽しみではあるんだけれども。

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2021年7月28日 11:30 CAT :

「オレ・・・君のふんどしで精子まき散らす全力オナニーするよ」宣言~その1

と言う事で・・・1回書いてみて、良い感じだったら、今後、ちょくちょくマンガレビュー的な事を描いていこうかと思っております。です。

以前、メッチャ調子に乗ってCDとか買うたびに、超上から目線で感想書いてた事があった。

たまたま、犬神サアカス團の明兄さんがこのブログを読んだと言う話を聞いて、それ以降「本人が読む可能性があるのか!」ってビビり始めて、次第にこういうレビュー的な事は控えるようになっちゃったんだよな。

今からやろうとしていることは(↑)以上に、作者さん本人の目につく可能性が高い・・・ような気がする。

なので、予め言っておくと、貶めるような意図は全くないよ。基本的に好きな作品を好意的にとらえて、オレなりに掘り下げて文章にしてみてるだけ。それ以上の他意は一切ないので、その点悪しからず。

あと、一応、前回チラッと書いた予防線についてもコピペしておくか。

●内容の掘り下げについては、岡田斗司夫風の解釈(作者の思惑ではなく、そこから発展した読者の掘り下げ)で。

●新都社にアップしてる作品(もしかしたら、「まんがおきば」さんの方でアップしてるものもあるかも)

●完結してる作品(なんとなく完結して初めて作品だと思ってるので、現在連載中、休載中、ぶん投げてるやつは省く)

●オレが好きな作品(ただし、思いついたものを取り上げてるだけなので、取り上げない=好きじゃないという訳ではない)

と言う基準で。ただ、この中の一つ、「完結してる作品」の縛りが思ったより、今後重荷になりそう。なんか早い段階でネタ切れするか、この縛りを撤回しそうな気がしないでもない。まぁ、そこまで回数続けばだけども。

さてさて。

と言う事で、記念すべき第一回で取り上げる漫画はこれだああああああああああああああああああああ!!

 

 

 

甘納豆先生作 「CMYK」

うん。言いたい事は何となくわかる。攻めてないとか、そういう話なんだろ。

甘納豆先生なら怒られないかなと言う甘えと、実はこの漫画すげえ語りたい事があると言うそんな2点から選んでみたんだよ。文句は知らん。今回はコレで行くんだ。バーロー。なんか前に、ラジオで語り倒したいって話してた記憶もあるし、第1回はコレで行くんです。あたくしわ。

取り合えず読んでくれれば、何でこの作品を取り上げたのか分かって貰えると思う。って言うか、そう信じたい。

実際書き終わってみてみると4000文字を超えていた。オレはこの「CMYK」と言うマンガで原稿用紙10枚を超える量の感想文を書いたわけですよ。その位語りたい内容があったと言う事だ。ぶっちゃけて言えば、半分くらい悪ノリだけれども。

では、以下チョットだけ夏目房之介を意識しつつ、考察してみようか。

ネタバレしかしないので、未読の人は先に漫画を読んでから(すぐ読めるので)、この記事を見て欲しい。

 

 

 

ここからは純粋な感想ですよ~

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 

 

 

 

僅か5話しかないんだけど、正直、この作者の作品の中で一番気になっているものがこの「CMYK」。

その前にまずこの「甘納豆」と言う漫画家さんの作家性について少しだけ触れておく。

基本的に全作品に目を通しているが、その中で最も感じる事は、この作者の根底にある意識が「破壊」であると言う点に集約されていると思う。

形はそれぞれあるにしても、どの作品にも共通して「破壊」がある。

我々が生きているこの世界は2極性であり、ただ破壊だけで終結することはできない。「破壊」を行う時、必ず対を成す「創造」を行う必要がある。

甘納豆作品には、あらゆる形での「破壊」があり、その後に往々にして創造されるものは「無秩序」の場合が多い。ただし、一見すると「無秩序」ながら、俯瞰的にその「無秩序」を見ると実は、かなり秩序だったものを内包している。

この相反する二面性こそが、最大の特徴だと考えられるのだ。

マンガの神様であり、稀代のストーリーテナー手塚治虫は、破壊の後に無秩序があり、その無秩序が秩序に帰納する物語を読者は面白いと感じる。となんかで語っていた。

手塚治虫の大名作「ブラックジャック」では、ブラックジャックが既存の価値観を破壊し、法外な値段や奇想天外な治療などの無秩序を突き付けるが、その無秩序が実は最も秩序だっていたと言うオチが付くことで読者はそのストーリーに心を揺り動かされる。

この手塚式の名作ストーリーを制作する上でのノウハウに近いものが、甘納豆作品に共通する作風ではないだろうか。

手塚治虫の「マンガの描き方」を熟読しているかどうかは分からないが、ストーリーには確実に手塚の血脈が流れていると感じざるを得ない。

その上で、今回取り上げる「CMYK」における「破壊」と「創造」とは一体何なのかについて、以下考察していく。

まずこの漫画のスタートは4コママンガである。

4コママンガの歴史はかなり古く、確か、江戸時代に描かれた北斎漫画にはすでに4コマに分けた起承転結の物語が描かれていたと記憶している。

時代を経て戦前・戦後に発表された数々のマンガの原型となったものが実は4コママンガだともいえる。その時代には4コマ落ちが無くても、マンガのコマ割りの大きさは基本的に同じ大きさだった。

手塚治虫のプロデビュー作は、4コママンガ「マアチャンの日記帳」だし、手塚治虫を世間に知らしめた「新宝島」におけるコマ割りもそのほぼ全てが同じ大きさの4コママンガのような形だったはず。

それ以降、手塚治虫が初期3部作(「ロストワールド」「メトロポリス」「来るべき世界」)~火の鳥初期にかけて、コマの大きさやコマとコマの間などを変える事で映画的な演出をするという画期的な方法を発明し、カンブリア紀の生物の大爆発に匹敵するほど膨大なコマ割りを開発した。(その辺の、コマ割りの変遷とかは今回は関係なので割愛するけれども)

そんな中にあっても、4コママンガは、世間の求める漫画像と一定の距離を置いて発展していく。

古き良き4コママンガを植田まさし、いしいひさいちらが守り続けていく一方で、80年代後期くらいから吉田戦車や中川いさみを筆頭にした起承転結さえも投げ捨てたナンセンスで不条理な4コママンガが台頭し始める。

90年代になってくると、「日本一泣ける4コママンガ」と評される「自虐の唄」などに代表されるような、4コママンガと言う形をとりつつも一つ一つの前後関係の繋がりが濃厚になる物語系4コママンガも日の目を見始める。

そして90年代末には、あずまきよひこをはじめとした作家によるオチや展開よりも、淡々とした日常の中でキャラクター自体やかわいらしさを愛でると言った「萌え4コマ」も登場する。

ただ、この4コママンガのムーブメントの中で(特に「萌え4コマ」が台頭し始めた頃)度々持ち上がっていた問題として、1つの4コマで完結しないどころか、4コマで落ちる事もなく、次の4コマに物語を渡してしまうのであれば「4コマじゃなくてよくね?」と言う根源的なものがあった。

この問題については、日本4コマ界の重鎮である植田まさしが直接苦言を呈するほどに大きな問題となっていき、今もまだその論争は終結していない。

2000年代以降は、4コママンガの存在意義、4コママンガとして描くことの意義を考える時代だったと言えるかもしれない。

閑話休題。「CMYK」に話を戻す。

第1話。人物紹介と普通の4コマ。一応、キャラ付けの意味がある1話。

そして第2話。連載2話目にして早々に4コマ漫画の体をなしていない普通のマンガになる。これは問題として度々上がっていた「4コママンガである必然性がない」と言う問題に対して、「じゃあ、普通のマンガにしちゃえばいいじゃん」と言う、既存意識への強烈な破壊に他ならない。しかも、1話でさらっと触れた人物像への掘り下げをよりわかり易くする形で、それが行われている。

そもそもこの第2話でのネタも4コマで、2つくらいに割れば全然描けるネタである。それをあえて普通のマンガとして描いている。

意図してなければ、わざわざ2話目で4コマの形を崩す意味なんかないはず。

一旦破壊を起こした後の3話目では、再び4コマの形に戻る。

と思ったら、4話目はまた普通のマンガになっている。

一見無秩序なように見えて、4コマのちょっとした小ネタ⇒普通のマンガの繰り返しと言うパターンかと思いきや、最終話5話目では、そのパターンすら破壊して、もう一度普通のマンガ形式をとる。かつ、5話目にして初めて、それまでの展開の伏線を細かく回収していくと言う違う方向からの秩序を構築している。

あわせて、これまでの4話をどちらかと言えば、萌えマンガに近い日常系のノリで展開していたのに対し、最終話では、王道のドタバタギャグの要素を織り交ぜてきている。

特筆すべきことは、1~5話を流れで読んでいた時にゆるい4コマだったはずのマンガが、4コマじゃなくなってて、さらにドタバタギャグマンガになっていることに読者が全く気付かないまま、この漫画を読み終える事が出来ると言う点にある。

これは綿密な計算の上で、絶妙なスピードでの移行が無ければ実現できない。長期連載していて、気が付いたら全然違うマンガになっていたと言う事はままあるが、わずか5話でこれを実現するには相当のバランス力が要求される。もし緻密な計算とかしてなくて天然でやってるなら、それはそれで天才の部類だ。ちっくしょ~

気が付けばとんでもない漫画になってたなと言う、刷り込みとすり替えはかなり高等技術であり、マンガ力が相当高いことが、この事からも伺い知れる。

併せて、この「落ちが無くて続くなら4コママンガである必要なくね?」と言う問題に対して「じゃあ、普通のマンガにしちゃえばいいじゃん」と言うコペルニクス的発想の転換は、見様によっては大友克洋が「童夢」で描いた超能力の2次元表現を、荒木飛呂彦がジョジョの第3部で3次元表現に昇華したレベルの革命。相当に画期的な発想ではないだろうか。

ストーリー漫画におまけで4コマが付いたり、4コママンガでストーリーを展開するのではなく、「めんどくさい事は良いんだよ。4コマだけど描きたくなったら普通のマンガで描くよ」となるマンガは思ってる以上に存在しないはず。

なぜ今回「CMYK」を取り上げたのかと言えば、上記の通り、手塚治虫が提唱した破壊と創造、秩序と無秩序をストーリーの中ではなく、作品自体の表現の形の中に埋め込み作品として完成させている点に他ならない。

漫画独自の展開の移り変わり。漫画表現のイノベーション的体験をたった5話、読もうと思えば5分で読める分量の中で、それもほぼ無知覚に体験できると言う非常に稀有な漫画がこの「CMYK」である。

まぁ、そんな夏目房之介風な小難しい話抜きにして、単純に空気感が好きで読んでて面白いって話もある。言っちゃえば、単純についつい何回も読み直しちゃうくらい好きな漫画だと言える。

他にも、タイトルのCMYKを4色の色として、キャラクターごとに色とその色から連想されるキャラ付けをすることで、読者が入りやすくなるように工夫されていたりとか、そういうマンガ的な細かいノウハウの話もまぁまぁ出来るんだけど、とりわけ、この漫画に置いて一番言いたかったことは、(↑)の話だと言う事で、今回の記事は結びとしよう。

次回は、今年初めころかなり衝撃を受けた、展開自体が圧倒的に不条理なあのマンガを取り上げようと思っております。

この記事で怒られたりしなければ、多分・・・

では最後に・・・

うまく描けねえもんだな。まぁ、こんなもんですよね。オレなんて。

取り合えず・・・

怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

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2021年7月21日 11:30 CAT :

「オレ・・・君のふんどしで精子まき散らす全力オナニーするよ」宣言~序章

ここ最近、なんかあった事や無かった事をツラツラと書いてたんだけど、何となくチョッと違う事をしたくなってきた。

いや、別にあれはあれで良いと思うので、チョコチョコやって行っても良いんだけどね。

何と言うか、「こういうのじゃねえんだよな」と言う気持ちが無くもない。

元々、ざっくばらんなんですよ。

思いついた事を思いついたタイミングで適当にダラダラと排泄するのがこのブログの心情だと、今更ながらにふと思ったり思わなかったり。

と言う事で、ここ数年、オレのマンガをアップさせてもらってる「新都社」さんで面白いと思って読んでたマンガをもう少しだけ読み込んで紹介してみようかなと思い立った。今さっき思い立った。

けど、その前に、簡単に「新都社」について知らない人に向けた、オレ個人の思ってるイメージを・・・

オレが学生時代漫画家になりたかった一番の理由は、「発表する場所」が欲しかったからだと、今では思っている。

別に、漫画でお金が欲しかったわけでも、漫画で生活したかったわけでもない。

自身では「ヘンリー・ダーガー」を気取りつつも、心のどこかにはきっと色んな人にマンガを読んでもらいたいと言う感情が沸々と湧き上がっては消えていたんだと思う。

古屋兎丸先生が、前になんかのインタビューで「最初は、漫画の原稿料が欲しいとは思わなかった。ただ、発表できる場所があって、そこに載せてもらえるだけで満足してた。お金は別に・・・」みたいな事を話してた(実際、古屋先生はデビューしたガロでしばらく、原稿料無しで作品を発表してたはず)。

オレが学生の頃は、漫画同人誌と言う存在は完全に消滅、ガロは風前の灯火・・・かと言ってネットは、電話線をぶち抜いて接続し、1分間で何円みたいな時代。SNSなどあるはずもなし。

コミケが少しずつ大きくなり始めてはいたものの、BL含めた二次創作エロな薄い本はまぁまぁあったけど、一次創作には物凄い白けたムードが強かった。

要するに、どっちを向いてもアマチュアの書いた下手くそなマンガを誰かに見てもらう事は出来なかった。

アマチュアマンガでくくるなら、1990年代は最も暗黒の時代だったと思う。

マンガを人に読んでもらうには、漫画家になって、商業ベースに載せるしかほぼほぼ選択肢がなかったんだよね。(少なくともオレの住んでいるクソ田舎の環境では。)

時代の流れが変わったのは、多分、2000年に入ってから。

このアマチュアマンガの絶望的な状況を打破しようと思ったのかどうかは知らないけど、西野空男と言う、個人的にはメッチャリスペクトしてる先生が、マンガ同人界が騒然とした「架空」と言う同人誌を立ち上げた頃だと思う。

丁度、megwinが世界で初めてネットで動画投稿を始めた頃。

作品を発表するメディアにイノベーションが次々と起きた時代だよね。今考えると。

オレはたまたま嫁(まだ結婚前だけど)と二人で倉敷を旅行していて、美観地区の端にある「蟲文庫」と言う本屋さんに立ち寄った。

その時、その本屋さんで「架空」と「漫画の墓場」と言う2つの雑誌を手に取った。ペラペラめくって面白そうだったから、一応お店に置いてあった本を全部買い占めて帰ったんだよ。

で、帰ってから、そのマンガ雑誌を読んだ時、「あああああああああ!!これだあああああああああああ」ってなった。

そこには「斎藤雑魚先生」や「木下竜一先生」や「甲野酉先生」などの作家さんの書いた目くるめく凄まじいマンガが載っていた。

世間に商業マンガや二次創作しかなく、自身の書きたい作品や世界観を描くことを世間から拒否された天才作家さんの鬱屈とした、それでいて途轍もない熱量が込められた作品の数々。(この表現は失礼にあたるかもしれないけども)

特に、「斎藤雑魚先生」のマンガなんか、何だろう・・・マンガとは何ぞやと言う既存の概念を吹き飛ばしてくれるほどの衝撃を受けたもんだ。

すぐさま、オレは自分の描きためてたマンガの中で、ちゃんと原稿に仕上げているものを、西野先生に見てもらおうと思ったんだけど、丁度その頃、なんか「架空」の編集の人と西野先生との間でトラブル的なものが起こってて(確か、応募作は全部雑誌掲載するとか、そんなふざけたことやるか!みたいな話だったと・・・)、その後すぐに、「架空」の刊行はストップした。

オレは結局、この数年だけ起こった漫画同人界隈のムーブメントに全くかすりもしないまま終わってしまった。

それからさらに数年。

前置きが長くなったけど、「やっぱり誰にも見せずに静かに朽ちていこう。第2のヘンリー・ダーガーになるんだ」と思ってた時に見つけたのが、この新都社だった訳でございます。

なんか話が、90年代以降のアマチュアマンガの歴史みたいになってしまったけど、オレが新都社さんに持ってるイメージって、これにちょっと近いものだったりする。

元々の発祥は、2ちゃんねるらしい。その辺の事は良く分かんない。大体オレなんて、チョッとまとめサイトを見る位で、ねらーでもなんでもないので、全く分からない。

ただ、今の新都社さんは、まぢで作家さんが自分の思うがままの表現を、本当に自由に投稿してて、そして、それを尋常じゃなく受け皿のでかい読者さん(作家同士で読者してたりもするけど)が楽しんでいると言うアマチュアマンガ描きの楽園だと思ってる。

本気でマンガ家を目指している人にとっては、それこそジャンプルーキーとか、マガジンデビューとかの方が環境としては良いのかも知れない。

でも、漫画でお金儲けをしたいとか、生活したいと言う訳じゃなくて、自分の創作意欲(あるいは承認欲求)を満たすために、自分でマンガ描いてる人も一定数はいると思うんだよね。

そんな人たちが、ゆるく自分の作品を発表できて、且つそれを何百人か、下手したら何千人と言う単位の人に読んでもらえて、あまつさえコメントさえ貰える。

どんな凄い環境やねん!って話だ。

かく言うオレも、その一人な訳で、多分、この環境がある以上、他のどこかに出ていこうとは思わないだろうて。

そんな凄い環境である「新都社」さんでは、今でも日夜凄い量の「あぁ~これは完全に新都社でしか出せないよな」と言うマンガが投稿されている。

いやまぢで、度肝を抜くような作品に出会えたりするんだって。

良い意味で商業マンガの手垢のついてない、ここでしか読めない途轍もないものがある。もちろん「??」なものもあるけど、そんな玉石混淆を楽しめるのが良いんだよ。

メディアに誘導された名作じゃなくて、自分で名作を決められる自由って、この情報化社会でなかなかないもんだと思う。

そんなマンガに対して一応、コメントしたりはしてるけど、何となく、この「新都社」のヤバさをチョットだけ、このブログでも描いてみたくなった。

こんな誰も読んでないようなオナニーブログで好き勝手に取り上げたところで、別にどこかに角が立つようなことはないだろうし。

何かね。ファンアートって言うのを描く場所があったり、掲示板があったり、ラジオがあったりと読者さんと作家さんの交流のような場所があるんだけど、人見知りを尋常じゃなくこじらせているもので、どうも乗り切れない。

ラジオとかやってみて、それはそれで結構楽しかったし、また機会があればやりたいなぁ~とは思ってるんだけど。

結局のところ、オレは自分の殻の中でしか、さらけだせない人間だったみたいだわ。

なので、自分のテリトリーであるこのブログの中で、「新都社」さんをネタにしてオナニーしていこうと言う事にした次第です。

余力があれば、ファンアート的なものも描きたいな。

精子ぶち巻くよ!おっちゃんは!

ただ、チョッとだけ但し書き。

今回は、普段より作者の人の目に触れやすそうなので一応・・・「オレそんなつもりで描いてねえよ」とか「てめえふざけんな」と万が一言われたときの予防線を張っておく。

想像以上に平和主義のヘタレなんだよ。バーロー。

●内容の掘り下げについては、岡田斗司夫風の解釈(作者の思惑ではなく、そこから発展した読者の掘り下げ)で。

●新都社にアップしてる作品(もしかしたら、「まんがおきば」さんの方でアップしてるものもあるかも)

●完結してる作品(なんとなく完結して初めて作品だと思ってるので、現在連載中、休載中、ぶん投げてるやつは省く)

●オレが好きな作品(ただし、思いついたものを取り上げてるだけなので、取り上げない=好きじゃないという訳ではない)

この位予防線張っておけば大丈夫か。

ただ、今回は思ったより前置きが長くなっちゃったので、チョッと2回に分けます。

いやまぁ、来週になるとかじゃなくて、今週の週末いつものタイミングで更新すると思う。

死んでなければ。

書く書く詐欺じゃなければ。

ただなぁ~これ、最初の1回目にどれを取り上げるべきか・・・結構ドキドキするな・・・

ドキドキ乙女。

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2021年7月18日 3:39 CAT :

つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしオナニーにふけりけり2021 その6

今週はとにかく打ち合わせとかで人と会ったり話したりする機会が多かった。

ホント人と会うと、その日1日寝込むほど疲労するんだよな。

だから、お仕事の方はあんまり進まなかった。

こっちはこっちで色々やばいんだけどな。

現状色んな方面から少しずつ追い詰められている感じで、結構疲れてる感じがある。

でも、ここを乗り切れば何となく新しいステージに行けるような気がするので、おっちゃんは頑張るです。はい。

最近の夢は、無人島を買ってそこで嫁と二人でのんびり暮らす事らしい。

と言う事で3週間ぶりにここの所チョッと思ったことをちらほらと・・・

 

 

 

●イオンのお葬式

イオンのお葬式がチョットだけ、賛否両論起きてる。

今や、イオンがお手軽に死者を弔う時代が来てしまったらしい。

問題になってる、例の広告(↑)。

チョッと前になんかのアンケートの結果で、「自分の葬式はちゃんと上げてもらいたい」と答えた人はあんまりいなかったけど、「身内はちゃんとしたお葬式で見送りたい」と言う人が大半だった(何のアンケートだったか忘れたけど)。

日本人の大多数の感覚って、これなんだろうと思うし、そうだと信じたい。

信じたいけど、どんどん人間関係が希薄になってきている今の日本では、身内であろうとも「イオンなら、安く弔えるし、ワオンが使えるからポイントがたまるんだよね」と思う人も多分少なからずいるんだろうね。

喪主「あああああ・・・お母さん・・・」

イオンの人「こちらにワオンを」

喪主「はい。うううう」

ワオ~ン!!

イオンの人「ポイント30000ポイントたまりました」

喪主「ああああああああああああああああああああああ!おかあさあああああああああああああん!!」

みたいなお葬式になるんだろうか。

サンドウィッチマンの名作コント「お葬式」の中で、「葬式でポイントがたまってたまるか!」って言う突っ込みがあったけど、これは、ちゃんと人間関係を構築できて、大切な人はしっかり弔ってあげようと言う常識を持ってる人が多数だったから面白かったわけで、常識が変われば多分、面白くなくなるんだろうね。

10年後の「お葬式」のコントでは、「読経は30万円です」「死んだ人間の前で変な歌うたって30万とかアホか!」「戒名は別料金です」「まだ金取る気か!」「戒名はお納めいただいた金額で変わります」「どんだけ守銭奴だ!」みたいな話になるんだろうか。

懐古主義の老害と言われようとも、ドリフのコントが面白い社会の方が好きだと思う。

 

 

 

●小山田さんのオリパラ問題

フリッパーズギターと言うのか、コーネリアスと言うのか・・・取り合えず、小山田圭吾さんがオリンピックパラリンピックの音楽担当になった事に対して、尋常じゃない炎上を起こしているらしい。

それで、本人から謝罪文が出されてた。

個人的には、「小山田圭吾が謝罪文出したの?まぢか!!」な感じ。

いやぁ、オリンピックってやっぱり権威とお金が凄いんだな。

謝罪文も読んだけど、なんか「ガキの使い」のへいぽーの謝罪文を思い出すかのような内容。

これはどう考えても反省なんかしてるわけないよね。

そんなね、過去に自分のいじめを武勇伝のように雑誌のインタビューで嬉々として語るような人間が「オリンピックの音楽担当は辞めたくない!反省するし、これを機に虐めたやつらに謝罪していくから許してね」ってさ・・・どう考えても、そんな反省するわけないじゃねえか。

そんな事、学生時代小山田圭吾と同じクラスだったら間違いなく虐められてただろうオレでもわかるわ。

問題はそんな事じゃあない。

前からチョコチョコ言ってるけど、音楽の才能と人としての性格は決して比例するわけじゃあないんだよ。

小山田圭吾って人は、めっちゃ良いセンスのある音楽を作るけど、立場の弱い障害者をターゲットにしてうんことか食わせてゲラゲラ笑える人間なんだよ。

ただそれだけの話。

この人は、人間として聖人君子だから今の地位に居る訳じゃなくて、障害者を苛め抜いてたゲスな過去を承知した上でも、作る音楽が素晴らしいから今の地位にいるんだよ。

別にいじめを賛美してる訳じゃなくて、今回の全方位に舐め散らしてる謝罪文も含めて、ホントクソ最低だと思うけど、でも、この人の音楽は確かに良いんだと思う(個人的な好みは置いておいて)。

立場の弱い障害のある人間をターゲットにしてうんこ食わせたりしない人間は世の中にたくさんいるだろう。

でも、この人と同レベルかあるいは凌駕する音楽家は日本にどれだけいるのか。

どちらを取りますか。と言う話なんだよね。

まぢでムカつくくらい嫌いなんだけど、でもこの人の音楽はセンスあるしカッコいいんだよな。と言う感想になってしまうと言うのはダメな事なんだろうか。

そもそも、今回のこの炎上の話にしたって、小山田さん自体に批判が行くのはなんか納得がいかない。

この障害者を虐めてたって話って、結構有名な話だと思う。少なくとも、オレは知ってたし。

その上で、五輪関係者がこの人を選んだんでしょ。

まさか「なんかこの人選んどけば、皆からセンスあるねとか言われそう」みたいな理由でよく知りもしない人を、調べもしないで選んだわけじゃないだろうて(そう信じたい)。

責められるべきは、選んだ側だよ。絶対。

今回のオリンピックの音楽担当に選ばれたのがピエール瀧だったして、「アイツは20代の頃からずっとラリッてるんだぞ!」って炎上して、卓球がここぞとばかりにまたtwitterでネタにしてたとしたら、それは完全に選んだ五輪関係者が悪いと思う。

その状態で、またピエール瀧が、黒スーツに七三で面白い顔して全然反省してない謝罪文を出して来たら、どう思うのか。

オレは多分めっちゃ爆笑して、次はどんなステッカー作るのかワクワクして待つと思う。

五輪関係者さんで誰が選んだのか知らないけど、やっぱり色々ずれてるんじゃねえかなと思う今日この頃です。

参考画像

これは完全にやってる人の顔ですね。

見てるだけでニヤニヤしてしまう。

ホント電気狂おしいほど好き。

 

 

 

●「JK」「オナニー」「無修正」ってキーワード入れたらタイトル詐欺でも多分アクセス数が上がる

いやこれは、前の週の記事のタイトルだけど、1週間経ってその結果をお知らせしよう。

何と、アクセス数が普段の記事の4倍以上あったよ。

世の中なんてね、そんなもんなんですよ。

まさか、先週の記事の内容が素晴らしく良かったわけでもないと思う。

結局世の中、「エロ」ですよね!村西監督。

創作意欲ではなく、承認欲求を満たすために、創作活動をするのであれば、もうただただエロネタを詰め込めば良いんだよ。

佐藤秀峰って漫画家さんは、連載デビュー作の「海猿」の第1話を描いてた時に、担当の人に「誰も知らない新人のマンガなんだから、読んでもらうために数ページ1回はパンツを描け」って強要され過ぎたので、ブチぎれてパンツどころか陰毛まで出したと言ってた。

一生懸命面白いマンガを考えたのに、興味ひくためにパンツを描けって言われるってこれ、結構屈辱的な気がするのはオレだけなんだろうか。

多分、今週のタイトルも「ぱっくり濡れ濡れおまんこ無修正画像まとめ」みたいなタイトルにしたら、普段の4倍くらいアクセス稼げるんだろうね。

まぁオレも内容はともかく、そう言うタイトルの記事見つけたら取り合えずクリックするけどな!

そうやって過去に、変なウィルスにかかった事ももちろんある!

PCが死んだこともある!

変な振込詐欺の電話がかかってきたこともある!

でも今日もおまんこを求めてクリックし続ける。

それが男と言うものなんですよ。

そう言えば、前に書いたかもしれないけど、twitterで公開してる4コマ「極ニュースチョクホー」の中で、本当のごく微量にプチバズってる奴があった。

(↓)これね。

新都社にアップしてる「Gの世界」ってマンガは超絶ありがたいことに、1回更新するたびに200~300ほどアクセスがある。

全員が全員、読んでくれているとは思ってないけど、でもクリックしてくれる人がこんなにいるなんて信じられないほど嬉しい。

でもこの4コマは1万を超えるアクセスを稼いでるわけですよ。

50倍ですよ。

テンコジの定理で言えば500倍だぞ!500倍!

お戯れで、「幼女」「スクール水着」「狂気」「羞恥プレイ」「性的」って言うタグをつけたからなんだろうけど・・・

ただ、勘違いするなよ。

「幼女」=娘

「スクール水着」=娘の水着を買った

「狂気」=オレがお店で売り物の水着のパレオみたいなのをめくってたキチガイ

「羞恥プレイ」=アラフォーのおっさんが子どものスクール水着を一人で買うと言うプレイ

「性的」=Mだったら興奮するのかな?

と言う事だからな!

決して、変な意味で付けたタグではないからな!

 

 

 

●マンガのネームを描いた

先週、1週間で4本ネームを描いた。

ひとつは「Gの世界」の87話「破壊/破戒」のネーム。

ひとつは「おもちゃはおもちゃばこへ」と言う短編を書いたときに思いついた「今宵ただいまはゼロになる」と言う短編マンガのネーム。

ひとつは嫁から「そろそろ違う路線のマンガを描いて」と言われて考えてた「2人マイナス14年」と言う短編マンガのネーム。

最後のひとつは、「今宵ただいまはゼロになる」がどうしても気に入らなくて、一部内容を引っ張ってきて構成ごと作り直した「右目「ただいま」左目「おかえり」」と言う短編マンガのネーム。

これだけネームばっかり描いてたので、当然原稿の方は全く描けてなくて、今、「G」の87話の下書きが出来てる程度。

こんな感じ。下書きと言うか、アタリでしかないか。

元々、下書きしないで一発書きで書いてたんだけど、最近はこの位にアタリをつけてから書くようになりました。

あと今回ネーム描いてて思ったんだけど、限られたページ内で、物語を展開させて終結させる短編マンガって、凄く悩むけど描くのめっちゃ楽しい。

長編だったら、「今回入りきらなかったからこのネタは削って、来週に回して、その代わりここを大ゴマにしよう」みたいな選択をする。

でも短編の場合、来週に回す訳にはいかないので、どこを削って、コマ割りとページで調整して、どのシーンを大ゴマにするかみたいな全然違う選択が必要。

それが、普段やらないもんで、結構新鮮で楽しいと言う話。

この2本を描いたら、去年の「虐殺の恋文」から数えて1年で4本も短編を書いた事になる。

毎週「G」を1話描きながら、短編を年に4本って、近年では稀にみるハイペースでマンガ描いてると思う。

まぁ、オレは「やみ。世界」の最後まで全部描き切るまでは、長編も描き続けるけどな。

唯一出来ることが、継続する事でございます。

 

 

 

と、今回はこんな感じ許してやろう。

最近は、1記事4000文字くらいを目安に書いております。

これで大体1時間くらい。

ふえ~。

では、おやすみなさい。

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2021年7月11日 4:00 CAT :

「JK」「オナニー」「無修正」ってキーワード入れたらタイトル詐欺でも多分アクセス数が上がる

先日、「ぬとらじ」って言う生配信(4コマにも書いたチョッとオレもやってみたヤツね)を聴いてたら「どうも。くろすけです。」って名乗ってて「はぁあああああああああああ!!?」ってなった。

いや全然別人だったんだけど。

なんでも、新都社さんで描いてる人に「くろすけ」って先生がいたんだって。

紛らわしいんだよ!

メッチャドキッとしたじゃねえか!!

でも、声が全然違うかった。あいつはそんな声じゃねえよ。そもそも一人称「ぼく」じゃなくて「オレ」だ!

なんてね。言ってますけども。

この話については、この「くろすけ先生」は何にも非がないし、訳分かんないと思うので、この辺にしておいてやろう。

ただ聞いててなんか変な気持ちになったので、そっとブラウザを閉じました。

先日、家の押し入れの掃除してたら、くろすけがオレの結婚式の余興で「おおきなさかな」歌ってくれた時につけてた「タイの被り物」みたいなやつが出てきた。これは何となく捨てられないので新居の方にも持っていくデス。

なぁ~んか先日、ラジオのネタでチラッと名前出してから、ちょくちょく話題になるんだよな。

この調子で、ひょっこり本人と会ったりしないもんかな。とか思ったりもしつつ、もうチョッと色々イヤになってきた。もうしばらく、くろすけネタは良いです。

さてさて。

時々、人生について鑑みてみたいと思う事がある。

とは言え、もうこのブログの記事数も2700を超える訳で、さすがにそう毎回毎回目新しく人生観が出てくるもんでもないんだよね。

個人的によく読み返すのは、「【転落の詩集m7】と言うコード」っていうこの記事だったりする。

要するにコード進行で言う所の、根音から3度離れた性格音が半音上がったり下がったりするだけで、メジャー調にもマイナー調にも変わってしまうんだかから、人生だってコードと同じく半音の上がり下がりだけで幸せな人生と不幸な人生が変わるとか。まぁ、そんなお話ですよ。

自分の人生を悲観的に見るか肯定的に見るかなんて、ホントその人の感性。

そもそもマイナーコードだって、何だったら不協和音だって、曲を描く時に欠かせない。

実際オレが描いた曲のほとんどはマイナー調。メジャー調の曲なんて多分数曲しかないと思う。

マイナーコードってカッコいいんだよ。そして、マイナーコードの中に時々メジャーコードを紛れ込ませるだけで、凄く良い感じの曲になるんだよ。

トニックとドミナントを混ぜ合わせる事によって、感動するコード進行が作れると言う、邦楽で最もよくやられてる手法だよ。

音楽の話はもういいや。

別にそんな専門的な話をしたいわけじゃあない。

最近このコード進行で言う所の性格音的な事でチョッと思う事があった。

前に書いたかもしれないけど、息子が発達障害の疑いがあったとか何とかで、「そんなことよりお父さんはかなり重度の発達障害ですよ」的なお話になった。

それはそれとして良いんだけど「薬を飲むことで、症状を抑えられますけど」と、そんな話をね、最近されたんだよ。

前に、うつ病だか適応障害だかになった時には、精神を落ち着かせる薬とか、不安を取り除く薬とかを出してもらって、何年かに渡って飲み続けた(結局、こんなもの意味ねえよ!って飲むのやめたけど)。

それとはまた少し違うものらしい。

それを飲むことで、じっとしていられなかったり、注意力が散漫になったり、どれだけ注意してもケアレスミスしたり、人の気持ちや空気を読めなかったりと言う事が緩和されるとか何とか・・・

ふと考える。

これは、薬を飲んでまで治さないといけない事なのか。

正直な話をすると、これまでの人生が楽ちんちんだったとはあんまり思えないけど、今の生活には非常に満足していて、毎日が「こんな楽しくて、まぢで良いんですか」と思ってる。

嫌な仕事もしなくてよくて、ストレスもたまらないし、おうちでずっと好きな事やって、それでサラリーマンの頃より全然収入もある。かわいい嫁も子どももいて、いつもニコニコ生活している。

それもこれも人生における選択肢を全て奇蹟的に良い方向を選び続けた結果なんだと思ってる。

一つでも、選択肢が変わってたら今のオレはない。

パラレルワールドにはきっと、違う選択肢を選んだオレが無数に存在していて、その中には、今のオレより圧倒的に幸せな奴と、絶望的に不幸せな奴がいるんだろう。

だからと言って、今の生活に対しての不満も、他のパラレルのオレに対する嫉妬や羨望もある訳ない。

薬の話に戻るんだけど、例えば小学生の頃、じっと座ってられなくて、ずっとティッシュとか鉛筆とかを食べてて、すぐ暴力をふるったりしてたオレが、あの当時重度の発達障害だと診断されて、薬を飲んで、特別学級に行かされていたとしよう。

確実に、今の人生とは違う人生を歩んでいたと思う。

小学校とか中学校では、薬のお陰で割と楽しくやれたかもしれない。友達もいたかもしれない。

でもそれが本当に良かった事なのか分からないんだよね。

嫁も、家族ぐるみで付き合いのある友達も、今のお仕事関係の人とかも、皆さん今のオレに対して、付き合ってくれてるんだけど、何となくオレがもし薬飲んで、普通の人になれていたら、付き合っていなかったような気がする。

オレの人生にとっての性格音は確実にこの部分だった。

オレはここで、薬も飲まなかったし、特別学級にも行かないまま、クラスのやばい奴として認定されて、友達はおろか、いじめの対象にすらない、存在自体を拒否された生活を送ってた。

卒業式の練習とかでは、ホント血が滲むほど歯を食いしばってじっと我慢しても、「クラスで一番動いてるダメな奴」の烙印を押されて、学級会とかで吊し上げられてた。

まぁ、マイナー調ですわな。

でも、そのまま生きてきた今、このマイナー調は多分カッコいいロックになったと思ってる。

「どれだけ頑張るの?」と嫁に言われるけど、今の頑張りなんて小学校の頃と比べると、頑張ってるなんてレベルにもならない。

これがずっとマイナー調で生きてきた結果だよ。多分・・・

未だにジッとしてられないし、人と話するのも苦手だし、イベントごともしょっ中ドタキャンするし、仕事の納期もあいまいだし、物凄いうっかりミスする。

でも絶対適当な仕事して、雑に生きてるわけじゃないとは思ってる。

ダメダメなのはわかってるけど、一生懸命やってるんだよ。

それを分かってくれる人と一緒に生きていってる。

お仕事の面でもそれを認めてくれる人がいてくれる。

学生時代の砂漠の砂鉄のような経験があるから、他の人と比べると少ないかも知れないけど、そんな人の存在がとてつもなく嬉しいし、感謝してる。

その人のために、どうしようもなく微力だけども出来る限りのことをしようと思ってる。

マイナー調が今になって良い感じになってる。

発達障害も、何だったら身体的な障害もある意味で個性でしかないんだと思う。

個性に対してネガティブに思うか、ポジティブに思うかは、人それぞれの取り方でしかない。

もしこの話について、「お前は障害者の気持ちが分かってない!」と批判されるなら、「そりゃあ無理ですよ。オレは、人の気持ちが分からない発達障害者ですから」ってなもんですよ。

障害者って便利な言葉だわ。

これ使って「オレって弱者ですよ」って言えば、強い立場になれるんだから。

そんな社会なんて糞みたいだ。と、あの車いすに乗ってるちっこいおばさんに言いたい。声高に言いたい。

傷つくかもしれないけど、オレは人の気持ちが分からない発達障害者ですからなぁ~ケセラセラ。

あのちっこいおばさんには色々思う所があるけど、この辺にしておこう。言い出したら、止まらなくなるし。

まぁ、何しか、個性をひけらかして自慢する前に、楽しく生きられるように頑張れよって話。

性格音が半音下げでマイナー調だとしても、それが必ずしも悲観的な音楽にはならないんだからな。

絶対悪意とかそんなんじゃなく「飲んだら色々楽になりますよ」と薬を勧めてくれた、本来息子のために来てくれていたカウンセラーのおばちゃんには「今の生活で満足してるので、オレは無くても大丈夫ですよ。息子が辛そうにするようでしたら、そちらはご提案いただけますと嬉しいです。」とお断りをした。

この決断に後悔などあるはずもない。

そんなこんなで、今週も何とか「G」1話描き切った。

今週一番作画に時間がかかったページ(↓)

いや、実にカッコいい絵が描けたと思う。

簡単な作画でやって行こうと思ってた「G」だけどやっぱり、クライマックスになると、どうしても絵も気合が入ってしまうな。

あと半年ぶりの新作短編のネームも描いてる。

一つは嫁の希望で描いてる「2人マイナス14年」ってお話。

もう一つは「おもちゃはおもちゃばこへ」を描いてた時に思いついてたもう一つの熟女ネタ「今宵ただいまはゼロになる」ってお話。

多分どちらも近いうちに「まんがおきば」さんの「漆黒の青空」の方で更新すると思う。

これについては書く書く詐欺にならないように。

ちゃお~

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2021年7月4日 2:42 CAT :

オボロ影の術で消えてしまいたい中二病患者の戯言

チョッと前に少しだけ触れたお話しだけど、ここ最近、実家に行く度、親父がオレに漫画とか小説とかの本を押し付けてくる。

もう先が長くなくて、どうせ死んだら読めないから、遺産整理の一環として本を貰ってほしいと。

この前、あと20年生きて娘の子どもを見るぞ。とか言ってたくせに、何を言ってるのか・・・めんどくさい性格のおっさんだけど、少なくともオレは、まだまだ長生きしてほしいと思ってるのにな。

まぁ、あの親にしてオレありな訳で、考えてみれば、オレのばあちゃんも「死ぬ死ぬ詐欺」ばっかりやってたな。

オレも含めて、3代にも渡って死ぬ死ぬ詐欺を繰り返す、メンヘラ一族でございます。

さてさて。

そんな親父がオレに渡してくれた漫画の中に、白戸三平の「ワタリ」があった。

幼い頃から、親父には「面白いから読んでみろ」といろんな本を結構無理くり読まされた。

その中で一番最初に読まされたマンガがこの「ワタリ」だったように覚えている。(ちなみに、一番最初に読まされて小説は横溝正史の「本陣殺人事件」だったと思う)

オレが小学3年生くらいだったか・・・漫画と言うものを手に取り始めたんだよ。初めて買ったマンガは、ボンボン版のスーパーマリオの「ヨッシーのたまご」で、次に買ったのは、大長編ドラえもんの「のび太の恐竜」(但しセルコミックの方)だったはず。

そんな漫画を読み始めたオレを見た親父が、「漫画読めるようになったのか。じゃあ、面白いのを貸してやる」と言って渡してきたのが、この「ワタリ」と言うマンガだった。

ちなみに、今娘が小学3年生なんだけど、娘にオレはこの「ワタリ」を読ませようとは、到底思えない。

如何に親父が頭おかしかったか。と言う話ですよ。そりゃあ、オレも頭おかしくなりますよ。

「ヨッシーのたまご」 ⇒ 「のび太の恐竜」  ⇒ 「ワタリ」

この変遷・・・本当にいかがなものか。

ボンボン系マンガやコロコロ系マンガしか読んでなかった小学生が、ガロ出身の白戸三平を読むと言う事が、どれほどの衝撃だった事か。

とは言え、それ以来読んでなかったので、今回本当に久々に読み返した。

詳細はほとんど覚えてなかったんだけど、やっぱり小さい頃強烈に記憶していたシーンについては、しっかり覚えていたよ。

そして、凄い事に気が付いてしまった。

オレはかねがね、人生において衝撃を受けた漫画は「寄生獣」「カイジ」「無限の住人」だと思ってたし、周りにもそう吹聴してた。

でも、黴臭くて、ホコリの溜まった「ワタリ」を1ページめくる度に、オレの記憶の奥底に眠ってたマンガにおける原風景が次々と呼び起こされるんだよ。

自分のマンガの原点は「寄生獣」じゃなかった。

オレのマンガの原点は「ワタリ」だった。

小学生の頃、そりゃあやっぱり「ドラゴンボール」見てましたよ。「ドラゴンボール」の悟空に子ども特有の変身願望を重ね合わせて、カタルシスを体験しましたよ。

でも、ドラゴンボールのストーリーにどこかしらの薄っぺらさを感じていた。

「違うそうじゃない。」という想いが強かった。

「寄生獣」を手にするまで、ジャンプとかマガジンのマンガばっかり読んでたけど、どれを読んでも「違う。そうじゃない」と言う想いが消えなかった。

その全ての原因がこの「ワタリ」にはあった。

簡単にだけ、この「ワタリ」と言うマンガについて説明しておくと、この漫画はまず「忍者漫画」。それも「NARUTO」みたいなただ忍者と言う言葉を使っただけの似非格闘マンガじゃなくて、ゴリゴリの歴史もの(もちろんフィクションたっぷりだけど)。

伊賀忍者たちが住む百地の里と言う所がある。

その里では、非人(要するに被差別部落で生活に困窮している人ら)から育てられなくなった子どもを格安で買ってきたり、盗んできたりする。

その子どもたちが忍者になるんだけど、子どもたちには帰る場所がないので、忍者になるか、拒否した場合は死ぬかしかない。

例え忍者となったとしても、忍者は存在してはいけないから、村に戻る事は当然、自分の名前を語る事も許されない。死ぬ時は、自分で自分の顔を切り刻んでから死ぬ。

子ども達は、急に連れてこられて泣きわめくんだけど、1週間ほどご飯も与えず放置することで瀕死状態になって泣かなくなる。そこから洗脳を初め、忍者としての心得を教え込んだりする。

と言う、この超ハードな話がまず、基本の設定。

その上で百地の里には、忍者たちを縛る絶対の「死の掟」があり、その為、忍者たちは音羽の城戸と言う上忍の命令に歯向かう事は許されない。

そんな百地の里に、伊賀でも甲賀でもない、謎の第3の忍者「ワタリ」族がやってくるところから物語は始まる。

今のオレが読む分には、これメチャクチャ面白いけど、これを果たしてまだ歴史の授業も始まっていない小学3年生が読んで、どこまで理解できるのか・・・

もちろん理解なんて出来る訳がない。

しかも、この「ワタリ」と言うマンガ、こんなゴリゴリの忍者漫画でありながら、話のメインとなる部分は、忍者の悲哀でも、戦闘でもなく、前述の「死の掟」をはじめ、謎が謎を呼ぶと言うミステリー展開だったりするんだよ。

物語の根幹に圧倒的な謎が存在していて、その謎を解き明かしていく中で、どんどん他の謎が出てきて、一つずつその謎が明らかになっていくんだけど、圧倒的な謎については、本当に最後の最後まで分からないようになっている。

何重にも張り巡らされて謎は、到底1度読んだだけで理解できるようなものではない。

しかも物凄く重厚でどんどん謎も解明されていく第1部、第2部が実は、第3部の序章でしかなかったと言う途轍もない衝撃と、絶望的な終わり方。是非未読の人は読んで欲しいもんだ。

そんな漫画。これが「ワタリ」だ。と言うより、これが白戸三平のマンガだ。

今読んでも、遜色のない圧倒的なストーリー。

そして、これこそが、オレのマンガの原風景に他ならなかっただよ。

そりゃあ、「ドラゴンボール」のストーリーでは物足りないよな。

何より凄いのが、この圧倒的なストーリーが、ちゃんと伏線を回収しつつ5巻で完結する。

読み始めた少年が自分が読み始めた年と同じ子どもを持つ親になっても、まだ完結しないワンピースとは違うのだよ。ワトソン君。

ワンピースを読むなら、望月峯太郎大先生の「万祝」を読みなさい。同じ海賊ものでも、構成力の圧倒的違いを見せつけてくれるさ。

オレはジャンプのマンガとは違う、「寄生獣」とも違うマンガを描いてるつもりだった。

ひとつの大きな謎が物語の根幹にあって、その謎を解いていく中で、どんどん謎が出てきて、それを一つ一つ解明していくことで最終的に、大きな謎が解明される。

そんな物語を描きたかった。

そしてそんな物語が何故か好きだった。

その理由がひとえに、人生で一番最初に衝撃を受けたマンガにあったと言う。まぁね。そんな話ですよ。

所詮オレなんて、「ワタリ」の幻影を追って、真似してるだけの猿真似野郎ですよ。

人生において、途轍もない影響を受けた作品はやっぱりたくさん存在する。

一番最近では多分「さくらの唄」がそうだと思うけど、一番古いものがこの「ワタリ」だったと言う事らしい。

どうでも良いけど、白戸三平と言うと「ガロ」だとばっかり思ってたけど、この「ワタリ」の掲載紙は少年マガジンだった。

時代もあるっちゃあるけど、(↑)みたいなストーリーが少年マガジンに載ってたのか・・・まぁ、あの時代は「はだしのゲン」がジャンプに載ってた時代だもんな。

そう考えると、今のマンガってこれで良いのか?とか、そんな事もチョッと考えてしまう。

もう少し知識をつけようや。

同じような顔した女に囲まれてハーレムやっててもしょうがねえぞ。

(↑)ワタリはこんなマンガ。

生前、いかりや長介(志村けんだったかも・・・)がこんな言葉を言っていた。

「コントを笑ってくれるのは常識がある人。常識的な知識がない人はコントをしても笑ってくれない」

なんか、こんな感じの事。

基本的な知識がないと面白くない昔のマンガも同じことが言えるかもしれない。

なんか偉そうな上から目線の話になってしまった。

かく言うオレも、誰よりも白痴だからなぁ。

意識的に意欲​された自分自身の目的を追うことにより結果はどうあれ、我々は歴史をつくるのだ。

ロックンロ~ル!!!!!!!!!!!!

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2021年6月27日 4:38 CAT :

つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしオナニーにふけりけり2021 その5

先週はどうしてもラジオのお話描きたかったのあたし。

でも今週は、それとなくいつも通り(かどうかは知らんけど)の1週間だったので、いつも通りな感じで。

今週思ったり思わなかったり、オナったりオナらなかったりした、日々の徒然なる小話でも・・・

と言う、変な感じですよね。

まぁ、それはそれとして良いか。

 

 

 

〇骨伝導イヤホンを買った

先日のラジオの件で、もう少しましなマイクでも買うか。と、思い直して、チョッとだけお金出してマイク付きのヘッドセットを購入した・・・話は、前回を参照してもらうとして・・・

その時ついでに、前から気になってた骨伝導イヤホンも買ってみた。

先日のAmazonプライムデーで、前から気になってたやつが3000円引きになってたものでな。

元々はイヤホンが苦手な嫁に、「これなら使えるんじゃね?」と言うつもりで買ってあげたんだけど、どうもあまり合わなかったようなので、勿体ないのでオレが使う事にした。

いや、これ凄いな。

普通に声が聞こえるのに、頭の中で音楽とか鳴ってやがる。

何でこんな事になっているのか、良く分からないけど、結構感動しつつ、使っております。

耳を塞がないから、人の気配におびえることなく、大音量でAV見て大っぴらにオナニーできる、画期的なアイテムなのではないかとも思っております。

嫁に見つかる分にはそのまま押し倒すだけなので別に良いんだけど、一応まだ小さい子どもとかもいる身なのでな。チョッと、気を使ったりするんですよ。そう言う事にも。

 

 

 

〇ピアスを開けた

詳細と言うか、過程については、この記事にちょっと触れている感じ。

そして、遂に今週、実際にピアス開けてきましたよ。

アラフォーと呼ばれるお年頃のおっさんが。

その時の描写については、かなり忠実に4コママンガで描いてた(↓)

まぢでこんな感じだった。

実際には、もっとビビってて、看護婦さん(と言う表現は、今はダメらしいけど)には、かなり気を使ってもらった。

「こわいよぉ~」って言ってたら、「じゃあ、1・2・3ハイで開けますね」とか色々フォローして貰った。そんなんされたら吊り橋効果も相まって惚れてまうやろ!って言う位、優しくしてもらった。

それなのに、開けた瞬間はホントに分からないくらいだった訳で、「え?あいたんですか?」って聞き返した感じ。(開ける場所を冷やしてくれたりとかしてたのもあるかも知れないけども)

その後、細かい説明とか聞いてる間にはじわじわと痛みと言うか、耳に違和感が出てきて、それがその後1日は続いたけど、今はもう(これ書いてるのはあけてから4日後?)何にもない。

ただ、忘れてて、手でガリっとやったり、服が引っかかったりした瞬間「いって~」とはなる。

これが、まだちゃんとピアスホールが出来たら無くなるのか、それとも、ピアスつけてる時はずっとこうなるのかは、今のところ不明。

整形における「ダウンタイム」みたいな感じの話があれば、またどこかの機会にでも書きたいけど、多分、今のところ、そんなものは無さそう。

 

 

 

〇あと10話

今現在、「G」の84話まで描き終わってるんだけど、このまま順調に構想通りにいけば95話で完結。つまりは、あと10話で完結なんだよな。

ページ数にして150ページほど。

物語としては、もう完全に撤収の段階になってる。

なってるんだよ。

毎回思うんだけど、この撤収段階に入ってから、実際に完結するまでが一番力がいる。いやホントに。

新しい物語を考えたり、設定を練ってたり、キャラデザインするのって、勢いでざ~っと出来てしまうんだけど、これをちゃんと形にするのはかなり大変。

そして、それをちゃんと終わらせるのが一番大変。

でも、これやらないんじゃあ、物語考えてる甲斐がないってもんですよ。だんな。

一つも物語を作り切ったと言う感慨は、何回味わっても、何とも言えない気持ちになる。語彙力が貧弱過ぎてこの気持ちを表現できる言葉を持ち合わせていない。

あと10話ほどで、またあの感覚を味わう事が出来る訳ですな。

ワクワクしながら、今日も漫画を描いております。

「G」を描き始めて2年ほど。

チョッとは画力が上がったと信じて、いつもの前の絵を最新の絵を並べるやつもやっておこう。そう。公衆の面前でやる、公開オナニーですよ。気持ちいい奴ですよ(↓)

大体同じ構図探して並べてみた。意外と言うか、ジューアツ君の正面のアップの顔が初めて出てくるのは13話だった。

そう言えば、ジューアツ君は最初のデザイン時は、たれ目のイメージだったんだよな。

いつも間にか、あんまりたれ目じゃなくなってた。

何しかあと10話、気合入れて風呂敷畳んでいくぞぉ~!

 

 

 

〇映画も見てる

「G」を描いてる間は、基本的に邦画しか見ない事にしてるので、相変わらず邦画ばっかりだけど、ここの所いくつか映画を見た。

簡単に一言感想をそえて・・・(↓)

【彼女がその名を知らない鳥たち】
阿部・蒼井の両コンビの演技が素晴らしい。白石監督の演出の凄さをまざまざと見せつけられた感じ。結末を知ってからもう一度見た時、初めて涙が止まらなくなる感動があると言う多重構成で出来たストーリーも実に秀逸。

【孤狼の血】
役所広司さんの演技にただただ脱帽。北野映画がヤクザ映画のアウトサイダーなら、こっちはヤクザ映画の本筋のような印象かな。実際物語は刑事目線で進むんだけども。これも白石監督。「凶悪」でもヤクザの描写あったけど、こっちは、古き良き日本のヤクザ映画を意識的に踏襲してて、それはそれですげぇってなった。

【累】
原作のマンガはメッチャ好き。かなり原作の空気感を再現できてる名作だと思う。ただ、誰からも忌み嫌われる「累」の役者さんが「ニナ」の役者さんに匹敵と言うか、むしろ食ってしまう位美人なのはいかがなもんだろうか。ただ、ラストは原作の作者の描きたかった事から離れてしまった気がする。

【惡の華】
これも原作マンガはメッチャ好き。ただこっちは無理やり原作に忠実にしすぎて、漫画だから許されるリアリティーのある非現実感が、ただの痛々しい感じになってたのは残念。実写でやるなら、もう少し共感性羞恥を感じさせる方向でリアルにしても良かったかも。

【望み】
物語はオレも他人事じゃない感じで、共感できるし凄く良かった。でも、要所要所に見られるいつもの堤演出が・・・だから、堤監督にこういう作品はダメだって・・・関係ないけど、この前深夜に「自虐の唄」をテレビで放映してた。思わず見入ってしまって、最後はやっぱり感動した。この映画では、ホント堤演出が素晴らしくはまってるんだけどなぁ~

【犬神家の一族】
石坂金田一の金字塔的作品。さすがに非の打ち所のない素晴らしい作品だった。前見た時は古臭い演出も多いなと思ったけど、一周回って今回見た時には、全編を通してオシャレなレトロ映画のフィルターも追加され、完全無欠映画になってた。

【スマホを落としただけなのに】
話題になってたので見てみたけど、これは、チョッと色々どうしようもない感じだった。特に、最後の主人公の過去の秘密とか必要かあれ?典型的な「話題性で金をかき集めたいです映画」のニオイプンプンで、オレはダメだった。好きな人はごめんなさい。

【それでもボクはやってない】
周防監督による社会問題を提起するための映画。是枝作品の場合は社会問題の提起の皮を被りつつ明らかに監督の本来の思惑が見えるんだけど、これはもう完全に問題提起に振り切った作品。ドキュメンタリーとして見る分には面白いけど、エンターテイメントとしては少し厳しいかな。

【亜人】
評価が良かったので見てみたけど、チョッときつかった。「アイアムアヒーロー」見て、邦画でもこういうの出来るようになったんだ!って感動したけど、あれはあの映画が凄かったと言う事らしい。ただ、綾野剛さんが演じる佐藤の「ながいく~ん」はなぜか癖になる。

などなど・・・

前に書いてからだと、この位かな?洋画もこれ以外にチョコチョコとは見てるけども・・・

チョッと前までは、園子温監督にぞっこんだったけど、最近は、白石和彌監督が良い感じ。

園子温監督は正直に言うと、とてつもない作品がある反面、「??」ってなるような作品もある。(もちろん、どの作品にも強烈な同系統の血が流れてはいるんだけれども・・・)

白石監督の作品は、今のところ見た映画は確実に全部めっちゃ面白い。

タランティーノとリュックベッソンみたいな感じだろうか。

いや、邦画監督を洋画監督で例えるなんて、邦画の監督を冒涜してるみたいでなんか嫌だな。

個人的には、邦画が大好きなんだよ。

今回の中で、特に心を揺さぶられたのは「望み」だった。

ただまぁ(↑にも書いた通り)内容は面白かったけど、相変わらずの堤演出が全開だったのがね・・・どうもね・・・

これ是枝監督だったら、どうなってたんだろうなとか素直に思ってしまった。

やっぱり、堤監督にはコメディー映画を・・・そして、三池監督にはバイオレンスを・・・

リアリズムを追及する映画は是枝監督でお願いしたかったです。

また機会があったら観た映画について、一つ一つレビュー書きたいな。

いつもの書く書く詐欺です。

 

 

 

今回はなんか知らんけど、1つ1つのトピックが長くなったので、こんなもんでさようなら。

ここ最近、ナスにアレルギーが出ております。

でも、実家からいっぱいナスをいただいております。

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2021年6月21日 3:30 CAT :

セーラー服が好きなのではなく、良い歳してセーラー服を着せられていると言う辱めが好き

事の初めは、とある夜。

いつものように、夜も寝ないで昼寝してお仕事をしていた時の話。

ここ最近、新都社の作家さん方がなんか知らんけど、ラジオ形式とか、作画配信とか、そういうのをよくやってるらしい。いや、実際やってる。

その中で個人的に、作品を愛読してる「甘納豆」と言う先生さんもラジオ形式での配信をやってて(むしろ、先駆け的な感じかも・・・)、それをお仕事しながら聴いてた。

で、その中で、「素人が連載とか調子に乗ってても『うわ~』とか言わない。皆OK!優しい世界!」みたいな事を話してた。

ここ最近、このブログでもめっきり語る事なくなったけど、かつて、ずっと一緒に創作活動をしてた「くろすけ」といつだったか、似たような話をしてたんだよね。

「素人だろうが、才能が無かろうが、調子に乗っていいじゃねえか」

「誰にも見向きもされなくても、好きな事やって行こうや~」

「最低でもオレだけはずっと読んでるから」

みたいな話だったと思う。

まだ嫁とも出会う前、一番中二病全開だった時だ。

もう何もかも嫌になって死んでしまおうと思って、当時住んでたところの近くにあった飛び降りにもってこいの海辺までフラフラと歩いていった。

海について、ふと最後に「くろすけ」の声を聴いてから死のうと思って、唐突に電話をかけたんだよ。深夜2時か3時くらいに。

起きてたのか、起こされたのか知らんけど、普通に電話に出た。特に迷惑がるそぶりも見せずに。

その後、太陽が昇るまで何時間か電話で話てた。その時アイツがオレに言ってくれたんだよ。(↑)みたいなことを。

オレは死ぬ死ぬ詐欺ばっかりやってた中二病患者なので、もちろんその時も死ぬどころか、飛び込みもせずに、なんだか満足して明るくなった道を歩いて家まで帰った。

もう何年前の話だ?これ。

ふと、ラジオ配信聴きながら、その時の事を思い出してた。

丁度、窓の外は明るくなってきてて、窓を開けると湿っぽい空気が入ってきた。

季節も同じくらい。

あの野郎。ある日突然いなくなりやがって。

ずっと読むんじゃなかったのか!。

一緒に音楽やるって言ってたから、未だに手付かずで取ってある曲だって、結構あるんだぞ。

とか思いつつ・・・

徹夜明けで脳みそも腐りきってたオレは気が付いたら、その「甘納豆先生」に「オレと話をしてくれぇええええええええええええ」って連絡を取ってた。

上記のような、甘納豆先生にとっては、多分相当「なんのこっちゃ?」ってなったと思う経緯で、そのラジオにゲスト的な感じで出させていただけることになった。

なんかもうこんな感じな上に、新都社でもトップクラスの不人気なオレなのに、相手にしてくれて、どんだけ良い人なんだろう。

感謝しかねえですよ。

これ、文章に書き起こしてみたら、とんでもなく失礼な話だよな・・・ホントごめんなさい。

数日後、なんかもう遠足前日の小学生張りにドキドキして眠れなかったまま、約束の時間の1時間くらい前からスタンバってお話ししてきた。

実際の録音してたのは、1時間くらいかな?もう少ししたのかな?

好き勝手に、しかも一方的にダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラと、自分本位な事ばっかり話させてくれて、それをうんうん聴いてもらってしまった。

直接会いに行けるはずもなく、当たり前のようにリモートだったんだけど、多分、オレの機材が尋常じゃなく貧弱だったせいで、色々ご迷惑もかけてしまった。

本当に申し訳ない。

これに関しては、ここ最近リモートの打ち合わせも増えてきたりなどの思う所も色々あったので、チョッとだけ良い値段のマイク付きヘッドセット買った(もう購入済み)。今後、ラジオとか本格的にするなら、オーディオインターフェース買ってレコーディングの時に使ってるマイクとか引っ張り出してきても良いかもしれないけど、そんな予定もつもりもないし、今はまだその段階じゃ絶対ないと思う。

何しか、良い感じに編集して貰った奴を聴いたところ、「まぢで、何調子に乗ってんだ?クソムシが」と仲村さんに罵倒されたくなるほど、調子に乗ってた。凄い恥ずかしい。ボードレールの方の「惡の華」読んで、出直したい。

オレみたいなクソムシは、地べた舐める位謙虚に生きるんだ。と、いつも言い聞かせて生きてたはずなのに・・・なんか、「先生」って呼ばれて、「作品のお話ししてください」みたいに言われたことが嬉しくて嬉しくてつい・・・(どうでも良いかも知れないけど、嫁にその事を話したら「よかったねぇ~」って涙ぐんでた)

思い出すと、ホント恥ずかしい。

何が悪いんだ。

そうだ。

普段から、オレに話をさせてくれない世の中が悪いんだ!

だから、舞い上がっちゃうんだ!

世の中が悪いんだ!

オレは悪くないんだ!

馬鹿野郎!

そういう話ですよ。プンスカ。

あと、「ちゃんと標準語でしゃべろう」と思ってたとは1ミクロンも思えない位、物凄く方言が出てた。

昔、演劇の役者をしたときに、皆から「標準語全くできない奴だな」と言う烙印を押されてたのを思い出したよ。オレの本業は台本とか演出だ!って開き直ってたな。

とは言え、お話ししてる間は、めっちゃ楽しかったし、今回の一連の事に一切後悔はしてない。

なんかチョッと普段と違う体験も出来て良かったし、そんな機会を貰えたことにも感謝しかない。いや、迷惑かけてしまったことに対しては、申し訳なく思ってるけども。

そもそもさ、演劇してた頃とかさ、羞恥プレイ大好きだったよな。

あえて、人前で恥ずかしい事してなんぼみたいな生き方してたよな。

と言う事で、今回のそのお話しもYOUTUBE上にアップされておりますので、万が一、気になった方がいれば(↓)こちらから・・・

または、共感性羞恥心を心の底から感じてみたい方は、(↓)こちらから・・・

今更ながら、このブログも、少ししたらまた「やっちまったなぁ~!」ってなるかもしれないな・・・

まぁ良いか。

人生なんて、そんなもんか。

だてに、空気読めない、友達いないわけじゃねえんだよ。

折角なので、勝手にチョットだけ宣伝・・・

相手にしてくれたからみたいな忖度は無しに。

そういうの嫌いなんだよオレわ。

今回、お話聞いてもらった「甘納豆先生」は、新都社で今「ペッペガクエスト」ってマンガを描いてる。

あぁ。はいはい。ファンタジーってこういう展開ですよね。と言う、何となく想定できる想像の展開のはるか斜め上を行くバカ王子的な漫画(誉め言葉だよ)。読んでて、良く「嘘やん~」ってなるので、毎回楽しみにしてる。

ペッペガクエストはこちらから読めるよ(↓)

【ペッペガクエスト】

あと、個人的に先生のマンガで好きなのが「CMYK」。

これもなんか、最初は「あぁ、こういう雰囲気の4コマね」と思ってたら全然裏切られていく。たった5話なのに・・・どんだけ自由なのやら・・・

最終話の「目に指がぁあああ」はいつ読んでも笑ってしまう。

一言で表現するなら、「日常系4コマの皮を被ったつの丸系ギャグ」・・・かなと。どうでも良いけど、オレが人生において一番好きなギャグマンガは多分、つの丸先生の「モンモンモン」だ。次点で「岸和田博士の科学的愛情」だ。ホントにどうでも良いな。

CMYKはこちらから読めるよ(↓)

【CMYK】

ちなみに、オレは普段、風呂の温度は45度~47度くらい。子どもと一緒に入った時は42度くらいにしてるけど、それでも「ゆでだこにされる~」って言われてたりするんだよね。

おっさんの風呂事情は以上になります。

あと、来週いよいよピアス開けます。

多分ね。

そっちはそっちでドキドキ・・・

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2021年6月16日 1:38 CAT :

つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしオナニーにふけりけり2021 その4

記事書いて、日曜日にアップしようと思ってたのに、なんか知らんけどカレンダー見たら水曜日だって。

へんなの~

世の中変なの~

不思議いっぱい。

不思議の国のアリスでございます。

ルイス=キャロルでございます。

と言う事で、書いてた内容を一部書き直したりしながら、今週もチョッとここ最近思ったことをちらほらと・・・

 

 

 

〇えがちゃん復帰の手紙

エガちゃんねるでの、江頭2:50分のお手紙。

なんか、この人真面目なんだな。と思うと同時に、年甲斐もなく感動してしまった。

本人が否定しているので作り話だろうけど、都市伝説になってる話のほとんどが今でも語られるのは、この人の人柄が100%なんだと思った。

取り合えず、辛くなった時は、このチャンネル見る事にするか。あとは、カニササレアヤコさんのチャンネルを…

生き甲斐がったメグさんのチャンネルが、もう笑える事なくなっちゃったからなぁ~

 

 

 

〇オリンピック開催の有無について

やるべきかどうかと言う問題もそうなんだけど、いつも思うのが、やるとどうなる、やらなければどうなるの話が何ででないのかと言う事。(いやすでに出てて、無知すぎて知らないのかも知れないけど)

やったとしたら、この位の感染者数が増えて、この位の経済損失がでるけど、この位の収益が見込めますよ。

やらなかったとしたら、この位に感染者数が抑えられるけど、この位の経済損失が出てしまいますよ。

とか、そういう具体的な話がないままに、「この状況でやるなんておかしい」とか「無観客でやればいいじゃん」とかそういう話ばっかり出てきても、良く分かんない。

あと、やらなかったら物凄い罰則とか出たりするんだろうか?

もう延期は出来ないって事なんだよね。

情報が分からなさ過ぎて、やるべきなのかやらないべきなのか良く分からない感じがする。

来年は、中国で冬季五輪あるんだよな。

コロナ抜きにしても、第二次世界大戦中に匹敵するようなジェノサイドを敢行中で、且つ、第3次世界大戦を仕掛けようとしてた証拠まで表に出された中国で平和の祭典をやるかどうかも、凄く気にはなっている所。

 

 

 

〇ワクチン接種のスピード

決めるまではメッチャちんたらするけど、決まってからはすごいスピードらしい。

それもこれも多分、日本人ってちゃんと順番守るし、大人しく出来るからなんだと思うんだ。

震災の時の炊き出しでも、ちゃんと並んでて、海外から絶賛されたとか何とか、そんな話も記憶にある。

こういう話を聞くと、何となく日本人っていいなぁ~って思える。

そして、新幹線とかで並んでた時に割り込んでくる中国人の団体には、毎回尋常ならざるほどにムカついてる。

いや、その話は置いておこう。

 

 

 

〇物語のフィクションの話について

ワイドナショーでやってた、アニメでの原付2ケツシーンに批判殺到したと言う話。

物凄くどうでも良い。

こんな事にやかましい奴がいるから、世の中生きづらくなるんだよね。

そのうち、時代劇で日本刀で人を切り殺すシーンは、殺人事件を助長するとか訳分からない事言われ始めるぞ。これ。

フィクションをフィクションとして見られない奴が多いって言うのは、単純に日本人の読解力が著しく低下してることの証明なんだと思ってる。

悲しいことだ。

寺山修司は「書を捨てよ町へ出よう」って言ってけど、今の時代は多分「書を抱え部屋で読もう」なんだろうね。

今の時代に「北斗の拳」が放送されたら、「子どもたちが真似して秘孔を付いたせいで、頭はじけ飛んで死んでしまったらどうするんだ!」とか批判が殺到するのかな。

 

 

 

〇所詮親子か・・・

最近、実家に行く度に親父が「どうせ死んだら読めないから、今のうちにやる」とごっそり本をくれようとする。

オレも本好きで、結構な量を持ってるけど、親父もそれに匹敵するくらいの本を持ってるわけで、今度の新居には本棚だけの図書室を作ろうとしているけど、だとしても、本の置き場所確保できるんだろうか・・・

オレの本好きの原点がこの親父のせいなのは間違いない。

ただ、自分が子育てをしていると、いかにこの親父が頭おかしかったと言う事も分かってくる。

親父がオレに対して、横溝正史の「本陣殺人事件」の小説を読ませようとしていたのは、オレが小学4年生の頃。

娘がその年に近くなってきたけど、「ちゃお」読んで淡い恋愛にトキめいているこの娘が、後数年後には、いきなり指が3本しかないおっさんが出てくる陰鬱とした殺人事件の小説を読むとは到底思えない。

オレが小学生の頃、親父が面白いから読んでみな、と貸してくれた本は、「横溝正史」「江戸川乱歩」「赤川次郎」「大江健三郎」・・・赤川次郎が可愛く見えてくるラインナップだ。

あと漫画では、「白戸三平」を筆頭に、「矢口高雄」や「雁屋哲」「藤子不二雄A」か。

「ドラゴンボール」を手にする前に、オレは「黒いセールスマン」を読んでいたんだよ。

まだ精通もしてないような小学生に、「白戸三平」の「カムイ伝」とか「ワタリ」とかを読ませてるんじゃない。

「オレは自分の子どもにそんな事はしないぞ!」と思ってたけど、今、子ども達に対して音楽で同じような事をやっている。

果たして、いま日本に「ストロベリーソングオーケストラ」と「モケーレムベンベ」と「水中。それは苦しい」に激ハマりしている小学生や幼稚園児がどの位存在しているかと言う話でございます。

所詮、親子だったよ。お父ちゃん。

 

 

 

〇「進撃の巨人」完結

1巻を読んだ時のあのとてつもない衝撃からもう10年以上経ってたと言う事が信じられない。

とにもかくにも、恐ろしく作りこまれた、尋常ではない素晴らしい物語が、作者がベルセルクしないで完結してくれたことにまずは感謝しかない。

その上で、何だろう。

物凄く色々考察をしたい。

ダラダラとネタバレを含みつつ、オレなりの解釈を垂れ流したい。

同じ土俵で語るつもりは毛頭ないんだけど、「G」でループ物を描きたくて悶々してたオレとしては、やっぱりあの物語自体が、「ループもの」もしくは「多元宇宙もの」だとしか思えないんだ。

そうとしか思えない根拠となる描写も多々ある。

その辺も含めた解釈を垂れ流したいんだよ。

あと、もう一つ。

実は、ループ物だからこそできる「過去の要因が未来にある」と言う設定。これも、ネタバレになるけど、「G」と言うか、オレの描く漫画の世界で結構重要なファクターなんだよ。

だからこそ、「似たような思考に行きついて物語を考えたおっさんが考える解釈」と言う、メッチャ調子に乗った偉そうなことを近いうちに書くかもしれない。

最近、書く書く詐欺が著しいので保証はしない。

 

 

 

〇アポトーシス

いずれ、描き直そうと思ってる「marionette」と言うマンガ。

高校生の頃に、演劇の台本として描こうとして、当時の先輩に「BOØWY」じゃないんだから。と変な突っ込みをされたあの話だ。

先日、あの話のリメイクのネタが突如下りてきた。

元々この話では、テロメアがダメになった細胞が死ぬ現象「アポトーシス」を操る事で死なない人間を作ると言う部分がメインの流れ。

所がこの「アポトーシス」が、「marionette」を描いた数年後「名探偵コナン」と言う超超超超超超超超国民的マイナーマンガの中で「アポトキシン4869」と言う薬のネタとして使われてしまった。

「いやオレの方が先にこのネタ考えて書いてたしぃ~」って、有名なバンドを無名時代から応援していた事をなぜかアイデンティティにしてる高校生みたいなことを言っても詮無い事なので、話自体を無かった事にしてしまおうと思ってた。

でも、この物語の敵役である「ラームアイ」くんは、「八神」に匹敵する物語全部を通した最重要人物な訳で、出来ればやっぱり形にしたい。

そう考えてたので、このネタを思いついたときには、「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお」ってなったよ。ええ。そりゃあ、なりますとも。

タイトルは多分「あやつり」とかそんな感じになると思う。

ちゃんと主人公は「唯ちゃん」のままで、「BLAMEか!」って突っ込まれるような、ガチ目なSFになるような気がしている。

あぁ、でもこの話に着手できるのは、一体何年後なのやら、

前回のブログで「死ぬ」と言う事象について、チョッとだけ触れたけど、あれがきっかけになった事は、言うまでもなかろうて。

 

 

 

本当は、「お家を建ててみよう 第2話「雑念を振り払ってみよう」 を更新しようと思って、そっちはそっちで3000文字くらい書いてたんだけど、なんか嫁に「そう言う事書いてたら、嬉しくて自慢してるみたいでしょ」と言われて、なんか心が折れた感じでして・・・

そもそも空気読むのが何より苦手なので、多分、嫁が言ってる事が正しいと思う。

アイツがオレにそう言う事を言う時って、オレの思惑は関係なしに、大体周りはその通りに思ってるんだよ。

オレが今回の家建てる時に、実際に建てた人の話を読み漁って凄い役に立った。

でもオレみたいな立場の人の体験談が皆無だったから、そういう人のために記録を残しておこうと思ったんだけどな。

だから調子に乗って自慢してるイタイ奴だと思われるのも本意ではないのだよ。

どのみちイタイ奴ではあることは否定しないけれども。

このシリーズは取り合えず書き溜めておいて、しばらくしてからそっと少しずつリリースしていこう。

と思ってるけど、どうするかは気分次第。良く分かんない。

そんな感じで、皆様おやすみなさい。

オレはもう少しお仕事してから寝るよ。

もうこの歳になってくると、全裸より、水着とか下着とかで見えてない方が興奮するようになりました。

どうせ、脱いだってその先にあるのは毛が生えたまんこと乳首なんでしょ。とか、そういう気持ちになるようになりました。

これはこれで成長だと信じております。

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2021年6月6日 4:00 CAT :

つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしオナニーにふけりけり2021 その3

なんか思ったことをその場で吐き出せると言う意味で、twitterって便利だなぁ~って思ってたけど、ここ最近、思ったことをその場で吐き出すってどうなのよ。と考えが改められつつある。

と言う建前もあるんだけど、なんか呟けばフォロワー数が減って、放っておけばフォロアー数が増えていくと言うのも、なんかモチベーション維持にはマイナスでしかない。

しばらくは、リツイートと、週1回の「極ニュースチョクホー」で凌いでいこうかなと。

と言う事で、ここ最近の自分周りのお話しでも・・・

 

 

 

〇アホみたいな怪我をした

ムスコとその友達とかけっこ競争してて、こんなコケ方するの何年振りよ。と言う位、爽快に思いっきりこけた。

しかも、片手に息子の服持ってたせいで、手が付けなくて、肩から思いっきりこけたので、左肩がえらい事になった。

正直、鎖骨ぶち折れたと思った。

打ち身なのに、内出血が凄すぎて毛穴から血がにじんで出てきてると言う、経験したことない痛み。そして、血が冷えて体の内側ら寒くなっていくと言う経験したことない感覚。

正直、膝とか手とかの傷は、これまで何度の経験したことあるやつだけど、この肩だけはマジで初めての痛さだったので、病院行ってレントゲン撮ってもらってきた。

その結果、オレの骨はメッチャ太くて頑丈で、今回程度ではビクともしないとの事。

こんな頑丈な体に産んでくれてありがとうお母ちゃん。

ただ、打ち身が凄くて、「2~3週間は痛いよ」と言われた。

あれから、2週間。

大分マシになったけど、まだ真っ赤で痛い。

そして、膝小僧のかさぶたのけるのが楽しすぎて、一向に全治しない・・・

 

 

 

〇大阪なおみ選手の会見拒否の話

まぁあれだよね。

プロとしてお金をもらっている以上、今回の事はどうなんだろうとは思う。

その意味では、先日の武井荘さんの言ってた「利益背反行為」が実に的を得ている気がする。

オレだって、お金をもらってるお仕事では、どんなに気が乗らなくても、嫌でも、ニコニコして人前に出て行って、お話ししてくる。

帰ってきたら数時間寝込むほどダメージ受けるけど、それがお金をもらってお仕事をすると言う事だから。

アマチュアでズッとスポーツしてるなら問題なかったのかも知れないけど、そこに金銭の関係が絡んでくると、そうも言ってられない。

アスリートさんって、そういうメンタル面も含めて、凄いなと尊敬できる人たちなんだと思ってたけど、そうじゃない人も居ると言う事か。

逆に、イチローとかやっぱりめっちゃ凄い人なんだなと、凄いミーハーな感想を持ったです。

 

 

 

〇AV見るなら金払えの話

ぐうの音も出ない正論だと思う。

「AV見るお金がない人は、AV見るなと言う事ですか?」と言う反論もあるらしいけど、そりゃあそうだろ。

今日日安ければ数百円で変えるんだから、そのお金も出せないような奴は精子出してる場合じゃねえだろ。

それ、チョッと自販機でジュース買うのをやめて、ドラッグストアでジュース買えば捻出できるレベルですよ。

逆に、そんなお金でAVが見られる素敵な時代だと言う事だ。

一つだけ問題があるとすれば、それはモザイクの問題。

金出して正規で手に入れたAVでは性器が見られないと言うこのねじれ構造はどうなのかと。

ただ、童貞の内はまんこはモザイクの向こう側で妄想を膨らませてる方が幸せだと思うんだけどな。個人的には。

オレも高校生の頃とか、AV見ながらあのモザイクの向こう側には、どんな素敵な世界が広がってるんだろう。と、そんな妄想が止まらなかったもんだ。

あと、やっぱりお金出して、後ろめたさ無しでやるオナニーは良いもんだと思うよ。

 

 

 

〇ピアス開ける

4コマのネタで少し描いたけど、ピアスを開けようと思ってる。

全く興味なかったんだけど、今年の初めくらいから、ずっと嫁に「ピアス開けなよ。」「この歳で初めてのピアス開ける男の人って、カッコいいと思うな。」と洗脳され続けた結果、なんか確かに35歳超えてピアス開けるって、チョッと良いんじゃないか。いや、今開けないと、いつ開けるんだ。開けよう。開けさせてください。となってしまった。

ただ・・・怖い。痛いの怖い。

思えば高校生の頃、演劇部の皆さんが部室でゴリゴリ開けてた時に、一緒に開けてもらえば、何にも怖くなかったのになぁ。あの頃は、ピアスどころかリストカットとかしてた訳で、痛みに強い女の子だったんだよ。

でも、良い歳したおっさんとなった今では、怖いよ。

穴を開けるってどういう事だよ。

処女膜破るような感じか?

まぁ、でも決意がぶれる前に開けようとは思ってる。

それだけの話です。

 

 

 

〇ライブとか行きたい

そろそろまぢで、ライブハウスとか行きたい。

そもそも人混みとか嫌いだから、行楽地とかいけなくなっても、大してダメージ無いんだけど、ライブハウスの楽しさはやっぱり好きらしい。

それともし、ライブが出来ないと言う理由で大好きなバンドさんが活動できなくなると言う事があるなら、それが一番辛い。

と言う事で、ここ最近はCD買ってても、出来るだけサブスク経由で曲を聴くようにして、少しでもアーティストさん方にお金が流れるようにしてる。

こんな微々たるもので効果が有るのかは分からないけど・・・

 

 

 

〇「G」が最終局面まで来た。

ここに来て、本来「G」の中で語るつもりなかった、オレのマンガの世界観の根幹にかかわる話をぶっ込む1話を思いついたので、更に1話追加することになった。

構成上では、94話で完結だったけど、95話で完結に伸びた。

この1話については、描かなくても良いような気がしないでもないんだけど、でも、思いついちゃったんだよ。

ただ、お仕事他諸々がありがたいことにクソ忙しい事と、G‐ゲームシリーズがとにかく作画コスト高くて、時間がかかりまくるので、予定では、完結まで一気に行けると思ってたんだけど、G-ゲームリリーズ終わり辺りで、一旦ストップしないといけないかもしれないなと思ってたりする。

もうほぼストックがない。

あんなに描きためたのに・・・

 

 

 

〇朝倉未来さんの言ってた話

ある意味、永遠の課題とも言えなくもない、「いじめは虐められる方にも原因あるんじゃね?」問題の話。

オレは、学生時代、ホントにギリギリのところで虐められることはなく、クラスの中で存在してない扱いをされてた。

どっちかと言うと、虐められてる奴を見ながら「いいなぁ~みんなに相手にして貰えて」と思ってた。

とは言え、これはオレがいたクラスでのいじめが、所謂「いじめ」よりの「いじり」だったからそう思うのであって、旭川と言う修羅の国の標準レベルのいじめだったら、絶対そんな事は思わなかっただろうて。

今となると、あの当時のオレ自身を今、すっげえ嫌い。あんな奴は、そりゃクラスで浮いてて、誰からも相手にされねえよ。と思う。

だから、いじめは虐められる方にも原因・・・とは言わないけど、選ばれる要因があったとは思う。

クラスの中で、そいつが選ばれる要因はあったはず。

でも、だったら虐めて良いと言う話にはならない。

もうね。原因だろうが要因だろうが何だろうが、もういじめたやつが100%悪くて、いじめをやった奴は人生が終了するくらい重い罰を与えられれば良いと思う。

虐める側にも原因があった。とか、そんな殺人に対する情状酌量みたいな話が、いじめにあるはずない。

で、最初の朝倉未来の話に戻るけど、この人も一切いじめを肯定してる訳じゃあないし、発言の真意としては「どうせいじめとかしてる奴はヘタレのクソ野郎なんだから、格闘技とか習って強くなれば虐められなくなるよ」って言う事だと思うんだ。

これは、本当にその通りだと思う。

格闘技やってて、ゴリゴリの強そうなやつは絶対にいじめのターゲットには選ばない。選べるほど根性ある奴はいじめとか、そんなアホみたいな事しない。

 

 

 

〇「死ぬ事」

死ぬと言う現象について、掘り下げた面白いお話を聞いた。

生物が進化して、反映していくために「死」が如何に重要かと言う話。

ざっくりいえば、細胞は分裂を繰り返していくほどにエラーが蓄積されて粗悪な存在になって行く。(これが老化現象だとする)

粗悪なものが存在することは種族として繁栄していく上でマイナスでしかないから、そんな存在を取り除くことで常に良い状態の細胞を持った個体が中心になる事で種族を繁栄させるためのシステムが寿命による「死」だと。

そして、地球の歴史において、反映したほとんどの種族がこの「寿命による死」を採用していると。

反映するために死ぬと言う、この発想は、「サピエンス全史」を読んだ時近いくらいの目からウロコな話だった。

そして、地球上で今、この本来の寿命による「死」がちゃんと機能してない唯一の種族は人間なんだと。

「老害」と言う言葉が出てきて久しいけど、まさに、この「老害」を寿命と言うシステムで種族から消すことで、生物は繁栄してきたんだって。

これを否定した時、その種族は緩やかに滅んでいく。

さよなら人類。

 

 

 

他にも色々お話しあるんだけど、しばらくはこういう思ったことをtwitterじゃなくて、ブログで書いていくってどうかなと思ったりした次第でございます。

取り合えず、やりたい事ばかり増えるけど、時間は増えないと言う現状を打破する方法を誰か教えてください。

こうやって、まんこ見えないように足組んでる写真とかイラストってこの角度以外からだと丸見えだと言う事に、ムカつく日々を過ごしております。

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2021年5月18日 21:42 CAT :

つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしオナニーにふけりけり2021 その2

まぁね。こういう事になるんじゃねえのかと思ってたんだけど、思った通りになりやがった。このくそ野郎。

ただ、なってしまったものはしょうがない。

「週に1回くらいブログ更新できるっしょ」って思ってたけど、全然余裕じゃなかった。

気が付けば、「ああ~今週更新できなかった」から「ああ~今週も更新できなかった」になってしまってた。

これはこれで恐ろしい。

言い訳ついでに言えば、思いついたネタを忘れないように・・・という想いで、チョッとだけ書きかけてる下書き記事も何件かあるんだけど、それも結局は、描き切ってないので、ダメなものはダメですね。

ダ~メダメダメダメ人間ございます。

その辺の書きかけの記事については、また、今週末からコツコツと書き進めていこう。

 

 

 

と言う事で、ここ最近の自分周りのお話しでも・・・

 

 

 

「アーバンギャルド」と言うバンドさんに激ハマりした。

なんか、spotifyのオススメでたまたま流れてきた「くちびるデモクラシー」を聴いて、「これめっちゃいいじゃないの!!」となったわけでございまして・・・

急いでYOUTUBEでMV見漁った結果、珍しくと言うか何と言うか、全部良かった。

早速CDアルバム収集を開始。

今のところ、手にできる全アルバムを手に入れました。

そしたら、「鬱くしい国」ってアルバムの1曲「戦争を知りたい子ども達」って曲の語り部分から、聞いた事のあるおっさんの声が。

やっぱりこういうサブカルな人たちとは絶対どっかで絡んでるんだね。オーケン・・・

ついでに、復帰後キンショーのアルバムではかなり良かった「Show Must Go on」の中にあった「霊媒少女キャリー」にアーバンギャルドの女性ボーカル浜崎さんが参加してたって。

結局オレが好きなのはどこまで行ってもナゴムの系譜と言う事か・・・

 

 

 

「G」の世界を再開して以降、マンガを描きまくってる。

イヤ、描きまくってると言うと語弊があるな。

でも、ちゃんと1週間に1話は描きてる。

しかも、「G」描き始めた頃から、早く書きたくてしょうがなかった「G-ゲーム」のところまでついに来た訳で、そうなると作画の方も知らんうちに凄い気合が入ってしまって・・・なんか物凄い作画時間がかかっております。

なんか、そういうんじゃなかったじゃん。と言う気持ちもありつつ、この「Gゲーム」でやっと、いつものインフレが始まって描きたい表現がいっぱいできるんだよ。

逆にここまでの「人間らしい動きをしないといけないよな」と言う窮屈でしょうがなかった制約がなくなるので、今は、描きたいシーンが次々出てきて描いてる分には楽しくて仕方がない。

もっと漫画描く時間をください。神様。

 

 

 

おうちを建てようとしている。

このオレが。

ただ、そうなるとやっぱり色々と問題が出てくる訳で、色んな所にある埋蔵金には手を出さずに、スタート時、かなり低い予算でハウスメーカーさんめぐりなどを開始した。

・・・はずだったんだけど、それでも、どうしても必要な事がやっぱり後から多々出てきた結果、かなり余裕のあった各所の埋蔵金も枯渇しつつある。

イヤね。予想外の出費が尋常じゃなく多いのよ。

そして気が付いた。

無意識だったんだけど、オレ、結構な豪邸を阿保みたいな敷地で建てようとしていた。

いや、建てる予定で現在進行している。

是非建った暁には、色んな人に見ていただきたい。「いや、こんな豪邸建ててお前は何してんの?」って言われると思う。言ってほしい。

家が建った後は、また死に物狂いでお仕事頑張るしかない。コツコツとね。

 

 

 

上記の話とチョッと被るんだけど、会社が出来た。

なので、なんとこのオレが社長になってしまった。

大学生の頃、嫁と(まだ結婚もしてなかったけど)「2人で自分たちの好きな事をやっていきたい。その為の会社とかお店とか2人でやりたいね。」と話していた。

その当時、周りの誰もが「夢ばっかり見ないで、就職しろ」と思ってただろうし、そう言う事を言われ続けてきた。

サラリーマンとしてみんな頑張ってるんだから、変な事言わないでとにかく頑張れと。

その時、嫁と二人で決めた会社名。

それから20年近い時間が流れた。

そして今、その時から考えていた名前の会社を2人で立ち上げる事が出来た。オレが社長で、嫁が副社長の会社だ。

結局、変わる事のなかった思いがついに成就したんだよ。

今、実はその事については物凄く感慨深いものがあって、それについては、別の記事で書くつもり。

ちなみに、会社の事務所とか駐車場も込みの自宅にしようとしてるので(↑)の通り軽い豪邸を建てる方向になったと言う経緯があったりする。

 

 

 

お仕事が阿保ほど忙しい。

いや、これについては本当に感謝してもしきれない。

ただただ、ありがとうございます。と、声高に言い続けるしかない。

その反面、正直キャパオーバーが甚だ凄いことになっている。

なんかね、クライアントさんが皆優しい人ばっかりで、こんな状況でも大目に見てくれているんだけど、にしても、それに甘えすぎてる。

そのうち1人キレられ、2人キレられ・・・そして誰も居なくなった。って絶対なる。

ホント、オレ自身が糞過ぎて自分で呆れてる。

取り合えず、社員雇ってバリバリに回していくか、丁寧に出来るようにもう少し仕事を制限するか、そう言う事も考えていく必要があると思う。

 

 

 

奇蹟に近いことが起こり続けている思ってる。

ここ数年、出会う人出会う人が、まぢでビックリするほど皆いい人ばかり。

何にも出来ない、本当にどうしようもないちっぽけな人間なのに、困った事があると相談に乗ってくれるめっちゃいい人と本当にここ最近よく出会えてる。

学生時代、砂漠の中の砂鉄のような扱いを受け、虐められてる奴を見ながら「相手にして貰えていいなぁ~」と思ってたオレが。

中学時代とか女子との総合計会話時間が10分にも満たなかったこのオレが。

片手の収まるくらいしかいない友達にさえ「学生時代のお前には近寄りたくなかったわ」と断言されるこのオレが。

色んな人に相談に乗ってもらって、困ったら助けてもらって、今、この瞬間を生きている。

こんな奇跡のようなことが起こってて良いのか。

なんか、実は裏で全員が繋がって、ウシジマくんのフリーターくんシリーズみたいに、オレから金を搾取するためにはめてるんじゃないのか。と、不安になるくらい、人に恵まれてると思う。

今オレにできる事は、出来るだけ一方的に助けられるばかりにならないように、少しでもお返しできるようにすることか。

と思いつつ、結局、そんな事全くできないまま、今日もまた助けられて生きております。

会社の事も、仕事の事も、それ以外の事も全部、人に恵まれまくった奇蹟の上での出来事だと思う。

どうすれば良いんだろう。

ただただ、感謝してる。

ありがとうございます。

 

 

 

上記の事と少し関連するんだけど、ここ最近、特に気を付けてる事として「人の事を極力悪く言わない」と言う事をめっちゃ心がけてる。

人に対してムカつくことはある。

あるんだけど、オレも絶対色んな人をムカつかせてるし、そのムカつくやつだって、絶対に良い所もあるし、なんか理由があるんだと思うようになった。

そもそもオレだって、人をムカつかせようとして生きてる訳じゃあない。

あと、変な達観みたいな事が起こり始めてて、あほな事やってる人を見てると、過去の自分と重ねて「きっと、人から相手にされなさ過ぎて寂しくて、やさぐれてるだけなんだろうなぁ~」みたいな生温かい目で見る事が出来るようになった。

そういう人の事でも、例え心の中で思ってても悪くは言わない。

って言うか、それよりは、自分が凄いなと思う人の事を考えたいし、誰かに話したい。

誰かと話をするときにでも、「アイツホンマクソだよな。死ねばいいのに」と言う陰口じゃなくて、「あの人はホントすげえよな」と言う話をしたい。

これ実は、数年前位に言霊の力みたいなものにはまってて、自分の気の流れをよくするためにはプラスの言霊の力を借りたらいいと言うのを見たんだよね。

で、それをチョットだけ試してみたのがきっかけだったりする。

今では割とそれが常態化してるんだけど、これが意外とストレスがたまらねえんだよな。

ムカつくことがあったら、吐き出さないとストレスがたまる。と思ってたんだけど、そもそもそういう負の感情に侵食されること自体がストレスなのでは・・・と思いつつある。

まぁ、この辺もまた、別の記事で詳しく書いてみる。

あともう一つやってる、字を書く時に気を付ける事の話も含めて・・・

 

 

 

とまぁ、ここ最近の自分周りの話をチョットだけ。

なんか、自分語りが過ぎる気がするけど、そもそもこのブログ自体がオナニーでしかないので、オレが気持ちよくなるための文章を、オレが気持ちよくなるようにスコスコこすって出してるだけなので、これで良い事にしておこう。

メッチャ時間かけて描いた「G」の1ページ。

でも、効果音と吹き出しのせいでなんか、絵が隠れてしまったので、隠れる前の絵をここにだけ載せておこう。

こんなに頑張って描いたのに、効果音と吹き出し入れるとこうなる。

イヤ、良いんだ。

オレは、絵を描いてるんじゃない。マンガを描いてるんだから。

効果音も、吹き出しも、もちろん絵も、コマ割りも全て含めて漫画なんだから。

あと、こういう見えないところに力を注ぐのも好きなので。

でも、見えないところもちゃんと描いてますよと言う事も知ってほしい。

そんな複雑な乙女心・・・

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2021年4月25日 16:21 CAT :

バリウム飲んで白濁うんこ野郎

4月入ってから、普通のお仕事に合わせて、会社設立についてのあれこれや、家を建てるためのあれこれが重なって、なんかあっという間に時間が過ぎていってる。

そのくせ、何と言うか、打ち合わせばっかりで全然実際に何かが動き出したわけじゃないからなのか、虚無感的なものも凄い。

やっと、会社の印鑑が出来上がり、定款が出来上がり、会社の方は外枠がぼんやりと見え始めた。

家の方も、いくつかのハウスメーカーさんからプランと見積もりを出してもらい、土地の方は契約を交わしたので、ぼんやりと形が見え始めた。

ただ、お仕事は今月はあんまり進まなかったな。

これは収入に直結するので、それはそれで戦々恐々。

要約すると、めっちゃ毎日なんだかんだと動いてたのに、成果としてはイマイチとぼんやり見え始めた程度。

行ってしまえば、虚無感的なものの正体だよな。

とは言え、全く何も進んでいないわけじゃあなくて、確実に前には進んでいるはず。

今年の初めに立てた目標で見れば、「ブログを週に1回は書く」「『G』を完結させる」「法人を設立する」「家を建てる」の4つは、本当に達成できそうな感じ。(家については、完成は来年に持ち越しそうだけど)

それでもう十分じゃないか。

その為の助走だったんだ。4月は。

5月はもっと頑張ります。

色々頑張ります。

・・・って、ブログを書こうと思ってたのに、日曜日にアップするの忘れてた。

まだ、週1回更新の枠内だ。

今週中に、もう1つ記事を更新すれば。

自分には甘い人間でございます。

 

 

 

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2021年4月18日 4:26 CAT :

命(なんて)短(い)し(どうせなら)恋(でもして無意味な人生に意味でも見い出)せよ人類

「痩せたい!」って言うと、嫁が健康に良いけど、太らないような食事をいっぱい作ってくれて、そのお陰で、1週間で3㎏ほど落とすことが出来た。特に苦も無く。

でも、週末にオレが「うどん食べたい!」「焼肉食べたい!」って好き勝手食べた為に、体重が元に戻ってしまった。

申し訳ない気持ちも含めた情けない感じで、今はお腹いっぱい胸いっぱい。

食の欲望には抗えないです。

地下に監禁されて、ペリカで生活しているわけでもないのに。

さてさて。

本を読むのが昔から大好き。

基本的には、漫画が多いけれども、なかなかどうしてそれ以外の本もなくはない。

読む本の傾向としては、下記の3つがある。(と思う)

 

〇知的好奇心を満たすための本

〇娯楽的快楽を満たすための本

〇社会的欲求を満たすための本

 

「知的好奇心を満たすための本」って言うのは、興味があって知識を深めるために読んでる本。

今は、「サピエンス全史」と言う本を読んでる。

元々、大学では考古学を先行していて、文化人類学もチョッとかじっていたりするので、この「サピエンス全史」は物凄く興味深い。

考古学的な視点を交えつつ、文化人類学的な立場から、そもそもこの地球の生物史における「サピエンス」の存在について考察していると言う、もう好きものにとっては垂涎の本。

特に、有史以前の虚構を信じることができるようになった認知革命、人間が麦の家畜となってしまった農業革命のあたりはメッチャ興味深かった。

いや、まだ全部読んでないんだけど・・・これについては、全部読破してから、またチョッと自分なりの意見とか書きたいなと思ってる。

ちなみに、その前は「サンカの最新学」と言う本を読んでいた。

日本の山奥に存在していたと言う、日本の原住民族「サンカ」についての研究をまとめた本で、こちらも非常に興味深かった。

そんな話をし始めると、「日本」と「倭国」の話とか、そういう話にもなってくるんだけれども・・・

閑話休題。

次。

「娯楽的快楽を満たすための本」は、単純にオレが好きで読んでるマンガとか小説。

漫画では、今、心がざわめきまくってるのは「チェンソーマン」「血の轍」「望郷太郎」辺りだろうか。

ずっと大好きだった「進撃の巨人」「亜人」が相次いで完結してしまって、最後まで読める喜びと、心にぽっかり穴が空いた感が寂しい今日この頃。

「ハンターハンター」と「ヒストリエ」については、無の境地で待っている次第でございます。

「ヒストリエ」も11巻出たばっかりだと思ってたけど、あれからもう2年近く経つんですね。

小説では、エッセイじゃないオーケンの物語の小説、江戸川乱歩辺りがもう好きで好きでしょうがない。寺山修司も大好き。

夢野久作の「ドグラマグラ」は、何度も読もうと試みるんだけど、いつも上巻の途中位で力尽きてしまう。弟曰く、「我慢して上巻読めば、下巻は面白すぎて一気に読める」らしいけど、その我慢が出来ないままです。うむむむ。

考えてみれば小説ってもう、江戸川乱歩はもとより、オーケンも新作の小説書いてくれないから、ほとんど新しいものに手を出してないな。

でも、なぜかマンガと違って小説って、何回でも何回でも同じ話繰り返し読める。

何でだろう・・・多分、小説の方が妄想できる余地が大きいからだろうかね。

再び閑話休題。

最後の「社会的欲求を満たすための本」。

一応、こんなでも社会生活の真似事のような事をしていて、その上で、知っておくべきことを知るために読んでいるヤツ。

言ってしまえば、読みたくて読んでいると言うよりは、しょうがなく手にしてる感じの本ですよね。

今は、事業の法人化に合わせて、資金の運用とか節税について知りたくて、「橘玲」って人の「黄金の羽根の拾い方」と言う本を読んでる。

あと、家を建てるための「新築のススメ」みたいな本も先日買ってきたな。ほとんど読んでないけど。

チョッと前は、「SDGs」についての本、もう少し前はゴールドラットとか言うおっさん書いたの「toc理論」についての本とかを読んでた。

とか、偉そうに言ってるけれども、これらの本については、本当に興味がないので、尋常じゃなく読めない。

とにかく読めない。

1ページすら読むのにめっちゃ時間がかかる。ほとんどの本が「置き本」「積み本」になってしまっている。俗にいう「積読」と言うヤツだ。

でもなぁ~やっぱり、知っておくべき内容なんだろうな。

こういう事については、読むより詳しい人に教えてもらう感じの方が気が楽でいいんだけどね。

 

 

とまぁ、色んな本を読んでたりするんだけれども、実は、昔と比べて本当に本を読まなくなってしまった。

読みたくないんじゃなくて、読む時間が無くなってしまった。

朝起きてから、寝るまでほとんどPCの前にいて、ベッドに入ると力尽きて本を開くことなく寝てしまう。

もっとインプットしていかないとダメだよな。

ただ、本は出来るだけたくさん持っていたいので、今度家を建てる時には、オレの大好きな本が所狭しと置かれた書斎と言うか、書庫を一部屋作る予定。

これは、結構昔から憧れてた事で、実家にあるホントかも全部がっつり持ってきて、そして、その中にこもって本が読める生活になればいいなぁと。

そんな事を妄想しております。

ちなみに、唯物論者という訳じゃないけど、電子書籍は不満。

やっぱりね、紙とインクのニオイとか、ページをめくる感じとかが好きなんだよ。あれがないと、チョッとどうしても寂しい・・・

まぁ、そんな感じで、今日はおしまい。

オーケンの小説で(半分エッセイだけど)一番好きなのは、やっぱりこの「リンダリンダラバーソール」。

このラストは、何度読んでも泣いてしまう。

あと、江戸川乱歩で一番好きなのは、圧倒的に「蟲」。

これもラストの、柾木愛造が河原で土下座するシーンは、何度読んでも号泣してしまう。

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2021年4月11日 4:00 CAT :

お家を建ててみよう 第1話「土地を買ってみよう」

今の生活でオレは自分の欲しいものはほぼ全て手に入っている。

これは、オレがめっちゃ金持ちになったという訳じゃあない。物欲に恐ろしいほど低いんだよね。

車とか、服とかにも全く興味ないし、趣味はマンガ描いたりギター弾いたりすること。

マンガなんて、デジタルに移行した今となっては、電気代さえ払えばずっと描いていられるし、ギターはオレの愛する「てっちゃん」さえあれば十分。

あとは、本とかCDを月に数千円くらい買えれば、もうオレの人生はOKだ。

ギャンブルはもちろん、酒もたばこも一切やらない。

こんな生活でオレは満足してる。

そんな志茂田さんが、この度、なんと家を買う事を決断しまして・・・

その経緯も色々あるにはあるんだけど、それも含めて、家が建つまでをチョッとだけ、このブログでレポートしていってやろうかな。と思い立った次第です。

今日は、その第1回目「土地を買ってみよう」をお届けいたします。

 

 

 

さてさて。

そもそもの経緯から話すと、一番の原因は弟が結婚したことだったりする。

一応、オレは長男だったのでいずれ実家に帰って、親の面倒を見るんだろうと思ってたし、考えた。あと、その旨を親にも伝えてた。

で、その際オレが帰ってきた時に住む家として、実家の離れがあって、そこをリフォームして住むような話もしていた。

オレは、本当なら娘が小学校に行くタイミングで実家に戻る事も検討したんだけど、まだ弟が実家にいた為、オレが家族で実家に住み始めると肩身が狭いかなみたいな事や、娘の学区が変わってしまうと言う事もあって、それはやめて賃貸でもうしばらく粘る事にした。まだ、両親も介護が必要なとかそんな緊急性のある感じでもなかったし。

そして、去年。弟が結婚した。

結婚自体はおめでたい事極まりないんだけど、その際に弟は収入が無さ過ぎて、実家を出る事が出来なかったらしく苦肉の策でオレが住む予定だった実家の離れをリフォームし始めた。

オレに何の相談もなしに。

「さすがにそれはないんじゃねえの?」って事で、去年の夏辺りに弟とは、まぁまぁ懇々と話をして、「勝手な事してすみませんでした」と謝罪もされたでの、まぁ、この件については、もう水に流すことにした。

したんだけど、そうなると、もう今の賃貸で住んでる意味って何なんだよ?

オレは見知らぬ大家さんに毎月数万円。年間だと100万円近いお金を渡し続けてる。

それやめても良くね?

オレに残された道はあと3つ。

 

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 

 

1.今のまま賃貸に住み続ける。

2.弟がいずれお金が貯まったタイミングで家を出たりして、その後に、その弟がこねくり回した家に入らせてもらう。

3.両親と同じ家で同居する。

 

正直に言おう。

なんでやねん!

どれもお断りじゃい!

(↑)こんな気分。

勝手に、何の相談もなしでやったんだから、その責任くらい自分で取りやがれ。

オレは、もう実家に戻る気は失せた。

そして、その為に妥協してたココ10年くらいのお住まい事情に対して、未だにムカついてる。

もうオレも、好き勝手するよ。何の相談もなしにな。

お仕事がありがたいことに増えてきて、事務所をちゃんと作ろうと思ってた事。

来客や、お仕事を手伝ってくれている人が来てくれても止める駐車場がない事

今の家では、仕事の事務所をちゃんと取って、子どもたちの部屋を取る事が出来ない事。

などなど、いくつかの複合的な理由もあって、だったら家を買ってしまおう!と言う事になった。

流れとしては、そんな感じでございます。

 

 

 

まず考えたのは、嫁ともども古いものが好きなので、中古物件を買って好き勝手にリフォームすると言う計画。

実際に、何件か内見もして、リフォーム業者さんに見積もり作ってもらう所まで行ったりもした。

したんだけど、立地条件、建物の雰囲気、希望通りのリフォームになるかの3点全てを満たしてくれる要件はなかなかなかった。

終いには、工務店の人に「リフォームより新築の方が安くて良いものになりますよ」と言われる始末。

いや、それはオレの希望が多すぎたせいなのかもしれないけれども・・・

家なんて、そうホイホイ買い替えるものじゃあない。

どうせなら、今現状で希望していることくらいは叶えたいじゃあないか。

希望してるのは、「車が数台止められる駐車場」「来客と従業員のスペースが取れる事務所」「子どもの学区が変わらないで、人が周りにほとんど住んでないところ」の3つ。

あとは、まぁ正直どうでも良い。

それ以外のところは全面的に嫁の好きに作ってくれていいです。予算内なら。

でも、この希望をかなえられるものが本当にない。

お仕事で付き合いのある社長さんとかにも、色々相談した。

その中で「そんなでかい予算で考えてるんなら、どんな希望の新築でも建ちますよ。志茂田さん!」と、とある社長さんに言われた。

それまで全く新築を建てると言う事を考えてなくて、選択肢にも入ってなかった。

無知すぎて、家を建てる事に対してどのくらいの予算が必要かも良く分かってなかった。

そうか。そう言うものなのか・・・

早速、「新築を建てる」と言う選択肢を増やすために、ネットで物件情報サイトにアクセス。売りがかかっている土地を調べてみた。

すると、数日前に売りに出たばっかりのひとつの土地が目に留まる。

普段嫁と散歩してる時によく通る場所。嫁と「ここ雰囲気いいねぇ~こんなところに住みたい」と話してた場所。

周りが畑で住宅密集地からちょっと離れた所。

でもちょっと行けば大きい道路があって個人的にはアクセスもかなり良い感じ。と言うか、横に幹線道路とか、近所にコンビニがあるような場所が嫌い。

もちろん、今住んでる所の近くなので、子どもの学区も変わらない。

広さもかなりある。駐車場5台くらいとって、大きな庭作って、別宅で事務所建ててもまだ余るくらい。

そして、坪単価でもめっちゃ安い。

周りが田んぼで道路から少し入ったところにある土地は、総じて坪単価が安いんだけど、それに輪をかけて安い。

土地を買う場合、やっぱりに気にしてたのは災害とかの関係と、土地の雰囲気と、前は何に使われていた土地なのかみたいな事だと思う。

その辺も調べてみた。

自治体が出しているハザードマップとかで調べてみた感じでは、津波とか土砂災害、水害などは全部大丈夫。

雰囲気は前述のとおり嫁ともどもお気に入りの場所。

見渡せる景色もディモールト良い。

取り合えず、電話するの苦手なので嫁に不動産屋さんに電話してもらうと、その翌日担当の人が家までやってきた。

早速、その土地の状態を聞いてみた。

不動産屋さんに聞いた話では、このコロナ禍でキャッシュが必要になった町内の企業さんが知り合いだったその不動産屋さんに格安で売ったものらしく、以前は、資材置きなどに使っていたけど、ずっと農地だったらしい。

価格が安かったのは、元々買値が安かった事と、以前農地で今は宅地にはなっているものの、地盤を作る外構工事が数十万かかる為だったらしい。

不動産屋さん的には、取り合えず出してみて、売れなかったらちゃんと地盤調整して、値上げしてもう一度売りに出すつもりだったとか。

そもそも、あんなアクセスの悪いぽつんと田んぼの中にあるような土地が売れるとは思ってなかったって。

いやいや。オレは、ずっとそう言う土地を探していたんだよ。

これは運命だと思った。

次の日には、その土地の仮手付金を払っていた。

こうして、オレは本当に誰にも相談しないで土地を手に入れてしまったという訳だよ。ワトソン君。(もちろん、嫁や子どもたちとはよく相談したけど)

 

 

なんか、こういうのって直感とタイミングだと思うんだよね。

最高の立地でめっちゃ広い土地は手に入った。

あとは、この上にどんな理想のマイホームを建てるかと言う話。

人と会う事が何よりも嫌いなんだけど、今がんばって、ハウスメーカーさんめぐりを行っております。

と言う事で、次回は「雑念を振り払ってみよう」。

家を建てるために考えないといけない悲喜こもごも。

ハウスメーカーさんに丸投げは出来ない。

色々と飛び交う雑念に振り回され続ける志茂田さんを救ってくれたのは、とある一人の社長さんの一言だった。

(いつになるか知らんけど)次回を待て!

 

 

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2021年4月1日 12:31 CAT :

11デノナルーフルリプイエ

オレが生まれた時、実は双子だったとこを知っているのは、両親と嫁だけだったりする。

生まれた時オレは、無頭症と言う所謂脳がない状態だった。

そして、一緒に生まれてきた兄は、体のほとんどを欠損した状態だった。

つまり、兄は首から上が正常で、オレは首から下が正常な状態。

このままではどちらも命は保証できない。

そう説明された両親は、オレの体に兄の首から上をすげ替え、一人の人間にすることを決断した。

成功率はほぼ0に近かったが、それでも藁にも縋る想いで下されたこの首のすげ替えと言う決断の結果、今オレはこうして、日々を当たり前に過ごしている。

生まれたばかりの体だった事、遺伝子的に同じだった双子だった事が幸いだったと言う事を随分後になって聞かされた。

兄は死産と言う事にされ、戸籍上オレが存在してる。

長い時間が流れ、そんなオレも結婚し、子どもを授かり、曲がりなりにも家庭を持つことが出来た。

首と体がよくなじんだ為、今では手術跡が気が付かれる事もほとんどない。

ここ最近思う事がある。

この人生は、オレの人生だったのか・・・

オレは誰なのか・・・

今ついている脳みそは本来兄のモノだった。

だとしたら、今オレが考え、感じ、見ている世界は、兄が考え、感じ、見ている世界なんじゃないだろうか。

確かに体はオレのものだから、子どもたちは間違いなくオレの血が流れているだろう。

でも、その子どもたちに対して、なんだか不思議な感情を抱いてしまうのは、モノを考える脳がオレのモノじゃないからかもしれない。

人は良く、心のある場所として心臓の位置をイメージする。

だが、物事を感じ取る場所はどう考えたって、脳だ。

心がある本当の場所は、脳なのか、心臓なのか。

脳であるのならオレの心だと思ってたものは、兄の心だったのかも知れない。

何十年と思い悩み、苦悩しながら、それでも前を向いて生きてきた。

その悩みは兄の悩みだったのだろうか。

夜そんな事ばかり考えて、最近眠る事が出来なくなってしまった。

また、今日も眠らないまま夜明けを迎えた。

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2021年3月28日 4:00 CAT :

月に行くつもりじゃなかった

生徒会の役員とかやって高校生の頃の話。

オレの通っていた高校では、クラス対抗の球技大会が毎年行われていた。

種目は野球だった。

そして、何でか主審を生徒会の役員がやると言う変な決まりがあった。

クラスで、信じられない位浮いてて、嫌われ者だったオレにとっては、それはそれは苦痛な経験だったんだけど、その中でまぢでもう、どうしようもなく泣きそうになったことがある。

それは、同学年の別のクラスの試合の時。

1点差で負けていたクラスに、オレを中学校の頃にいじめる・・・とまではいかないけど、普段から見下しててスキさえあればボコボコ暴力をふるってくる、めっちゃ嫌いな奴がいた。

試合終了時に「お前の権限で、あと1回延長しろ。このままじゃオレのクラスが負けちまうだろうが。」的な事を言われた。

それに合わせて、そのクラスの他の生徒も詰め寄ってきて「あと1回!あと1回!」みたいに煽ってきた。

ビビってた事が半分、あと、ノリが悪い奴だと思われたくないという想い半分で、オレはこの時・・・「じゃあ、あと1回だけ延長します!」とやってしまった。

予想できるかもしれないけど、結果その1回で逆転が起こった。

オレに詰め寄ってきてたクラスは狂喜乱舞してたけど、今度は、勝ってたのにオレの一存で勝手に延長された挙句負けた、もう一つのクラスが「ふざけんなよ!もう1回延長しろ」と詰め寄ってきた。

今考えたら、そりゃあそうだ。

でも、虐めてたやつがいた方のクラスは「もうこれで終わり。オレらの勝ち!」ってなってる。

物凄い責められて、あたふたしてた。と言うか、本当に、泣きそうになった。

結局、この時オレは「公平にするために、あと1回だけ延長する」と言う事にした。

その回は逆転は起こらず、「もう1回」って言う声もあったけど、「公平に1回ずつ延長したので、もうこれで終わり」と無理やり試合を終わらせた。

後で、先生からも「勝手に延長して、引き伸ばすな」と叱責されるし、負けた方のクラスはどうしたって納得がいかずに、クラス全員から多分物凄く嫌われたと思う。結構な禍根も残った。

あの時の事を思い出すと今でも、お腹のあたりがきゅ~ってなるのを思い出す。

さてさて。

遂に聖火ランナーがスタートしたらしい。

いよいよオリンピックは開催に向けて、舵を切り始めた。

オリンピック開催の是非についてって、実際に物凄く色んな意見がある。

そもそも誰もオリンピックが本当に政治的な面を排除して、本当の意味で国家間の思惑をすべて排除した平和の祭典だなんて思ってない。

利権と言うか、金の話もかなりあるだろうて。

でもそれと、本当に人生をかけてこのオリンピックにかけてきたアスリートさんの気持ちは全く別問題。

国家間の思惑とか、利権のためなら、中止にした方が良いけど、アスリートさんのためには、開催するべきだと思う。

と言う事で、オレは「開催した方が良いような気がしている。けど、開催のやり方は考えた方が良い」と思っている。

具体的に言うと、今後オリンピックは本当の意味で、政治に左右されず、国家間の軋轢とかも関係ない、クリーンに純粋にスポーツだけを競う平和の祭典となる。

開催国となった国は、人生をかけた世界中のアスリートたちを全力で本当の意味で応援する。国民がその為の負担も理解して招致に賛成した場合にのみ、開催国として名乗りを上げる事が出来る。

金もうけに利用されないために、広告費用などで利益を上げる行為もなし。運営に必要なお金については、世界中からの寄付と開催国が負担をする。

世界最大のチャリティーイベントみたいな感じかな。

24時間テレビみたいな嘘くさいものじゃない、本当のチャリティーイベント。

日本が、その最初の開催国になる事で、歴史に名前を残すと言うのはいかがだろうか?

来年のオリンピックからも、もちろんこの超絶クリーンな世界的平和の祭典となる。

政治的プロガバンダには一切させない。ジェノサイドのための利益も与えない。

そうすると何となく、来年オリンピック開催されない気がする。コロナ関係なくボイコットしそうな気がする。

そんな国がお隣付近にあったりするのですよ。

このご時世にジェノサイドを行っているようなお国がね。

まぁ、それはそれとして、これを続ければ、今みたいに招致合戦は多分なくなると思うんだ。代わりに開催国を擦り付け合うようになると思う。

もし、政治的プロガバンダとしても使えず、利権も絡まない、負担があるだけのチャリティーイベントでも招致合戦がこれから先ずっと行われるのであれば、オレの考え方が悪意に満ちていただけで、世界は思っていた以上にクリーンで美しいものだったと言う事なんだろう。

絶対そうはならないだろうけどな。

この話は絶対現実にはならない。

そんな事は分かっている。

取り留めが無い話ではないです。

オリンピックの開催を巡っての意見って、誰の意見も間違っていないと思うんだ。

こんな時期に開催するなんて馬鹿じゃねえのと言う意見も正しい。

アスリートの気持ち考えれば中止なんてできる訳ないと言う意見も正しい。

無観客でやって膨大な赤字を出したら経済が死ぬわと言う意見も正しい。

海外から人を入れてコロナが拡大したらどうするんだと言う意見も正しい。

そして、結論を出すのは、最終決定権を持っている人だよね。

その人が様々な意見を考慮しつつ、最終的に決定を下す。

意見は全て正解だから、全方位100%納得させることができる決定は物理的にない。

規模が違い過ぎて、もう恐縮しきりではあるんだけど、この現状で決定をする人の気分って、冒頭のオレの審判の時の状況とチョッと似てると思うんだよね。

あっちに良い顔して決定をすると、こっちから叩かれる。こっちに良い顔して決定すると、あっちから叩かれる。

両方に良い顔することは出来ない。

このどう考えても叩かれる中で、この決断に心血を注いでいる人は、本当に凄いと思う。

今一番大切な事は、その人が出した決定に対して、それが自分の考えに合う合わないに関係なく、全力で手伝う事じゃないんだろうかね。

開催することが決定したのであれば、もう反対の立場の人も成功するように全力を尽くすべきだし、中止になるのであれば、開催に賛成だった人も中止になるために起こるであろう諸問題に対して善処していくべきだと思う。

本来日本人として、日本でオリンピックが行われるとなれば(↑)の思考になるでしょ。

「ほら見ろ!オレの言った通りだろうが」とか、何の責任もない所から声を上げて邪魔する事にどれだけの意味があると言うのだろうか。

これについては、色々思惑と言うか、陰謀があるんだよね。

その辺についてあんまり詳しく書くつもりはないけど。

今、日本で一番邪魔しているのが、マスコミの皆さんなのは誰の目にも丸わかり。

あとは、何も考えないで、マスコミさんの言う事を鵜呑みにしてる、声だけはでかい頭の悪い人もか・・・

では、何でマスコミは足を引っ張り続けるのか。

開催が決まった上で足を引っ張って失敗させる事で喜ぶ国はどこなのか。

チョッと考えれば、今、オリンピックの周りで渦巻いている陰謀について、誰でも分かると思う。

そう言う事を色々知ってくると、自分で描いてるマンガの世界に渦巻いてる陰謀なんて、実にチープなものだと思ってしまう。

現実は小説よりもオレのマンガよりも奇なりだ。

だから、オレの思ってる上記の、開催方法を変えた上での開催も絶対に実現しない。

そんな事になると困る来年オリンピックを開催する国がお隣付近に存在しているからね。

自分で調べる事が出来るようになったこのご時世。

まだ、受け身で与えられた情報だけに踊らされている奴はもう駄目だよね。

ネットに散らばってる情報って、取捨択一が大変ではあるけれども。

取り合えず、森さんの失言を歪曲して取り上げた人たちと表現を不自由だと言ってる人たちが同じようなメンバーの別名義のグループ内で繋がってたりすることは、たまたまの偶然なんだよね。

結局、うまく繋がったのかどうかは分からないけど、色々怖い世の中になったもんだとは思う。

信じるか信じないかは・・・

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2021年3月21日 4:25 CAT :

処女の奇妙な冒険 第3部 未来への遺産

毎晩、ほぼ徹夜するくらいの時間お仕事してる。

それに対して「大変ですね」とか「お忙しいですね」とかよく言われる。

そうやって声かけてもらえる事には、ディモールト感謝しかない。

感謝しかないんだ。

その上で、非常に申し訳ないのだけれども、今の生活にオレは物凄く満足している。

そもそも、この夜中まで起きてないといけないのだって、眠くなったらお昼寝したり、マンガ描いたり、マイクラしたり、好きな事をやってる結果、時間が無いから睡眠時間を削っているだけで、言ってみれば、好きでこんな生活をしているきらいもあったりなかったりするあったりする(多分ある)。

なので、本当に恐縮してしまう。

好き勝手やってるのに、ご心配おかけする感じになっちゃってすみません。いや、ホントに。

会社勤めしてた頃のあの首を絞められるような息苦しさは、今はもう本当にない。

つくづく会社勤めとかに向かない人間なんだと思う。

それはそれとして、何でオレは、こうやってお仕事してるんだろう。とか、ふと考えてた。

これに関しては、もう100%家族の存在があるからだろう。

断言しても良いけど、オレが結婚もしてなくて、今でも実家で子ども部屋おじさんをしていたとしたら、オレが遊べるだけのお金をチョッと何かして稼いで、それでズッとダラダラしてたと思う。

まぁ、今の仕事をオレに提案したのが、嫁なので、嫁がいなければ、そもそも論として今の生活になるはずはないんだけども・・・

結婚した時には「これから二人で生活するんだ!ちゃんと会社勤めとかしてお金稼ぐぞ!」みたいなちょっとした責任みたいなものを背負った気がした。

娘が生まれた時には「この子だけは、何があってもオレが守り抜かないといけないんだ!」みたいな結構大きな責任を感じた。

息子が生まれた時には「こいつは、いよいよ頑張らねえといけねえな!」みたいなさらに大きな責任を感じた。

今の毎日は、この大きな責任と、やりたい事をやりたくてしょうがないオレ個人の自我のせめぎあいだと思ってる。

もし、オレに自我・・・と言うか、やりたい事とか、変な欲求とか一切なければ、多分、本当に延々と仕事してるんだろう。その結果、もっといっぱいお金を稼いで、お金持ちになっていたかもしれない。

ただこれはサラリーマン時代からズッと考えてた事なんだけど・・・

「オレは何のために仕事してるんだろう」

と言う疑問がある。

サラリーマンしてた頃は、繁忙期とかになると、本当朝の4時とか5時まで仕事して、帰ってきてから仮眠取ったら会社に行ってた。その上、月に1~2回は休日出勤もあった。

あまりにも寂しくなった娘が、オレの昼休みの時間を狙って会いに来てて、その為にオレも20分くらいだけ仕事を抜け出して、娘に会ってた。

その時間しか子どもと触れ合えないみたいな時期も長かった。

チャイルドシートに縛り付けられて長時間車に乗るのが大嫌いだった娘が、それでも、ぐっと我慢して、オレに会うために30分以上車に乗ってきてくれてたのを見て、胸が張り裂けそうになったのを覚えてる。

家族のために仕事を頑張ってるつもりだったけど、これは本当に家族のためなのか?

家族を最優先に出来ないような仕事の仕方で、本当に家族のためになるのか?

そんな事をばかり考えてた。

今の生活では、オレは家族の誰よりも家にいる。

仕事部屋にこもりっきりだけど、めっちゃアップアップしてる時でもなければ、誰で勝手に入ってきて、色々話も出来るし、息子なんて「マイクラしよう」って誘ってきてくれて、そうしたらチョットの時間位なら一緒に遊べる。(まぁ、マイクラやり始めてチョットで終わる事なんてまずないんだけれども・・・)

収入で見ても、あの頃よりはかなり増えた。

(ただそれに関しては、あくまでも副次的なもので、収入が減っていたとしても、今の生活が良かったんじゃないだろうか)

何のために仕事しているのか。

そんなもの、家族でニコニコ生活するために決まってんじゃねえか。

家族がニコニコ出来ないほど、仕事ばっかりしてまでお金持ちにならなくても良いと思うんだよ。

大金持ちになって、豪邸に住んで、ブランドもので身を固めて、高い車乗りましたところで、生憎うちの家族はニコニコしなんだよ。

うちの家族がニコニコするのは、ほどほどの生活だけどいつもみんな一緒に居る事なんだよ。

取り合えず、今、オレが基準にしていることは、子どもたちの希望を応援できるかどうかと言う事。

それは、もちろんおもちゃとかを何でも買って甘やかす的な意味じゃあない。

例えば、娘が習い事をしたいと言い出した時に「行かせてあげたいけど、お金が無いからゴメンね」と言う事だけは絶対に避けたい。

今のところは、そう言う意味でのお金の苦労を子ども達が一切感じずにノビノビ育っていってくれている。

オレも、子どもの頃「うちは貧乏なのよ」と親にずっと言われてきたけど、世に言う「お金での苦労」を全くしたことがない。

本当に必要だと思うものに対して、買ってもらえなかったり、無理だったりした事は一度たりともなかった。

今になれば分かる。

両親も、今のオレと同じような気持ちだったんだろう。

オレも、子どもたちには「お父さんは、お金が全然ない貧乏だから」と事あるごとに言ってるけど、一応、今のところ、子どもたちが望むものは全て叶えてあげられてはいる。

オレが今、急に死んだとしても、最低でも、子ども達が成人するまでは、騙し騙し生きていける程度には準備出来ていると思う。

これに関しては、オレなんかにお仕事をくれている皆々様に対して本当にどれだけ感謝してもしきれない。

後の問題は、この生活がいつまでも続くように、日々を出来るだけ丁寧に生きていくと言う事だけなんだよ。

チョッとだけ愚痴を言うのであれば、オレも、嫁みたいに子どもたちともっとずっと一緒に居たい。

いつも家で仕事しているとは言っても、メインで子育てしている嫁とは比べるまでもない。

しょうがないし、嫁は嫁でもちろん、色々苦労してるんだけど、それでも、時々「オレもああやって子どもの成長を間近で見続けたいな」と思う。

それでも、サラリーマン自体とは比べられない位、そばに居られてるんだけどね。

ひとつの欲求が当たり前になると、更にどん欲になってしまう。

人間、欲求は本当に底なしだ。

と、変な所に着地したところで、おやすみなさい。

でも、仕事は家族より軽い。

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2021年3月14日 4:04 CAT :

言葉を殺すな 声を殺すな デモクラシー

先日、とある女性とお話をしてきた。

その人は、長年勤めていた仕事を退職して、今後の身の振り方で悩んでいるらしく、「うちの事務所で雇うって言うのは難しいけど、フリーでやっていくのであれば、仕事回すことはできますよ」みたいなお話をしてきた。

その時のお話し。

どうも、社会保障とかの観点からも、どこかに勤めたい(と言うか、雇ってほしい)っぽいことを話してた。

なんか、チョッと前にもこんな話する人いたような気がする既視感もあるけれども・・・

一応「フリーでやっていくとか、自分で事業立ち上げるとかは考えないんですか?」って聞いてみたら、「女の私が一人で、そんな事やっても舐められるだけでうまくいかないですよ」と。

うむむむ。

それ、男が同じ事言ったら、本意は別としても、森さんのように世界中からバッシングされるレベルの話だよね。

前職の職場がそういう今時、思いっきり男尊女卑な職場だったのかも知れないけど、その話に、オレとその場にいたもう一人の社長さんは、チョッと固まってしまってた。

と言うのも、オレも、その社長さんもそういう「女だから」と言う部分で、人を見た事がほとんどなかったからなんだよね。

チョッと話はずれるけど、最近「女性役員の割合を〇%まで増やす」みたいな話をちょくちょく耳にする。

この話に対して、オレはすごく違和感を感じる。

何と言うか、そういう問題じゃねえと思うんだ。

男だろうが女だろうが、凄ければ役員でも社長でもなんでもすればいいし、無能ならずっとお茶くみとか受付とかしておけばいいんだよ。

「女なんだからお茶くみしておけ」って言うのは絶対間違ってるけど、「女だから役員しましょう」って言うのも同じレベルで間違ってると思う。

こういう事を言うヤツって、結局世間体気にはしてても、本質は何にも変わってない。

チョッと前に、盛大な親子喧嘩で話題になった大塚家具の娘社長。

一瞬で会社をボロボロにしたあの人に対しても、「だから、女がトップに立つと碌なことがない」と言う批判を見たりするけど、それは大間違い。あれは「無能な女が勘違いして社長なんかするから碌な事がない」だけであって、大事なところは「女」ではなくて「無能」の部分だと思う。

だって、大塚家具の場合あれが、無能な男が勘違いして社長してたとしてもどうせ、碌な事になってないって。

たまたま、ホント脳みそが入ってないピーマン頭脳の女ばっかりいる職場で、「女性役員の割合を〇%まで増やす」と言う理由で、アホみたいな女が役員をしたって良い事なんかない。

まぁ、そんな状態の会社なら、すでに役員がピーマン頭脳の男ばっかりなんだろうけど。

「女だから」と言う理由で見下される事はあってはならないけど、「女だから」と言う理由で優遇されるのもオレは差別だと思ってる。でも、どうも世のクソ似非フェミニストさんたちは、優遇される方の差別を迎合してるきらいがあるような気がしてならない。

だから薄っぺらで、似非なんだよ。

先日も少し触れたけど、日本でフェミニスト気取ってた女が、男女差別のない北欧の国に移住した時の話。

女性が重いもの持ってる横で、男性が何もしないのを見て「男性に持ってもらわないですか?」と聞くと「自分のに持ち物なんだから自分で持つのは当たり前でしょ」と言われて衝撃を受けて、自分の男女差別の考え方が如何に歪だったか思い知ったらしい。平等と言う事は、そう言う事。

本当に差別をなくしていいんだな。

例えば、女性専用車両と言う発想だって、あれ、本来のフェミニストの考え方からすると、とんでもない差別思考なんだからな。

そんなこんなで、オレは冒頭の人の「女が一人でやってもうんぬん」の話に対しては、「オレは、そう言う事全く考えてないですよ。男だろうが女だろうが、納品できるレベルのものを持ってきてくれたら問題ないですよ。」と話しておいた。

オレは、「女だからちょっと甘いところあっても大目に見て~ウッフン殺して~」みたいな態度のヤツの方が死ぬほど嫌いなので、その部分では本当に一切差別はしないです。

出来ない奴は、男でも女でもガン詰めするし、オレがダメなときは男だろうが女だろうが年上だろうが年下だろうがガン詰めされてもしょうがないと思ってる。

オレがダメだったら、年下の女にガン詰めされたって、土下座する勢いで平謝りする。

そりゃあそうだよ。

気に入らなければ、女でも手を上げるし、物凄い罵倒もする。全然しますよ。「女は弱い生き物だから優しく守って」とか知るか。男女平等を望んでるんだろ?

「生理痛が辛い。女の子は調子がいい日は月に数日しかない」とか知るか。それで、稼働日が減るんなら、その分給料減らすわい。男女平等ですからね。

とは言え、そんなオレでも結婚しておりまして、もう嫁とホントに20年くらいずっと一緒に居るので、女性のその辺りの辛い部分も多少は分かってるつもり。

嫁が今日体がだるいと言う日には、「無理しないで休んでな」って気遣って、出来る家事とか子どもの迎えとか代わりにやってたりする。でも、別にそれで遅れた仕事とか、減った収入分の補填を嫁に求めたりなんかする訳ない。その分徹夜で仕事してる横で、嫁が辛そうに横になってても、心配こそすれ、それ以上に何も思うことはない。

それは、オレと嫁が2人で1人。出来ないところをお互い補って生きていこうと誓い合った仲だからであって、この話と男女平等の話は全く別。

あと、嫁はもとより、数少ない友人の誰かが助けを求めてきたら、オレは多分全力で何とかしようとするよ。それだって男とか女とか関係なし。でもこの話も男女平等の話は全く別。

なんでオレが見知らぬ女のために不利益を被らにゃあならんのだよ。

じゃあ、その見知らぬ女は、オレが体調崩して寝込んだ時に、代わりに仕事してその収入をオレにくれるのか?

くれないのであれば、そんなものは男女平等でもなんでもない。ただ自分を優遇したいと言う糞みたいなエゴの押し付けでしかないよね。

いや。ダメだ。

なんか、余計な事色々書きすぎたか。これじゃあ、森さんになってしまう。

取り合えず、そんなこんなでしばらくはその冒頭の女性ともチョッと一緒にお仕事してみようと思っております。

もちろん、仕事のパートナーとして。

本人が言ってたような女だからと舐めるようなことは一切ないけど、女だからって大目に見ること事も一切ない感じで。

イヤしかし、ここ最近のアホフェミニストのせいで、差別はダメだけど優遇してほしいと言う都合の良い変な考え方が、世論に影響を与え始めてるのが、やりづらい世の中になったよな。

どうでも良いけど、(↑)の森さんの例の女性蔑視発言。

あれ、全文読んだら「女性がいると会議が長くなると言う人がいますが、私の組織の女性はそんな事はない素晴らしい人たちばかりです」と言う女性賛美としか取れない発言だったのビックリした。

撤回するって言う事は「私の組織の女性はダメダメばっかりですよ」っていう話にならないのかな?

この発言の前半部分を悪意を持って歪曲して切り取り報道してるマスコミってホント糞だよなぁ~

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2021年3月7日 4:08 CAT :

絶対に選べないのに無理やり選んで人生で1番を決めるシリーズ「映画」

前回やってから気が付けば、半年近く経っておりましてん。

時間の流れのスピードにはいつもドキドキしてしまう。

一応、同じ前口上を少しだけ・・・

生きていくと言う事は出会いの連続。

その出会いは時に、人生そのものを変えてしまうかもしれない大きな力があったりなかったりあったりする。

数々の素晴らしい出会いは、そのどれか一つを取ったとしても、全てに思い入れがある。

と言う前置きの上で、絶対に選べないのに無理やり選んで人生で1番を決めるシリーズ。

第2弾は「映画」でございます。

映画。

実は、結構大好き。

そりゃあマンガや小説と比べれば母数は少ないかも知れない。いや、巻数で言えば、そうなんだけど、作品数と言うくくり(例えば、ジョジョを全部含めて1作品とする)で考えれば、一番多いかも知れないか。

だからなのか、人生において影響を受けたと言う意味でも、映画はかなり凄い事になってると思う。

一番映画を見た時期はいつだろうか。

中学から高校生くらいの頃は、インプットの意味を込めて、それはそれは映画を見ていた気がする。

あの頃は、テレビの地上波でいっぱい映画が見れた。木曜洋画劇場と日曜洋画劇場と金曜ロードショーとテレ東の深夜にやってる映画(と、ギルガメッシュナイト)は、ほぼ毎週見てた。

あと、BSで深夜に時々やってるマイナーな映画もよく見てた。

週に3~5本程度。年間100作品くらいかな。そのくらいは見てた。

恣意的に選んだものじゃなくて、勝手に選ばれたものを見る訳だからそれはそれは満遍なくいろんなジャンルが見れたと思う。

ここ最近、お仕事の傍ら映画を見ると言う習慣が出来てきて、最近も、まぁ、1日に1本くらい見てる。

とはいえ、お仕事の合間にBGMとしての役割もありつつなので、同じものを繰り返し見てる場合が多くて、新しいものに手を出すのは、大体週に1本程度だとは思う。

それでも、まぁ、少なくはないんじゃないかなと思っております。

そんな映画の中で、人生1番。

これは、また「音楽」とは違った意味で難しい。

やっぱりジブリは外せないのか・・・

ちっちゃい頃、アホみたいに繰り返し見た「グレムリン」なのか・・・

幼少期に見て、解体シーンがトラウマになった「ロボコップ2」なのか・・・

天才過ぎてチョッと引いてしまったリュック・ベッソン監督作品なのか・・・

大好きな三木聡監督の作品なのか・・・

人生で一番繰り返して見ただろう「タナカヒロシの全て」なのか・・・

自分自身の青春そのものでしかない「グミチョコ」なのか・・・

人生で一番号泣した「ライフイズビューティフル」なのか・・・

あまりの完成度に呆然としてしまった「メトロポリス」なのか・・・

学生時代物凄く好きで繰り返し見てた「UMA(レイク・プラシッドの方ね)」とか「26世紀青年(現代はイデオクラシー)」なのか・・・

初めて似た時あまりの恐怖で夜寝られなかった「猿の惑星」なのか・・・

深夜に見て、良く分からない感情にとらわれて死にたくなった「ベント」なのか・・・

ぬるぬる動く作画と前衛的過ぎる音楽に呆然とした「AKIRA」なのか・・・

一時期どうしようもなく被れてしまった「アンダルシアンの犬」なのか・・・

などなど・・・言い出したら、ホントキリがない。

その中でもやっぱりこれだろ。ってなったのは、あまりにも好きすぎて唯一DVDを購入して持っている「バタリアン」か、あまりにも好きすぎてフジテレビ吹き替え版が収録されているディスクを今絶賛探している「ターミネーター2」・・・このどちらかだ・・・

・・・どっちだろう・・・

と、悶々と考えた内に、半年経っておりました。

半年間、両方の映画を何回か繰り返して見た結果、結論。

オレが人生で一番好きな映画は「ターミネーター2」に相成りました。

ここで、一番好きな映画は「アンダルシアンの犬」だ。と言いたい中二病的な感情はある。

世界の北野映画です。特に「ソナチネ」です。と、通ぶりたい感情もある。

でも、ここはやっぱりどうしようもなくメジャーで、どうしようもなく王道なこの映画を選ぶことにした。

実は、オレの場合、先に「2」の方を見た。あとから「1」の方を見たチョッと変則的な感じではある。正直に言えば、ちゃんと順番を通して見たかった気はする。

それはそれとして、「ターミネーター2」の好きな所でも語ろうか。

まず設定は、多分SF界隈ではそこまで斬新ではない・・・はず。もちろん、公開当時であっても。

展開自体も、斬新だったり、難解だったり全くしない。ホント王道のいい意味でも悪い意味でも、「ハリウッドの超大作!!」と言う感じ。

勧善懲悪もはっきりしてるし、恥ずかしいくらい分かりやすい機械文明への風刺も入ってる。

「1」の時、メチャクチャ強かった敵キャラが、味方になってくれたけど、それ以上に強くてどうしようもない「液体金属のアンドロイド」が無双すると言う展開も、強さがインフレし過ぎてなくて物凄く程よい。

そして、この絶対勝てないだろう敵の倒し方も、多少のご都合主義に目をつむれば、実にうまく考えられてる。

「1」が男女の恋愛に片足を突っ込んでいたのに対して、「2」が親子の愛情に片足を突っ込んでる感じも本当にうまい具合に対比になってる。

どう考えても、ジェームスキャメロンは、2つで一つの作品として考えてたとしか思えない位の、圧倒的完成度。

1ミクロンも中だるみしないで走り続ける展開。脚本も演出も正直、非の打ち所がない。完璧と言っていい出来の映画なんだよ。本当に。

だからこそ、この映画は未だに世界的に燦然と輝く名作なんだ。

でも、それだったら他にもたくさんあるんだよ。「バックトゥザフューチャー」だってあるじゃないか。と声高に言いたい。

何で、「ターミネータ2」なのか。と言うと、あとの諸々は多分、想い出補正と主観にまみれた話になる。

いや、だって、これはオレが人生で一番好きな映画の話なんだから、それで良いんだよ。

このブログでも何度か話に出ているように、オレには兄弟のように育った年の離れた「従兄」がいた。

オレは、ほぼすべての事において、その従兄の真似をして、背中を見て育ってきた。

その従兄が、「これは絶対に面白いから見てみな」と貸してくれたのが、この「ターミネーター2」だったんだけど、正直この時は、これが嫌だった。

その前に、「これ面白いから」と言われて安易に見たのが前述の「ロボコップ2」で、その中の解体されるシーンが本当にもうどうしようもないほどトラウマ級にショックだった。あまりにもショックで、しばらく夜寝る事が出来ないほど。

この「ターミネーター2」でも、そうなったらどうしよう…と。

でも、貸してもらった手前「見た?どうだった?」って絶対聞かれるから見ないわけにはいかないし、そもそもオレが心底崇拝してて、全てにおいてマネマネしてた従兄が面白いものをオレが見ないわけにはいかない。

正直、気乗りしないながらも見た。

それから2時間くらいか。

瞬きどころか、息もしてなかったんじゃないのか。

その位とてつもなく面白かった。

今思えば、ドラえもんの映画位しか見た事のなかったクソガキがいきなりこんな、今見ても「完璧じゃねえか!」と思う映画を何の知識もなしで見たんだから、そりゃあ衝撃も凄いわな。

1回見たくらいだと、正直あまり理解できてなかった。

ただただ面白かった。

この時の衝撃を超えるものにオレは未だに出会えていない。

正直な話、多分、映画と言う文化だってどんどん進化しているわけで、今、何の知識もなしに見たとしたら、この「ターミネーター2」より凄い映画はいっぱいあるかも知れない。

でもそれは、「ワンピース」と「ドラゴンボール」を比べて、ドラゴンボールには、キャラクターの過去に深みが無いから、ワンピースが凄いと言ってるようなものだ。

「ワンピース」は、「ドラゴンボール」に勝つために、「ドラゴンボール」にはなかったキャラクターの過去の話などを深堀することで、対抗しようとしたとか、尾田先生もどっかで行ってたけど、それと同じ話なんだよ。比較対象とするべきものじゃあない。

そんなもの手塚治虫と藤子不二雄を比べるレベルの詮無いことだ。

時を 話を戻そう

見た当時はまだマンガとかも描いてなかったけど、その後色々と描き始めたほとんどの物語は、凄惨な未来が待ち構えていることが分かった上で、時間をさかのぼって、何とかしようとすると言う話になってる。

「us」なんて思いっきりそのままだし、「G」だって、「ランナ」だって、その部分は変わらない。

その後、色んな作品に出会って、色々脚色され続けてきているけど、結局一番の根幹にあるものは、この「ターミネーター2」で、あの幼少期の圧倒的衝撃の呪縛から全く抜け出せていない。

オレは、頭の中にある物語を漫画とかいろんな形でずっと描いてる。多分、これは一生続けていくんだと思う。

全ての最後にある情景は、すでに頭の中にある。

その情景に向かう、いくつかの物語はどれも時系列を行き来しつつ、世界の真実を知って、それに対して抗おうとするものだ。

尾田先生が、ドラゴンボールにキャラクターのバックボーンがあればなと思って、ワンピースでキャラクターのバックボーンを深堀したのと多分同じ。

ジェームスキャメロン監督は、物凄い大きな世界が頭の中にあったけど、あえてその部分を断片的に見せて、一番面白い部分だけを「ターミネーター」2作としてまとめる事で、作品としての完成度を高めたんだと思う。だからオレは逆に、大きな世界に起こる事象をもっとたくさんすくい上げて世界の形を明確にしようとしてるだけなんだと思う。(まぁ、世界的監督と同列に語るなと言う話ではあるけれども)

オレは、映画に受けた衝撃を30年近く経った今でも引きずり続け、そして、多分一生その呪縛の中で物語を描き続ける。

オレの人生はそんな感じなんだと思う。

・・・

と言う、観点からオレが人生で一番に選んだ映画は文句なしで「ターミネーター2」に相成ったわけでございます。

この映画を見た事がないって人は、多分存在しないと思うんだけど、もしいるのであれば、絶対に見た方が良いと思う。

少なくとも、この映画を見たせいで、未だに抜け出せないおっさんが一人はいるんだから。

ちなみに、その時貸してくれたビデオは、フジテレビで放送したものを録画したものだった。

そのビデオを擦り切れるまで繰り返して見たので、今、手元に持ってるソフト版の「ターミネーター2」にはどうしても違和感がある。

「地獄で会おうぜ!ベイビー」じゃねえよ。「さっさと失せろ!ベイビー」なんだよ。

このバージョンの吹き替えが入ったBDとか、いずれ手にしたい。

しかし、このシリーズは、思いが強すぎて、毎回長くなりそうだな。

次回は、ほぼ100%答えが出ている「漫画」で書きたいと思っております。

また半年後とかに。

それまで生きていれば・・・

いやぁ、映画って本当にいいもんですね~

さよなら。さよなら。さよなら。

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2021年2月28日 3:46 CAT :

肉欲棒太郎の逆襲

芸能人の不祥事が多い今日この頃・・・

それはそれとして、バンドマンが不倫したとかで活動休止とか、果たしてどうなんだろうと思ってたりする。

問題なのは、キャラの問題だと思うんだ。

ファンキー加藤を例に挙げよう。

純愛とか、友情とかを歌ってるから、寝とったり、不倫したりして叩かれるんだ。

ベッキーを例に挙げよう。

好感度の高いいい子キャラで売り出すから、裏の顔がばれた時に叩かれるんだ。

別にピエール瀧が薬やってたところで、「どう考えても薬やってるとしか思えないおっさん」が実際に薬やってただけの話。それで、「幻滅した。もう、オレは電気の音楽は一切聞かない」なんてなる訳ない。

オーケンがバンドブーム時代、ライブツアー先で、未成年とやりまくってたからと言って、今更、「オーケンはそんな人じゃないと思ってた。もう、筋肉少女帯はオレの中でなかったことにする」なんてなる訳ない。

人間素直に生きていけば、それが一番なんだよ。

まぁ、やっちゃダメな事をやったのであれば、それはそれで、その分しっかり償えばいいじゃないか。

そりゃ人を殺したとか、テロを起こしたとかまでいけば、話は別かも知れないけど、不倫くらいいいじゃん。

そもそも、一般的な社会で生きていけない社会不適合者ばっかりなんだから。

償いもしないで、無かった事にして、当たり前のように人前に出ているカジサックとか言う人もいるんだし。

自分を隠して生きていくとか、きっとそれは、凄く苦しい事なんだと思う。いずれどこかでひずみが出るのは当たり前と言えば当たり前。

ただひとつ、どうかと思う事があるとすれば、その人となりを知らないくせに、敏感に反応して、その人を破滅に追い込もうとしている暇人の存在だよね。

多分、普段の生活で思い通りにならないことが物凄く多くて、うっぷんが溜まってる可哀そうな人たちなんだとは思うけれども、そんな人たちのために、多くの素晴らしい才能が無駄になって行くと言う事はいかがなもんだろうか。

昔は、もみ消しが出来たからかもしれないけれども、野球賭博で謹慎を受けた志村けんや中本工事、出版社に殴り込みをかけたビートたけし、ドラッグで捕まった井上陽水とか、脛に傷を持った人はいっぱいいる。

不倫に至っては多分昔の大物俳優さんとかしてなかった人の方が少なかったんじゃないのかな。

でも、その人たちのどうしようもない圧倒的な才能を賞賛してるじゃあないか。

最近、志村けんが「誰も傷つけない笑いをやってた」とか神格化されてるのなんて、ちゃんちゃら可笑しいわ。まぢで、志村けんと言うか、ドリフターズの何を見てそんな事を言ってるんだ?って話だ。

今の時代だったら、ドリフターズは謹慎では済まされずに引退とかになってたかもしれない。

ドリフターズがいなかったとか、多分、芸能界の歴史はかなり大きく変わってと思うんだよね。

今現在やってる、心底くだらない言葉狩りや、炎上騒動は、未来におけるその位とてつもない損失だと言う事にいい加減気が付くべきだと思う。

多分、昔からそう言う事にやいやい言う暇人はいたはず。

問題なのは、それを向けられる側が貧弱になった事なんだろうね。

炎上とか言ってるけど、実際に、批判してるのなんか1%にも満たない。ただ、そいつらがキチガイだから声がでかいってだけ。

そうは言っても、オレも多分、炎上の渦中になってしまったらそうも言ってられないかもしれないよなぁ~。

取り合えず、そういうキチガイの人たちの目に、才能あふれるオレの好きな天才の皆さんが見つかりませんように。

と祈る日々になってしまったと言う事に、なんだかモヤモヤしながら、今日のところはおしまいにしておこう。

おやすみなさい。

肉欲棒太郎(↑)はこの人。

「ナニワ金融道」のネーミングセンスは素晴らしいけど、中でも、この「肉欲棒太郎」のゴロの良さは、尋常じゃないと思う。

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2021年2月18日 23:12 CAT :

生首と踊り狂う夜の足音について

ダム建設反対して、原発に反対して、地球温暖化に警鐘を鳴らしつつ、電気料金が高いっていうヤツがいるとする。

まぁ、こんな奴は大体何も考えてなくて、何でも良いから批判してみたいだけのアホなんだと思うんだ。

この世の中は、大体リスクとコストの割合で出来てる。

リスクを軽減するためにはコストがかかり、コストを減らすためにはリスクを背負う必要がある。

なんか昔は、オレも何とか出来ないものかと考えてた時期はあった。

でも、独立して自分で仕事を始めると、この辺りの事に関して、ホントに考える内容が変わってきたんだよね。

時間的に節約できるなら、その分コストがかかるのは当たり前とか、コストを削減したいけどその分、手間がかかったり、リスクが増えるのはしょうがないとか、そういう風に思うようになってきた。

金はかけたくないけど、最高のサービスが欲しいとか、訳分からんことを考えるから、世の中の色んな所にひずみが出来てくるんだと思うんだよね。

私が原発に反対してしまったために、使えなくなった電力分は、私が変な棒みたいなの回してなんとか用意します。

とか言ってる人を見た事がない。

原発は危ないから、止めて下さい。は分かる。

でも、その為に不足してしまった電力をどうするんだ?その分かかるようになったコストはどうするんだ?についての代替案が必要でしょうが。

そこでこのタイプのヤツが良くやる事は、「そもそも原発に頼ってきたこの国のやり方が悪い」的な事を言いだすアホみたいな理論のすり替え。

そして、そんな奴は当たり前だけど、文句は言うけど、それによる不利益については一切責任を取らない無責任な奴が多いような気がする。

取り合えず、文句言うなら、代替案位もってこい。

否定だけするけど、根拠もないし、自分の意見もない奴の意見は聞かなくても良い。

と思うんだけど、いかがなもんなんだろう。

まぁ何しか、同調して意味も分からず声だけでかい奴が一番性質が悪いと言う。そんなお話ですよ。

ちなみに沖縄の基地問題に関しては、また全然別の話だと思ってる。

あれは、日本に不利益な事をあえて行ってるプロ市民の皆さんと、何も考えないでそれに乗っかったるアホだけが騒いでる事なので・・・

どうでも良いけど、この前チラッと見た「男女平等を求めてジェンダーフリーな国に行って、男女平等の真実を知った女の話」は面白かった。

結局日本で喚いてる似非フェミニストが如何に薄っぺらくて、どうしようもないかが非常に良く分かる内容だったわ。

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2021年2月11日 10:39 CAT :

空想ルンバをポリリズムで踊り狂う

ここ最近、知り合いの社長さんとかから何人か「この子、志茂田さんのところで雇ってあげてよ」と言うお話をいただいた。

正直、お仕事に関しては、超絶ありがたいことに手に余って、お断りしたり、待ってもらったりしている位の状況なので、お仕事をいくつか渡してやってもらうと言う事は出来る。

出来るんだけど、雇うとなると、それはまた話は別。

オレも雇われでいた頃は知らなかったけど、人を雇うとなると、単純な給料以外にも色々と経費が掛かってくるんだよね。

雇用保険だのなんだのから始まって、健康保険も年金も・・・と、多分、給料の2~3倍くらいのお金がかかってくる。

言ってみれば、月に20万の給料を渡す場合、その人が、大体100万円くらい稼いでくれないのであれば、ぶっちゃけ、オレの方からすると雇うメリットはない。

オレなんて、結構安い単価で仕事を引き受けてたりするので、月に100万稼ぐって、結構大変だと思うんだよね。

せいぜい、30万とかその位までだと思う。(オレも最初の頃はそんなもんだったし・・・)

ノウハウを時間をかけて伝えて、環境を整備してあげて、それで、自分の給料分くらいしか稼いでくれない上に、辞められたら全部無駄になる。とか、そんなリスクをこの超弱小企業主のオレが背負えるわけがないじゃあないですか。

と言う事で、その人たちに「個人でやっていくと言う選択肢はないですか?それなら、仕事回すことはできるんですけど・・・」と聞いてみた。

そしたら「会社に入って安定しておきたいんです」と・・・

まぁ、そうか。そうだよね。

これは結構難しい問題だよ。

オレは、ここ最近色んな人に言われた通り、多分重度のADHDらしい。それも、社会生活に支障をきたす程度に。

自由がいい。

毎朝同じ時間に同じ場所に通うなんて無理だし、ホントアホみたいなミスもめっちゃ多い。

会社員時代は、いつも遅刻して会社に行って、アホみたいなミスをしては、クソほど叱責されて、うつ病になって、本当に廃人みたいになってた。

今は、好きな時に起きて、好きな時に好きなお仕事だけやってる。

それなのに、収入では会社員時代とは比べるべくもないほど増えた。

その代わり、色々リスクはありますよ。もちろん。

クライアントさんがお仕事くれなくなった瞬間、何の保証もなしで収入無しになっちゃう(まぁ、多少の対策はしているけれども)。

相変わらずミスもめっちゃ多いから、個人的に、あまり高い単価でお仕事を受けるのは怖いけど、「ミスも多いし、納期もメチャクチャだけど、安い!」と言う変なおっさんとして、一応、ご依頼はまぢで沢山いただいている。これに関しては、本当にありがたい。

もちろん、ミスが多すぎて、ぶちぎれて去って行ったクライアントさんもいるけど、全体で言うと9割くらいのクライアントさんが、継続して仕事を依頼してくれてる。

まぢで、ここに関しては本当に感謝しかない。

オレは、今の形態じゃなければ生きていけなかっただろうて。

世の中には、そういうアホなミスを全くしなくて、組織の中にいる事が出来る人種の方が多いらしい。

そして、そういう人たちは、組織の中にいる上での嫌な事より、安定を望むらしい。

オレは、その安定とリスクはあるけど今の生活だったら、リスクを取ってでも今の生活が良い。

どっちが良いと言う話をしたいわけじゃないし、オレが100%正しいなんて1ミリも思っていない。

ただ、考え方に相違があるので、そういう場合はバンドで言う所の「方向性の違い」で解散すると思うんだ。

だから、止めておこう。

オレはもう何かに我慢したり、耐えたりする生活には戻りたくない。

その労力を、今の生活を守る事に注ぎたい。

とは言え、そういうお話に関しては、まぁ少し気には留めておく必要はあるとも思ってる。

この先、どう転ぶかは分からない。

会社を大きくしたいと本気で思いだしたら、それは絶対オレ一人の力では無理だから・・・

ただ、今はこの好きな事しながらののほほん生活を続けたい。

いつまで続くかは知らないけど、出来れば一生続けたい。

今はそう願っております。

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2021年2月3日 4:40 CAT :

戻れない過去の落書きは僕と影との1ページ

やりたいことがたくさんありすぎて、時間が足りなくてしょうがない。

と言う話を、もうずっと話してるけど、ここ最近、また、物凄く思うようになった。

もう少し若い頃って、やりたいことがたくさんある自分にチョッと酔ってると言うか、それがカッコいいみたいに思ってる時期があった。

人生における計画みたいなものも、学生時代に考えていた。

例えば、オレは30歳までに「us」と言うマンガを完結させるんだ!と決めて、高校生の頃に第1話を描き始めた。

20歳くらいまでは予定通りのペースで描けてたけど、その後、就職・結婚などのライフイベントをこなしていくうちに、どんどん時間が無くなっていき、「あ!このままじゃ、usを描き切る前に30歳になってしまう!」とふと気が付いたのは、30歳になる半年前だった。

それから半年間、狂ったように「us」を描き続けたけど、結局、間に合わなくて、最後のロバートとの決戦部分を予定よりかなり端折って無理やり30歳までに完結させた。

ロバートが自分の過去を語るシーンとか、予定では、4話くらい使うつもりだった部分を1話にまとめたりしてる。

その頃のオレが思っていたのは「オレは死ぬまでにやりたい事が、腐るほどあるんだ!予定を変える訳にはいかない」と言う気持ちだった。

で、今。

かつてとは少し違うベクトルで、焦っている。

「このままのペースで行くと、確実に、やりたいこと全部やり終わるまでに死んでしまう」

頭の中にあるものを吐き出し切る事さえできないで死んでしまう。

死んでしまった後の世界がどうなのかなんて、オレにはわからない。

だから、死ぬまでになんだよ。死ぬまでに全部出し切りたい。

死ぬ間際に、頭の中にある妄想を全て、誰かに伝えて、その人の手を借りて形にしたとしても、オレが死んじゃってたらそれは意味がないんだよ。

そんなこんなで、少しずつ、色んな所で折り合いを付けつつ、やりたい事を進めていくことにした。

20歳ころから、何度か試みつつ、何度も挫折したことが、日々4コママンガを描き続けると言う事。

日記として毎日書いていた事も、続けるためにブログで公開してた事もあったけど、そのどれもが続かなかった。

でも、オレはどうしてもこの日々4コマを続けたい。

それはオレの最愛の嫁が、オレの描くどんな物語より喜んでくれるから。

今年に入ってから、出来るだけ時間をかけて4コマ風の日記を書き始めた。

取り合えず、1カ月は続いてる。

このペースで、まず1年だ。

この何の才能もないおっさんが、唯一出来ることはどれだけ不格好でも、それを続ける事だけ。

あと、今更ながら今年の目標に考えている事。

このブログを最低でも週に1度は描く。

「Gの世界」を完結させる。

新作「始まりは終末」を描き始める。または、「風を切る日々」をちゃんと定期更新できるような体制を作って、完結を目指す。

今の事業を法人化させて、ちゃんと回していく。

事務所兼新居を手に入れる。

こんな所でしょうかね。

これを、お仕事をやりながらこなしていくと言う、到底無謀な感じ。

でも、このペースでやっててもどう考えても、死ぬまでにやりたい事が全部できない。

生き急ぐわけじゃないけど、このやりたい事を何とか消化したい日々を過ごしております。

死ぬほど気が重かった、「Gの世界」の71話のネームは完成したので、今、執筆中。

元ネタも含めて1度も描くことのなかった、八神の母親をビジュアル化した。

これを描いたら、あとは、もう残りのページ描き進むだけでございます。

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2021年1月23日 4:00 CAT :

「Do Get The Star」と書いて「どげざすたぁ」と読んで土下座して感謝する

先日書き上げた「Gの世界」の最終話までのざっくりとしたプロットを基に、1話単位で内容を振り分けてみた。

実際に原稿を描いてる途中で、もっと良いものが思い浮かぶかもしれない。意外とコメントとかでもらった事で内容が微妙に変わったりすることもあるので、これで決定という訳じゃあない。

ただ、大体1話でやる内容は決まった感じ。

71話では、こんな事描く、72話ではこんな事とこんな事を描くみたいなざっくりした内容だけなんだけれども、それですでに1万文字以上ある。今まで溜めてきたものを全部吐き出そうとしてるので、1話の濃度が結構なことになりそうなんだよな・・・

あとは、これにある程度沿いながら、ネームを描いて、原稿を描いてを繰り返していくだけだ。(ネーム切ってみたら、全然13ページで収まらなくて、話数増やすかもしれないけども・・・)

この話づくりの部分についてはホントはもっと時間をかけてやるつもりだったんだ。でも、やっと一番描きたかった場所だ!ってなった関係上、次々と内容が浮かんできて、全く止められないまま最終話まで一気に書き上げてしまった。

ラスト10話分くらいは、もう少し煮詰めようと思ってるけど、そこに至るまででも、まぁ、「これは面白いぞぉ~」ってなるシーンばっかり。

いや、他の人がどう思うかは知らない。そこはごめんなさい。

ただオレは、相当良いんじゃないかなと思っております。はい。

先日「おもちゃはおもちゃばこへ」書き上げた時も、相当テンション上がって、変な感じになってしまっているので、今日のところはこの辺りにして「うむむむ」って我慢しておこう。

さてさて。

と言う事で、この「Gの世界」の話を少しだけ。

一部、ネタバレ含むので、もし「Gの世界」を読んでて、ネタバレいやだと言う神様がいらっしゃったら、ご遠慮くださいな。

ちなみに内容は・・・と言うと、この「Gの世界」について、いただいたコメントを参考にしてがっつり設定を追加してしまった。と言う話です。

これをネタバレと言うかは微妙な所なんだけども・・・

 

 

 

 

 

 

 

この位の行間でよろしいでしょうかね。

いやね。この話、実は、前からチョッと書いておきたかった話でもあるんだよ。ホント、コメントいただけることも、それ以前にチラ見でもオレの書いたマンガを読んでいただけると言う事も、ただただ感謝しかないわけで・・・そう言う事を、もう少し伝えたかったと言うか・・・まぁ、そんな感じだ!

で、話は戻る。

そもそも発端となったコメントがこちら。

[142] キタキタキタ!あの人来ましたァ! 横にいるのは立ち位置的にエミリアか でもリズっぽくもあるし又はモブかもしれないけど 意識か無意識かチョイチョイ話の横繋がりを感じます 今回は『これまでの二人同様諦める可能性』って所とRDの滅びの村の事をチョッと後で『だから最後はいつも面白い』みたいな台詞があったと思う アレも今回も運命の因果率的な絶対数とかを感じます。。 楽しみぃぃぃぃぃ <2020/02/03 13:40:55> 5CGKbu71P

丁度1年くらい前にもらったやつですな。

まぢでこのコメントを読んだ時には、クールポコより「なあああああああにいいいいいいいいい」ってなった。

と言うのも、実は元ネタのネームでは、美和ちゃんと八神は兄弟じゃなかったし、重圧くんと慶斗も含めて、5兄弟と言う設定自体がなかった。

元々の話では、八神たちはそれぞれ別に親に捨てられ行くとこもない孤児たちで、その孤児たちが山で自分たちのだけの国を作っていた。と言う、そんな設定だった訳でございます。

物語において、かなりキーとなるこの設定に対して、元ネタを描いている時から何となく違和感があった。

だって八神は、結構平気で仲間も見捨てるし殺したりもする。

なのに、なぜか美和だけはいつも横に置いておいて、特別扱いしてた。

幼い頃あの山で一緒に過ごした仲間と言う理由だけだと、なんか弱いし、「重圧や慶斗との関係はじゃあどうなのよ?」と。

それが、「G」のラストに納得がいっていない一番の理由でもあったと思う。

で、このコメントを見た時、本当に目からウロコだったんだよね。

usにおける、ロバートとエレノアのつながりは、前世からの恋人と言う事がひとつと、エミリアと言う、最高神の名前が付いた兄弟の肉体と言う大きな理由があった。

使いまわしと言われればそれまでだけれども、これだったんだよ!と。

そう考えた瞬間、元ネタでは曖昧に1話で書いてた山での「あるひとつの国」の生活が、物凄くリアルになってきた。

あともう一つ、ロバートとエレノアで言う前世からの恋人と言う設定と同じようなものも必要だなと思って、「姫子を食べた」と言う共犯意識を追加してみた。

「漠然と親に捨てられた子どもたちが集まって集落を形成してた」と言う話から「親に捨てられたけど、自分の仲間を食べてまで生き残ろうとした兄弟が寄り添って生きた」物語になる事で、これまでチョッとグラグラして弱かった「G」と言う物語全体に、強固な大黒柱が通った気がしたんだ。

そうなった結果、「だったら結末も納得のいく形にしないといけないよな」となり、今回のラスト丸々変更と言う流れに相成ったわけでございます。

もしこのコメントを貰ってなければ、多分、「G」の元ネタと全く同じ内容のままでラストまで描き切っていたと思う。

んで、「なんかこのラスト納得いかねえんだよな」と思いつつ、次の物語を描き始めてただろう。

ぶっちゃけると「ランナ」と「G」はコメントでもらった内容を読んで、シーンを追加したりとか、セリフを変えたりとか、そう言う事をこれまでもチョコチョコはしてた。(「US」は元ネタのネームをそのままアップしてたから、どうしようもなかったけど、)

ただ、これはそんなレベルの話じゃないよね。

がっつり設定変えたどころか、物語の結末さえ大きく変えてしまったんだから。

まぁ、何が言いたいかと言うと、自分で好き勝手に描いてるだけでは、決して生まれなかった凄くお気に入りのラストが描けたことに、本当に感謝しておりますと言う事です。

人に見せると言う行為が、物語をこんなにもいい形にしてくれると言う事を思い知らされた。

そう言えば、昔なんかの本で、「作った作品はとにかくできるだけ多くの人に見てもらえ」って読んだな。

実際、面と向かって誰ばりに「読んで!読んで!」ってやるのはすごく抵抗があったけど、今は良い時代になったもんだ。

こういう機会がもらえた「新都社様様様様」には本当に感謝しかねえや。

足向けて寝られねえわ。

もちろん、毎週でも、時々でも関係なくオレの書いたマンガと言う、この世で最も最底辺に位置する落書きをちらっとでも見ていただける皆様にも。

これを承認欲求と言うのかどうかは知らないけど、ここ最近、本当にマンガとか描くの楽しくて仕方がない。

これからも、まだまだ描きたい事いっぱいあるので、どんどん描いていく次第でございます。

良ければお付き合いいただければ、恐悦至極と存じます。

な感じで、おやすみなさい。

それとは別で、先日嫁からリクエストされた短編のネームも描いてる。

創作が止まらねえ日々だ。

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2021年1月22日 4:39 CAT :

ジョージオンリーでさようなら

更新頻度が上がれば偉いという訳ではないんだけれども、出来るだけ毎日更新したいなとか思っております。

で、今日書いてた内容が、結構長くなってしまうので、それは明日にして、今日は、こんな繋ぎの記事でも書いておこうかと・・・

何の才能も持ち合わせていないおっさん。

唯一出来ることは、続ける事。

ただそれだけ。

それに何の意味があるのかは分からない。

ただ、続ける。

新しくやりたいことができると、取り合えずやってみる。

そして、それもただ続けてみる。

とは言え、ずっとという訳じゃあない。

断続的にと言う言葉が、最もしっくりくる。

断続的だけれども、ずっと続ける。

ふと思い立って、やり始めると言う事は、意外と誰にでもできる事なんだけれども、それを断続的であっても続けることは意外と難しい。

途切れなく続けるのはもっと難しい。

一番難しいのは、それを形にすること。

マンガであれば、設定を考えたり、キャラクターをデザインしたり、取り合えず、冒頭の数ページから数話描くのは、比較的簡単。

それをある程度形になるまで描き続けるのは結構難しい。

そして、当初の構想に近い形で最後まで描き切る事が一番難しい。

音楽であれば、楽器をはじめたいなと思って、取り合えず楽器を手に入れて、チョッと簡単な曲を弾いてみる位は比較的簡単。

少し弾けるようになって、バンドとかを結成してみたり、人前で披露するのは結構難しい。

そして、自分のオリジナリティーを出して、音源を完成させるのは一番難しい。

みたいな感じかな。

やっぱりね、続けることが一番なんですよ。

努力したからと言って花開くとは限らないけど、花開いた人は全員努力している。と言う耳の痛いお言葉がありまして・・・

結局は、自分を信じ抜けるかどうかと言う話なんだろうね。

これですね。

ただ、ここ最近の「はじめの一歩」の迷走具合はいかがなもんなんだろうか。

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2021年1月21日 4:17 CAT :

オナニーマシーンを聴いてイノマーに思いを馳せたりしてみる

このブログと言うものを書き始めたのはいつか・・・と言うと、多分、2005年かもっと前位までさかのぼると思う。

今の形に移行してからで見るのであれば、2005年9月と言う事になっている。

今年で16年目に入った。時々、過去の記事を振り返って読んでいくと、チョッとセンチメンタルなおっさんになってしまうんでございます。

あっという間のような15年だった。

けれども、こうやって振り返ってみれば、ちゃんと一歩ずつ歩んできた15年だったんだな。としみじみ思うんだ。

本当に色んな事があったよな。

良い事も悪いこともたくさんあった。

でも振り返って見返してみれば、結果的に良い人生だったと思う。

今のところは。

これから先は分からない。でも、大丈夫なんじゃないかなと、漠然と思っております。

さてさて。

子どもの成長をお父さんのふりして、ずっと見続けている。

先日、「おもちゃはおもちゃばこへ」の原稿を描いてる所を娘に見られて「へんたいだ~!」って言われました。

嫁からは、「中学生くらいだったら間違いなく嫌われてたね」と言われました。

なんか、そんな感じらしい。

娘が生まれた時、まぢで「オレの人生はこの子のためにあったんだ」とか、柄にもなく本当に思った。

嫁であっても絶対に上げる事はなかった、大事にとっていた大好物の食べ物も、子どもたちに「欲しい」と言われると、泣く泣く半分こする。

今でも、自分と嫁の血を分けた命がこの世に存在していると言う事が、イマイチ理解できていない。

頭では理解できていないけれども、なぜか、体が全力でこの小さな2つの命を守ろうとしてるんだ。

オレは子どものためなら多分死ねる。

でも、子どもたちが悲しんでくれるうちは、死ぬわけにはいかないと思ってしまう。

何なんだろうね。この気持ち。

昔のブログとかを読み返してて、結局、いつになっても自分の中にあるものって変わりはしないと思う。

「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもんだ。

そんな中、一つだけ変わった事があったとしたら、それは、子どもの存在が大きかったんだろう。

不思議なもんだ。

人生と言うものは。

と言う、倒置法を使った所で今日のところはさようなら。

オナマシで多分一番聞いたアルバムはこれだと思う。

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2021年1月20日 4:20 CAT :

帰ってきた「うずうずにぼし」の怨念に取りつかれたのは気のせい

嫁に、この前書いた短編「おもちゃはおもちゃばこへ」を読ませた結果・・・

「良いんだけど、そろそろ他のものが見たい」と言われた。

「グロ、エロなしで、作中一切人が死なない、高校生とかのキラキラした恋愛ものを描いてみて欲しい」と。

いやいや。

そんなもの描いた事ないし、そもそもそんな話描くのテンション上がらん。

「仕事で依頼されたと思って描いてみて」と言われたので、チョッと考えてみようかなとは思っております。

多分、次回作は、胸キュンな恋愛ものになるはず。

描ける気がしないけれども・・・

さてさて。

また「G」の原稿ストックが切れてしまったので、また描きためしようと思ってるんだけれども・・・前にもちょっと触れたように、ここから先の展開が実は、過去に描いていた内容とは大きく変わると思う。

最初に描いた展開が全然ダメだという訳じゃあない。

ただ、何と言うか、当時描いている時にも、これで本当に良いのか?と思う所が多々あった。

そういう意味では、「このラストしかなかったよな」と納得できたのって、本当に「us」のラスト位なんだよね。

そこで今回は、丸々書き換えて、全く違う結末にしようと思ってる次第でございます。

目指め「us」だ!こん畜生!

本来の「G」の結末の方は、最近めっきり更新してない漫画堂のノートマンガの方ででも、こっそり更新するかも知れないし、もう表には出さないかも知れない。

と言う事で、この描きためで、最終話までの全てのプロットを練り直して、全部のネームを作ってから、作画作業かなと思っている。

多分、これまでで最長の作画期間になると思う。

そんな事情も相まって、今回、新都社さんの方は状態を「連載」から「休載」にしておいた。

あんなマンガでも、もしかしたら続きを待ってくれている神様のような人がいてくれるかもしれない。

その人のためにも、しばらくは休載と言う事にしておいて、ちゃんとしたものを描きためられたら、また再開しようかと・・・

別に、描くのをやめる訳じゃなくて、ずっと描き続けるんだけども。

まぁ、そんなこんな言いながら、最終話までの展開については、元ネタの部分も絡ませつつ、もうほぼ出来上がってる。

あとは、これを時系列に並べて、ネームを切っていく作業になる。

一つだけ問題がある。

次の話が、八神の過去を八神目線で振り返ると言う展開なんだけれども、そこでは当初から予定していた感じだと、まぁ、ぶっちゃければ一番下の妹、姫子が衰弱して死んでいく過程とかをがっつり描くんだよね。

そのモチベーションが今、無い。

だから、「あぁ~次のネームかきたくねえなぁ~」とかなってる感じ。

これ以降も描きたい話がてんこ盛りなので、止めるつもりは一切ないけれども、しばらくは、他の話とかから手を付けるようになるのかなと思ってたり思ってなかったり・・・

目標の今年中に完結のためには、3月か4月には再開したいので、それまでには何とか・・・最終話まで形になってたらいいな。

で、出来れば、もう完結まで描きため期間無しでいければ一番理想だよな。

その次は、「始まりは終末」を描き始めるか、「風を切る日々」をちゃんと描き進めるか・・・

やりたい事は、ホントいっくらでもあるんだけどな・・・

これは昔、「サナダムシより細く長く」と言う4コマブログで公開してた四コマ漫画。

こういうのまた始めようかな。と思ったりもしてる。

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