「気分」カテゴリーアーカイブ

2019年4月30日 16:13 CAT :

人民服に着替えたかぁ?もみ上げはちゃんと揃えたか?

お仕事が忙しく、危うくブログ書くのやめてしまう所だった。。。

なんか、今年のGWは嬉し恥ずかし10連休と言う事で、凄い前倒しでお仕事をしないといけない事が多々ありまして・・・

中二病的な話じゃなくて、マジで、先週の火曜日~金曜日の間、ほぼ寝てなった。1~2時間くらい仮眠をとったら、お仕事。と言うのをすっとやってる感じ。

死ぬんじゃないかと思ってたけど、死なないで、何とか、最低限の内容だけだけど終わらすことができた。

久々に、まぢで疲労したので、その関係もあって、しばらくPCはつけないでいたような感じでございます。

さてさて。

いよいよ、今日は平成最後の日らしい。

オレは、チョッとだけお仕事した後、今回の新曲のギターの練習をしてた。

体調は、息子に風邪をがっつりうつしてもらったので、喉は痛くて、節々がいたいです。

あと、先日の健康診断の結果、遂にと言うか、やっとと言うか、メタボの診断を頂きまして、絶賛ダイエット中でございます。

運動しないいけないと言うのなら、筋トレもするけど、ギターとかいっぱい弾いてやろうかと思ってるんだけど、体調もあって、なかなか思い通りにいかない。

世の中には、思い通りにならない事って本当にたくさんあるよね。

連休明けに確認するので、と言って、連休前日に資料を投げてくれたいつもの「お前は休んでんじゃねえよ」のアレもいくつかあるので、多少はお仕事も進めておかないと、後で辛いことになるだろうし。

何なんだろうね。

この日々の感じは。

取り合えず、良い事(かどうか微妙だけど)、ビックリするくらい還付金があった。

経緯的に話をすれば、独立した年にいきなりある程度まとまった売り上げがあったんだけど、その前の無収入の時の税金で行ったので、その年の利益が結構なことになってしまった。

昨年はそのせいで、結構な税金を搾り取られるように取られたんだけど、お陰で、ほぼ利益がなくなるほど税金になってしまったんだよね。

なので、今年はその分、還付金で帰ってきて、やっと納得できるくらいの金額の税金になったという訳でございます。

昨年は、まぢで税金だけで、死ぬな。と思ってたんだど、それはやっぱりおかしかったんだと言う事らしい。

良かった。良かった。

ちゃんとまじめに、確定申告もしてるんだ。こっちは。

ぷんすかぷんすか。

チョッと前には、こんなに税金取られるなら、一思いに法人化した方が、節税になるんじゃねえのか?と思ってたけど、蓋を開けてみれば上記のような話だったので、法人化の話はひとまず無しになった。

まぁ、それにまた、機会があればするかもしれないし、しないかもしれない。そんな程度の話になりました。

とりとめのない文章になったけど、そんな感じで、またコツコツ書いていくんだ。

多分ね。

電気グルーヴからテクノ繋がりで、最近YMOを聴いております。

この全く古くならない音楽は、本当に凄いな。

これ、リアルタイムで経験してたら、衝撃凄かったんだろうな。

でも、オレだって音楽でいえば、音楽バブルの時代が、一番音楽を聴いてた時代だったんだ!と言う、良く分からない自負があったりなかったり・・・

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2019年4月24日 1:28 CAT :

愛はそう レセプター

色んな映画を見てる。

ここ最近、ホントお仕事しながら、色んな映画を垂れ流してる。

この見方が、正しくないのは100も承知。

映画と言うものは、本来、演者や制作者の意図、演出まで汲み取って、色々考えながら見て、楽しみ、見終わった後には自分の人生や、生活が何かしらのプラスになっているエンターテイメントだと思う。

でも、そうやって集中して2時間とかを使う暇がなくなってきていると言う、その事実が何とも言えず悲しいもんだ。

それはそれとして、個人的に映画には3種類があると思う。

〇初見であまりの面白さに引き込まれてしまうもの。

〇繰り返し鑑賞するたびにその作品の本質が見えてくるもの。

〇気楽に垂れ流して見る事ができ、且つ繰り返しの鑑賞に堪えるもの。

そして、そのどれに当てはまらない、つまらない映画か。まぁ、つまらない映画については、文字通りつまらないので、語る事もないんだけれども。

と言う事で、昨日に引き続き、この3種類の映画を少しだけ紹介・・・してみる。

 

〇初見であまりの面白さに引き込まれてしまうもの。
これについては、垂れ流して見るか…と思って、見始めたのに、お仕事もできずに思わず最後まで見入ってしまった映画。もう、本当に面白すぎて、目が離せなくなる。「冷たい熱帯魚」とか「凶悪」とか「告白」とか「アイアムアヒーロー」とか「バトルロワイアル」とか。洋画だったら「ライフイズビューティフル」とか「ファニーゲーム」が最近見た中で入ると思う。他にも何があるだろうか。まぁ、世間的に名作と言われるものがほとんどだよね。

ただ、この手の作品は、実は、繰り返しの鑑賞はあまりしない。

一つには、展開の衝撃とかは、どうしても2回目見る時に薄れてしまうと言う点。

もう一つには、繰り返し見続ける事が出来る多重構造のストーリーになっていないと言う点があるか。それは、ストーリーがダメなのではなくて、多重構造になるように作っていないからと言うのが、一番だと思う。

あと、多分、分かりやすいと言う事もあると思う。それはそれで、映画として見る上ではいい点。

とにかく、メッチャ面白くて、他の人に進めたくてしょうがなくなる映画。

 

〇繰り返し鑑賞するたびにその作品の本質が見えてくるもの。
これは、上述の映画とは別で、初見でも、もちろん面白いんだけど、その時は垂れ流して見れる感じ。ただ、シーンとかセリフとかが心に引っかかって、何度も見たくなってしまい、見ているうちに、どんどん新しい発見が出来てしまう映画。「血と骨」とか「火垂るの墓」「かぐや姫の物語」とかの高畑勲作品、「アウトレイジ」シリーズとか「嫌われ松子の一生」とか「メトロポリス」とか。洋画だと「グラントリノ」とか「ファイトクラブ」とか「レオン」とかその辺かな。一般的には、名作と言われつつも、賛否があるものが多いかも。

繰り返し見たくなる魅力があって、繰り返していれば見るほど、新しい発見がある。それこそヘッドホンして、大音量で見て初めて気が付いたことがあったり、物凄くうまい伏線があったり、物語自体が多重構造になっていて、どの視点から見るかで、物語に対する感想が全く変わってしまったりする。

この手の映画の問題点は、映画を見る事が、読み解く事と同じ意味なので、何かをやりながら見る事はできないんだよね。

上述の作品が人に進めたくてしょうがなくなる映画なら、こっちは、見た人と議論を交わしたくてしょうがなくなる映画と言う感じ。

 

〇気楽に垂れ流して見る事ができ、且つ繰り返しの鑑賞に堪えるもの。
内容的に重くなくて、面白くて、気楽に何度も見る事が出来る映画。「タナカヒロシのすべて」「有頂天ホテル」「帝一の國」「図鑑に載ってない虫」「自虐の唄」「転々」「デトロイトメタルシティー」とか。洋画なら「UMA」とか、「バタリアン」とか「ジェーンドゥの解剖」とかかな。

ホント、気楽に見る事が出来て、しかも面白い。初見では、何にも面白くなかったような気がするんだけど、気が付いたら、何度も見てしまってて、実はメッチャ大好きになってた。と言うパターンもあったりする。実は、一番なかなか出会えないんだよな。三木聡って監督の作品は、ほぼ全てこれに当てはまってて、全部大好きだ。

三木聡監督については、テレビドラマも同じく大好きで「時効警察」も「熱海の捜査官」も、もうどれ位繰り返し見たことか…

この映画については、誰に話すわけでもなく、一人でひっそりと見て、いつもニヤニヤさせてもらっております。ホント面白いんだよ。

 

ちなみに、と言うか、その中で特に別格なのが、宮崎駿監督の映画。これについては、上記3つ全てに当てはまる。

初見では引き込まれるように見入ってしまって、しかも、繰り返し見てるうちに新しい発見がたくさんあって、かと言って、垂れ流して見ても全然楽しいと言う、全方位完璧な作品だと思う。

「ファイトクラブ」とか「ずかちゅー」とかも、若干その気があるけど、やっぱり別格は、宮崎作品だよな。

アニメと侮る事はできないです。

あと、意外と好きなのが、松本人志作品だったりもする。

特に、「さや侍」とか、結構繰り返して見たかもしれない。

まぁ、ただ映画見るの好きなおっさんが、ダラダラ見て、ダラダラ話してるだけなんだけどな。

そして今回、紹介した中で、圧倒的に繰り返して見た映画。

「タナカヒロシのすべて」。

名作なのかは分からないけど、こんなに繰り返して見る事が出来る映画は他に知らない。

レトロな音楽、物凄く悲しい物語なのに笑えてくる絶妙な演出、そして、最高にカッコよかった頃の鳥肌実、細かい小ネタ、ゆるいテンポなど、色んな所が大好きなんだ。

あくまでも、オレの感性で。

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2019年4月23日 2:34 CAT :

ここ最近マンガレビューをツラツラと

オレの体の中でできたものと、嫁の体でできたものがくっついたら、新しい生き物が出来た。

と言う、この事実が未だに良く分からない。

何で、そうなったんだろうと不思議でしょうがない。

でも、子どもが可愛くて仕方がないので、それで良いと思います。

何と言うか、子どもがもう1人居たらなとは思わないんだけど、カワイイ赤ちゃんを抱っこしてヨシヨシしたい。

今は、まだ子どもたちが寄ってきてくれるけど、子ども達がもう少し大きくなって、独り立ち的なことになったら、ネコとかを飼うような気がする。オレも。

そういう事なのか。

とすごく納得いきました。はい。

さてさて。

ジャンプ読まなくなって、もう結構久しい。

ハンターハンターが載ってるときだけ、ジャンプ買ってるけど、それでも、もう読むものはワンピースくらいしかなくなってしまった。

だって、「こち亀」も「ブリーチ」も「ナルト」もないんだもん。

と思ってたけど、最近、「ファイアパンチ」で衝撃を受けた藤本タツキ先生の「チェンソーマン」が面白い。

ジャンプ最後の良心だ。単行本もちゃんと買った。

チェンソーマンが打ち切られたら、もうジャンプとは本格的にさようならだと思う。

そもそも、30超えたおっさんが「少年」ジャンプ読んでるんじゃねえよ。って話か。

でも、色々マンガは読んでる。

ここ最近買ったマンガなどを少しだけ・・・

 

 

〇暗殺教室
最初の方の、学園もの展開はチョッと読んでて辛い感じもあるけど、最初からしっかり作りこまれた物語だけあって、10巻くらいから以降は完成度が凄まじい。メッチャ面白い。構成も完璧で、何度も読みなおしたくなる。展開自体も王道で、読みやすい。しかも、チョッと考えさせられる。ホント名作だと思う。

 

 

〇ボーイズオンザラン
映画を見て、メッチャ面白かったので、原作も読んでみたくなって、全巻大人買いした。映画は原作で言う第1部で、第2部は第2部で青山君の変わり果てた姿とか、本当のヒロイン花ちゃんとか、源との戦いとか面白い部分も結構あるんだけど、サラリーマンの哀愁とか含めて、第1部の方が完成度が高かったかな。そして、終わり方が何となく納得いかなかった。かも知れない。いや、面白いんだけどね。

 

 

〇アイアムアヒーロー
同じ花沢健吾先生の作品。これも、映画がメッチャ面白くて、ZQNが何なのかをもっと知りたくて、全巻大人買いした。ボーイズオンザランよりはかなり面白かったと思うんだけど、だんだん尻すぼみになっていって、最後はチョッとなんだかなな感じで終わってしまった。いや、色々考察出来るので、深みがあって面白い作品だと思うんだけども。浦沢直樹か!!と言う話。

 

 

〇トリコ
女子高生大好きなしまぶー先生の超王道少年漫画。なんか、キンドルの無料枠で5巻くらいまで読んで、面白すぎたのでこれも全巻大人買いした。暗殺教室が21世紀の王道的少年漫画だとすれば、トリコは、古き良き少年漫画。際限なく進むインフレとつじつまの合わない設定、取ってつけたような伏線など、そのどれもがキン肉マン的だけれども、それが面白い。おっちゃんにはすごく安心して楽しめる名作でした。

 

 

〇善悪の屑
web広告でちらちら出てて気になったので買ってみた。何というか、実際にあった事件をチョッと薄味にして描いてるだけで、暴力描写はチョッと目を引くけど、それだけな感じ。ただ、3巻と5巻にある日常回が物凄く秀逸で、そこだけはホント何度も読み直した。この作者さんの日常マンガがあれば、ぜひ読みたいなと思いました。

 

 

〇血の轍
1巻が出た時に、ジャケ買いしてしまった。内容は、今はやりの毒親なんだけど、1コマ1コマを物凄く丁寧に描写していて、読み込めば読み込むほど引き込まれる名作。まだ、完結してないし、どんどん展開が進んでいるので、今、かなり新刊を楽しみにしているマンガの一つ。読み返すたびに新しい発見があるので、何度読み返したことか。

 

 

〇食糧人間
web広告かなんかで1巻だけ試し読みして、続きが気になったので、全巻大人買いした。(このパターン多いけども)よくあるスプラッターものとSFものを組み合わせたみたいな内容なんだけど、全7巻で中だるみせずに結構濃い内容が怒涛のように迫ってくるので相当面白いと思う。特に、最後のオチがこのタイプの物語としては異例なほどキレイでうまくまとまってたので、かなり素晴らしかった。読後感は「刻々」に匹敵するほど最高。アイアムアヒーローもこの位きれいに畳んでくれれば・・・いや、何も言うまい。

 

 

〇星の王子様
有名なサンテグジュペリの名作童話を、奇才「漫☆画太郎」大先生が、忠実に漫画化した屈指の名作。今のところ、何とか連載継続されているので、ただただちゃんと完結されることを祈るばかりです。内容は、オレ程度の生き物が文句をつけれる訳もなく、最高の出来だと思う。と言うか、「星の王子様」の一番正確で正しい解釈はこの漫画だと思う。

 

 

〇聲の形
チョッと前に話題になってて、ずっと気になってた作品。内容としては、しっかり作られているし、テーマ性もあって面白かった。ただ、どうしても主人公が感情移入しずらい。これ作者女じゃねえのかな。主人公の男の考えてることが「女が思う、こうあってほしい男の思考」な気がしてならない。逆に、聾唖のヒロイン含め、女キャラの表現は素晴らしかったけども。

 

 

〇亜人
これも、web広告からの流れで全巻大人買いしたやつ。相当面白いと思う。・・・けど、これについては、ほとんど「寄生獣」のプロットをそのままえどってるような感じ。主人公自体がパラサイトで、サイコパスなところがあり、その相棒がシンイチの人間的な性格と言う完全に「寄生獣」と同じキャラクター配置で、ミギーが人間側に完全に味方して、後藤率いるパラサイトと国を挙げて戦争している話なんだから、面白くないわけがない。ただ、その戦いについては、期待をはるかに上回る方向に展開していくので、本当に目が離せない。これも、新刊が待ち遠しい。。。

 

 

〇マイホームヒーロー
これは、本屋さんでジャケ買い。朝基まさしの漫画はたくさん読んでたので漫画がうまいのは知ってたけど、それにしても、面白さが尋常じゃない。展開が物凄く早くて、1巻の内容が手塚治虫か!って言う位濃い。こんなに濃いのは「へうげもの」以来だ。まぢで。第1部たった6巻(しかも6巻の半分)なのに、何巻にもわたる推理小説を読み込んだかのような展開と内容。正直、まだ第2部は始まったばっかりなので、今後どうなるかはまだわからないけど、今、新刊を一番楽しみにしているマンガ。あわよくば、「6巻で完結しとけば超名作だったのにな」にならずに、「あの第1部を超えてきた超名作」になる事を祈りつつ、新刊をお待ちしております。

 

 

〇異常者の愛。
「食糧人間」を読んでたら何故か「こちらもオススメ」として、表示されてたので、併せて読んでみたら、こっちもメッチャ面白かったので、全巻大人買いした。と言うか、こっちの方がはるかに面白かった。絵柄が個人的に受け付けないかと思ってたんだけど、読んでたらそんなに気にならなくなってた。「聲の形」とは反対に、完全に男目線でキチガイの女の心情を書いてるので、オレが読む分には、ストレスなくワクワク読めた。何より、物語のラストが素晴らしかった。この話は、現代によみがえった江戸川乱歩で一番好きな小説「蟲」だ。ヒロインの三堂は完全に正木愛三だった。そう見え始めた時、久々にマンガで目頭が熱くなった。

 

 

とまぁ、割と最近色んなマンガを読んでおります。

他にも、ダラダラ読んでみて、買うまでもなかったり、面白くなかったものなどもあるけど、上記に上げた漫画はどれも素晴らしい作品だと思う。

いつになっても、夢中にさせてくれるマンガと言う文化は本当に素晴らしい。

いや、ホントにチェンソーマン打ち切られないでくれ・・・5巻くらい出たころに、また、チェンソーマンの感想も描きたいもんだね。

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2019年4月22日 5:44 CAT :

10年目のキラキラと輝くもの

10年前の今日(4月22日)、「良い夫婦の日」と言う事で、結婚届を出した。

それから、色々あるにはあったけど、結婚して10回目の結婚記念日が来た訳でございます。

10年だってよ。

付き合い始めてから結婚までは5年くらい。

正直な話、結婚前の5年間と、結婚してからの10年では、結婚前の5年の方が色々あったし、長かったような変な感覚になってる。

結婚してからの10年では、子どもが2人増えたと言う、人生において最大級のイベントがあったけれども、それもあって、もう本当に必死の毎日過ぎたんだと思う。

先日、チョッと触れた「ジャネーの法則」が関係あるかも知れないけれども・・・

にしても、この感覚は何なんだろうね。

多分、結婚してからの10年の方が平穏だったんだろう。

結婚前の・・・と言うか、大学卒業してからの数年間の方が、本当に色々あった。

社会に出てから、10の職場を転々とした。

就職して、新しい部屋を借りたのに1ヶ月も経たずに体調を崩して、その部屋を出た事。

半身不随になって、リハビリしてた事。

金もなくて、ただただ嫁と二人、身を寄せる場所もなく、毎日公園の駐車場で時間を潰してた事。

お金がないから、当時600円で食べ放題のランチをしてる焼肉屋さんで、いつも1日1食、夜の分も含めて食べた事。

毎日いた公園の駐車場で仲良くなったネコがいて、そのネコと3人でいつも車の中で寝ていた事。

そのネコにご飯を買っていってあげるお金さえなかったから、コンビニで10円くらいで変なお菓子をいつも買ってあげてた事。

ほぼ毎日2人でハローワークに通ってた事。

どの職場でも結局馴染めなくて、退社ばっかりしていた事。

などなど、今思い出すと、本当にどうしようもなく惨めでしょうがない想い出がもりもりとある。

でも、その時間があったからこそ、今がある訳で、あの時期の事は、嫁ともども誰彼にダラダラ話すようなことはないけれども、二人ではよく話してたりする。

何となくね。懐かしくなるんだよ。

いつもランチを食べに行ってた焼肉屋さんはもうつぶれてなくなっちゃった。

一緒に寝ていたネコだって、もう会う事はできない。

あの頃に戻りたいかと言われると、もう戻りたいとは思わない。

でも、あの頃の惨めでどうしようもない毎日が何かわかんないけど、オレの中でやけにキラキラと輝いてやがるんだよね。

明日、少しの時間だけ、子どもを実家に預けて、嫁と二人で、あの頃の思い出の場所を巡ってみようと、そんな話になった。

最初は、普段いけないようなチョッと良いお店でご飯を食べようとか、二人でお買い物に行って記念になるものを買おうとか、考えてたんだけど、そう言う感じじゃないらしい。

子どもたちの前では、あの頃の思い出の場所で、あの頃の思い出を語るのは、まだ少し早いと言うか・・・もしかしたら、ずっと語らないかもしれない。

ひとつだけわかる事は、次の10年も、一緒にいるだろうと言う事。

まぁ、どちらかが死んだりしなければと言う条件付きではあるのだけれども。

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2019年4月19日 22:57 CAT :

春を愛し過ぎた人

モンキー・パンチの訃報。

何というか、本当に平成が終わる時なんだ。と、感じたりもした。

昭和からのスターとか、天才がどんどんいなくなっている。

平成からのスターとか、天才はきっと、これから令和の時代にどんどん活躍していくんだろう。

さてさて。

眼鏡を新調した。

前の眼鏡は、レンズの表面が少しはがれた感じになって、変なので。

嫁に「目元が老けてきたから、隠せるようなフレームを」と…ありがたくないアドバイスをもらって、チョッと新しい感じのフレームにしてみた。

お仕事部屋には、もふもふのラグマットを敷いた。

マーシャルさんのアンプを出してきて、譜面立ても新調したので、これで、じっくりとギターの練習もできるだろう。時間があればな。

あと、家の玄関に、開閉式の網戸を設置した。

これで、これからの季節には、ドア開けっぱなしにしても虫が入ってこないだろう。

田舎なので、基本的に、ドアはいつでも開けっ放しなんだけど、これはこれで不用心なんだろうか。

昔っから、だからあんまり気にしてないんだけども。

などなど、いくつか新しく購入したり、買えたりして、チョッと身辺に変化が出来た。

春は、こういう事を何となくしてみたくなる。

そうする事で、なんとなく、心のそわそわ感をごまかしてみる。

季節の中で実は一番春が苦手だったりする。

気候的には、過ごしやすいんだけど、過去のトラウマなのか、何なのか、春になると気持ちが落ち着かない。

不安になってしまう。

春は、別れと始まりの季節。

あまり変化を望んでいない人間にとっては、いつになっても、落ち着かない季節と相成りました。

春が好きな人は、多分、相当ポジティブな思考をしている人なんでしょうね。

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2019年4月18日 23:12 CAT :

哀しみサンバカーニバル

ギターを弾いてるときに使う筋肉。

漫画を描いてるときに使う筋肉。

トランプでカードマジックをするときに使う筋肉。

キーボードを打ってるときに使う筋肉。

当たり前だけで、それぞれに場所が違うんだよね。

特に、ギターとカードマジックは変な所の筋肉を使うらしい。

最近、手の甲と二の腕が筋肉痛でございます。

さてさて。

世の中には、子ども好きな人と、子ども好きだと周囲に思われている自分が好きな人の2種類がいることが分かった。

今のオレは、誰が何と言おうと、子ども好きな人だ。異論は許さない。ただし、自分の子ども、及び親戚、知り合いの子どもに限るけども。

で、高校生くらいまでのオレは、間違いなく子ども好きだと周囲に思われている自分が好きな人だった。

例えば、親戚の法事とかがあると、子どもと一緒に遊ぶ係を率先して担当して、親戚のおっちゃんとかおばちゃんから「子ども好きの人」だとよく言われていた。でも、その当時子どもの事を本当に好きだったのか。と言うと、チョッと疑問符が付くんだよ。

まぁ、そんな感じ。

では、この2種類を見分ける方法が果たしてあるのか。と言う問題。

取り合えず、「オレ、よく子どもと〇〇するんですよね」とか、そんな話を振ってくる奴は、高確率で「子ども好きだと周囲に思われている自分が好きな人」だと思ってる。

逆に、本人は外であんまり子どもの話とかしないけれども、子どもが「最近、パパと〇〇して遊んでるんだ!」と言っててる場合には、結構な確率で「子どもが好きな人」なんだと思う。

いや、これに関しては確実に偏見だと思う。

思うけれども、何と言うか、割と近くにこの「子ども好きだと周囲に思われている自分が好きな人」がいて、その人がホントに、「自分がいかに子どもに好かれているか」「子どもに何をしてあげたか」と言う話を聞いてもないのに、ダラダラ話してくるんだよ。

何かもう、本当に勘弁してほしい。

自分が人に何をしてあげたかについてを、声高に自慢している人とは、どうしてもあんまり仲良くできないです。

しかも、それが、自分の子どもに対してとか、親戚の子どもとかだと、なおさら。見知らぬ子どもに対してやってたら、それはただの誘拐犯かも知れないし。

「今まで育ててやったのに」と言うやつを知ってる。

「今まで、〇〇円くらいお前に使ってやった」と言うやつも知ってる。

「子ども好きだと周囲に思われている自分が好きな人」なうえに、本当は子どもが別に好きでもなかった場合で、それをこじらすと、こんなことも言うようになるらしい。

オレは、親からそんなこと言われたことないし、親の生き方が「いかに子どもに迷惑をかけずに生きていくか」なので、そこについてはオレも見習って、将来、オレが何か弊害となって、子ども達がやりたいことができなるようなことは絶対に避けたいと思ってる。

老後を子どもに見てもらおうとも思ってない。

でも、時々抱っこさせてほしいな。

と、子どもが成人した後でも思ったりするんだろうか。

娘に対してそれをやると、犯罪になってしまうらしい。

世知辛い世の中ですな。

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2019年4月17日 22:21 CAT :

感じて叫んで全て脱ぎ捨てて心燃やしてみる

新曲を作って、それを弾く練習をする。のは良いんだけれども、どうしても、弾いてて気持ちのいい曲ばっかりやってしまう。

その結果、最終的に出来上がったときには、差が出来てるんだよね。

前作で言えば、良く弾いてたのは「【無修正】【流出】JK秘密のア ソ コ」「people ⇔ sit」「早退き≠早弾き」あたりで、全然弾かなかったのは「深海親父」「north wall」「KanonCode LoveLetter」辺りか…

今作でも同じような感じになってる。

多分、完成した時には、その分の差異はしょうがないんだろう。

さてさて。

今更ながら、元号が新しくなった。

「令和」。

歴史上初めて日本の古典から取ったという点では、何と言うか、日本人として、チョッと嬉しい気持ちになった。謂れ自体も聞いて、へ~そんな意味があるのか。くらいの感じ。

響きなどについては、まぁ、慣れるたらそんなもんだと思う。

一応、昭和生まれだけれども、ホント昭和の最後の最後なので、平成になったときのことは、正直覚えてない。

でも、多分そんなもんだろう。

これまでにあった文字はあんまり使われないと言う話だったので、昭和と同じく「和」が入ってたのは結構意外だったけれども。

そして、ついでに新札も発行されるらしい。

ただ、それはすぐじゃなくて、2024年ころに。

で。ここまでは良いとして、陰謀論が大好きな皆様におかれましては、この流れで、何となく戦前の日本に回帰し、そして、戦争が始まるような気がしてならないと思う。オレも、何となく、そんな気がしてならない。

流れとしては、大地震があって、怪しい法律が出来て、オリンピックがあって、戦争がある感じか。

戦争の後にハイパーインフレがあって、その時に新札発行があって、円の価値がゴロっと変わった昭和20年代。

2024年ころに第3次世界大戦が終わって、ハイパーインフレが起き、そのタイミングで、かねてより準備していた新札発行によって、円の価値がゴロっと変わる。

自称未来からやってきた人や、一部の人が声高に言ってた、2020年代のデフォルトが本当に起こると言う事なんだろうか。

戦後、それまでの価値観がゴロっと変わり、唯物論がまた復活した未来。

どれだけお金を積んでも、食べ物が手に入らなくなり、そして、次世代の映画監督が「8人の侍」と言う映画で、生産者の強さと人間の嫌らしさを描くようになる。

みたいな感じ。

SNSによる人間選別も行われて、シンギュラリティももうすぐ来るだろうと言う、このご時世にどんな戦争が起こるんだろうね。

「ホモデウス」と言う本によれば、世界の価値が「モノ」や「土地」から「人」に移行した現代では、戦争は成り立たないとかなんとか。

戦争で手に入るのはあくまでも土地やモノ。

だけれども、今の世界において価値があるものは「人」。

確かに、今や、優れた人がいる場所が価値のある場所になりつつあるもんな。

そんな2020年代に起こる戦争とは、どんなもんなんだろうか。

来年あたりに、日本が、国連を脱退して、東京オリンピックが開催できなくならない事を祈るばかりでございます。

「8人の侍」懐かしい・・・

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2019年4月16日 2:19 CAT :

吐いて捨てるような浮世のロックで収まる疼き

いつからかこの国では、政治的な発言を人前ではやらない事が基本となってしまったらしい。

昔、営業職をやってた時に、「営業先で、野球と政治と宗教の話はしてはいけない」と教わった事を思い出した。

野球と政治と宗教の話については、それぞれの主張が強いため、議論すると喧嘩になるからとか、そんな理由だったような気がする。

日本人はそもそも良くも悪くも協調体質と言うか、もめ事を避けようとするんだよね。

だとしたら、声高に政治批判している人は、日本人じゃないのか。と言うと、そういう話でもないのかも知れないけれども。

何しか、一部の在日朝鮮人さんに誘導されないようにだけは、心掛けておきたいもんだ。

アメリカ嫌いでも良いし、イギリス嫌いでも良いし、タイ嫌いでも良いけど、韓国嫌いだとヘイトと言われる社会だそうです。

そしてオレは韓国嫌いだ。

さてさて。

ヴィーガンと言う人種がいるらしい。

動物性のものを食べないとか、消費しないとかそんなどうでも良い事に命を懸けてる人たちの事だ。

それについて、別に何を言うつもりもない。何のためにそんな事をしてるのか良く分からなけど。

そもそも、人間は雑食性の生き物であり、穀物を食べることでエネルギーとして、植物を食べることでビタミンとかそんな栄養を摂取して、肉を食べることで強い体を作ってる。多分、そんな感じ。間違ってたらごめんなさい。

何しか、それが人間と言う生き物であり、そう考えると、それを拒否してると言う事は、多分、人間と言う生物としての何かが欠落してるんだろうね。

いや、問題なのはそんな事ではないんだ。

例え、ヴィーガンの人が、普通に生きてる人間より平均寿命が短かろうが、そんな事は知った事ではない。

問題なのは、そのヴィーガンさんが、その欠陥的思想を人に押し付けてくることなんだよね。

なぜ、押し付けてくるのかについては、色々と考察出来ることはあると思うんだけど、取りあえず、オレが言いたいのは、「生きると言う事は、命を頂くこと」に他ならないと言う事。

肉が苦手だから、野菜を食べてる。と言う話なら、全然OK。

でも、生き物を殺害すると言う行為が許せないから、肉を食べないと言う思想は、もはや、「生きると言う行為」の否定でしかないと思うんだ。

ちょっと過激かも知れないけど、じゃあ生きなくていいです。とすら思う。

この世に生存しているほぼ全ての生き物が、何らかの命を自分のエネルギーとする事で、生命活動をしている。

それを残酷だというのなら、それはもう生命活動の拒否でしかない。と言う理論は間違ってるんだろうか?

そもそも、オレが一番気に入らないのは、お前ら植物は食ってるだろうが!と言う話ですよ。

オレの家には、庭にも部屋の中にもわんさか植物がいる。

植物大好きなんだよ。植物にだって意思はあるし、命だってあるんだ。

もし本当に生き物を殺すことに反対しているのであれば、なぜ、植物を生き物として見る事が出来てないんだよ。

それはあれですよ。

牛や、豚はガンガン殺すし、何だったら、フォアグラみたいな虐待しないと作れないような食材を食べるくせに、イルカとクジラだけ何故か守ろうとしている、どっかのシーシェパードさんと同じじゃないか。

スティーブ・ジョブズって人は、木の実しか食べなかったらしい。

植物も生き物だから、殺すわけにはいかない。と思ってくれた偉大な人なんだろうか。

木の実って植物の子どもの卵ですよね。

それOKだったら、バロットもOKだ。

クリックで参考画像(一応、グロ画像なので配慮して…)

これも、鳥の子どもの卵だからね!

生き物を差別するんじゃない。ベシベシだ。

植物にだって感情もあるし、意思もある。何だったら、最近の研究で痛みを感じることも分かってきてるんだ。生き物を殺すことは残酷だ。と言うなら、生き物を差別するなよ。

「じゃあ食べるものがないじゃないか」と、もし言うのであれば、「そうですよ。生きるってことは食べるってことで、食べるってことは命を頂くってことだ。それを否定したら、後は何も食べないで死ぬか、自称呼吸だけで生きてる(↓)のおっさんみたいな生活をするしかないですよ。」と言う話になる

それでも私は動物は食べない!!きいいいいいいいいいいいいいい!!ってなるようなら、それはそれでもう尊重する。

別に、オレは、自分の肉食を人に押し付けたいわけじゃあないから。

ただ、もう二度と人に自分の思想を押し付けるんじゃないと思う。

最近、twitterで流れてた、ヴィーガンさんが作った画像らしい。

人は、これブーメランと呼ぶ。

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2019年4月15日 21:28 CAT :

生きて、何がある

先日、ふとしたことでFC2ライブを見てみた。

本音では、全く興味がないのにまんこが見たいと言う理由だけで、もてはやす男たちと、そんな方法でしか構ってもらえないからなのか、持ち上げられて満更でもない女と言う、何とも闇な部分を見てしまった気がした。

そんな興味ないだろう。絶対。自分の意思がチョットだけ反映させるAVとか、そんな感覚なんだろうね。

何だろう。

凄く悲しくなった。

さてさて。

先週は、まぢで疲れ果てた。

息子と娘の入学式と入園式が連続してあって、そうでなくてもお仕事がたくさんあって、そして、何故か子どもたちが、一緒にゲームしようと誘ってくれたり、トランプ触ってたり、ギター弾いてたりとか、まぁ、そんな不純な奴も色々あったんだけども。

それにしても、中二病レベルで、「まぢ寝てねえわ」と言いたいくらいに疲労してた。

ただ、それでも、地続きで人生は続いていくわけでございます。

これから何があるかは分からないけれども。

ケセラセラ。

なるようになる。

未来は見えない。

お楽しみ。

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2019年4月14日 15:56 CAT :

考えがコロコロ変わる

とある博物館に行ったときの話。

そこの博物館では、宇宙の成り立ちとかそんなことからツラツラと説明してくれていて、地球の生物についても、小さな単細胞が生まれてから、少しずつ進化していくすべての生物が展示されていた。

面白いのは、同じような2つの生物を並べて展示して合って、この生物とこの生物の違いは、この部分が進化している事です。こうやって、適応していくんです。

的なことをいちいち説明してくれていた。

そして、展示物が終り、一番最後。

出口間際に書かれていた説明文。

「地球と言う星に生存している生物の99%が同じ先天的な遺伝子異常を持っているため、同じ症状を患っています。それは、死ぬという症状です。」

と書かれてあった。

「先天的な遺伝子異常のため、細胞分裂の過程でどうしても、細胞が劣化し、その結果、死亡してしまう。「老化」と言う病を。」と。

そうか。

オレが死ぬのは、先天的な遺伝子異常のせいだったのか。

何故か、凄く心にストンとその言葉が落ちてきた。

・・・

・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そんな夢を見ました。

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2019年4月13日 23:05 CAT :

見えなくなるボーダーライン

先日、久々にオレのばあちゃんの家に行く機会があった。(最近では、ひいばあちゃんちとなったけれども)

まぁ、母方の実家ですな。

オレは子どもの頃、妹が年子だった関係で、幼稚園に通うまでの1歳から4歳くらいまでの間、ほぼすべての時間をこのばあちゃんちで過ごした。

じいちゃんとばあちゃんには、それはそれは大切に育ててもらった。はず。

じいちゃんの方は、オレが小学5年生、10歳の時に亡くなった。

ばあちゃんの方は90歳を超えて、弱ってきてるとは言え、まだ元気。

ばっちゃんには、ひ孫も見せることができたけれども、じいちゃんの方には、ひ孫を見せるどころか、嫁すら紹介できなかった。

みたいな話を、その時に、おかんとばあちゃんとチョッとだけ話した。

じいちゃんは、本当にぽっくりと逝ってしまった。

何となく調子が悪いから検査入院をして、まぁ、大したことないみたいな話になってたのに、朝になると冷たくなってたみたいな感じで、本当に、青天の霹靂だった。

じいちゃんが亡くなった時、オレは(と言うか兄弟は)おかんの職員旅行について行ってて、その宿泊先のホテルで訃報を聞いた。

確か、そのままバスで近くの駅に寄ってオレたち家族だけ降ろしてもらい、旅行の途中で帰ってきた。

その帰路では、何が起きてるのかほとんど理解できなかった。

家に帰ってきて、ばあちゃんちに向かい、ばあちゃんの顔を見た時初めて、事態を把握して、ばあちゃんにしがみついて、それはそれはわんわん泣いた。

オレが記憶してるのは、そんなところなんだけど、この話で、未だにメッチャ後悔していることがひとつある。

旅行に出る前に、おかんがじいちゃんの入院先に旅行へ行く旨を伝えがてらにお見舞いに行ってるんだよね。

その時オレも誘われたんだけど、オレはめんどくさいからと言う理由で行かなかった。確か、何かゲームをやりたかったからだったと思う。

そもそも、その時には、チョッとした検査入院だと聞かされてたし、まさか、あのじいちゃんがそんな簡単に死ぬなんて思いもしなかったから。

あの時、お見舞いに行ってたらじいちゃんが死ななかったというわけじゃあないのは分かってる。

行かなかったからどうなったという訳ではないのも分かってる。

それでも、あの時お見舞いに行かなかった事に関しては、未だにずっと後悔してる。

なんでオレは、どうでも良いゲームをやる事を選んだのか。

多分、これまで生きてきた中で、唯一本当に壊滅的な後悔だと思う。

常々、過去に戻れるとしたら戻るかと言う問いに対しては、絶対に戻りたくないと答えるけれども、それでもあの小学5年生に戻れるのなら、悩むかもしれない。

振り返ってみた時に、こんなオレには出来すぎた良い人生だと、今の時点では思ってる。

それは、これまでの数限りない選択肢を奇跡的に良い方向にばかり選んだ結果な訳で、もし、過去に戻ってしまったら、もう2度とこの人生は体験できない。

それを天秤にかけてでも、戻る事を選ぶかもしれないくらいの後悔。

分かりにくいかもしれないけども、その位の後悔が1度だけ人生においてある。

今日出来ることは明日でもできる。

明日でもできることは多分、明後日でもなんとかなる。

でも今日しかできない事は、必ず今日やる。

これだけは見極めようと、あの時から思うようになった。

今でもそう思ってる。

今やっていることは、今日しかできないのか。

この視点が何よりも大切な事なんだと。

あとは、いくら忙しいとはいえ、ばあちゃんにももっと会いに行って、他愛もない話を色々したいな。

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2019年4月12日 2:05 CAT :

君にジュースを買ってあげる

新曲のギターリフと、ギターソロなどを色々考えてる。

何曲かは、ある程度形になってきた感じ。

しかし、昔はこの辺を全部コード進行だけ決めて、アドリブでやってたんだよな。それに比べると、良くも悪くもちゃんと作りこむようになったもんだ。

ただ、昔のような二度と弾けないけど、奇跡的に良い出来と言うものはなくなってきた気がする。

全体に小粒になりつつある。

それはそれで悩ましい所ですな。

さてさて。

娘と息子が、無事というか、何と言うか、それぞれに入園と入学した。

娘の方は、小学校なので、一人で学校までの登校や、新しい環境での生活に。

息子の方は、初めて親を離れて一人幼稚園で色んな事をやっていくことに。

それぞれにメッチャ心配でゲロ吐きそうなんだけど、無事に家に帰ってきたときには、尋常じゃなく感動してしまう。

こんな親なのに、子どもたちはちゃんと成長してくれている。

反面教師だとしても、嬉しいんだよ。おっちゃんは。いや、お父ちゃんは。

オレが子どもの頃にも、両親はこんな気持ちだったんだろうかね。

自分の子どもの頃と、今の子どもたち(特に、息子の方)を比べてみる。多分嫁の血が入ってるからだろうけど、オレの子どもの頃よりもよっぽどちゃんとやれていると思うんだ。

まず、友達がいて、ちゃんと協調して生活できている段階で、もうオレよりもちゃんとしている。

オレは、確実に今の社会なら、ADHDとか発達障害とか、そんな称号をもらえていただろうし、その上オレは子どもの頃、アトピーは酷いわ、ぜんそくで入院するわ、心臓は右脚ブロックで精密検査をしょっ中受けなきゃいけなかった。

カラダは弱いし、友達とうまくやれないし、じっとしてられないし、ズッとティッシュを口に含んでたし、指吸いが尋常じゃなくて水ダコが指に出来てたし・・・本当に絶望的な子どもだったと思う。

なんだったら、今でもジッとしてられないので、先日の息子の入園式での写真撮影でも、3歳の息子よりジッとしているのを我慢できなかった。

何が言いたいかと言うと、こんなどうしようもないオレでも、子どもはちゃんと育ってくれているんだということだ。

いやね、先日、「自分はダメな奴だから、子どももまともになるわけないから、子どもはいらない」と言ってるやつの話を聞いたもので・・・

お前がダメだとしても、子どもがダメとは限らねえんだよ!!と言いたくなっただけでございます。

ただの親バカなのかもしれないけど。

でも、確実にオレの子どもの頃よりは、ちゃんとしてると思うんだけどな…

あと、それとは関係ないけど、子どもに一人で色んな事をやらせると言う事は、子どもの世話を色々やってあげる事よりもはるかに精神的負担が大きいことが分かった。

過保護と言われる親のやり方は、実は、親本人にとって最も楽な方法なんだと思う。

そりゃあオレだって、子ども一人で小学校まで登校させるより、毎日車で送り迎えしてやる方が、絶対楽だっつうの。

息子が広げたおもちゃを息子に片付けさせるより、オレが片付けてやる方が全然手間かからないっつうの。

その大変さはあるんだけど、少しずつ出来るようになっていく子ども達を見ている分に、この大変さも意味があると思えるようになってきた。

まぁ、もちろんオレより、メインで子どもと接してる嫁の方が苦労は色々してるんだけどね。

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2019年4月10日 23:29 CAT :

カムチャッパもパリもはるかに超えて見たことのない休みの国へ

メチャクチャ喉が渇いてた。

なので、氷をたくさん入れたコップで水を何倍も飲み干した。

それでものどの渇きがおさまらなくて、氷をガリガリと食べ続けた。

喉が渇いた時特有の、水を甘く感じる、あの感じを味わいながわ、それでも、いくら飲んでものどの渇きはおさまらない。

そんなオレを見て、嫁が言う。

「夢と現実は、表裏一体でつながってるから、片方で喉が渇いていたら、もう片方がどれだけ水を飲んでも、渇きは直らないんだよ」と。

そして、「早く、もう一つの方でも水飲んできな」と。

そこで、目を覚ました。

メッチャのどが渇いていた。

夢と現実は表裏一体。

物凄く面白い話の設定だと思ったんだけど、これは、多分よくある設定でもあるんだよね。

少し時間をおいて考えると、使えないな。と思った。

昔なら、時間をおいて、考えたりしないで良いと思ったら即何らかの形にしてたのに。

年をとるというのはそういう事なんだな。

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2019年4月9日 8:03 CAT :

退屈な人生を黄金に塗り替えて

そもそもの出会いは、三柴理ことエディーだった。

筋肉少女帯キチガイになっていた学生時代。ナゴムも含めた全ての音源を手に入れたオレは、それ以外のかつての筋肉少女帯メンバーが参加している楽曲すら全て揃えようと躍起になってた。

そんな中、80年代の筋肉少女帯を支えた名バイプレイヤーエディが参加しているバンドを2つ見つける。

「陰陽座」と「犬神サーカス団」。

早速、それぞれのアルバムを買った。陰陽座の「赤熱演舞」と犬神サーカス団の「暗黒残酷劇場」(エディーが参加してたのは、「レクイエム」だったんだけど、それはDVDシングルでまだ「神の犬」は発売前だったので、取りあえずアルバムを1枚買ってみようということで)。

正直な話、陰陽座はカッコいいんだけど、そこまではまらなかった。なので、「鳳翼麟瞳」以降は買ってない。

でも、もう一つのバンド「犬神サーカス団」はやばかった。

それはもう既存の価値観が吹き飛んでしまうくらいの衝撃だった。

未だに、この筋肉少女帯級の衝撃を受けたバンドは、犬神サーカス団だけだと思う。ほかにも、衝撃を受けたバンドはたくさんあったけど、とにかく桁違いの衝撃を受けた。

すぐさまに、その時手に入る全てのアルバムを手に入れた。どうしても手に入らなかった「御霊前」は、ヤフオクで2万円以上使った手に入れた。

中でも「地獄の子守唄」と言うアルバムは、その禍々しさと完成度が群を抜いていて、まぢで失禁レベルの衝撃を受けた。

それ以来、ずっと追い続けてきた。

ライブの物販で本人と話しできた時には、あまりに感激して涙がこぼれてしまった。

それから15年以上…

メジャーに行ってチョッと毒が薄れた時も、インディーズに戻ってまた毒が復活した時も、マーシープロデュースじゃなくなった時も、改名してから一発目の震え上がるほどの傑作「恐山」を聴いた時も、全てをリアルタイムで経験して追い続けてきた。

持ってなかった「夜が終っちまう前に」も再販した奴をライブの物販で買ったので、多分全てのCD、DVDを持ってる。

15周年記念の「籠の鳥」を得て、20周年の時の「絆」でこんな感じで来たか…と思った。

そして、25周年。満を持して放たれた新曲「GOLD」。

正直、ここ数年の犬神サアカス團の方向性には少しついていけなくなっていた。けれども、この曲はそれでもなお素晴らしい。

何が凄いって曲調は、ポップなんだよ。今の犬神サアカス團なんだよ。でも、至る所に細かく、かつての犬神サアカス團が見え隠れするように作られてるんだよ。

「地獄の子守歌」の系譜にあるだろう和風ロックンロールの集大成的楽曲「籠の鳥」。

かつての名曲たちの歌詞が引用された20年の歴史全てを網羅した楽曲「絆」。

そして、これらの曲を踏まえた上で進化した犬神サアカス團があえて、かつての自信のスタイルに戻すのではなく、少しだけ寄り道する事で、バンドの歴史と存在感を発揮した楽曲。それが、新曲「GOLD」なんだと思った。

いや、実際に、メンバーの皆さんがどんな気持ちをこの曲に込めたのかは分からない。

オレの妄想なので、これがあってるかもわからない。

ただ、オレは、そう感じた。

正直「GOLD」以外の全ての楽曲を持ってるので、今回のベストを買うのはどうしようかなぁ~とも思ってたんだけど、この1曲のためにも買う価値は十分にあると思うんだ。そのくらい素晴らしい新曲だった。

そもそも、お布施的な意味も込めて全ての音源を買うことは、15年以上前に始めて出会った時から決めてることなので、そもそも悩む余地なんかないんだけどね。

しばらくは、YOUTUBEでこの曲を聴きながら、アルバム発売を待つことにいたします。

6月4日発売らしいです。

購入特典とかあると思うので、それが分かるまで予約は少し我慢しておこう。

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2019年4月8日 23:50 CAT :

ただ苦手なタイプだな

好きな情景がある。

オレが昔から表現したくて仕様がない情景がある。

前にも、チョッとブログでふれたことあるような気がするんだけども・・・それが「そこはことない哀れ」。

これだけ書くと、何ともイマイチ伝わらないと思う。

これに関しては、完全にオレの感覚になってしまうので、うまく書き表せないんだけども、「どうしようもなくなった人生のどん詰まりにおいて、それでもなお懸命にもがく姿こそ、何よりも美しい」とか、そんな感じ。

ヘンリー・ダーガーと言う人が過去にいた。この人についても、過去にブログで書いた事ある。

この人は、生涯において、誰からも認められず、気にもかけられないまま、人生を終えたんだけど、その間、誰に見せるわけでもなくズッと、一人で小説を書き続けていた。

何と1万5千ページ。これは世界最長の長編小説になるらしい。

そこまでの情熱を傾けつつ、それでも、世界からは恐ろしいほどに無視され続けたこの人の人生。特に、その最後の方なんかが、物凄く美しく感じる。

お分かりいただけるだろうか。

この感覚を、圧倒的なセンスで表現した作家と言えば、間違いなく江戸川乱歩だと思う。

何度読んでも、泣いてしまう名作「蟲」に出てくる正木愛三も、オレの思う最も美しい人の一人。

自分で、この感じを最もうまく表現できたと思ってるのは、5年くらい前に作った「王道軽傷」ってアルバムに入っている「おもちゃはおもちゃ箱へ」と言う曲。

若い頃、自分の将来のことなど考えずに、ただただご主人様の言われるままに、肉体を改造され続けたM女奴隷が、年老いて、ご主人様を亡くしたあと、絶望しつつも、自分の存在価値を問い続けるとかそんな感じのお話し。

思いついたときは、鳥肌が立ったけど、ある程度満足できる形にするまでに1年近くかかり、結局、「王道軽傷」収録の曲の中でも最も難産となったけれども、その分、今聴いても、素晴らしいなと思う。いや、まぢで。

何でこんな話をしたかと言うと、「王道軽傷」以降、まともに曲作りしてなかったけど、今、製作中のアルバム「不良債権」で久々に、曲をたくさん作った。

となると、このオレの思う美しい情景を表現したものも一つは作りたいなと。そう思うわけでございますよ。

タイトルは、今回作った曲の中で一番最初に出来上がった。「五木振男の人生」。

内容も大体は決まってた。

でも、お約束とでも言うか、そこから先がかなり時間がかかった。

その歌詞とメロディー部分、全体の構成が今日出来上がったということなんだよ。ほかの曲は全部、デモまで出来上がったる言うのに。

やっぱりこうなったか。という感じ。

もちろん曲として全然形を成してないので、まだ何とも言えないけれども、歌詞自体は、「おもちゃはおもちゃ箱へ」に匹敵するくらい良いものが出来たと思ってる。

構成もこれまであったようで、無かったようで、やっぱりあったような感じになるだろう。

10分近い大曲になりそうな気がする。(歌部分だけ仮に撮った奴でも5分近くあったし)

「不良債権」収録予定の11曲の中で一番お気に入りになるだろうと、今から期待しているので、ぜひ出来上がった暁には、聴いてもらいたいです。

これはスゴイ自信作が出来たよ。うむうむ。

取り合えず、水着の女の写真でアクセス数でも稼いでおこう。

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2019年4月7日 15:34 CAT :

次の夢を見るための眠り姫

3月の再開後からブログを基本的に、1日1記事書きたいなと思っております。」

とは言え、色々あって、書けない日もあるだろうから、実はこっそり、予約投稿でいくつか記事のストックを貯めている。

それでも、気が付けばもうストックがなくなってしまい、少し無茶して、1日に3つくらい記事書いておこうとか、無駄なあがきをしているんだけど、いったいいつから、こんなに時間が経つのが早くなってしまったのか・・・

これを「ジャネーの法則」と言うらしい。

年を取ると、時間が経つのを早く感じるようになってしまうというあれだ。

この「ジャネーの法則」が物凄い勢いで、今オレに襲い掛かってきている。

10年以上前になるんだけど、その頃には、このブログの記事を1日に2件とか書いてる時期があった。

書くネタは、今でも結構あるにはある。

でも、あの頃と絶対的に違うものがある。

あの頃は、「そろそろブログでも書くか~」と思うタイミングが、1日に2回ほどあったと言う事。

今の1日は、十年前の半日よりも短くなっているらしい。

どうするんだ?これ?

人間はある瞬間から、死に急ぎ始めるのかも知れない。

10年前と今とで比較してみると、家族が出来て、子どもが生まれた。

もし、生物としての最終目標が子孫を残すことであるのなら、子どもと言う形で自分の遺伝子を残せることが分かった瞬間から、生物は死に急ぎ始めるのかもしれない。

セミが1週間しか生きられないというのは、よく聞く話だけれども、セミは、幼虫として数年間生きるんだよね。

セミだって、子孫を残せたら後は死に急ぐんだ。

生きる事のほとんどは、子ども時代なのかもしれない。

ソースないけど、以前何かの論文で、人間における体感時間は、人生を90年としたときに、17歳で半分を終えるとか書いてあるのを見た。

もうオレも人間としての体感時間では、人生の4分の3くらいは終わってるんだろうね。

死に急ぐことはしたくないけれども、どれだけ生き急いだとしても、もう昔のようなペースで何かしらをやる事はできなくなった。

だからこそ。

だからこそ、1日に1件くらいはブログを書きたい。

そんな矜持を持ってもいいじゃあないか。

これは、絶望するような話ではないのだから。

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2019年4月6日 20:39 CAT :

世界ふしぎ発見伝

中二病だった。

中学2年生頃の思春期に見られる、背伸びしがちな言動を自虐する語。転じて、思春期にありがちな自己愛に満ちた空想や嗜好などを揶揄したネットスラング。

とウィキペディアにはある。

初めて提唱したのは、伊集院光さんらしい。

オレは誰にも負けない中二病だった。

いや、多分、この世に生きるほとんどの男が自分の中学生くらいの頃に対して、それを思っているだろう。

オレの場合でも、実際の中二病的な行動は枚挙に暇がない。

ちなみに、知らなかったけどウィキによれば、中二病には3つのタイプがあるらしい。

DQN系
反社会的な行動や不良を演じ、格好いいと思い込んでいる。根は真面目であったり、臆病であったりするので本当の不良にはなりきれない。喧嘩や犯罪行為に対する虚言が多い。「DQN」とは「反社会的な人」や「迷惑な不良系」を表すネットスラング。

サブカル系
流行に流されずマイナー路線を好み他人とは違う特別な存在であろうとする。別にサブカルが好きなわけではなく他人と違う趣味の自分は格好いいと思い満足している。

邪気眼(じゃきがん)系
不思議・超自然的な力に憧れ、自分には物の怪に憑かれたことによる発現すると抑えられない隠された力があると思い込み、そのような「凄い力」がある自分を妄想し、悦に入る。また、そういった設定のキャラクター作りをしている。

オレはどれだろう・・・と考えるんだけど、何と言うか、どれにも当てはまらない。

サブカルについては、皆がジャンプ読んで嬉々としていた時にアフタヌーン読んで「無限の住人最高!」ってなってたけど、元々サブカルなものばかりを愛でていて、中二病ではなくて、真正だったと思う。今でも、サブカル界隈が大好きだし。サブカルと言うよりはアングラに近いけど。

超自然的な力にあこがれてわけでもないし、反社会的な事は怖くてできなかった。

でも、圧倒的に中二病だったと思う。

オレの場合、多分「超自己愛系」だったと思うんだ。

中二病の基本的な部分はもちろん網羅してた。

読む本は江戸川乱歩とか寺山修司だったし、聴く音楽はヴィジュアル系だった。洋楽に走らなかったのがせめてもの救いかも知れない。

ちゃんと政府批判もしたし、自虐史観のお陰で日本人は滅び去るべき民族だと思っていた。

何となく、自分の中にいくつかの人格があるような気だってしていた。

カッコいい横文字の名前をこよなく愛していた。特に、聖書に出てくる「ゴルゴダの丘」とか「ロンギヌスの槍」とかそんな言葉を愛用していた。

そのうえで、自己愛が尋常じゃなく強かった。

自分で作る作品こそこの世で最も至高なものだと信じて疑わなかったし、自分で書いた漫画の最後のページに、自分でライナーノーツを書いてた。もちろんサインも開発した。

作品の中では、王道なものを否定して、アングラなものをひたすら書き続けた。

そのままの流れで、自分の作った物語を人前で披露するために、演劇と言う形をとったり、バンドを結成したり、小説を書いたりし続けた。

ピアノは元から習っていたので弾けたけど、それ以外にも、ギターとかベースとか弾けるように頑張ったり、劇団を主宰しようとしたり、書いた小説とか漫画を色んな出版社にもっていったり・・・

自分の作るものが最高であり、自分の考えこそ、この世の何よりも優れていると信じて疑わなかった。

オレを否定する人間は、理解力に乏しい程度の低い人間だと見下していた。

そして、質が悪いのは、オレの考え方に否定的な奴に対しては、とことん理詰めで追い詰めた。泣き始めるか、オレに賛同するまで許さなかった。

一緒に運動会の委員会になった奴と礼の仕方でもめた時にそいつが泣くまで追い詰めたこともあった。

クラスのスローガンを「きなこもち」にするために、クラス全員が黙るまで全ての意見を叩き潰していったこともあった。

その結果、お友達らしい人はほとんどいなかった。

でも、それさえも、オレの圧倒的な才能に低能なクラスのやつらは誰一人ついてこれないと思っていた。

質が悪いのは、今でも、この感じのまま大人になってしまってることなんだけども。。。それはまた別の話なので置いておくとして・・・

ふと思ったのは、こんな典型的な中二病のオレの記憶は、本当のものなのかと言う事。

自分で勝手にねつ造してねえのか?これ。

例えば、99%の男が自分の中二病的黒歴史を持ってると思ってる。

でも、オレの記憶みたいに、クラスの全員を見下してて、その反動で友達がいなかったような奴、クラスにいても1人か2人だったよな。

それ以外のやつは、普通に生活してて、友達もいて、人気のドラマとか見て、流行りの歌聴いてなかったっけ?

と。

中二病と言うのは、自分自身の学生時代があまりにもさえなかった奴が、かつてそうあった事を恥ずかしがりつつ語る負の武勇伝的ねつ造ではなかったのだろうか。

そう思えてならない。

特に、30超えて、オレみたいに、昔はめっちゃ痛い中二病だったんだよ。というやつ。

もっとひどいのは、30とか40歳になって中二病みたいにふるまってるやつか。

だとしたら、疑問が一つだけある。

なんでオレは、同窓会とかに呼ばれないんだろうね。

なんでオレの中学・高校時代を知ってるやつは皆、オレの事をなかったかのようにふるまうんだろうね。

世の中には不思議なことがいっぱいある。

こういう写真(↑)撮りたがる奴を特に「中身のない右に倣えの能無し野郎」と思っていました。

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2019年4月5日 23:41 CAT :

people ≠ sit(人類は座らなければならない)

お仕事柄と言うか、何と言うか、自分の出来る出来ないだけで判断できないものが結構多々ある。

そんな時は、ひたすら勉強勉強で、その結果、何とかなってる感じ。

その繰り返しをやっているうちに、出来るわけないと思ってたことも、普通に出来るようになって依頼を受けても「あのパターンね。はいはい」になる。

そうやって気が付けば、結構レベルアップしてたりする。

そして、それに気が付いたとき、ちょっと嬉しくなる。

んだけども、申し訳ないのは、最初の頃、勉強しながらこなしていた時に依頼をもらったクライアントさんに対して。

もう何と言うか、無料で全部ちゃんとやり直してあげたいとか思ってしまう。

でも、そんな事出来るはずもなく、常にモヤモヤしてるんだよね。

人生とは、常にお勉強だと思ってる。

ずっと足踏みとかで、何が楽しんんだ。

常に出来ることが増えていく。そんなのが楽しいんじゃないか。

気が付けば、色んなことが出来るようになったと思う。我ながら。

学生時代。とにかく勉強が嫌いだった。

何とかして勉強をしないで済む方法ばかりを考えていた。

ただ、思い返してみれば、その頃でも自分の興味のあることに関しては、狂ったように勉強してたよな。

と言う事で、そういうやつは「勉強」じゃなくて「学習」なんだということにした。

強いられてやるものには興味がないけど、自分から学んでいくことは好きなんだと思う。

訂正。

人生は常に学習なんだと思ってる。

学ぶこと。何かができるようになる事の楽しさについては、子どもの頃から変わってない。

そして、今、子どもたちがどんどん色んな事が出来るようになっていってる事に日々楽しんでいるのを見て、大人になってもその気持ちは持ち続けろよ~オレみたいにな!と思ってる。

大切なことは、そんな程度の充実感なんだよ。

病んでいる場合はないのです。

多分な。

そして知っている。

本当に病んでるやつは、「気分が沈んできた」とか「病んでる」とか自分では言わないことを。

そういうことを自分で言ってるやつはただの「かまってちゃん」か「中二病」だということを。

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2019年4月4日 10:21 CAT :

「君死に給うことなかれ」の逆の言葉は「お前さっさと逝っちまえ」

先日、健康診断に行ってきた。

考えてみれば、退職してから、がん検診に一度行っただけで、全く行ってなかったんだよね。

先日、お世話になってる社長さんからも「体が資本なんだから、ちゃんとメンテナンスしないと」と言われたりもして、健康診断受けることにした。

ちょうど、嫁がチョッと体調崩してて、色々不安になったりすることが重なったこともあって、2人で受けてきた。

数年ぶりなので、チョッとドキドキはしてたけど、嫁ともども、多分異常なし。

血液検査とか、後日分かる奴もあるけれども、取りあえず、「これやばいやつ!」ってのはなかったと言う事だと思う。

考えてみれば、車には、結構なメンテナンス費用を払ってるのに、それに乗ってるオレ自身のメンテナンスはしないというもの変な話だと思いなおした次第でございます。

しかし、4月は相変わらずお金がうんこみたいに飛んでいく。

1年かけて貯めたお金が3月4月でボコボコ減っていって、残った雀の涙が昨年一年の貯金と言う感じ。

去年は、引っ越しで100万ほど吹き飛んだので、大幅な赤字だったけど、今年は、多少貯金できるか。いや、出来ると信じたい。

問題なのは、これから仕事を更に増やして収入を増やすべきか、今くらいの仕事量で、のんびり生きていくかと言う事か。

家族とか、遊びとかを犠牲にして、仕事にまい進するという選択肢はあまり求めていないので、それはそれとして、悩ましい所ではあるんだよね。

先日、人生の動画見てたら卓球が「休業中は、万引きや恐喝などのインディーズ活動に頑張ります」って言ってた。

取り合えず、電気グルーヴの人って、そういう人だということを忘れないでほしい。

そのうえで、この顔。メッチャ面白いと思うんだけど、それは不謹慎なのか?

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2019年4月2日 23:13 CAT :

プリンセス駄馬

前作「公共事業」を作ってから、3年ぶり!だと思ったら、以外にも2年ぶりだったけれども、「ヤンディール制作(所)」の新しい音源「不良債権」の制作を始めた。

正確には、今年の初めころに曲を書き始めて、全部の曲作りが終って、最初のレコーディングをやってきたという感じ。

取り合えず、ドラム部分と、上に載せる基本的な部分は出来上がったので、後は、ここから時間をかけて、ギターベースの編曲作業とボーカル部分のアイデア出し、小ネタ作りをやりつつ、練習して、煮詰めていく。

で、最終レコーディングを何日かかけてやった後は、ミックスとマスタリングして完成か。

今回はオレの作った曲もいくつかあって、多分「小児麻痺と青空の世界」位のボリュームの曲「五木振男の人生」とか、「people ⇔ sit」の続編になるだろう「異端者の讃美歌」とかお気に入りの感じになると思う。

弟が作った方の曲も今回はたんまりあるので、悪い意味でまとまりなくバラエティーに富んだ感じになるのではないかと。

前作は、ほぼ100%イニシアティブを弟に丸投げしてたので、全体的なまとまりは結構あったしね。

今回は、前作の感じにオレの異分子が入ってしまって、ごった煮になったんだと思う。

デモテ聴いてる段階で、ニヤニヤしそうな感じ。

まぁ、それはそれとしても、良いのが出来ると信じてやるのが何より大切なので。

ついでに言うと、ホントに不良債権のように妄想とイメージばかりが膨らんで、結局きれいに回収しきれないような感じがしないでもない。

今までを鑑みても、カントリー調の曲を作ろうとして「タンタン」が出来てしまったり、ゴリゴリのメタル作ろうとして「【無修正】【流出】JK秘密のアソコ」が出来てしまったりするので、思った通りになんて出来た試しなんてない。

人生全て不良債権なんだよな。

何しか、完成を楽しみにしております。

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2019年3月30日 11:03 CAT :

the end of century

机周りを無線化したくてしょうがない症候群に取り囲まれております。

ので、基本的に、全て無線化している。

キーボードやマウスはもちろん、ヘッドホンやゲームパットすら無線化してる。

タブレットももちろん無線化してたんだけど、wacomの無線キット…2年も経たずに2個もぶっ壊れてくれた。

どっちも購入して1年も経ってないのに。

んで、カスタマーセンターに連絡してみたんだけど、無料修理はできるっぽいけど、色々手続き含めてめんどくさい。

結局、ここだけ有線で使用してるけど、ここにイライラしております。

新しくbluetoothで接続できるタブレットが出たらしいので、そっちに乗り換えるか、bluetoothが出たせいで価格暴落してる無線キットも再度買ってみるか。

悩むところではある。

仕事柄、タブレットは絶対必要だし。

こいつには手を出すな!

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2019年3月29日 23:00 CAT :

ありこさんの逆襲黙示録

以前の職場にいた人の年齢をひょんなことから知ることになった。

別にそれはどうでも良いんだけど、オレはその人の事をかなり年上のおばちゃんだと思ってた。

「へ~まだ定年退職してなかっただ~」くらいに見た年齢は、なんとオレの5つ上・・・

一緒に働いてた時に、50代だと思ってたのに、ほぼ同年代だった。

同年代の人いっぱいいたけど、オレはその中で、頭一つ(というか一回り)年上の人だとずっと思ってたし、そのつもりで接してたんだけど、非常に申し訳ないことをしていたわけでございます。

にしても、まさか、ほぼ同年代だったとは・・・

オレも結構老け顔で、実年齢より上に見られることが多い(最近は、年齢と顔面が同じくらいになってきたけれども)けど、それにしても、これはさすがにあり得ないよな。

願わくば、オレが知った年齢の方が間違いであって欲しい限りでございます。

さてさて。

チョッと面白い話を聞いた。

蟻さんって、前にいる蟻さんのフェロモンをたどって歩いていく修正があるので、列から外れることはほぼないらしい。

ニオイとかで餌に向かっているわけではないので、列の少し横に砂糖とかをおいても、その砂糖には見向きもしない。

でも、蟻さんの中に、どうしても列を組んで歩くことのできない、人間でいう所の発達障害的なやつがいて、そいつが、列を外れてフラフラと歩いていくことで、列から外れた砂糖を発見することができる。

そして、そのキチガイ蟻さんのフェロモンをたどって、ちゃんと列を作ることができる蟻さんが砂糖の場所に向かい始めるんだって。

要するに、もし蟻さんの中に発達障害がいなければ、蟻さんは新しい餌を発見することが出来ず、その集団は死に絶えてしまう。と。

働き蟻の法則の法則と言うものがある。

一つの集団があると、そのうちの2割は必ず怠けものになる。そして、よく働く8割の蟻だけに区切るとまた、その中の2割は必ず怠けものになるというもの。

蟻を1個体ずつで見るから、そうなるわけであって、蟻を集団で1個体と考えた時には、常に全力を出すわけではなく、何かあったときのために余力を残して置けるという風に考えられるらしい。

時代が時代なら、確実に発達障害の烙印を押されていただろうし、基本的に怠け者のオレにとっては、なんと勇気の出るお話でしょうか。

オレは、社会を発展させるために発達障害になり、人間と言う種を1個体として見た時に、大切な余力となるために今を怠けているのだ。

そこから発展させて、日本が本当に危機的な状況になったとき、立ち上がるのは、もしかしたら、40代・50代になっても親を泣かせながら引きこもってる全国1億人の引きこもりなのかもしれない。

そんなお話を書こうと思った。

今度のアルバム用に歌詞にしようと思ったけども、もう十分曲数はあるっぽいので、次回作に回すことにして、ストックしておきます。

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2019年3月28日 23:50 CAT :

蝉の声を聞く度に 目に浮かぶ九十九里浜

人はいつか死ぬ。

というありきたりな話。

メメントモリと言うやつ。

最近、凄く思うようになったのは「重要なことは順番だ」と言う事。

日本では(というか世界的にか?)、親よりも子どもが先に死ぬことを親不孝としてとらえる節があって、親より先に死んだ子どもは賽の河原で石を積み続けることになる。

子どもが親より先に死ぬなんてダメだ。と。子どもが出来てからは、物凄く強く思うようになった。

タイムリープが出来るとして、やりたいと思うか。という問いについても、もしオレがここまで生きてきたうちの何かの選択肢を変えることで、子どもたちがいなくなるなら、考えられない。

大好きなクレヨンしんちゃんの映画「戦国大合戦」の中で(だったと思う)ひろしが「しんのすけのいない世界に未練なんかあるか?」と聞き、みさえが即答で「ない!」と答えるシーンがある。

今なら、その感覚が凄く分かる。

オレだって、そんな気分だ。

なので、オレ自身もできる限り両親が死に絶えるまでは頑張って生きていようと思っております。

ここまでは良い。

問題なのは、オレと嫁のどっちが先死ぬかと言う事。

もちろん、自殺とかするのでなければどっちが先に逝ってしまうかなんて分かりはしない。

それでも、結婚前からオレはズッと嫁に「一日でも良いからオレよりは長生きしろ」と言い続けてる。

それが物凄く自分本位な話なのは十二分に良く分かってるけど、それでも、オレはやっぱり先に「一日でも良いからオレよりは長生きしろ」と言うと思うんだ。

何と言うか、自分が不治の病になってしまって、余命宣告を受けることと、嫁が余命宣告を受けるのでは、自分の方がよっぽど良い。

あいつには、いつまでも元気でいて欲しいんだよ。

これは、オレが弱ったときに嫁に面倒を見て欲しいとか、そういう話じゃない。

一人では、生きられないんだよ。オレわ。多分。

オレの人生は、嫁と出会ってから、ホントに180度変わった。

あいつがいなくなると、また、それ以前に近い生活になるのだろうか。

いなくなった生活なんて考えられない。

それが、自分が死ぬこと以上の恐怖になってしまっている。

二人で長生きして、子どもたちもちゃんと巣立って行ったあと、二人でふへ~っとした老後を過ごすことが出来れば、それ以上の理想的な人生もないだろう。

それでも、あいつには1日でも良いので、オレより長生きしてほしいな。

二人して、いい年になってきたので、ちゃんと健康診断受けることにしました。

子どものためと言う事も含めて、二人とも元気でいないといけないんだよ。多分な。

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2019年3月26日 22:25 CAT :

チョコレート チョコレート チョ!チョ!チョ!いいかな?

「物質至上主義」の対極と言えば「霊的至上主義」だった。

ほんの数年前までは。

でも今では、「霊的至上主義」ではなく「データ至上主義」が対極になってきたような気がしてならない。

精神的なものは取り合えず置いておいて、所有すべきものが「物質」か「データ」かという、全く別次元に議論。

果たしてそれで良いのか。

という話ではなく、この2極の話になると、オレは完全に「物質至上主義」だと思う。

データにお金を払うようになって久しいけれども、オレ個人としては、どうしてもデータにお金を払う事に対して抵抗がある。

だから、電子書籍も買わないし、音楽もデータでは買わない。

この段階ですでに、時代から取り残されているおっさんなのかもしれないけれども、それでも、やっぱり物として置いておきたい。

人生における財産とはそもそも何なのかと言う事になるのかもしれないけれども、結局のところ、それは物でしかない。・・・と思う。

学生自分には考古学を勉強しておりました。

例えば、数千年前の土器とかを発掘した時、その土器に当時の人がつけた手の跡が残ってたりするんだよ。

それに自分の手を合わせてみた時の何とも言えないあの感動だ。

それは、物質であるからこそ味わえる感動だと思うんだよね。

最近、好きなバンドさんのライブとかによく行くようになったけど、そのライブ自体の楽しかった経験を物販で物を買って、それにサインをしてもらう事で、より確実に自分の生活の中にとどめようとするこの行為もある意味、物質至上主義の新しい解釈じゃあないだろうか。

メッチャライブ楽しかった~このバンド好きになったから曲ダウンロードしよ。って、どうしてもなれないんだよな。

電気グルーヴの作品群。CDは店頭から撤去され、データ配信は停止された。

でも、すでに購入してたCDはオレの手元にあるんだよ。まだ。

データで持つと言う事と、物で持つと言う事の大きな違いはココじゃあないだろうか。

データでもつ以上、そのデータを管理している誰かに依存する必要があり、その誰かの意思が最優先される。自分がどんなことを思っていたとしても。

でも、物として、自分の所有物にしてしまえば、ほぼ100%自分の意思だけで、その物を好きにすることができる。

もちろん法に触れるようなことはしないけど。

そう考えた時、改めて、物で持つと言う事の大切さを認識できた気がする。

データで持つ方がメリットがでかいというけど、それは果たして本当にメリットなのかを冷静に考えるべき時が来ていると思うんだよね。

宝物のモケーレムベンベのサイン付きCDは、データでは手に入らないんだよ。ワトソン君。

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2019年3月25日 23:52 CAT :

ザス・サイ・サッと言う挨拶

昨年の12月ごろ、シミュレーション仮説と言う話を色々知って、生きていくことに絶望した時期があった。

シミュレーション仮説については、また、後日、ツラツラと書こうと思ってるんだけど、その時ふと思い立って、手品をお勉強しようと思った。

「未来含めて、その全てがもう決定事項であるなら、その決定事項から外れることをしてやりたい」と、その思考すらも「決定事項ではないのか」と言う恐怖にとらわれながら、トランプを手に取った。

そして、ちょっとずつ色んなトランプマジックをお勉強し始めました。

今の時代、ネットでいくらでもマジックのタネって転がってる。なんだったら、解説の動画までいくらでもある。

ただ、やり始めて分かった事は、トランプマジックって、タネではなくて、テクニックと閃きだったと言う事。

練習しないとできないものばっかり。

タネ知ってから、プロマジシャンの技を見ると、やり方は分かってたとしても、到底出来るはずもない凄さしか感じないんだよね。

だからこそ、色々練習するのも楽しいんだけど。

そんなこんなで、ちょこっとだけ、トランプマジックもできるようになってきた。

まぁ、人前で見せてどうこうというか、一人で楽しんでるだけなんだけども。

これについては、いつか人前でやりたいな。的な欲求もほとんどない。

ただ、一つの知識として、覚えておきたいレベルではあるんだけど、日々楽しんでおります。

トランプマジックで大切なことは、指先の感覚で、アトピー持ちで指紋すらほぼ死にかけてるオレの手では、細かいカード裁きなど出来るはずもなかったという先天的な理由もあり、ある程度楽しむ所までしかできないんだろうな。と。

実際、カードマジックのタネなんて、2~3個しかなくて、後は発想と応用で出来てるような嫌いすらあるんだよね。

テクニックが全てと言うただただ練習あるのみの世界らしい。

練習嫌いなオレには、そもそも向いてないって話だった。

どうでも良いけど、テレビで見た「ふじいあきら」さんのテクニックはシャレにならなかった。

どうやってるかは、全部わかってた上で見ると、そのすごさが際立ってた。

どの世界でも圧倒的なプロの技を見るとすごく楽しいです。はい。

世界中のマジシャンさんが使ってるバイシクルと言う有名なトランプ。

これ買って色々やってみて分かったんだけど、確かに、使いやすかった。

そして、このトランプがプラスチックじゃなくて、紙だったことにもチョッと衝撃を受けた。

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2019年3月24日 17:03 CAT :

ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ

作品に罪はないとか、罪があるとかその議論を最近よく聞くけれども、罪ってなんだろう?

ワイドナショーで、ダウンタウンのまっちゃんが「監督としては、ドーピングして作った作品だから、公開してほしくない」と言ってた。その意味で、作品に罪はあるらしい。

確かに一理ある。監督としての立場なら、それはすごく納得がいく話。

ただ、今回の電気の話には当てはまらないような気がする。

卓球が、「瀧だけラリっていい曲作るとかドーピングじゃねえか!もう『富士山』は永久に封印してやる!」っていうなら、理解できる。

でも、周囲が言う事じゃねえだろ。

一つだけ言いたい。オレは、ピエール瀧が薬とかをやらずに作ってたから、電気の曲を聴いてたわけじゃあないんだ。

オレは「高いぞ高いぞ富士山!」がラリって出来てしまった奇跡的な名曲だったとしても、それが理由で嫌いにはなれない。

そもそも、チョッと前まで、皆、演技が凄いとか、発想が凄いとか、持ち上げてたじゃねえか。

理論をもう少し飛躍させる。

例えば、キチガイカップルがキメセクで中出しやりまくって子どもが出来たとする。

その子どもを作る過程がドーピングだったから、生まれてくるその子どもにも罪はあって、そんな子どもは世間から隔離して、目に触れないようにしないといけないんだろうか。

そして、その子どもが凄い才能を持っていて、凄い作品とかを世の中に発表しまくったとしても、両親がラリってて出来た子どもが作ったものだから、目に触れないようにしないといけないんだろうか。

アーティストさんが製作したものは、そのアーティストさんが、生み出した子どもみたいなものじゃないか。

その意味で、オレは作品には罪はないと思う。

そして、その作品が素晴らしければ、それは称賛しても良いと思う。

取り合えず、50年くらい前から、「ビートルズ」の「リボルバー」は、LSDやりながらイメージ膨らませて作った作品だから、世間から隔離しろ!!って、抗議してる人がいれば、その人だけは、今回の騒動について、拒否しても良いんじゃないかな。

結局は、イメージなんですよ。

罪とかなんとか、そんな話じゃないんだよ。

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2019年3月23日 22:33 CAT :

夢でキスキスキス アナルにキス

ヤンディール制作(所)の新しい音源「不良債権」というタイトルにしよう。と言う事だけは、決めてから一年が経ってしまった。

今回は久々に、オレも曲いっぱい書くぞぉ~とか、気合入れてみたり、今回の作品から、録音方法を変えようとか、打ち込みドラムをやめようとか、色々原点回帰を考えてたんだけれども、結局のところ忙しく全く作業が出来ないまま平成が終ろうとしている。

とは言え、一応、今回の収録曲10曲くらいはほぼ出来上がっている。

今から、この曲のデモテを作って、本格的な編曲作業をして、練習して、レコーディングして、ミックスしたら完成だ。

うまくいけば、あと1年もあればいけるだろう。

考えてみれば、時間がかかるようになったよな。

昔、「陰の上のぼーにょ」と言う作品を作ったときには、「ビートルズも1日でレコーディングを終わらしたんだ」と言う謎の理由から、2日で14曲をゼロから全てレコーディングするという暴挙に出たこともある。

結局、チョッと後からテイク追加したけど、ほぼ2日で作り上げたんだから、あの頃は勢いはあったと思う。

もちろん、一発撮りなので、色々あらはあるけれども、それでも、収録曲の「蛇女外道節」とか「遊星屠殺ワンダー」とか「さよならとだけつぶやいて~」とかは、今でもかなりお気に入りの曲だったりする。

それを考えれば、1曲1曲をじっくり作りこんで、時間をかけてレコーディングした前作の「公共事業」は、「ぼーにょ」より良いものになったのかと言われれば、そうでもないような気がしてる。残念ながらも。

いやね。作ってるときは、毎回、最高傑作だと思って作ってるんだよ。

でも、しばらく時間をおいて聴き比べてみると、前に作った奴の方が良いように感じてしまう。

今のところ、一番気に入ってるのは、「ぬるま湯ガリクソン」で、バランスよく出来てるのは「王道軽傷」なんだよな。

と言う事で、これから本格的に製作していくだろう「不良債権」。目標は、前作の「公共事業」超え。と言う事で頑張ります。

久々にいっぱい曲書き下ろしたけど、結構お気に入りの曲も多いんだけどな。

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2019年3月22日 23:06 CAT :

がむしゃらにまんこ心中

一昨日くらいから娘がお風呂洗いをしてくれている。

なんか、そういうお手伝いをしてくれる年齢になったことに、感慨深いものを感じております。

掃除には毎回小一時間ほど時間をかけていて、実際お風呂入ってみたら、まぁ、浴槽スベスベなんで、かなり頑張って掃除してくれているみたい。掃除終わったら、いつも服がびしょびしょ。「今日も頑張ったよ」と裸になって言いに来る娘の可愛さは尋常ではない。

もう一つ尋常ではない事。

今日わかったんだけど、娘がお風呂洗いをしてくれ出した一昨日に新しく買ったお風呂洗剤を今日使い切ったらしい。

さすがに使いすぎじゃね?

さてさて。

今の家に引っ越してきて、早一年が経とうとしている。

引っ越した当初は、色々不満もあったんだけど、今となっては結構快適な生活が出来ていると思う。

家族4人で5LDKの一戸建てに住んでるんだから、その時点で、もう文句などあるはずないだろうが。と、東京の物件情報を眺めながら思う日々は終わりを告げたという訳でございます。

家の問題。

オレも結構リアルにどうするか悩ましいお年頃になってきた。

実際、周りの人たちもその問題に向き合っている感じがヒシヒシと伝わってくるんだよね。

オレの場合、この家に引っ越してくる時、実は、実家に戻って親と同居するという案もあったりした。

実家には、将来オレが住むための家がすでにあり、オレが帰るのなら、その家をリフォームして貰える的な話にもなってるとかなってないとか・・・

その件について、引っ越しの時に、両親とも色々話をした。

結局、今回は諸般の事情で同居しないことになったけど、言っても長男なので、いずれ帰ってきて、家を継ぐつもりでいることなどを含め、(ほぼ初めてだと思うけど)親父と色々話をしたんだよ。

タイミングの問題もあるし、それ以外にも色々と問題があって、なかなか簡単に行かないもんだと言う事が身に染みて分かった。

両親の意向としては、子どもの世話になるつもりはない。帰ってきてくれるならもちろん歓迎するけど、無理に同居してほしいとは思ってない。という感じ。要するに、何でも好きにやってよし。困ったことがあれば、いつでも相談しろ。と言う事らしい。

何と言うか、この歳になっても親には頭が上がない。

お陰で本当に、心の底から好き勝手やらせてもらってるわ。まぢで。

とは言え、周りの皆が苦労してると言うのも良く分かった。

両親の意向と、オレ(というか、オレと嫁)の意向だけで全てがホイホイ収まるわけじゃあないのね。。。と。

この問題は、もう少し、悩ましい感じなるんだろうと思ってる。

出来れば、家族間でのゴタゴタにならないでいてくれると幸いなんだけれども。

この問題は、オレの方の家族だけで決められることでもないニオイがプンプンしてるし。

嫁とも色々話をしてるけど、またその内、両親とも色々話していかないといけない。

まぁ何しか、そういうことを気軽に話し合えてるので、関係的にはやり易い部類なんだろうと信じております。

この話も良い方に転がってくれたらいいんだけどなぁ~

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2019年3月21日 21:55 CAT :

陽炎立ち消え丸裸

ここ数年絶賛クソはまり中「スキッツォイドマン」というバンドがありまして・・・

昨年、ドラムを担当してた毒蜘蛛ノ助と言うおっちゃんが脱退して、紅蠍ちゃんと言う若いお姉ちゃんが新しく加入した。

今のスキッツォイドマンも大好きなんだけど、何となく、以前の変人おっさん3人のころの方が好きだったように思う。

インディーズバンドなので、ライブに行けば、物販で本人とお話しできたりももちろんする訳で、オレは、近くでやる毒蜘蛛ノ助くん最後のライブを見に行った時、「なんで辞めちゃうのか?」と言う話を聞いてみたりした。

そしたら、「ライブで、地方に行く生活につかれた」と。(これが、どこまで本心かは分からないけれども)

バンドだけでは食べていけてないだろう状況で、ライブのためにバイトのシフトとかも自由にならない生活に嫌気がさしたとか、そんな感じに過大解釈して、無念だけどしょうがないと、納得させたのを記憶している。

もう一つ。

結構好きなバンドに「レッドアース」というバンドがあった。そのバンドは、今年の1月にメインの寺澤ちゃん以外全員脱退と言う、アヤビエ級の事件が起きた。(とはいえ、アヤビエとは違い、メンバー同士の仲違いでの脱退とかではないと信じてるけど)

そのレッドアースは、寺澤ちゃんが新メンバーを集めて、2月に新生レッドアースとして活動を再開した。

ここまでは、何も問題ない。なんか、良かったなぁ~とか、応援してるから頑張れ!!とかそんな気分。前のレッドアースのノリが大好きだったけど、新生レッドアースもきっと良いバンドになるはず!

問題は、そのレッドアースのドラムが毒蜘蛛ノ助くんだと言う事なんだよ。

別にいいんだよ。そんなことをオレがとやかく言う必要はないんだよ。

でも、何となくチョッとモヤモヤが残ってるような気がしてならない。

4月にレッドアースのライブが近くであるらしい。

でも、そのライブに行く気には今はなれないんだよな・・・

ファン心理って何となく不思議な感じ。

最近気が付いた。

バンドとかを好きになる時、最初は絶対そのバンドの音が好きになってはまっていくんだけど、いつの間にか、メンバーの事が好きになって、そのメンバーのやる音楽だから、そのバンドは最高だ!と思うようになってる。

どんなに、音楽がよくても、メンバーに魅力がないと、そのバンドをずっと好きではいられない。

筋肉少女帯のファンになって、もう20年近くなろうとしている。

オレは、オーケンも、うっちーも、おいちゃんも、ふーみんも大好きだ、エディも大好き。何だったら、太田明も大好きだし、横関さんも、ベラさんも、みのすけも、秦野さんもみんなめっちゃ大好き。

新しいアルバムを聴く時だって、誰の作曲なのかとかを含めて、1曲1曲を楽しんでる。

「あぁ~ふーみんらしい曲だなぁ~」とか、「今回もうっちーは変態な曲ばっかりだな」とか・・・

犬神サアカス團でも、苺楽団でも、八十八ヵ所巡礼でも、ついでに、電気グルーヴでもそうだ。

そんな感じになっちゃってるから、この件について、何となくモヤモヤするんだろうね。

そのモヤモヤについて、具体的には突き詰めない。

しばらくこのモヤモヤを抱えたままにしておく。

そのうち、答えも出るだろうて。

このDVDも持ってるし、結構見倒してるです。

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2019年3月20日 16:25 CAT :

少年、グリグリメガネを拾うをさぞ声高に

ピエール瀧の逮捕について。

あの人は、「どう見てもラリってるけど、薬やってる訳じゃあないただのキチガイ」と言う所がウリだったわけで、それが「どう見てもラリってるけど、見ての通り薬をやってた普通の良い人」になっただけの事だと思うんだ。

薬は犯罪。犯罪はダメだ。

でも、今回の事は、オレにとって、ピエール瀧がどうこうなるような話じゃあない。

それだったら、オーケンがエッセイで「ドラッグ体験」を赤裸々に書いてた時に、筋肉少女帯のCD(特に月光蟲)を叩き割ってたっての。

そして、世の中の作品に対する自粛も気に入らない。

店頭からCDとかも回収になった影響で、オレが1月に3000円で買った電気グルーヴのアルバム「30」が今、2万円近くまで高騰しているらしい。いや、売らないけどね。

ホント下らない。

何が下らないって、この自粛騒ぎ自体が、企業側の世間に対するご機嫌取り以外の何物でもないということ。

ホントに、ドラッグを許さない。ドラッグを社会から撲滅しようとか言うなら、薬で捕まった人のすべての作品を自粛してみろよ。

そうなったら、ビートルズはじめ、有名な洋楽関係は全て日本では聞けなくなる。

「世界に一つだけの花」も残念ながら無かったことにされる。(まぁ、この曲は別の事情でなかったことになってるけれども)

映画とか、ドラマでも二度と見れなくなるものがかなりあるだろうな。

でも、実際にそうならない。

いや、なってほしくもないけれども。

だから、ホント下らないんだよ。

結局、社会のほとんどが、ドラッグ使用を悪いと思ってるんじゃなくて、「犯罪者を起用するな!!」と言う一部のクレーマーに気を使ってるだけで、そいつらが、別のネタを見つけたら、無かったことにして終わりになる。

だったら、最初からそんなもの止めちまえばいいのに。

取り合えず、ピエール瀧が早く戻ってくることをお待ちしております。

40周年のアルバムで、前髪垂らした知らない奴が再び出てくることを。。。

または、「少年、グリグリメガネを拾う」をカバーする日を。

いや、犯罪を助長してるわけじゃないんだよ。

ただね、ピエール瀧に求めたものは、犯罪に手を染めないクリーンなイメージじゃないんだよ。

それは、ベッキーだ。

パブリックイメージを壊したから、芸能界から抹殺するという方がすっきりすると思う。

逆に、世のお偉いさん方に、ピエール瀧をどんな人のつもりで起用していたのか聞いてみたいだけなんだ。

でも、犯罪はダメですよ。

しかし、同じドラッグ系の犯罪者で、且つDVで有名な内田裕也の歌はあんなにテレビで流してるというのも凄い話だよね。

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2019年3月19日 22:02 CAT :

二十一世紀狂闘旗手

半年ぶりにお久しぶりです。

お久しぶりすぎて、お久しブリーフです。

このブログはwordpressで作ってるんだけど、この半年の間に、ver5がリリースされてて、アップデートしたら、まぁ、記事書くエディターが使いにくいんでやんの。

で、早速、クラシックエディターを入れて、元に戻して、あと、プラグインの更新とか色々やっておりました。

うむ。これ、12月くらいから、色んなクライアントさんに言われて対応してた内容だ。

そういえば、そろそろ、自分のHPもあった方が良いような気がしている今日この頃。いや、沼レコじゃなくて、お仕事の方のね。

そんな感じでございます。

さてさて。

久しぶりすぎて、何の話からすれば良いのか分からないくらいには、色々とあったんだ。

それでも、まだ生きてる。

お仕事もある意味順調で、昨年もちゃんと右肩上がりの業績と相成りました。

今年は、その昨年より良い感じの売り上げになってる。これについては、ひたすらにありがたいことで、ただただ感謝するばっかり。

とは言え、昨年の12月から今年の1月付近では、環境の変化があって、気分的に滅入ってたり、逃亡したい毎日を何とか我慢して、PCの前に無理やり座ってたり結構大変な時期もあった。

今は、そんなこともなく、何となくペースをつかめてきて、チョッとだけ安定した毎日になりつつあったり、そうでもなかったり・・・

人生とは、こんなにも山あり谷ありなのか。

でも、人生グラフと言うものがあるのであれば、それを少し遠くから眺めれば、緩やかに上がっていってるとは思ってる。

ここ最近の一番谷だった時と、小学校とか中学校自分の一番山だった時を比べると、最近の谷の方がまだ遥かにマシなきがする。

自分でいうのもなんだけど、今、死ぬなら「いい人生だった」と思えるかもしれない。

もしタイムリープできるとしても、過去に戻りたいとも思わない。

そのくらいには、充実した日々を過ごしております。

目標は死んだときに、「いい人生だった」と思えることになってきた。

じゃあ、今すぐ死んでも良いかと言うと、そういう訳にもいかなくなったけども。

曲りなりにも自分の家庭を持ってしまい、それ以外にも、いろんな所で責任が出来てしまったんだ。

それを含めて「もう消えてしまいたい」とは思わなくなった事もあると言えばある。

何しか、文章力の低下著しく、且つ、リアルに老化を感じてきたので、また、ブログと言う形で、アウトプットしていきたいと思っております。

何度目か分からないこの決意が、いつまで続くことかは分かりはしないけれども、それはそれとして、そう思い直せる機会があると言う事が重要なんだよ。ワトソン君。

誰かが言った。

人生はいつからでもやり直せると。

いつからでもやり直せるけど、いつやり直すかを決める覚悟は必要なんだよ。

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2018年9月9日 3:58 CAT :

まだシン・ゴジラは見ていない

PCを新調してから、何故かAmazonのプライムビデオで、映画だけ見れなくなってた。

しょうがないから、有料会員となった岡田斗司夫ゼミを過去の含めて見倒してたんだけど、やっぱり映画をみたいなぁ~と。

で、色々、原因を調べて、何とかみられるようになったので、また、映画を色々見倒しおりました。

そのせいで、映画熱がまた出てきて、プライムビデオ以外でも買ったり、借りたりして色んな映画を見たので、簡単にその辺のお話でも。。。

 

 

 

【バタリアン】

ホラーコメディの金字塔的作品バタリアン。

何度も見たことがあるんだけれども、一番初めは小学生のころ、金曜ロードショーだったと思う。

その時、あまりにも怖くて、しばらくは雨が降るたびに地面からゾンビが出てくるんじゃあないかと震え上がってた。そんなトラウマ映画・・・だったんだけれども・・・

大きくなってから、かつての恐怖を味わうべく、レンタルしてみた所、メッチャ面白かった。演出のセンスや、セリフ回し、ホラー映画としての怖さに、ゾンビ系映画のパロディーを盛り込んだコメディーとしての可笑しさなどなど・・・

とてつもない名作だった。

でも、オレがかつてトラウマになっていた、日本語吹き替え版はなかったんだよね。

所が、その初回放送時の日本語吹き替えを収録した、HDリマスター版が発売されていることを知り、お買い上げしました。

レンタルで探してもよかったんだけど、この映画は本当に大好きだから、迷いなく購入したよ。

感想としては、この映画の本来の面白さと言う意味では、日本語吹き替えでは面白さは半減すると思う。

半減するんだけれども、懐古主義的な目線で見て、日本語吹き替えは実に心地よかったです。

今後見る時は、腰を入れてみる時は字幕で、BGMとして楽しむときは日本語吹き替えで楽しみます。

HDリマスター版だから、画面もきれいになってたんだけど、B級ホラーとしては、以前の薄暗い画面の方が雰囲気があったかもしれない。・・・難しいものよ。

 

 

 

【寄生獣】・【寄生獣 完結編】

人生を変えた作品は?と問われたら間違いなく真っ先に答えるだろう、もう「好き」とかそんなレベルのものではない敬愛する作品「寄生獣」。

やめてくれと心の底から思っていた実写映画を見てみました。

がちがちの原作信者なので、絶対に後悔することは分かってて見た。

もちろん思う所は多々あるよ。そりゃああるよ。

「なんであのエピソードを削ったんだよ」とか「キャラが変わっちまってるよ」とか「セリフのニュアンスがおかしいよ」とか「そこの間は違うだろう」とか・・・

でも、冷静に考えて、あの完璧に作りこまれた物語を2時間の映画2つに再構築したと考えた時、思ってたより遥かに悪くなかった。

むしろ、田村玲子なんて、深津絵里さんはまり役だと思う。

阿部サダヲミギーも思っているより違和感はなかった。

前編の方はかなり面白かったし、後編も公園でのやり取りなんか、原作をよく再現してて、見入ってしまった。

問題だったのは、後藤との戦闘シーン以降のラストか。

大事なエピソードを悉くカットして、後藤との戦闘シーンをあんなに味気ないものにしておいて、最後のダラダラとした間延びがひどすぎる。見てられなかった。

その前の公園での田村玲子が最高だっただけに・・・

そもそも、なぜ、放射能物質にしたんだろう・・・こんなとこに来て、原発批判とかを無理くり絡めたかったんだろうか・・・

後藤が死ぬほどの放射能汚染物質が不通に転がってるとか、それは無理がありすぎるって。

最後ががっかりするけど、とりあえず、ハリウッドであのまま映画化されていたら、ドラゴンボールになってたと思うので、(どうしても実写映画化する必要があったのであれば)これで良かったとは思いました。はい。

 

 

 

【トリック ラストステージ】

ドラマ版を学生時代見倒したので、想い出補正込みでかなり大好きな作品「trick」。

前作「超能力者バトルロワイヤル」があまりにもあまりな出来だった為、それ以降はテレビスペシャルとかも見てなかった。もちろん、ラストステージも。

あんまり期待しないで見たんだけど、予想通りと言うか、相変わらずの(もはや様式美とでもいうべきなのか・・・)怪しい村の怪しい力を持った奴を中心とした殺人事件が起こった。

しかも、これまでよりも圧倒時に犯人が丸分かりと言う、本当にどうしようもない出来。

・・・だったんだけど、事件が解決してからのラスト30分で、この映画の評価が180度変わった。

青春時代を「trick」とともに過ごした人にとって、このラスト30分は冷静に見れるはずがない。

「月光」が流れ始めたあたりから、涙が止まらなくなる。

これは、多分、DVDレンタルとかで一気見した人にはわからない感覚だと思う。

10年以上をともにしてきた人だけがわかる感覚。

べたべたなんですよ。

でも、最後位べたべたでいいじゃないか。

まさに、10年来のファンのためだけの(それ以外の人を全力で置いてけぼりにした)30分だった。

それでも、この手の映画には珍しい有終の美を飾った作品だったと思います。はい。

ただ、あんまり見てない「trick」を見てない人にとっては、本編もイマイチで、ラスト30分にも大して思い入れもないし、展開はベタベタだし、どうしようもない映画なんだろうな。

 

 

 

【帝一の国】

原作の漫画の方は、かなり大好きな作品。

とは言え、「寄生獣」のような敬愛するわけでもなく、本当にいい意味で力を抜いて読める最近のおっちゃんにはぴったりな濃厚なんだけど、薄くて、ケラケラ笑いながら読める絶妙な作品なんだよ。

内容的に、比較的実写化しやすいとは思うんだよな。

そんな漫画の実写化。

ここ最近見た邦画ではピカイチに面白かった。

古谷兎丸さんの世界観をかなり忠実に再現できてるし、なんか役者さんも良い意味でマンガのキャラクターに寄せてるの。20世紀少年の時みたいな感じに。

そして何より、恐ろしいほど出し惜しみしてなくて、展開が早い。でも抑えるとこはちゃんと抑えてるから、ジェットコースターのような2時間だった。

「寄生獣」が一度解体して、良い所を寄せ集めてふんわり再構築したとすれば、この「帝一の国」は製作側が好きな部分を完全再現する事に全力を費やしている感じ。

原作でオレも一番面白いと思った森園とローランドの会長戦に山場を持ってくるために、それ以外のエピソードはかなりがっつりカットしてる。

その代わり、会長戦に関係するエピソードはほぼ全てを原作のエピソード余すことなく再現。ものすごい量だから、どんどん話が展開していく。

夏休みのサバイバルが丸々カットされているのはちょっと残念だったけど、中途半端に入れるくらいなら、バッサリカットしてしまった方がよかったんだろうね。

それでも、帝一がローランド陣営を去る時の話は十分面白かったし。

なんかもう、何も不満がない。

今まで見た漫画原作の映画で多分一番出来が良かったと思う。まぢで。

きっと、長い漫画を2時間の実写にするときのお手本のような映画だろう。

でも、これはきっと、監督さんが本当に原作を好きじゃないとできない事なんだろうな。

そういえば、カイジの実写化の時も同じことを思ったような。(ただし、2はそうでもなかったけども。)

 

 

 

【BAKUMAN】

「帝一の国」が凄まじく良かったので、気をよくして見てしまったもう一つの漫画原作。

正直な話、申し訳ないけれども、これは酷かった。

どのくらい酷いかと言うと、あまりにもつまんなくて、最後まで見れなかった。

何だろう。

漫画描いてる身としても、21世紀の「G戦場ヘヴンズドア」だと言わん位に、原作は好きなんだけども、これはダメだった。

うまく言えないけど、典型的なダメだった実写映画化と言う感じ。

「帝一の国」については、原作呼んだ人の8割位が一番盛り上がるのは、森園vsローランド氷室だというだろうけど、「BAKUMAN」って、人によって一番盛り上がるところがバラバラなんだと思う。(ちなみに俺は、七峰くんのあたりが一番盛り上がった)

だから、こんな感じにしかできなかったんだろうか。

まぁ、いいや。ごめんなさい。

 

 

 

【WALL・E】

前述の岡田斗司夫ゼミで、岡田斗司夫が「ディズニーが解釈したナウシカ」と語ってたので、興味がわいたので見てみた。

この映画、世界観が凄まじい。

いや、単純なイメージだけでいえば宮崎駿に軍配が上がるんだろうけど、それはそれとして、やっぱりディズニーは見せる力があるわ。

この映画、本編中ほとんどセリフないんだよね。

ウォーリーもイーヴもほとんどセリフをしゃべらない。

なのに、2時間見入ってしまった。

普通に考えると、それってとてつもないことなんだよな。

ナウシカを一切セリフなしで世界観だけ見続けることはできないと思う。それは、宮崎駿と言う天才の頭の中にあるイメージがあまりにも膨大で凄すぎるからで、言葉で捕捉しないとオレみたいな一般人には理解できない。

ナウシカなんて冒頭にモノローグまでついちゃってる。

それに対して、この「WALL・E」は、製作側の想像力が実際どこまで凄いのかは置いておいたとして、それを映像だけで見た時にも、一瞬で理解できるレベルにわかりやすく、そぎ落として提供してくれてるんだよな。

だから、オレどころか、まだ5歳にも見たいない子どもたちも2時間セリフほとんどなしで最後まで見入ってた。

「ファンタジア」の時代から培われてきたディズニーの見せる力は本当にすごい。

と、演出の話ばっかりしてるけど、物語もメッチャ面白かった。

ここ最近、「王様の剣」「アラジン」「ファインディング・ドリー」「ファインディングニモ」「カーズ」「塔の上のラプンツェル」と色々ディズニー映画見たけど、「WALL・E」がダントツで面白かった。

 

 

 

・・・で、最後に「アウトレイジ 最終章」を書きたかったんだけど、もう力尽きたので、また明日か、次回に・・・

おやすみなさい。

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2018年9月7日 1:01 CAT :

コガネムシは金持ちだと歌いながら風車を回す

子どもたちの夏休みが終わり、それに合わせて、オレ自身も何となく、いつもの日常が戻ってきたような気がしないでもない感じでございます。

とは言え、実は、これからがお仕事的には繁忙期。

12月付近の一番売り上げの立ちやすい時期に向けた準備と言う事で、たくさんお仕事いただけております。

本当にありがとうございます。

今週ほぼ寝ておりません。はい。

さてさて。

インターネット上も色々と監視社会になってきているらしい。

なんか、もう気軽に思ってること書けないよな。ほとんど読者のいないブログでさえ、内容を考えてから書かないといけない時代がもうそこまで来ていると言う事か。

みんな大好き都市伝説テラーと言うか、イカリングの面積と言う番組クズ人間として有名になったというか、元ハロバイ関さんがいつもテレビで言ってる言葉にこんな奴がある。

「マインドコントロールを密かに実行することで、大衆は自らネット上にメールや写真、電話番号などの個人情報を提供する。
フェイスブックこそ我々がネットを開発した目的であり、このシステムにより全世界の個人情報収集が可能となる。
これでCIAの長年の夢がかなった」
CIA長官補佐 クリストファー・サーティンスキー

「フェイスブックはこれまでに作られたものの中で、最も強力な大衆操作ツールだ」
フェイスブック創業者 マーク・ザッカーバーグ

そもそも、インターネット自体が、軍事目的で開発されたものだと言う事を知ってる人はどのくらいいるんだという話。

マーク・ザッカーバーグさんは実は本当の名前ではなく、正体は有名なロックフェラー財団の世界皇帝デイビット・ロックフェラーの孫、ジェイコブ・グリーンバーグだともよく言われている。

ネットによる人民の監視 ⇒ 来るべき時に向けた人間選別

人間選別とは、地球が住めなくなった時にユートピアを作るためのもの。と言う事は、「断絶への航海」みたいな世界が出来上がるんだろうか・・・そのための選別をインターネットと使うことで行っている。

うむむむ。

陰謀論好きとしては、とても面白い話だと思う。

思うんだけども、それはそれとして、そういう話じゃなく、リアルに監視社会が広がっていってるという話。

お隣の国、中国で、墨掛け事件と言うのが先日起こった。・・・と言うか、起こっている。

これは、董瑶琼と言う女性が中国のtwitterみたいなやつで、習近平のポスターかなんかに対して、墨をぶちまいて「中国共産党の独裁主義に反対だ~」ってやったところ、怖いお兄さん方がやってきて、その女性がその後行方不明になったという事件。

ついでに、この女性の家族も行方不明になり、ネット上のアカウントはおろか、家の電話番号すら使用されていないことになったらしい。

起こっている。と言うのは、このことが中国全土に広まり、至る所で色んな人が墨をぶち巻いているからなんだけれども・・・

まぁ、中国でネットが全て閲覧されていると言う事は周知の事実だけれども、実際に、こういうことが起きてるんだよね。

日本でも、とある団体さんに都合の悪いことをSNS上で発信すると、そのSNSが死んでしまうのは有名な話。

人間選別のためとは言わないけれども、監視社会と言うのは、もうすでに始まっているみたいです。

戦前、戦中のように、特高がある日やってきて、連れていかれた人は、もう二度と帰ってこられない。

と言う時代がやってくるかもしれない。

しかも、当時は、周りの人の目だけだったけど、今度はネットを通して世界中の人がお互いに監視しあってたりするとしたら、それはそれで、結構怖い話だよな。

信じるか信じないかはあなた次第・・・らしいけれども。

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2018年8月22日 2:38 CAT :

待ち人がついに現れないのもルリヲのせい

今年に入ってから、4回目のバーベキューを先日やった。

何と言うか、リア充のようじゃないかと、震えております。

今回なんか、パラソルさして、子どもたちが庭でプールに入ってるのを眺めながら、まったりとステーキを焼くという。それなんて言うリゾートみたいな感じだったし。

めっちゃ楽しかったし、美味しかったんだけど、それはそれとして、体重の方が気になって仕方がありませぬ。

能天気に行こうとしてるんだけど、それでは拭い切れないような不安も抱えつつ、今日も生きております。はい。

さてさて。

AIの進化は著しく、何となくオレの今やってるお仕事とかも、10年もすれば全部AIさんに奪われてしまうような、変な恐怖感に襲われていたりもする。

・・・するんだけど、それについて、「それは本当か?」と言う本を読んだはなしをば。

「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」と言う本。

これでございます。アフィなどは貼っておりませぬ。

この本によれば、実は、世の中にあるAIのほとんどは、本当のAIではない。

キーワード検索によってAIに見せかけた、似非AIであり、実は、そんな仕事を奪われるような恐怖を感じる必要はないとのこと・・・

ただ問題なのは、便利なツールが増えてきたことによる人間の能力の低下の方らしい。

前に読んでた「サピエンス全史」の中で、農耕が始まってから人類の脳はどんどん縮小しているという話を書いてあったけど、それに付随して、2000年代以降の特にスマホとかによって、人類のバカ化はどんどん拍車がかかっている。

と言う事で、ぱっとこのシーンが浮かんだ。

「一日外出録 ハンチョウ」の1シーン。

スマホを使ってお店を探してるやつの情報量。

スマホを使わない大槻班長の情報量。

・・・そりゃあ、バカになるわな。

確かに、食べログとかない頃は、まさにこの大槻班長のように、経験と知識量でお店を探し出して、お気に入りのお店によく行ったもんだ。

10年以上常連気取って通ってるインドカレー屋さんは、食べログじゃなくて、苦い思いもしながら、色んなお店を巡った結果自分で見つけた店だ。確かに。

便利になったと言う事と、それによって幸せになったと言う事はイコールではないと言う事なんだろう。

食べログで評価が高かった店に入って食べたご飯と、自分で探し倒してこれまでの経験と知識と勘でたどり着いた店で食べたご飯のどちらに感動があるかと言う話だ。

ネットで数クリックで買ったレアもののCDと大阪くんだりまで出向いた時に入った怪しい中古のレコード屋で偶然見つけたナゴムレコードのEPのどちらに感動があるかと言う話だ。

ヤフオクで1000円くらいで落札したサイン色紙とライブ会場で感動してメンバーさんに頼み込んでサイン描いてもらったCDのどちらに感動があるかと言う話だ。

自分の自分による知識と経験によって得られたものは、それの良し悪しに関わらず明らかに、自分の中に溜まっていく。

それを繰り返していくことで、人は成長していくし、能力を会得していく。

ただ、その部分はドラクエにおけるレベル上げみたいなもので、必ずしも楽しいものじゃない。

だから、その部分を便利なツールに任してしまいがちになるんだよ。

でも考えてほしい。レベル上げを自動でやってくれるドラクエをクリアーしても、きっとカタルシスなんて欠片も得られない。・・・と思うんだ。

AIって、確かに、今はまだ人類を脅かすほど進化してないかもしれない。

恐ろしいのは仕事をAIに奪われることじゃあない。

AIに人類が仕事を明け渡すようになることなんだ。

そのためにオレが出来ることは、食べログでお店を探さないこと。

すぐにSIRIに聞かないこと。

自分の考えと足で経験を積むこと。

とか、その辺なんだろうね。

分かってはいるけれども、どっぷり便利危機に包まれてしまったオレは、戻ることが出来るのでございましょうか・・・

すでにマンガも、簡単に描けるデジタルに移行してしまってるわけですよ。

トゥービィーコンティニューと言うやつだ。

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2018年8月17日 2:22 CAT :

Get back to where you once belonged

お久しぶりです。

とか、毎回そんなことばっかり言ってるような気がしております。

光陰矢の如しとは、ホントよく言ったもんだよね。

色々あった。まぢで、色々あったんだよ。

取り合えず、生きております。

お仕事も順調と言うかなんというか・・・今日も今日とて生き延びて、誕生日も過ぎておりました。

新しい1年の豊富とかもないまま、生きてきたんだけれども、もうニートと呼ばれない年になった。

会社と言うものから離れて、事務所の代表と言う形でお仕事を始めてきて何年か経とうとしている。

今、仕事を失ったとしたら、もうニートとも呼ばれない。ただの無職おっさんなんだ。

そんなこんなで、このブログも10年以上超えて、今更ながら初心に戻ろうと思った次第でございます。

Get back to where you once belonged

と、50年以上前に偉大なバンドさんが歌っておりました。

ここ数年、ただの日記と化していたこのブログだけれども、そもそもは、溢れ出て止まらない頭の中をぐるぐる回るどうしようもない個人的なプロバガンダ的な意味合いを込めた言葉をアウトプットすることを目的として始めたもの。

先日より、とある場所で講義の講師と言う新しいお仕事をさせてもらっております。

お仕事で、報酬もちゃんともらっているので、1~2時間程度の講義なんだけど、準備には、数倍の時間を使っている。正直な話、割は良くない。むしろ大変なことの方が多いんだけど、ただ、やりがいとかをかなり感じてて、しばらくは(と言うか、やらせてもらえるうちは)全力で頑張っていきたいと思っております。

昔、オレが教員免許を取るために教育実習に行っていたとき、恩師の先生は「10あったとしたら、授業で伝えれるのはそのうちの良くて3くらい」と教えてくれた。

まさに、それを今、実感している感じなんだよ。

数時間かけて、膨大なレジュメを作って、いざ講義が終わってみると、3どころか1くらいしか話せていない。

「あ~この話できなかったな」の方が圧倒的に多いという体たらく。

ただ、そういう形でのアウトプットを続けているうちに、至る所で自分の考えとかをひりだしていたかつての感覚を思い出してきたりなんかして、最近、頭が尋常じゃなく回り始めてるのもまた事実だったりする。

学生時代、普段の会話でディベートのように理詰めで追い詰めて、友人を泣かしてた頃を思い出すかのように・・・

そんなこんなで、講義のために準備した残りの9の話のうち、ブログとして残しておいてもいいんじゃねえの?と思うような内容を中心に、かつてあった形への原点回帰をお誕生日を迎えて考えてみた次第です。

と、ここまでで、すでに長くなってしまったので、次回から少しずつ書いていこう。

毎日とは言わない。

ただ、その講義が週に1回なので、その講義のために集めたネタのなから一つと言う事で、週に1回程度かけたらいいなと。

こんな大層なもんでは絶対なけどな。

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2018年8月14日 2:25 CAT :

さらば、生かねばならぬ

先月の終わりころに、弟と口論になった。

結婚前、実家にいたころはそれこそ週に1回くらいは口論してた。

なのに、久々だった為か、お互いに耐性がなくなってしまってたのか、オレは言い過ぎてしまったし、弟は凹み過ぎてしまったような変な感じでぶつ切りに終了した。

多分、環境的な要因とか、疲れとか、単純な寝不足とか・・・色々原因はあったんだと思うんだけども、それにしても、「こんな感じで終わるのか~」と意外に思ったものまた事実。

まぁ、それは良いんだ。

もう終わった事だしな。

人にはそれぞれ考え方と言うものがある。オレだって30歳過ぎてさすがに今更、自分の考えを押し付けて、相手を泣かすようなことはしないです。

ただ、その内容について少しだけ・・・別に、このブログを弟が見てる訳じゃあないし、補足するとかそんなつもりもないんだけども、何となく、その時、凄い不十分な内容のまま終わってしまって、自分の中で不完全燃焼なので、ある程度キレイに吐き出せたら・・・とか、そんな動機でございます。

その内容と言うものが、そもそも「人の好意」とは存在するかと言う話が発展したものだった。

オレも確かに中二病全盛期には「人は全て悪意でできている」とか「オレは人からの愛情を受けることなく孤独に生きてきて、これからも生きていく」とか思ってた。「ぬくぬくと生きやがって」と、見下したような目で他人を見ていた。

でも、社会に出て10年以上・・・結婚もして、自分の家族を持った今、「人の好意」は絶対的に存在すると言う事がわかってきた。

家族・親族のような近しい人は当然として、それ以外にもありとあらゆる所でオレに関係する色んな人からの好意を受けに受けて、今日も、オレ(もしくはオレの家族)は、生きていけている。

そんな事をヒシヒシと感じてるからこそ、「この世に好意なんてない」と主張する弟に対して、いつになく声を荒げてしまったんだと思うんだ。

ここ最近弟とは、なんか「そうか。そうか。それで良いと思う。」で、別に口論するようなこともなかったのに・・・何となく許せなかったんだと思うんだ。

オレも色々ありましたよ。

社会に出てから10年以上、ホントに絶望することの方が圧倒的に多かった。

恨んでる・・・とは言わないけど、もう2度と会いたくない人もたくさんいるし、前職なんか、未だに会社への通勤路を車で走るだけで正気で居られなくなるくらい追い詰められた。

それでも、今の状況までやってこれたのは、色んな人に助けられたからとしか言いようがない。

人生においても、自分の思うように好き勝手出来る事なんてほとんどないと思う。

でも、それは、取り巻く人の数だけ考え方があり、そして、それぞれに意思があるからであり、全ての人が悪意的なものをもって、攻撃してくるからではないんだよね。

良かれと思ってやってくれている事が重なった結果、オレとしては、好き勝手出来なくなった。と言う事が多いのは事実だと思う。

その雁字搦め感が中二病のころは、許せなかったんだろう。

状況自体にはどうしたものかと思ったとしても、誰かに対して、敵対視するようなことはなくなった。

人は、なんで生きているのか。

哲学的にはよく出る話題。

なぜ生きているのか。と言われると、答えはすぐに出てこないかもしれないけれども、なぜ生きなければいけないのかと言われると、答えは意外と簡単だと思う。

好意と言う言葉が適切かどうかは知らないけれども、これまで好意を全身で受けて成長してきておいて、それを無為にして死ぬ事がどうしてできるか・・・。

望んで生まれてきた訳じゃあない。

好意なんて有難迷惑だと思ったり、好意なんて不要だ。死にたいと思う事もあるんだろう。

でも、それは本当に誰からも好意を向けられず、誰一人相談する人もいなくなって、死んでしまっても誰からも惜しまれず悲しまれず、かつ、遡っても「生きていて欲しい」と誰からも思われてない状況になって初めて思うべき事。

なぜか、ぱっと思い浮かんだ一場面・・・(↑)

それ以外の状況で思うようであれば、それはただの自己満足であり、むしろ、そう安易に思える環境や周りの人に感謝するべき。

オレも前職のホントに最後の方では、自殺すれば家族に迷惑がかかるから、暴走した車が突っ込んできてくれて死ぬことが出来れば、保険金が家族はしばらく食べていけるしいいよな。みたいな感じで、ずっと死ぬことばっかり考えてた。

会社なんてきつければ辞めれば良いだけだし、本当に困ったときには助けてくれる人もたくさんいたんだろうけど、追い詰められると、極端に視野が狭くなってそんな事は考えられなくなる。

周りの人の事とかも何にも考えられず、ただただ死ぬことばっかり考えてた。

今は、割と広めの視野で色んなことを見られる余裕くらいはあると思う。

望んで生まれ来たわけじゃない。誰からも疎まれている。早く死んでしまいたい。と毎日思い、カッターで自分を傷つけてたオレでも、今では、いろんな人に感謝しながら、今までもらってきた好意を今度は自分の子どもたちに向けて返していってる。

生まれてこなければ良かったとは思ってない。

幸せだとでっかい声で言うことはないけれども、本当に暗黒だった学生時代を含めても、悪くない人生だと思ってる。もちろん、今の段階での話だけれども。

取り合えず、弟に対してあの日言いたかったことは、「少なくともオレは、お前を大切な弟としてみてる」と言う話なんだよな。

そのオレに対してよく「この世には好意などない」とかよく言えたな。と。

結局、変な感じに歪曲されて伝わったみたいみたいだけども。

伝えるという行為も難しいものよ。

夜中に書いたので、凄く恥ずかしい内容になってる気がしないでもないけど、それもまた一興と言う事にしておきます。

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2018年6月30日 3:54 CAT :

夜開くサボテンの花びらはヒラヒラと舞い落ちる

お陰様で、色々忙しくしておりました・・・ら、もう6月も終わってしまいそうだったので、せめて6月中の報告だけでも。

とか、そんな事をふと思った感じでございます。

まぁ、そもそもブログ書いてること自体が、将来の自分のためという名前のオナニーが一番の目的だからな。

数年後のオレのために、6月中にあったことを少しでも残しておく。

さてさて。

何を書くべきかはよくわからないので、とりあえず、簡単に箇条書きでも・・・

 

 

お仕事については、順調・・・という言い方が正しいのかわからないけども、たくさんいただけおります。

それに関しては、もうただただありがとうございます。

としか言いようがない。こんなオレに仕事を任せてくれる人がたくさんいると言う事は、結構幸せなんだと思うんだよ。

本当に誠心誠意対応させてもらってる。

ただ、若干キャパオーバー節な感じになりつつもある。

嫁が、チョッとお手伝いしてくれる・・・そんな匂いも少しだけあるので、これからも何とか燗とかやっていけれたらいいよな。

ホントに。

 

 

もうひとつ。最近、お仕事でやってることが、技術的に結構新しいことが多い。

「どうやったらいいんだこれ?」と日々悶々とながら悪戦苦闘の日々なんだけど、乗り越えた後は確実にレベルアップしてるような気がしてる。

これまで出来ていた事もやりつつ、新しいことに挑戦できるのはなかなか楽しい。・・・けど、お金もらって仕事としてやっている以上、確実に仕上げていかないといけないのも事実。

もちろん、その都度現状で最善のものを作ってるんだけど、しばらくしてから見ると、「なんて荒い状態で渡してしまったんだ・・・」となることも正直ある。

かと言って、ずっと同じところに留まり続けると、後退しかないことも分かっているので、頑張って走り続けれたらいいですな。

 

 

マンガをもっと描きたい。

そんな衝動がうずうずと出てきておりますので、お仕事に支障をきたさないように、1日1ページ描いてみようキャンペーンを勝手に実施中。

「R.D」の事なんだけどもね。

正直ネームについては、物語自体完結しているわけで、比較的苦労する箇所は少ない。

なんとなく誤魔化し誤魔化し1日1ページ原稿を仕上げていけてるっぽい。今のところは。

ここ最近、1話15ページにしてたんだけど、13ページに戻して、ネームに1日。あとは、毎日1ページ仕上げていけば、2週間に1話は描けるな・・・と捕らぬ狸の皮算用をしております。

 

 

先日、お仕事の打ち合わせで行った先が、オレが結婚式のときにお世話になった衣装屋さんだった。

で、名刺交換した後その話を少ししたら、なんとその相手が正に当時オレの担当をしてくれた人だったという・・・世間ってやっぱり狭いな。

結構わがまま言ったのでかどうかは知らないけど、割と細かいことまで覚えていてくれて、ちょっと嬉しいのと、結婚フィーバーだった事も含めてわがまま言ってたなぁ~と恥ずかしさが結構大きかった・・・

 

 

ペヤングのGIGAMAX食べてみたい・・・

 

 

5月はかなりお仕事をしたので、いつもよりプラスで稼いだお金で、PCを新調した。

やっと、オレのお仕事PCもwindows10になりました。

ついでに、念願だったトリプルディスプレイになった。スペック的にはかなりご機嫌な感じ。

なんせ、一つのディスプレイで動画を再生しつつ、フォトショップとイラストレーターでデータを作りつつ、コミスタでマンガ描いて・・・という作業を同時並行でやっても全然問題ない。

色んな事をチョコチョコやるのが好きなオレとしては、正に理想的。

こんないい環境でお仕事しててバチが当たらないんだろうか。まぢで。まぢで。

 

 

弟が、ギターを練習しておけと、マーシャルのギターアンプを置いていった。

で、ここ最近ちょくちょく弾いてるんだけど、やっぱり良いな。音もいいのは当たり前だけど、やっぱり弾いてて楽しい。

一軒家とはいえ、そんな爆音で弾きまくるわけにはいかないけど、それでもかなり満足してる。

そのうち、数年ぶりにスタジオ入って、引き倒したいもんだ。

 

 

何でもかんでも電子書籍化している今日この頃だけど、どうしても本は紙じゃないと嫌な古い人間でございます。

ついでに、音源もCDで欲しい。

最近仕事中は、プライムミュージックでよく音楽を聴いてるんだけど、例えば、その中で気に入ったアルバムがあると、それは全て現物のCDを購入してる。

マンガでもそう。

よくある1巻だけ無料とかで、試し読みして面白かったら、その先を電子書籍ではなく、全て単行本で購入しております。

最近購入したのは「トリコ」「血の轍」「善悪の華」「ボーイ オン ザ ラン」「あえじゅま様の学校」そしてもちろん「星の王子さま(漫画太郎作画のやつね)」あたりか・・・「トリコ」は中古で全巻まとめ買いだけども。

やっぱり紙で読むのが楽しい。

CDは、買ったらPCに取り込んでデータを聴いてるのに、なんで買いたいんだろう・・・チョッと不思議。

 

 

先日、テレビ番組でチョッと歪な夫婦関係。みたいな番組を見た。

「嫁さんを「お前」呼ばわりする最低の超亭主関白男」「忙しくても嫁さんが体調悪かったら、仕事を置いておいて嫁さんの元へ行く超愛妻家男」という両極端として紹介されてたこの事例。

どっちも当てはまるな。と思いながら見てた。

オレは、嫁の事を「お前」呼ばわりしてる。結婚する前は「メス豚」呼ばわりしてたこともある。・・・あと、多分亭主関白の気は結構あると思う。

でも、オレは、嫁の事をこの世の何よりも大切に思ってるし、あいつ以上の女はいないと思っているので、嫁が体調悪ければ、それこそ仕事とか二の次にする。実際にしてるし。

この2つって全然両極端じゃないよな。と。

だから他人の家の夫婦関係とかがテレビ番組になるほど面白いんだし、オレも、ついつい見ちゃったんだろうけども。

・・・という話を嫁にしてたら、オレがそれでも嫁の事を「お前」呼ばわりしていることについて、娘の幼稚園のママ友さんとかにも「変な旦那さん」的な感じになっていると聞いた。

確かに、人前でも普通に「お前」って言ってるわ。なんだったら、嫁の親の前でも「お前」って言うてるわ。オレ・・・

まぁ、今更どうすることも出来なんだけども。

 

 

本格的にダイエットしたい。

でも、ご飯はいっぱい食べた。

と言う事で、チョッと代謝を上げるために、筋トレをしております。

腹筋ローラー的なやつを買って、仕事の合間にゴロゴロやってる。

初めのころは全くできなかったけど、最近少しできてきた。

問題は、体形がすっきりしないで、なんかレスラーのような感じになってきていること。

思ってたんと違う・・・

 

 

・・・なんか、ほかにも色々あるんだけど、今日のところは、このくらいで許してやろうか。

もう少し、コツコツ描けたら本当はいいんだけどな~

腹筋ローラーとおっぱい。

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2018年5月26日 1:44 CAT :

中古車ディーラー・パイルドライバー

1か月チョッとぶりに、なんとか「R.D」の次の話が描き上がった。

何とか、今月中に1話更新は出来そう。

もう少し、ペースを上げたいんだけど、時間が取れなくて、すっごい悶々としてる。

とは言え、それはお仕事をたくさんいただけていると言う事なので、ただただありがとうございます。なんだけどね。a

贅沢な話だ。

いやまぢで。

usの方については、あと10話を切ったので、夏までに完結出来ればいいなぁ~と思っております。

去年は今位から、秋口にかけてがお仕事的には一番忙しくなる時期だったので、今年もそうなのかな?・・・いや、そうなって欲しいな。と。

R.Dだって、出来れば2週間に1話くらいは描いていきたいんだけれども・・・

学生時代とか、良く毎週1話描き続けられたよな。とも思うんだけれども、まぁ、あの頃と比べると、作画の時間がめっちゃかかる様になったからな。

あの頃に描いてた感じで良いなら、そりゃあ今でも、毎週描けるような気はしてる。

実際に、ネーム自体は、1日あればかけるんだ。

残りの3週間くらいはずっと絵を描いてるんだもん。

しかし、全然ペンタブにはなれないな・・・

結局、Gペン使って、紙に書いてるのが一番楽しいのは間違いないと言うことだ。

何か、支離滅裂としてるような気がしてるけど、もう眠たいのでこんな感じでお休みなさい。

本当は父の日の話を書こうと思ってたんだけど、もう良いんだ。

寝る。

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2018年5月23日 0:33 CAT :

にんじゃりばんばん

取りあえず、今日「us」の更新が出来た。

今月はあと残された時間で「R.D」の更新が出来れば・・・と思ってる。

やっぱり、それぞれに1か月に1話は更新していきたいんだよな。最低でも。

それを誰か待ってくれている人がいるのかとか、そう言う話じゃなくて、個人的な矜持的な意味で。

描きだした以上は、絶対に最後までやり切るんだ。

それだけが、オレが子どもの頃から、ずっと持ち続けた矜持なんですよ。まぁ、どうでも良いだろうけどな。

と言う事で、ネームは完成して、絶賛作画中・・・あと4ページ未着手がある感じでございます。

鉛筆で書いた時はめっちゃ良い絵だと思ってても、PCで取り込んで、ペン入れするとがっかりするできになるのはなんででしょうね・・・

さてさて。

ここ最近、YOUTUBEでBGM代わりに時々「岡田斗司夫ゼミ」を見ていたんだけど、それの「火垂るの墓」の回があまりにも気になり過ぎて、無料分だけでは満足できず、有料会員になってしまいました。

まさか、個人チャンネルのしかも、岡田斗司夫の有料会員になるとは・・・マンガ夜話を生きがいにしてた昔でも、思いつかないだろうて。

とは言え、内容自体は物凄く満足。

いや、これは金払った価値があったと思うんだ。

あんまり個人的に興味のある話題が少ないんだけど、月に1回はジブリ映画の解説をしてくれるらしいので、その間は有料会員でいても良いかな。

しかし、「火垂るの墓」は本当に目から鱗だった。

この映画が「戦争批判のものではない」って事くらいはさすがに分かってみてたけど、そう言うレベルのものではなかったよ。

ここまで深い物語だったとは・・・

これは見返さずにはいられない!!と思って、早速レンタルしてきて、見返したよ。

確かに、ゼミで触れてた内容は本当だったし、その見方で見ると、全く違う「火垂るの墓」と言う作品の輪郭が見えてくる。

・・・見えてくるはずだったんだけど・・・だめだった。

何がって、どうしても後半を冷静に見る事が出来なかったんだよ。

むしろ、昔より節子への感情移入が激しくなっていた。

オレには、今、節子と同年代の娘がいるんだ。

そして、高畑監督の超絶リアリティーのある描写のお陰で、尋常じゃなく、娘と節子が被るんだよ。

清太については、「こいつはダメだ」と思う所があったとしても、節子はもう・・・

結局、節子が死んだ辺りから、ずっと泣いてたよ。ちくしょー。

その辺りがこの物語を読み解く上で、一番重要なシーンなのは分かってる。分かってるけど、全然冷静に見れねえよ。

うむむむむ・・・

この映画は、岡田斗司夫曰く、そんなシーンをゲラゲラ笑いながら見られるサイコパス野郎でないと、読み解く事は出来ないんだって。

ホントそうだと思うわ。

しかし、高畑勲って言う監督は、とんでもない化け物だよね。

この話を、「そこまで深読みするか?ただのオタクの妄想だろう」と鼻で笑う人もいるだろうけど、少なくともオレは、そこまで考えて作りこんでる物語なんだと思う。

同列に並べる気はさらさらないけど、オレですら、マンガとか書く時にそれはもう凄い膨大な裏設定を作って、至る所にそれに対する描写を入れまくったりしてるんだから、世界の高畑監督なんて、凄まじい深みがあって当たり前なんだよ。

ちなみにゼミの中で、宮崎駿監督の作品は言語化しやすく、高畑勲監督の作品は言語化しにくいという話があったんだけど、まさにオレが、初めて「かぐや姫の物語」と見た時の感想がそれだったわ。

その時の記事の抜粋(↓)

明らかに異質な感じと、少しの恐怖を見る人に植え付ける。

良く考えたら、物凄く悲しい。

何の救いものない最後なのに、嫌な感じはしない。

と言うか、こんな感情初めて。

何と表現したらいいのか分からない。

怖いし、悲しいし、ホッとするし、そして少し面白い。

「かぐや姫の物語についての感想 2年桃組 しもたろうに」より抜粋

ちなみに、先週のゼミは「かぐや姫の物語」を読み解くだったんだけど、その放送を見て、このオレがモヤモヤと思った感想の答えも分かったわ。

悲しいだけのラストに向かう物語なのに、「怖い」し、「ホッとする」し、「少し面白い」理由が・・・

良く分かってないのに、なぜか「恐怖」と言う感情が心にずっしりとくる理由。

実は、この話も大概恐ろしい話だったんだよな。

いやね。この、モヤモヤとした感想をこれだけ、言語化して説明できるなら、お金とっても良いと思うんだよ。オレは。

そして、オレはずっと持ち続けたモヤモヤとした感情がやっと頭の中で言語化されて、すごく良い感じになった。

膨大な裏設定を読み解くと言う意味では、宮崎監督の映画の解説も面白いんだけど、やっぱりエンターテイメントで分かりやすい映画なので、解説を聞いた後でも、映画自体への見方は変わらないし、ある程度自分でも思ってた事だから「ふむふむ」ってなる。

でも、高畑監督の映画の解説は「まぢかよ!!おい!!」と目から鱗が何百枚か剥がれ落ちる驚愕のオンパレード。そして、その内容が、理由も分からなく何となく心の中にずっしり残る変なしこりみたいな奴の正体をこれでもかと、突きつけてくれるので、快感のレベルが段違いなんです。

別に、岡田信者と言う訳では全くないけど、しばらくは、お布施をお渡しし続けるんだろうな。

ちなみに、放送後、すでに「かぐや姫の物語」も見返したけど、こっちは、全然冷静に見られるて、「本当だ・・・言われてみればあからさまじゃねえか」と言う気分で、ますます好きになりました。

まぁ、そんなお話です。

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2018年5月19日 23:23 CAT :

まりんのいない電気グルーヴ

「次回を待て!」とか書きながら、そのまま逃亡しておりました。

いやね。先週1週間、ホントにお仕事で四苦八苦したのよ。

それについて、ムカついた話をツラツラと描いても良いんだけど、その話について、今日、取引先のお姉さんと散々愚痴言いあったので、もういいや。

ブログとか、残る所にムカつく話は描かないです。

ただ、それはそれとして、お陰で、また少しレベルアップしたような気がしてるし。

と、ポジティブに思う事にするよ。

おっちゃんは。

さてさて。

前回の続きを少しだけ・・・

え~と。待ちがった男女平等の話か。

この話をすると似非フェミニストとむっつりブスに間違いなく「欧米では・・・」的な返しが帰ってくる。んだけれども、その欧米に目を向けてみると、欧米では確かに、日本より女性に対して、社会的な意味での権利も地位もいっぱいあるかもかもしれない。社会保障制度も充実されているらしい。

それこそ男性とほぼ同等のレベルなのかも知れない。

ただ、その反面、責任と義務についても同等に課せられているし、日本のような女性の特権なんてほぼないと言う事に目を向けてほしい。

日本で良く聞く間違った男女平等と言うのは、言ってみれば「これまで享受してきた女としての特権はそのままに、都合のいい時だけ平等にしてほしい」と言う単なるわがままでしかない。

日本が武士社会でずっと男尊女卑だった。女性は虐げられて生きてきた。と、言われているのは全くの出鱈目で、その考え方自体戦後に広まったものだと言うことを、まず頭に入れておく必要がある。

日本男児は、古来、か弱い女性を大切に守ってきた。

実際、武家社会においても、女性の方が家の中での発言権は強かった。

女が家を守っているからこそ、男は外に働きに出る事が出来ると言う事をしっかり男は理解していて女に感謝をして、女は自分がいなければ男が生活できない事を知っていてそれでも、男が稼いでくるもので生活できていることを理解して、男に感謝して生活していた。

これは、そもそももっとはるか昔。それこそ狩猟採集時代から、連綿と続いてきた男女の関係だった。

いつの時代も、男は、女の内助の功によって、能力以上の力を発揮する事が出来、それによって、女の生活も豊かになると言う正のスパイラルがあった。

日本男児と大和撫子の関係とは、こんなものだったと最近では分かってきた。

この日本における男女関係に対して、懸念を持った国が二つあった・・・らしい。

ひとつは、アメリカ。

アメリカでは、先の大戦において、日本の強さがこの男女の固い関係にあったと考え、日本の男女関係にアメリカ風のレディーファーストを無理やり取り入れようとした。

もう一つは、韓国。

日本と言う国を内部から破壊しようと画策していた韓国は、韓国式の徹底した男尊女卑を日本人の振りをして行いつつ、お得意のやり方で、過去の日本の社会を自国同様のひどい男尊女卑社会であると教育とかメディアを使うことで洗脳しようとした。

従来バランスの取れていた関係が、この結果大きく崩れ、世界的に見てもいびつな「男女平等」が出来上がってしまったと言う訳だったりする。

少し前に、「いくら男女平等の社会だからと言って、女性に重い荷物を持たせるのは間違ってる」と言う、訳の分からない相談がネットに上がってた。

こんな事を言う奴に限って「女性は重い荷物を持てないから、男性を雇います」と言うと「女性蔑視だ」「男女平等じゃない」と言うんだよ。

本気の本気で男女平等だと言うのであれば、権利も責任も義務も全て平等にするべきだと思う。

例えば、「産休を取るから女性は社会的な地位が低い」と言うよくある話。

今の社会では、男が産休を取ることもできるし、女が男以上に稼ぐ事だってできるんだから、そんな事言うなら、子どもが生まれた後、体が回復したらさっさと職場復帰して、男が仕事を辞めて子どもの面倒を見たって全然問題ない。

その代わり女だろうが、満員電車に揺られて毎日仕事に行って、寝る間もない位残業もして、血反吐吐くような重い責任を背負わされて、恫喝に近い叱責にも耐え、子ども寝顔だけを癒しにバリバリ働いて稼いでくればいい。

その位の覚悟があるのなら「産休を取るから女性は社会的な地位が低い」と言う話をしてもいいと思う。

男女平等と言うのは、女だからと言う理由でたっぷり産休を取って会社は休むけど、男と同じだけの地位と給料を保証してもらうことではないんだよ。

「女が子どもを育てなくてはいけないから、休むのは仕方がない」と言うのは、大好きな欧米の男女平等では女性差別になる。

「女が子どもを育てなくてはいけない。と言うのは、あなたがそう決めたことだから、それで良いけど、その為に仕事を休むのなら、ポストは降格ですよ」と言うだけの話であって、それは「社会的な地位が低い」訳ではない。自分で決めたことが原因で、降格になっただけの話。

それが男と同等の責任を持つと言うこと。

今の日本で、「男親がいないと子どもが育たないから、仕事を半年休んだら、仕事を減らされた」と言う話を聞いて、果たして「それは男性差別だ」と問題になるのか。

これまでの日本にあったのは、あくまでも「男女差別」ではなく「男女区別」。

男と女ではどうしたって、体の作りが違う訳で、出来る事やできない事もそれぞれにある。

それぞれが、それぞれを補い合うことこそが、本当の意味での男女平等だと思う今日この頃なのでございます。

そうなったとき、きっと、お互いを必要に考えるようになると思う。

オレは、嫁とそんな関係になれたらなぁ~と、考えてるんだよ。

うむ。

うまい事まとまった。

とおもう。

数年に一度しか花が咲かない「みどりちゃん」が今年花を付けたので、おすそ分けしよう。

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2018年5月12日 23:31 CAT :

朝焼けに似た夕焼けのなかで

久々に、何か練習がてらにレコーディング出来ないもんかと思い、新曲作りより先に、昔作った曲の中で、作りっぱなしで一度も触ったことのない曲を新しくやり直してみようと画策しております。

主には、馬忠・DA・ムドーの曲なんだけども、そうじゃない奴でも、結構投げっぱなしになってる曲ってあるんだよね。

ここ最近は、「いずれライブとかしたいな」と言う欲求も少々出てきておりますので、その時のために、過去の楽曲のリフとかも再現出来た方が良いじゃあないかと。

んで、今回については、耳コピしたヤツをちゃんとタブ譜にも残しておこうとかね。

まぁ、完成は2年後くらいか。

その後、ヤンディール制作(所)の新しい音源作りもしたいな。次のタイトルは「不良債権」。それだけは、すでに決まってたりする。

さてさて。

ふと見かけたこんな記事・・・

【30代前半の4人に1人は“童貞”】

いやね。別に、童貞がダメだ。とかそんな事を言うつもりは毛頭ないんだけど、4人に1人が童貞って・・・んじゃあ、結婚してるのは、もっと少なくなるんだから、3人に1人とか、2人に1人とかになるんだろうか・・・童貞だけど既婚と言う人もいるかも知れないけど、多分、少数派だと思うので。

そりゃあ、人口も減少するし、高齢化社会にもなるわな。

ただ、この記事の面白い所は、「実はそれでも、1987年の水準よりも、童貞の割合が少ない」と言うところなんだよね。

90年代がとにかく、童貞・処女の割合が極端に低いだけで、別に今も、戦後日本の状況からすると、そんなひどい状況ではないらしい。

GTOって言うマンガで、鬼塚が仲間に「やらはた(童貞のまま20歳を超える)」になった事をバカにされてる描写を見て、「オレも確実にこれになるよな・・・」と震えて高校生の頃。

結局、あのマンガも90年代だし、そもそも、ヤンキーマンガだった訳で、ヤンキーの世界の一般的な社会水準では、同等にみるべきではないのかも知れない。

ヤンキーなんて、中学生くらいからやりまくってるイメージだし。

何か、メディアにうまい具合に洗脳されてたんだろうね。「童貞なんて、少数派だ。」「恥ずかしい事だ。」「そんな奴ほとんどいない。」「女にばかにされる。」そんなイメージばかりで、(単純に性欲に負けてた部分もあるけど)10代の頃なんて、とにかく童貞を捨てたくて仕方がなかったわ。おっちゃんわ。

実は、別に少数派でも何でもなくて、日本男児ってのは、むしろ、誰とでもやるような軽薄などっかのレイプ民族とは違うんだ。と言う事が、今さら分かりました。

この話をできれば、10代の頃に知りたかった。

まぁ、知ってたとしても、対して何も変わらなかっただろうけどな。

いつか、自分に合う素敵な女性と出会えたら、勝手に非童貞になるさ。

問題なのは、それよりも結婚してる奴の少なさだろうね。

結局、この調査から分かる事って、「結婚してない非童貞が増えた」と言う話だよな。

なんで結婚しないのか。と言う問いかけに対して、不況で将来が見えないからと言う話をよく聞くけども、果たして、今の社会はそんなに先行きが不安なんだろうか。

食べるものがなくて、いつ切り殺さるか分からず、重い税を課せられて飢餓でボコボコ死んでいたような時代でも、人は結婚して、子孫を残してきた訳で、決して、今の時代が先行きに不安しかない絶望の時代ではないと思う。

言い訳でしかない。

結局、なんでそうなるのかと言うと、ひとえに、西洋的文化が入って来た事。もっと言えば、勘違い男女平等のせいだと思ってる。

前置きが長くなったけど、何でそうなのか・・・について、書こうと思ったけど、もう力尽きたので、それは、またの機会にでも。

to be continued。。。

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2018年5月8日 23:04 CAT :

つらたにえんのむりちゃずけはすき

娘が通ってる公文さんが値上がりするそうです。

そう言えば、公文って、月額いくらくらいかかってたんだろう・・・何か、嫁から、公文って安いって聞いてたけども。

値上げね・・・まぁ、しょうがないと言えばしょうがないけども。

娘は、公文が幼稚園よりも楽しいらしく、嬉々として通ってるので、辞めさせようとは思わないけど、なかなかどうして、色々お金がかかるね。

さてさて。

そんなこんなで、先日少し嫁から聞いたけども、やっぱり幼稚園のママ友や娘のお友達に少なからず、いるらしいです。

流行りの「マウンティング野郎」が。

オレなんて、マウンティング野郎からしたら、凄いいい標的なんだろうね。

車 ⇒ やっすいコンパクトカー。

家 ⇒ 賃貸(一戸建てとは言え、お古い・・・)。

仕事 ⇒ 自営。

年収 ⇒ 日本のサラリーマンの平均より多少多いくらい。

身長・体重 ⇒ 中肉中背・・・を超えて、最近ただのデブ。

服 ⇒ あんまり興味ないので、ブランド物とかはほとんど持ってない。

ケータイ ⇒ 仕事用のガラケーとiPhone5S。

後なんだ・・・?

趣味 ⇒ おうちで絵を描いたり、ギター弾いたり、本読んだり。

貯金 ⇒ あんまりないと思う。

学歴 ⇒ 超最底辺の私立大学。

他になんかあるのか・・・分かんないけど、とにかくこんな感じなので、マウンティング野郎にとって非常にリーズナブルな物件となっております。

まぁ、オレの場合、マウンティングを取ることが出来ないので、負け惜しみに聞こえるかもしれないけれども、マウンティングとか、本当にどうでも良いんだよ。

そもそも、何でそんな事をする必要があるんだろうか。

良い車に乗ってるんだ。と言われても、「あ・・・そうですか。自分、車に興味ないので」で終わりの話。なんで、そこから「こいつはオレより下だぜ」になるんだろうね。

大切なことは、そんなことじゃないと思う。

要は、今の生活に幸せ的なものを感じてるかどうかじゃないんだろうかね。

オレの場合、自営で、収入もそんな高いわけじゃないけども、生活するのに不自由無い程度には収入も貯金もある。いつも家にいるので、家族と大体一緒だし、フラッと平日でも遊びに出かけられる。

それだけでもう十分じゃねえか。

そこを何か削ってまで、家を建てたり、車を買ったり、ブランド物を買い漁ってどうする。

もう、放って置いてください。オレは、今の生活に満足しているんです。

オレが、何のお仕事してても、どのくらい収入があってもいいじゃないですか。

取り合えず、公文が値上がりしても、娘と息子を通わせられる位のお金はありますので。

実際、マウンティング野郎を見てると、常に何かに追われてるのか、余裕はないし、何より、下だと思ってた奴が自分より良い暮らしをしてた時の、あの汚い顔よ。

何が楽しくて、人生を生きているのか、懇々と問い詰めたい。

関係ないけど、子どものころ、自分の家はメッチャ貧乏だと思ってた。実際に、親からは「うちはお金がない」といつも聞かされてたし。

そして、大人になって、両親の経済状況を知った時の衝撃たるや。

親父メッチャ金持ちじゃねえか。

鑑みれば、金がないくせに、いざと言う時には、いくらでもお金出してくれたし、毎年メッチャ豪華な家族旅行も行ってた。服とかも、今では考えられないような良い服着せてもらってたわ。

そもそも、親父の友達なんて、皆クラウンとか乗ってたり、船持ってたりするしな。

でも親父は、アウトレットショップの500円くらいの服を嬉々として着て、ちっちゃい車でいつもお仕事に通ってた。今なんてちっちゃな軽自動車に乗ってますよ。

この親を見て育ったから、マウンティングとかに興味ないのか。オレも。

オレの場合、親父みたいなメッチャ金持ちではない、貧乏庶民だけどな。

まぁいいや。何しか、マウンティングするのは好き勝手やったら良いけど、オレのことは放って置いてください。と言うことでございます。

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2018年5月7日 23:46 CAT :

ネオエクスデスに連続魔メガフレアを

お仕事のGBM代わりに、amazonプライムさんの力を借りたり、YOUTUBEだったりで、好みな番組とかをタラタラ見てる。

ついでに、休憩がてらや、寝る前、トイレで頑張ってる時とかには、色んな本を読んだりしてる。本と言っても、マンガだったり、エッセイだったり、学術書だったり、小説だったり、ビジネス書だったり・・・色々なジャンルがあったりする。

最近ハマってるのは、「サピエンス全史」と言うビジネスと専門書の間を縫うような本。

ページをめくる度に目から鱗と言うか、これまでの常識をたたき壊されるような感じで、久々にめっちゃクソ面白い。いやまぢで。

その前は、1万年以上前の宗教施設「ギョベクリ・テペ」について色々読んだり、見たりしてた。こいつも、狩猟採集民族のあり方や、文明の起こり方に革命を起こす遺跡だったりする。

「ギョベクリ・テペ」については、2年くらい前にチョッとこのブログでも紹介したことがあったような・・・(参照ネタ【島人ぬ宝⇒「ギョベクリ・テペ」】

以前は、考古学的な視点で興味があったんだけども、最近は、文化人類学的な観点で興味深い。「サピエンス全史」の話を読んでから、もう一度この「ギョベクリ・テペ」に戻ると、なお面白い感じでございます。

量子力学であったり、物理学であったり・・・宇宙論であったり、恐竜の話であったり、カンブリア大爆発であったりと・・・とにかく、面白そうなものは何でもかんでも見たり、読んだりしてた。

お陰で中途半端に広く浅く色んな知識が溜まってきた。

この知識をはてさて何に使うのか・・・と言うと、何にも使わない。

自分の好奇心をただただ満たすだけ。

そんな気持ちだった。

ただ、何と言うか、こういう話を誰かと語り合いたいような気持ちに少しなってきたんだよな。

そこには問題がある。

こんな話に興味がある人間がそもそも少ない。

しかも、オレの興味がまた変な風に偏ってる。

「あぁ~考古学が好きなんでしょ」とか「歴史が好きなんでしょ」と言われても、そうでもない。

宇宙の成り立ちとか、時空や次元も好きだし、UMAとかUFOとかのオカルトも好きだし、ヴォイニッチ写本みたいな訳わかんないものも好きだし、もちろん歴史、特に考古学なんて大好物。節操がない感じ。

その全てについて、色々と話したい。

誰かと。

何だろう。本とかで読んで得た知識を、そのまま反芻するんじゃなくて、その上で色々とお話がしたいんだよ。

ただ、知識自慢したって、そんなもの詰まらない。大体そんなもの、オレの口から話すより、実際に、元ソースを見た方が100倍も1000倍も面白いんだからな。

今は、まだ「サピエンス全史」を読んでる途中なんだけども、この「サピエンス」と言う種族の存在意義について色々と考えさせられるな~とか思ってる。

いや、そんな事をオレが思っても栓ない事ではあるんだけれども・・・

本当にオススメの本でございます。

アフィなど貼っておりませぬ。

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2018年5月6日 23:24 CAT :

スーパーサイヤ5月病

「先月はほぼ土日も含め休みがなかったので、今月はチョッと休もう・・・と言う事で、ゴールデンウィークの後半3日ほど、全くお仕事しないお休みにした。

3連休以上と言うと、正月以来か。

その3日間のお話でも。

【初日】

何気に3月末位から計画してた数少ない友人のN君家族と一緒に、お庭でバーベキュー。

遂に実行できましたよ。

例えば、実家で親戚集まってとか、学生時代サークルの皆でとか、何度もバーベキューした事あったんだけども、自分から主催するのは実は初めて。これまでは、椅子に座って「肉を持て」。やってきた肉を頬張るのがオレのバーベキューだったんだ。

今回は、自分でバーベキュー用にコンロとか炭を買ってきて、ちゃんと火が起きるように、バーナーとか着火剤も用意して、あとついでに食べたい肉もしこたま買ってきた。

自分の家でやる人生初のバーベキューだ。この野郎。

思いの他楽しかった。

何と言うか、やっぱり自分んちでやってて、自分で全部金出してると、気兼ねなく何でもできる(結果的に、肉代割り勘してくれたけども。。。)から、肉がめっちゃ美味かったような気がした。

とは言え、Nくんちもオレんちも、まだまだお子様が小さいので、まったりバーベキューを楽しむより、子どもの相手しながら、合間に肉を焼く!って感じだったけれども。

それでも、なかなかどうしていい感じだった。

せっかくバーベキュー用に色々買いそろえたので、年に何回かやりたいもんだ。と画策しております。

そのあと、子どもたちは家でしこたま遊んで、帰りには「さびしいよ~」ってめっちゃ泣いてた。

子どもたちが泣くほど楽しかったので、大成功と言う事にしておこう。

 

 

【2日目】

妹から「コンベックス岡山」で電車とかのイベントがあるという情報を貰ってたので、乗り物大好きな息子の為に一路岡山へ。

で、入場のチケットを買おうとすると・・・あら・・・結構お高いのね。どのくらいかと言うと、地元レオマワールドの入場料くらい。

ほほう。と言う事は、レオマワールド位には、オレを楽しませてくれるんだろうね。「西日本最大級」のイベントと言うふれこみだからな。

入場。

・・・。

ん???んんんんん?

コンベックス岡山の大ホールとはいえ、半分くらいは関係ないテキ屋じゃねえか。規模・・・しょぼい。尋常じゃなくしょぼい。これで、家族4人入場料5000円だと!!!??

しかも、入場したのは良いけど、「列車の模型を動かしたかったら300円」とか「ジオラマで遊びたかったら300円」とか「ドクターイエローの乗り物に乗りたかったら300円」とか「ガラガラ回したかったら500円」とか・・・何するにも金がかかる。

そして、しょっぼい内容のくせに4分の1くらいは、その辺のおもちゃ屋から寄せ集めてきたどうでも良いおもちゃ売り場。もちろん、全商品定価販売。

当たり前だけど、テキ屋は全てお祭りぼったくり価格で販売中。

極めつけは、再入場不可。一度入ったら出られません。ちなみに、自販機は会場の外にしかありません。のどが乾いたら、アホみたいに高くてチョッとしか入ってないテキ屋のジュースを買ってください。と。

1時間くらいで一通り見終わった。

なんじゃい。このクソイベントは。妹は、良かれと思って教えてくれたんだろうけど、妹にさえ殺意を覚えた。

こんな銭ゲバクソイベント、これまでにも数回しか経験ないわ。

と思ったんだけど、その数回のほとんどがこの「コンベックス岡山」でのイベントだった事を思い出した。

金輪際どんな魅力的なイベントを開催しようと、この「コンベックス岡山」と言う場所には、近寄らない事を心に決めた。

ただ、お金がかかってる事を知らない息子は「楽しかった~」と。そりゃあ、入場料ただで、色んな電車で遊べて、乗り物に乗れて、くじ引きでお土産もらえたら楽しいだろうて。せめて、入場料がかからなければ、オレもこんなにムカつかなかったと思うけどな。

結局、交通費も含めれば、このクソイベントに15,000円ほど使った事になる。

これだけあれば、子どもたちを遊園地にでも、動物園にでも連れて行って、満足するまで遊ばせてあげられたのに・・・

むかつき過ぎたので、帰りに坂出の「瀬戸大橋公園」に行って、遊んで来た。(ありがたい事に時間はたっぷりあったので)

そっちの方が子どもたちも楽しかったらしい。

初めから、お弁当を持ってこの公園に遊びに来ていれば、さぞかし楽しい一日だっただろうて。

 

 

【3日目】

一転して、最終日なので、家でのんびりする事に。

前から息子が欲しがってたプラレールの線路をしこたま買いこんで、あとチョッとお買い物をした。そのあと、娘が公園で遊びたいと言うので、近所の公園に行くと、雨がポツポツ・・・雨が降りだしたら公園では遊べない。

丁度お腹がすいたと言うので、近くのマックへ。

子どもはハッピーセットのおもちゃが欲しかったらしい。オレは、もう正直今日は、家でご飯食べたかったんだけれども。

で、帰ってきてから、プラレールで遊んだり、お菓子パーティーしたり、娘が嫁と遊んでる間に、オレは息子と雨の中でお散歩に行ったり・・・空いた時間で、引っ越しの後まだ片付いてなかった押入れの整理をしたり・・・

本当に、家でまったりと過ごした。

こんな事を言うのもなんだけど、初日にしても3日目にしても、結局家で遊ぶのが一番いいみたい。オレも嫁も、子どもたちも。

嫁が娘に「前のおうちと今のおうちどっちが好き?」と聞くと「最初は前のおうちが良かったけど、今は、このおうちが好き」だと。

嫁のDIYの効果は絶大だったみたいで、良かった。

そんなこんなで3日間本当にあっという間に終わってしまった。

明日から、またお仕事頑張ろう。

見ない振りしてたけど、この3日間の間にも、色々とお仕事の連絡を貰ってるし、やる事は本当にたくさんあるんだよ。

取りあえず、今日は、そのことは考えないで、もう寝ます。

おやすみなさい。

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2018年5月2日 23:04 CAT :

夜のヒットスタジオで放送事故

気がつけばはや5月・・・正気か!?と思えるほどに、時間の流れが早い。

もう今年が半分近く終わろうとしてるとか、何の冗談だ!!って言う話。

その前に、お久しぶりです。か。

気がつけば、3月・4月と全くブログとかも書かなかった。

反面お仕事とかプライベートの部分では、充実してた訳ではあるんだけども、それはそれとして、やっぱり文章って読んで、書いてしないとどんどん退化していくので、またコツコツ書いていきたいです。

弟が実家を掃除していて、オレの残していったものが色々出てきたらしいと言う事で、先日、それを断捨離するために実家に赴いた。

その中に、「日本語文章検定」なる資格の合格通知があったわ。

昔は、勉強とかしなくても、そんな資格が取れるくらいには、文章能力もあったらしい。

そう考えると、ほぼ皆無となってしまった今が悲しかったりもするので、ホント、ブログとか書きます。

確かに、学生時代は、色んな本を読んで、色々と文章書いてたよね。

うむむむむ。。。

何しか、この2か月でも色々書きたい事はたくさんあるので、しばらくネタには困らないと思う。

新しく始めたこと、再開したこと、手に入れたもの、失ったもの、映画の話とか、音楽の話とか、マンガの話とか、読んだ本の話とか・・・ホント色々あるんだ。

まぁ、それはそれとして、生存報告ついでに、ここ最近の生活でも。

引っ越しが終わってからこっち、嫁曰く「住みたいと思うおうちにする」ために、DIY的な事をやっておりました。

賃貸なのにだ。

と思ってたけど、賃貸でも、オラオラ改装してる人たくさんいるんですね。「原状回復?なにそれ、美味しいの?」な人がこの世の中に沢山いる事を知り、それでも、現状回復できるレベルでしか、改装できないヘタれなオレもどうなんだろうか。

嫁は、多分「原状回復?なにそれ、美味しいの?」な人。

今のところは、そのバランスがうまくとれてると思うんだけど、いつか、このバランスが崩れた時、住み心地MAXになる代わりに、現状回復など望むべくもないおうちとなるでしょう。

そんな感じで、おうちの中もかなり快適になってきた。いや、まぢで。

嫁は、まだ色々考えてるみたいだけど、オレとしては、ほぼ不満はない。むしろめっちゃ快適。もう、前のおうちには戻れない。広い家ってやっぱり最高だ。広い庭があるって良いな。自分の仕事部屋があってお仕事もはかどるって寸法だ。

ありがたい事に去年と今のところほぼ同じ水準か、むしろ多い位のお仕事をいただけてるんだけども、お仕事がはかどると言う事で、実際の作業時間は去年よりさらに短くなった。

日々は、比較的のんびりと、そして、自分のやりたい事に時間を割く事も出来始めてる。

去年からさんざん言ってきたことだけども、今、それ以上に強く思う事がある。

「こんな楽で楽しい毎日で大丈夫か?」と。

好きな時間に起きて、気分が乗った時だけパソコンの前に座って、それ以外はのんびり好きな事をしてる。

それでいて、毎朝、眠い目をこすって早起きして、会社に行って、恫喝され、動悸が止まらなくて、終始手が震える環境で、絶対終わらせることのできない量のお仕事をこなして日付が変わるまで働いていたあの頃より、収入だって増えてる。

リスクヘッジ的な事も分かる。

それでも、オレは今の生活の方が色んな意味で幸せなんだよ。

来年も、10年後も、30年後も今のような生活ができていれば、もう何も言うことはない。

毎日が色んな意味で楽しすぎて、逆に不安になると言う感じ。

不安を考える事が出来るのも、生活に余裕があるからなんだと言う事にしておこう。

そんな感じで、日々楽しく生きておりますよ。

と言う、生存報告をして・・・明日から、またコツコツ更新・・・できたらいいね。そうですね。

取りあえず、水着の女でも載せとけば何とかなるかも知れない。

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2018年3月6日 0:45 CAT :

きせつのかわりめ

気がつけば、1か月ほども放置していたです。

嘘みたい。。。

嘘じゃないみたい。。。

取り合えず、2月はめっちゃ忙しかった。

いやね、お仕事が・・・と言うよりは、それ以外の部分が忙しかったと思う。

お引越しがあって、急なお葬式があって、お仕事がいろいろ決まって・・・

確定申告も行かなきゃいけないので、全然準備出来てない。もう期限まで10日を切っていると言うのに・・・これが一番やばいんだよな。

ただ、お引越しについては無事完了。まだ、家具が揃ってなかったり、段ボールが片せてなかったりするけど、とにかく普通に生活出来る感じにはなってる。

延べ床面積では、前のおうちの倍以上広くなったし、大きな庭もできた。門を閉めておけば、子どもが庭で好き勝手遊べるようにもなった。

んで、オレのお仕事部屋も出来た。

家自体は、築年数が少々経ってて、嫁としては可愛さ的に許せない箇所が多々あるらしいけども、オレとしては実家がいい加減古い家だったので、それに近い感じであんまり違和感がなかったり・・・

前の家は比較的新しかったので、最初は違和感あったけど、今は、それより、広さを含めた諸々の便利さが優っている感じでございます。

とは言え、前の家は、結婚してからずっと住んでた訳で、嫁と喧嘩もしながらニコニコ過ごしたのも、ぬんちゃくと過ごしたのも、子ども2人が生まれたのも全部あの家なんだよ。

色々思い出があって、その家からどんどんものがなくなって、自分の住む場所じゃなくなっていく事には、かなり寂しさを覚えた。

今までにも、引っ越しとか何度かしてきたけど、これまでで一番寂しかった。

それだけあの家での日々は楽しくて、充実していたんだろうて。

今度の家も、出来るだけ長く住んで、沢山楽しい思い出を作りたいな。と。思っております。

今は、オレのお仕事が忙しい以上に、嫁がおうちをいい感じに改造することに忙しくて、相手にしてくれないので、ちょっと寂しい日々なんだけども、それももう少ししたら落ち着くらしいので、あと少しだけ我慢する。

お仕事のほうでも、これまで通りのお仕事とは別に、大きなお仕事がいくつか決まって、日々「今日は、こなせるか?」と不安になりつつも、何とかやりこなしております。

ただ、難しい事をするたびに、確実にレベルアップできていると思うのでこのまま、精進していくばかりですな。

そんな感じで、取り急ぎ生存報告をば。

マンガも再開したいし、ブログも3月はもう少し書いていく。

多分。。。

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2018年2月2日 11:17 CAT :

僕はマゾの血をひき・・・

引っ越し関係で、1月からずっとバタバタしております。

引っ越すだけなら、そうでもないんだろうけど、実家に戻るのか、子どもの校区はどうするのか、広さはどうなのか、場所はどうなのか、お金はどうなのか・・・などなど、懸念事項が本当に多い。

一人でとか、または新婚当時とは、環境や状況が全然違う訳で、早々気楽にホイホイ引っ越しできるわけもなく・・・

葛飾北斎のように、すべて自分本位でやってしまえれば楽なんだろうけど、そうもいかない訳で、色んな所にお話しして、調整して、などやってて本当に辟易した。

そもそも、そう言うのが苦手だから、今の状況を作り上げていったと言うのにだ。

重ねて、大きなお仕事をたくさんいただいていて、それはそれでありがたい事だけれども、なんだか、本当に忙しい。

でも。

でもだ。

オレは、そろそろ本気でマンガ描きたくなってきた。

お仕事がら、創作活動には事欠かないとはいえ、やっぱりマンガを描きたい。

ペンを握って、好き勝手に描きたい。

・・・と言う事で、「R.D」の次の話のネームはほぼ完成した。

描き始めたとしても、時間がなかなか取れなさそうだけれども・・・

アスの方も随分更新してないし。

取りあえず、引っ越しが落ち着くだろう3月からは、またバリバリ更新していくんだ。

どんどん描いていくんだ。

まだまだ、描きたい事はたくさんありますのでな。

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2018年1月28日 1:43 CAT :

色違いの春

何と言うか、大きいお仕事がどんどん入ってきております。

ありがとうございますです。

せっかく、昨年はけっこう貯金も貯まったたのに、お引越し関係で、結構ガッツリ減ったので、今年もいろいろ頑張ります。ハイ。

新居の為の家具とか、家電とかもチョコチョコ買いそろえないといけないし、そもそも、初期費用やら、引っ越し費用やら色々かかるので・・・

出来れば、100万はかからないようにしたいけれども、お引越しってお金がかかるんですね。

うむむむむむ。。。

併せて、そう言う外的な環境の変化だけでなく、お仕事の面でも色々と変化が起きてきている。

なんか、チョッと凄い事になってきてて、「これ、オレの手に余るんじゃねえの?オレの技術で大丈夫なの?」と不安を覚えたり覚えなかったり。

ただ、言える事は、この大きい仕事を一つ一つこなしていく事で、これまでとは比べ物にならない位レベルアップできると思うんだ。

逆に、「これでこの金額取って納品してたの?」と言う、仕事もたくさん目の当たりにしてたりもする。

オレにできることは、最善を尽くして、いただいた一つ一つのお仕事にしっかり取り組んでいく。この一言に尽きるよね。

先方さんがどう思うかということは別としても、少なくともオレ自身が「これでこの金額取って納品してたの?」と思うことのないように・・・

実際、目の当たりにした雑なお仕事については、作った側の技術不足とかもあったのかもしれないけど、そうじゃないなら「良く分かってない客だから、適当に作ってガッツリカモってやろう」とでも思ったとしか考えられなかったりするものもあるのが事実で・・・

オレ自身の出来ることは、本当に全然大したことじゃあないけれども、それでも、全力で頑張ります。

「砂漠の砂鉄」を自称していた過去から見ると、多少なりとも認めてもらえて、任せてもらえると言う事実が着実に積み重なってきている今日この頃を、ドキドキしつつ、チョッと嬉しかったりもするんだよ。

だからこそ、その期待に背いちゃあ絶対にいけないとも思ってるわけで。

今年を終えた時、うまく言っていたら今とは比べ物にならないくらいレベルアップできてるはず。

逆に、失望を買いまくって、お仕事貰えなくなって困窮してる。なんて事がないように、頑張るよ。おっちゃんは。

取り合えず、お仕事関係の皆さんにご迷惑をかけないように、人殺したり、レイプしたりしないように気をつけます。

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