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2014年10月19日 10:09 CAT :

【王道軽症】オナニーノーツその7 「おもちゃはおもちゃ箱へ」

今回も、2つで1曲だと思ってる。

思ってるんだからしょうがない。

「思い出のアルバム」と「おもちゃはおもちゃ箱へ」はひとつの曲という認識でおります。

では、どんな思い出か・・・なぜ、この「思い出のアルバム」を持ってきたのかというと、この曲自体の「思い出」ってものが、どちらかと言えば、純朴なものだから。

純朴な「思い出」からつながる「おもちゃはおもちゃ箱へ」と言うタイトルから、勝手に、子ども時代のおもちゃの事でも、妄想すれば良い。

その方が、次の曲の印象が強くなる。

とか言う、そんな小汚い思惑があったわけですよ。

ちなみに、弟も、その罠にまんまと引っかかり、「おもちゃはおもちゃ箱へ」の仮撮りの時に「こう言う意味のおもちゃやと思わなかったわ・・・」と言ってた。

うししし・・・

前置きはこの辺にして・・・

良くある(といっても、アングラの世界でだとは思うけれども)「異常性愛」をテーマとした作品の数々。

少し前に流行った「蛇にピアス」(だっけ?)なんかは、珍しく表舞台でそのネタをやってたけど、基本的には、アングラのネタだよね。

あと、初期の犬神サーカス団は、ほとんどの楽曲のテーマがそれだった気がする。

映画でも、演劇でも、音楽でも、漫画でも良くある「異常性愛」と言うテーマ。

でも、実は、このテーマの後日談・・・って、あんまり見かけなかったりする。

例えば、だけど、SMの世界にどっぷりと浸かり、ご主人様のために、刺青して、歯を抜かれて、体中にピアス開けられて、穴がガバガバになってしまったM女のその後・・・

それがこの「おもちゃはおもちゃ箱へ」と言う曲に繋がっている訳でございます。

ここ数年、オレが一番に描きたい情景は、「命」とかそんな尊く、壮大なテーマではなく、「そこはことない哀れ」。

それも、日本美的な「哀れ」。

そして、この「異常性愛のその後」と言う情景が、実に、ディモールト!にベネなんだよ。

と言う事で、この曲自体は、かなり早い段階からタイトルと構想が決まってた。

(多分、「王道軽症」の構想を練り始めた最初期から。)この曲だけは、アルバムとして、絶対に外せないぜ!な感じで。

でも、そこから先が進まなかった。

「そこはかとない哀れ」な老婆を表現する上では、ストレートな単語は基本的にNGだと思う。

例えば、「まんこ」とかね・・・その上で、出来ることなら、状況や、状態だけを坦々と語る事で、老婆の心情を投影したい。

欲求はたくさんあった。

ある上で、自分の描きたい情景にピッタリの最高の題材だ。

となると、ホント考えても、考えても、うまく書けなかった。

ズッとレコーディング出来ないままに1年が過ぎ去ろうとしてた。

仮撮りの最終日の夜くらいに、やっと歌詞が書きあがった。

それも、何だかチョッと物足りなくて、レコーディングに行く朝に、その歌詞に少しだけ「老婆の心情」を書き足した。

それが、結果的にサビとなる
「おもちゃはおもちゃ箱へ
 おもちゃは一人では 何も出来ない
 おもちゃはおもちゃ箱へ
 存在する意味も 価値も分からない」
の一説。

とまぁ、のた打ち回って歌詞が完成したわけだけれども、と言う事で、曲が出来てない。

取りあえず、しょうがないので、レコーディング中に、ギターのリフを作って、ドラムを作っていく。

んで、最後にそのドラムとギターリフに乗せて、即興で、朗々と語った。

すると、無意識に、最後の「老婆の心情」の部分だけが、メロディーになって出てきた。

そんな感じ。

ちなみに、この最初に撮った仮唄のほうが、実は個人的には凄くいい感じだと思ってる。

実際に、収録したのは、ちゃんと取り直した方なんだけど、即興ならではの不安定感が、実に、曲や歌詞のイメージとマッチしてて心地良かった。

さすがに、録音状況が悪すぎて、泣く泣く撮り直したけれども・・・

それでも、今回のアルバムでは群を抜いてお気に入りの曲になった。

追い詰められると、まだまだ、搾り出す事が出来るみたいだ。

当初想定してたよりも、はるかに良い歌詞が書けて、はるかに良い曲になったと思っております。

何気にプログレ。

そして、サビに至る過程が、大好きな「キング・クリムゾン」の「エピタフ」のように、張り詰めて張り詰めて張り詰めた感情が、ブワッと流れ出たように繋がってると、個人的に思っております。

個人的に思うくらい良いじゃないか!!
そんな、チョッと緊張感を持った曲で後半の幕が開く感じで、この緊張感を保たせる為の1曲へ。

では、次回は「お耳汚しを召し上がれ~と言う演出」でお会いしましょう。

さようなら。

さようなら。

さようなら。

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2014年10月17日 19:36 CAT :

わ~お!いないいないばあだ!

先日、嫁が図書館で「てとてと だんごむし」と言う本を借りてきた。

・・・うむむむ。

面白いじゃないか。

実は、だんご虫。

大好きだったりする。

まだ、実家にいたことは、「垂直落下式」と名付けただんご虫を、ライオンズの応援グッズのメガホンの中で飼育していた事もある。

だんご虫。

可愛いよね。

よく見ると、気持ち悪い所がまた可愛い。

壁にぶつかると、右、左、右の順番でウロウロするけど、チョッと真っ直ぐ歩くと、さっきどっちに曲がったか忘れてしまって、同じ方向に曲がったりもする。

そこがまた可愛い。

今日は、そんなだんご虫に対する思いのたけをぶち巻こうかと思ったけど、そんなにツラツラ書けるほど思いもなかった。

そこもまた可愛い。

だんご虫。

丸まっても、踏みつけたらそれで終わりなので、優しく、手に乗せてヨシヨシしてあげて下さいませ。

だんご虫。

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2014年10月16日 11:18 CAT :

アキレス腱をぶっちぎった亀とうさぎと申鶏未

8月辺り。

お誕生日を迎えた辺りから、無理はしない。

無理はしない程度に、コツコツを更新するようにしている。

以前のように、1日1回。

それどころか、多い月には、月に60回ほどの更新をしてた事もあるけれども、そこまでは、やりきらない。

と言うか、無理をしない程度に。

なスタンスで、やってはおります。

実は、このブログ以外に、もうひとつ。

誰にも知られずに書いてるブログがある。

そちらに至っては、さらに「無理はしない」ので、ホント1年くらい放置してたり、フッと立て続けに更新しては、また数ヶ月放置したり・・・と、酷い状況になってたりしている。

しているけれども・・・

そちらのブログは、1回記事を更新すれば、100アクセスくらいは、すぐにあるし、今の所一番多かった記事だと、1000アクセスくらいあったりもしてる。

数ヶ月更新してないのに、常時、この「超コツコツ日記」の数倍のアクセスがあり、記事を更新すると、10倍以上のアクセスが集まる。

そもそも、そっちのブログは、「超コツコツ日記」の志茂田さんだということを隠して、どの位アクセスが稼げるか・・・みたいな事を試したくてはじめたのに、むしろこっちのブログの方が過疎ってるじゃあねえか!向こうのブログで、「超コツコツ日記」の事を書いてやろうか!な状況に陥ってしまった。

まぁあれですね。

何が言いたいかと言うと、結局は、更新頻度より、内容だという事ですね。

誰も興味ない個人的な吐露を頻繁にするより、人が興味あるだろうことを面白おかしく数ヶ月に1回書いたほうが良いと。

(もちろん、それを頻繁に書けば、それが最強なんだろうけども。)
そんな事がわかった。

でも、人のために書く事にあんまり魅力がないので、更新頻度とワークスペースの配分は、今のままで行こう。

のんびりのんびりですよ。

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2014年10月14日 0:10 CAT :

その首筋に流れる血液をなめとれば、それはきっと優しい味がする

テフロン加工のフライパンの弊害を諸々知った上で、それとは別に、すぐに買い替えなきゃいけない事も含めて、今回、フライパンを買い替える事になったので、嫁にお願いして「鉄のフライパン」を買って貰った。

一番のきっかけは、先日のお盆に、実家で食べたステーキだったりする。

肉が良かったのはもちろんなんだけど、これが、鉄のフライパンで焼いてたらしく・・・「ウマい肉を食べたい」と言う事に関しては、そんじょそこらのとっちゃん坊やとは比べ物にならないくらいの欲求を持っておりますので、鉄のフライパンが欲しくてしょうがなくなった。

ただ、嫁が渋る理由も凄い納得。

まず、重い。

値段がテフロン野郎の何倍もする。

そして、手入れが色々必要。

毎日使うのは、嫁なので、嫁の気持ち、言い分は凄くもっともな訳で・・・諦めなければいけないのか・・・と、色々悶々とすること1か月位か?
でも、やっぱり欲しかった。

そして、買ったんだよ。

実際、最初に油返しをする段階で、だんだんテンションも上がってきた。

思ったほど、手入れは大変じゃなかった。

もちろん、重いのは重いけど、それも、「これは絶望しかない」と言うほどのものでもなかった。

そして、何より美味いんだよ。

高かったけど、良かったと言う事にしよう。

嘘かホントか、これからはずっと使えるらしいので・・・鉄分補給も出来て、貧血気味な嫁も、血行良くなるだろうと信じている。

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2014年10月13日 23:39 CAT :

その大きく伸びきったビラビラを引きちぎれ

元々、オレがお仕事にも使うから・・・と言う事で、ちょっとスペックのいいパソコン(今となっては、そうでもないけど)に、アドビ関係のソフト入れて、机とか、イスもこだわったと言うのに・・・

気がつけば、そこは、ほとんど嫁にい場所になってしまってたと言うね。

オレは、必要があるときだけ、嫁にどいてもらうけど、基本的ニは、ソファーで、ノーパソの方が多くなってしまいました。

(今ももちろん。)
まぁ、オレは、家でまでごりごりパソコンで作業したくないってのはあるんだけれども。

そして、机の上は、嫁の私物が増えていく。

オレの私物が冷遇されていく。

そんなスパイラルに入りつつありまする。

さてさて。

何か、取り立てて書くことでもないんだけど、中学校の同窓会に誘われましてん。

成人式の時に、同窓会的な飲み会に、どこからもお呼びがかからなかった事から、暗黒認定していた時期の同窓会。

行こうか、どうか、チョッと迷ってる。

何なんだろうね。

中学生までのオレは、ホント最低な人間だったのは間違いないと思う。

(別に、今が存外良いやつだと言う話でもないのだけれども)だから、そんなヤツとまともにつきあう気がない。

と言う、皆様のご意見も至極ごもっとも。

そして、そんな感覚のままで、いったんストップした印象を持ってるヤツが集まるであろう、同窓会に行くの?
それって、「あぁ~そうだった。

中学校までのオレってこんなかったよね。」と言う事を思い出しに行くだけなんじゃないのか?と言う、謎の杞憂。

でも、もういい歳なんだし、意外と普通に楽しんで帰ってこれるんじゃないか・・・と言う、楽観的な思考。

結構、入り混じっておりますよ。

行くべきか、否か。

それが問題だ。

なんだよ。

つい最近も、秋祭りの件で、この事についてうだうだ悩んでたと言うのに・・・

ただ、秋祭りに関しては、どんな空気で、どんな感じになるかがほぼ分かってるのに対して、今回は、そこが未知数。

だから、さらに迷う。

迷うって・・・なんだよ。

迷うって。

基本的に、こう言うの誘われたら(仕事とかでいけない事を除いて)行くんだよ。

それこそ、子どもの頃のトラウマで、一度断ったら、二度と誘ってくれなさそうな妄想に囚われてるから。

迷うよね。

だから、迷うってなんだよ。

迷うって。

子どもの頃の事って、色々と一生付きまとうと言う事が、大きくなって分かりましたので、娘には、こうなって欲しくない。

と切に願う。

でも、なんとなく、すでにチョッと変な子の片鱗を見せ始めてる気がするんだ。

だって、オレも、嫁も変なんだもん。

ちょっと周りから変な目で見られてきた2人なんだもん。

結末は、年末か、年始に。

覚えてたら。

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2014年10月11日 12:53 CAT :

注射器の中のレントゲン現像液を膿のたまった首筋の大きなできものにぶち込め

基本的には、単行本派です。

ハンターハンターが載ってるジャンプ以外は買わないし、そもそも、基本的に立ち読みもしない。

単行本まで、耐え忍ぶ戦いを行っております。

でも、たまたまチョッとだけカイジを読んだ。

・・・読んだら、凄いことになってた!
その前を読んでないから、単行本までの話と今の話との間は妄想になるけど、・・・嘘だろ!!な展開。

・・・いや、それ以外考えられない。

久々に、度肝を抜かれる展開になりそうだ。

単行本発売が心から待たれる今日この頃・・・

さてさて。

また、どこかで選挙でもあるみたいで、「やいのやいの」と五月蝿い感じ。

当選したら、見向きもしなくなるくせに、選挙が始まると、車で街中を練りまわり、街頭でダラダラ話をして・・・と、イライラしててもしょうがないか・・・

今回、その中で「県内初の女性町長を」みたいなことを言ってた候補者さんがいるみたい。

何となく、その言葉だけが耳に残った。

候補者さんの名前は分からないけども。

個人的に、男女差別はしない。

だから、女であろうとも気にいらなければ、グーで殴る。

口汚く罵る。

泣いても許さない。

「女の子に手を上げるなんて最低」と言われても知ったことではない。

そう言ってる顔面をグーで殴って、歯をへし折ってやる。

(まぁ、実際は、そんな事やる勇気もないけど。)
それが、男女平等だ。

男女平等を言うのなら、生理休暇など認められる訳がない。

男女平等だからだ。

そんな志茂田さんには、前述の候補者さんが凄い鼻につく。

「県内初の女性町長を」と言うからには、このおばさんは「男女差別迎合主義」なんだと思う。

それだけでも、すでに話が合いそうにない。

自分が女である事を前面に押し出すヤツは、間違いなく差別主義者。

仮に、「男女平等」をうたっていたとしたら、とんでもないペテン師で、偽善者だと思う。

そもそも、このおばさんが言う「県内初の女性町長を」と言うコピーがすでに意味不明。

なんだ?女性が上に立つ素晴らしい社会を作ります。

とでも言いたいのか?女性の為の社会を作ります。

とでも言いたいのか?
それは、そのまま「女尊男卑」な、男女差別バリバリ全開ぶっちぎりだぜ社会と言う意味な事が分かってるんだろうか。

かつて本当に日本が「男尊女卑」だった時代はあった。

確かに。

そして、その時代においては、女性が当たり前の権利を獲得する為の男女平等には意味があっただろうて。

でも、今の事態、そんな男尊女卑か?むしろ、調子に乗りすぎたこの候補者のおばさんみたいなヤツが増えたせいで、「女尊男卑」極まりない社会になってる様に感じてしょうがない。

チョッとも前にも「塩村なんとか」って言う、いじめ大好き変態女が、「結婚しろ」って言われたレベルで、うそ泣きして、世間の同情を集めようとしてた。

けど、それは、言われてもしょうがないと思う。

それが、お前らが望んでた「男女平等」なんだから。

「男女平等」とは、都合のいい事はすべて、男と同じだけになって、都合の悪い所は女だからで許されるものじゃあない。

男だから、女だからと言う部分を省いた人としての部分で、見ていく必要が少なからずあるんだろう。

そう言う面で見たところ、このおばさんは、オレの中では、「なし」。

まぁ、そんなふっと思っただけの話ですよ。

はい。

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2014年10月10日 9:01 CAT :

ムツオさん

発表から、半年以上待ち望んだ敬愛する筋肉少女帯のアルバム「tha show must go on」。

どうしても、おいちゃんが歌う「カーネーション・リインカーネーション」が聴きたくてわざわざタワレコで予約してまで買った。

近くにタワレコ無いから、ネットで。

そしたら、配送の関係で、届いたのは発売日の次の日。

フラゲした人々に羨望の眼差しを向けつつ、やっと聴く事が出来た。

すげえええええ!
これは凄まじい名盤だ!!
一聴して、「レティクル座妄想」や「月光蟲」を聞いたとき程の衝撃を受けた。

再結成3部作とは全く違う。

完全な、本当の意味の新作。

これこそ筋肉少女帯だ!!と言うしかない。

しかも、聞き込めば聞き込むほどに、新しい発見がある「スルメアルバム」の様相も呈している・・・

と言う事で、詳しい感想は、もう少し聞き込んでからにする。

すぐには、語れるものではない。

そのくらいの圧倒的濃密な内容量。

ただ、今はその感動を綴りたい。

それだけでございます。

特典のDVDも素晴らしい。

全てにおいて完璧。

何も言うことがない。

ただただ、ありがとうございました。

としか言うことはない。

kinniku.jpg

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2014年10月9日 12:00 CAT :

キーワードはアナルローズ

運動不足感は否めない日々ですが、何気に娘を抱っこして移動してるだけで、チョッピリ筋肉もついてきた志茂田さんです。

今年も、秋祭りの季節がやってきた。

毎年この時期になると、大好きな獅子舞があり、鐘の音を聞くだけで鼓動が高まってしまう。

でも、同時に、獅子組に今年は参加するか否か。

でとっても悩んでしまう時期でもある。

行きたいのはマウンテンマウンテンなんだけど、どうも、獅子組自体に馴染めないんだよね。

皆良い人だと思うんだけど、何となく馴染めない。

まぁ、練習とかに行く訳でもないし、元々、誰とでも気兼ねなく会話できる訳でもないので、どうしても、集団の中に入ると浮いてしまう。

今年はどうするべきか・・・うぬぬぬ。

さてさて。

先日、久々に「屋島水族館」に行ってきた。

動物園は、動物が怖くて何にも楽しめない娘のために、水族館なら・・・と言う、淡い目論見があったんだけども。

実際、久々に行って見たら、凄く変わってるとこと、昔、オレが子ども自分に行ってた頃と何にも変わってないことが入り混じってた。

(辺り前っちゃあ、当たり前だけど。)
ビックリしたのは、トドが居なくなってたこと。

2匹のトド・・・死んじゃったんだろうか・・・あの大きなトドに餌をあげるの凄い楽しかったのに・・・

変わりに可愛いペンギンが沢山居ましたよ。

マナティーは元気だった。

あと、子どもながらに相当衝撃を受けた「ピラニア」の水槽。

この水槽の背景にあった赤地に人骨のイラストがそっくりなくなってた。

あれを見た子どもの頃、「ピラニア」に異常なまでの恐怖を植えつけられたのに・・・「ピラニア」が別にそんな人を襲わない事がばれてしまったから、外したんだろうか・・・インパクトがあっただけに無念きわまる。

思った事は、全体的に、「あれ?こんなに小さかったっけ?」と言う事。

子どもの頃、無限に広く。

進んでも進んでも次がある。

様に感じていたのは、なんだったんだろう・・・?
で、肝心の娘は、動物園よりははるかに楽しそうにしてた。

多分、オレが子どもの頃に感じていたのと同じように、広大なフロアに沢山の魚が居るように感じていた事だろう。

喜び具合としては、アンパンマンミュージアム >> 満濃森林公園 >> 屋島水族館 >>>>>(越えられない壁)>>>>>> 砥部動物園 >>> 白鳥動物園 と言う感じか。

凄い喜んで、水族館内を走り回ってたけど、あんまり魚は見てなかったような気がするので、別に水族館じゃなくても良かったかも知れない。

行くまでの道すがらでも、十分喜んでたし。

まぁ、何しか、帰りの車の中で「今日は楽しかった~」って言ってたから、良しとしよう。

景色もいいし、これからの季節。

もう一回くらい行きたいよね。

ただ、屋島上るだけでお金がかかって、水族館でまたお金がかかるのは解せぬ。

解せぬぞおおおおおおお!!

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2014年10月7日 23:15 CAT :

信じるものは資本の正義

こんな夜は、少しだけ昔の事を思い出してしまう。

そんな夜もあったりなかったりする。

割と、自分語りは好きな方で、色んな話をブログとかでは、ダラダラと垂れ流すけれども、実は、周囲に対しては、あんまり話したりはしない。

家族にもあんまり話してこなかった。

多分、嫁が一番そう言う話に関しては知ってるだろうと思う。

誰にも話してこなかった色んなチョッと苦い思い出や、赤面モノの厨二病な思い出。

それは、永遠にオレの心の中だけにあるものだと思ってた。

でも、ある日気がついてしまった。

そんな記憶が、確実に消え去っている。

頭の中から消え去ってる。

忘れてしまったのか、それとも、その思い出が入っている引き出しの開け方を忘れてしまったのか・・・

もうかなりの思い出が、自分の意志では思いだせない状況になってしまったいるらしい。

そんな中、ふと思い出した一抹の情景について。

オレは、小学高学年の頃、学校のソフトボールクラブに入っていた。

若干、入らされていたと言う方が正しい気もするけれども。

どういう経緯で入る事になったのかは、あんまりはっきり覚えていないけれども、確か、小学校自分に割と話をしてくれてた「T君」に誘われて、それが嬉しくて・・・とかそんな感じだったように思う。

ソフトボールなので、やはり、体育会系。

メンバーも皆そっち系。

勉強より運動が好きで、口が悪くて、乱暴。

そして、チョッと悪い事が好き。

オレは、そのクラブのメンバーととにかく馴染めなかった。

今考えると、もしかしたら、そのメンバーはオレの事をそこまで嫌ってはなかったかもしれない。

ただ、彼らの普通の接し方、いじり方がオレにとっては、もういじめのようにしか感じる事が出来なかった。

監督とかも、今から20年ほど前なので、暴言体罰あり、練習中は水分補給なし、罰はグラウンド周回。

と言う、時代。

良くソフトボールを投げつけられたり、ヘルメットの上からとは言えバットで頭を殴られたりしてた。

(もちろん、本気ではしてないけど。)
入ってすぐに後悔したけれども、怖くて辞めるとも言えなかった。

頑張ってやり続けて結果、こんなオレでも、レギュラーになれ、打撃の方だけは認められ4番を打たせて貰えてた。

(守備はからっきしだったので、DH制がある試合では、打撃専門だったけども。)
その頃には、そのチームには、居場所が出来てた。

結果的には、引退後もOBとして、時々指導がてらに様子を見に行く位になってたし。

今となっては、チョッと良い思い出になってると思う。

今日、思いだした情景は、そうやって自分の居場所が確保できる前、入って数カ月の頃。

練習は毎週土日にあったんだけど、とにかく、その土日が嫌でしょうがなかった。

出来るだけ休もうと、仮病を使いたかったけれども、なかなか嘘をつけなくて、いつもいやいや練習に参加してた。

そんなある日、本当に体調がすぐれない日があった。

熱はなかったから頑張って学校には行ったけど、運動はできそうにない。

と言う事で、その日は練習を休もうと思ってた。

(無理すればいけない事もなかったけど、とにかく行きたくなかったから・・・)
そんな日に限って、オレを誘った「T君」が珍しく「一緒に行こうぜ」と家まで迎えに来てくれたんだよね。

オレとしては、「何て余計な事を!!」と思った。

案の定、オレが休むことを容認してたじいちゃんは「せっかく迎えに来てくれたんだから、一緒に行けば?」と・・・まぁ、そうなるのはしょうがない。

とにかく休む気満々でいたオレは、その日、迎えに来た「T君」の方を見向きもしないで、「今日はオレは、本当に行けないんだよ。

体調が悪くて・・・」と冷たく突き放した。

「T君」は、無言で立ち上がり、じいちゃんばあちゃんに「おじゃましました」とだけ言って出ていった。

ふと考えた。

「T君」も、オレと同じで気が進まなくて、しかも入ったばっかりだから、練習が嫌で、だから、自分を奮い立たせる意味でも、誘いに来てくれたんじゃないかと・・・(実際、そんな感じだと、今でも思ってるけども。)
急に、心苦しくなってドアを出ていった「T君」を追うようにドアを開けて声をかけた。

「T君」は振り向かずに立ち止まった。

そこで、「やっぱりオレも行くから、チョッと待ってて」と言えれば、どれだけ良かったのか、オレの口から出た言葉は「ごめんな。

監督に伝えといて」だった。

振り向きもせず「T君」は再び歩き出し、そして、一人練習へ行ってしまった。

学校であった時、練習の時とか、それからも、変わりなく接してくれていたけれども、「T君」がオレを誘いに来る事はもう二度となかった。

思いだしたのは、その「T君」の後ろ姿。

彼とは、高校から別になり、今は東京にいて、ほとんどこっちには帰ってきてないとか、伝え聞いてる。

今も元気しているのだろうか。

なぜ、思いだしたのかは、誰にも分かりはしない。

小学校の頃。

とにかく、オレは友達もほとんどいなくて、いじめられる所か、相手にもされないまま過ごしてた。

その原因になるような、今考えるに「オレって最低だ」って思う事が沢山ある。

冒頭で書いたとおり、大半は忘れてしまったけど、それでも、まだ、沢山ある。

そんなヤツ、誰だった相手にしたくないだろうて。

ふと訪れる。

少しだけ懺悔の夜。

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2014年10月6日 20:25 CAT :

ルーズ ザ ウェイ

人それぞれに思うことがある。

人それぞれに人生ってヤツもある。

幸せの形も、絶望の形も人それぞれ。

哀しい日々もあったけれども、今思えば、それは幸せな日々だった。

そんな事も、当たり前のように存在するこの世界。

さまようこの世界に
それでも歩くなら
いい方へ転がれ
please don’t lose the way
いい方へ転がれ
いい方へ転がれ
いい方へ転がれ
いい方へ転がれ
please don’t lose the way
言えることなど、それ位しかないらしい。

いつか、本当に思いの全てをぶつける事が出来るその日までは。

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2014年10月4日 22:15 CAT :

グノシーで騙されてクリックした先のランディングページのようなもの

先日、時間があったので「ダ・ヴィンチ」を立ち読みしてた。

「進撃の巨人」の連載までの流れとか、作者のインタビューとか、大御所漫画家さんのキャライラストとか・・・

結構面白かったけど、原作者さんの「ホントはもっとキレイに絵を書けるけど、それに興味ないから書かない。」は、ちゃんと書けよ。

とチョッと思った。

曲がりなりにも商業マンガなんだから・・・

でも、ネームを雑誌に載せてる「T樫Y博」と言う漫画家さんの作品をありがたがって読んでる事を思い出し、まぁ、良いかとなりました。

しかし、この作品。

初めての持込を読んだのが、新人の編集さんだったと言うのが良かったんだろうね。

集英社に持ち込んだときには、ベテランの編集さんにスカボコに酷評されたらしいし。

ベテランさんは目にフィルターがかかりまくって、面白いとか面白くないとか、あんまり分からなくなってしまうんだろう。

さてさて。

「ニュースチョクホー」と言う物語がある。

これは、オレが小学4年だか、5年生だかの頃から書き続けている物語で、派生した作品が3つあったりする。

ひとつは、無印の「ニュースチョクホー」。

これは、小学校卒業し、中学入学した辺りで、一旦完結した。

もうひとつは、「ニュースチョクホー」から数年後に書き始めた「続ニュースチョクホー」。

これは、今でも不定期に書いてる。

最後のひとつは、「超ニュースチョクホー」。

特に、高校時代だけを切り取って、小説形式で書いてるお話で、2009年で一旦休止してる。

一番初めのニュースチョクホーを書き始めてから実に20年。

言うまでも無く、オレの書くお話としては、文句なしの最長の作品。

そして、内容が、オレの実際のお話を元にした自伝(と言うか、日記)だったりする。

書き始めたきっかけは、「オレの人生って、結構面白いんじゃね?それを、大げさなお話にしてしまえば、それで漫画になるだろう」と言う発想だった。

それを、世間一般的には「エッセイ」とか「随筆」とか「自伝」とか言う事実を、小学生当時のオレは知らなかった。

自分の生活を書く。

天才の発想だ。

と思ってた。

それから20年。

今も断続的に書き続けているこの物語。

そのうちのひとつ「超ニュースチョクホー」を先日、ふと、読んでた。

・・・う~む。

これがなかなか面白い。

自分で言うのもなんだけど。

これは、高校3年間のお話と、元々区切っているので、いつか終わりが来る。

チョッとページを見やすくリニューアルして、続きを書こうかと、思っております。

さらに10年後のオレが、完結したその話を読んで「面白い話だ」と思えるように。

5年ぶりの再開・・・がいつの事になるかは、未定。

ただ、最近、久々に頭がクリエイティブになってるのは、チョッと嬉しい出来事だと思う。

ちなみに、その「超ニュースチョクホー」休止前まではここで読めるよ~(↓)
志茂田さん文庫「超ニュースチョクホー」(ページが昔のままで醜いけども)
5年前に握ったちんこを5年ぶりにこすり始めた!
まだ逝けはしない。

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2014年10月3日 16:46 CAT :

命を刈り取る形はしていなかったバルキリースカートの中は無防備に丸出しのまんこ

人と自分を比べる・・・と言う行為って、きっと誰でもやってる事だと思う。

それは、羨望であったり、嫉妬であったり、渇望であったり、単純な憎しみであったりと言う、感情を共にしていたとしても、誰もが当たり前のようにやっている事。

面白いのは、比べる相手が自分と同年代ではない場合。

その場合には、3種類ほど比べ方があるような気がする。

○今現状の自分と相手を比べる。

○比べる相手が自分と同じ年頃の時を比べる。

○比べる相手の年頃の頃の自分を妄想して比べる。

これは、分かりやすく言えば、今、実写映画大ヒット中の「るろうに剣心」における、弥彦が例に挙げられると思う。

弥彦は、自分と剣心の力の差に嘆くけれども、周りからは「同じ歳の頃の剣心と比べると圧倒的に強い」とたしなめられる。

そんなシーンがあったはず。

そこはそれで、弥彦は「将来じゃなく、今強くないと意味が無い。」的なことを言ってたような言ってなかったような気がするけれども、まぁ、そんな感じ。

これは、「今現状の自分と相手を比べる。」だと思う。

この段階では、確かに、弥彦と剣心では、絶望的な力の差があったはず。

でも、これを「比べる相手が自分と同じ年頃の時を比べる。」で考えてみると・・・

まだ、剣心が「心太」と呼ばれて、何の力もなく、一人、惨殺された村人や仲間の墓を作ってる頃だと思う。

そんな時に弥彦は、日本転覆を目論むCCO一派の急先鋒十本刀の一人を、撃破していた。

・・・弥彦凄い。

何か、10歳くらいの少年が、大人に勝つのも凄いのに、その相手は、ダイナマイトを投げつけ、空を飛びながら、真剣で切り殺しに来る変態男。

それで、しっかり勝ってる・・・と言うね。

しかも、相手を怪我させないように作られて竹刀で。

で、次に「比べる相手の年頃の頃の自分を妄想して比べる。」で考えてみると・・・

結局マンガの描写では、よく分からないので、弥彦が元服した辺りの頃・・・剣心は、「人斬り抜刀斎」として、暗殺をしまくり、心を病んで、自暴自棄になってた頃だと思う。

そんな時、弥彦は、「神谷活心流」の師範代として、門弟を抱えながら、日本屈指の強さを持ちつつも、人間的にも成長してる。

単純な強さだけで言うなら、剣心のほうが強いかも知れないけど、人生的に見れば、多分、弥彦の方が良い感じだと思う。

・・・まぁ、これは、あくまでもマンガの話だけれども、取りあえず、自分と同世代以外の人間に関して(特に、年上の人間)に関して「今現状の自分と相手を比べる。」は全く意味が無いって事は分かると思う。

「今現状の自分と相手を比べる。」の結果、悲観的になるのも、自分の方が優れてるように思うのも愚の骨頂。

これに、さらに、人それぞれの価値観があり、幸福の形は違うわけだから、もう、そうなってきたら、何がなにやら分からなくなる。

結局、隣の芝生はよく見える。

・・・それだけなのかも知れない。

大切な事は、誰かと比べることより、今の現状を自分としてどう思うか。

そっちなんだろう。

長々と書いてきたけど、今、オレは、そんな感じで「るろうに剣心」の実写映画を見てみたい。

藤原竜也のCCOが見てみたい。

予告編見るだけなら、結構、アクションとか凄そうで、ドキドキしたんですよ。

エンバーミング。

やっぱり面白いよね。

斗貴子さん。

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2014年10月1日 20:59 CAT :

【王道軽症】オナニーノーツその6 「糧となるモノたち~ture of the world」

2ちゃんねると言う掲示板がこの世には存在する。

その掲示板で、長い間語り継がれているものに「コピペ」と言うものがあり、その「コピペ」の話題が出ると決まってレスに貼られる一つの有名なコピペがある。

===============
初カキコ…ども…
俺みたいな中3でグロ見てる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは
今日のクラスの会話
あの流行りの曲かっこいい とか あの服ほしい とか
ま、それが普通ですわな
かたや俺は電子の砂漠で死体を見て、呟くんすわ
it’a true wolrd.狂ってる?それ、誉め言葉ね。

好きな音楽 eminem
尊敬する人間 アドルフ・ヒトラー(虐殺行為はNO)
なんつってる間に3時っすよ(笑) あ~あ、義務教育の辛いとこね、これ
===============
このコピペを見るたびに思い出す曲がある。

それが、今回の6曲目となる
「糧となるモノたち~ture of the world」
だ。

知っている人は知っている。

知っていない人は、多分知らない。

それが、この曲「糧となるモノたち~ture of the world」。

この曲。

実は、先日、ちょこっとこのブログでも触れた、オレが中学時代にやってたバンド「レベム」の曲のひとつ。

当時、オレのパートは「キーボード」だったんだけど、中学生がかっこいいと思うバンドに、キーボードメインのバンドなどなく、美味しいところは、ボーカルかギターに持って行かれてた。

(と思ってた。)
なんとか「キーボードが美味しい曲は作れないものか」と、悩みに悩んで作った曲こそこの「糧となるモノたち~ture of the world」だったりする。

そんな経緯で制作した曲だから、出だしから最後までとにかくピアノが邪魔なくらい前面に出てくる。

イントロから、リフから何もかも基本的にはピアノで構成されている。

メロディーラインも、ピアノメインで作ってあるもんだから、なんだか、唄はあってもなくても良いような感じ。

ちなみに、その当時のデモテープも残ってて、高校生の頃にやってた「シータ」さんというバンドのデモテープ「朝日が目にしみた白ふんたち」に収録されてるけど、そのテイクは、歌が入ってない。

間奏部分の語りは入ってるけど。

歌詞は、今で言う中二病全開。

・・・だけど、作ったのが本当に中学生だから、それはそれでいいんだと思う。

とにかく、その当時知っていた、チョッとカッコイイ言い回しをただただ繋げただけ。

ただただ薄っぺらくて、何の意味もない。

何が言いたいかもわからない。

と言うか、「何かを叫びたい衝動はあっても、何を叫んでいいのか分からない」と言う思春期全盛期だからこそ書く事の出来た、本当の中二病な歌詞だ。

歌詞の内容は、冒頭の有名なコピペと通じるところがあると思う。

とにかく、中学生は「「ture world」と言うものが好きらしい。

せっかくなので、この曲だけは、歌詞もここに載せておこう。

===============
君の好きな世界は滅びた
過去の日々を思い出しながらも 水に身を委ねる
Dying people when lose true of the world
ある日突然に
Dying people when lose true of the world
それがPrelude
遅まきにも死が訪れる 明日の日々
君の侵す世界は壊れた
奪うだけの奴らは滅びた
助けの手を拒み続けながら それさえ壊し
翼も持たない微弱な小鳥が飛べない空見ていつも思ってた
儚い夢をその胸に抱いて・・・

最後に残るものだけを無機質な骸たちを愛していた
いつもいつも夢見ていた 滅びという名の栄光を
ゴミの海の無機質な中にぬくもりを求め
あのモノたちを殺し続け 常に産み続けられる骸たちが
僕を狂わせる 君を破壊する 僕を狂わせる
Dying people when lose true of the world
君を想うたび
Dying people when lose true of the world
最後を待つたびいつも
Dying people when lose true of the world
僕らも一緒に
Dying people when lose true of the world
次の世界へと
そして 糧となるモノたちとともに
永久不変の世界へ滅び行く日々
===============
「助けの手を拒み続けながら それさえ壊し
 翼も持たない微弱な小鳥が飛べない空見ていつも思ってた
 儚い夢をその胸に抱いて・・・」
辺りが最高にいい感じだと思う。

さすが、思春期。

オレにできない事を平然とやってのけるッそこにシビれる!あこがれるゥ!(まぁ、オレが書いたんだけど。)
長くなったけど、そんなお気に入りだけど、ほとんど日の目を見なかったこの曲を、セルフカバーという形で、いろんな方に聞いてもらおうと言うことで、今回、古い楽譜とかを引っ張り出してきたわけですね。

できるだけ、前述のデモテープに近い演奏を・・・と言う事で、実際楽譜に書いてある通りにできるだけピアノは弾いた。

でも、それだけじゃあ、あまりにも短調でつまらなかったので、大事なところは、従来ものをなぞりつつ、思ったより大幅に付け加えた感じだと思う。

そしたら、意外とかっこよくなった。

オレの好きなピアノバリバリのプログレっぽいロックだ。

当時こんなのが作りたかったのかは分からないけど、取りあえず、なんだか満足してしまった。

ついでに、この曲。

適当に構成付け足したりしながら作っていったんだけど、実際にレコーディングしてみたら、収録時間はちょうど「4分44秒」になった。

狙ったわけでもないのに。

その辺も、とても中二病っぽくてご機嫌な感じ。

やはり、思春期と言うのは、人間の才能が爆発時なんだろうて。

どうでもいいけど、タイトルの「true of world」って何か変な英語だよね。

そこは名詞の方がいいから使うなら「truth」のような気がしてならない。

・・・ならないけれども、中学生の頃のオレが「true」だと言ってるんだからそれでいいんだろう。

なので、サビの部分のよくわからない「Dying people when lose true of the world」はすごく発音も頑張って歌ってみた。

本気で歌ったんだよ。

多分「世界の真実が失われる時、人々は死んでいく」とか、そんな事を言いたかったんだよ。

英語で言うことで、オレの心はグローバルだと思ってたんだよ。

と、予想以上にかっこよく仕上がったこの曲を中休みに、いよいよアルバムは後半へと突入していくわけです。

では、次回は「おもちゃはおもちゃ箱へ」でお会いしましょう。

さようなら。

さようなら。

さようなら。

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2014年9月29日 10:43 CAT :

アトピー皮膚炎患者が色々試してみた結果良かった事をツラツラと

アトピー皮膚炎患者です。

最近は、脱界面活性剤とステロイドのお陰でずいぶん調子が良くなったけど、それでも、チョッとした事から、また、枕とか布団を血まみれにして、パソコンのキーボードを逆さにすると剥がれ落ちた皮膚がふって来る、指を曲げるのも苦痛な日々に戻るのではないかと、震えてたりする。

昔から、「手が汚れてしまえば洗えば良い」とよく言われるけど、それは、手を洗っても大丈夫なヤツの話であって、そうそう気楽に手を洗えるもんじゃないんだよ。

オレは。

良くて水まで。

石鹸で洗うとか、日に何回も出来るわけが無い。

かと言って、安物の軍手なんか使えば、その軍手のせいで、手がボロボロになる。

そんな程度の、極弱肌とアトピー持ちの志茂田さんが、如何にして回復したか。

たまには、そんな為になるお話でも加工じゃないかと思った次第ですよ。

ただし、これについては、あくまでも、オレは治った。

と言うだけで、医学的な話じゃあない。

治らなくても知ったことではないので悪しからず。

取りあえず基本。

シンデレラタイムに寝る。

シンデレラタイムは大体、夜の10時~深夜2時くらいの間。

とは言え、これは別に重要な事じゃあないので、寝れなくても気にしない。

出来れば、寝る。

位に考えてた方が良い。

寝れなくて、イライラする方がよっぽどアトピーには悪い。

ストレスがたまると、掻きみしりたくなるんだよね。

次、食生活。

食べ物は、基本的に何でも良いと思う。

むしろ、ストレスがたまらない様に、欲しいものをお腹いっぱい食べて満足する事が大切。

で、ここからがオレの場合重要だったんだけど・・・

とにかく、界面活性剤からアトピー患部をひたすら守る。

界面活性剤については、ここでは割愛するけど、取りあえず、成分に「ラウリル硫酸」と書かれているものは全て排除した方がいいと思う。

コイツが、ホントに曲者。

と言うか、肌へのダメージがでかいような気がする。

と言うか、そもそも、洗わないのが、一番良い。

顔も、頭も洗わない。

洗っても、1日1回。

それも、水(お湯)洗い。

シャンプーも、洗顔石鹸も使わない。

洗った後は、何らかの方法で保湿する。

ちなみに、この水洗い。

アトピーに関係なく、肌や頭皮、髪の毛にいいらしい。

アトピーってのは、異常に敏感な肌の延長線上にあると思ってるので、アトピー患者にダメージがあるmのは大体、本来悪いもので、使わないに越した事は無い。

・・・多分ね。

あとは、そもそも、極力汚さない。

これを守っていけば、意外と早く回復すると思う。

最後に、ステロイドについて。

世の中は、どちらかと言うと、脱ステの方に向かってる・・・らしい。

ステロイドと言うだけで、何にも知らないくせに拒否反応を出すアホも沢山居る。

でも、ステロイド自体は、使い方を間違わなければ、比較的ちゃんと治癒できる薬だと思ってる。

問題なのは、使い方を間違うと、取り返しのつかないことになる。

と言う事で、それは、世の中にある薬のほとんどに言える。

アトピーってのは、肌がきれいになっても、肌の奥で治ってない場合が多く、病院とかで処方されるなら、その分量を全て使い切るまでは、肌がきれいになっても塗り続けた方が良い。

でも、肌がチョッとキレイになったら「ステロイドは、塗りすぎるとアレだから」とか言いながら、塗るのを止めてしまう。

そしたら、またアトピーが表に出てくる。

そしたら、また、チョッとだけステロイドを塗る。

これを繰り返してたら、利かなくなってしまい、どんどん強い薬を。

そして、それさえも利かなくなり、アトピーがエライ事になる。

結果、ステロイドって薬怖いわ~になってるような気がする。

取りあえず、頻度は減らしても塗り続けて、無くなったら塗るのをやめる。

これを守るだけでも、劇的にアトピーは改善すると思うよ。

実際、オレは、手と体と顔と唇に、4種類のステロイドを塗り続けてたけど、段々回復してきた。

今は、口はステロイドじゃなくワセリンで保湿。

顔と手は、以前よりかなり弱いステロイド。

体は、ほぼ完治。

した。

物凄いボロボロの肌になって、痒くて痒くて辛そうなのに、聞くと「ステロイドは塗ってないの」と言う人もいる。

それに対して、オレは、別に何も言わないけど、使ってみればいいのに。

今よりは、悪化しないって。

オレ、アナタよりもっと酷かったよ。

って、たいていの場合にはこっそり思ってるんだけどな。

ただひとつ。

世の中には、患者の事をホントに考えてないクズ医者も居て、初期のアトピーなのに、ベリーハードの一番強いステロイドを出してくるヤツも居る。

実際にいた。

それを塗れば、確かに治りは早いけど、それは、上に書いた間違った使い方の部類だと思う。

医者の当たり外れはしょうがない。

でも、実際に、出された薬が、どの位強い薬なのか、知っておく必要はあると思う。

今はネットで調べ放題なんだから。

それで、初めて病院に行ったのに、いきなり一番強い薬を出されてたりしたら、別の病院を受診した方が良い可能性が高い。

(まぁ、症状にもよるけども。)
オレは、それで、治療として、いきなり手にアホみたいにベタベタに一番強い薬を何の説明もなしに塗りたくられて、その後も、一番強いステロイドを山のようにくれて、それ以外にも、かゆみ止めのきついのを出された上に、胃に負担がかかるからって、胃薬も沢山出されて、薬代だけで(保険ありで)5000円くらい取られた事もある。

あの病院には、二度と行ってない。

そんな事もあるので、アトピーの場合には、絶対セカンドオピニオンをお忘れなく。

あと、ストレスの無いのんべんだらりんとした日々の生活を・・・(これが一番難しいけれども。)
以上!!
たまには、チョッと役に立つ・・・かも知れないお話でした!!
じゃあの。

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2014年9月27日 11:46 CAT :

旅先には、かさばる事のないタブレットを

先日、オレが読んだ「エピック~」もそうだけど、最近、ホント「コンテンツマーケティング」と言う言葉を耳にする。

日本最大手のコンサル会社「船井総研」でも「コンテンツマーケティング」がどうたらこうたら言ってる位、コンサルと言えば「コンテンツマーケティング」。

本屋に行けば「コンテンツマーケティング」。

テレビでも「時代は、SNS。

コンテンツマーケティング」。

と・・・何か、このひとつ流行ったら右へ倣え。

は、日本の文化なんだろうけどにしても、ホントよく聴く様になったと思う。

前にも書いたけど、「コンテンツマーケティング」って、めっちゃ簡単に言うと「関係ないけど、面白いコンテンツで客を引っ張ってきて、売りつけて儲けろ」と言うもの。

ひいては、どちらかと言えば、マイナーだった「ランチェスター戦略」のひとつと言う認識でもいいと思う。

ただ、これ・・・

今更、こんな事言ってるけど、日本って、昔からそうだったような気がしてならない。

昔の地域密着型の小さなお店。

商店街に対するオレの勝手なイメージだけど、お客さんと仲良い感じがする。

それこそ、商売とは関係ないところでも繋がってて、だからこそ、何かを買うときに「○○さんとこで買おう」ってなってたような・・・

そんな当たり前が、高度経済成長と欧米文化の流入で右も左もお金だけで繋がるドライな関係になり、消えていった。

それだけの事なんじゃないのか・・・?
かつて当たり前だった事を、何となく「コンテンツマーケティング」とか名前をつけて、お金になるようにしてるだけの話。

だと。

まぁ、そんな風に思ったりもする訳ですよ。

ただ、この「コンテンツマーケティング」と言う言葉の裏には、かつて日本にあった「下町の人情」的な匂いは一切無く、それこそ、金儲けの為・・・と言う感じの印象しか受けない。

だから、多分。

この言葉と手法も、数年後には、新しい言葉と手法に取って代わられるだろうて。

続いていくのは、こんな言葉に踊らされる事なく、昔ながらの「下町の人情」的な、「ビジネス」ではなく、「商い」をやってる所のような気がしてならない。

日本は、更に高度な「コンテンツマーケティング」を昔から行ってきていたから、世界でも類を見ない位、長く続くお店、会社があるんだろう。

とか、たまには、そんなお話をしてみました。

どうでもいいですよ。

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2014年9月26日 8:53 CAT :

手マン

と言う訳で、2週間ほど前にブログのテンプレートをリニューアルしました。

志茂田さん自体も、かなり老朽化してきているので、文字を大きくして、行間を広くして、とにかく読みやすく。

読みやすく。

をテーマにしてみました。

あとは、記事数がいっぱいあることを悪用した「関連記事」の表示と、ヘッダーのナビゲーションの改悪、トップページをナビゲート専用ページに改悪した位か・・・

まぁ、ガラリと変えてみたかったので、これでしばらく様子見してみよう。

で、少しずつ、いじっていこう。

ちなみに、もう少しで、80,000アクセスだそうで・・・凄いんだか、凄くないんだか・・・

さてさて
遂に。

と、個人的には、思ってるんだけど、全くの新作マンガ書きに着手してしまった。

この物語。

実は、10年以上前の「G」と言うお話を作ってる時に、ほぼ同時に思いついた話で、その頃、次に書くのは「G」にしようか、今回書き始めた「やみせかい」にしようか。

と悩んでた。

・・・と思う。

それから、10年以上引き出しの中で温め続けてた。

で、「us」が完結し終わって、「王道軽症」が完成した6月辺りから、この物語のプロットを少しずつ作り始めた感じ・・・だったんだけど、先日、不意に出だしの数ページのイメージが浮かんできてしまったので、忘れないうちに書いてしまえ!
そして、着手してしまった。

そんな流れでございます。

今回のお話を、10年以上前になぜ、選ばなかったのかというと、このお話には、終わりが無いからだったりする。

大体、お話を書くときには、「テーマ」と「終わり方」だけは、しっかり固めてから書くようにしてるんだけど、このお話に限っては、終わる事がない。

書き始めたら、終わる事はできない。

ポルノグラフィティ的に言うと「終わりなど無いさ。

終わらせる事はできるけどね。」なお話なんだよね。

だから、プロット作りながらも、書き始めることに、結構躊躇してた。

でもまぁ、やり始めたからには、多分、死ぬまで書いてるんだと思う。

それで、どこまで書けるか分からないけど・・・少なくとも、今、頭にあるところまでは、書きたいもんだ。

(多分、書いてる途中で、どんどん続きが広がり続けるんだろうけども。)
今回は、「us」の最後の方みたいに、自分で締め切りを作ったりはしないで、ちゃんと丁寧に絵を書いていく事にした。

そしたら、1時間以上かけて1ページしか書けなかった。

それでも、書き始めた。

また、一区切りまで書き終えたら、色んな人に読んでもらおう。

それすらも、結構先の話になりそうだけれども・・・

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2014年9月25日 18:38 CAT :

【王道軽症】オナニーノーツその5 「黒魔術ラヴィンユー」

オナニーと手コキどちらが気持ちいいかというと、単純な快感ではオナニーが上だと思う。

でも、手こきには、自分以外の誰かの存在。

がある。

これが、単純な快感以上のものを生み出すんですよね。

知らんけど。

それに気付いてしまった。

しかし、相手がいない。

しょうがない。

その辺の不特定大多数の人を相手にしよう。

それが女なら露出狂。

男なら痴漢となる訳ですね。

うむ。

分かりやすい!!
さてさて、5曲目は・・・

「黒魔術ラヴィンユー」
ですな。

この曲は、チョッと特殊なんだよ。

ホントに。

この曲の説明をする前に、「志茂田 聾二」について、語っておく必要があるだろうて。

そもそも、個人的な認識では、音楽制作においては「志茂田 聾二」はオレと弟の2人のユニットだと思ってる。

全体のプロットであったり、曲自体の製作はオレがやるけど、それの編集や演出については、ほぼ100%弟が担当しているからだ。

出来上がりについて、不満があった場合には文句言うけど、基本的には、弟の編集の他、勝手に何らかの演出的なファクターや音を追加してたりする事も良くある。

何しか、楽器の音色から、エフェクト、リバーブのかけ具合や、楽器ごとの振り方、何の楽器をメインにするかまで、全部弟が決めてる訳で・・・オレがやってるのは、骨組みを作ることだけ。

肉付けは、弟が担当してると言っても過言ではない。

と言うか、その通り。

それによって、オレが当初想定してたヤツより、毎回かなり完成度が上がったりするし、一人で作っては、絶対に作り出せない微妙な空気感がだせてる・・・と思ってる。

オレが監督なら、弟は演出。

そんな間柄なイメージ。

もし、オレが、レコーディングから、編集、ミックス、マスタリングまで全部一人で出来て、且つ一人でこなしてたら、「王道軽症」の完成度もかなり低かったと思う。

まぁ、ある意味信頼して、丸投げしてる感じだよね。

いい感じに投げ返してくるし。

とは言え、全体的な骨組みを作ってるのはオレの方が割合がでかい。

ただ、この曲に関しては、そうでもない。

この曲に関しては、弟が作曲して、全体的なイメージのデモテープまで作ってる。

これまでもサンプリング的な感じやBGM的な感じの感じの作曲はしてたけど、メロディーラインや、その他の全体的なイメージまで弟が作ったのは、多分「志茂田さん」史上初だと思う。

むしろ、オレが、弟のイメージに合わせて、ギターを弾いたり、歌を歌ったりした感じ。

まぁ、趣味趣向が似通ってるので、似たような感じにはなるんだけど、それでも、やっぱりオレが作った曲とは違う異質な感じがある。

・・・多分。

と言うか、オレの当初の予定では、3分位のアップテンポなロックをイメージしてたのに、あいつが持ってきた曲は5分を超える3拍子のミディアムテンポの曲だった。

でも、いい意味で予想外で、面白かったので、そのままやってみた。

と言う・・・そんな経緯。

結果的には、アルバムのまん中くらいに収録できそうな良い感じの曲になった。

結果オーライというヤツか。

歌詞は、前作「影の上のボーニョ」の時に作って、仮撮りまでしたけど没になった曲「ジェイリーロックとミルキーウェイ」の焼きまわし。

没になっちゃけど、ネタとしては面白いから、勿体無いなぁ~と思って、引き出しにしまってたんだよね。

書き直したら、前よりかなり良い感じになったと思っております。

・・・こんなもんか。

何か短い気がしないでもないけど。

まぁ、この曲に関しては、オレがメインで作ってないので、あんまり製作者目線で書くネタも少なめでもしょうがなし。

と、そんな、チョッと異質な曲を折り返しに、後半戦への繋ぎとして、過去の曲のセルフカバーをひとつ。

では、次回は「糧となるモノたち~ture of the world」でお会いしましょう。

さようなら。

さようなら。

さようなら。

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2014年9月25日 0:00 CAT :

09/24のツイートまとめ

gorounintameko

今まで見てきた洋画の中で、最も衝撃的だったのは多分「ファイトクラブ」だと思います。

違う意味では、「スーパーマリオ 魔界帝国の女神」です。

09-24 23:17

「お客様感謝デー」をしてる店を見ると、ついつい「日ごろは感謝してないんかい!」と思ってしまう器の小ささを持ち合わせております。

09-24 20:17

山本太郎が演説してた。

何の話したいのか、意味わからん
09-24 19:08

まぢでイライラする。

うどん食ってこんなに、イライラしたのは初めてだ
09-24 19:03

取り合えず来た。

食べた。

二度と来ないと思う。

うどん大好きだけど二度と来ないと思う。

まぢで。

https://t.co/6ld0Oqb2Yh
09-24 18:37

噂につるとんたんに来てみた。

うどんとは思えない値段とおしゃれさにチョット嫌になって来た…(; ̄ェ ̄)うどんはうまいんだよね… https://t.co/crCirQtcBB
09-24 18:14

生きる為に挙手!
09-24 17:16

オレの書いてるブログか?読みたきゃ読ませてやる・・・探してみろ!この世の全てとかそんな大層なものじゃない、何でもない文章を時々書いてみたりしております!コチラからお読みいただけます! ⇒ https://t.co/XlGMXKpXWC
09-24 14:17

今までで、一番はまったMADは「ディオリボン」です。

・・・多分ね。

09-24 11:17

与謝野晶子の「ばなな」の話はもういいって言ってるじゃないですか!!
09-24 08:24

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2014年9月24日 22:42 CAT :

ガルネリウスは関係ない。本文と関係ない。

いよいよ、待ちに待った筋肉少女帯さんのニューアルバムが、発売されそうになってる。

あまりにも、待ちきれないので、しょうがなく、チョッと前に出た「四半世紀」と言うセルフカバーアルバムを聴いてた。

このアルバム。

各時代から、満遍なく、しかも、チョッとマニア心をくすぐる感じで、選曲されていて、実に良い感じ。

しかも、90年代キンショーの曲に関しては、おそらく、キンショーファンなら誰もが一度は夢見た、エディーとフーミンの最高のアンサンブルで、当時の名曲が蘇ると言う凄いアルバムだ。

ただ、ひとつだけ残念な事がある。

オーケンの唄がうまくなってるんだよ。

オーケンが丸くなって、狂気がなくなってるんだよ。

それ自体は、すごく良い事。

実際に、「シーズン2」の「世界中のラブソングを君に」なんて、オーケンがこんな詞を書くようになったのか・・・と、訳の分からない感動すら覚えたんだから。

キンショーファン・・・と言うか、信者は、少なからず、オーケンをはじめとしたメンバーに自分の過去を投影してると思う。

オレの場合は、それがオーケンであって、自分の過去を投影し、共感してる人が、凄く幸せな唄を楽しそうに歌ってると、何だか、自分の過去も救われたような気がして、ウルっとするんだって。

だから、現在進行形のキンショーについては、この、本当の意味での「のほほん」とした、もう、顔のヒビも、血のりも、卒塔婆もあんまり似合わない、幸せ人生を歩む大人オーケンが歌う曲で良いと思う。

それを、皆望んでると思う。

でも、過去の曲は、意外とそうでもなかった。

過去の曲には、鬱屈したどうしようもないコンプレックスと閉塞感が漂ってたり、人間不信になりもがき苦んでたり、絶望の中で無理やりに希望を持とうとしたり・・・

そう言う、人生におけるその時々の狂気が、曲の中に、ない交ぜになって、完成してたんだと思う。

だから、今、「加奈、頭をよくしてあげる」を歌っても、当時の、絶望の中で、人間不信になり、もがき苦しみながらも、それでいて、見せる無理やりな優しさが、涙を誘う。

と言う、(おそらく)想定外の作用が、今回は、機能してない。

だから、今、「機械」を歌っても、当時、報われない天才達の悲しい苦悩を、自分の人生が報われない(と思い込んでた)まま終わってしまうと言う恐怖心がかき立てた、相乗効果が機能してない。

だから、今、「パノラマ島へ帰る」を歌っても、当時、どれだけ声を出して叫んでも、見向きもされなかった自分と言う存在に対する閉塞感が生み出す「誰も歌など聴いてはないし」にリアリティーが無い。

だって、皆聴いてるんだもん。

などなど・・・もちろん、曲としての完成度は圧倒的に高くなっているんだけど、それ以上の「何だかよく分からない何か」が圧倒的に不足してるように感じた。

気のせいかも知れない。

と思いつつ、次に「ナゴム全曲集」を聴いて見た。

演奏は、拙いし、音も汚いし、正直、単純な完成度で言うなら、きっと聴くに堪えない。

でも、そんなものを全て凌駕した、息苦しくなるような閉塞感と狂気がそこにはあった。

その後、空バカを聴いて、もっと凄まじい狂気と閉塞感を見てしまった。

ついでに、未だに、ナイロンの劇とか見ると、その閉塞感と狂気を味わう事が出来るので、多分、ケラさんは、今でも同じようにキチガイなんだと思う。

まぁ、そんなこんなで、少し、物足りなかった「四半世紀」から、更に1年。

今の筋肉少女帯が放つアルバム。

期待せずにはいられないよね。

筋肉少女帯に求めているのは、閉塞感でも、狂気でもない。

それは、昔の筋肉少女帯にあったと言うだけ。

オレは、ただ、あのおっさん達が、命がけで楽しくつむぎ出した音を聴きたい。

出来れば、今、現在進行形の。

そうして出来た「蔦Q」は、狂気など無くとも、「サーカス団。

パノラマ島へ帰る」や「レティクル座妄想」、「キラキラと輝くもの」に匹敵し得る名盤だったんだから。

発売まで、あと1週間とチョッとか・・・長いな・・・

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2014年9月23日 14:48 CAT :

10年前まだ処女だった君も 今ではビロビログロまんこのビッチになってしまったね

この9月で、何だかんだと言いつつも、当ブログ。

超コツコツ日記は、10周年だそうで・・・

10年一絡げとは言うけれども、考えてみれば、人生の3分の1の期間書き続けてると思うと、チョッとだけ、凄いんじゃないかとも思う。

ので、少しだけ、省みてみようかと。

そもそも、10年前。

このブログを始めた頃は、まだ、周りにネットを繋いでないヤツも結構いたし、ブログをやってるってヤツも、そうそういなかったような気がする。

まぁ、その頃やってなかったようなヤツが、その後に、MIXIから始まって、ツイッターやれ顔本や、LINEやと、SNSでドンドコ個人情報を垂れ流してるんだと思うけれども。

10年前、沼レコードと言うHP内コンテンツのひとつとして、活動内容を記録する為に、「超コツコツ日記」と言うブログを製作した。

当初は、ブログシステムも借りずに、毎日、HTMLで文章を書いては、アップする方式だった。

しばらくして、ブログシステムを運用するようになり、それから2回ほど引越しをして、今のFC2に落ち着いたのは、9年くらい前か・・・

その頃は、そんなSNSなんてものほとんどなかった。

MIXIが、流行り始めるか・・・その位。

まだ、MIXI自体が招待制と言う、よく分からない感じだったはず。

SNSもなくて、ネット上でのコミュニケーションは、今はもうほぼ死滅した掲示板でやってた。

(まぁ、2ちゃんは色々分裂したり揉めたりしながら、まだあるけど。)
沼レコにも、BBSと言う名の掲示板があって、そこで、色々やり取りもしてたんだよね。

ブログにも、今で言うSNS的な役割がチョッとあって、人のブログを読みに行って、コメントを残す。

ブログの訪問履歴から、自分のブログを読みに来てもらって、コメントを貰う。

みたいなやり取りがあったり、ブログ同士で相互リンクしあって、そのブログ内で、相互リンクしてる人のことを記事に書いたりもしてた。

あと、バトンってのも流行ったよな。

いくつかの質問に答えた後、自分の知り合いのブロガーさんに、バトンを渡す。

で、そのバトンを貰ったブロガーさんは、質問に答えるみたいな・・・(ブログのバトンとかって、まだやってるヤツいるのか?)
オレも、沼レコードのホムペ作った初めの頃は、アクセス数を増やしたいと言う下心込みで、こんな事を結構頑張ってやってた。

実際、あった事も、見た事も無いブログ上だけ(と言うか、ネット上)の知り合いも何人もいて、バトンとかもやってた。

最盛期には1日100人くらい見に来る・・・と言うとこら辺までは、頑張ってたような気がする。

・・・でも、今、その頃の人たちのほとんどは、ブログを辞めてしまった。

やってるかも知れないけど、ブログ自体が変わってる。

それに併せて、繋がりも消えてしまった。

10年前一緒にわちゃわちゃやってたいくつかのブロガーさんの中で、今でも、タイトル、url等変更無しのブログで、割と頻繁に更新を続けてるのは、オレだけになっちゃったと言う事実がある。

そして、あの当時よく絡んでた、○○さんも、○○夫妻も、○くんも、○○ちゃんも(一応、気を使って伏字で)、多分、もうこのブログを見てはいないと思う。

最盛期の10分の1くらいになっちゃったけど、それでも、まだ1日10人くらいは、アクセスがあるので、その10人は、よっぽどの変態なんだろう。

でも、その10人くらいは、多分、SNSはやってても、ブログはやってないんじゃないのかなぁ~と。

ついでに、身辺の話でも考えると、学生だったオレが、仕事をして、結婚して、子どもも出来て、今に至る。

最近、ちょくちょく、自分でこのブログ読み直してて、その過程が自分で言うのもなんだけど、割と面白かったりする。

それが、自分の事だからなのか、人の人生の割と長期間の赤裸々な記録だからなのかは分からないけども。

そんな意味も含めて、10年間続けてきて、やっと、ブログを書く意味ってあるかも知れないと思い始めてきた。

もう、辞められない。

辞め時を失ってしまった。

辞め方がわからない。

そんなままで、これからも20年とか、30年とか続けていくんだろうな。

辞め時が来るとすれば、それは、この今書いてるFC2がなくなるときだと思う。

でも、オレは、きっと自分の運営してるサーバーとかにwordpressとかを入れて、まだまだ、続けそうな気もする。

辞めるタイミングも、理由も、方法も無くなってしまった。

それは、寂しい事ではないと思うので、よしとするか。

10年間お世話様でした。

テンプレートも一新して、気持ち別に新たにしないで、頑張るわけでもなく、のんびり更新していきますので、これからもよろしくお願いいたします。

yoroshikuonegaishimasu.jpg

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2014年9月21日 21:36 CAT :

あなたを責め逝かすにはまだ愛撫が足りない

9月10日に、こんな記事を書いて、それを9月21日頃にアップしようと思ったんだけど、ご存知の通り、9月11日に、例の朝日新聞の謝罪会見とかあったりしちゃったもんで、何か、チョッと変な感じになってしまった・・・

まさか、謝罪とかするはず無いと思ってたから・・・(まぁ、原発の誤報がなければ、慰安婦問題は、スルーするつもりだった可能性が高かっただろうけども。)
って、事なので、まぁ、読んでるヤツも大していないだろうけども、チョッと内容がちぐはぐになっております。

今日の内容は。

・・・やっぱり、時事ネタは、書いた日にアップしないといけないね。

そんな事を、踏まえた上で、「続きを読む」以下に書きます。

です。

はい。

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2014年9月19日 21:40 CAT :

【王道軽症】オナニーノーツその4 「今宵、『ただいま』はゼロになる」

例えば、無為にオナニーによって放たれた精子たちが、ティッシュ(ティシューとも言う)の中で息絶えたとして、それは無駄だったのだろうか・・・

その男の快楽の為に、自らの命を賭し、そして死んでいった精子たちを一体誰が笑えると言うのだろうか。

例え、100%毎回中出ししたとしても、そのほとんど数億が死に絶える現実の中で・・・

そんな感じで、今日もオナニーだ!!
あぁ~気持ちいいじゃあないか。

ちみちみ。

と言う訳で、第4回目は「今宵、『ただいま』はゼロになる」。

生来のあまのじゃくなので、人がそう言うと、「そうじゃねえよ。」と言いたくなってしまう。

実際に、そうやって作った曲も結構あって、例えば、「永遠の向こうにある果て」の時につくった「花々木々」と言う曲がそうだったりする。

この当時、今はどっか行ってしまった「オレンジレンジ」さんと言うバンドが「花」を言う曲をヒットさせた頃だったように記憶してる。

その曲の中では、とにかく花を賛美し、「花になろう」とか「花になりたい」とか歌ってるんだよ。

それを聞いて、「こいつらはアホか?花になりたいって、花は多分人間になりたいって思ってるわ。

ボケが!!」って思ったことが、この曲を作ったきっかけ。

そして、「今宵、『ただいま』はゼロになる」もこれと同じような経緯で生まれた曲だったりする。

この曲を書き始めたきっかけは、この頃(まぁ、今もかも知れないけど)騒がれてた「高齢化社会の弊害 孤独死」。

なんかやたら、テレビとかで「悲惨な孤独死」と言う表現が飛び交ってた。

「孤独死した老人」=「悲惨な人生だった」と言う、謎の数式が刷り込まれている事にすごく違和感を覚えたオレは、じゃあ、「幸せな孤独死はないのか?」と考え始める。

平凡だけど、幸せな人生を歩んできて、そして、家族みんなを見送ったあとに、最後に自分が孤独死で、家族のもとに行く。

とすれば、人それぞれに価値観はあるかも知れないけど、それでも、それは、悲惨な人生を歩んだ上での孤独死じゃあないんじゃないか。

オレは、そう思ったりしてる訳ですよ。

タイトルは、チョッと「村上春樹」っぽくしようと、「今宵、『ただいま』はゼロになる」にした。

(これが結果的に、村上春樹っぽいのかどうかは、よく分かんないけど。)
ただ、この曲。

ここから先が長かった。

歌詞を何度書いても、何か納得できなくて、しかも、長々となってしまう。

最終的には、いくつか端折ったりした為、歌詞の中で「で・・・?その子どもたちはどうなったよ?」とか、突っ込むところがたくさん出来てしまった。

それに、細かい描写をとにかく何度も変えまくったのに、最終レコーディングの時に、間違って、完成のひとつ前の歌詞で歌ってしまったので、本当の完成した歌詞が御蔵入りという、よくわからない状況になってしまってる。

曲は曲で、ホントなかなかできなかった。

一番最初は、電車ってバンドの「お別れの背景」みたいな、明るいけど悲しい曲みたいな感じだったんだけど、気に入らなくて、一転して、しっとりとしたバラードの曲に書き換えてみた。

でも、その曲だと、何となく、中だるみするし、歌詞が頭の中に入ってこなかった。

その後、三拍子の曲にしては「惑星ひとりぼっち」とかぶるから没にしたり、ひと思いに、メタルっぽくしようとして挫折したり・・・ほんと、今回のアルバムで一番曲を書き直したと思う。

その過程で出来たリフをメインに朗々と語る形式の曲にする事でやっと納得できるものになった。

おまけで、サビだけ新しく作り、Bサビには、一番最初に作った曲のヤツを流用。

紆余曲折を得て出来た曲。

今回のアルバムの中で最もらしくない(良い意味でも、悪い意味でも)曲になってるはず。

でも、この感じの発展系がこれから先になるように感じてならない。

いつしか、「今宵、『ただいま』はゼロになる」の最終系な曲が誕生することを願って、今日のところは、スッキリすることにする。

と言う事で、次回はたいひー初の作曲曲「黒魔術ラヴィンユー」でお会いしましょう。

さようなら。

さようなら。

さようなら。

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2014年9月17日 22:45 CAT :

ひろげればピンクの奥の奥まで見えるようになったぜ

コンタクトレンズを新調しました。

昔から、ハードレンズ使ってるんだけど、ハードレンズでも、最近定額制のヤツがあるそうで・・・

なんか、うまいように搾取されてる気がしないでもないけれども、まぁ、いくらでも新しいレンズが手に入ると言う良いんだか悪いんだか良く分からないサービスだから、良しとしようか・・・

使い始めると、やっぱりコンタクトって便利だよね。

昔よりも、酸素透過性とやらも良くなって、目に優しいらしいし・・・

まぁ、何しか、昔から、コンタクトを新しくすると、脳内で、TAK MATSUMOTOの「THE CHANGING」が流れ始める。

コンタクトレンズに変えて見た~
ですよね。

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2014年9月15日 22:42 CAT :

新人バンドのテーマ~セカンドシーズン

先日、「X」の「紅」と言う曲を聴いていたとき、頭の中で、こんなイメージが再生された。

「ペンキ職人の彼は、3時の休憩の時に、持って来てたオレオを食べようと思ったけれども、手が滑ってしまい、オレオを赤いペンキの中に落としてしまった。」
「紅に染まった このオレオ・・・

慰めるヤツは もう居ない・・・」
さてさて。

バンド再結成ブームもひと段落したのかと思いきや、今年に入って、ウルフルズががっかり再結成して、光GENJI(ん?バンドじゃねえか・・・)が再結成するとか言う話が出てて、ついに、再結成しないだろう筆頭のひとつだった「BOOWY」までも、再結成の話が出てきてる。

バンドの再結成・・・

となると、どうしてもキンショーの「新人バンドのテーマ」を思い出す。

再結成後、初のアルバム「新人」の最後を飾る名曲。

本人達がどう思ってるかは別として、ファンの気持ち・・・をこれほどまで、的確に描いた曲もそうないだろうて。

「新曲なんか聴きたくない。

昔の曲をやってくれ。

どの面さげて戻ってきた?
ロックバンドの再結成」
う~ん。

この曲を、再結成したバンドが歌うと言う所が、やっぱり良いよね。

再結成ってなると、どうしても、きな臭い金の臭いがしてならない。

結局、ソロになって売れなくて、お金がなくなったから再結成。

見たいな気がしてしまう。

または、過去の栄光を思い出して・・・とか。

期間限定の再結成のはずだったのに、いつの間にか、なし崩し的に、ズッと続いてるとか、何度も期間限定の再結成をしてるバンドに対して、ファンはどう思ってるんだろう・・・?
個人的には、やっぱり、ズッと活動してるバンドの方がカッコいいと思う。

「真心ブラザーズ」と「エレファントカシマシ」。

どっちも大好きだけど、最近「エレファントカシマシ」の方がカッコいいと思うようになった理由もこれだと思う。

あと、断続的なラルクより、ズッと頑張ってるGLAY。

とか。

キンショーみたいに、一思いに「再結成」をネタにしてしまうのも、凄く好感が持てる。

(まぁ、その前に、単純にキンショー信者なので、再結成自体が涙モノの感激だったんだけれども。)
ふと思ったんだけど、再結成の時って、大抵、解散時のメンバーが集まるよね。

キンショーもかつてのメンバーを集めて再始動しようとして、ファンにボロカス言われて、オーケンが不貞腐れて脱退した過去があるし。

やっぱり、止まった時が動き出す。

と言う感覚なんだろう。

(今でも、キンショーのドラムスは、やっぱり太田明が良いと思ってるオレが言うんだから、間違いない。

と思う。

なぜか、キーボードは、秦野さんじゃなくて、エディがいいんだけど・・・)
ただ、ライブにかつてのメンバーがゲスト出演するって言う演出は凄まじく好きだと思う。

少なくとも、オレはそう。

Xの再結成ライブの時、東京ドームのステージにTAIJIが現れたら、多分、あのライブは、もっと伝説になってただろう。

でも、それは叶わなかった。

どうしても、脱退メンバーって言うのは、解散よりも絶望的な決別で、お別れした場合が多いからだと思う。

活動中の脱退ってのは、その位の覚悟がいるんだろう・・・

一部を除いては・・・

聖飢魔Ⅱなんて、頻繁に「悪魔オールスターズ」とか言いながら、歴代のメンバー全員呼んでライブしてる。

あいつ等、悪魔のクセに仲良しすぎる。

キンショーだって、しょっ中色んなトコで、元メンバーと一緒に活動してる・・・と思ったら、武道館のライブの時に、歴代ギタリストは来るわ、絶縁してた太田明は来るわ、キーボードがエディと、秦野さん2人になるわ、挙句の果てに、元ドラムのみのすけが何故かギターで参加して、あの伝説の「大釈迦」でしょ・・・

こいつらも仲良しすぎる・・・

挙句の果てには、去年のケラの「ケラリーノ・サンドロヴィッチ・ミューヂック・アワー」だよ。

かつてのケラが携わったほぼ全てのユニット、バンドが参加って・・・しかも、有頂天なんか、第何期ごととかで、そのメンバーが参加したとか何とか・・・

しかも、場所は、新宿LOFTって・・・あそこ、キャパ500人くらいじゃなかったっけ?
この人たちは、そもそも仲良しな上に、本当に音楽を楽しんでるんだろうね。

そんなの見てると、XのライブにTAIJIが参加できないまま、TAIJIが死んでしまったとか、哀しすぎる。

オレは、X信者じゃなくてよかった。

キンショー信者だからニコニコしながら彼らの活動を見守れるけど、X信者だったら、多分色々辛すぎて、心が病んでると思う。

・・・んと・・・何が、書きたかったのか良く分からない、変な文章になっちゃった・・・けど、長くなっちゃったので、この辺で・・・

確か、10月のキンショーの新譜が楽しみだ~って話を書こうと思ったはずなんだけどなぁ~・・・

THE SHOW MUST GO ON!!

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2014年9月14日 10:14 CAT :

ビロビロまんこ見聞録(無修正)

少し前に、ふと思い立って、関連記事を表示できるようにして見た。

下の出てる「関連記事」ってのが、それ。

(個別表示じゃないと、表示されないよ。

悪しからず。)
このブログも、何だかんだと言いながらもう10年やってる訳で、途中色々さぼったりしてるけれども、それでも、2000近いエントリーがあったりする。

んで、関連記事と言いつつ、特に関連してなくてもランダムで、表示されるようになってるので、多分アクセスするたびに、全く違う(し、何にも関係ない)関連記事が表示されてる(はず)。

それがまた、自分で結構面白い。

なんだこの記事?みたいなののオンパレードだ。

何より良いのが、いつまで経っても終わらない事だよね。

そりゃあ、オレの10年のコツコツを、一晩や二晩で全部辿られてたまるかってんだ。

と言う事で、お暇な方がもしいたら、まぁ、どこまででも戻る「関連記事」で、色々読んで見て下され。

その当時の時事ネタとか、嫁と出逢った付近の惚気とか、社会に出る前の青臭い主張とか、単純な下ネタとか色々あるよ。

それが、面白いかどうかは、知らんけどな。

あとは、ブログのテンプレート自体を少々いじってやりました。

せっかく、自分でテンプレートとか作れるようになったのでね。

少々思い切った感じでございますが。

ただし、めんどくさいのでPC限定だよ。

取りあえず、更新。

でも、今から、少しずつ改変させていく感じかな。

なんせ、前のヤツもう5年くらい使ってたから、変な感じ・・・

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2014年9月12日 20:34 CAT :

頭が悪くて深くは分からないけれど そんな事くらいは分かるんだ

よく「子どもは親を選べない」と言う話を聞く。

とある機関が、まだ胎内の記憶があり、しかも、ある程度コミュニケーションを取れる位になった子ども(だいたい2~4歳くらい)に、昔ことを覚えている?と聞く実験を行ったらしい。

何人・・・とか、詳しい事忘れちまったんだけど、覚えてる子には、前世の記憶を語る子や、それこそ胎内の中に居た頃の記憶を語る子など、まちまちにいたとか。

その中で、結構共通して語られたのが「お母さんを選んだ」と言う類の記憶。

中には、これから生まれてくるであろう兄弟と一緒に。

と言う記憶すらあったそうだ。

・・・子どもは、お母さんを選んでる・・・選んでるんだよ。

実は、子どもには、親を喜ばせたいと思う本能があるらしく、一説には、「お母さんを選んできたんだよ」と言う事で、親を喜ばせようとしている・・・つまり、嘘で言ってると言う切もある。

でも、オレは、そんな事はないと思う。

選んでるんだって。

選んでくれてるんだって。

・・・としたとき、ふと思う。

虐待するような、クソ親でも、そいつを選んで生まれて来たんだろうか・・・。

例えば、すっごい中二病な赤ちゃん(中二病な赤ちゃんって時点で、すでにアレっちゃあアレだけど)が居て、「どうせ、どの親に生まれたって、世の中は行き辛いんだよ。

誰を選んだって一緒さ。

だったら、最悪なヤツを選んでやるよ。」とか、「人に世話されたくないんだよ。

ネグレクト気味にあの女。

オレと気が合いそうだね。」とか、そんな感じで選んでるんなら、もうしょうがない。

きっと、「思ったよりきつかったぁ~」って後悔してるだろう。

中二病ってのは、その場の発想のために、将来後悔するものだから。

そうじゃない場合はどうだろう・・・

運命まで見えた上で、その親を選んでいる。

もっと高尚なのになれば、「僕が、救ってあげたい」とか思って、その親を選んでるとか・・・

赤ちゃんは、比喩的な意味じゃなく、本当に天使だった。

そんな妄想をする。

世の中には、やり切れない虐待が沢山ある。

出来れば、虐待した親には、全く同じ虐待を与えていただき、そのままいじめぬかれて死んで欲しいと思う。

でも、そんな時、こう考えれば、少しだけ(本当に、少しだけだけど)、気分が楽になったりする気がする。

幸せになる権利があるのは、誰なのか・・・

少しだけ、思いを寄せる。

そんな夜。

少し涼しくなってきましたね。

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2014年9月10日 21:45 CAT :

まんこに色々はめ込むためだけに人間は生きている訳じゃあなんですよ

さぁ、今日はみんな大好き。

素敵な隣人。

韓国のことわざを紹介するよ!
隣人の文化を知る事は、とっても大切な事。

何も分からないまま、闇雲に付き合っていくなんて、大変な事だと思う。

と言う事で、まずは有名なこれ!!
「泣く子は餅を一つ余計もらえる」
ゴネ得ってヤツだね。

揉めた時には、泣き喚いた方が得すると言う教え。

日本人から見たら、クズでしかないけど、これも韓国の文化だからしょうがないね。

あいつらが、泣き喚いてる時は、打算的に考えて喚いてるだけだから、無視した方が良い事がわかるね。

次!
「女は三日殴らないと狐になる。」
女は、殴って言う事をきかせないとダメだと。

さすが、世界一のレイプ国家。

男尊女卑が、文化の根底にまで根付いている。

この精神で、嫁を殴って言う事をきかせようとしたために、韓国人男性との結婚を法律で禁止してる国も、アジアには、沢山あるんだよ。

でも、日本では、そんな法律はない。

良かったね。

セキネマリさん。

次!
「弟の死は肥やし。」
他の人が不幸になる事は、得てして自分にとって都合の良い事。

と言う意味のことわざ。

弟が死ねば、自分に回ってくる遺産も増えるし、めんどくさいシガラミも亡くなると。

とことん、冷静に人(例え親族であっても)と付き合える事が良く分かるね。

次!
「長生きすれば姑の死ぬ日がある。」
凄くうれしい事が起こった時に使うことわざだそうです。

嬉しい事の例えが、人の死しか思いつかないとは、さすが韓国。

韓国民の根幹にある感情が「恨」と言うのが、非常に良く分かることわざではないでしょうか。

次!
「一緒に井戸を掘り、一人で飲む。」
大変な事は、自分一人ではやらないで、誰かに手伝わせれば良い。

でも、それによって齎された利益は、誰にも渡すな。

と言う、素敵な教え。

全員がこんな事考えてたら、誰も協力なんてしてくれなくなる・・・じゃあ、誰に協力させればいいか。

今の韓国を見る限りは、日本人ですよね。

たぶんね。

そろそろ最後!
「姑への腹立ち紛れに犬の腹をける。」
逆らえない人にムカついた時は、無抵抗なヤツの当たれ。

と言うことわざ。

何か、基本的には暴力だよね。

あとは、ムカついた時には、それをため込む事は基本的には出来ない。

そして、それをどこかにぶつけなければどうしようもない。

これを韓国人の民族的精神病「火病」と言う。

今回、紹介したヤツ以外にも素敵なことわざが沢山あるので、興味ある人は、勝手に調べれば良いと思う。

どちらかと言えば、分かりやすいものばかり選んだけど、もっと意味不明なヤツとか、「なんでそうなるの」と言うヤツも結構あるよ。

まぁ、これが、ことわざ。

文化の根底にある・・・とまでは言わないけど、思考と行動に幾分かの影響を与えてると考えると・・・

そんな素敵な隣人と、仲良く付き合うかどうかは、人それぞれ。

勘違いしてもらったら困るのは、オレは、韓国と言う国が嫌いで、韓国人も嫌いだけれども、個人としての韓国人に対して、嫌悪感を持ってる訳じゃあない。

ただし、それは、上記のような考え方を持っていなくて、まともに話し合いが出来て、ファンタジーな歴史を信じていなく、かつ、「竹島」を占領している事を詫びてくるようなヤツだ。

それ以外のヤツは、オレには、近寄らないでください。

別に、どこぞの人みたいに、死ねとは言わないので。

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2014年9月7日 21:44 CAT :

【王道軽症】オナニーノーツその3 「惑星ひとりぼっち」

きっと誰も期待していない。

孤独なオナニーの夜だよ。

オナニーとは、どこまでも孤独であり、そして、どこまでも誇り高いもの。

全ての男子諸兄よ。

今こそ、ちんこを握るのだ。

まんこを妄想しながらも。

と言う訳で、第3回目は「惑星ひとりぼっち」
これも、実は、その前の「死合わせとシャボン玉の唄」と「惑星ひとりぼっち」でひとつの曲なので、ひとつの曲として書く。

もっと言うと、実は、「死合わせとシャボン玉の唄」の前半部分は、全然別の曲「幸せと死合わせ」の前奏部分。

この曲自体が、罰曲となったけど、前奏部分だけは気に入ってたので、それを「シャボン玉の唄」の前奏に無理やりくっつけた。

と、そんな感じ。

で、この曲の内容。

この曲は、多分、今回のアルバムにおいて、「白痴にも書けるラブソング」と並ぶ、最も思い入れの強い曲。

正直、強すぎて、アルバムに収録するんじゃなくて、「もよもよの風」のように、ひっそりと要所要所で歌い継いでいく曲でもいいと思ってた。

詳しくは、書かない。

と言うか、書きたくない。

許してもらうつもりもないし、忘れるつもりもない。

ずっと背負って生きていく。

ただ、そう言う唄。

それ以上でも、それ以下でもない。

誰にも分かってもらえなくても良い。

オレと、嫁が分かればそれでいい。

オレと嫁だけはこの曲を聴くと、悲しい事が色々まざまざと浮かんできてしまう。

そんな唄。

登場人物は3人。

歌詞の中で、あえて、目線の表記は省いているけど、3人それぞれの目線から見たそれぞれをない交ぜに描写してる。

そうする事で、きっと、分からないヤツには、良く分からない抽象的な表現だけど、分かるヤツ(まぁ、オレと嫁だけど)には、それがわかるようになってると思う。

大切な曲なので、率先して聴きまくる事も、歌いまくる事もないけど、いつまでも受け継いでいくと思う。

この曲で、一度落としたあと、ここから、アルバムは本懐となっていく。

と言う事で、次回は珍しい長調の曲「今宵、『ただいま』はゼロになる」でお会いしましょう。

さようなら。

さようなら。

さようなら。

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2014年9月4日 21:42 CAT :

黒い合言葉

個人的に、一番お気に入りなタイトルは「ジャム地獄ジャム」。

これ、相当いい感じだと思うんだけど、どうなんだろう?
この曲を良いって言ってくれるのって、弟くらいしかいないのがチョッとしょんぼり。

やっぱりなかなか、自分が良いと思うものと、人が良いと思うものには、どうしても差があるらしい。

例えば、オレの場合、自分が心地いい。

と言う事を一番にして、作っているからいいとして、果たして、人のために作っている人の場合はどうなんだろう?
人のために、曲を書く。

でも、自分の良いと思うものと人が良いと思うものに、絶対的な剥離がある場合は、色々苦しいんだろうな~と。

それが、俗に言う「産みの苦しみ」なのかも知れない。

冷静に考えて、自分の作りたいものを作っているなら、自分が良いと思うものにしかならない訳で、そうなると「産みの苦しみ」って、ないんじゃあないだろうか?とか思っちゃうんだけども。

と、ここまで書いててふと思った。

自分の思い通りに作れなければ・・・

頭の中にある絵を、全く同じに表現できない時に、凄いイライラするんですよ。

オレは、特に、マンガとか書いてる時にね。

そう言う事か。

そう言う事なのか。

だとしたら、オレは、音楽に関しては、才能があるか、志が低いかなんだと思う。

前者だと思いたいけど、人の目もあるし、後者と言う事のしておこう。

テ・キベクナ・レ・テスエナ

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2014年9月3日 22:00 CAT :

死ね!死ね!死んじまえ!

実は最近、予約投稿を駆使しまくって、ブログ書いてる。

具体的に言うと、どうせ、毎日、ブログを書く時間なんて取れる訳ないんだから、書ける時にオラオラ書いておいて、貯めておこう。

とかそんな感じ。

(時事ネタについては、基本的に、即日投稿。)
ちなみに、この記事書いてるのは、8月17日だけど、多分、表示されるのは、9月2日以降だろう(いつにするか、決めてないけど・・・)
初めは、何か「これ書いてるのは、夏だけど、載るのは秋なんだよね」みたいな良くある作家さんの独り言・・・そんな感じになった~
位にしか思ってなかっただけど、段々溜まってきたら、自分の今の考え方と、実際に表示される内容にチョッとしたタイムラグが生まれてチョッとそれが面白かったりもする。

あと、「あぁ~あぁ~こんな事書いた書いたww」みたいな感じとか。

タイムラグを暫くは楽しんでみようと思ってるんだけど、それがまた、なんとも心地よくて、結構な頻度で更新しております。

年内は、このペースを崩せずいけるといいなぁ~と思ってるんだけど、例年通りなら、このペースも、1ヶ月位だろうて。

もうそろそろ、限界かも知れない。

別に、限界じゃあないかも知れない。

どっちでも良いと思う。

けど、取り合えず、更新頻度上げると、読んでくれる人がいる事は確認できました。

何と奇特な方!
ありがたや~ありがたや~
揉み手で、本日も書かせていただきました。

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2014年9月1日 20:00 CAT :

リンスしかいらないデ・メリット

仕事の範疇について考えてみる。

何か、社蓄だけでなく、経営者にしても、365日休みなし!と、何を言いたいのか自慢してるおっさんとかいるけれども…
それは、果たして自慢できる事なのか…?と。

ただ、それを考える為には、冒頭の「仕事の範疇」と言う部分を結構、考えていかないといけないと思う。

会社に来て働く事は仕事なのか?
家で会社の仕事の残りを片付ける事は仕事なのか?
家で副業をしている事は仕事なのか?
家で趣味に没頭している事は仕事なのか?
本を読むことは仕事なのか?
それが、漫画の場合には仕事なのか?
子どもと遊んでいるのは仕事なのか?
家事をやっているのは仕事なのか?
・・・仕事。

とは、現代社会において、「対価をしてお金を貰うこと」と、甚だ誤解されがちだけれども、そうじゃないと思う。

個人的には、仕事とは、生きていく事を維持していく為にするべき事だと思っている。

例えば、完全自給自足をしてるおっちゃんが居たとして、そのおっちゃんは、別にお金の為じゃあないけど、自分で食べる為の作物を作る事を多分「畑仕事」と言うと思う。

なぜなら、完全自給自足で、生きていく事を維持する為には、自分で食べるものを作らなくちゃあいけないから。

これは完全に仕事だと思う。

この観点で、飛躍すれば、生きていく事を維持する為に、家庭を維持する事(つまり、家事や子育て)も十分に仕事だと言えるだろうて。

・・・と考えれば、さて。

365日休みなし!は自慢できる事なのか。

結論を言えば、普通誰でもしてる事だ。

むしろ、そんなの「オレ、朝ごはん食べる為に、自分でご飯よそって、目玉焼き作ったもんね」と自慢してるレベル。

本人からすれば、頑張ってるつもりかも知れないけれども、傍から見れば失笑ものでしかない。

しかも、そんな事を自慢してるおっさんなんて、下手したら、休日には、本当の意味での仕事をしてない場合が多い。

家事をしない、子育てをしない。

「仕事で疲れてる」から、仕事をしないらしい。

ひとつの会社としてみた場合。

「オレ午前中仕事して疲れたから、午後からは、仕事しないね。」は、なかなか通らないと思う。

それを、自分の視野が狭いから、会社と言うひとつのくくりでしか、仕事を見れてなくて、もっと大きな社会的な視点で見たときに、失笑ものの自慢をしてしまってる。

と言う場合が多いかも知れない。

(知らんけど)
ついでに言うと、経営者の場合なんて、もっと情けないと思う。

だって、自分の初めた事の話でしょ?
自分で始めておいて、それを1年中やってるから「オレ凄いだろ」って、そんなのしらね~よ。

嫌なら、辞めろよ。

と言うだけ。

なんだったら、会社で仕事した後、家帰ってからも、副業をしてたり、家事を手伝ったり、それを休日にしてる、365日休みなしって結構居ると思うけども。

ビジネス書を読んでる?だからなんだよ。

じゃあ逆に、漫画読んでるのか?小説読んでるのか?映画見てるのか?ドラマ見てるのか?
ビジネス書しか読んでないから、そんな狭い視野で、固い頭になってんだろうが。

もう少し、漫画でも読んで、柔軟性を持たせてみろ。

インプットの方法も、広げられないから、そんな、恥かしい事自慢するんだよ。

と、なるんだと思う。

理想を言えば、楽しい事をやって、生きていけたら、それが何よりなんだけど、それが出来てる人って、なかなかどうして少ない。

「仕事を遊び」と言い切れる、数少ない勝ち組の方には、羨望のまなざしを向けつつも、今日も色々頑張ります。

嫁ともども365日、休みなく。

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2014年8月30日 23:12 CAT :

涙受け止めてもう壊れそうなALL MY HEART

オレは誰が何と言おうと、筋肉少女帯が世界一のバンドだと思ってる。

オーケン信者ではないかもしれないけど、キンショー信者だと思う。

でも、オレが今まで見たライブ(映像)で一番、心を動かされたのは・・・と言われると、それは、キンショーの「仲直り復活ライブ」を差し置いて、Xの「THE LAST LIVE」なんだよね。

こればっかりは、どうしようもない。

曲がどうとか、メンバーがどうとか、そんな事を言うと、キンショーに並ぶものなんてない。

でも、感動してしまった。

本当に、感動してしまった。

・・・と、今、このタイミングでこの話ってのは・・・そう。

「Toshl」(いつの間にこんな表記になってしまったのやら・・・」の洗脳の話だよ。

あと、話題沸騰の金スマだ。

あれをね、見たんですよ。

ええ。

ええ。

メッチャ怖かった。

あれは、あくまでもテレビな訳であって、放送出来ないような内容だってきっといっぱいカットされてるだろうし、表現だって、かなり緩くされてるだろう。

最後の拉致、暴行のあたりなんて、本人が「気を失ってたので、どのくらい暴行されてたか分かりません。」と言ってるんだから、再現VTRで言う「車に乗せられ、数時間。

ホテルで解放されたのは~」のみたいなレベルの話じゃ絶対ないだろうて。

嘘かホントかこの時一生ものの傷を負ったせいで、Toshlがサングラスを外さなくなったみたいな話まであるんだし。

本当に、筆舌に尽くしがたい12年だったんだと思う。

あれを見てからしばらくは、Toshlがあまりにも可哀想だと・・・

そんな事ばかり考えてたけど、ふと・・・あの番組に感じた違和感があった事が胸によぎった。

あんな洗脳騒動からの復活を美談にしようとしている事。

オレが感動した「THE LAST LIVE」の知りたくなかった裏側。

そして、実は、今も洗脳が解けていないんじゃないか・・・と言う思い。

完全に、個人的な推測で、何のソースもない。

妄想かもしれない。

ただ、何となく、これ以降は、「続き」の方に書いてくので、不快に思ったヤツは、読まなければ良いと思う。

スマホとかから見てるヤツは、ここで、そのウィンドウをそっと閉じれば良い。

多分、妄想だと思う。

でも、チョッと思っちゃったから、書いてみよう。

位なもんなんで、あんまり気にしない気にしない。

続きを読む 涙受け止めてもう壊れそうなALL MY HEART

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2014年8月28日 21:28 CAT :

幸せについてまぢで本気出して考えてみた

「僕の幸せは君の幸せではないかも知れないけど
君の幸せは僕の幸せなんだ
だから、僕は自分自身の幸せの為に、君を幸せにするよ」
と、声高に言う男が居たとして
そいつをバールのようなもので殴りたい衝動に駆られる。

オレは、そんなヤツが多分好きだと思う。

でも、本当に、殴ってしまうヤツとは、仲良くなれないと思う。

いつか、オレが
「僕の幸せは君の幸せではないかも知れないけど
君の幸せは僕の幸せなんだ
だから、僕は自分自身の幸せの為に、君を幸せにするよ」
と言う日が、絶対に来ないとは言いきれないから。

そんな日は、来なくて良いと思ってはいる。

でも、バールのようなもので殴られる人生は、もっと嫌だと思ってもいるから。

人と人のつながりを、深く考える。

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2014年8月26日 22:20 CAT :

【王道軽症】オナニーノーツその2 「ジェノサイドラブレター(虐殺の恋文)」

さぁ、今晩もオナニーの時間だよ。

たんまり、意味もなく製造した精子をブチまくよ。

風呂場の排水溝とかに向かってブチまくよ。

第2回目は、「ジェノサイドラブレター」と書いて「虐殺の恋文」と読む曲。

取り合えず、タイトルで、よく日本語の上に、英語の読みが来るって奴は、あるんだけど、その逆ってあんまり見た事なかったから、ぜひやって見たかったと言う。

・・・それだけと言えば、それだけ。

だから、カタカナで「ジェノサイドラブレター」と書いて、その上に日本語のルビで「虐殺の恋文」と書くんだ。

ここだけは、譲れない。

だって、それをしてみたかったんだからな。

元々は、何かすごく嫌な事があった。

(まぁ、大体オレ場合、そう言うのが曲作りのきっかけだったりするんだけども・・・)
何だろう・・・クソみたいに偽善の塊みたいな女に、メッチャムカついてしまった。

と、言えば、それまでだけれども、何か、ホントにそう言う偽善な女が嫌い。

嫌いなら、嫌いで話は終わりなのに、嫌い・・・ではなく、「好きだけど、順位が低い」的な言い回しを実際に聞いて「なんだ?それ?舐めてんのか?クソまんこが!はっきり言わない偽善で、周りにいい女アピールしたいだけだろうが!!」と・・・

まぁ、そんな感じだ。

そんないら立ちを悶々とさせている中で、「生理的に受け付けない男に対してでさえも良い女であろうとする、反吐が出るような偽善意識が、一人の男を狂気に走らせ、その狂気によって人類が滅亡する。」と言う、一つの物語が頭の中で沸々で出来上がってきた訳ですよ。

基本的には、オレの曲作りのやり方は、まず、大まかな物語のプロットを作る。

その物語のテーマ曲的な感じで、メロディーラインを作る。

それに合わせて、言葉を削って行く。

と言う、流れに沿うものが多い。

この曲も正にそうなんだけど、この曲の場合、思ったより、メロディーラインに音の数が少なくなったので、削った言葉が結構な量になってしまった。

その結果、果たして、言いたい事が全部伝わったんだろうか・・・?と言うと、たぶん伝わってない感じになってしまったと思う。

何か、もう少し、この男の心情とかを色々入れたり、女の方のじわじわ追い詰められていく絶望な感じを入れたりとかしたかったんだけど、ホント、淡々と状況を描写するだけになってしまった。

少しだけ、思い残すところのある物語になってしまったので、いずれ、小説か、漫画で、この物語を表現できればいいな・・・とも、少しだけ、妄想してたりする。

まぁ、それがいつになるかはさっぱり分かんないけども。

ただ、それでいても、全体的な完成度は結構高くなったんじゃあないかと思う。

一応、前の曲からからのつながりも結構綺麗なままで、1曲目の勢いを壊さずに、さらに加速させる。

そんな位置づけになったんじゃあないかと・・・(そのために、1曲目の最後と2曲目の最初は、ほぼ同じスピードになるように調整したし。)
そして、次の曲で、1回目の落としを行うような構成にしてみた。

よくある構成と言えば、それまでだけど、それも、「王道」。

と言う事で、次回は「惑星独りぼっち」でお会いしましょう。

さようなら。

さようなら。

さようなら。

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2014年8月24日 21:46 CAT :

臓物にジグソウ

こんな志茂田さんですが、一応、webデザイナーとして、ちゃんとお金を貰うお仕事もしてる。

で、お仕事をしている以上は、イヤでも、そっち関係の勉強をしなければならない。

ビジネス書も読んでるし、セミナーに行ったりもしてる。

今日は、「エピック・コンテンツマーケティング」と言うビジネス書を読んだ。

要するに、モノを売る為以外のコンテンツを用意して、親近感を湧かせることによって客を取り込んで、その後売りさばけ!!
と言うことらしい。

その、客をファンにして囲い込んでしまう下衆な方法が340ページほどに渡って、事例も交えて長々と綴られていた。

その中で、大切な事は、馬鹿でも分かるように、短い文章で分かりやすく、イラストや写真入りで書くこと。

そして、大体の更新日時を決めておくことらしい。

と言う事で、さっそく、その通りにブログを書いてみた。

イラストはめんどくさいのと、更新日時は、気が向いた時なので、まぁ、無理として、短い文章で、簡単に。

これで、このブログを読んでる数少ない変態さんもきっと、オレに親近感を持ってくれる事だろう。

世の中、そんな甘いものだったとは知らなかった。

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2014年8月21日 14:45 CAT :

千年後の赤の女王とその末裔

以前。

ブログ内でも取り上げたこのある「有性生殖のパラドックス」を「赤の女王説」で説明すると言うネタ。

(それについて、詳しくはこの記事を読んでくだされ。

赤の女王その愛深きゆえに
超簡単に言うと、頑張らないとうまくいかないよ。

と言う、話なんだけれども・・・

ここ最近・・・本当に、人類。

と言うか、日本人。

頑張らなくなってきてると思う。

もちろん、頑張ってるとは思うよ。

思うけど、今回話題にする「有性生殖のパラドックス」と言う観点から考えた上では、本当に頑張らなくなってきてると思う。

男も女も30代以上で独身子どもなし。

がベラボーに多い。

見渡せば、むしろ、結婚して、子どもがいる方が少数なんじゃねえのか?と思うほどに多い。

当たり前の話だけれども、一人っ子として生まれてきた場合には、2人以上子どもを持たなければ、相対的に見て、人口は減っていってしまう。

相手も一人っ子の場合なら、4人以上だ。

それなのに、ここ最近では、むしろ結婚しない、子どもを産まないが多数派になっちゃってるので、1夫婦に付き、5人や6人産んでも、緩やかに人口は減少するだろうて・・・

昨年。

日本人は、この地球上から、22万人以上も減少した。

今年は、もっと減少するだろうと言われている。

このペースで減少を続けていけば、数世紀後には、地球から、日本人と言う人種は消滅している・・・とも言われている。

のに。

のに。

男も女も30代以上で独身子どもなし。

がベラボーに多い。

何かね。

子どもを産んでも、お金がなくて育てられない。

とか・・・そう言う話なら、まだ納得できるんだけど・・・

そもそも、結婚に興味がない。

異性に興味がない。

セックスに興味がない。

と言うのは、どう言う事だ?
今、右手でチンコ握ってるヤツがいるなら、それはまだ良い。

性欲自体が希薄に乏しい「絶食」と呼ばれるヤツもここ最近は結構いる。

もうね・・・絶食するなら死ねよ。

と思わないでもないけど・・・

問題は、これが、単に経済の低迷とか、未来が見えないから・・・と、位置づけられている事だと思う。

本当に、そうなのだとすれば、言っちゃあ悪いけど、日本なんかより、はるかに経済的にも苦しくて、治安も悪くて、環境的にも子ども育てられない地域もある。

むしろ、そっちの方が多い。

でも、そう言う地域に限って、子どもは沢山いて、人口が爆発的に増えてるんだよ。

人口減少の根幹的問題は、経済的なものでも、社会的なものでもない。

・・・きっと、本能的なものだ。

日本人自体が、もう、地球と言う星に存在する事に嫌気が差してきてるんだと思う。

個人個人の意思ではなく、相対的に見た人種、民族としての大きな方向性として・・・

それは別に、 韓国 日教組に、アホみたいな自虐史観で洗脳されたからとか、そんな問題じゃあなく(そもそも、あんな生ゴミ民族如きに、左右されたりしないって。)もっと大きな何かなんだと思う。

時に人は、「神の意思」と言うかもしれない。

ムー的には、「サムシンググレート」と言うかもしれない。

とにかく、その何かが、凄く気力を失ってきてるようにしか思えない。

単純な話。

例えば、今、日本でアフリカばりの出生率になれば、年金問題も解決し、労働力の確保もでき、経済も回り始める。

そうなれば、日本の企業は日本人を雇うようになるから、チョンとかチョンとかチョンとか、金せびって、犯罪起こすしか能がないクズも居なくなる。

そして、日本は劇的に復活すると思うんだ。

それが分かってるから、国とか、地方自治体としては、子どもを産む事。

育てる事に諸手を挙げて、奨励してるんだろう。

変な欲を持たなければ、本当に、義務教育終わるくらいまで、国のお金で子育て出来るかも知れないような制度だってある。

でも、産もうとしない。

育てようとしない。

お金とか、環境の問題じゃあないんだって。

多分ね。

ただそれは、いっそ、お金とか、社会の問題だった方がよかったような、恐怖を覚える事実。

緩やかな絶滅に日本人は、足を突っ込んでいこうとしている。

フリーメーソンとか、イルミナティーとか、ロスチャイルドとか、ユダヤとか、そんな規模じゃない、もっと大きな何かによって・・・

知らなければ良かった事って、沢山あると思う。

この事だって、数世紀先に絶滅するなら、その頃オレは生きていないだろうし・・・

でも、妄想し始めると止まらないんだ。

昔からそうなんだ。

夜は、そうして、眠れなくなるんだ。

おやすみなさい。

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2014年8月18日 20:12 CAT :

【王道軽症】オナニーノーツその1 「f分の1揺らぎにあわせて奏でる発狂者のメロディー」

さてさて。

と言うわけで(詳しくは、先日の記事参照↓)、今回から(とか言いつつ、毎回ではないけれども)少しずつ、「王道軽症」って言う作品の収録曲の ライナー オナニーノーツを書いていきます。

出来れば、今年中に完走出来ればいいなぁ~・・・くらいの軽い気持ちで。

個人的には、聴いてから、これを読んで欲しい。

から、配り終わるまで、書くのやめてたんだけど、まぁ、別にそんなのどっちでも良いや。

聴いてない。

持ってなくても。

なぜなら、オナニーだからね。

さてさて。

1曲目は・・・

「f分の1揺らぎにあわせて奏でる発狂者のメロディー」
ですな。

正確には、2曲目だけど、1曲目と2曲目は2つで1つなので、これでいいのだ。

そもそも、今回、アルバム全体として、曲と曲のつなぎを結構意識してみたりしたので、実は、前と繋がってる。

的な曲が結構ある。

前の曲を受けてのこの曲ね。

見たいなヤツとか・・・

その中でも、この曲と、後半に出てくる「パラフィリア=グロッサリー」は、元々1つの曲だったのを、何となくそんなのやりたくて、無理やり2つに分けてみたので、この2つについて、1つの曲として書きます。

(だったら、分けるな。

と言う話になるんだけど、そこはそれ。

何となく、そう言うのやってみたかったんだよね~)
聴いてもらえれば分かると思うけど、この曲の元ネタは、日本犯罪史上最悪の部類に分類される(だろう)「津山30人殺し事件」。

(この規模の事件って、他に、女子高生コンクリ事件と北九州監禁事件くらいしかないんじゃないのか?と思うほどの衝撃があると思う。)
じゃあ、何でこの事件をネタにしたのか・・・と言うと、話せば長くなるけど、結論から言えば、事件の方が後付けだったりする。

長くなるけど、話そう。

それが目的なんだし。

今となっては、夢だったのか、現実だったのか・・・それさえ分からないんだけど、それは、ある秋の夜の話。

夜中にふと目覚めたオレは、その後、何か全然寝付けなくて、しょうがなしにベッドでゴロゴロしながら、スマホで2ちゃんでも見ることにした。

次第にオカルト板に移動してしまったオレは、俗に言う「シャレ怖」のスレをダラダラ見てた。

その中のひとつに、「見ると3日以内に、誰かが部屋に来て殺される呪いの唄」と言うレスがあったんだよ。

唄があまりにもいい感じに怖くて(創作だとしても)、思わず、その内容を(後々、何かに使えないかなぁ~と思いつつ)メモに残した。

しばらくして、眠くなってきたので、そのまま眠りに付いちゃった。

翌日、早速、その唄を元ネタに、歌詞でも書こうかと思ったんだけど、そのスレがどうしても見つからない。

スマホの履歴から、一件ずつ辿っていったのに、結局、見つけられなかった。

それっぽい、スレは履歴に残ってたんだけど、肝心のそのレスがどうにも見つからないんだよね。

なので、夢だった。

と言うことに、今はしている。

怖いから。

それから、3日間は、チョッピリ怖くて震えてたけど、3日後に、何もなかったので、晴れて、この残されたメモを元に、歌詞つくりを再開した・・・次第です。

そんな経緯があったので、唄の内容をそのまま使うのもチョッと抵抗があったので、結構、変えてます。

変えるついでに、ただ、呪いの唄。

ってだけじゃあ、イマイチ面白くないから、これを、「雨の音を聞いて発狂してしまった大量殺人気が書いたことにしよう」⇒「何か、ピッタリの事件ないかな」⇒「津山事件があるじゃないか」となった次第です。

(まぁ、津山事件は、雨の音で発狂した訳じゃあないけれども。

そこはそれ、ご愛嬌と言う事で。)
そうなってきたら、次に考えるのは、「呪いの唄」の意味。

五霊ってなんだ?
天霊ってなんだ?
とかね。

で、気が付いた。

この呪いの唄を書いた本人って、5人家族なんじゃね。

それも、父親、母親、兄、姉、自分。

の5人家族。

だから、後半に「父さんは~」と言う下りが4つあるんだ。

と。

(あとひとつは、自分ね。)
五霊は全て死に絶えて、現世からあの世に行き天霊となるんだろう。

それが、この世の業なんだろう。

だとしたら、前半の部分にもそれに対応するモノがあった方が良いよなと言う事で、前半部分の唄を元ネタに、それぞれ、父親、母親、兄、姉に当てはめて、4行の詩に書き換えた。

そして、父親、母親、兄、姉それぞれに対する思いを、その呪いの唄の前に語ることに。

これが、「憎しみがあれば人を殺すでしょう~」のくだりになる。

家族4人を殺した後、最後には、「闇があれば自らを殺すでしょう」。

つまり、最後に自殺して終わる。

その前に、自分の思いを、呪い歌として書いて・・・

ストーリーは完成した。

キーワードは、「5」だ。

4拍子の曲だから、本当は、この辺りが4の方が、編曲上は都合いいけど、仕方ない。

だから、色んな所で、終わりかと思ったら後ひとつあった~みたいな構成になってしまってる。

けど、仕方ない。

上記のような理由なんだ。

ちなみに、メロディーラインについては、ほぼ即興。

併せて、呪いの唄のパートは、初めて元ネタのレスを読んだ時、なぜか頭の中で響いてたメロディーそのまま。

(まぁ、多少は変わってるだろうけども。)
オレが、ゼロから作るなら、メジャー調にはしなかっただろうし、節回しも、コブシが聞いたようにしてたと思う。

でも、どうやっても、このメロディーがしっくり来たんだよね。

そんな、チョッと不思議な経緯で完成した曲です。

こんな感じで、チョコチョコと、その曲の製作過程を、作詞作曲者目線(バンド目線じゃなく)で書いていく。

・・・予定。

では、次回は「虐殺の恋文」でお会いしましょう。

さようなら。

さようなら。

さようなら。

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2014年8月17日 22:34 CAT :

彼岸と此岸のはざまの話

今日で、お盆も終わり・・・

早すぎるだろ・・・途中、休日出勤があって、飛び石連休になった事があり、いつも以上に、親戚めぐりと、飲み会であっと言う間に終わった。

明日から、普通に仕事だって。

今年は、なんか大好きな怖い系のテレビも全く見なかったしな。

と言う事で、お盆らしく、チョッと身の回りに起こった体験でも。

今年の初めに、じいちゃんが亡くなった。

娘は、まだ1歳になったばかり位で、結局、亡くなるまでに一度も、じいちゃんの事を「ひいじいじ」と呼ぶ事はなかった。

元気なうちに、何度か、抱いてもらう事が出来た事が、せめてもの孝行か・・・と思う。

でも、「ひいばあば」はまだ2人元気(と言っていいかは微妙かも知れんけど・・・)。

娘も「ひいばあば」と言う呼ぶようになった。

ついでに、オレの両親を「じいちゃん」「ばあちゃん」とも呼んでる。

・・・とここまでが前提。

オレの家の寝室には、オレが生まれる前から家にあり、オレが、ずっと大切にしてきた犬の人形(と言うか、ぬいぐるみ)がある。

娘がね・・・その人形を指差して良く「ひいじぃじ」と言うんだよ。

この人形とじいちゃんには、正直何の接点もないので、何かを思い出して、「ひぃじいじの人形」的な事は絶対言わないと思う。

だとすると・・・なんだろう?とね。

それだけなんだけど・・・オレは、きっと、じいちゃんが時々オレの事を見に来てくれてるんだと思ってる。

実家でいた時も、良くラップ現象含む、人の気配があったけど、それを、大好きだったじいちゃんだとずっと思ってきた。

それと同じなんだと思う。

いやね。

娘が、そっち見て「だれ?おねえちゃん」とか言うのなら、めっちゃ怖いよ。

でも、「ひぃじいじ」なら、別に良いじゃないか。

両親共働きだったので、結構、両方のじいちゃんばあちゃんに育てられた。

結構、大事にしてもらった。

だから、全然良いよ。

むしろ、見守ってくれてるんなら、凄く心強い。

この世に身体がなくなったとしても、じいちゃんはじいちゃんだ。

ついでに、ばあちゃんはばあちゃんだ。

まぁ、別に恐怖でもなんでもないよね・・・

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2014年8月16日 14:14 CAT :

犬神サーカス団の凄さを思い知った夏の夜の振り返りの事について

さて・・・そろそろ、大体の人に「王道軽症」のCDを配り終わったと思う。

・・・思う事にする。

そして、壮大なオナニーとして、「王道軽症」の収録曲1曲ずつのライナーノーツでも書いて、それを自分で読み返して、悦に入ってしまいたく思っております。

今回は、製作期間もベラボーに長い分、何気に1曲に対する思い入れもこれまでより、結構深かったりする訳ですよ。

その前に、これまでに作ったCDでも聴いて、振り返りでもしてみよう~と、先月末くらいからチビチビ聴いてた。

「永遠の向こうにある果て」辺りから・・・

荒削りだけど、面白い。

・・・やっぱり、思春期付近の閉塞感は、凄いものを生み出すな。

と、改めて感じました。

近年。

どんどん寡作になっていく。

1つ1つがじっくり練りこみすぎてる気がする。

かつての勢いがない。

これは間違いない事だと思う。

ただね。

ふと思ったんだけど、単純にネタ切れのような気がするんだ?枯渇したと言い換えてもいいけれども。

初めて、作曲的なことを始めてから15年。

どれだけ作ってきたんだろうと、書き出してみた。

▽ ▽ ▽ ▽ ▽
・本当の横溝正史のラブレター
・1/f揺らぎにあわせて奏でる発狂者のメロディー
・虐殺の恋文
・死合わせとシャボン玉の唄
・惑星独りぼっち
・今宵、「ただいま」はゼロになる
・黒魔術ラヴィンユー
・思い出のアルバム
・おもちゃはおもちゃ箱へ
・お耳汚しを召し上がれ~と言う、演出
・犬神一座の大サーカス
・哀飢え悪の唄
・パラフィリア=グロッサリー その1
・パラフィリア=グロッサリー その2
・白痴にも書けるラブソング
・メインテーマ(うんこ漏らのバラッド)
・オープニング
・街1
・フィールド1
・通常バトル
・レベルアップファンファーレ1
・フィールド2
・コキリの森
・オオカミバトル
・ミシディアウサギのテーマ
・キャッスル1
・ゾンビの森
・ホタルバトル
・レベルアップファンファーレ2
・街2
・宿屋でおやすみなさい
・盗賊の街
・カジノ
・コロッセオ
・ウィっカーマンバトル
・森のパブ「花魁の墓場」
・花魁のテーマ
・フィールド3
・ヨラバタイジュの山
・脱出
・気球に乗って島に行って南の山に行って城に行って上昇気流の山に行って、そしてベテルギウスへ
・ドワーフの城
・ベテルギウス
・全滅のテーマ1
・花魁の過去
・竜王の洞窟
・全滅のテーマ2
・ラストバトル
・大団円
・観客3人のライブイベント
・紀元前より愛を込めて
・ホルスタインLOVE
・もてなしのバラッド
・だんだん心轢かれていく
・このゆびとまれ
・ホーリーチェリー
・小児麻痺と青空の世界
・元寇と義経とあとバルバロイ
・蛇女外道節
・遊星屠殺ワンダー
・「さよなら」とだけ呟いて 意のままにあなたを殺します
・瓶詰めの幼女
・イカサマサイコロダイスマン
・夜景情景スカトロジスト
・志茂田さんのプログレ
・踏まれた洸中花
・不幸飛行夜行
・夜伽話
・帰郷
・ナスルーラのクロスを持つスーパーツジノコミチ
・ひと時の暗がり
・空色暗中
・捨幸醜貌女の死に様
・白い世界
・四千年王国
・教え① アーユーハッピー
・追悼興行GREAT VOYAGE 09 In OSAKA
・上九一色村 第7サティアン
・ぺ・ヨンジュン 陵辱 里香ちゃん
・教え② 地球霊団最高大霊
・AM4:00 ショップマニフィカ本部
・神聖水 特別定価4,8000円
・ご拝受の言葉
・黙示録
・教え③幸せについて本気出して考えてみた
・大集会 In AKBシアター
・背信徒の末路
・月間ヤングブッタ
・HOIHOI30
・大阪城倒壊
・逆転満塁土生本塁打
・破壊録
・あやまって猫にご降臨
・教え④ 全廃宣言
・SUNAONINARE
・dmp
・運否天賦
・鹿野苑の教え
・砂漠の砂鉄
・堕天録
・教え⑤ 幸せについてまぢで本気出して考えてみた
・ナスルーラのクロスを持つファイナルツジノコミチ
・ポロッと本音
・教え 心配したヤツ
・祭りの後
・建墓記念の夜に
・黄泉
・手のひら収集家の談話
・三年後のお葬式
・ジャム地獄ジャム
・覚え書き
・花も活けてある
・アイエルマ
・セルポからの伝言
・メキシコの風景
・fgふいじゅおp
・エンタの神様
・人妻生撮りおろし動画
・絶望の最新兵器
・毒電波による解答編
・1970年3月14日
・テレフォンショッキング~UFO3大クラシックver~
・ババンバキック
・サガットのテーマ
・モンゴリアンデスワームの毒液を吐く音
・50年目の告白
・尾崎 豊
・コンゴ民謡 組曲「ムベンベ」
・こゝろ
・B&B
・最後の一匹となったエレメントゥワカの雄叫び
・伊香保温泉殺人事件
・リュシータ・トゥエルエル・ラピュタ
・「アマゾン奥地で見つかった新種のUMAメランコリニスタの鳴声の録音に成功しました」と最初に入れる予定だったのに入れ忘れた曲
・ナスルーラのクロスを持つツジノコミチ
・子守られの唄
・boy and girl’s be ambitious
・チベットの報い
・Xのリ(コ)ーダーYOSHIKI
・GOD IS RETUNE
・砂泥底
・ヴァン
・天使組曲777番ピアノクインテットイ短調
・たけき者も遂にはほろびぬ
・ピアノの調律コンサート
・ご想像通りうんこか寸止め
・吸い出して欲しい
・奈良だった
・白い世界
・GGGX
・おいちゃんからのラブレター
・雲は流れ 人は殺され 川は流れる
・カニバリズム・マゾヒスト
・ひと時の暗がり
・アンチスーサイダー戦場へ赴く
・るりゑ
・中央悲劇閲覧センター
・終幕の神話は孤独より
・果て.1
・花々木々
・彼岸からの恋文
・偶発的導入.1
・永遠の向こうにある果て
・Don’t 永眠ファラオ
・田代念仏
・IWAHASHI
・翼の生えた白馬の幻想
・亀助~ガラパゴスゾウガメとランデブー
・忍耐仮面ヤセガマン
・異魔神
・葫
・レイ=プレイPart3~悲しみ大妄想
・君と2人で
・氷の国の郵便居局長
・萌え萌えストーリー
・近代日本における必然的方向性への事象
・モノはモノだけど。

忘れません
・夢想代理人
・悲しみを具現化できる世界
・嘘つきロンリーウルフ「ジャック=デマ」
・レイ=プレイpart2~死にかけ大妄想~
・レイ=プレイpart1~マン見え大妄想~
・夢喰いバクヲ
・絶対に無駄無駄無駄無駄!!
・降り止まない雨
・カップラーメン
・ボスタフビッチェに乗っかって
・亀助
・分度器の存在意義
・僕とフビライハン~三国remix~
・ばちゅうざめどれー
・わさびと広島
・誰もジョジョとは呼ばない
・日清
・ヨガ死
・最後の田代
・水虫LOVE
・泳げない鮫
・「囚われてお姫様」にのって
・ムラマサを作った名工達の心意気
・ひげを剃った田代
・サイズの違う服
・和菓子敬愛
・我が祖国より愛をこめて
・今年で卒業
・連想ゲーム
・泳げない亀
・田代マサシ~その誇り高い血統~
・優しさに包まれて
・ボッタクリすし屋
・横溝正史のラブレター
・近代日本における危険性への警告を綴る
・ふーふー
・天使になれました。

感謝します。

・波子の心
・スクエア
・タンタン~海の底とまぶたのない魚~
・アリスとテレスのアイスクリーム
・沼
・Am(天沼優の頭文字)
・僕とフビライハン
・僕の授業
・北斗の拳12巻98・99ページ
・名前を呼んでみました
・オレは万年平
・好きなものシリーズ嫌いなものシリーズ
・僕の部屋
・意味を知らないので
・最後のマイク
・マイクの部屋
・マイクの街
・これより昔~第十三章~
・これより昔~第十二章~
・これより昔~第十一章~
・これより昔~第十章~
・これより昔~第九章~
・これより昔~第八章~
・これより昔~第六章~
・これより昔~第五章~
・これより昔~第四章~
・これより昔~第三章~
・これより昔~第二章~
・これより昔~第一章~
・青空
・よければ
・Blue Moonⅱ
・Blue Moon
・いぶいぶ
・あの日からどれだけのウソをついてきたのだろう
・サノバビッチにGO!!GO!!GO!!
・アリアイ
・J.F
・エターナル2
・Viva!!偉い人
・アホな歌
・ウミウシの挽歌
・It’s Mossari
・人生の背信者
・捧げます
・Cutie Desire~in 温泉~
・水のない砂漠
・いつか君と話したときには
・冬の風
・君に逢えてよかった
・Ranaway
・森を抜けて
・First End
・街頭の下で
・闇に浮かぶ彫刻
・悲色
・See Though
・New
・アホクサ
・even
・長四角な核武装~ネッティー+α~
・Km~キロ~
・Say Happy Birthday
・あすなろ
・約束の場所で
・アイ
・悲歴
・昇華~Sublimation~
・Bad Love~君の瞳~
・糧となるものたち~True of the Would~
・楽しい日々は過ぎ去りて
・織田無道
・The Endest
・Super Finish
・・・書きも書いたり288曲もあった。

そりゃあ、ネタ切れもするって・・・

これだけあれば、もう新しいの作らなくてよくね?・・・とも思うだろうて。

だって、例えば「和風ロック」な曲やりたいなぁ~となれば、じゃあ、「果て.1」とか「ジャム地獄ジャム」とか「蛇女外道節」を・・・となるって。

3拍子の曲やりたいなぁ~となれば、じゃあ「不幸飛行夜行」とか「アンチスーサイダー戦場へ赴く」とか「青空と小児麻痺の世界」を・・・となるって。

ある程度、好みなジャンルは、網羅してると思うよ。

では、この先何があるのか・・・

それは、誰にも分からない。

取り合えず、次に作るヤツはもう決まってて、3年ぶりの馬忠・DA・ムドー9枚目のアルバムだ。

タイトルは多分「現天怪奇セブンチーン」。

今回書き出した曲の中の、特に下のほうの曲を、新しく作り直したりすると思います。

そんな、妄想をしております。

2015年か2016年頃に製作予定ですよ。

さて、振り返ったところで、次回から、チビチビライナーノーツだ!

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2014年8月15日 22:19 CAT :

パノラマ島へ帰る

苺楽團さんの新曲「テ キベクナ レ テスエナ」。

メッチャカッコいいけど、なんとなく、このまま「陰陽座」のようにはならないようね・・・と言う、心配だけがあったりする。

まぁ、もう15年以上のキャリアのある、関西アングラの帝王が今更、路線変更とかしないと思うんだけども・・・

しかし、今回のアルバムも凄い出来だったよ。

ただ、もう少しだけ、音質(と言うか、ミックス)が良くなると、もっと良いのに・・・と、少し思ったりもした。

さてさて。

先日、いつものメンツで、ダラダラと飲んでだべって笑ってきました。

年に数回。

顔の(と言うか、頬の)筋肉が痛くなるほど笑い転げる夜ですよ。

内容・・・?そんなものはないに等しい。

ホント、無駄な時間だ。

でも、それが何より大切な時間なわけで・・・・

集まって辛気臭く、真剣に自分の生き方を語るとか、そんな事も大切だろうけど、もっと意味のないことだって必要なんですよ。

意味がない事に意味がある。

面白ければそれでいい。

と言う、有頂天のコンセプトは、まさにその通り。

「僕らはみんな意味がない」んだよ。

この飲み会自体、大学の頃から、もう10年以上も続いている。

途中、数回、別の場所での開催もあったけど、基本的には、同じ店。

冷静に考えたら、この店に100万円には、届かないか・・・位使ってるんだよな。

立派な常連!
でも、たぶんあんまり歓迎されてない。

・・と思う。

後半には、ホントに注文とかも呼んでもなかなか来てくれなくなったりとか、そんな事が露骨に起きてしまう。

なんでだろう・・・

でかい声で「まんこまんこ」って叫んでるからだろうか・・・それとも、こんな年になっても、大学生見たいに薬味で遊んだり、イッキまがいのことしたりするからだろうか・・・

まぁ、いいさ。

それでも、この飲み会はこれからもきっと続いて行くだろう。

オレが、死んだとしても、是非とも3人で続けてもらいたい。

生前のオレをネタにしてくれとまでは言わないので・・・

誰かが最後の一人になっても、そいつが、この時期になるとあの店に一人で行って、昔を回顧するとか、そうなれば、相当面白いと思うんだけれども。

もちろん、一人で、アホな事をやり続けてくださいませ。

言い方が良いのか悪いのか分かんないけど、ああ言うホームグラウンドみたいな所があるって、ありがたいことだ。

それぞれに、色んなところで、四苦八苦しながらも、それを大して持ち込まないで、無駄な事やってゲラゲラ笑える場所がある。

誰も唄など聴いてはいないし、この世界がみな作り物なら・・・

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2014年8月13日 20:46 CAT :

そして、人生は続く

先日、嫁から「しっかり浮気してきな」と言われつつ、高校時代の先輩さんと会ってきた。

そもそもの発端は、オレが「王道軽症」のCDを聴いてくれって連絡したら、「お盆に帰省するからその時手渡しで貰うわ」となった・・・事。

だから、まぁ、オレから誘ったと言うか、向こうから誘ったと言うか・・・まぁ、そんな感じですよ。

この先輩さんは、オレが色々と創作したものを、ある意味初めて真面目に相手をしてくれた人で、そう言う意味で、地味な(でもないか・・・)恋心を学生時代抱いてた相手でもあったりする。

そんな人と、未だに定期的に連絡取ってるオレもアレっちゃあアレだけど、もう今は、お互いに別の人と結婚してしまったし、そもそも、向こうには、端からそんな気はなかったから、単純に、昔の友人みたいなもんだと思ってる。

(向こうは知らんが、多分、高校の後輩の一人くらいにしか思ってないだろう。)
ついでに言うと、オレの勘違いを増長させちゃった人でもある。

(まぁ、この人に会わなくても、いずれ同じ道はたどっただろうけど。)
会うのは結構久しぶりなような気がしないでもないけど、会ってみれば、相変わらず、チョッと微妙な空気から始まる。

お互いに、探りあいと言うか、そんな感じなんでしょうね。

その内、お互いが時間を共有してた、高校時代に戻っていって、結局、思い出話に花が咲いておしまい。

と。

割と楽しい時間だったとは思う。

思うけど、今になって冷静に考えたら、オレがこの人と一緒に居た時間って、1年にも満たない位なんだよね。

何か、昔、結構長い時間色んな事を一緒にやった仲だと思ってたけど、1年にも満たない。

それどころか、オレが1年の時、彼女が3年だった訳で、秋には、演劇も引退したから、実質、一緒に演劇とかやったのは、半年足らず(しかも、間に夏休みを挟んだ。)だと。

改めて、あの頃は、1年の。

1ヶ月の。

1日の密度が濃かったんだと思った。

「王道軽症」のレコーディングに1年かけたんだ。

その1年。

何があったんだよ。

その半分の期間なのに、毎日毎日の思い出がダラダラと沢山あって、「あの時、あいつはこう言ってた」とか「あそこ行ってこんな事した」とか「あの頃好きだったバンドはどうだ」とか・・・そんな事を何時間か話してもネタが尽きないとは・・・

思えば、その感覚は、どんどん減ってきてる気がする。

嫁とも、出会い始めの頃は、そうだったと思う。

永遠のように長く感じてたニート期間だって、実は、たかだか半年程度でしかない。

でも、あの頃の毎日は、今でも同じように思い出せてしまうんだから、きっとそうなんだろう。

同じように過ぎていく時間。

ただ、体感する自分の感覚の中でだけ、少し早まっている時間。

だとしたら、もう少し、1日1日を大切にした方がいいような。

そんな気持ちを持つ夜でした。

31歳の目標は、1日1日をしっかり刻み込む。

と言う事にしよう。

例えば、ブログに書く。

でもいいので。

もう、あんまり、物語とかは書くことが出来なくなっちゃったからね。

その分、日常を書き留めていこう。

ストーリーマンガ(ワンピース、ナルト、ブリーチ、彼岸島を省く)はすぐ終わるけど、日常マンガは終わらないんだ。

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2014年8月11日 21:52 CAT :

ダンブルドア軍団襲来の日

何か、化学調味料を使う事で、減塩に成功と言う記事を見た。

どこで見たか、ソースがなんだったのか?そもそも、これ本当か?含めて、全体的に怪しいので、そう言うところに、五月蝿いヤツは、読まないでください。

もしくは、豆腐のカドに頭ぶつけて死んでください。

(別に、うらみもないけど・・・)
糖尿病なので、砂糖の代わりに人口甘味料を取ります。

と言うようなもんだろうか?
化学調味料自体、最近では、当たり前に使われすぎて、昔ほど、拒絶反応がある人は少ないような気もする。

今時、ここに敏感に反応してるのは、自己満足の似非オーガニック野郎くらいだろうて。

でも。

だからと言って、塩を使わないように、化学調味料を使う・・・ってのは、違くないか?
塩は取りすぎると体に悪い。

化学調味料も取りすぎると体に悪い。

と言うか、取りすぎて、体に良いものなんて、この世に1つもない。

全て、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」だ。

野菜が体に良いと言うけれども、ホントのベジタリアンの平均寿命は、普通に生きてる人の平均寿命より短い。

むしろ、肉ばっかり食ってる人のほうが長生きだったりする。

でも、本来あるべきものを、本来あるべきではなかったものと取り替えてしまう。

と言うことに対して、何となく、恐怖心を感じる。

その内、全てが本来あるべきではなかったものと入れ替わってしまう。

そんな食生活って、何となくイヤなんだよな。

将来、食に関するその全てを、本来あるべきではなかったものと取り替えていったと仮定する。

例えば、栄養サプリメントとか、カロリーブロックとか。

そして、数千年が経ち、いつしか、人間は、食欲と言うひとつの欲をなくしてしまう。

高校時代に、そんなお話を読んだ事があるような・・・確か「食欲のない話」・・・だったかな?
その始まりが、本来の調味料である「塩」を「化学調味料」で置き換えていく動きなのかも知れない。

食べる事が大好きなオレは、そんな事にとてつもない恐怖を感じておるのですよ。

フルフルと震えつつ。

肉が食べたいわけであって、肉っぽい化学調味料が食べたいわけじゃあないんだよ。

オレわ。

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2014年8月10日 1:57 CAT :

空高く空高く昇っていければ・・・

ある一日が過ぎて
ある一日がやってくる
積み重ねは気がつけばそれはそれは大きなモノになり
下の方にあったものは少し重みで歪になる
歪にはなるけれど
忘れる事はなく
下があるから上がある
いつか崩れる事になるとしても
全てはなくならないと信じたい
いくつかは残るだろう
そこからまたはじめると良いと思う

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2014年8月9日 20:24 CAT :

青い月の夜~後篇~

・・・昨日の続き。

誕生日の夜にこんな話を書くと言うのもなんと言うか、変な感じだけど。

30代に入っての一種の懺悔みたいなもんだ。

そう考えると、ちょうど良い。

と言う事にしておこう。

今日は、チョッと、切ないお話しです。

さてさて。

いきなりバンド解散の危機を迎えた、3人・・・からだったよね。

そこへ来て、考えた事は、「じゃあ、ベースのヤツ見つけてきたら良くね?」だった。

確かに、ギターが2本のバンドは良くあるわけだし、そもそも、そう言えば、ドラムと言うパートも必要だったからだ。

どちらにしても、メンバーの補充はしなければならなかった。

そこで、もう一度卓球部の面々を(T君も所詮、卓球部位しか友達が居なかった訳で・・・)説得がてらに誘ってみた。

前回とは違い、すでに、オレとT君が中心になって動く事が決まってて、「手伝ってくれるだけ」と言う、お気楽ポジションだった事もあって、じゃあやろうかと言うヤツが2人見つかって、しかも、その2人がベースとドラムで良いよ。

となり、あっさりとこの問題は解決した。

それどころか、そのベースのヤツが(こいつもT君なんだけど。)、結構、幼馴染とか多くて、「そいつがやるんなら、オレもやりたい。」と言うヤツがいきなり何人も増えた。

その結果、アホ見たいに、大所帯のバンドになってしまうんだけども・・・

友達の居なかったオレとしては、なんか(人の威光なのに)、オレのバンドに急に人が増えた=オレの事を認めるヤツが増えた=オレはやっぱり凄かった。

と言う、謎の中二病思考で、非常に悦に入っていた。

そして、改めて新しいメンバーも増えた事だし、もう一度、やりたい内容について、決める事に。

その中で、やはり、人前でやるのに、変なマニアックな曲はしたくない。

今、はやってる曲をやりたい。

という意見が多かった。

T君の意見として、以前に却下したヤツと同じような内容。

でも、オレは、せっかく増えた、まだ、友達ともいえない距離感の数人を失う事を恐れ、「それで行こう。

確かに、人前でマニアックな曲とかするなんて、オタクだよな。

オタクのH君は死ねばいいのに。」と決めてしまった。

(ちなみに、自分の意見は曲げずに、オリジナル曲を1曲やることは了承させた上で。)
しかも、(一応)創設メンバーのH君が登校拒否でいないその場で。

「あいつは、所詮オレの思い通りになる。

また、ちょっと脅せば、嫌がってたあいつも折れるだろう。」と言う考えがあった。

ホント、クズの極みでしかないと思う。

オレだけど。

取りあえず、H君にはその説明をしに行った。

しかも、結構軽いノリで。

でも、反応は、予想外のものだった。

まず、そんな大人数で馴れ合いみたいにしたくない事。

そして、流行りものに乗っかって、売れてる曲やるとか恥ずかしくて絶対嫌だと言う事。

オレは、前と同じように脅しに脅した。

けれども、H君の態度は変わらなかった。

最後には、「じゃあ、もうお前とは、これまでやな。

これで、この家にもう来なくていいなら、スッキリするわ。」位の捨て台詞も言った気がする。

バンドの練習が始まった。

曲は、当時流行りにはやってたGLAYのHOWEVERになった。

それと同時に、オレは、自分で曲を書く事に、必死になってた。

H君は、前にも増して学校に来なくなった。

オレは、初めて人前で注目され、そして、生まれ変わるべく、日々悶々とよからぬことを考えながら過ごした。

H君のことなんて、もうあんまり頭の中になかったかも知れない。

たまに、メンバー間で、話題になり、ネタにされ、その度、オレもその輪の中で、彼を非難、罵倒し続ける。

そんな毎日だった。

学校の文化祭内でと言う、オレの初ライブは、まぁ、滞りなく終わり、オレは、自分の作った曲を何百人と言う人の前で披露することもできた。

初めて、自分の作ったものを人前に出した瞬間だった。

でも、何も変わらなかった。

バンドは、文化祭が終わったあと、解散し、そして、またオレは一人になった。

唯一変わったのは、もう、H君と会うことがなかった事だろう。

次にH君とあったのは、中学校の卒業式の時だった。

卒業式も終わり、特に何をするわけでもなかったオレは、何も書き込みのない真っ白は卒業アルバムを持って帰ろうとしてた。

自転車置き場で、H君と出逢い、彼は、そこで話しかけてきた。

半年・・・以上振りの会話だった。

H君は唐突に「お前といた時間が一番楽しかったです。」と言い、ぺこりと頭を下げた。

それに対して、オレは、周りの目(しかも、結構、オレもH君を罵倒してた関係上。)を気にしながら、メンド臭そうに「お前はホントうざかったよな。」とだけ返した。

彼は、苦笑いして「相変わらずやな」と言い去っていった。

それ以降、一度も会っていない。

今にして思えば、H君が、バンドをやると言ったのは、オレの脅しに屈服したわけじゃあなく、一緒に何かをする行為に意味を感じてくれていたのかも知れない。

今でも、時々、あの卒業式の時のことを思い出す。

音楽を始めた時の話をすると、決まって、この話を思い出す。

T君にとっては、「モテたかった」「目立ちたかった」と言う不純な動機があったのだろう。

オレにとっては、「自分が如何に天才かを知らしめたかった」と言う不純な動機があったのだろう。

でも、H君にとっては、もしかしたら一番不純じゃない動機があったのかもしれない。

だから、譲れなかったのだろうし、そして、あの卒業式につながっていくのかもかもしれない。

後半は、ほとんどオレの妄想だけれども、きっと、そんなに外れてないような気がする。

(もっとも、今、H君に出会って、その話をしたところで、苦笑いで否定するだろうけども。)
彼との思い出も、じつは結構ある。

後日談も、ちょっとあったりする。

それについても、いずれ、ここで、書き連ねたい思うんだけれども、今回は、まぁ、ちょっとこの辺にしておきますです。

・・・少し、長々と昔語りをいたしました。

お付き合いいただき、ありがとうございました。

今日、31歳になりました。

・・・これでいいのだ。

・・・これでいいのか。

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2014年8月8日 20:37 CAT :

青い月の夜~前篇~

音楽の始まりの話。

と言えば、単純に親に勧められて、幼稚園前から、ピアノを習ってましたが、小学生くらいで、意味を見いだせずに辞めてしまいました。

終わり。

なのかもしれない。

その後、中学生に入り、もう一度ピアノを習うようになった。

取り合えず、オレが弾いてるピアノに関しては、ほぼ100%この時期の技術だけで補っている。

その後、成長などはしていない。

むしろ、高校の頃の方が、圧倒的に鍵盤を弾く技術は高いと思う。

ただ、そう言う話ではなく、自主的に音楽と言うものをやりたいと思った初めの話となれば、それは、きっと、中学3年の時の話になる。

当時、卓球部に所属しつつ、自分の事を天才だと信じて疑わなかった(逆を言えば、それ以外のほぼ全ての人を見下していた)オレには、友達と呼べる人間など、ほぼ皆無だったと思う。

それは、友人に恵まれてなかったとは思わない。

オレでも、あの頃のオレとは、友達にはなりたくない。

その位、ひねくれくそ曲がった中学生だった。

何とか、卓球部のやつらは、礼儀上の付き合い位はしてくれてた。

・・・と思う。

それ以外に、もう一人。

登校拒否で学校に来てなかったヤツが居た。

名前をヒロセと言うので、ここでは、H君としておこう。

オレは、そのH君と、クラスが同じだった。

今はもうきっかけは、すっかり忘れてしまったけど、なぜか、オレは、このH君を家にまで行って学校に引っ張ってくる役割を与えられていた(元々、友達だからと言う理由だったような気もするけど。)。

思えば、登校拒否してるようなヤツを相手にしてやってるオレって、やっぱ良いヤツ。

と言う、糞みたいな偽善のためだけにやってたような気がして、本当に、当時のオレをぶん殴りたくて仕方がない。

でも、そんな事実があったりする。

H君に会う事があったら、当時の話に花を咲かせながら、一言謝罪したいと思いつつ、一度も会えずに、この歳まで来てしまった。

まぁ、長くなったけど、前置きとしてはこんな感じだと思う。

ある日、部活の部長をしてたやつ。

名前をタカギと言うので、ここではT君とする。

そのT君が、「今年で中学卒業だし、文化祭で、バンドをやらないか?」と誘ってきた。

それは、オレを。

と言うよりは、部活の全員に対してだったように記憶してる。

ただ、卓球部。

と言えば、そのステレオタイプ通り、引っ込み思案で、根暗なヤツばっかりだったので、そんな話に乗るヤツなんて居なかった。

自分の事を天才だと信じて疑わないオレ以外には。

そんなこんなで、文化祭でのバンド出演の話は、オレとこのT君を中心に動き始める事になる。

なるんだけれども、どうにも2人ではどうしようもない。

かと言って、友達も居ないオレは、取り合えず、前述のH君を誘う事にした。

登校拒否してるヤツを文化祭のステージに上げようと言う、鬼畜の様な提案だけど、「あいつなら、オレの言う事を拒否できないだろう」と言う、打算的な考えがあった。

ホントに、殴りたい・・・

実際に、話を持ちかけた。

チョッと脅しも入りながら。

(やらないんなら、分かってるよな。

もう、家に来てやらね~ぞ的な。)そして、半ば無理やりH君をバンドメンバーに入れてしまった。

3人いれば、なんとかなるか。

と言う事で、3人で、パート決めと、演奏する内容の相談を始める。

卓球部のクセに目立ちたがり屋のT君は「ギター」を、オレは、ピアノを習ってたので「キーボード」を、消去法でH君はベースをする事になった。

そして、次に内容を決める。

目立ちたがり屋のT君は、今売れてるバンドのコピー。

オレは、オリジナル曲を。

引きこもりでクソオタクなH君は、好きなゲームの主題歌のコピーを。

平行線をたどった。

取り合えず、調和の為にある程度妥協できる(一番人間が出来てた)T君が、真っ先に折れ、後、二人は絶対にオレなかったので、オリジナル曲1曲と、H君のやりたかった曲をやる事で決まった。

ちなみにその曲は、「テイルズ オブ デスティニー」の「夢であるように」。

DEENさんの曲ですよね。

オレも、当時この「テイルズ オブ デスティニー」は結構はまってたので、そこまで拒否する気はなかった。

「夢であるように」名曲だし。

実際に、動き始めたように見えた矢先・・・またしても問題が勃発した。

ベースのはずのH君が、自分のこずかいと、親の金を使って、ギターを買って来たのだ。

消去法で、「じゃあ、お前ベースな」となってたけど、本人は、本当はギターがやりたく、T君がギターを手に入れる前に、ギターを買ってしまえば、あいつはベースをするしかなくなるだろう。

と言う、まぁ、コミュ障引きこもり登校拒否中学生なら、納得の思考の流れと言ってしまえばそれまでだけれども。

T君もここはさすがに譲らなかったために、いきなりバンド解散の危機に。

まだ、一度も音合わせすらしてないのに・・・

で、どうしたかと言うと・・・

って、結構長くなってしまったので、この話、2日に分けます。

興味ある人なんていないと思うけど、次回を待っておくれやす・・・

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2014年8月6日 23:47 CAT :

時が経つのは早いのぉ~

この9月で、レベム結成15周年。

・・・らしい。

何の話か分かるやつは、たぶん、この日本に4人くらいしかいないと思う。

レベムってのは、オレが、中学自分、初めて組んだバンドのこと。

4人ってのは、そのことを覚えてる奴が、メンバーの中に何人かいるかも知れない。

って言う、希望的観測で、言ってみただけだったりする。

ただ、まぁ、実際、この前、昔っからの連れと飲んだときに、この話になったから、たぶん、希望的観測と言うだけではないと思う。

当時、メンバーのほとんどが卓球部に所属してたので、親や教師からは、蔑みを含めて「ピンポンバンド」とも呼ばれてた。

ちなみに、「レベム」ってのは、・・・「ラーニング 何とか ボーイ ミュージック 何とか 何とか」の略だったような気がする。

命名したのは、ギター担当のT君(って言うか、タカギ)だったように思う。

凄まじいダサさ・・・

確か、ボーカル1人に、ギターが3人(4にんだったか?)、ベースが2人に、キーボードが1人、ドラムが1人、体育座りが2人の大所帯バンドだったはず。

(オレは、キーボードね。)
このバンドの唯一ただ1回だけのライブで披露した、オリジナル曲「バッドラブ」は、なんとなく、オレが個人的に「影の上のボーニョ」と言うアルバムで、セルフカバーなどしてみてたりします。

カバーバンドだったんだけど、オレが、とにかく、楽譜見ながら練習するのが嫌で嫌で、作曲ばっかりしてたもんだから、オリジナル曲は割とたくさんあると思う。

(と言っても、4曲位だけど・・・)
そのうち、「昇華」「true of the world」は、個人的に、セルフカバーしておりまして、あとの1曲「ENDEST」は、メロディーラインそのままに歌詞を書き変えて、その後、高校の頃にやってた「シータ」と言うバンドさんの曲「約束の場所で」になってるので、何気に、レベムのオリジナル曲は、全部形になってる。

と言う事にしてしまっていんでしょうかね?
チョッと、そんなレベムの思い出話でも書こうかと思ったんだけど、この話を書き始めると、オレの中学時代の唯一の(と言って良いか微妙だけども。)友達、H君(っていうか、ヒロセ君)との、ちょっと甘酸っぱい話を書かなければいけない。

そして、その話は、バンドの話とは、ずいぶん外れてしまうので、また次回・・・と言う事で・・・

取り敢えず、オレのはじめてのバンド、レベムは結成されてから、今年で15年が経った。

そして、15周年で、当時のメンバーが集まって、再結成などと言う話はない。

このバンドは、オレと、あと一部の奴らの思い出の中だけのバンドなんだよ。

多分ね。

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2014年8月4日 23:30 CAT :

鳥と空と海

ドリフ世代からは、少々外れます。

全員集合世代ではありません。

でも、子どものころから、「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」を見て、「だいじょうぶだあ」を見て、「ドリフの大爆笑」を見て育ちました。

本来なら、「ごっつええ感じ」の世代なんだけど、親が「ダウンタウンは教育に悪い」と言う素敵な方針だったので、「ごっつええ感じ」を見た事が実は、ほとんどないんだよね。

でも、親父がドリフターズ大好きだったから、ドリフは見ても良かった。

(今思うと、ドリフも大概だと思うんだけど・・・)
そんなこんなで、加トちゃんの現状を見るのが辛いです。

何か、体調不良とかでって言うなら、理解できるけど、あれは、どっちかと言うと、ゆるやかな公開老人虐待。

でしかないと思う。

悲しいことだ。

さてさて。

文章力ってのは、書かないと、読まないと、どんどん低下していくらしい。

基礎的な、国語力とかは、減ったりしないだろう・・・って思ってたんだけど、文字から離れてると、それさえも亡くなっていく見たい。

結構愕然とする。

自分で書いた文章を読んで、「なんだ?この小学生レベルの文章は?」と。

何か、学生時代、本を読みあさって、新聞を読みあさって、書き倒しまくって、文章力を身につけようとしたのに・・・あれはなんだったのやら・・・

でも、ふと思う。

この文章力が全くなくなってしまえば、最後に残るものは何なんだろうか?
娘が描いてる絵を見ると、それはそれは凄い。

絵の技術なんてものは、まったくないのに、自分の感覚だけで書き倒してる。

目に見えたものを、思うがままに描いている絵。

あれに比べれば、デッサンとか、パースとかアホらしくなってくる。

(もともと、そんなものに興味ないけれども。)
文章にも、同じことが言えないだろうか。

全く文章力がなくなってしまった後に残る文章。

それは、並大抵のことでは、書けないと思う。

でも、どうせ、文章力がなくなるんであれば、そこまで無くなれば良い。

亡くなってしまえば、そこに、凄い文章が並ぶんだろうて。

今は、言ってみれば、そこまで無くなるわけでもない、。

ただの詰まんない文章・・・。

こんなはずじゃあなかったのに。

絵で言うところのピカソがそれなんだろうね。

ただ違うのは、彼は、すべてを習得した上で、意図してそれを捨てた事。

知ってしまった今、それを捨てる為には、何を捨てるべきかを、すべて習得しなければいけないんだろうて。

そんな文章については、来世に期待する事にしよう。

無念はひとたび毎に起きやがる。

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