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2023年4月7日 20:00 CAT :

めくるめく世界は艶やかななまま記憶の片隅に ~中編

ということがあった。その続きでございます。

このままではどうしようもない。

絶望の中で、いつまで経っても何も見えない日々は続く。

オレも精神的に一番疲弊していた時期だったように思う。

例え似非であっても、未来に向けて何かを行動しているという状況を作らなければ心が壊れてしまう。

そんな後ろ向きな理由で、毎日ハローワークに足を運ぶようになる。

毎日見たところで、そんなコロコロ求人の内容が変わることなんてないわけで、それは結局のところ徒労にしかならない。

それでも、公園で野良猫と眠るだけの日々よりは少しでも心が軽くなるような気がしないでもない。

実際には何も変わらなかった。

心の疲弊も限界が来ていた。

嫁はこの頃、植物が大好きだったことから、お花屋さんでバイトをするようになっていた。

仕事終わるといつも嫁から電話があった。その電話に対してオレは何も変わり映えしないハローワークでの出来事を話すだけの日々。

そんな日々に耐えかねて、一つの仕事に応募してみることにした。

変わり映えのしない求人の中で、いつでも出ている求人というのは、その職場が絶えず人材不足であるということで、それはそのまま超絶ブラック企業だという事の証明でもある。

それでも、何か動かなければ心が壊れてしまう。

応募した会社の面接の日、面接は地方の中小企業よろしくいきなり社長面接だった。

その時におもむろに一枚のDMを出して「これをどう思う?」と聞かれた。

受からなければそれはそれで良いかな。また、夜、嫁に話すことが増えるか。程度にしか考えず、そのDMを自分ならどうデザインするかを懇々と語り倒した。

その話を静かに聞いていたその社長さんは「よっしゃ!」と言い立ち上がり、オレを一つのPCの前に連れて行った。

そして「今から、お前が言ったDMを作ってみろ。このDMの入稿は今日が締め切りだから、今日中にできるな?」と言い放った。時刻は、夕方の6時ころだったと思う。

面接の日。

まだ入社するかどうかも決まっていないのに、いきなり、実際に出すDMのデザインをやらせる。

しかも、その日が締め切り。夕方の6時から?

頭の中には「?」が無限にわき続ける。

それでも、取り合えず今持てる技術で何とかしようと、イラストレーターでDMを作り始めた。

面接で偉そうに話した内容を一通り網羅したDMが出来上がったのは、日付の変わった深夜2時ころだった。

出来上がったことを告げに行くと、その社長ともう一人のおっさんがオレのことを待っていた。

DMを見て「よし。今回はこれで行こうか。で、お前は、来週から来れるか?」と。

どうやら採用されたらしい。

尋常じゃなく疲弊していたので、この会社に勤めるべきかを考える頭なんて残されてなかったように思う。

結果として、オレはその会社で過去最長の7年間務めることになる。

入社面接に行っていきなり深夜2時まで無償で働かせてくれる素敵な職場。

ただ、面接時に深夜まで残って意地でもDMを完成させたこと、その出来上がったものの出来も思ってたより悪くなかった事で、この会社では有り得ないほどの好待遇、好条件で雇ってもらえた(らしい)。

入社から半年後、オレは嫁にプロポーズをして、さらに半年後結婚した。2年後には娘も生まれた。

ただ、こんな漆黒の素敵な職場なので、最後は結局パワハラやらなんやらで、再び精神をやられ、就業不可能になって退職することになる。

今でも、この頃のことを思い出すと動悸が止まらなくなるくらいにはトラウマになっている。

それであってもこの7年の間に得た技術、ノウハウ、経験、そして人脈はこの後の人生に大きく関わってくるんだから、人生って本当にファンタスティックだと思うんだ。

それとは別で、退職したものの、ものすごい鬱病で仕事なんてできる状態ではないくらい体はボロボロになっていた。

一応、長期間仕事をしていた関係で、傷病手当という救済措置を受けることができ、1年半ほどは月10万円ほどのお金をもらうことはできた。

それでも、この時のオレは結婚していて、ついでに子どもも2人いた。

以前のようなニート生活など到底送れる状態ではない。

体がボロボロ。本当の廃人で、子どもの顔すらまともに見られない。正直、この頃のことは記憶がほとんどなく、息子が赤ちゃんの頃のことはビックリする位何も覚えてない。

月10万円のお金は家族4人で生活するには少なすぎて、あっという間に当時あった貯金も底をついた。

人生で最も極貧の時代。

息子のスタイを買うことができなくて、お姉ちゃんが赤ちゃんの時の服を切って嫁がスタイを作るくらいお金がなかった。

と言う感じで、後編へ続く

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2023年4月6日 20:00 CAT :

めくるめく世界は艶やかななまま記憶の片隅に ~前編

大学卒業のチョッと前くらい。

一応、地元の零細企業に内定をもらっていたオレは、結婚前の嫁と将来について色々話をしていた。

その中のひとつに、「会社務めじゃなくて、二人で何かやりたいね」と言うものがあった。

別に会社務めが悪いとは思わない。

でも、お互い自分のやりたいことが色々あって、それは到底会社務めと言う形で達成できるようなものだとは思えなかった。

その少し前、オレは漫画家を目指して上京するか、地元に残って就職するかの決断に迫られ、地元に残って就職する事を選んだ。

ただ最後に、一度だけ本気で漫画を描いて、それをアフタヌーンって雑誌の四季賞と言う賞に応募した。

結果は落選。佳作にも引っかからなかった。

その結果も踏まえての決断だった。

当時通っていた地方のFラン大学は、卒業した先輩の就職率90%を売りにはしていたけど1年後の離職率は70%と言う話も聞いていた。

結局、就職率を売りにして新入生を獲得するために多少無理してでも、どこかの企業に内定させる。その後の事は知った事ではない。と言うのが大学の方針だったんだろう。

それもあって、オレ自身も先輩諸兄同様このまま普通の会社務めを続けることが出来る気がしなかった。そうでなくても、長く会社務めは出来ないような気がしていた。漠然とではあったけれども。

会社務めをしないのであれば、フリーターのような生き方をするのか、ニートになるのか、自営になるかの3択くらいしかなく、ただ、2人で結婚して生活したいと言う希望はすでに(少なくともオレには)あったので、ゆくゆくは自営できればいいなと思っていた。

もちろんそれは、どんな職種でどんな形で独立するのかと言う具体的なプランは全くない、ふんわりとした妄想でしかない。

嫁と二人で独立した時の屋号を決めて、その屋号のハンコを作ったりして、ささやかながら二人で薄暗い未来に少しでも光を当てようともがいていた。

まだネット環境すら、今と比べると全然普及していないような時代。

このふんわりとした妄想を話した全ての人から、「何を夢みたいなことを・・・」と鼻で笑われた。

「会社務めもできない奴が自営なんかできるわけない」と説教もされた。

唯一、このブログでもちょいちょい出てくる年の離れた従兄だけが「せっかく色んなやりたいことがあるんだから、やりたいことをやった方が良いよ」と言ってくれた。

そして、大学卒業して、職場での日々が始まる。

ただその日々はわずか1ヶ月チョッとで破綻してしまう。

2週間くらい過ぎたあたりから、毎日夕方になると高熱が出るようになり、朝になると熱が下がるようになる。

ゴールデンウィークを過ぎて数日したころ、車運転中に急に左半身が動かなくなり、そのまま緊急入院。

脳外科に入院して1週間ほどかけて全身を精密検査したけれども、異常は何も見つからなく、精神的なものから来る症状で、体が活動を拒否していると言う診断が下された。

オレの会社務めは想像よりも早く体の方が拒否すると言う形で終わりを告げる。

新卒と言う既定のレールをいきなり、しかもストレスで体調を崩したと言う理由で外れてしまったわけだ。

それからの日々は、記憶も曖昧。

フリーターをしていた期間もあれば、仕事もしないで親からもらった月3万円のお小遣いで遊ぶニート生活をすることもあった。一念発起して就職したけど結局1ヶ月ほどで退職と言う事も繰り返した。

受けた面接は多分10や20ではきかないし、務めた職場はパート・正社員併せて10以上を数えた。

訪問販売の営業、ネットショップ店長、ホテルの受付、工場での内職、塾講師、弁当宅配の受付、事務職、SEさんのマネージャーみたいな変な仕事もあったな。

今振り返ってみれば、その期間はわずか2年ほど。

どこ行く当てものなく嫁と二人、公園の野良猫と一緒に昼寝ばっかりしていた期間もある。

当時は、いつまでこんな生活なんだろうと、不安でしょうがなかったのに。

そんな中で、一つの転機が起こったのは、27歳の時だった。

中編へ続く

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2023年4月5日 20:00 CAT :

もう一度会えると思ってとっておいた手紙は車の窓から捨てた

女の子のパンツにリボンが付いているのは、ちんちんを出す穴がなくて前後が分からないからだと言う話を聞いたことがある。

参考画像。

最近、男のパンツも穴あいてない奴結構あって、オレも最近買った奴結構な確率でついてないんだけど・・・

ここはひとつ男物のパンツにも前にリボン付けてくれませんかね。これもある意味で、ジェンダーレスじゃないでしょうかねぇ。

さてさて。

今年に入って思い切ってやってやった断捨離がある。

何を隠そう、それはスマホゲー。

課金とかはしてなかったんだけど、わざわざTVの前に座らなくてもお手軽にできるので、チョッと時間があったりしたら、ポチポチやってた。

んだけど、気が付けば1時間とか2時間とかやってしまってて、そのうちの一つのスマホゲーなんか全プレイヤーの上位1%にまで上り詰めてた。この%はどこまで信憑性があるか知らんけど。

でも、今年に入ってから「何やってんだよ。このビチクソが!」と思い立ったわけですよ。

その1時間があれば、ブログ書いて、小説でも、マンガでも書けるだろうが。このビチクソ野郎が!

時間がないとか嘆きながら、スマホゲーをダラダラやってると言うこの状況はダメに決まってるだろうが!このビチクソ野郎が!

ってなもんですわ。

ただスマホゲーって、あんなクソみたいなゲーム性の癖にやたら禁断症状がありやがる。

スマホチョッと触ってたら、そのままアプリ起動できてしまうから、ついついやってしまいそうになるんだよね。

と言う事で、スマホ内に入っているスマホゲーを全部、データごと削除してやった。

まぁ、別に課金してたわけじゃあないからそこまで後ろ髪をひかれなかったよ。

ってわけでも無くて、金かけてなくても、その分時間はかけてる訳で、その時間だって有限。貴重な資産だ。

それをかなり費やしたものを全部捨てるんだから、そりゃあ逡巡もしますって。

だが!ここで捨てなければ、無駄うち精子人生はまだ続く。

オレはちゃんとまんこの中に射精して受精させるんだ!

排水溝の中に無駄うちばっかりしてる暇はない!

と、心を鬼にして、全部消し去りました。

結果として、今年は、過去類を見ないほどクリエイティブな日々を送れている。

めでたしめでたし。で終わるはずだった・・・

だったのにぃいいいいい!!

息子とひとつの約束をしていた。

『switchのスーファミアプリで「超魔界村」1週目クリア出来たら、「帰ってきた魔界村」を買ってあげよう。』

いやね。小1の息子に「超魔界村」の1週目クリアは無理だと思ってたんだよ。オレだって、クリアできたの小3くらいだったし。

でも、あいつはやり遂げやがった。どころか2週目の4面まで進めやがった。

子どもたちとの約束だけは絶対に守る主義なので、買ってあげましたよ。

これ。

じゃあ、チョッとオレにもやらせてみてよ。ってなるのは、自然の摂理でして・・・

そしたら、クッソ面白いんだよ。これ。

このゲーム作った人は、心の底から魔界村の事分かってるわ。

「やっぱつれえわ」の人とは全然違うわ。

せっかく、スマホゲーを捨て去ったのに、こんなおもしろゲーム持ってこられたら、どうすればいいんだよ。

そんなこんなで、4月以降創作活動は「帰ってきた魔界村」によって滞ってしまうのか!

次回を待て!!

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2023年4月4日 20:00 CAT :

リストカットの傷痕レーザーで消して卒アルの嫌いな顔マジックで消して

坂本龍一さんが亡くなった。

YMOのメンバーのうち2人が相次いで亡くなるとは、何とも時代の流れを感じてしまう。

坂本龍一さんと言う人の人となりはまぁ置いておいたとしても、政治的な活動(と言うか思想)についてはどうしても好きになれなかった。

好きになれなかったけど、それはそれとして、やっぱりこの人の残した楽曲は素晴らしいし、YMOの曲は全て名曲だよね。

人となりと曲の価値は関係ないと思うのだよ。あたくしは。

さてさて。

男プリキュアが誕生した。と言う話が、色んな界隈で持ちきりになってから久しいけど、ついにその御姿を見ることが出来た。

おおおおおおおおおお・・・

何とも言えない!

どういう感情でこれを見たらいいんだろうか。

そもそもいい年下おっさんがプリキュアを見てんじゃねえと言われるなら、その通りです。

そのままの言葉を、大好きなFUJIWARAの原西さんにもお伝えください。

オレが一番はまってたのは、「プリンセスプリキュア」な訳で、娘が卒業してからはめっきりご無沙汰になってしまったよ。

ジェンダーレスと言う事が世の中に浸透してきてから久しい。

この男プリキュアもジェンダーレス社会のひとつの形なのだろうか。

おっちゃんはセーラームーン世代でして、今回のキュアウイングに近い感じで、セーラーウラヌスと言うキャラクターが存在していた。

こんな顔してたか?

まぁいいや。

ただ、このキャラクターは男っぽい女だった。今度のキュアウイングは完全に男らしいので、そういう意味では完全に別物だよな。

しかも、「おとこの娘」でもない、普通の男らしい。

これも時代か。

と、一言で終わらせていいものかどうかは、何とも微妙な気がする。

ジェンダーレスってそう言う事なのか?それは、ジェンダーレスなのか?

昔から男女差別は行けないけど、男女区別はあるべきだと思ってる。

ちなみに、ジェンダーレスについて(ウィキペディアより)

ジェンダーレスとは、従来の女性観(レディース)にも男性観(メンズ)というジェンダー(社会性別)にとらわれない衣類・商品・表現を意味する言葉である。

男がスカートはこうとも、女がおっぱい丸出しで海で泳ごうとも別にOKだよ!って事で良いんだろうか?

まぁ、別にこのジェンダーレスについてはどうでも良いんだよ。

ただね。この問題って、「プリキュア」の定義が「女の子だってドラゴンボールしたい(暴れたい)」と言うどう考えてもジェンダーレスではないコンセプトのもと、言葉自体がまったく浸透してなかった20年前に誕生したものだと言う事なんだよ。

その問題を放置したまま、無理やりその中にジェンダーレスを当て込んだもんだから、「本来女の子しかなれないプリキュアに男がなった」と言う、それはジェンダーレスなのか?と言うややこしい話になってるだけで。

そもそも、「プリキュア」自体の設定がもう時代についていけないので、プリキュアをやめて、男でも女でもなれる新ヒーローを作って、それで展開していけば、誰も何も思わなかったでしょうに。

そこでプリキュアを捨てられないのは、プリキュアと言うブランドがもたらしてくれるお金の方が、社会的なジェンダーレスよりも重要だったと言う事なんだろう。

だったら、中途半端に日和って男プリキュアなんて出さなければいいのにとしか思えないけれども。

ジェンダーレスについても、色々書きたい事はあるんだけど、それはそれとして。

時代の流れに頭の固いおっさんおばさんが付いていけない一つの例だなと思った今日この頃でございます。

まぁ、オレも完全にその中の一人なんだけどな。

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2023年4月3日 20:30 CAT :

桃栗三年柿八年 柚子の大馬鹿十八年 竹の気違い百二十年

最近、自分が小説を書いていると言うのもあるかもしれないけれども、何となく人の小説が気になってる。

そんな感じで、最近なんだから新都社で更新されている漫画より、どっちかと言うと小説の方を優先的に読んでるような気がしないでもない。

で、先日完結した「SNS全盛時代のストラグラー」と言う小説を読んでおりました。

一応紹介。

【SNS全盛時代のストラグラー】

こちらの作品ですね。

ノンフィクションなのか、設定なのかは定かではないけど、リアルな描写からかなりノンフィクション寄りの作品なんだろうとは思う。

内容についての批評はまぁ、ここでするべきでもないと思うので、割愛するけど、この話を書いた経緯的な部分だけちょっと気になった。

この小説。のちに自費出版して、多分本屋さんに並ぶらしい。

「自費出版なのに、本屋さんに並ぶ」と言うこの話に途轍もない既視感を覚えたんだよ。

自費出版を流通に載せると言う事は、普通に考えると自分で各店舗もしくは卸業者さんに営業をかけて本を置いてもらうと言う手間が必要だと思う。(小説の内容の感じだと、営業回りされているとはあまり思えないし)

それをやらない場合と考えた時、チョッとだけ思うところがあった。

別に、この小説の作者さんに対してどうこう言いたいとかは一切ないし、自費出版されることに対しても、ただただ「すげぇ事するな!」としか思わない。

それはそれとして置いておいて、オレも過去に同じような形で自費出版で本を出しかけたことがある。

10年以上前の話。

当時、マンガではなく、小説を書いて色んな出版社さんに応募していたんだけど、その中のひとつの出版社から連絡があった。

内容としては「応募いただいた小説が、新人賞に当選したので、ぜひ書籍化についてお話しさせてください」と言う事だった。

そんな話が来たら、そりゃあ浮かれ倒しますって。特に、当時はまだチョッと「小説家になりたい」と言う希望も持ってたりしたんだから。

所が、実際に話を聞いてみると、「書籍化する」と言うのは「自費出版で本にしませんか」と言う意味で、しかも、そのための費用として100万円くらいかかると言われた。

その代わり、書籍化した本は、その会社から出版し、書籍コード「ISBN」も取得して、全国流通に載せて日本全国の本屋さんに並びます。と。

それはそれは悩んだよ。

でも、最終的には断った。

理由はいくつかある。

ひとつは、その時の担当のおっさんが言った「こんな素晴らしい小説は是非私も書籍化して、全国の方に読んでもらいたいです」と言う言葉。

もうひとつは、費用を取っておいて、その会社から出版すると言う方法。

前者について。実は、この出版社はこの自費出版事業以外にも、自社でも出版している。

もし本当に「全国の方に読んでもらいたい素晴らしい小説」なんだったら、何で自社出版ではなくて、オレが金を出す自費出版だったのか。と思った瞬間、急激に冷めていったんだよ。ただ、金とるために持ち上げてるだけだったのか。その為の賞だったのか。って分かってしまったから。

後者については、この出版の為の費用を出させると言う方法には圧倒的欠陥があった為。

会社がお金を出して出版した場合、その本が売れなければ会社が赤字になってしまう。その為、営業の人は少しでも本が売れるように各書店に話を持っていくし、少しでも売れる場所に本を置いてもらえるように交渉する。

そうじゃない今回のようなケースでは、会社は出版の為のお金を作者からもらってる(それも経費だけではなく、会社の利益を乗せた金額で)わけで、別に売れなくても赤字にはならない。

だから、一応本屋さんに並ぶように最低限の事はやるけど、それ以上は何もしない。売れるように営業をかけるような行為は一切しない。

実際、100万円かけたとしても、作者に入る印税はほとんどの場合数千円らしい。

その事について文句を言ったとしても「売れませんでしたね。今度は売れる話書いてくださいね」と言われて終わり。

詐欺だとは言わない。実際、本になって書店に並ぶんだから。

でもこれは限りなく詐欺に近いと思ってるんだ。

大体、ただの営業なのに「素晴らしい作品で新人賞に受賞しました!ぜひ、書籍化させてください!先生!」と連絡してくること自体がホント悪質甚だしい。

そもそも今の時代、わざわざこんな詐欺まがいの出版社に頼まなくたって、全国の方に作品を読んでもらえる機会は山ほどある。

オレも実際に、この時出版しませんかと言われた小説を、「新都社」に公開してそれこそ全国の方に読んでもらってるわけですよ。

「本屋さんに自分の描いた本が並んだことがある」と言う体験を100万円で買ったと思える人はそれで良いんだよ。ただ、例えば近所の本屋さんに自分の本を並べて貰うだけなら、自費出版して、その本をもって自分で営業すればいい。多分、10分の1くらいの費用でできるだろうて。

あとは、アマゾンとかでの販売も数千円でできる。

そんな時代に、敢えてこの出版会社から自費出版するメリットなんて皆無なんだよね。

どうせ、この会社に頼んだとて、全然売れなくてそのほとんどは作者さんの手元に返本されるんだから。その後の、営業は自分でやらないといけないんだから。

まぁ、今回のこの作者さんが、オレが騙されかけた出版社さんから本を出そうとしてるのかとか知りもしないし、仮に上記の内容を把握した上でそれでも本を出したいと思ってるかもしれない。

別に、その件に対してとやかく言うつもりはない。

ただ、オレはこんな経験をしましたよ。

と言うだけの話。

最後の良心として、会社名だけは伏せておきます。

伏せたところで、同じようなビジネスモデルで、作家になりたい人の夢に寄生してる会社いっぱいあるだろうから、どうでも良いんだろうけどね。

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2023年4月2日 20:00 CAT :

昔から蒲鉾職人はな、腕によって日給なんぼと決まっとるんじゃ、このぼけ

北朝鮮の金正恩に対する絶対に言ってはいけない言葉を盛り込んだ、放送禁止になっている歌がある。

その歌が、問題になる以前に収録されていたCDをたまたま1万円で購入することが出来た。

ただ、そのCDを所持していることが朝鮮労働党にばれた日から、常に誰かに付きまとわれ始める。

せっかく1万円も出して購入したCDをみすみす手放すのは惜しいので無視していたんだけど、とうとうそうもいかなくなった。

朝鮮労働党の幹部から、「命とCDどちらを捨てる?」と聞かれ、しぶしぶCDを手渡した。

その男は、CDにガソリンをかけ、なぜか一緒にハマグリも入れて焼き始めた。

そして最後に「お前も運がなかったな。まぁ、気を落とさずにこれを喰え」と、そのCDと一緒に焼いたハマグリのガソリン焼きをオレにくれた。

ハマグリのガソリン焼きは、ガソリンの臭いだけじゃなく、CDを焼いたための科学的な変な臭いがこびり付いて、とんでもなく臭かった。

オレはその場で、吐瀉物をぶちまけた。

・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と言う、夢を見ました。

書き出してみると、随分変な夢だったんだけど、結構怖い夢だったんだよな。

今日は、「血と骨」を見て、気持ちを落ち着かせることにしましょうか。

この映画でどう気持ちが落ち着くのかはわからないけど。

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2023年4月1日 20:00 CAT :

21デノナルーフルリプイエ

2021年春。

新型感染症のせいで会社が倒産してしまい、収入減を失ったオレは、その日の食事にも事欠くほど金がなかった。

ここは四国の片田舎。

少し町の喧騒から離れたところにぽつんと一軒家を見つけた。

どうやら、自営で会社をやっているようだった。

家には誰もいない。しかも、ドアにカギはかかっていなかった。

流石、田舎独特の不用心だ。

中には会社の事務所のような場所が併設されていた。

その奥に小さな金庫がある。驚くことに金庫にもかぎはかかっていない。不用心にもほどがある。

中には数百万の金が入っていた。

渡りに船とはこのことだ。

急ぎその金をバッグに詰めて家を出ようとしたとき、タイミング悪く家族が戻ってきた。母親と父親、それに子どもが2人もいやがる。

オレの存在に驚いたこの家族は、母親が子どもを避難させ、父親はどこかに電話を始めた。

パニックになったオレは、バッグの中に隠し持っていたバタフライナイフを一心不乱にこの父親を突き刺した。

何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。

動かなくなるまで突き刺した。

電話を見ると「110」と表示されていた。危なかった。だがまだ、通話になっていなかったようだ。

こうなったら仕方がない。

どこかに逃げた母親と子どもも殺すしかない。

すぐに見つけることが出来た。

家の中に隠れていた。こいつらは、頭空っぽなのだろうか。外に逃げ出せば、まだ助かる可能性もあっただろうに。

そのまま、母親と子どもも動かなくなるまで突き刺した。

これで一息つける。

考えてみれば、ここは町から離れたところのぽつんとある一軒家だ。しかも自営と言う事は、どこかに出勤することもないはず。

だとしたら、この家族が今、姿を消したとしても、大事にならない可能性があるかもしれない。

そう思いつくと居ても立っても居られず、オレは取り急ぎその会社の事務所らしい場所を漁ってみた。

社員はいない。家族だけでやっているような零細企業。

しかも、都合のいい事に、仕事は全てオンライン上でのやり取りだけらしい。クライアントは都会にいて合う事はない。

これなら、ばれずにやり通せるかもしれない。光が見えてきた。

PCをつけてみると、こいつはブログどころか、どうも「新都社」とか言う訳の分からない変なサイトに漫画やら小説やらを投稿して、悦に浸っていた変態野郎だった。こんな奴は死んで当然だ。

それよりはオレだ。オレが生きていくことの方が重要だ。

あれから2年。

オレは、「志茂田」と言う人間として生きてきた。

だた昨年中ごろに入ってから、新型感染症も落ち着いてきて、こいつの家族が会いに来るとか言い出した。

何とかごまかしてはいるが、ブログの投稿頻度や、漫画を描いていない事でも怪しまれている。

ペンネームをひらがな変えて路線変更を図っているように見せたりしたがあまり効果はなかった。

漫画を描くとばれるだろうから、小説を書いてみたが、どうも文体が違うような気がする。

今年に入ってからはブログの投稿頻度の事も言われ始めたので、面倒くさいが毎日更新してみた。この志茂田ってやつは、昔は日に何度も更新していたこともあるらしい。どれだけ暇人だったんだ。クソ。

ただ、もうダメだ。

バレるのも時間の問題だ。

最後に、ここに真実を書いてオレは、姿を消すことにしよう。

金庫にはまだ100万ほど残ってる。

この金があれば、少しは生き永らえられるだろう。

明日以降、ブログの更新が滞れば、そう言う事だ。

じゃあな。

短い時間だが、楽しかったよ。

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2023年3月31日 20:14 CAT :

龍が見える話

アメリカでは、今度のコロナ禍とトランプ大統領がやった健康保険の破壊による格差社会の結果、かなり多く人が命を落とした。

んだけど、その結果、人口分布図が少子高齢化の状態から、正常な状態に戻り、社会としての機能を回復しつつあるらしい。と聞いたんだけど、これまぢか?

一応、ソースと言うか、資料(↑)

無慈悲すぎるけど、まさに異次元の少子化対策だよな。

絶対賛同は出来ないけれども。

さてさて。

先日「ぬとらじ」ではちょっとお話ししたんだけど、昨年あたりからチョッとだけ霊能力的なものが目覚めつつある。

なんでそんな事になったかと言う詳細は、あんまり公に残しておかない方が良いような気がするから、割愛しておく。(ラジオの方ではベラベラしゃべったけど)

しばらくしてから、霊とは別で、もうひとつ見えるようになったものがある。

見える。と言う言い方は語弊があるな。

分かるようになったと言った方が正確かも知れない。

龍。

何か、オレにずっと付いてくれていた黒い龍とコンタクトを取れるようになってしまったんだよ。

この話については、どうせ誰も信じてくれないだろうから、ブログで書かなくても良いかなと思ってたんだけど、今の横にいるこの黒い龍「くろべぇ」が書け書けと言うんだよ。自分の存在を、伝えてほしいらしい。

ただ、一つだけはっきり言えることがある。

この「くろべぇ」とコンタクトを取れるようになってから、ビックリするくらい人生の何もかもがうまく回り始めた。

嫁と出会ってから確実にオレの人生は好転し始めたと思ってる。なので、このブログでも度々「あげまん」(揚げたまんこ)については書いてきた。

でも、その比じゃないんだよ。

って言うか、コンタクトとれるんだから、困ってること話したら大体そのことがめっちゃいい形で実現するんだよね。

例えば、引くほど大ダメージを受けた土地売買についても「安全で良い土地が欲しい」って言ったら、それからすぐに色んな人伝えに、まぢでポンポンと何か所かめっちゃ良い所が見つかって、今はその中のひとつを恐ろしくいい条件で交渉している。

例えば、昨年新しく社員さんが入ってきた時「チョッとキャッシュ面が心配で・・・」って言ったら、その日のうちにその新入社員さんにぴったりで、且つある程度長期的に安定した収入になる案件の依頼をいただくことが出来た。

などなど、枚挙に暇がない。

お願い事無制限の神龍がずっと横にいてくれるような感じ。ドラゴンボール集めの冒険してないのに。

嫁に教えてもらったんだけど、この「龍が付く」と言うのは、結構色んな人が体験していて、体験した人は悉く人生が好転しているらしい。

ついでに言えば、この龍をつけてもらうための学校があったり、お金を払えば龍をつけることが出来る龍マスターなる人が居たりもするらしい。

これを商売にすると言うのはどうなんだろうと思いつつ、逆に言えば商売になる位の事なんだろう。

実際、オレが今、それを実体験してる訳だしね。

ただ、オレは「くろべぇ」とはただ仲良ししてるだけで良いので、強欲にあれこれお願いするのは違うと思ってる。

そもそもお願いとかしてないし。

散歩とかしながら「くろべぇ」と話してる中で、勝手にその辺りをくみ取って良い方向に導いてくれている感じ。

あと、別に上記の龍マスターさんに派遣してもらわなくても、結構その辺に野良龍はたくさんいるので、やり方さえ見つけられたら、誰でも仲良くなれると思うんだけどなぁ。

実際オレがそんな感じだったし。

と言う事を、書くと喜んでいるので、それで良しとしよう。

絵に描いてあげても喜ぶので、ちょくちょくイラストにもしてる。

流石にそれはねえだろ。と思うあなた。それが正解。

世の中は、信じた通りになるので、そう思うならそれが正解。

まぁ、そう言う事だ。

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2023年3月30日 20:10 CAT :

夢より疎らな寂しい熱

男がおしっこと精子を同じ穴から出すと言う事は、女もおしっこと子ども産む穴は同じだと思ってる奴がいるなら正直に言っておこう。

それは正解だよ。

だからセックスの時には、女の人のおしっこする穴に勃起したちんちんを入れようね。

さてさて。

先日から、マンガの原稿をちびちび書いております。

「おともだち」以来実に1年ぶりの原稿執筆。

いや、「不動産売買であった怖い話」は描いていたけれども、あれはエッセイ漫画と言いますか・・・本来の原稿書く感じとは全然違ってたんだよね。

具体的に言うと、あの漫画はネームこそ書いてたけど、下書きなし、トーンとかベタもなし。

4コマと同じノリでサクッと書いてた。ホント1話1~2時間くらい。

本来の(と言うか、「G」とか「ランナ」とか)原稿を書いてる時は、1ページ1時間くらいかけて、へっぽこ画力なりに心込めて描いてるんですよ。

で。だ。

1年ぶりに原稿書いてると、違和感がある。

あれ?全然うまく描けねえ。

これはブランクがあったからか?なんでなんだろう?うむむむむ・・・

と、悩み倒しつつ、そのうち描けるようになるかなと描き進めたんだけど一向に描けない。

5ページくらい書いた段階で気が付いた。

下書きしてなかったわ。

そう言えばオレ、まず青色の鉛筆でざっくりとした下書きしてからペン入れしてたんだ。いきなりペン入れしてたから、何かうまく描けなかったんだ。

気が付いたのは良いけど、この下書きなしで描いてしまった5ページはどうしよう。。。

悶々悩んだけど、まぁ、それはそれで良いかと言う事になった。それなりに頑張っては描いたわけで、これ全部捨てるのはさすがにカロリーが高すぎる。

そんなこんなで、今回の新作「BirthDay Kill-RE」は、前半5ページは下書きなしで、いきなりペン入れと言う無謀な感じで描いております。

それでなくても1年ぶりなので、それなりに色々低下しているだろうから、先に言い訳しておく。

ただ、それはそれとして、久々に描くと湯水のようにシーンが浮かんできて止まらない。

ネームと全然違う構図とかばっかりだけど、なかなか良いのが描けてるような気がしております。

惜しむらくは、ずっとお絵描きしてると言う事が出来ない事。

お仕事も大切なので、それはしょうがないけど、あな口惜しや。

画力の著しい低下に恐怖して、手元にあった紙に「おともだち」の時のキャラクターを書きなぐってみたヤツ。

そしたらいつも通り描けたので、ホッとして、原因を探っていった結果、下書きしてなかったことに気が付きました。

老化だけは著しいかも知れない。

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2023年3月29日 20:36 CAT :

マスクが顔パンツならマスクしてる奴は全員パンイチで街を練り歩く露出狂

気が付いたら、記事数25件超えてた。と言う事で、近年では2番目に少なかった2018年の記事数を完全に超えました。はい。

うむ。

まま順調と言う事にしておこうか。

さてさて。

子どもの通ってる小学校から通達(と言うか、メール)が来てた。

4月からマスクはしなくても良いらしい。

ただ、外すか外さないかは生徒に任せるとか。

うむむむ・・・

やっと、コロナが色んな意味で収束に向かってると言う点では非常に喜ばしいんだけど、このマスク外すか外さないかを任せると言うのはどうなんだろう。

顔パンツと揶揄されるように、マスクを外すことに対して抵抗ある人多いらしいね。

オレなんか、やっとこのくそ息苦しい地獄から解放される喜びの方が強くて、すぐにでも外して外出したいんだけども。

先日若いお姉ちゃんがマスクせずに歩いてるのを見て、チョッとドキッとしてしまった。

これまでは別にどうも思ってなかったけど、3年も口隠された生活をしてると、口元が軽い乳首くらいの感覚になってきてるのかもしれない。

そう言えば、平安時代くらいは口も性器のひとつで、女の口見たら男は興奮してたとか言う話を聞いたことがあったな。

平安時代から、皆、口にちんこ突っ込んでたんだね。尺八と言ってたかは知らんけど。

この3年くらい、子どもたちが本当に可哀そうだった。

遠足でも、夏の体育でも汗かきながらマスクをつけてた。

運動会ですらマスク付けてた。

息子なんて、口の周りから首元までひどい肌荒れになってたりもしてる。

クラスのお友達の顔もちゃんと知らないとか。

そんな状態からやっと解放されるんだから、皆マスクなんてやめちまえばいいのに。

でも、多分4月以降もマスクしてる子多いんだろうな。

夏くらいまでには、マスクしない子の方が増えてくれることを切に願っております。

SNSとかで「私、マスク外すとブスなんです~」とか言って、周りの「外してみなよ~」リプからの、外して「全然、かわいいじゃん」待ちしてる女は、顔は別としても心はくそブスだと思います。

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2023年3月28日 20:10 CAT :

オナニー後の夜はいつも以上に頭が回る。もしくは眠くなる

この年になると、さすがにAVも普通に買いますよ。

と言いたいんだけれども、どれ買おうかなぁ~とサイトをうろうろしながら、サンプル動画見てるうちに限界突破してサンプル動画で抜いてしまう。

賢者タイムになった後は、その山盛りになっているタブごとブラウザを閉じてしまう。

あるあるですよね。

福山雅治さんが、ラジオでAVはサンプル動画で十分抜けると豪語してたのを心の支えにしていた20代から変わってないみたい。

福山雅治ラジオを心の支えにしてた男は結構いると信じている。

さてさて。

ここ最近AVの始まりに「内容については出演者に事前に説明し、納得承諾してもらった上で撮影しています」みたいな注意書きが出るようになったことをご存知じだろうか。

「アニメを見る時は明るくしてね!」ってテロップを、絶対子どもが見てない深夜アニメでも流してる愚行に匹敵するくらいアホな事が起き始めている。

知ってる。

そんな事は知ってる。

ソフトオンデマンドで新入社員を先輩社員がレイプしてない事くらい知ってる。

マジックミラー号の出演者がサクラだと言う事くらい知ってる。

でも、ムラムラして「よ~し。オナニーするぞぉ」ってなってる時に、そのテロップを見ると萎えるんだよ。

ムラムラしてる時くらい、夢見させてほしい。

この女の子は本当にレイプされて、泣き叫んでいるんだと思いながらオナニーしたいんです。

無理やり口をこじ開けられてイラマチオさせられてると信じたいんです。あんなに苦しそうでも絶対歯を立てたりしない優しい女の子なんですよ。

あと、上記の探してる間に抜いてしまった話にも通じるんだけど、最近、AVの世界にもコンプライアンスの波が来てる気がする。オレが見たい内容が見つからねえんだよ。と言うか、ねえんだよ。

一昔前にはあった、無茶苦茶する系のAVは一体どこに行ってしまったんだろう・・・

昨年、AV新法なる正気の沙汰とは思えない法律が成立してしまった。

「適正AV」と言う良く分からないものの為に、色々ルールを作ったこの法律の為に、それこそちゃんと「適正AV」を作ってるメーカーさんが被害を被っている。

そして、本当に撲滅すべき悪徳なメーカーは特に問題なく、これまでと同じように営業している。

結果として、ちゃんとしてたメーカーさんの仕事が減った女優さんがこれまでなら出演しなかったようなヤバ目なメーカーにも出演しなければいけなくなり、その為のトラブルが増えているらしい。

もしくは、仕事がなくなって困窮しているらしい。

誰に向けた政策だったのやら。

この法律の立案に当たって中心になった皆大好き民主党の議員さん(あの良く問題起こしてるあの人。敢えて名指しはしないけども。)は、実際の現場に行くでもなく、女優さんやメーカーへの聞き取りも一切しなかったとか。

その結果、出来上がった法律は、こじらせた勘違いフェミニストおばさんがAV業界もろとも潰そうとしているか、途轍もない無知だったかでなければ「そうはならないだろう」って言う内容になっている。

実際に救われた人もいるとは思う。

具体的には、この「適正AV」に引っかかって、強制出演が取りやめになったケースが今のところ1件あったらしい。一人の女性の人生を救う事が出来ただけでも、意味があったのかもしれない。

まぁその間に倒産したスタジオやメーカー、引退した女優さんや、仕事がなくなって路頭に迷う事になったスタッフさんの数の方が圧倒的に多いけどな。

何でも規制すればいいってもんじゃないって。まぢで。

大体オレの場合、AVに頼ってるのは、嫁には出来ないプレイの部分なんだよ。

普通にセックスしてるだけのAV見るくらいなら、嫁を襲いに行くっつ~の。

バッキービジュアルみたいなメーカーはなくなるべきだと思うんだけど、内容についてはコンプライアンスに縛られ過ぎないで貰いたい。と、切に願っております。

無茶なプレイしてるAVと現実の区別がつかなくて犯罪犯す奴より、そういうAV見て発散してた欲が発散できなくなって犯罪に手を染める奴の方が母数で見たら多そうな気がする今日この頃。

AV女優さんとか心の底から尊敬してるし、ついでにお世話にもなってるので、その人たちが不遇になる事だけは何としても避けたい。

あと、悪いこと何もしてないメーカーさんが被害を被るようなことも。

まぁ、一番悪いのはどう考えても、騙して撮影してそれで金を稼ごうと考えてる悪徳メーカー気取りに集団なんだけどね。

なかなか難しい問題ですな。

嫁ニーも結構好きです。

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2023年3月27日 20:10 CAT :

あの頃、ここに来れば夢が見つかると思っていた

娘が先日、学校で書いていた将来の夢の作文で「将来の夢は漫画家になる事」だと書いていた。

お父さんとしては、その道はなかなか茨の道ですぞと言う想いもあるんだけど、その夢が叶うように最大限の応援はしたいと思っております。

取り急ぎ、会社のPCで使ってない奴に、液タブ繋げて、クリスタインストールして、娘がいつでも使えるようにはしてあげようかと。

ただ、デジタルで胡麻化してばかりいてもしょうがないので、そもそもの画力を上げるためにいっぱい絵を描くんだよと言う話はした。オレに言えることはそんな事くらいか。

娘は今10歳。

オレも同じ10歳、小学4年生の頃、2分の1成人として、将来の夢を書くと言う学校の宿題があった事を思い出した。

その時、母親から「将来どんなことしたいの?」と聞かれた時、すでに漫画を描き倒してたオレは「漫画家になりたい」と話した。

母親はその時、「えぇ~・・・」と随分と渋い顔をしてしばらく時間を空けて「もう少しなんかないの?漫画家なんて、仕事じゃないよ」とつぶやいた。

その後しばらく「いかに漫画家と言う虚像のような職業に現実味がなく、目指す価値がないものか」を説明され、「将来の夢」として当時オレが学校で飼育係やってたからと言う事で「ペット屋さん」と書かされた。

漫画家と言う職業がペット屋さんと比べて、はるかに立派で価値がある職業だ、とかそういう話じゃあない。

と言うか、職業の貴賤とか考えるなんて、心底どうかと思ってる。

ただ、この時「ペット屋さん」と書かされたことで、これ以降オレは絶対に自分の夢を人に語るまいと心に誓った。

あと、オレの描く漫画をこの親に見せることはないとも。

実に苦々しい記憶のひとつ。

多分、母親としては漫画を描く事自体は別に良しとしても、将来の職業としては「公務員」とか「サラリーマン」とか「警察官」とかそんな感じの事を期待していたんだろう。

結局、オレは母親の思っていたような職業にはつかなかった。と言うか、つけなかった。

社会からはみ出して、公務員どころかサラリーマンにもなれずに、フリーランスのデザイナーとなり、仕事を一人でこなし切れなくなった結果、今はデザイン会社を立ち上げ、社長さんをやっている。

フリーランスのデザイナーと漫画家を比べるとあんまり大差ないよね。

あの時、将来の夢として「フリーのデザイナー」と言っても「いかにデザイナーと言う職業に現実味がなく、目指す価値のないものか」を懇々と諭されたと思う。

確かに、まだ「ネット?なにそれ?」な、あの時代。

漫画家もデザイナーも虚像でしかなったのかもしれない。

今ならあの当時の母親の言動についても受け入れられるし、気持ちが分からなくもない。

今は本当に良い時代になった。

ネットと言う最強のツールのお陰で、こんなオレが好き勝手に書いた漫画を発表する場所があるんだから。

出版社に持ち込むか、賞に投稿する以外に漫画家になる道がなかったあの時代とは違う。

娘にもぜひ、いっぱいマンガを描いてもらって、ネットで色んな人に見てもらってほしい。

娘に(オレにはなかったけど)漫画家としての才能が有れば、昔よりはるかに漫画家になれる可能性は高いと思う。

歴史に「たられば」はないけれども、オレが小学4年生だった当時、ネットが普及してて「新都社」で漫画が簡単に発表できていれば、オレは何をやっていただろうか。

でも、結局漫画家にはならなかったような気がしてる。

何でか、分からないけど。なんとなく。

イヤ、描いた漫画をマロンでボロクソに酷評されたからとかそんな理由じゃなくて。

そんなこんなで、オレは絶対に子どもの将来の夢について否定しないで全力で応援しようと思ってる。

良いんだよ。それで、人生苦労することになっても。

どうせ、苦労する奴はどうしたって苦労するんだから。

あと、娘が今後描いた漫画をどの媒体で発表していくかは分からないけど、取り合えず、「新都社」は辞めときなってアドバイスするかな。

「メチャコミ」辺りの投稿サイトとか薦めようか。

何しか親子で漫画描いてお互いの作品を読んで色々話しできるようになる日はそう遠くないかもしれない。

全然関係ないけど、液タブ買う前、最後に板タブで書いたイラスト載せて終わりにしよう。

「ひとときの暗がり」のメインイメージですね。

最初に書いたラフ案(↓)

チャンとペン入れして、着色したやつ(↓)

いつもながら、ラフ案の方が雰囲気出てていい感じ。

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2023年3月26日 20:17 CAT :

ばれるぜバンビーナ

先日、取引先の担当者さんから「しもたさん、飯でも行きませんか?」とお誘い受けてご飯食べに行ってきた。

仲良しな担当さんではあるんだけど、一緒にご飯とかあんまり行かないので、どうしたのかなと思ってたんだけど「ちょっと聞いてくださいよ」と言う事だった。

まぁ、そう言うのってよくあるよね。あると思います。

内容としては、最近入った新人が・・・と言う話。

〇自分からは動かない。

〇自分で動けと指示したら「勝手にやって怒られるのが嫌だから指示してください」と。

〇指示しても「それは教えてもらってないから無理です」

〇何で給料上がらないんですか?(入社2か月目)

などなど・・・

ああ・・・大変ですね。

でも、最近の若い子って凄く真面目で一生懸命色んな事に取り組むし、あんまり給料の交渉とかしないような気がしてる。

つい先日までうちの会社に研修に来てた若い子も、めっちゃ一生懸命勉強して、すごい頑張ってたし。

みたいな話をしてたら、「いや、この人中途採用で年齢私より上なんです。・・・55歳なんです」と。

ああ・・・それは尋常じゃなく大変ですね。

なぜそんな人を中途採用で入れたのかとか、そういう理由については、まぁ、会社さんの都合があるから触れるまいと思うけれども。

思うんだけど、確かにこう言う年上いるんだよ。まぢで。

年長者を敬えと言う儒教的な考え方も大切だと思うし、オレもある程度年長者と言う事には尊敬の念は持ってる。

ただ、圧倒的に2パターンに分かれる。

ひとつは、本当にその年まで頑張ってこられた年長者の方。

この場合、多少性格に難があったとしても、話してて色々刺激貰えるし、楽しい。

そもそも経験値が違うので。

もうひとつは「その考え方でどうやってその年まで生き永らえてきたんだ?」と言うおっさん、おばさん。

しかもこういう奴に限って「オレの方が年上だ」とか「オレの方が色んな経験をしてるんだ」とかそう言う事でマウントとってこようとする。「年取ってる」と言う事くらいしか自慢できることがないんだろうけど。

この後者のパターンの人とは極力かかわらないように生きている。

オレとしては、会社で雇う事はまずないし、取引先の担当者さんになった場合でも、生暖かい目で見つつ距離を置いて、少しずつその会社さんとは縁を切るようにしてる。

今回の場合、そう言う訳にもいかない話で、会社が雇って部下に配属されたのがこのおっさんと言う、逃げ道がない最悪のケースですよ。

本当に心底大変ですね。

オレに出来ることは、そのおっさんの愚痴を聞いて差し上げる事くらい。お気の毒様でございます。

オレより一回り上の皆さんって、いわゆるバブルを経験してる人が多い。

それが良い方向に作用してる人もいっぱいいる。

そういう人の経験を聞くのは凄く面白くて勉強になります。はい。

ただもちろん悪い方に作用してる人もいる訳で・・・

そういう人は、バブルの時に何の能力もないくせに何の努力もしないまま人材不足だったために優遇されてしまい、「自分は特別だから社会から優遇された」と言う成功体験をしてしまった結果、その唯一の成功体験だけを胸にこの令和日本でまだ「自分が特別」だと思い込んでるから、本当に性が悪い。

50過ぎて、「教えてくれない」とか「怒られるから自分から動かない」とか、平気で年下に対して言ってしまうとか、そう考えないとオレの頭では許容できない。

まぁある意味、時代の犠牲者と言えなくもないけど。それを言ってしまえば、オレ含む「キレる世代」も、「ゆとり世代」も「Z世代」も全部時代の犠牲者だっつ~の。

会社で求人出すときに、ハローワークの人に「もしできるようでしたら、年齢制限は付けないで出してもらえますか」って言われた。

別に、若い子が欲しいと言う訳でもなかったから、実際オレは年齢制限設けないで求人出したけど、考えてみれば、そうすると40~50代の(↑)みたいな人が来る可能性って高まるのかな。

だから、他の社長さんは「35歳まで」とか年齢制限を出すのか。と、改めてお勉強になりましたよ。

オレも、あと10年か20年して、50代のおっさんは世紀末を体験してるから、ネガティブで質が悪い。と、令和生まれの子に愚痴られないように、頑張って生きていきます。

世紀末と言う事で、聖飢魔Ⅱの「end of the century」でも張り付けて今日は終わり。

ゲロ吐くほどかっこいい。

これがダミアン浜田殿下でございます。

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2023年3月25日 20:00 CAT :

これで悪魔も健康体 寿命が延びるぜ10万歳

趣味を仕事にしてはいけない。と、いつからか思い始めた。

それこそ学生時代には、音楽で食べられたらとか、漫画家になれたらとか、小説家ってどうだろうとか、思ってたよ。

そう言うのワナビって言うらしいね。やかましいわ。人の人生にあれこれ言ってんじゃねえよ。

まぁ、そんなワナビ野郎と、実際にそれをお仕事に出来た人の違いって、やっぱり圧倒的才能の差だと思う。

熱量では、そうそう負けてないと信じてる。

オレだって、だてに30年以上も漫画描き続けてない。

この段階になってくると、もうそれはそれは努力でどうにかならない圧倒的な壁が感じられるんだよ。

やりたい事と需要を一致させることが出来ると言う能力が致命的に足りない。

あと、根本的な才能が完全に欠如してる。

こんな状態で、それでも前述のワナビよろしく無理やり漫画家を夢だと言い始めると、多分そいつは、先日書いてた「漫画を描くのが好きだから描いてるんだ」と事あるごとに呟く漫画家さん。になってしまうような気がしている。

めっちゃ子どもの頃を思い返してみる。

何でマンガを書き始めたのか。

書きたいものがあって、どうしようもなかったから書いてたんだと思う。

大人になるにつれて、自分でお金を稼いで生活していかなければいけないと言う現実的な話が見えてきて、その結果、その二つをくっつけてみようと言う安易な考えは誰もがやる事だって。

でも無理だった。

それで良いじゃないか。

やりたいことを捻じ曲げて、疑問符を持ちながら叶わない夢を追い続ける。いつからか物凄く息苦しくなって、「漫画描くのってたのしいなぁ」と聞かれてもないのにSNSとかで連呼し始める。

だったら、もう無理で良いじゃないか。

お金を稼いで生活をする。と言う、実はとんでもなく大変な現実的な問題だけは絶対に避けることはできない訳で、その問題をまず対処しつつ、残った時間とお金でやりたい事をやる。

そう思ってから、随分と人生が楽になった。

気が付いたら、家族が増えて、子どもが出来て、今なんて会社やってて、社員さんの人生まで肩にのしかかってる。

それなのになぜか責任に押しつぶされそうな感じは今のところない。

漫画家に、ミュージシャンに、小説家になれないかと足掻いてたあの頃の方が、何にも背負ってなかったのに、よっぽど息苦しかったし、人生が暗かった。

負け犬の遠吠えと思ってくれても良い。

オレの事をたいして知らない誰かにどう見られているかとかも、この年になるとどうでもよくなるもんなんだよ。

少なくともオレの事をよく知ってくれてる嫁とか子どもがニコニコしながら、いつも一緒にてくれてるんだから。

今週色々遊びすぎてお仕事が滞り気味なので、今日のところはこんな感じさようならしてお仕事頑張ります。

お仕事くれている感謝しかないクライアントさんを多大にお待たせしているので!

おっちゃんはまだまだ頑張るぜええええええええええええええ

 

 

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2023年3月24日 20:00 CAT :

闇夜が妖しくお前を隠す

先日、実に1年ぶりくらいに「ぬとらじ」なるネットラジオで色々お話しさせてもらってきた。

お誘いいただいた甘納豆先生。ありがとうございました。

うだうだ管をまくおっさんと言う、この世で最も醜悪な存在のひとつに対して、いろいろお気遣いいただいてしまった感があって非常に申し訳なくも思いつつ・・・まぁ、そりゃあそうだよな。あんなの楽しいに決まってるよなという思いもありつつ。

複雑な気持ちだよ。あたしは。

でも、まぢでもっと色々お話ししたい欲求は滾ってしまった。

下手したら、一人でもずっと話しちまえるぞ。これ。

とりあえず、今回のラジオでの話も含めて、今年一年でやっていきたい創作活動をおまとめだけしておこう。

忘れないうちにね!(今年3度目)

 

 

〇短編漫画「birthday Kill-RE」を書く
〇短編漫画「出来すぎた準備」を書く
〇短編漫画「瓶詰の幼女」を書く
〇ブログの毎日更新を続ける
〇4コマ「極ニュースチョクホー」を週1更新する
〇新作小説「ひとときの暗がり」を週1更新する
〇「風を切る日々」の連載を再開させる
〇「マイ・チャイルド・レーベンスボルン」ってゲームをやる
〇新都社漫画の中で気に入った作品に対して、FA+感想書く企画をスタートさせる
〇過去に制作した楽曲を公開してく「場末の紙芝居」をスタートさせる
〇過去に上演した演劇の台本を更新していく(多分、マンガ置き場の方で)
〇「不動産売買であった怖い話 第2部」を再開させる(裁判終わったら)
〇ちょくちょくぬとらじやりたい
〇キャンディキャンディの単行本を買いたい

 

 

こんな感じかな。

何か書くたびに増えていってる気がするが、まぁ、それはそれとして置いておこう。

これ全部やったら、今年は近年で最もクリエイティブな一年になる気がするな。

というか、すでにブログの更新という形でのアウトプットは近年で一番なんだけども。

やりたいことが多すぎてどうするんだろう。これ。

人生なんて、死ぬまでの暇つぶしだという人がいるけど、これだけやりたい事あったら当分は暇にならないですよ。

年末に、どれだけ出来たか答え合わせするする時が見もの。

口だけ男から口裂け男にランクアップしたい話

という記事も書いたしね。

とりあえず、水着の女でも載せてお茶を濁して、スマッシュでさようなら。

 

 

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2023年3月23日 20:34 CAT :

独りでいたから巡り合えたね

会社設立と結婚10年を機に、左耳にピアスをあけたのは、2020年の事。

元々ピアスを開けると言う行為にには、以下のような意味があるらしい。

「あなたのことをお守りします」という理由でピアスを左側につける男性に対して、左側にいる女性は「その愛をお受します」という意味で右耳に贈られたピアスつけたということから、女性の右耳へのピアスは「優しさ、守られる人」を意味するとされています。

その時のドキドキについては、過去に4コマで書いた(↓)


で、実は男の場合、左耳に偶数個のピアスをつけるのが良いらしく、この時は試しに一つあけてみて、良い感じならもう一つあけようと言う事にしてた。

あれから約3年。

ついに、もう一つのピアスを開ける時が来た!

上記の4コマの通り思ってたより痛くなかったので、今回は病院じゃなくて自分で開けても良いかなと思い取り急ぎピアッサーを買ってきた。

何となく目について買ってみたピアッサー(↓)。

良く知らずに買ったんだけど、これは、自分の力でピアスを開けると言うタイプの奴だったらしい。

オレはてっきり、ピアッサーってバネとかの力で発射されるものばかりだと思ったたんだけど、自分の力で開ける奴もあったとは・・・

冷静に考えてほしい。

自分の耳に穴をあけるのに、自分の力で「おらあああああああああああ!」ってやるのって、結構勇気いりませんか?

頑張った。

頑張ってみたよ。

でも、出来なかった・・・

もうね。ヘタレとなじられてもしょうがないけど、出来ないものは出来なかった。

もう一度、バネ発射式の奴を買って、自分で挑戦すると言う選択肢もなくはないんだけど、完全に心が折れてしまった。

今度、前の空けてもらった同じ病院行ってあけてもらってきます。

会社が3期に入って、事務所の建設が終わる位のタイミングかなぁ。

あのピアッサーで自分で開けることできた人は、凄いと思う。

勇者です。

おっぱい。

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2023年3月22日 18:00 CAT :

ひとときの暗がり

ここ最近のパイパンブームはどうなんだろう。

陰毛生えてる派と言うわけではないんだけど、基本生えてるから、たまにいるパイパンに興奮するわけで、全員パイパンになると逆に、生えてる方が興奮するような気がする。

「かわいい顔して、剛毛もじゃもじゃじゃねえか」とか言って恥ずかしがらせたいわけですよ。

あと、AVはどうせモザイクかかってるんだらか、パイパンだと楽しくないよね。毛も見えなければ、それはもう何にも見えないって事だから。

さてさて。

ブログ毎日投稿するために、チョッとだけストックをためていたりする。

その日の記事をその日書いてたら、忙しくなったタイミングで飛んでしまうかもしれないので、と言う予防策なんだけど、そのせいで、若干のタイムラグが出来てしまうのは、まぁ、仕方ない事。気にしても詮無いので、そもまま突き進みますです。

昨年1年かけてちびちびと書いていた新作小説「ひとときの暗がり」の連載を始めた。

「極ニュースチョクホー」を除けば、今年最初の創作物。

厳密には昨年書いてたものだと言う事と、そもそもが15年以上前に書いてた「超ニュースチョクホー」のリメイクだと言う事から、色々今年最初の創作物と言うのはおこがましい感じだけど・・・本当の意味で今年最初の創作物は、今原稿執筆中の「BirthDay Kill-RE」ですよね。

一応リンク張っておきます。

こちらですね。

読んでもらってる人いたらありがたい限りでございます。

まぁ、この話自体は、自伝と言ってしまえばそれまでなんだけど、自分の高校時代のお話をツラツラと書いてるだけ。

そもそもこの話を書き始めたきっかけは、オーケンこと大槻ケンヂの代表的小説「グミ・チョコレート・パイン」ですよね。

これを初めて読んだときは、まだパイン編が刊行される前だったんだけど、あまりにも面白くて、嫁に興奮してこの小説の話とあと、自分の高校時代の話をした。

そしたら嫁に「バンド活動に演劇も入ってて、そのグミ・チョコレート・パインより面白くない?」と言われたんだよ。

今考えれば、まぁ、遠い芸能人の半自伝と比べてどうなんだと言う話ではあるんだけど、それを聞いて有頂天になった当時のオレは「じゃあ、オレ版のグミチョコを書いてやるぜ!」と相成った訳であります。

リメイク前の「超ニュースチョクホー」がそれに当たる。

当時、スターウォーズが1からではなく4から作られていると言う事に憧れていて、物語を順当に書くのはダサいと言う良く分からないとがり方をしてたため「超ニュースチョクホー」は高校2年生の前半を最初に書き、高校1年生の前半を書いて、高校3年生の前半を書いて、高校1年生の後半の2話くらいを書いたところで力尽きた。

何でこの順番かと言うと、どう考えても一番の山場が高校2年生の前半に偏ってたからから。

でも、今回リメイクするにあたって、もう当時のようなとがり方をしていないので、ちゃんと順番に高校1年生から書いていきましょうね。と思ってる。

あと、一番面白いのは高校2年の前半だろうと思ってたけど、今のオレの感覚では、祭りの後の哀愁の方がよっぽど書きたくてうずうずしている。高校3年生の後半のあるイベントだ。

完全にここに焦点を当てて、今回物語を書いてる。だから、タイトルも「ひとときの暗がり」に改めた。

このタイトル自体も先日の話同様に、既に制作済みの曲のタイトルなんだけど、やっとこのタイトルをつけるに値する物語になるようなきがムンムンしております。

もう一つ、序章の部分で書いたんだけど、今回この物語を書いた理由のひとつに「とあるビデオテープ」の所在を知りたいと言う事もあったりする。

これに関してはほぼ100%諦めているけど、万が一この小説を書いてアップすることで、その詳細が少しでも分かれば、もうそれだけで満足でございます。

マンガで書こうかとも一瞬思ったんだけど、自分の話をどの面下げて絵に描けるのかと言う事もあって、今回小説にすることにした。こっ恥ずかしくて、マンガになんかできるもんじゃねえよ。

そんな羞恥の気持ちを込めて、1話目の扉絵はこんな感じにしましたよ。

これ最近お気に入りでよく使ってるエロ画像の構図を パクる 参考に書かせていただきました。

この画像ね。

と言う事で、出来るだけ週1話更新を心掛けていくので、何卒、平に平によろしくお願いいたします!

はい。

最後にもう一回だけ。

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2023年3月21日 20:06 CAT :

色褪せた現実は虚しいもの 輝く時代はとうに過ぎてしまった

1月の末頃だったかな・・・オレが漫画を投稿してる「まんがおきば」の管理人のきつねこさんからDMが届いたのは。

「まんがおきば賞にしもたさんの作品ノミネートされてまして・・・」的な感じだったと思う。

ただただビックリしたのと、あとめっちゃ嬉しくて嬉しくて。

子どもの頃から「オレは誰かに認められたくて漫画描いてるんじゃねえよ」と思ってたけど、それはそれとして、やっぱり誰かに認めてもらうと言う事はこんなにも嬉しいものかと心底思い知らされた。

今回、賞をもらえたのは、昨年(2022年)1月に描いた「2人マイナス14年」と言うタイトルのマンガ

こちらのお話ですね。

今回選んでいただき、且つめっちゃありがたい総評頂いた八重先生、改めてありがとうございました。

どうでも良いけど、「ごぶ」の続き、未だにしつこく期待して待ってますので。

で、だ。

実は、この話3部作の最初の物語で、この後「今宵ただいまはゼロになる」と「約束の場所で」と言う2つの物語を用意してた。

用意してたと言うか、実際にネームもできてて、全部で60ページくらいになる予定だった。

(↑)一応そのネーム。

ただ、この短編を描いたあと確か「ぬとらじ」でお話ししてた時に何か「あ、この先の2編はいらねえな」と思ってしまい、結局続きの原稿は描かないまま、別の短編とかあと、不動産の話の連載を始めてしまった。

今回受賞させてもらったのに合わせて、この2つの話を原稿にしないまでも、写植だけしてネームで公開しようかなとも思ったけど、それもやめた。この2編についてはもう表に出すことはないや。

この2編の詳細については、その時の「ぬとらじ」で大筋のお話は全部したような気もするけど、内容についても今後は表には出さなくていいかなと。闇に葬ってしまおう。そうしましょう。

そんなこんなで、また近い内に「ぬとらじ」やります。

何話そうかなぁ~とか、ぼんやり考えたりはしてるんだけど、そもそも昨年後半は新都社から離れてしまってたんだよな。

チョッと予習でもしておこうかな。

丁度ここ最近、色んなマンガを読みたくてうずうずしてたし。

後、少しずつだけど漫画の原稿も描き進めております。

久々に4コマ以外のマンガを描いてるので、やっぱり楽しくてしょうがねえや。

昨年はお仕事で結構な数のイラストを描いたりはしたけど、やっぱりオレはイラストレーターではない。漫画家だったわ。

昔、敬愛する手塚治虫大先生が「どうすれば漫画家になれますか?」と言う質問に対して、こう答えていた。

「自分の名刺を作るんですよ。で、そこに漫画家と書いた瞬間から漫画家です。あとは、今はチョッと載せてくれる雑誌ないんですけどね。と言えばいいんです」とな。

あたくし漫画家でした。

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2023年3月20日 20:34 CAT :

ツンドラの 色がキレイを イワン言い

ここ最近読んだマンガで、心をえぐられたのは、山野一先生の「四丁目の夕日」、ふみふみこ先生の「愛と呪い」、そして、まだ読んだことなかったのかよと言われそうだけど丸尾先生の「少女椿」の3作品。

一つ一つについて、長々と書き連ねようかとも思ったんだけど、今のところは、読書感想文を書かなくても、書きたい事がたくさんあるので、止めておく。

感想文書き出したら、「そろそろネタ切れか」と思ってください。

さてさて。

とか言いながらも、その中のひとつ「愛と呪い」について少しだけ。

この作品、一応ノンフィクションと言う位置づけで、実際に起こった事件と自分の人生をリンクさせて物語が展開していく。

何より、このふみふみこ先生、同世代なんだよね。

だから、マンガの中で実際の事件が起こったタイミングとそれを受け止める年齢がほぼほぼ同じだったもので、ただ心をえぐられる漫画とはまた違った、自分の過去を顧みるような不思議な気持ちになる作品だった。

アラフォーの皆さんは是非読んでみてほしい。

ただ、これ世間で言われてるほど鬱漫画ではないと思う。

人一人が人生を歩むと言う事はそう言う事なんだよ。

それを鬱漫画とか、鬼畜漫画とか表現するのはどうなんだろう。と。もし、著者のふみふみこ先生がそれを良しとして受け取るのなら、やはり作中の「田中」が言う通り「自分が特別な人間だと思いたいだけの人」なんだろう。

同世代の人って、結構多感な時期に色々な事件を見てきてると思う。

物心つくかどうかの頃に、宮崎勤の事件が起こり、小学生くらいの頃に阪神大震災とオウム真理教の事件を経験して、中学生くらいの頃に同年代が起こした酒鬼薔薇事件を経験したんだよ。

90年代後半の世紀末に向かっていく閉塞感は何だったんだろう。

どう考えても、今の世界の方がやばい事が起きまくってるのに、記憶の中にある95年~99年くらいの方が生きていくことが息苦しくてしょうがなかった。

「酒鬼薔薇事件」が起こった当時、超中二病の権化、酒鬼薔薇こと林君が信仰していたバモイドオキ神なる架空の神様が如何にして生まれたのかをワイドショーはこぞって取り上げた。

林君が愛読していたマンガがテレビで取り上げられて、「こういう漫画を読んでいたことが、バモイドオキ神につながっていった」と言う論調をするワイドショーがあったように記憶している。

その時テレビに映し出された漫画は「バスタード」「寄生獣」「ドラゴンヘッド」「ディスコミュニケーション」「地雷震」辺り。

今思えば、宮崎勤の頃からマスコミが良くやる手法だったとしか思えないんだけど、当時はまだ、そういう目線があまりなく、テレビでは真実が報道されていると思われていた。

そして、オレはその辺のマンガを全部愛読してたんだよ。

オレも、あの当時言われていた「キレる子ども」予備軍の一人だったわけで、それからしばらくの間、オレの読むマンガは母親の検閲が時々入るようになった。それで人格が歪んでしまったとは思わないけれども、まさに中二病真っ盛りの時期だったわけで、この体験はやっぱり今でもチョッと尾を引いてる感じがある。

結局、あの当時、多感な思春期起こったいくつかの事件は、結局多少なりとも同世代ほぼ全員に何らかの暗い影を落としているんだろう。

そんなことを思いながら、「愛と呪い」を読んでいました。

もっと色んなマンガを読みたいな・・・誰の検閲もなしで。

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2023年3月19日 20:00 CAT :

踊らないダメ人間と踊るダメ人間と代わりの男

以前、チョッとだけ話したことのある「働きアリの法則」と言うお話。(詳しくはこちらを読んでくださいな。

発達障害を持つ者にとって奮い立つことのできるお話しかも知れない。

まぁ、それはそれとして、ふと思い立った。

2割の怠け者が絶対に存在する。

その2割の怠け者を覗くと、残りの集団の中から2割は怠け者になる。

面白いのは、2割の怠け者たちをまとめて集団にすると、その中の8割は働きだし、2割は怠けると言う事。

これをひたすら繰り返し続けると、究極の怠け者と究極の働き者が誕生するんじゃないだろうか。

そして、その究極の怠け者と究極の働き者を一緒にすると、とんでもないことが起きるような気がする。

何となく、20年前なら「トリビアの種」に応募したいような話ではある。

どんなことが起こるかはよく分からないけど、何か一つの物語になりそうな気がしないでもない。

どうせなら、宇宙の存続さえかかるような重大な局面と絡めてみたい。

実にいいお話になると思うんだけどなぁ。

まぁ、今は目先の描きたいお話で手一杯なので、これはこれとしてストックしておきましょうね。

アリコさん。

意外とつぶらな瞳してる。

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2023年3月18日 20:00 CAT :

自殺の唄

子どもの頃から、頭の中では際限なくどす黒い世界が広がり続けていた。

一番古い記憶では、それを当時持っていたぬいぐるみと指人形を使ったお人形遊びと言う形で表現していた。

ぬいぐるみを紐で縛り付けて解体し、それを指人形たちが腑分けして食べると言う遊び。

それを見た母親から「ゲームばっかりやってるから、そう言う事を考えるようになるんだ」とか良く分からない理由で、ゲームをやることをしばらく禁止された。

別にゲームやってたとかは全然関係なくて、思いついたことをただやってただけだった。

その頃から、表に出さないで表現する方法を模索するようになって、結果的にその方法として選んだのは、一番お手軽で続けられたのが漫画を描くと言う事だった。

それ以上でもそれ以下でもない。

頭の中で際限なく広がる世界を掬い取っては、マンガを描いていく。

誰にも魅せることなく、数万ページのマンガが出来上がった。

マンガにならなかった妄想は、音楽の形にした。結局、制作した音源は数百曲になった。

それでも余った妄想は小説にしたり、演劇の台本にしたりした。

今も、続いている。

マンガを描く時間が取れなくなったとしても、頭の中には相変わらずどす黒い世界が広がり続けている。

今年になって、改めてそれを出していけるようにしたいなと思った。

その為にまず、文章を書いてみよう。と。

そうしたら、溜まりに溜まっていたイメージとか妄想とか考えとかが、まぢでいくらでも溢れ出てくるようになった。

10代とか20代の頃は凄い発想がいっぱい出てたけど、年取ったら枯渇するもんだと勝手に思ってた。

実際はそうじゃなかったらしい。

ただ、スイッチを入れてなかっただけだったらしい。

クオリティは分からない。

けど、今は描きたいものがビックリするほどたくさんある。

死ぬまで暇はしなさそう。

いつ死ぬかは神のみぞ知る。

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2023年3月17日 20:12 CAT :

赤黒い血を流す少女の顔は老婆の様に変り果てる

昨日(と言うか、もう今日か…)チョッと急ぎ目納期のお仕事が入ったので、徹夜して仕上げたりした。

若いころは「2徹するとさすがにきついな」とか言ってたけど、今はもう完徹すると、あと後に支障が出てしまうようなお年頃になってしまった。

昔、ルパン3世のバイバイリバティーって作品で、ルースターが呟いた「年は取りたくねえもんだな」と言うセリフをなぜか今嚙み締めております。

さてさて。

「美魔女」と言う謎の言葉が存在している。

あと、「大人女子」と言う謎の言葉も存在している。

大人なのに女子とはこれ如何に?とは思うんだけど、まぁ、「女子」と言う言葉は「女の子ども」ではなく「女性」と言う意味もあるんだろう。知らんけど。

年の取り方について、色々と考えたりする。

先日、友達社員さんとお話ししてる時に、「The Birthdayの新曲(映画スラムダンクとタイアップしてたやつ)のPVドチャクソカッコいいな。でも、チバユウスケってもうあんな老ける年だったっけ?」と聞いたら「チバユウスケは渋く見せるためにわざとやってるらしいよ」と教えてくれた。

そのMVはちなみにこれ(↓)

イヤ、掛け値なしにかっこいいですよね。

何かここ最近、「若く見られる」事が良いような風潮があったりする。

個人的には、「若く見られる」と言うのは「経験が浅い」とか「頼りない」とかそう言うチョッと蔑んだニュアンスだと思ってる。

仕事の打ち合わせとか言った時に「お若いですね~」と言われると、それは「こんな頼りない若造で大丈夫なのか?」と言うニュアンスが多少はあるんだろうなと。

以前、船井総研と言うコンサル会社のおっちゃんと話したことあるんだけど、その人は「若く見られないようにするのに努力してるんですよ」と言ってた。そして、おっちゃんだと思ってたけど、オレより年下だった。

まぁ、男の感覚ではまま若い方が良いと思ってる人も意外と少ないのかも知れない。

無駄に老け込むのはどうかと思うけど、良い年の取り方をしたいなと思ってるんだよ。

ただ、昔から良く分からなかったのは「20代に見える50代」と言う表現。冒頭で言ってた「美魔女」と呼ばれる(もしくは呼ばれたい)人達についてなんだよね。

「若く見られたい」のはなぜなんだろう。

オレみたいな萎れかけのおっさんからしたら、良い年の取り方したナイスミドルな40~50代の女性はすごく魅力的に見える反面、10代とか20代とかはもう子ども的な可愛さすら感じる訳で、年上なのに見た目は子どもみたいな女に興味なんてない。

では、10~20代の男から見れば、それはもう10~20代の女が良い訳で、見た目20代だけど実は自分のお母さんより年上かもしれない女に興味はないと思う。

と言うと、「自分の為に頑張ってるんだから、とやかく言うな」と言われるんだろうけど、本当に自分のためにやっているのなら、その価値観を人に推し付けないでほしい。

「若く見える」と言う事に対して、少なくともオレは1ミクロンも魅力を感じていないんだよ。

美しい女性はたくさんいるし、尊敬すべき女性はたくさんいる。

もちろんその中には、年齢より遥かに若く見えるような女性もいる。ただ、少なくともその人たちは「若く見える」と言う事にアイデンティティは置いていないんだよ。

素敵な年の取り方をしている人は、本当に輝いて見える。

そして、その輝きと魅力は10~20代にはどうひっくり返っても出せるもんじゃあない。

そんな事がこの年になってオレも分かってきた。

男とか女とか関係なく、最も人間的に魅力があるのは40代以上なんだよ。

ただそれは、「若く見える」事とは何の関係もない。50代になって「20代に見える」と言う事にしかアイデンティティを持てない奴がいたとしたら、そんな奴には輝きなんてないと思うんだ。

荒木飛呂彦先生が、クリエイターとしてのキャリアを含めた超魅力的な年の取り方をしてなくて、ただ、石仮面を被ったから年を取らないと言う事だけをアイデンティティにしてたら、どうだろうかって話ですよ。

「どうせ男は若い女が良いんでしょ」と言うのは、「子どもが欲しい男」に限る話だと言う事も忘れないでほしい。

それ以外のほぼ全ての男にとっては、若い事より魅力的な事の方が重要だと言う事。

そしてその意味だった場合、「若く見える」と言う事に意味はないと言う事も。

流石に、ルネサンス期から年を取ってないのは、サンジェルマン伯爵もびっくりだと思うけれども。

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2023年3月16日 20:30 CAT :

所詮はいたずら 神様の人生ゲームなんだもの簡単にゴールしちゃってもおもしろくない

マンデラ効果と言うものをご存じだろうか。

自分が絶対間違いないと思っている記憶が現実と剥離している現象の事を指す言葉で、何で「マンデラ効果」と言うのかと言う話は、めんどくさいから割愛するけど、まぁ、そんな話がある。

これを見てもらいたい。

どう考えても、ピカチュウのしっぽは黒かったよ。と言う奴は、マンデラ効果を実体験できると思う。

他にも、オーストラリアの位置とか、ミッキーマウスがサスペンダーしてたとか、現実と違う記憶を持ってる場合にはこのマンデラ効果に当てはまる。・・・らしい。

つい最近もあった。

「北欧暮らしの雑貨店」と言うオレが前から気になっているネットショップがあるんだけど、先日、そのお店の話を嫁がしてた。

で、「あぁ、あのお店はオレも良くチェックしてるわ。北欧暮らしの雑貨店でしょ」と言うと、嫁が「道具店ね」と。

????????????????

何を言ってんだよ。

と思ってネットで調べたら「北欧暮らしの道具店」だった。

いやいやいやいや・・・そんな訳ねぇだろ。じゃあ、オレがこれまで見てたのは、別の店だったのか?と思って調べたけど、「北欧暮らしの雑貨店」なんてお店は存在しなかった。

ただの読み間違いとか記憶違いじゃあない。

だってオレは「北欧暮らしの雑貨店」って名前で検索してたし、その名前で、他の人とも話してた。

マンデラ効果ですよ。これは間違いなく。

まぁ、この話はこれで終わりなんだけど、問題はそんな単純ではない。

むしろ、ここから問題提起したいんだけど、ではなぜこのマンデラ効果が起こるのか。

これを単なる記憶違いと思いこみのせいにするのはあまりにも浅はかな行為だと思ってる。

記憶違いじゃないとした場合はどうだろうか。

つまりは、間違ってるの現実の方。いや、正確に言うなら、現実が記憶と違う世界だと。

多次元宇宙論は、今や常識となりつつある。この話もし始めるとそれはそれは長い話になるんだけれども、めっちゃ簡単に言えば、今自分が存在している空間のすぐ横に、チョッとだけ違うパラレルワールドが存在している。しかも、そのパラレルワールドはちょっとずつ違う現実の中で無数に存在している。と言う話。

チョッとだけ違うんだよ。

例えば、「北欧暮らしの雑貨店」の名前が「北欧暮らしの道具店」になる位。

オレは昔サラリーマンしてた頃から、ベンチマークして調べてた「北欧暮らしの雑貨店」の名前を記憶違いし、あまつさえ当時いた同じ職場の人全員が名前を間違って読んでいたなんてことはありえないと思ってる。

まだ、めっちゃ近くにあったパラレルワールドに移動してしまったと言う話の方が可能性あるんじゃないか。

しかも、ちょっと怖い話だけど、多分これってかなり頻繁に起こってる減少なんだと思うんだ。

ただ、ホントにちょっとした違いしかないから、ほとんどの人が気が付いてないだけで、たまたま気が付いた人が「マンデラ効果」とその現象に名前を付けて、納得しようとしたとかね。

不思議な現象が起こった時、その現象に名前を付けるとなぜか人間は安心するらしい。その現象の原因が分からないのに、名前があるだけで「じゃあしょうがないか」となる。

この世界にはいくつかのバグが存在していて、そのバグ事態を是正する事が困難なため、名前を付けることで安心すると言う性能を人間に付与することで、バグが起こった場合の回避策にしているんだ。きっとそうだ。知らんけど。

とか、まぁ、そんなことを悶々と妄想しつつ、「北欧暮らしの雑貨店」だよなぁ~と今日も悶々しております。

もしかしたら、明日には「北欧暮らしの日用品店」なっている世界にまた移動しているかもしれない。

この話、じゃあ移動する前にこの世界にいたオレはどうなるんだとか、移動する前の世界にいたオレはどうなるんだとか、まだまだ話を膨らませることはできるんだけど、今日のところはこの辺で。

事実は小説より奇なり。

マンガに描くネタより、現実で起こってる事の方がよっぽどマンガっぽいと言う事を知る人はどのくらいいるんだろうね。

宇宙は広い。

世界は広い。

次元は広い。

見識も広くしたいものですよ。

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2023年3月15日 20:00 CAT :

空襲の警報がデートの合図

ふと思い立って、ブログのヘッダー部分の過去アーカイブを月別から年別にしてみた。

いやね、月別にすると長くなりすぎてこれはどうなんだろうと思ってたんだよ。

で、年別にしてみたらなんとこのブログ書き始めてもうじき20年が経とうとしていた。まぁ、このブログの前のもう消えてしまった部分を入れればもう20年超えてはいるんだけど・・・

そして、2007年の投稿記事数何と397件・・・!?

1日1件以上のペースで記事を更新していたらしい。

こいつを超えることは出来ないだろうけど、今年は毎日更新するので、年間300件は確実に書くんだろうな。と、自分を戒めておこう。

まぁあくまでPCの話なので、スマホから読んでる奴がいたとて、何の話かは分からんだろうがね。

さてさて。

先日、ふと頭の中に変な言葉が浮かんできた。

「birthday kill-Re」

という言葉。

なんだ?この言葉?と思ってたら、今日、お仕事に疲れてお散歩してたら突然、めっちゃ面白そうな物語が降ってきたんだよ。

で、その物語のタイトルにぴったりの言葉が「birthday kill-Re」だった。

ええ。ええ。言いたい事は分かってる。

なぁ~にをいい年したおっさんが、中二病みたいなことをのたまってるんだ。心の底から至極見苦しい存在だ。と、言いたいんだと分かってる。

こういう事が昔は往々にあった。それこそ中二病の頃には。

でもこの年になって、こういう事があると何だか嬉しくなってくるんだよ。どろりと溶けた脳みそがチョッとだけ若返ったようなそんな心持ちだと思う。

基本的に曲を書くときは詞先。所謂、先に歌詞を書いてからそれにメロディーラインを乗っけるやり方をやってる。

でも、その詞の元になる物語を描くときは、タイトル先だったりする。と言うか、マンガを描くときも、小説を書くときも、曲を描くときも、演劇の台本を書くときも全部タイトル先。

一番最初にタイトルがあって、次に物語がある。で、最後にキャラクターが来て、プロットをまとめて作ってみると、オチにはなるほどちゃんと最初にあったタイトルの意味がちゃんと回収されている。そんな感じ。

「us」って物語を描くとき、物語に「second stage」と言う副題を付けた意味は、当時のオレも良く分かってなかった。多分、「忍空」って漫画を読んでたから何となく付けただけだったと思う。

所が物語を進めていくと、物語自体がループものだった。しかも、丁度漫画として描いていたのは、そのループの2週目だった。

だから、最終話を「us-third stage-」にすることで、タイトルの意味がちゃんと回収できた。

これから漫画に描くかもしれないけれども、過去に作った曲の中でかなりお気に入りの曲として「パラフィリアグロッサリー」と言う曲がある。

これも先に「パラフィリアグロッサリー」と言う言葉が浮かんできた。

で、何となく「パラフィリアグロッサリーその1」と言うタイトルの曲が出来上がった。愛する彼女を死姦してしまった男の懺悔の唄。

そのすぐ後に「パラフィリアグロッサリーその2」と言うタイトルの曲が出来上がった。「その2」は、男がなぜ愛する彼女を死姦してしまったかの過程を描く唄。

男は、実は「回転性性癖偏旁障害」という夜寝る度に自分の性癖がリセットされてしまう良く分からない病気に犯されていた。その病気を治すために協力してくれた彼女が死んでしまうタイミングで男の性癖が「ネクロフィリア」になってしまい、彼女の死体に蠱惑を覚えた男が死姦してしまうと言う物語。

歌詞を書き終わった後、ふと思い立って「グロッサリー」と言う英単語の意味を調べてみたら、「日用品」と言う意味と「加工する」と言う意味があった。「パラフィリア」は「性癖」と言う意味。

これ、夜寝る度に性癖がリセットされてしまう病気の通称が「パラフィリアグロッサリー」で行けんじゃね?となった結果、曲の全てが完成した後、ちゃんとタイトルが回収できたわけでございます。

ちなみに、その歌詞が(↓)こちら

「パラフィリアグロッサリーその1」

「パラフィリアグロッサリーその2」

同じような感じで、実は「果て 1」と言うタイトルの曲があったりするんだけど、これはなぜかまだ「果て 2」と言うタイトルの曲が存在しない。

でもなぜか、この曲を書いているときタイトルは「果て 1」だった。

いつか「果て 2」と言うタイトルの曲が出来上がって、この「果て」の意味を回収できると信じている。

物語を描くと言う事は、頭の中で考える事じゃなくて、必然を外に出している作業でしかないと言う事が良く分かるお話。

ちなみに、その散歩の後、30分くらいで「birthday kill-Re」は無事ネームに切ることが出来た。

近いうちに、原稿も描いていく。

「出来過ぎた準備」よりも先に、こっちの方が完成しそうな気がしてる。

どうでも良いけど、もちろん「出来過ぎた準備」もタイトルが先に出来上がってる。けど、この話はまだ結末が見えてないので、どうタイトルが回収されるのか、オレも良く分かってない。

・・・長くなってしまった。

こういう話をし始めると止まらねえダメ人間でございます。

さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。

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2023年3月14日 20:00 CAT :

退屈でギターを手にしたあの日から変わってしまったBaby Blue

昨日は1日に4件も打ち合わせがあって、さすがに脳みそが腐って耳から垂れてくるかと思った。

ただ、いくつか大きいお仕事の話をいただきまして・・・本当にありがたい限りでございます。本当に感謝してもしきれない。こんなオレなんかに居場所を与えてくれた、全ての環境に感謝しかない。ありがとうございます。

そんな毎日を過ごしております。

会社もそろそろ3期目に入る。起業から5年以内に90%の会社が倒産すると言われる令和日本で果たして、オレの会社は5年を超えて存在するのか!答えは神と言うか、龍のみぞ知る。

さてさて。

先日、不意に見つけて衝動買いしてしまったCDがある。

かつて日本に存在していた「ヒステリックブルー」と言うバンドのファーストアルバム「baby blue」でございます。

高校時代、組んでいたバンドでボーカルやってた「くろすけ」と言う女がこのバンド好きで、何曲かこのバンドの曲をコピーしたんだよ。

そのライブ付近でこれと次のアルバムは本当にアホみたいに聞き込んだと言う、ちょっぴり甘酸っぱい青春の思い出があったりする。

実に20年ぶりくらいに聴いてみた。

聴いていると、実にあの当時を思い出して、何ともアンニュイな気持ちに浸るじゃあないか。

それはそれは良い体験なので、何も言う事はない。

ただ、このCDは現在廃盤になっている。流通していたものも全て回収され、永久に売られることはない。(中古市場にはたまに流れてるけど・・・)

このバンドのギタリスト、ナオキはこのバンド活動中にレイプ事件を起こした。と言うか、つい最近にもレイプ事件を起こした生粋の本当にどうしようもないクソ性犯罪者。

その為に、バンドはもちろん解散。ついでに、ヒステリックブルーのアルバムも全て廃盤、回収となってしまったんだよ。

オレの思い出のアルバムは、メンバーのレイパー野郎によって、廃盤回収、そして日本のJpopの中で黒歴史扱いになってしまった。

作者が犯罪を犯したとしても、作品に罪はない。とかそんな話は、よく議論される。

大好きな電気グルーヴなんて、瀧がヤク中だったことを知った時「そりゃあそうだろ。『富士山』の歌詞とか正常な脳みそで書けるわけないじゃん」としか思わなかった。むしろ「卓球はやってなかったのか!?なんだか失望した!」くらいな感じですよ。

※この辺りの詳しい話はこちらでも話してた。「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」

流石にレイパーナオキを擁護する気にはなれないけれども、だからと言って、この名作アルバムとそこに収録された名曲たち、引いてはオレのアンニュイな思い出を全て闇に葬る事にはどうしても賛同できかねる。

このアルバムでオレが一番好きだった「candy」って曲は何を隠そうレイパーナオキの作曲なのだよ。

そもそもクリエイターなんて、頭のネジがぶっ飛んでるに決まってる。

生み出された作品はあくまでも作品であって、作者ではない。

ピカソは、「ゲルニカ」を描き上げているとき、目の前で愛人二人を自分と付き合う権利をかけて殴り合わせて、それをゲラゲラ笑ってた。

そんなピカソが描いた「ゲルニカ」には価値がないのか。

レイパーナオキは糾弾されて然るべきだけど、レイパーナオキが作り上げた名曲「Candy」は評価されて然るべきだと思ってる。

他にも、「直感パラダイス」や「春」「なぜ・・・」などヒスブルは良い曲多いんだよ。

作品と作者を結び付けてはいけないと思う。

親が犯罪者なら、その子どもは問答無用で闇に葬る。

そんな社会で良いと言うのか?と言うお話です。

こっちがセカンドアルバムの「ワラビー」。

また見かけたらお買い上げします。

唯物論者でございます。

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2023年3月13日 18:40 CAT :

途切れた夢の続きを洗い流す無情の雨

この世界はもうダメになってしまった。

2択を迫られるとして、一つは「世界と共に滅び去って死ぬ」もう一つは「過去の一点に戻って、残りの人生を全うする」しかなかった。

オレの場合、自分の寿命分を生きることが出来る換算で言うと、1998年に戻るくらいが丁度いいらしい。

1998年と言えば、まだゲームセンターでコイン落としのゲームをしても1日遊べるくらい、日本の経済自体も安定していた。

あそこに戻って、人生をやり直す。

ただ、戻れるのはオレ一人な訳で、家族はそれぞれに別の時間軸に戻っていく。

当然子どもたちは、オレより長生き出来るのでオレより更に過去に戻っていくことになる。

その結果、オレが死ぬタイミングとほぼ同じタイミングで、死に際の年老いた家族全員がもう一度、この約束の場所で再開して、みんなで一緒に死ぬ。

それは果たして幸せな事なんだろうか。

悩んで、悩んで、悩みぬいた末に、オレは世界と共に滅び去って死ぬことを選んだ。

そして、死んでいこう。

終末の景色はなぜかとても美しく見えた。

・・・

・・・

・・・

・・・

・・・

と言う夢を見ました。

マンガのネタに出来るかなと思ったけど、何か色々矛盾があって、到底マンガに描けそうもない。。

所詮夢でしかないなと思った。

でもせっかくなので、ここに書いておこう。

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2023年3月12日 20:24 CAT :

僕はゴッホじゃ嫌なんだ

子どもの頃からずっとコミュニティー内で存在を否定されて生きてきた。

結局、大人になっても社会に自分の居場所なんてなかったから、今は、自分の居場所を作るために会社を作って、そこでなんとか生き永らえている。

まさにのび太君状態。

昔からずっと思ってた事がある。

人が嫌がるような事を敢えて進んで引き受けて、それをちゃんとこなしてた。

その部分をなぜか先生方からは評価されて、職員室での評価は高かったりした。それがクラス内ではより嫌われる要因になってたりもしたんだけども・・・

例えばみんなが嫌がる「トイレ掃除」とか比較的進んでやってきた。

何でこんな事をやってたのかと言うと、奉仕活動が好きな訳じゃなくて、かと言って、人の嫌がることを進んでやることで好かれようと思ってたわけでもない。

そのコミュニティー内で、オレにしか出来ない事を一つでも増やしたかった。

オレはいずれ自殺する。

オレが死んだあと、全員がオレのやってたことが出来なくなって困ってしまえばいい。そして、その段階になって「しもたって、思ってた以上に重要な存在だったんだな」と悔いればいい。

そう思ってたんだよ。

つまり、自分の死んだあと、アホ面で阿鼻叫喚するクラスメイト達を妄想してニヤニヤすると言う、悪魔くんもビックリの復讐方法。

ただ、現実では自殺した訳でもなく、ただ皆が嫌がることを進んで引き受ける便利な奴でしかなかった。

それでもオレにとっては、自分を受け入れてくれなかったコミュニティーに対しての復讐だったんだ。

この頃の経験が生きているのか、誰にも出来ない(もしくは誰もやらない)自分しかできない事を見つけ、それを出来るようになるのが何だか得意になっていて、そのお陰でこんなオレでも色んな人からお仕事をもらえる非常にありがたい事になってる。

今のところは、会社も順調に成長している。

昔、憎悪をもって遂行していた復讐が、今のオレの人生を支えている訳だから、人生って本当に良く分からない。そして、ファンタスティック。

今では、あの頃の復讐なんてものは忘れてしまって、丸くなってしまった。

と、言えれば、一番良かったんだろうけど、今は今で、当時オレの事をコケにした奴らのSNSとか見て、苦労してる様を見ながら「あんな偉そうにしてた癖に、オレよりしょぼい生活送ってやがるな。ざまぁみやがれ!」とか思ってるから、根本的な性格の悪さは変わってない。

このブログでも何度も声高に言ってきたけど、子どもの頃のオレは本当にどうしようもない人間だった。

今のオレでも、当時のオレが横にいたら間違いなく疎遠にしてたと思う。

社会から弾かれて当然の人間だった。

「いじめにはいじめられる側にも問題がある」って言葉あんまり好きじゃないけど、でも当時のオレは「そうされてもしょうがない」人間だった。

でも、それはそれとして、だからと言って、いじめていいと言う理由にはならない。

矛盾しているかもしれないけど、そう言う事なんだよ。

そして今も昔も、復讐されている当人にとっては痛くも痒くもない方法で復讐は続いている。これからも多分続けていくだろう。

最近では、これは意外と関係者全員がハッピーになると言う稀有な復讐方法なのではとさえ思ってる。

全世界の人間の憤怒がこの形で解消されれば、世界から戦争がなくなるかもしれない。

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2023年3月11日 11:04 CAT :

先を思うと不安になるから今日のところは寝るしかない

取り合えず、昨年1年間で書いた記事数を超えることが出来た。

まず第一段階・・・と言っていいのかどうかは分からないけど、まぁひとまず続いているので良しとしよう。

さてさて。

あれは番組だったのかCMだったのかも定かではない位昔の記憶なんだけど、子ども頃、テレビで見かけた何かで使われていたフレーズがなぜか今も頭の中にあったりする。

真っ暗な画面に火のついた蝋燭が1本だけ映って、「暗い暗いと不平を言う前に進んで明かりをつけましょう」と言うナレーションが入る奴。

嫁が先週、体調を崩して寝込んでた。

で、その間、拙いなりに子どもの世話とか、家事とかを出来る限りやってた。

ここ最近、お仕事が忙しくなってホント家事とかめっきりやらなくなってたんだけ、まぁ、そうも言ってられないので。

ちゃんとできたとは到底思えないけど、まぁ、何とかなった感じはある。

下手したら、下の子が生まれるとかその辺りの頃以来じゃないだろうか。何とも、情けない話でございます。

ただ、久々に自分で家事をやってみたら、意外とそれが嫌じゃなかった。

仕事積んでる時に、食器洗ったり、洗濯物を干してる場合じゃねえよ!とか思ったりしなかったと言う感じ。

むしろ逆に、嫁に対して思ってた不満が解消された感すらある。

嫁とオレとでは、価値観が恐ろしくずれてる。

これに関しては、結婚する相手は価値観が合わない人の方が良いと言う持論を持ってたりして、この価値観のズレがあるから長く仲良くしていけるんだとさえ思ってる。

要はお互いに、自分が重要だと思ってる事が相手にとってはどうでもいい事だから、お互いの重要な部分を譲り合って生活することが出来るって事。

ただ、一点、自分が重要だと思ってる部分を相手に委ねる必要がある時に、どうしてもそこに対して不満が出てきてしまうと言う懸念点があった事に今回気が付いた。

嫁のやってる家事に対してオレが不満に思ってたのは、まさに上記の嫁にとってはどうでも良いけど、オレにとっては重要なポイントだったらしい。

逆に、嫁が気を配って丁寧にやってる部分は、オレにとってどうでも良い所だったので、一生懸命家事をやってた嫁に対して「ちゃんとしろよ。」とは思っても、なかなか「いつも丁寧に家事をしてくれて助かるよ」とはならなかった。

オレが家事をすれば、多分嫁にとって重要な部分を丁寧にすることはできないと思うけど、オレにとって重要な部分の不満はなくなる。

嫁が元気になってからは、2人でやれば、お互いが重要に思う部分をちゃんとできるので、素晴らしく良い環境になるような気がするんだ。

何を当たり前の話をつらつら書いてるんだと言う話なんだけども、2人で協力して家庭ってものは作っていくんですよ。とか、そんな当たり前な事に、今更気が付いたと言う事ですよ。

なんとなく、これ結婚当初とかは思ってたような気もするんだけど、忙しいとかそんなことを理由にしていつの間にか、こういう気持ちを忘れてしまってたのかもしれない。

まさに「暗い暗いを不平を言う前に進んで明かりをつけましょう」だった訳だ。

皆がこんな気持ちで生きていけば、きっと人生はうまくいく。

とか何とか言って(↑)の奴が変な宗教の勧誘文句だったらどうしよう・・・

こんなイメージだった・・・と思う。

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2023年3月10日 20:58 CAT :

邪魔な奴らははね飛ばせ!特にババアやジジイは高得点!

アナログとデジタル。お絵描きをするためにどちらのツールを使うべきなのか。

そんなことを考えたこともあった。

と言うか、以前はアナログ至上主義とでも言いましょうか、好きな作品からデジタルの臭いがし始めると「あぁ~この漫画家も終わったな」とか通ぶって眺めてたりした。

どう足掻いたって、アナログで出せる微妙なニュアンスが出せる訳ねえだろとか思ってた。

で、今。

ここ数年、マンガは全てデジタルで描いております。

クリスタさんのお世話になっております。

実際に自分で描いてみると、確かにアナログで描いた時と比べて線は単調になると思う。

何と言うかアナログで描くと、予定調和を超えた線が描けてしまったりするので、絵を描くと言う作業だけで見るとアナログの方が確かに楽しいかも知れない。

ただ、ここでふと我に返った。

オレは絵を描きたいわけじゃなくて、物語を表現したかったんだ。と。

そもそも著しく画力の低いオレにとっては、一度書いた絵のバランスを直したり、パースを直したり、何だったら反転させて左向きばっかり書くこともできると言う事は、マンガを描くと言う1点から見ると物凄いプラスだと思う。

どのくらいかと言うと、時たま出る予定調和を超えた線が出なくなると言うマイナスを遥かに凌駕するくらい。

それはそれで重要なんだけど、それよりは、ある程度短時間でたくさん漫画を描けると言う事の方が大事。

だって、オレは絵を描くことに命を懸けてるわけじゃあないんだよ。頭の中にある物凄く膨大な世界を物語として、出来る限り出していきたいんだよ。

そして、それは確実に死ぬまでに全部は多分出し切ることが出来ない量だったりする。

そう思うようになってから、アナログとデジタルでどちらの方が上なのかみたいな事を考えることはなくなった。

それぞれに長所と短所があって、どちらを選ぶべきかはその作家さんの考え方と環境に依存して、然るべき。

ひとつだけ言えることは、最初からずっとデジタルだけで描いてしまうと、アナログで描くと言う事が出来ないだろうし、アナログでしか書いたことがないとデジタルに移行する事に対してのハードルが高くなると言う事。

デジタルでしか書いたことがない奴は、この先PCがない環境では漫画が描けないかもしれない。

アナログでしか書いたことがない奴は、この先トーンや紙が手に入らなくなったりしたら漫画が描けないかもしれない。

大事なことは何でもやってみる事なんだよ。

それぞれに楽しさはあって、どちらは上とか、どちらが下とかなんてそんなものは存在しない。多様性を認めてこそ、楽しめると言うもんですよ。

これは手書きで書いた奴だと思う・・・

めっちゃ久々にふと思い立って描いた、「US」のリズ=ストロベリー。

もう、当時の絵は当たり前の様に描けなくなってしまってた。

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2023年3月9日 20:22 CAT :

星座を巡って歩こう 海図は持たないで

女の敵は女と言う言葉があって、それを口にすると色んな所から怒られるらしい。

日本におけるフェミニストって、実はフェミニストではなく「立場至上主義」と言う方が正しいと思う。

ちなみに立場至上主義ってのは、下記のような人の事を言う。

1 自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する
2 自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する
3 都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事する
4 都合のよいことがない場合には、関係のない話をしてお茶を濁す
5 どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す
6 自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判する
7 その場で自分が立派な人だと思われることを言う
8 自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する
9 「誤解を恐れずに言えば」と言って、嘘をつく
10 スケープゴートを侮蔑することで、読者・聞き手を恫喝し、迎合的な態度を取らせる
11 相手の知識が自分より低いと見たら、なりふり構わず、自信満々で難しそうな概念を持ち出す
12 自分の議論を「公平」だと無根拠に断言する
13 自分の立場に沿って、都合のよい話を集める
14 羊頭狗肉
15 わけのわからない見せかけの自己批判によって、誠実さを演出する
16 わけのわからない理屈を使って相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する
17 ああでもない、こうでもない、と自分がいろいろ知っていることを並べて、賢いところを見せる
18 ああでもない、こうでもない、と引っ張っておいて、自分の言いたいところに突然落とす
19 全体のバランスを常に考えて発言せよ
20 「もし●●●であるとしたら、お詫びします」と言って、謝罪したフリで切り抜ける

凄く当てはまる自称フェミニストが最近うるせえよな。特にtwitter付近で。

ちなみにこの辺のお話については、(↑)の本に詳しいので読んでみても良いかも知れない。

「性的消費」って言葉が物凄く嫌い。

なぁ~んで、股間に張り付いたスカートを批判する癖に、薄い本を「尊い」って言いながら買ってるお姉さま方に対して批判しないんだろう。とかね。

消費してねえよ。

フェミニストって、性差をなくして、女性の社会的な立場を守るために活動するものだと思ってた。

なんで社会的に頑張ろうとしてる女性を批判してるんだろうか。あれだろうか。アイドル目指してる女の子は、脂ぎったおっさんが性的消費の為に無理やり洗脳でもして、彼女たちの本当の夢を無理やり捻じ曲げてるとでも思ってるんだろうか。

男と女と言う分け方をするのもどうかとは思うけど、男が男性アイドルが上半身裸で雑誌の表紙飾ってたとして「性的消費だ!」って言ってるの見たことない気がするんだけど。なんで、フェミニストと言う大義名分を振りかざして、女同士足の引っ張り合いをしてるのかよく分からない。

そう言うと「女は歴史的にどうのこうの・・・」とか言う奴いるけど、それは上に出てる「立場至上主義」ですね。あ~だこ~だ言うのは結構だけど、今後二度とフェミニストを名乗るなよ。って話になるだけなんだよ。

この辺の話しだすと、到底1000文字で収まらないので、今日はこの辺で。

ぽせいど~ん。

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2023年3月8日 22:10 CAT :

お絵描きばっかりしてるアラフォーおっさんの末路なんてこんなもの

創作活動をホントに幼いころから続けてきた。

これまでマンガはもちろんの事、小説書いてみたり、ゲーム作ってみたり、音楽やってみたり、演劇やってみたり、取り合えず節操なく色々やってきた。

今でもやってるのは、マンガと小説、あと、ぎり音楽もだろうか。

演劇は1人では出来ないから、やりたくても出来ない。でもいつか、劇団とか立ち上げられるいいなぁ~とかは思ってる。

ゲームは肌に合わなかった。

結局、何でマンガと小説だったのかと言うと、一人で完結できたからなんだよね。

友達がいないからって理由ももちろんある。

あるんだけど、自分の中にあるイメージにチョッとでも何かが混じることに凄く嫌悪感があるんだと思う。

とか何とか、偉そうにのたまったところで、結局そんな大層なイメージが自分の中にあるかと言えば、またそうでもないところが質が悪い所でもあるけれども。

日ごろから事あるごとに「●●が好き」って色んな所で言いまくってるクリエイターさんを基本的に信用してない。

「歌が好きなんだよ」と事あるごとに叫んでる歌い手さん。

「漫画を描くのが好きだから描いてるんだ」と事あるごとに呟く漫画家さん。

「文章で表現することが好きなんだ」と事あるごとに答えてる小説家さん。

全部信用してない。

なぜそれを人に発信する必要があるのか。それをやってる人なんだから、好きな事くらい周りは全員知ってるよ。

では、誰に向けて発信してるのか。

それはもちろん自分に言い聞かせてるに決まってる。

本当は心の中で「オレは本当に、音楽を続けて大丈夫なのか」「漫画を描くと言う方法はあってるのか」「文章を書くことに意味があるのか」と疑ってるから、自分を納得させるために、至る所で好き発言を連発してるんだと思ってる。

それしかできなくて、気が付いたらやっちゃってるようなひとは、「どうしてやられてるんですか」と聞かれたときに、「う~んなんでですかね・・・?」としばらく考えた後「好きなんでしょうね」ってなるんじゃないのかな。んで、このパターンの場合は、本当に好きなんだと思ってる。

じゃあ、オレは何でマンガとか小説を書いてるんだろう。とか考えてみたんだけど、分からない。

ただ、この頭の中にずっとこびり付いてて、表に出したくてしょうがないイメージとか発想を混じりっ気なしで、一人で表現する方法が他にあるなら誰か教えてほしい。

表現したくてしょうがない。

うずうずして止まらない。

そして、色んなものに手を出して数十年。この形に落ち着いただけなんだよ。

評価されたいとか、注目されたいとか、もちろんそうなれば嬉しいけれども、表現したい衝動の方がそれを遥かに凌駕するくらい強い。

誰にも見せずに黙々と30年くらい漫画を小説を書き続けてきたおっさんを舐めるんじゃないよ。

でもそれを、だれでも気軽に表に出せるようになったんだから、本当に良い時代がきたもんだとは思っております。

とか言いつつ、マンガもろくに描けてない日々はどうなんだろうね。

まずはブログを毎日書くと言う事も、実は意識変化の為にも良いのかもしれないなぁ~とポジティブに考えて生きていきます。

はい。

1年くらい前に描いたこのカット。

「ひとときの暗がり」と言う新しい小説用に書いたのに、一区切りまで1年もかかってしまった。

あと1話描けたら、アップしていく。

・・・多分・・・

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2023年3月7日 18:46 CAT :

ロマン飛行(令和の世界に飛び立てウエストランド)

テレビを見なくなった。

ホントに見なくなった。

多分、ある程度定期的に見てるのって、「水曜日のダウンタウン」と「あちこちオードリー」と「ゴッドタン」くらいなもんですよ。

なので、どんどん俗世間から離れていっている気がしてならない。

その代わりに何を見ているかと言うと、YOUTUBEやアマプラ、ネトフリでの映画鑑賞やアニメ垂れ流しになってた。

単純にコンプラが厳しくなったことと、昔で言うところのテリー伊藤みたいな人がいなくなったりした事で、テレビ番組自体がマンネリ化、詰まんない企画ばっかりになったからテレビを見なくなったんだと思ってた。

所が、昨年くらいから「TVer」と言うものを見つけたわけですよ。

知ってる人しかいないと思うけど、テレビ番組の見逃し配信をネットでやってくれてるとってもありがたいサービス。

これを見つけてから、これまでのテレビ番組に対する考え方が180度変わった。と言うか、まぢでYOUTUBE見る時間が激減した。

映画とかアニメはまだまだ普通に見るんだけど、それ以外の時間については、テレビ番組見てる方が多くなった。

正直な話、どう考えても素人がテレビの真似事しても、テレビには勝てないって事なんだと思う。

編集技術も機材も人材も全て段違いなんだから。

やっぱりね面白いんだよ。

結局YOUTUBE見てたのは、お仕事部屋にテレビがなくて、お仕事中にPCで見られるのがYOUTUBEだったからと言うのが大きかったんだろうて。

例えば、YOUTUBEだと広告が流れるとチョッとイラっとして、その動画見るのさえやめる事あるけど、テレビ番組の場合広告入っても「まぁ、無料配信だからな」って気持ちになる。

これは、ひとえにやっぱり動画のクオリティーの問題なんだろう。

YOUTUBEがダメだとは全く思わない。

逆にもうテレビではやらなくなってしまった心霊系の動画とかは大好きだし、テレビでは到底扱えないような(多分、「緊急検証」シリーズが最後の砦的な)雑学・オカルト系の動画はホントよく見てる。

あと単純に誰でも自分が面白いと思ったことを、世界中に向けて発信できると言うツールがもうこれは素晴らしい。

でもやっぱりね。テレビとか映画には勝てないんだよな。

だってそれがやりたくてプロの門を叩いた人たちの集団なんだから。

ただ、動画じゃなくてこれが漫画だと、また意味が違ってくる。

不思議な事に漫画に関して言えば、本当に様々な表現があって、商業誌が一番だとは到底思えない。

自分でも投稿してるからと言うのを除いても、新都社に投稿されてるマンガにも本当に目が覚めるような凄い作品があったりする。

このツールがない時代には、同人誌やガロ系雑誌を読み漁って「ふおおおお」ってなってたんだから、今は良い時代ですよ。

ただこれはあくまでも、漫画とか小説に関しての話。

なんで、動画だとそうならないのかなとか、チョッと思ってみたけど、多分、そうじゃないような気もしてる。

強烈な「マンガや小説(あと、音楽もか)は、商業ラインに載せられなかったけど、これがオレの良いと思った表現なんだよ!」と言う想いがあるものが面白いんだと思ってる。

YOUTUBEにそれがないとは思わないけど、大体のものが、テレビ番組の延長になってるのかもしれない。

「テレビでは放送されないけれども、強烈にやりたくてしょうがない世界観や表現したいものがあるんだよ!」って人の大多数は、多分YOUTUBEじゃなくて、同人映像作品作る方に行くんだろう。

とか、「水曜日のダウンタウン祭り」見ながら思いました。

「TVer」アワードおめでとうございます。

昨年最も見られたバラエティ番組だったそうで。

結局、オレが子どもの頃に見てた悪意に満ちたお笑い番組が、今の時代でも求められてると言う事だと思うんだけどなぁ。

そういう番組もっと増えてほしいです。

ホントテレビの番組ってクオリティは尋常じゃなく高いので。

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2023年3月6日 20:00 CAT :

暗く低く流れて 船が行くよパノラマ島へ

息子のADHD検診の時に「お父さんの方が大変そうですね」と言われて以来ずっと引っかかってた話ではある。

実は、昨年末、そっち系の病院に実際行ってみた。

その結果、当たり前と言えば当たり前だけど、ちゃんと典型的な重度のADHDと診察してもらって、お薬を処方してもらう事になった。

と言う事で、今年の初め辺りからお薬を飲みつつ日々を生活してる。

今の時代は凄く優しい。これが良い事なのか悪い事なのかは分からないけれども。

周りと同じことが出来なければ、怒られるのではなく病名を与えられて生暖かい目で見られる。

それはそれで良いんだけど、生暖かい目で見られることになれてしまうと言う事にはもう少し考えた方が良いような気がしないでもない。

前に会社の面接で来た奴が、自分が障害者手帳を持ってる事を話してた。重度のADHDなんです。と。これまでの人生もいろいろ苦労してきました。と。

その件については、チョッとこの記事で話してる

それに対して、オレは自分の過去を見るような何とも言えない気持ちになって、「一緒に頑張ろうか」と声をかけた。

ここまでは良かったんだけど、この人のこの後は相当問題がいっぱいだったんだよ。

ミスが多いとか、失礼な対応をしてしまうとか、物言いが変だとか、そう言う事に関して何も言うつもりはなかった。オレだって人の事を言える人間じゃあない。

この人の一番の問題は、「僕手帳持ってるんで」を水戸黄門の印籠のように事あるごとにひけらかして、開き直ってたことなんだよ。

結局、「そういう人とは関わりませんので」とお別れすることになった。

手帳持ってるから何なんだよ。

手帳持ってるのは免罪符にでもなるのか。

手帳持ってたら頑張らなくても良いのか?

頑張って頑張って、それでもどうしてもミスしてしまう。それはしょうがないと思うんだけど、最初から「手帳持ってるんで、ミスしますよ~」って開き直って当たり前のように同じミスを繰り返して、何の対策もしないのは違うと思うんだ。と言うか、当たり前のようにバレバレに手を抜いてて、咎められると「手帳持ってるんで」はないだろうよ。

これが、幼いころから生暖かい目で見られてきた事による弊害なのだとしたら、あまりにも罪深い気がしてならない。

だって、オレとこの人の症状もADHDの度合いも何だったら処方されてる薬だった同じなんだもん。

人と同じ事が出来なければ殴られて吊るし上げられて、クラスの笑いものにされることが正義だったとは思わない。

でも、ホントに血が滲むほど我慢して我慢して耐えたけど、それでも誰もが当たり前にできることが出来なくて、事あるごとにクラスで吊るし上げられてた。

あの頃があるから、オレは絶対にこれを言い訳にはしたくない。

ミスした時に「ADHDなので」とか「手帳持ってますから」とか絶対言わない。まぁ、言わなくても周りは皆気づいてるだろうけども。

治療方法は人それぞれだし、生き方も人それぞれ。

この人のやり方をオレは否定するつもりもないし、オレの考え方を押し付けるつもりもない。

ただ、オレの会社で一緒に頑張ってほしいとも思わない。それだけ。

オレの会社は、どこにも居場所がなかったオレが唯一の社会の居場所にするために、自分で作り上げた場所な訳で、さすがにそこにいるなら、オレの考え方には従ってもらいたい。

それが出来ないなら、生暖かい目で見てくれる環境に行くか、自分でそれを作り上げるしかないんだよ。

取り合えず、オレは薬を飲むようになってから、色々なことが変わったと思う。

この年からでも治療受けてみるもんですよ。この辺りの話もまたそのうち書きましょうね。

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2023年3月5日 18:00 CAT :

口だけ男から口裂け男にランクアップしたい話

昨日ヘロヘロだったので、何か「1週間に1回くらいの更新で」みたいなことを書いてたけど、何となくそうじゃねえだろとか思ってしまった。

まぁ、何でもいいから1日1回発信すると言う習慣にするのはどうだろうと。

題して「365日(-66日)毎日投稿」だ。

と言う事で、そんなことをやってみようかなと。

長いネタとかなら、ジョジョ風に「その1」ってつけて短い文章に細切れにするのはあり。(と言う 言い訳 救済処置)

これならできるんじゃねえの。知らんけど。

ここ数年、「これなら出来そうかな~」というスタンスで目標を作ってたけど、今年は「こんなことできるのか?」って事を目標にしてみましょう。

それ以外に、今年の目標をチョッとメモっておく。Twitterでは、先に書いてたけども。

 

 

 

○漫画短編「出来過ぎた準備」
⇒現在ネームの半分くらいまでは出来てる。

漫画短編「瓶詰の幼女」
⇒描きたいなぁ~って妄想してるだけ。

漫画中編「深淵を覗く」
⇒プロットは全部で来てる。

漫画中編「不動産売買第2部」
⇒裁判いつ終わるんだろう・・あと第4部「今度こそ土地売買でなんかミスらないぞ!」編が今年初めからスタートしてたりもする。

小説長編「ひとときの暗がり」
⇒全50話構成で考えて、今12話まで書きあがってる。13話で一区切りするので、そのタイミングでアップを開始しようかと。

漫画長編「風を切る日」再開
⇒現在止まってる「コロッサ編」の最後までのプロットは完成。「出来過ぎた準備」が書き終わったら、ネーム作業に入ろうかと。

4コマ漫画「超ニュースチョークホー」再開
⇒今朝、Twitterで再開1つ目を更新した。

 

 

 

こんな感じで、少しずつ進めてはおります。

お仕事の方でも、本当にありがたい事に無事2期目も昨年対比越えで終われそう。かつ、3期目はまた新しく面白い事を色々考えてるので、その辺りも近々書いていくよ。

書く書く詐欺常習犯だけど、今年は違うぜ!と言うところを、お見せいたしますよぉ~

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2023年3月4日 1:20 CAT :

今さら、明けましておめでとうございます~サムネで釣られろエロ男2023

気が付けば3月になってしまってたね。

おお。そうか。もう3月なのか。

これまでも「忙しい忙しい」と嘯いていたものの、なんとかかんとか「あけましておめでとうございます」くらいはやってたというのに、ついにそれさえも無くなってしまったと言うことか。

これはさすがにどうなんでしょうな。

アウトプットしないと生きていけない人間ではある。昔っから、それだけは変わらない。

インプットはあんまりしなくても大丈夫らしい。中から溢れ出るものを出してるに他ならないから。

先日、嫁が「自分の作品を作るためにチョッと余計なものを入れたくない」と言う話をしてた。

自分の世界観を表現するために、他のものを入れないと言うのは、何とも変な話だなと。

多分、物凄く感動的な映画を見て目が腫れるくらい泣き倒した後、さて漫画でも描くか。ってなった瞬間、めっちゃ可愛い少女が絶望しながら凌辱される話を嬉々として描ける自信がありますよ。私は。

影響を受けないとは言わない。

ただ、どれだけ影響を受けようとも、逆にどれだけ人の真似をしようとしても、それが出来ない人間だっているんだよ。

インプットなんてしても、創作の何の足しのもならないんだろう。

何の話をしてたんだっけ・・・

問題はだ。時間がないと言う事なんだよ。

今日だって、木曜日位からほぼ寝てなくて、記憶もあいまいな感じになってるくらいには時間がない。

でも、チョッと「時間がない」って言い訳辞めませんかと声高に言いたいんだ。時間がなくても多分ブログ位書ける。漫画位かける。小説位かける。

そもそもの話、ここ最近1記事が投げえんだよ。なんで1回更新のたびに1時間くらいかけて3000~5000文字も文章書いてんだよ。

例えばだけどさ。

チョッとしたネタを、1000文字以下くらいでカスッと出すだけなら、10分とかでもできんじゃねえのかなぁ~。昔の記事なんて、短いもんでしたよ。

たまにしか書かないから、毎回でっかいネタをぶっこんできて、5000文字近くも長々書くことになるんだよ。

しょっ中数百文字の文章書くくらいなら軽い内容でもいいじゃないか。しかも、結果的には、長い目で見ればたくさんの文章を書いたことにもなるだろうて。

まずそれを初めてみる。今年は。

本当にそんなことが出来るかは知らんけども。

そんな感じで、今年ももう結構経ってしまいましたが、よろしくお願いいたします。はい。

最低でも週に1記事くらいは・・・

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2022年12月31日 3:32 CAT :

明日死ぬかもしれない事におびえながら今日まで生き延びてしまった2023年への道筋について

年の瀬が襲ってきておりますな。

今年も終わるんだよ。終わってしまうんだよ。

激動の世界と言われているんだけど、それは情勢が目まぐるしく変化しているからなのか、それともただオレが歳とって時間の流れがジャネーの法則よろしくクッソ早くなっているからなのか。

それは分からない。

ただ、今年一年がもう終わってしまう事だけは、どうしようもない事実なのであります。

ブログ書かなかったなぁ。多分、この超コツコツ日記を初めてから最も書かなかった1年だったと思う。何と、年間で5本目。

遥か古の頃「バーチャルアイドルちゆ」の更新が年1回とかになった時に、「ふざけんなよ!オレはいつになっても毎日コツコツ更新を続けてやるぜ!オレはちゆとは違う」と息巻いていたのをふと思い出した。

まぁ、無理ですよね。

これを年齢のせいとか、ブログと言うものの隆盛にかこつけて許しを乞うても仕方がないと思うんだ。

何のことは無いわけで、若いころ最も忌むべき対象として見ていた、とめどなく溢れ出る衝動を形にしなくなるつまらないおっさんにオレ自身がなってしまったと言う。それ以上でも以下でもない話なんだよ。

それはそれとして、ざっくりとだけ備忘録的に、今年の振り返りだけやってみよう。

また後でと言うと、いつもの「書く書く詐欺」になってしまうので、今日のうちに書いてしまおう。

今回は、何となく「お仕事」「創作活動」「生活」の3つにカテゴライズした上で書きます。はい。

 

 

 

【お仕事について】

お仕事を法人化して2年目。所謂2期目と言う奴も半分以上終了した。

昨年は、会社経営とはこう言うものなのかと言う事を至極勉強することが出来たと思う。その上で、ちゃんと利益を出して、順調に終えることが出来たんだよ。

それに比べて今年だよ。今年。

正直、仕事のボリュームと規模は、今年引くほど大きくなった。

もちろん従来のお仕事も本当にありがたい事にたくさんたくさんたくさんたくさんご依頼いただいてたんだけども・・・

それ以外にも、具体的に固有名詞を出してしまうとやばい位の規模のお仕事もやった。

TVCMのディレクターしたり、あまつさえ、馬忠・DA・ムドーの楽曲をそのBGMに使ったりもした。

お店をディレクションして無事開店までこぎ着けたりもしたな。

社員も増えたので、新しく事務所を開設したりもした。

来年には、何か某有名大学の講義の監修などもやることになるらしい。それに伴う関東出張に今からドキドキしてたりするんだけれども(都会・・・と言うか人込みとか怖いんだよなぁ~)

と、ここまで書けばひどく順調な感じはするんだけど、不思議な事にお金がないんだよねぇ~

お仕事のボリュームと規模が大きくなると当然経費もかかってくるわけで、社員さんの給料だって出してあげないといけない。事務所開設なんて、会社設立の時よりお金かかったし。となると、なんか知らんけど会社のお金が1期目と比べると笑うくらい貯まらねえのよ。

忙しいんだよ。中学生だったら、自慢しまくる位休みもなく、夜も寝ないでお仕事ばっかりしてた。特に、10月からの3ヶ月くらいは。

何かすげぇ色んな責任も増えてきた。

忙しすぎて、子どもたちと遊ぶ時間もないし、漫画描いたり、ギター弾いたりする時間もない。

なのに、お金はない。これ・・・オレは何やってんだろうな。と。忙しいなら、せめてお金は貯まってくれよと思う訳ですよ。

年末年始に半年ぶりくらいに連休でお休みするので、その間に一応社長として、3期目の展望を考えようと思ってる。

3期目はもう少しキャッシュ的な部分をしっかり考えていこうかと。だって、キャッシュが無くなったらそれはもう会社倒産ですので。

今の事業規模くらいで、もう少しお休み取れて、お金も貯まる方法はないものかなと。

まぁ、そんな感じですよね。

ただ、お金のことは置いておいたとして、今年は例年にはない位まぢで色んなお仕事に携わることが出来た。お仕事以外でも色んな事が起こった。これについては、めっちゃいい経験になった。多分、相当レベルアップもしているだろうて。出来ることは相当増えたと思ってる。

今年は、経験値をひたすら稼ぐ1年だったんだろう。そう思う。

 

 

 

【創作活動について】

創作活動の方での今年の成果と言えば、短編漫画「2人マイナス14年」と「おともだち」、中編漫画「不動産売買であった怖い話」、長編小説「ひと時の暗がり」の第1部執筆。

以上。

うむ。少ない!あまりにも少ない!

正確には、他にも「出来過ぎた準備」と言う新作短編のネタがほぼ出来てるのと、「ランナ」の再開用にネタ出しはやってたけど、これは果たして創作活動と言えるのか・・・4コマ「極ニュースチョクホー」もちっとも描けなかったしな。

これまで生きてきてどれだけ忙しくても漫画を描くのだけは止めなかったと言うのに、今年はホントに書けなかったよな。

受験勉強の合間にでも、毎週1話書くのは止めなかったし、娘が生まれたばっかりの時とかでさえ、2~3時間おきに泣き出す娘を横に置いて寝ずに漫画書いてたと言うのに・・・

いや、あの頃は寝なければ漫画を描く時間が取れたんだよ。今は、寝ずにお仕事してるからな。と、そんな言い訳をしていいのかどうか。

果たして本当に時間が取れなかったのだろうか。

色々思うところはなくはないんだよな。

ただ、それでも前回の記事でも書いた通り「不動産」漫画の奴は過去最高のPV数だったんだよ。それだけがせめてもの救いと言えば救い。

良かった。まだ、多少は面白い漫画描けてたんだ。と言う、謎の慰めになるようならないような・・・

来年こそは、漫画をいっぱい書きたい。いや、まぢで。

 

 

 

【生活について】

で、最後に生活について。

これについても、相当いろんなことを経験できた。

まず、裁判だよ。人生において弁護士さんに依頼して裁判を起こす人間は、多分起こさない人間より少ないと思う。

裁判の流れとか、費用感などについてもいずれ漫画で描きたいなと思ってるくらい貴重な経験だよ。二度としたくねえけどな。そもそもまだ決着ついてないし。

次には、PTA的な組織の副会長をくじで当たってしまったと言う理由で1年間やった。

これも、経験したことない事ばっかりで、凄く良い経験にはなった。

そもそも学校の事とか子どもを取り巻く環境とかその辺りの事も知りたいこと知りたくなかったこと含めて色々分かってしまった。

クッソ忙しい中、時間を作って役員会に顔出したり、自治体が主催するイベントの手伝いしたりするのは結構大変だったけど、それはそれとして、こういう事も子育てしてたらやっぱり経験するものなんだよね。

そして最後。

アキレス腱を断裂した。今はもう、よちよちと歩くくらいはできるようになったけど、6週間ほどギブス&松葉杖生活を余儀なくされた。

これがもう、まぢで不便の極みだったわけで、本当に何回か「ぎゃあああああああああああああああああ!!」って叫びたくなった。

でも、負け惜しみでもなんでもなく「自由に動けることのありがたさ」を心底理解することが出来たのは、本当に良かったと思う。

そして歩けないから、食べ物やジュースを取りに行くこともできなくて、基本的にはペットボトルで水ばっかり飲んで、お菓子は一切食べなかったので、何かダイエットもできた。

「アキレス腱断裂ダイエット」と言う感じか。

ただ、生活と声高に言えるほど、人としての生活はこなせてなかった。

ホントに仕事ばっかりしてたんだよ。

 

 

 

とまぁ、そんな1年でしたな。

上記とは別でも色々面白い事は起こった。

霊能力を持ってるおっちゃんと出会った事きっかけで、変な感覚が目覚めちゃって、自分についてくれてる龍とお話しできるようになったとか。

記憶違いなんて話で片付けられない位、現実とオレの認識で剥離があって、多分別のパラレルワールドに来てる気がしてる事とか。

人生ってどんだけファンタスティックなんでしょうね。と思うことしきりでございますよ。

後、物凄く不思議な話なんだけども、上記の通り「お仕事」「創作活動」「生活」どれをとっても素晴らしい成果とかないし、どちらかと言うと何一つうまくいかなかった1年だったと思う。

でも、今年、オレは凄く良い1年だったような気がするんだ。

何一つうまくいかなかったのにだ。

この感覚は何なんだろう。

ここ数年は、自分でも信じられない位うまく物事が進んで「今年は本当にいい1年だったな」と思ってた。

でも、今年は「何一つうまくいかなかったな」と思うんだよ。

それなのに、なぜか今年本当に良い1年だったと思う。

本当に見分不相応なレベルの規模の責任とかが襲ってきて「こんなのオレにこなせるのか?」と怯えつつ、それでも逃げずに真正面から立ち向かった。

その結果、その全ての責任に対して100%完璧とはいえないまでも、まま及第点以上でこなしきって、どのクライアントさんからも捨てられることなく年を越すことが(多分)出来る。と言う、これが何とも言えない達成感につながってるのではないのかと、勝手に分析してる。

うまくいったかどうかは問題じゃあない。

めっちゃ頑張ったんだよ。

今年はもう臆面もなく言わせてもらいたい。

オレ、まぢで頑張ったよ。

遊びたい気持ちも描きたい気持ちも押さえて、やってきた責任たちに対して。

ただ、頑張ったのは頑張ったんだけども、それはそれとして、うまく行った事についてはオレ自身の実力だとはどう考えても思えなかったりもする。

龍ちゃんを初めてとして、もう死んでしまったじいちゃんばあちゃんを含む祖先の皆さん、なぜか天照大神ちゃんなど色んな人や神様や龍ちゃんがサポートしてくれてる。だからこそ、何とかこなす事が出来たとも思ってる。

それが今年はかなりはっきり分かるようになった。これについては、信じる人がどれだけいるのかは分からない。別に信じてもらう必要はないけど、オレはそう思ってるし、実際今も横に龍ちゃんいるし。

人生って感謝ですよ。

アリガタイ教みたいな宗教でも開こうかと思うほど、色んな具象や存在に感謝し通し。

取り合えず、クッソ長くなってしまったので、今日のところはこの辺にしておこうか。

来年は、アリガタイ教の教祖として、この怪しい教えを誰にも教えることなく、一人でニマニマと過ごしていきます。

と言う、すごいところに着地して、さようなら。

皆様。良いお年を。

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2022年10月6日 0:12 CAT :

つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしオナニーにふけりけり2022

よぉ~し。おっちゃん、気合入れて今年4回目のブログ更新をやっちゃうぞ。

お久しぶりでございます。

歳をとると1年が光の速さで過ぎ去ると言う話を実感しております。はい。この現象の事を「ジャネーの法則」というらしい。はい。

まぁ何しか、死なずに生きてはいるものの、日々目まぐるしく移り変わっていて、もう今年の初めに何があったのかと言う事さえも、ほぼほぼ記憶にない。

それはそれとして少しだけ、ここ最近の事を備忘録として残しておこう。

あと、あれだ。文章書いてないと、馬鹿になるしな。ただで加齢でどうしようもなく低能になっているのに、これ以上馬鹿になってたまるか。

 

 

 

漫画の話。

とは言いつつ、今年、新作長編(中編か?)漫画を作って、ちゃんと完結させた。

ブログで少し触れたけど、去年からあった不動産売買に関する話を面白おかしく漫画にしてやろうという試みで描いた「不動産売買であった怖い話」と言うお話。なんだかんだと言いつつ、11話で無事完結まで描き切ることが出来た。

作画に時間が取れないと言う、非常に情けない理由で作画の方は簡単なものだったんだけど、ありがたい事にこの漫画が、オレのこれまで描いたどのマンガよりも、アクセス数、コメント数などが凄い事になった。

「Gの世界」を描いてた時には、1回か2回しか取れなかった、新都社のhotitemにも更新する度に載って、最終話では遂に1番人気(という解釈であってるかはわかんないけど)な左hotitemになりましてん(↓)

嬉しくて、ちゃんとキャプチャー取ったし。

アクセス数も、11話で2万5千位あるようで・・・1話平均2000アクセス位だと考えると、「G」の時は大体200~500くらいだったので、下手したら10倍くらいのアクセス数になるんだよな。

去年1年はホント心も体も、あとお財布もズタボロになったけど、この結果で何となくおっちゃんは満足してしまった。

まぁ、今も裁判は続いてるけどな。

 

 

 

竜ちゃんの話。

オレの事をずっと守ってくれている竜ちゃんと、ここ1年ですごく仲良くなった。

お話もできるようになったし、姿も見えるようになった。別に信じてほしいわけじゃあない。信じない人は信じなければいい。病気だと思うなら思えばいい。

でも実際に仲良くなってしまったものはしょうがない。

今日、お仕事で煮詰まって病んでたんだけど、そしたら「絵を描いて気分を変えたら。モデルになるよ。」と横に腰を下ろしたので、それを見ながら描いた。

実にそっくりさんに描けたと思う。

 

 

 

会社の状態の話。

一応代表はオレなんだけど、ずいぶん前からオレの意志とか意図から離れてしまっている感じがある。

税金対策で法人化しただけだったのに、今や、オレが一人で閉じこもっていた仕事部屋は「社長部屋」と名前を変えてしまい、従業員さんのための事務所が出来上がり、そこに毎日人が出社してくる。

社外の人が研修と言う名のもとにその事務所に来るようにもなったし、オレの想定よりはるかに大きいお仕事の案件が舞い込んできたりもしている。

設立当初、誰がこんな状況になることを想定していたと言うのだろうか。

ただ、売り上げも大きくはなってきているんだけど、当たり前に経費もたくさん掛かるようになってしまい、金銭面で見ると、ひとりで細々とやってた時よりなんだかお金はなくなってしまってたりはする。

責任は大きくなって、気苦労は増えて、時間とお金はなくなってしまっている。

一体オレは何をやっているんだろう。

立ち止まって振り返る時間が欲しいけど、状況がそれを許してくれない。

本当に何をやっているんだろうね。

 

 

 

創作の話。

新作の短編漫画「出来過ぎた死亡準備」と言う話を考えている。今、ネームの前の構成をまとめている感じ。出来れば、年内に完成させたいなぁ~とか、希望的観測だけは持っていたりする。

あと、「ランナ」を再開させたいと思っている。取り合えず、まずは今ストップしている「コロッサ編」の最後までネームを作って、そこから少しずつ作画作業に入ろうかと。

「超ニュースチョクホー」のリメイク「ひとときの暗がり」と言う小説を書いている。全5部構成なんだけど、第1部の7話目くらいまでは本文とタイトルの挿絵が書き終わってる状態。第1部が最後まで描けたら一旦アップしようと思ってる。

完全新作で音源制作をしたいと思ってる。完全にオレ一人で、自分の世界観を100%出し切った奴。そう、このブログでは何度か出てきた「死ぬまでに制作する物語」のひとつ「連歌『忘却』」を形にするんだよ。あともうひとつ「陀悪」と言うタイトルの音源集も考えていて、こちらは全5曲構成のうち3曲までほぼほぼ歌詞が出来上がってたりする。

創作意欲はまぢでとどまる事ないんだけど、着手する時間がない。

ないのではなく、作らなければいけないのかも知れない。

 

 

 

感情の話。

どうしても落とし込むことのできないモヤモヤが晴れることなく漂っている。

考えないようにしても、沸々と憎悪のように湧いてくるこの感情を何とかしたいんだけど、今のところどうする術もない。

誰かに話してしまえばそれで解決する話でもない。

ただ嫁とホント幼児期からずっと仲良くしてくれている従兄にだけは話すことが出来て、それでいて共感してもらえている事だけが唯一の救いかと。

何なんだろうね。この中二病のような感情は。

ホント情けないんだけどな。

それでも、許せないものは許せないんだよ。

 

 

 

役員の話。

今年、地区の子ども会の副会長と言う、他の人から聞いたら絶対嫌がられる役員をやってる。

ただ実際やってみると、それに対してそこまで嫌悪する理由がなかった。

と言うより、サラリーマンやってた頃、毎週恫喝されて胃がキリキリしていたあの会議とかと比べると、ホント何でもないんだよな。

確かに、仕事がめっちゃ忙しい中で、会に出席したり、休みがイベントの手伝いでつぶれたりすると言う点はチョッとなぁ~と思ったりはする。ボランティアだし。

でも、それも今年1年だけなわけで、これまで他の親御さんがやってくれてて、うちの子どもたちもその恩恵を少なからず受けてたことを考えると、まぁ止む無しと言う感じ。

むしろ、どうしたって今の現状では子育て的なイベントは嫁の方がメインになりがちな中で、社会貢献にもなるし、かわいい子どもたちの為になると思うと実はやりがいもあって、悪くないんじゃないのかという気さえしてる。

それより何とも言えないのが役員の9割がお母さん方なこと。

オレの住んでるところがクッソ田舎だからなのか、ほとんどのお父さん方は子育てに関係すること、家庭に関係する事にはある程度距離を置いてるらしい。

家事もして、子育てもして、夜は役員会出席して、休みの日はイベントの手伝い。しかも、旦那さんは非協力とかだから、みんな嫌がるんだろうなとか、チョッと思ったりしてる。

まぁ、他人の家庭にとやかく言うつもりはないけど。

 

 

 

とか何とか色々書いてしまったけど、現状でまだ死んでないわけで、何とか生活できてる。

お仕事にしたって、こんなオレみたいなやつに依頼をくれているクライアントさんに対して感謝しかないし、文句を言うつもりは毛頭ない。

生涯童貞を貫くことに絶望を感じていた17歳のオレに、今の生活なんて想像できただろうか。

いつもこの話を嫁にすると「これまでがあったから、今があるんだよ」と、古代ギリシャ時代の因果律のようなお話をしてくれる。

それも多少はあるかもしれないけれども、どう考えてもあり得ないほどの幸運が重なりまくって現状があると思うんだよな。

これまでにあった本当にいろんな場面で起こりうる選択肢の数々で絶妙にいい方向を奇跡的に選び続けてきた気がする。

漫画家を目指して東京に行っていたらどうなっていたのか。

ミュージシャン目指して東京に行っていたらどうなっていたのか。

嫁の提案を無視して今の仕事をやってなければどうなっていたのか。

今の嫁と結婚しなければどうなっていたのか。

うつ病になっても会社を辞めずに続けていたらどうなっていたのか。

独立せずに就職活動をしていたらどうなっていたのか。

などなどなどなど・・・。

今の現状にはただただ感謝するばかりなんだ。それだけは、何があっても絶対日々考えている事。

まぁあれだな。

嫁があげまんだったんだろうな。

あと、守ってくれてる竜ちゃんが凄かったんだろうな。

あと、いつもなぜか身近で存在を感じてるじいちゃんばあちゃんたちのお陰なんだろうな。

希望としては、もう少しブログなり、4コマなりで、この奇跡のような楽しい日々を記録していきたいと言う事でございます。

4コマの方も再開しようかな。

それでは、また。出来れば近いうちに、どこかその辺りでお会いしましょう。

さようなら。

さようなら。

 

 

 

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2022年6月16日 2:19 CAT :

「ひとしこのみ」でタコ殴りされたパパス

うんこ漏らしまくるほどご無沙汰しております。

いやまじで。何やってんだよオレ。と言うくらいご無沙汰しきりで・・・もうこれは、あれですよね。見捨てられてありがとうございます。ピンヒールで踏みつけてもらってありがとうございます。だよな。

元々公開オナニーでしかないこのブログ。

年取ってチョッと性欲の落ち着いてきたおっさんなので、オナニーの回数だって減るんだよ。と言う事にしておこう。

さてさて。

この空いてる間にネタが一切なかったというわけじゃあないんだけど、それはまたいずれ、長々と書くだろう。(と言いつつ、ここ最近の感じからしたら、多分書かない気がしてるけども)

そんなことを全て差し置いてでも、今日は書かずにはいられない気分になってしまう事があった。

どこかに吐き出したい。どこに吐き出す・・・となると、ここしか思いつかなかったんだよ。

少しだけ戻りながら話す。

オレと嫁の会社さんも、なんとかかんとか創業1期目を無事終えた。(プライベートでは土地の事とか土地の事とか土地の事とかで全然順調じゃなかったけど)

色んな人に助けられ続けながら、当初目標にしていた予算の130%くらいの売り上げを上げることが出来た。もう上出来だと思う。

ホントよくやったよ。オレ。そして嫁。

クライアントさん、助けてくれた周りの皆さんには、感謝しても感謝してもし足りない。し足りないので、このまま2期目もよろしくお願いしたいです。

会社の方も、オレと嫁以外にも従業員が1人・・・あと、今月1人と9月ころに1人採用予定。

他にも、外注形式で一緒に仕事するパートナーさんもいたりして、まぁ、10人には満たない超絶零細企業ではあるんだけど、何となく会社っぽい感じにもなってきた・・・と思う。

今回の増員に当たってハローワークで求人をかけた。

ありがたい事にここ最近買い手市場になっている中で、たくさん応募が来た。

このくそ人見知りでずっと社会から拒絶され続けたオレが、今年の初めと今回とで10人以上の人の面接をしてるんだよ。何と言うか、ホント自分でもこんな事になるとは・・・と思ってる。

で、一応採用する奴が決まるには決まった。

決まったんだけど、実はまだ3人ほど面接の予定が入ってて、その人たちに対して会いもしないで「あ・・・もう決まったので、面接は結構ですよ」とか言えるはずもない。

かと言って、どうせ採用する気もないけど、世間体気にして一応会うには会ってやる。みたいな、くそムカつくゴミのような大人にだけはなりたくない。

これが折衷案なのかと言われれば、自信ないけれどもそんな状況の中でオレは「本当に良い人が来たら枠は埋まってるけど、それでも採用するつもり」で残りの面接を続行することにした。

クソ零細企業なので、ぶっちゃけそんな何人も雇ってる余裕はない。だから、チョッと厳しめに見ていこうと思ってた。

それでも「これはあああああああああああ!!」と言う人が来た場合には、それはそれで、一緒に頑張っていこうじゃないか。会社の資産だって多少はある。即倒産なんてことにはならないだろうて。

前置きが長くなったな。

そんな感じで、今日そのうちの1件の面接をした。

まぁ、ここまで書けば何となく分かるだろうけど、その「これはああああああああああああああ!」な奴が来てしまったんだよ。しかも、想定の斜め上の奴が。メッチャ頭を抱えるタイプが。

もう少し詳細に書こう。

まず、そいつは日にちを間違えて、面接予定日の前日に、しかも約束よりかなり早い時間にやってきた。その日オレは予定があって事務所にいなかったんだけど、そうしたら「気合入りすぎて早く来過ぎました。明日また来ます」って。

この段階で、個人的には相当好きな感じ。

そして、実際今日面接。

履歴書を見る。お世辞にも奇麗な字とは言えないガタガタの文字で書いた、イマイチ支離滅裂な文章。

オレは、その履歴書を読みながら、なぜか涙腺が緩んでしまっていた。

まだ10何人くらいしか面接してないけど、こんなのにも心のこもった履歴書を見たことがない。冷静に考えてみてほしい。就職面接で来た奴の履歴書を読んで泣くことがあると思うか。普通はないって。でも、あったんだよ。

履歴書は手書きでなければいけないと言う謎の慣習に対して、常日頃アホの所業だと思ってた。

効率化を無視した愚の骨頂であり、履歴書を手書きにさせたところで、人となりなぞ分かるはずがないと思ってた。

そんなオレが、手書きの履歴書を手に泣きそうになった。そのくらい心のこもった履歴書だった。

涙腺が緩んだ理由は、他にもたくさんある。

特に尋常じゃない共感性だよ。

その血が滲むほど心を込めて書かれた履歴書の内容が、オレが20代の頃、社会でズタボロにされ、自信なんて粉微塵にされ、それでも仕事をしなくてはいけない強迫観念から震えながら10時間くらいかけて書いてた履歴書とビックリするくらい同じだった。

うつ病で会社を辞めざる得なかったことも、パワハラでボコボコにされたことも、上司から戦力外通告されつつ自主都合での退職を強要されたことも、色んな職場で色んな職種を転々としていることも。

そして、志望動機や自己アピールなどの部分も。

圧倒的既視感。

なんだこいつは?

なんなんだ?

過去のオレが、オレの会社の面接に来たのか?

履歴書の段階で、もうどういう気持ちで今から面接を進めていけば良いのかわからない状態になってた。

今回の面接では一応自分の作品のポートフォリオを持ってきてもらう事になってた。

彼は、お金がなくてプリンターを持ってないらしく、しょうがなくコンビニで印刷しようしたら間違って写真印刷になってしまったと、プリクラみたいな状態になったポートフォリオを見せてくれた。

これを普通の面接官が見たらどう思うんだろう・・・

自分の昔と重ね合わせる。

15年くらい前、とある塾の職員に応募した時、オレは革靴を履くのを忘れて緑のスニーカーで面接を受けたことがあった。

その時のあの面接官の冷たい視線。「君はせいぜいパートまでかな?どうする。それで良ければ、面接してあげるけど」と馬鹿にしたニヤケ顔で言ってきたあのクソ親父を思い出したよ。

多分だけど、彼もオレと同じなんだと思う。どんなに頑張って気を付けてもこういうケアレスミスが出てしまうんだと思う

ではそれを、ちゃんとこちらの要求通りに出来ない役立たずだと鼻で笑って門前払いするんだろうか。

結局オレは、どこの会社に行ってもまともに扱ってもらえないまま、心をすり減らしてうつ病になり仕事が出来なくなった。

今でも正直、納期も全然守れないし、自分のタスク管理さえできない。ケアレスミスいっぱいで、クライアントさんからいつも指摘ばっかりされてる。

でも、丁寧な仕事をする事、心を込めて依頼に対して向き合う事に関してだけは、誰にも負けないつもりでやっている。と言うか、そこでしか勝負することが出来ないから。

その結果、こんな納期守れないミス続出野郎相手に、ずっと依頼をいただけるクライアントさんがたくさんいてくれて、そこから口コミでどんどん依頼が増え、独立以来1度も営業活動したことないのに、人を雇わないと回らない位お仕事をもらえるようになった。

大切なことは、ケアレスミスをしない事なのか。

オレがクライアントさんの立場なら、ミスは多いけど一生懸命やってくれる人と、ミスはしないけどミスした人を見下して鼻で笑いながら仕事してる人どちらを選ぶかという話だ。

プリクラポートフォリオがオレにはマジで凄く良いものに見えて仕方がなかった。

彼は面接の最後に、「人生ってつらいですよね」みたいなことをボソッと言った。

これね。オレも似たようなことを面接で言ったことあるんだよ。

その時の社長さんはそんなオレに対して「正直、今日の面接内容だったらお前は不採用だけど、しょうがないからオレが、人生つらくないって教えてやる。一緒に働くか?」って言って雇ってくれた。

結局そこの会社でもオレは長くいられなかったけど、今でもあの社長さんは大好きだし、めっちゃ尊敬してる。

「お前ホントミスばっかりだし、契約取れないし使えないけど、一緒にいたらおもろいんだよな」って笑いながら、いつもご飯をおごってくれた。

断ろうとすると「オレも昔はお前みたいだったから、他人ごとに思えない。断る位なら、今オレがするみたいなことを将来、お前が他人事に思えない若い子にあった時そいつに返してやれ」と言われたことを今も覚えている。

そういう人にたくさん助けられて、今も助けられてここまでやって来られた。

今、この目の前のかつての自分を見るかのような彼に対して、「ハイ。不採用。残念でした」で追い返したら、オレに対して信じられないほど良くしてくれたあの人たちに顔向けできない。

社員さんもいるし、オレにも家族がある。

そもそもたくさん人を雇えるような規模でも、職種でもない。

今日は取り合えず帰ってもらったけど、正直、心が揺れまくってる。

経理担当してくれてる嫁にも相談したけど、あと一人正社員を雇うのは現段階では厳しいらしい。

でも、オレが嫁に(↑)の気持ちを伝えたら、どうするか一緒に考えてくれることになった。

一つ言っておかないといけないことがある。

今回面接に来た彼は確かに、面接日を間違えるし、印刷ミスってそのままプリクラ持ってくるけど、まず話の受け答えを見る分に頭の回転は速いし、一緒にいて嬉しくなるほど価値観も近い。何より、ものすごく一生懸命で、勉強家。ポートフォリオ見たけど、センスも良いと思うんだよ。

普通に有能な匂いがプンプンとしてる。

別に可哀そうとか、自分の過去と重ね合わせて、自己陶酔してるだけじゃあない。・・・と思う。

これだけ有能くさいのに、ミスが多いとか人見知りとかそんなどうでもいい事のために、社会から爪弾きにされて、「人生ってつらいですね」って呟いてるってことがあり得ないんだって。

ただ、今の会社の規模と状態では、これからゆっくり育てていこうと言う正社員をほいほい雇える余裕はないんだよ。

かと言って、じゃあ、「縁がなかったと言う事で」とはとても出来ない。

現実と気持ちがずっと拮抗してて気持ちがふわふわ落ち着かない。

もう少し嫁と考えいく。

オレの独りよがりになって、前途有望な彼にとってマイナスになるような事があっては絶対にいけないと思ってる。そもそも、あれだけ頭良ければ、オレが手を貸さなくたって自分で何かを見つけてすごく良い感じになると思うんだよ。

ただ、そうなるまでの間本当に苦しい思いをする気がする。

オレがそうだったから。

その期間を少しでも減らして、少しでもうまくいくようにできれば・・・とかね、思ってるわけですよ。

即戦力になるすごい人が来たらあと一人雇っても良いかなと思ってたけど、このタイプは本当に想定外だった。

一応事業計画とか立ててはいたんだけど、その中でまったく想定してなかったケース。

帰り際、「本当にここで働きたいです。よろしくお願いいたします。」ってちょっと無理した笑顔で言った彼。

また、どうなったか決まった段階で、報告するかもしれないし、報告しないかもしれない。

何しか、一番いい形になれば何よりですたい。

人生は本当に色々あるね。

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2022年3月4日 3:21 CAT :

泣き叫んでも 助けちゃくれない 終わりのない恐怖におびえて生きるのさ

何から書けばいいのやら。

取り合えず、生存報告。生きてます。はい。と言うか、死んでないです。はい。

昨年はマジでクッソ激動の1年だったと思うんだ。

でも、昨年末嫁から「運気的には今年(2021年)は来年(2022年)の助走でしかないみたいだよ」と言う何とも不吉な話を聞いた。

その時には、ぶっちゃけ「何言ってんだよ。これだけ激動だった年が助走とか言ってたら死ぬっつうの」と思ってた。思ってたんだよ。

そして、今年になって早2か月が終わり3月。

その事にもまぁまぁショックを受けるんだけども、それはそれとして、これだけは言える。

去年は助走だったわ

文字大きくしてやった。

2000年代に流行ったテキストサイトみたいにしてやった。

「侍魂」とか「バーチャネットアイドルちゆ」とか懐かしいな。「探偵ファイル」も懐かしいな。MEGWINだけはまだ追ってるけど、大住さんとかどうなったんだろう。

まぁいいや。そのくらい言いたい。声高にして言いたい。

死にはしてないけど、なんかビビるほど色んな事があった。

それも今月はとかじゃなくて、週単位で。

「先週の日曜日はこんな事になるなんて思ってもなかったなぁ~」と、毎週末に思いかえす感じ。

週1でブログ更新?

4コマ週1で更新?

新作の小説を書く?

新作の短編漫画を描く?

ランナの続きを描く?

どう見ても農民体型の純日本人、中肉中背のオレでもハルバゴスになるって話ですよ。

そんな場合じゃねえよ。そもそも、お仕事さえままならないつ~の。

社員さんがいてくれるとて、今はまだオレが仕事しないと収入にならないんだよ。

それなのにオレがお仕事できないとか、このまま会社が潰れたらどうしてくれるんだ。クソが。

そんな非常に愉快な毎日を過ごしております。

全てが終わった暁には、全ての経緯を漫画にしてやろうと思ってる。

結末がどうなるかはまだ分からない。オレが再起不能なくらいズタボロになっているかもしれないし、想像を絶するカタルシスを感じられるような展開になっているかもしれない。

ただ今現在の状況でいうのであれば、「漫画やん!」と突っ込まずにはいられない状況だったりもする。

まさにこんな感じよ(↑)

ぶっちゃけ、このまま漫画にしてしまえば「現実はそんなご都合主義的にいかねえよ。はいはい。妄想ですね」と言われるような気がする。

実際オレも随所でそう思ってる。

大好きなシミュレーション仮説に置き換えて考えるのであれば、オレの人生はどちらかと言えば少年漫画寄りなんだろう。青年誌では絶対に受け入れられないわ。今起こってる展開はそんな感じ。

まぁそれも含めて、漫画にしてやる。「極ニュースチョクホー番外編」だ。

今年の創作活動の目標はそれに決めた。

もう新作漫画もランナの続きも全部来年だ。来年。

人生には山も谷もあるらしい。悲喜交々が何十にも交雑し、そして人の一生は紡がれていく。

オレ自身翻って過去を見た時、かなり精神的に来ていた時期や、実際物理的に来ていた時期もあった。記憶すら曖昧になっている時期もある。

それでも相対的に見れば、メッチャいい人生だと今のところ思ってるし、なんだったら、振り返ってみればどの時期も「まぁあれはあれで楽しかったな」と思えたりする。

だとすれば、今のこの状況もあと数年すれば「あの時はあの時でいろんな経験できたし、楽しかったよな」と思えたりするんだろうか。

いつの日か皆で笑いあえる日が来ることを信じて、今はただ目の前にある壁をひたすら上り続ける日々。

一つだけ言えることがあるとすれば、一生懸命頑張ることはきっと無駄じゃあないと言う事か。

そうなんだよ。

漫画みたいな今の展開は、例えご都合主義と笑われようとも、今まで生きてきた流れがなければ絶対的に起こりえなかった展開なんだよ。

自分で言うのものなんだけれども、尋常じゃない社会不適合者なりに一生懸命頑張ってきたんですよ。

息子のADHD診断で「お父さんが大変ですね」と言われる位なんだから、そりゃあ言い訳すれば逃げる事もできたんだろうけれども、それを選ばなかったんだよ。

こんなオレでも傍にいて支えてくれると言った嫁と一緒に頑張っていくことを選んだんだよ。

毎朝同じ時間に起きて、同じ場所に通い、他の人と同じことをする。と言う、誰でもできることが出来ず、人と話するだけでも毎回寝込むほどダメージを受ける。

人生の至るタイミングで出遅れまくって、苦しんできた

その割には、一生懸命頑張ってると思う。世間から見たら大した事ないだろうけど、元々の人間が大した事ないどころか、普通のはるか下の人間なんだから。

そんなこんなで騙し騙しやってきた日々がなければ、どうひっくり返っても今の展開なんかありもしなかった。

それだけは間違いない。

ならばこれからオレがすることは何かと問われれば。

それはもう、これまで通り一生懸命目の前にある課題に取り込むことだけ。

元々いらない心配事まで考え込んでしまう癖があるし、色んな事に気が向いてしまうんだけれども、それはそれ。

オレの人生は多分回り道が凄い。

昔から周りには「無駄なことばっかりしてる」と言われてきた。

でも時間はかかるかもしれないけど、オレの中ではそのどれも無駄なことじゃないんだよ。

人生の評価はどのタイミングで行われるべきか。

総評は死んだときだとよく言われる。

お葬式で泣いてくれる人の数が、その人の人生の評価だと。

だとしたら、その瞬間まで頑張るしかないんだろうね。

なんか良く分からない話になってきたので、今日のところはこの辺で。

おやすみなさい。

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2022年1月26日 2:27 CAT :

明けましておめでとうございます~サムネで釣られろエロ男2022

すんごい遅くなってしまったけど、明けましておめでとうございます。

まだお会いしてない、あの人やあいつとかその辺の特定の何人かに向けて、一応、もう一度。明けましておめでとうございます。

なんか昨年末もう1回くらいブログも更新したいよね。とか言ってたけど、まぁ、出来る訳ねえわな。

と言う事で、昨年の振り返りと今年の目標位を軽く書いておこうかなと思った次第でございます。

こう言うのを1年の計は1月にありって言うんだぜ。知っていたか。ワトソン君。

ただまぁ、なんか極ニュースチョクホーの方で、昨年1年間は、8コマにまとめてしまったんだよね。

オレの2021年は8コマにまとめられるくらいの容量だったという事らしい。

一応、そのマンガがこちら(↓)

うむ。

これでもかと言う位、2021年にあった事を網羅している。

そりゃあ1つ1つをもう少し掘り下げようと思えば出来たりもするんだけど、なんかそれもどうなんだろうか。

実は、チョッと前に「会社設立に対する思い」って記事を書いてたりする。

タイミングを逸したと言うか、書き切れないまま時が流れたというか、そんな感じで書きかけのまま放置になっていたりするので、多分、次回更新分とかその辺までに書ききる。

他にも、新都社のマンガの感想を書くやつもチョッとだけ書いて、こちらも書きかけで放置している。(これは、なんか色々あって新都社の方で更新しても良いかなと思い始めたりしているけれども・・・)

などなど、書くべき事、書きたい事はたくさんお有りのようなので、時間さえ見つけれられれば今年こそ、週1でのブログ更新を・・・もうすでにできてないけれども、せめて今からでもやりたいもんですな。

とか、思っております。

昨年の細かい振り返りはその時のネタとして取っておくとして(と言いつつ、結局書かないままになりそうだけども)超絶ざっくりと総評するなら、これはもう敢えて言おう。完全に全ての目標を達成することが出来た。・・・と思う。

これが、去年書いた目標を書いた記事⇒「戻れない過去の落書きは僕と影との1ページ

と言うか、これ見たら去年、目標立てたの2月入ってからじゃねえか。今年の方がまだマシだったのか・・・

4コマ日記を書き始めて、「Gの世界」を完結させて、事業を法人化させて、土地を手に入れて事務所の新築を進めてる。

十分だよ。新作マンガまで手が回らなかったんだけど、それでも十分だと思う。

その上で、今年だ。今年。

2022年の抱負を少しだけ書いておく事にする。

昨年は本当に「G」を描くだけでアップアップしてたので、今年はもう少し創作活動をいっぱいしたいと思ってる。

具体的に言うと、まぁ「極ニュースチョクホー」は毎週1本描くとして、それ以外に短編を何本か描きたい。実は、もう1月1本短編を描いた。「2人マイナス14年」と言うお話。

これ3部作だったんだけど、なんか続き描くのが怖くなったので、残りの2話は投げ捨てるとして、それ以外に・・・出来れば「パラフィリアグロッサリー」とか「ゴキブリ男の人生」とかこの辺りのお気に入りの話を短編として描きたい。

他に、久々に小説を書きたいんだ。候補としては、過去にとあるコンテストで入賞した自信作「夢喰いバクヲ」のリメイクか、ニュースチョクホーシリーズの第3弾「超ニュースチョクホー」のリメイクか、2万文字ほど書いてる「老人は子どもに励まされた」を完成させて発表するか。

この3つの内のどれかを。今のところはこの中でも「超ニュースチョクホー」書こうかなとチョッと思ってたりする。

あとは長編マンガだ。

新作「あやつり」か「始まりは終末」を描き始めるべきか、「ランナ」を定期更新してちゃんと完結させるべきか。

気持ちとしては「ランナ」を描きたいんだけど、あの話長いんだよな。全部描き切るとなると、まだ何年かかかるから、チョッと躊躇してる。

やるとしたら今止まってる「コロッサ編」のネームを全部描き切って、そこから少しずつ作画作業に入る感じだよね。

実は、PCを新調しようと思ってるんだけど、今度のグラボはなんと4枚出力にして貰った。

今、モニター3枚なので、残りの空いた1つを使って、遂に液タブに手を出そうと思ってたりしてる。

どうしても未だに板タブだと作画に凄い時間がかかってるので、液タブになる事で単純に作画時間自体も削減できないかなと。

あとはあれだ。「ヤンディール制作」のセカンドアルバム制作だけど・・・これは、なんか今年も無理臭いよな。

取り合えず、コロナ落ち着かないとなぁ。来年完成とかになると、時事ネタとか使った曲は書き直ししたいし、結局、今できてる10曲の内「ヘレニックアンセム」と「ゴキブリ男の人生」以外の全曲書き直した別物が出来上がりそうな・・・これは今年は、考えないようにしよう。

創作活動については、こんな所か。

で、それ以外の目標としては、今年は何をおいても家の完成。これですよ。これ。

色々イザコザがあって、延び延びになっちゃってるけど、さすがに今年中には完成して引っ越したい。まぢで。

あと会社の方は昨年より大きくなることはほぼ既定路線っぽい感じ。だけど、その既定路線から外れないように舵取り頑張らないといけないよな。これで、今年しょぼくれたら、もうそれは100%オレのせいだろうし。

お仕事頂いてる感謝してもしきれないクライアント様様に対しては、最大限の感謝を込めて対応させてもらうのは当然として、人雇ってしまった以上、その人たちの生活も守らにゃならんし。そっちに向いても極限まで誠意を込めて対応する。これについては、本当に出来ているのかチョッと不安になったりはしてるけど、これを払拭する方法は心を込めるしかない訳だし。

少なくとも気持ちよく働いてもらえるような環境を作りたい。

あとは、コロナ次第だよな。

コロナが落ち着くようなら、久々にチョッと遠くまで旅行に行きたいな。

なんかお仕事で沖縄行く機会も出来るかもしれないし、それとは別で、四国を脱出したりとか・・・

でも、これはホントコロナ次第。

さすがに今の状態で、強行する勇気はないんだよ。

最後に、家族で仲良く。

なんか、色んな人に「ご家族仲いいですね」って言われたりする。

当たり前と言えば当たり前かもしれないだけど、良くも悪くも家族なんだよなぁ。

良いんだよ。

良いんだけど、オレの思ってる「仲いい」ってやつと何となく違う気がする。

まぁ、よその家族の事もよく知らないので今の状態で本当に仲良しなのかもしれないけども。

学生時代とかの不遇具合も相まって、必要以上に仲良くしたいのかも知れない。

嫁も子どもも、そこまでは求めてないみたいなのは薄々感づいてるし。

ただ、これはどうやれば良いんだろうかね。

答えは雲の上ですな。

最後に、今年入ってから、オレとか嫁には竜が付いてくれているらしいというお話。

実際に、色んな所で竜ちゃんを目にするようになったので、出来るだけ毎日竜ちゃんを見つけて、その竜ちゃんを絵に描いて残しておきたいと思っております。

取り合えず、今日見た竜ちゃん。

いや、薬やってて、幻覚見てるという訳ではないんです。まぢで、竜ちゃんがいるんだよ。別に誰かに信じて欲しい訳じゃあないから、別に良いけどさ。

元々オカルト大好きだったんだけど、それにスピリチュアルな感じも入ってきた感じだろうかね。

会社じゃなくて、宗教になってしまったら、ごめんなさい。

と言う訳で、尿検査歓迎の2022年の目標はこの辺りにしておこう。

次回は「20年笑われ続けた起業活動」みたいな話とかその辺を。

忘れないように、メモメモ。

そんなこんなで・・・

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2021年12月18日 4:26 CAT :

鬼が笑う来年の話もチョッとだけある「おっぱい」ぶりんぶりんオナニー話2021

前回の話書いてから、また随分とご無沙汰してしまった。

正直、ブログと描いてる場合じゃねえよ。な感じも満載な日々をお送りしてるんだけれども、不意に深夜、急激にムラムラしてきたので、チョッとだけ「言葉」と言う名の精液でもぶち巻くオナニーがやりたくなってしまった次第でございます。

その前に、漫画を描きたくてうずうずしてるし、年内には「G」を完結させるんだよ。

あと「極ニュースチョクホー」も年内に100本目までは書こうと思ってる。

やるよ。

それはやるって決めてるんだけど、ま~~~~~~~~~ったく着手出来ていない現状。

簡単にだけ、ここ最近のお仕事の話とか心持ちの話とかを書き綴っておこう。

一応、今年の春に事業を法人化した。晴れて、志茂田社長になった訳なんだけど、とは言え、副社長の嫁と二人でのほほんとやってる感じで、まぁ、言ってみれば基本的な事は何にも変わらないでやってたんだ。

ただ、そんな事も言ってられなかった。

世の中の流れは、オレの想定の500億倍くらいの速さで流れていく。

こんなクソ田舎で細々とお仕事やってるオレなんかに、お仕事を回してくれる、本当にくっそありがたい皆々様がいっぱい居る。

これについてはただただ感謝しかない。ありがとうございます。と、その心だけは忘れないで、誠心誠意お仕事には取り組んでるつもり。

反面、オレ一人の力で出来る所の限界も近づいてきていた。

実際、今年は盆明けくらいからほぼほぼ休日なしで、力尽きたら寝る。起きたらまた仕事をする。土日は、チョッとだけ夜まとまって寝られる日。と言う、生きてるんだか死んでるんだかよく分からない「まつりちゃんサイクル」でやってきた。

それでも、クライアントさんに納期を何カ月も待ってもらったりしている現状。

オレはどこに向いて、何をやってるんだろう。

子ども達と遊ぶ時間も無くなって、仕事貰ってるクライアントさんにも迷惑をかけて、自分では休みもなしで体もボロボロになってる。30年ぶりに喘息が再発した。

なんか違う。

なんか違う。

なんか違う。

なんか違う。

なんか違う。

なんか違う。

そんな事が頭をよぎり始めた。

もちろん、今の現状は自分で選んだもので、正直サラリーマンしてた頃と比べると、精神面でも収入面でも話にならない位いい感じになってきてる。

それはそうなんだ。だがしかし!だ。

気が付いたら、また、訳の分からないところに迷い込もうとしてた。そうじゃないだろ。

そんな時にひとつのタイミングが来る。

知り合いの社長さんが高齢で会社を閉める事にしたと言う話から始まる。

その社長さんの会社で今いる社員さんを引き取ってくれれば、仕事もそのまま全部引き継いでもらって良いと言う・・・しかも、その引き継ぐ仕事の中には、「そんなでかいところとオレが取引するんですかい?」と言うようなものもあったりする。

それを契機に色々考え始めた。

会社を組織化すると言う判断。

経営者目線で言えば、当たり前と言えば当たり前かもしれないけど、人付き合いが嫌で好き勝手したいからと言う理由で一人でやってきたオレにとっては、その決断はかなり勇気のいるものだった。

それでも、今の生活を続けてたら絶対すぐ死ぬ。しかも、子どもや嫁と共有する時間を削りまくる生活をした果てに。しかも、オレを信頼してお仕事をくれているクライアントさんにクソ迷惑をかけて・・・

結局、数ヶ月悩んだ末に、この決断を下し、人を雇って会社を組織化する方向でここ2カ月ほど動いてた。

それはそれで、別の忙しさが色々出始めた。書類関係とか、所定の機関に足を運んだり、仕事の割り振りを決めたり、そもそも就業規則決めたりとか・・・

実務以外の仕事がメッチャ増えた。昼間は人と会ってきて、夜に机の前で実務をこなすと言う感じ。

結果、ついにブログはおろかマンガを描く時間も取れなくなり「G」の定期更新もできなくなった。年内に最終話を描くと言うスケジュールの凄い下方修正も余儀なくされた。

ついでに、社員さんの生活を守らないといけないと言う責任感も付随してきた。

社員さんに気持ちよく仕事して貰って、幸せな人生を過ごしてもらいたい。

決してオレみたいに、恫喝されて、追い詰められて鬱になって退職するようなことが無いように。と。

世の社長さんは本当尊敬するわ。

こんな感じになるのか。一人で気楽にやってるのとは全く世界が違うよ。おとっつぁん・・・

そんなずっと白目向いてた生活が、1カ月くらい経ったのか。

もうすこしで2か月なのか。

まぁ、その位だ。

感覚がチョッと麻痺してきた。

と言うと語弊があるけど、超人見知りなのに週の半分くらい人と打ち合わせしていることも、肩に乗っかる責任が増えた事も、なんか気にならなくなってきた。

結果として、11月(あとおそらく12月も)、売り上げ面は、給料、その他、人を雇うための経費や設備代を支払っても全然問題ないくらいに爆上がりした。

今まで、何カ月も納期を待ってもらってた仕事もガンガン仕上げられてる。

一人で抱え込んで「絶対間に合わねえよ」と思ってた仕事を「ここ手伝って」と割り振る事で、苦手だったことや、時間のかかってた事をやってもらえるようになり、自分でやる仕事が前よりスムーズに進むようになった。

人に仕事を振るようになってから、抱え込む癖が無くなって、嫁にもヘルプ出すようになった結果、会社経営に嫁もかなり参加してくれるようになって、一緒に会社をやってる感じにもなった。

何より「納期ヤバい!」「協力するから何とかしましょう」と言う、このコミュニケーションがある事で、追い詰められてた気持ちがかなり軽くなって、12月めっちゃ忙しかったのに逆に心穏やかになってきた。

今のところ。と言う前置きをした上でだけれども、実は良かった決断だったような気がしている。

これからの課題としては、会社を大きくすると言うよりは、社員さんの生活含めて、皆安心して長く一緒にやって行けるように、会社を存続させていくことだと思ってる。

現状ではまだ信じられない位忙しい毎日で、全く余裕なんかないんだけど、基盤が出来てくれば仕事量を維持しつつ、納期でお待たせすることもなく、オレも休み取って、すごく良い感じの生活が出来るような感じがするんだよね。

超絶後ろ向きに会社を退職して、鬱が激しくて就職なんかできるはずもない状態で、家族を養うためにフリーで仕事を取り始めた7年前には、想像できるはずもなかった状態の中にいる。

(人生で本当に一度だけとは言え)嫁に対してさえ「もう離婚だ」って言ってしまったくらい人間不信にもなってたあの頃は考えられもしないけれども、この7年間、周りの人に助けられて助けられて助けられて何とか生きてきた。

今も助けられて、それだけで生きていってる感じ。

人と人の繋がりとか、縁と言うものがこんなに大切なのかと、心底思うようにもなった。

人生観が自分でも引くほど変わってしまった。

「多少お金がかかったとしても、縁があったんだからあの人のところでお願いしよう」と言う、地元の小さな電気屋さんが存続する理由が、今は痛いほどわかる。

オレもそう言う気持ちで色んな人と繋がってる。

相手がどう思ってるかは知らないけど、少なくともオレは感謝の気持ちを込めて、そう思って行動してる。

人生は何があるか本当に分からない。

女子との総合会話時間10分にも満たない暗黒の学生時代をリストカットと一緒に過ごしたオレが、今や、嫁も子もいるんだ。と、ずっと言ってきた。

でもそこに、鬱で退職したまま人間不信になり社会復帰できずに貯金食いつぶして死にかけたオレが、今や、色んな人と一緒に会社を経営するようになったんだ。と言えるようになったんだ。

個人的な感覚で言うなら、人生2回目のV字回復。いや、それは調子に乗り過ぎか・・・まだ、分からねえもんな。

まぁいいか。

そんな、2021年。

振り返るにはまだ早いかも知れないけど、相当激動の1年だったよ。

まだここから何かあるかも知れないけど。

それでも、何が起こっても、オレにできる事は目の前にある事をコツコツやっていくだけ。

オレみたいなうんこ人間に出来る事なんか、ホントしょうもない事だけなんだよ。

でも、それをずっとコツコツ続けるだけ。

1日1日は大したことなくても何年も続ける事で、しょうもない事も形になるらしい。

自分に重ねてそんな事を思ったここ数カ月でございました。

ただ忙しすぎて、記憶がおぼろげなんだけども。

そして、来年はチョッと暗雲と言うか、いくつかの不安材料を抱えてたりもする。

来年はのんびりとした1年でありますように・・・

おっぱいぶりんぶりんの参考画像。

後年内に1回くらい、振り返りがしたい・・・

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2021年10月3日 2:07 CAT :

「田代まさしのお久しブリーフ」を楽しみにしていたのがもう12年前と言う事実をネタにオナニーする宣言

まぁまぁご無沙汰になってしまっております。

何とか生きてるよ。って言う事に関しては、まぁ、別に敢えて言う事でもない上に、大体察して貰えてるような気がしないでもないんだけれども・・・取り合えず、色々あった。

色々あって気が付けば前の投稿から2か月も空いてたと言うね。

何というか、まぢでここ最近の時間の流れの尋常じゃない速さはどうにかならないもんだろうか。これ。

原因は不明なんだけど、子どもの頃ずっとオレを苦しめてくれていた持病の喘息が、突如再発した。

ここ数年かけて、徐々に悪化してきていて、遂に限界を突破して具体的に体にメッチャ出た結果、色んな所に支障を着てしていた感じらしい。

検査の結果、オレの肺は一般男性の20%程度にしか機能してなかったんだって。

で、その治療のため、7月~8月くらいの間ホントに大人しくしてた。

ブログはもちろんの事、漫画も描いてないし、マイクラもしないで、無理しない程度にお仕事して、日付変わるくらいには寝る。と言う、何とも人間らしい生活。

あと、変な吸入器みたいな薬とかを投薬されてた。

この辺は、先走り汁タラタラで、「極ニュースチョクホー」の方で描いてたりもするけれども。

今はもうかなり良くなってきて、よく言う「小康状態」になってる。

お仕事とかの感じも元に戻ってきて、漫画も少しずつ描き始めた。そして遂にチョッとブログの記事でも更新しようか。となれたわけでございます。

良かった良かった。

たらればで申し訳ないけれども、あの喘息がマックスの時に、コロナにでもかかってたらほぼ100%死亡してたんだろうな。

いっそ死んでしまった方が楽だったような気がしないでもないけど、目に入れたら痛くてしょうがない子ども含めた家族もいらっしゃるのでそうもいかない。

オレは、孫を見るまでは死なねえんだよ。

もしくは、漫画のすべてを描き切るまでだ。

(↑)そんな感じでございます。

また、週に1回くらいブログの方も再開しようと思ってる。

別にこんな、アラフォーのおっさんが公開オナニーで気持ちよくなって色々な汁をぶち巻いてるだけのブログに果たしてどれだけの価値があるのかと言う感じもしないでもないけれども・・・

まぁ、それを言い出したら、家族にちょっと気を使いながら悶々とオナニーして出した精子にどれだけの価値があるのかって言う話になる訳じゃあないですか。

結局大切な事は、自分が如何に気持ちいいかと言う事。

これに尽きる。

お仕事では色々頑張ってるつもりなんだから、プライベート位気持ちよくならせてほしいもんだ。マンガでも、ブログでも。

そんな感じで、ここ最近のマンガ描いてたよ話を少しだけ。

 

 

 

週1に変更したけど、「極ニュースチョクホー」と名付けた4コママンガは、コツコツ描いてる。チョイチョイ飛んだりしてるけど、何と1年続きそう。もう少しで100本に到達するよ。

これはこれでなかなか凄いと思う。

オレの場合、唯一出来る事がコツコツ継続することだけだから、これはこれで良いと思うんだ。

この4コママンガ、ずっとtwitter上でアップしてたんだけど、さすがに100本近くなってくると過去のアーカイブがあった方がいいよなと思い至りまして、「まんがおきば」さんにアーカイブとしての文字通り漫画置き場を作った。

「サナダムシより細く長く」

(↑)ここから飛べるよ。

で、お絵描き再開の最初のリハビリとして、このアーカイブ用のトップ絵を描き下ろしたりもした。

おっさんの肛門から出てきているサナダムシを女の子2人でいじって遊んでいると言うイメージで書いてみたけど、描いた事もないシチュエーションだったもんで、あんまりうまく描けなかったよな・・・そして、こんなシチュエーションを描く機会があとどれだけあると言うのか。

一応ここでは、過去にブログ形式でアップしてた「サナダムシより細く長く」って言う4コマも一緒にアップしております。

マルチアップロードを許してくれている「まんがおきば」さんは、なんかまぢで気軽に使えてありがたい存在だ。ありがたやありがたや・・・

 

 

 

これとは別で、過去に数年間運営していた「志茂田さんまんが堂」。

これがもう新都社さんで作品を発表していく上で、1ミクロンも寄り添っていけない存在だったので、完全にリニューアルさせた。

どうしたかと言うと、シンプルにただ、過去にアップしたマンガの一覧を載せてるだけの紹介サイトにしてしまった。

デザインも何もなく、ただ漫画の絵を並べただけ。

ホントにそれだけ。

で、新都社さんに掲載してる奴は、そのリンク集から新都社さんの方に吹っ飛んでいく仕様。

これなら問題なかったはず。他にも、こういうのやってる先生方色々見てきたので・・・

今回、このサイトを作る上で、今後のアップ作業も簡単にしたかったので、今をトキメクwordpressを漫画が簡単にアップできる仕様にカスタマイズした。

ぶっちゃけて言えば、「まんがおきば」さんのUIに近い感じのイメージをオレのマンガをアップするためだけにわざわざ無駄に構築した感じ。(使うのがオレだけだから、すっげー適当にだけど)

もちろん基本的に今後も新作については「新都社さん」もしくは「まんがおきば」さんの方で発表していくつもり。

このサイトの方で更新するものと言えば、すでに過去にチョッと公開してしまって新都社さんでは公開できない「やみ。世界」とか、あとは、アップはしたいけどあんまり人様の目には触れさせたくないと言う微妙な立ち位置のマンガ「first end」や「marionette」とかになるか。あと、元ネタの方の「ランナ」や「G」とかも、今後はこっちでアップしてみても良いかなと。

そんな、尋常ならざる糞マンガをアップするためだけに、ここまでカスタマイズとかする必要あったのか。と、今更ながらチョッと思う所もあったりなかったりします。

一応、そのマンガまとめは(↓)

志茂田まんがまとめ

スマホ対応はまだしてない。また、暇なとき見つけてコツコツやっておきます。(多分)

いやしかし、自分で好き勝手にデザインを作れるってらくちんで良いわぁ~

まぢで。まぢで。

 

 

 

最後に、「Gの世界」について。

今年中に完結する事を目標にしてたのに、(上記の喘息とか何やらで)気が付けばそれすら危うくなってたので、9月半ばに急いで再開した。ホントはもう少し書き溜めてから再開したかったんだけども・・・

何話か書いた後ふともうこれ以上止まったら目標達成できない・・・と焦りはじめ、「これもう先にネーム仕上げておいた方が良いんじゃね?」と考えた。

で、ここ2週間ほど、ネームだけとずっと向かい合ってきた。

その結果・・・

・・・・・・

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

書きあがりましたよ。

「Gの世界」最終話までの全ネームが。

なんかもう最後の方とか、描いてて自分で泣きそうになってた。

思ってる以上にちゃんとまとまったような気がしている。

ただ、内容詰め込み過ぎたなと思って、敢えて説明調になった場所をバッサリカットしたりもしたので、果たして、どこまでこの内容で読んでもらえるのかは、チョッと不安ではあるけど。

まぁ、元々超不人気マンガだし、そこはそれ。

気にしないで、しっかり最後まで描いていく。

マンガ描く上で、作画じゃねえんだよ。筆が止まる原因は、100%ネームなんだよ。

ネームが全部出来上がっている今、恐れるものは何もない。

ただ淡々と、完結までの残り100ページほどを作画し続けていくのみ。

最後がちゃんと描けているかどうかは、個人的に結構大切だと思ってるので、気合入れて残りページの作画やっていきやす。

 

 

 

とまぁ、そんな感じで。

来週こそ、書く書く詐欺になりつつあった、新都社マンガレビューの第2弾を更新するつもりでおります。

ただし、絶対書くとは言わない。

じゃあの。

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2021年8月4日 11:30 CAT :

無修正で見るよりもモザイク付きを見て向こう側を妄想する方が興奮できるお年頃

藤本タツキ先生の読み切り「ルックバック」。

読んだ瞬間、これはメッチャ素晴らしいな。名作だな。とは思ったけど、まさか、京アニの事件と統合失調症を結び付けるような描写があると言うそんなアホみたいな点で、修正させられるとは思わなかった。

作品自体の論評については、別に良いんだよ。

オレは名作だと思ったから。

ただ、この修正と批判については、チョッと言いたい事があったんので、書いてみた。そしたら思いが溢れてきたと言うか、結構長々となってしまった。

こういう話については、ツイッターとかで文字数制限の中で書くよりは、絶対ブログみたいなところでちゃんと長々と自分の意見を書いた方が良い。

SNSがどれだけ流行っても、オレはこの形式が良いと思っております。

さてさて。

「ルックバック」の不適切表現の修正について。だ。

ただ、最初に行っておくと、この件について、ぶっちゃけ経緯とか良く分からない。

なので、裏でどんなことがあったとかそういう話は取り合えず抜きにして、単純に編集部の出したコメントと、実際に修正されたマンガを読んだだけと言う状態で、人の気持ちが分からない本来なら保護と言う名の隔離をされるべきキチガイ障害野郎が好き勝手に憶測100%で書いておりますので、悪しからず。

とか、予防線だけ張っておこう。

では、本題。

この漫画を読んだ人の中で「あ、この話京アニの事件を一部モチーフにしてるわ」と思った人は割と多かったと思う。

でもこの漫画を読んだ人の中で「京アニの事件と結びつけられたせいで、統合失調症の人が変な風に見られる」と思った人はこういう話にクレーム入れるのを生きがいにしてる人以外あんまりいなかったと思う。

むしろ、この修正のせいで「統合失調症の人と京アニの事件って関係あったの?」みたいに余計な部分に興味を持った人の方が多かったと思う。

差別とか平等とかについてオレが昔っからずっと言い続けてるのは、ネタにできるようになって初めて平等だと言う事。

例えば、統合失調症のヤツと友達だと仮定する。

オレはそいつに対して「こいつ統合失調症のキチガイだから、すぐ変な妄想に取りつかれるんよね。気持ち悪ぅ~」ってバカに出来て初めてそいつと仲良くなれる気がする。

逆にそいつがオレに対して「発達障害の奴って、クソアホだから誰でもできる簡単なことも出来ない役立たずなんだよね。オレが手を貸してやらねえとすぐ死ぬ屑だわ。」とバカにしてくれたって、オレは「世話になってまぁ~す!」ってケラケラ笑ってると思う。

平等ってこういう事じゃねえの?

実際最近、「この志茂田さんは、頭おかしいし、ADHDだけど能力高いし、面白い人だよ」みたいな紹介されたけど、別に何とも思わなかったな。ケラケラ笑ってた。

ここから「頭おかしいし、ADHDやけど」の部分を省かれた紹介をされた上で、後から、「この人はADHDです。表現には気をつけましょう。」とか「志茂田さん扱いマニュアル」みたいなのがオレの知らないところで作られてて、皆から腫物扱いされる方がよっぽど傷つくわ。

今回のルックバックを読んだ「統合失調症」になってる人のほぼ100%が、「このマンガのせいでオレの立場が悪くなるな」とは思わなかったんじゃないかな。

こういう事言うヤツは、大体が勘違いした正義漢気取りのキチガイクレーマーか、車いすに乗ったちっこいおばちゃんみたいな自己顕示欲と利権のために障害を利用としてるクズ。もしくは、それに乗せられてしまった自分で何も考えられないアホなんだよね。

あんまり好きじゃない漫画家さんだけど、佐藤秀峰って先生の「ブラックジャックによろしく」と言う名作漫画がありまして・・・その中で、「キチガイ」をテーマにした「精神病棟編」がある。

オレは、このシリーズを読んだ時、本当に目からウロコだったんだよ。

この漫画では、池田小の事件をモチーフにして、あの事件を起こした男と統合失調症の扱いについて、結構踏み込んだ内容を描いていた。

マンガの中で、「事件と病気を結び付けてマスコミが印象操作することで、一番被害を受けるのは、統合失調症を患わっている普通の人たちだ」と何度も訴えていた。

今回の「ルックバック」の件についても、同じことが言えると思う。

別に良いんだよ。京アニをモチーフにした事件を漫画に盛り込んでも、その犯人が統合失調症っぽい言動をしたとしても。

それが事実かどうかも、そこに作者の作家性がどう出ていたかも関係ない。

一番問題なのは、「統合失調症の人はキチガイなんだから、こうやって漫画の中でそれを匂わす表現をするんじゃない!」と抗議することで、「統合失調症=危ない=触れてはいけない」と言う印象操作がなされてしまう事だと思う。

オレがここ最近、自分がADHDとか重度の発達障害とかそんな事を意識させられて、劣等感を感じ始めてるのは、ぜ~んぶ100%世の中の(↑)みたいな自称正義を振りかざしてるキチガイどもの「ADHDは頭おかしいから、普通と一緒に混ぜたら可哀そうだ」と言う狂気染みた偏見と差別のせいなんだよ。

それに関しては、本人であるオレが言ってるんだから、誰にも何の反論もさせない。

お前らキチガイのせいで、オレは肩身が狭い上に、自分に対して劣等感を無理やり押し付けられてる。

今回のこの件も、確実に世の中の統合失調症を患っている人にとってマイナスの影響しかない。絶対にない。絶対にだ。

障害も個性のうちなんだろう?

病気は誰でもいつなるか分からないもんなんだろう?

もし、この理論で行くのであれば、「絵を描くのが上手い人を描いた問題表現がある」とか「友達と仲良くしている表現には傷つく人がたくさんいる」とかそんな部分にもクレームも入れてみろよ。

個性とか病気を内容によって良い悪いで分けて、一番差別してるのは、こういう事に対して声を上げて、自分は良いことした気になってるキチガイどもなんだよ。

こいつらを駆逐しない限り、この世界から差別はなくならないと、この歳で発達障害の烙印を押されたおっさんは思っております。

一人ひとりに個性があり、考え方があり、生き方がある。

それを全て十把一絡げにして、曲がった正義の元にクレームにすること自体が、同じ人間として見ていない、差別と偏見に満ちた考え方だと思ってるんだけど、どうだろうか。

統合失調症を患っていて変な幻覚にとらわれて犯罪を起こす人間もいるだろう。

でも、風邪をひいて倦怠感とイライラから犯罪を起こす人間だってきっといる。

そういう人に対して「風邪をひいてた人間=犯罪を起こす危ない奴=触れちゃいけない」と言う式が成り立たないように、統合失調症でもこの式が成り立ってはいけない。

統合失調症もただの病気の一種でしかない。

「ルックバック」の中で、殺した男が「風邪をひいて寝込んでる時に、楽しそうな声が聞こえてムカついたから乗り込んだ」と言う表現だった場合、頭のおかしい男がたまたま風邪をひいてただけだと受け取るはず。

これに対して「風邪をひいた人への偏見になるから」とクレームを入れたりはしないって。

マスコミの報道でも、事件を起こした人間が風邪をひいて内科に通院してたとしてもその通院歴を報道することはない。

でも、統合失調症を患って精神科に通院してたら、その通院歴をここぞとばかりに取り上げる。

ここに違和感を感じないのであれば、それはもう完全に「統合失調症=危ない奴」と言う印象操作が完了してしまっている、結構危機的な状況だと思う。

忘れないでほしい。このクレームを入れた人たちは、統合失調症という誰にでも起こる可能性のある病気に対して「発症してる奴はキチガイ」と言う強烈な差別意識を持った人たちだと言う事を。

もう一つ問題なのは、この強烈な差別意識を持った人間に訳の分からない配慮をして、修正を行った編集部。

統合失調症を患ってる人が「この漫画を読んで、ひどく傷つきました。訂正してください」と言ってきたのなら、まぁ、それもしゃあないかなと思うけど、十中八九差別意識だけ高い関係ない人だと思う。

そんな人たちに迎合すると言う事は、編集部としてもこの差別行為に加担していると言う何とも残念な話でしかない。

なんかさ、昔の日本のメディアって、こういうクレームに対して「別にそういう意図はありませんので、修正しません」って突っぱねてたらしい。

実際、そういう意図はないんだし。

でも、これを「修正する」って事は「そういう意図があった」と言う取り方になるんだよ。少なくともオレは。

オレ個人の感じ方で言えば、昔の方が差別意識はなかったと思う。

発達障害で、ここ最近まで差別的な事を受けてこなかった。

もちろん人間として否定されて、色々辛い思いもしてきたけど、それは、オレ個人の人間を、他の人間と平等に並べて、オレが気持ち悪い奴だったからであって、障害の有無は関係なかった。

因果関係の問題じゃない、オレがハブられてた理由は障害のせいじゃなくて、平等に人として見た上でのものだったからだ。

今の時代ならオレは、障害を理由にして差別されて、皆とは違う場所に隔離されるんだろうな。

考えただけでも恐ろしい。

それだったら、人間として否定されて、砂漠の砂鉄のような扱いを受けて、クラスでなんかある度に吊し上げられても、皆と同じ教室で同じ勉強が出来ている方がよっぽど良かった。

もちろん、そうじゃない奴だってたくさんいるだろう。

だから十人十色だって言ってるじゃねえか。

本当に差別意識なく、一人の人間として障害者を扱う気があるのなら、対応の仕方もそれぞれの人間に合わせるべき。

それが出来ないなら、雑にまとめて「どうせキチガイなんて、ノータリンだから、こんな感じだろう?」って言う対処の仕方なんかしない方が遥かにマシだと思う。

今回のこの件に関して、オレは「クレームに対して【そういう意図があった】ことを明確に認め修正した編集部の対応で障害を抱えているおっさんとして物凄く傷つきました」と言っておく。

別に、編集部に対してクレームは入れないけど、言っておく。

その修正はいったい誰のために、誰に向けて行われた修正だったのか。

藤本タツキと言う天才漫画家の表現を捻じ曲げてまで行う必要のある修正だったのか。

今一度、考えてみて欲しいもんだ。

 

 

 

これ、いつもの記事の中のひとつのネタくらいに考えて書いてたんだけど、気が付いたら、物凄く長くなっちゃったので、ひとつの記事として上げっちまおう。

これを描いてたせいで、いつもの4コマ描いてる時間が無くなっちゃったけど、まぁ、それはそれ。

後悔はしていない。

じゃあの。

 

 

 

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2021年8月1日 3:36 CAT :

つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしオナニーにふけりけり2021 その7

今週も、新都社マンガのレビュー第2回を書こうと思ってたんだけど、なんか、思ったより時間がかかってて、書けそうにないので、当たり障りのない感じの内容でお茶を濁しつつ、来週こそあのなんか癖になった不条理マンガについて熱く語りたい次第でございます。

と言うか、全くマンガが描けない。

オレの唯一のアイデンティティが、日々の悲喜交々に忙殺されていくと言う現状は果たして良いのかどうか・・・

アーリーリタイアと言う概念があるけれども、オレもアーリーリタイアして、ギター弾いたり、漫画描いたり、マイクラしたりしながら、ダラダラしたい。

でも、結局はお金か・・・お金だよな・・・

最近、毎日「オズワルド」さんの漫才ばっかり見てます。

 

 

 

●面接してきた

知り合いの社長さんから「志茂田さんとこで雇ってあげてみない?」と人を紹介され、その人と話をしてきた。

世間的に言うと、面接だよな。これ。

ついに、オレが選ぶ立場になったのか。とはいえ、偉ぶっちゃだめだ。所詮、砂漠の砂鉄の一粒なんだ。と言い聞かせながら、約束の場所へ。

面接してきた。

「何が出来ますか?」って聞いたら「デザインとか、プログラムは全くですが、ネットワーク系はある程度できます」と。

・・・それは、オレが欲してる人材なのか?と言われると、何となくこの段階で違う気がする。

とは言え、せっかくなのでもう少し突っ込んで聞いてみた。

「ネットワーク系と言うのは、具体的にはネットワークの構築とかをされてたと言う事ですか?例えば、社内のPCのネットワークを構築したり、後その辺のセキュリティーとかをお願いできますか?」

「いや、そういうのはチョッと・・・」

「じゃあ、AWSとかの領域でサーバー構築とか・・・」

「いや、それも出来ないです」

「??社内のメインサーバーの運用とかその辺の・・・」

「それも無理です」

「?????????????すみません。ネットワーク系って、以前どんな事されてたんですか?」

「ルーター使って、wi-fi繋いだりしていました」

・・・と言う事でした。

オレも常識がある人間じゃないからこの辺の事良く分からないけど、世間ではwi-fi経由でネットに接続できれば、それはもう職業面接で「ネットワーク系はある程度できます」と言って問題ないもんだろうか。

うちの小学生の娘がスマホでYOUTUBE見るために普通にやってるレベルの話なんだけどなぁ~

そもそも、デザインとか出来ないし、興味もないとの事だったので、今回はお断りの流れになると思う。

なんか、オレごときがお断りをすると言うのも、何かイヤなんだけど、さすがにチョッとこれは・・・そんな感じでございます。

ただただごめんなさい。

 

 

 

●骨伝導イヤホン続報

前にちょっと触れた、骨伝導イヤホン。

結構お気に入りでよく使っている。

いるんだけど、ふと気が付いてしまった。

イヤね、普段音楽聴く分には全く気にならなかったんだけど、先日映画を見てた時に、なんか不思議な違和感を感じてしまった。

なんか、声と映像が本当に少しだけずれてる気がする。

ホントに少しで別に気にしなければ分からないレベルの事。

実際、YOUOTUBEとかを仕事の横でダラダラ流してる時は、気にならなかった(そもそも、YOUTUBEって音ズレしてる動画もよくあるし)。

でも、気にし始めると、確かにYOUTUBEでも、映画でもなんでも確かにずれてる。

コンマ数秒のズレだと思うんだけど、これがまた絵を描く時の「不気味の谷」みたいに気持ち悪いんだよな。

bluetoothのレシーバーと有線のヘッドホンで聞いてる時には、このズレは出なかったので、bluetoothの問題ではなくて、多分、振動として骨を伝わって耳に届くまでのタイムラグなような気がする。

まぁ、別に普通に音楽聴くだけなら、どうでも良いズレなので、使うタイミングとかの問題なのかなと思ってる。

バカと鋏は使いようと言う事でございます。

いや、それは違うか。

 

 

 

●能力至上主義の闇について

大好きな岡田斗司夫さんがゼミで、能力至上主義の危険性について色々と話してた。

実に興味深い話だった。

オレも世間から追いやられて、まともな社会生活が送れなかったために、色々苦労した身なので、自分が頑張ればなんとかなると言う「能力至上主義」って良いもののような気がしてた。

でも実は、「能力」と言う言葉自体が非常に危うさを持っていて、そして、この考え方自体が人間心理の逃げ道を塞いで追い詰めてしまうと言う面があるらしい。

オレ程度に出来る事なんだから、誰でも出来るだろう。と言うテンションで、オレが今までやってうまくいった事とかを人に勧めたりもしてた。あまつさえ、「そうした方が日々楽しく、お金も稼げてめっちゃ良いよ」位言ってた。

でも、それは「人と同じことをする能力に著しく欠如していて、好きな事になればずっと夢中で勉強していくと言う能力があったオレにとっては」と言う但し書きが付いての話だったと言う事らしい。

逆に「人と同じことが出来て、集団の中で力を発揮できるけど、一人になると集中することが出来ない」と言う人には、オレのやり方は、最悪の結果にしかならない。

どっちが良いと言う話じゃなくて、人にはそれぞれ能力があって、その能力の使い方についても、人それぞれだと言う事。

あと、ゼミの話の中で、メッチャ納得したのが「能力も運の内」と言う話。

そうなんだよ。

その能力がたまたま今の時代の流れとあっていた人がうまく行ってるだけで、そうじゃなかった人がたまたまうまくいかなかっただけにしか他ならない。

オレの学生時代はまだ、発達障害と言う言葉も浸透してなくて、オレなんてクラスでメッチャ吊し上げられてた。

発達障害を腫物を扱うみたいに差別する今の時代だったら、確実に別室行きだったと思う。

オレは、「お前はホントダメな奴だな!」って、他の生徒と同じ目線で見た上で、出来ない奴として吊し上げられる方が差別と言う観点では平等だったと思ってる。めっちゃ辛かったけど。

別室行きにされてたら、「普通の人と違うダメ人間だと言う烙印を押された」と感じて、プライドの高いオレの性格は確実にクソ曲がってただろうし、そうなると今と違う生活になってたはず。

でも、逆に吊し上げられたりしないで、別室行きになってた方が将来うまく行ってたであろう発達障害の同年代のやつもいるはず。

オレは、運が良かったんだよ。

たまたまオレの病気と時代のやり方はあってた。ただそれだけ。

だから、他の発達障害で人生苦労してる奴がいたとしても、オレが自分の人生をあたかも成功体験のように語って、「お前は頑張ってねえんだよ」とは絶対言っちゃいけないんだよな。

能力なんて人それぞれ。

もう少ししたら、足が欠損してる人間の方がトランスヒューマニズム的観点で見れば、早く走れる義足をつけれるから、五体満足な人より優遇される時代が来るかもしれない。

 

 

 

●金色恵比須・・・!?

偉大なるダミアン浜田陛下まさかの地球再臨と、新バンド結成と言う、別に聖飢魔Ⅱ信者じゃなくても、胸アツになる出来事から半年。

ホントに素晴らしい音楽を届けてもらえて、ただただ感謝しかない。

でもふと、そのバンドメンバーはどんな人なんだろうと言う興味がわいた。

ボーカルの「伊舎堂さくら」さんは、前に調べた時、ガルネリウスをバックバンドにすげーパフォーマンスをしてて、「こいつはとんでもねえな」と思ったことを覚えてるけど、それ以外のメンバーだよ。

話がチョッとそれるけど、聖飢魔Ⅱと言うバンドは、色者扱いしては失礼な途轍もない超絶技巧バンドだと言う事を忘れちゃいけない。

ダミアン浜田陛下の作る楽曲は、その聖飢魔Ⅱをもってして、やっと表現できる凄まじい世界観を持っている。

演奏技術で言うとかなり超絶技巧だと思う「セックスマシンガンズ」が、以前、デーモン閣下をゲストにダミアン陛下の曲を演奏してた事があった。

非常に申し訳ないけど、すげぇ「ああ・・・」ってなったんだよ。

その位、ダミアン浜田陛下の作る楽曲の世界観を表現することは難しい。

なのに、このダミアン浜田陛下の新バンド「Damian Hamada’s Creatures」は、それを表現しきってるんだよ。

デーモン閣下に勝るとも劣らない圧倒的歌唱力を持つ伊舎堂さくらさんはもちろんのこと、ギターもリズム隊も、それどころかコーラスボーカルまでもが途轍もない表現力を持ってる。

と言う事で調べてみた。

メッチャ申し訳ないけど、知らなかった。

「金属恵比須」と言うバンドさんらしい。結成30年くらいの大御所バンドさんなのに、知らなかった。申し訳ないです。

早速試しに、YOUTUBEに上がってる動画を見てみた。

もはや絶滅危惧種となったプログレバンドだったよ。

日本のプレグレと言えば「美狂乱」だよね。と言いたいところだけど、「美狂乱」はもう神の領域に到達しすぎていると思う。ロバート・フィリップ御大が率いててもおかしくない。完全に日本のキングクリムゾン。

そうじゃない。

この「金属恵比須」さんは、プログレッシブロックを絶妙なラインでギリギリ大衆向けにした楽曲と言うイメージ。

プログレやってる時の筋肉少女帯に近い感じもしないでもないけど、チョッとそれとも違う。

初期キンショーのプログレにあったヒリツキ感やピリツキ感といった変な緊張感はない。(最近はキンショーも丸くなっちゃったけどけど)

何だろう。うまく言えないけど、凄く心地いいんだよ。

取り合えず、ひとつ動画張り付けておこう。

メッチャ良いバンドを見つけてしまったな・・・

と思ったら、スターレス高嶋のご推薦バンドだった。

でしょうな。

アーバンギャルドのCDは全て集め終わったので、しばらくはこの金属恵比須のCDを探して生きていきます。

 

 

 

まぁ、そんな感じ。

ネームはいっぱいできてるので、早く作画をする時間が欲しい。

あぁ~時間が欲しい。

あと、せっかく開けたのでかわいいピアスが欲しい。

だそうです。

8月からアマプラで「シンエヴァ」が配信されるそうなので、この夏は、シンエヴァ4本を一気見しようと思ってる。

学生時代ちょっと嫌な事があって、エヴァはずっと見てなかったんだけど、そろそろ学生時代のトラウマ引きずってる場合でもないよな。

ただ、オレのような無知蒙昧に理解できる内容なのかどうか・・・

楽しみではあるんだけれども。

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2021年7月28日 11:30 CAT :

「オレ・・・君のふんどしで精子まき散らす全力オナニーするよ」宣言~その1

と言う事で・・・1回書いてみて、良い感じだったら、今後、ちょくちょくマンガレビュー的な事を描いていこうかと思っております。です。

以前、メッチャ調子に乗ってCDとか買うたびに、超上から目線で感想書いてた事があった。

たまたま、犬神サアカス團の明兄さんがこのブログを読んだと言う話を聞いて、それ以降「本人が読む可能性があるのか!」ってビビり始めて、次第にこういうレビュー的な事は控えるようになっちゃったんだよな。

今からやろうとしていることは(↑)以上に、作者さん本人の目につく可能性が高い・・・ような気がする。

なので、予め言っておくと、貶めるような意図は全くないよ。基本的に好きな作品を好意的にとらえて、オレなりに掘り下げて文章にしてみてるだけ。それ以上の他意は一切ないので、その点悪しからず。

あと、一応、前回チラッと書いた予防線についてもコピペしておくか。

●内容の掘り下げについては、岡田斗司夫風の解釈(作者の思惑ではなく、そこから発展した読者の掘り下げ)で。

●新都社にアップしてる作品(もしかしたら、「まんがおきば」さんの方でアップしてるものもあるかも)

●完結してる作品(なんとなく完結して初めて作品だと思ってるので、現在連載中、休載中、ぶん投げてるやつは省く)

●オレが好きな作品(ただし、思いついたものを取り上げてるだけなので、取り上げない=好きじゃないという訳ではない)

と言う基準で。ただ、この中の一つ、「完結してる作品」の縛りが思ったより、今後重荷になりそう。なんか早い段階でネタ切れするか、この縛りを撤回しそうな気がしないでもない。まぁ、そこまで回数続けばだけども。

さてさて。

と言う事で、記念すべき第一回で取り上げる漫画はこれだああああああああああああああああああああ!!

 

 

 

甘納豆先生作 「CMYK」

うん。言いたい事は何となくわかる。攻めてないとか、そういう話なんだろ。

甘納豆先生なら怒られないかなと言う甘えと、実はこの漫画すげえ語りたい事があると言うそんな2点から選んでみたんだよ。文句は知らん。今回はコレで行くんだ。バーロー。なんか前に、ラジオで語り倒したいって話してた記憶もあるし、第1回はコレで行くんです。あたくしわ。

取り合えず読んでくれれば、何でこの作品を取り上げたのか分かって貰えると思う。って言うか、そう信じたい。

実際書き終わってみてみると4000文字を超えていた。オレはこの「CMYK」と言うマンガで原稿用紙10枚を超える量の感想文を書いたわけですよ。その位語りたい内容があったと言う事だ。ぶっちゃけて言えば、半分くらい悪ノリだけれども。

では、以下チョットだけ夏目房之介を意識しつつ、考察してみようか。

ネタバレしかしないので、未読の人は先に漫画を読んでから(すぐ読めるので)、この記事を見て欲しい。

 

 

 

ここからは純粋な感想ですよ~

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 

 

 

 

僅か5話しかないんだけど、正直、この作者の作品の中で一番気になっているものがこの「CMYK」。

その前にまずこの「甘納豆」と言う漫画家さんの作家性について少しだけ触れておく。

基本的に全作品に目を通しているが、その中で最も感じる事は、この作者の根底にある意識が「破壊」であると言う点に集約されていると思う。

形はそれぞれあるにしても、どの作品にも共通して「破壊」がある。

我々が生きているこの世界は2極性であり、ただ破壊だけで終結することはできない。「破壊」を行う時、必ず対を成す「創造」を行う必要がある。

甘納豆作品には、あらゆる形での「破壊」があり、その後に往々にして創造されるものは「無秩序」の場合が多い。ただし、一見すると「無秩序」ながら、俯瞰的にその「無秩序」を見ると実は、かなり秩序だったものを内包している。

この相反する二面性こそが、最大の特徴だと考えられるのだ。

マンガの神様であり、稀代のストーリーテナー手塚治虫は、破壊の後に無秩序があり、その無秩序が秩序に帰納する物語を読者は面白いと感じる。となんかで語っていた。

手塚治虫の大名作「ブラックジャック」では、ブラックジャックが既存の価値観を破壊し、法外な値段や奇想天外な治療などの無秩序を突き付けるが、その無秩序が実は最も秩序だっていたと言うオチが付くことで読者はそのストーリーに心を揺り動かされる。

この手塚式の名作ストーリーを制作する上でのノウハウに近いものが、甘納豆作品に共通する作風ではないだろうか。

手塚治虫の「マンガの描き方」を熟読しているかどうかは分からないが、ストーリーには確実に手塚の血脈が流れていると感じざるを得ない。

その上で、今回取り上げる「CMYK」における「破壊」と「創造」とは一体何なのかについて、以下考察していく。

まずこの漫画のスタートは4コママンガである。

4コママンガの歴史はかなり古く、確か、江戸時代に描かれた北斎漫画にはすでに4コマに分けた起承転結の物語が描かれていたと記憶している。

時代を経て戦前・戦後に発表された数々のマンガの原型となったものが実は4コママンガだともいえる。その時代には4コマ落ちが無くても、マンガのコマ割りの大きさは基本的に同じ大きさだった。

手塚治虫のプロデビュー作は、4コママンガ「マアチャンの日記帳」だし、手塚治虫を世間に知らしめた「新宝島」におけるコマ割りもそのほぼ全てが同じ大きさの4コママンガのような形だったはず。

それ以降、手塚治虫が初期3部作(「ロストワールド」「メトロポリス」「来るべき世界」)~火の鳥初期にかけて、コマの大きさやコマとコマの間などを変える事で映画的な演出をするという画期的な方法を発明し、カンブリア紀の生物の大爆発に匹敵するほど膨大なコマ割りを開発した。(その辺の、コマ割りの変遷とかは今回は関係なので割愛するけれども)

そんな中にあっても、4コママンガは、世間の求める漫画像と一定の距離を置いて発展していく。

古き良き4コママンガを植田まさし、いしいひさいちらが守り続けていく一方で、80年代後期くらいから吉田戦車や中川いさみを筆頭にした起承転結さえも投げ捨てたナンセンスで不条理な4コママンガが台頭し始める。

90年代になってくると、「日本一泣ける4コママンガ」と評される「自虐の唄」などに代表されるような、4コママンガと言う形をとりつつも一つ一つの前後関係の繋がりが濃厚になる物語系4コママンガも日の目を見始める。

そして90年代末には、あずまきよひこをはじめとした作家によるオチや展開よりも、淡々とした日常の中でキャラクター自体やかわいらしさを愛でると言った「萌え4コマ」も登場する。

ただ、この4コママンガのムーブメントの中で(特に「萌え4コマ」が台頭し始めた頃)度々持ち上がっていた問題として、1つの4コマで完結しないどころか、4コマで落ちる事もなく、次の4コマに物語を渡してしまうのであれば「4コマじゃなくてよくね?」と言う根源的なものがあった。

この問題については、日本4コマ界の重鎮である植田まさしが直接苦言を呈するほどに大きな問題となっていき、今もまだその論争は終結していない。

2000年代以降は、4コママンガの存在意義、4コママンガとして描くことの意義を考える時代だったと言えるかもしれない。

閑話休題。「CMYK」に話を戻す。

第1話。人物紹介と普通の4コマ。一応、キャラ付けの意味がある1話。

そして第2話。連載2話目にして早々に4コマ漫画の体をなしていない普通のマンガになる。これは問題として度々上がっていた「4コママンガである必然性がない」と言う問題に対して、「じゃあ、普通のマンガにしちゃえばいいじゃん」と言う、既存意識への強烈な破壊に他ならない。しかも、1話でさらっと触れた人物像への掘り下げをよりわかり易くする形で、それが行われている。

そもそもこの第2話でのネタも4コマで、2つくらいに割れば全然描けるネタである。それをあえて普通のマンガとして描いている。

意図してなければ、わざわざ2話目で4コマの形を崩す意味なんかないはず。

一旦破壊を起こした後の3話目では、再び4コマの形に戻る。

と思ったら、4話目はまた普通のマンガになっている。

一見無秩序なように見えて、4コマのちょっとした小ネタ⇒普通のマンガの繰り返しと言うパターンかと思いきや、最終話5話目では、そのパターンすら破壊して、もう一度普通のマンガ形式をとる。かつ、5話目にして初めて、それまでの展開の伏線を細かく回収していくと言う違う方向からの秩序を構築している。

あわせて、これまでの4話をどちらかと言えば、萌えマンガに近い日常系のノリで展開していたのに対し、最終話では、王道のドタバタギャグの要素を織り交ぜてきている。

特筆すべきことは、1~5話を流れで読んでいた時にゆるい4コマだったはずのマンガが、4コマじゃなくなってて、さらにドタバタギャグマンガになっていることに読者が全く気付かないまま、この漫画を読み終える事が出来ると言う点にある。

これは綿密な計算の上で、絶妙なスピードでの移行が無ければ実現できない。長期連載していて、気が付いたら全然違うマンガになっていたと言う事はままあるが、わずか5話でこれを実現するには相当のバランス力が要求される。もし緻密な計算とかしてなくて天然でやってるなら、それはそれで天才の部類だ。ちっくしょ~

気が付けばとんでもない漫画になってたなと言う、刷り込みとすり替えはかなり高等技術であり、マンガ力が相当高いことが、この事からも伺い知れる。

併せて、この「落ちが無くて続くなら4コママンガである必要なくね?」と言う問題に対して「じゃあ、普通のマンガにしちゃえばいいじゃん」と言うコペルニクス的発想の転換は、見様によっては大友克洋が「童夢」で描いた超能力の2次元表現を、荒木飛呂彦がジョジョの第3部で3次元表現に昇華したレベルの革命。相当に画期的な発想ではないだろうか。

ストーリー漫画におまけで4コマが付いたり、4コママンガでストーリーを展開するのではなく、「めんどくさい事は良いんだよ。4コマだけど描きたくなったら普通のマンガで描くよ」となるマンガは思ってる以上に存在しないはず。

なぜ今回「CMYK」を取り上げたのかと言えば、上記の通り、手塚治虫が提唱した破壊と創造、秩序と無秩序をストーリーの中ではなく、作品自体の表現の形の中に埋め込み作品として完成させている点に他ならない。

漫画独自の展開の移り変わり。漫画表現のイノベーション的体験をたった5話、読もうと思えば5分で読める分量の中で、それもほぼ無知覚に体験できると言う非常に稀有な漫画がこの「CMYK」である。

まぁ、そんな夏目房之介風な小難しい話抜きにして、単純に空気感が好きで読んでて面白いって話もある。言っちゃえば、単純についつい何回も読み直しちゃうくらい好きな漫画だと言える。

他にも、タイトルのCMYKを4色の色として、キャラクターごとに色とその色から連想されるキャラ付けをすることで、読者が入りやすくなるように工夫されていたりとか、そういうマンガ的な細かいノウハウの話もまぁまぁ出来るんだけど、とりわけ、この漫画に置いて一番言いたかったことは、(↑)の話だと言う事で、今回の記事は結びとしよう。

次回は、今年初めころかなり衝撃を受けた、展開自体が圧倒的に不条理なあのマンガを取り上げようと思っております。

この記事で怒られたりしなければ、多分・・・

では最後に・・・

うまく描けねえもんだな。まぁ、こんなもんですよね。オレなんて。

取り合えず・・・

怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

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2021年7月21日 11:30 CAT :

「オレ・・・君のふんどしで精子まき散らす全力オナニーするよ」宣言~序章

ここ最近、なんかあった事や無かった事をツラツラと書いてたんだけど、何となくチョッと違う事をしたくなってきた。

いや、別にあれはあれで良いと思うので、チョコチョコやって行っても良いんだけどね。

何と言うか、「こういうのじゃねえんだよな」と言う気持ちが無くもない。

元々、ざっくばらんなんですよ。

思いついた事を思いついたタイミングで適当にダラダラと排泄するのがこのブログの心情だと、今更ながらにふと思ったり思わなかったり。

と言う事で、ここ数年、オレのマンガをアップさせてもらってる「新都社」さんで面白いと思って読んでたマンガをもう少しだけ読み込んで紹介してみようかなと思い立った。今さっき思い立った。

けど、その前に、簡単に「新都社」について知らない人に向けた、オレ個人の思ってるイメージを・・・

オレが学生時代漫画家になりたかった一番の理由は、「発表する場所」が欲しかったからだと、今では思っている。

別に、漫画でお金が欲しかったわけでも、漫画で生活したかったわけでもない。

自身では「ヘンリー・ダーガー」を気取りつつも、心のどこかにはきっと色んな人にマンガを読んでもらいたいと言う感情が沸々と湧き上がっては消えていたんだと思う。

古屋兎丸先生が、前になんかのインタビューで「最初は、漫画の原稿料が欲しいとは思わなかった。ただ、発表できる場所があって、そこに載せてもらえるだけで満足してた。お金は別に・・・」みたいな事を話してた(実際、古屋先生はデビューしたガロでしばらく、原稿料無しで作品を発表してたはず)。

オレが学生の頃は、漫画同人誌と言う存在は完全に消滅、ガロは風前の灯火・・・かと言ってネットは、電話線をぶち抜いて接続し、1分間で何円みたいな時代。SNSなどあるはずもなし。

コミケが少しずつ大きくなり始めてはいたものの、BL含めた二次創作エロな薄い本はまぁまぁあったけど、一次創作には物凄い白けたムードが強かった。

要するに、どっちを向いてもアマチュアの書いた下手くそなマンガを誰かに見てもらう事は出来なかった。

アマチュアマンガでくくるなら、1990年代は最も暗黒の時代だったと思う。

マンガを人に読んでもらうには、漫画家になって、商業ベースに載せるしかほぼほぼ選択肢がなかったんだよね。(少なくともオレの住んでいるクソ田舎の環境では。)

時代の流れが変わったのは、多分、2000年に入ってから。

このアマチュアマンガの絶望的な状況を打破しようと思ったのかどうかは知らないけど、西野空男と言う、個人的にはメッチャリスペクトしてる先生が、マンガ同人界が騒然とした「架空」と言う同人誌を立ち上げた頃だと思う。

丁度、megwinが世界で初めてネットで動画投稿を始めた頃。

作品を発表するメディアにイノベーションが次々と起きた時代だよね。今考えると。

オレはたまたま嫁(まだ結婚前だけど)と二人で倉敷を旅行していて、美観地区の端にある「蟲文庫」と言う本屋さんに立ち寄った。

その時、その本屋さんで「架空」と「漫画の墓場」と言う2つの雑誌を手に取った。ペラペラめくって面白そうだったから、一応お店に置いてあった本を全部買い占めて帰ったんだよ。

で、帰ってから、そのマンガ雑誌を読んだ時、「あああああああああ!!これだあああああああああああ」ってなった。

そこには「斎藤雑魚先生」や「木下竜一先生」や「甲野酉先生」などの作家さんの書いた目くるめく凄まじいマンガが載っていた。

世間に商業マンガや二次創作しかなく、自身の書きたい作品や世界観を描くことを世間から拒否された天才作家さんの鬱屈とした、それでいて途轍もない熱量が込められた作品の数々。(この表現は失礼にあたるかもしれないけども)

特に、「斎藤雑魚先生」のマンガなんか、何だろう・・・マンガとは何ぞやと言う既存の概念を吹き飛ばしてくれるほどの衝撃を受けたもんだ。

すぐさま、オレは自分の描きためてたマンガの中で、ちゃんと原稿に仕上げているものを、西野先生に見てもらおうと思ったんだけど、丁度その頃、なんか「架空」の編集の人と西野先生との間でトラブル的なものが起こってて(確か、応募作は全部雑誌掲載するとか、そんなふざけたことやるか!みたいな話だったと・・・)、その後すぐに、「架空」の刊行はストップした。

オレは結局、この数年だけ起こった漫画同人界隈のムーブメントに全くかすりもしないまま終わってしまった。

それからさらに数年。

前置きが長くなったけど、「やっぱり誰にも見せずに静かに朽ちていこう。第2のヘンリー・ダーガーになるんだ」と思ってた時に見つけたのが、この新都社だった訳でございます。

なんか話が、90年代以降のアマチュアマンガの歴史みたいになってしまったけど、オレが新都社さんに持ってるイメージって、これにちょっと近いものだったりする。

元々の発祥は、2ちゃんねるらしい。その辺の事は良く分かんない。大体オレなんて、チョッとまとめサイトを見る位で、ねらーでもなんでもないので、全く分からない。

ただ、今の新都社さんは、まぢで作家さんが自分の思うがままの表現を、本当に自由に投稿してて、そして、それを尋常じゃなく受け皿のでかい読者さん(作家同士で読者してたりもするけど)が楽しんでいると言うアマチュアマンガ描きの楽園だと思ってる。

本気でマンガ家を目指している人にとっては、それこそジャンプルーキーとか、マガジンデビューとかの方が環境としては良いのかも知れない。

でも、漫画でお金儲けをしたいとか、生活したいと言う訳じゃなくて、自分の創作意欲(あるいは承認欲求)を満たすために、自分でマンガ描いてる人も一定数はいると思うんだよね。

そんな人たちが、ゆるく自分の作品を発表できて、且つそれを何百人か、下手したら何千人と言う単位の人に読んでもらえて、あまつさえコメントさえ貰える。

どんな凄い環境やねん!って話だ。

かく言うオレも、その一人な訳で、多分、この環境がある以上、他のどこかに出ていこうとは思わないだろうて。

そんな凄い環境である「新都社」さんでは、今でも日夜凄い量の「あぁ~これは完全に新都社でしか出せないよな」と言うマンガが投稿されている。

いやまぢで、度肝を抜くような作品に出会えたりするんだって。

良い意味で商業マンガの手垢のついてない、ここでしか読めない途轍もないものがある。もちろん「??」なものもあるけど、そんな玉石混淆を楽しめるのが良いんだよ。

メディアに誘導された名作じゃなくて、自分で名作を決められる自由って、この情報化社会でなかなかないもんだと思う。

そんなマンガに対して一応、コメントしたりはしてるけど、何となく、この「新都社」のヤバさをチョットだけ、このブログでも描いてみたくなった。

こんな誰も読んでないようなオナニーブログで好き勝手に取り上げたところで、別にどこかに角が立つようなことはないだろうし。

何かね。ファンアートって言うのを描く場所があったり、掲示板があったり、ラジオがあったりと読者さんと作家さんの交流のような場所があるんだけど、人見知りを尋常じゃなくこじらせているもので、どうも乗り切れない。

ラジオとかやってみて、それはそれで結構楽しかったし、また機会があればやりたいなぁ~とは思ってるんだけど。

結局のところ、オレは自分の殻の中でしか、さらけだせない人間だったみたいだわ。

なので、自分のテリトリーであるこのブログの中で、「新都社」さんをネタにしてオナニーしていこうと言う事にした次第です。

余力があれば、ファンアート的なものも描きたいな。

精子ぶち巻くよ!おっちゃんは!

ただ、チョッとだけ但し書き。

今回は、普段より作者の人の目に触れやすそうなので一応・・・「オレそんなつもりで描いてねえよ」とか「てめえふざけんな」と万が一言われたときの予防線を張っておく。

想像以上に平和主義のヘタレなんだよ。バーロー。

●内容の掘り下げについては、岡田斗司夫風の解釈(作者の思惑ではなく、そこから発展した読者の掘り下げ)で。

●新都社にアップしてる作品(もしかしたら、「まんがおきば」さんの方でアップしてるものもあるかも)

●完結してる作品(なんとなく完結して初めて作品だと思ってるので、現在連載中、休載中、ぶん投げてるやつは省く)

●オレが好きな作品(ただし、思いついたものを取り上げてるだけなので、取り上げない=好きじゃないという訳ではない)

この位予防線張っておけば大丈夫か。

ただ、今回は思ったより前置きが長くなっちゃったので、チョッと2回に分けます。

いやまぁ、来週になるとかじゃなくて、今週の週末いつものタイミングで更新すると思う。

死んでなければ。

書く書く詐欺じゃなければ。

ただなぁ~これ、最初の1回目にどれを取り上げるべきか・・・結構ドキドキするな・・・

ドキドキ乙女。

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2021年7月18日 3:39 CAT :

つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしオナニーにふけりけり2021 その6

今週はとにかく打ち合わせとかで人と会ったり話したりする機会が多かった。

ホント人と会うと、その日1日寝込むほど疲労するんだよな。

だから、お仕事の方はあんまり進まなかった。

こっちはこっちで色々やばいんだけどな。

現状色んな方面から少しずつ追い詰められている感じで、結構疲れてる感じがある。

でも、ここを乗り切れば何となく新しいステージに行けるような気がするので、おっちゃんは頑張るです。はい。

最近の夢は、無人島を買ってそこで嫁と二人でのんびり暮らす事らしい。

と言う事で3週間ぶりにここの所チョッと思ったことをちらほらと・・・

 

 

 

●イオンのお葬式

イオンのお葬式がチョットだけ、賛否両論起きてる。

今や、イオンがお手軽に死者を弔う時代が来てしまったらしい。

問題になってる、例の広告(↑)。

チョッと前になんかのアンケートの結果で、「自分の葬式はちゃんと上げてもらいたい」と答えた人はあんまりいなかったけど、「身内はちゃんとしたお葬式で見送りたい」と言う人が大半だった(何のアンケートだったか忘れたけど)。

日本人の大多数の感覚って、これなんだろうと思うし、そうだと信じたい。

信じたいけど、どんどん人間関係が希薄になってきている今の日本では、身内であろうとも「イオンなら、安く弔えるし、ワオンが使えるからポイントがたまるんだよね」と思う人も多分少なからずいるんだろうね。

喪主「あああああ・・・お母さん・・・」

イオンの人「こちらにワオンを」

喪主「はい。うううう」

ワオ~ン!!

イオンの人「ポイント30000ポイントたまりました」

喪主「ああああああああああああああああああああああ!おかあさあああああああああああああん!!」

みたいなお葬式になるんだろうか。

サンドウィッチマンの名作コント「お葬式」の中で、「葬式でポイントがたまってたまるか!」って言う突っ込みがあったけど、これは、ちゃんと人間関係を構築できて、大切な人はしっかり弔ってあげようと言う常識を持ってる人が多数だったから面白かったわけで、常識が変われば多分、面白くなくなるんだろうね。

10年後の「お葬式」のコントでは、「読経は30万円です」「死んだ人間の前で変な歌うたって30万とかアホか!」「戒名は別料金です」「まだ金取る気か!」「戒名はお納めいただいた金額で変わります」「どんだけ守銭奴だ!」みたいな話になるんだろうか。

懐古主義の老害と言われようとも、ドリフのコントが面白い社会の方が好きだと思う。

 

 

 

●小山田さんのオリパラ問題

フリッパーズギターと言うのか、コーネリアスと言うのか・・・取り合えず、小山田圭吾さんがオリンピックパラリンピックの音楽担当になった事に対して、尋常じゃない炎上を起こしているらしい。

それで、本人から謝罪文が出されてた。

個人的には、「小山田圭吾が謝罪文出したの?まぢか!!」な感じ。

いやぁ、オリンピックってやっぱり権威とお金が凄いんだな。

謝罪文も読んだけど、なんか「ガキの使い」のへいぽーの謝罪文を思い出すかのような内容。

これはどう考えても反省なんかしてるわけないよね。

そんなね、過去に自分のいじめを武勇伝のように雑誌のインタビューで嬉々として語るような人間が「オリンピックの音楽担当は辞めたくない!反省するし、これを機に虐めたやつらに謝罪していくから許してね」ってさ・・・どう考えても、そんな反省するわけないじゃねえか。

そんな事、学生時代小山田圭吾と同じクラスだったら間違いなく虐められてただろうオレでもわかるわ。

問題はそんな事じゃあない。

前からチョコチョコ言ってるけど、音楽の才能と人としての性格は決して比例するわけじゃあないんだよ。

小山田圭吾って人は、めっちゃ良いセンスのある音楽を作るけど、立場の弱い障害者をターゲットにしてうんことか食わせてゲラゲラ笑える人間なんだよ。

ただそれだけの話。

この人は、人間として聖人君子だから今の地位に居る訳じゃなくて、障害者を苛め抜いてたゲスな過去を承知した上でも、作る音楽が素晴らしいから今の地位にいるんだよ。

別にいじめを賛美してる訳じゃなくて、今回の全方位に舐め散らしてる謝罪文も含めて、ホントクソ最低だと思うけど、でも、この人の音楽は確かに良いんだと思う(個人的な好みは置いておいて)。

立場の弱い障害のある人間をターゲットにしてうんこ食わせたりしない人間は世の中にたくさんいるだろう。

でも、この人と同レベルかあるいは凌駕する音楽家は日本にどれだけいるのか。

どちらを取りますか。と言う話なんだよね。

まぢでムカつくくらい嫌いなんだけど、でもこの人の音楽はセンスあるしカッコいいんだよな。と言う感想になってしまうと言うのはダメな事なんだろうか。

そもそも、今回のこの炎上の話にしたって、小山田さん自体に批判が行くのはなんか納得がいかない。

この障害者を虐めてたって話って、結構有名な話だと思う。少なくとも、オレは知ってたし。

その上で、五輪関係者がこの人を選んだんでしょ。

まさか「なんかこの人選んどけば、皆からセンスあるねとか言われそう」みたいな理由でよく知りもしない人を、調べもしないで選んだわけじゃないだろうて(そう信じたい)。

責められるべきは、選んだ側だよ。絶対。

今回のオリンピックの音楽担当に選ばれたのがピエール瀧だったして、「アイツは20代の頃からずっとラリッてるんだぞ!」って炎上して、卓球がここぞとばかりにまたtwitterでネタにしてたとしたら、それは完全に選んだ五輪関係者が悪いと思う。

その状態で、またピエール瀧が、黒スーツに七三で面白い顔して全然反省してない謝罪文を出して来たら、どう思うのか。

オレは多分めっちゃ爆笑して、次はどんなステッカー作るのかワクワクして待つと思う。

五輪関係者さんで誰が選んだのか知らないけど、やっぱり色々ずれてるんじゃねえかなと思う今日この頃です。

参考画像

これは完全にやってる人の顔ですね。

見てるだけでニヤニヤしてしまう。

ホント電気狂おしいほど好き。

 

 

 

●「JK」「オナニー」「無修正」ってキーワード入れたらタイトル詐欺でも多分アクセス数が上がる

いやこれは、前の週の記事のタイトルだけど、1週間経ってその結果をお知らせしよう。

何と、アクセス数が普段の記事の4倍以上あったよ。

世の中なんてね、そんなもんなんですよ。

まさか、先週の記事の内容が素晴らしく良かったわけでもないと思う。

結局世の中、「エロ」ですよね!村西監督。

創作意欲ではなく、承認欲求を満たすために、創作活動をするのであれば、もうただただエロネタを詰め込めば良いんだよ。

佐藤秀峰って漫画家さんは、連載デビュー作の「海猿」の第1話を描いてた時に、担当の人に「誰も知らない新人のマンガなんだから、読んでもらうために数ページ1回はパンツを描け」って強要され過ぎたので、ブチぎれてパンツどころか陰毛まで出したと言ってた。

一生懸命面白いマンガを考えたのに、興味ひくためにパンツを描けって言われるってこれ、結構屈辱的な気がするのはオレだけなんだろうか。

多分、今週のタイトルも「ぱっくり濡れ濡れおまんこ無修正画像まとめ」みたいなタイトルにしたら、普段の4倍くらいアクセス稼げるんだろうね。

まぁオレも内容はともかく、そう言うタイトルの記事見つけたら取り合えずクリックするけどな!

そうやって過去に、変なウィルスにかかった事ももちろんある!

PCが死んだこともある!

変な振込詐欺の電話がかかってきたこともある!

でも今日もおまんこを求めてクリックし続ける。

それが男と言うものなんですよ。

そう言えば、前に書いたかもしれないけど、twitterで公開してる4コマ「極ニュースチョクホー」の中で、本当のごく微量にプチバズってる奴があった。

(↓)これね。

新都社にアップしてる「Gの世界」ってマンガは超絶ありがたいことに、1回更新するたびに200~300ほどアクセスがある。

全員が全員、読んでくれているとは思ってないけど、でもクリックしてくれる人がこんなにいるなんて信じられないほど嬉しい。

でもこの4コマは1万を超えるアクセスを稼いでるわけですよ。

50倍ですよ。

テンコジの定理で言えば500倍だぞ!500倍!

お戯れで、「幼女」「スクール水着」「狂気」「羞恥プレイ」「性的」って言うタグをつけたからなんだろうけど・・・

ただ、勘違いするなよ。

「幼女」=娘

「スクール水着」=娘の水着を買った

「狂気」=オレがお店で売り物の水着のパレオみたいなのをめくってたキチガイ

「羞恥プレイ」=アラフォーのおっさんが子どものスクール水着を一人で買うと言うプレイ

「性的」=Mだったら興奮するのかな?

と言う事だからな!

決して、変な意味で付けたタグではないからな!

 

 

 

●マンガのネームを描いた

先週、1週間で4本ネームを描いた。

ひとつは「Gの世界」の87話「破壊/破戒」のネーム。

ひとつは「おもちゃはおもちゃばこへ」と言う短編を書いたときに思いついた「今宵ただいまはゼロになる」と言う短編マンガのネーム。

ひとつは嫁から「そろそろ違う路線のマンガを描いて」と言われて考えてた「2人マイナス14年」と言う短編マンガのネーム。

最後のひとつは、「今宵ただいまはゼロになる」がどうしても気に入らなくて、一部内容を引っ張ってきて構成ごと作り直した「右目「ただいま」左目「おかえり」」と言う短編マンガのネーム。

これだけネームばっかり描いてたので、当然原稿の方は全く描けてなくて、今、「G」の87話の下書きが出来てる程度。

こんな感じ。下書きと言うか、アタリでしかないか。

元々、下書きしないで一発書きで書いてたんだけど、最近はこの位にアタリをつけてから書くようになりました。

あと今回ネーム描いてて思ったんだけど、限られたページ内で、物語を展開させて終結させる短編マンガって、凄く悩むけど描くのめっちゃ楽しい。

長編だったら、「今回入りきらなかったからこのネタは削って、来週に回して、その代わりここを大ゴマにしよう」みたいな選択をする。

でも短編の場合、来週に回す訳にはいかないので、どこを削って、コマ割りとページで調整して、どのシーンを大ゴマにするかみたいな全然違う選択が必要。

それが、普段やらないもんで、結構新鮮で楽しいと言う話。

この2本を描いたら、去年の「虐殺の恋文」から数えて1年で4本も短編を書いた事になる。

毎週「G」を1話描きながら、短編を年に4本って、近年では稀にみるハイペースでマンガ描いてると思う。

まぁ、オレは「やみ。世界」の最後まで全部描き切るまでは、長編も描き続けるけどな。

唯一出来ることが、継続する事でございます。

 

 

 

と、今回はこんな感じ許してやろう。

最近は、1記事4000文字くらいを目安に書いております。

これで大体1時間くらい。

ふえ~。

では、おやすみなさい。

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2021年7月11日 4:00 CAT :

「JK」「オナニー」「無修正」ってキーワード入れたらタイトル詐欺でも多分アクセス数が上がる

先日、「ぬとらじ」って言う生配信(4コマにも書いたチョッとオレもやってみたヤツね)を聴いてたら「どうも。くろすけです。」って名乗ってて「はぁあああああああああああ!!?」ってなった。

いや全然別人だったんだけど。

なんでも、新都社さんで描いてる人に「くろすけ」って先生がいたんだって。

紛らわしいんだよ!

メッチャドキッとしたじゃねえか!!

でも、声が全然違うかった。あいつはそんな声じゃねえよ。そもそも一人称「ぼく」じゃなくて「オレ」だ!

なんてね。言ってますけども。

この話については、この「くろすけ先生」は何にも非がないし、訳分かんないと思うので、この辺にしておいてやろう。

ただ聞いててなんか変な気持ちになったので、そっとブラウザを閉じました。

先日、家の押し入れの掃除してたら、くろすけがオレの結婚式の余興で「おおきなさかな」歌ってくれた時につけてた「タイの被り物」みたいなやつが出てきた。これは何となく捨てられないので新居の方にも持っていくデス。

なぁ~んか先日、ラジオのネタでチラッと名前出してから、ちょくちょく話題になるんだよな。

この調子で、ひょっこり本人と会ったりしないもんかな。とか思ったりもしつつ、もうチョッと色々イヤになってきた。もうしばらく、くろすけネタは良いです。

さてさて。

時々、人生について鑑みてみたいと思う事がある。

とは言え、もうこのブログの記事数も2700を超える訳で、さすがにそう毎回毎回目新しく人生観が出てくるもんでもないんだよね。

個人的によく読み返すのは、「【転落の詩集m7】と言うコード」っていうこの記事だったりする。

要するにコード進行で言う所の、根音から3度離れた性格音が半音上がったり下がったりするだけで、メジャー調にもマイナー調にも変わってしまうんだかから、人生だってコードと同じく半音の上がり下がりだけで幸せな人生と不幸な人生が変わるとか。まぁ、そんなお話ですよ。

自分の人生を悲観的に見るか肯定的に見るかなんて、ホントその人の感性。

そもそもマイナーコードだって、何だったら不協和音だって、曲を描く時に欠かせない。

実際オレが描いた曲のほとんどはマイナー調。メジャー調の曲なんて多分数曲しかないと思う。

マイナーコードってカッコいいんだよ。そして、マイナーコードの中に時々メジャーコードを紛れ込ませるだけで、凄く良い感じの曲になるんだよ。

トニックとドミナントを混ぜ合わせる事によって、感動するコード進行が作れると言う、邦楽で最もよくやられてる手法だよ。

音楽の話はもういいや。

別にそんな専門的な話をしたいわけじゃあない。

最近このコード進行で言う所の性格音的な事でチョッと思う事があった。

前に書いたかもしれないけど、息子が発達障害の疑いがあったとか何とかで、「そんなことよりお父さんはかなり重度の発達障害ですよ」的なお話になった。

それはそれとして良いんだけど「薬を飲むことで、症状を抑えられますけど」と、そんな話をね、最近されたんだよ。

前に、うつ病だか適応障害だかになった時には、精神を落ち着かせる薬とか、不安を取り除く薬とかを出してもらって、何年かに渡って飲み続けた(結局、こんなもの意味ねえよ!って飲むのやめたけど)。

それとはまた少し違うものらしい。

それを飲むことで、じっとしていられなかったり、注意力が散漫になったり、どれだけ注意してもケアレスミスしたり、人の気持ちや空気を読めなかったりと言う事が緩和されるとか何とか・・・

ふと考える。

これは、薬を飲んでまで治さないといけない事なのか。

正直な話をすると、これまでの人生が楽ちんちんだったとはあんまり思えないけど、今の生活には非常に満足していて、毎日が「こんな楽しくて、まぢで良いんですか」と思ってる。

嫌な仕事もしなくてよくて、ストレスもたまらないし、おうちでずっと好きな事やって、それでサラリーマンの頃より全然収入もある。かわいい嫁も子どももいて、いつもニコニコ生活している。

それもこれも人生における選択肢を全て奇蹟的に良い方向を選び続けた結果なんだと思ってる。

一つでも、選択肢が変わってたら今のオレはない。

パラレルワールドにはきっと、違う選択肢を選んだオレが無数に存在していて、その中には、今のオレより圧倒的に幸せな奴と、絶望的に不幸せな奴がいるんだろう。

だからと言って、今の生活に対しての不満も、他のパラレルのオレに対する嫉妬や羨望もある訳ない。

薬の話に戻るんだけど、例えば小学生の頃、じっと座ってられなくて、ずっとティッシュとか鉛筆とかを食べてて、すぐ暴力をふるったりしてたオレが、あの当時重度の発達障害だと診断されて、薬を飲んで、特別学級に行かされていたとしよう。

確実に、今の人生とは違う人生を歩んでいたと思う。

小学校とか中学校では、薬のお陰で割と楽しくやれたかもしれない。友達もいたかもしれない。

でもそれが本当に良かった事なのか分からないんだよね。

嫁も、家族ぐるみで付き合いのある友達も、今のお仕事関係の人とかも、皆さん今のオレに対して、付き合ってくれてるんだけど、何となくオレがもし薬飲んで、普通の人になれていたら、付き合っていなかったような気がする。

オレの人生にとっての性格音は確実にこの部分だった。

オレはここで、薬も飲まなかったし、特別学級にも行かないまま、クラスのやばい奴として認定されて、友達はおろか、いじめの対象にすらない、存在自体を拒否された生活を送ってた。

卒業式の練習とかでは、ホント血が滲むほど歯を食いしばってじっと我慢しても、「クラスで一番動いてるダメな奴」の烙印を押されて、学級会とかで吊し上げられてた。

まぁ、マイナー調ですわな。

でも、そのまま生きてきた今、このマイナー調は多分カッコいいロックになったと思ってる。

「どれだけ頑張るの?」と嫁に言われるけど、今の頑張りなんて小学校の頃と比べると、頑張ってるなんてレベルにもならない。

これがずっとマイナー調で生きてきた結果だよ。多分・・・

未だにジッとしてられないし、人と話するのも苦手だし、イベントごともしょっ中ドタキャンするし、仕事の納期もあいまいだし、物凄いうっかりミスする。

でも絶対適当な仕事して、雑に生きてるわけじゃないとは思ってる。

ダメダメなのはわかってるけど、一生懸命やってるんだよ。

それを分かってくれる人と一緒に生きていってる。

お仕事の面でもそれを認めてくれる人がいてくれる。

学生時代の砂漠の砂鉄のような経験があるから、他の人と比べると少ないかも知れないけど、そんな人の存在がとてつもなく嬉しいし、感謝してる。

その人のために、どうしようもなく微力だけども出来る限りのことをしようと思ってる。

マイナー調が今になって良い感じになってる。

発達障害も、何だったら身体的な障害もある意味で個性でしかないんだと思う。

個性に対してネガティブに思うか、ポジティブに思うかは、人それぞれの取り方でしかない。

もしこの話について、「お前は障害者の気持ちが分かってない!」と批判されるなら、「そりゃあ無理ですよ。オレは、人の気持ちが分からない発達障害者ですから」ってなもんですよ。

障害者って便利な言葉だわ。

これ使って「オレって弱者ですよ」って言えば、強い立場になれるんだから。

そんな社会なんて糞みたいだ。と、あの車いすに乗ってるちっこいおばさんに言いたい。声高に言いたい。

傷つくかもしれないけど、オレは人の気持ちが分からない発達障害者ですからなぁ~ケセラセラ。

あのちっこいおばさんには色々思う所があるけど、この辺にしておこう。言い出したら、止まらなくなるし。

まぁ、何しか、個性をひけらかして自慢する前に、楽しく生きられるように頑張れよって話。

性格音が半音下げでマイナー調だとしても、それが必ずしも悲観的な音楽にはならないんだからな。

絶対悪意とかそんなんじゃなく「飲んだら色々楽になりますよ」と薬を勧めてくれた、本来息子のために来てくれていたカウンセラーのおばちゃんには「今の生活で満足してるので、オレは無くても大丈夫ですよ。息子が辛そうにするようでしたら、そちらはご提案いただけますと嬉しいです。」とお断りをした。

この決断に後悔などあるはずもない。

そんなこんなで、今週も何とか「G」1話描き切った。

今週一番作画に時間がかかったページ(↓)

いや、実にカッコいい絵が描けたと思う。

簡単な作画でやって行こうと思ってた「G」だけどやっぱり、クライマックスになると、どうしても絵も気合が入ってしまうな。

あと半年ぶりの新作短編のネームも描いてる。

一つは嫁の希望で描いてる「2人マイナス14年」ってお話。

もう一つは「おもちゃはおもちゃばこへ」を描いてた時に思いついてたもう一つの熟女ネタ「今宵ただいまはゼロになる」ってお話。

多分どちらも近いうちに「まんがおきば」さんの「漆黒の青空」の方で更新すると思う。

これについては書く書く詐欺にならないように。

ちゃお~

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