「気分」カテゴリーアーカイブ

2023年6月2日 23:59 CAT :

何もないと言うのはつらいもの

あれ?何か分からないけど、今日のブログアップできてなかった。

なんかいくつかストック溜めておいたのに、上手くできてなかった。

まぁ、毎日更新を初めてもう3か月近く、記事90本にもなるので、日付のミスやらなんやら色々やらかす事もあると言えばあるよね。

取り合えず、明日は「外来種を逃がせないお話」、明後日は「だったら日本から出ていかないの?」をお送り予定です。

はい。

更新がうまくできておらず申し訳ありませんでした。

誰に約束した訳でもないんだけど、毎日更新できなかったので、謝罪もかねて健康的な女の画像でもアップして感じでお茶を濁しておきます。

明日からは大丈夫だと言う事は取り急ぎ確認した。

大丈夫だろう。多分。

じゃあの。

この記事を見てみる  ⇒
2023年6月1日 11:14 CAT :

だがよく見ればここには何も無い訳じゃあない

色々な事が同時進行で進んでる。

ついていけていないのは、オレの心と体力とテンションのような気がする。

乗り切って楽しくやれば、何事もスムーズに進むんだろうけどね。

新しい世界が開けていくこと自体は、楽しみなんだけど、その扉を開くと言う行為には非常に力を使うようだ。

開かなければ良かったかも知れない。

それでも扉を開き続けた。

絶望だと思えばそれは絶望になる。

だがよく見ればここには何も無い訳じゃあない。

そう言うお話を昔描いたことがあります。

「口頭無形」と言うお話。

幼いころ、「扉」に対して異常に恐怖心を覚えていた。

扉が少しだけ空いていると言う状態は今でも苦手。

この記事を見てみる  ⇒
2023年5月31日 12:02 CAT :

確信したはずの第六感ハズレ セミの息と共に黒い幕を閉じた

ペンデュラムと言うものをご存じだろうか。

こんな奴(↑)

これを使う事で、ダウジングみたいなノリで色んな事を聞くことが出来る。

メチャクチャざっくり乱暴に説明するとそんな感じ。

先日、天然石のお店に行った時、もうこれは「呼ばれている」としか思えない位のテンションでアピールしてくるペンデュラムがあったので、それをお買い求めしてきた。

時々、その子に色々聞いてみたりしてる。

スピリチュアルな話題も大好きなんだけど、自分で分かったり見えたりしたものじゃないと、何となく信じきれないので、占いとかそっち系はどうなんだろうと思ってた。

んだけど、これがなかなか面白い感じで当たってる。

そうなってくると、これはもう今後どうなるかとかを色々聞いてみたくなる訳ですよ。

と言う訳で、昨日の夜にチョッとペンデュラムさんに色々聞いてた。

●お金溜まりますか ⇒ no

●漫画いっぱい描けますか ⇒ no

●ブログ書くの続けられますか ⇒ ややyes

●今、新しく立ち上げている部門は今年中に形になりますか ⇒ NO

●来年には形になりますか ⇒ ややyes

●新居は良いおうちになりますか ⇒ yes

●会社の今期はどうですか ⇒ no

●五年後でも会社は存続してますか ⇒ yes

●今年、オレは死にますか ⇒ no

●お仕事何とかなりますか ⇒ yes

などなど・・・

まぁ、何とかかんとか死なずにしばらくは、今みたいな感じで生きていけるんだろう。

全力で信じるよ。

この記事を見てみる  ⇒
2023年5月30日 12:44 CAT :

勝つと思えよ 思えば勝ちよ

人生を鑑みた時、局所的に見れば損だと思う事でも、実はそうでもないことが思っているより多い。

逆に言えば、局所的な楽を選んだため、マクロ的に見たら物凄い損害になってたと言う話がありふれている。

【僕はゴッホじゃ嫌なんだ】

チョッと前に書いた(↑)の記事の話にも近いものがあるんだけど、任せられたことを周りがどうであろうとも、自分自身はやりおおせる。漢字で書くと「遣り果せる」。

これが全てなんだよ。多分。

これだ。

この話だ。

この時の太郎の話で、涙した人は、オレ以外にもモリモリいるはず。

今、この瞬間を誰も見ていなかったとしても、誰も評価しなかったとしても、遣り果す事は必ずマクロ的な視点で見た時、人生のボーナスタイムなんだよ。

そんな事を、何となく人生の教訓としてもって、ここまで生きてきた。

このせいで、色々貧乏くじを引くこともあったけど、それも含めて、今の生活が非常に満足のいく形になっているのは、この考え方も結構関係していると信じていたい。

周囲からの助けであったり、過大も過ぎるほどの評価があることはもちろん言わずもがな。

360度感謝してもしきれないほど、ありがたい。まぢで。まぢで。

でもそれも含めて、どれだけ貧乏くじを引かされ続けても、やりおおす事を続けたからだと。

オレの場合、相手への復讐心と憎悪の気持ちがメラメラと滾ってもいたけど。

ここ最近、娘がこずるいお友達のせいで、貧乏くじとは言わないまでもチョッと面倒くさい事を押し付けられて悩んでいるらしい。

オレも身に覚えがあるわ。

なので(↑)の話をもう少し、復讐の部分とかマイルドにして話してあげようかなと思っております。

人生の道しるべに「最強伝説 黒沢」を読ませてみようかとも思ったけど、まだちょっと早いか・・・

いや、でもオレが親父に横溝正史読まされてたのは小学3年の頃だったから、もう大丈夫なのか・・・

この記事を見てみる  ⇒
2023年5月29日 12:43 CAT :

心だけ残したまま移り変わる景色

今更ながら、マイナンバーカードを申請した。

いやね。ここ最近、本当に色んなところで「マイナンバーカード持ってますか?」と聞かれるようになったので、流石にそろそろ持ってないとなと思ったんだよ。

ただ何となく、「ナイナンバーカード作りました」「お?マイナポイント欲しかったの?」と言う問答が絶望的に面倒くさかったので、マイナポイント申請できるうちは絶対申請するもんか!と言う、断固たる決意は持っておりました。

とは言え、別に、国の方針がどうとか、管理社会がどうとか、セキュリティーがどうとか、もっと言えば陰謀論がどうとか、そういう事で拒否してたわけでは全くないのですよ。

大体、そんなもの信じてたらコロナワクチンだって拒否しておるわい。

陰謀論。大好きです。

大好きなんだけど、陰謀論を拗らせすぎて生活に悪影響が出始めるのもまた違う気がしている。

あれは、究極の生活密着型エンターテイメントとしてみるのが正しい楽しみ方だと思うんだ。

ただ、知っておくべき事案は多々ある。

知らないでおくことはいけない。

まずは知ることから始めるべきだよね。

知ったうえで、どうするかは自分で決めればいいんだよ。

で、その決めたことが、正解かどうかはその内分かるようになるはず。

春も終わって、夏になろうとしている。

今年ももう半分終わると言う事実の方が、この世の中のどんな陰謀論より恐ろしいとは思いませんか。

時間が流れると言う事は、冷静に考えると、死ぬことに一歩近づくことになる。

それが加速していると言う事は、ものすごいスピードで死んでいってると言う事。

これ以上の恐ろしい事なんて、何もない。

取り合えず、健康診断行ってきます。

まだ、死ぬにはやり残したことが多すぎる・・・

娘が割と好きなホラー漫画。

この記事を見てみる  ⇒
2023年5月27日 12:10 CAT :

妥協点見つけて生きてきゃ そこそこだよね

今年風水的にはグリーン系の色味が良いらしい。

と言う事で、背景をグリーン系の色味にしてみた。ただ、あまりキツイ緑だと見にくいので薄めであと最近の流行もチョッと取り入れてやや濁った感じの緑に。

「蕎麦切色」と言うらしいです。

どうでも良いですな。

あ、あと、これPCで見てる人の話なので。まだ、スマホ対応は出来てねぇです。いつやるんだろうね。

さてさて。

ここ最近、色んなところでチョコチョコ話したり書いたりしてるんだけど、環境が色々激変してきている。

いくつか挙げていこう。

 

【会社内の体制が色々変わりそう】
オレがフリオ―ランスでやってきたお仕事の延長がメインのデザイン会社だったんだけど、ここにきて、いくつかの別部門が立ち上がりつつある。

それに合わせて、その部門の担当者になる人が入社したり、デザインの方のお仕事のやり方が変わったり、人が減るかもしれなかったり・・・などなど。

新しい部門の方は、もうオレは良く分かんない話なので、多少監修はしてても、正直がっつり入り込んで主導していくことはない。

と言うか、オレはオレで今のお仕事が忙しいんだよ。

この方向転換うまくいけば、会社自体はさらにオレの手を離れて凄い事になるんだろうけど、うまくいかなければ・・・いや、それは考えないでおこう。

うまくいくさ。こういう時、いつもなんだかんだでうまく行ってきたからな。

 

【いよいよ住むところが変わりそう】
ここ数年ずっとゴタゴタしていた土地問題がいよいよ終わった感じになってきた。

いや、裁判はまだ終わってなくて、そっちのゴタゴタは全然終わり見えてないんだけども・・・

それとは別で、実は今年の始めから新しい土地の購入にずっと動いてたんだよ。

そっちが今月(5月)中にまとまりそう。ついに土地を手に入れて、そこに事務所兼自宅を建てると言う話ですよ。

要はこの話(↓)が2年ぶりに動き出したってことだ。

【お家を建ててみよう 第1話「土地を買ってみよう」】

長かったわぁ。まぁ、この辺りの詳細も近いうちにつらつら書きましょう。

 

【日々の生活が変わりそう】
と言うか、変えていきたい。

いや、昨年末のアキレス健断裂以降、まぢで体中にガタが来てる事をありありと感じている。

もう2日連続徹夜とかしてる場合じゃねえよ。

好きなもの食いまくって暴飲暴食してる場合じゃねえよ。

などなどありまして、生活改善を余儀なくされている感じ。

オーケンが「ヨギナクサレ」を歌ってたのが、丁度アラフォーの頃だよな。

アラフォーって、そういうお年頃なんだろう。

 

他にも、いくつかあるんだけど、とにかくこの3つが急激に変わってきたために、色々心労が溜まってる感が否めない。

いや、もっと細かく言えば、インボイスが始まるから会社の経理の仕方を変えないとね。とか、そういう奴もあるっちゃあるし。

人生に平凡は求めてないけど、なかなかのジェットコースターで毎日を生きております。

この記事を見てみる  ⇒
2023年5月26日 10:36 CAT :

親不孝怨歌

(↓)と言う記事を見かけた。

【新出生前診断、4年で4万人超 高齢出産増加が背景】

これ5年くらい前の記事だったけど、お腹の子どもが障害を持っているかどうかを調べることが出来ると言う新出生前診断をしてる人が増えていることと、障害を持っていると分かった人の9割は中絶を選んでいると言う話ですよ。

これだけ見ると、倫理的になんだかなと思うんだけど、この話にはもう一つの側面がある(↓)

このグラフ、中絶の件数を出す数字なんだけど、新出生前診断が始まってからどんどん中絶件数は減ってきているらしい。

この2つの事象を簡単に関連付けることはできないけど、色んな事実を知っておくことは重要ですよ。お兄さん。

普通に子育てするのでも、正直相当しんどいんだわ。

それ以上に楽しい事が多いので、子どもがいる事に対して負の感情を持ったり、いない方がいいと思ったことは一度もない。

むしろ、子どもたちがいてくれて本当に良かったと思ってる。思ってるけど、まぢでしんどい。

ありがたい事にうちの子どもたちは、身体的な障害などはなく、知能的障害も一番ひどいのがオレだったくらい何もない。

でも、この子たちが障害を持っていたらどうだったんだろう。そして、それが生まれる前に分かっていたとしたら。

今すぐに、「だったら堕ろしますね!」と即答できるはずもない。

きっと中絶を選んだ9割の人たちも「えぇ~ガイジなの?じゃあいらないよ。」とか言いながら堕ろした人はいないと信じたい。

悩みに悩みぬいた末の結論に決まってる。

その結果、中絶したとしても、産んだとしてもどちらにしても、本当に大変だったと思う。

中絶件数が減ってきているし、障害があるかどうかがわかる事で、例え産む決断をしたとしても心構えが出来る訳で、そう考えると新出生前診断と言うもの自体は施行されて良かったんだろうね。

結婚やら出産やらが続いたので、明日は多分、「あの頃の話を振り返る愚行を犯し続ける別にひとときでもなかった暗がり~その7」を更新するよ。

この記事を見てみる  ⇒
2023年5月25日 12:17 CAT :

全裸より下着姿の方が興奮するのは理想の乳首を妄想できる余地があるから

腰の薬として、筋肉の緊張をほぐす薬と、痛み止めとしてみんな大好き「ロキソニン」を貰って来た。

で、今朝。

いつものADHD用のお薬(名前忘れた)と合わせて全部飲んでみたんだけど、なんかさっきからずっと体がふわふわしてる気がする。

これもしかしたら、一緒に飲んだらまずかったのかな?

お薬出してもらう時に、「今、飲まれているお薬ありますか?」って聞かれて、別に病気してるわけでもないから「ないです」って言ったけど、発達障害も立派な病気だった訳ですな。

うっかりしてたわ。ケラケラ。

まぁ、死にゃあしないだろうし、トリップしてる気持ちで、ふわふわと今日一日を生きればいいんでしょう。

知らんけど。

さてさて。

こんな資料を見つけてしまった(↓)

オレは、本来有り得ない位の超絶な僥倖の果てに奇跡ともいえる状態で結婚して、子どもも生まれたけど、一歩間違えれば、生涯未婚どころか生涯童貞だっただろうて。

なので、別にその事についてどうこう言う立場ではない。

そもそも、他人の人生について言及するとか何様だって話だ。

その上で、オレの経験上の話をさせてもらう。

やっぱりね。普通に生きていれば1度位オレに起こったような僥倖の果てに奇跡は起こると思うんだ。

結婚なんて、やろうと思えばきっとできない事はない。

そこで「しない」と言う選択をしたと言うだけの話なら、それはそれで何の問題もない。そういう人生を歩んでこられたんですね。でおしまい。

ただ、未婚の40代と結婚してる20代だと、一緒にいてストレスにならないのは圧倒的に結婚している20代なんだよ。

あくまでも、オレの経験談でそうじゃない人もきっといると思う。思うんだけど、少なくともオレはそんな人に出会ったことない。

結婚生活をすると言う事って、自分が望む望まないに関わらず尋常じゃない気遣いと人付き合いを続けないといけない。

人って、色んな事を経験して成長していく。

結婚も子育ても、強制イベントとしてはムドー討伐を遥かにしのぐ凄いイベントなんだよ。

そのことを認識したうえで、ムドー討伐以上のイベントに自分から飛び込んでいった人は、きっと結婚とかしなくても立派な人なんだと思う。

残念ながら今のところ、オレがそんな人に出会ったことがないと言うだけで。

ただ、じゃあ、結婚してればいいのか言えばそんな事もなくて、ムドー討伐に行ったけど、ムドー怖いからずっと船の中でダラダラしてるやつは結局クソなんだよ。

要は、ムドーを討伐レベルの強制イベントを経験しているかどうかと言う話なんですよ。

とは言え、アークボルト以降がちょろいかと言えば、全然そんな事はないんだろうけどね。

欲望の町で、何も考えずに死んでいきたいと思う事もある。

この記事を見てみる  ⇒
2023年5月24日 12:54 CAT :

目を皿にして眺めても全てが見えるわけじゃない

「ひとときの暗がり」を書くにあたって、高校時代の超絶黒歴史な日記帳を取り出して、読み返しながらプロットを作っている

プロットと言うか、まぁ、自分の高校生時代の出来事を時系列にまとめているだけなんだけど。

その中で一つどうしようもない事が起こって困っている。

今までに描いてきた物語について、詳細はともかくほぼ全て頭の中で何となく記憶している。

もちろん漫画を筆頭に、音楽に、小説に、詩に、演劇の台本にと、数えたら100ではどう考えても足りない位の数を書いてきたわけで、流石に全てを完璧に把握できるとは思ってない。

演劇の台本とかでも、実際に公演せずに没になってしまったものとかは、さすがに覚えてなかったりはするし。

でも、高校時代に自主公演として実際に公演した「ナルシストカンパニー」と言う劇だけが、どうしても思い出せない。

タイトル自体も、日記を読んでて「んん・・・そんなのあったっけ?」となった感じ。

まぢで全く内容が思い出せない。

過去にも存在を忘れていた物語はある。

例えば、15年くらい前に書いた「メルデス夜行」と言う短編漫画。アルバム「オナニー遍歴」に収録している「カニバリズム・マゾヒスト」と言う曲。などなど・・・

この辺りのものについては、存在自体は完全に忘れていたけど、タイトルを聞けば「あぁ。はいはい。メルデス夜行ね」「カニバリズム・マゾヒスト!あったなぁ~」となる。

でも、「ナルシストカンパニー」だけは、まぢで1ミクロンもイメージが出てこない。

公演したと言う事はそれなりに長い期間付き合ってきたはずだし、完成させて人前で発表までしているはずなのに・・・

もしかしたら、このブログ内で過去にふれたことあるのでは?と思って、検索してみたら下の記事は見つかった。

 

【ナルシストカンパニー~マタタビ編】

【残暑なんか微塵も感じられないんじゃぼけ!!見舞い申し上げます】

【カラフルメリィが降った街へ引越し】

 

少なくともこの時期には、まだ記憶の中にあったらしい。

それが記憶にないと言う事は、もう年老いたと言う事ですな。

ただ、この記事の中に一筋の光明が・・・

「カラフルメリィが降った街へ引越し」の中の一文(↓)

高校に教育実習で行った時、演劇部の部室で「M・M~そしてRは除く」とか「ナルシストカンパニー」の脚本(ついでに当時の部員さんがたの写真も)を見つけた時はテンションが上がったもんさな。

もしかしたら、家の中を漁ったら当時の台本が見つかるかもしれない・・・

この記事を見てみる  ⇒
2023年5月23日 12:39 CAT :

幸福な人生はどれも似通っているけど不幸な人生は様々

腰を痛めちまった。

いや、正確には腰ではなかったんだけども。

重いものを無理な体制で持ち上げたら、腰にピキッ変な音がして、そのあとじわじわ痛くなった感じ。

まぁ、こんな感じですわ。

昨年末に、左足のアキレス健が切れて、2か月ほどギブス生活を過ごした。

(↑)その時の足。

このこと自体は、歩けることの喜びであったりとか、家族のありがたみであったりとか、不自由だからこそ色々学べることもあって、いい経験だったと思う。

ただ、2か月間まともに歩かなかったので、何となく、左足の筋肉とかがやっぱり落ちてて、チョッと運動するとすぐ左足がだるくなる。

普段お仕事は椅子に座ってパソコンに向かっているだけだから、運動なんてしない。

その結果、以前より運動とかをしなくなってしまった。

今回の腰をやってしまったのも、このことと無関係ではないような気がしているんだよね。

昨年亡くなったばあちゃんが、コロナにかかって寝込んでしまった時に、見る影もない位弱ってしまった。

よろよろ乳母車を押しながらではあったけど、普通に散歩してたし元気だったのに、ボケもメッチャ進行して歩くなくなって寝たきりになった。

今の歳のオレでも、チョッと動けなくなるとこの体たらくなら、年寄の寝たきりは本当に大変な事になるよな。

などなど、色々実感しましたよ。ええ。ええ。

オレも、もう若くないので少しずつ運動とかして、元気でいられるように気を付けていきましょうね。

今回の腰とは関係ないけど、今回病院にかかった時に、レントゲンも取られたんだけど「骨がキレイですね。」と褒められた。

なんでも、長年激しい運動とかしてると、やっぱり骨とか軟骨にもダメージが蓄積されるらしいんだけど、その感じが全くないと。

家にこもって漫画ばっかり描いてたから、骨に対してほとんど負担をかけてなかったんだろうて。

ただし、背骨が左に曲がってた。

ずっと右手に力を入れて漫画を描いてた影響らしい。

そう言えば、右手の小指が成長期にずっと漫画を描いてた影響で、左手と比べて5㎝程短いことも思い出した。

漫画ばっかり描いておりま・・・した・・・いや、これからもな。

自分の人生を不幸だとは思っていない。

今のところは。

この記事を見てみる  ⇒
2023年5月22日 12:32 CAT :

朝日のように現れて夕日のように消えていく それじゃあんまりだぜ 青春よ

ここ最近、記事の文字数をやっと抑えることが出来るようになってきた気がする。

短い文章で書くってこと自体が手抜きだと思われるかも知れない。

けれども、長編漫画と比べて短編漫画を描くことは手抜きなのか?と言えば、手抜きですね。と言う人は多分少ないと思う。

むしろ、クリエイターさんなら同じくらいの熱量と内容を短くまとめる方が労力としては大変なことも分かってもらえるはず。

ブログ記事も同じだと思うんだよね。

例えば、昨日(一昨日だっけ?)の「子どもにハーネスをつけるかどうか問題」みたいなネタって、書こうと思えばいくらでも自分の経験とか考え方を踏まえてダラダラ長々と書くことが出来るんだよ。

でも、700文字でまとめられた!

いや、700文字ってまだ長い気がするけど、取り合えず、短めの文字数でまとめられた。

これが最近出来るようになってきたんだ。と、チョッと自慢したいわけですよ。

実際に、ブログ書いてる時間は短くなったんだけど、その代わりネタに対してどういうアプローチしてどういう画像使おうかなぁ~とか、頭の中で悶々と考える時間は圧倒的に長くなった。

その内、記事のプロットとか作り始めたら末期症状だ。

まぁ、流石にそんなことはしないだろうけれども。

短くまとめることが出来ると言う事は手抜きでもなんでもなく、技術なんだと改めて痛感しております。

ここ最近、短編漫画の方に比重を置いているので、これから描く長編漫画は面白いものが描けるぜぇええ!とか、憤っております。

実際の評価は読む人によるんだろうけれども。

次は、毎回同じくらいの文字数でまとめられるように意識してみようかな。

まさに、漫画を描く練習でやってることと同じだ。

どうでも良いけれども、「ひとときの暗がり」が小説のくせに想定よりたくさんの方に見ていただけているみたいで、感無量しております。

本当ありがとうございます。

漫画と全然遜色ないテンションで描いてるので、嬉しい限り。

まだまだ先は長いけど、頑張って書いていこうと言うモチベーションは尋常なく溢れてるよ。

アラフォーのおっちゃんはまだまだ色々頑張れる!・・・と思う。

この記事を見てみる  ⇒
2023年5月21日 12:45 CAT :

鮮やかな色どりのはかない恋の記憶

子どもにハーネスをつけるか問題と言うものがある。

一応参考画像(↓)

こういう奴。

これを首輪をつけているみたいだから駄目だと。

そんな批判があるらしい。

まず、言っておこう。人間に首輪をつけると言うのはこういう奴の事を言うのだよ。

子どもにハーネスをつけることに対して倫理的にどうのこうのと言う奴は、子育てしたことない奴なんだと思う。

もしくは、自分が過去に子育てで苦労したもんだから、他の奴も子育てに苦労しないと気が済まないと言う、まさに老害と言う言葉がぴったりの存在かだろうて。

オレはこのハーネスは結局使わないまま子どもがある程度大きくなったけど、別に使っている親に対して「うわ!子どもに首輪つけてペットかなんかと勘違いしてるんだろうか?」とは思わない。

むしろ、SNSとかで自分の顔は隠してるのに、子どもの顔はさらけ出してる承認欲求の塊のような親の方が、よっぽど子どもをペットかアクセサリーだとでも思ってるんだろうかと思う。

メッチャ動き回る子どもを保護するために、ハーネスでつないでても良いじゃあないか。

それよりは、勝手に走り回る子どもを見失って、その子どもが大怪我するとか、犯罪に巻き込まれるとか、よっぽどその方が問題でしょうが。

倫理観って何なんだよ。

そんなもん押し付けるんじゃあないよ。

同じような理屈で、学校のPTA活動とかの話もあるらしい。

自分たちがPTA活動で苦労したから、下の世代がPTA活動を縮小させようとすると、もう子どもの通ってもいないのにOB面して偉そうにPTA活動を押し付けてくる元親がいるんだって。

こういう人たちは何なんだろうね。

あと、自分に家族が出来たことがうれしくて、でもネットに顔出しさせられなくてこういう写真撮る奴もいるよね。

それは、オレもやってけどな!

この記事を見てみる  ⇒
2023年5月20日 22:42 CAT :

思いのままに吐露した言葉のしおり

今月チョッと、お仕事のペースがあんまりよろしくないような気がしないでもない。

ゴールデンウィークのせいなんだろうか・・・いや、取り合えず、何となくペースを落とす時があってもいいような気がしないでもない。

しないでもないんだけど、クライアントさんからは、ありがたい事にお仕事をちゃんといただけてるんだよ。

そのことに対して、感謝の気持ちを持たないでダラダラしてどうするんだよ。

そんなことを考えるとちょっとイライラしてしまう感じがあったりもする。

・・・社員さんが一人増える事になりそう。

今週ちょっぴり歓迎会をしようとも考えております。

土地売買の話は、いよいよ最終章に入ろうとしているんだけど、裁判の方はまだ終わりが見えていない感じ。

以前、漫画の方で第3部として描こうとして話のネタはインスタの方である程度消化しているので、もう描かないかなと思ってる。

裁判の話は、決着ついてしばらくしたら描くと思う。需要があるかは知らないけど、どういう流れなのかとか、費用どんなものかとか、なかなか面白い話が描けるんじゃないか。

あと、最終章の話も。

取り合えず、今のオレの環境が、本当に自分の人生でこんな事が起こっていいのか?!と言うレベルでありがたい状況なのは間違いない。

日々感謝でございます。

日々感謝して、丁寧に生きていこう。

そう思っているんだけど、実行するのは難しいね。

なんか、こういう画像載せたらアクセス数が伸びると聞いたので、載せておきます。

おやすみなさい。

この記事を見てみる  ⇒
2023年5月17日 12:19 CAT :

いまのすべては過去のすべて 必ずまた会える懐かしい場所で

先日と言っても、もう2ヶ月くらい前になるか…

「ヒステリックブルー」愛を語りつつ、人格と作品を結びつけんじゃねぇ!ダボがぁああああ!と言う記事を書いた。

一応、その話がこちら

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 

【退屈でギターを手にしたあの日から変わってしまったBaby Blue】

その中で、「ピカソなんて性格最悪だし、女の扱いがめちゃくちゃ悪いけど、ゲルニカの価値は下がらねえよ」とか、そんな事を書いたんだけど・・・

こんな話を見つけてしまった・・・

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 

【ピカソの絵画の“市場価値”が下落しはじめている 没後50年で注目されるはずが…】

これ、有料記事だった・・・ごめんなさい。

ざっくり要約すると、「人として終わってるピカソの描いた絵画のオークションとかでの売買価格がどんどん下落している」と言う話ですよ。

ゲルニカの価値が下がっておる!!

ネタにしてから、ネタじゃなくなるまで早かったなぁ~

そして、ついに来るとこまで来た感があるよ。これ!

現代の価値観を過去を生きた人間に当てはめて、その人間性を評価するようになってしまう。

これは価値観の押し付けの究極系だと思うんだよな。

いやまぁ。ピカソの性格は永久不変的にゴミだと思うんだけど、それにしてもだ。それが現代における価値に反映され始めると言うにはどうなんだろう。

このままいけば、信長の書簡を織田信長と言う人はいっぱい人を殺したので価値はありません。とか言い出したり、酒乱で性格悪かった中原中也には汚れちまった悲しみなんか無いです。とか言ったりする日が来るんだろうか。

人となりについて、その時代の価値観で「こんなひどい人だったんですよ」って言いだすことは、まぁしょうがないかなと思うんだけど、それまで評価されてきた作品の価値を貶める必要はないだろうて。

ピカソの絵には、女に対する雑な扱いがありありと表現されていると言うのであれば、評価されてきたこれまでは、女に対する雑な扱い自体も評価されてきたと言う事になると思う。

人類の歴史は、過去の反省に基づくべきであり、そのために人類の過去の歴史を学ぶと言う事は大切な事。

大切な事なんだけど、作品に対する評価について考えるのであれば、そこには、作品に対する評価以外のものを入れないでほしいなぁ。と。

人として最低な人は、どんな素晴らしい絵を描いても最低な評価しか得られないなんて、嫌な時代だと思う。

あくまでも、オレは。

オレ自身が最低な人間なんだもん。でも、作品とか評価してほしいんだもん。

この記事を見てみる  ⇒
2023年5月16日 12:04 CAT :

僕らの未来が見えなくなって 彷徨う心は千切れた雲のようどんなに明日を願ってみても 愛なき世界が手招きをする

インスタ始めてから1ヶ月経った。

10件ほど投稿したんだけど、先日フォロワー200人になった。

ありがとうございます。としか言いようがない。

早くね?と、思ってたりもするけど。

こんなに1ミクロンも疑われることなく、この手のお話をする事が出来る世界があるのかと言う事でも、新しい感動をしておりますよ。

龍ちゃんが見えて会話が出来るとか、神様が遊びに来てるとか、見知らぬ女が家の中をうろついてるとか、絶対にやばい何かが窓の外から覗いてるとか、そんな話は開けっ広げに誰彼に話してはいけないんだと思ってた。

どうせ「ハイハイ嘘松」って切り捨てられて、精神病院を紹介されると思ってた。

信じてくれると言う事に感動したし、そして意外と同じような事を経験してる人が多い事も感動した。

まぁたまに、明らかに「そんなわけねぇだろ」と言う人もいるにはいるけど、逆に「そんなわけねぇだろ。まぢかよ。」な人もいる。

オレの常識なんか遥かに超越した神様とかに守られている的な感じで。

まぁ、何しかこのままのんびりやっていきますよ。はい。

特に目的もなく、ただ、何気ない日々だらだら更新していくよ。これからも。

日曜日には、家の近くにあるなぜか首のない3体のお地蔵さんの周りの草刈りをしてきた。

何となくお地蔵さんが雑草に埋もれているのが嫌な感じだったからなんだけど、その夜に実に不思議な夢を見た…と言う話を、描こうかなと思ったんだけど、よく考えたらその話はインスタの方が良かったか。

まぁ、こんなイラストを描きましたよ。と言う事だ。

別に、インスタのフォロワー増やしたくて、こんな感じで引っ張ってるわけじゃないよ。

まだまだ発信したいお話はいくらでもあるんだ。

色んなジャンルでな!

この記事を見てみる  ⇒
2023年5月15日 12:44 CAT :

見たいけど見たくないんだけど見せられると見てしまうから見せてくれるな。見たいけど。

「見るハラ」って言葉があるらしい。

まぁ、「私をじろじろ見てる男キモイ」って言うナルシズムの権化のような状態を指す言葉ですよ。

一番大事なことは、男と言う生き物は女が肌を出してたら見てしまうと言う習性を持っていると言う事なんだ。

性癖とか趣味とかそういう事じゃなくて、習性なんだよ。

「そんなこと言っても見てこない男もいる」と言われるかもしれないけど、それは、その男がめっちゃ我慢してるだけ。100%断言できる。もしくは、まぢで女に興味ないか。

そして、この習性については今はやりのルッキズム的な観点で言う容姿も体形も関係ない。

女に興味ある男は、女が肌を出していたら、目が行ってしまう。

だから、そいつが好みのタイプじゃなかった場合「見せてくんなよ!」って言う嫌悪感を持つ。

でも、見ちゃうんだよ。

「見るハラ」は女目線の言葉なので、だったら男目線の言葉で「見せハラ」があってもいい。

見たくもない女が露出してたせいで見せられてしまった。

「でも見たじゃん」と言われても、それは理性とは別の部分にある習性なので、しょうがないじゃないですか。こっちだってお前の小汚いまんこなんか見たくなかっただよ。クソが。ってなもんだな。

この「見るハラ」って言葉を使ってる女がある程度年取って男に見向きもされなくなったら、次は「フェミニスト」を気取って、一生懸命努力してるグラドルとかのお仕事を「性的搾取」とか言って取り上げ始めるような気がする。完全に偏見です。すみません。

1.男は女が露出していたらその女の容姿とか体形とか関係なく見てしまう習性がある。

2.女なんて世界人口の約半分いるんだから、別にお前のおっぱいにもまんこにも特別な価値なんてない。それは誰でも持ってるもの。

この2点がちゃんと浸透すれば、もう少しこの訳の分からないハラスメントが減るような気がしている。

これからの季節、多分露出の多い女が増えてくるだろうけど、一言言いたい。

「見るハラ」とか言うなら見せなくていいんですよ。別にお前の体に価値あるとか思ってないし、見たいとも思ってないから。習性じゃなかったら100%見てねえから。

そして、見たくもない小汚い体を見せつけてくることは男側からしたら「見せハラ」ですから。

お互いがお互いを知ればきっと世界はもっと平和になるんだって、ジョン=レノンって人が言ってました。

この記事を見てみる  ⇒
2023年5月14日 12:00 CAT :

南馬宿村では今でも毎月数件の村八分が発生しています

先日、引用RTしたこちら…

いや、まぁ(↑)の通りな訳で、娘や息子が小さい頃、何度か行ってたお店だと思う。

子どもたちが高知県のアンパンマンミュージアムが大好きだったので、そこに行くついでにせっかくだし高知県の色んなところにちょくちょく足を延ばしていってたんだよ。

その時にご飯を食べたお店だと・・・

全然知らなかったけど、結構至る所で話題になってるみたいですな。

多分NPO法人の方も絶賛炎上中なんだろう。

高知のクソ田舎から出てこないお山の大将のおっさんがSNSの怖さなんて知るはずもないだろうけど、結構大変な事になってるよね。まぢで。

まぁ、その話は良いと思う。良くないけど、いったん置いておこう。

問題は、この騒動のためにオレの住んでる四国のクソ田舎がめっちゃ閉鎖的で、めっちゃ排他的で、未だに死にかけのじじいが踏ん反り返って封建社会みたいな事をやってると思われてしまう事だと思うんだよ。

最初にはっきり言っておこう。

その通りだ。

四国のクソ田舎は、めっちゃ閉鎖的で、めっちゃ排他的で、未だに死にかけのじじいが踏ん反り返って封建社会みたいな事をやってる。

生まれも育ちもクソ田舎で、ずっとその環境で育ち、現在進行形でその環境に身を置いているオレが断言しよう。

その通りだ。

まぁ、回避する方法がなくもないような気がするけれども、それはあくまでもその土地に長く住んでて、親戚や親せきが色々いるパターンじゃないと難しいか。

結局、田舎ってそんなもんなんですよ。

田舎に対して幻想を抱いてはいけない。

田舎に移住するのであれば、結構理不尽な扱いにも耐え続けて、自分から下って数世代後の子孫になって初めて、本当の意味でその土地になじむことが出来るくらいに思ってて丁度いいんじゃないかな。

ただ一つ。

これだけは言っておかないといけない事がある。

田舎にも本気で地方活性化を考えて一生懸命動いている素晴らしい人はいっぱいいる。

田舎の人間だからと言う理由だけで全員がクソだとは思わないでほしい。

もちろんそういう人は少数派だし、ぱっと見ではそういう人に見えても結局は体制派で裏切られることも多々ある。

でも、本当に素晴らしい人もいっぱい居るんだよ。

結局オレ自身もそういう人たちに助けられて今日まで生きながらえてこられたし、逆にそういう人たちがいなければ確実に野垂れ死んでいた。

あと自然環境は掛け値なしで良いと思う。

だから、今もクッソ田舎に住んでいるし、そのまま骨を埋めるつもりでいる。

何が言いたいのか良く分からなくなってきたな。

いやまぁ、話題になってたから取り上げてみたけど結局特にオチも何にもなく終わりにしよう。あい、すみませんでした。

何となく歯にモノが詰まったような感じになっている部分については、察してくださいな。田舎ってそういう場所なんですよ。

村八分にされないための方法については(↓)を参考にしてもらえれば幸いでございます。

この記事を見てみる  ⇒
2023年5月13日 12:16 CAT :

あの頃の話を振り返る愚行を犯し続ける別にひとときでもなかった暗がり~その5

前回までのあらすじ!

今日、17話を書き上げたばっかりなので、なんか変な感じでもあるんだけど、それはそれとして、こっちも続けて描いていきますよ。

高校1年生の話って、全体で言うと序章。「シュート」で久保が死ぬまで位だと思ってるんだけど、いつまで経っても久保が死なないですよ。

なんで「シュート」で例えたのは良く分かんないけど…

まだまだ先が長い。

何話で完結するんだろう・・・お付き合いいただけるのだろうか。最後まで・・・

そんな不安でいっぱいなので、少しでも繋ぎ止めるためにと言う邪な心意気で今日も書きます!

その前に一応、リンク張っておこう(↑)。

こちらでございます。

頑張って書いてるので読んでください。平に!平に!

さてさて。

そんなこんなで、第10話「ティーンズライブフェスタ2」の話。

今でも正直、作曲とか良く分かってない。

これまで200曲くらい曲書いてきたけど、全部何となくの感覚で乗りこなしてきた。

きっとちゃんと音楽の勉強をした人がオレの曲作り見たら卒倒するか、物凄く見下すかだろう。

この当時はそれがさらに顕著で、編曲の仕方とか全く分かってない。と言うか、そもそもどう考えてもオリジナルに手を出せる力量じゃない段階だったと思う。

ただ、手を出せるかどうかと手を出したいかどうかは違う訳で。

絵が下手だから、まずはプロの模写をして、デッサンとかを勉強して、うまくなってから漫画を描きましょうね。と、言われたって、オレはそんなもの無視してへっぽこな絵のままで漫画を描き続けてきた。

それと同じだと思ってたし、今も思ってる。

結果、今でもへっぽこなままだけど、別にいいんだよ。

オリジナルに手を出す際に一番重要な事は、完成したものに対して自分が納得(もしくは満足)出来ているかと言う一点に集約されると思ってる。

自分で満足できないなら、満足できるように技術を磨けばよろしい。

オレは、この当時も、そして今でも、自分の作ったものに満足してるんだよ。あまつさえ「これ、凄くね?」と自画自賛してるんだよ。

創作活動を始めた小学生のころからそれは変わってない。

世界中の誰からも認められないけれども、オレだけはこの世で最も素晴らしいものだと思ってる。

と言うか、自分の作ったものを自分が世界で最も素晴らしいと思わなくてどうするんだという話。

この当時も、おそらくタクヤ(のモデルになったやつ)は曲を聞いてひどく苦々しい思いをしていたと思うけれども、オレは素晴らしい楽曲だと信じて疑わなかった。

実際に当時の「シータ」のデモ音源「朝日が目に染みた赤フン達」と「朝日が目に染みた白フン達」を世界で一番聞き返したのもオレだと思う。

この辺りに至っては、黒歴史にすらなってなくて、若さと勢いが爆発した何だか良く分からないけど素晴らしい作品のような気がしてるんだ。今だって。

少しネタバレになるけれども、そうやって少しずつ積み重なっていった自己満足と言う名の自信がこの後の大創作期に繋がっていくんだろう。

どうやって同じ24時間であれだけのものを作ってたのか、今となってはもう分からない位のペースで色んなものを作り出してた。

若さって恐ろしいものですな。

とか、良く分からない話をして、今日のところはおしまいにしよう。

今回のこのイラストが、twitterの規約に引っ掛かりませんように。

と言う事で、また次回に。

この記事を見てみる  ⇒
2023年5月12日 3:14 CAT :

深夜3時の勢いに任せた暴論を振りかざす魔物

PCはスリープにするべき。いや、シャットダウンさせた方がいい。

どちらが正解なのかって、色んなところで議論されたりするけど、結局答えはない。

世の中って、そういう事が意外と多いよな。

その前に答えってそもそも必要なのか。議論すること自体に意味があるのか。答えの出ない議論に意味はないのか。

とか、深夜にはどうでも良い事を悶々と考えてしまう。

さてさて。

今、深夜3時。

何だか眠られなくて起き出してきて仕事でもしようかと思ったのだけど、そんな気にもなれなくて、ダラダラと時間を過ごしている感じ。

昔なら、こんな夜はよく海に行っていた。

海で波を音をぼ~っと聞き続けて、その内少しずつ空が明るくなってきて、昨日と今日の境界線が見え始めたころに、帰路に就く。

そんな事を何度も繰り返してた。

いつだったか、もう本当にそのまま海に飛び込んで死んでしまおうと思ったことがあった。

まだ嫁と出会うよりも前だったと思う。

なんか良く分からない思春期特有の中二病的な発想だったんだろうけど、死ぬ前に誰かと話をしようと思った。

あの時も深夜3時くらいだったな。

そんな時間に、いきなり電話しても不機嫌にならずに話してくれそうな相手は誰だろう。と考えて、結局、くろすけに電話を掛けた。

思った通りと言っていいのかどうか分からないけど、当たり前に「おう。どうしたの?」と電話口に出たくろすけと数時間ダラダラしゃべって、気が付くと空が明るんでた。

死のうと思ってたこと自体がどうしようもなく馬鹿らしくなって、電話を切ってそのまま家に帰ったんだよ。確か。

高校生の頃から、深夜に誰かと話をしたくなると電話したり、メールしたりする相手はくろすけだった気がする。

あのお姉ちゃんは、どんな時間にどんな下らない話をしても相手にしてくれたような記憶がある。

もう今は、どうなってしまっている事やら。

人生を続けてると、出会いと別れをずっと繰り返す。

でも、出会いも別れもいつも唐突で、「お。これは長い付き合いになるぞ」みたいなことを感じて、実際に長い付き合いになった事って意外とないと思う。

生まれてこの方、ずっと独り。オレは誰からも必要とされていない。そしてこれからも独りだ。

そんなことを言い聞かせて生きてきたけど、よく考えてみたら本当に独りだった期間ってなかったんじゃないだろうか。

いやもう、小学生低学年のころまで遡るとさすがに記憶も曖昧にはなってるけども。

深夜には魔物が潜んでおりますので、多分、この文章とか昼間に冷静になってみると「みぎゃああああああああああああ!」ってなって非公開にしたくなってしまうかもしれないな。

まぁ、それはそれ。

そんなことも許容して生きていこうじゃありませんか。

もうじき、昨日と今日の境界線が海に見え始める。

この年になって深夜に出歩くと「散歩」ではなくて「徘徊」と呼ばれるようになるのだよ。

おやすみなさい。

オレはお仕事に着手するよ。

この記事を見てみる  ⇒
2023年5月11日 12:38 CAT :

黒くなりすぎた黒歴史は漆黒になって価値が出てくる話

ブログ書き始めて20年近く経つ。

その間、書きも書いたり3000近い記事が溜まっているそうです。

思春期のオナニー回数と比べると、まだ全然書きたりないけれども、それでもなかなかの数字だと思う。

その中で実は、30件ほど、過去に公開してすぐに取りやめた、もしくはしばらくして非公開にした記事が存在している。

先日、その本当の意味での黒歴史記事を読んでた。

「あぁ~これは確かにヤバイな」「そりゃあ非公開になるわ」と。

そのタイミングでは、これを「過去の黒歴史シリーズ」として公開してやろうとか、ふんわり考えていたんだけど、一晩寝て頭を冷やした結果、今更そんなことをして問題を蒸し返すことになっても困るので、やっぱりやめることにした。

大人になったんだよ。私も。

過去の黒歴史と言うものは、どんな人でも必ず1つや2つや3つどころか100くらいは持っていると思う。

そして、これを捨ててしまう人種と、大事に取っておく人種が存在している。

オレの場合は完全に後者で、それこそブログ記事から、漫画や小説、果てはノートに書いた秘密の日記や、日々のどうでも良い落書きまである程度残している。

捨ててしまうのは一時の高ぶりとナルシズムなんだろうけど、残しておいて年老いてから自分だけで愛でると、これがなかなか乙な感じになるんですよ。

と言うか、自分の黒歴史を抹消すると言う行為自体が黒歴史的な行動でしかないと思うんだ。

実際に人前に出すかどうかについては、しっかり考えてからにした方がいい。

でも、自分だけが見られる状態で保持しておけば、それはそれでまた見ることが出来るじゃあないか。

捨てるなんて、いつでもできる事なんだよ。

いつでも出来ることを、さも「オレは過去を捨てる」的な事を思いながら実行するなんて、それこそ顔面大赤面の黒歴史だと思うんだよね。

そもそも、そういうものを取っておかない人が間違いなく一番正しい。

そして、一番恥ずかしいのは取っておいて、突然謎のナルシズムが沸き上がってきて捨てる事だよ。

オレも何度かその衝動に駆られた事あるけど、冷静になれと言い聞かせて踏みとどまって今がありますので。

まぁ、何が言いたいかって、自分の作ったものは大切にしましょうね。と言う話ですよ。

一番の問題は、自分の作った物以上に人からもらった元、子どもたちの作ったものはさらに捨てられないと言う事。

先日も嫁に「どうせあなたは捨てられないから、私が捨てておく」と言って、嫁が描いて渡してくれたイラスト付きのメモを勝手に捨てられました。

そんなものすら全部取っておきたいんだ・・・オレは。

この記事を見てみる  ⇒
2023年5月10日 12:09 CAT :

ぶん投げフリスビーは虐殺独裁国家の機密文章の入ったディスク

以前はバンド活動をやっておりました。

と言っても、もうかなりご無沙汰ではあるんだけれども・・・

ブログの方でもチョコチョコ書いてたりはする話なので、「何度こするんだそのネタ!」と言われかねない話。

30代に入ったタイミング位で出来上がった「王道軽傷」と言うアルバムで、何となく自分の作りたい音楽的なものは一区切りついた。

こちらのアルバムさんですね。

これ以降は、もうあんまり自分で音楽を作ることは辞めてしまった感さえある。

この後に作った「公共事業」と言うアルバムでは、オレが作詞作曲したのは「カノンコードラブレター」1曲だけで、あとは競作かもしくは人の曲だったはず。

こちらのアルバムさんですね。

あと、数年前に作りかけのままでストップしている次のアルバム「不良債権」も似たような感じ。

こちらではまだ数曲作詞作曲してるけど。

にしても、以前の全曲作詞作曲して、アルバムとしてのコンセプトを練り上げて、一人でオラオラ作っていくようなことは全くない。

ほんと、それは「王道軽傷」でやり切ってしまった。

・・・と思ってた。

思ってたんだよ。

なのに、なぜかここ最近ふつふつと音楽を作りたい熱が出てき始めた。

もしかしたら「ひとときの暗がり」を描いている中で、何となく思春期の青臭い熱量にほだされて、こんなしなびたおっさんでも今一度何か作れないかとか思ってるのかもしれない。

「不良債権」ように書き下ろした曲の中で、人前に出しても良いかなと思っている「ゴキブリ男の一生」と「異端者の讃美歌」は何らかの形で完成させたいと思ってる。

でも、それはそれでいったん捨て置いて、全く新しい曲を描いてみようかと。

歌詞を少しだけ考えてみた。

「精神的ドラゴン・タトゥーの男」と「ぶん投げフリスビーは虐殺独裁国家の機密文章の入ったディスク」の2曲の歌詞が描きあがった。

この辺りに曲をつけてみよう。

思いのほかいいメロディーが出来たら、そして同じくらいのクオリティーの曲が数曲出来上がったら・・・

と、「たらたら」うるさいけれども、前からずっと計画してたDTM計画を始めたいな。

誰かの意志が入らない形で音楽も作ってみたい欲求が出てきた。

きっかけは、多分このブログ毎日更新だと思う。

これによって、チョッと脳の一部がクリエイティブな感じになってるんだ。

色んな事をやりたい欲がそれはそれは出てきている。

老いてますますお盛んになりたいな。

この記事を見てみる  ⇒
2023年5月9日 12:16 CAT :

寂しくないと死んでしまうウサギ

ゴールデンウィーク…いや、黄金週間が終わってしまった。(この記事書いてるのが8日の日)

今年は、例年になくしっかり遊んで、しっかり楽しんだんだけど、その反動なのか、今のところ尋常じゃないくらいやる気が出ない。

どうしたもんだろうか・・・

やらないといけない事は山の様にあるのに、1ミクロンもやる気が出てこない。

オレのやる気は一体どこに行ってしまったんだろう・・・

こんなでも、4月中は1日も休み取らずにずっとお仕事頑張ってたんですよ。

その分をゴールデンウィークに当て込んで、ダラダラした結果、この体たらくですよ。

ふおおおおお。

誰か何とかしてやる気を少しでもいいから出してくれ。

だれかぁあああああああああああああああああ!!

この記事を見てみる  ⇒
2023年5月8日 14:09 CAT :

明日に向かって駆け抜けて行け 行く手阻むは群なすエレファント

「新しい学校のリーダーズ」の自己紹介がなんか知らんけど、異常に癖になる。

これ何なんだろう。

曲も好きなんだけど、自己紹介が癖になるんだよ。

ずっと聞いていたい。

と思ったら、こんな素敵な動画がありました。

いや、16連発ごときでは満足しない。

作業用の個性や自由ではみ出していく動画はないでしょうかね。1時間くらいの長さで。

オレも個性や自由ではみ出していきます。ハイ。

さてさて。

最近お絵描きにはまっている娘と色々お話してる中で、一人の人間の成長過程を描けると絵がまたうまくなるよとか、そんな話になった。

で、一緒に描いてみようと言う事で、オレも描いてみた。

生まれてから何不自由なく成長していた女の子が、小学生の頃に一度挫折、その後高校生になった頃にチョッと心に闇を抱えながらなんとか持ち直して、成人式を迎えるまで・・・

そして、大人になった後も、結局心に闇を抱えたまま誰のことも信用できないまま孤独にアラフォーを迎えた感じ。

先日ちょっと書いた「膣無事無残様」な感じをイメージしてみた。

我ながらなかなか良い絵が描けたと思う。

まぁ、問題があるとしたら、娘と一緒にゲラゲラ笑いながら書いていい内容ではなかった気がしないでもない。

そして娘が描いてた方の絵は純粋で素敵な感じに仕上がっておりました。

心の持ちようって大切ですな。

この記事を見てみる  ⇒
2023年5月6日 12:40 CAT :

太く硬く太く硬く

昔々過ぎてもうオレの記憶も曖昧になりつつあるんだけど、はるか過去に「赤の女王説」と言う話を取り上げた事がある。

もう10年くらい前になるので、改めてその話をしても良いと思うんだ。

「赤の女王説」。

その話を前に書いた時のことはこちら↓

【赤の女王その愛深きゆえに】

めっちゃ簡単に書くと、「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない」と言う話。

そして、これを「有性生殖のパラドックス」に絡めていろいろ語ってるのが(↑)の記事ですわ。

何のことか分からないと言うなら、もうそれは記事の方を読んでくださいませ。

あれから色々あったんだよ。オレはオレで。

その上で、今、思う事もある。

自分の周りの環境を振り返ってみた時、ものすごい勢いで進んでいってると思う。

進んでいくと言うとすごく頑張ってる風に言われたりもするんだけど、果たしてそうなのか。

ある程度流れに身を任せて、やってきた問題に対して全力で対処していった結果、今があるような、そんな感じの方が正解に近いと思う。

もしオレが環境を変えたくないために、現状を維持しようとするとどうなるか。

そう考えた時、実はそっちの方が労力を使う気がするんだよね。

凄い労力を使って、今の場所に居続ける事に対して、そこにメリットがあるのかどうかと言うと、そんなものねえよ。とも思う。

今になった気が付いた。

「赤の女王」の話って、「何のメリットもない事に労力を使っててどうするんだ?馬鹿かお前は!」と言う意味だったんだ。

心理学的では、人間の心理は「安全領域」「危険領域」と言うものがあるらしい。

「安全領域」にいる事で心理的に安定し、「危険領域」に入ると心理的パニックになるとかなんとか。

でも、ずっと「安全領域」にいると人間は成長しない。

「危険領域」に入ることで初めて、人間は成長し、新しいものを獲得していく。

可愛い子には旅させろとは、まさにこのこと。

そして、コスト的に見ると「安全領域」に留まることの方が、「危険領域」に踏み出すよりはるかに大変。

この話で一番面白いのは、じゃあなぜ、状況的に見るとマイナスでしかないのに、心理的には「安心領域」でいる方が安定するようになるのかと言う部分なんだよね。

状況的に良くなるためには、心理的にパニックになる行動をストレスを抱えた上で行わなければいけないと言う矛盾が人間の心理には常に内包されている。

それは、なぜなのか。

オカルト界隈には「地球は、別次元の存在にとっての地獄的な位置づけである」と言う説が実はありましてですな・・・

まぁ、長くなってきたのでその辺りの話はまた次回と言う事にしておこう。

取り合えず、おっぱいでも見て落ち着きたまえ。

この記事を見てみる  ⇒
2023年5月5日 21:47 CAT :

個性や自由ではみ出していきたいおっさんの黄金週間の末路

今年の黄金週間は、ここ数年できっと一番楽しかったと思う。

何で楽しかったのかと言うと、それは良く分からない。

いつもと同じだったのかと言うとそうじゃないんだけど、かといってこれと言うほど画期的に楽しい何かをしてと思えない。

ただ、充足感が尋常じゃない感じ。

コロナさんの影響で抑圧されていた何かが、解き放たれたとでもいうのだろうか。

本当に何だったんだろう。

分からないけど、とにかく楽しかったです。

満足しました。

何しか、楽しかった時間が終わってしまった。

さて、明日からどうしましょうか。

来週からどうしましょうか。

取り合えず、オトナブルーをお届けします。

この記事を見てみる  ⇒
2023年5月4日 10:12 CAT :

メロメロメロメロ×□×□メロメロ×□メロ×□×□メロメロ×□メロメロメロ

ゴールデンウィークですな。

何がゴールドだ!とか思いつつ、黄金週間と言うと、なんかジョジョっぽくなるからそれで良いか。

黄金週間。

お仕事は程ほどにしてやりたい事をやっていきますぜぃ。(取り合えず、これ書いてるのは、黄金週間の初日)

さてさて。

ここ最近、なんかtwitter界隈とかで「無産様」と言う言葉をよく見かける。

何だろうかと思ってたら、結婚もしないし、子どもも産まなかったおばさんの事らしい。

もう少し発展させた「膣無事無産様」と言う言葉もあるらしい。

実に、twitterらしいと言うか何と言うか・・・

結婚してるかどうか、子どもがいるかどうかとかで、人の価値を決めてどうする。

その辺りも、人生における経験値の一つではある。

でもあくまでも経験値の一つでしかない。

子どもを産んだ経験を持つ女が一番凄いとか言う話なら、絶対子どもを産むことのできない男は、人生の経験値的な観点で女に劣っていると言う事になるのか?

ジェンダーフリーはどこに行ったよ。

「膣無事無産様」のまま50歳とかになっても良いじゃないですか。

その代わり、子どもを産んで子育てしてる女が絶対に体験できない経験値を積みまくってやれば、俯瞰的に見ればそれでトントンですぜぃ。お姉さん。

「クロワッサン症候群」と言う言葉を聞いたことがあるだろうか。

結婚をしない女の生き方がカッコいいと褒めたたえた「クロワッサン」と言う雑誌がありました。

で、結婚しないでキャリアを積むことがカッコいいと信じて、本当に結婚もしないまま、自分のライフスタイルがカッコいいと主婦を見下す女が都会とかで結構増えたらしい。

所が、この「クロワッサン」と言う雑誌がある時を境に方向転換をする。

結婚して子どもを持つ主婦の素敵な生き方を特集し、結婚することの素晴らしさを啓蒙し始めたんだよね。

クロワッサンだけを心のよりどころに、家族親戚からの「結婚しろコール」から逃げ続けていたおばさん達は、もう結婚適齢期をすぎて、子どもも産めなくなっていた。

そして始まる40~50代のおばさん達の阿鼻叫喚。

この一連の流れで精神を病んだ人のことを「クロワッサン症候群」と言うそうです。

あと、wikiでは(↓)と書いてあった。

クロワッサン症候群(クロワッサンしょうこうぐん)とは、人生の選択肢としての結婚を拒絶したが、結婚適齢期・出産適齢期を越え、自らの生き方に自信喪失し、焦りと絶望を感じている中年女性の心理的葛藤の形容である。語源は、1988年に刊行された松原惇子の『クロワッサン症候群』。

パンの方のクロワッサンがいい迷惑だわ。

結局のところ一番大切なことは、自分の今の生活を自分が肯定することなんだと思う。

自分の今の生活に対して疑問を持っちゃってるから、雑誌の特集を心の支えにしたり、人から言われる揶揄に心を傷つけたりするんだよ。

悪い事をして、叱られると泣く子どもに対して、いつもオレが言ってることがある。

やっている事が「叱られるかもしれない悪い事」だと分かっててやったんだから、叱られて泣くんじゃねえ。

泣くくらいなら最初からやるな。と。

自分で考えて、自分で選んで動け。

自分の責任で行動して、その行動の責任は自分で取れ。

多分、それだけの話なんだと思う。

この記事を見てみる  ⇒
2023年5月3日 12:17 CAT :

精神的な意味でも肉体的な意味でも夢見る少女でいられる訳がない

始めた当初は「今日も何か書かなければ!」と言う軽い強迫観念に襲われながら、戦々恐々としながらなんとか書いてたこのブログも2か月経つと、もう別に当たり前のルーティーンみたいになってきた。

元々書きたいネタはいくらでもあった訳で、ついでに言えば、生きてればそれは常に増え続けていく。

あとは、時間さえ確保できれば、何のことはない。

今のところ問題はない。あるはずもない。

今年1年続けられるんだろう。知らんけど。

最初は、やっと5日・・・やっと10日・・・とか思ってたけど、気が付けば50日超えてた。

慣れとは恐ろしいものですな。

さてさて。

昨年あたりから、精神的な人間選別が始まっていると言う話を聞いたことがあるだろうか。

オレはあんまり知らなかったんだけど、YOUTUBEとかSNS関係を通じて、その手の話が至る所で語られていたらしい。

AとBと言う2か所が存在していて、その間には強固な門が存在している。

そして、これまではその門が開いていたんだけど、昨年末でその門が完全に閉ざされたとかなんとか・・・

これは、現実社会におけるものじゃなくて、精神世界におけるものらしい。

どちらかと言うとA地点の方が次元的には高く、B地点の方が低いんだって。

A地点に入り込めた人間はさらに高い次元に上っていくことが出来る。

B地点に取り残された人間は登っていくことが出来ないまま、その地点でジタバタするしか出来ない。

そして、門が閉まってしまうとA地点にいた人間とB地点にいた人間の交流は自然と消滅していき、精神的に近いところにいる人間との交流が増えていくとかなんとか・・・

うむ。

胡散臭い。

実に宗教的な発想だ。

素直に信じることが出来るかと言えば、なかなか難しい話だと思う。

ただここ数年オカルトな事やスピリチュアルな事を色々経験してきたオレは、この話を「胡散臭い・・・。嘘松ですな」で切って捨てるようなことはしない訳だよ。ワトソン君。

まず信じよう。

それが始まりだ。

信じた上で、自分の周りの状況を鑑みてみよう。

ちなみに、オレとオレの家族は幸か不幸かA地点に入り込むことが出来たらしい。

確実に急激に没交渉になった人、なりつつある人がいる。それも結構多数。

その反面、急激に接触頻度が増えた人もいる。

そして、没交渉になった人たちについては、どちらかと言うと「この人と色々やってたら面倒なことに巻き込まれるんだよな・・・」と辟易していた人の場合が多い事に気が付いた。

逆に、接触頻度が増えた人については「この人のお陰で本当にたすかった。ありがてぇ~!!」な場合が多い。

これを偶然と割り切って終わらせるのは勿体ない話ですよ。

きっと、オレもA地点に滑り込むことが出来たから、B地点に残ったままの人と没交渉になって、精神的に高い位置にいる人と関係を持てるようになったんだよ。

そう考えよう。

考えることで、きっと何かいいことも起こるはずだ。

人生はなるようになる。

そして、いい方に転がる。

最後はハッピーエンドだ。

「さまようこの世界に それでも歩くなら いい方にころがれ please don’t lose the way」だ。

人に対して恨み言ばっかり言ってて、世を儚んで不条理な歌ばっかり歌ってたオーケンが、「ルーズ・ザ・ウェイ」と言う大名曲を作った当時、オレはまだオーケンの心境が良く分からなかった。

なんだ。日和やがって。当たり障りのない歌書きやがってと思ってた。

でも、今は何となく、その心境も分かる気がする。

要するにそういう事なんだろうね。

取り合えず、おっぱいは世界を救う。

この記事を見てみる  ⇒
2023年5月2日 12:13 CAT :

広い宇宙の上を遠い遠い自分に合うために歩き続ける変態

どうも。

アラフォーになって典型的な重度のADHDと診断されたものです。

ここ最近嫁とお話してて思ったんだけど、オレの周りにいる奴で、ADHDとは言わないけど、この手の障害に一つも当てはまらない人間が実はいない事に気が付いてしまった。

オレ自身がキチガイ過ぎて、オレの周りにキチガイしか残らなかったと言う話なら、まぁ、それはそれでしょうがないと思う。

思うんだけど、意外とそうでもなさそうな臭いがしている。

そもそもじゃあ、完全な人間って何なんだよ。

一般的に「美男」「美女」と言われる顔って、実はその人が認識する顔の平均値に如何に近いかと言う事らしい。

ちなみに、日本人女性数十人とかの顔を重ねて作った平均顔。

お世辞抜きでも美人だと思う人多いよね。

絵を描いている人なら理解してもらえると思うけれども、不細工な顔ってめっちゃ色んなバリエーションで描けるけど、色んな可愛い顔って意外と描けない。

人間は、一般的に特徴のない顔を「美形」と捉える習性があるらしい。美人は3日で飽きるってとは、よく言ったものだ。

そして、その平均値から外れている部分のことを「個性」と呼んでいる。

要するに個性的な人間とは、平均値から外れていると言う事でしかない。

個性的な顔。

個性的な性格。

個性的な声。

個性的な服装。

などこの辺りは、全て平均値から外れているね。と言う事。

集団心理の強い人間は、この平均から外れると言う事を極端に嫌い、自分も平均であろうとする。

逆に、集団心理が低い人間は、この平均から外れることを評価し、自分も平均から外れようとする。

それだけの話なんだよね。

結局のところ、冒頭のADHDだの、過集中だの、多動だのと言う分類も、平均と比べてどうかと言う話でしかないんだよ。

それを集団心理の強い人間が、平均から外れたヤツに病名をつけて自分の集団から弾いているに過ぎない。

オレは、集団心理で言えば確実に低い人間だと思う。

子どもの頃から、個性的だと言われ続けてきたよ。

それは、裏を返せば「平均から著しく外れた人間だね」と言う事だったんだろう。

別にいいじゃあないか。平均から著しく外れたって。

問題は、この平均から著しく外れると言う事じゃあなくて、その外れた部分の良し悪しを判断しようとしていることだと思う。

例えば、平均から著しく外れた賢さは評価される。

例えば、平均から著しく外れた足の速さは評価される。

でも、平均から著しく外れた容姿は見下される。

平均から著しく外れた性格は弾かれる。

めっちゃ変な性格の奴も、めっちゃ不細工な奴も、めっちゃ賢いやつも、めっちゃ足の速いやつも、何だったら足のないやつも、みんな平等に「個性的だね!」って事にして、一絡げにすれば、きっと世界は平和になるような気がする。

でも、それは出来ない。

人類は集団心理によって、生存競争を生き抜いてきた過去がある。

それが強烈に本能に刻み込められている以上、集団心理から離れることはできないだろうから、結局はこの話も理想論でしかない。

オレは集団心理の低い人間なんじゃなくて、集団心理から弾かれ続けた結果低くなってしまった人間なんだよ。

平均的な立ち居振る舞いができていれば、集団の中でうまく生きて行けただろう。

そうしたら、オレだって集団心理の強い人間になって、平均から外れていることを「個性的」とみることは出来なかったと思う。

差別も侮蔑も羨望も全て、自分の所属している集団の平均から著しく外れる「個性」の存在が生み出し続けると言う事ですよ。

人類の歴史が記録に残るようになってから、数千年。

その間、本当に世界から争いがなかった全くなかった期間は1秒たりとも存在しないらしい。

世界のどこかで常に、争いは起こり続けてきた。

そして、これからも起こり続けるんだろうね。

こういう個性的な服装が世界にあふれればいいのに。

この記事を見てみる  ⇒
2023年5月1日 12:38 CAT :

未来は見えない お楽しみ

ちょっとなんか色々ありまして、急ぎでコロナワクチンを接種した。

3回目のやつ。

2回目からちょっと間が空いたけど、無事と言うかなんというか、接種することはできた。

陰謀論的には、接種しちゃあもう人として終わりなんだろうけど、それはそれとして、1回目打ってからもう2年以上経つけど、まだ人として終わっていないので多分大丈夫だと思う。

元々人としてなんて終わってるんだよ。バーロー。

さてさて。

コロナさんが、「ついに!」と言うか「やっと?」と言うか5類に分類されるようになる。

日本の対応の早い遅いは置いておくとして、コロナも沈静化してきたような感じがしてる。してるのは、オレだけじゃあないはず。

3年位前だったか?

ついに日本でもコロナ患者が1人出た!みたいな話が出てきて、みんな戦々恐々していたのは。

あれから、本当に紆余曲折あったよな。オレも実際に罹患したし。

未曽有のパンデミック具合で言えば、スペイン風邪以来くらいだったんだろう。

100年ぶりのパンデミックを、リアルタイムに体験できたと言う面で見ると、凄い経験が出来たと思ってる。

人生80年と言われる昨今、生きているうちに何回か教科書に載るような事件が起こるけれども、その中で実際に自分がまきこまれるケースって意外に少ない。

ただ今回のコロナ禍は確実に、ほぼ全人類が巻き込まれたよね。

そういうパンデミックを経験できたと言うのは、良かったとは言わないけれども、本当に色々考え方が変わった。

と言うか、コロナパンデミックの結果、確実に日本中の価値観が激変した。

パラダイムシフトが起こる瞬間を目の当たりにしたんだよ。オレは。

そして、一つだけ言えることは、コロナパンデミックによって引き起こされたパラダイムシフトの結果、今の価値観の方が依然と比べてはるかにオレは過ごしやすくなった。

無駄な飲み会や集まりが消滅し、家にこもって仕事が出来て、公共の場で臭いが移ってきそうな近距離に人が寄ってこなくなった。

気を使ってどうでも良い会話をする機会も激減したし、小汚いやつでも手を消毒するようになった。

うむ。

実に過ごしやすい。

今のところは。

この過ごしやすさの弊害がこれから出てくるようになるのかどうかは分からないけれども、少なくとも今のところは良い面ばかりを享受している気がしている。

もちろん、コロナの負の面を何も受けなかったわけじゃあない。

コロナさえなければと思う事もいくつかあったことは事実。

昨年亡くなったばあちゃんの事とか、まぢでコロナさえなければと強く思ってる。

でも、人類はまた乗り越えてしまった。

大体この手のパンデミックが次に起こるのは数十年とか百年後とかだと思う。

でも、そうじゃない危機は相当遠くない未来に起こるはず。2025年とかその辺に。

2020年、コロナがはやり始めたころに描いた漫画「虐殺の恋文」で、なぜ人類が滅亡するタイミングを2026年としたのか。

それは、2025年に何かが起こるはずだからなんだよ。

2年後に何が起こるか。

なるようになる。

未来は見えない。お楽しみ。

ちなみに、その漫画はこちらです

とかさりげなく、宣伝しておしまい。

この記事を見てみる  ⇒
2023年4月30日 12:44 CAT :

メンテナンスも自分でできるアンドロイド

前にちらっと書いたかもしれないけれども、インスタさんの方ではスピリチュアルな話とか龍の話とかをメインで書いてる。

当たり前と言えば当たり前だけど、そうなると、その手の話が好きな人たちで集まるようになるんだよね。

世間的に言えば「嘘くせぇ」となるような話題。もっと言えば、これまで比較的話すことを避けてきたような話でも、全然受け入れてくれる土壌になりつつあって、それはそれで「こんな世界もあるのか!」と言う感動をしてたりもする。

そんな話、twitterで書いたら「はい。嘘松。」って言われて終わりですよ。

ただどっちの方がさもしいかと言えば、twitterだよな。

(例え、それが嘘でも本当でも)人の話を素直に受け止め、それを信じてアクションすると言う事で良いじゃあないか。と思うんだけど。

それができないくらい、心に余裕がないと言う事だろうか。

まぁいいや。

そんなインスタさんの方で良く聞く単語に「高次元の存在」と言うものがある。

この「高次元の存在」ってものがすごく気になる。

今オレが存在しているのは、3次元と一応は言われている。

で、この世界の成り立ちを「ひも理論(超弦理論)」に基づいて考えると、世界は11次元あるらしい。

でも、多分この「高次元の存在」って、3次元以上の次元に存在している何かではないと思うんだよね。

では何なのか。

この「次元」って言う概念すら俯瞰的に見ることができる場所に存在している何かだと思う。

宗教的に言えば「神」であったり、「バシャール」であったりなんか色々別の呼び方もあるんだろうけど、宗教的な思想を抜きにしても、やっぱりそういう存在はあるんだろう。

オカルト界隈では、この何かのことをずっと「サムシンググレート」と言う名前で呼んできた。

「サムシンググレート」の正体に迫ること自体が人間ごときに出来るはずはないにしても、その存在を何となくでも認知することができると言う事が、人間の凄いところだと思わずにはいられない。

少し前に書いた「認知革命」ってやつですよ。

これら全てを結びつけることが暴論だと言う事は百も承知であえて書く。

人類種族において唯一の能力である「認知能力」によって、最強足りえた「ホモ=サピエンス」において、この「高次元の存在」と界隈では言われている存在に対して「はい。嘘松。」と切って捨ててるやつは、多分、「認知能力」が劣り始めてるんだ。

いずれ、その存在が淘汰される。とか、そんなことを言うつもりはないけれども「認知能力」の低下は結構問題だと言う事は、頭のどこかに置いておいた方がいいと思うんだよね。

そして、この「認知能力」の低下の一番の原因が面白い事にインターネットであり、スマホのようなデバイス機器なことは、割と確定してるらしい。

インターネット黎明期には「認知能力」がまだ人間にはしっかり備わっていたのに、ここ20年くらいで著しく低下していってる。

この結果どうなっていくか。

ハローバイバイの下種野郎。関さんの言い方をすれば、「わかる人にはわかるよね。そういう事。もう選別は始まっているの。だからオレはずっと言ってるでしょ」的な感じだろうかね。

本当の意味でのシンギュラリティは近いそうです。

この記事を見てみる  ⇒
2023年4月29日 12:23 CAT :

あたし何も悪い事なんてしないわ

あれは2年くらい前の話だったのか・・・

「シミュレーション仮説」と言うものにはまって、色々調べている時期があった。

「シミュレーション仮説」について調べれば調べるほど、生きていく気力が失われていき、結果的に軽く病んでた感じ。

何を病むことがある。と思うかもしれないけれども、これがなかなか、心が折れる内容なんだよね。

めっちゃ簡単に書くと「この世界は、誰かが作り上げたVRの世界である」と言う話。

しかも、その可能性がかなり高いらしい。テスラモーターズのイーロンマスクなんて、99%この仮説は当たってるって言ってるくらいだし。

まぁ、イーロンマスクなんぼのもんじゃいな気もするけど。

今、物理学で謎とされていることのほぼ全てがこの「シミュレーション仮説」に基づけば、何となく説明できてしまうと言うのも、また怖い話。

光より早い速度がないと言う事実も、光に近づけば近づくほど時間の流れが遅くなることも、エンタングルメントの謎も、何だったら哲学の永遠の課題ともいえる「過去の証明」の話も全部、この世界がVRで作られた仮想現実だとすれば、説明がつくらしい。

ついてたまるか!

と、言いたい所ではあるんだけど、ついてしまうんだからしょうがない。

さらに言えば、VRの世界らしいバグもいっぱい存在していて、その証拠となる画像や動画も存在しているとか・・・

興味ある人は色々調べてみると言いです。

はい。

この辺りとか、いい感じなんじゃないでしょうかね。

問題・・・。問題はだ!

だとしたら、オレなんてそのVR世界における、モブの村人1でしかないと言う事なんだよ。

オレが生まれてこの方、思い悩みつつも何とかかんとか生きてきたこの人生自体がプログラムされたものであり、オレの思考自体がオレの思考じゃなかったとしたら、こんなやるせない事はない。

以前書いていた「G」の中でも書いたことある「自由意志」の話なんて、まさにこの「シミュレーション仮説」で考えれば、何でもない当然の話なんだよね。(一応、その話はこちら

そんなことをずっと考えてたら、そりゃあ病みますって!旦那!

悩みに悩んだ末。

結論として出たものは「まぁ、いいじゃないか。それでも。」と言う事だった。

まぁ、いいじゃないか。それでも。

何となく、今の生活にささやかな幸福を感じているんだから。

となると、じゃあ、「ささやかな幸福とは?」みたいな話になってくる。

無限ループに入る前に逃亡しましょうね。

さようなら。さようなら。

この記事を見てみる  ⇒
2023年4月28日 11:58 CAT :

世間知らずだった少年時代から自分だけを信じてきた

ここ最近、ずっと高校生時代位の自分の気持ちに立ち戻るような事ばっかりしている。

そのせいなのかどうか分からないけど、今日、凄い久しぶりに昔の夢を見た。

夢の中では、過去のオレが今のオレに対して、物語の終焉について一生懸命説明していた。

その説明を聞きながら、昔のオレでは表現できなかったそのイメージを今のオレが絵に描いている。

そんな夢だった。

物語の終焉と言うのは、中学生の頃に妄想した世界の終わり。

今、絶賛休載中の「やみ。世界」と言う漫画の最後。

「第10章 ヤミの章」の最後に訪れる全ての終焉の風景だった。

多分、当時はそのイメージもかなりはっきりとした形で覚えていたんだと思うけど、今はもうぼんやりとした輪郭でしか捉えることができない。

そのイメージが急に明確になった感じだった。

ただ、夢から覚めて、改めて思い出して絵に描こうと思ったんだけど、うまく描けなかった・・・

「やみ。世界」の物語に着手して、その物語の最後まで描き切ることができたら、きっとそのタイミングではちゃんと描けると信じたい。

一つの物語の終焉と言えば、それまでだけど、実は、その話についてまぁまぁ恐怖することがあったりもする。

その辺の話は、またそのうちにでも・・・

さて、このイラストの意味するものは一体何だったんだろう・・・

答えは空の上。

誰か教えてくれ。

この記事を見てみる  ⇒
2023年4月26日 11:05 CAT :

母のいない子どもの様に虚ろな眼差しで詩集を売る少女

「選択肢があるから生きていく意味がある」と誰かが言ったらしい。

誰だったか忘れてしまったけれども・・・。

性善説と性悪説があるとして、果たして人間の本性はどちらなのかと言う話があったりするんだけど、その話って物凄く意味がない事だと思う。

取り合えず、一括りにしてはいけないと言う話なんだよ。

オレと嫁の子どもで、同じ環境で同じように育ててるはずの2人の子どもが、まず性格的にも全然違うわけで、じゃあもう環境も人種も文化も違う人間を一絡げに生まれ持って悪だとか善だとか論ずるのは愚の骨頂。

ただ、人には選択肢がある。

無数にある道の中から選ぶことだけは出来る。

その選んだ道の先にだけ答えがある。

「多元宇宙論」と言う考え方がある。

全ての選択肢の先の未来が無数に、しかもかなり近い場所で存在していると言う。まぁ、パラレルワールドの存在を肯定する理論。

ここ最近どちらかと言えばこの「多元宇宙論」の方が多数になってきてたのに、実は未来は決まっていて宇宙はひとつしかないと言う考え方が、ここ最近発表されたらしい。

宇宙はひとつしかないことが常識だった中で、「そんな事はない。結末は無数にあるんだ」と言う説が発表されて、それが多数派になってくると、今度は「宇宙はひとつしかない」と言う新設が発表される。

イタチごっことはまさにこの事。

面白い話だなとは思うけれども・・・。

ただ冒頭の通り「選択肢があるから生きていく意味がある」と考えないと、人生やってられないよな。とも思う。

思い悩んで選択して生きているように思いこまされてるけど、実は未来は決まっていて、そこに至る決まった道をただ歩いてるだけだったとしたら、オレが今ここで考えている思考とは何なんだ。と言う話になってくる。

「哲学的ゾンビ」の話にも近いかも知れない。

考え始めると、何となく怖くて頭が痛くなってしまうので考えないようにしよう。

物理学的に考えると、未来は決まっているらしい。

そして、観測する方向と距離によって、見えるものが未来なのか過去なのかが変わってくる。

例えば、130億光年離れた場所の星の光は、130億年前の光な訳で見えているのは遥か過去の情景になっている。

過去から未来まで一つの決まった流れがあるからこそ起こる現象らしい。

でも自分の選んだ選択によって未来がその瞬間、別の世界線が存在し始めるとすると、オレが選択した瞬間その未来のある世界に移動していると言う考え方もできるかもしれない。

それでも今生きている現状に関して、自分で選び歩いてきた道の結果だと信じたいよなぁ。

実は、この考え方をもっと発展させた先の話もあったりする。

その話は、人にしてはいけないらしい。

以前、不意にこの話をしてしまった時、部屋の隅にエンダーマンのような無機質な何かが現れたことがあった。

これまでに色々心霊体験とかしてきたけど、あれほど怖いものは見たことがないと言うほど怖いものだった。

あの正体についても何となく分かるけどそれすらも、書くことを謀れてしまうよなぁ。

イルミナティとか、ロスチャイルド家とか、そっち系の陰謀論なんて可愛く見えるほどの陰謀がこの世には存在すると言う事ですよ。

「ファイトクラブ」って映画で、主人公が言ってはいけないことをマーラ・シンガーに話そうとした瞬間、タイラー・ダーデンが地下から声をかけた。

「この話はここまでだ」

今、そんな感じです。

さようなら。

「ファイトクラブ」って本当に面白いよね。

この記事を見てみる  ⇒
2023年4月25日 10:17 CAT :

目を潰そうか 生きていく為に

漫画を描く時、まず物語自体が頭の中で色々イメージ化する。

で、それをネームに起こして、それをもとに、下書きして、最後に原稿にしていく。

当たり前と言えば当たり前で、ほぼ全ての人が通るであろう工程だと思う。

これはオレの場合だけなのかもしれないけれども、やっぱり一番良いイメージって、最初に頭に浮かんできたもので、そこから原稿にしていくに従ってどんどん最初のイメージから離れていってしまうような気がしている。

ネームで書きなぐった時が一番いい感じの絵になると言う漫画あるあるですよ。多分。

先日公開した「BirthDay Kill-RE」でも一番いい絵だったのはやっぱりネームだった。

例えばこれ(↓)。

10ページのネーム。

で、これを元に描いた下書き。

そして、時間かけて丁寧にペン入れして仕上げた実際の原稿。

お判りいただけただろうか。

どんどんイマイチな感じになっていると言う事に。

今回の話の場合、ヨシ坊の深層心理にある願望の具現化キャラは、ヨシ坊と鏡写しになっている。と言う、設定がこの物語の一番根幹の部分に存在している。

この設定を少しでも分かりやすく表現するために、片目だけ丸く見開くと言う表現を採用した訳で、10ページの段階で両目とも丸く見開いた表情にすると、その辺りがどうしても分かりにくくなってしまうよな。と言うそんな事情もあるにはあるんだけども・・・

にしても、泣く泣くネーム段階で描いた表情は捨てて、別の表情に変えた訳ですよ。

どう考えてもネーム段階の表情の方がよかったよな。

本当に自分の画力と言うか表現力の低さに嫌気がさす。

ただそれは置いておいても、時間をかけて絵を描いていく過程でどんどん最初のイメージからかけ離れていくのは、やっぱりしょうがない事なんでしょうかねぇ。

ネームとか一切書かずに、いきなり本番の原稿に下書きなしで書いていけば、チョッとは良い絵になるものなのだろうか。

高校生くらいまではネームを書いたことなかった。

と言うか、ネームが完成原稿だった。

あの頃の方が、頭の中にあるイメージをストレートに絵にできていたんだろうか。

表現とか追及し始めると楽しいけど、終わりがないもんだよな。

この記事を見てみる  ⇒
2023年4月24日 14:54 CAT :

どうか衝動よ あの子の暗闇を突き破れ

「野球と政治と宗教の話はするな」って認識が、「野球と政治と宗教の話ができない奴とは付き合うな」になれば、何か色々変わったりしないかなとか、ぼんやり考えてた。

と言うか、今の世代で言うと野球に限定するのもどうなのかと思うので、そこは例えば「スポーツ」にするとか「趣味」にするとかしても良いんじゃないかとも思うけども。

あと、これ初対面ではと言う話に限定するのであれば、ものすごく理解できるよね。

ある程度付き合いが長くなってきたときに、それでも「野球と政治と宗教の話」ができない人ととは、きっと深いお付き合いは出来ない。

いや、仕事上の付き合いだから深くお付き合いする必要はないんだよ。とか、そう言う時代でもなくなってきてるような気がしてる今日この頃。

さてさて。

ちょっと前に、「サピエンス全史」と言うビジネス本を読んだ。

これがまたなかなか面白かった。一応、大学では文化人類学を勉強もしたんだけど、目から鱗のような感じで、視点がぐるっと回る感じだった。

その中の一つに、なぜ「ホモ=サピエンス」がそれ以外の人類種族を全て殲滅することができたのかと言う話があった。

「ホモ=サピエンス」は、他の人類種族と比べて別段脳容量が大きかったわけでも、肉体的に優れていたわけでもなかったらしい。

コミュニケーション能力とかでも、全然普通。

でも歴史を鑑みるに、現生人類種「ホモ=サピエンス」がそれ以外のすべての人類種族を殲滅させたと言う事は、歴然たる事実として存在している。

一体何が他の人類と違っていたと言うのか。

この本の中では、その現象のことを「認知革命」と書いていた。

認知革命とは、めっちゃ単純に言えば「虚構を共有することができるようになった」と言う事らしい。

もっと嚙み砕くと、「現実として認識できないものをお互いで共有することができた」唯一の人類種族だったらしい。

まぁ、要するに「神様」であったりとか、「霊」であったりとか、「悪魔」であったりとかう言った類のものの存在を共通認識的に共有できた。

それが飛躍すると「神のために戦う」と言う価値観、もっと言えば「例えこの戦いで死んだとしても、魂は天国に行く」と言う思想をもって戦う事が出来た。

この優位性だけで、肉体的に遥かに優れていた他の人類種別さえも殲滅させてしまったと言う事が、歴史的に分かってきたらしい。

宗教こそが、「ホモ=サピエンス」が最強の人類種族として唯一生き残ることができた最大の要因だったと言う事ですよ。

そんな最強の宗教が、現在日本社会でタブー視されていて、触れることができないと言うのは何ともやるせない話だよね。

政治の話もか。

野球の話はよく分からんけど。

チョッとだけ飛躍した話をする。

日本には元来絶対的な宗教があったとしよう。と言うか、あると思うんだ。

おそらく生粋の日本人なら無条件に納得することができると思うんだけど皇室を崇高すると言う気持ち。

これだけは、戦後日本で自虐史観を植え付ける洗脳教育を受け続けても消えることはなかった。

本当に、体の奥の奥の奥にまで刻み込められたものだと思う。

だから、日本人は宗教がなくても生きていけるんだとしたらどうだろうか。

ただ、その考え方を子どものころからなぜか否定されて、洗脳的に自虐史観を植え付けられてしまった結果、本来必要でなかった宗教を信仰させられるようになった。

だから、宗教の話になると険悪になる。とかね。

戦前は別に宗教の話も、政治の話も別にタブーじゃなかったんだから。

そして、戦後しばらくもタブーじゃなかったんだから。

チョッと語りすぎた気がする・・・・

この辺の話はもうやめておこう。結局、こう言う事を公の場でしゃべる事が出来ないと言う事にも原因があったりもするんだけね。

興味ある人は「3S政策」とか「愚民政策」とかその辺でググってみたらいいと思う。

あくまでも自己責任で。

おっと、誰か来たようだ。

この記事を見てみる  ⇒
2023年4月23日 15:21 CAT :

薬漬けにされて治るあてをなくし痩せた体合わせどんな恋をしているの

昨日の話などもあったので、チョッとブログのテンプレートを修正してみた。

なんか、イマイチな感じになっていたフッター部分を全面的に削除して、代わりに、ツイッターとインスタのタイムラインを埋め込み、まんがまとめサイトの方のフッターをそのまんま移植して持ってきた感じ。

あと、実はまんがまとめのサイトの方も、チョッと更新履歴一覧とかのコンテンツを追加しようかなとか、色々画策はしております。

今のところは全部PCの話で、このスマホ全盛期のご時世にスマホ対応は後回しと言う有り得ない感じで。

お仕事忙しいのに、忙しくなるとなぜか他のことをやりたくなってしまうと言う変な病気にかかってるんだよ。

ほんとどうしようもねえな。

まぁ、オレの事なんだけどな。

全てを網羅した本来の「しもたろうに」が存在しているのはこのブログだけ!を実践していく形でございます。

さてさて。

なんだかんだ言いつつ、昨日の記事で毎日更新を開始してから50記事だったらしい。

チョッとした達成感がある。と同時に、もう50日以上経ったのかと言う焦る気持ちもある。

時間が経つスピードに狼狽えている。

ただ、これだけ文章書いてるとチョッと文章の書き方も思い出しつつある気も同時にしてる。

もっと。もっと。色んな文章を書きたくてしょうがないと言う衝動がすごい。

漫画を描き始めると、もっと色んな絵を描きたくなるのと同じ感じだろうか。

昔から、何かを続けると言う事だけが唯一の取り柄だったと思う。

ずっと続けているとは言えない。断続的にはなっている。でも、断続的とはいえ、止めることなく続けている。

ピアノは幼稚園のころからやっているので、もう30年になるか。

ギターでも高校生のころからやっているので、20年以上になる。

漫画を初めて描き始めたのは小学1年生の頃なので、こちらももう30年以上になる。

小説は中学生のころだから、20年くらいか。

いずれも断続的なので、ずっと一筋20年とかの人と比べるのはおこがましいレベル。

でも、止めない。

何か一つのことを極めると言う事は途轍もない努力と圧倒的才能がないとできないんだろう。

途轍もない努力と言うのは脇目も振らず一つのことに没頭することなんだと思う。

オレは出来なかった。

そして、どれを取ったとしても圧倒的才能はないようだ。

5年や10年やってみた程度の奴と一緒にしないでほしい。人生の半分以上を費やした結果たどり着いた結論として「才能がなかった」んだよ。

結局のところ、漫画を描くことでさえ、断続的にしか続けることはできない。

でも、止めない。

止めないと言う事が、自分のやりたい事に一つとして才能がなかったオレに唯一出来る事なんだろう。

圧倒的才能がなくても多少なりとも才能がある人は、長い時間をかければ出来るようになると思う。

長い時間をかけて出来なかった時初めて「才能がなかった」と言う結論が出ると言うのも、随分酷な話ではある。

ただ、一つ。

ちょっと前に「めくるめく世界は艶やかななまま記憶の片隅に ~後編」の話の中で書いた通り、夢は持ち続ければ叶うとも思ってる。

漫画を描く才能は一切なかったオレなのに、今、オレお仕事でイラストを描いてお金を貰う事ができるようになった。

これもある意味、夢は叶っていると言えなくもないのかな・・・。わかんないけど。

絶望的に才能がなかったとしても、持ち続ける事で何らかの形で夢は叶う・・・かも知れないと言うお話。

まぁ、そういう事は置いておいても、オレは止め方がよく分かんない。

ずっとやり続ける。

これからもやり続ける。

オレが今描いてる漫画は、中学生のころ妄想した世界なんだ。

先日何となく書いてみた「アス」。

この物語も、中学生の頃、思いついたものだよな…

この記事を見てみる  ⇒
2023年4月22日 8:58 CAT :

就職しないで8年目 そろそろ限界 ロックンロール

twitterでは、バンドマンか漫画描いてるしもたろうに。

facebookでは、社長業やってるしもたろうに。

instagramでは、スピリチュアル生活をおくってるしもたろうに。

3つを統合した本来のしもたろうになのは、このブログだけ!

とか、昔のジャンプみたいな感じの事書いたりしたら、多少はこのブログのアクセス数も増えるんでしょうかね。

さてさて。

「ひとときの暗がり」のアクセス数見てたら、丁度、1年前に描いてた「本当にあった不動産売買の怖い話」の10分の1くらいだった。

小説ってそんなもんなんだな。

まぁ、かく言うオレも小説と言うか文章読まなくなったよ。

そして質が悪いのは、世の中に「文章を読まなくてもぼ~っと眺める(聞く)だけで内容をざっくり説明します」と言うコンテンツが溢れてる。

今の社会において、何より罪深いのは時間を奪う事と言われている。

そんな中で時間を短縮できるこのコンテンツはそりゃあ重宝されるだろうて。

ただ、冷静に考えてみると、このコンテンツに何の意味があるのかと言う事にも気が付いてしまう。

例えば、ちょっと前に問題になった映画のあらすじを10分で解説する動画。

これってもう映画の内容は分かったとしても、その映画で感動すると言う経験を放棄してるよね。完全に。

会社とかでの会話に困らないように、映画を見たことにして話を合わすために見る。的な意味合いでなら多少は意味があるかも知れない。

でも、そんなことのためにこの動画を見るくらいなら、「オレまだ見てないんすよ。どう言う映画なんですか?」って聞いて、色々話してもらう方がよっぽど会話も盛り上がるような気がする。

「ズンドコベロンチョ」的な感じで、知ったかぶりたい人ばっかりだと言うのだろうか。

大好きな江戸川乱歩の「蟲」って作品がある。

断言していいけど、原文をちゃんと読んだ人以外にあの作品のラストの深い感動は味わえない。

絶対に味わえない。

チョッと会話についていきたいとかいう理由だけで、初見だけの特権である「あの深い感動を味わう体験」を放棄するとか、正気の沙汰とは思えないですよ。

本なんか読むの面倒くせぇ。

時間がもったいねぇ。

ってやつには、そこまでケチって作った時間をどれだけ価値ある過ごし方で来たんだ?と問い詰めてみたい感じ。

それで、スマホゲーでもしてるんなら、鼻で笑ってやる。

素敵な映画を見ること。

面白い本を読むこと。

興味深い文章を読むこと。

この辺りは全て無駄ではなくて、内容をつまんでおけばOKなものではない。

展開や内容だけ知っていたとしても何の意味もない。

なんか、めっちゃ話がそれてしまった気がするけど、今日一番オレが言いたいことは、一つだけ。

このブログを書く直前、オレは(↓)の動画をYOUTUBEで見ていた。

そして、オレは「ズンドコベロンチョ」を未視聴だ。

そういう事ですよ。

ほら、よく若いバンドマンが引用したがるでしょ。

「Don’t trust over thirty.」

「30過ぎを信じるな!」

ってね。

そういう奴は、カート・コバーンみたいに27歳で死ぬつもりらしい。

多分死ねないけどな。

この記事を見てみる  ⇒
2023年4月21日 11:44 CAT :

明日死ぬとしてもやり直しちゃいけないって誰が決めたんですか

先日、チョッと「極ニュースチョクホー」の方でも触れたけど嫁にオススメされてインスタを初めてみた。

この話(↑)。

せっかくだから、色々使い分けた方がいいだろうなと思ったので、インスタの方ではオカルトと言うか、龍ちゃんの話とかその辺をメインにしていこうとかぼんやり考えてる。イラストとか、写真とかそんな感じだろうか。

実は、ブログでも前にちょっと書いてみたんだけど、これがまぁ、このブログでここ最近更新した記事の中でぶっちぎりで人気がなかった。

ただ、インスタの方では同じような内容で、すごい反響がある感じなんだよね。

あぁそうか。

層が違うのか。

とか、そんな感じですよ。

ただ、twitterとブログとインスタやりながら、漫画描いて、小説書いてはさすがに、やりすぎじゃねえのかと言う気もしないでもない。

とりあえず、ブログの毎日更新と、小説はやり始めたのでちゃんとやるとして、それ以外も全部ハイペースでやったら多分死ぬ。

生き急いでもそんな良い事ないのはもう重々ご存じなので、まぁ、楽しめる程度にマイペースでのんびりやっていこうかなと思っております。

ただ、やりたい事が本当に無限と言うか、無尽蔵にあるんだよ。

時間と体力が無尽蔵じゃないだけで。

そんな中だけど、「ランナ」の再開に向けて「レビ」を描いてみた。

うむむむ・・・

あぁ。もう完全に同じ感じじゃ描けないですな。

3年ぶりだしな。

ほんとに3年ぶりになる6月から再開したいなと思ってて、それまでに短編「出来すぎた準備」を完成・・・って・・考えてたんだけど・・・

うん。ごめん。マイペースがハイペースだったわ。

そして、多分無理だろうな。

さて、どうしたものかね。

この記事を見てみる  ⇒
2023年4月19日 13:16 CAT :

どっちを向いても地獄ならいっそ狂ってロックンロール

前回までのあらすじ

と言う事で、今度こそ脱毛サロンに行ってきた。

前回のカウンセリングしてくれたお姉ちゃんとは違う若いお姉ちゃんが対応してくれた。

まぁ、2人ともたまにいるアホ丸出しの美容師みたいな感じじゃなかったので良かった。特に嫌な感じでもなく、和やかにお話ができたですよ。

いくつか説明を受けてから、実際に施術。

施術台に寝っ転がると、目のところにタオルを当ててゴーグルみたいなものを付けられる。

もう何も見えない。

「まずは首周りから始めますねぇ~」と言って、ヌルヌルした ローション ジェルを塗って変な機械を当てられる。

ちょっと痛いですよ。と言われつつパチン!となんか光って、チョッとだけ刺すような痛みが。

あとはこの繰り返し。

首回りし、顎下、頬、口回りと順次処置してもらう。

特に、鼻下の部分は皮膚が薄く敏感なので、なかなかの衝撃だった。

ただ、帰ってきて冷静になった今だから正直に言ってしまおう。

気持ちよかった。

実は前述の「はぐメタ狩り」。もう随分前から、毛穴からヌルっと毛が抜ける感じが快感になってた。

つまり、毛穴に攻撃される感じの今回の処置自体が「はぐメタ狩り」をもう少し高度にした感じになってしまい、その衝撃と痛みが快感になったわけである!

むしろ、「あぁ~もっとピカってやってください!お姉さまぁ~」な感じすらある感じで。

ついでに言うと、この処置って毛とか毛穴にライト(と言うか光線?)みたいなやつを照射して焼いてしまうので、そういうなんか焼ける臭いがする。

ほとんどわからない程度なんだけど、鼻下とかする時にはさすがにその香りが臭ってくる。

それが、なんか美味しそうなんだよ。

自分の毛と毛穴(と言うか、一部の肉?)を焼いている臭いなんだろうけど、それが美味しそうで、時間帯も丁度昼時だったので、お腹が鳴り始める始末。

「お昼時だから、お腹すきますよねぇ~」とフォローしてもらったけど、ごめんなさい。そうじゃないんです。

自分の肉体が焼ける臭いに食欲が刺激されているんです。

赤足のゼフが自分の足を食べて生き延びたと言う話で、出血とか酷くて余計衰弱するのでは?とか邪推なこと考えてたくせに、本当にごめんなさい。

そんなこんなで、快感と食欲にまみれたまま、一回目の処置は終わった。

冷たいタオルで冷やしてくれている間「あぁ~気持ちよかったなぁ~」とか、ボ~ッと考えてた。

帰ってからこの話を嫁にしたら「とんだド変態だね」と褒めてもらえました。

でも、この話は絶対に人に話しちゃあダメ。特に、サロンの人に話したらブラックリスト入りして、返金出禁だよ。

と言われたので、誰にも話さないで、ブログに書いておくことにする。

1年後には、一切の「はぐメタ狩り」から解放されると信じて。

ヒゲの後は、他のムダ毛処理もお願いするやも知れぬです。

この記事を見てみる  ⇒
2023年4月17日 12:00 CAT :

裸の少女に迫る惨劇

あごひげを生やしております。

昔っから、何となく2重顎みたいな顎下のたるみがコンプレックスでそれを隠す的な意味合いもあって、あごひげを生やしている感じ。

ただ、それ以外の部分は全て剃るのではなく、毛抜きで抜いて処理していた。

その本来生えてはならない部分に生えている毛を「はぐれメタル」と呼び、その毛を処理することを「はぐメタ狩り」を名付けている。

人と会う時には基本的に、エチケット的にこの「はぐメタ狩り」を行っているんだけど、これがまぁ何と言うか、毎回1~2時間くらいかかるんだよ。

オレは人と会う前に、女のお化粧か、それ以上の時間をかけて自分のヒゲの手入れをしている。

これ無駄なんだよね。

社員さんとは毎日顔合わすわけだし、それでなくても、ここ最近なんか外に出ることも結構ある。

その度に1~2時間ほどの「はぐメタ狩り」をやってるのはどうなのか。

と言う事で、たまたま社員さんの旦那さんが通っているという脱毛サロンを教えてもらい行ってきた。

はぐれメタルを根絶やしにしてもらえば、毎日1~2時間ほどの時間が浮くわけで、そうすれば漫画もいっぱいかけるじゃねえか。と言う、捕らぬ狸の皮算用的算段だ。

お店に行くと施術の前に、若い可愛いお姉ちゃんにカウンセリングしてもらう感じになる。

その時に「毛の処理は基本的に毛抜きで抜いてます」と言うと、「脱毛のライトは、毛根に残っている毛に反応するので、毛を抜いてしまうとライトの効果がない」と。

はぐメタ狩りのために、永久脱毛ができないとは・・・

でも、毛抜きで毛を抜いていくはぐメタ狩りでは、永久脱毛にはならないらしく、しばらくして毛が生えてきたら、処理しましょうね。と言う話に落ち着いた。

結局、変な感じでお預けを食らってしまった感じだけど、まぁ、しょうがないので出直しますか。

と、ここまでは良かった。

問題はここからなんだよ。

なんでオレが「はぐメタ狩り」をやってたかと言う話。

髭を剃るって、出てきた毛を落としてるだけで、結局のところ毛穴に毛は残ってる。

そのちょっとしたざらざら感がどうしても我慢できなくて、完全につるつるになるまで抜いて抜いて抜き倒してたんだよ。

でも、それができなくなった。

ライトの効果を得るためには、このチョッとぶつぶつザラザラな毛穴に毛がある状態で我慢しないといけない。

前述のお姉ちゃんにも、「処理が完了するまで毛抜きは封印してください」って言われた。

これがね。相当ストレスなんですよ。あたくしにとっては・・・

果たして、このストレスに耐えて、永久脱毛に成功することができるのか!

このブログで、追って報告する!

とか、特命リサーチ200X風な感じで。

どうでも良いけど、メンズサロンってなんで若いお姉ちゃんが施術してくれるんだろうね。

顔だからいいけど、陰毛の処理とかしてもらうってなると、流石にドキドキするので、お願いできる気がしない。

いや、そういうプレイだと割り切れば、楽しめるのか。

でも勃起してしまったら怒られそうだし・・・

とりあえず、陰毛の処理はやめておこう。

この記事を見てみる  ⇒
2023年4月16日 11:43 CAT :

パノラマ島へぶち帰る

これを順調と言っていいのかどうかはわからない。

けれども、何とかまぁ、毎日更新できてるのは出来てる。

となると、次の問題はクオリティーのような気がするんだよね。

遥か大昔。

しょこたんがブログの女王と呼ばれていた時代。

1日に300回更新とかやってた。確かに数はすごいけど、内容が一言だけだったり、写真だけだったりして、それはどうなのよと思ったんだよな。

そういえば、あの頃はまだtwitterなかった時代か・・・

極端な話、一日に一言だけ勝手に考えた格言みたいなことを言ってお茶を濁していけば、多分余裕で365日更新とかできるだろうて。

でも、そうじゃねえんだよな。

日々思う事や、(例え誰も読んでなかったとしても)世界に向けて発信したくてうずうずしていた内容をちゃんと書き続けて、365日毎日だ!をしたいわけですよ。おっちゃんは。

ちなみに、先日ちょっと触れた、文章長すぎじゃね問題を踏まえて、今日は400文字くらいでやめてみようと思ったんだけど、もう400文字超えてる。

短い気がするけど、今日はここまでだ!

なんだかんだ言っても、この人はすごいよね。

ほんとに。

そしてどれだけ頑張っても隠しきれない陰キャ独特のオーラに親しみを覚えてならない…

この記事を見てみる  ⇒
2023年4月15日 20:00 CAT :

月明かりに照らされた白骨の死体が笑う

昨日のネタの続きと言えば続き。

「ひとときの暗がり」って小説書いてるよ。って話。

新都社で小説ってどうなのよ。と、チョッと思ったりもしたんだけど、アクセス数とか見てる分には、思ってたよりたくさんの方に読んでいただけているみたいで、ただただ感謝しております。

オレごときが書くアホみたいなお話を読んでいただいてありがとうございます。

こうやって卑屈なふりをする言い方をしてる奴見かけるとムカつくんだけど、自分でも思わずやってしまうので、まぁそんなもんなんだろう。

ただ、オレはメチャクソ面白いと思って書いてる。作者が面白い。メチャクソ面白いと思わないで良いものが書けるかってんだ!

自分の子どもは世界一可愛いんだよ。

さてさて。

唯物論者でございます。

SDGs?なにそれおいしいの?的に、モノに執着していると思う。

執着しすぎて過去に「モノはモノだけど忘れません」と言う曲を書いたことがあるくらい執着してる。

世の中には、ミニマリストと言う人たちが存在するらしいけど、なぁ~にを考えとるんだ!馬鹿者が!と声高に言いたい。

物欲にまみれてこそ人生よ。

スティーブ・ジョブズは、毎日同じ服を着て、毎日同じモーニングを食べていたらしい。

自分の貴重な思考と時間を無駄に使わないようにするための配慮だったとか。

あくまでもオレは。と言う建前の上で言わせてもらう。

んなこたぁない!モノをたくさん持って、色々悩んだ方が絶対に人生面白い。

「ウシジマくん」って漫画の中で「楽園くん」と言うかなり好きなエピソードがある。

その中に出てくる、人の使用済みコンドームを舐めながら「あの子をクンニしてる~」と喜ぶ素敵なラブホバイトのおっさんが「吉野家で牛丼に味噌汁をつけるかどうかで悩むときが幸せ」と語ってた。

これが物凄く共感できる。いや、コンドームで疑似クンニする方じゃなくて、飯のことで悩むことの幸せよ。

毎日「牛丼並盛、味噌汁セット、卵付きに紅しょうがはトングで一回分」とか決め打ちして、吉野家に入ってどうするって話だ。

たまには、牛皿定食食べてみてもいいでしょうが。

この考え方が形成された一番の元凶は、多分、幼少のころに預けられていた母親の実家で一緒に育った年の離れた従兄だと思ってる。

このブログによく出てくる大好きな従兄ですよ。

従兄がとにかくモノをいっぱい持ってた。それも、ジャンルが結構多岐にわたる感じで。

メッチャたくさんのスニーカーの箱が積みあがってる横で、スニーカーのカタログ見て「これ見て。めっちゃいいやろ?ほしいけど金がないんだよな。」とニヤニヤ言っていたのをオレはカッコいいと思いながら見ていた。

従兄は結婚したタイミングかその辺りで、これまでのコレクションをかなり処分したらしい。

しばらくして、従兄が家を建てた折に新築祝いで遊びに行った。その時に、家の中を案内してくれたんだけど、二階の部屋の奥にこれまで集めたコレクションの箱が山積みになってたのを見たんだよ。

いや。減ってはいたけど、結局処分しきれなかったんだと思う。と言うか、全然捨ててねえ。

なんかね。そこにシビれる!あこがれるぅぅ!んだよ。

参考画像(↑)

この世の中
今現実となっていることだけが
信じられることです

一瞬であろうとも昔になった限り
それが現実だとはいえません

過去のあなたは本当にあなたですか?

過去に逢ったことのある誰かではないのですか?

本当にあなたはあなたとして生きてきましたか?

昨日までのあなたは本当にあなたですか?

唯一事実なのは
今僕として存在していること

所詮モノです
でもモノは過去の僕の証明です

前述の「モノはモノだけど忘れません」と言う曲の一説。

時代に逆行するするのではない。

自分を変えないだけだ。

とか、かっこよく言ってみる。

この記事を見てみる  ⇒
2023年4月13日 20:00 CAT :

友人知人に三親等までそれ以外は全員敵とみなす

もしもしゲーを投げ捨ててから1ヶ月。

特に、これと言った不都合もなく過ごしております。

ただオレの場合、お仕事で1日中PCとにらめっこしてる訳で、休憩で漫画描いたり、小説書いたり結局PCとにらめっこして、あと、スマホでちょこちょこ情報収集して、時間があれば「帰ってきた魔界村」やってと、よく考えたら一日中何らかの電子的なものに囲まれて、目を使い続けている。

挙句、最近ちょっとお風呂でもスマホいじったりしてた。

これはあかんですよ。

という事で、少しスマホから距離を置いて、少しでも電子の海から離れようかと画策してる。

お仕事とか、漫画描くのとかはやめられないんだよ。あと、オレから魔界村を取り上げるんじゃあない。

せめて減らせるのは、スマホを触る時間かな。と。

昔からとにかくお勉強が好きだった。

学校の勉強は嫌いだったけど、自分が興味のあることに関してはとにかく色んな所で調べまくって勉強しまくってた。

小学2年生のころ、たまたまテレビで「東洲斎写楽」の存在を知って興味を持ち、そこからいろんな本とかを読んで勉強した。当時ネットなんてなかったから、もっぱら図書館の本だった。

あの当時。1990年代初頭で、「東洲斎写楽」の正体が阿波藩お抱えの能役者「斎藤十郎兵衛」だと知っていた小学生が日本にどれだけ居たことか。

まぁ、そんなこんなで色んな情報を収集することが好きでしょうがないんだけど、最近、知識とかを集めてどうするんだろうとか、そんな根源的なことを考えるようになってしまった。

ぶっちゃけ、これ無駄じゃね?と。

まぁ、どう考えてもこの集め続けた知識が漫画を描くときにかなり有益なことは間違いないので、その意味では無駄ではないと信じたい。

けれども。

けれどもだ。

結局のところ、誰かと共有するわけでもないし、誰かに話すわけでもない情報が結構膨大に頭の中にたまっていってる。

これね。知識の貯金のような気がしている。

お金をためることを目的にしてしまった人間は、必ず不幸になると思ってる。

お金は使ってなんぼ。

もしものために貯めるという発想はまぁいいとしても、お金を稼ぐ目的が貯めることになってしまうと、もうそれは人生が不幸になる始まりのような気がする。

知識も多分同じ。

知識を集めて、情報を集めたところで、それを頭の中に置いていたらきっと意味がない。

知識を知ることが目的になってしまうと、それもある意味不幸な気がしてならない。

でも、知識を使うタイミングとは果たしていつなのだろうか。

急激に文明が崩壊した暁には、ベア・グリルスが教えてくれたサバイバル術で生き残れるかというと、多分無理だと思う。

地球が崩壊する瞬間に、アラン・グースのインフレーション理論を知っていたとて、役に立たないと思う。

かといって、無駄なので、今日から一切新しい情報を得ることも、知識を深めることもしません。

ただ何も考えず無為に日々を過ごすことにします。なんて、できる気がしない。

今日も、無駄と知りつつ知識を深め続けていくんだろう。

小難しいことを考え始めたときは、おっぱいを見ればいいんだよ。

おっぱいを見れば、大体の悩みは忘れることができる。

おっぱいに色々したい。

この記事を見てみる  ⇒
2023年4月12日 20:00 CAT :

やがて散る運命なら咲き乱れて死にたい

このブログの記事。毎回結局、1500文字くらいは書いてる。

短くても、やっぱり1000文字くらいは書いてしまってる。

大体400字詰め原稿用紙にして、3~4枚。それを一週間毎日やってるので、まぁそれで30枚くらい。

あと、小説「ひとときの暗がり」の1話が大体3000文字くらいあるので、原稿用紙8~10枚くらい。

という事で、1週間に多く見積もると40枚くらいの原稿用紙を書いていることになる。

16000文字くらいか。どこの作家だよ。というくらいの量を書いているという事で、悦に浸るくらいの自由はあってもいいじゃないですか。

昨日から急なお仕事が入った関係で、もう24時間以上寝ていない。

さすがに体が悲鳴を上げてきたので、このブログを書いて、「ひとときの暗がり」の6話の扉絵を書いたら、今日は寝よう。

マンガの方まで手が回らなかったか・・・うむむむ・・・

ただ、今年のオレはちょっと違うですよ。

去年までのオレなら、確実に、このブログも書いてないし、今からイラスト1枚描こうとも思わなかっただろうて。

やろうと思えば、頑張ればできる。

無理をしないでおこうと思えば、できない。

そんな絶妙な感じのところを綱渡りしております。

それが心地いいような気がするし、無理やり頭をクリエイティブな方に切り替えると、色々やりたいことも増えてくる。

ここ最近、「風を切る日々」再開のために、ひとまずこれまで描いた分を読み直してるんだけど、まぁ、最初のころは絵が酷いな。まぁ、今も画力自体は大して変わらないんだけど、板タブ買って、使い方を模索しながら書いてる初期のころは酷いもんだ。

全部書き直したい気持ちもあるんだけど、それをやり始めると「バスタード」になってしまうので、我慢して続きを書くことに専念しよう。

前の1話書いてからもうじき3年もたってしまうので、その前にまず「これまでのあらすじ」も作ろうかなと思っています。

今年は、桜をいっぱい見に行った。

昼お弁当持ってお花見行ったし、夜桜も見てきた。

「へうげもの」の中で「人生であと何回桜が見られるかわからんのだ。しっかり見ておけ。」と言ってたのは、誰だったけ?

この記事を見てみる  ⇒
2023年4月11日 20:10 CAT :

シュラバ★ラ★ランバ

選挙に行ってきた。

投票所の何とも言えないあの空気感が、いつもと違う感じで、何かちょっとドキドキする経験ができたような気がする。

実際に、政治に参加してきたんだと思うしね。

どうでも良いけど、日本では政治家になっている女性の人数が世界的に見ても物凄く少ないらしい。

これを、ジェンダー後進国だと断罪するのはたやすい事なんだろうけど、ふと思うことがある。

いやね。

立候補者見てたら、割と女性の立候補者多いんだよ。

男が男の候補者にしか入れなかったとしても、女が女の候補者に入れたら実際はもう少し当選する人増えるような気がする。

投票権については、平等に与えられている。ちなみにちょっと調べてみたら、投票数というか、投票率は女性の方が多いらしい。

ってことは、単純に男も女も男の候補者に入れてるってことにならないのだろうか。

例えば、男にだけ投票権が与えられて、女性が立候補してもフル無視されるというなら、日本はジェンダー後進国だ!って言われてもしょうがないと思う。

でも現実には、立候補者数は男女でそんなに差がなくて、投票数は女性の方が多いらしい。

何となくモヤモヤするのはオレだけなんだろうか。

無駄に声がでかいだけの自称フェミニストさん達がSNSでは元気だけど投票に行ったりはしないという事なのか。

「女の敵は女」という言葉で、マイメロちゃんが大炎上したらしい。フェミニストの皆さんがそれはそれはギャーギャー言ったとか。

でも、この言葉を考えてキャンペーンを展開したのも女らしい。

実に皮肉な形形で、「女の敵は女」という言葉の正しさが実証されている。

男は女の敵ではないですよ。

多分・・・

この記事を見てみる  ⇒
2023年4月10日 20:00 CAT :

じゃあまだまだ もう少しだけ夢を見るよ

これまで作ってきた音源の中で、一番評価されたのは「脛毛王女と巨乳爺や」という作品だと思う。

個人的に一番完成度が高いのは「ぬるま湯ガリクソン」か「王道軽傷」のどちらかだと思っている。

とはいえ、もうここ数年これと言った音楽活動をしていないので、その辺のことも過去の泡沫。

たまに、自分で聴いて、やっぱりオレは天才だな。と思う程度になってしまった。

で、最近、チョッと色々あって、CDをくださいと言われることがあった。

いいですよ。と言いたい所なんだけど、結局プレゼントすることができなかった。

渡すとすれば、上記の3作品のどれかなんだろうけど「脛毛王女と巨乳爺や」と「ぬるま湯ガリクソン」はもう刷った分は手元になくて、渡せるのは「王道軽傷」だけなんだよね。

まぁ、「王道軽傷」もあと数枚しかないんだけど。

渡す前に久々に自分で、通して聴いてみた。

うむ。

相変わらず素晴らしい出来だ。

と思ったんだけど、これを人に「オレの作った音楽作品です」と渡すのはこっ恥ずかしい・・・いや、これは渡せねえな。となった次第でございます。

このアルバムの収録曲は下記の通り。

M1.本当の横溝正史のラブレター
M2.1/f揺らぎにあわせて奏でる発狂者のメロディー
M3.虐殺の恋文
M4.死合わせとシャボン玉の唄
M5.惑星独りぼっち
M6.今宵、「ただいま」はゼロになる
M7.黒魔術ラヴィンユー
M8.糧となるモノたち~true of the world
M9.思い出のアルバム
M10.おもちゃはおもちゃ箱へ
M11.お耳汚しを召し上がれ~と言う、演出
M12.犬神一座の大サーカス
M13.哀飢え悪の唄
M14.パラフィリア=グロッサリー その1
M15.パラフィリア=グロッサリー その2
M16.白痴にも書けるラブソング

この中の1曲「今宵、「ただいま」はゼロになる」が問題なんだよ。

アルバムの構成上、この曲自体は絶対必要なんだけど、この曲の歌詞がもうそれはそれは世に出してはいけない感じなんだよ。

このアルバムを作ったころ、オレは、サラリーマンをしていた。

合間を縫って、土日に少しずつ時間をかけてレコーディングをしていた。

そして、娘が生まれたタイミングで、その愛すべき娘に向けて捧げた「白痴にも書けるラブソング」が出来上がり、このアルバムは完成した。

まぁ言ってみれば、高校時代「生涯童貞」」を信じて疑わなかったオレ自身にとって、奇跡ともいえる自分の家庭を持ったことで頭の中お花畑状態で作った曲が数曲あるんですよ。

それでも「白痴にも書けるラブソング」はいいと思うんだ。

こういう感じに浮かれてる曲は人生でそう何度も書けないだろうし、今聞いても別に何とも思わない。娘かわいいなぁとしか思わない。

問題は、前述の「今宵、「ただいま」はゼロになる」だよ。

この曲こそ、そのお花畑脳全開なんだよ。

あまりにも恥ずかしすぎて、どうしようもない。

この1曲を闇に葬るために、この自信作のアルバムを丸々なかった事にしたい位恥ずかしい。

いつか、この曲だけ作り直したとき、本当にこの「王道軽傷」というアルバムが完成するような気さえしている。

それと同じ感じで、「ぬるま湯ガリクソン」にも「脛毛王女と巨乳爺や」にも制作当時の若気の至り的な恥ずかしい部分が散見されてた。

この辺りを再構成して、どこに出しても恥ずかしくない音楽作品を作ってみたいもんですな。

こちらが「王道軽傷」のジャケットになります。

はい。

この記事を見てみる  ⇒
2023年4月9日 10:38 CAT :

めくるめく世界は艶やかななまま記憶の片隅に ~後編

チョッと回復してきたので、後編サクッと書いてしまおう。

なんで、オレは、こんな苦しみながらブログ更新やってるんだ?よくわからなくなってきた。

これは何となく違う気がするんだけど、まぁ、何しか、一応書き始めたので、最後まで書いておきましょうかね。

さてさて。

心バキバキのまま、時間は過ぎていく

そんなこんなで、30歳も超えていた。

家族を養っていくことに責任だけはしっかり背負ってるつもりだった。

体のボロボロ具合は全く回復していない。

どう考えても、ハローワークに通い詰めて、応募して、面接を受けて就職というステップを踏めるはずはない。

傷病手当もらえる期間も終了。貯金もない。

今月あと2,000円で家族4人食いつないでいけるのか?!みたいな状況だった。

と言う事で、少しでもお金を稼ぐために、家でできることはないかなと考え始めた。内職的な何かとか?かなと。

非常に良い感じに、ちょうどネット上で仕事をマッチングするサービスが色々充実し始めていたので、とりあえずクラウドワークスやらランサーズやら、その辺りに登録して、前職でやっていたデザインとかプラグラムとかのお仕事を探し始める。

あれだけボロボロになった前職での経験は非常に効果的だったらしく、初月から、前職のお給料分くらいの稼ぎにはなった。

もちろん、時代的なタイミングとか、運が良かったとかの部分もかなり大きいけれども、それでもクライアントさんから評価はオール5で、あっという間になんか「この人はいい人ですよ!」的な認定も貰えた。

本当にありがたかったですよ。

ネットでお仕事を取り始めて2か月目にたまたま電話がかかってきた。

前職の時にコンサルティングとして職場に来ていた人からで、オレが仕事を退職したことを聞いて、個人的に仕事を頼めないかという話だった。

ありがたいこと限りなかったので、もちろん即快諾させてもらった。

その次の月には、たまたま知り合いの紹介で、前職の時のライバル会社の人が独立して、外部デザイナーを探しているからやらないかと言うお話をもらった。

ありがたいこと限りなかったので、もちろん即快諾させてもらった。

その結果、ネット上のお仕事サービスに頼らなくても生活できるだけのお金をもらえるようになり、その辺りは2~3ヶ月くらいで卒業。晴れてフリーランスのデザイナーになる事ができた。

それから数年。

口コミなどを中心に気が付けば、一人では抱えきれないほどの依頼をもらえるようになっていた。

ついでに確定申告をするたびに、引くほど税金を取られるようになる。

で、その事を知り合いの社長さんに相談したら「個人事業でやってたら、そりゃあそうなるよ。そのために法人ってものがあるんだから」とアドバイスをもらう。

その年、たまたま別の知り合いの社長さんの娘さんが行政書士のお仕事をしていたので、相談して、法人化した。

「会社名はどうしますか?」と聞かれたとき、オレは迷いもなくひとつの名前を告げた。

もちろん、結婚前、嫁と二人で決めたあの名前。

学生時代に、先の見えないまま、2人で少しでも真っ暗な将来に光を照らそうと決めた名前。

その名前の会社が誕生したのは、結婚して10年目の出来事だった。

お陰様で、会社の方は何とか今年も1年続けることができた。

社員さんも増え取引先さんも増えて、今年から新しい事業を始めようとしている。

会社の方は、もうオレの手を離れて、自分の意志を持ってるかのように成長し始めている。

人生って何が起こるか分からない。

ただ、現実として、学生時代、周りの人にさんざん嘲笑された「夢みたいなこと」が、今実現している。

ずっとその辺の安っぽいミュージシャンの歌う「夢はいつかかなう」みたいな歌は反吐が出ると思ってたし、今も思ってる。

あんな事は本当に夢がたまたま叶った人の絵空事で、万人に当てはまるものではない。

そんなことはわかっている。

それでもオレは夢をもってしまった。

無理やり作った夢ではない。

小学生のころから、どこにも居場所がなかったおっさんが、自分の居場所を社会に作るために絶望しながら絞り出した、生きていくことに縋るためのカスのような夢。

そんな夢だから生きていくために捨てることができず、結果ずっと持ち続けていた。

捨てきれずに持ち続けた夢は、いつか叶うのかも知れない。

人生の出来事は全て持ち続けた夢が叶うための伏線で、いつかその伏線はすべて回収されて夢は叶うようになっている。

ただ途中でその夢を諦めたら、それまでの伏線が一度ゼロに戻ってしまう。

そういうシステムで世の中は出来ているのかもしれない。

諦めた回数が多ければ夢の叶わない人生になるんだろう。

オレの場合、この夢が叶うまでにかかった時間は多分20年以上。

逆に20年以上持ち続けることのできるくらいじゃないと、夢なんて叶うわけないんだろう。5年や10年で叶うわけない。

あと、最後に、これだけははっきり言いたい。

「会社務めもできない奴が自営なんかできるわけない」って当時の大人たちに散々言われたけど、現実は「会社務めできる奴に自営なんかできるわけない」だと思う。

実際に社長になって色んな社長さんと話をしていて確信した。

会社に勤めることと、自営をすることに必要な能力は全く別なんだよ。

長く同じ会社に勤めることはそんな凄い事だと評価されなくなってきている今の時代は本当に良い時代だと思う。オレにはあってるという意味で。

1970年代とかだったら、オレ確実に自殺してたよ。

絶対に。

時代に生き永らえさせてもらっている感満載で今日も生きていくデス。

時代と環境全てに感謝してもしきれない。

ありがたやありがたや。

という事で、主題ブレブレ(主に中編の時期のせいで)。

結局何が言いたかったのかもよくわからないお話はこれでいったん終わりにいたします。

さようなら。

この記事を見てみる  ⇒
2023年4月8日 20:06 CAT :

みんなで木魚を叩けばまぶしい光が差し込むだろう

昨日のブログを書いていると、絶望的に頭が痛くなってきた。

んで、ずっと吐き気と腹痛が止まらなかった。・・・体も心も何にも回復していないらしい。

逃げることで、知らないふりをしているだけなんだと思う。

これで良いのかと問われれば「まぁまぁだ」と答えざるを得ないのが大いに不本意だ。

ガストロンジャーですよね。

と言う事で、ちょっとだけ今日は後編はお休みして関係のないお話でも・・・

会社の方で、今度、新しい人を迎えるかもしれないと言うことで、その人の働く場所を作ってた。

本当はやらないといけないお仕事もあったんだけど、場所作りはやっておかないといけないので、朝から買ってきた棚を組み立てたり、オレの部屋の模様替えしたり、事務所の模様替えしたりと、普段やらない肉体労働に勤しんでおりました。

昔から、部屋の模様替えがすごく好き。

意味もなく部屋の模様替えをよくやってきた。

実家にいたころ、自分の部屋の模様替えをした夜、見たことのない景色の中で眠りにつくとき、なんだか少しだけ、これから新しいことが始まる気がしてワクワクしていたような気がする。

実際には何も変わることない日々の延長でしかなかったんだけれども。

自分の向かい合う方向が変わるだけで、気持ちが変わる。

もっと言えば、自分の周囲にあるものが少し変わるだけでも、気持ちは変わる。

楽しい気持ちを持ち続けているならそれでいいんだろうけど、オレの場合、ずっと心は落ち込んだままでいることの方が多かった。

あまりにも心が落ち込んでしまったまま浮かび上がる兆しすら見えなくなると、部屋の模様替えをして、見たことない景色の中で眠りにつくことで、気持ちを少しでも上昇させようとしていたんだろう。

今もその名残があるんだと思ってる。

久々に、家具の配置とかをいろいろ変えたので、今日は少しだけ、ワクワクしている。

何となく、前より使いにくくなったような気がしないでもないけど、それはそれ。

そもそも合理的なことだけを考えて生き続けることができるのであれば、もっと人生楽に生きてこられたと思うんだ。

今日くらいはチョッと癒されたいので、猫の写真でも載せておこう。

さようなら。

この記事を見てみる  ⇒