2025年7月28日 12:12 CAT :

すごいへべれけ

地球の自転が急激に早まっていると言うニュースを見てしまった。

参考記事⇒【地球の自転速度が急上昇、7月10日は2025年最短の1日】

何でも、1日が24時間を切ってしまった日も出てきてるとか。

そうか・・・ここ最近、メッチャ1日が早いのは、実際にスピードが上がってきていたのか。

これって別に生活に影響を与えることは無いんだろうか?

1日が短くなって良い事って何かあるか考えてたけど、あんまり思いつかなかった。

どちらかと言うと1日が48時間あってほしい派なので、地球さん・・・何卒ゆっくりお回りくださいませ。

社会情勢やら世界経済の不調とか色々言ってるけど、あくまでも地球さんが元気でいてくれるからそんな話が出来る訳で、地球さんが調子崩したら全部終わりって事は認識しておかないとな。

何しか、南海トラフ地震の発生は数年先延ばしになったみたいだし、しばらくは、目の前にあるやるべきことに注力していきましょうね。

今日はこの辺りで許してやろう。

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2025年7月27日 12:12 CAT :

さぁそろそろ起きようか

選挙が終わりましたな。

蓋を開けてみれば、ほとんどの人が想定していた通り、自民党の大敗と言う結果になってた感じ。

やっぱり今回の参院選での自民党下野は無かったっぽいのでその部分は一安心。

まぁ、次の衆院選か、もしくは近いうちに解散総選挙となった時に先延ばしになっただけっぽい気がするけど。

一番理想的な形って、多分自民党が少数与党としてやって行くと言う今の形なのかもしれないね。

早速、ガソリンの暫定税廃止も話になってるっぽいし。

しかし、選挙終わったら石破総理続投がトレンドに上がるとは思わなかった。

これ言ってる人って、まぢで節操ないよね。

先日、フィフィさんがライブ配信かなんかで言ってた「日本の左派は、他国の左派とは全く意味が違う」と言う話が凄くしっくりきた。

そうなんだよ。

左派でも右派でも全然問題ない。

政治的思想は自由なんだけど、政治的思想の根底には愛国心があって然るべきなんだよね。

「日本の左派は左派じゃない。ただ、日本を貶めたいだけの反日集団」と言う話。

まさにその通りだと思った。

だから思想もへったくれもないし、自分が過去に行った事も平気でなかったことにして全然違う事を話始められる。

問題なのは、そんな奴の話をそのまま鵜呑みにして、政府批判をしてしまうアホなんだよ。

オレも、政治に関しては何にも分かってない無知蒙昧なので、偉そうには言えないけど、少なくとも、日本って国は良い所だと思ってはおりますよ。

そして、自分の住む国を良くしたいと思っている。

自分の祖国のために日本を貶めてるどっかの人たち一緒にだけはされたくない。

何しか、かつてあれだけの勢力を誇った社民党や共産党が消滅しそうな中で、若い人に支持されてる参政党や国民民主党が勢力を伸ばしているとか、政治構造も変わってくるんでしょうね。

今回の参院選は投票率が18年ぶりくらいの高水準だったらしいけど、若い人の投票率が上がったって事なんだろうか。

これを機に、ぜひ若い世代の人たちの方もチョッとは向いてほしいなと切に思う感じでございます。

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2025年7月26日 12:12 CAT :

銭形まつりで「みかんのうた」2025~完結編

久々のライブレポートと言う事で、気が付けば6000文字超も書いてしまっていたので、まさかの4日に渡る事になってしまった。

けど、後悔など1ミリもなし。

選挙の話とか書こうと思ってたけど、それはまた明日以降にしても良いじゃないか。

と言う事で、前回までのあらすじ!!

アンコールに応えて、シンゴちゃんとトーマスが出てきたところからだったな。

「他のバンドの人たちがアンコールしてないのに、オレ達だけがやっていいのかな・・・」

と、ちょっとおどおどして見せるシンゴちゃん。

何を謙虚な事を言ってるんだ。良いに決まってるじゃねえか。

「もう終わりだと思って、楽屋でズボンを脱いでたんだけど・・・」と苦笑いしながら出てくるあんちゃん。

予定調和なのか、ホントに予定外だったのか分かんないけど、と言う事はあと1曲聴けると言う事だよね。

でも、何をやってくれるんだ?

個人的には「暴走ロック」とか「食べたいなめたい危険地帯」とか聴きたいけど、マニアックかな。

あとメジャーどころだと何があるんだろう?

「German Power」とかかな?

あれか。選挙日だし「メタルタックスマン」とかか?

みたいな妄想をしてたら、あんちゃんが「ここで別の曲をしてもいいんだけど、オレ達の事をあんまり知らない人って、いつも一曲目が『みかんのうた』で、戸惑ったりするんだよね。だから、普段はやらないけど今日は同じ曲をやってもいいですか」と。

人を楽しませることに一生を捧げてるのか?この人たちは。

サービス精神が凄いとか言うレベルじゃねぇ。

何度も言うけど、夏祭りのフリーライブなんですよ。

しかも、「せっかくの香川なんだし。『みかん』じゃなくて『うどん』でやってみる?」

だって。

と言う事で、即興で「うどんのうた」に。

人生で一番聞いたメタル曲は間違いなく「みかんのうた」だと思う。

人生で一番カラオケで歌ったメタル曲も間違いなく「みかんのうた」だと思う。

その「みかんのうた」を「うどん」に変えて歌うだと・・・!?

即興でそりゃあ無理はいっぱいあるよね。

シンゴちゃんの「みかんと比べてうどんは言いにくいよ。」に対してあんちゃんが「人生でうどんうどんうどんって言う事なんてないから良いんだよ。」「今、また皆が試されてるぜぇ」というやり取りをして、演奏が始まる。

「皮を捨ててはいけないぜ」のところとか「黄金色の果実」の所とか全部苦笑いで誤魔化して歌うあんちゃん。

それで良いじゃないか。

今日、ここでしか聴けない曲がある。それがライブなんですよ。

「うどんうどん」の大合唱。

あぁ楽し過ぎる。

そう言えば、もう結構前から首のあたりの感覚が無いけど、それはもうどうでも良いか。

振り上げてる左手は手首より先に感覚が無いけど、それもどうでも良いか。

演奏後、シンゴちゃんが「『皮を捨てては』のところを『汁と捨てては』にしてほしかった。」と言うと、あんちゃんが「即興なんだから思いつかんって」と。

本当に即興だったのか。貴重なものを見せてもらってしまった。

「黄金色で思い出したけど、こいつら香川のうどんが食べたいとか言いながら『こがね製麺所』に行ってました。」とあんちゃんは最後までしっかり笑いを取ってくれた。

「『こがね製麺所』メチャクチャ美味しかったよ」としっかりフォローするシンゴちゃん。

どんだけやり慣れてるんだろうか。

幸せ過ぎる時間はあっと今に終わった。

1時間を超え、全11曲と言う普通のワンマンライブレベルのものを見れてしまった。

一緒に見てた英語の先生に「What was it like thats their music right?」って聞くと、興奮気味に凄い量のつばを飛ばしながら「Super Super Super Super great amazing excellent」だって。

ホントに英語の先生か?レベルで語彙力がなくなってる。

出口で投げ銭が出来ると言う事だったので、財布の中のお札を出来るだけ全部ぶち込んで帰ってきました。

長くなってしまったのでそろそろ終わりにするけど、コロナ禍以降、随分とライブハウスはご無沙汰してたし、もうアラフォーでヘドバンも無いでしょ。と思ってた。

でも、そんな事1ミリも頭をよぎらないくらい、まぢでSuper Super Super Super great amazing excellentに楽しかった。

そして、横にいたオレより年上のおばちゃんも髪を振り乱してヘドバンしてたのを見て、オレももっと楽しまないといけないなと思ったよ。

またライブハウスに足を運ぼう。

こんなに幸せな時間を過ごせるんだ。

英語の先生が涙ぐんでるオレを見て、「This falling tears so Happy tears.must.I think.」って言ってた。

オレもそう思う。

そうなると、次に行きたいライブは、やっぱり「ストロベリーソングオーケストラ」だよなぁ。

とは言え、大阪遠征は流石に色々難しいような気がするので、せめて岡山くらいでやってくれないだろうか。

最期に、写真撮ってないので、シンゴスターのこの日のポストを張り付けておきましょうね。

この4枚目でステージ下手の方で身を乗り出してるのが多分オレと、英語の先生だと思う。

何しか、本当にこんな所に来てくれてありがとう。

SEX MACHINEGUNS。

今度はちゃんとお金払って、ライブ行きます。

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2025年7月25日 12:12 CAT :

銭形まつりで「みかんのうた」2025~後編

今更だけど、ライブ中は撮影禁止だったし、そもそもそんな無粋な事に時間を割く訳にはいかなかったので、一切の画像は存在しないよ。

オレのテンションと文章だけでお送りさせていただきます。

と言う事で、前回までのあらすじ。

「ファミレスボンバー」で2回目のゴンさんと化したのに、まだまだメドレーは続く。

次は、最新シングル「燃えろジャパメタ」ですって。

令和のジャパメタにマシンガンズあり!と言わんばかりの最新シングル曲。

勿論大好きなナンバー。

もう・・・これで終わってもいい。

だから・・・

ありったけを・・・(3回目)

「蝋人形!」って一緒にシャウトしてやったぜ。聖飢魔Ⅱではなく、セックスマシンガンズのライブでな!

ガハハハハハハハ。

そこでチョッとMC。

いや、この人たちのMCはやっぱり最高に面白れぇよ。

シンゴちゃんの言う「怖くないですよ。よく見たら皆おっちゃんですよ。」も、あんちゃんの「前にやってたメタルのおっちゃんはもう少しMCの練習もしろ。どうせ部屋にこもってギターばっかり練習してるんやで。」もたまらんわ。

変わってねぇなぁ~。

そのままこれまた学生時代カラオケで歌い倒した大好きなナンバー「TEKKENⅡ」が始まる。

続いて、最新アルバムから「震え」(のSUSSYボーカルバージョン)「HEAVY METAL THUNDER」、そしてメジャー3期の中では一番好きな「愛人28」。

まぢで好きな曲のオンパレード。

今日はどう頑張っても、ライトなファンしかいないと思ってのセットリストだったんだろうか。

いや、それでもいい。

って言うかぶっちゃけ何でもいい。

まぢでまぢでまぢでまぢでまぢでありがとうございます。

1時間のライブで、死ぬほど好きな曲だけがずっと聴けるとかどれだけ幸せな事か。

再びMC。

「ラスト3曲です。」に対してお決まりの「えぇええええええええ」と言うレスポンス。

で、あんちゃんが「正直な話ね、夏祭りのライブで、こんな曲数やらされると思わんかったわ!普通は5曲くらい有名どころやって終わりやろ。」と。

面白過ぎる。

最高過ぎる。

本当にありがとうございます。

こんな過疎地で、ヘヴィメタ聞いた事もないおっちゃんおばちゃんもいっぱい居る中で、全力でこんな曲数をやってくれるだけでも、やっぱり「SEX MACHINEGUNS」は最高だわ。

そのままご当地の名前変えでよくやってる「語れ!涙!」。

今回は、「観音寺」が語呂悪いので「ぜにがたより」バージョン。

「何のことか分からんと思うけど、今だ!と思う所で叫んでくれ。」とあんちゃん。「今、皆が試されてるぜぇ~」とシンゴちゃん。

あぁ・・・楽しい。そのふりだけで「語れ!涙!」だとみんな分かってるよ。少なくともオレは分かってたよ。

そしてそのままメドレーで「桜島」。

最期の一曲は何と「ONIGUNSOW」だった。

一番思い出の曲が一番最後に聴けた。

振り向くと再び涙ぐんでるタクヤ。

オレも、当時の事が色々頭をよぎりまくって涙が溢れてきてしまった。

高校時代、GIGSを抱えてた当時のオレに言ってやりたい。

20年以上経って、その「ONIGUNSOW」を生でしかも、こんな目の前で見る事が出来るぞ。しかも、その時も横に同じ奴がいるぞ。と。

色んな感情がグッチャグッチャになりつつ、はけていくメンバーに血を吐きながら叫び続ける。

メンバーがはけて行って、ステージのライトが落ちたけど、鳴りやまない拍手。

いやいや。こんな夏祭りのフリーライブで、アンコールは流石に無いでしょ。

それは強欲ってもんだ。

無理だ。

無理に決まってる。

・・・

・・・

それでも鳴りやまない拍手

・・・すると、トーマスとシンゴちゃんが出てきた。

まぢかぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!!

と言う所で、次でいよいよ完結編だぁあああああああああああ!!

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2025年7月24日 12:12 CAT :

銭形まつりで「みかんのうた」2025~中編

前回までのあらすじ!

と言う事でいよいよマシンガンズのライブ・・・

今回のホールでは緞帳的なものが一切なかったのでセッティングも普通に見れる。

目の前であんちゃんが、SUSSYが、SHINGOがトーマスが、それぞれの機材をセッティングしてる。

横を見るとタクヤは「あんちゃんが目の前にいる。」とか言いながら涙ぐんでる。

GIGSって言う雑誌を見ながら当時リリースされたばかりだった「ONIGUNSOW」と言う曲を二人でコピーしようとしてた事を何か思い出した。

これ(↑)のやつですな。

当時オレはキーボード弾きながら、ギターもやってたので、このギターソロを弾きつつ「こんなのをこのスピードで弾くとか人間にできるのか?」とか思ってた。

当時まぢでライブ出れば、絶対に1組は「みかんのうた」か「ファミレスボンバー」をコピーしてるバンドがいた。

武道館を余裕で満員にするくらいの人気バンドだった「SEX MACHINEGUNS」のチケットなど、バイトもしてない高校生ごときに取れるはずもなく、テレビでの演奏を涎を垂らしながら見てるしかなかった。

その本人が、今、目の前でセッティングしてるんですよ。

そりゃあ、涙ぐむよね。

セッティングが終わり、全員がはけていく。

客電が落ち、ステージの照明が付く。

始めはSUSSYが入ってきた。

あかん。もう、テンションがおかしくなってきた。

4人が揃い、演奏の姿勢に入った。

最初の曲は何だろう。

演奏が始まる。

ライブDVDとかで何百回も聴いたこのイントロは「みかんのうた」だあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!

もう・・・これで終わってもいい。

だから・・・

ありったけを・・・

正直な話、音響設備はイマイチだったんだよ。

夏祭りのライブに何を期待してんだって話。

でもそんな事関係ない。

こっちは頭の中にタブ譜ごと出てくるくらい聞き倒してんだ。

脳内補正でどうとでもなるって話なんだよ。

首ヘルニアになってるんですが、全力でヘッドバンキングして、血が出るほど絶叫してしまった。

1曲目で。

そのままメドレーで「ファミレスボンバー」。

もう・・・これで終わってもいい。

だから・・・

ありったけを・・・(2回目)

すでに最終戦のヒュンケルくらいのHPしかない状態のまま、ライブは続く。

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2025年7月23日 12:12 CAT :

銭形まつりで「みかんのうた」2025~前編

と言う事で、行ってまいりました。

観音寺と言う香川県の西の果てにある僻地の夏祭りに、何を間違ったのか「SEX MACHINEGUNS」がやってくると。

こちらですね。

頭がおかしいのか。

ほんわか市民の憩いの夏祭りでなんでヘヴィメタやねん。

小説「ひとときの暗がり」でも書いた通り、オレの高校時代には正に神のような存在だった「SEX MACHINEGUNS」。

当時普通に武道館とかでやってた人たちが、こんな田舎の果てのそれもキャパ300人くらいのところで投げ銭ライブをするとか、まさに狂気の沙汰。

行かない理由はないですね。

「ひとときの暗がり」のタクヤの元ネタになった奴と2人で行ってきた。

会場に入ると、知らないおっさんのスラッシュメタルが鳴り響いてた。

え~と・・・マシンガンズ以外にもメタルでいらっしゃるのか。

このクソ暑い夏に暑っ苦しいたらありゃしない。

最高じゃないか。

ただ、もう会場は満員に近かった。来るのが少し遅かったか・・・と思った。

流石にステージ前は、遠征組のオレよりチョッと年上のおばちゃん方がマシンガンズグッズを身に着けて陣取っている。

まぁそれも当たり前。

「SEX MACHINEGUNS」さんですよ。そりゃあ遠征組がいっぱい居るのは想定内ってもんだ。

こんな誰もヘヴィメタ聴かない香川の果ての過疎地でも、余裕で最前列など取れるはずもないか。

と諦めかけていた。

ところがよく見ると何か最前列に謎の空間がある。

そこには、ゴリゴリマッチョでドレッドヘア―のいかつい黒人さんがステージから反身を乗り出してクレイジーなヘッドバンキングをして踊っていた。

その異様な雰囲気に恐怖を感じて、誰も近づいてこなかったんだろう。

いやあれ・・・オレの英会話の先生じゃないですか・・・

次のバンドに変わるタイミングを見計らって話しかけてみた。

「Hi!」

「Oh!Shimota!You were here too.」

「It’s obvious.Lets having fun together.」

「Of course!Come here , right.」

と言う事で、タクヤと2人で最前列を陣取る事が出来た。

先生ありがとう。

この人、見た目チョッと怖そうだけど、信じられない位良い人だし、オレと趣味が一緒で物凄く気が合うんだよ。

人を見た目で判断してはいけない事。

オレが英会話を始めてから一番勉強になった事だと思う。

そんな感じで、100%先生のお陰で有り得ないステージかぶりつきの超最前列に行くことが出来、そして、いよいよマシンガンズのライブが始まる。

んだけど、長くなったので実際のライブについては、明日に続く。

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2025年7月22日 12:12 CAT :

命の水はポンジュース

観音寺と言う、香川県の西の端にあるところに「SEX MACHINEGUNS」がやってくると言う事で、ライブに参戦してきた。

んだけど、今日のところは体力の限界で、詳細を書く事ができねぇよ・・・

楽し過ぎてヤバかった。とだけ・・・

昔は、そのテンションでそのまま長々と書いて更新できていたのにな。

年は取りたくないものだ。

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2025年7月21日 12:12 CAT :

みかんを食えば救われる

過去に何度かオレの原風景はこれだった的な記事を書いたことがある。

例えば、「ドロロンえん魔くん」と言うアニメの雪ちゃんが理想のヒロイン像だったり。

例えば、オレの描きたい物語構造の原型は白戸三平先生の「ワタリ」って漫画だったり。

例えば、オレの描く絵の原型は東洲斎写楽の浮世絵だったり。

まぁそんな話の延長線上ですよ。

先日、「ひとときの暗がり」のお礼絵を作ってる時の話。

この時の奴ね。

その時に書いた「高校演劇戯曲選」と言う本に出てきた台本で、メッチャ好きだった奴があった事を思い出した。

暫く悶々と考えていたんだけど、それが「食欲のない話」と言うものだった。

内容としては、人工冬眠をしていた主人公が遥か未来に蘇ったら、そこは食欲をはじめとする俗欲がない世界だったと言う「望郷太郎」みたいな話。

これを当時読んだ時、物凄く面白くて、色んな所で影響を受けた。

特に、この未来の世界にいる科学者と助手の感じが物凄く好きで、それをかなり色んな作品でパクりまくった参考にさせてもらった。

当時、「風を切る日々」の元ネタとなる「ランナウェイデイズ」を描いてたんだけど、マルクスと言う科学者のキャラが途中から全然違うものになってしまったのは、完全にこの「食欲のない話」と言う台本の影響。

ヘブンズランド編辺りまでのマルクスはおどおどとした内向的な自信家の科学者と言った感じだったのが、それ以降になるとサイコパスな狂人科学者になってる。

そして、その助手としての上原とジークの2人のキャラクターと関係性なども、完全にこの台本に影響を受けてる。

そのキャラクターのまま、その後の「Gの世界」も「us」も描いた。

このマルクスってやつは、オレの描く物語のかなり根幹部分にいる奴なので、結果として、オレの描く漫画の世界観に一番影響があったのは、この「食欲のない話」と言う演劇台本だったんだなぁ。

と言う事を今更ながら思い出しました。

そんな話ですよ。

ただ、この台本自体の存在を、今回のお礼絵を描くまで完全に忘れていた。

自分がどこから影響を受けてるかなんて事は、無意識化である場合も多いのかも知れない。

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2025年7月20日 12:12 CAT :

手間と労力が報われることのない別に風を切るわけでもない日々を過ごす~その14

水増しの日々はまだまだ続く。

と言う事で、もう一つ。「風を切る日々」62話のお話も。

そろそろ疲れてきたので、軽くサラッと流しておきましょうね。

昨日の記事でも書いた通り全くもっと諸々の制作が遅延しております。

何か、前回の記事で「今執筆中の63話を6月中に完成させて、そのまま64話の執筆に入ってしまえば7月からは元通りのペースに戻せるかな。」とか書いてたけど、世の中、思惑通りになぞ行かないものなのですよ。

ホント作画に時間がかかっております。ハイ。

そんな感じで、次の更新時まで少しでも多くの人を繋ぎ止めたいと言う邪な心意気で今日も今日とて書いていきます!

その前に一応、リンク張っておこう(↑)。

頑張って書いてるので読んでください。平に!平に!

さてさて。

今回はこちら。

第3部37話「英雄記」の話。

タイトルが物語のタイトルになると言う、書き手側としては最もテンションの上がる話。

なんだけど、「Gの世界」の時でも一番駄々スベリしたのは、91話「「G」の世界」な訳でして、今回もどうせ空回りするんだ。

と言う何ともマイナスなモチベーションで描いておりました。

実際そんな感じもしないでもないけど。

改めてこの話を読み直すと、確かに、内容が良くわかなんないよね。

イヤ、もちろんオレは分かってると言うか、今後の事も踏まえてしっかり考えて描いてはいるんだけど・・・

画力の問題、演出力の問題、そして、そもそも分かりにくい物語と言う、結構致命的な問題を多数抱えているので、これも致し方無しなのかもしれない。

それでも、この話は自分としてはワクワクしながら書いていたのは間違いない。

少しだけ補足説明をしておきます。

〇4ページ目に出てきた「グローブ」と言う団体の名前は世界が統一国家として「us」に出てきたものと同じで、アルグスク公国から出向したマルクスが、そこの科学者軍団のトップ
〇ガルと話をしているのは、モラリル公国でノエル、ライトの跡を継いで兵団長になったカズエル
〇10ページの教えは「Gの世界」に出てきた「レイ=ティンバー」日本では「シバの会」の基本経典の内容
〇10ページ右上のコマで出てきたのは「us」でロバートとエミリアが言っていた「ジークムントの祭壇」
〇12ページで信者の前で語っているのは、グロウハンタートップのヤルタム
〇15ページで出てきた戦艦は「Gの世界」86話で八神で見ていた船団と同じもの

くらいを把握してもらえると、これからの話も少しは分かってもらえるかもしれない・・・

結局、全部で一つの話と言う構造で書いてる事が一番の問題なんだろうね。

でも、これがオレの描きたい世界なんだ。ごめんなさい。

取り合えず、大決起集会の作画頑張ります。

show must go on!

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2025年7月19日 12:12 CAT :

あの頃の話を振り返る愚行を犯し続ける別にひとときでもなかった暗がり~その32

水増しの日々はまだ続く。

っていくか、この水増しのためにオレは漫画とか小説の裏話を取っておいたのだろうか。

取り合えずの所、ストロベリーソングオーケストラさんのレビューは非常に時間とパワーがいりますので、少し落ち着いてから再開させてもらうよ。

何か宙ぶらりんな感じだけど、まぁそれはそれでございます。

と言う事で、来るべきその日まで少しでも多くの人を繋ぎ止めておきたいと言う邪な心意気で今日も今日とて書いていきますよぉ!

その前に一応、リンク張っておこう(↑)。

頑張って書いてるので読んでください。平に!平に!

さてさて。

第38話 高校2年生(7)「M.M~そして、Rは除く」

こちらですな。

この「M.M~そして、Rは除く」と言う劇については、もう少し後で触れるとして、今回はタクヤと白石さんの告白シーンについて。

正直、これを書くかどうかは結構悩んでた。

この話はあくまでも、オレ個人の過去のネタであって、それ以外のやつの暴露をメインにするのはいかがなものか。と。

それは流石にどつき回されてもしょうがないよなぁ。

悩みに悩んだ結果、内容としては、「演奏を聴かせるのと、楽器を貸すと言う名目で家に呼び出したこと」「楽器を持って駅まで送って言った事」「駅前で告白した事」「嬉し過ぎて泣いてしまった事」以外はフィクションと言う形にさせてもらった。

そう。

99.9%が実話なのだよ。

タクヤの元ネタになった奴の方はまだしも、白石さんの元ネタのになったSさんの方から怒られたら、流石に内容変えるかも知れない・・・

でもこのくらいならいいよね。

これ以降の話は多分書かないから。

いや、当たり前と言えば当たり前だけど、色々知ってはおりますよ。

例えば、いつどんなケンカをしたとか、どこに遊びに行ったとか、いつ初めてセックスしたとか、どんな別れ方をしたとか・・・

流石にその辺を自重するくらいの良識は持ち合わせてると思ってる。知らんけど。

そして、その辺の話はまだ書いてないので、どうなるかも保証できない。

でも書かないだろうね。

なんで、そんなよそのカップルの話を知ってるかと言うと、それくらいオレとタクヤの元ネタになった奴は高校時代いつも一緒にいて、お互いの話をずっとしてたと言う事なんだよ。

まぢで隠し事なんてほぼなかったんじゃねえの?と言う感じで。

ただただたオレが、20年以上経ってその全てを暴露する小説を勝手にネットに発表すると言うゲス野郎だったと言うだけです。

と言う事で、今年一年はピンクがかった内容が多くなりますが、引き続き何卒よろしくお願い申し上げます。

最期に、今回のお礼絵をば。

「MMR」とネットミーム以外でちゃんと読んだことある人も今はもう減ってるんだろうかね。

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2025年7月18日 12:12 CAT :

あの頃の話を振り返る愚行を犯し続ける別にひとときでもなかった暗がり~その31

チョッと更新のペース上げていくよ。

と言いつつ、こっちのブログでの裏話の方が全然追い付いていないと言うね。

それ以前に、今書いてるストックも12話までしかないので、このペースだとそっちも枯渇しそう。

原因は、先日少し書いた「風を切る日々」64話の作画コストのせいだったりもするんだけど、それはまた、そっちの話を更新する時に書きましょうね。

と言う事で、来るべきその日まで少しでも多くの人を繋ぎ止めておきたいと言う邪な心意気で今日も今日とて書いていきますよぉ!

その前に一応、リンク張っておこう(↑)。

頑張って書いてるので読んでください。平に!平に!

さてさて。

第37話 高校2年生(6)「童貞ボーイズ」

こちらですな。

何か、本編の内容がうっすい恋愛小説みたいな体になってきてる感もある。

あれ?こんなうすら寒い恋愛ネタなんてあったけな?と思いつつも、なんせこれ、当時のオレの書いてた日記を基にして書いてるので、間違いはないんだよね。

とすると、間違っていたのはオレの記憶の方だったのか。

灰色の高校生生活には、こんな男女のもつれみたいな話はあってはならないと思ってるんだけども・・・

何しか、この頃の日記には「オレは先輩と仲良くなってはいけない。何か変なの感じだ。」的な記述もある。

この仲良くってのは付き合いたい的な意味合いではなくて、「お友達には」って意味だろうけど、何か歪と言うか変な感じ。

恋愛経験とかほとんどないので、良く分からないと思うんだけど、恋愛経験ってそもそも何なんだ?と言う感情もある。

これもある意味恋愛経験なのか?

ちなみに、大学時代の話だけど、その辺でも全く記憶にない事をいくつか記載されてた。

「○○さんと一緒に海に行ってきた。」

「○○さんと夏祭りに行ってきたんだけど、○○さんがまさかの浴衣を着てきてた。可愛かった。」

「○○さんと一緒に図書館で調べ物をした。良い感じ。」

みたいな奴。

嘘でしょ。

どうなってんだ?

誰か教えてください。

一思いに、中二病な感じで、多重人格者とかだったらまだカッコよかったのに・・・

そんな感じで、今回のお礼絵を張り付けて、さようなら。

この演劇台本の話書こうと思ってたけど、それはまたいずれ。

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2025年7月17日 12:12 CAT :

愛に飢えた孤独のジャパメタ

気が付いたら、ブログのストックがゼロになってた。

あれ~おかしいなぁ~

あんなにいっぱい書き溜めてたのに。

と言う事で、 しばらく時間稼ぎ 少し内容薄めのことを書いて記事増やしておきます。

いやしかし、忙しくなるとまぢで時間が経つの早いよね。

問題に対して全力で対処してた5月は時間が経つのが嘘みたいに遅かったのに、問題がある訳じゃあなく、ただ忙しくなるとアホみたいなスピードで時間が過ぎていく。

これを老化と言わずして何というのか。

いや。知らんけど。

取り合えず、水増しだ。

水増し。

今日も忙しいんだ。

水増し万歳。

それでも、毎日更新は止めない。

それがカッコいいと思ってんのかは分かんない。

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2025年7月16日 12:12 CAT :

ストロベリーソングオーケストラさんのアルバムレビューを全力でやってみるよ~その3「切り裂きジャップ」(1)

と言う事で、少し間が空いたけれども、あと1回、ストロベリーソングオーケストラのアルバムのレビューを書いていきますぜぃ。

前の「夜儿、あらわる!」の時の感想のurlを宮悪座長本人に送り付けると言う暴挙に出てしまった。

そして、(多分)読んで貰ってしまったので、何か恐れ多くて、と言うかビビりすぎて、もう感想書くの止めようかと思ったんだけど、すでに書いていた「血の濫觴」の方も更新してしまってるし、まさに「ええい!ままよ」な状態。

やるならここまでは書いておかねばならない。と言う事で、今回はこちら。

「切り裂きジャップ」

の話を書く前に、「二十一世紀狂闘旗手」について触れておく必要があると思う。

こちらの曲ですな。

記憶が若干曖昧な上に、筋肉少女帯以上にメンバーの出入りが激しいので、事実関係が前後していたら申し訳ない。

・・・みたいな前置きをしつつですな・・・

この曲が発表されるチョッと前くらいに、それまでストロベリーソングオーケストラの演奏陣を支えてきた人たちが相次いで脱退した。

鍵盤の高橋ヒデヲさん、その後入団した「鍍金のサーカス」を作曲した鍵盤の傷子さん、月影さん、朱音さんの2大ボーカル、ギターの森田鐵道さんと言った人たちが次々といなくなっていく。

アナウンスを見る度、オレも「コレはどうなっちゃうんだろう・・・」と言う一抹の不安を抱えずにはいられなかった。

この頃、宮悪座長がTwitter上で「書籍をブックオフに持っていったから資金力が違う!」みたいなことをつぶやいてたのを見た時には、活動止めないと言う強い意思表示だと勝手に受け取ってた記憶もある。

それでも、「スベテキエテナクナレ」「影孕む密葬、月は静寂」と連続でリリースされた2作品はやはり「切断の異學」や「月蝕のサーカス」と比べるとパワーダウン感が否めなかった。

ところが。

ところがである。

最強のボーカリスト灯さん、スーパーギタリスト犬拐さんが、宮悪座長、そしてずっとストロベリーソングオーケストラを支え続けてたキリヒラランセさんと合流する事で、奇跡とも言える大復活を遂げる。

確か、犬拐さん加入後初か、その次くらいの犯行現場に行った時、新しい団員として紹介された犬拐さんが投げたサイン付きピックは今も宝物入れの中で輝いております。

(↑)多分これ。

そんな布陣で作られたのが、言ってみれば復活の狼煙にもなりうる一曲、この「二十一世紀狂闘旗手」だったと思う。

この曲を聴いた時、正直「良い意味でストロベリーソングオーケストラはこの曲で終わるんだ」と感じた。

言ってみればこの曲は、活動自体が困難になりつつある低迷状態の中で、それでも何とか光を探して模索した中から生み出されたとんでもない大傑作だったんだよ。

アルバム1枚、一つの演劇を極限まで凝縮した途轍もない完成度の1曲。

余りにも凄すぎた。

「オレにはこれしか出来る事がありません。それが出来ないのであれば、もう駄目だと思い死ぬ事にしました。生まれてすみません。」

そんな絶望にも似た叫びがこの曲には詰め込まれている。

「さよならこの世界。わが身、わが夢殺しました。」と言うサビの部分なんて、もう涙なしでは聞けない。

要するに「二十一世紀狂闘旗手」は筋肉少女帯における「サーチライト」なんだよ。

「キラキラと輝くもの」と言うアルバム、そして、その中にある「サーチライト」を聴いた時、当時ほぼ全てファンは「筋肉少女帯は終わった」と思ったはず。

ただ、誰もが知る通り、それは終わりではなく、「ペテン」を発表、その後の長い活動停止を経て、筋肉少女帯は21世紀のサーチライトとして完全復活を果たした。

それと同じ。

細い枝に縄を括り付け、首でも吊ろうとしたのに、死ぬ事が出来なかった。

白塗りの郵便配達夫が連れてきたのは、更に強力な団員だったんだ。

結果的に、ストロベリーソングオーケストラは完全復活し、そして「血の濫觴」から始まった長い狂闘を今もなお続けている。

筋肉少女帯が21世紀のサーチライトなら、ストロベリーソングオーケストラは21世紀の旗揚げ役として、狂人集団の先頭にいる。

その象徴として、燦然と君臨する楽曲こそ、この「二十一世紀狂闘旗手」なんですよ。

ただひとつ気がかりなこともあった。

こんな究極の1曲を作ってしまったら、もうこの後どうしていくんだと言う不安。

そんな中、更に強力な団員を補充しつつ、少しづつ胎動が始まり、リリースされたシングル怨源の果てに誕生した作品こそ、この「切り裂きジャップ」と言う訳でございます。

前置きが長くなったな。

今日のところはここまでにして、次回から実際にその胎動の果てに生まれた問題児「切り裂きジャップ」について書き綴っていきましょうね。

と言う事で・・・

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2025年7月15日 12:12 CAT :

帰ってきたノーカルト≠ノーオカルト セカンドシーズン

昨日の記事じゃないけど、色々政治についてお勉強しておりました。

いや、まだもっとお勉強しないといけないんだろうけど。

ただ、その中で「あれ?今回の参院選で自民党下野しないんじゃね?」と思ってきてしまった。

そうなると、先日の記事の南海トラフ地震の発生時期がずれ込んでしまう

どっちにしても今回の参院選で自民党が大敗した場合、次の衆院選ではほぼ間違いなく下野することになるんだろうけど・・・

取り合えず、数年は猶予が出来たかもしれない。

もうね、そう言う感じで少しでもいい事でも探していかないとやって行けませんぜ。

世界は一体どこに向かっているのか。

考えてみれば、例えば1970年の大阪万博では、世界は発展の方向に向かっていた。

大好きな映画「オトナ帝国の野望」の中で、ケンが「未来はあんなにも輝いていたのに」と言う。

では、2025年の大阪万博を見た子どもたちが大人になった時「未来はあんなにも輝いていたのに」と言えるのだろうか。

世界の向かう未来を決めていると言われているビルダーバーグ会議において、今行われているのは世界の発展ではなくて、人類の選別らしい。

もう発展は望めないのだろうか。

未来に絶望して過去に帰ろうとした「イエスタディワンスモア」が登場してからですら、25年経った。

あの映画公開時に生まれた子どもですら、今25歳。

その子どもたちにとって、今の社会はキラキラと輝いているのだろうか。

オレの子どもたちが大人になった時、「何でオレはこんな世界で生きて行かなければいけないんだ」と嘆くような事にだけはしたくない。

その為にできる事を考える。

結局は、世界の方向は決まっているのであれば、それは何の意味もないかも知れない。

それでも、何もしないよりは何かが変わるかも知れない。

変わらないかもしれないけど、変わるかも知れないなら動いてみる方が良いんだろう。

まずはお勉強しましょう。

稀代の詐欺師「マザーテレサ」は言った。

「愛情の反対は無関心である」と。

無関心だけはダメなんだよ。

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2025年7月14日 12:12 CAT :

君は死にたまえ

選挙が違づいておりますな。

と言う事で、ちょっと政治のお勉強をしてやろうと思って、色々調べたりしてた。

・・・んだけど、正直良く分からない。

何か消費税減税が正しいのかどうかさえ分からなくなってきた。

って、呟いたら八重先生が色々数字出して「こんな感じだよ」みたいなことを色々教えてくれた。

アホの境地のオレに色々教えてくれて、八重先生ありがとうございました。

政治の話をしちゃあ駄目とか言ってる場合じゃねえな。コレ。

もう少し興味持って色々調べてみるのも大切ですぜ。旦那。

取り合えず、消費税減税、もしくは廃止と言うのがどれだけ絵にかいた餅なのかは良く分かった。

これに乗せられてる人はもう少し現実を見た方が良いよ。まぢで。

財源なのよ。問題は。

歳出を減らすために無駄を削っていくことも大切なんだろうけど、今でさえ半分くらいが国債発行で賄われているのであれば、多少歳出を減らしたとしても焼け石に水だわ。

となると、社会保険の部分にメスを入れるしかない。

その為に行われるのが「OTC類似薬」の保険適用廃止なのであれば、これもある程度正しいような気がしてきた。

後は、じいちゃんばあちゃんの保険を3割負担にするとかなのかな。

子ども家庭庁みたいな無駄な奴は即刻辞めていただくとして・・・

あと、今回知ったんだけど、一人の国会議員の給与って2~3000万円くらいらしいけど、これとは別で政治活動などに使われるお金も貰えるらしく、国会議員一人当たり1億円くらい年間使えるらしいね。

そりゃあ皆国会議員にしがみつくわな。

逆に言えば、税金の内の1億円を託すに値する人を選ぶのが選挙なんだよ。

そう考えると、これまで如何に雑に選挙をしていたか。

色々勉強して良かったと言う事にしておこう。

しかし、政治の話ってまぢで分からねぇよ。

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2025年7月13日 12:12 CAT :

インソムニア

昨日の政治の話と関係なくもない話

何かSNS上での炎上と言う名の難癖のつけ方で、主語を拡大させると言う方法を取る奴がとにかく多い。

日本の憲法を破壊して、日本の良かった部分を全部無に帰そうとしてる参政党と言うヤバイ所があるんだけど、そこの代表の人が「高齢女性は子どもが産めない」と発言したことが炎上してる。

それは事実でしかないと思うんだよね。

じゃあ60歳で子ども産んでみろよ。って話。

いや、ギネス記録では確か60歳超えて出産した記録もあった気がするけど、それはそれ。

「高齢になると子どもが産めなくなるので、若いうちから出産なども視野に入れましょうね。」と言う話の一体どこに炎上の要素があったと言うのやら。

しかも、それを「差別だ」と言ってるおばちゃんは、チョッと前に「男が産めるのはうんこだけ」って楽しそうに歌ってたおばちゃんなんだよね。

神谷代表も「高齢女性が産めるのはうんこだけ」って言っておけば、炎上しなかったんでしょうね。

他にも、林原めぐみさんが、ルールを守らない外国人を外来種と表現して炎上してた。

これも「外国人差別をするのか」と炎上してたけど、そんなこと誰も言ってない。

ルールを守らない外国人のせいで一番つらい思いをしてるのは、ルールを守ってる多くの外国人だ。

その国に入ったら、その国のルールを守る。

特に、自国ではやらないくせに日本だからという理由で無茶苦茶するお隣付近の国の、それも一部の頭のおかしい人たちに対して言ってるだけなんだよ。

ここ最近、読解力のない人も増えたらしいので、しょうがないのかも知れないけど・・・それにしても情けないやら悲しいやら。

この手の人って多分意外と少数なので、無視するのが正解なんだろうけど、それにしても絡まれると面倒くさいよねぇ。

そんな話です。

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2025年7月12日 12:12 CAT :

ストロベリーソングオーケストラさんのアルバムレビューを全力でやってみるよ~その2「血の濫觴」

前回、ストロベリーソングオーケストラの新譜「夜儿、あらわる!」についての感想を書いた

次は「切り裂きジャップ」だなと思ってたんだけど・・・よく考えるとそもそも「血の濫觴」と言う傑作アルバムについて書いてなかった事に気が付いた。

と言うか、前の記事の関連記事で出てきてた初めてこのアルバムに触れた時の記事に、「その内全曲レビュー書くよ」と書いてたのに、それ書いてないじゃねえか。

そりゃあ、いかんですよ。

このアルバムを避けて、ストロベリーソングオーケストラを語るなんて、愚の骨頂。

個人的にはこのアルバムの存在こそが、のちにストロベリーソングオーケストラと言うジャンルが形成されるターニングポイントだとさえ思ってる。

筋肉少女帯における「月光蟲」や「パノラマ島」、犬神サアカス團における「暗黒残酷劇場」のような最重要作品なんだよ。

と言う事で、予定を変更して今回はこの超傑作アルバム「血の濫觴」について書いていこうじゃあ、あぁりませんか。

ストロベリーソングオーケストラと言うバンドの説明をする際に、最も名刺代わりになるアルバムがこの「血の濫觴」なのは間違いない。

この作品が刺さらねぇようなセンスのない奴は、多分、他のどの怨源を聴いても意味ねぇよ。と言うくらい、ストロベリーソングオーケストラのステレオタイプとも言うべき作品。

これ以前の作品と比べると、明らかにこのアルバムで方向性が決定した感さえある。

とは言え、このアルバムではまだ何となく手探りと言うか、これ以前の作風との間で揺れ動く感じが無くもない。

その意味では、今回の新譜「夜儿、あらわる!」で本当の意味でのストロベリーソングオーケストラと言うジャンルは完成したんじゃないかと個人的には感じている。

ただ、それはこのアルバムが未完成だったと言う話では全くない。

このアルバムの完成度はおかしい。

全てにおいて完璧。

実際、オレが初めてストロベリーソングオーケストラに触れたのはこのアルバムだったんだけど、それ以降どれを聴いても「めっちゃ良いんだけど、やっぱり血の濫觴が良いなぁ」と思ってた。

そのくらいこのアルバムの完成度が群を抜いてる。

「電波大放送」から「狂れた埋葬虫、電波、赤マント!」「非傀儡宣言」へとつながる展開の凄さをまずは経験してほしい。

そうなんだよ。ストロベリーソングオーケストラの代表曲とも言える名曲の数々が当たり前のようにこのアルバムには収録されてるんだよ。

それはまさに筋肉少女帯の代表曲の数々が当たり前に収録されている「月光蟲」かのような感じ。

え?「僕の宗教へようこそ」も「ルリヲ」も「グリグリメガメ」も「バントライン」も入ってるんですか?え、ウソでしょ「イワンのバカ」も入ってるんですか?・・・なんだよ。分かってもらえるかは知らんけど。

作品全体に流れる雰囲気は、寺山修司、まさに天井桟敷なんだけど、要所要所に江戸川乱歩が見え隠れしている。

エディのフォロワーだろと言う感じのピアノの旋律に、バイオリンやら三味線やらが重なり、男女のトリプルボーカルに劇団員さんのポエトリーリーディングをはじめとした寸劇が至る所に挟み込まれる。

ひとつの演劇作品のようなアルバム。

三味線などの効果もあるのか、どことなく漂う和の空気感もこのアルバムの持ち味。

それが犬神サアカス団の「恐山」のような、重苦しい日本の閉塞感を唄っている訳でもない。

イメージとしては、昭和の日本なんだろうね。実に変な気持ちになる。

って言うか、天井桟敷なんだよ。

ただそれだけじゃあない。

日本と言う国の闇や閉塞感、絶望、不条理を鏡町と言う別空間から客観的に眺めているかのような奇妙な世界観。

寺山修司と言う作家さん自体が、それに近い事をしていたとも言えるならば、それを現代に蘇らせたとも言えるかも知れない。

こんなのオレがハマらない訳ないじゃないか。

1枚を通して聴くと様々なジャンルの曲が入り乱れているんだけど、その根底には謎の一体感があり、ともすればバラバラになってしまいそうな楽曲群が奇跡的な危ういバランスで寄り添って、途轍もなく大きな偶像を作り出している。

その緊張感もこのアルバムの魅力の一つではあると思う。

凄いアルバムなんですよ。

ホントに。

宮悪座長の強烈な思いが入った、大曲「胞衣の劇場」、「血の軌跡が故の慟哭」の2曲でこのアルバムは終わる。

全てを聴き終わった時には、きっと鏡町からもう戻ることは出来ないだろう。

このアルバムがリリースされたのは2009年。

それ以降、「切断ダリア」や「二十一世紀狂闘旗手」のように1曲単位では途轍もない曲はあったとしても、1枚のアルバムとしての完成度では、この「血の濫觴」を超える作品は無いと思ってた。

このアルバムにはきっと「初期の筋肉少女帯みたいだね」とか「人間椅子を思い出すね」とか「犬神サアカス團好きな人は絶対はまる」みたいな事を言う人がいるはず。

「寺山修司が好きなら絶対聞く価値がある。」とも言われるかもしれない。

それが良いのか悪いのかは分からない。

少なくともこのアルバムの評価の一側面を照らし出す言葉ではあるだろうけど。

「血の濫觴」リリースから15年を経て、遂に鏡町の行きつく先が少しだけ垣間見える事になる。

15年後の今、顧みると、その道を切り開くきっかけとなり、サーチライトとしてその道を煌々と照らし続けたのは誰が何と言おうとも、この「血の濫觴」と言う作品であることに異論の余地はないと思う。

少なくとも「夜儿、あらわる!」に対して、「初期の筋肉少女帯みたいだね」と言う人なんているはずない。

ストロベリーソングオーケストラと言うジャンルの完成形が「夜儿、あらわる!」だよみたいな事を、この前の感想で書いたけど、それは本当にそうだと思う。

ただ、その事実が「血の濫觴」と言う大名作の名に1ミリたりとも傷をつけることは無い。

それくらいこのアルバムは偉大だと思ってる。

何と言うかね、こんな作品に出会えたことにただただ感謝しておるのですよ。

本当は、1曲ごとの感想を書こうと思ってたんだけど、何か「このアルバムについて」みたいな事だけで、めっちゃ長くなってしまったので、今日はここまでにしておきます。ハイ。

ちなみに「濫觴」と言う言葉の意味は、「物語の起源」とか「流れの最初」みたいな意味。

「血の濫觴」と言うタイトル自体は、多分、このアルバム自体のテーマにもなっているだろう「宮悪座長の中に流れるドロドロとどす黒い何かの源流となったもの」的な意味合いだったんだと思う。

ただ、15年経ってから改めて考えてみると、ストロベリーソングオーケストラと言う狂気の集団の「血の濫觴」だったんだろうね。

そこまで考えた上での「濫觴」だったのであれば、もうそれはただ脱帽するしかない訳ですけれども・・・

そんな感じで今回は終わりにします。

いやしかし、思いが強すぎて1回が長すぎる・・・

こんなペースで描いてたら指が腱鞘炎になるわ。

今度こそ「切り裂きジャップ」について書こうと思ってたけど、そんな感じだから、もう少し小出しにしようかな・・・などなど・・・考えております。

多分・・・

近日中に・・・

生きていれば・・・

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2025年7月11日 12:12 CAT :

鏡の中のお前は誰だ

先日、息子が入ってるサッカーチームの保護者のお父さんから話しかけられた。

「なんか、しもたさん初めて会った気がしないんですよね。」と。

で、話をしてたら、オレが高校時代の生徒会役員の会長さんの人だった。

1年間一緒に生徒会活動とかしてた上に、ここ最近もお仕事関係でチョクチョク名前は聞いてた。

って言うか、うちの会社の人が営業でその人のところに何度も行ってた。

生徒会長さんのところに営業行ってたと言う話は知ってたし、その人自体はもちろんオレも知ってたんだけど、オレ自身は会ってなかったし、よもやサッカーチームの保護者のお父さんがその人だと思いもしなかった。

世間は狭すぎる。

そもそもオレは人の顔がまぢで全く覚えられない。

向こうは、オレの事をほぼ特定できていたらしんだけど、どうもあまりにもオレが全く知らない感じだったから「人違いかも・・・」と思ってずっと言い出せられなかったんだって。

非常に申し訳ない限りです。

でも、ホント人の顔が覚えられないんだよなぁ。

どうすれば人の顔って認識できるんだろう。

何しか、今後サッカーの応援とかチョッと気を使うようになりそうな気がしないでもない。

いや、別にその人自体は良い人だし、どっちかと言うと高校時代にはお世話になった人なんだけどね。

まぁ、そんな事もありますわね。

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2025年7月10日 12:12 CAT :

ストロベリーソングオーケストラさんのアルバムレビューを全力でやってみるよ~その1「夜儿、あらわる!」

6月以降、ストロベリーソングオーケストラしか聴いておりません。

と言う話を以前、チラッと書いたんだけど、せっかくなのでちゃんとした感想を書いてみますぜ。

いやホント、ずっと聞いていられる超絶名盤なんですよ。

書かずにいられない。いや、書かせてもらいたい。

と言う事で、今回は最新アルバム「夜儿、あらわる!」から。

読み方は「よる、あらわる」ではないですよ。「よひと、あらわる」ですよ。

ストロベリーソングオーケストラの怨源、一応手に入る分は全部持ってると思うんだけど、どれをとっても全て1枚で一つの作品となっている。

通して聴く事でまるで一つの映画を見たかのような感覚に襲われるんだけど、もちろんこの「夜儿、あらわる!」も該当する訳で、一つの映画のような目くるめく体験をすることができたりする。

まぁ世の中にはそんなコンセプトアルバムと言うものは色々沢山あるんだけど、このアルバムが一味違う所は1曲目が「鵺的なミザリー」だと言う所なんだよね。

昨年シングルカットされた名曲で、このアルバムの言ってみればタイトルチューン。

一般的なコンセプトアルバムでは大体1曲目は導入部分の意味合いのものが多い。

実際、ストロベリーソングオーケストラのこれまでの怨源でもそれは当てはまる。

前作「切り裂くジャップ」でも、大名作「血の濫觴」でも。

ところが今作はそれがない。

1曲目からフルスロットル。

それだけでも、「あれ?こいつはチョッと違うぞ」と思わされてしまう。

・・・と思ってたら、そこから7曲の間、1ミリたりともダレることなくずっとスロットル全開で駆け抜けていく。

「鵺的なミザリー」はこれこそストロベリーソングオーケストラとも言えるプログレ色の強い超名曲。

美しいメロディーラインと何重にもなる展開に圧倒される。

そのまま2曲目のハードコアパンクなノリノリ楽曲「夜儿、拝みます!」に突入。

テンションがぶち上がちまう。

そもそも、こんな心地いいハードコアパンクをオレは知らねぇ。

まさに「だらにだらにだらに!」ですよ。

そして3曲目「欠損モンタージュ」と4曲目「カーニバルの日」。

シンフォニックメタルとでも形容すればいいのか、途轍もなくスケールの大きい2曲が続くこの展開もまた最高なんよ。

この手の美しい楽曲大好きなんだけど、それだけなら「LOVEBITES」を聴いておきなさいよ。となる訳かも知れない。でもそれだけじゃあない。(いや、「LOVEBITES」も大好きなんだけども)

ただ美しくカッコいいだけじゃあない。

「欠損モンタージュ」は、悲哀と絶望と悪意が織り込まれた珠玉の名曲。

これだけ色んな顔を持つシンフォニックメタルがあってたまるか。

そして「カーニバルの日」では、これまでのストロベリーソングオーケストラともチョッと違う爽やかなイメージが漂う。

新メンバーの七音緋朗さんの作曲だからなのか。ここにきて新しい風まで感じさせてくれるとか、サービス精神が異常過ぎる。

とは言え。とは言えだ、ここまでの楽曲はどちらかと言えばキャッチだと思う。

やっぱり一般流通に乗せると言う事は、それなりに聞きやすい曲が必要とかそう言う事なのか。と言う気持ちもチョッとあった。

そこで「臨終」ですよ。

個人的にはこのアルバムで一番好きな曲。アングラ150%。

気持ちが負の方向に気持ちよく吹っ切れる曲がねぇ・・・好きで好きでたまらないんですよ。

しかも、ただアングラなだけじゃあない。何と言うんだろう、アングラなのにキャッチで聴きやすいと言う結構前代未聞な感じ。

「レティクル座妄想」の中でもトップクラスに好きな「ワダチ」を彷彿とさせるんだけど、「ワダチ」の地下1000mくらいに位置する曲なんだよなぁ。

ホントたまらん。何度聞いても鳥肌がスゴイ。

で、恍惚の表情で涎垂らしてるところに「終廻に咲く青」。

このアルバムで最も重い1曲だと思う。

今度はヘヴィメタだと・・・

しかも、これが重いのに縦ノリ。信じられない・・・カッコいい。

間奏部分のポエトリーリーディングがメチャクチャ好き。

マジで凄い。ゴメン、凄いとしか言えないわ。語彙力なくてごめんなさい。

ここに来て思ったけど、この人たちの怨源をジャンルでくくろうとしてたのが間違いなんだろうな。

そして、最後に「逢魔が時に、スレ違う」と。

これまでと比べ少し落ち着いた楽曲。

とは言え、この曲自体もただ気持ちを落ち着かせるための〆の1曲・・・な訳がない。

何と言うか「鏡町」に迷い込んだかのような不思議な感覚になる。

昔「夕闇通り探検隊」と言うプレステのゲームをしてた時を思い出すような不思議な感覚。

夕方の寂れた鏡町の中を一人歩いていて、ふと後ろを振り向くと怪人赤マントが立っていたみたいな感じ。良く分からんな。でもそんな感じ。

これだけ気持ちをぶち上げておいて、こんな不思議な感覚に包まれたままアルバムは終わっていく。

・・・と思うだろう。

CDだけの特別な展開があるんですよ。

でも、ネタバレはしないよ。

CDを買った人だけがこの体験をすれば良いと思う。

全15トラックを聴き終わった後、ただただオレは呆然としていた。

本当に呆然としか言いようがない。

感情の置き方が分からない。

こんな気持ちになったのは、ホント久しぶりだった。

6月の頭に「切り裂きジャップ」を聴いて以来だった。

・・・

・・・

・・・

と、こんな感じで、あまりにも書きたい事が多すぎて、普段の3倍くらいの長さになってしまった。

これでも、全然書き足りない。

もっと書きたい事が沢山あったのに・・・こんなふんわり上辺だけをなぞるような感想書いて何が「全力レビューじゃぼけ」と言いたい。

歌詞についても、演奏についても、そもそものこのアルバムの意味と意義についても、もっともっと深掘りして色々書きたかったのに・・・

取り合えずですね、ざっくりと聴いてみての感想だけで2000文字を超えてしまった。

いつものAIさんに校正してもらおうと思ったら「3000文字以上は有償です」と言われてしまった。

なので、いつも以上に誤字脱字があるかも知れないけど、そこはご愛嬌と言う事で・・・

取り合えず総評としては、ストロベリーソングオーケストラと言う集団の途轍もないポテンシャルを全開にした、まさに集大成と言えるクソ超絶名盤だと思う。

最高傑作だろうと思ってた「血の濫觴」を遥かに超える名盤がまさか15年経ってリリースされるとは思わなかった。

「鏡町にて」から始まった物語が、「血の濫觴」を経て、「切断ダリア」が生まれ、「テ・キベクナ レ・テスエナ」、「二十一世紀狂闘旗手」からの「切り裂くジャップ」へと連綿と繋がっていた唯一無二の存在「ストロベリーソングオーケストラ」と言うジャンルがこのアルバムで遂に完全な形で確立した。

そんな印象を受けた。

正に集大成と言うべき作品だと思う。

宮悪座長が化け物なんだろうけど、それだけじゃあない、それはまさに関西アングラ界に君臨する帝王の貫禄とも言うべきもの。

「スルメアルバムだ」とか、「熟成された音楽が聴いていて心地いい」とか言う大御所バンドの新作に対する戸惑いを含んだ古参ファンの賞賛とは全然違う。

300%最高の名盤。

一聴するだけでその凄さが分かるし、その世界に取り込まれる。

それが「夜儿、あらわる!」でございます。

結局ね、どんなに妄想の世界にどっぷりつかっても、妄想は現実の逃避なんですよ。

と言う事で、一応次回は「切り裂きジャップ」について書いていく予定でございます。

多分・・・

近日中に・・・

生きていれば・・・

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2025年7月9日 12:12 CAT :

23分間の奇跡

新都社さんの至る所に、「山田太郎を支持してます」って出てた。

チョッと前は「山田太郎に投票しろ」だったけど、しばらくして変わってたので、いろんな意見が出たんだろうね。

まぁ誰が誰を支持してるとかは個人の自由なので、何でも良いと思う。

問題なのは、そう言う事を表明すると、批判する人が出てくると言う点なんだよね。

何で、この国では政治について人前でお話してはいけないし、人前でお話してる人に対して「ヤバい奴」認定みたいな事になるんだろうか。

少し前まで、仕事の会話で「政治と宗教と野球の話はしてはいけない。」とかよく言われてた。

最近はあまり聞かなくなったけど、この辺りの話をすると面倒くさい事になるよ。と、そう言う事なんだろうて。

それも変な話だよな。

英会話習い出してビックリしたのは、レッスン中、先生は普通に宗教の話も、政治の話もするんだよ。

学校の授業中に「自民党は増税ばっかりなので、立民を推しましょう。」とか、「れいわ新選組は耳障りのいい事ばかり言ってますが、本当にできるか皆さん考えてみましょう。」とか先生が話したりしないよね。

それが普通だと思ってたけど、アメリカでは普通に政治の話も宗教の話もするらしい。

それで揉めたとしても、それがビジネスにマイナスの影響を与えることは無いし、そんな奴とはそもそも仕事しないんだろう。

日本もそうなれば良いと思う。

ここ最近、SNSでは政治的な発言が昔より増えてきてる気がする。

宗教に関しては良く分かんないけど、政治の話は皆で色んな所で当たり前にしていけばいいと思う。

さて、参院選が間近ですな。

今のまま自民党に入れると生活がまぢで破綻しそうだけど、自民党以外が政権を取るとまぢで日本が終わる。

どうするべきなのやら。

取り合えず、今回の事で新都社にアクセスしてるユーザーさんが「新サイバー犯罪条約」について、興味を持ってくれたとしたら、それだけでも意味があったような気がするよねぇ~。

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2025年7月8日 12:12 CAT :

月にぶら下がり手招く主従のピエロ

「男児を女子トイレに連れ込むな」と言う話がXで流れてきた。

この場合の男児と言うのが何歳くらいなのかと言う話もある気がするけど、それにしてもかなり無茶な話だよなぁ。

母親しかいない状態で、トイレトレーニングが完璧じゃない男児が居た時、その子と一緒にトイレに入る事も出来ないって話なのか?

まぁ、こんな事を言ってるのは、子育てやった事ない人なんだろうけども・・・

そんなんだから「無産様」とか言われて、ネタにされるんだよ。

そもそもの問題として、小学校低学年の男の子が女子トイレにいたからなんだと言うんだ。

その小学校低学年の男の子がエロ目線で覗いてくるとでも思ってんのか?

自意識過剰も甚だしいわい。

んで、この逆の男子トイレに女児を連れ込むと言う場合には、今度は女児が男たちに変な目で見られるからダメだって話になるんでしょ。

男児を女子トイレに連れ込む ⇒ おばさんたちが男児に変な目で見られるのが嫌
女児を男子トイレに連れ込む ⇒ 女児たちがおっさんに変な目で見られるのが嫌

どっちにしたって、男側の意見が1ミリも入ってない。

この破綻しまくってる理論を展開してるのは、ほぼほぼ僻みとヒステリー起こしてるどうしようもない人たちなんだろう。

娘がまだトイトレ終わってない時、オレ一人だったら娘を男子トイレについて行ってた。

まさか、1人で女子トイレ行かせて、お漏らししたりしたらオレが女子トイレに行って片づける訳にも行かないんだから、そうするしかないと思う。

逆もまた然り。

なぁ~んでそんな事も分からないのやら。

あと、うちの子どもたちの場合で言うと、娘は小学校高学年になるとやっぱり異性を気にし始めたけど、息子は今、小学生高学年になりつつあるけど異性に対してまだ何にも興味ない。

それよりは友達と遊ぶ事の方が大切みたい。

この話って結局、喚いてる人が異性として見る対象が異常に低いロリコン野郎かしょたこんおばさんなんだろう。

もし男子トイレに女の子とお父さんが入ってきたとして、オレなら絶対に「この女の子オレのチンコ覗いてくる気だ!」とか思わねぇよ。

そのお父さんに対して「お疲れっす!」って思うだけだわ。

声のでかい人の言ってる事は大体自己紹介だと思って聞いておくのが正解なんでしょうね。

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2025年7月7日 12:12 CAT :

織姫と彦星の子どももきっと出会えないまま

七夕と言えば、「七夕の国」と言って、この前の話を再び引っ張り出してきてもいいんだけど、それは一旦置いておいて・・・

七夕か・・・

ここ数年、短冊も飾ってないな。

娘が小さい頃は山の近くに住んでて、その山から笹を取ってきて、家で短冊飾ってた。

今はそんな感じでもなくなったので、やらなくなってしまった。

まだ、ひな祭りも鯉のぼりも出してるけど、流石に子どもたちも大きくなってきたので、次第にやらなくなっていくんだろう。

子どもが大きくなっていく。

良い事なんだけど、やっぱりちょっと寂しい。

先日、何か知らんけどソファーで昼寝してたら、娘が上から乗っかってきた。

メッチャ重くて「うむむむ・・・」って苦しんでたんだけど、不意に赤ちゃんの時は毎晩娘をお腹に乗せて寝てた事を思い出して、感慨深くなってしまった。

とんでもなくでかくなってしまいやがった。

夜泣きが凄かったので、抱っこ紐して家の階段を一晩に百往復くらいしてたんだよなぁ。

片手で両耳を抑えて頭洗ってたのに、もう手のひらに全然収まらない。

息子も、最近は抱っこしたら持ち上がらない。

こいつらは、一体何なんだ。

強い自我と意思を持って「あぁ」だ「こう」だと言ってくる。

まだまだ可愛いんだけど、大きくなってしまった。

何事もなく成長してくれている事は何より嬉しいんだけど、いつか完全にオレの手を離れて旅立っていくのかと思うと、今から寂しい。

イヤ、これはきっと寂しいと言う事ではないんだろう。

良い事なんだ。

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2025年7月6日 12:12 CAT :

あの空き部屋が世界の涯てだ ドアが半分開いている

最近、息子と息子のお友達と一緒にマイクラをして遊んでいる。

小学生3人とアラフォーのおっさんが一緒にワチャワチャマイクラをしていると言う、この世の混沌を詰め込んだような情景。

きっかけは、息子が遊びに来てくれたお友達と仲良く遊べなくて、間に入ってほしいと言う感じだったと思う。

1回マイクラをみんなでやる時の遊び方を教えてやるか。くらいのテンションだったんだけど、気が付けば毎回「遊ぼう!」って誘われるようになってしまった上に、オレも楽しくなってしまった。

それは良いんですよ。

うちの事情なので、見なかったことにしてくださいな。

その息子のお友達が双子なんだよね。

正直、オレのこれまでの人生で双子と絡むと言う機会が本当に無かった。

唯一あったのは、小学校の時のクラスメイトにいた双子のMくん兄妹くらいなんだけど、あの子たちとはそんな仲良くもなかった。

双子ってすげぇ。

意思疎通具合がえぐい。

そして、オレにはどっちがどっちか見分けがつかん。

なので、一緒にマイクラしてても「あれ?コレはどっちだ?」とか「今、話してるのはどっちだ?」ってなる。

個人的にはそうじゃねえだろと思ってても、2人で同じ方向に向かっていくと「あ、これは、この子らに従っておいた方が良いか」となってしまう。

別に一緒にゲームをして楽しんでるだけなんだから良いんだよ。

それに、2人とも賢いから話をしたら全然通じるし。

何だったら、うちの息子の方が話が通じない。

ただ、双子すげぇ~って言うのを、こんなタイミングで実体験するとは思わなかったので、それが何だか面白い。

問題なのは、こうやって子どもたちと一緒にマイクラやってていいのだろうか。と言う事。

オレが子どもの頃、友だちと一緒にゲームしてるお父さんとか見た事なかったよなぁ~

まぁ、これが令和の親子関係と言う事にしておこうか。

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2025年7月5日 12:12 CAT :

最後の審判が告げられた

このブログを描いてるのは7月1日なんだけど、多分更新されるのは7月5日。

そう。巷で大災害が起こるよぉ~と話題の日でございます。

当たり前だけど、今のところ何の予兆もない。

一体何が起こると言うのか。

個人的には、もし南海トラフ地震が来るのであれば、それは7月の参院選で自公が大敗した上で下野した後数か月後。来年の1~3月辺りじゃないかと思ってる。

じゃあ、他にどんな大災害があると言うのか。

宇宙人が襲来するとかならスゴイよね。

1999年7月。

ノストラダムスの終末予言。

あれを当時中学生くらいだったか・・・リアルタイムで体験した身としては、あの時の恐怖感に比べれば、全然今は大したことないよなぁ~

当時は、本当に怖くて怖くて仕方がなかった。

逆にあの当時、なんであんなに怖かったのか分からない。

ただ、子どもだったからでは片づけられない姿の見えない恐怖が凄かったんだよ。

遂に本当に宇宙から恐怖の大魔王「アンゴルモア」が降ってくるのかも知れないね。

MMRは復活しないんでしょうか。

7月5日以降にこのブログを見て、7月1日にはまだこんな平和ボケした記事を書けていたんだね・・・と、アンゴルモア星人に屠殺される列に並びながらスマホをいじってる。

みたいな事にならない事を祈っております。

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2025年7月4日 12:12 CAT :

例え私が言葉を失った冷たい肉の塊になろうとも

ストロベリーソングオーケストラの「切り裂きジャップ」を聴けるようになったことをきっかけに、まぁ、それはそれはすごい勢いで聴いております。

メチャクチャ名盤。

まぢで、凄すぎる。

関西アンダーグラウンドの帝王と言われて久しいけれども、そんなレベルじゃねえよ。

日本のアンダーグラウンドの帝王だ。

いやそれを言い出すと「テメェふざけんじゃねぇ!」と色んなファンの方から怒られるかもしれないので、オレの感性では、日本最高のアングラバンドと言う事で許してくれ。

「人間椅子」や「AUTO-MOD」を甘く見てるとかそう言う事では決してないんだ。

人生を変えてくれたのが、筋肉少女帯と犬神サアカス團なのは、絶対に変わることは無い。

そしてこの両バンドについていく事だけは確定してる。死んでしまったらわかんないけど、確定してる。

昨年の犬神サアカス團のシングル「カンフートーキョー」と「天誅」は、それはそれは素晴らしかった。

筋肉少女帯の「医者にオカルトを止められた男」も「レティクル座妄想」を彷彿とさせる名作だった。

でも何と言うんだろう・・・この両バンドは円熟期に入ってるんだよ。

それはそれで素晴らしい事。

大御所と言う名の神の領域から、時々途轍もない作品を届けてくれるだけで、ファンとしてはありがたやありがたやでございます。

ストロベリーソングオーケストラに関しても、キャリアで言えば余裕で大御所バンドだし、実際関西アングラの帝王だと言っても誰も異論はないと思う。

なのに、この段階になっても制作ペースが落ちなくて、しかも出てくる楽曲が全部攻めまくってる。

どんなペースで作品作ってんだって話。

「二十一世紀狂闘旗手」辺りで一旦円熟して、落ち着くのかなと思ってたらここ数年、怒涛の新作リリース。

しかも全てが信じられない程凄いクオリティ。

正直な話、「二十一世紀狂闘旗手」の頃までは、アルバムとしての完成度では「血の濫觴」がやはり最高傑作なのか・・・と思ってた。

「二十一世紀狂闘旗手」は「コレは切断ダリアを超えるとんでもない名曲!」って感激する途轍もない作品だった。

でも、リリースのペースも落ち着いてきて、時々とんでもない名曲を発表してくれる上記の円熟期に入ったと思ってた。(その頃はその頃で精力的にライブ活動してて、何度もライブと言うなの犯行現場に参戦してたんだけども。)

それなのに!

それなのにだ!

ここ5年くらいコンスタンスに出し続けてる曲が全部、頭がおかしくなるほど凄い。

シングルが全部素晴らしいので、当たり前にアルバムも良い。

完全に神の領域から届くペースじゃねえ。

そして、過去の音源をセルフカヴァーした「怪帰怨幻蒐」は2作とも、元ネタの音源を超えてくる。

セルフカヴァーがオリジナルを超えてくるって聞いた事ねぇよ。

筋肉少女帯の「いくじなし」も良かったけど、それでもどうしたってナゴム時代の「いくじなし」を超える事は出来なかった。

「サンフランシスコ」も「高円寺心中」もメッチャ良かったけど、やっぱり思い出補正込みでどうしてもオリジナルの方が良い。

犬神サアカス團が「籠の鳥」でセルフカヴァーした過去の名曲も素晴らしかった。

でも「兄の病の特効薬は死臭漂う血の池地獄のような人肉スープの形而上学」も「餓鬼」も「廃墟の街」も「路上」も「御霊前」や「地獄の子守唄」のオリジナルと比べるとどうしてもごめんなさい。ってなってしまう。

なのに、どうしてあんなに聴き倒して思い出補正入りまくりな「血の濫觴」のオリジナルを「怪帰怨幻蒐」収録の「非傀儡宣言」が超えてくるんだよ。

意味わかんねぇ。

まぢで。

何が言いたいかと言うと、そんなストロベリーソングオーケストラの新音源がもう少しで届くんですよ。

6月中、まぢでストロベリーソングオーケストラしか聴いてなかった。

今、この状態で新音源が聴けるとか、どんだけ幸せなんだって話だ。

これを書きたかっただけなんだけど、ここ最近ドはまりし過ぎて愛が止まらなかった。

また、犯行現場と言う名のライブに行きたいです・・・

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2025年7月3日 12:12 CAT :

死相を指した柱時計は売れますでしょうか

「短ページ選手権」と言う名の素敵なアンソロが新都社さんの方で開催されておりまして・・・

前回は、楽しませてもらったので、全作品のFAを描いていこうと言う事をした。

で、今回も、同じく全作品のFAを描いてみるかと実践してたんだけど、今回は何と15名の先生が参加されてるんだって。

単純計算で、前回の倍以上のFAを描く・・・描くのか?

描きましたよ。

1回戦だけで、14枚のFAを描いた。

このペースで2回戦以降も描いていきましょうね。

なかなかのボリュームになりそう。

ただ何か、人の絵を見ながら自分の絵柄に落とし込んで描くと言う行為が意外と楽しかったりもしてる。

数が数なので、一つ一つのクオリティをどこまで保てるかと言う所が難しい所な気もしてるけども・・・

取り合えず、全作品描いていく事を目標に。

全然関係ないけど、敬愛してやまない眉間尺先生が、今回のアンソロ企画の「選手に7つの質問」の中で、なぜかオレのイラストを描いてくれた。

「応援の後のオナニィは最ッ高!」って、オナニーしてた。

何か知らんけどメッチャ嬉しい。

感動してしまった。

何で描いてくれたのか良く分かんないけど、嬉し過ぎて細かい事はもうどうでも良いや。

ここに載せて紹介したいけど、眉間尺先生の絵を勝手に載せるのは流石に憚れるので、リンク張っておきます。

【選手に7つの質問:眉間尺】 

生きていると嬉しい事も多々起こるもんですな。

ちなみに、眉間尺先生の作品のFAはこちら。

物語の後日譚を勝手に妄想して描かせてもらった感じ。

眉間尺先生のエログロさの足元にも及ばなかった・・・

傑作ぞろいの短ページ選手権はこちらから見られますぜ。

リンク先が生きている限り・・・

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2025年7月2日 12:12 CAT :

君を柩の中に閉じ込めてそのままにしてしまう

ここ最近、新作短編のネームを考えている。

タイトルは「4千年王国」。

元々は、オレが10年以上前に作った曲の歌詞。

「子守られの唄」と言うシングル音源をくろすけ(小説「ひとときの暗がり」に出てくる黒崎先輩の元ネタになった人)と作ったあと、次はアルバム作ろうと言う話になり、じゃあ共作やろうぜ。と言う事で出来上がった曲。

オレが作詞して、くろすけが作曲。

この時にできたアルバム「脛毛おうじょと巨乳じいや」の中で、一番好きな曲でもある。

歌詞自体もかなり気に入ってて、絶対にその内マンガにしてやろうと思ってた。

数年前から、お気に入りの歌詞を短編漫画にすると言う試みをしていて、出来たものを「漆黒の青空」と言う名前でまとめて、まんがおきばさんの方で投稿してた。

この中では「虐殺の恋文」「おもちゃはおもちゃ箱へ」が今のところ、該当してる。

その他「惑星ひとりぼっち」を元ネタにして派生させた「(新説)惑星ひとりぼっち」って短編も描いたし、「夜景情景スカトロジスト」「遊星屠殺ワンダー」「永遠の向こうにある果て」「中央悲劇閲覧センター」辺りの小説もバンドの歌詞が元ネタ。

もう良いでしょう。

そろそろ、一番お気に入りの歌詞を漫画化しても良いでしょう。

と言う事で、個人的には満を持してと言う感覚で、今ネームを考えております。

面白いかどうかは分かんない。

でも、そもそもオレが面白いと思ったものを描いてるだけなので、そこのところはお許しいただきたい感じ。

他にも色々没になったり、闇に葬ったプロット、ネームが多々あるけど、今回はちゃんと描くと思う。

思う。

思ってる。

7月中の完成を目指しております。

って言うか、「No heart No head」描いてからもう1年経とうとしてるって正気か?

おい。

まぁ、今年はコツコツ色々短編とかも描いてるから、全く未着手って訳でもないんだけども・・・

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2025年7月1日 12:12 CAT :

消しても消せない路地裏の落書き

5月はまぢで考えられないくらい1ヶ月が長かったんだけど、6月は逆に信じられないくらい早かった。

と言う事は、6月は無事平穏な1ヶ月だったと言う事でもあるのかも知れない。

時間が経つのは年を経つと早くなると言う表現は正確ではないんだろう。

何もない日々を過ごすと、あっという間に時間が過ぎてしまう。

そして、年を取って色んな事を経験していくと、慣れてしまってほとんどの事に感動したり、苦しんだりしなくなってしまう。

逆に言えば、時間をゆっくり楽しんで過ごすためには、感動したり、苦しんだりすればいいんだよ。

子ども時代と比べて、今は明らかに感動したり、苦しんだりする頻度は減ってる。

この部分を如何にして増やしていくかが、時間をゆっくり楽しむためのコツのような気がしております。

安心領域と言う言葉がある。

俗にいう「コンフォートゾーン」ってやつ。

ルーティーン化した自分のテリトリーにいれば、安心すると言う事なんだけど、そこに居座ると言う事は上記の感じで言えば、あっという間に時間が過ぎていくことになるんだろうね。

この安心領域から出ていく事って、かなり勇気のいる事ではある。

出ていく事で挫折する可能性も高い。

でも、その先にはきっと成長があると信じておきましょうね。

思い悩むことも多いお年頃ですが、成長したいなとか思いながら今日も今日とて生きて行きます。

はい。

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2025年6月30日 12:12 CAT :

ノーカルト≠ノーオカルト

東京都都議会選挙で、自民党が歴史的と言ってもいいレベルの大敗を喫した。

昨年の衆院選辺りから感じていた自民党の下野がいよいよ現実になってきた感じ。

【昨年の衆院選の時の記事】

この結果を甘んじて受けて、まじめにやらねぇとヤバいぞって思ってたのに、あれから半年チョッとの間、1ミリも改めることなくクソ過ぎる政治をやらかしまくった石破内閣さん。

まぢで、自民党下野が現実なるよじゃん。コレ・・・

昨年「こうはならないでくれ」と願っていた、立民、国民民が結託して旧民主党のような形の連立政権が出来てしまったら、もう終わりですよ。分かってんのか?おい。

かと言って、今年入ってからの自民党見てたら、ホントうんこ過ぎる。

口だけのれいわは与党にはなりたくないだろうし、他の党派まだ些末過ぎるし・・・

となると、アホみたいなポカを連発して支持率急落してる国民民主党と立民の連立政権あり得るじゃねえかよ。

一体どうなってしまう事やら。

蓋を開けてみないと分からないとは思うけど、このままいけば自民党の大敗は既定路線だよ。まぢで。

よく言われる16年周期で見ても、前回の下野が2009年で、丁度今年で16年だしね。

今度こそ本当に「自民党は役目を終えた」と言われる時なのかもしれない。

どうでも良いけど、1994年に自民党が初めて下野した時、自民党に見切りをつけて新進党に移籍したのが他ならぬ、石破首相だと言う事を知ってる人もあんまりいないんだろうね。

この人が如何に自分の事しか考えてない厚顔無恥野郎なのかと言う話ですよ。

もう一つ、こいつは陰謀論の話になるけど、自民党が下野すると大きな地震が起こる。

自民党が初めての連立政権となった村山内閣の時に阪神大震災が起き、自民党が下野して民主党が与党になった菅内閣の時に東日本大震災が起こった。

南海トラフ地震がいつ起きてもおかしくないと言われている状況で、自民党が下野して、自民党以外のどこかが与党になったタイミングで、南海トラフ地震が起こるとしたら、出来すぎておりませんかね。

とは言え、多分地震が起こるのは、今年じゃない。

来年のはじめ。1~3月頃だろうなぁ。

それを契機に中国の日本進行がリアルになってきて、第3次世界大戦が表立ってしまう。みたいな未来だけは何としても避けたい所・・・

取り合えず、7月の参院選で、自民党以外のどこかが与党になったら、そこから半年は災害対策に勤しみましょうね。

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2025年6月29日 12:12 CAT :

優しくして優しくされたい

ここ最近、息子とまたマイクラをやってる。

久々にやるとやっぱり面白いですな。

何なんだろうね。あの面白さ。

ただ、久々にやると思いっきり3D酔いしてしまった。

メッチャ気持ち悪い。

何だったら画面見たら気持ち悪くなって、スマホの画面も見れない位な感じになってしまった。

三半規管が弱っているのかも知れない。

そう言えば初めてFPS系のゲームした時もヤバい位3D酔いしたよなぁ。

続けていった結果慣れたので、またしばらくすればなれるんだろうけど、まさか今更3D酔いするとは思わなかった。

昔からやってた事が出来なくなると言う事は悲しい事ではある。

ここ最近、息子がサッカーを初めて、娘が卓球を始めた。

オレはサッカーはやってなかったので教えられることは無いけど、一応、中学生の頃は陰を極めし卓球部でしたので、教えてあげられることはある。

こんなでも大会でそこそこいい成績を残すくらいは卓球してましたのでな。

時々娘と一緒に卓球場へ行ってる。

流石にまだ娘に負ける気はしないんだけど、とにかく動けない。

そして驚くほど筋肉痛になる。

足腰に来るのはまだ分かるんだけど、肘下の筋肉が痛いってどういうことだよ。

そんなところの筋肉すら使ってないとか、末期も末期。

流石に体力の低下が著し過ぎて心がバキバキになっております。

ただ、思いっきり汗をかいて運動をすると、心はリフレッシュするんだよね。

走るの嫌いでマラソンとかやる気がないオレにとっては、卓球くらいが丁度良い有酸素運動なのかもしれない。

しかし、なんで娘が卓球部なんだろうね。

クラスで人気者で、友だちいっぱい。

今現在陽キャを極めて行ってる娘がなんで卓球部なんだろう。

と思ってたけど、真の陽キャはそう言うこと気にしないで好きな事してても、自分のヒエラルキーに影響ないらしいです。

逆に他の友達を卓球部に誘っているとか。

こいつは本当にオレの娘なのか・・・?

陽キャ怖い。

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2025年6月28日 12:12 CAT :

色恋沙汰も知らない 体だけキレイ

「しょこたん」こと「中川翔子」さんが炎上しておりますな。

「switch2」を転売ヤーから購入したとか、友人から譲ってもらったとか、自分で買ったとか、言ってる事が支離滅裂としてて、それが原因で炎上しているとか。

何か、もう放っておいてやれよ。と思わなくもない。

しょこたんさんは昔っからエセオタで知識が薄くて、イッチョ噛みばっかりしてると言う話はよくある。

確かに、界隈からするとイッチョ噛みの癖して第一人者みたいなツラしてメディアで浅い知識を語ってるのを見かけたらムカつくと思うんだよね。

オレも、しょこたんさんが美狂乱のライブをレポートしながら、「あたし根っからのプログレ好きで生まれた時からクリムゾンを聞いて育ってきたんです。」みたいに言われたら「あぁ?」ってなる気がする。

まぁしょこたんさんは、スターレス高嶋氏に「初心者にオススメのプログレならクリムゾンのREDを聴いてみて」とどう考えても初心者向けじゃないアルバムをお勧めされていたので、こんな発言が出る事は金輪際ないだろうけど。

確かに知識浅いし、言ってる事は支離滅裂としてるかもしれない。

ただ、一つだけ言える事がある。

この人は多分、クラスで浮いていた陰キャだよ。

有名な画像。

陰キャ独特の哀愁漂う佇まいは本物だと思うんだよなぁ。

この画像見てると心臓がキュンキュン言うんです。

「ひとときの暗がり」と言う小説の中でも散々書いてるけど、オレは、友だちもいないし、女っ気のかけらもない灰色の高校時代を過ごしていた。

・・・と思ってたのに、作中に出てくるタクヤの元ネタのやつや、オレがほぼ面識のない高校時代のクラスメイトなどから漏れ伝わる内容では、全然そんな事ないらしい。

そして、オレ自身当時の日記を読みながら小説を書いていくうちに「あれ?ホントに灰色の高校時代だったのか?」と不安になってきた。

人の記憶なんてそんなもんなんですよ。

これで「しもたは虚言癖がある」と言われると結構辛いものがある。

嘘をついてるつもりはないんだよ。

ただ、自分の記憶(と言うか思い込み)と客観的に見た時の事実に剥離があるだけなんだ。

それを虚言劇と言うんだ。と言われると、もう返す言葉もないんだけども・・・

取り合えず、しょこたんさんが八方美人で飽きやすい人で、その場その場で適当な事を言ってる人なのは間違いないと思う。

そして、そのせいで学生時代にまぁまぁ辛い思いもしてるんだろう。

でも虚言癖と断ずるのは違うかもしれない。

みたいに言う事で、自分の擁護もしておきましょうね。

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2025年6月27日 12:12 CAT :

手間と労力が報われることのない別に風を切るわけでもない日々を過ごす~その13

先月、「具体的なD4C」って短編を書いていた事もあって、チョッと作画の方が遅れ気味にはなってるけど、そこはそれ。

そのためにストックをしてる訳で、無事今月も更新は出来ましたよ。

と言う事ですな。

問題なのは、その遅れをどうやって取り戻すかと言う事か。

取り合えず、今執筆中の63話を6月中に完成させて、そのまま64話の執筆に入ってしまえば7月からは元通りのペースに戻せるかな。

戻るといいなぁ~

でも、単ページ選手権と言うオモシロアンソロが新都社さんで始まったので、そっちのFAも描きたいなと思ってたり・・・

こう言う事で思い悩むのは楽しいからいいんだけどね。

そんな感じで、次の更新時まで少しでも多くの人を繋ぎ止めたいと言う邪な心意気で今日も今日とて書いていきます!

その前に一応、リンク張っておこう(↑)。

頑張って書いてるので読んでください。平に!平に!

さてさて。

今回はこちら。

第3部36話「絶望の始まり」の話。

いよいよ、物語の核心になる内容が「シータ」から語られ始める回。

・・・なんだけど、「Gの世界」の時にあったこの感じ。

どうも個人的に一番テンションが上がる内容になると、暴走してしまい、結果として分かりにくくなってしまうと言うとんでもない悪癖があるみたい。

一応、そうならないように意識して描いては見たけど、結局「う~ん」な気もするよなぁ・・・

何なんだろう。

正直な話、この展開を描きたくて何年もかけて丁寧に前振りを描いてきたと言うのに、いざその展開を描けると言う段になると駄々スベリすると言うのはまぢでいかがなものなんだろうかね。

この話を書く事を意識して、ヘブンズランドでのマルクスレポートの内容だって吟味して描いていたと言うのに。

過去の所業を全て無にするかのような悪行を続けております。

まぁ、それはそれ。

人生なんてきっとそんなもんだ。

そうなんだ。

と言う事で、いよいよ「英雄記」の佳境。

「大決起集会」に向かっていきますよ。

今問題なのは、この「大決起集会」の作画だよな。

時間的にも体力的にも、ここを乗り切れるかどうか・・・

ハーメルンのバイオリン弾き読んで勇気を貰ってきます。

まぁ、今回はこんな感じで。

show must go on!

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2025年6月26日 12:12 CAT :

結局怖い話なのか疑問に思いつつも突き進む不動産売買であった悲喜交々~その4

何か色々ギリギリの進行になってはいるけど、何とか月1更新できていると信じていたい。

まぁ、これも生きてる証明ですよ。

途絶えたら素直に死んだと思ってくれ。

そして、戻ってきた時には「生きとったんか!ワレ」を貰えるのであれば、それ以上に嬉しいことは無いよね。

と言う事で、あんまり意味ないかもしれないけど、少しでも多くの人が被害にあわないように願いつつ、今日も今日とて書いていきます。

その前に一応、リンク張っておこう(↑)。

頑張って書いてるので読んでください。平に!平に!

さてさて。

今回はこちら。

チョッと前に、今回の10話はこんな話にしますよ。と言うのを公開してた。

こちらの話ね。

忘れないように、備忘録として。

=========================

第12回 裁判にはそもそもお金がかかる
第13回 嫌な電話は嫌なタイミングでしかかかってこない
第14回 言ってる事がおかしい人は指摘されても理解できない
第15回 牛歩戦術は誰も得しない愚策
第16回 あの日恫喝したかしてないか論争
第17回 第3者目線の意見を聞く事は重要
第18回 人生とはあまりにもあっけないものだった
第19回 業者さんのつながりを甘く見てはいけない
第20回 裁判は終わったけどモヤモヤは残る
第21回 そして人生は続く その2

=========================

と言う全10話でお送りする予定でございます。

裁判のお話なので、今回の新しい土地を見に行く話をサラッと流して、裁判における牛歩戦術の話を書くつもりだった。

所が、実際ネームを切ってみると、この新しい土地売買のネタで7ページくらいになってしまって、「じゃあ本来の話は次回に回すか」となった感じでございます。

これこそが、ライブ感ですよ。

予定通りに進むことが全てじゃないんだ。

この新しい土地売買の事も、第1部の土地売買の流れを比較すると面白いのかも知れないしね。

あと、前にも少し書いたけど、裁判自体の過程が地味すぎて恐ろしく漫画向きじゃないと言う事もあるかも。

とは言え、なかなかの急展開と言うか、「マンガやん!」と言う感じもあったりするので、その辺はしっかり描けたらいいなと思っております。

はい。

取り合えず、もうしばらくは不動産売買を含む、高額取引には手をだしたくないよねぇ。

それではまた次回に。

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2025年6月25日 12:12 CAT :

生きるだけが罪滅ぼし

今月も恒例のぬとらじやってまいりました。

ちなみに、先月の記事はこちら

何かね、前の晩に「ココス」って言うファミレスでコーヒーやらなんやら飲み過ぎたせいか、カフェイン中毒みたいになってて、めまいと倦怠感が凄かったので、お話した内容をほぼ覚えていないと言う、なんとも危機的な状況でございます。

いつも以上にしどろもどろになってたような気がして、非常に心苦しい。

ごめんなさい。

カフェイン怖い。

結局、ラジオの後、丸1日寝込んでしまってて、今、ふとブログを開けてみるとストックの記事もなくなってて「あばばばばば・・・」となってる感じ。

カフェイン怖い。

人生って何なんだろうね。

断片的に覚えているのが、甘納豆先生が「人生の終わりを考え始めた」と言うお話。

人生の終わりを考える歳になってきたのか・・・

そうなのか。

まだ早いと思いつつ、その瞬間は今やってくるかもしれない。と言う意味でも、考える事は重要なのかもしれない。

何しか、旦那さんが元気になるように願っております。

ご自愛くださいませ。

お互いにな!

そして全方位の皆様にな!

いやしかし、マジで記憶が断片的過ぎる。

これはあんまりよろしくないな。

これ、カフェインのせいだよね。

脳が詰まってたりしたら怖いよなぁ~

人生の終わりを考える必要があるのはオレなんじゃねえのか?これ?

レス見返してたらソロラジオすることになったのかな?

まぁ、せっかくなのでやってみようかな。生きてるうちに。

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2025年6月24日 12:12 CAT :

願って縛られた燃えないゴミ

「grave yard time」

直訳すると「墓地の時間」みたいな意味だろうけど、これ「夜勤」って意味らしい。

「nothing special」

変更なし: 直訳すると「特別な事は何もない」みたいないみだんだろうけど、これ「今日は予定ないよ」って意味らしい。

「make sense」

直訳すると「感覚を作る」みたいないみだんだろうけど、これ「意味わかった?」って意味らしい。

そもそもそれぞれに、普通の文章も作れるんだろうけど、そうじゃなくてあえてそんな感じにしてるんだろ。

何なんだろうね。

このともすればチョッと洒落て言ってやろうと言う感覚は。

曇りの日って「over cast」って言うだって。

「配役がいっぱい居る」=「曇りの日」なんですよ。「cloudy」じゃなくて「over cast」なんですよ。

洒落てますわよね。奥さん。

洋画を見てるとよくこの手の表現が出てくる。

大好きな「レオン」って映画の有名なマチルダとスタンがトイレでやり取りするところとか。

紙袋の中に武器を入れて乗り込んできたマチルダに対してスタンが放ったセリフ。

「さて、その素敵なイタリアンフードの中身が何か教えてくれるかな?出来れば、依頼主の名前も一緒にね。」

洒落ておりますな。

これを、ゲーリー・オールドマンがキチガイ染みた演技でやってくれるんだから、そりゃあ名シーンになるわいってもんだ。

オレが英会話を習いたいと思った理由は、大好きな洋画を翻訳でも字幕でもなく原文のままで見たかったから。

他の人は、「ワーホリに行きたい」とか「海外に移住したい」とか、「お仕事で必要」みたいは至極正しい動機がある中で、オレは「好きな映画を原文で理解したい」と言う理由で英会話の勉強をしてるんだ。

でもそれで良いじゃないか。

上記の「さて、その素敵なイタリアンフードの中身が何か教えてくれるかな?出来れば、依頼主の名前も一緒にね。」だって、あくまでもその時の翻訳家さんの解釈な訳であって本当のニュアンスは違うかもしれない。

ターミネーター2の名台詞「アスタ・ラ・ビスタ、ベイベー」を「さっさと失せろ!ベイベー」と訳すか「地獄で会おうぜ!ベイベー」と訳すかと言う話ですよ。

先日書いた短編「具体的なD4C」の中に出てくる「do the white deeds」だって、「射精しやがった!」でも「逝っちまった」でも、何だったら「昇天したのか。気持ちよさそうに・・・」とか「姫子でズリセンこきやがった!」とでも訳せる。

でもオレとしては「クソ汚ねぇミルクをぶちまけやがって」と言う意味合いで受け取ってほしい。

要はこういう事が、洋画のセリフ内でかなり沢山発生してるんじゃないでしょうかね。と。

もちろんその翻訳家さんの解釈を楽しむと言うやり方もある。

でもその前に、本来の原文を知りたいんだよ。

最終目標はスラング入り乱れて、かつ長文早口が酷い「ファイトクラブ」が見れるようになる事。

先は長い。

英語では「a long way to go」だそうです。

いちいち洒落てやがるぜ。

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2025年6月23日 12:12 CAT :

箱の中に閉じ込めて

生物はなぜ眠らなければいけないのか。

見たい話をよく聞く。

何だったら、眠らないのがスゴイと中二病的な発想じゃなくいう人もいる。

ショートスリーパーを自称する人もいる位。

所が、最近の学説で「寝ている状態がデフォルト」の可能性が出てきたらしい。

要は、基本的に生物は眠っている状態であり、その生物の中で「覚醒する」と言う事が出来るようになった生物群が出てきた。と。

これまで考えていた感じとまるで逆ですわな。

植物はずっと眠っている。

そして、これが生物の本来の状態なんだって。

何かめっちゃ面白い上に、凄く納得がいく感じがした。

眠っているのではなくて、普通の状態であり、起きると言う覚醒行動を行う事で生物は移動することが出来るようになった。

そう考えると、生物の進化って物凄く不思議な気がする。

何で急に覚醒しようと思ったんだろうか。

ずっと夢の中にいた生物群の中からある日目覚める事が出来た生物が存在した。

その時、周りは全て眠っていた。

そんな世界を想像するだけでワクワクが止まらない。

世の中はまだまだ面白い事に満ち満ちております。

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2025年6月22日 12:12 CAT :

切り裂きジャップ

「ストロベリーソングオーケストラ」と言うバンドさんがいる。

関西のアンダーグラウンドでは帝王と呼ぶべき超大御所の変態白塗りバンド。

以前、たまたま「犬神サアカス團」の対バンで見かけた時に、そのあまりにもすさまじい感じにドはまりしてしまい、買えるだけCDもそろえて、廃盤だった「鏡街より」という初期アルバムまで手に入れた。

長いので「苺楽団」にするけど、この苺楽団さんのニューアルバムを数年前に買ってた。

「切り裂きジャップ」と言うとても危ういお名前のアルバム。

これがねぇ~なぜか、当時持ってたプレイヤーで再生すると音が飛び飛びになって聴けなかったんだよ。

今年、苺楽団が新音源を出すと言う事を聞いて、ふと思い出してその「切り裂きジャップ」を取り出して聞いてみると、普通に聴けた。

これがまぁ、途轍もなく素晴らしいアルバムでして・・・なんでこれを今まで聴いてなかったんだ。と、物凄く後悔した。

ついでに、なぜかライブ会場でしか買えないと思ってた「怪奇怨幻鬼 帰命変」と言う過去の名曲をセルフカヴァーするアルバムも変える事を知って購入した。

と言う事で、ここ数日、ずっと苺楽団の曲しか聞いておりません。

寺山修司と言う作家さんが大好きなんだけど、犬神サアカス團も、苺楽団もこの寺山修司にがっつりかぶれているので、たまらんなぁ~と言う訳でございますな。

こうなってくると、俄然オレも音楽がやりたい・・・と思ってしまったり・・・

取り合えず、錆びたギターの言を張り替えて、プニプニの左手の指先が固くなるくらいには、ギターでも弾こうかな。

良かったら聞いてみてね!と言いたいところだけれども、「切り裂きジャップ」はもう売り切れなので、もう手に入らない。

「怪奇怨幻鬼 帰命変」もオレが買ったら「売り切れ」になってしまったので、最後の一枚だったのかも知れない。

買えて良かったぁ。そして、今はもう売り切れでございます。ごめんなさい。

こんな素晴らしい音源が手に入らないなんて世の中間違ってるよ。

まぁ、配信で聴けるっちゃ聴けるけど、やっぱりCD持っておきたい。

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2025年6月21日 12:12 CAT :

鉛筆で描かれたドラキュラの話

引き続き、ノリノリで「風を切る日々」63話を執筆しております。

心なしかアナログで作画してから、また少し絵の感じが変わって、良くなってるような気がする。

何でも経験ですな。

そして、経験値をあげると出来る事が増えるんだ。そう信じよう。

今回の63話では、10年ぶりくらいに「ジーク」が出てくる。

先日、水増しシリーズで紹介した「us」と言う漫画のキャラクターで一番お気に入りだった「ジーク・シュタイナース」。

この人を実に10年ぶりくらいにちゃんと描いたんだよ。

年齢が「us」の頃より若いと言う事もあるんだけど・・・なんか違う気がする。

もっともっさりしたおっさんだった気がする。

ちなみに、「us」を描いてた当時のジーク。

絵の荒さは良いとしても、こっちの方がいい感じのおっさん何だよなぁ。

何でこの感じが描けないんだろ。悶々する・・・

昔の漫画のキャラクターを描いたのを見て「なんか違う・・・」と思う事ってよくある。

実際、プロの漫画家さんが描いた奴でもよくある。

ジョナサンがいつの間にかバンダナを巻くようになってて、それってジョセフなのでは・・・と思ったりすることもよくある。

でも、オレは別に画力高い訳でもないし、そもそもへっぽこなのでそんな事ねぇよ。

みたいに思ってたんだけど、やっぱりそんな事あったんだなぁ~と。

まぁ、だから何だと言われると困る話なんだけど。

取り合えず、引き続き楽しんで漫画を描いております。

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2025年6月20日 12:12 CAT :

きさらぎ駅のホームで点と点をつないで語る

「タトゥーが入っていると言うだけで、変な目で見られるのはおかしい。日本は遅れている」と言う話を時々耳にする。

何で、タトゥーが入っていたら温泉やプールに入れないんだ。

それは差別じゃないか。

仰る通り。

差別だと思う。

でもね、日本では江戸時代くらいまで入れ墨って服の下に隠して入れるどっちかと言うと神秘性のあるものであり、見える所に入れ墨を入れるのは犯罪を犯したやつに対して区別するためと言う文化があったんですよ。

ついでに言えば、入れ墨は任侠や遊女などが身体の改造の一環としてよく入れていたと言う時代背景もある。

古代の時代の話は置いておいて、近代以降の日本では、基本的にカタギは入れ墨をしない。はず。(・・・ちゃんと調べてないから、間違ってたらごめんなさい。)

今のグローバル社会においてそんな話はナンセンスだと言う話も分かる。

元々ファッションでタトゥーを入れる文化のある海外の人がやってる分には全然問題ない。

でも、上記の文化の影響が今もまだ根強くある日本において、それでもタトゥーを入れるんです。って思う奴は、チョッとヤバい奴なんじゃね?と言うフィルターを通してしまうのは、やっぱりある程度しょうがない気がするんだよなぁ~。

実際、つい最近中学生で売春してた事件の犯人とか、ゴリゴリに顔に入れ墨入れてましたやん。

差別だと言われても、遅れていると言われても、こんな人見たらやっぱりオレは距離を置きたくなるよ。

日本人以外のお友達とかはゴリゴリにタトゥー入ってても別に何とも思わない。

モノによってはおしゃれだね。ですよ。

でも、日本で生まれ育って、なおゴリゴリにタトゥー入れる人は、まず一旦距離を置く気がする。

(↑)の通りタトゥー=悪だとは思ってないし、実際話してみれば全然大丈夫って人の方が多いのも分かってる。

でも、第1印象としてはやっぱり「ヤバい奴なんじゃね?」と思っちゃう。

それは日本って言う国に生まれ育って、日本と言う国の文化に育まれちゃったら、どうしてもある程度しみついてしまうもんだ。

友だちがタトゥーを入れた。は別に良いかも知れないけど、温泉とかプールとかで不特定多数が集まる場にはごめんなさい。ってなるのはしょうがない。

だって、その人の人となりなんて分かんないんだもん。

個人的には、日本人以外についてはタトゥー入ってても別に良いんじゃね?と思うけど、そうすると、それはそれで「人種や文化で差別するのか」とうるさい人がきっといる。

だから、申し訳ないけど人種とか国に関係なく一律タトゥーの入った人はお断りとするしかない。と言う対応だとしたら、それはもう納得してもらうしかないよなぁ~。

みたいなことをふと思った。

別に何か言いたい訳ではないし、問題提起したい訳でもない。

先日の「D4C」の漫画描く時にアドバイス貰ったゴリゴリドレッドヘアのアメリカンの腕にがっつりタトゥーが入ってるのを見て思っただけの話。

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2025年6月19日 12:12 CAT :

あそこは永遠の空席

先日から、「寄生獣」を読み直してる。

流石にクソ面白いなチクショーなんだけど、それについて感想は色々書き倒しておりますので、それはもう良いじゃないか。

スーパーサイヤ的ネオエクスデスのダミーターゲットを叩き潰したい

この辺とかね(↑)。

かなりの分量で書き倒してるよ。

で、そのまま「七夕の国」を読み始めた。

これがまぁ、当たり前だけど面白い訳ですよ。

ふと思い出した。

以下、「七夕の国」の超絶ネタバレになるので、未読の人はぜっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっったいに読まないように。

これ知ってしまうと、シックスセンスのオチ知るどころじゃないレベルできっと人生の損失になるので。

 

 

 

と言う事で始めるよ。

この上で「ネタバレじゃねえか!」とか言う奴はもう、流石に知らん。

さてさた。

これを初めて読んだのは多分中学生の頃だったと思う。

当時最後の伏線回収があまりにも凄すぎて「オレもこんなの書きてぇ!!!」って当たり前のように思う訳でございますよ。

「カササギの旗」の話で、「なぜカササギなのか」と言う物語において最も重要な謎の答えが、「カササギが初めにあったんじゃない。初めにあったのはカササギではなく、カササギに似た形の何かだった」と言う衝撃。

当時、これを読んだ時の震える感じは今でも思い出せる。

それをですね、自分の漫画でもやりたいと。

その頃オレは今の「風を切る日々」の元ネタになる「ランナウェイデイズ」って漫画を描きつつ、新作構想として「G」と言う漫画を考えてた。

「G」って漫画は、今後描くであろう「始まりは終末」と言う物語の元ネタになる「FIRST END」と言う漫画のあとがきで「次に描こうと思ってる漫画」として考えていたっぽい。

多分小学生から中学1年くらいの頃だと思う。

それから数年後、大学生になってから改めて「G」と言うタイトルで書き始めた。

さらにその「G」って漫画を後に描き直したのが新都社にアップしてた「Gの世界」な訳で・・・

いや、前置きはどうでも良いや。

要は(↓)のページの話ですよ。

「Gの世界」92話の一節。

「初めに形があり、それに意味が生まれ、ジーと言う発音になった」と言う奴。

これ完全に「七夕の国」みたいなのをやりたかったんですよ。と。

この構想が最初にあって、じゃあ、そのためにどんな話を作ろうかと膨らませて言ったのが「G」って漫画なんだ。

今回、「七夕の国」を読んでて、それを思い出して、急にその話を書きたくなった。

それだけであって、それ以上でもそれ以下でもないお話でございます。

はい。さようなら。

どうでも良いけど、この「Gの世界」に出てくる「黒川先輩」のキャラクターデザインは、「ひとときの暗がり」に出てくる守山先輩の元ネタになった人だったりする。

って言うか、「Gの世界」の演劇部のイメージがそのまま実際のオレの高校時代の演劇部の感じな訳で・・・いや、それ以上は何も言うまい。

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2025年6月18日 12:12 CAT :

過去の自分を見つめ直すと言う名の水増しシリーズ第15弾「遥かなる旅路 さらば友よの巻」

物心ついた時からずっと漫画を描いております。

人様にお見せし出したのは、ここ10年くらいだけど、その前20年以上ずっと一人で黙々と誰にも見せずに漫画を描き続けた。

とは言え、実はちゃんと完結させた経験は驚くほど少ない。

特に、長編になると「ニュースチョクホー」「ランナウェイデイズ」「G」「アス」の4つしかないんだよね。

その内で最も長期間に渡ったのが「アス」と言う物語で、それを完結出来た時の感情をブログで書いておりました。

何か月か前に数年ぶりに描いてみたこの2人の物語ですよ。

一応、この時描いたネームに関しては、新都社に公開しておりますよ。

「US~second stage」

今回はその時の記事の事を思い出したので、水増しと言う形で再掲してみようと思っております。

この時の事は、今でもよく覚えてる。

無茶苦茶清々しい気持ちだったんだよなぁ~。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

夏の日の朝。

6時くらいに、窓をあけると入ってくる空気には、ひどく懐かしい匂いがある。

小学生の夏休み。

眠いのに無理やり起こされて、フラフラと通っていたラジオ体操の時の匂い。

当時は、何よりも嫌で仕方がなかったけれども、今になると、この空気の匂いが何とも心地良い。

今って、夏休みのラジオ体操なんてやらなくなっているそうで・・・

と言う事は、今の子どもは大人になった時、この感覚を味わう事が出来ないと言うことか。

それは結構、可哀そうな気がしてならない。

何でなくなったんだろう・・・?

さてさて。

今日、遂に描き終えてしまった。

「US」と言うマンガを。

第一話を描いた時の日付が、2001年の8月だったので、ほぼ13年の月日と言う期間、描いてきた一つの物語が終焉を迎えたと言うことらしい。

最後の1ページを描き終え、その下に「終わり」の文字を書いた瞬間のビックリするような充足感。

こんな気持ちになれる事が、オレのこれからの人生であと何回あると言うのだろうか・・・

そして、年月ももちろんのこと、物語自体の長さも最長となったこの物語と、お別れする事になった。

もう、この物語のキャラクター達が勝手に動き出すことはない。

それを、絵として残して行く事も多分ないんだろう。

思えば、元々は、高校時代にさかのぼる。

当時、ほぼ初めて割と長編の物語を完結させる事が出来たオレは、画力アップには、漫画を描き続ける事が一番だろう。という結論に達した。

で、当時たまっていた短編用のネタをいくつかくっつけて、その全ての短編に少しずつ主人公が絡みつつ、次第に物語が一つにまとまって行く。

そんな漫画は面白いんじゃないかと思いついた。(今考えると、そんな話結構よくある気がしないでもないけど・・・)

そして、短編と短編を違和感なくつなぎ合わせる為の設定を考え始めた。

考え始めると、もう止まらない。

主人公のバックボーンから、ヒロインの設定、世界観の設定、そして、物語の大筋まで、暇さえあればずっと考え、ノートに描き綴ってた。

全体的には、当時異常にはまってた「トライガン」って言う漫画みたいなのを描きたいなぁ~みたいなイメージがあったりもした。(結果的には、序盤以外かすりもしなかったけど・・・)

大体の構想がまとまって、第1話を描き始めるまでに、1週間とかからなかったように記憶している。

結局、その1週間で広げまくった大風呂敷をしっかり描き切るのに、13年の歳月がかかってしまったと言うことらしい・・・(まぁ、その時々に影響受けたものとかで、後付けの設定とか、キャラも出てきたりはしたけれども。)

最終的には、その最初のノートに書いた構想通り、全部で15部。

しかも、各部ごとにこんな事を書こう見たいに考えていた事も大体、当初の構想通りに描けた。

むしろ、ここまでぶれなかった事に結構ビックリ。

しかも、「大体、この話は○話くらい使って書こう。」とか構想してた奴も、12部が3話、13部が3話、14部が5話はみ出しただけで、ほぼ予定通りに描けたと言う。

自分でも言うのもなんだけど、高校生のオレすげぇ・・・これが、思春期の力か・・・

まぁ、途中年単位の休憩も挟んだりしたけれども、それでも、最後まで描き切れた事にただただ感無量。

もっと内容に突っ込んだ事も描きたいけれども、また、漫画の方を読んでもらいたいので、そこは我慢しておこう。

約2800ページ。全135話をもって、「US」と言うマンガは終了だ。

これで、死ぬまでに描いておきたい物語がまた一つ完結した。

とりあえず、いろんな奴に読ませてみたい。

・・・ような気もするけど、長すぎて、気軽に読んでみてや~とも言い辛い。

元々、99%は自分のために描いてきたわけだし、まぁ、機会でもあればと言う事で。

さようならです。

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2025年6月17日 12:12 CAT :

1人きりの映画にさようならを

先日、嫁から「何のしがらみもなくなって好き勝手にできるなら何をしたい」と聞かれた。

何をしたい・・・?

そんな愚問があってたまるか。

オレは漫画をいっぱい描きたい。小説をいっぱい書きたい。曲を作りたい。演劇がやりたい。散歩だって行きたいし、それに今のお仕事だって全くなくなるのは悲しい。

やりたい事しかないんだよ。

冷静に考えてみる。

今書いてる小説「ひとときの暗がり」は一応最終話までのプロットは全部できてるんだけど、95話くらいの予定。

先週アップしたのが36話なので、あと60話くらいある。

月に2話アップしたとしたら2年と半年くらい。毎週アップしても1年以上まだかかる計算。

その後には、リメイクしなければいけない「夢喰いバクヲ」と「ウミィ・マミィ」と言う2つの物語もある。

今書いてる「風を切る日々」はネームと言うか元ネタでは最後まで描き切ってるけど、後100話近くある。

こっちなんて、毎週アップしても2年以上かかる計算だ。

しかもその後に、「始まりは終末」「あやつりのM」と同じくらいのボリュームの物語が2つあるし、「US」もネームを書きなぐってるだけなので、ちゃんと原稿に描きたいと思ってる。

そしてそれが全部終わった後に、全てを総括する最も長い物語「やみ。世界」がある。

それを全部描き切って初めて今頭の中にある物語が全部消化できるんだよ。

音楽でも、構想は出来てて、歌詞もある程度完成してる「陀悪」と「連歌『忘却』」の2枚のアルバムがあり、それ以外にも昨年初めに考えてた新作音源もある程度出来ている。

いつかオレが劇団を再開したとしたら駆けつけてくれると約束して、その日を待ってくれてる役者さんもいたりするんだ。

死ぬまでにあと1回で良いから、演劇を作りたい。

その時のために置いているとっておきの物語「せんたくのしま」を形にして公演したいんだ。

やりたい事なんて、まぢで無限にある。

多分、今すぐ全てを放り投げてかかりっきりになったとしても、全部出来るか分からない。

ただ、全てを放り投げる事なんて出来やしないので、それでも何もしないよりはマシだろうと言う事で、今、少しずつ出来るものから作っていってる感じ。

オレは「ヘンリー・ダーガー」になりたかった。

でも今の時代にはありがたい事に新都社様様をはじめとして、こんなオレでも作品を発表させてもらえる環境がいっぱいある。

後は死ぬまでにどこまで、この構想を形にできるかと言う話になってるんだろうね。

いつか夢見た「やみ。世界」の最後のシーンを死ぬ前に描き切る事が出来たのなら、きっとオレの人生は成功なんだろう。

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2025年6月16日 12:12 CAT :

非傀儡宣言を宣う影男

会社の方が無事?なのか良く分からないけど5期を迎えた。

何とかまだ死なずに続いてるようだけど、色々問題を抱えていることもまた事実。

4期の売上まとめが税理士さんから送られてきたので、少しずつチェックしてるところ。

前期は色々あったので、売り上げ自体はかなり減っている。

その前は家を建てるためとあと裁判でバタバタしていて、普通に売り上げが悪かった。

と言う事で、まぢで会社のキャッシュがヤバい事になってるんだよねぇ~

今年は、色々支出を見直しつつ、キャッシュを貯めて行く方向で運営していく必要がありそう。

ただ問題なのは、口座にお金が貯まると税金としてがっつり持っていかれてしまう。

かと言って、オレの役員報酬をあげまくったら、それはそれで所得税やらなんやらで引っ張って行かれるし・・・

どうしたもんかね。

一生懸命お金を貯めると税金で持っていかれるし、かといってキャッシュを持ってないとそれはそれでやって行けないし。

この辺のバランス感覚と言うか、舵取りが実に難しい。

オレの場合、あんまりその辺のお金の事に無頓着で、基本的には1年に一回、税理士さんから貰う資料に目を通して「へぇ~こうだったのか・・・」みたいな事をしてるからダメなんだと思う。

そもそも目の前のお仕事を一生懸命やってる方が好きなんだよ。

フリーで一人でやってる時はそれでも良かったけど、会社になって、色んな人が関係してくるとそう言う訳にも行かないらしい。

いっその事会社なんて辞めてしまって、以前みたいにフリーデザイナーとしてのんびりやりたい気もしなくもないんだけど、何かもうそう言う形にもできなくなってきてしまってるっぽい。

こう言う所で思い悩むのとか、本意じゃないんだけどなぁ~。

取り合えず、今期は方向転換しないといけないとは思ってる。

そんな感じですな。

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2025年6月15日 12:12 CAT :

真っ黒髪の母さんはこんな醜い僕を何で宿してしまったの

昨日の記事の話の追記なんだけど、今年中に「ひとときの暗がり」第2部前半部分を完成させるためには、単純計算で月に2~3話くらいアップしていかないと間に合わないと言う素敵な計算が成り立った。

で、ここ数日猛烈な勢いで「ひとときの暗がり」を書き進めております。

今、11話の半分くらいまで書きあがってる感じ。

もう少しストック作っておかないと、このペースでの年末まで更新出来る気がしないんだよ。

他にも色々描きたいものがあるんだけど、何か脳の文章スイッチが入っているので、今のうちにどんどん書いておこうかと。

いやしかし、この時期(高校2年生の頃)は何か色々苦しいですな。

ネタバレするのも何なので、詳細は書かないけど、ホント苦しい。

当時そこまで苦しんでいたのかと言われると、それはそれで疑問ではあるんだけど、改めて客観的に見ると実に色々苦しかったんだと思う。

その内本編でも出てくるんだけど、当時やってたシータと言うバンドの曲で「see through」ってのがある。

一応、タクヤの元ネタのやつ曰く「シータの代表曲」と言ってた曲。

この曲の歌詞を書いた時、オレは特に深い意味合いを持たせたつもりは全くなかったんだよ。

「1人の女の子が彼氏が本当に自分の事好きなのか知りたいなぁ~心の中をのぞける「シースルー」って力があればいいのに。」

って言う、アホみたいな歌詞ですわ。

誰にでも書ける低俗な恋愛の歌詞を書いてやろうくらいのことしか考えてなかったと思う。

何でそんな誰でも書ける低俗な恋愛の歌詞を書こうとしたかと言うと、それはまぁ周りが恋愛模様でピンク一色になってた事に対してムカついてしょうがなかったからに他ならない。

その辺の話は、「ひとときの暗がり」本編の方で書いてるので、そちらを見てくださいな。

・・・ただ、今回改めてあの頃を客観的にと言うか俯瞰的に思い出しながら、私小説と言う形でそれぞれの心情を掬い取りながら描写していくと「あぁ・・・この曲の歌詞って、こういう気持ちが深層心理にあったんだな」と言う事が分かってしまった。

昔の傷を自分でぐりぐりナイフで抉っていくようなドMスタイルで小説を書いております。

何であの当時あんな言動をしていたのかと言う事が少しだけ分かった気がする。

出来れば、あの当時オレにムカついてしょうがなかっただろう演劇部の皆さんにこの話を読んで貰ってですな、「あぁ・・・そうだったんだ」と思ってもらいたい気もする。

ただ反面「何好き勝手に全部暴露してくれてんのよ」とブチ切れられそうなので、やっぱり読んで貰わなくていいような気もしてる。

まぁ、この話を公開した上で一番ブチギレるだろう、タクヤの元ネタになったヤツは今もオレの横でお仕事してるので、多分大丈夫だと思うけれども。

こいつには以前小説の存在を教えて読ませてみたところ「99%どころか100%ホントじゃねえか。よくこんな詳細に覚えてるな。」とお墨付きをもらいました。

こっちには当時の日記が三桁ページあるんだよ。

と言う事で、どんどん書き進めてどんどん公開していくぜぇ~~!

ちなみに(↑)の日記を見ながら第2部最終話までのプロットを考えてたんだけど、33~35話くらいになりそう。

後半も割と色々イベントがあったようですな。

そして、第3部も多分25~30話くらいになると思う。

先は長い・・・

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2025年6月14日 12:12 CAT :

あの頃の話を振り返る愚行を犯し続ける別にひとときでもなかった暗がり~その30

先月、うっかりしていて「ひとときの暗がり」をアップしてなかった。

まぁ、先月はお仕事の方で結構めんどいトラブルがあってバタバタしていたのでしょうがないと言う事にしておこう。

と言う事で、先日「ひとときの暗がり」をアップしてきた。

帳尻併せと言う事で今月はあと1~2話くらいアップしておこうと思っております。

一応、今年中に第2部の前半部分までは完成させてアップさせたいんだ。

多分20話くらいで終わる予定なので、少しペースアップしないと間に合わないんだよね。

と言う事で、来るべきその日まで少しでも多くの人を繋ぎ止めておきたいと言う邪な心意気で今日も今日とて書いていきますよぉ!

その前に一応、リンク張っておこう(↑)。

頑張って書いてるので読んでください。平に!平に!

さてさて。

第36話 高校2年生(5)「再始動」

こちらの話ですな。

「バンやろ」の話を書こうと思ってたけど、それはお礼絵の方でツラツラ書いたので割愛。

やっと第2部でも物語が動き出したと思ってる。

バンドが再始動して、演劇で自主公演と夏ととんでもない規模の公演の話が始まる。

更にまだ他にいくつか他の話がどんどん始まっていく。

結果としてこの1年、特に前半はどうしたんだと言うくらいのボリュームになってしまう。

多分今のところの人生では一番の大創作期間だったと思う。

ただ、今第2部の10話目を書いてるんだけど、思いのほか創作関係の話じゃなくて、色恋沙汰な感じになってきている。

と言うより、オレはなんてヒドイ奴だったんだろうと・・・

思春期の女子高生に対して、とんでもなく惨い仕打ちをしていた事に気が付いた。

ホント当時は、100%自分の事しか見てなかった。

今になって、当時の日記とか見直しながら、時系列と出来事をまとめて物語を作っていくと、心が痛むほどひどい事をしてる。

今更謝ってもしょうがないけど、それはそれとして、ここで謝罪したい。

まぢで!まぢで!まぢで!まぢで!まぢで!まぢで!まぢで!まぢで!まぢで!まぢで!まぢで!まぢで!まぢで!まぢで!まぢで!まぢで!まぢで!まぢで!まぢで!まぢで!まぢで!まぢで!まぢで!まぢで!まぢで!まぢで!まぢで!まぢで!まぢで!ごめんなさい。

そんな書いてる側の胃がキリキリし始める、歪な色恋沙汰と大創作期間に入る「ひとときの暗がり」を、これからも何卒よろしくお願いいたします。平に!平に!

と言う事で、最期にこの回のお礼絵をば。

写真の雑誌ではないけど、当時メン募が載ってた「バンやろ」は表紙がセックスマシンガンズだったような気がする。

そして、オレがベースの練習で一番見倒した「GIGS」の表紙もセックスマシンガンズだった。

たまに読んでた「FOOL’S MATE」も当時よくセックスマシンガンズが飾ってた。

いかに当時勢いがあったかと言う事ですよね。

ただ、「FOOL’S MATE」は「Dir en grey」とか「Janne Da Arc」とかを目当てで買ってた記憶がある。

ちなみにタクヤの元ネタのやつは「FANATIC◇CRISIS」が好きだったような・・・

まぁ、そんな感じですわ。

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2025年6月13日 12:12 CAT :

作られた嘘のフィルターに夢と現と言う名の1ページ

文章を書く事が昔から好きだった。

文章を読むのも大好きだった。

勘違いされるんだけど、本を読むのが好きなんじゃなくて、文章を読むのが好き。

例えば説明書とか、ともすれば商品パッケージ裏の説明書きですら読んでしまう。

なぜ?と聞かれても、好きだからとしか言いようがない。

ここ最近、息子がとにかく文章を読んでる。

息子も「それを読んでどうする?」と言う文章でも、目に入ると読んでる。

そして、息子の書いた作文は読むと面白いんだよね。

ただ、世間的に評価されるのは娘の書いた文章で、息子の文章はあんまり評価されない。

この辺もオレと同じだと思う。

何なんでしょうね。

この教えてもないのに勝手に似ていく現象は。

娘も、勝手に漫画読むの好きになって、漫画描くようになってるし。

良い事と悪い事がそれぞれにある。

もちろん人生において良かったと思ったこともあるけど、辛かった事もたくさんあった。

娘の方は嫁と似てるところが多いんだけど、息子の方はホントどうしたのかと言うくらいオレにそっくり。

しっかりオレが辛かった事も経験していってるんだよなぁ。

そこまで似なくても良いじゃないか。と。

とは言え、それでも別の人格を持った人間なので、全く同じではない。

当たり前だけど。

子どもたちの人生がすごく楽しいものであることを祈っております。

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2025年6月12日 12:12 CAT :

誰が隠した 誰が隠れた

なぜか先日YOUTUBEでチカチーロの紹介動画をぼ~っと見てた。

こちらの動画(↓)。

めっちゃ長いよ。前中後編で合計3時間くらいあるよ。

チカチーロだけじゃなくて、アルバート・フィッシュとか、エド・ゲインとか、チャールズ・マンソンとか、ジョン・ゲイシーとか・・・その辺のとんでもない殺人鬼の話がすごく興味がある。

日本だと誰なんだろう・・・宮崎勤とか、東慎一郎かな。

何か日本では、アルバート・フィッシュみたいなレベルの違う奴があんまりいないんだよなぁ。

この場合、興味のある分野がいくつかに分かれていたりする。

昔から「拷問」にすごく興味があって、色んな本を買って読んでた。

「拷問大全」とか「拷問全集」みたいな本から、昔メッチャ話題になった「自殺完全マニュアル」まで色々読んでる時期もあった。

「人をどうやって殺していくか。」みたいな観点でも、レベルの違う殺人犯の話は面白い。(面白いって言うと怒られそうだけど・・・)

でもここ最近興味があるのは、なぜそんな事をするのか。と言う点なんだよね。

そしてその先にあるのは不思議な話なんだけど、こいつらはこうやって行くしか自分を保って生きて行く方法が無かったんだろうな。と言う悲哀なんだよ。

そう言う意味で、さっき上げた宮崎勤とか東慎一郎とかはやっぱり違う。

こいつらは性欲と中二病を拗らしただけな気がする。

何だったら、オウム真理教の麻原でさえそんな臭いがする。

自分を保つ方法が人を殺すしかなかったと言う存在には、途轍もない哀れさと悲しさが付きまとう。

その感覚が何とも言えない感情になるんだよ。

この感じを物凄く上手く表現した漫画がある。

天才古谷実先生の「ヒメアノール」と言う作品。

この漫画は、本当に名作。

映画版も森田剛さんの名演が素晴らしいんだけど、映画版はこの人を殺す事でしか生きることが出来なかった悲哀と言う面はほぼなくなってしまってるので、この感情に包まれたい場合には、漫画の方をオススメしたい。

とは言え、映画版もホント名作なので、一度は見る価値あるよ。

何か、チカチーロの生涯から社会主義の弊害の話を書こうと思ってたのに、その話を書く前に満足してしまった。

チカチーロの話はまた今度にしよう。

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2025年6月11日 12:12 CAT :

墓石のベッドに身を寄せて

人生に絶望したとしても、気軽に死ぬ事は出来ない。

なぁ~んで、こんなに死ぬのってハードルが高いんだろう。

生まれてきてからこっち、ずっと死ぬ事ってハードルが高い。

怖いって言う感情は取り合えず置いておくとして、死ぬのって難しい。

自殺するにしても誰にも迷惑をかけずに自殺するのってほぼ不可能だし、病死するのは偶然とか色んなものがが重ならないとそれはそれで不可能。

かと言って、ある日突然スゴイ大病を患ったり、事故とか、何だったらいきなり血管詰まったりしてぽっくり死ぬ事もある。

その意味ではホントままならないよなぁ。

それ以前に、家族も出来て会社も出来たりしたら、そっち関係でも、「今オレが居なくなるわけにはいかない」と言う変な使命感が生まれてしまう。

イヤ、別に今死にたいほど病んでる訳じゃあないし、昔みたいにリストカットごっこしてる訳でもないんだよ。

でもふと、もう少しポジティブに死ねる世界ってどうなのかな。など思ってしまっただけ。

「はぁあ、今日雨か。テンション下がるからもう死のう~」みたいなテンションで死ねる社会ってどうなんでしょうかね。

物凄く死ぬ事にハードルが低い社会。

先日から横山光輝先生の「史記」って漫画を読んでるんだけど、ビックリするくらい軽く皆死んでいく。

「そうですか。謀反が疑われているのですか。では潔白を示すために死にましょう」みたいなテンションで自殺するんだよ。

今の社会って、「死ぬ事」が隠され、遠ざけられているとは思うけど、じゃあ身近にあったらこんなに軽いテンションで自殺できるのかと言うと、それはまた別の問題のような気がする。

何しか、気軽に死ねないなら、頑張って生きるしかない訳ですよ。

頑張って生きると言うのも変な表現だけど、ダラダラ生きるって言うのも嫌な生き方だと思う。

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