2023年12月20日 12:05 CAT :

頑張れ若者 負けんな若者 立ち上がれおっさん

宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」の中で、カプローニさんが「創造的人生の持ち時間は10年だ」と言ってた。

これをつい最近までは「才能が枯れた」と言われるようになるまでの期間が10年だと言う意味で解釈してきた。

でも、先日のエンジンコータローさんの件を見て思い直したんだよね

きっと10年以上続ける事は至難の業なんだ。

10年以上続ける事が出来るとすれば、それは自分のうちから溢れてくる創造的人生ではなく、外部的な要因に引き出してもらうしかない。

その上で、10年を超えても尚自分のうちから溢れてくるものを信じて戦い続ける事は本当に神業。

エンジンコータローさんはそれを体現している稀有な例なんだと思う。

ホントカッコいい・・・

Xで、知らなかったとはいえ、中学生とか高校生の子をフォローしてしまってる事がある。

その子たちは、この創造的10年の最初の段階なんだと思う。

凄い熱量で創作活動を楽しんでる感じがして、見てて自分の子ども頃を思い出してニヤニヤしてしまう。

ただ、このまま全く目が出ないまま20年が過ぎてもこの熱量のまま漫画を描き続ける事が出来る奴がどれだけいるのか・・・と言う、チョッと意地の悪い見方も出来てしまうんだよね。

逆に、40~50代になって、少し身辺が落ち着き、また漫画を描こうと筆を取った人もたくさんいる。

そう言う人は心から応援したくなる。

「明日死ぬとしてもやり直しちゃいけないって誰が決めたんですか」

古畑任三郎のこの回はホント素敵だよ。

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2023年12月19日 12:25 CAT :

もう大丈夫と信じて振り返る 改めて「お家を建ててみよう」 第2章~土地を購入すると言う事

何か思ったより間があいてしまったけど、第2章を書いて行きます。

土地関係に関する裁判もいよいよ大詰め。

弁護士さん的にもこれまで経験したことのない、想定の斜め上を行く展開だと言う事なので、漫画にしたらそれはそれで面白いと思ってるんだけど、まだ終わってはないので、今しばらくは描けないよなぁ~。

ただ、家の方は本当に全て順調で、いよいよ今週引き渡しを迎えることが出来ました。

流石にもう大丈夫だろうと言う事で、「お家を建ててみよう」と思い立ったおっさんが実際にお家を建てるに至るまでの3年に渡る経験談を、複数回にわたってお話していきたいと思います。

少しでもこれからお家を建てたいなと思っている人の参考になったら嬉しい。

ただ、実際に自分が行ったり経験したり思ったりしたことを誇張せずに書くつもりなので、あくまでオレの個人的な感想と考え方。

全く参考にならなかったらごめんなさい。

一応、過去のアーカイブのリンクもまとめておきます。はい。

第1章~一戸建てかマンションか。賃貸か持ち家か

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土地を買うと言う事について。

これがオレにとって一番問題の発生したファクターだった。

詳しくはこちらを読んで欲しい。

まだ擦るよ・・・

土地を手に入れると言う事自体が実がディモールト面倒くさい。色んな兼ね合いが複雑に絡み合ってる。

自分がここに家を建てたいなと思ったとしても、その通りになる事なんてほとんどない。

一番簡単な方法は、不動産屋さんが区画整理した住宅地を買う事。これなら起こりうるほぼ全ての諸問題を解決した上で、その分割り増しの価格で土地を購入することが出来ると思う。

ただ、オレは(と言うか、うちの家族は)そう言う住宅地で住みたくなかったんだよ。

周りに誰もいないようなところを希望してた。

そうなると話が変わってくる。

まず、元々住宅地ではなく、農地の場合が多い。(特にオレが住んでいるようなド田舎では)

農地の場合、それを家を建てることが出来る住宅地に転用しなければいけない(いわゆる農地転用と言う奴)んだけど、農地転用するためには、区画のうち2辺が道路に面していないといけなかったり、土地の前に広い道が付いていたり、その場所が農業推進地域でなかったりと、とにかく制限が多い。しかも、農地転用せずに農地のまま販売する場合には、農家にしか売ってはいけないと言うルールもある。

田舎では高齢化でもう田んぼをすることが出来ないけど、(↑)のような事情で売る事も出来なくて困ってるおじいちゃんおばあちゃんがいっぱい居て、荒れ地と化している元田んぼが、それこそ1坪1000円とかの価格で売られている。

オレは元々そう言う所を希望していたんだけど、希望しているところは悉く農地転用できない場所ばかり。

そして、やっと見つけた土地は、何も知らないヤツは良いように吹っ掛けてやろうと言う不動産屋が所有していた土地だったため、トラブルに巻き込まれてしまった。

素人が、「ここの土地荒れ放題だし、買えないのかな?」と思ってもまず手に入れる事は出来ないと覚えておいた方が良い。

じゃあ、なぜ、今回は土地売買がうまくいったのかについて。

一番大きかったのは、実際その土地の所有者のおじいちゃんと知り合うことが出来たことだと思う。

前の一件で、いきなり不動産屋さんに連絡する事をためらったオレは、いきなり現地を無許可で勝手に見に行った。

その時、たまたまその土地の草刈りに来ていた所有者のおじいちゃんと話をすることが出来、連絡先を手に入れることが出来た。

一応書類の不備などがあってはいけないので、不動産屋さんと司法書士さんは通したけど、オレが直接所有者さんと話が出来ると言う事だメッチャ大きく、当初よりかなり好条件で土地を購入することが出来たんだよね。

しかもおじいちゃんがこの土地を持て余していて、早く処分したかったと言う事情もあって、「買ってくれるなら、あれもつける。これもやる」とかなりの事をやってもらえたんだよ。ありがたやありがたや。

もう一つ今回オレがやった事としては、入ってもらう不動産屋さんについて、契約前にかなり念入りに話をして、ついでに「前に不動産屋さんとトラブルになって裁判している」と言う事まで全て話した。

その上で、契約前に契約書の写しを貰い、知り合いの司法書士さんやハウスメーカーさんに契約書の内容におかしい所が無いか全てチェックしてもらい、且つ、スケジュールの延期があった場合の罰則と賠償金についてとか、契約終了後問題が発生した場合の具体的な補償内容を、契約書に明記してもらい、きっちり詰めてから契約を交わした。

今回の場合、業者さんも良い人だったし、所有者のおじいちゃんもめっちゃ良い人だったので、その辺りの事は何の意味もないまま、滞りなくスムーズに売買出来たんだけど。

最初の土地購入の時から、この2つをやっていれば、不動産屋がどれだけポンコツの悪徳業者だったとしても、うまく立ち回れたかもしれない。

長くなってしまったけど、最後にまとめ。

もしこれから、整地された住宅地ではない土地の購入を検討している人がいた場合には、絶対にやってもらいたいのは下記の2点。

●契約前に契約書を持ち帰り、そっち方面に詳しい人も交えて内容を検討する事。(その際に、滞りなく進まなかった場合の賠償についてもしっかり明記してもらうまで契約しない)
●(不動産屋さんは嫌がるけど)所有者の人も交えて契約を進める事。

ただし、土地自体を不動産屋が所有している場合もある。

その場合は法務局に行き、不動産屋以前の土地の所有者を調べておいた方が良いと思う。

オレも前の時、これをやって先に自治体の土地改良区から土地の話を聞いていれば、問題が起こる前に手を引くことが出来ていたと思う。

土地だって、何百万、何千万円と言うたっかい買い物。

オレみたいに、無知だからと言って、業者に良いようにされて、変な条件で無駄なお金を使う人が一人でも減ってくれれば何よりでございます。

と言う事で、めっちゃ長くなってしまったけど、今回はこの辺りで。

次回「ハウスメーカー巡り」をお送りいたします。

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2023年12月19日 9:49 CAT :

いつか見える終わりの風景を刻み込む余白を黒く塗りつぶす作業

嫌なものを見なくていいように目を潰した

何も見えない世界が広がる

ひと時の安堵が訪れた

しばらくすると、それまで見えていた嫌なものばかりが頭の中をぐるぐると回り始めた

もう何も見えないのでその嫌なものはいつまでも変わることない

回り続ける

回り続ける

回り続ける

回り続ける

ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる

そして初めて目を潰してしまったことを後悔しました

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2023年12月18日 12:02 CAT :

エンジンコータローのカッコよさを早く誰かに伝えたい

先日、「水曜日のダウンタウン」でやってた「スベリ-1グランプリ」。

あれ、視聴者の皆さんはクッソ詰まらない芸人さんの滑りまくる様を見て、背筋を凍らせていたんだろうか。

オレも正直見ててきっついなと思ってたよ。

これを2週にわたってやるとか、いよいよ狂気の沙汰だと。

ただ、優勝したエンジンコータローさんのネタバラシされた後にはなった「いや面白いでしょ」と言う一言を聞いた時、メチャクチャこの人がかっこよく見えたんだよね。

このシーンだよ。このシーン。

逆張りするほど中二病拗らせてる訳じゃあないですよ。

他の芸人さんと違い、自虐でもなく、活舌が悪い訳でもない。

ちゃんと自分の面白いと思う世界観をしっかり伝えた上で、一番面白くないと言う烙印を押され、それでも「いや面白いでしょ」と言えるこのエンジンコータローさんのカッコ良さよ。

オレが学生時代、オレの周りには漫画を描いてるやつがいっぱい居た。

どう考えてもオレより才能がある奴ばっかりで、中には実際に同人誌出して、コミケである程度売れる位の奴や、投稿して賞を取った奴もいた。

あれから20年近い時間が流れ、関係が切れたヤツもいるけれども、近況をオレが知っている奴で、今でも漫画を描き続けている奴は誰もいない。

結局、あの当時漫画を描いてたヤツの中で、本当に漫画を描くのが好きで、自分の世界観を表現するために漫画を描いていた奴なんていなかったんだと思う。

承認欲求を満たすための手段として漫画を選んだだけで、そこで承認欲求を満たせなくなると、皆描くのを止めてしまった。

オレだけがあの頃と同じテンションで、誰からも読まれないへっぽこ漫画を描き続けている。

漫研部の人に、オレの漫画を会報誌に載せたくないと言われたこともあった。

編集部の人にこの画力でよく漫画を描き続けていられるねと言われたこともある。

まだ新都社にマロンが存在していたころにはcold四天王の中でも最下層と評価されてた。

それでも、いつどのタイミングでもオレは自分の描く漫画がめっちゃ面白いと思い、そして、当時の仲間が全員描かなくなった今でも、一人漫画を描き続けている。

いったい誰が、このエンジンコータローさんを馬鹿にできると言うんだよ。

オレと同じだと言うのはおこがましいけれども、オレはめっちゃ尊敬してしまったよ。

めっちゃカッコいい人だよ。まぢで。

何か分からんけど、勝手に勇気をもらった。

多分、オレはこれからも誰にも相手にされなくても漫画を描き続けるんだろうな。と。

それこそ死ぬまで。

そんな気がする今日この頃。

12月も「風を切る日々」の原稿完成しました。

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2023年12月17日 12:06 CAT :

かっこいい初めて見る様なジャンパー

「時間が無いから出来ない」と言う言い訳を止めたいと思ったのは、今年の3月頃だったか。

到底無理だと思ってた「ブログの毎日投稿」をやると決めた。

そのまま、ホントに毎日投稿を続けられてまま2023年が終わろうとしている。(・・・沖縄旅行中はストップしてたけど)

実はこれを契機に今年1年時間の使い方についての考え方が少し変わったような気がする。

その結果、漫画を描いたり、小説を描いたりする時間も出来た。

お仕事の時間を減らしたわけでもなく、これまで通りの生活をしているのに、今年は例年にない位創作活動もお楽しみできた。

それも、家を建てると言う人生の一大イベントをこなしつつだ。

では、無理だと思ってた生活の中でどうやって時間を捻出したのか。

実際にやった事(↓)

〇時間が無いから出来ないと言う考え方を捨てる
〇やりたい事(と言うか絶対やると決めた事)をリスト化する
〇リスト化したものを実行するための時間を確保する
〇残った時間にやらないといけないお仕事などの時間を当て込む
〇残った時間に別にやってもやらなくても良い事を当て込む
〇残った時間に更にやってもやらなくても良い事を当て込む

以下その繰り返し。

たったこれだけ。

これで意外と出来てしまうもんらしい。

この話を非常に分かりやすく解説してくれた動画を見つけた(↑)

また機会があったら、ぜひ見てくださいな。

1日を48時間にしてほしいなと言う気持ちは今も持ってるけど、24時間を大切に使うと言う事も重要かもしれないと言うお話。

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2023年12月16日 12:24 CAT :

フェティシストの兄さんはいくぢなし

先日、近所のファミレスでご飯を食べてた時の話。

ふと駐車場に目をやると、おじいちゃんがうつぶせになってぶっ倒れてた。

横でもうお一人のおじいちゃんがオロオロしてる。

ぶっ倒れている方のおじいちゃんはピクリとも動かない。

凄く嫌な予感がして、気が付いたら外に飛び出していた。

事情を聞くとストッパーをかけてなかった手押し車に寄りかかってしまい、こけてしまったらしい。

ただ、至る所を擦りむいているし、手が変な方向に曲がっていた。

これはチョッと良くねえなぁと思って、救急車を呼んで、店員さんからタオルを貰って、あと雨が降り始めてたから傘をさしてあげた。

あとは、どうする事も出来なくてオロオロ・・・

しばらくすると救急車がやってきて、おじいちゃんは運ばれていった。

意識もあったし、多分大丈夫だろう。多少怪我はしてるだろうけども。

高齢化社会日本において、田舎の高齢化は尋常じゃなく深刻になってきてる。

自分でおっさんだと思ってるけど、オレなんてまだまだ若造の部類なんだよな。

結局今回に関して、オレは介助らしい介助は何にもできなかった。

けど、困ってるおじいちゃんを見て、とっさに体が動いただけでも自分で良しとしよう。

あら~とか言いながら飯食ってた隣の席のおばさんや、うわ~とか言いながらその横を通り過ぎて店に入っていったサラリーマンの集団よりは良いじゃないか。と。

ここ最近、女性にAEDを施すかどうか問題が色んな所で議論されている。

今日ぶっ倒れてたのが若いお姉ちゃんだったらオレはどうしただろうか。

まぁ、今日の場合は、誰がとか、そう言う事考える前に「やばい!」と思ってとっさに飛び出していったので、多分若いお姉ちゃんだったとしても同じことをしていたか。

あと多分だけど、田舎のお姉ちゃんは介助したとしても、訴えられないんじゃないだろうかとか勝手に思ってたりもする。

それは分かんないか・・・

人助ける時に、そんな事を考えないといけないとか嫌な時代になったもんですな。

おっぱい見られるくらいなら死ぬ。と言うなら、その意思も尊重してあげても良いのかもしれない。

本当にそれでいいなら。

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2023年12月15日 12:06 CAT :

あの頃の話を振り返る愚行を犯し続ける別にひとときでもなかった暗がり~その23

第1部完結まで残り2話。

何とか年内に完結させることが出来そうで良かった。

そろそろ、2部のプロット作り始めたい所なんだけど、師走の忙しさに今年は、新しいお家への引っ越しなどもあってアホみたいにバタバタしている。

そのこと自体は、ありがたい事この上ないんだけど、それはそれとして、引っ越しして落ち着いてからになるかなとは思っております。

まぁ、それはそれでしょうがないよね。

まずはあと2話お付き合いいただけるように、邪な心意気で今日も今日とて書いていきますよぉ!

その前に一応、リンク張っておこう(↑)。

頑張って書いてるので読んでください。平に!平に!

さてさて。

第29話「解散ライブ」。

先日の記事で、日本語の美しさをさもありなんと語っておきながら、自分の文章を読み直すと、まぁ小汚い事この上ない。

もう少し精進しないといけないなとも思っているんだけども・・・

この解散ライブの話については、ホントにほぼ何も記憶にない。

ライブに向けて、練習もしたはずなんだけど全く練習した記憶もない。

唯一覚えていたのは、守山部長の大学受験とライブの日が被ってて「受験止めようかな」と言い出したのをオレとタクヤで必死で止めた事くらい。

セットリストもGLAYのコピーをやってたらしいけど、記憶にはない。

記録に残ってただけ。

オレ自身がコピー曲に対して価値を見出してなかったからと言う理由だけではないような気がする。

このライブの頃、ホントに毎日をふわふわ生きてたんだよ。

総文祭と、ホールライブを終えた事である意味自分の中で燃え尽き症候群のような状態になってたんだと思う。

再び燃え始めるのは、第2部以降。

と言う事で、このやる気のない状態のままのんべんだらりんと残された時間を無為に過ごしてしまったどうしようもない局長のポンコツ具合をあと2話ほどお見せすることになってしまう。

その点は至極申し訳ないと思ってる。

ただ、ここを割と詳細に書いておかないと、今後のお話につながっていかないと言う事もまた事実。

人生は決して突発的な出来事だけで構成されてはいない。

常に原因があるから結果がある。

因果律と言う奴でございます。

1話が長いのでホントに申し訳ないけれども、残り2話お付き合いいただけますとうれションします。はい。

では、また次回。

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2023年12月14日 12:13 CAT :

彼は世に類もあらぬ厭人病者であった

日本には元々「恋愛」と言う言葉が無かった。

恋愛と言う概念が初めて日本で初めて認識されたのは明治時代に入ってかららしい。

近代日本文学の大家「夏目漱石」が、海外の小説を翻訳する時「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳すように指示したと言う話が、嘘か真か伝わっている。

真偽は置いておいたとして、このニュアンス自体は日本人なら凄く良く分かると思う。

夏目漱石はさすがにセンスがあるな。とも思うんだけど、それ以前に、日本の文化として「君が好きだあああ」と言う感覚自体があまり存在しないんだろう。

日本人にとって、「愛」と言うものは凄くなじみが薄い。

と言うか、ピント来てる奴なんて実際に存在してるんだろうか?

でも、「愛情」と言われると、意外としっくり芯を食う事が出来るような気がする。

色んな本を読む。

マンガばっかり読んでる訳じゃあないんですよ。

その中で、この上記のようなキレイな日本語が最近めっちゃ減ってきてる気がしてならない。

これは文法の話をしてる訳ではない。

文法で言えば、「君を愛しているんだ」と言う事も「月が綺麗ですね」と言う事もどちらも間違っていない。

でも、美しい日本語の流れと言う意味で考えれば「月が綺麗ですね」の方が圧倒的に当てはまる。

そう言う話。

オレが、これまでに読んできた全ての小説の中で最も心を打たれたのは江戸川乱歩の「蟲」だと言う事は、このブログでも何度も書いてきた。

もうパブリックドメインになってるので、気にしないでここでチョッとだけ引用(↓)。

醜く朽ちてしまった木下芙蓉を前にどうする事も出来なくなって、ふらふらと街に出た柾木愛造の行動を描いた「蟲」の中でもオレが一番好きな一節。

どこをどれ程歩いたのか、彼には少しも分らなんだけれど、三十分も歩き続けた頃、余りに心の内側ばかりを見つめていたので、つい爪先がお留守になり、小さな石につまずいて、彼はバッタリ倒れてしまった。痛みなどは感じもしなかったが、その時ふと彼の心に奇妙な変化が起った。彼は立上る代りに、一層身を低く土の上に這いつくばって、誰にともなく、非常に叮嚀なおじぎをした。

社会から断絶した生活の中、心の中では自らの行いを悔いつつも、それを表立って表現する事さえできなかった柾木愛造のこの行動。

どうしようもない深い哀愁。

オレが最も美しいと思う「ものの哀れ」とも言うべき情景がありありと伝わる。

この一節だけでオレの涙腺は緩くなってしまうんだ。

日本語には、世界のどの言語にもない奥深さと情緒がある。

それを知るべきだと思う。

この浅野忠信版の映画もなかなかいい味出してるよ。

娘が少し前に学校の授業で百人一首のお勉強をしてた。

持統天皇の有名は歌「春過ぎて 夏来にけらし 白たへの 衣干すてふ 天の香具山」とかも、ホント美しい日本語だよね。

ちなみにオレが一番好きなのは「君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ」。

調べたら光孝天皇の歌だった。

正に平安時代の「I love you」だわ。

皆様、美しい文章を読みましょうね。

この方が光孝天皇だそうです。

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2023年12月13日 12:34 CAT :

貴方は僕にとっての永遠のヒーローでした

今年は本当にミュージシャンの訃報が多い・・・まぢで多すぎる。

その中には、ぶっちゃけそこまで聴いてなかった人もいるんだけど、「頭脳警察」のPANTAさん、「BUCK-TICK」のあっちゃんはさすがにこたえた。

どこからでもやり直しは出来るだろう・・・ホント素敵な曲だ。ううう・・・

他にも、YMOがもう細野さんだけになったのか・・・とか、YOSHIKIとTOSHIがケンカしてる間にHEATHが居なくなったじゃねえか!アルバムどうすんだ!とか、今年はどう考えても多い。

そしてその都度やっぱりしょんぼりする。

しょんぼりするけど、もう正直に言うと、実は、犬神サアカス団からジンちゃんと情次にぃが脱退した時の方が絶望の度合いは大きかった。

あと、筋肉少女帯は別に誰が脱退しても、また戻ってくるだろうからあんまり気にはしないと思う。

その辺のお話はこちらから【犬神サアカス團とtime gose byのお話し

音楽は人生を彩ってくれる。

人生の要所要所には音楽が絶対的に存在する。

高校生の頃、失恋して泣きながら聞いた真心ブラザーズの「流れ星」。

大学生の頃、全く前が見えなかった絶望に一筋の光が射した筋肉少女帯の「ベティー・ブルーって呼んでよね」。

サラリーマンになって、会社でズタボロにされた夜の車の中で聴いてた犬神サアカス団の「華麗に舞え」。

他にもいっくらでも挙げられる。

人生の節目には本当に必ず音楽があった。

思い出と一緒に、好きだったアーティストさんの訃報に悲しみを語っても良いじゃないかと思う。

ただ、何なんだろう・・・

頭脳警察もBUCK-TICKも大好きだったんだけど、オレごときがファン気取って悲しみを述べるのは違うような気がしてしまう。

正直な話、人生の節目において、狂ったように縋り続けてはいなかった。

オレにとっての筋肉少女帯や犬神サアカス団の様に、BUCK-TICKを愛していた人を差し置いて、オレが偉そうに悲しむのはどうなんだ。と。

いや、実際はそんなことどうでも良いんだろうけど、何となく個人的にそう思ってしまったんだから、もうこれはしょうがない。

そんな話ですよ。

オレが本当に泣き崩れるような人達も、もういいお年。

出来る限り長生きしてくださいませ。

家族・親族以外で、本当に泣き崩れたのは今のところ三沢光晴だけかな・・・。

この時は、東京のディファ有明まで献花しに行って、リングの前で号泣した。

周りもみんな号泣してた。

まぢで、三沢はオレのスターだったんだよ。

うむ。

取り留めのない話になってきたな。

今日のところはこの辺で。

未だにスパルタンXを聴くと涙腺が緩みます。

入場シーンカッコいいよなぁ。

この時のGHCヘビー戦、テレビの前で涙が止まらなかった。

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2023年12月12日 12:12 CAT :

何か話してと頬濡らす子どもの死に様

自分で作った曲が世界で一番好きと言うくらいにはナルシストです。

時々思うのは、めっちゃ良い曲だと思うんだけど、他の人はどう思ってるんだろうと言う事。

マンガについては、何となく分かる事がある。

オレは自分の書いたマンガが世界で一番好きなんだけど、同時にダメだと言う事も分かっている。

オレが自分で描いたマンガを素晴らしいと思える理由は、元々脳内にある情報や情景によって補填作業が行われているからなんだよ。

では、音楽ではどうなんだろうか。

客観的に見ると言う事はもう無理無理マイマイカブリだとしても、個人的にはこの補填作業をほとんどせずにいい曲だと思ってる。

漫画については新都社さんのお力添えで公開する事が出来た。

それなのに、更に良いと思ってる音楽についてはホントにほとんどの人に聞いてもらったことないと言う気持ちもある。

ミュージシャンになりたいわけではない。

バンドを組みたいわけでもない。

聴いてもらいたいだけなんだよ。

で、どうすればいいのかなと考えたところ、音楽の場面描写を数枚のイラストにして、それを基に音楽を聴いてもらうと言う動画にするのはどうだろうか。と。

これが、今年の3月頃に甘納豆先生との「ぬとらじ」でチョッと語った「場末の紙芝居」と言うアイデアだったりする。

その辺の話はこちらか【闇夜が妖しくお前を隠す

来年あたりから、これもマジで始めたい・・・

やりたい事が無限に増えてくる。

誰か、まぢで1日を48時間にしてくれ。

32時間でも良いから・・・

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2023年12月11日 12:50 CAT :

安らぎはひと時の暗がり

先日、インスタの方でアップした動画で「何アホな事言ってんの?飛行機に決まってんじゃん」と、ご尤もなご指摘をまぁまぁたくさん頂いた。

「日本もここまで堕ちたか」と言う、こんな末端を生きるおっさんのインスタ見て日本の現状を憂う憂国の志士まで現れてしまった。

うむむむ・・・

何か色々難しいよなぁ。

オレはオカルトなお話でお金を稼ぎたいわけじゃあないし、ただ、自分が思ったことや感じたことをツラツラ描きたいだけなんだよ。

興味ある人とひっそりやり取りしたいだけなんだけど、なぁ~んか昔から横やりが入る。

これは、学生時代からあったんだけど・・・これやってる人って何が目的なんだろう。。

オレは、価値観を押し付けるつもりは毛頭ないし、そもそも信じてくれとも思ってない。

今回の事についてとか「嘘を吹聴して洗脳してるヤツが居たから、正確な情報で正してやった」と言う事なのかなぁ・・・

オレの言う事になんて1ミリも影響力ないし、そもそも誰もまともに聞いてないから洗脳なんて出来ないって。

どうせならドラゴンスクールとかやってて、もっとちゃんと凄い影響力あるシンゴさんとかに突撃してくれ。

おっちゃんは、面白おかしく日々を過ごしたいだけなんだ。

と言うのは難しいお話なんだろうかな。

何が言いたいかと言うと、たま出版の韮澤さんは凄いと言う事ですよ。

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2023年12月10日 15:36 CAT :

足音だけがいつの時代も背後まで追いついている事を知る勇気など持てるはずもない

当たり前にできる事があった

当たり前にできるのだから、やり方を考えたことなんてなかった

ふと立ち返り、やり方を考え始める

冷静に考えると、それは当たり前にできるはずのない事だった

その事に気付いてしまったその日から、それは当たり前ではなくなった

そして、出来なくなってしまった

立ち止まり振り返る事で退化する事がある

何もできない

どうする事も出来ない

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2023年12月10日 12:29 CAT :

うんこに行きたいのを我慢して急いで書いたお話

先日のこの記事で紹介した本(↓)

引き続き、読んでおります。

で、過去に自分の書いたマンガで、自分でも特に面白いと思ってた箇所であったり、面白いと思ってたのに、実際公開してみたらイマイチ反応がなかった箇所であったりと重ね合わせてくると、ビックリする位内容が腑に落ちる。

あぁ~なるほど。

確かに本当だ。

目から鱗とはまさにこの事。

うんうん唸って色々描いてみて、あとから読み直して「めっちゃ面白いやん!」ってなるところと「なんか面白くないな」と思う所があったんだけど、その理由さえしっくりきた。

いや、これは凄い本ですよ。

でだ。

その上で、今描いてる「風を切る日々」のネームをチョッと見直してみた。

今51話の原稿描いてるんだけど、一応54話までのネームは出来てる。

出来てるんだけど、ダメな気がしてきた。

一応再開後4話くらいの展開は良いと思う。丁度今描いてる51話までは。

ただ、ここから先の展開がダメなんだよ。

(↑)の本で言う所の内容省き過ぎと、設問なさ過ぎ問題が物凄く気になり始めた。

多分次の52話とか、この話自体を2話に分けて、更にその前に「設問」に相当するくだりを足した方が良いような気が悶々している。

51話描き切ったタイミングで、丁度、年末年始のまとまったお休みが取れると信じて、ここから次のお盆までに描く内容をもう一度精査してネームを作り直そうかなと思っております。

どうせ、オレがそんなところこだわったって誰も読みはしねえよ。とか、そう言う話じゃなくて、少しでも面白い漫画を描きたいんだよ。

そんな良く分からない矜持のもと、残り少ない今年も、そして来年も創作活動を楽しんでいきたい所存でございます。

はい。

まだ軽い人物ペン入れしか出来てないページだけど・・・

今、「うんこ行きた過ぎて」こんな気分・・・

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2023年12月9日 12:11 CAT :

かごいっぱいの食料品

なかなか色々な人生経験を積んできたような気がしている。

いや、そんなものどんな人でも人生色々。積み重ねて生きているので当たり前と言えば当たり前なんだろうけど。

オレの場合、クッソ貧乏だった時期と、意外とそうでもない時期を行ったり来たりしている。

昔はそれで良かった。

お金が無さ過ぎて、嫁と2人で、身を寄せ合って何とかその日をやりくりする日もそれはそれで楽しかったと思う。

ただ子どもが生まれてから、子どもにだけはそんな思いをさせたくなくて、一生懸命働いた。

ホント朝4時とか5時に家に帰ってきて、7時には家を出る。

休日は週に1日。それさえも、休日出勤でなくなる。

そんな生活だった。

その結果、体が限界を迎え、またクッソ貧乏な時期が訪れ、結局子どもたちには相当不自由をさせてしまった。

子どもたちは、生まれた環境がそんなものだから、別に気にしてなかったらしい。

むしろ、オレが超絶ブラック企業で、朝から朝まで働いて家に居なかった時期の方が辛かったとさえ言ってた。

まぁ、その辺のお話は擦りすぎるほど書いてきたので良いとして、最近YOUTUBEの広告で「シングルマザーの貧困で、満足に食べられない子どもたちが~」と言うものが良く流れてくる。

このタイプの奴・・・(↑)

あれマジでやめてほしいんだけど、何とかならないのだろうか。

自分の過去を抉られてるみたいで見てられない。

この辺の事については、尋常じゃなく無知蒙昧なので、こういうYOUTUBE広告とかにも意味があるのかもしれないので、変に誤解してたらごめんなさい。

別に批判したいわけでもない。

ただ、もうオレには見せないでくれ。

オレは今、子どもたちに少しでもいい暮らしをさせてあげたくて必死なんだよ。

子どもたちが、何の躊躇もなく食べたいものを買い物かごに放り込めるように頑張ってるのでございます。

頑張ってるんだから、それを誉めてくれるのは良いにしても、過去を抉るのは止めてくれ。

そう言うお話。

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2023年12月8日 12:05 CAT :

誰を傷つける訳にもいかないので薬指の爪をはぎ取りました

サラリーマンをしていた頃、勤めていた会社は今思えば超絶ブラック体質だったと思う。

で、社長さんのパワハラなどで体調を崩して・・・と言うか、おもっくそ鬱で退職することになった。(その辺りの話はこの記事で書いてる

それからしばらくは、ただただ貯金を切り崩す日々。

ホントにお金がなかった。超絶貧乏時代。

その日のご飯に悩むような日々で、子どもたちに満足なおもちゃなんて到底買ってあげられない。

当時住んでいた賃貸では、ごみの収集が無くて、週に一度自治体が運営していたゴミの集積場までゴミを持って行ってた。

ある日、ごみを捨てに行ってた嫁と娘が帰ってくるなりオレに「お父さん!凄いよ!」と言って見せてくれたものがある。

それは色あせて古びたアンパンマンの乗り物のおもちゃだった。

(↑)こんな奴。ただ、もっと色あせてボロボロだったけど。

話を聞いてみると、粗大ごみ置き場においてあったもので、職員さんに訳を話すと「どうせ捨てられたものだから持って行っていいよ」と言ってもらえたとの事らしい。

やっと歩き始めた息子を乗せたそのアンパンマンを娘が嬉しそうに押している姿を見て、「良いものを貰えてよかったなぁ」と思いつつ、そんなおもちゃすら満足に買ってあげられない自分がとんでもなく情けなくなったのを覚えている。

当時は本当にお金が無かったんだよ。

一念発起したと声高に言える訳ではないけど、曲りなりにそこから今のスタイルでお仕事を始めて、あれから10年近い時間が経った。

当時と比べれば、多少なりとも子ども達に不自由な思いはさせていないと信じている。

今建築中の家に引っ越すために、家の中のものを整理している。

もう使わなくなったものを処分していってるんだけど、その中でこのアンパンマンの乗り物が出てきた。

元々かなり古びていた上に、子どもたちが乗り回したので、後ろの押すところはバキバキに折れてしまっているし、息子が色々落書きとかもしてしまっている。

誰かに譲るなんてもうできない位に遊び倒してしまった。

先日、貰って来たごみ処理場にそのアンパンマンをお返ししてきた。

どうしても捨ててきたとは言いたくない。

本当に感謝しているんだよ。

ずっと家に置いておきたいなと言う気持ちと、お別れした方が良いんだろうなと言う気持ちがかなりせめぎ合ってて、今もこれで良かったのかは分からない。

オレがそう言う事を結構引きずる事を知ってる嫁は、オレの負担にならないようにひっそりとお別れしようとしてくれていたらしい。

今回はたまたまそれを目にしてしまったんだよ。

不義理なもので、確かにあのアンパンマンのおもちゃの存在も忘れていたしね。

「あの時、子どもたちと遊んでくれてありがとう」。

そう思いながらお別れしてきた。

今はまだ、引きずっている。

いくつになっても、こう言う事を割り切れない。

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2023年12月7日 12:03 CAT :

もう大丈夫と信じて振り返る 改めて「お家を建ててみよう」 第1章~一戸建てかマンションか。賃貸か持ち家か

書く書く詐欺にならないように、こちらの話も時々更新していきたいです。

やっと、おうち関係のお話が諸々片付いている。

ただ、裁判についてだけ終わりが見えてきたと思ったのに、まだ伸びる事が確定した・・・「不動産売買であった怖い話」第2部再開はまだ先になりそう。

こちらの第2部ですな。この画像もそろそろ擦りすぎか・・・

と言う事で、「お家を建ててみよう」と思い立ったおっさんが実際にお家を建てるに至るまでの3年に渡る経験談を、複数回にわたってお話していきたいと思います。

少しでもこれからお家を建てたいなと思っている人の参考になったら嬉しい。

ただ、実際に自分が行ったり経験したり思ったりしたことを誇張せずに書くつもりなので、あくまでオレの個人的な感想と考え方。

全く参考にならなかったらごめんなさい。

一応予防線を張っておいたところで・・・

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 

 

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 

 

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 

前置きが長くなったけど、第1章は「一戸建てかマンションか。賃貸か持ち家か」と言う話について。

そもそも論、なんで家を建てようと思ったのかと言う話についての経緯については以前書いたので詳細は割愛するけど、めっちゃざっくり書くと「自分の資産をなぜ知らんおっさんに渡さにゃならんのだ!」と言う気持ちがあったからだと思う。

今、オレは大体月10万円くらいの賃貸で生活している。

と言う事は、オレが一生懸命働いて稼いだお金のうち、年間120万円ものお金を知らないおっさん(大家さん)に渡していることになるんだよ。

見知らぬおっさんイメージ(↓)

10年住めば1200万円。

20年住めば2400万円だ。

これだけあれば、オレの住んでる田舎なら、もうそこそこ広い土地付きの家が買える。

35年ローンとか組まなくても、20年で完済できる程度のローンで自分の家が手に入るわけですよ。(もっと言えば、オレの住んでるクソ田舎では中古物件なら土地建物込みで500万くらいのものもゴロゴロある。)

しかも、当たり前だけどその家は自分のもの。自分の資産なんだ。

オレが賃貸のままで20年間、2400万円を知らないおっさんに手渡したとしても、オレにとってそのお金は何の資産にもならない。それはただの支出。

子どもたちに対しても将来的に何らかの資産を残してあげたいと思った時、例え、価値が激減しようとも、少しでも資産になるものにお金を使う方が絶対に良いと思った。

2400万で買ったものが2400万で売れるとは思わない。

でも、その土地に近くに商業施設が出来たと言う理由で、買った時の3倍で売れたと言う話だってたくさん田舎にはある。

売らなくても、もし子どもたちがお金に困った時に、戻ってこれる場所を作ってあげられるだけでも意味はあるんじゃないかと。

もちろん賃貸で住むことが全くダメだとは思わない。

見知らぬおっさんにお金を渡す代わりに、面倒くさい手続きとか、物件の手入れとかそう言う事は一切しなくても良いから。

そう言う手間をお金を払う事で省いていると言う認識で賃貸なら、全然問題ないと思う。

ただオレはは、将来子どもたちに対して、何らかのものを残してあげたいと言う気持ちがあったから、この決断をした。

実家に戻らない事が決まった時、実際嫁とかなりいっぱい話し合いをした。

その上で二人で納得した結論として、持ち家を選択したことに間違いはないと思ってる。

そこから先がメッチャ大変だったけども。

まぁ、この大変だった理由は持ち家とは全く別のベクトルの話だったので、ここでは省くけど。

あともう一つ、マンションか一戸建てか問題について。

これについては、賃貸であるならどっちでも良いと思う。

ただ、買うのなら一戸建てしかない。

自分の意志で好きにできる事が持ち家の最大のメリットだと思ってるので、結局のところ、人様の土地に建てられた建物の1室に住む権利を購入すると言う意味でしかないマンションの購入になど、何の意味もないと考えてる。

だって、マンションの所有者側が、クソだったら終わりな訳でしょ。

購入するにあたって自然災害とかではない部分で、自分でどうする事も出来ない事があると言うのは、オレにとっては途轍もないマイナスでしかない。

まぁ、そんなこんなでオレは一戸建て持ち家と言う選択をした。

これについては、マンションの方が良いと言う事はホントにないと思うんだけどなぁ。

最後にもう一つだけ。

じゃあ、持ち家の奴が勝ち組なのかと言うと絶対にそんな事はない。

あくまでも人生においてそう言う選択をした人であると言う事だけ。

だって、上記の通り、別に金銭的に言えば、賃貸でも持ち家でもあんまり変わらない。別に結婚もしてないし、子どももいないのであれば無駄にでっかい家を買う必要なんて1ミリもない。

その人の選択でしかない。

たまにいる、持ち家マウントするやととかは、考え方を改めた方が良いよね。

と言う事で、今回はこの辺りで。

次回「土地を購入すると言う事」をお送りいたします。

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2023年12月6日 12:19 CAT :

あの頃の話を振り返る愚行を犯し続ける別にひとときでもなかった暗がり~その22

書き終わった分を含め、読み直しながら修正更新など進めているんだけど、如何せん1話が長い・・・

書きたい事が溢れすぎて止まらなかったんだけど、だとしても、1話で6000文字とかどうなんだろうか。

何となく、「序章のつもりで書いてた1部が30話を超えるなんて抵抗があるぜ!」と思ってたので、こんな感じになってしまったけど、2部以降は話数気にしないで1話2000~3000文字くらいにしたいと思っております。

お忙しい現代日本において一番罪深い事は人の時間を奪う事なのは間違いない。

その上で、こんな長ったらしい文章を読んで貰おうなんて恐縮しきり。しかも、オレの書いた文章なんかを。

長くてすみません。いや、ホントに。

そんな気持ちを込めながらも、少しでも多くの人を繋ぎ止めたいと言う邪な心意気で今日も今日とて書いていきますよぉ!

その前に一応、リンク張っておこう(↑)。

頑張って書いてるので読んでください。平に!平に!

さてさて。

第28話「解散騒動」。

高校生の頃にやっていた「シータ」と言うバンドでは、記憶にあるだけでも数回解散しようとした。

皆思春期真っ盛りで尖ってたからなのか、よく「解散」と口にしていた気がする。

カッコいいと思ってたんだろう。

「バンドは音楽性の違いから解散するもの」と言う共通認識があって、それが自分たちのバンドにも適応されると言う事が無意識的に嬉しかったのかもしれない。

いまなら、解散するとか、解散しないとか、そんなこと良いから練習しなさいよと思うんだけれども、当時はそう思ってたんだから、これはもうどうしようもない話。

ただ、実はこの頃の事について記憶が曖昧だったりする。

めっちゃ忙しかった総文祭前後の方が、色んな事があったのに一つ一つの情景をはっきり記憶してる。

一生懸命生きてなかったのかもしれないな。この時期・・・

ちょっと話がそれるけれども、当時の楽譜見たら、クリスマスライブに弾き語りで出演するために書き下ろした曲が残ってた。

ライブの日が12月23日だったから、「いぶいぶ」と名付けた曲。

ただ、高校1年の時のクリスマスライブにオレは絶対に出演してないんだよな。

と言う事は、タクヤに歌ってもらおうと思って書いたんだろうか。

それとも1年ずれてて、高校2年生の時2人で弾き語りユニットとして出演しようと考えてた時に書いたのか。

何かクリスマスライブに向けて、「いぶいぶ」の他にも「ブルームーン」とか「ねってぃ~+α」とか数曲クリスマスっぽい曲の残骸が残ってるんだよね・・・

まぁ、この辺の話もその内記憶が戻ってくるかもしれない。

戻らなかったら、スルーするだろうし。

そんな感じでございます。

1話が長いのでホントに申し訳ないけれども、残り3話お付き合いいただけますとうれションします。はい。

では、また次回。

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2023年12月5日 12:13 CAT :

きっと愛だけでは地球は救われない

感動ポルノだの、偽善だの、とにかく批判が多い24時間テレビ。

数年前には、NHKのまぢ障害者番組「バリバラ」で真っ向から批判めいた内容を裏の時間帯で放送されたりもした。

とは言え。

とは言えだ。

それでも、これまで500億円近い寄付金を集めたことは事実な訳で、まぁ需要があるんだし、それもいいんじゃないのと思ってた。

アホみたいに薄っぺらい「感動ポルノ」なんて映画でもドラマでも幾らでもあって、それを見て感動してるヤツだっていっぱい居る。

それなのに対象が障害者になると、感動の押し売りになるのはおかしな話。

それこそ障害者差別じゃあないのか。

オレはどっちも嫌いだけど。

ただ、今回の寄付金着服はさすがにどうなんだろう。

例え制作陣が「さて、今年も障害者を使った安い感動でアホな視聴者騙して金儲けしますか」と思っていたとしても、それを表に出してしまってはいけないよね。

バレバレだとしても、本人たちは「本当に社会貢献でやってます」と言う体を保ってもらわないと。

「うすうす勘付いてたけど本当に金儲けのためにやってたんだ」と言う認識が広まってしまったような気がする。

こうなってからの来年の24時間テレビでどうするのかは実に見物だと思う。

まぁ、テレビ局なんて視聴者を馬鹿にしてなんぼだと思ってる節があるから、多分「アホな視聴者は半年もすれば着服の事なんか忘れてるだろう」と言うスタンスで、いつも通りの内容を放送するだろう。

そうじゃなかったら、ほんとに凄いな。

反省したんだなと思う事にしよう。

そうはならないだろうけど。

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2023年12月4日 12:39 CAT :

あの高速道路の橋を 駆け抜けて君連れたまま

高校時代、深夜に「吉本超合金」と言う番組を生きがいにして、その日を生き延びていたと言っても過言ではないと思う。

「一番好きな芸人さんは?」と問うならば、未だに「それはヘキサゴン期以外のFIJIWARAですやん」と答える。

あれだけ、インパルス堤下をいじってたのに、自分が当て逃げをすると言う壮大なボケをして絶賛自粛中のフジモンには、もうテレビは諦めてYOUTUBEで体を張り続けていただく形でも良いので、復帰してもらいたいです。

以前にも、書いた事あると思うけど、ここ最近のコンプライアンスと言うか、異常なまでの締め付けは何とかならんのでしょうかね・・・

※参照記事 ⇒ 【退屈でギターを手にしたあの日から変わってしまったBaby Blue

犯罪を肯定するつもりはない。

ダメな事はダメで、しっかり償ってもらう必要はある。

でも、冷静に考えてほしい。

テレビに出て、好奇の目にさらされながら体張って皆を笑わせるとか、常識を持っている普通の人にできるはずが無い。

絶対にどっかぶっ壊れてないと出来るはずが無い。

ぶっ壊れてる人間に、常識や品性方向など求めても詮無い事ではないのでしょうかね。

「子どもが真似する」「子どもたちに悪影響」って、それは、親の躾の問題であって、メディアに出てくる人たちの性格とは関係ないと思う。

オレなんか、昔、親に怒られた時に「ダウンタウンがテレビで言ってた」と言ったら、「ごっつええ感じ」の視聴を禁止された。

でもオレは知ってる。

親父がオレを寝かしつけた(と思ってる)後で、こっそり「ガキの使い」を見ていたことを。

それで良いじゃないか。

今の時代にこそ、「キャシー塚本」を復活させるべきだと思うんだ。

食材を思いっきり無駄にして、冷蔵庫をドーン!っと倒して暴れ狂ってほしい。

そう言うものを見たい・・・

切に思う。

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2023年12月3日 12:25 CAT :

だから君は行くんだ どこまでも

先日、Xさんでもチラッと触れたけれども、今、(↓)の本を読んでる。

メッチャ内容が面白いのは、敢えて言う事でもないけれども、凄いためになる本だよ。これ。まぢで。

漫画家になりたい人は、絶対読むべきなのは間違いないけれども、それだけじゃなくて、普通に社会生活においてもかなり活用できると思う。

同じような感じで、荒木飛呂彦先生の「漫画術」って本もあったよな。

あっちはまだちゃんと読んでないんだけど、チラッと見た感じでは天才の頭の中を覗き見るにはディモールト良い感じだけど、自分の創作活動や社会生活に落とし込めるかと言うと、なかなか難しそうで食指が伸びなかった。

それに比べてと言うと語弊があるけど、この藤田先生の話は、めちゃめちゃ落とし込めてしまう。

少し前に、嫁から「なんで、暗くて重い話ばっかり描くのか」と問われた。

そこで、答えに困窮してしまったんだよね。

この「読者ハ読ムナ」では、自分の作品について「なぜ」を常に持つことが重要だと言う事を結構なウェイトで語られている。

そう言うものを書きたいんだよ。とか、そう言うものが自分の中から出てくるからだよ。ではダメらしい。

そういう奴は、藤田先生の仕事場では即クビになるらしい。いや、アシスタントとして勤めるつもりはないけれども・・・

物語においても、主人公の行動においても、設定においても、全てに「なぜ」を投げかけていく事で、しっかりと深堀していける。その結果、物語自体が動き始める。

ぐうの音も出ない。

ただ、露悪趣味的に描いてるつもりはないんだけど、言われてみればなんでオレはそんなお話ばっかり描いていたんだろう・・・

踏みつけられて脳みそが流れ出たり・・・

SMプレイとして指を切断されたり・・・

食べるものが無くて虫を生で食べたり・・・

槍で突かれて目玉が飛び出たり・・・

少女を緊縛して刃物を突き立てたり・・・

この辺りの描写とかモロですよね。

学生時代には、この世の全てに対して色々な憎しみをじっくりと持っていた訳で、それを吐き出す手段として漫画で暗い話を描いてたような気がする。

でも今、オレはそんなに世の中に対して深い絶望も、強い憎しみも持ってない訳で、敢えて暗い話を描く必要ってないんだよね。

いつの間にか何となくそう言うものを描くんだと、勝手に思い込んでた気がする。

立ち戻ってみよう。と。

そして、自分で描きたいものってなんだろうとか、そう言う事を自問自答してみよう。

これはあくまでも短編の話。

それとは別で、子どもの頃に描き切ることを決めた世界を掬い取る物語については、これからも相変わらず書き続けていくよ。

ただ少し物語の描き方は変わるかも知れない。

その位、面白い本だったよ。

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2023年12月2日 12:03 CAT :

師走の鬱に2本立てで対抗してみる

1年で一番苦手な季節がやってきた12月・・・

この時期には、放っておいても鬱っぽくなるのに、なぜか病んでしまうような動画とか本とかに兎角手を出しまくってしまい、その結果、毎年1年間で最も精神的にも不安定になってしまう。

それでも、1年の終わりには、今年はいい年だったと思って終わることが出来ているので、感謝しかない。

ありがとうございます。と、強烈な感謝をした上で、精神的な不安定などオレ個人の我がままでしかないと言う事も何となく理解している。

時期的なものはどうしようもないのだろうか。

苦手なのは12月なんだけど、嫌な季節は4月。

どちらも共通するのは、環境が変わる事が多かったと言う事だと思う。

今は4月になったとて、環境が変わることはないんだけど、それでも4月も苦手だよなぁ。

今年は、過去に類を見ないレベルでの環境の変化がこれから1月末までにかけてあるので、その辺りが影響しているんだとは思うんだけども。

閑話休題。

日野日出志大先生のベスト盤と言う大それた名前の本が発売されたので購入した。

「太陽伝」はどうした。とか、「赤い蛇」を抜かして何がベスト盤だ!とか、思う所は多々ある。

それでも、「蔵六の奇病」と「地獄の子守唄」と「地獄変」が収録されているだけでも、ページ数的には限界突破なので、十分にベスト盤だよな。

マンガ作品において、ベスト盤的単行本と言う形では、ここまで最良なものはないのかも知れない。

ただ、読んでいてなんか違和感があった。

何だろう・・・なんかいつもと比べて、恐怖感や哀愁が薄い気がする・・・

と思って、見直してみると、ページ単位で見た時の上下の余白。

こいつが非常に気になる。

これは、オレが持ってる別の単行本の「蔵六の奇病」のある見開き(↓)

で、こっちが今回の「ベストワークス」の見開き(↓)

本来は、最初の場面描写のみが断ち切りになってて、それ以外のコマと区別することで、読者に対して無意識に息苦しさとか、圧迫感を与えるような演出がなされている。

一方「ベストワークス」の方では、上下に余白があるために背景描写の方も断ち切りではなくなり、この物語最大の特徴でもある息苦しくなってしまうような圧迫感が著しく低下してしまっている・・・ような気がする。

その上、何となく物語全体に箱庭感が出てしまい、「これは所詮本の中の絵空事なんですよ」と言う感じが出てしまう。

これが違和感の正体だわ。

これって「地獄の子守唄」のような没入感ありきの話では、結構致命的な問題だと思うんだけどいいのか?

この本を作った人は、どう言う意図でこんな収録方法にしたんだろうか。

漫画家さんって、この断ち切り辺りの空間とか絶対作画時に計算して描いてると思うんだけどな~。

そんな感じで、収録内容には非常に満足なんだけど、チョッと不満な一冊でございました。

さて、元気出るかなぁ~

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2023年12月1日 12:48 CAT :

過去の自分を見つめ直すと言う名の水増しシリーズ第4段「悲しみを具現化できる世界などありはしないのです」

「悲しみを具現化できる世界」と言う設定を作ったのは、学生時代の事。

「ひとときの暗がり」がちゃんと書き終わった後に、リメイクしたいなと考えているもう一つの小説作品「夢喰いバクヲ」と言うお話の中に出てくる「悲しみを具現化できる世界」と言う世界観について。

この物語を書いた当時、自分の人生が苦しくてしょうがないのに、その苦しみを誰もわかってくれない事に絶望してた。

その上で、この悲しみ、苦しみが具現化できれば、如何にオレの悲しみが途轍もないかについて理解してもらえるだろうか。とか、そんな事ばかり悶々と考えていたんだよ。

最近、チョッとやばい気がしている。

あの頃と比べると圧倒的に恵まれた状況にあると思う。

それなのに、この「悲しみを具現化できる世界」の事をいっぱい考えてしまっている。

あんまりよろしくないよなぁ。

「悲しみを具現化できる世界」について、振り返ろうと思ってこのブログの過去を漁っていた時に見つけた記事でございます。

YOUTUBEの動画も切れていたので、改めて紡ぎ直してみる。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

猫が「死ぬ」と言う事象を理解しているとは断言しない。

それでも、大切な人が動かなくなった事が嫌で嫌で、もう一度だけでいいから動いて欲しいと思った。

そんな気がする。

BGMが、鼻に付くので、見るときはゼヒとも、ミュート状態で見る事をオススメします。

泣いてしまうことが出来るのなら、それは心持ちの優しい人か、心持ちに余裕のある人なのだろう。

その感情に「悲しみ」と名付けるのは、人間だから。

そんな気もする。

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2023年11月30日 12:21 CAT :

手間と労力が報われることのない別に風を切るわけでもない日々を過ごす~その3

当面は1ヵ月に1話描き切る事を目標にしてはいるんだけど、ここから先、12月は色々忙しそうな匂いがしているので、ここに来て、最初の山場になりそうな気がしないでもない予感。

あとここ最近、気持ちが落ち込み気味で、アホみたいなポカやらかしまくってるので、それも不安材料ではあるんだよなぁ~

まぁ、それはそれとして、少しでも多くの人を繋ぎ止めたいと言う邪な心意気で今日も今日とて書いていきます!

その前に一応、リンク張っておこう(↑)。

頑張って書いてるので読んでください。平に!平に!

さてさて。

第3部25話「コロッサの戦い(2)」の話。

この回については、とにかく1コマだけ、何度描いても納得できないコマがあった。

結局、今も何となく納得はしてないけれども、その流れについて少しだけ・・・(お礼絵にもあったヤツだけども)

そもそも、最初のネームで書いた段階のものはこちら(↓)

プログラムをミデアに奪われて、インヒが「めんどくせぇなぁあああ!!」ってなるシーン。

ブチギレてると言うよりは「ああああああああああもおおおおおおお!!思い通りに行かなくてムカつく!!」みたいな感じにしたかったんだよ。

ネームの時には頭の中にさっくりイメージ湧いてた。

で、実際に描いてみたやつ(↓)

なんか違う。

こうじゃない。

ネームを見直すと、あぁ、ブチギレてるんじゃないのか。もう少し伏し目がちで「ああああああああああ!!」ってなってる感じか。

と言う事で、もう一度書き直してみる。

一応、これでOKと言う事にして、最後まで描き切った。

その上で、見直してみるとやっぱりこのコマが気になってしょうがない。

どうしようか悩んだけど、どうしても納得が出来ない。

久々に昔から漫画描きにずっと愛用してたシャーペンとGペンを取り出してアナログで「こういうイメージなんだよなぁ~」と描いてみると、何か頭の中のイメージに一番近かった。(↓)

結局、アナログ環境で描くのが一番思い通りのが描けると言う事らしい・・・

この絵で良いかなと実際にコマに当て込んでみる。

ここへきて分かった事は、他のコマと比べるとアナログで描いた線がめっちゃ浮いてるのよ。

クリスタさんって相当自由に漫画が描けると思ってたんだけど、線がキレイすぎるんだよね。

個人的には、線一本にも感情は宿ると思ってる派なんだけど、この線では感情は出せないよなぁ。と思った次第です。

まぁ今回の場合、線に感情が云々は置いておいて、普通に角度的なものとあとは、筆ペンの掠れ具合の話なんで、この絵を基にもう一回、クリスタさんでトレースしても良かったんだけども。

懐古主義者なのかもしれないけど、やっぱりアナログ派のおっさんみたいです。

解決策は、アナログで描いて、パソコンで加工すると言う形しかないのか・・・

ただ、流石にそれでは今の状態では、月に1話描ける気がしない。

クリスタさんの設定とかでもっとアナログに近い感じ出来る方法があるのかもしれない。

操作方法については、超不勉強だしね。

色々思い悩むお年頃でございます。

次回更新は、12月26日を予定しております。

show must go on!

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2023年11月30日 8:41 CAT :

過去に追い立てられた先にある暗闇の中 射す一筋の光は見つからない

いつ死ぬか分からないから、悔いのない生き方を

と、強いられて生きている

死ぬことを考えなければ始められない事なんてきっと続きはしない

生きる事を考える

生きるために始められた事はきっと死ぬまで続けられる

死ぬ事は1度きり

今日を生きる事は死ぬまで延々と続く

死体を眺めて考える朝

今日も空は厚い雲に覆われている

雨はまだ降らない

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2023年11月29日 12:32 CAT :

あの頃の話を振り返る愚行を犯し続ける別にひとときでもなかった暗がり~その21

いよいよ終盤に差し掛かってきた「ひとときの暗がり」第1部。

とは言え、これ第1部なんだよ。

ぶっちゃけて言えば、第1部は本編に向けた序章だと言う認識で書いてた。

なのに、書き始めると「あああ!こんな事もあった!」が繰り返されて、気が付けば全31話。

全然序章じゃなかった。

うむむむむ・・・

まぁ、その位先がまだまだ長いので、少しでも多くの人を繋ぎ止めたいと言う邪な心意気で今日も今日とて書いていきますよぉ!

その前に一応、リンク張っておこう(↑)。

頑張って書いてるので読んでください。平に!平に!

さてさて。

第27話「Janne Da Arc」。

いかに「リュックベッソン」と言う監督に影響を受けたかと言うお話を書こうかとも思ったんだけど、それより、ケンカの話だよなぁ。

オレと、このタクヤの元ネタの奴とは、幼稚園からの腐れ縁なんだけど、ホントに仲が悪かった。

お互いの存在を認識してはいたけど仲が悪いまま。

高校生の時、他に知り合いがいなかった為に緊急避難的な感じでつるむようになった。

でも、元々そりが合わなかった訳で、ケンカが絶えない。まぢで毎日なんかかんかでケンカしてたと思う。

内容もクッソくだらない事が多い。

「笑う犬の生活のコントの好き嫌い」だったり、「好きな音楽をけなした」だったり、「作曲する時コード進行に頼る奴はセンスがない」だったり、「歌詞が書けないのは恋愛経験が足りない」だったり・・・

ホントクソどうでも良い事で毎日ケンカしてた。

ただ、ケンカの回数が増えるほど何だか仲良くなっていったような気がする。

ちなみに、今でも正直全く趣味が合わないし、考え方も多分ズレてる。

それなのに、こいつは今オレと一緒にいる。

それどころか会社運営をして、それぞれ別の部門を立ち上げて、お互いのやりたい事に取り組んでる。

何か良く分からん関係なんです。

まぁ、その辺は別に理解してもらう必要はないと思うんだけど・・・

ただ、この意味のないケンカに巻き込まれちゃった人は悲惨ですよね。

一番ケンカに巻き込まれてたのは、間違いなく演劇部の部員さんだったと思う。

まぁ、今回の本編であった巻き込まれ方は、その中でも一番悲惨な巻き込まれ方だったよなぁ~。

今更だけど、あの時は申し訳なかったです。

いや。ホントに。

最後に、この回のお礼絵を。

「リュックベッソン」の「ジャンヌダルク」って映画も、バンド「janne da arc」も素晴らしいですよ。

と言う事です。

「劇ハマり」じゃなくて「激ハマり」ですね。

では、また次回。

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2023年11月29日 8:08 CAT :

幸せな夢は冷たい雨の降り注ぐ朝にだけ記憶に残る

夢を見た

幸せな夢だった

幸せな夢を見るほど 人生に絶望していたことに無理やり気づかされた朝

外には強い風は吹きすさび

冷たい雨が降り注ぐ

笑顔で横にいてくれた君がもうこの世には居ない事を再確認する

お庭へ行こう

君が眠っているお庭へ行こう

今でも君が育てているモクレンの木の下は今年も落ち葉でいっぱいになった

まるでそこに眠っている君の姿を隠すように

晴れ間はきっと虹を連れてくる

だけれども虹なんか見ても傷が癒える事はない

誰だって知っている

僕だって知っている

君はもう起き上がらない

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2023年11月28日 12:26 CAT :

泣くだけの我がままなら いつでもできる

お金がないですな。

お金がないのに、支出がえぐいですな。

これはよろしくない。

ここで何が出来るかと言えば、それはただ一つ。

お仕事を頑張る。

今年一年、創作活動をたっぷりやれたと思う。

でも、そのせいでお仕事自体が停滞したとも思えないんだよなぁ~

いや単純に家関係とお引越しでの支出が数千万単位になっていると言う事が、どう考えても一番の原因ではあるんだよね。

何しか、今途轍もなくしんどい。

まぢで、過渡期はしんどいなぁ!

気持ちはもうあっちに向いてるのに、現状で色々不満抱えながら日々の事も進めていかないといけない。

頭の切り替えがこの上なく難しいんだ。

そんな時は、やるべき事だけに集中できればいいんだけど、それすら難しいと言う体たらく。

今目の前にある事だけに集中さえできれば、きっと道は開けると信じている。

今更、全集中の呼吸でございます。

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2023年11月27日 12:50 CAT :

もう大丈夫と信じて振り返る 改めて「お家を建ててみよう」 序章

以前(と言ってももう2年半も前だった・・・)、1話だけ書いて立ち消えになってしまった「お家を建ててみよう 第1話「土地を買ってみよう」」と言うシリーズ。

この後、すぐにこの不動産屋さんとトラブルになった事や、家を建てるってすげぇと脳内お花畑になってた自分が恥ずかしくなり、立ち消えになった。と言うか書くのを止めた。

不動産屋とのトラブルについては、今も裁判係争中。

裁判が一区切りついたら、「不動産売買であった怖い話 第2部」として漫画にしようと思ってる。

こちらの予告の奴。

これはこれで、なかなかない体験だしね。

ちなみに、予告で描いていた第3部の方は、ある程度話も完結したんだけど、そっちは、オチも含めてそこまで面白い話にならなかったし、その経験から得た不思議な話は今、インスタの方で細切れにアップしてるので、多分もう描かないと思う。

それはこの予告の奴。

その上で、以前少し触れてはいたけど、この話を実現させようと言う事ですよ。

土地売買についてはもちろん完了し、その後の諸問題も先日全て片付いた。(今回については周りの人がめっちゃ良い人達で、信じられない位協力してくれたお陰なんだけど・・・)

お家の方も引き渡し間近まで来た。

もう、問題は起きないと思う。と言うか、信じたい。

その上で、今回の3年に渡る家を建てると言う人生の一大イベントの経緯をいくつかに分類して、書いて行こう。

と、そう言う訳でございます。

多分、「一戸建てかマンションか。賃貸か持ち家か」「土地を購入すると言う事」「ハウスメーカー巡り」「お金をかき集める」「打ち合わせの悲喜こもごも」「恐ろしい税金」「引き渡しでは終わらない」位の章立てで書けたらいいかなぁと思っております。

何となく、あと10年もすればオレみたいな中流以下の一般人が自分で家を建てることが出来ない時代が来ると思う。

それどころか、中古物件の価格も高騰し、リフォームすらままならなくなるような気がする。

もし家を自分で建てたいのであれば、この10年が多分勝負なんだろう。

そんな人のお役に少しでも立ててればと思ってるんだけど、いつものように何の役にも立たない話になるような気もしてる。

前置きがツラツラ長くなってしまったので今日はここまで。

もう以前のような書く書く詐欺にはならないと信じているよ。未来のオレくん。

次回を待て!!

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2023年11月26日 12:37 CAT :

中也のパクリはもう辞めた

中学生の頃、割と恩師的な立場で凄く良くしてくれた国語の先生が「良いか。学校の勉強で一番出来ないといけないのは文章能力だ。これが無ければ、まず問題文が理解できないから土台にすら立てない」と教えてくれた。

馬鹿正直だけが取り柄のオレはその話を真に受けて、その先生が進めてくれた「新聞の社説を毎日読んで感想を書く」を言う方法を中学生の間と、高校生の受験勉強の間ずっと続けた。

その結果、劇的に文章を書けるようになったと思う。

それまでかすりもしなかった賞などにも引っかかるようになり、高校の時の県下統一テストで奇跡の24番を取った(現国だけだけど)。

香川県で、オレより文章能力高い奴は23人しかいないのか!!と、お鼻高々天狗さんになったもんだ。

その後大学進学後も文章能力を磨き続け、日本語文章能力検定なるものの1級も1発で取ることが出来た。(そもそもこの検定が凄いものなのか知らないけど)

と、ここまで散々自慢タラタラ書いてきたけど、このブログやオレの小説をちらっとでも見ていただいた奇特な方はお分かりいただけるだろう。

オレの絶望尾的な問題点について。

圧倒的なまでの誤字脱字の量ですよ。

これは、後年になって(と言うか、つい最近)ADHDの注意欠陥多動性障害と言う素敵な病名をいただく事である程度、原因と言うか理由を理解できた。

今は、薬を飲むことで多少この症状についても緩和出来つつある。

逆に言えば、緩和してこの程度なんだよ。

こればっかりはねぇ・・・

どれだけ文章能力を磨いたとて、この障害を抱えている以上はある程度の誤字脱字はしょうがないと諦めるしかないのか・・・

高校時代、オレの書いた演劇の台本を、「守山部長」「黒崎先輩」のモデルになった人が全て、代筆清書してから皆に配ってくれた。

大学時代、オレの書いた演劇の台本を、「ウェズリー」と言う劇団の女の人が全てパソコンに打ち込んで形にしてくれていた。

そう言えば以前、小説を賞に応募しようとしたときには、嫁に全て添削してもらった。

人に助けられて何とか誤魔化し誤魔化し生きてきたんだよ。

今は、そんな人もいないまま、自分で書いた文章をそのまま表に出している。

ええと・・・

何が言いたいかと言うと・・・

誤字脱字めっちゃ多いけど、許してちょんまげ。

と言う事でございます。

一応、wordさんの文章校正機能を使ってチェックはしてるんだけどなぁ。

それでも誤字脱字が止まらないんだよ。

もう一度言う。

許してちょんまげ。

もしくは誰か助けて。

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2023年11月25日 12:29 CAT :

友達はいないからノートにネコの絵を描く

何とか11月も「風を切る日々」の原稿完成した。

いやはや、良かった良かったですよ。

なんだかんだ言いながら、1ヶ月に1話描けるならペースは遅くても確実に物語を進めていくことが出来る。

無理のないペースで頑張って行きましょうね。はい。

どうでも良いけど、Xさんの方で良くつぶやいている「人物ペン入れ完成した!」と言う報告と、「あとは、仕上げだけ」と言う報告。

オレの場合、実は、人物ペン入れと仕上げだと、圧倒的に仕上げの方が時間がかかる。

これ、先日作画を動画に上げてたページなんだけども、まずは下書き。

下書きはざっくりやるので大体5分以内で描ける。

次にペン入れ。

人物だけで描いて行く。このページなら大体20分くらいで描ける。

で、仕上げ。全体的な質感とか陰影、ベタ、トーン、あとある場合は背景、書き文字など。

これが普通に1時間以上かかるんだよ。

まぁ、この仕上げが「おおお!マンガっぽくなった!」ってなる作画では一番テンション上がる工程ではあるんだけども。

ちなみに、全ての工程で一番楽しいのは、頭の中で描きたいシーンを妄想してニヤニヤしている時だと思う。

これは、漫画描く人なら誰でも共感してもらえるはず。

こちらの話は、11月23日更新なので、この記事をアップした時にはもう更新されているはず。

よろしくお願いいたします。

平に!平にぃ!!

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2023年11月24日 12:16 CAT :

あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ

タロットカードとか、ルノルマンカードとかを愛用しております。

ペンデュラムの「ペンちゃん」も愛用しております。

あと、守護龍ちゃんとも仲良くしております。

などなどのスピリチュアル関係、オカルト関係のお話をすると、引く奴と尋常じゃなく前のめりな奴がいる。

いや、引く奴は引けばいいんだよ。

そんな奴とは仲良くなれない。と言うだけだからね。

ただ、尋常じゃなく前のめりな奴でたまに「どうすればいいですか?お宅に行けばいいですか?」と急に言われるパターンの時はどうしようかドギマギしてしまう。

オレは、別にお金を取って占いしてたり、幸せになる提言を伝えるメッセンジャーをやってたりする訳じゃなくて、ただそう言う事が好きで、遊んでるだけなんだよ。

自分や家族までだ。

それ以上の人に対して、何かしようなんて考えてない。

ただ、それはそれとして、タロットカードとかについては、ホント何らかの力が作用しているとしか思えない結果が出たりするので凄いなぁと思っててしょうがない。

昨日の夜から何度やっても、ワンドの7ばかりが出やがる。

しかも、ペンタクルのナイトと良くセットで出てくる。

特にワンドの7については、ペンちゃんもぐるぐる回ってお知らせしてくれている。

うまくやれば、優位に物事を進められるチャンスがおそらく今週やってくるんだと思う。

信じるか信じないかはあなた次第ではあるんだけど、オレはタロットもルノルマンもペンちゃんもお友達だと思ってるので、友達の言う事は信用する。

って思ったんだけど、この記事がアップされる頃には、今週終わってるのか。(この記事書いてるのは20日の月曜日・・・)

結果がどうだったのか・・・またその内報告します。はい。

ワンドの7とは、このカードでございます。

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2023年11月23日 12:46 CAT :

答えが見つからないもどかしさで何時からか空回りしていた

ハライチ岩井さんのご結婚の件で、世間がチョッピリざわついておりますな。

いや、結婚自体はおめでたい。

出会った時に13歳だったと言う点が、その位のお年頃の娘のお父さんとしてはチョッと微妙な気持ちではあるけれども、まぁ、それはそれ。

芸能界なんだし、そんなもんでしょ。

と言う話題とちょっと関連するんだかしないんだかなお話。

Xさんとかのフォロワーさんで、オレ知らない内に未成年のお方と相互フォローしてたみたい。

基本的に、プロフ欄に「中2」とか書いてくれてるアカウントは避けてたんだけど、Xさんの「おすすめユーザーさんを一括フォロー」みたいな機能をつかった時とか、特に記述がないけど、ポストの内容見てたら「あれ?こいつもしかして中坊?」みたいな時とか・・・

自分の感覚で考えて、娘に対してまだ話さない方が良いようなお話とかでも、オラオラ書いてたりするので、これ大丈夫か?と最近不安になっております。

別に年がら年中「おまんこ大好き!!」とか、書きまくって発情してる訳ではないけど、それでも時々頻繁に18禁な発言が多々あるんだよ。

オレ個人で言えば、中学生の頃から、なかなかなものを見聞きしてたし、今の時代ネットでちょっとでも調べれば、無修正画像で溢れかえっている。

とは言え。とは言えだ!

それとこれは別問題ですよ。と言う気持ちもない訳じゃあない。

別にオレのポストであったり、ブログであったり、漫画であったりを、皆が皆じっくり見てくれていると己惚れるつもりは毛頭ないんだけど、もしちょっと目に入ってしまったら申し訳ないなと、そんな事を思っている訳でございます。

まぁ、節度を守りましょうね。と、自分に戒めて生きていくか。

ただ、過去の投稿はもう手遅れなので、その辺はご勘弁ください。

あと、どう考えても未成年にはアウトな表現、記述が色々あると思うので、この記事見て「うわ!こいつやべぇおっさんだ!」と思った中二病真っ盛りの男の子女の子は遠慮なくリムってくれ。

そんな事でピリピリするような歳でもないんでな。

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2023年11月22日 12:14 CAT :

あの頃の話を振り返る愚行を犯し続ける別にひとときでもなかった暗がり~その20

何か気が付いたら、前回のこのシリーズの更新からもう1週間も経ってた。

折角、アップとのタイミングの剥離をなくそうとしてたのになぁ。

まぁ、それはそれでしょうがないか。

と言う事で、少しでも多くの人を繋ぎ止めたいと言う邪な心意気で今日も今日とて書いていきますよぉ!

その前に一応、リンク張っておこう(↑)。

頑張って書いてるので読んでください。平に!平に!

さてさて。

第26話「全国高等学校総合文化祭」

バンドでの音楽は別として、オレが自分で作った物語が初めて公で発表されたのが、この高校1年生の時の総文祭だったはず。

今でこそ、当たり前の様に自分の作った物語や漫画とか、映像作品をネットと言う媒介を通して、気軽に発表できるけど、この当時にはそんなものは皆無だった。

まだ、コミケと言う文化すら、今よりも全く浸透していない。

当時、自分の作品を色んな人に見てもらうと言うのは、想像以上にハードルの高い行為だったと思う。

高校生の頃、将来の夢は漫画家だとよく言っていた。

言っていたけれども、本当に漫画家になりたかったのか。と言えば、それは意外に微妙だったかもしれない。

どちらかと言えば、自分の考えた物語を色んな人に見てもらいたいと言う欲求の方が強かったような気がする。

なので、今、自分で描いたマンガやら小説やらをネットを介して公開できていて、それを沢山の方に読んで貰えていると言う状況がそれだけでありがたい。

古屋兎丸先生が、デビュー当時ガロで原稿料を貰えなかった時の事を「自分の漫画をただで雑誌に載せてもらえるだけで凄い事だった」と言ってた。

まさにその感覚なんだよね。

原稿料を貰えるかどうかは二の次で、お金もコネもない自分の作品を如何に、誰かに見てもらえるようにするかが一番の壁だった。

この時の演劇部でだって、言ってみればオレ以外にも何人も台本を書いてる先輩がいて、その人たちも自分の作品を如何にして発表できるかを模索してたはず。

その中で、オレは自分の書いた物語を選んでもらって、それを部員さん皆で形にしてくれていたのだと考えれば、相当ありがたい話だと思う。

ホント、今は良い時代になりましたよ。

ちなみに、この回のお礼絵。

「総文祭とはいかに?」と言う事について、チョッと描いております。

ここでも触れてるんだけど、総文祭を題材のメインにしたような漫画ってあったっけ?

所詮文化部。

やっぱり、スポーツマンガの様に華がないんだろうね。

あと、文化部の場合、文芸部や漫画研究部、演劇部などは総文祭ではなく、その先のプロの方がどうしたって華があるから、そっちが物語のメインになるだろうし。

いつか、「ひとときの暗がり」とは別にフィクションで、総文祭を勝ち進んでいく演劇部の物語も描いてみたいな。

などなど思っております。

今回はこの辺りで。

また次回に。

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2023年11月21日 12:24 CAT :

誰かがこっそり木の実を埋めた小道を練り歩く

今更、新しくバンドを結成して、ライブハウス巡り・・・と言うテンションにはなれなくなってしまった。

とは言え、「音楽活動をやりたい」と言う欲求がない訳ではない。

人生において、これだけは完成させなければいけないと言う物語がある。

その話についてはこちらから⇒【いつか死ぬとしても今はまだ死ぬ時ではないかもしれないかもしれない】

上記の記事にもあるそのほとんどが、実はある程度形になってきている。

人生も半分以上はもう過ぎただろうしね。

まだ、一応の形でさえ完成していないのは、現在制作がストップしている「やみ。世界」と、全く未着手の「連歌「忘却」」の2つ。

あと、物語ではないけれども「陀悪」と言うコンセプトアルバム音源も構想はあるにしても宙ぶらりんになっているか・・・

そうなんだよ。

マンガとか小説はコツコツやり続けた結果、ある程度構想を消化できてきているんだよ。

「風を切る日々」とかだって、あくまでもリメイクな訳で、元ネタの「ランナウェイデイズ」は高校時代に完結済み。

ただ、完成してないけど「やみ。世界」は、最後までのある程度のプロットと途中まで書きかけの状態とは言え形があるっちゃあるんだよ。

どちらかと言えば、完全にストップしている音楽活動の方がよろしくない。

HIDEの「ZOMBIE’S ROCK」状態。

そうなると、またこっちも再開したいなと言う欲がね。沸々と湧いてくるわけですよ。

現状では、ホント時間的に厳しい気はする。

だからと言って「無理無理」言ってたって、何にも前には進まないので、取り合えず、何とかできる方法を考えようじゃないか。

今年の3月くらいに「ブログの毎日更新」と「漫画を描く」「小説を書く」を目標にして、やり方を考えた。

その結果、なんだかんだと、今年は尋常じゃない量の文章とまぁまぁの漫画が描けたと思ってる。

現時点で・・・ざっくり言うと、小説が1話4000文字平均くらいで20話。8万文字くらい。

ブログは1000文字程度を目安にしつつ、240記事くらい書いてるので、24万文字も書いてた。

マンガも、4月に短編が1つと、「風を切る日々」が今再開後、今ほぼ3話目まで描けたので、全部で100ページ弱くらいか。

近年稀にみる物量だと思う。

だからこそ、あとはここに音楽を・・・と思ってしまうわけですよ。

まずは、サビ付いた弦を張り替えて、ギター自体の手入れから始めようか。

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2023年11月20日 12:31 CAT :

謎の自慢話とすかしマウント野郎

子どもの頃と言うか、生まれたばかりの頃の話。

すぐに妹が生まれた関係で、オレは、1歳に満たないくらいから幼稚園に通い始めるまで、毎日母親の実家に預けられていた。

そのせいなのか良く分かんないけど、母方のじいちゃんばあちゃんの存在がとにかく大きくて、じいちゃんばあちゃんが居るから何とか自我を保ってました感で生きてきた。

小学5年の時、ホントに突然じいちゃんが亡くなった。

この時の事に関しては今でも夢に出る位悔いが残ってる。

何だったら、これまでの人生で唯一くらいの「あの時こうしてればな」と言う強い後悔を持ってる。

ばあちゃんの方は、ありがたい事に随分長生きしてくれた。

昨年、そんなばあちゃんが亡くなった。

コロナの影響で、福祉施設に入所した後は面会さえほぼできなかったため、最後にあったのは昨年の正月と言う何とも不本意な感じだった。

そうは言っても、結婚して嫁を紹介するどころか、ひ孫を見せる事も出来たし、じいちゃんの時と比べると後悔してる感じではない。コロナ憎しではあるけども。

ただ、今も実は全く立ち直れていない。

本当に人生に絶望して、どうしようもなくなった時の最終手段「ばあちゃんに会いに行こう」が潰えてしまった。

変な話だけど、最後の砦が無くなった状態で生きている感じがしている。

いつまで独り立ちできてないんだと言う話なんだけど、やっぱり幼少期の影響って多分でかいんだろう。

ふと「もうばあちゃんいないのか・・・どうしよう」と不安になる事が、未だにある。

ありがたいと言って良いのか分からないけど、時々ばあちゃんが近くにいる気がする時がある。

なんだったらじいちゃんと2人でいる気がする時もある。

時々2人で様子を見に来てくれているんだと信じている。

そんなばあちゃんのお葬式の夢をなぜか突然見た。

ばあちゃんの葬式なのに、これまでに亡くなった親族が全員参加していて、子どもの頃大事にしてもらった親戚のおっちゃん、おばちゃんと久々に凄く楽しく話をした。

ついでに、なぜかばあちゃんもそのお葬式に参加していた。

ばあちゃんのお葬式なのに、ばあちゃん本人が参加してた。

未だにばあちゃんの横が特等席なオレが、ばあちゃんの横に座ると「久しぶりやなぁ。元気してたか」と声をかけられた。

なぜかオレはこの前買ったお財布をばあちゃんに見せて「これ、日本では売ってない珍しい奴なんやで!」と良く分からない自慢をした。

「ほうか。ほうか。ええ財布を持っとるな。いっぱいお金が入るようになるわ。」と細い目をしわくちゃにして笑ってた。

「ばあちゃんなんか、急な葬式やから服もそのままでふが悪いのぅ(方言で恥ずかしいの意味)」とも言ってた。

考えたら、いつも何か本当にしょうもない事をばあちゃんに報告して、褒めてもらおうとしてたた。とか、そんな事をいっぱい思い出した。

久々のばあちゃんとの会話でなんでそんな話をしてんだよ・・・と夢ながらモヤモヤしてるけど、久々にばあちゃんに会えた気がして、嬉しかったんでございます。

そんなお話。

こう言う事をもっと長い時間繰り返していけば、立ち直ることも出来るかも知れないな。

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2023年11月19日 12:33 CAT :

「弱い」と言う武器を振りかざす剛の者

鬱病になった時とか、今現状の発達障害を何とかしようとか、これまで精神科系で何人かの先生やカウンセラーさんに診てもらってきた。

ひたすらうんうんと言って聞いてくれる人、凄いねって褒めてくれる人、やたら薬いっぱい出してくれる人、雑談を交えて和ませてくれる人、何か知らんけど雰囲気が良い感じの人など、ホントに色々。

ただ、一つだけ確実に言える事は、先生の相性と言うものが圧倒的に存在していると言う事だと思う。

当たりハズレと言う事じゃない。

そのやり方が合うかどうかが全て。

最初に診てもらった先生は、不安を取り除く薬(確か、ジェイゾロフトとかいう奴)とか睡眠薬とか、何かにつけてお薬をくれた。

今、かかってる先生はそもそも鬱になるほど追い詰められた原因が発達障害だから、そこを少しずつ改善する事から始めませんかと、生活改善とそのためのお薬をくれた。

前者は、まず回復させることに重きを置いている先生で、後者は、根本的な問題解決が大切だと思ってる先生だったんだろう。

どっちが正解とか言うつもりはない。

ただ、オレ個人の考え方としては、楽になったとしても、根本的に解決はしてないままでは、そもそも安心材料にはならないと思ってたので、後者の先生の考え方の方が自分には合ってたみたい。

でも、ホントそれだけ。

今の社会は優しくなった。

オレが子どもの頃なんて、発達障害と言う言葉自体がほとんど知られてなくて、オレはジッとできない、忘れ物ばっかりするうっかりものとしてクラスでつるし上げれるばっかりだった。

もう少し昔だったら、座敷牢に入れられていたかもしれない。

2000年くらい前だったら、生まれた時に「ダメだこりゃ」と間引かれていたかもしれない。

一つだけ言えることは、この辺りの事がビジネスになってきていて、「弱者」と言う免罪符を振りかざす強者が出現しつつあると言う事。

発達障害だから許されるんじゃなくて、人並みになるためには100倍努力しないといけないと言う事は肝に銘じて今日も頑張ります。

はい。

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2023年11月18日 12:11 CAT :

少女の悲鳴にも似た声が聞こえるとか聞こえないとか

心霊番組が最も流行ったであろう90年代に小学生だったおっさんです。

一番多感な時期に、テレビをつければ心霊番組が放送されていた。

1999年には本気で世界が滅びると信じていた。

そんな経緯もあって、心霊系の話が心底大好き。

実際に、結構ヤバ目な心霊スポットを巡った結果、尋常じゃない怖い経験をしたこともある。

実家でいた時にも色々心霊体験をして育った。

今、住んでいる家でも、色々と心霊体験を実際に経験している。

いくつか例を挙げると・・・

〇大家さんが使えないように鍵をかけて入れなくしている仏壇のある部屋から人がモノを探す音がする
〇深夜よく人が廊下の先で見切れる
〇絶対廊下を歩いてるとしか思えないレベルの足音が聞こえる
〇明かり窓に完全に人影がある
〇写真を撮ると明らかに写る
〇消し忘れでは説明がつかないレベルの頻度で、電気がついてる(エアコンが付いてる事もある)
〇落ちてくるわけない状況で、押し入れの中のものが突然落ちてくる

などなど、なかなかキリがないレベルで色々起きているんだよ。

まぁ、それはそれとして、昨今のテレビではそう言う心霊番組がほぼほぼ消滅してしまった。

別に心霊現象は良いんだよ。それは、生活の中でいっぱい体験してるので。

そうじゃなくて、怖いホラー系の番組を見て「ああああ・・・怖いよぉおおお」って言いたいんです。私は。

そこで・・・

どーーーーーーーーーーーーん!!

「オウマガドキFILM」と言う、YOUTUBEチャンネルですよ。

これがもう、本当に古き良き心霊番組・・・いや、それを遥かに超越するめっちゃ怖い雰囲気満載。

一部には、ヤラセだのなんだのと言う詰まんない事を言ってるヤツもいるけど、何を言ってるんだ。まぢで!ヤラセな訳ないだろう。

こう言うものは事実がどうであれ、100%事実だと信じて見てなんぼでしょうが。

とにかく怖い。

企画が素晴らしいし、構成も演出も完璧。

もう数年程ずっと見てる。

そんなオウマガドキFILMなんだけど、色々な事情でYOUTUBEで一般公開できなかった曰く付きの動画を配信しているメンバーシップも存在している。

これがさぁ・・・まぢで、ずっと見たかったんだよ。

でも、月額1000円はチョッと勇気のいる金額な訳で、悶々と悩みに悩んで気が付けば1年が経っていた。

我慢の限界・・・

岡田斗司夫ゼミのメンバーシップだったんだけど、もう最近動画見なくなっていたので、そちらを解約しました。

そして、そのお金でついにオレはOMGクラブのメンバーになった訳でございます。

早速見たかった動画を見まくってる。

正直に言おう。

悔いはない。

むしろ、安い。

入ってよかった。

ホントに良かった。

この素晴らしさをもっと色んな人に広めたくてウズウズするんだけど、ネタバレしてもしょうがないし、とにかく見てほしいんだよなぁ。

特に、ずっと話題に上がってた「キメラ」と言う名前の動画がホントにヤバかったです。

年の暮れは、ホラー動画三昧で生きていきます。

はい。

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2023年11月17日 12:35 CAT :

過去の自分を見つめ直すと言う名の水増しシリーズ第3段「「GREEN vs RED」について書いてみたらこんなに長くなってしまいました。4年ザクロ組志茂田 聾二」

なぜか未だにアクセス数が多い記事で、且つ昔過ぎてレイアウトが崩れてしまっていると言う記事もやっぱりリバイバルするべきだと思っております。

思っておりますよね。

はい。思っております。

と言う事で、ほぼ不動で記事人気ランキング3位に位置しているこちらの記事で、水増ししておきましょう。

作品自体が名作で、しかも考察の余地が物凄く残されているからこそなんだろう。

もちろん、この記事で書いているのはあくまでもオレの個人的な感想であって、正解だとは思わないです。

予防線を張ったところで、初めて行きまっしょい。

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ルパン三世史上、最大の問題作と言われる「GREEN vs RED」を見た。

全く知らなかったこの作品なんだけど・・・感想を一言。

いやね。

どうしても書くたくなってしまったんだよ。どうしても。

結論を先に書いてしまおう。

めえええええええええええええええええええええええええええええっちゃくちゃ面白かった。

ルパン三世の、最高傑作と言えば真っ先にこの2つが思い浮かぶと思う。

宮崎ルパンとしての最高傑作「カリオストロの城」。

テレビルパンとしての最高傑作「バイバイリバティー危機一髪」。

この二つに勝るとも劣らない物語としての最高傑作。

それが、この「GREEN vs RED」だ。

間違いない。

とは言え、「GREEN vs RED」自体は賛否両論。

特に「否」の意見が多いらしい。

その人達の意見はこうだろう。

「こんなもん。ルパンじゃあない」

「話が難解すぎる」

ルパン三世と言えば可愛いヒロインが出てきて、ド派手なアクションを楽しめて、いつものメンバーが大活躍する爽快な冒険活劇。

それを期待する人の気持ちも分かる。

だって、それはあくまでも何十年もかけて作りこまれた、テレビ版ルパン三世のテンプレートなんだもん。

アニメルパン三世である以上、そのテンプレートから逸脱する作品は、「ルパンじゃない」となるのは当然。

でも・・・それでも、オレはこのルパン三世は、圧倒的に面白いと思う。

理由でも書いてみよう。

ここから下は、ネタばれするよ。

未見に奴はぜったい読まない方が良いよ。

絶対後悔するよ。

分かったな!!

 

 

 

 

 

 

よし、準備はOK。

では、語らせて頂こう。

この最高傑作ルパン三世「GREEN vs RED」をね。

難解なストーリーのお陰で、どう解釈をするべきか?そんなサイトが数々ある。

でも、そのどれが間違いと言うわけでもないと思う。

全てが正解。

結末や、言動をあえて曖昧にすることで、見た人間が考える余地を大きくする事で、人それぞれに感想が変わってくるように、あえて作られた物語だから。

「いやいや。その解釈はおかしい。」と言う議論は、意味がない。

「その解釈は面白いけど、オレの解釈はこうなんだよ」と言う議論こそ、この「GREEN vs RED」を見る正しい姿勢なんだろう。な、上で、オレの解釈。

まず、物語の中にちりばめられた情報量があまりにも膨大すぎる。

その一つ一つに対して感想とか解釈を書いていくものなら、何日かかるんだよ。

と言う話なわけで・・・「ナイトホークス社」の話も、「アイスキューブ」の話も、「ローガンの過去」の話も、「長崎の原爆投下」の話も、「昨今の若者に対する警告」の話もこの際、すべて置いておこう。

これ一つ一つで、昨今のルパン三世テレビスペシャル1回分くらいの情報量があるけれども、それでも置いておこう。

語るべきは、ひとつ。

結局、「本物のルパン三世とは誰なのか。」

これしかないと思う。

この物語、まず、メタ的な視点で描かれた、反則技のようなルパン三世だと思うだろう。

なんせ、これまでのテレビシリーズに、映画、テレビスペシャル、OVAなどありとあらゆるルパン三世がその当時のキャラクターデザインで出てくるんだもん。

「カリオストロの城」の頃のフィアットに乗ってるルパンがいれば、「vs複製人間」の頃のベンツに乗ってるルパンもいる。

丸顔のルパンがいれば、馬面のルパンがいて、イケメンのルパンがいれば、アホ面のルパンだっている。

緑色の背広ルパンがいれば、赤い背広も、ピンクの背広のルパンもいる。

あるルパンが、カリオストロデザインのルパンに対して「お前何も盗んでない癖に」と言えば、そのルパンが「オレが一番有名で人気のあるルパンだ」と食ってかかる。

今回の主役とも言えるヤスオルパンに至っては、「カリオストロの城」を見てルパン三世に憧れを抱いている普通の青年なんだし。

物語の中で、本物のルパン三世ももちろん登場する。

この赤背広のルパンが本物のルパン三世で、ヤスオルパンはルパンが「アイスキューブ」を盗むために利用した、ただの狂言回しなのね。

で、話が終わってしまうのであれば、この物語は、きっとこれまでのルパン三世と同じものだったはず。

でもそうならないのが、「GREEN vs RED」なんだよ。

今回の話で「本物のルパン」として登場する赤背広のルパン三世。

彼も、実は本物のルパンじゃあない。

この「GREEN vs RED」における「本物のルパン三世」でしかない。

つまり、「GREEN vs RED」において、「カリオストロルパン」が偽物であるように、「カリオストロの城」の中では今回の「GREEN vs REDルパン」は偽物である。

ルパン三世とは、その物語物語において、中心となる犯罪者の事であり、誰が今度のルパン三世になるのかは分からない。

本物のルパン三世とは、結局、人々が作り出した幻想の人間象の集合体でしかない。

ルパン三世とは、特定の誰か一人の人間ではない。

これが、結論で間違いないと思う。

実際にしばらく「ヤスオルパン」と行動を供にしてた次元が、次元が「本物のルパン」にあった時に、「本物かどうかなんて問題じゃねぇ。組んだら他のどんな奴とやるよりも面白ぇ。そう言う奴の事だろ、ルパンって奴ぁ。そいつはおめぇよりおめえらしいかも知んねぇぜ」と言う言葉に集約されてる。

あとは、紅屋の主人がユキコに言った「男は男に生まれるのではなく男になるのだ。ルパンもまた然りだ。」と言う言葉ね。

話がそれるけど、あの坊主頭のルパン三世は、原作漫画では。ルパンの本当の顔じゃあないんだよね。

ルパン三世の本当の顔は誰も知らない。

中身が同じ人間かどうかも実は分からない。

それが、ルパン三世なんだ。

この内容を掘り下げたのが、たぶん有名な「押井守ルパン」であり、それを再解釈したのが、この「GREEN vs RED」なんだろう。

多分。

知らんけど。

キーとなるキャラクターはたくさん居る。

中でも、やはり気になるのは、「紅屋の主人の爺さん」だろう。

彼が誰なのか・・・とある解説サイトには、「ルパン一味はそれぞれに、人が変わり、次の人が名前を受け継いでいる」と言う説があった。

二代目ルパンが今作で本物ルパンと言われたルパンで、3代目がヤスオルパン。

そして、初代ルパンこそ「紅屋の主人」だ。

とあった。

この解釈も実に面白いと思う。

ついでに、次元は「次の世代の次元」として、あのマグナムを愛してた少年を、不二子は「次の世代の不二子」としてユキコを・・・

それに気がついた銭形警部が、ユキコに「ルパン三世が犯罪者である事は間違いない。それでも、あなたは愛せますかな?」と問いかけたのだ。

つじつまが合うと言えば合う。

でも、オレの解釈は違うんだ。

劇中で、次元は「マグナムと40年を共にしている」と言ってるし、銭形警部の年齢がはっきり「63歳の片山の5歳年上」と明言されてる。

ルパン以外のキャラクターは同じ人なんだと思う。

そして、どんどん歳を重ねていってるんだろう。

次々と現れるルパン以外には。

じゃあ、紅屋の主人は誰なのか。

今回の「GREEN vs RED」のルパンは、アイスキューブをナイトホークス社から盗み出すことで、ルパンじゃあなくなった。

そのルパンは一体どこに行ったのか。

そして、最後に不二子が紅屋の主人に対して言った「お疲れ様」の一言。

「GREEN vs RED」ルパンの、原作漫画よろしく、変装の下の素顔こそ、紅屋の主人なんだと思う。

だから、「GREEN vs RED」ルパンが、日本の小学校の椅子に座って「懐かしい」って言ってるんだ。

そう考えると、最後の紅屋の主人の眼のドアップが、どうしてもルパンの眼に見えて仕方がないんだけど・・・違うんだろうかね。

(↑)この目ね。

ヤスオルパンも、万引きルパンも、アフロルパンも、本当の顔があり、それは全て普通の人間だった。

「GREEN vs RED」ルパンだって、本当の顔が普通の人間であっても全然違和感はないと思うんだけどな。

多分語られてないだけで「カリオストロルパン」も変装を解けば、何かしらの普通の人間なんだろう。

長くなったけれども、この結論を持って、ルパン三世とは誰か。

と言う「GREEN vs RED」のテーマを改めて考えてみる。

世間で作られ続けられる数々のルパン三世像がある。

ビジュアル面でも、性格の面でも・・・

ルパン三世がハードボイルドだと思うファンからすると、近年のTVスペシャルにおけるドタバタルパン三世は「あんなもんルパンじゃねえ」と言うだろう。

テレビルパン三世ファンにとって、宮崎駿の「カリオストロルパン」は「ルパン三世じゃなくて、宮崎ルパンだ」と言うだろう。

近年のルパンしか知らない世代は、ファーストの頃のハードボイルドなルパンを見て「こんなのルパンじゃねえよ」と言うだろう。

こうして肯定され、否定され続けていくルパン三世と言う人間。

それは、今後も作品が作られ続けていく以上は終わる事はないだろう。

この「GREEN vs RED」はルパン三世誕生40周年記念作品らしい。

あえてメタ的な表現を出しつつ、ルパン以外を極限までリアリティーのある描写で表現し、そして、ルパン三世とは誰なのかを言う問いかけを行う事で、40年かけて生み出されてきた数限りないルパン三世と言う存在、すべてを肯定し、全てがルパン三世であって然るべきであると言う事を言いたかったんだと思う。

これが、この物語の最大の根幹だと、オレは感じた。

オレが感じただけだからあってるかどうかは知らない。

でも、オレはそう感じた。

と、同時に、次元がヘリに乗ってた「殺人鬼ルパン」に対して言ってた「痛え目みたほうがいいのさ。どうあがいても、他人のふんどしじゃ相撲はとれねぇんだからなあ。」と言うセリフから、近年のTVスペシャルにおける「ルパンなら、どうしたってある程度数字獲れるだろう」と言う感じへの風刺じゃないのかな~とね。

誰でもルパン三世になれる訳じゃあない。そう考えてる奴は痛い目を見た方が良いんだよ。と言う、メッセージだと。

いやね。

ホント、最近ルパン三世を片っ端から見直してたんだけど、「暗殺計画」位までのあの凄さよ。

そして、近年のガッカリ具合よ。

「40周年を記念して、さらに進化するよ。ルパン三世は!!」と言う、良い意味でも取れるけどね。

残念だったのは、あまりにも時系列がバラバラ過ぎて、絶対1回見ただけじゃあ、内容を把握できない事か。(冒頭のシーンが、まさかヤスオルパンになってしまったヤスオが、まだその実感がない。と言う過渡期の状況だったとは、初見で絶対気がつかないって・・・などなど。)

そして、やはり、「カリオストロルパン」とか「複製人間ルパン」の声を山田康雄さんがやってくれれば・・・まぁ、これは無理な願望だけどね。

もし、これがかなって、「山田ルパン vs クリカンルパン」の構図で、最後に山田ルパンが引退して、クリカンルパンが次のルパンとなり、最後の「今度は新型だ!!」のセリフにつながっている、正式な声優交代の意味を持つ作品だったとしたら、この作品の評価から、否の意見はかなり消し飛んでたかも知れないな。

などなどね。

まだまだ、書き足りないし、これから10回、100回と見返すたびに新しい発見もあるかも知れないけど、今日のところはこれが精いっぱい。

しかし、随所に見られる演出と音楽が往年のルパンファンなら、誰でもニヤニヤするし、演出とか、抜群にカッコいいのに、これ・・・なんで、もっと有名にならないんだろう?
と、腑に落ちない気分でいっぱいでございます。

あぁ~長々いっぱい書いた~

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2023年11月16日 12:04 CAT :

私の体はタオル地 私の瞳は洋服のボタン

とある企業さんのECサイトをリニューアルする、と言うご依頼を新しくいただいた。

いつもありがとうございます。ヘコヘコ。

全力で頑張ります。

頑張るんだけど!!

その前に言いたい事がある。

前回のリニューアル時もオレが担当させて貰ったこの企業さん、実はコスメ関係の商品を取り扱ってる。

取り扱ってると言うか、自社で開発してる。

で、その商品を前回の時、サンプルでいくつか貰って使ってみるとメチャクチャ良かったんだよ。

それから数年。

ずっと使わせてもらってる。もちろん、最初のサンプル以降は全部自分で買ってる。

子どもの頃、絶望的なアトピー皮膚炎に悩まされてた。

耳たぶが爛れ過ぎて千切れそうになってたし、肘や膝などチョッとでも汗をかきやすい所はいつも血塗れ。

オレの歩くところはかさぶたとか、粉がぽろぽろ落ちるし、寝る時、全身をぼりぼり掻き毟るので布団には常に血がついてた。

友達はステロイド。

ストロングのステロイドを体中に塗りたくってた。

今でもオレの皮膚は相当に貧弱で、チョッとでも変なものを使うと途端に痒みが襲ってきて、血塗れになる。

でも!でもだ!

オレはほぼほぼアトピーを克服できたと思ってる。

そのために今でも圧倒的制限の中で生きてはいるけど、お肌はとんでもなくきれいになった。

体中にあった赤い斑点みたいなヤツもほぼ消えた。

どうしたかと言うと、石鹸、シャンプー、保湿クリーム、洗濯洗剤などを全て見直したんだよ。

1000円未満のシャンプーとか、どれ使っても、使ったその日の夜には指がかゆくなって血塗れ。

それならばと少しずつ値段を上げながら、色んなシャンプーと共に血塗れナイトを繰り返した結果、ついに全く痒くならないシャンプーに出会えたわけでございます。

みたいなことを、全てにおいてやってきた。

・・・オレがと言うか、嫁がめっちゃ協力してくれた感もある。

もちろん全部良いお値段はするんだけど、それ以上の価値は絶対的にあると思うんだよね。

何の話かと言うと、その内の洗顔に使ってる石鹸がこの企業さんのオリジナル商品なんだよ。

体に悪いものを全て排除して、こだわりぬいた素材で作り上げたその石鹸は、洗い心地も素晴らしく、界面活性剤不使用とは思えない程泡立ちも良い。

そして、オレが使っても全く痛くなくて、荒れる事も、痒くなる事も全くない。

そんな良いもの高いに決まってるじゃないか。

娘が生まれた時、お風呂で赤ちゃん用石鹸使って体を洗ってあげたら、生まれたての赤ちゃんより先にボロボロになったオレの皮膚を舐めるんじゃねえよ。

アトピーにはもちろん度合いがあるので、オレが使ってるものを使ったとて克服できる保証はない。

圧倒的制限の中ではあっても、オレはホントに運が良かったとは思ってる。

ただ、縄文時代なら100%生まれた段階で間引きされたであろう虚弱体質のオレが、アトピーに悩まされずに今日を生きていけるのは、こういう素敵な企業さんのお陰だと思ってる。

そんな思いあって、心を込めてこのお仕事を頑張る所存です。

まぁ、アトピー以外にも心臓とか色々変なとこあるんだけどな。

それはそれですよ。

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2023年11月15日 12:49 CAT :

文豪ボースカに締め切りを任せてハワイへ旅立つ

このブログ、wordpressって言うものを使って作ってるんだけど、そのwordpressのバージョンアップがあった。

で、アップしてみると、何かスマホとかでちゃんと表示されなくなってる。

wordpressさんには、便利なWPtouchと言うプラグインがあって、これを使うと勝手に表示をスマホ最適化してくれるんだよ。

オレもこれを使ってた。

多分だけど、このWPtouchさんが今回のアップデートに対応できてないんだと思う。知らんけど、多分そうだろう。

このまま対応されるまで放っておいても良かったんだけど、せっかくなので、ずっと放置してたブログのレスポンシブ対応に着手することにした。

とは言え、日曜日の夜。

マンガとかいっぱい描きたいわけで、そんな時間を潰して長々とソースをいじるのもどうなのかなと言う思いもある。

ただ、ブログが表示されないまま放置と言うのも、せっかく見に来てくれた超絶奇特な方を蔑ろにしてる感じで心がずきずきと痛む。

そんな葛藤の末、ホント最低限体裁を整える感じで対応いたしました。

これで、今後はパソコンで見ようが、スマホで見ようが、タブレットで見ようがちゃんと全部のコンテンツがキレイに表示されてると信じたい。

突貫工事なので、漏れは絶対あるだろうけど。

ついでに、普段ブログはあんまり読み返したりはしないんだけど、ページのレイアウト作りながら適当に過去の記事を色々読み返してた。

何か、今年の初めの頃のを読むだけでも、あぁ色々あったなぁと、変な感慨に浸ってしまったです。

来年で何とこのブログ20周年。

初期の頃なんて、ホント若気の至りでは済まされないだろうなぁ。と。

そんな話。

おやすみなさい。

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2023年11月14日 12:36 CAT :

腹にこもった赤子の肝が瘡に効き目があると言う

「反出生主義者」「アンチナタリズム」と言う言葉をご存じだろうか。

何か、このネタで短編が一本描けるんじゃないだろうかと思ってる。

まぁ、今の感じだといつになるやらッて感じだけれども・・・

「アンチナタリズム」について調べようとすると、まぁまぁお勉強することが多すぎるので、その辺は割愛して、めっちゃ上辺だけを掬い取って話すと「自分は生まれるべきではなかった」と思う奴と「人間は生まれるべきではない」と思う奴の2つがあるらしい。

前者は「はいはい。中二病ですね」で片づけても良い気がする。

家庭環境などがあってそう簡単に片づけられない事象もあるらしいけど、そんな人でもきっと素敵な友人、恋人と出会って「生まれてきてよかった」と思えるようになって欲しいと言う願望もついでに込めておこう。

どちらかと言うと、後者の方が興味がある。

ともすれば、大量殺人に発展しかねない思想だと言えるかも知れない。

優生学の更に暴走したバージョンとかも含まれるんだろうか。

自分の存在を否定すると言う事は、人間生きていれば必ず何度かは経験するだろう。

他者の存在を否定すると言う事も、社会生活の中に身を置けば、まま経験すると思う。

でも、存在全てを否定して、「人間は生まれるべきではない」と思うってどんな思考から導き出されるんだろうか。

オレが興味あるのはその部分なんだよね。

その過程には絶対的に洗脳が必要な気がする。

それも、他者からではなく自発的な洗脳。

社会との接点を全て断絶させて、元々あった自己否定の概念を極端に肥大化させ続け、その対象が自分を含む人間すべてにまで広がっても尚肥大化を止めなかった結果、その概念が強烈な憎悪に入れ替わる。

そんな自己洗脳を数十年続けた先に到達する境地が「人間は生まれるべきではない」と言う思想。

その思想が限界を超え、自己洗脳を完了させた絶望的モンスターが、初めての実社会との接点として妊婦ばかりを狙って凶行を繰り返す。

面白い話が描けそうな気がするんだけどなぁ。

問題は、この物語の主人公となるべきキャラクターの人間性と表情だよね。

それがまだ浮かばないうちは、ネタの一つでしかない。

ふと思ったのは、蛭子さんの描く人間だよな。

表面上普通なのにその奥に狂気をはらんだ人間を描かせたらホント天才的だと思う。

こんな表情の人間が描けるようになりたいな。

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2023年11月13日 12:04 CAT :

あの頃の話を振り返る愚行を犯し続ける別にひとときでもなかった暗がり~その19

昨日、このシリーズを書こうと思ったんだけど、前置きの部分が長くなり過ぎたので「番外編」にして切り分けてしまった。

あと、いい加減、小説をアップするタイミングとこの裏話をするタイミングを近づけたいと思うので、今回は一気に24話、25話の2話分「ホールライブ」の裏話と言う事でまとめます。

書いてるオレが何の話だったっけ?ってなるので、これはあまりにもユーザーフレンドリーではないと思う訳ですよ。

ケセラセラ。

と言う事で、少しでも多くの人を繋ぎ止めたいと言う邪な心意気で今日も今日とて書いていきますよぉ!

その前に一応、リンク張っておこう(↑)。

頑張って書いてるので読んでください。平に!平に!

さてさて。

第24~25話「ホールライブ」。

ちなみに、この25話目の扉絵をタクヤの元ネタになったヤツに見せると、「狂おしいほど似てる!確かにこうやってた」って爆笑してた。

本編だけでなく、扉絵も事実に基づいて描いております。

その内怒られるんじゃないだろうか。

人生において、ここまで大きいステージで、たくさんの人の前に立った経験と言うと、あと数回しかないんじゃないだろうか。

高校生のへっぽこバンドが、普通に売れてるプロの人が地方巡業の時に使うようなホールで、ライブをすると言う事の非現実さよ。

例え30分とは言えですよ。

今考えても、あれは夢だったんじゃないだろうか。と思ってしまう。

それなのに、演劇の方も忙しすぎて、ろくに練習も出来ず、ボーカルにメロディーラインを教えるのは、当日の控室。

今考えると、とんでもない。

こういうのを若気の至りと言うんだろうね。

そんなライブだったんだけども、何と言ってもこのライブで強烈に記憶に残っているのは、2つ。

「ランナウェイ」の演奏中にドラムの奴の足が攣った事と、ボーカルの奴が「wow~wow~」って言いながらお茶を濁したこと。

前者は後から笑い話になり、後者に至っては「そう言う曲」だと認識され「良かったよ」と言われてしまう。

一応変な矜持を持ってたオレとしては、ボーカルが歌わない、演奏もメチャクチャな曲を発表した事について、ライブ中、ライブ終了後には自分の不甲斐なさを含めて本気で落ち込んだ。

それなのに「良かったよ」と言われた時の衝撃はなかなか凄かった。

頭の中には完成形があって、その形に出来るだけ近い状態で発表すべきなのは当たり前。

ただ、あくまでも完成形が頭の中にあるのは当人たちだけで、聴いている人たちからすれば、今演奏されているものが完成形だと思って聞いてる。

あまつさえ、数か月前から伝えていた、こんな規模のホールでのライブ。

まさか、ろくに練習もせずに中途半端なものを演奏するなんて思ってないだろうて。

オリジナル作品を発表することの恐ろしさとありがたさを同時に経験した貴重な体験だったと思う。

とは言え、じゃあこれ以降は、2度と同じ経験をしないように頑張ってきたのかと言えば、そうでもない所が心底クズなんだよな。

そんな人間なんですよ。

オレは。

そして、このバンドは。

ちょっと長くなってしまったので、お礼絵のネタについては、また別の機会にでも。

「堤さやか」への思い入れとか、ビジュアル系バンドについてとかは色々語りたい事多いのでな。

特に最近、好きなアーティストさんの訃報が多すぎるし。

今回はこの辺りで。

また次回に。

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2023年11月12日 12:53 CAT :

あの頃の話を振り返る愚行を犯し続ける別にひとときでもなかった暗がり~番外編

水増し完了!

と言う事で、今日から本来の記事に戻りますか。

先日、嫁とタクヤのモデルになったやつと3人で飯を食いに行った時、今書いてる小説「ひとときの暗がり」の話をしてた。

その時そいつに(↓)の絵を見せて「誰が誰か分かる?」って聞いたら、全員当てられた。

意外と、一人一人の特徴を捉えられているらしい。

3話目の扉絵の奴ですね。

そして、この(↓)の7話目の扉絵を見て「これは、似てると言うかそのまますぎてやばくね?」と爆笑してたよ。

本人が見たら100%気付くそうです。

ちなみに、内容を話したところ「水増し一切なしの100%実話」だと言う保証をいただいた。

けど、先日のこの話もあるのでやっぱり、99.9%ノンフィクションと言う事にしておく。

その時の会話の中で、オレが記憶してなかった新しい話もいくつか出てきた。

詳しく聞いてるとオレも「あぁあああったわ!そんな事」と、当時の情景がさらに沸々と湧いてきた。

書き切れなかったエピソードもいっぱいあるのに、オレが覚えていなかったエピソードもまぁまぁたくさんあるみたい。

今後の展開にある程度盛り込んでいこうと思うんだけど、もうすでに終わった部分だけここで補足。

高校1年のティーンズライブフェスタ出演の際、演奏した「スーパーフィニッシュ」と言う曲(のちに、ハコフグの人に褒められた曲)を対バンしてたハードコアバンドのお兄ちゃんに「お前ら凄い曲するな」って褒められたらしいです。

人見知りなオレは、控室で別のバンドの人と話など出来る訳もないので、知らなかったけど、ちょっと嬉しい話だった。

こんなの覚えてたら、絶対本編のどっかに組み込んだのにな。

無念じゃ。

この話をしてる時、嫁は「どうせ話盛ってるんだと思ってたけど、これだけ2人の話があうって事はホントだったの?」とびっくりしてた。

「どんな高校生活よ・・・」と。

嫁はオレの高校時代の話とかを「ハイハイ。また話盛ってるのね」と思いながら聞いてたらしい。

ホントの事しか話してないのになぁ~

何しか、打倒グミチョコで頑張ります。

こっちは全部ホントの話なんだぞ!このやろぉ!

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2023年11月11日 12:41 CAT :

水増しの記事~その2 無限の海の阿鼻叫喚バージョン

心の奥底からあふれ出してくる「憎悪」のような「負の感情」。

幼い頃から、いつの時代でも止めどなく溢れ出てくる。

自分の環境が絶望的だったから、溢れ出てくるものだと思ってた。

それなのに。

それなのに。

こんなに自分の想定以上に良い環境になってさえも、このドロドロとした「負の感情」だけは未だに止まることがない。

もっと根源的なものだったことに気が付いた。

中二病真っ盛りの諸兄よ。

その感情が思春期を過ぎ、社会に出て、結婚して、子どもが出来、子どももある程度大きくなり、自分の人生がそんなに悪くない事に気が付いた段階でも、この感情が溢れ出てこそ本物であると自覚すべき。

娘さんが幼稚園に通い始める位のころに、「餓鬼」とか、「エナメルを塗られたアポリネール」とか、「兄の病の特効薬は死臭漂う血の池地獄のような人肉スープの形而上学」とか、「 夜が終わっちまう前に…」とか、「廃墟の街」とか、「白痴」を制作し、娘さんが小学生のころに、「父親憎悪」を制作し、娘さんが中学生のころに、うたばんに出て親に「仕送りシクヨロ!」とのたまい、娘さんが高校生のころに、「自殺の唄」見たいな曲を書いて、ライブで「死ね!!死ね!!死んじまえ!!」とか叫び、娘さんが就活を頑張ってる時に、「犬神サーカス団Z」とか言うおっさんばっかりのバンドでライブハウス巡りし、娘さんが独り立ちする事に寂しさと嬉しさをかみしめつつ「死ねばいい」とか「反物質」みたいな曲を書いてこそ本物ですよ。

誰の事かって?

そりゃああなた、この人ですよ。

敬愛してやまない犬神明兄さん。

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2023年11月10日 15:12 CAT :

水増しの記事~その1

気が付いたら、ストックがないまましばらく経過してたみたい。

ジャネーの法則よろしく、時間が経つのはお早いですな。

とは言え、別に何にもしてなかった訳でもない訳ですよ。あたしだってね。

〇小説について
「ひとときの暗がり」の第1部全31話を書ききった。
今は書いた内容を読み直して、ブラッシュアップ中。

〇漫画について
「風を切る日々」第50話を作画作業中。
あと3ページで完成と言う所まで書いております。
先日、Xの方で久々に作画工程の動画などもアップした。

こんな感じですな。

動画では1分足らずだけど、実際の作画時間は30分以上かかってる。

昔は筆が早いと持ってたんだけど、最近、そうでもないような気がしてる。

あと、お仕事もままバリバリやっておりますよ。

やる事がどんどん増えて行って、机の前に座って作業する時間が減ってるのがすこし何とも言えない気持ちになるけれども・・・

そして、おうち関係の事で、色々家具とか必要なものを買い揃えている感じ。

金銭感覚がうんこみたいになってきております。

あと一息で原稿は完成する。・・・と思う。

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2023年11月9日 22:09 CAT :

けけおえ

「人生の落後者」と言う言葉はきっとオレにような人間にこそ当てはまるべきものだと思ってた。

何か、「人生上手くいかない」だの、「学校で友達がいなかった」だの色々いう奴がいるけど、実際に話を聞いてみると、全然お前なんか落伍者じゃねえよ。と言う事が多い。

そんな中で、オレこそが誰よりも落伍者だ。と。

てめえなんて、「人生がうまくいかない」って言う事で何となく、周りに同調しようとしてるだけのカスじゃねえか。

何か良く分からないけどそんな感じ。に思ってた。

・・・思ってたんだけどもだ。

最近、落伍しているからこそ見える景色があり、落伍者だからこそ楽しめる人生も実はあるんじゃあないだろうかと思うようになってきたんだよね。

「オレって普通じゃない」って言ってるヤツで、普通じゃなかった奴なんて見た事ない。

普通じゃないと言われると、むきになって「オレは普通なんだよ」と言う奴の中にこそ本当に普通じゃない奴がいる。

これからの時代、人生の落後者の方が大多数を占めてくるような気がしてならない。

そもそも論として、落伍者の意味が「大勢の人が歩む普通の道から踏み外した人」だとして、大勢の人がクソ底辺で這いつくばってる社会においては、成功者こそ落伍者と呼ばれる日が来たりはしないだろうか。

そんなパラダイムシフトが起きた後でも、「人生の落後者」と言われるようになりたいものです。

何の話だ?これ?

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